からだは、いまを守るために何かを止める [ エネルギーと体の優先順位 ]
体重が増えないこと、月経が不規則なこと、食欲がわかないこと、筋肉がつかないこと。これらはばらばらの不調ではなく、ひとつのことから枝分かれした結果であることがよくあります。入ってくるエネルギーが足りないとき、体は命に直結しない働きから順に止めていきます。だから回復も、その順番を逆に辿ることになります。ただしひとつ、意外なことがあります。止まっていたものを動かし直すその瞬間が、体にとっていちばん負担の大きい時間になるのです。
この文章は、急かすために書かれたものではありません
はじめに、この文章がどういうものかを書いておきます。
これは、体の中で何が起きているのかを説明する読みものです。診断でも、治療の指示でもありません。読み終わったあとに、今日から何かを始めなければならない、という文章でもありません。
書いた理由はひとつです。自分の体に起きていることを、自分の言葉で理解できるようになると、選ぶときに迷いが減るからです。医療の場では、時間の制約から、結論だけが手渡されることがよくあります。「もう少し食べましょう」「いきなり増やさないでください」。どちらも正しいのですが、この二つが同時に言われると、矛盾しているように聞こえます。なぜ両方が正しいのかは、体の中で何が起きているかを知らないと分かりません。
もうひとつ、先に言っておきたいことがあります。
これから説明するのは、うまくいっていない体の話ではなく、よくできた体の話です。食べる量が足りない状態が長く続いたとき、体はただ弱っていくのではありません。限られたものをどう配るかを決め、優先度の低いところから静かに手を引いていきます。月経が止まるのも、食欲が細るのも、体温が下がるのも、その配分の結果です。壊れたのではなく、節約に切り替わったのです。
節約に入った体を元に戻すには、燃料を戻すしかありません。ここまでは単純です。ところが厄介なことに、燃料を戻す最初の数日が、いちばん危ない時間になるという性質があります。これは直感に反しますし、知らないと「よかれと思って」踏み込んでしまうところです。この文章の後半は、その理由の説明にかなりの紙幅を使っています。
順番はこうです。まず、体がそもそも何で動いているのか。次に、足りなくなると何が起きるのか。それから、戻すときに何が起きるのか。最後に、では実際にどこから手をつけるのが割に合うのか。
急ぐ必要はありません。分からない語が出てきたら、そこで止まって構いません。理解するのに必要な語は、すべてその場で説明します。
からだは何を燃やして動いているのか
まず、いちばん下の階から始めます。
体は、およそ三十七兆個の細胞でできています。細胞は、それぞれが小さな工場のようなものです。心臓の細胞は縮んで血を送り、腸の細胞は栄養を取り込み、脳の細胞は電気の信号をやりとりしています。仕事の中身は違いますが、動くためにエネルギーが要るという点はすべて共通です。
そして、細胞がエネルギーとして直接使えるものは、たったひとつしかありません。
ATPという、体の中でだけ通用するお金
その物質をATP(アデノシン三リン酸)といいます。
名前は難しく見えますが、考え方は単純です。ATP は、分子の内側にエネルギーをたくわえた小さな粒で、必要なときにその一部を手放して力に変えます。筋肉が縮むときも、神経が信号を出すときも、細胞が栄養を取り込むときも、使われているのは例外なく ATP です。
たとえるなら、体の中でだけ通用する現金のようなものです。ご飯もパンも脂も、そのままでは細胞にとって使えません。いったん ATP という単位に両替してはじめて、支払いに使えるようになります。
面白いのは、この現金をほとんど貯めておけないことです。体の中にある ATP は、全部あわせても五十グラムから百グラムほどしかありません。数十秒ぶんの活動量です。ではどうしているかというと、使ったそばから作り直しています。一日のあいだに作られては壊されるATPの総量は、その人の体重と同じくらいになります。四十キログラムの人なら、一日に四十キログラムぶんの ATP を作っては使い、作っては使いしている計算です。
体の中の ATP は、貯金ではなく流れです。だから「エネルギーが足りない」というのは、貯金が減ったという話ではなく、流れが細くなったという話になります。細くなった流れは、体のすみずみに同時には行き渡りません。
発電所はミトコンドリアという場所にあります
ATP を作っている場所は、細胞のなかのミトコンドリアという小さな器官です。ここで、食べたものから取り出した材料と、呼吸で取り込んだ酸素を合わせて、ATP を組み立てています。
呼吸が「酸素を吸うこと」だと習いますが、体の側から見ると、酸素はATPを作るための材料です。息を吸うのも、心臓が血を送るのも、赤血球が酸素を運ぶのも、すべてこの発電所に材料を届けるための仕事です。あとで出てくる「リン」の話は、ここに直接つながります。
食べたものが力に変わるまで
次に、食べたものがどうやって ATP になるのかを見ます。ここを押さえておくと、あとの説明がずいぶん楽になります。
血糖とインスリン ── 取り込みのスイッチ
ご飯やパンを食べると、消化されてブドウ糖(グルコース)という小さな粒になり、腸から血の中に入ります。血の中のブドウ糖の量が「血糖」です。
血糖が上がると、膵臓からインスリンというホルモンが出ます。インスリンの役割は、ひとことで言えば「取り込め」という号令です。この号令を受けると、筋肉や脂肪の細胞は表面の扉を開き、血の中のブドウ糖を自分の内側へ引き入れます。
ここは大事なところなので、少し丁寧に書きます。
インスリンが開ける扉は、ブドウ糖専用ではありません。同じ号令で、いくつかのものが一緒に細胞の中へ入ります。この文章の後半で問題になるのは、まさにこの「一緒に入るもの」です。いまは「インスリンは、血の中にあるものを細胞の中へ引き入れるホルモンだ」とだけ覚えておいてください。
取り込んだブドウ糖は、二段階で燃やされます
細胞の中に入ったブドウ糖は、二つの段階を経てATPになります。
一段階目は解糖系といって、細胞の中の液体部分で行われます。酸素を使わずにブドウ糖を半分に割り、少しだけATPを作ります。割ってできたものをピルビン酸といいます。
二段階目は、そのピルビン酸をミトコンドリアに運び入れ、酸素を使って徹底的に燃やす段階です。この回路をTCA回路(クエン酸回路)といいます。ここで作られるATPの量は、一段階目とは比べものになりません。ざっくり十五倍ほどです。
「酸素を使わないほうが速く、酸素を使うほうが多く取れる」と覚えると分かりやすくなります。全力疾走のときは速さが要るので解糖系が主役になり、息が上がったあとに苦しくなるのは、そこで乳酸がたまるからです。ふだんの生活はほとんどがミトコンドリア側です。
この二段階のあいだに、あとで重要になる分かれ道がひとつあります。ピルビン酸をミトコンドリアに入れる入口です。ここにはビタミンB1が必要で、B1がないとピルビン酸は入口をくぐれず、行き場を失って乳酸に変わります。この話は §12 でまた出てきます。
いまはまだ、この三つが何を意味するのかは分からなくて構いません。ここでは「食べたものを燃やすには、糖以外のものも要る」ということだけ、頭の隅に置いておいてください。
足りない日が続くと、体は順番を決める
さて、ここからが本題です。
入ってくるエネルギーが、出ていくエネルギーより少ない日が続くとどうなるか。一日や二日なら、たくわえを取り崩して終わりです。問題は、それが月単位、年単位で続いたときです。
たくわえには三段階あります
体がエネルギーをたくわえている場所は、大きく三つです。使う順番も決まっています。
グリコーゲンは、ブドウ糖を数珠つなぎにして肝臓と筋肉にしまってある形です。すぐ使えるかわりに量が少なく、食べない時間が半日から一日も続けば、肝臓のぶんは尽きます。
尽きると、体は脂肪を分解しはじめます。ただし脂肪をそのまま脳に届けることはできません。脳は脂肪酸を燃料にできないからです。そこで肝臓が脂肪をケトン体という形に作り替え、これを脳へ送ります。長く食べていないときに口や息が少し甘酸っぱくなるのは、このケトン体が出ているからです。
それでも足りないとき、体は筋肉のたんぱく質を分解しはじめます。たんぱく質を分解してできたアミノ酸を、肝臓がブドウ糖に作り替えるのです。これを糖新生といいます。
ここは、はっきり書いておきます。筋肉を燃やすというのは、体が自分自身を削って燃料にしているということです。そして削られるのは腕や脚の筋肉だけではありません。心臓も筋肉でできています。長期の低栄養で心臓が小さくなり、脈が遅くなり、血圧が下がるのは、この延長線上にあります。
ホルモンの向きが反対になります
食べているときと足りないときでは、体の中のホルモンの向きがそっくり入れ替わります。
同化というのは、材料を組み立てて体を作る方向のことです。異化はその逆で、体にあるものを分解してエネルギーを取り出す方向です。健康な体では、食後は同化、空腹時は異化、と一日のなかで行ったり来たりしています。
慢性的に足りない状態というのは、この振り子が異化の側で止まってしまった状態です。振り子が戻らないので、いくら運動をしても筋肉はつきません。筋肉をつけるには同化の方向に振れている時間が要るのに、その時間が来ないからです。
「筋肉がつきにくい」のは、鍛え方の問題ではないことがあります。同化に振れる時間がなければ、筋肉は作られません。材料と余剰エネルギーが揃ってはじめて、体は組み立てにとりかかります。
そして、止める順番が決まっています
エネルギーが足りないとき、体はすべての機能を平等に弱らせるのではありません。優先順位をつけて、下のほうから止めていきます。
家にたとえます。電気の契約を落とさなければならなくなったとき、まず庭の外灯を消します。次に来客用の部屋の暖房を切ります。それでも足りなければ、居間の照明を落とす。最後まで消さないのは、冷蔵庫と、命に関わる機械です。
体にとっての「外灯」にあたるのが、生殖の機能です。妊娠と出産と授乳は、生き物にとって最もエネルギーを使う事業です。いま食べるものにも困っている状況で、そこに投資するのは合理的ではありません。だから体は、生殖に関わる指令をいちばん先に絞ります。月経が止まったり間隔が空いたりするのは、この判断の結果です。
この図でいちばん伝えたいのは、最後の一行です。回復も同じ順番を逆に辿ります。だから、栄養が戻りはじめてすぐに月経が戻ることはまずありません。心臓や脳の余裕が回復し、体温が戻り、修復が動きだして、そのあとにようやく外灯に電気が回ります。数か月かかることもあります。
これを知らずに「食べているのに月経が戻らない」と焦ると、努力が足りないのだと思ってしまいます。そうではありません。順番が来ていないだけです。
欲求が細くなるのは、意志の弱さではありません
体の優先順位を決めているのは、脳の底のほうにある視床下部という、親指の先ほどの領域です。
ここは体の司令室にあたります。空腹と満腹の感覚、眠りと目覚めのリズム、体温の設定、生殖に関わるホルモンの指令 ── これらがすべて同じ場所から出ています。同じ部屋に、いくつものスイッチが並んでいると思ってください。
視床下部は、体にどれだけ余裕があるかをいつも測っています。測り方はいくつもありますが、代表的なものにレプチンというホルモンがあります。これは脂肪の細胞から出るホルモンで、脂肪が多いほどたくさん出ます。つまり体は、レプチンの量を「たくわえの残高通知」として読んでいるわけです。
体脂肪が少ない状態が続くと、レプチンは低いままになります。視床下部はそれを「余裕がない」という信号として受け取り、司令室のスイッチをまとめて絞ります。
ここが大事なところです。絞られるスイッチが同じ部屋に並んでいるので、いくつかの欲求が同時に細くなります。いわゆる三大欲求 ── 食べたい、眠りたい、といった生き物としての基本的な欲求が、そろって弱くなるのです。どれかひとつだけが弱いのではなく、まとめて音量が下げられている状態に近いと言えます。
このしくみを知ると、いくつかのことの見え方が変わります。
「お腹が空かない」のは、意志が弱いからでも、食べることを拒んでいるからでもありません。空腹を感じる回路そのものの音量が下がっているのです。食べたくないのではなく、食べたいという信号が届いていない。この二つは、外から見ると同じに見えますが、中身はまったく違います。
そして、ここには悪循環があります。食欲が細るから食べる量が減り、食べる量が減るから余裕が戻らず、余裕が戻らないから食欲がさらに細る。この輪は、外から燃料を入れないかぎり自然にはほどけません。
食欲が戻るのを待ってから食べようとすると、たいてい待ちきれません。食べる量が増えて、体の余裕が戻ってきて、そのあとに食欲が戻ってくるという順番だからです。順番が逆なので、待つ戦略は機能しにくいのです。
この一点は、あとで食事の設計を考えるときの土台になります(§16)。
からだの中の「塩」の話
ここから少し、化学の話が入ります。ただし必要なことしか書きません。
健康診断の紙に、Na、K、Cl、P、Mg、Caといった記号が並んでいるのを見たことがあると思います。数字は書いてあるのに、それが何なのかを説明されることはほとんどありません。この節でそこを埋めます。
電解質とは何か
これらはすべて電解質と呼ばれるものです。
もとは金属や、金属に近い性質をもつ元素です。ナトリウム(Na)は台所の塩の片割れ、カリウム(K)はその親戚、カルシウム(Ca)は骨の材料、マグネシウム(Mg)も同じ仲間です。これらは水に溶けると、電気を帯びた粒になります。この「電気を帯びた粒」をイオンといい、イオンになって水に溶ける物質のことを電解質と呼びます。
なぜこれが体で重要なのか。
体は、およそ六割が水でできています。しかもただの水ではなく、電解質が溶けた塩水です。そして細胞は、その塩水のなかに浮かぶ、塩水入りの小さな袋です。ここで決定的に大事なのは、袋の内側と外側で、溶けている中身が違うということです。
カリウムは、体の電気そのものです
いちばん分かりにくいのがカリウム(K)だと思うので、ここを丁寧に説明します。
体のカリウムは、その九十八パーセントが細胞の中にいます。外の水、つまり血液の中にいるのは、残りのわずか二パーセントです。いっぽうナトリウムはその逆で、ほとんどが細胞の外にいます。
なぜこんな偏った配置になっているのか。細胞がわざわざエネルギーを使って、そう配置しているからです。細胞の膜には「ナトリウムを外へ、カリウムを中へ」と汲み続けるポンプがあり、これは ATP を消費して動いています。安静にしている人が使うエネルギーのうち、二割から三割ほどがこのポンプに費やされていると見積もられています。
なぜそこまでしてこの偏りを作るのか。答えは、その偏りが電池になるからです。
乾電池のプラスとマイナスのあいだに電圧があるように、細胞膜の内と外にも電圧があります。中はマイナス、外はプラス。この電圧を作っているのが、主にカリウムの内外差です。そして体の中で「電気で動くもの」── 神経の信号、筋肉の収縮、心臓の拍動 ── はすべて、この電池を一瞬だけ崩して、また元に戻すという操作の繰り返しでできています。
だから、こう言えます。
カリウムは、体の電気の素です。血の中のカリウムがほんの少し動くだけで心臓のリズムが乱れるのは、電池の電圧が変われば、つながっているモーターの回り方が変わるのと同じことです。だから採血ではいつもカリウムを測りますし、値が外れたときは急いで直します。
リン、マグネシウム、ナトリウム
残りも簡単に整理しておきます。
リン(P)は、ATP の「リン酸」そのものです。ATP という名前 ── アデノシン三リン酸 ── の「三リン酸」が、まさにこれです。エネルギーは、リン酸どうしのつなぎ目に蓄えられています。つまりリンがなければ、エネルギーの単位そのものが作れません。あわせて、細胞膜の材料でも、遺伝子の骨格でも、骨の材料でもあります。この文章でいちばん重要な元素です(§9)。
マグネシウム(Mg)は、三百種類以上の酵素が働くのに必要な、いわば裏方です。とくに大事なのは、ATP は単独ではほとんど働けず、マグネシウムとくっついた形ではじめて使えるという点です。さきほどのナトリウム・カリウムのポンプも、動かすにはマグネシウムが要ります。
ナトリウム(Na)は、細胞の外の水の量を決めています。ナトリウムは水を引き連れる性質があるので、体にナトリウムがたまれば水もたまり、むくみます。この話は §13 に出てきます。
血液の数字が正常でも、安心はできません
さて、ここでこの文章のなかでも特に重要な話をします。
長く食べる量が足りない状態が続くと、リン・カリウム・マグネシウムの体全体の量が減っていきます。ところが不思議なことに、採血の値は正常のままということが珍しくありません。
理由は、さきほどの図にあります。採血で測っているのは、細胞の外の水だけだからです。
会社の金庫と、レジの現金
たとえ話をします。
ある会社の経営状態を知りたいとします。ところが調べられるのは、レジの引き出しに入っている現金だけです。金庫の中も、銀行口座も見られません。
この会社の資産が半分に減っていたとしても、経理担当が几帳面で、レジの現金だけはいつも同じ額に保っていたらどうでしょう。あなたは「問題なし」と判断してしまいます。
体でも同じことが起きています。腎臓が、血の中の濃度を一定に保つように働いているからです。体全体のカリウムが減ってきても、腎臓は尿から出ていく量を絞り、細胞の中から少しずつ持ち出して、血の中の濃度だけは正常範囲に収めようとします。
これは覚えておく価値があります。
血のなかの濃度は、体ぜんたいの量とは別のものです。
英国の医療機関の手引きでも、栄養を再開する前のリン・カリウム・マグネシウムが正常だったとしても、それだけでは後述する危険を否定できない、とはっきり注意されています。正常値は「大丈夫」ではなく、「まだ隠れている」かもしれないのです。
戻すときが、いちばん危ないという逆説
ここが、この文章でいちばん伝えたいところです。
長く飢えていた体に、急にたくさんの栄養 ── とくに糖質 ── が入ると、深刻な問題が起きることがあります。これをリフィーディング症候群(再栄養症候群)といいます。
何が起きるのか
順を追います。
飢えているあいだ、体はインスリンが低い状態で安定しています。糖をあまり使わず、脂肪とたんぱく質を燃やす体制です。細胞は静かで、リンもカリウムもマグネシウムも、あまり動きません。
そこへ、突然たくさんの糖が入ります。
血糖が上がり、インスリンが一気に出ます。§3 で書いたとおり、インスリンは「取り込め」の号令です。全身の細胞がいっせいに扉を開き、ブドウ糖を引き入れます。
問題は、そのとき一緒に入るものです。カリウムも、リンも、マグネシウムも、インスリンの号令で細胞の中へ引き込まれます。血の中にいたわずかな二パーセントが、まとめて内側へ移動してしまうのです。
さらに追い打ちがあります。取り込んだブドウ糖を ATP に変えるには、大量のリン酸が要ります。糖を燃やす過程では、ブドウ糖にリン酸をくっつけるところから始まるからです。もともと体のリンが減っているところに、消費が急増する。
結果として、血の中のリン・カリウム・マグネシウムが、数時間から数日のあいだに急激に落ちます。
停電が明けた家
この現象を理解するのに、いちばん近いたとえは停電明けだと思います。
長い停電のあいだ、家じゅうの家電はスイッチが入ったままです。電気が復旧した瞬間、エアコンも冷蔵庫も電子レンジも洗濯機も、いっせいに動きだそうとします。すると契約している容量を超えて、ブレーカーが落ちます。
停電前と同じ電気が来ているのに、復旧した瞬間だけ落ちる。おかしなようですが、同時に立ち上がるからです。
体も同じです。飢えているあいだ、細胞は省エネで止まっていました。そこへ燃料が来ると、全身の細胞がいっせいに動きだそうとします。そのとき必要になる材料 ── リン、カリウム、マグネシウム、ビタミンB1 ── が、いっせいに引き出されます。備蓄が減っているところへ同時要求が来るので、足りなくなる。
問題は栄養そのものではなく、立ち上がりが同時であることです。だから対策も「食べない」ことではなく、立ち上がりの傾きを見ながら、足りなくなるものを先に補っておくことになります。
いつ、どれくらい起きるのか
米国の栄養の学会(ASPEN)は、栄養を再開してから五日以内に、リン・カリウム・マグネシウムのいずれかが元の値から一割から二割下がれば軽症、二割から三割で中等症、三割以上、あるいは臓器の障害を伴えば重症、という枠組みを示しています。
ここから読み取るべきことは二つです。ひとつは、危ないのは最初の数日に集中しているということ。もうひとつは、数字の「下がり方」で見ているということです。正常範囲に入っているかどうかではなく、どれだけ落ちたかを見ます。だからこそ、始める前の値を知っておく必要があるのです。
リンという、いちばん地味で大切なもの
リフィーディングでいちばん問題になるのはリンです。理由を三つ挙げます。
理由1 ── エネルギーの単位そのものが作れなくなる
ATP は「アデノシン三リン酸」です。リン酸が三つ、鎖のようにつながっています。エネルギーは、このリン酸どうしのつなぎ目に蓄えられています。使うときは端のひとつを切り離し、そのときに出る力を仕事に変えます。
つまりリンは、エネルギーを入れる器そのものです。器がなければ、いくら燃料があっても運べません。
血中のリンが下がると、ATP が作れなくなります。すると、ATP を大量に使っている場所から順に困ります。心臓の筋肉、呼吸の筋肉、そして § 6 で書いたナトリウム・カリウムのポンプ。電池を維持するポンプ自体が ATP で動いているので、ここが止まると電気の秩序も崩れます。
理由2 ── 赤血球が、酸素を手放せなくなる
これはあまり知られていませんが、体の感じ方に直結する話です。
赤血球のなかにはヘモグロビンがあり、肺で酸素を受け取って全身に配ります。ただし、受け取るだけでは配達になりません。届け先で手放さなければ意味がない。
この「手放す」働きを助けているのが、赤血球のなかにある2,3-BPG(2,3-ビスホスホグリセリン酸)という物質です。名前に「ホスホ」とあるとおり、これもリン酸からできています。
リンが不足すると 2,3-BPG が減り、ヘモグロビンは酸素を抱え込んだままになります。血液検査の酸素の値も、指先で測る酸素飽和度も正常なのに、組織には酸素が渡っていないという状態が起こりえます。
理由3 ── 骨と細胞膜の材料でもある
リンは骨の主成分のひとつでもあり、細胞膜(リン脂質)の材料でもあり、遺伝子(DNA・RNA)の骨格でもあります。つまり体をつくり直そうとするとき、あらゆる場面で同時に必要になる元素です。
回復期は、まさに体をつくり直している時期です。需要がいちばん高まるときに、いちばん足りない ── これがリンという元素の位置づけです。
カリウムが動くと、心臓のリズムが変わります
リンの次に問題になるのがカリウムです。
§6 で書いたとおり、カリウムは細胞の内と外の差そのもの、つまり体の電池の電圧を決めています。栄養を再開してインスリンが出ると、血の中のカリウムが細胞へ引き込まれ、血中の値が下がります。
血中のカリウムが下がると、細胞の内と外の差が広がります。電圧が変わるということです。すると、電気で動いている臓器の挙動が変わります。
- 骨格筋 ── 力が入りにくくなる。だるさ、脱力
- 消化管の筋肉 ── 動きが鈍る。お腹が張る、便が止まる
- 心臓 ──リズムが乱れる
三つめが、いちばん怖いところです。
心電図に、それが映ります
心電図というのは、心臓が動くときに出る電気を、皮膚の上から記録したものです。カリウムが下がると、この波形に特徴的な変化が出ます。
心電図をとる意味は、もうひとつあります。長い低栄養では脈がゆっくりになり、心臓そのものが小さくなることがあります。これは省エネの結果で、それ自体はよくある適応です。ただし、そこへ後述する水分の負荷が加わると耐えられないことがあるので、始める前の状態を知っておくことに意味があります。
マグネシウムは、脇にいてすべてを支えています
マグネシウムは目立たない元素ですが、抜けると全体が崩れます。役割を三つだけ。
ひとつめ。ATP はマグネシウムとくっついてはじめて働きます。教科書では ATP と書きますが、実際に酵素が使っているのは Mg-ATP という形です。マグネシウムが足りないと、ATP があっても使えません。
ふたつめ。ナトリウム・カリウムのポンプを動かすのにも要ります。電池を保つポンプが弱れば、カリウムの秩序も保てません。
みっつめが臨床的にいちばん大事です。マグネシウムが低いと、カリウムがいくら補っても上がりません。腎臓でカリウムが漏れ出るのを止められなくなるからです。だから低カリウムがなかなか直らないとき、医療者はマグネシウムを確認します。
リン・カリウム・マグネシウムは、別々の問題ではありません。ひとつが崩れると隣も崩れる、連動した三つ組として見る必要があります。だから採血ではこの三つを並べて測ります。
ビタミンB1は、糖を燃やす炉の点火装置です
§3 の図で、丸をつけた三つめの場所を覚えているでしょうか。ピルビン酸をミトコンドリアに入れる入口です。
この入口を通すには、ビタミンB1(チアミン)が要ります。B1 は、ピルビン酸を次の形に変える酵素の部品だからです。B1 がないと、ピルビン酸はミトコンドリアに入れず、行き場を失って乳酸に変わります。
体に蓄えられている B1 の量は多くありません。全部で三十ミリグラムほどで、まったく入ってこなければ二週間から三週間で底をつきます。長く食べる量が少なければ、すでに減っていると考えるのが自然です。
ここに、糖を大量に入れるとどうなるか。
B1 の需要が一気に増えます。糖を燃やすほど B1 を使うからです。もともと足りないところに需要が急増するので、一気に枯れます。すると糖はミトコンドリアに入れず、乳酸だけが増えます。エネルギーは作られないのに、血液は酸性に傾きます。
そしてもうひとつ。B1 が極端に不足すると、脳の特定の場所が障害を受けます。ものが二重に見える、目が揺れる、歩くとふらつく、話のつじつまが合わなくなる ── こうした症状が出る状態をウェルニッケ脳症といいます。放置すると記憶に永続的な影響が残ることがあり、しかも適切に補えば防げる種類の障害です。
英国の指針(NICE)では、リフィーディングの危険が高い人について、栄養を始める直前から最初の十日間、ビタミンB1などを補う手順が示されています。ただしこれは医療者が管理する予防策であり、自分の判断で市販のサプリメントを大量に飲むための指示ではありません。必要な量も形も、体の状態によって変わるからです。
塩と水が戻ってくるとき
もうひとつ、見落とされやすい経路があります。
インスリンには、腎臓でナトリウムを再吸収させる働きもあります。尿から出ていくはずのナトリウムを、体に引き止めるのです。§6 で書いたとおり、ナトリウムは水を引き連れます。ですから栄養を再開すると、体に水がたまります。
健康な人なら、増えた水は心臓が普通に処理します。ところが長い低栄養では、心臓の筋肉そのものが小さくなり、余力が落ちています。小さくなったポンプに、急に多い水が回ってくることになります。
ここから実際的な教訓がひとつ出てきます。回復期のはじめの体重は、あてになりません。数日で一キロ、二キロと増えることがありますが、その多くは水です。逆に水が抜ければ簡単に減ります。ですから体重の上下に一喜一憂しても、体の中で起きていることは分かりません。見るべき指標はほかにあります(§22)。
だから、最初にすることは食べる量を決めることではありません
ここまでを一度まとめます。
- 長く足りない状態が続くと、リン・カリウム・マグネシウム・ビタミンB1 の体全体の量が減っている
- ところが採血の値は正常に見えることがある
- 栄養を戻すと、これらが一気に消費・移動して足りなくなる
- 同時に水がたまり、小さくなった心臓に負担がかかる
- 危ないのは最初の数日に集中している
この五つから導かれる結論は、ひとつです。
食べる量を決めるより先に、いまの体の状態を数字にしておく。
「元気そう」は安全の根拠になりません。この状態の体は、驚くほどよく適応しているので、かなり厳しい数値でも普通に見えることがあります。見た目は指標ではないのです。
何を見るのか、そしてなぜそれを見るのか
医療機関で確認される項目には、それぞれ理由があります。理由が分かっていると、検査は「やらされるもの」ではなく「知るための道具」になります。
| 見るもの | なぜ見るのか |
|---|---|
| 安静時の脈・血圧 | 心臓がどこまで省エネに入っているか |
| 立ったときの脈と血圧の変化 | 循環に余力があるか。ふらつきの原因 |
| 体温 | 体温を上げる余裕が残っているか |
| 心電図 | リズムの乱れ、電解質の影響、QTの延長 |
| リン・カリウム・マグネシウム | 再開時にいちばん動く三つ組。開始前の値が基準になる |
| 血糖 | 低血糖がないか。肝臓に蓄えが残っているか |
| 血算(赤血球・白血球・血小板) | 骨髄まで影響が及んでいないか |
| 肝機能・腎機能 | 飢餓は肝臓の数値を動かすことがある |
| アルブミンなど | ただし低栄養の指標としては当てになりにくい |
| 甲状腺(TSH・FT4) | 省エネ適応で低めに出ることがある |
| 月経に関わるホルモン | LH・FSH・エストラジオール・プロラクチンなど |
いちばん大事なのは、リン・カリウム・マグネシウムの「開始前の値」です。§8 で書いたとおり、危険の判定は正常範囲かどうかではなく、どれだけ下がったかで行います。比べる元の値がなければ、下がったかどうかも分かりません。
先に医療機関で相談したほうがよい状態
次のようなことがあるときは、食生活を工夫するより先に、体の評価を受けるほうが優先度が高くなります。
- 脈がとても遅い、または速い
- 血圧が低い、立ちくらみが強い、気を失ったことがある
- 胸が痛い、動悸がする、息が切れる
- 力が入らない、立っているのがつらい
- 意識がぼんやりする、話が噛み合わないと言われる
- 食事も水分もほとんどとれない日が続いている
これらは「がんばりが足りない」ではなく、体がすでに余力を使い切っているというサインです。責める材料ではなく、助けを借りる合図として読んでください。
急いではいけない、でも遅ければいいわけでもない
リフィーディングの話をすると、「では、ごく少しずつ増やせばいいのか」と思われがちです。ここは少し丁寧に書きます。
従来の指針、とくに英国の NICE は、危険が高い人については非常に慎重な開始量を示してきました。体重が少なすぎること(BMI 16 未満)だけでも高リスクに該当します。この考え方は長く標準でした。
ところが近年、入院して管理されている若い患者では、従来より高いエネルギーから始めても電解質の異常は増えず、むしろ体が早く安定したという比較試験の結果が複数出ています。米国の思春期医学の学会も、入院下であれば従来より高いところから始め、より速く増やす手順を採用しうるという立場を示しています。
つまり現在の知見は、「全員がごく少量から始めるべきだ」という単純なものではありません。
ただし、この研究がどんな条件で行われたかを見落としてはいけません。
- 病院の中である
- 血液検査を頻回に行える
- 足りないものをすぐ点滴などで補える
- 医師と管理栄養士が毎日みている
この条件があってはじめて、速く増やすことが安全になります。病院で安全だった手順を、そのまま自宅で真似することはできません。監視と補正がセットになってはじめて成立する話だからです。
本質は「できるだけ遅く食べる」ことではありません。危険を測りながら、十分な栄養を適切な速さで戻すことです。遅すぎることにも害があります ── 低栄養が続くあいだ、心臓も骨も筋肉も削られ続けるからです。
だからこの文章では、具体的な開始のカロリーを書きません。それは体の状態を見た人が決めることで、文章が決められることではないからです。ここで書けるのは、なぜ人に決めてもらう価値があるのかという理由のほうです。
食欲を待たない、という設計
安全の確認がすんで、増やしていく段階に入ったとします。ここで壁になるのが、§5 で見た「欲求そのものが細くなっている」という問題です。
一般的な食事の助言は、たいてい空腹を前提にしています。「お腹が空いたら食べましょう」「腹八分目に」。これらは空腹という信号が正常に届いている人のための言葉です。信号そのものが弱っている体には、うまく噛み合いません。
そこで、考え方を入れ替えます。
時間で決める、というのは味気なく聞こえるかもしれません。けれど、これは意志の力に頼らなくてよくするための工夫です。食べられなかった日に「自分の意志が弱かった」と考えなくて済むようにする、という意味もあります。
早く満腹になってしまう、という別の壁
もうひとつ、よくある壁があります。少し食べただけでお腹がいっぱいになるという感覚です。
これにも体の側の理由があります。長く食べる量が少ないと、胃そのものが小さくなり、胃から先へ送り出す動きも遅くなります。加えて §10 で書いたとおり、カリウムが下がっているときは消化管の筋肉の動きが鈍ります。つまり「胃が小さくなっている + 送り出しが遅い + 動きが鈍い」が重なった状態です。
この状態で大きな皿を目の前に置かれると、食べる前から気持ちが折れます。しかも実際に入らないので、残すことになる。そして残したことが失敗として記憶される。
食べたい気持ちが消える前に、食べられるように
もうひとつ、環境の話をします。
食欲が弱い状態では、たまに訪れる「食べたい」という感覚が、長く続きません。数分で消えてしまうこともあります。ここに、よくある落とし穴があります。
食べたいと思う。注文する。届くのを待つ。待っているあいだに食欲が消える。届いたときにはもう食べられない。
これは意志の問題ではなく、時間差の問題です。信号が弱くて短いのに、それに応える手段が遅い。
だとすれば、直すべきは意志ではなく段取りのほうです。食べたいと思ってから口に入るまでの時間を、できるだけ短くする。すぐ食べられるものが手の届くところにある状態を作っておく。調理を挟まないもの、袋を開けるだけのもの、飲むだけのものを常備しておく。
こう書くと「ちゃんとした食事ではない」と感じるかもしれません。けれど、いまの目的は献立の良し悪しではなく、エネルギーの流れを細いままにしないことです。栄養の質を整えるのは、流れが戻ってからでも間に合います。
評価するのは「完食できたか」ではなく、食べる機会が何回あったか、合計でどれだけ入ったかです。一回ごとの成功と失敗で数えると、失敗の記憶ばかりが積み上がります。数える単位を変えるだけで、続けやすさが変わります。
なお、食欲の弱さや食への関心の乏しさそのものを治療の対象とする心理療法も研究が進んでいます。太ることへの恐れが中心にある場合とは、必要な手立てが違います。同じ「食べられない」でも、中身が違えば道具も変わるということです。
月経は、体の余裕を映しています
ここで、§4 の優先順位の図に戻ります。エネルギーが足りないとき、体がいちばん先に手を引くのが生殖の機能でした。その仕組みを、もう少し具体的に見ます。
三つの臓器が、順に指令を伝えています
月経の周期は、三つの場所が縦につながって成り立っています。
視床下部はGnRHというホルモンを、一定のリズムで小刻みに出しています。連続ではなくパルス、つまり脈打つように出すことが重要で、このリズムが下垂体を動かします。下垂体はLHとFSHを出し、それが卵巣に届いて卵胞を育て、エストロゲンが作られます。
エネルギーが足りないと、いちばん上流の GnRH のリズムが乱れます。すると下流はすべて止まります。これが視床下部性の無月経と呼ばれる状態です。
ここで大事なのは、問題があるのは卵巣ではないということです。卵巣は指令を待っているだけで、壊れているわけではありません。だから上流が回復すれば、下流も戻ります。
ただし、月経が来ない理由はほかにもあります。甲状腺の働き、プロラクチンというホルモンの異常、多嚢胞性卵巣症候群、卵巣そのものの問題など、確かめるべきことがいくつもあります。エネルギー不足によるものだと決めるには、ほかの原因を消していく必要があります。だから採血でいくつものホルモンを測るのです。
記録する意味
月経を記録することには、婦人科的な意味を超えた価値があります。
月経が戻るというのは、体が「外灯に電気を回してもいい」と判断したということです。つまり、栄養状態が回復したかどうかを、体自身が採点してくれている指標なのです。体重計の数字よりも、ずっと内側の事情を映しています。
記録するのは三つで足ります。周期の間隔、一年に何回あったか、薬によらない自然な月経かどうか。
そして繰り返しますが、これは最後に戻るものです。数か月かかることを前提にしてください。戻らない期間が長いことは、努力が足りない証拠ではありません。
骨のことは、いま静かに決まっています
エストロゲンには、月経とは別のもうひとつの大きな役割があります。骨を守ることです。
骨は毎日つくり直されています
骨は硬いので、完成品のように思われがちです。実際には毎日壊されて、毎日つくり直されています。壊す係の細胞と、つくる係の細胞が、いつも同時に働いています。
エストロゲンは、この壊す係の働きを抑えます。ですからエストロゲンが低い状態が続くと、壊す側に傾き、骨の量が少しずつ減っていきます。
さらに低栄養では、つくる側にも材料が回りません。カルシウムもリンもたんぱく質も足りず、体重による適度な負荷もかからない。壊す側が強まり、つくる側が弱るという、二方向からの目減りが起こります。
測ることに意味があります
骨の量はDXAという検査で測れます。横になっているだけで、数分で終わります。
内分泌の学会の指針では、月経がない期間が六か月を超えたら骨密度を測ることが勧められています。加えて、栄養状態が著しく不足している場合や骨がもろくなっている疑いがある場合は、六か月を待たずに測ることを考えてよいとされています。
測る意味は二つあります。ひとつは、いまどの位置にいるかを知ること。もうひとつは、回復の効果を確かめる物差しになることです。骨はゆっくりしか動かないので、一度測っておかないと、あとで比べる相手がありません。
骨の話は、いま痛みがないと後回しにされがちです。けれど骨量が減る時期というのは、たいてい何も感じません。感じるようになったときには、すでに時間が経っています。痛みがないうちに測ることに、この検査の価値があります。
「運動する」より「寝たきりをやめる」
ここは誤解が起きやすいところなので、はっきり書きます。
体力をつけたい、代謝を上げたい、と考えて運動を増やしたくなることがあります。いまの段階では、これは目標にしません。
理由は単純です。いま起きているのは消費が多すぎる問題ではなく、摂取が足りない問題だからです。運動で消費を増やせば、足りない差はさらに開きます。エネルギーが足りない状態で運動をしても、筋肉は増えません。§4 で見たとおり、体が異化 ── 分解の方向 ── に傾いているからです。材料と余剰がなければ、体は組み立てにとりかかりません。
内分泌の学会の指針でも、エネルギー不足による無月経に対しては、摂取を増やすことに加えて、必要なら運動量を減らしてバランスを立て直すことが勧められています。
では、なぜ体を動かすのか
それでも、まったく動かないほうがよいわけではありません。理由は別のところにあります。廃用を防ぐためです。
廃用というのは、使わないことによって機能が落ちていくことです。筋肉は使わなければ落ちます。健康な人でも、寝て過ごすだけで週に数パーセント減ると言われます。低栄養が重なれば、もっと速く進みます。
だから、いまの時期に体を動かす目的は「消費を増やす」ことではなく、「使える状態を保っておく」ことです。栄養が戻ったときに、そこから積み上げられる土台を残しておく。それだけです。
具体的には、日常の動作、部屋のなかの短い移動、つらくならない範囲での短い歩行。横になっている時間を、ときどき切ること。これで十分です。
逆に、いまの段階で目標にしないほうがよいものも挙げておきます。歩数の目標、消費カロリーの目標、走ること、強度の高い運動、長い距離の歩行、重い負荷の筋力トレーニング。これらはすべて、栄養が戻ってからのほうが効きます。同じ努力なら、効くときにしたほうがいいのです。
尾骨と腰が痛むわけ
座っていると尾てい骨のあたりが痛む、腰が重い ── これも、ここまでの話とつながっています。
クッションが薄くなっています
椅子に座ったとき、体重を受けているのは主に坐骨という左右の骨と、その後ろにある尾骨です。ふだんはこの骨と椅子のあいだに、殿筋という厚い筋肉と皮下脂肪が挟まっていて、圧力を分散しています。
低栄養が続くと、この筋肉と脂肪が薄くなります。すると同じ姿勢で座っても、骨に直接かかる圧が上がります。座布団が薄くなった状態です。
ここに、長時間の同じ姿勢が重なります。横になって本を読む、座ったまま動かない。同じ場所に、同じ向きの圧が、長く加わり続けます。
いまできること
根本の解決は、栄養が戻って筋肉と脂肪が回復することです。時間がかかります。それまでのあいだにできるのは、圧のかかり方を変えることです。
- 同じ姿勢を続ける時間を短くする。三十分から一時間ごとに、少しでも姿勢を変える
- 尾骨のあたりが当たらない形のクッションを使う。後ろが切れているものが、この目的に合います
- 横になって長時間読むのをやめ、書見台などで体勢を変えられるようにする
そして、やめておいたほうがよいこともあります。尾骨を強く押す、引っ張る、鳴らすといったことです。骨と骨をつなぐ組織が痛んでいる可能性があるところに、強い力を加えるのは割に合いません。痛みが強い、長く続く、場所がはっきりしているといった場合は、画像で確かめてもらうほうが早道です。
眠れない夜のこと
最後に眠りの話をします。
短く眠る体質の人はいます。それ自体は、日中に困っていなければ必ずしも問題ではありません。ですからここで扱うのは、睡眠時間の長さそのものより、眠れないことへの苛立ちのほうです。
焦りが、眠りを遠ざけます
眠りに入るには、脳の覚醒の水準が下がる必要があります。ところが「早く眠らなければ」と思うこと自体が、覚醒の水準を上げます。眠ろうと努力するほど眠れない、という逆転が起きるのはこのためです。
しかもここには、もうひとつの仕組みが働きます。条件づけです。
ベッドで眠れずに苛立つ夜が続くと、脳はベッドという場所を「苛立つ場所」として学習します。すると、ベッドに入った瞬間に緊張が立ち上がるようになります。眠るための場所が、眠れない場所として記憶されてしまうのです。
結びつきを作り直す
眠れないときに一度ベッドから出て、静かに本を読み、眠くなったら戻る ── これは理にかなっています。刺激制御法と呼ばれる方法と、方向がほとんど同じだからです。米国の睡眠医学の学会も、慢性の不眠に対する治療の選択肢として挙げています。
そのうえで、少しだけ整えると効きやすくなります。
- 五分で判定しない。入眠にかかる時間には幅があります。五分眠れなかったことは失敗ではありません
- 時計を見ない。経過時間を確認する行為そのものが、覚醒を上げます
- 十分に眠くなってからベッドに入る
- ベッドで目が冴えて苛立ってきたら、一度離れる
- 明かりは暗めにして、静かな読書にとどめる
- 眠気が戻ったら、また入る
- 起きる時刻は、なるべく動かさない
最後の一つは効果が大きいところです。眠りのリズムは、寝る時刻よりも起きる時刻と光で決まる部分が大きいからです。
ひとつ注意があります。眠れる時間が短いからといって、自己流で寝床にいる時間をさらに削るのはやめてください。睡眠を圧縮する方法は治療として存在しますが、もともと総睡眠時間がかなり短い場合には、削りすぎになりかねません。
それから、いまの睡眠時間が本当はどれくらいなのかを、一度記録してみる価値があります。眠れていないと感じている時間と、実際に眠っている時間は、しばしばずれます。数日ぶん書き出すだけで、見え方が変わることがあります。
何を見て、よくなっていると判断するか
ここまで読むと、見るべきものが体重ひとつではないことが分かると思います。整理しておきます。
安全に関わるもの ── 最初の数日はここだけ見ます
栄養を増やしはじめた直後は、ほかのことは後回しでかまいません。見るのはこれだけです。
リン、カリウム、マグネシウム、血糖、脈、血圧、立ったときの変化、心電図、むくみ、息苦しさ。
§8 で書いたとおり、変化は最初の五日間に集中します。この期間だけは頻度を上げて確認する価値があります。
食べることに関わるもの
落ち着いてきたら、次はここを見ます。
食べる機会が一日に何回あったか。そのうちどれくらい実際に入ったか。どのくらいで満腹になるか。吐き気やお腹の張りはあるか。食べたいと思ってから消えるまでどのくらいか。食べることが心理的にどれくらい負担か。
体重も記録はします。ただし §13 で書いたとおり、はじめのうちは水の出入りが大きく混ざります。数日単位の増減で判断しないようにしてください。週や月の傾きで見るほうが、実態に近くなります。
体の働きに関わるもの
横になっている時間。続けて座っていられる時間。歩ける距離。立ちくらみの頻度。腰や尾骨の痛みの強さ。
これらは体重より遅れて動きますが、生活の質に直結する指標です。体重が同じでも、座っていられる時間が二十分から一時間に伸びていれば、それは確実な前進です。
眠りに関わるもの
寝つくまでの時間。合計で眠れた時間。途中で目が覚める回数。起きたときの感じ。日中の眠気。そして、眠れないことへの苛立ちの強さ。
最後のものが、いちばん先に改善します。時間より前に、苦しさのほうが軽くなります。
ホルモンと骨
こちらは年単位です。月経の間隔、一年に何回あったか、ホルモンの値、骨密度。
ここが動いたときは、体の根っこが回復したということです。いちばん遅れて動くぶん、いちばん確かな指標でもあります。
どこから手をつけると、割に合うか
やるべきことをすべて並べると、途方に暮れます。ここでは、得られるものと負担の釣り合いで並べ替えてみます。
| いますること | どう釣り合うか |
|---|---|
| 体の状態を数字にする(採血・心電図・血圧) | 得るものが大きく、負担は一度きり。最優先 |
| 栄養を安全に戻す計画を人と立てる | 得るものが最も大きい。危険が集中する時期だけ手を借りる |
| リン・カリウム・マグネシウムを見る | 危険を早く捕まえられる。負担は採血だけ |
| すぐ食べられるものを手元に置く | 負担がほぼなく、効きはじめが早い |
| 横になっている時間を分ける | 負担が小さく、あとの回復を守る |
| 眠りとベッドの結びつきを作り直す | 負担がなく、苦しさが先に減る |
| 尾骨にかかる圧を逃がす | 負担がなく、日常の痛みが減る |
いっぽう、いまはまだ順番が来ていないものもあります。
| いまは待つこと | 理由 |
|---|---|
| 本格的な筋力トレーニング | 材料と余剰が揃ってからのほうが効きます |
| 長時間の歩行や有酸素運動 | 足りない差を広げます |
| 自己流で一気に食べる量を増やす | 危険が集中する時期を、監視なしで通ることになります |
| サプリメントを自分の判断で大量に飲む | 必要な種類も量も、体の状態で変わります |
| 尾骨を強く押す、引っ張る施術 | 得られるものが不確かで、傷めうるものがはっきりしています |
この二つの表を見比べると、ひとつのことに気づきます。いま効くことは、どれも負担が小さいのです。大きな決心が要ることは、たいてい順番がまだ来ていません。
最も割に合う五つを挙げるなら、こうなります。体の状態を数字にすること。食欲を待たない仕組みを作ること。危険が集中する最初だけ人の手を借りること。運動ではなく寝たきりを減らすこと。そして体重以外の物差しを持つこと。どれも、今日の気合いを必要としません。
最後に
長い文章になりました。いちばん伝えたかったことを、もう一度だけ書きます。
この状態の体は、失敗しているのではありません。限られたものを配りきるために、優先順位をつけて、下から順に手を引いています。月経が止まったのも、食欲が細ったのも、筋肉がつかないのも、その配分の結果です。判断としては正しく、しかも巧みです。
だから必要なのは、体を責めることでも、努力を足すことでもありません。もう配分を絞らなくていい、と体に伝わるだけの燃料を、体が受け取れる速さで戻していくことです。
そして、その「受け取れる速さ」を測るために、最初だけ数字と人の手を借ります。急がなくていい理由と、遅らせすぎてはいけない理由の両方が、ここまでの説明のなかにあります。
もうひとつ。すぐには何も変わりません。
物理学者の寺田寅彦に、藤の実を観察した短い文章があります。長いあいだ枝にぶら下がっていた実が、ある日いっせいにはじけた。前の日まで何も起きていないように見えたのに、条件が積み重なって、ある一線を越えた日に、まとめて起きたのだ、という話です。
体もこれに近いところがあります。月経も、骨も、筋肉も、少しずつ良くなっていく様子は見えません。積み上がっているあいだ、外からは何も起きていないように見えます。そして、ある時期を境にまとめて動きはじめます。
見えないあいだに何も起きていないのではありません。線を越えていないだけです。
体は、まだ何も諦めていません。順番を待っているだけです。