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朝あさ [ 太宰治だざいおさむ ]

太宰治だざいおさむ1909–1948「新しん思潮しちょう」昭和しょうわ二十二にじゅうに年ねん七なな月つき号ごう70 段だん

短みじかい。会話かいわが多おおい。難むずかしい語ごは数かぞえるほどしかない。それでいて、最後さいごまで読よむと何なにかが起おきたとしか思おもえない。日本語にほんごの小説しょうせつが、書かかないことで何なにをするのかを見みるのに、これ以上いじょう手頃てごろな一いち篇へんはそう無ない。

2,977 字じ
語ご注ちゅう(7 語ご)
二に重じゅう廻まわしにじゅうまわし
明治めいじから昭和しょうわ初期しょきの男物おとこものの外套がいとう。袖そでがなく、肩かたから布ぬのが一いち枚まいぐるりと回まわる。着ちゃくたまま寝ねれば、当然とうぜんきちんとした姿すがたではない。
編へん輯しゅう者しゃへんしゅうしゃ
「編集者へんしゅうしゃ」の古ふるい書かき方かた。雑誌ざっし社しゃの人ひと。
燭台しょくだいしょくだい
蝋燭ろうそくを立たてる台だい。
足袋たびたび
和わ装そうのときに履はく布ぬのの履物はきもの。外套がいとうも足袋たびも脱だつがずに寝ねていた、というのが「自分じぶんの家いえではない」と気きづく手てがかりになる。脱だつぐか脱だつがないかは、この話はなしでは大おおきな意味いみを持もつ。
クレーヴの奥方おくがた
ラファイエット夫人ふじんが 1678 年としに匿名とくめいで出だしたフランスの小説しょうせつ。宮廷きゅうていを舞台ぶたいに、恋こいを告白こくはくしないまま終おわる話はなしとして知しられる。キクちゃんの机つくえの上うえにこの本ほんがあることは、偶然ぐうぜんではない。
燭台しょくだいは高こうきに置おけ
語かたり手てはバイブルに在あると言いうが、そのすぐあとで「私わたしは嘘うそを言いった」と自分じぶんで明あかす。二に度目どめの引用いんようも同おなじ手口てぐちである。
新しん思潮しちょうしんしちょう
東京とうきょう帝国ていこく大学だいがくの学生がくせいを中心ちゅうしんに、明治めいじ末まつから幾度いくども出だし直なおされた文ぶん芸げい同人誌どうじんし。この作さくは昭和しょうわ 22 年とし(1947)の号ごうに載のった。

私わたしは遊あそぶ事ことが何なによりも好すきなので、家いえで仕事しごとをしていながらも、友ともあり遠方えんぽうより来くるのをいつもひそかに心こころ待まちにしている状態じょうたいで、玄関げんかんが、がらっとあくと眉まゆをひそめ、口くちをゆがめて、けれども実じつは胸むねをおどらせ、書かきかけの原稿げんこう用よう紙しをさっそく取とりかたづけて、その客きゃくを迎むかえる。

「あ、これは、お仕事しごと中ちゅうですね。」

「いや、なに。」

そうしてその客きゃくと一緒いっしょに遊あそびに出でる。

けれども、それではいつまでも何なにも仕事しごとが出来できないので、某所ぼうしょに秘密ひみつの仕事しごと部屋へやを設もうける事ことにしたのである。それはどこにあるのか、家いえの者ものにも知しらせていない。毎まい朝あさ、九きゅう時じ頃ごろ、私わたしは家いえの者ものに弁べん当とうを作つくらせ、それを持もってその仕事しごと部屋へやに出勤しゅっきんする。さすがにその秘密ひみつの仕事しごと部屋へやには訪おとずれて来くるひとも無ないので、私わたしの仕事しごともたいてい予定よていどおりに進行しんこうする。しかし、午後ごごの三さん時じ頃ころになると、疲つかれても来くるし、ひとが恋こいしくもなるし、遊あそびたくなって、頃ころ合あいのところで仕事しごとを切きり上あげ、家いえへ帰かえる。帰かえる途中とちゅうで、おでんやなどに引ひかかって、深夜しんやの帰宅きたくになる事こともある。

仕事しごと部屋へや。

しかし、その部屋へやは、女おんなのひとの部屋へやなのである。その若わかい女おんなのひとが、朝あさ早はやく日本橋にほんばしの或ある銀行ぎんこうに出勤しゅっきんする。そのあとに私わたしが行おこなって、そうして四よん、五ご時間じかんそこで仕事しごとをして、女おんなのひとが銀行ぎんこうから帰かえって来くる前まえに退出たいしゅつする。

愛人あいじんとか何なにとか、そんなものでは無ない。私わたしがそのひとのお母ははさんを知しっていて、そうしてそのお母ははさんは、或ある事情じじょうで、その娘むすめさんとわかれわかれになって、いまは東北とうほくのほうで暮くらしているのである。そうして時ときたま私わたしに手紙てがみを寄きこして、その娘むすめの縁えん談だんに就ついて、私わたしの意見いけんを求もとめたりなどして、私わたしもその候補こうほ者しゃの青年せいねんと逢あい、あれならいいお婿むこさんでしょう、賛成さんせいです、なんてひとかどの苦労人くろうにんの言いいそうな事ことを書かいて送おくってやった事こともあった。

しかし、いまではそのお母ははさんよりも、娘むすめさんのほうが、よけいに私わたしを信頼しんらいしているように、どうも、そうらしく私わたしには思おもわれて来きた。

「キクちゃん。こないだ、あなたの未来みらいの旦那だんなさんに逢あったよ。」

「そう? どうでした? すこうし、キザね。そうでしょう?」

「まあ、でも、あんなところさ。そりゃもう、僕ぼくにくらべたら、どんな男おとこでも、あほらしく見みえるんだからね。我慢がまんしな。」

「そりゃ、そうね。」

娘むすめさんは、その青年せいねんとあっさり結婚けっこんする気きでいるようであった。

先夜せんや、私わたしは大酒おおざけを飲のんだ。いや、大酒おおざけを飲のむのは、毎夜まいよの事ことであって、なにも珍めずらしい事ことではないけれども、その日ひ、仕事しごと場ばからの帰かえりに、駅えきのところで久ひさし振ぶりの友人ゆうじんと逢あい、さっそく私わたしのなじみのおでんやに案内あんないして大だいいに飲のみ、そろそろ酒さけが苦痛くつうになりかけて来きた時ときに、雑誌ざっし社しゃの編輯者へんしゅうしゃが、たぶんここだろうと思おもった、と言いってウイスキー持参じさんであらわれ、その編へん輯しゅう者しゃの相手あいてをしてまたそのウイスキーを一本いっぽん飲のみつくして、こりゃもう吐はくのではなかろうか、どうなるのだろう、と自分じぶんながら、そらおそろしくなって来きて、さすがにもう、このへんでよそうと思おもっても、こんどは友人ゆうじんが、席せきをあらためて僕ぼくにこれからおごらせてくれ、と言いい出だし、電車でんしゃに乗のって、その友人ゆうじんのなじみの小料理屋こりょうりやにひっぱって行いかれ、そこでまた日本酒にほんしゅを飲のみ、やっとその友人ゆうじん、編へん輯しゅう者しゃの両人りょうにんとわかれた時ときには、私わたしはもう、歩ほけないくらいに酔よっていた。

「とめてくれ。うちまで歩あるいて行いけそうもないんだ。このままで、寝ねちまうからね。たのむよ。」

私わたしは、こたつに足あしをつっこみ、二重廻にじゅうまわしを着ちゃくたままで寝ねた。

夜中よなかに、ふと眼めがさめた。まっくらである。数秒間すうびょうかん、私わたしは自分じぶんのうちで寝ねているような気きがしていた。足あしを少すこしうごかして、自分じぶんが足袋たびをはいているままで寝ねているのに気附きづいてはっとした。しまった! いけねえ!

ああ、このような経験けいけんを、私わたしはこれまで、何百なんびゃく回かい、何千なんぜん回かい、くりかえした事ことか。

私わたしは、唸うなった。

「お寒さむくありません?」

と、キクちゃんが、くらやみの中なかで言いった。

私わたしと直角ちょっかくに、こたつに足あしを突込つっこんで寝ねているようである。

「いや、寒さむくない。」

私わたしは上半身じょうはんしんを起きして、

「窓まどから小便しょうべんしてもいいかね。」

と言いった。

「かまいませんわ。そのほうが簡単かんたんでいいわ。」

「キクちゃんも、時々ときどきやるんじゃねえか。」

私わたしは立りつ上じょうって、電燈でんとうのスイッチをひねった。つかない。

「停電ていでんですの。」

とキクちゃんが小声こごえで言いった。

私わたしは手てさぐりで、そろそろ窓まどのほうに行いき、キクちゃんのからだに躓つまずいた。キクちゃんは、じっとしていた。

「こりゃ、いけねえ。」

と私わたしはひとりごとのように呟つぶやき、やっと窓まどのカアテンに触さわって、それを排はいして窓まどを少すこしあけ、流水りゅうすいの音おとをたてた。

「キクちゃんの机つくえの上うえに、クレーヴの奥方おくがたという本ほんがあったね。」

私わたしはまた以前いぜんのとおりに、からだを横よこたえながら言いう。

「あの頃ころの貴婦人きふじんはね、宮殿きゅうでんのお庭にわや、また廊下ろうかの階段かいだんの下したの暗くらいところなどで、平気へいきで小便しょうべんをしたものなんだ。窓まどから小便しょうべんをするという事ことも、だから、本来ほんらいは貴族きぞく的てきな事ことなんだ。」

「お酒さけお飲のみになるんだったら、ありますわ。貴族きぞくは、寝ねながら飲のむんでしょう?」

飲のみたかった。しかし、飲のんだら、あぶないと思おもった。

「いや、貴族きぞくは暗黒あんこくをいとうものだ、元来がんらいが臆病おくびょうなんだからね。暗くらいと、こわくて駄目だめなんだ。蝋燭ろうそくが無ないかね。蝋燭ろうそくをつけてくれたら、飲のんでもいい。」

キクちゃんは黙だまって起おきた。

そうして、蝋燭ろうそくに火ひが点てんぜられた。私わたしは、ほっとした。もうこれで今夜こんやは、何事なにごとも仕出しでかさずにすむと思おもった。

「どこへ置おきましょう。」

「燭台しょくだいは高こうきに置おけ、とバイブルに在あるから、高たかいところがいい。その本箱ほんばこの上うえへどうだろう。」

「お酒さけは? コップで?」

「深夜しんやの酒さけは、コップに注つげ、とバイブルに在ある。」

私わたしは嘘うそを言いった。

キクちゃんは、にやにや笑わらいながら、大おおきいコップにお酒さけをなみなみと注そそいで持もって来きた。

「まだ、もう一いちぱいぶんくらい、ございますわ。」

「いや、これだけでいい。」

私わたしはコップを受うけ取とって、ぐいぐい飲のんで、飲のみほし、仰向あおむけに寝ねた。

「さあ、もう一いち眠ねむりだ。キクちゃんも、おやすみ。」

キクちゃんも仰向あおむけに、私わたしと直角ちょっかくに寝ねて、そうしてまつげの長ながい大おおきい眼めを、しきりにパチパチさせて眠ねむりそうもない。

私わたしは黙だまって本箱ほんばこの上うえの、蝋燭ろうそくの焔ほのおを見みた。焔ほのおは生いき物もののように、伸のびたりちぢんだりして、うごいている。見みているうちに、私わたしは、ふと或ある事ことに思おもい到いたり、恐怖きょうふした。

「この蝋燭ろうそくは短みじかいね。もうすぐ、なくなるよ。もっと長ながい蝋燭ろうそくが無ないのかね。」

「それだけですの。」

私わたしは黙もくした。天てんに祈いのりたい気持きもちであった。あの蝋燭ろうそくが尽つきないうちに私わたしが眠ねむるか、またはコップ一いちぱいの酔よいが覚さめてしまうか、どちらかでないと、キクちゃんが、あぶない。

焔ほのおはちろちろ燃もえて、少すこしずつ少すこしずつ短たんかくなって行いくけれども、私わたしはちっとも眠ねむくならず、またコップ酒さけの酔よいもさめるどころか、五体ごたいを熱あつくして、ずんずん私わたしを大胆だいたんにするばかりなのである。

思おもわず、私わたしは溜息ためいきをもらした。

「足袋たびをおぬぎになったら?」

「なぜ?」

「そのほうが、あたたかいわよ。」

私わたしは言いわれるままに足袋たびを脱ぬいだ。

これはもういけない。蝋燭ろうそくが消きえたら、それまでだ。

私わたしは覚悟かくごしかけた。

焔ほのおは暗くらくなり、それから身悶みもだえするように左右さゆうにうごいて、一瞬いっしゅん大おおきく、あかるくなり、それから、じじと音おとを立たてて、みるみる小ちいさくいじけて行おこなって、消きえた。

しらじらと夜よるが明あけていたのである。

部屋へやは薄明はくめいるく、もはや、くらやみではなかったのである。

私わたしは起おきて、帰かえる身支度みじたくをした。

(「新しん思潮しちょう」昭和しょうわ二十二にじゅうに年ねん七なな月つき号ごう)

初出しょしゅつ「新しん思潮しちょう」昭和しょうわ二十二にじゅうに年ねん七なな月つき号ごう

底本ていほん青空あおぞら文庫ぶんこ

権利けんり著作ちょさく権けん保護ほご期間満了きかんまんりょう(著者ちょしゃは 1948 年とし没ぼつ)

本文ほんぶんには手てを入いれていない。振ふり仮名がなは原本げんぽんの指定していどおりに組くみ直なおしたもので、 語ご注ちゅうはこの頁ページの側がわで付つけた。太宰治だざいおさむが書かいたのは、上うえの本文ほんぶんだけである。