学問とは何か [ 2026年の知識体系を歩く ]
「何を学問と呼ぶか」を決めてきたのは、いつも誰かの必要だった。分類は目的に従属する。だから学問は木ではなく、動的・多階層・多中心・循環型の知識ネットワークである。
問いを立てる
学問とは何か(学问是什么 / What Is a Discipline?)
人類は、世界を切り分けてきた。
切り方は、ひとつではなかった。
ここにあるのは、2026年時点の切り分けの地図と、
その切り方を決めてきたものの記録である。
スクロール誘導ラベル: 144の学問 / 17の領域 / 730の依存関係
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1,181の学問 / 17の領域 / 6,831のシナプス

探索 ── まず、地図の上を歩く
神経地図(神经地图 / The Synapse Atlas)
この頁は最後に、学問は木ではなくネットワークである、という結論へ着く(第12章)。
ならばその網は、読む前に一度、上から見ておくのがいい。ここは三つの高度を持つ一枚の地図である。
全体 ── 17の領域が、どれだけ太く結ばれているか。
領域 ── その骨格が、どの領域と話しているか。
学問 ── 縦に包含の木、横にシナプス。
触ると降りる。領域の球を押せばその領域へ、学問の点を押せばその学問が中心の網へ。中心の学問をもう一度押すと、概要と全シナプスの札が下に開く。線の読み方は頁のほかの図と同じ ── 明るい実線が原典由来、細い線が本設計の派生である。流れる点線は、いま最も太い束を示す。
狭い画面では、地図を横に動かして全体を見る。
辞典 ── すべてを引ける総覧
学問総覧(学问总览 / The Atlas of Disciplines)
ここは辞典であり、何度でも戻ってくる場所である。
論説(第1章〜第12章)を読む前でも、あとでも。折り畳みは表示の制御であって、削除ではない。
1,181 の学問と 201 の ASJC ラベルは、すべてここから引ける。
探し方は三つ。検索(日本語・簡体字・英語・概要文を同時に見る)、絞り込み(軸で切ると、領域を横断した顔ぶれが現れる)、領域の棚(17領域を上から順に開く)。絞り込みの数は、親からの継承を実体化した実効軸で数えてある。どの学問の札にも、定義と目的のほかに体系化と系譜・最前線・世界の拠点・金字塔の四つの抽斗が付いている。骨格から目録の末端まで、一つ残らず。
骨格 144 / 目録 1,037 / ASJC 201
領域の棚
ASJC の201件は Scopus の研究分野ラベルで、代表例であり網羅ではない。既にある学問ノードへ写像できるものは、検索から辿るとそのノードの側で開く。
全点図
問いを立てる
学問を定義する八つの要素(学科的八个要素 / Eight Elements That Define a Discipline)
学問とは何か、と問われたとき、
「何を研究するか」だけでは答えにならない。人体を研究するのは、解剖学だけではない。
生理学も、彫刻も、法科学も、保険数理学も、人体を研究している。
学問を「対象の箱」として定義することはできない。同じ対象に、まったく違う問いと方法で向かう複数の学問が存在するからだ。
本ページでは、学問をひとつの箱ではなく、八つの要素の束として定義する。
| 記号 | 要素 | 問い |
|---|---|---|
| O | 対象(对象 / Object) | 何を研究するか |
| Q | 問い(问题 / Question) | 何を問うか |
| M | 方法(方法 / Method) | どう研究するか |
| E | 証拠(证据 / Evidence) | 何を証拠とするか |
| F | 形式(形式 / Formalism) | どう形式化するか |
| A | 応用(应用 / Application) | 何へ応用するか |
| N | 規範(规范 / Normativity) | 価値判断を含むか |
| H | 系譜(谱系 / Historical lineage) | どの学問から派生したか |
この八要素は、原典『学問の系統樹』が自ら提示したモデルである。事実
八要素で見ると、学問の輪郭がはっきりする。
解剖学(解剖学 / Anatomy)と法科学(法庭科学 / Forensic Science)は、Oが同じ「人体」でも、Qが違う(構造は何か/何が起きたか)。Eも違う(標本/証拠物件)。Nも違う(法科学は法廷に立つ以上、規範を内在する)。
神経経済学(神经经济学 / Neuroeconomics)が生まれたとき、Oは変わっていない。人間の意思決定である。変わったのはMだ。経済学の選好理論に、神経科学の計測が加わった。解釈
八要素のうちひとつが変わるだけで、新しい学問が生まれる。これが、学問が増え続ける仕組みである。解釈
そして、この八要素はまだ名前のない学問にも使える。対象と問いと方法と証拠を書き出せる何かは、すでに学問の形をしている。
データと出典
- 八要素モデルの出典:原典『学問の系統樹 ―― 2026年版』§233
- 本ページでは144のスパイン学問すべてにこの八要素を付与している
- 表記:
D = (O, Q, M, E, F, A, N, H)
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問いを立てる
学問史(学科史 / A History of "Discipline")

「何を学問と呼ぶか」を決めてきたのは、
いつも誰かの必要だった。観想の必要。職業の必要。自律の必要。統計の必要。
分類の背後には、常に目的がある。
前4世紀観想する人アリストテレス
紀元前4世紀、アリストテレスは知を三つに分けた。観想的学(theōrētikē、それ自体のために知ること)、実践的学(praktikē、行為のために知ること)、制作的学(poiētikē、作るために知ること)である。
彼はまた、知のあり方そのものを五つに分けた。エピステーメー(学知)、テクネー(技術知)、フロネーシス(実践知)、ソフィア(智慧)、ヌース(直知)。
この区分は驚くほど現代的だ。本ページの方法論軸(S6)は、実質的にこの三分の子孫である。解釈
そしてアリストテレスは、修辞学(修辞学 / Rhetoric)を学問として扱った。説得の技術に体系がある、と考えたのである。原典にはこの分野が存在しなかったため、本ページで追加した。事実
中世数える人自由七科と中世大学
中世ヨーロッパの大学は、まず自由七科を教えた。三学(文法・論理・修辞)と四科(算術・幾何・音楽・天文)である。
七科を終えた者だけが、上級三学部へ進んだ。神学・法学・医学。
順序に注目してほしい。これは真理の階層ではなく、職業と権威の階層である。魂を救う者、社会を裁く者、身体を治す者。哲学は下級学部だった。
分類は、すでにこの時点で目的に従属していた。解釈
同時代別の場所で分けていた人々別の場所で分けていた人々
同じころ、イスラーム世界ではファルサファ(哲学)とカラーム(神学)が区別され、ギリシア語文献の大規模な翻訳運動が知の体系を作り直していた。
中国では、書物を経・史・子・集の四部に分ける分類が確立していた。経(経典)、史(歴史)、子(諸子)、集(詩文)。これは対象の分類ではなく、書物の権威による分類である。
「学問の分類」は西洋の発明ではない。そして、分け方は文化ごとに違った。解釈
17世紀樹を描いた人デカルト
17世紀、デカルトは学問を一本の樹に喩えた。根は形而上学、幹は自然学、枝は諸学である。
「学問の系統樹」という比喩は、ここから来ている。本ページの原典のタイトルも、この四百年前の比喩を引き継いでいる。
そして本ページの結論は、この比喩がもう成り立たないというものである。解釈
18世紀末境界を引いた人カント
18世紀末、カントは『諸学部の争い』で、下級学部である哲学部を擁護した。神学部・法学部・医学部は国家の必要に応える。だが哲学部は、真理にのみ従う。だからこそ自由でなければならない。
カントはまた、認識そのものに限界を引いた。何が知りうるか、何が知りえないかを画定する仕事である。
本ページの観測可能性軸(S5)――E0からE8までの九段階――は、この仕事の遠い子孫である。解釈
19世紀初頭大学を作った人フンボルト
19世紀初頭、フンボルトはベルリンに大学を構想した。研究と教授の統一、そして学問の自由。教師も学生も、既成の知識を運ぶのではなく、共に真理を探究する。
現代の大学の理念は、ここから来ている。
19世紀後半分かれた人々説明と理解
19世紀後半、ディルタイは決定的な線を引いた。自然科学は説明する(erklären)。精神科学は理解する(verstehen)。
ヴィンデルバントとリッケルトは、これを別の言葉で言い直した。法則定立的(nomothetic)と個性記述的(idiographic)。法則を求めるか、個別のものを描くか。
そしてウェーバーは、価値自由を説いた。学問は価値判断をしてはならない、しかし何を研究するかの選択そのものは価値に関係している、と。
本ページで144の学問を分類した結果、86の学問が規範判断を内在していた(60%)。ウェーバーの問いは、まだ終わっていない。推論
20世紀線を引き直した人々20世紀の科学哲学
ウィーン学団は統一科学を目指し、検証可能性を基準にした。ポパーはそれを反証可能性に置き換えた。クーンはパラダイムという概念で、科学が連続的に進歩するという像を崩した。ラカトシュは研究プログラムを、ファイヤアーベントは方法そのものへの異議を唱えた。
1959年、スノーは「二つの文化」を語った。人文と科学は互いを理解しない、と。
だが本ページのネットワーク(S8)を見れば、その断絶は現在では成り立たない。原典が明示した学際的な融合分野だけで24件ある。事実
2026年そして、2026年そして、2026年
いま、分類そのものが書き換えられている最中である。
ユネスコは2025年11月の総会で国際標準教育分類の改訂を承認し、2026年2月に改訂プロセスを開始した。2026年4月から12月が技術分析と草案作成の期間で、次回総会に提出される予定である。改訂の明示的な目的のひとつは、人工知能などの新興分野を反映することである。事実
学問の地図は、完成された過去の遺物ではない。
いま、誰かが描き直している。

データと出典
- ユネスコISCED改訂:UNESCO UIS「Amendment of ISCED 2011 and revision of ISCED-F 2013: process and roadmap」(EDSC-12-3.4、確認日 2026-08-17)
- 現行 ISCED-F 2013 の規模:11の広域分野・29の中分野・約80の詳細分野
- 融合分野24件:原典が
A = B × Cの形式で明示したものの全数(WORK_01 §5.1) - 規範性 86/144:本設計による分類の結果であり、原典の主張でも外部統計でもない
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源流 ── 知はどこで生まれたか
論証の発明(论证的发明 / The Invention of Proof)
問いを問いとして立てる ── タレスからソクラテスへ

前6世紀の小アジア西岸、イオニア地方の港市ミレトスに生きたタレスが「万物の始原は水である」と述べたと伝えられる。ただしタレス自身の著作は一行も現存しない。この命題を我々が知るのは、二百数十年後にアリストテレスが『形而上学』第一巻で先行者たちの見解を整理した記述による。ヘロドトスがタレスに帰す日食予言の逸話も同じ扱いを要する。ヘロドトスは日時ではなくその年を予告したと記すにとどまり、前585年5月28日という同定は近代の天文学的逆算による。当時の天文知識で特定の土地における日食の可視性まで予測できたかについては疑問が呈されており、伝承として扱うのが穏当である。重要なのは答えの正しさではない。
転換は答えの内容ではなく、答えの型にあった。従来、世界の成り立ちを語る言葉は神々の系譜という形をとっていた。海が荒れるのはポセイドンの怒りであり、その説明は神の意志という、それ以上遡れない1点で止まる。これに対しタレスの水、アナクシマンドロスの無限定なもの(アペイロン)、アナクシメネスの空気は、いずれも自然の内部にある何かで自然を説明しようとする。原因を世界の外に置かず、内に置く。この一歩が、説明を検証と反論の射程に引き入れた。
その帰結は、彼らの相互関係に現れている。アナクシマンドロスはタレスの弟子筋とされながら始原を水とせず、アナクシメネスはさらに別の答えを出した。神話の語り手が先行する語りを訂正することはあっても、それは異なる伝承の併存にとどまる。ここで起きたのは、同じ問いに対する競合する答えの提出であり、後続者が先行者に反対することが学派の断絶ではなく継続の形式になったという事態である。反論可能性が知の生産様式に組み込まれた。
ソクラテスは、この流れに別の軸を持ち込んだ。ただし彼もまた著作を一行も残していない。我々が知るソクラテスは、プラトンの対話篇に描かれたソクラテス、クセノポンの回想に描かれたソクラテス、そしてアリストパネスが前423年の喜劇『雲』で吊り籠に乗せて天空の事柄を論じさせたソクラテスの、少なくとも三つである。三者の像は一致しない。どれが歴史上の人物に近いか、そもそも復元可能かという難題は「ソクラテス問題」と呼ばれ、19世紀初頭のシュライアマハーの論考以来、決着していない。


プラトンが描くソクラテスの技法はエレンコス、すなわち問答による論駁である。その手順は独特で、彼は自分の主張を立てない。相手が「敬虔とは何か」に答える。ソクラテスはその定義から出発し、相手自身が同意する別の命題を次々に引き出し、最後に相手の当初の定義と引き出された同意が両立しないことを示す。『エウテュプロン』では、敬虔とは神々に愛されることだという定義が、神々の間に対立があるという相手自身の前提と衝突して崩れる。残るのは正しい定義ではなく、行き詰まり(アポリア)である。
前399年、ソクラテスはアテナイの民衆法廷で裁かれ、死刑判決を受けた。告発状の文面は、ディオゲネス・ラエルティオスがファウォリノスを介して国家文書庫に残っていたと伝える形で引用されており、罪状は二つ、国家が認める神々を認めず新奇な神霊を導入したこと、そして若者を堕落させたことである。告発人はメレトス、アニュトス、リュコンの3名とされる。前404年の三十人僭主政に彼の周辺人物が関与したという政治的背景がこの訴訟を動かしたという解釈は有力だが、前403年の恩赦により政治的訴追が封じられていた事情からの推論であり、告発状そのものには政治的文言はない。
裁判と死をめぐる二つの主要な典拠、プラトンの『弁明』と『パイドン』は、性格が大きく異なる。『弁明』にはイデア論が現れず、クセノポンの伝える像と骨格において重ならない部分が少ない。対する『パイドン』は魂の不死の複数の論証とイデア論を全面展開しており、プラトン自身の哲学の色が濃い。しかも『パイドン』は冒頭近くで、プラトンは病気だったと思う、と語り手に言わせている。目撃者ではないという断りが作品の内部に置かれているのである。
有名な最期の場面も、この『パイドン』の描写である。デロス島への祭祀使節が戻るまで処刑が延期され、その間に脱獄を勧められて断り、当日、毒を飲んで足先から冷たくなっていったと語られる。用いられた毒はコニウム、すなわちドクニンジンの類とされる。もっとも、この植物の主成分による中毒が『パイドン』の描くような静穏な上行性麻痺の経過をたどるかについては、20世紀以来医学的な疑義が提出される一方、近年には、上行性の運動麻痺と意識の清明が併存する症例報告は描写と矛盾しないとする反論もあり、決着していない。
では、なぜ「知らないことを知っている」が知の出発点になるのか。『弁明』でソクラテスは、デルポイの神託が自分より知恵のある者はいないと告げたと聞き、その意味を確かめるために知者と評判の人々を訪ね歩いたと語る。結論は、彼らは知らないのに知っていると思い、自分は知らないことを知らないとは思っていない、その差だけが自分の優位だというものだった。ここで起きているのは謙遜ではない。無知の自覚とは、自分の信念のうちどれが根拠を持たないかを特定する作業であり、特定された無知は次に調べるべき対象になる。答えを持たないことが、問いを持つことに変わる。
論証の形を取り出す ── アリストテレスの三段論法
アリストテレスの論理学的著作は六篇からなる。『カテゴリー論』『命題論』『分析論前書』『分析論後書』『トピカ』『詭弁論駁論』である。これらをまとめて『オルガノン』(道具の意)と呼ぶのは後代の呼称であり、アリストテレス自身がこの総称を用いた形跡はない。彼にとって論理は個別の学問の一つではなく、あらゆる学問が使う道具だという位置づけを、この名は後から与えたことになる。編纂の経緯にも古代からの伝承が絡むが、確実なのは、現在の配列が学派内での整理の産物だということである。
配列には理屈がある。『カテゴリー論』は語られるものを実体・量・質・関係などの類型に分け、単独の語の水準を扱う。『命題論』は語を組み合わせて真偽を担う最小単位、すなわち肯定文と否定文を作る水準に進む。そして『分析論前書』が、命題を組み合わせて別の命題を導く水準に至る。語、文、推論という三層を分けて扱う設計そのものが、後世の論理学の骨格になった。何が推論の単位かを先に確定してから推論を論じる、という順序である。
『分析論前書』が扱う定言命題は四つの型を取る。すべてのSはPである(全称肯定)、いかなるSもPでない(全称否定)、あるSはPである(特称肯定)、あるSはPでない(特称否定)。これらをA・E・I・Oの記号で呼ぶのは中世ラテン語圏の工夫で、肯定を意味するaffirmoの母音AとIを肯定側に、否定を意味するnegoの母音EとOを否定側に割り当てたものである。アリストテレス自身はこの略号を使っていない。
四型の間には固定した関係がある。AとO、EとIは矛盾関係にあり、一方が真なら他方は必ず偽、一方が偽なら他方は必ず真になる。AとEは反対関係で、同時に真ではありえないが同時に偽ではありうる。IとOは小反対関係で、同時に偽ではありえないが同時に真ではありうる。AからI、EからOへは大小関係(従属関係)が成り立つ。これらを正方形の四隅に配して示す図式は「対当方陣」と呼ばれる。図そのものは2世紀のアプレイウスに帰される著作やボエティウスの系譜に現れるもので、前者はこれを「四角い図式」と呼んでいる。「対当の方陣」という定型句が固まるのは中世である。
ただし、この四つの関係がすべて成り立つには、隠れた条件がある。主語の項が指すものが実際に存在するという想定である。「すべての一角獣は角を持つ」と「ある一角獣は角を持つ」を並べれば事情は見える。一角獣が一頭もいないなら、後者は偽だが、前者は反例が一つもないという理由で真とされうる。すると全称から特称への大小関係は破れる。19世紀後半から20世紀にかけて、全称肯定を「Sであってかつ、Pでないものは存在しない」と読む解釈が標準になり、現代の述語論理はこの読みを採る。その結果、対当方陣で無条件に生き残るのは矛盾関係だけとなり、反対・小反対・大小関係はいずれも成り立たなくなる。アリストテレスが空の項を想定しなかったこと自体は責められない。問題は、その想定が暗黙だったために、条件付きの定理が無条件の定理として2000年のあいだ教えられ続けたことにある。
三段論法は二つの前提と一つの結論からなる。格を語る前に、二つの前提を区別しておく必要がある。結論の述語となる項を大項、結論の主語となる項を小項と呼び、大項を含むほうの前提を大前提、小項を含むほうの前提を小前提と呼ぶ。「すべての人間は死ぬものである。すべてのギリシア人は人間である。ゆえにすべてのギリシア人は死ぬものである」であれば、「死ぬもの」が大項、「ギリシア人」が小項、第一の前提が大前提、第二の前提が小前提である。前提の双方に現れて結論には現れない項、この例では「人間」が中項である。二つの前提を書く順序は本質ではなく、どちらの前提がどちらの項を含むかが、この区別を決める。
格は、中項が大前提と小前提のどちらで主語になり、どちらで述語になるかによって分かれる。中項が大前提で主語となり小前提で述語となるのが第一格、両方の前提で述語となるのが第二格、両方の前提で主語となるのが第三格である。さきの例は第一格にあたる。格は、どの命題型を前提に入れるかとは独立の枠であり、格と型の組み合わせが個々の式を決める。アリストテレスが立てたのはこの三格であり、『分析論前書』第一巻の四章から六章で、それぞれ四式・四式・六式、合わせて14の妥当な組み合わせが確定される。
第一格が「完全」と呼ばれるのは、そこでの推論が結論の必然性を前提の並びから直ちに読み取れるからである。すべてのMはPであり、すべてのSはMであるなら、すべてのSはPである。ここでは項が包含関係の階段として一列に並んでおり、追加の操作を要しない。第二格と第三格の推論は、それ自体では必然性が直観されないため、命題の換位や背理法によって第一格の形に「還元」されることで妥当性が示される。つまり第一格は、他の格が正しさを借りにゆく基準の役を担う。
第四格、すなわち中項が大前提で述語、小前提で主語となる配置は、アリストテレスの著作には格として現れない。これをガレノスの発案とする伝承は、アヴェロエスを経由してヨーロッパに伝わったものだが、ガレノス自身の現存する論理学の著作にその記述はなく、20世紀にウカシェヴィチが帰属を疑って以来、定説とは言いがたい。四格を立てた伝統的論理学が妥当と認める式は24、そのうち中世の記憶術詩が列挙した主要な式は19で、残る五つは大小関係を使って結論を弱めた式である。弱められた五つにもBarbari以下の名は与えられており、無名なのではない。この計数は伝統的論理学のもので、時代を遡らせて読むべきではない。加えて、さきに述べた主語の存在の想定を外すと、24のうちそのまま妥当なのは15にとどまり、残る九つは、主語の項が空でないという前提を明示的に補って初めて導けるようになる。
| 数え方 | 格 | 妥当な式 | 但し書き |
|---|---|---|---|
| アリストテレス『分析論前書』 | 三格 | 14 | 第一巻四〜六章。第一格に4式、第二格に4式、第三格に6式 |
| 四格を立てた伝統的論理学 | 四格 | 24 | 中世の記憶術詩が挙げる主要な式は19。残る5は結論を弱めた式 |
| 主語の存在の想定を外すと | 四格 | 15 | 残る9は「主語の項が空でない」を明示して初めて導ける |
表1三段論法 ── 数え方で「妥当な式」の数が変わる
Barbara, Celarent, Darii, Ferio という語列は、13世紀のスペインのペトルスやシャーウッドのウィリアムらの教科書に見える中世の記憶術である。仕掛けは母音にある。Barbaraの三つのaはA・A・Aで、大前提・小前提・結論がすべて全称肯定であることを示す。Celarentはe・a・eで全称否定・全称肯定・全称否定、Dariiはa・i・i、Ferioはe・i・oとなる。さらに子音にも役割が与えられ、sは単純換位、pは制限を伴う換位、mは前提の入れ替え、cは背理法による還元を指示する。頭の子音も無意味ではない。CesareやCamestresのCはCelarentへ、DaraptiやDisamisのDはDariiへというように、その式を還元すべき第一格の式を指定している。つまりこの人工語は、その式をどう第一格に戻すかの操作手順を埋め込んだ圧縮記法だった。
三段論法が確立したもののうち最も射程が長いのは、妥当性と真理の区別である。「すべての魚は哺乳類である。すべての鯨は魚である。ゆえにすべての鯨は哺乳類である」は、三つの命題がいずれも偽でありながら、推論としては完全に妥当である。形が保証するのは、前提がすべて真であれば結論も必ず真になるという条件付きの関係だけであって、前提の真偽そのものではない。逆に、真の前提から真の結論が出ても推論が妥当とは限らない。内容の吟味と形式の吟味を別の作業として切り離したこと、これが論理学を独立の分野にした。
限界も明瞭である。三段論法は項の包含関係しか扱えない。19世紀にド・モルガンが挙げた例が事情を示している。すべての馬は動物である、ゆえにすべての馬の頭は動物の頭である。この推論は誰にも正しく見えるが、三段論法のどの格のどの式にも当てはまらない。「〜の頭である」という二項の関係が命題の内部に入り込むと、主語と述語という二分法では書き取れないからである。同様に「すべての人はある人を愛する」と「ある人はすべての人に愛される」の差、すなわち量化の入れ子も表現できない。この壁が破られるのは、1879年のフレーゲが量化子を備えた人工言語を設計したときであり、それまでに2200年を要した。
別の道 ── ストア派の命題論理

アリストテレスの学園と並んで、前3世紀のアテナイにはもう一つの論理学の伝統があった。ストア派である。とりわけ前3世紀後半に学頭を務めたクリュシッポスは、ディオゲネス・ラエルティオスの伝えるところでは700巻を超える著作を書いたとされるが、そのうち完本として現存するものは一つもない。我々が知る内容は、2世紀から3世紀のセクストス・エンペイリコスによる懐疑派の立場からの批判的引用、ディオゲネス・ラエルティオスの学説誌、ガレノスやキケロの言及といった、後代の断片と証言から復元されたものである。

失われた体系の核心は、変項の置き方の違いにあった。アリストテレスは「すべてのAはBである」のように、文字を項、すなわち名辞の代わりに用いた。ストア派は「第一のもの」「第二のもの」といった序数を、命題そのものの代わりに用いた。「もし第一のものならば第二のものである。ところが第一のものである。ゆえに第二のものである」という具合である。この置き換えによって、推論の妥当性が主語と述語の関係からではなく、条件文や選言といった結合の仕方だけから決まる領域が切り出された。今日の命題論理にほぼ相当する対象が、ここで初めて分離された。
ストア派は五つの基本形式を立て、それらを「証明不可能なもの」と呼んだ。証明できないという意味ではなく、証明を必要としないほど直接的だという意味である。第一は、もしpならばqであり、pである、ゆえにqである。第二は、もしpならばqであり、qでない、ゆえにpでない。第三は、pとqがともに成り立つことはない、ところがpである、ゆえにqでない。第四は、pまたはqであり、pである、ゆえにqでない。第五は、pまたはqであり、pでない、ゆえにqである。第四の形式が成り立つことから分かるように、彼らの選言は両立を許さない排他的なものであり、現代の標準的な包含的選言とは異なる。
さらに彼らは、複合的な推論をこの五形式に分解する規則を持っていた。任意の妥当な推論は、証明不可能なものの組み合わせに還元できるという主張である。これは、少数の基本規則から出発して体系全体を組み上げるという発想であり、演繹体系の完全性という現代的な問題設定の遠い原型にあたる。ただし、その還元規則の全容は断片からは復元しきれていない。
条件文をめぐる論争は、この学派の周辺で異例の熱を帯びた。メガラ派のフィロンは、条件文が偽になるのは前件が真で後件が偽である場合に限る、と主張した。これは現代の実質含意そのものであり、その帰結として「もし地球が平らならば二足す二は四である」も真になる。師にあたるディオドロス・クロノスはこれを不十分とし、いかなる時点においても前件が真で後件が偽であることがない場合にのみ真だとした。クリュシッポスはさらに進んで、前件と後件の否定が両立不可能であることを求めた。セクストス・エンペイリコスが伝えるカリマコスの警句、屋根の上の鴉までがどの条件文が真かを鳴き交わしている、という一句が、この論争の広がりを伝えている。
二つの伝統は、その後まったく異なる運命をたどった。アリストテレスの著作は学派の注釈者たちによって注釈の対象であり続けた。『カテゴリー論』『命題論』は6世紀のボエティウスがギリシア語から訳したラテン語版を通じて中世前期に読み継がれ、残る四篇も12世紀にギリシア語から訳し直された。アラビア語圏を経由してラテン世界に入ったのは、主として注釈の系譜である。ストア派の論理学書は、これに対応する連続した注釈の系譜を持たなかった。そのうえ、項の論理を唯一の論理学とみなす立場からストア派の議論は些末な言葉遊びと見なされる時期が長く、19世紀の論理学史記述にもその評価は残っていた。
再評価は20世紀に入ってからである。フレーゲ以降、命題結合子を基本に据えた論理体系が数学の標準になったことで、ストア派が扱っていた対象の正体が見えるようになった。ウカシェヴィチが1930年代にストア派の論理を命題論理として読み直し、1950年代のメイツの研究がそれを定着させた。項の論理と命題論理が一つの体系のなかで統合されるのは、量化子を持つ述語論理が成立してからのことで、二つの道が分かれてからおよそ2200年が経っていた。
対偶・逆・裏 ── 何が保存され、何が保存されないか

「AならばB」という条件文からは、機械的に三つの変形が作れる。前件と後件を入れ替えた「BならばA」が逆、両方を否定した「AでないならばBでない」が裏、入れ替えたうえで両方を否定した「BでないならばAでない」が対偶である。このうち、元の命題と必ず真偽が一致する、すなわち同値であるのは対偶だけである。逆と裏は元の命題とは独立であり、真であることも偽であることもある。ただし逆と裏は互いに対偶の関係にあるため、この二つは常に同じ真偽値をとる。
雨が降れば地面が濡れる、という命題を考えれば事情は明白である。対偶は、地面が濡れていなければ雨は降っていない、となり、確かに元と同じ内容を裏側から述べている。逆は、地面が濡れていれば雨が降った、となり、散水車が通った場合に偽になる。にもかかわらず、日常の推論は逆を犯しやすい。この病気なら発熱する、という知識から、発熱しているならこの病気だ、と結論する誤りは、前件肯定に見せかけた後件肯定として繰り返し現れる。原因から結果への含意が、結果から原因への含意として読み返されてしまう。
この傾向は実験的にも測られている。1960年代にピーター・ウェイソンが考案した選択課題では、片面に文字、裏面に数字が書かれた四枚のカードが示され、「片面が母音ならば、その裏は偶数である」という規則が守られているかを確かめるために、どのカードをめくるべきかが問われる。正解は母音のカードと奇数のカードだが、多くの実施で正答率は1割前後にとどまり、被験者は母音のカードと偶数のカードを選ぶ傾向を示す。偶数のカードは規則の逆を確かめているにすぎず、規則を反証しうる奇数のカード、すなわち対偶にあたる検査が見落とされる。興味深いことに、同じ論理構造でも「酒を飲んでいるなら20歳以上でなければならない」といった社会的規則の形で提示すると正答率は大きく上昇する。論理の形だけでは人間の推論の当たり外れは説明できない。

対偶と並んで古代が獲得した強力な形式が背理法である。ある命題を仮に置き、そこから矛盾を導き、したがってその仮定は成り立たないと結論する。この手続きは、直接には手が届かない対象について、その不在や不可能性を確定できる点で特異である。アリストテレスは『分析論前書』のなかで、この推論形式の代表例として、正方形の対角線と一辺が通約不可能であることの証明に言及している。この形の議論が当時すでに教科書的な標準例だったことを示す証言である。
証明の骨格はよく知られている。二の平方根が整数の比で表せると仮定し、その比を既約なものにとる。分子の二乗が分母の二乗の2倍になることから分子は偶数でなければならず、それを代入すると分母もまた偶数でなければならないことが出る。既約という仮定と衝突するので、最初の仮定が誤りだったことになる。この結論が古代に衝撃だったのは、単に一つの数が扱いにくいという話ではない。任意の二つの量には共通の尺度があるという前提が崩れ、比によって世界を記述するという構想の土台が抜けたからである。修復にはエウドクソスによる比例論が必要になり、その成果が『原論』第五巻に収められている。もっとも、この巻をエウドクソスに帰すのは第五巻に付された古代の傍注に基づく帰属であって、直接の証拠があるわけではない。
この証明を発見したとされるヒッパソスが海に沈められたという物語は、数百年後のイアンブリコスらに現れる後代の伝承であり、史実として扱うことはできない。また、『原論』第十巻の末尾に置かれたこの命題は、後世の挿入とみるのが今日の通例である。証明の形にも1点、注意すべきところがある。ここで行われているのは、ある仮定を置いて矛盾を導き、その仮定の否定を結論することであって、否定のほうを仮定して元の命題に戻る操作ではない。この違いは、次に見る排中律への疑義がどこに及ぶかを決める。
背理法には二つの形がある。ある命題を仮定して矛盾を導き、その否定を結論する形と、否定のほうを仮定して矛盾を導き、元の命題を結論する形である。前者は否定という語の意味そのものから出るのに対し、後者は、任意の命題について、それが成り立つかその否定が成り立つかのいずれかである、という排中律を必要とする。二重の否定から元の命題へ戻る手続きを認めるかどうかが、分かれ目になる。この第二の形を無制限には認めない立場が20世紀初頭に現れた。ブラウワーに始まる直観主義である。彼らの主張は、無限を扱う領域において、ある対象が存在するという主張は、それを構成する手続きを示して初めて成り立つ、というものだった。この立場では、存在しないと仮定して矛盾を導いても、存在することの証明にはならない。
ここで区別しておくべき二つの原理がある。無矛盾律は、ある命題とその否定が同時に成り立つことはない、と言う。排中律は、そのどちらかが必ず成り立つ、と言う。アリストテレスは『形而上学』第四巻で前者を、およそ論証の前提として最も確実な原理だと擁護した。直観主義が留保するのは後者だけであって、前者ではない。それどころか直観主義論理では、排中律の否定を導くことはできない。むしろ、「Aか、Aでないか、のいずれかが成り立つ」ということが成り立たない、ということはない、という二重の否定の形の命題は定理として証明される。直観主義は矛盾を許す論理ではなく、「どちらかである」と言うためには「どちらであるか」を示せと要求する論理である。両者を混同すると、矛盾を含む体系を許容する矛盾許容論理と取り違えることになるが、こちらは無矛盾律のほうを制限する、まったく別の系統である。
1930年前後にハイティングが形式化した直観主義の体系は、しばらくは基礎論上の少数意見に見えた。だが、構成的な証明とプログラムを対応づける視点が発展したことで、今日では証明支援系や型理論の実装を支える標準的な論理の一つになっている。先の二の平方根の証明のように、仮定から矛盾を導いて仮定を否定する推論は、この体系のなかでもそのまま通る。失われるのは、否定の否定から肯定へ渡る一歩だけである。
何を証明とみなすかは、一つに決まっていない。
公理から積み上げる ── ユークリッドという型

後代の証言によればアレクサンドリアで活動したユークリッドが前300年頃に編んだとされる『原論』は、全13巻からなる。その第一巻の冒頭に置かれているのは、点とは部分を持たないものである、といった23の定義、任意の点から任意の点へ直線を引くことができるといった五つの公準、そして同じものに等しいものは互いに等しいといった五つの共通概念(公理)である。以降のすべての命題は、これらと既に証明された命題だけから導かれる。編者ユークリッドその人については、生没年も出身地もほとんど分かっておらず、主要な伝記的言及は5世紀のプロクロスの注釈という、800年近く後の資料に依存している。

この構成が新しかったのは、個々の定理の内容ではない。三角形や円についての知識の多くは先行して存在していた。新しかったのは、何を前提に置いたかを冒頭で全部言い切り、以後は追加の前提を持ち込まないという禁欲である。読者は、途中で示された命題に納得できなければ、その証明が使っている前の命題に遡り、さらに遡って、最後は冒頭の十数行に行き着く。知識の全体が一枚の追跡可能な構造になり、誰が述べたかではなく、どこから導かれたかだけが問われるようになる。
ただしこの体系も完璧ではない。たとえば第一巻第一命題で正三角形を作図する際、二つの円が交わることが暗黙に使われているが、それを保証する公準は挙げられていない。この種の隙間のうち、点が直線上でどう並ぶかという順序に関わるもの、たとえば三角形の一辺と交わる直線が残る二辺のいずれかとも交わるという事実が公理として言われていないことを最初に明示したのは、1882年のパッシュ『新幾何学講義』である。それらを含む体系を与えたのが、1899年のヒルベルトの仕事だった。
五つの公準のうち、第五だけが異質である。他の四つが一行前後で済むのに対し、第五は、二直線に交わる直線が同じ側の内角の和を二直角より小さくするならば、その二直線は延長すればその側で交わる、という長い条件文になっている。ユークリッド自身、この公準の使用を可能なかぎり先送りしており、第一巻の28番目の命題まで使わずに進む。作者自身がこの前提の異質さを意識していたと読める配置である。
そこで古代から、第五公準を他の四つから証明しようとする試みが繰り返された。プロクロスの注釈にはすでに複数の試みへの言及がある。この問題を最も執拗に追ったのは、むしろイスラーム圏の数学者たちで、11世紀のイブン・アルハイサム、ウマル・ハイヤーム、13世紀のナスィール・アッディーン・トゥースィーらが、四角形の角の性質を経由する独自の議論を残した。彼らの仕事はヨーロッパにも伝わり、1733年にサッケーリが、第五公準の否定から矛盾を導こうとして膨大な定理群を導出しながら、矛盾に至らないまま強引に結論した著作を残す。彼が導いた定理群は、後から見れば別種の幾何学の内容そのものだった。
決着は19世紀に訪れる。ロバチェフスキーが1820年代末にカザンで、ボヤイ・ヤーノシュが1832年に父の著書の付録として、それぞれ独立に、第五公準を否定した体系を矛盾なく展開してみせた。ガウスも同種の結論に達していたが公表せず、ボヤイの父に宛てた書簡で、これを賞賛することは自分自身を賞賛することになる、という趣旨を書き送っている。決定的な補強は1868年のベルトラミによるもので、非ユークリッド幾何の内容をユークリッド幾何の内部のモデルとして解釈してみせた。これにより、非ユークリッド幾何が矛盾するならユークリッド幾何も矛盾する、という相対的な無矛盾性が示され、第五公準は他の公準から独立であることが確定した。2000年の証明の試みは、証明できないことの証明によって閉じた。
この結末は、公理の身分を変えた。公理はもはや疑いえない自明の真理ではなく、そこから何が導かれるかを見るために選ばれた仮定になった。仮定を取り替えれば別の幾何学が成り立ち、どちらが現実の空間の記述として正しいかは、論理ではなく観測が決める問題になる。リーマンが1854年の講演で展開した曲がった空間の一般論が、半世紀後に重力の理論の数学的な器として使われることになるのは、この身分変更の直接の帰結である。
『原論』が与えた型は、数学の外にも広がった。スピノザは1677年に没後刊行された主著に「幾何学的秩序によって論証された」という副題を掲げ、定義と公理を置いてから命題を並べ、各証明の末尾に証明終わりの語を記すという体裁で倫理学を書いた。ニュートンの1687年の主著も、定義と運動の公理を冒頭に据え、以下を命題と証明の連鎖として組み立てている。ただし、形式を借りることと、その形式が保証する確実性を得ることは別である。スピノザの公理に読者が同意する保証はどこにもなく、幾何学の外では、前提の正しさをどう確保するかという問題が残り続けた。
それでも、この営みが持ち込んだ新しさは決定的だった。証明は、権威ではなく手続きに服従を求める。プラトンの『メノン』には、幾何学を学んだことのない少年が、問いに答えていくだけで与えられた正方形の2倍の面積を持つ正方形の作図に至る場面がある。この場面の哲学的解釈はさておき、そこで前提されているのは、証明の正しさが証明者の身分や年齢や出自に依存しないという性質である。神託でも王の宣言でも長老の記憶でもなく、誰でも辿れる手順が権威になる。知の正当性の根拠が人から方法へ移ったこと、これがギリシアで起きた最も大きな事件である。
事実の台帳 確 56 / 推 6 / 争 4
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確タレスの著作は現存せず、「万物の始原は水」という説はアリストテレス『形而上学』第一巻の先行学説の整理を通じて伝わるアリストテレス『形而上学』A巻3章
- 争ヘロドトスが伝えるタレスによる日食予言ヘロドトス『歴史』第1巻74節(予告されたのは年のみで、日時は記されない)。前585年5月28日という同定は近代の天文学的逆算による。当時の天文知識で特定地点での可視性まで予測可能だったかに疑義があり、伝承として扱われる
- 確アナクシマンドロスは始原を無限定なもの(アペイロン)、アナクシメネスは空気とし、先行者と異なる答えを提出した古代の学説誌および断片
- 確ソクラテスは著作を一行も残していないプラトン、クセノポン、アリストテレスのいずれもソクラテスの著作に言及せず、現存もしない
- 確アリストパネス『雲』(前423年上演)はソクラテスを吊り籠に乗せて天空の事柄を論じる人物として描くアリストパネス『雲』
- 争歴史上のソクラテスの復元可能性(ソクラテス問題)プラトン・クセノポン・アリストパネスの像が一致せず、19世紀初頭のシュライアマハーの論考以来、決着していない
- 確プラトン『エウテュプロン』では、敬虔を「神々に愛されること」とする定義が、神々の間の対立という対話者自身の前提と衝突して崩れるプラトン『エウテュプロン』
- 確ソクラテスの裁判は前399年、アテナイの民衆法廷で行われたプラトン『弁明』、クセノポン『ソクラテスの弁明』、ディオゲネス・ラエルティオス
- 確罪状は「国家が認める神々を認めず新奇な神霊を導入した」「若者を堕落させた」の二つ。告発人はメレトス、アニュトス、リュコンディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第2巻がファウォリノス経由で告発状の文面を引用
- 推前404年の三十人僭主政をめぐる政治的背景が訴訟の実質的動機だったという解釈前403年の恩赦により政治的訴追が封じられていた事情からの推論であり、告発状に政治的文言はない
- 確プラトン『弁明』にはイデア論が現れず、『パイドン』は魂の不死の論証とイデア論を全面展開する両対話篇本文
- 確『パイドン』は冒頭近くで、プラトンは病気だったと語り手に述べさせ、自らが目撃者でないことを明示しているプラトン『パイドン』冒頭部
- 確『パイドン』は、デロス島への祭祀使節の帰還まで処刑が延期されたと記すプラトン『パイドン』冒頭部
- 確処刑に用いられた毒はコニウム(ドクニンジンの類)とされる古代の証言および『パイドン』の描写に基づく通説
- 争『パイドン』の描く静穏な上行性麻痺の経過が実際のコニウム中毒の臨床像と一致するか20世紀以降、医学的観点からの疑義が提出される一方、上行性の運動麻痺と意識清明の保持を含む症例報告は描写と矛盾しないとする反論もあり、疑義と反論が並立しており決着していない
- 確デルポイの神託の逸話と「知らないと思っていない点だけが自分の優位」という論法は、プラトン『弁明』でソクラテス自身の語りとして提示されるプラトン『弁明』
- 確アリストテレスの論理学的著作は『カテゴリー論』『命題論』『分析論前書』『分析論後書』『トピカ』『詭弁論駁論』の六篇からなる現存する著作集の構成
- 確『オルガノン』という総称は後代の呼称であり、アリストテレス自身の用語ではない古代末期の注釈者の伝統に由来する編纂上の名称
- 確定言命題の四型をA・E・I・Oで表す記法は中世ラテン語圏の工夫で、affirmo(肯定する)とnego(否定する)の母音に由来する中世論理学の教科書伝統
- 確矛盾・反対・小反対・大小関係という四型間の関係はアリストテレスが論じているが、正方形の図式は後代のもの関係は『命題論』7章ほか、図式はアプレイウスに帰される著作およびボエティウスの系譜に現れる。アプレイウスに帰される著作はこれを「四角い図式(quadrata formula)」と呼んでおり、「対当の方陣(quadratum oppositionum)」という定型句が固まるのは中世である
- 確対当方陣の反対・小反対・大小関係は、全称命題が主語項の存在を含意するという前提の下でのみ成り立ち、現代の述語論理の読み(全称肯定を「SであってPでないものは存在しない」と解する)では矛盾関係のみが残る述語論理における全称命題の標準的解釈
- 確伝統的論理学が妥当とした24式のうち、存在含意を仮定せずに妥当なのは15式であり、残る9式(Darapti・Felapton・Bramantip・Fesapo および弱められた5式)は主語項の非空性を追加前提として要する現代の三段論法の標準的な扱い
- 確三段論法の格は、大項(結論の述語)を含む大前提と、小項(結論の主語)を含む小前提の区別を前提として定義される。中項が大前提で主語・小前提で述語となるのが第一格、両前提で述語となるのが第二格、両前提で主語となるのが第三格、大前提で述語・小前提で主語となるのが第四格である伝統的論理学における格の標準的定義
- 確アリストテレスが立てた格は三つで、『分析論前書』第一巻4〜6章において第一格に四式、第二格に四式、第三格に六式の計14の妥当な式が確定されるアリストテレス『分析論前書』
- 確第一格が「完全」とされるのは、結論の必然性が追加の操作なしに読み取れるためであり、第二格・第三格は換位や背理法によって第一格に還元されて妥当性が示されるアリストテレス『分析論前書』
- 争第四格のガレノスへの帰属アヴェロエス経由の伝承だが、ガレノスの現存する論理学著作に該当記述はなく、20世紀にウカシェヴィチが帰属を疑って以来、定説ではない
- 確四格を立てた伝統的論理学が妥当と認める式は24、そのうち中世の記憶術詩が列挙した主要な式は19で、残る五つは大小関係により結論を弱めた式である。弱められた五式にもBarbari, Celaront, Cesaro, Camestrop, Camenop の名がある中世以降の伝統的論理学の計数であり、アリストテレス自身のものではない
- 確Barbara, Celarent, Darii, Ferio などの記憶語は13世紀の中世論理学の産物で、母音がA・E・I・Oの命題型に、子音が第一格への還元操作(s=単純換位、p=制限を伴う換位、m=前提の入れ替え、c=背理法)に対応し、頭子音B・C・D・Fが還元先の第一格の式(Barbara, Celarent, Darii, Ferio)を指定するシャーウッドのウィリアム、スペインのペトルスらの教科書
- 確妥当性と真理は区別され、前提が偽でも推論は妥当でありうるアリストテレス『分析論前書』における、形式のみによる必然性の規定
- 推三段論法は関係を含む推論を扱えない。「すべての馬は動物である、ゆえにすべての馬の頭は動物の頭である」という例は19世紀のド・モルガンによるド・モルガンの関係の論理をめぐる一連の論考(『形式論理学』1847年、および「三段論法について IV」1860年ほか)。特定箇所の同定は文献により揺れる
- 確量化子を備えた人工言語はフレーゲが1879年の『概念記法』で与えたフレーゲ『概念記法』(1879年)
- 確クリュシッポスの著作は完本として一つも現存せず、内容はセクストス・エンペイリコス、ディオゲネス・ラエルティオス、ガレノス、キケロらの断片・証言から復元されている現存資料の状況
- 確ディオゲネス・ラエルティオスはクリュシッポスの著作数を700巻を超えると伝えるディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第7巻
- 確ストア派は序数を命題そのものの代わりに用い、アリストテレスが項に文字を用いたのと対照をなすセクストス・エンペイリコスらが伝える定式化
- 確五つの「証明不可能なもの」は、前件肯定、後件否定、連言の否定からの推論、排他的選言の一方の肯定からの推論、排他的選言の一方の否定からの推論であるセクストス・エンペイリコス、ディオゲネス・ラエルティオス
- 確ストア派の選言は排他的であり、現代の標準的な包含的選言とは異なる第四形式(pまたはq、pである、ゆえにqでない)が妥当とされることから
- 確フィロンは条件文が偽になるのを「前件が真で後件が偽」の場合に限るとし、これが実質含意にあたる。ディオドロス・クロノスは時間的条件を加え、クリュシッポスは前件と後件の否定の両立不可能性を求めたセクストス・エンペイリコスの伝える論争
- 確「屋根の上の鴉までがどの条件文が真かを鳴き交わしている」というカリマコスの警句が、この論争の広がりを伝えるセクストス・エンペイリコスの引用
- 確アリストテレスの論理学著作の中世ラテン西方への伝達は、『カテゴリー論』『命題論』が6世紀のボエティウスによるギリシア語からの直接訳(logica vetus)、残る四篇が12世紀のギリシア語からの翻訳(logica nova)を主経路とする。アラビア語圏を経由したのは主として注釈である中世論理学史の標準的記述
- 確ストア派の論理を命題論理として再評価したのはウカシェヴィチ(1930年代)とメイツ(1950年代)であるウカシェヴィチのストア派論理論、メイツ『ストア派の論理学』(1953年)
- 確条件文の逆・裏・対偶のうち、元の命題と同値なのは対偶のみ。逆と裏は互いに対偶の関係にあり、常に同じ真偽値をとる命題論理の基本定理
- 確ウェイソン選択課題では、規則の対偶にあたるカードが見落とされ、多くの実施で正答率は1割前後にとどまるピーター・ウェイソンによる1960年代の実験および多数の追試
- 確同じ論理構造でも社会的規則(年齢と飲酒など)の形で提示すると正答率が大きく上昇するGriggs & Cox(1982)の飲酒年齢版、および Cosmides(1989)以降の社会契約説による解釈
- 確アリストテレスは背理法の代表例として、正方形の対角線と一辺の通約不可能性の証明に言及しているアリストテレス『分析論前書』第一巻23章
- 推通約不可能性の発見は、任意の二つの量に共通の尺度があるという前提を崩し、その修復としてエウドクソスの比例論が『原論』第五巻に収められた『原論』第五巻の古代の傍注(スコリオン)による帰属であり、広く受け入れられているが直接の証拠はない
- 推ヒッパソスが通約不可能性の発見により海に沈められたという物語は後代の伝承である数百年後のイアンブリコスらに現れる記述であり、同時代の証拠はない
- 推『原論』第十巻末尾に置かれた二の平方根の無理性の命題は後世の挿入である校訂史における通例の判断
- 確背理法には、ある命題を仮定して矛盾を導きその否定を結論する形と、否定を仮定して矛盾を導き元の命題を結論する形の二つがあり、排中律(および二重否定除去)を要するのは後者のみである直観主義論理と古典論理の差の標準的な整理
- 確二の平方根の無理性の証明は前者の形(仮定から矛盾を導き仮定を否定する)であり、直観主義でもそのまま妥当である同上
- 確ブラウワーに始まる直観主義は無限を扱う領域で排中律を無制限には認めず、存在の主張に構成手続きを要求する。1930年前後にハイティングが形式化した20世紀初頭の数学基礎論
- 確直観主義が留保するのは排中律であって無矛盾律ではなく、直観主義論理では排中律の否定は導けない(¬¬(A∨¬A) は定理である)。無矛盾律のほうを制限するのは矛盾許容論理(パラコンシステント論理)という別系統である直観主義論理の標準的な定式化
- 確アリストテレスは『形而上学』第四巻で無矛盾律を最も確実な原理として擁護したアリストテレス『形而上学』Γ巻3〜4章
- 確構成的証明とプログラムを対応づける視点により、直観主義論理は今日の証明支援系や型理論の基盤の一つになっている現代の証明支援系の設計
- 確『原論』は全13巻、第一巻の冒頭に23の定義、五つの公準、五つの共通概念が置かれるユークリッド『原論』第一巻
- 推編纂は前300年頃、アレクサンドリアで活動したユークリッドによるとされる主要な伝記的言及は5世紀のプロクロスの注釈という800年近く後の資料に依存しており、生没年も出身地も確かではない
- 確『原論』第一巻第一命題の正三角形の作図は2円の交わりを暗黙に用いており、それを保証する公準は挙げられていないユークリッド『原論』第一巻
- 確順序に関する隙間(直線が三角形の一辺と交われば他の一辺とも交わる、という間の公理を含む)を最初に明示したのはパッシュ『新幾何学講義』(1882年)であり、それらを含む体系を与えたのがヒルベルト『幾何学基礎論』(1899年)であるパッシュ『新幾何学講義』(1882年)、ヒルベルト『幾何学基礎論』(1899年)
- 確第五公準は他の四公準に比べて格段に長く、ユークリッド自身は第一巻の28番目の命題まで使用を先送りしているユークリッド『原論』第一巻
- 確第五公準の証明の試みは古代から続き、イブン・アルハイサム、ウマル・ハイヤーム、ナスィール・アッディーン・トゥースィーらイスラーム圏の数学者が独自の議論を残した11〜13世紀のアラビア語数学文献
- 確サッケーリは1733年、第五公準の否定から矛盾を導こうとして多数の定理を導出したが矛盾に至らなかったサッケーリの1733年の著作
- 確ロバチェフスキーは1820年代末に、ボヤイ・ヤーノシュは1832年に父の著書の付録として、それぞれ独立に非ユークリッド幾何を展開した。ガウスは同種の結論に達しながら公表しなかった19世紀の刊行物およびガウスの書簡
- 確ベルトラミが1868年に与えたモデルにより、非ユークリッド幾何の相対的無矛盾性、すなわち第五公準の他の公準からの独立性が確定したベルトラミの1868年の論文
- 確リーマンは1854年の講演で曲がった空間の一般論を展開し、それが後の重力理論の数学的枠組みとなったリーマンの1854年ゲッティンゲン講演(1868年公刊)
- 確スピノザの主著は1677年に没後刊行され、「幾何学的秩序によって論証された」という副題のもと、定義・公理・命題・証明という体裁をとるスピノザ『エチカ』(1677年)
- 確ニュートンの主著は1687年刊で、定義と運動の公理を冒頭に置き、以下を命題と証明の連鎖として構成するニュートン『自然哲学の数学的諸原理』(1687年)
- 確プラトン『メノン』には、幾何学を学んでいない少年が問答のみで与えられた正方形の2倍の面積を持つ正方形の作図に至る場面があるプラトン『メノン』
源流 ── 知はどこで生まれたか
東アジアの知(东亚之知 / Knowledge in East Asia)
文字が記録になる ── 甲骨文から紙と印刷へ

現存する最古の体系的な漢字資料は、書物ではなく占いの記録である。殷(商)の後期、およそ前13世紀から前11世紀にかけて、王は亀の腹甲や牛の肩甲骨に穴を穿ち、火を当ててひび割れを生じさせ、その形から吉凶を読んだ。そこに刻まれたのは、問うた日付、問うた人、問いの内容、そしてしばしば実際の結果である。狩りの獲物、雨の有無、王妃の出産が男か女か、敵国への出兵の可否。判断の場で書かれ、判断のあとに答え合わせまで記された文書が、この文字体系の出発点だった。
甲骨が学問の対象になったのは19世紀の末である。1899年、生薬として売られていた「龍骨」に刻まれた文字に気づいた者があった、という発見譚が広く語られる。当事者を国子監祭酒の王懿栄に帰す伝承が最も流布しているが、天津の王襄・孟定生が先に注目していたと説く別系統の証言もあり、どちらも後年の回想に依るところが大きい。競合する物語が併存している以上、発見の場面そのものは確定した事実ではなく、逸話として扱うのが妥当である。
確実なのは、1903年に劉鶚が拓本集『鉄雲蔵亀』を刊行して資料が公開されたこと、そして1917年に王国維が甲骨に見える王名の系列と『史記』殷本紀の系譜を照合し、後世の文献の記述が同時代資料によって裏づけられることを示したことである。1928年からは中央研究院が殷墟(河南省安陽)で組織的な発掘を始め、1937年までに15次を数えた。累計で十数万片が知られるが、確認される字種およそ四千数百のうち、確実に解読されているのは三分の一ほどにとどまる。

書く材料は長らく竹と木だった。竹簡・木簡を紐で綴じたものが「編」であり「巻」である。孔子が『易』を愛読して綴じ紐を3度切らせたという「韋編三絶」の言い回しは、書物が物理的に重く、擦り切れるものだったことを前提にしている。紙は、後漢の蔡倫が105年に和帝へ献じたと『後漢書』が伝えるが、甘粛・陝西では前2世紀にさかのぼる紙状の遺物が出土しており、紙そのものはより古い。蔡倫の事績は、無からの発明というより、原料と製法を安価な方向へ改良し普及の段階へ押し上げたことに求めるべきである。


複製の技術は唐で本格化した。年記のある現存最古の印刷書物は、敦煌で見つかった868年(咸通9年)の『金剛般若波羅蜜経』である。ただし印刷物そのものはさらに古い。慶州の仏国寺釈迦塔から出た『無垢浄光大陀羅尼経』は、1966年に塔の解体修理の際に見つかったもので、この経の漢訳が704年になされたことが上限を、塔の建立年である751年が下限を与えるため、8世紀前半に置かれる。日本の百万塔陀羅尼は8世紀後半である。前者の製作地が新羅か唐かは、用字と書写の特徴の解釈をめぐって決着していない。11世紀半ば、畢昇が膠泥を焼いた活字を作ったことは沈括『夢渓筆談』に記されているが、現物は伝わらず、証言のみが残る。

活字を金属で鋳ることを本格化させたのは朝鮮だった。高麗では13世紀前半に鋳字による印行の記録があり、現存最古の金属活字印刷書は1377年、清州の興徳寺で刷られた『直指』である。グーテンベルクの42行聖書より約80年早い。ただし、この80年がそのまま社会的な帰結の差になったわけではない。

同じ技術であっても、それを支える需要と流通の形が違えば、及ぼす影響も違ってくる。
| 年代 | 何が | どこで |
|---|---|---|
| 8世紀前半 | 『無垢浄光大陀羅尼経』── 漢訳704年が上限、塔の建立751年が下限 | 慶州・仏国寺釈迦塔 |
| 8世紀後半 | 百万塔陀羅尼 | 日本 |
| 868年 | 年記のある現存最古の印刷書物『金剛般若波羅蜜経』 | 敦煌(唐) |
| 11世紀半ば | 畢昇の膠泥活字 ── 『夢渓筆談』の証言のみ、現物は伝わらない | 北宋 |
| 13世紀前半 | 『詳定古今礼文』28部を鋳字で印行との記録 ── 現物は伝わらない | 高麗 |
| 1377年 | 現存最古の金属活字印刷書『直指』 | 清州・興徳寺 |
| 1452〜55年 | グーテンベルクの42行聖書 ── 『直指』より約80年遅い | マインツ |
表2複製の技術 ── 東アジアとヨーロッパの前後関係

安くなることは、知の分布を変えた。宋代の福建・建陽では商業出版が発達し、科挙の受験参考書が量産された。明の万暦期には小説や実用書が市場に出回り、江戸期の日本でも版元が読者を作った。ただし東アジアでは、字種が数千に及ぶ漢字において一枚板を彫る木版のほうが、少部数なら経済的に有利であり続けた。活字が印刷を席巻したヨーロッパとの違いは、技術の優劣ではなく、文字体系と市場規模が定めた合理性の違いである。
技術が入ってきたうえで採用されなかった事例が、この点を最もよく示す。文禄・慶長の役を機に朝鮮の銅活字と印刷の技法が日本へ渡り、後陽成天皇の勅命による慶長勅版が木活字で刷られ、のちに徳川家康の命による駿河版では銅活字が用いられた。ほぼ同じころ、イエズス会は西洋式の活版印刷機を持ち込み、天草や長崎でキリシタン版を刊行している。二系統の活字印刷が並んで存在したにもかかわらず、寛永期以降の商業出版は木版へ回帰した。挿絵と本文を一枚の版木に彫れること、版木を保存して需要に応じて刷り増せることが、実際の市場に合っていたからである。
諸子百家と論理 ── 名家・墨家の議論術
思想の爆発には条件がある。春秋戦国期、周王室の権威が失われ、数十の国が生き残りを賭けて競った結果、有能な策士を高く買う市場が生まれた。斉の稷下には各国から論客が集まり、俸禄を受けて議論だけをして暮らした者がいたと伝わる。もっとも「百家」という括りは当事者の自称ではない。司馬談の「六家要指」や劉歆の分類など、漢代になって整理のために作られた枠組みである。
問いは互いに噛み合っていた。孔子は乱れた秩序をどう立て直すかを問い、外形の礼と内面の仁を結ぼうとした。ただし『論語』は本人の著作ではなく、弟子や孫弟子の世代が編んだ言行録である。老子に帰される『道徳経』は成立年代の論争が続いており、1993年に出土した郭店楚簡(前300年頃)が現在知られる最古層にあたる。墨子は無差別の愛と侵略の否定を説くと同時に、守城の技術を持つ実働集団を率いた。荀子は人の性を悪と見て、天は人の善悪に応じて動く存在ではないと言い切った。韓非は君主が使うべき装置として法と術と勢を論じた。
このなかで、言葉そのものを問題にしたのが名家である。公孫竜の「白馬は馬に非ず」は詭弁として片づけられがちだが、要点は、「白馬」という名と「馬」という名が指す範囲は同じでない、という指摘にある。名と対象の対応は自明ではない、という主張である。もっとも、現存する『公孫竜子』は文体と伝来に疑義があり、戦国期の原典そのものとして扱うことはできない。この学派について確実に伝わっているのは、議論の主題と結論であって、論証の細部ではない。

恵施の逆説は『荘子』天下篇に断片として伝わり、「至大は外無し、之を大一と謂う」に始まる十の命題(歴物十事)を成す。天下篇はこれに続けて、恵施と論争した弁者たちの命題を21挙げており、そのなかに「一尺の棰、日に其の半を取らば、万世竭きず」という無限分割の言明がある。これらは結論よりも、日常語で無限や同一性を語ろうとすると必ず破綻が生じる、という発見に価値がある。誰の命題かを区別して読めば、名家と弁者たちが別々の関心から同じ困難に突き当たっていたことも見えてくる。
墨家はさらに進み、議論の作法そのものを条文化した。『墨子』のうち経上・経下・経説上・経説下・大取・小取の六篇はまとめて「墨経」と呼ばれ、定義を短く与え、説明を別立てにする形式をとる。「故」(そうである理由)や「類」(同じ種類のもの)といった語が術語として使われ、小取篇では譬え・並列・引証といった推論の型が区別される。命題を積み上げて争うための道具立てが、意識的に作られている。
同じ篇には自然の記述も混じる。小さな孔を通った光が像を倒立させることが、光の交わる点を理由として説明されており、光学の記録としては世界でも最古級に属する(アリストテレスに帰される『問題集』にも類似の観察がある)。力については「力とは形の奮う所以なり」と定義し、天秤の釣り合いや浮くものの重さにも及ぶ。実験科学とは言えないが、現象を定義と理由の形式に載せようとした痕跡は明確である。
この線は続かなかった。秦の統制、そして漢の武帝期に儒学が官学として据えられると、墨家の教団は消え、名家の議論は「詭弁」の代名詞になった。皮肉なことに『墨子』の本文が失われずに済んだのは、道教の経典叢書である『道蔵』に紛れ込んで伝わったからであり、そこに収められたまま、長く誰にも読まれなかった。復権は清代の考証学を待つ。畢沅の注(1783年)を経て、孫詒讓の『墨子閒詁』(19世紀末)が本文を読めるものにし、20世紀初頭に梁啓超や胡適が西洋論理学と突き合わせて論じ直した。もっとも、三段論法の枠に合わせて読むことが墨経本来の脈絡を歪めるという批判も、その時から現在まで続いている。
分類と目録 ── 四部分類という知の地図

目録は書物の一覧ではなく、知の地図である。前漢の末、成帝の命により劉向が宮中の蔵書の校訂に着手した。異本を突き合わせて重複を削り、篇の順を定め、一書ごとに内容と成立事情を記した解題を付す。この作業を息子の劉歆が引き継ぎ、『七略』として編成した。輯略・六芸略・諸子略・詩賦略・兵書略・術数略・方技略の七区分である。『七略』自体は失われたが、班固がこれを圧縮して『漢書』芸文志に収めたため、内容は今日まで伝わっている。書物を集めて数えることと、書物を評価して序列づけることが、最初から同じ作業だった。
七つの箱は四つに減る。西晋の荀勗が甲乙丙丁の四部を立て、東晋の李充が順序を改め、7世紀半ばに成った『隋書』経籍志において経・史・子・集という名称と順序が確立する。以後1200年余り、中国・朝鮮・日本の蔵書はこの四つの箱に入れられ続けた。分類の順序はそのまま価値の順序である。経は儒教の経典であり、あらゆる議論の基準点に置かれる。史がそれに次ぎ、集は詩文をまとめる。そして子部には、諸子の思想から医方・天文・農・兵・術数まで、要するに経・史・集に入らないものが一括して収められた。医学や数学が独立した部を持たなかったという事実は、その社会が何を学問の中心と見なしたかを、どんな議論よりも端的に示している。
規模の頂点は『四庫全書』である。乾隆38年(1773年)に開館し、10年ほどをかけて3400余種・7万9000余巻を筆写し、七部を作って各地の閣に納めた。合わせて編まれた『四庫全書総目提要』は、収録した書に加えて「存目」として排除した書にも解題を付し、1万種余を扱う。個々の解題は今なお版本研究の出発点として使われる。
同時にこれは検閲事業だった。全国から書を献上させる仕組みは、そのまま危険な書を炙り出す仕組みでもある(「禁を徴に寓す」と評される)。満洲族への貶称や明の遺臣の言説を含む書は焼かれ、あるいは該当箇所を削って再編された。廃棄された書の総数は史料によって幅があり、全部廃棄と部分削除を合わせて数千種規模と見るのが穏当だが、確定は難しい。同じ手が、集めることと消すことを行った。目録が「何が学問か」を決める装置であるとは、この意味でもある。
その基準を人材の流れに接続したのが科挙である。隋に始まるが、開始をどの年に置くかは説が分かれる。587年(開皇7年)に文帝が州ごとに人材を貢挙させる制を定めたことに置く説と、605年(大業元年)に煬帝が進士科を立てたことに置く説である。後者を採れば、1905年の廃止までの1300年にわたって、官途への主要な入口であり続けたことになる。試験科目は「読むべき書」を定義する。1313年(皇慶2年)の科挙復活の詔で朱熹の『四書集注』が定本とされて以降、四書の朱子学的解釈が正解となり、明清では八股文という厳格な形式が課された。何を書けば通るかが決まれば、何を学ぶかも決まる。
ただし、科挙が科学の発展を阻んだという因果は単純化しすぎである。唐宋には数学の専門科(明算科)が置かれた時期があり、宋代には科挙の隆盛と技術革新が並存した。制度が有能な人材を経学へ大量に吸い寄せた傾向は否定しにくいが、それを衰退の主因と見るか、複数要因の一つと見るかで、研究者の評価は分かれている。
中国の科学と技術 ── ニーダム問題
天文は趣味ではなく国家事業だった。暦を作り天変を読むことは王朝の正統性に直結し、そのために観測機器と記録が国家の手で維持された。渾天儀は天球の座標系を金属の環で組み上げた装置であり、2世紀には張衡が水力で回転させる渾象を作ったと伝わる。1092年に蘇頌が完成させた水運儀象台は、水時計の脱進機構で観測儀と天球儀と時報装置を連動させる高層の機械であり、その構造は『新儀象法要』に図解として残された。1281年施行の授時暦は、王恂・郭守敬・許衡らが簡儀・仰儀といった観測機器を新造し、全国27箇所での実測(四海測験)を踏まえて編んだものである。1年を365.2425日とするその値は、300年後のグレゴリオ暦が採用した値と一致する。
記録の側にも遺産がある。1054年、金牛宮の方角に「客星」が現れ、昼間でも23日間見え、夜空からは1年十か月ほどで消えたと宋の史料は記す。この記録が超新星残骸であるかに星雲(M1)の爆発と結びつけられたのは20世紀に入ってからで、位置の対応が指摘されたのち1940年代におおむね定着した。日食・彗星・客星を1000年以上にわたって年月日つきで記した史料は世界的に稀であり、現代の天体物理学が過去の事象を較正するために実際に参照している。
数学は問題集の形をとった。『九章算術』は前1世紀から後1世紀にかけて成立したと見られ、246の実務問題を九章に分けて解法を示す。連立一次方程式を係数の配列に置いて消去する「方程術」は掃き出し法にあたり、その過程で負数が正面から扱われる。3世紀の劉徽は円に内接する多角形の辺を倍々に増やしていく方法で円周率を3.14とし、さらに3072角形から3.1416を得た。5世紀の祖冲之は3.1415926と3.1415927の間という値を示し、あわせて分数による近似として密率355/113を与えた。三桁の分母で小数第六位まで合わせるこの分数は、同じ精度を極端に簡潔な形で表す。数値そのものの精度は1000年近く破られなかった。
13世紀には抽象度が上がる。秦九韶の『数書九章』(1247年)は、余りの条件から数を復元する「大衍求一術」で一般解法を与え、これは中国剰余定理として知られる問題にあたる。同書の「正負開方術」は高次方程式の数値解を反復計算で求める手続きで、後にホーナー法と呼ばれる方式に相当する。ただしこれは孤立した達成ではない。11世紀の賈憲が示した増乗開方法と、それを高次へ広げた劉益の仕事という中国側の系譜の上に立っており、西洋側の呼称だけを与えると、この積み重ねが見えなくなる。李冶や朱世傑の天元術・4元術は未知数を記号的に操作する一歩手前まで達していた。ただしこの水準は明代に1度失われ、清代の学者が古書を掘り起こして再発見することになる。連続していれば違ったかもしれない、という仮定が現実に近い形で残された例である。
医学は理論を持っていた。『黄帝内経』は戦国から前漢にかけての複数の層からなり、経験の羅列ではなく陰陽と五行という枠組みで身体を組織する。3世紀初頭の張仲景『傷寒論』は熱性疾患の経過を六段階に分け、患者の状態(証)に応じて処方を選ぶ手続きを確立した。この「弁証論治」の発想は現在の漢方の骨格をなす。ただし現行本は北宋の校正医書局を経ており、原形そのままではない。李時珍は30年近くをかけて『本草綱目』を編み(1578年完成、1596年刊)、1800種を超える薬物を分類し直した。
火薬と羅針盤も文献で追える。1044年の兵書『武経総要』には現存最古とされる火薬の配合比が載り、同書と沈括『夢渓筆談』には磁針の記述がある。沈括は磁針が真南をわずかに外れることを書き留めており、磁気偏角の記録としては世界最古級である。いずれも軍事と航海という実務の必要のなかで書き留められた知識であって、自然哲学の体系の一部として記されたものではない。配合比が兵書に載り、磁針の偏りが随筆に載るという配置そのものが、これらの知識が置かれていた場所を示している。
ここで一つ注記が要る。「四大発明」という括り方は近代の言説である。ベーコンが『ノヴム・オルガヌム』(1620年)で世界を変えたと述べたのは印刷・火薬・磁石の三つで、中国起源とは言っていない。製紙を加えて四つに束ねる定型は、19世紀の西洋人による中国論のなかで現れた。1840年、宣教師ウォルター・ヘンリー・メドハーストがベーコンの挙げた三つをいずれも中国人の発明であると指摘し、次いでジョゼフ・エドキンズが製紙を加えて四つに揃えた。この定型が20世紀の中国で国民的な物語として定着する。個々の発明の事実と、それを「四大」に数える枠組みとは、区別して扱う必要がある。
これらを一つの問いにまとめたのがジョゼフ・ニーダムである。『中国の科学と文明』はケンブリッジ大学出版局から1954年に第一巻が出て以後、多巻・多分冊で刊行が続いた。彼の問いは二重だった。15世紀まで中国の技術は西欧を上回っていたのに、なぜ近代科学は西欧でだけ成立したのか。そしてなぜ、それだけの蓄積が自ら近代科学へ転じなかったのか。ニーダム自身は官僚制に答えを求め、国家が有能な人材と資本を吸収し、商人層が自律的な力を持てなかったことを挙げた。
この問いは、答えよりも激しい論争を呼んだ。ネイサン・シヴィンは、起こらなかった出来事の原因を問うのは、今日の新聞に自分の名が載らなかった理由を問うのに似ており、問いとして良く立っていないと批判した。加えて、17世紀の中国では耶蘇会士を介した天文学の大きな転換が現実に起きており、「何も起きなかった」という前提自体が事実に反すると論じた。別方向からは、マーク・エルヴィンの「高水準均衡の罠」──労働力が安く豊富であれば省力機械を作る誘因が働かない──や、ケネス・ポメランツ『大分岐』(2000年)の議論がある。後者は、18世紀半ばまで先進地域間の生活水準に決定的な差はなく、石炭鉱床の立地と新大陸からの資源が分岐を生んだと主張する。対立の核心は事実関係よりも問いの立て方にある。「近代科学」を尺度に据える限り、他の知のかたちは達成ではなく欠如としてしか見えない。他方で、比較そのものを放棄すれば、なぜ19世紀に力の差が生じたのかという現実の問題が説明されないまま残る。
日本 ── 受容・改変・独自化
日本列島にとって漢字は輸入品だった。埼玉県の稲荷山古墳から出た鉄剣には金象嵌で115字が刻まれており、「辛亥年」を471年とする理解が通説であるが、一運(60年)繰り下げて531年とする説も学界に残っており、年次そのものが確定しているわけではない。ここで文字は、系譜と功績を記録する実用の道具として使われている。だがこの文字は他人の言語のための体系である。日本語を書くには、漢字の音だけを借りて1字一音を写す方法が要った。それが万葉仮名であり、8世紀の『万葉集』が大量の用例を残した。
もう一つの発明は訓読である。漢文をそのまま置き、返り点と送り仮名によって日本語の語順で読み下す。翻訳文を別に作らずに原文を読む技術であり、9世紀の訓点資料にはその補助記号(ヲコト点)が見える。これにより漢籍は「外国語の文献」ではなく「読めるもの」になった。代償もあった。原文の構造を保ったまま日本語化する癖は長く残り、明治以降の翻訳文体にも影を落としている。9世紀には草書の簡略化から平仮名が、仏典訓読の補助記号から片仮名が生まれ、10世紀には仮名による散文が書かれ始める。
制度としての学問は早く整い、早く形骸化した。大宝令(701年)に基づく大学寮は、儒学の経書を読む本科を中心に、算・書・音の科を置いた。奈良中期に文章(のちの紀伝)と明法が本科から分離し、平安期に入って明経・紀伝・明法・算を四道と呼ぶ体制が固まる。ただし定員は限られ、実際には貴族子弟が占めた。9世紀には藤原氏の勧学院のような氏族ごとの別曹が置かれ、学びは家に囲い込まれる。空海が828年に開いたとされる綜芸種智院は身分を問わない構想を含んでいたが長続きしなかった。決定的なのは、科挙が制度として根づかなかったことである。試験ではなく家格が人材の配分を決めたという点で、日本は中国・朝鮮と異なる道を歩んだ。
独自の展開は近世に現れる。関孝和は『発微算法』(1674年)で、漢字を並べて式を書く点竄術を整え、代数計算を紙の上で扱えるようにした。1683年の「解伏題之法」には連立方程式から未知数を消去するために行列式に相当する量を用いる手続きが見え、ライプニッツが同種の概念に言及した1693年の書簡より早い。ただし関の方式は次数が上がると符号の扱いに不備を含むという指摘があり、完成した理論というより到達点の一つと見るべきである。建部賢弘は『綴術算経』(1722年)で円弧の長さを級数で表し、数値の収束を加速する手法を用いた。これは後にリチャードソン外挿と呼ばれる考え方に相当する。和算は算額の奉納や遺題継承という独自の文化を持ったが、問題の技巧に傾き、体系化して公刊する慣行は弱かった。
暦もまた自前で作られた。渋川春海は元の授時暦を京都の里差(経度差)に合わせて補正し、1684年に採用が決まり翌1685年から施行された貞享暦を作った。日本人の手による最初の暦である。その系譜の先に麻田剛立・高橋至時があり、伊能忠敬による全国測量(1800年から17年間)が続く。

蘭学の起点にはよく知られた場面がある。1771年、小塚原の刑場で腑分けに立ち会った杉田玄白・前野良沢らは、持参したオランダ語の解剖書の図が実物と細部まで一致することに衝撃を受けた。辞書らしい辞書もないなかでの訳業を経て、『解体新書』は1774年に刊行される。原著はクルムスによる独語の解剖書の蘭訳であり、前野良沢は訳が不完全であることを理由に訳者として名を出さなかった。玄白が晩年に書いた回想『蘭学事始』は1815年の執筆で、埋もれていたものを明治初年に福澤諭吉らが刊行して広く読まれた。蘭学期にはすでに、概念を漢字2字で鋳造する技法が確立していた。宇田川榕菴の『舎密開宗』(1837年から刊行)に見える「酸素」「水素」「元素」「還元」「分析」や、同じ榕菴が植物学書『植学啓原』(1833年)で用いた「細胞」などが、その成果である。
明治の翻訳語は、この蓄積の上に立つ。西周は philosophy を「哲学」と訳した。当初は「希哲学」の形をとり、『百一新論』(慶応年間執筆、1874年刊)などを通じて定着する。「帰納」「演繹」も『致知啓蒙』(1874年)に見え、西周に帰されることが多い。ただし「主観」「客観」「概念」については事情が異なる。西周の訳業に由来を持つとはいえ、語形が固まって普及したのは井上哲次郎らの『哲学字彙』(1881年)を経てからであり、造語と定着の担い手を1人に絞ることはできない。
福澤諭吉は、経済書を訳す際に competition を「競争」と訳したことを『福翁自伝』のなかで自ら記しており、speech の訳語「演説」の定着にも関わった。一方で「科学」「社会」「経済」といった語は、複数の訳者による用例が重なって定着したもので、単独の造語者を特定するのは難しい。制度の側では、1877年に東京開成学校と東京医学校を合わせて東京大学が置かれ、1886年の帝国大学令で編成し直された。
この訳語群は、東アジア全体へ還流した。日清戦争後に中国から日本への留学生が急増し、20世紀初頭には数千人規模に達する。彼らの訳書と、梁啓超らの著述を経て、和製漢語が中国語に大量に入った。象徴的なのは厳復である。彼は evolution・sociology・economics に「天演」「群学」「計学」という自前の訳語を当てたが、日本経由の「進化」「社会学」「経済学」が普及して残った。朝鮮語の近代語彙も同様の経路をたどっている。訳語は翻訳の副産物であると同時に、その後に何をどう考えられるかの枠を、静かに決めてしまう。
朝鮮半島 ── 独自の科学と文字
金属活字の歴史は高麗にさかのぼる。李奎報の文集には、13世紀前半に『詳定古今礼文』28部を鋳字によって印行したという記述があるが、その現物は伝わらない。現存する最古の金属活字印刷書は『白雲和尚抄録仏祖直指心体要節』、通称『直指』であり、1377年に清州の興徳寺で刷られた。グーテンベルクの42行聖書より約80年早い。下巻のみがフランス国立図書館に残るのは、19世紀末に駐朝フランス公使コラン・ド・プランシーが購入して持ち出したからである。この1冊は2001年にユネスコ「世界の記憶」に登録され、その後まもなく、印刷文化への貢献を顕彰する直指賞が同機関のもとで設けられた。資料の来歴と顕彰とが、植民地期以降の資料移転という主題の上に重なっている。
ただし早さと社会的な帰結は別の話である。朝鮮の活字印刷は基本的に官営で、少部数を精密に刷るための技術だった。商業出版が版元を育て、読者層を膨らませたヨーロッパや中国江南とは、同じ技術が置かれた社会の位置が違う。朝鮮王朝はこれを国家事業として制度化し、15世紀前半には鋳字所で美麗な字母が次々に鋳造された。癸未字(1403年)を皮切りに、庚子字、甲寅字と改鋳が重ねられている。
研究に専従する場も作られた。世宗が1420年に拡充した集賢殿には20人前後の学士が置かれ、経筵での進講と並んで編纂と調査に従事した。国家が「研究職」を設けて実際に成果を出させた、東アジアでも際立った例である。もっとも制度は政治に脆く、集賢殿は1456年に世祖の手で廃止される。
その15世紀に生まれた器物の一つが測雨器である。1441年に考案され、翌年には口径と深さの規格を定めて全国の観測所に配られた。重要なのは器そのものより体制のほうで、統一された器で測った降水量を、日付とともに中央へ報告させる仕組みが同時に作られている。ヨーロッパで雨量計による組織的な観測が始まるのは17世紀である。現存する最古の実物は1837年の銘を持つ錦営測雨器で、初期の器は残っていない。『世宗実録』は考案を世子(のちの文宗)に帰しているが、実務を担った技術者の関与も想定される。

天文の整備も同時期に進んだ。1433年の渾天儀、1434年の自撃漏(自動で時を報せる水時計、蒋英実らが製作)、日時計である仰釜日晷などが相次いで作られた。理論面の到達点は1440年代に編まれた『七政算』である。内篇は元の授時暦と明の大統暦の方法を、漢城の緯度に合わせて計算し直したものであり、外篇はイスラム系の暦法(回回暦)に基づく。中国の暦をそのまま用いるのではなく、自国の位置で自ら計算するという選択が、ここではっきり取られている。
そして訓民正音がある。1443年末に創製され、1446年に解説書『訓民正音』(解例本)とともに公布された。この文字が特異なのは、設計原理が設計者の側から明文で残されている点にある。解例本の制字解によれば、子音字は調音器官の形を象る。ㄱは舌の根が喉を塞ぐ形、ㄴは舌先が上顎に付く形、ㅁは口の形、ㅅは歯の形、ㅇは喉の形である。そして同じ調音位置の音は、画を加えることで表される(ㄱに一画を足してㅋ)。母音は天を表す点、地を表す横画、人を表す縦画という三要素の組み合わせとして構成される。字形と音声学的な性質が対応するように作られた文字である。
理論的にはさらに踏み込んでいる。中国の音韻学は反切によって音節を声母と韻母に二分するのが基本だったが、訓民正音は音節を初声・中声・終声の三つに分析し、終声には初声の字を再利用するという規則を立てた。子音と母音を別種の要素として扱い、音節単位で組み上げる設計は、当時の音韻理論の到達点を踏まえたうえで、それを一歩越えている。解例本は長く所在不明で、1940年に慶尚北道で発見されて初めて設計原理が確認された。それまでは、字形の由来について諸説が唱えられていた。
良い設計が直ちに普及するわけではない。1444年には崔萬理らが、中華の制度に背くとして反対の上疏を出している。以後この文字は「諺文」と呼ばれ、女性や庶民の書き言葉という位置に長く置かれた。公的な地位を得るのは19世紀末、甲午改革で国文と定められてからであり、「ハングル」という呼称が広まるのは20世紀に入ってからである。文字の質と、その文字が担う社会的な地位とは、別に決まる。
人材の配分は科挙が握った。高麗の光宗期(10世紀半ば)に導入され、朝鮮王朝では文科・武科・雑科に分かれ、成均館が最高学府として置かれた。合格が家門の再生産と結びついたため、科挙は身分を開く装置であると同時に、両班という層を維持する装置でもあった。この構造への内側からの批判が実学である。朴趾源は1780年の燕行の記録『熱河日記』で、清の煉瓦の積み方や車輪の規格や糞尿の処理までを克明に観察し、夷狄と侮らずに学べと説いた。丁若鏞は華城の築城にあたって滑車を組み合わせた挙重機を設計し、のちにカトリック関係の弾圧で流された康津での18年に『経世遺表』『牧民心書』などを著した。制度そのものを設計し直す対象として扱う学問が、ここに現れている。
近代は断絶として来た。1910年以降の植民地期には、1924年に予科、1926年に法文学部と医学部を開設する形で京城帝国大学が置かれたが、朝鮮人学生は少数にとどまり、朝鮮史や朝鮮語の研究の主導権も総督府の側にあった。朝鮮語辞典の編纂に関わった学者が検挙された1942年の朝鮮語学会事件は、言語研究が政治的な行為と見なされたことを示している。解放後、京城帝大の施設を基礎にソウル大学校が発足するが、統合案をめぐる紛糾があり、続く戦争で施設と人材の双方が失われた。研究体制の本格的な再建は1960年代以降で、応用研究を担う国立の研究機関と理工系の大学院大学が相次いで設けられた。基礎より応用を先に立てるという順序は、当時の必要に規定された選択である。
事実の台帳 確 88 / 推 9 / 争 12
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確現存最古の体系的な漢字資料は殷後期(おおむね前13〜前11世紀)の甲骨文であり、内容は占卜の記録である殷墟出土甲骨、およびその考釈研究の蓄積
- 確甲骨には問うた日付・貞人・問いの内容が刻まれ、しばしば結果(験辞)も記される甲骨卜辞の書式
- 争1899年の甲骨発見の当事者王懿栄に帰す伝承が広く流布する一方、王襄・孟定生の関与を説く別系統の証言もあり、いずれも後年の回想に依る。発見の場面は確定できない
- 確劉鶚『鉄雲蔵亀』(1903年)が甲骨の拓本を公刊した最初期の資料である同書
- 確王国維は1917年の研究で甲骨に見える殷王の系列と『史記』殷本紀の系譜を照合した王国維「殷卜辞中所見先公先王考」
- 確中央研究院による殷墟の組織的発掘は1928年に始まり、1937年までに15次を数えた中央研究院歴史語言研究所の発掘報告
- 推甲骨の字種は4,000字余、確実に解読されているのはその3分の1程度である字種数・解読数は研究者により集計が異なるため概数
- 確『後漢書』は蔡倫が105年(元興元年)に紙を和帝に献じたと記す『後漢書』蔡倫伝
- 争紙の起源は蔡倫より古く、前2世紀にさかのぼる紙状遺物が甘粛・陝西から出土している。ただし出土品を「紙」と認定してよいかには異論がある放馬灘・灞橋などの出土資料をめぐる論争
- 確年記のある現存最古の印刷書物は868年(咸通9年)の敦煌本『金剛般若波羅蜜経』である大英図書館蔵の同資料
- 確『無垢浄光大陀羅尼経』は1966年の仏国寺釈迦塔解体修理の際に発見された。漢訳が704年、塔の建立が751年であることから、印造は8世紀前半に置かれる発見報告および同経の漢訳年
- 争同経の製作地が新羅か唐かは決着していない用字・書写の特徴の解釈をめぐって韓国側・中国側の研究者の見解が分かれる
- 確畢昇の膠泥活字は沈括『夢渓筆談』に記録されており、11世紀半ば(慶暦年間)に位置づけられる。現物は伝存しない『夢渓筆談』巻18
- 確現存最古の金属活字印刷書は1377年に清州興徳寺で刷られた『直指』であり、下巻がフランス国立図書館にある。同館所蔵となったのは19世紀末に駐朝フランス公使コラン・ド・プランシーが購入して持ち出したことによる同書、ユネスコ「世界の記憶」登録(2001年)、およびプランシー旧蔵書の来歴
- 確同登録の後まもなく、印刷文化への貢献を顕彰する直指賞がユネスコのもとに設けられたユネスコの賞設置に関する決定
- 確グーテンベルクの42行聖書(1452〜55年)は『直指』(1377年)より約80年遅い両書の年代
- 確高麗では13世紀前半に『詳定古今礼文』を鋳字で印行したとの記録があるが、現物は伝わらない李奎報『東国李相国集』の記述
- 推東アジアで木版が長く優位を保ったのは、漢字の字種の多さと少部数刊行が組み合わさった経済的合理性による出版形態の分布からの解釈
- 確日本では文禄・慶長期に朝鮮伝来の活字技術による慶長勅版、駿河版の銅活字、イエズス会のキリシタン版が並存したが、寛永期以降の商業出版は木版へ回帰した慶長勅版・駿河版・キリシタン版の刊本、および近世出版の版種分布
- 確「百家」等の学派区分は漢代に整理のため設けられた枠組みで、当事者の自称ではない司馬談「六家要指」、劉歆の分類(『漢書』芸文志所収)
- 確『論語』は孔子自身の著作ではなく、弟子およびその後継世代による編纂である本文成立をめぐる文献学的定説
- 争『老子(道徳経)』の成立年代は論争が続き、1993年出土の郭店楚簡(前300年頃)が現在知られる最古の写本層である郭店楚簡の年代測定と本文比較
- 確公孫竜の「白馬非馬」は、名の指す範囲が同一でないことを論点とする『公孫竜子』白馬論
- 推『公孫竜子』現存本の成立時期には疑義があり、そのまま戦国期の原典と扱えない文体・伝来をめぐる文献学的検討
- 確恵施の歴物十事は『荘子』天下篇に伝わる。「一尺之棰、日取其半、万世不竭」は同篇が続けて挙げる辯者21事の一つで、恵施本人の十事ではない『荘子』天下篇
- 確『墨子』のうち経上・経下・経説上・経説下・大取・小取の六篇が「墨経」と総称され、定義と説明を分離する形式をとる同書該当篇
- 確墨経には小孔を通った光が像を倒立させる現象が、光の交点を理由として記されている『墨子』経下・経説下
- 争この記述を「世界最古の光学記録」とするかは、アリストテレスに帰される『問題集』の類似記述との年代比較に依存する双方の成立年代に幅があるため確定しない
- 確墨経は力を「刑(形)の奮う所以」と定義する『墨子』経上
- 確『墨子』の本文は道教経典叢書『道蔵』に収められる形で伝存した明代『正統道蔵』所収本
- 確清代に畢沅の注(1783年)、次いで孫詒讓『墨子閒詁』(19世紀末)が墨子研究を再興した両書
- 争墨経を西洋論理学の枠組みで読むことの当否は、20世紀初頭から現在まで議論が続いている胡適らの解釈と、それへの批判
- 確劉向が前漢末に宮中蔵書を校訂し、劉歆が『七略』に編成した。『七略』は失われ、『漢書』芸文志にその内容が伝わる『漢書』芸文志
- 確経・史・子・集の四部分類は『隋書』経籍志(7世紀半ば)で名称と順序が確立した。原型は西晋の荀勗の四部にある『隋書』経籍志
- 確四部では医方・天文・農・兵・術数が子部に収められ、独立した部を与えられなかった四部の細目構成
- 確『四庫全書』は乾隆38年(1773年)に開館し、3400余種・7万9000余巻を筆写して七部が作られた『四庫全書総目提要』および編纂記録
- 確『四庫全書』の編纂は書の徴集を通じた検閲を伴い、禁書の焚毀・削除が行われた清代の禁毀書目
- 争廃棄・削除された書の総数は史料により幅があり、数千種規模とされるが確定しない禁毀書目の集計方法の違いによる
- 争科挙の開始年は、587年(開皇7年)に文帝が州ごとの貢挙を定めたことに置く説と、605年(大業元年)に煬帝が進士科を立てたことに置く説とで分かれる『隋書』の記述の解釈差
- 確科挙は1905年に廃止された光緒31年の上諭
- 確1313年(皇慶2年)の科挙復活の詔により、朱熹『四書集注』が科挙の定本とされた元の科挙復活に関する詔および『元史』選挙志
- 争科挙が科学技術の発展を阻害したとする見方には、明算科の存在や宋代の技術革新との並存を挙げる反論がある制度史研究における評価の対立
- 確蘇頌の水運儀象台(1092年完成)の構造は『新儀象法要』に図解で残る同書
- 確授時暦(1281年施行)は王恂・郭守敬・許衡らが簡儀・仰儀等の新造機器と全国27箇所の実測(四海測験)に基づいて編んだもので、1年を365.2425日とし、後のグレゴリオ暦の値と一致する『元史』暦志・郭守敬伝
- 確1054年の客星は宋の史料に記録され、昼間に23日間、夜間には約1年10か月にわたって見えたとされる『宋会要』『宋史』天文志
- 確この客星とかに星雲(M1)との同定は20世紀に行われ、1940年代におおむね定着した20世紀前半の天文学文献
- 確『九章算術』の方程術は連立一次方程式の消去解法であり、負数を扱う同書方程章、劉徽注(263年)
- 確劉徽は多角形の辺数を倍加する方法で円周率3.14を、さらに3072角形から3.1416を得た劉徽『九章算術注』
- 確祖冲之は円周率を3.1415926と3.1415927の間に定め、あわせて分数近似としての密率355/113を与えた『隋書』律暦志(祖冲之『綴術』自体は失伝)
- 確秦九韶『数書九章』(1247年)は大衍求一術と正負開方術を示し、後者は高次方程式の数値解法にあたる同書
- 確正負開方術は賈憲の増乗開方法および劉益の系譜の上にあり、秦九韶に始まる孤立した達成ではない楊輝『詳解九章算法』に引かれる賈憲・劉益の方法
- 確中国の代数(天元術・4元術)の水準は明代に1度失われ、清代に古書の再発見を通じて回復された清代の算学復興に関する研究
- 確『傷寒論』(3世紀初頭、張仲景)は熱性疾患を六段階に分けて処方を対応させる。現行本は北宋の校正医書局を経る宋改本『傷寒論』
- 確李時珍『本草綱目』は1578年に完成し1596年に刊行され、1800種を超える薬物を扱う同書
- 確『武経総要』(1044年)に現存最古とされる火薬の配合比が記される同書
- 確沈括『夢渓筆談』は磁針が真南からわずかに外れることを記し、磁気偏角の記録として最古級である同書
- 確ベーコン『ノヴム・オルガヌム』(1620年)が挙げたのは印刷・火薬・磁石の三つで、中国起源とは述べていない同書第一巻129
- 推製紙を加えて「四大発明」とする定型は19世紀の西洋人による中国論に現れ、20世紀の中国で国民的言説として定着した1840年にW・H・メドハーストがベーコンの三つを中国人の発明と指摘し、次いでJ・エドキンズが製紙を加えたこと、および用語の使用例の年代分布からの解釈
- 確ニーダム『中国の科学と文明』はケンブリッジ大学出版局から1954年に刊行が始まった同書
- 争ニーダム問題(なぜ近代科学が中国で生まれなかったか)は、ニーダム自身の官僚制説、シヴィンによる問いの立て方への批判、エルヴィンの高水準均衡の罠、ポメランツ『大分岐』(2000年)の資源・立地説などが対立している各論者の著作
- 確シヴィンは、起こらなかった出来事の原因を問う形式の難点を指摘し、17世紀中国で耶蘇会経由の天文学的転換が実際に起きたことを論拠に挙げたシヴィンの1982年の論考
- 推稲荷山古墳出土鉄剣には金象嵌で115字が刻まれる。「辛亥年」は471年とするのが通説だが、60年繰り下げて531年とする説もある同鉄剣銘および紀年解釈をめぐる議論
- 確日本語を漢字の音を借りて1字一音で写す万葉仮名が用いられ、8世紀の『万葉集』が大量の用例を残す『万葉集』ほか上代文献
- 確漢文訓読の補助記号(ヲコト点)は9世紀の訓点資料に見える平安初期の訓点本
- 確平仮名は草書体の簡略化から、片仮名は仏典訓読の補助記号から9世紀に生じ、10世紀には仮名による散文が書かれ始めた仮名資料の編年
- 確大宝令(701年)の大学寮は経学を本科とし算・書・音を付置した。明経・紀伝・明法・算の四道という枠組みは、文章博士(728年)・明法博士(738年)の設置による分科を経て平安期に成立した令の規定および奈良〜平安期の博士設置記事
- 確9世紀には藤原氏の勧学院をはじめとする氏族ごとの大学別曹が置かれた平安期の別曹に関する記録
- 推空海が828年に開いたとされる綜芸種智院は身分を問わない教育構想を含むが、長続きしなかった『綜芸種智院式并序』。設立年次は伝承に依る
- 確日本には科挙が制度として定着せず、家格が官人の配分を規定した平安期以降の官人任用の実態
- 確関孝和『発微算法』(1674年)が点竄術を整え、1683年の「解伏題之法」に行列式に相当する手続きが見える両書
- 争関の行列式的手法は次数が上がると符号の扱いに不備を含むという指摘があり、その評価は分かれる和算史研究における検討
- 確建部賢弘『綴術算経』(1722年)は円弧の級数表現と数値収束の加速手法を示す同書
- 確渋川春海の貞享暦は授時暦を京都の里差(経度差)に合わせて補正したもので、1684年に改暦が決定し1685年から施行された貞享改暦の記録
- 確伊能忠敬の全国測量は1800年に始まり、約17年にわたった測量日記等
- 確1771年に小塚原の刑場での腑分けに立ち会った杉田玄白・前野良沢らは、持参した蘭訳解剖書の図が実際の所見と一致することを確認した『蘭学事始』(回想に基づく記述)
- 確『解体新書』は1774年刊、杉田玄白・前野良沢らの訳で、原著はクルムスの解剖書の蘭訳である同書
- 確前野良沢は訳者として名を出さなかった『解体新書』の記載および『蘭学事始』
- 確『蘭学事始』は1815年の執筆で、明治初年に福澤諭吉らの手で刊行された同書の刊記
- 確宇田川榕菴の『舎密開宗』(1837年から刊行)に「酸素」「水素」「元素」「還元」「分析」等の訳語が見える同書
- 確「細胞」は宇田川榕菴『植学啓原』(1833年)に見える語であり、『舎密開宗』の語ではない両書の本文
- 確西周は philosophy を「哲学」と訳した(当初は「希哲学」の形をとる)西周『百一新論』(慶応年間執筆、1874年刊)等
- 推「帰納」「演繹」は西周『致知啓蒙』(1874年)に見え、西周への帰属が比較的強い。「主観」「客観」「概念」は西周に由来を持つが語形の確定と普及は井上哲次郎ら『哲学字彙』(1881年)を経ており、単独の造語者に帰しがたい明治期哲学用語の辞典類による用例調査
- 確福澤諭吉は competition を「競争」と訳したことを自ら記している『福翁自伝』
- 争「科学」「社会」「経済」等の訳語は複数の用例が重なって定着したもので、単独の造語者を特定できない近代語彙研究における用例調査
- 確東京大学は1877年に東京開成学校と東京医学校を合わせて設置され、1886年の帝国大学令で改組された設置および法令の記録
- 確日清戦争後に中国から日本への留学生が急増し、20世紀初頭には数千人規模に達した清末の留学生に関する統計と記録
- 確厳復は evolution・sociology・economics に「天演」「群学」「計学」を当てたが、日本経由の「進化」「社会学」「経済学」が定着した厳復の訳業と、その後の語彙の分布
- 推朝鮮の活字印刷は官営を基本とし少部数を精密に刷る技術であって、商業出版が読者層を広げたヨーロッパや中国江南とは社会的な位置が異なる印行記録と刊本の分布からの解釈
- 確朝鮮王朝は鋳字所を置いて活字を鋳造し、癸未字(1403年)以後、庚子字・甲寅字と改鋳を重ねた朝鮮王朝の鋳字に関する記録
- 確集賢殿は1420年に世宗が拡充し、1456年に世祖が廃止した『世宗実録』『世祖実録』
- 確測雨器は1441年に考案され、翌年に規格を定めて全国に配布された『世宗実録』
- 確現存最古の測雨器の実物は1837年銘の錦営測雨器である同資料
- 確『世宗実録』は測雨器の考案を世子(のちの文宗)に帰している同書
- 確1433年の渾天儀、1434年の自撃漏、仰釜日晷などが世宗期に製作された『世宗実録』
- 確『七政算』は内篇が授時暦・大統暦の方法を漢城の緯度で計算し直したもの、外篇が回回暦法に基づく同書
- 確訓民正音は1443年末に創製され、1446年に解説書(解例本)とともに公布された『世宗実録』および『訓民正音』解例本
- 確解例本の制字解は、子音字が調音器官の形を象り、加画によって同系列の音を表すと明記する『訓民正音』制字解
- 確母音字は天・地・人を表す点と横画・縦画の組み合わせとして説明される同上
- 確訓民正音は音節を初声・中声・終声の3分で分析し、終声には初声の字を用いる『訓民正音』例義・解例
- 確解例本は1940年に慶尚北道で発見され、それ以前は字形の由来に諸説があった発見の経緯および以前の諸説
- 確1444年に崔萬理らが訓民正音への反対上疏を提出した『世宗実録』所収の上疏
- 確訓民正音は長く「諺文」と呼ばれ、公的地位を得たのは19世紀末の甲午改革以降である甲午改革期の公文式に関する規定
- 確科挙は高麗の光宗期(10世紀半ば)に導入され、朝鮮王朝では文科・武科・雑科に分かれ、成均館が最高学府として置かれた『高麗史』および朝鮮王朝の科挙制度
- 確朴趾源『熱河日記』は1780年の燕行の記録で、清の技術を具体的に観察し学ぶべきと説く同書
- 確丁若鏞は華城築城にあたり滑車を用いた挙重機を設計し、康津での長い流配中に『経世遺表』『牧民心書』等を著した同人の著作および年譜
- 確京城帝国大学は1924年に予科、1926年に法文学部・医学部を開設して設置されたが、朝鮮人学生は少数にとどまった設置に関する法令および在学者統計
- 確1942年の朝鮮語学会事件で、朝鮮語辞典編纂に関わった学者が検挙された同事件の記録
- 確解放後、京城帝大の施設を基礎にソウル大学校が発足したが、統合案をめぐって紛糾があった1946年前後の大学設置をめぐる経緯
- 推韓国の戦後の研究体制は1960年代以降に本格化し、基礎研究より応用研究を先に立てる順序をとった国立研究機関・理工系大学院大学の設立時期からの解釈
源流 ── 知はどこで生まれたか
西アジアと南アジアの知(西亚与南亚之知 / Knowledge in West and South Asia)
数と文字の起源 ── メソポタミアとエジプト

知の記録は、天を見上げる者ではなく、倉庫の中身を数える者から始まった。西アジアの遺跡からは、前8000年紀以降の層に、円錐・球・円盤といった小さな粘土製の立体が大量に出土する。デニーズ・シュマント゠ベッセラは1970年代以降の一連の研究(集大成は1992年の『文字以前』)で、これらを商品の単位を表す「トークン」と見た。羊1頭は円盤、穀物一升は円錐、というように。前4000年紀の末になると、トークンを中空の粘土球(ブッラ)に封入し、中身を忘れないよう表面に同じ形を押印する習慣が現れる。押印があるなら中身は要らない ── この一歩が、立体の帳簿を平面の記号に変えた。ウルクから出土する前3300年頃の初期文書は、実際にこの押印数字と、対象を示す絵文字の組み合わせでできている。

もっとも、トークンから文字へという筋書きを額面どおり受け取る研究者ばかりではない。出土トークンの多くは文脈が乏しく、遊戯具や呪具であった可能性も排除できない。トークンの形と後の文字記号の対応も、提唱された全例が説得的とは言いがたい。確実に言えるのは、最古のまとまった文書群が文学でも法でもなく、家畜と穀物と労働日の一覧だったこと、つまり書字は行政の副産物として立ち上がったことである。
数の体系も同じ土壌から生えた。メソポタミアは60を底とする位取り記数法を発達させた。60は二・三・四・五・六で割り切れ、分配と分割を扱う書記にとって扱いやすい。この体系は驚くほど長く生き延び、いま1時間が60分、1分が60秒であること、円周が360度に分けられることは、いずれも粘土板の遺産である。ただしバビロニアの位取りには長らく空位を示す記号がなく、文脈で桁を読む必要があった。空位記号が現れるのは前1000年紀後半で、しかも数の末尾には用いられない。「位取りのゼロ」と「数としてのゼロ」が別物であることを、この事実は端的に示す。
粘土板のうち最も有名な一枚が、コロンビア大学が所蔵するプリンプトン322である。前1800年頃、4列15行の数表で、そこにいわゆるピタゴラス数(直角三角形の三辺をなす整数の組)と読める数値が並ぶ。オットー・ノイゲバウアーらは1940年代にこれを数論的な探究の産物と解した。だが解釈は割れている。エリノア・ロブソンは2001年以降の論考で、この表が逆数対から機械的に生成でき、当時の学校文書の書式と語彙にぴたりと収まることを示し、教師が練習問題を用意した実用文書だと論じた。2017年には正確な三角法表だとする主張も出たが、支持は広がっていない。争点は数値ではなく、「バビロニアの書記が何をしていたつもりだったのか」という、証拠から遠い部分にある。

天体観測は、行政とは別の持続性を見せる。バビロニアの「天文日誌」は、前652年から前61年まで、月と惑星の位置、気象、河の水位、市場の物価を同一形式で記録し続けた。断続はあるが、およそ700年に及ぶこの系列は、人類が残した最長の観測記録である。蓄積は周期の発見を可能にした。223朔望月、すなわち約18年11日で食の配置がほぼ繰り返すという関係を、書記たちは食の一覧から抽出していた。ちなみにこの周期を「サロス」と呼ぶのは近世の慣用で、エドモンド・ハリーがバビロニアの別語を転用したものにすぎない。名は借り物でも、周期そのものは粘土板に実在する。
エジプトはやや異なる。リンド数学パピルスは、前1550年頃に書記アハメスが写したもので、本人が200年以上前の文書からの写しだと明記している。八十数題の内容は、パンとビールの配分、穀倉の容積、傾斜の計算といった実務ばかりだ。円の面積を直径の9分の八の平方とする規則は、円周率にして約3.16に相当する。ヘロドトスはナイルの氾濫後の土地再測から幾何学が生じたと述べたが、これはギリシア人による後代の説明であり、エジプト側の資料に裏づけはない。エジプトにせよメソポタミアにせよ、数学を駆動したのは徴税と配分と工事という統治の必要であって、抽象への欲求はその上に後から乗った。
ゼロと位取り ── インドからの贈り物

ゼロの「発見者」を1人挙げよという問いは、問い自体が粗い。区別すべきものが少なくとも三つある。空位を示す記号としてのゼロ、桁を位置で表す記数法の一部としてのゼロ、そして加減乗除の対象となる数としてのゼロである。バビロニアは第一を持ち、第二を部分的に持ち、第三を持たなかった。マヤも独自に第一と第二に相当するものを持った。三つすべてを結び、規則として書き下したのが南アジアである。
インドの数字は、前3世紀のアショーカ王碑文などに見えるブラーフミー数字に遡る。ただし初期のブラーフミー数字は位取りではない。1から9のほか、10・20・100・1000にそれぞれ固有の記号があり、羅列によって数を表した。位取りへの移行は紀元後数世紀のあいだに進んだと考えられるが、その過程を刻んだ資料は乏しい。アーリヤバタが499年に著した『アーリヤバティーヤ』は、数を音節で符号化する独自の方式を用いつつ、「位から位へ10倍になる」と明言しており、十進位取りの原理が定着していたことを示す。彼はまた円周率に62832/20000、すなわち3.1416という値を与え、これを「近似(アーサンナ)」と呼んだ。近似であると断る態度そのものが、この文献の質を語っている。
数としてのゼロを最も明快に扱ったのはブラフマグプタである。628年の『ブラーフマスプタシッダーンタ』第18章で、彼は「財産」と「負債」の比喩を用い、正負の数とゼロを含む加減乗除の規則を体系的に述べた。負債から負債を引く、財産にゼロを足す、といった規則はいずれも現代の符号規則と一致する。ただしゼロによる除法では、ゼロをゼロで割るとゼロだとする誤りを含み、正負の数をゼロで割った場合の扱いも定まらない。ここは500年後のバースカラ二世が、分母をゼロとする量として別枠で論じ直すことになる。ゼロを数として遇した瞬間に、割り算という難問が同時に生まれたわけである。
物的証拠の年代は、いまなお決着していない。1881年に現在のパキスタン領バクシャーリー村付近で発見された樺皮写本には、空位を示す点が用いられている。2017年、所蔵するボドリアン図書館が放射性炭素年代測定の結果を公表したところ、3点の試料から3世紀から4世紀、7世紀から9世紀、9世紀から10世紀という、互いに重ならない三つの年代が出た。図書館側は最古の値を根拠に「最古のゼロ」と発表したが、複数の研究者がただちに異議を唱えた。1冊の写本が数百年隔たった素材で構成される事態は考えにくく、書体・言語・数学内容はむしろ後代を示唆する、というのがその論旨である。碑文で年代の確かなものとしては、インドのグワーリオル碑文(876年)が挙げられるが、東南アジアにはより古い7世紀のクメール碑文の例もある。ゼロの帰属は、資料の増減で今後も動きうる。
南インドのケーララでは、14世紀から16世紀にかけて、独特の数学的伝統が育った。マーダヴァに帰される正弦・余弦・逆正接の無限級数、そして円周率の級数展開は、ヨーロッパで同種の結果が得られる200年以上前のものである。ジェーシュタデーヴァが16世紀前半にマラヤーラム語で著した『ユクティバーシャー』は、結果だけでなく導出の筋道を記す点で異例だ。これを「微積分の先取り」と呼べるかどうかは争われている。無限級数と項別の総和操作、誤差項の評価は確かにあるが、任意の関数に適用できる微分・積分の一般概念や、両者を結ぶ定理は見当たらない、というのが慎重派の指摘である。さらに、イエズス会士を介してヨーロッパへ伝わったとする伝播説も提出されているが、それを裏づける文書はいまのところ発見されていない。
十進位取りが西へ渡る道筋は、比較的よく見える。9世紀のフワーリズミーはインド式計算法の書を著し(原典は失われ、ラテン語訳で伝わる)、アラビア語圏はこの記数法を「インドの数」と呼んだ。ヨーロッパへは10世紀以降断続的に紹介され、決定的だったのはピサのレオナルド、いわゆるフィボナッチが1202年に著した『算盤の書』である。北アフリカで商人の子として実務を学んだ彼は、この記数法が両替と利息と比例配分の計算をいかに軽くするかを、商業の実例を並べて説いた。それでも普及は速くない。イタリアの都市では帳簿の改竄を恐れてローマ数字を義務づける規制も出た。記法の勝敗を決めたのは論証ではなく、数世紀にわたる実務の摩耗であった。
パーニニとインドの言語学・論理学

前4世紀頃、パーニニは『アシュターディヤーイー』、すなわち「八つの章」を編んだ。約4000の簡潔な規則(スートラ)によってサンスクリット語の音韻・形態・統語を尽くそうとした著作である。特筆すべきは分量ではなく構造にある。規則は語形を列挙せず、語根と接辞から語形を「生成」する手続きとして書かれている。冒頭には音を並べた14の短い一覧が置かれ、そこから任意の音類を二文字で呼び出せる略号体系が作られる。さらに規則を制御する規則、すなわちメタ規則(パリバーシャー)があり、規則が衝突したときどちらを優先するか、どの規則群を互いに「存在しないもの」として扱うかまで定めている。この著作は全八章、各章四節からなるが、その最終章の末尾三節(トリパーディー)を、それ以前の規則から見えなくする扱いは、現代の言語学者が規則順序と呼ぶ問題への、明示的な解答である。
この形式性ゆえに、20世紀半ば以降、パーニニの体系はしばしば計算機科学の記法と並べて論じられてきた。文脈自由文法の記述形式に「パーニニ゠バッカス記法」の名を提案した論者もいる。ただし比較には注意が要る。パーニニの目的は言語の集合を定義することではなく、正しいサンスクリット語形を導く手続きを圧縮して口伝可能にすることだった。実際この著作は数世紀にわたり暗誦で伝えられており、極端な簡潔さは記憶術上の要請でもある。形式文法との類似は、同じ問題(有限の規則で無限の表現を生む)に対する独立した解であって、系譜的なつながりではない。
論理の側では、ニヤーヤ学派が推論の作法を整えた。紀元後2世紀頃に成立したとされる『ニヤーヤ・スートラ』は、推論を五つの支分に分ける。主張、理由、実例、適用、結論である。「あの山に火がある/煙があるから/煙あるところ火あり、竈のごとく/この山もそうである/ゆえに火がある」という有名な定型がそれだ。アリストテレスの三段論法と比べると差は明瞭で、ニヤーヤは実例(ドリシュターンタ)を推論の構成要素として要求する。つまり推論の妥当性は形式だけで完結せず、理由と帰結のあいだの遍充関係(ヴィヤープティ)が現実の事例で確かめられていることに支えられる。論理学と認識論が分離していないと言い換えてもよい。
仏教側からはこれに批判と洗練が加えられた。6世紀前半のディグナーガは五支を三支に切り詰め、『プラマーナ・サムッチャヤ(集量論)』で正しい理由が満たすべき三条件を定式化した。さらに別の小品『ヘートゥチャクラ・ダマル(因輪論)』では、9通りの組み合わせを表にして妥当な場合を選り分けている。彼はまた語の意味を「他でないこと」の排除として説明する立場を打ち出す。7世紀のダルマキールティはこれを継ぎ、因果関係と同一性という理由の型を区別した。この系統は二方向に伝わる。玄奘が7世紀半ばに関連論書を漢訳して東アジアに「因明」の学が生まれたが、根づきは限定的だった。他方チベットでは論理学が僧院教育の基幹科目となり、身振りを伴う定型的な問答形式として今日まで実践されている。
14世紀前後のガンゲーシャ以降、ニヤーヤは「新ニヤーヤ」と呼ばれる段階に入る。ガンゲーシャの『タットヴァチンターマニ』は認識の四手段を軸に据えつつ、命題の構造を表す高度に技術的な言語を練り上げた。限定者と被限定者、関係の種別、否定の作用域を、括弧のない散文で一義に指定できるよう語形を積み重ねる。読みにくさは悪名高いが、それは曖昧さを排するための代価だった。この記述言語は論理学の外へも広がり、法学・詩学・文法学の議論がこの語彙で書かれるようになる。分野を横断する厳密な術語体系という点で、これは南アジアが独自に到達した学問の形式である。
翻訳運動 ── バグダードの知恵の館

762年に建設されたバグダードを中心に、8世紀後半から10世紀にかけて、ギリシア語・シリア語・中期ペルシア語・サンスクリット語の学術文献がアラビア語へ組織的に移された。この事業の規模は、量においても持続においても比較を絶する。実用書だけでなく、医学・数学・天文学・光学・薬学・哲学のほぼ全域が対象となり、2世紀以上にわたって途切れなかった。ディミトリ・グータスは、これを少数の啓蒙的君主の趣味ではなく、アッバース朝が旧サーサーン朝領の支配層を取り込むために必要とした文化政策として説明した。占星術と行政術と医術が権力の実務に直結していたことが、資金の流れを支えたのである。
| 波 | 時期 | 場 | 何語から何語へ |
|---|---|---|---|
| 第一の波 | 8世紀後半〜10世紀 | バグダード | ギリシア語・シリア語・中期ペルシア語・サンスクリット語 → アラビア語 |
| 第二の波 | 12世紀 | トレド、シチリア | アラビア語 → ラテン語 |
| 第三の道 | 13世紀 | ── | ギリシア語 → ラテン語の直接訳(モルベケのウィレム) |
表3翻訳は二度、向きを変えた
翻訳者は職人であり、同時に校訂者だった。ネストリウス派キリスト教徒のフナイン・イブン・イスハーク(809〜873年)は、ガレノス翻訳の経緯を記した書簡で自らの方法を明かしている。同一著作の写本を各地で探索して集め、突き合わせて誤りを正し、そのうえで訳す。単語を機械的に置き換えるのではなく、文の意味単位で移す。彼の工房には息子や甥が加わり、ギリシア語からシリア語、シリア語からアラビア語という二段階の経路も併用された。翻訳は同時に本文批判であり、注釈であり、しばしば原典を超える整理を伴った。ハッラーン出身のサービト・イブン・クッラのように、既訳を数学的に検討して訂正する者も現れる。
「知恵の館(バイト・アル゠ヒクマ)」の像は、近年かなり削られた。一般には壮麗な研究所や大学の原型として語られるが、同時代史料に残るのは、カリフの図書館ないし書庫としての言及であり、そこに常勤の研究者集団や翻訳局があったことを示す確かな証拠は乏しい。グータスは、これがサーサーン朝以来の宮廷図書館の伝統に連なる施設で、主としてペルシア語文献の翻訳と天文・歴史の編纂に関わったと見る。ギリシア語からの大翻訳事業の大半は、宮廷外の富裕な後援者が個々の翻訳者に発注する形で進んだ。壮大な建物を一つ想定するより、後援者と翻訳者と写本商が張りめぐらせた市場を想像するほうが実態に近い。
翻訳は蓄積で終わらなかった。9世紀のフワーリズミーは方程式の解法書を著し、その書名に含まれる「アル゠ジャブル」(移項による復元)代数(algebra)の語源となり、算法(algorithm)の語源となった。11世紀初頭のカイロでイブン・アル゠ハイサムが著した『光学の書』は、目から光線が出るという古来の説を退け、外部の光が目に入るとする立場を、暗室と孔と複数光源を用いた統制的な実験で支えた。仮説を立て、装置で条件を変え、結果で判定するという手順が、光学という1分野で明確に姿を現している。イブン・シーナーの『医学典範』は11世紀前半に成り、ラテン語訳を経てヨーロッパの医学部で数世紀にわたり教科書であり続けた。ビールーニーは山頂から水平線の俯角を測って地球の大きさを算出し、またサンスクリット語を学んで『インド誌』を著した。そこで彼は、インドの学問と自らの立場の隔たりを認めたうえで、相手の言い分を相手の語彙で記述しようと努めている。比較研究の作法として、これは早い。

制度の面では、11世紀以降のマドラサ(学院)と、寄進財(ワクフ)による恒常的な財政基盤が学問の再生産を担った。天文学は特に組織化が進み、1259年にフレグの支援でナスィールッディーン・トゥースィーが設けたマラーゲ天文台には各地から学者が集まり、惑星運動を扱う新しい幾何学的手法が生まれた。15世紀前半にはウルグ・ベクがサマルカンドに天文台を築き、1437年頃の天文表は千を超える恒星の位置を新規観測に基づいて与えた。同じ環境でアル゠カーシーは円周率を、十進に直せば16桁の精度で算出している。なお「イスラームの黄金時代」という呼称は、輝かしい時代とその後の停滞という二分法を伴いがちだが、これは実証に耐えない。14世紀のイブン・アル゠シャーティルの惑星モデル、15世紀のサマルカンド、16世紀のイスタンブル天文台と、水準の高い仕事は長く続いた。特定の神学者が1人で科学を殺した、という筋書きも同様に単純化である。

逆方向の翻訳 ── 12世紀ルネサンスとヨーロッパ

12世紀、翻訳の流れは向きを変えた。1085年にカスティーリャ王国の支配下に入ったトレドには、アラビア語文献とアラビア語を読むユダヤ教徒・モサラベ(アラビア語化したキリスト教徒)が残っており、ラテン西方の学者が集まる場となった。クレモナのジェラルド(1187年没)はプトレマイオスの『アルマゲスト』を求めてトレドに赴き、そこに留まって膨大な訳業を残した。死後に弟子たちが作った一覧には70点を超える著作が並ぶ。翻訳はしばしば2人組で行われ、アラビア語を解する者が口頭で俗語に訳し、それをラテン語に書き取る、という分業が記録されている。ただし「トレド翻訳学派」という名称は後代の整理であって、統一された組織や公式の後援を示す証拠は薄い。実態は、写本と語学力と需要が偶然に集まった都市であった。
経路はイベリア半島だけではない。ノルマン王朝下のシチリアでは、ギリシア語話者が残っていたため、アラビア語を介さずギリシア語原典から直接ラテン語へ訳すことができた。12世紀半ば、プラトンの対話篇のいくつかと『アルマゲスト』が、この経路でラテン西方に入っている。13世紀にはモルベケのウィレムがアリストテレスをギリシア語から訳し直した。したがって「失われたギリシアをアラビアが返してくれた」という一枚絵は、正確ではない。返還の経路は複数あり、しかもアラビア語圏から来たのはギリシアの遺産だけでなく、その上に数世紀分の注釈と批判と新結果が積み上がったものだった。同じ理由で「ヨーロッパの暗黒時代」という語も使いにくい。修道院と司教座学校は古典の写本を保存し続けており、途切れていたのは知の全体ではなく、特定の分野の高等な文献である。
流入した文献を受け止める容器として、大学が形成された。ボローニャは慣例的に1088年創立とされるが、この年号は19世紀末に記念行事のために遡って定められたもので、実際には12世紀を通じて法学教師と学生の団体が徐々に固まっていった。パリは12世紀後半に教師の組合として姿を現し、1200年前後に王権と教皇から特権を得る。オックスフォードは12世紀後半から教育が集積した。ウニウェルシタスとはもともと組合・団体を意味する語で、校舎でも敷地でもない。彼らが獲得したのは、教師を認定する権利、成員を域外の裁判権から守る特権、そして集団で講義を停止する権利であった。学位という制度は、この組合が発行する営業免許として始まっている。
学部課程の建前は自由七科であった。文法・論理・修辞の三学と、算術・幾何・天文・音楽の四科である。ただし建前と実態の距離は大きい。実際の学芸学部では論理学とアリストテレス自然哲学が時間の大半を占め、四科は形式的な扱いに終わることが多かった。それでも七科の枠組みは、学問を「教えられる順序を持つ全体」として構想する型を残した。何をどの順で学ぶかを制度が定めるという発想は、ここから続いている。
授業と著作の形式としてはクァエスティオ(問題)が確立した。ある問いを立て、まず反対に見える論拠を並べ、次に権威による反論を置き、著者の解答を述べ、最後に冒頭の各論拠へ個別に応答する。この作法の下地には、アベラールが12世紀前半に編んだ、教父たちの矛盾する言明を主題ごとに対置した書物がある。彼は解決を与えず、権威は食い違うのだから理性で調停するほかない、と示した。討論では反対意見を最も強い形で提示する義務が課される。相手の主張を歪めずに再構成してから応じる、という規範は、この教室から出て今日の査読と学術論争にまで及んでいる。
1277年3月、パリ司教エティエンヌ・タンピエは219の命題を断罪した。多くはアリストテレス主義的な決定論、すなわち神といえどもなしえないことがあるとする含意を持つ主張である。ピエール・デュエムは20世紀初頭、この禁令がアリストテレスの軛から自然学を解放し、近代科学の出発点になったと論じた。この強い主張は今日ほぼ支持されていない。ただし穏健な形では議論が続いている。神は複数の世界を作りうる、宇宙全体を直線運動させうる、と認めよと命じられた教師たちは、それらの場合に何が起きるかを「想像に即して」論じざるをえなくなった。真空中の運動、地球の自転、無限の可能性といった主題が14世紀の註解に現れるのは、この圧力と無縁ではない。禁令が意図したのは思考の制限であり、結果として供給されたのは思考実験の題材だった、という皮肉である。
事実の台帳 確 45 / 推 5 / 争 8
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確西アジアの遺跡から前8000年紀以降の粘土製小立体(トークン)が多数出土し、前4000年紀末には粘土球(ブッラ)への封入と表面押印の例があるD. Schmandt-Besserat による1970年代(1974年、1977年の論文)以降の一連の研究。集大成は *Before Writing*(1992)。
- 争トークンが楔形文字の直接の起源であるとする説シュマント゠ベッセラの主張に対し、出土トークンの機能の多様性(遊戯具・呪具の可能性)や、トークン形状と文字記号の対応の不十分さを指摘する批判がある。
- 確ウルク出土の前3300年頃の最初期文書群は、家畜・穀物・労働などの行政記録が大半を占めるウルクIV期粘土板の刊本および原楔形文字研究(H. Nissen, P. Damerow, R. Englund らの研究)。
- 確メソポタミアは六十進法を用い、1時間60分・1分60秒・円周360度としてこの体系が現代まで残る楔形文字数学文献の標準的記述。
- 確バビロニアの位取り記数法には長らく空位記号がなく、空位記号が用いられるようになるのは前1000年紀後半、かつ数の末尾には用いられないバビロニア数学天文学文献の記数法研究(O. Neugebauer 以来の通説)。
- 確プリンプトン322はコロンビア大学所蔵、前1800年頃の粘土板で、4列15行の数表コロンビア大学 Plimpton Collection 所蔵資料。
- 争プリンプトン322の解釈ノイゲバウアーとサックス(1945)の数論的解釈、E. Robson(2001, 2002)の学校文書・逆数対生成説、Mansfield & Wildberger(2017)の三角法表説が対立。ロブソン説が現在最も広く受け入れられている。
- 確バビロニアの「天文日誌」は前652年から前61年までの観測・気象・物価記録の系列であるA. Sachs & H. Hunger 編 *Astronomical Diaries and Related Texts from Babylonia*。
- 確223朔望月(約18年11日)で食の配置がほぼ繰り返す周期がバビロニアの食記録から把握されていた楔形文字食一覧テキストの研究。
- 確この周期の「サロス」という名称は近世の転用で、エドモンド・ハリーがバビロニアの語を別の意味で用いたことに由来する天文学史における定説。
- 確リンド数学パピルスは前1550年頃に書記アハメスが写したもので、本文に200年ほど前の原本からの写しである旨が記される大英博物館所蔵、標準刊本(A. B. Chace ほか)。
- 確リンド・パピルスは円の面積を直径の9分の八の平方とし、これは円周率約3.16(256/81)に相当するリンド・パピルス問題50。
- 推エジプト幾何学がナイル氾濫後の土地再測から生じたという説明はヘロドトスによるギリシア側の解釈であり、エジプト側の同時代資料に直接の裏づけはないヘロドトス『歴史』第二巻の記述と、エジプト数学パピルスの内容との照合による判断。
- 確ブラーフミー数字は1〜9および10・20・100・1000に固有記号を持つ非位取りの体系で、アショーカ王碑文期(前3世紀)以降に現れるインド碑文学の標準的記述。
- 確アーリヤバタ『アーリヤバティーヤ』は499年成立で、位から位へ10倍になる旨を明記し、円周率に62832/20000(=3.1416)を「近似」として与える『アーリヤバティーヤ』ガニタパーダ。
- 確ブラフマグプタ『ブラーフマスプタシッダーンタ』(628年)第18章はゼロと正負数の加減乗除の規則を体系的に述べる同書。
- 確ブラフマグプタはゼロをゼロで割った商をゼロとしており、これは誤りである同書第18章。ゼロを分母とする量の扱いは12世紀のバースカラ二世が改めて論じた。
- 争バクシャーリー写本の年代ボドリアン図書館による2017年の放射性炭素測定は3点の試料から3〜4世紀、7〜9世紀、9〜10世紀という重ならない三区間を出した。図書館側は最古値に基づき「最古のゼロ」と発表したが、1冊の写本の素材が数百年隔たることの不自然さ、書体・言語・数学内容が後代を示唆する点を挙げる反論がある。
- 確インドのグワーリオル碑文(876年)は年代の確かなゼロ記号の例であり、東南アジアには7世紀のクメール碑文にゼロを含む例がある碑文資料。
- 確ケーララ学派ではマーダヴァ(十4〜15世紀)に帰される正弦・余弦・逆正接および円周率の無限級数があり、ジェーシュタデーヴァ『ユクティバーシャー』(16世紀前半、マラヤーラム語)は導出過程を記述する同書および関連サンスクリット文献。
- 争ケーララ学派の成果を「微積分の先取り」と呼べるか無限級数・項別総和・誤差評価の存在を根拠とする肯定説に対し、微分と積分の一般概念および両者を結ぶ定理を欠くとする慎重論がある。
- 争ケーララの成果がイエズス会士を介してヨーロッパへ伝わったとする伝播説状況証拠に基づく提唱があるが、これを裏づける文書史料は確認されていない。
- 確フワーリズミーはインド式計算法についての書を著したが原アラビア語本は失われ、ラテン語訳を通じて伝わる*Algoritmi de numero Indorum* 系写本。
- 確フィボナッチ(ピサのレオナルド)『算盤の書』(1202年)が十進位取り記数法を商業計算の実例とともにヨーロッパに広めた同書。
- 確中世イタリアの都市には、帳簿でのインド・アラビア数字使用を制限しローマ数字を求める規制の例がある都市条例の記録(フィレンツェの両替商規約など)。
- 確パーニニ『アシュターディヤーイー』は約4000のスートラからなり、音一覧に基づく略号体系、生成的な規則記述、規則を制御するメタ規則(パリバーシャー)、および第八章末尾の三節(トリパーディー)を先行規則群から不可視とする規則順序の扱いを含む。全八章、各章四節の構成である同書。
- 推パーニニの体系と現代の形式文法(文脈自由文法・BNF記法)との類似は、有限規則で無限の表現を生むという同型の問題に対する独立の解であり、歴史的な系譜関係ではない両体系の目的(言語集合の定義 対 正用形の導出手続きの口伝可能な圧縮)の相違に基づく判断。
- 確パーニニの年代は前6世紀から前4世紀の幅で議論され、前4世紀頃とする見解が多いインド学における通説的な幅。
- 確ニヤーヤ学派の五支論式は主張・理由・実例・適用・結論からなり、実例(ドリシュターンタ)を推論の構成要素として要求する『ニヤーヤ・スートラ』(紀元後2世紀頃成立とされる)。
- 確ディグナーガ(6世紀前半)は論式を三支に整理し、正しい理由の三条件と9通りの組み合わせの表(九句因、因の輪)を定式化した三条件は『プラマーナ・サムッチャヤ(集量論)』、九句因の表は『ヘートゥチャクラ・ダマル(因輪論)』。
- 確ダルマキールティ(7世紀)はディグナーガを継承し、理由を因果関係と同一性の型に区別した『プラマーナ・ヴァールッティカ』。
- 確玄奘による関連論書の漢訳(7世紀半ば)を通じて東アジアに「因明」の学が成立したが、チベットにおけるほど教育制度に根づかなかった漢訳仏典およびチベット僧院教育の比較。
- 確ガンゲーシャ『タットヴァチンターマニ』を画期として新ニヤーヤが成立し、限定者・関係・否定の作用域を一義に指定する技術的言語が発達、法学・詩学・文法学の議論にも用いられた同書および D. Ingalls, *Materials for the Study of Navya-Nyāya Logic*(1951)。ガンゲーシャの年代は13世紀後半から14世紀前半の幅で論じられる。
- 確バグダードは762年に建設され、8世紀後半から10世紀にかけてギリシア語・シリア語・中期ペルシア語・サンスクリット語からアラビア語への組織的翻訳が2世紀以上継続したD. Gutas, *Greek Thought, Arabic Culture*(1998)。
- 推翻訳運動の駆動因はアッバース朝の社会的・政治的必要(旧サーサーン朝領支配層の統合、占星術・行政術・医術の実務価値)であったグータスの解釈。少数の啓蒙的君主の個人的関心に帰す従来説への修正。
- 確フナイン・イブン・イスハーク(809〜873年)はガレノス翻訳に関する書簡で、複数写本の収集・照合による本文確定と意味単位での翻訳という方法を記述している同氏の『書簡(リサーラ)』。
- 争「知恵の館(バイト・アル゠ヒクマ)」の実態大規模な研究機関・翻訳局とする通俗的な像に対し、同時代史料はカリフの図書館ないし書庫としての言及にとどまるとして、サーサーン朝以来の宮廷図書館の系譜に位置づけ、ギリシア語翻訳事業の大半は宮廷外の私的後援によったとする見解(Gutas ほか)が有力になっている。
- 確「アルジェブラ(代数)」はフワーリズミーの著書名中の al-jabr に、「アルゴリズム」は彼の名のラテン語形に由来する語源学の定説。
- 確イブン・アル゠ハイサム『光学の書』(11世紀初頭、カイロ)は視覚の外送説を退けて内入説を採り、暗室・孔・複数光源による統制的実験で議論を支えた*Kitāb al-Manāẓir*。
- 確イブン・シーナー『医学典範』(11世紀前半)はラテン語訳を経てヨーロッパの医学教育で数世紀にわたり使用された同書のラテン語訳および近世の刊本史。
- 確ビールーニーは山頂からの水平線俯角の測定によって地球の大きさを算出し、また『インド誌』でサンスクリット文献に基づくインドの学問・宗教の記述を行った『インド誌(タフキーク・マー・リル・ヒンド)』ほか。
- 確マラーゲ天文台は1259年、フレグの支援下でナスィールッディーン・トゥースィーにより設立された天文学史の標準的記述。
- 確ウルグ・ベクのサマルカンド天文台は15世紀前半に建設され、1437年頃の天文表は千を超える恒星の新規観測位置を含む『ズィージェ・スルターニー』。
- 確アル゠カーシーは15世紀前半に円周率を十進換算で16桁の精度で算出した『円周論』(1424年)。
- 争「イスラームの黄金時代とその後の停滞」という図式14世紀のイブン・アル゠シャーティルの惑星モデル、15世紀サマルカンド、16世紀イスタンブル天文台など高水準の仕事が長く続いたことを根拠に、この時代区分と衰退の原因論(特定の神学者への帰責を含む)を退ける研究がある(G. Saliba ほか)。
- 確トレドは1085年にカスティーリャの支配下に入り、12世紀を通じてアラビア語文献のラテン語訳が集中的に行われた中世翻訳史の標準的記述。
- 確クレモナのジェラルド(1187年没)は『アルマゲスト』を求めてトレドに赴き、死後に弟子が作成した一覧には70点を超える訳業が記されるジェラルド伝記および訳業目録。
- 推「トレド翻訳学派」という名称は後代の整理であり、統一的な組織や公式後援の証拠は薄い個々の翻訳者・後援者の記録が組織的枠組みを示さないことに基づく判断。
- 確ノルマン朝シチリアではギリシア語原典から直接ラテン語への翻訳が行われ、12世紀半ばにプラトンの対話篇の一部と『アルマゲスト』が訳された中世翻訳史の記録。
- 確モルベケのウィレム(13世紀)はアリストテレスをギリシア語から直接ラテン語に訳し直した同氏の訳業。
- 推「ヨーロッパの暗黒時代」という図式は成立しない修道院・司教座学校による写本保存の継続と、複数経路での古典受容が確認されるため。断絶していたのは知の全体ではなく特定分野の高等文献である。
- 確ボローニャ大学の1088年創立という年号は19世紀末に記念行事に際して定められたもので、実際の団体形成は12世紀を通じて進んだ大学史研究の指摘。
- 確ウニウェルシタスは組合・団体を意味する語であり、大学が獲得したのは教授資格の認定権、成員の裁判管轄上の特権、集団的な講義停止権などである中世大学史の標準的記述。
- 確自由七科は三学(文法・論理・修辞)と四科(算術・幾何・天文・音楽)からなるが、中世学芸学部の実際の授業時間は論理学とアリストテレス自然哲学が大半を占めた中世大学カリキュラム研究。
- 確クァエスティオの形式は、問いの提示、反対論拠の列挙、権威による反論、著者の解答、各論拠への個別応答からなるトマス・アクィナス『神学大全』ほかスコラ学の著作形式。
- 確アベラールは12世紀前半、教父たちの矛盾する言明を主題ごとに対置した書物を編み、解決を与えずに権威の食い違いを示した『然りと否(Sic et Non)』。
- 確1277年3月、パリ司教エティエンヌ・タンピエは219の命題を断罪したパリ司教区の禁令文書。
- 争1277年の禁令が近代科学を準備したとするデュエムの主張強い形での主張は現在ほぼ支持されないが、神の絶対的能力を認めよという要求が複数世界・宇宙の直線運動・真空中の運動などの「想像に即した」思考実験を促したとする穏健な議論(E. Grant ほか)は継続している。
源流 ── 知はどこで生まれたか
記録されなかった知(未被记录之知 / Knowledge Not Written Down)
アフリカ ── 口承と写本のあいだ
1950年、ベルギーの地質学者ジャン・ド・エンゼランは、コンゴ東部エドワード湖畔のイシャンゴ遺跡で、1本の骨を掘り出した。ヒヒの腓骨で、先端に石英の小片が埋め込まれている。柄の三つの面に、束になった刻み目が並ぶ。年代は当初、完新世(数千年前)と見積もられていたが、1987年のブルックスとスミスによる遺跡の再調査と年代測定によって、およそ2万年から2万5000年前へ大きく繰り上げられた。現在も幅を持って扱われる数字である。この骨が有名なのは、刻み目の一列が11・13・17・19、すなわち10と20のあいだの素数と一致するからである。

ただし、この一致をどう読むかは決着していない。素数表とする解釈、月の満ち欠けの記録とする解釈(アレクサンダー・マーシャックの主張)、そして単なる計数の痕跡ないし滑り止めの意匠とする解釈が並立している。決定的な難点は、刻み目をどこで区切るかが観察者によって揺れることと、四つの数の一致は偶然でも十分に起こりうることである。南部アフリカのボーダー洞窟から出たレボンボの骨(4万年前前後、ヒヒの腓骨に29本の刻み目)も同様で、骨の一端が折れているため元の総数は分からない。太陰月と結びつける議論は魅力的だが、証拠は足りない。確実に言えるのは、人類がきわめて早い段階で「何かを数えて刻む」ことをしていた、という1点だけである。
文字による数学の記録に移れば、事情は一変する。リンド数学パピルスは、書記アーメスが前1550年ごろに筆写したもので、彼自身がより古い原本の写しであると記している。エジプトの分数表記は、三分の二を除けばすべて単位分数の和に分解するという独特の規約を持ち、そのための膨大な分解表が添えられていた。モスクワ数学パピルスには切頭四角錐の体積を求める手順が残る。ナイル上流のクシュ王国はメロエ文字を用いたが、ここに厄介な逆転がある。文字の音価は20世紀初頭にフランシス・グリフィスがほぼ決定したにもかかわらず、メロエ語自体が既知の言語族と結びつかず、いまも「発音できるが意味が分からない」状態が続いている。文字があれば知が伝わる、というわけではない。
エチオピア高原では別の連続性が保たれた。4世紀のアクスム王エザナの碑文は、ゲエズ語をゲエズ文字で記した面、同じゲエズ語を南アラビアのサバア文字で記した面、そしてギリシア語の面から成る。言語が三つあるのではなく、二つの言語と三つの表記が組み合わされている。ゲエズ文字はこのころ、子音字に母音を示す小さな付加記号を組み合わせる音節文字へと変化した。以後、エチオピア教会の写本工房が千数百年にわたって書写を続け、その結果として、たとえば旧約外典『エノク書』は完本としてはゲエズ語訳しか現存しないという事態が生じている。エチオピア暦は30日の月を12と、5日ないし6日の第13の月から成り、紀年はグレゴリオ暦より7年から8年遅れる。受胎告知の年をどう算定するかの差が、そのまま暦の差として残っている。
サハラ南縁のトンブクトゥは、14世紀から16世紀にかけて交易と学問の結節点となった。サンコーレ、ジンガリベリ、シディ・ヤヒヤの各モスクには学問の場が付設され、制度化された大学というより、教師個人の周囲に学生が集まって免許状を受ける師承の網として機能した。法学者アフマド・ババ(1556〜1627)は、1591年のモロッコ軍侵攻の後にマラケシュへ連行され、そこでも講義を続けたと伝わる。写本の総数は、公的な研究所の所蔵で2万から4万点、私設の家族文庫を含む地域全体では十数万点から30万点超まで、推定に大きな幅がある。2012年から13年の武装勢力による占領時、アブデル・カデル・ハイダラらが写本を金属箱に詰め、川と陸路でバマコへ運び出した。退避点数として報じられる数字も数万から35万点超まで開きがあり、多くは支援団体と報道による自己申告で、独立した検証は進んでいない。研究所の一部では焼却も起きた。

一方、西アフリカのマンデ社会では、グリオと呼ばれる世襲の語り部が系譜・法・歴史を担った。彼らの技法は、単なる暗記ではない。定型句と韻律が誤りを検出する枠として働き、コラやバラフォンの伴奏が句の切れ目を固定し、複数の家系が同じ伝承を保持することで相互点検が成り立つ。写本文化と口承文化は対立していたのではなく、同じ都市の中で併存していた。記録の媒体が違えば、誤りを検出する仕組みも違う形をとるというだけのことである。

それにもかかわらず、ヘーゲルは『歴史哲学講義』でアフリカを世界史の外に置いた。20世紀に入ってもヒュー・トレヴァー=ローパーは1963年の講演で、将来はアフリカ史なるものが教えられるようになるかもしれないが「現時点ではそんなものは存在しないか、ごくわずかしかない。あるのはアフリカにおけるヨーロッパ人の歴史だけであり、残りはおおむね暗黒であって、暗黒は歴史の主題にならない」と述べた。留保を付した言い方ではあるが、論法は変わらない。文字の不在を知の不在と読み替える誤りである。
ヨルバのイファ占いを見れば、その誤りは具体的に崩れる。占者はヤシの実を掌から掌へ移す操作を8回繰り返し、そのつど残った数の偶奇を2本の縦列に記す。組み合わせは二の八乗、すなわち256通りに分岐し、そのそれぞれに長大な詩句群が結びついている。記号による分岐操作と、分岐先の内容を保持する記憶術との組み合わせであって、その構造は文字を持つ占術体系と原理的に変わらない。なお、この二値操作をライプニッツの二進法の源泉とみる説がしばしば語られるが、両者を結ぶ直接の証拠はなく、構造の類似にとどまる。
アメリカ大陸 ── マヤの数学と暦、インカのキープ
メソアメリカの記数法は、点を1、棒を5とし、20を単位として位を上げる。空位には貝殻を模した記号を置いた。位取りと空位記号の両方が揃っている以上、これは機能としてのゼロである。旧世界の記数法とは何の系統関係もなく、独立に到達した。ただし完全な20進法ではない。長期暦の第三位だけが20ではなく18倍(20日×18=360日)になっており、実用の暦に合わせるために純粋な位取りが折り曲げられている。この暦の最古級の年記は前1世紀のもので、しかも古典期マヤの中心地ではなく、テワンテペク地峡周辺の碑文に現れる。ゼロを含む体系は、マヤが受け継ぎ精緻化した共有財産だったと考えるほうが証拠に近い。

暦は複数の周期の重ね合わせで動いていた。260日のツォルキン、365日のハアブ、その最小公倍数として52年で一巡するカレンダーラウンド、そして起点からの通算日数を数える長期暦。ドレスデン絵文書には金星表があり、金星の会合周期を584日として、五周期=八ハアブ=2920日という近似を組む。実際の会合周期は約583.92日なので、584日で回し続けると、一周期あたり0.8日ずつ暦のほうが先へ進む。表には、57周期や61周期といった区切りで4日を、65周期で8日を差し引く補正の手続きが書き込まれている。ずれの向きと量を把握したうえで、観測に合わせて数値を引き戻す操作が、絵文書の中で明示的に行われていた。

その絵文書は、いま3点ないし4点しか残っていない。真正性に争いのないのはドレスデン、マドリード、パリの3点である。第四の写本、すなわち旧グロリエ写本(現在はメキシコ・マヤ絵文書と呼ばれる)は長く偽作説にさらされ、2016年の材質・図像分析と2018年のメキシコ国立人類学歴史学研究所の判断を経て真正とする見解が優勢になったが、合意は完全ではない。これを含めるか否かで、現存点数は3点とも4点とも数えられる。
点数がこれほど少ない原因ははっきりしている。フランシスコ会士ディエゴ・デ・ランダは、1562年にユカタン半島のマニで異端審問の儀式を行い、押収した書物を焼いた。彼自身が、先住民は文字で書かれた多数の書物を持っていたが「我々はそれらをすべて焼いた」と書き残している。しかし同じランダが、後に『ユカタン事物記』で、現地の助言者に音を尋ねて記号を書き取らせた一覧を残した。破壊した当人が、後の解読の鍵を残したことになる。
もっとも、その鍵は300年のあいだ行方が知れなかった。ランダの原稿そのものは伝わらず、現存するのは17世紀に作られた抄本である。これをマドリードで見出し、1862年に学界へ知らせたのはフランスの聖職者ブラッスール・ド・ブールブールだった。焚書から解読の再開までのあいだ、鍵そのものが視野の外にあったことになる。史料が残るかどうかは、書かれたかどうかとも、焼かれたかどうかとも、なお別の偶然に左右される。
解読は長く停滞した。ランダの一覧はアルファベットとして読もうとすると破綻するため、偽物か無価値と見なされていた。転換点は1952年、ユーリー・クノロゾフが、これは音節を表す記号の記録であり、マヤ文字は表語文字と音節文字の混合体系だと論じた論文である。当時の学界を代表するエリック・トンプソンはこれを長く退け、冷戦下の政治的な不信も重なって受容は遅れた。並行して、ハインリヒ・ベーリンが1958年に特定の都市に結びつく紋章文字を識別し、タチアナ・プロスコウリアコフが1960年に、碑文の日付の並びが人間の一生の長さに収まることを示して、それらが神話ではなく実在の王の伝記であると論証した。この三つが噛み合った1970年代以降に解読は加速し、いまでは碑文の大半が読める。
アステカの計算は、実務の文書に痕跡を残している。16世紀のコデクス・ベルガラとサンタ・マリア・アスンシオン絵文書は、農地の一区画ごとに所有者・辺の長さ・面積を記した台帳である。区画の多くは不整形なので、辺長を単純に掛け合わせても記載の面積にならない。2008年に発表された分析は、記載された補助記号(矢、手、心臓などの形)が標準単位の端数を表し、これを用いた一連の近似算法で面積が導かれていることを示した。徴税のために面積を扱う必要があり、そのための算法が現に存在していた。
アンデスには、音を写す文字体系が知られていない。記録の中心にあったのはキープ、すなわち結んだ紐の束である。主紐から垂れる副紐に結び目が並び、結び目の型(単純結び、長結び、八の字結び)と主紐からの距離が、十進位取りの桁と数値を表す。数を読む枠組み自体は、1912年にリーランド・ロックが提示して以後、大きく変わっていない。その内側では、アッシャー夫妻による体系的な記述(1981年)を経て、結び目群の階層構造の解析や、複数のキープの数値を集約する「総括キープ」の同定など、読みの精度が着実に上がってきた。

| 担い手 | 媒体 | 誤りをどう防ぐか |
|---|---|---|
| マンデ社会のグリオ | 口承 | 定型句と韻律が誤りを検出する枠として働き、伴奏が句の切れ目を刻む |
| アンデス | キープ(結んだ紐の束) | 結び目の型と主紐からの距離で位取りを表す。数の記録であることは確実、それ以外は争点 |
| マヤ | 文字と暦 | 長期暦と表による補正の手続き |
| オセアニア | 星と波 | 恒星の出没点によって32前後の方位を定義する |
表4文字を使わずに、知はどう保たれたか
数を記録する装置であることは確実である。争点は、そこから先である。数以外のもの──固有名、系譜、物語──を記録できたのか。ハーバード大学のキープ・データベース計画は2002年から数百点の物理的属性を体系的に記録し、紐の色・撚りの向き・素材の組み合わせが二進的な符号を成す可能性を提起した。2017年には、ペルー中部の村が保管する18〜19世紀のキープについて、動物繊維の種類と色が氏族名を表す音節的な要素だと主張する研究が出た。いずれも決定的ではなく、否定的な立場も強い。「数以外も記録した」も「数だけだった」も、現時点でどちらかを断言できる段階にない。
断絶は人為的だった。1583年の第三リマ公会議は、キープを偶像崇拝の道具として使用を禁じ、破棄を命じている。残存は約1000点前後と推定され、その多くは副葬品として出土したもので、使われていた文脈は失われた。復元研究はこの穴を埋めようとしている。植民地期のスペイン語の貢納台帳と、同じ共同体に由来するキープの数値が対応する事例がいくつか確認されており、この照合が数の読みを外から検証する数少ない手段になっている。逆に、過剰な読み込みへの警戒も必要である。ナスカの地上絵は長く天文暦説(マリア・ライヒェ)とともに語られたが、統計的な検証は有意な天体方位を支持せず、現在は水源への祈願と儀礼的な行進路とする解釈が優勢である。証拠のない天文化は、証拠のない未開視と同じくらい実像から遠い。
東南アジア ── 交差点としての知

紀元後の数世紀、南インド由来のパッラヴァ系文字が東南アジアに渡り、クメール文字、ジャワの古カウィ文字、古モン文字、そして後のタイ文字やビルマ文字の祖形となった。同時にサンスクリットの宇宙論、法(ダルマ)、王権の観念が入る。これを「インド化」と呼ぶのは慣例だが、一方的な移植ではなかった。文字は現地語の音韻に合わせて記号が足され、王権概念は在地の首長制に接ぎ木され、輸入された語彙はジャワ語では敬語の階層に組み込まれた。受け手の側が何を採るかを選んでいる。
その混淆から、数学史上きわめて重要な一片が生まれた。カンボジア、メコン川沿いのサンボールで見つかった碑文(K-127)は、サカ暦605年、すなわち西暦683年の年記を持ち、その「605」の空位が点で書かれている。1931年、ジョルジュ・セデスはこれを報告し、位取りのゼロがアラビアではなくインド圏に起源を持つことの証拠とした。当時、ゼロのインド起源を疑う説が英語圏にあった。インドで確実な年記を持つ最古級の例(グワリオール碑文、876年)より2世紀近く古いこの碑文は、その西方起源説の主要な論拠を崩し、論争の重心を移した。碑文はその後カンボジアの内戦期に所在が分からなくなり、2013年、アンコール保存所の収蔵品のなかから再確認された。現在はプノンペンの国立博物館にある。ほぼ同時期、スマトラのシュリーヴィジャヤ関連碑文も同じ683年前後の年記を持ち、ゼロの伝播が海域を通じて広く同時に起きたことを示している。
「最古」という記述は、しかし固定していない。2017年、オックスフォードのボドリアン図書館は、インド北西部で見つかったバクシャーリー写本の一部の葉について、3世紀から4世紀にさかのぼる放射性炭素年代を公表した。もし写本全体がその年代であれば、点によるゼロ表記の年代は一挙に繰り上がる。ただし測定された葉のあいだで年代が数百年にわたって食い違っており、写本を一体のものとして最古と扱うことはできないという強い批判がある。年代論争は開いたままである。
アンコールの碑文には、二つの層がある。サンスクリットの韻文は王と神を讃え、宗教的な功徳を語る。同じ石の別面に刻まれた古クメール語の散文は、寺院に寄進された田の面積、労働者の名と人数、米や布や家畜の数量を延々と並べる。前者だけを読めば神話的な王国が現れ、後者を読めば会計と労務管理の記録が現れる。アンコールの巨大な貯水池(バライ)についても解釈は割れており、大規模灌漑が王権の経済基盤だったとする説と、貯水池はむしろ儀礼的・象徴的な意味が主で灌漑能力は限定的だったとする説が並立している。近年の航空レーザー測量は広範な運河と区画の存在を示したが、水がどう使われたかまでは確定していない。

ジャワでは、8世紀末から9世紀前半にかけてボロブドゥールが築かれた。方形の基壇から円形の上層へ至る構成は、回廊の浮彫を順に辿ることで教理の階梯を歩ませる仕掛けになっている。暦の側では、ジャワは5日週(パサル)と7日週を組み合わせて35日の周期を作り、さらに30の名を持つ210日のウク暦を用いた。互いに素な周期を重ねて長い循環を作るという発想は、メソアメリカのツォルキンとハアブの組み合わせと構造的によく似ているが、両者に接触の証拠はない。同じ問題に対する独立の解である。
海域では、知は季節の形をとった。南西と北東で半年ごとに向きを変えるモンスーンは、往路と復路のあいだに数か月の滞船を強制する。港市はその滞在期間を前提に倉庫と信用の仕組みを整えた。星の出没方位、海岸線の目印、潮流と海底の質を読む技法は、ブギスやマカッサルの航海者のあいだで航海書の形にもまとめられた。13世紀末以降のイスラームの浸透は、これにアラビア語圏の暦法と天文計算を加えた。礼拝方位(キブラ)の決定は球面上の方位角の問題であり、宗教実務がそのまま計算技術の需要を生んだ。
17世紀後半、オランダ東インド会社の職員ゲオルク・ルンフィウスはアンボン島で植物誌の編纂に取りかかった。彼は途中で失明し、地震で妻と娘を失い、火災で図版を焼かれながら、口述と助手の手で執筆を続けた。完成した『アンボン島植物誌』が刊行されたのは彼の死から約40年後、18世紀半ばのことである。この書物は、数百種の植物について現地名と現地での用法を丹念に記録しており、いまも民族植物学の一次資料として使われる。同時にそれは、会社が丁子と肉豆蔲の独占価格を維持するために指定地域外の樹を組織的に伐採していた、まさにその現場で書かれた。収奪と記録は別々の場所で起きたのではない。
収集と記録は、やがて制度になる。1817年、バタヴィア近郊のボイテンゾルフ(現ボゴール)に植民地政庁の植物園が置かれた。ここは本国の植物学者が熱帯の植物相を掌握するための拠点であると同時に、有用植物の栽培可能性を試験する農業試験場でもあった。個人の観察が施設の日課へ、日課が政策へと接続される。次の世紀に起きることを準備したのは、この種の施設である。
19世紀にはより露骨な移転が起きる。マラリア治療薬キニーネの原料であるキナ樹はアンデス原産で、その樹皮の効能は現地の知識に由来する。1860年代、イギリス人商人チャールズ・レジャーの依頼を受けたアイマラの協力者マヌエル・インクラ・ママニが良質な種子を採取し、それがオランダ領ジャワへ渡って栽培が確立した。ママニはその後ボリビア当局に拘束され、それが原因で死んだと伝えられる。20世紀前半には、世界のキニーネ供給の圧倒的な部分をジャワのプランテーションが占めるに至った。知識の出所であるアンデスにも、種子を採った当人にも、利益は戻らなかった。
植民地医学も同じ両義性を持つ。クリスティアーン・エイクマンは1880年代末のバタヴィアで、精白した米を与えた鶏が人の脚気に似た多発神経炎を起こすことを見出した。ただしエイクマン自身はこれを、精白米に含まれる毒素が糠の成分によって中和されるという毒素説の枠で解釈していた。これを「食物中の必須成分の欠乏」という因果の形に定式化したのは、後任のヘリット・グレインス(1901年)である。エイクマンは後にノーベル賞を受けている。だがその研究の場は植民地の監獄と軍であり、被験者の同意という概念はほとんど働いていなかった。残された観察記録は科学的に価値があり、その取得の仕方は現在の基準では正当化できない。両方が同じ文書に書き込まれている。
第二次世界大戦後、これらの機関は国民国家の装置として再編された。バタヴィアの医学校(STOVIA)の系譜を引く高等教育は1950年にインドネシア大学へ、シンガポールの医学校とラッフルズ・カレッジは1949年にマラヤ大学へと組み替えられた。同時に進んだのが国語による学術語彙の整備である。誰の言語で科学を書くかという問いは、植民地期には自明のこととして宗主国側に決められていた。その決定権を取り戻す作業が、独立後の大学の主要な仕事のひとつになった。
オセアニア ── 星と波を読む航海術
太平洋の伝統的航海術の中核は、星の出没方位で水平線を分割する体系である。ミクロネシアのカロリン諸島で記録された体系では、特定の恒星が昇る点と沈む点を組み合わせて32前後の方位が定義され、目標の島はその方位のひとつとして記憶される。一つの星が高く昇って方位の目印として使えなくなると、次に同じ方位から昇る星に引き継ぐ。緯度や経度という座標系はなく、方位と経過時間と速度の見積もりで位置を保持する。

星が見えない曇天や昼間には、別の手がかりが働く。うねりは遠い低気圧が生む長周期の波で、風波より安定しており、島にぶつかると回折と反射で干渉の紋様を作る。熟練の航海者は船体の動きから複数のうねりの向きを弁別できる。アジサシやカツオドリは朝に島から出て夕に戻るので、その飛行方向は数十キロ圏内の陸を指す。礁湖の浅い水は雲底を緑がかった色に染める。これらを統合するのがエタクと呼ばれる考え方で、船は星の下に静止しており、進行につれて航路の脇にある参照島のほうが星の方位を次々に横切っていく、と捉える。実際の位置ではなく、行程のどこにいるかを島の見かけの移動として数える相対座標系である。この体系は、1970年前後にトマス・グラッドウィンとデイヴィッド・ルイスが航海者に同行して詳細に記録した。
マーシャル諸島には、これとは別種の道具がある。ヤシの葉の中肋を組んで結び、うねりの屈折や交差の様子を線で表し、島の位置をタカラガイで示したスティックチャートである。訓練用の抽象的なもの、限られた海域を扱うもの、群島全体を覆うものといった種類が区別されていた。重要なのは、これが航海中に船へ持ち込まれる海図ではなかったことである。陸上で学習し記憶に転写するための装置であり、海の上では航海者の頭の中にしかない。地図とは紙の上の絵であるという前提のほうが、むしろ狭い。

この知識体系は、20世紀半ばまで学術的にほとんど信用されていなかった。アンドリュー・シャープは1956年の著作で、遠洋の島々への人類の拡散は意図的な往復航海ではなく偶然の漂流と片道の遭難によって説明できると主張し、この見方が長く影響力を持った。口承で伝えられた技法は文献の形で提出できず、当時の学界が求める証拠の形式に合わなかった。反証しにくい主張が、そのぶん長く生き延びたことになる。
反証は実演の形で来た。1976年、ポリネシア航海協会が復元した双胴船ホクレア号が、計器を一切用いずにハワイからタヒチまでおよそ4400キロを一か月あまりで航海した。航海を導いたのは、ハワイの人間ではなく、ミクロネシア・サタワル島の航海者マウ・ピアイルグである。当時ハワイでは伝統航海術の担い手がすでに絶えており、外部から呼ぶしかなかった。実演の射程は、この往路に限られる。復路は伝統航法によらず、マウ自身も乗組員との軋轢を理由に航海後いったん計画を離れている。1980年には、マウに学んだナイノア・トンプソンが往復航海を導いた。
ただしこの実演が証明したのは「そのような航海が可能である」ことであって、「過去に実際そうした」ことの直接証拠ではない。それを支えるのは別種の証拠──ラピタ土器の分布が示す急速な東進、オセアニア諸語の系統関係、そして2020年に発表されたゲノム解析が示唆する、東ポリネシアと南米沿岸の集団の1200年ごろの接触──である。実演と、考古と、言語と、遺伝という別々の方向からの証拠が、同じ像を支えている。
なぜこれが長く「科学」と呼ばれなかったのか。理由の一つは形式にある。この知は命題として書かれず、手順と身体感覚として徒弟制のなかで伝えられた。理論の記述がなければ理論はない、という前提を置けば、見落とすことになる。もう一つは端的な人種主義である。太平洋の人々が計画的な遠洋航海を行いえたはずがない、という前提は、シャープの漂流説にも、南米からの筏による移住を唱えたトール・ハイエルダールの立論にも、形を変えて共有されていた。しかし手続きの水準で見れば、そこには体系がある。星の出没方位の網羅的な暗記、うねりの周期の弁別訓練、そして誤差の累積を前提に目標島の風下側で一定の探索パターンを走らせるという、不確実性の扱いまで含めた設計である。位置推定の誤差を消すのではなく、誤差を吸収する手順を組み込むという考え方は、近代の航法が採ったものと同じである。
現在、この種の知識は伝統的生態学的知識(TEK)という枠で再評価されつつある。ハワイのアフプアアは、尾根から海までを一つの縦長の単位として区切り、上流の森林と下流の漁場を同じ管理主体の下に置く制度で、流域単位の資源管理という現代の発想を先取りしている。太平洋各地に見られる漁区の一時的な閉鎖の慣行は、資源の回復期間を確保する仕組みとして機能してきた。
制度の側の応答も進んだ。生物多様性条約は第八条(j)で先住民の知識の尊重を締約国に求め、2010年に採択され2014年に発効した名古屋議定書は、遺伝資源とそれに関連する伝統的知識へのアクセスに事前の同意を要求し、そこから生じる利益の配分を締約国に義務づけた。キナ樹の種子が持ち出された時代に存在しなかった手続きが、いまは条約の文言として置かれている。2019年のIPBES地球規模評価報告書と、2021年から22年にかけて公表されたIPCC第六次評価報告書は、いずれも先住民知・地域知を評価の基礎に組み込む必要を明記した。ただし取り込みには危うさもつきまとう。知識を文脈から切り離して観測データとして抽出すれば、それを保持してきた共同体の権利と、実践そのものが持つ更新能力が失われる。参照されるだけの知は、生きた知ではない。
事実の台帳 確 68 / 推 11 / 争 8
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確イシャンゴの骨はコンゴ東部エドワード湖畔で1950年にジャン・ド・エンゼランが発掘した、石英片を装着したヒヒの腓骨であるde Heinzelin, *Les fouilles d'Ishango*(1957年、ベルギー王立自然科学研究所)
- 確イシャンゴの骨の刻み目の一列は11・13・17・19と読める同上および以後の記述的報告
- 争イシャンゴの骨の年代発掘当初は完新世(数千年前)とされたが、1987年の再調査と年代測定によりおよそ2万〜2万5000年前へ繰り上げられた。単一値ではなく幅を持って扱うべき ── Brooks, A.S. & Smith, C.C., "Ishango revisited: new age determinations and cultural interpretations", *The African Archaeological Review* 5(1987年)
- 争イシャンゴの骨の「数学的」性格素数表説、太陰暦記録説(Alexander Marshack, *The Roots of Civilization*, 1972年)、単なる計数・意匠説が並立。刻み目の分節の読み方自体が観察者依存であり、決着していない
- 争レボンボの骨(南アフリカ・ボーダー洞窟、29本の刻み目、4万年前前後)が太陰月と関係するか骨の一端が破損して本来の刻み目総数が不明であり、断定できない
- 確リンド数学パピルスは書記アーメスが前1550年ごろに筆写し、本人がより古い原本の写しであると本文に記している大英博物館 EA10057/10058
- 確古代エジプトの分数表記は、三分の二などの例外を除き単位分数の和に分解する規約を持ち、そのための分解表を伴ったリンド・パピルス冒頭の二/n表
- 確モスクワ数学パピルスに切頭四角錐の体積を求める手順が含まれるモスクワ数学パピルス第14問題(前19〜18世紀ごろ)
- 確メロエ文字の音価は20世紀初頭にフランシス・グリフィスによってほぼ決定されたが、メロエ語自体は現在も解読されていないGriffith, *Karanòg: The Meroitic Inscriptions*(1911年ごろ)以降の研究状況
- 確アクスム王エザナの4世紀の碑文は、ゲエズ語をゲエズ文字で記した面、同じゲエズ語を南アラビアのサバア文字で記した面、ギリシア語の面から成る(サバア語という別言語で書かれているのではない)アクスム出土碑文群。なお表記の呼び方は研究者により揺れがある
- 確ゲエズ文字は4世紀ごろ、子音字に母音記号を付す音節文字へ移行したエザナ期前後の碑文の比較
- 確『エノク書』(第一エノク書)は完本としてはゲエズ語訳のみが伝わり、他言語では断片のみであるゲエズ語写本群、クムラン出土アラム語断片
- 確エチオピア暦は30日の月12と、5日または6日の第13の月から成り、紀年はグレゴリオ暦より7〜8年遅れるエチオピア教会の暦法。差は受胎告知年の算定の違いに由来する
- 確トンブクトゥのサンコーレ、ジンガリベリ、シディ・ヤヒヤの各モスクに学問の場が付設され、教師個人の免許状を軸とする師承の網として機能したアフリカ史研究における標準的記述
- 確法学者アフマド・ババ(1556〜1627)は1591年のモロッコ軍侵攻の後にマラケシュへ連行された16〜17世紀西アフリカ・イスラーム学の伝記資料
- 推トンブクトゥ周辺の写本総数公的研究所の所蔵で2万〜4万点、私設文庫を含む地域全体で十数万〜30万点超という推定の幅がある。目録化が完了していないため確定値はない
- 推2012〜13年の危機に際して退避した写本の点数数万点から35万点超まで報告に幅がある。多くが支援団体・報道による自己申告で、独立検証は進んでいない
- 確マンデ社会のグリオは世襲の語り部として系譜・法・歴史を担い、定型句と韻律、楽器の伴奏、複数家系による並行保持が誤りの検出と点検の枠として働いた西アフリカ口承伝承の民族誌
- 確ヘーゲルは『歴史哲学講義』でアフリカを世界史の外部に位置づけたHegel, *Vorlesungen über die Philosophie der Geschichte*(講義1820年代、没後刊行)
- 確ヒュー・トレヴァー=ローパーは1963年の講演で、将来はアフリカ史が教えられるようになるかもしれないが「現時点ではそんなものは存在しないか、ごくわずかしかない。あるのはアフリカにおけるヨーロッパ人の歴史だけ」であり残りは暗黒だと述べた。「現時点では」「ごくわずか」という留保を含む言い方である1963年のBBC講義(*The Listener* 同年11月28日号)、のち *The Rise of Christian Europe*(1965年)に収録
- 確ヨルバのイファ占いは8回の二値操作により256の標識(オドゥ)に分岐し、各標識に詩句群が結びつくユネスコ無形文化遺産(2005年宣言、2008年代表一覧表記載)ほか民族誌記述
- 推イファの二値操作と近世ヨーロッパの二進法の間に歴史的な影響関係があったとする主張直接の証拠はなく、構造の類似にとどまる
- 確メソアメリカの記数法は点=1、棒=5、20進の位取りを用い、空位に貝殻状の記号(ゼロ)を置くドレスデン絵文書ほか碑文・写本
- 確メソアメリカの記数法は旧世界の記数法と系統関係を持たず、独立に到達したものである両者のあいだに伝播経路を示す資料がないこと、および記号体系・進法の相違
- 確長期暦の第三位は20倍ではなく18倍(360日)であり、純粋な20進から逸脱している長期暦の構成
- 確長期暦の最古級の年記は前1世紀のもので、古典期マヤの中心地ではなくテワンテペク地峡周辺の碑文に現れるトレス・サポテス石碑Cほか
- 確金星の平均会合周期は約583.92日である現代の天文定数(現代値583.93日)
- 確ドレスデン絵文書の金星表は会合周期を584日、五周期=8年=2920日として組む。584日は真値より長いため暦が先へ進み、表は57周期・61周期で4日、65周期で8日を差し引く異常倍数によってずれを引き戻すドレスデン絵文書(ザクセン州立図書館)
- 確ディエゴ・デ・ランダは1562年にユカタン半島のマニで異端審問の儀式を行い、マヤの書物を焼却したLanda, *Relación de las cosas de Yucatán*(1566年ごろ執筆)
- 確同じランダの『ユカタン事物記』に記された記号一覧(いわゆるランダのアルファベット)が、後のマヤ文字解読の鍵となった同上
- 確ランダの原稿は伝存せず、現存するのは17世紀の抄本である。これをマドリードで見出し1862年に学界へ知らせたのはブラッスール・ド・ブールブールである抄本の書誌および同人の報告
- 確真正性に争いのないマヤの絵文書は現存3点(ドレスデン、マドリード、パリ)である各所蔵機関
- 争第四の写本(旧グロリエ写本、現メキシコ・マヤ絵文書)の真正性長く偽作説があったが、2016年の材質・図像分析と2018年のメキシコ国立人類学歴史学研究所(INAH)の判断を経て真正とする見解が優勢になった。合意は完全ではなく、これを含めるか否かで現存点数は3点とも4点とも数えられる
- 確ユーリー・クノロゾフは1952年の論文でマヤ文字を表語文字と音節文字の混合体系と論じ、これが解読の転換点となったクノロゾフの1952年の論文(ロシア語)
- 確ハインリヒ・ベーリンが1958年に紋章文字を、タチアナ・プロスコウリアコフが1960年に碑文の日付列が実在の王の生涯を記すことを示したBerlin(1958年)、Proskouriakoff, *American Antiquity*(1960年)
- 確16世紀のコデクス・ベルガラおよびサンタ・マリア・アスンシオン絵文書は、区画ごとの所有者・辺長・面積を記す土地台帳である両絵文書
- 確これらの台帳に記された補助記号が標準単位の端数を表し、不整形区画の面積を導く近似算法が用いられていたことが2008年に示されたWilliams & Jorge y Jorge, *Science*(2008年)
- 推アンデスでは音声を写す文字体系が確認されていない。ただし「文字がない」ことと「言語的内容を記録する手段がない」こととは同一でなく、キープやトカプ文様の機能は未決着であるアンデス記録媒体研究
- 確キープは結び目の型と主紐からの距離によって十進位取りの数値を表すLocke, *American Anthropologist*(1912年)ほか
- 確数の読みの枠組み自体はロック以後大きく変わっていないが、結び目群の階層構造の解析や「総括キープ」の同定など、読みの精度は向上してきたAscher & Ascher, *Code of the Quipu*(1981年)以降の研究
- 争キープが数以外(固有名・系譜・言語的内容)を記録しえたかハーバード大学キープ・データベース計画(2002年〜)による二進的符号化の仮説、2017年のペルー中部コリャタのキープに関する音節的解釈などが提起される一方、否定的立場も強い。未決着
- 確1583年の第三リマ公会議はキープの使用を禁じ破棄を命じた第三リマ公会議教令
- 推現存するキープは約1000点前後世界各地の博物館所蔵の集計に基づく推定で、幅がある
- 確植民地期スペイン語の貢納台帳と、同じ共同体に由来するキープの数値とが対応する事例が確認されており、数の読みを外から検証する手段になっている該当する台帳とキープの対照研究
- 争ナスカの地上絵の天文暦説マリア・ライヒェの主張が長く流布したが、統計的検証は有意な天体方位を支持せず、現在は水源への祈願・儀礼的行進路とする解釈が優勢
- 確パッラヴァ系文字が東南アジアに伝わり、クメール文字・古カウィ文字・古モン文字などの祖形となった東南アジア初期碑文の古文書学
- 推「インド化」は一方的な移植ではなく、文字への記号追加、王権概念の在地首長制への接合、借用語彙のジャワ語敬語階層への組み込みなど、受け手の側の選択を伴った現地碑文・語彙資料からの解釈
- 確カンボジアのサンボール出土碑文K-127はサカ暦605年(西暦683年)の年記を持ち、その空位が点で記されている現物はプノンペン国立博物館所蔵
- 確ジョルジュ・セデスは1931年にK-127を報告し、位取りのゼロのインド圏起源を支持する証拠としたCœdès(1931年)
- 確インドで確実な年記を持つ最古級のゼロ表記はグワリオール碑文(876年)であるグワリオール、チャトゥルブジャ寺院碑文
- 争バクシャーリー写本の年代2017年にボドリアン図書館が一部の葉について3〜4世紀の放射性炭素年代を公表したが、測定値が数百年にわたって混在し写本全体の年代とはしがたいという強い批判がある。ゼロ表記の「最古」をめぐる議論は開いている
- 確K-127はカンボジア内戦期に所在不明となり、2013年にアンコール保存所の収蔵品中から再確認されたAmir D. Aczel, *Finding Zero*(2015年)
- 確スマトラのシュリーヴィジャヤ関連碑文も7世紀後半(680年代)の年記を持つケドゥカン・ブキット碑文ほか
- 確アンコールの碑文はサンスクリット韻文(讃辞・宗教)と古クメール語散文(寺領・労働者・物品数量の記録)の二層構造をとるアンコール期碑文集成
- 争アンコールの貯水池(バライ)の機能大規模灌漑による経済基盤とする説と、儀礼的・象徴的機能が主で灌漑能力は限定的とする説が対立。航空レーザー測量は水利施設の広がりを示したが用途の確定には至っていない
- 確ボロブドゥールは8世紀末から9世紀前半に中部ジャワで造営された現地碑文および建築編年
- 確ジャワの暦は5日週(パサル)と7日週の組み合わせによる35日周期、および210日のウク暦を用いるジャワ・バリの暦法
- 推ジャワの周期暦とメソアメリカの周期暦の構造的類似接触の証拠はなく、独立の発明と解するのが妥当
- 確半年ごとに向きを変えるモンスーンは往路と復路のあいだに数か月の滞船を強制し、港市はその滞在を前提に倉庫と信用の仕組みを整えた海域東南アジアの港市に関する交易史研究
- 推ブギス・マカッサルの航海者は星の出没方位や海岸の目印、潮流と海底の質を読む技法を航海書の形にもまとめた現存が確認される航海書は限られ、伝存資料からの推定にとどまる
- 確礼拝方位(キブラ)の決定は球面上の方位角の問題であり、宗教実務が計算技術の需要を生んだイスラーム圏の天文・数理地理学の文献
- 確ゲオルク・ルンフィウスは失明・家族の死・図版焼失を経てアンボン島の植物誌を編纂し、『アンボン島植物誌』は彼の死後、18世紀半ばに刊行された*Herbarium Amboinense*(1741〜50年刊)
- 確同書は多数の植物について現地名と現地の用法を記録しており、現在も民族植物学の一次資料として用いられる同上
- 確オランダ東インド会社は香辛料の独占価格維持のため、指定地域外の丁子・肉豆蔲の樹を組織的に伐採したVOCのモルッカ統治政策
- 確ボイテンゾルフ(ボゴール)植物園は1817年に植民地政庁のもとで設立され、熱帯植物相の掌握と有用植物の栽培試験の拠点となった現ボゴール植物園およびその沿革
- 確キナ樹はアンデス原産で、1860年代に良質な種子が持ち出されてオランダ領ジャワでの栽培が確立し、20世紀前半には世界のキニーネ供給の大半をジャワが占めたキニーネ生産史
- 確この種子の採取と持ち出しには、イギリス人商人チャールズ・レジャーと、アイマラの協力者マヌエル・インクラ・ママニが関与したレジャーの書簡等キニーネ生産史の記録
- 推ママニはその後ボリビア当局に拘束され、それが原因で死んだと伝えられる同時代の伝聞に基づく記述であり、確認しうる公的記録は乏しい
- 確クリスティアーン・エイクマンは1880年代末のバタヴィアで、精白米を与えた鶏に多発神経炎が生じることを見出した(1929年ノーベル生理学・医学賞)。ただし彼自身の解釈は毒素説であり、欠乏説への定式化は後任のヘリット・グレインス(1901年)によるEijkman のバタヴィア実験報告、Grijns の報告
- 確インドネシア大学は1950年、マラヤ大学は1949年に設立され、いずれも植民地期の医学校等を母体とする各大学の設立経緯
- 確ミクロネシア・カロリン諸島の航法では、恒星の出没点によって32前後の方位が定義されるGladwin, *East Is a Big Bird*(1970年)、Lewis, *We, the Navigators*(1972年)
- 確エタクは、船を静止と見なし参照島が星の方位を横切っていくと捉える相対的な行程計測法である同上
- 確マーシャル諸島のスティックチャートはうねりの屈折と交差を示す学習・記憶用の道具で、航海中に船へ携行されなかったマーシャル諸島の航海術に関する民族誌
- 確アンドリュー・シャープは1956年の著作で、太平洋への拡散を偶然の漂流と片道航海によって説明したSharp, *Ancient Voyagers in the Pacific*(1956年)
- 確1976年、ホクレア号は計器を用いずハワイからタヒチへ航海し、ミクロネシア・サタワル島のマウ・ピアイルグが航法を担当したポリネシア航海協会の航海記録。距離はおよそ4400キロ、所要は一か月あまり
- 確1976年航海のうち伝統航法によったのは往路であり、復路はこれによらない。マウ・ピアイルグは航海後いったん計画から離れた同協会の記録および航海の経緯に関する記述
- 確1980年にはナイノア・トンプソンが同様の方式で往復航海を導いた同協会の記録
- 確太平洋の航法は、誤差の累積を前提に目標島の風下側で探索パターンを走らせるなど、不確実性の処理を手順に組み込んでいるLewis, *We, the Navigators*(1972年)ほか
- 推シャープの漂流説とハイエルダールの南米起源説は、太平洋の航海者による意図的な東航を想定しない点で人種主義的な前提を共有していたと評価しうる両者の立論が伝統航法の存在を検討の対象としなかったことからの解釈
- 推1976年の航海が示したのは古代の航海が「可能であった」ことであり、実際にそう行われたことの直接証拠ではない実演航海の論理的射程についての一般的な理解
- 確ラピタ土器の分布は太平洋への急速な東進を示し、オセアニア諸語の系統関係も拡散の経路と整合するラピタ複合の考古学的編年およびオーストロネシア語族の比較言語学
- 確2020年に発表されたゲノム解析は、東ポリネシアの集団と南米沿岸の集団の1200年ごろの接触を示唆したIoannidis et al., *Nature*(2020年)
- 確ハワイのアフプアアは尾根から海までを一単位とする資源管理区分であるハワイの伝統的土地制度
- 確太平洋各地には漁区を一時的に閉鎖する慣行があり、資源の回復期間を確保する仕組みとして機能してきた太平洋島嶼域の慣習的漁業管理に関する記述
- 確生物多様性条約は第八条(j)で先住民・地域社会の知識の尊重と保全を締約国に求めている生物多様性条約(1992年採択)
- 確名古屋議定書(2010年採択、2014年発効)は、遺伝資源および関連する伝統的知識へのアクセスに事前の情報に基づく同意を求め、生じた利益の配分を締約国に義務づけた同議定書
- 確IPBES地球規模評価報告書(2019年)およびIPCC第六次評価報告書(2021〜22年)は、先住民知・地域知を評価に組み込む必要を明記した両報告書
源流 ── 知はどこで生まれたか
学問が制度になる(学问成为制度 / When Learning Became an Institution)
古代ローマ ── 独創より編纂と法

ローマは、ギリシアの知を輸入した側だった。前2世紀以降、ギリシア語の哲学・医学・数学がローマに流れ込み、キケロはそれをラテン語に移すために語彙そのものを作らねばならなかった。qualitas(性質)のような語は、彼がギリシア語の概念を訳すために鋳造した造語である。ただし「ローマの学問」と呼ばれるものの多くは、実はラテン語で書かれていない。2世紀にアレクサンドリアで『アルマゲスト』を書いたプトレマイオスも、ペルガモン出身の医師ガレノスも、ローマ帝国の市民でありながらギリシア語で著述した。帝国は言語的に二重で、理論的な仕事はおおむね東半分のギリシア語圏に残った。
ラテン語側で起きたのは、独創ではなく編纂だった。大プリニウスの『博物誌』(77年、ティトゥスへの献呈)は全37巻、天文から鉱物、動植物、絵画、薬まで扱う。序文で彼は、100人の著者による2000巻から「記録に値する2万の事項」を集めたと述べ、第一巻をまるごと目次と典拠一覧に充てた。どの巻の記述がどの著者に由来するかを列挙するこの構成は、引用元を明示するという発想の、現存する最も早い大規模な実例のひとつである。プリニウス自身は79年のウェスウィウス噴火のさなか、艦隊を率いて救助と観察に向かい、そこで死んだ。

同じ実用志向は建築にも現れる。ウィトルウィウスの『建築十書』はアウグストゥスに捧げられた(前30〜前20年頃)。建築が満たすべき条件を firmitas(堅牢)・utilitas(有用)・venustas(美)の3語で定式化したことで知られるが、内容の大半は水道、機械、日時計、測量といった技術の記述である。理論を語るためではなく、作るために書かれている。この書物は中世を通じて写本が残り、15世紀初頭に人文主義者の手で「再発見」されて、ルネサンス建築の規範となった。

医学ではケルススの『医学論』(1世紀前半)がある。これは農業・軍事・法学などを含む大百科の一部で、他の部分は失われた。炎症の四徴──発赤・熱感・腫脹・疼痛(rubor, calor, tumor, dolor)──の定式は今も臨床で使われる。書き手は職業医師ではなく教養ある素人だったと長く考えられてきたが、記述の臨床的な細部から医師とみる再評価もある。いずれにせよ、専門知が専門家の外で整理されうるという、ローマ的な知の形をよく示している。この本は1478年にフィレンツェで印刷され、活字になった最初期の医学書の1冊となった。
ガレノス(129年頃〜216年頃、没年には資料により幅がある)は、この時代最大の医学者である。剣闘士の外科医から出発し、皇帝マルクス・アウレリウスの侍医となった。彼は解剖と生体実験を重んじ、公開の場でブタの反回神経を結紮して鳴き声を止めてみせた──神経が声を支配することの、直接の証明である。しかしローマでは人体解剖が行われておらず、彼が切ったのはバーバリーマカクやブタ、ウシだった。
人体をまったく見なかったわけではない。彼自身、アレクサンドリアで骸骨を観察したこと、増水した川が墓から押し流した遺体、掘り返された遺骸、剣闘士の深い裂傷から体内を覗いたことを書き残している。骨学の記述が比較的正確なのはそのためで、誤りは内臓と血管系に集中した。動物で見たものを人体に外挿した結果、脳底に「奇網」という血管網があるとし(有蹄類にはあるが人にはない)、心室中隔に血液が通る孔があるとし、肝臓を五葉とした。
誤りは1300年以上残った。理由はガレノスの体系が内的に整合していたこと、そして、14世紀以降に再開された人体解剖が、テクストの記述を確認する演示として営まれたことにある。ボローニャのモンディーノ・デ・リウッツィは1316年に『解剖学』を著し、以後、公開解剖は大学医学部の恒例になった。だがそこで見るべきものは、あらかじめガレノスが書いていた。解剖は行われていた。行われていなかったのは、書かれたものと目の前のものが食い違ったときに前者を疑うことである。
1543年、ヴェサリウスは『人体の構造について(ファブリカ)』で自ら解剖した所見を提示し、この像を崩した。新しかったのは解剖したことではなく、解剖の目的を変えたことである。ただし中隔の孔について、1543年の彼はまだ「見えない」と当惑を書くにとどめ、明確に否定したのは1555年の第二版である。見えたものが書かれたものに優先するという順序は、1冊の刊行で入れ替わったのではない。誤りの訂正すら段階的だった。
ローマが独自に生み出した「学」があるとすれば、それは法である。ユスティニアヌス帝の命でトリボニアヌスらが編纂した『学説彙纂(ディゲスタ)』は533年12月16日に公布され、同月30日に施行された。数世紀にわたる法学者の著作──伝えられるところでは2000巻近く──を50巻に圧縮したもので、原典の大半はこれを通してしか残っていない。決定的なのはその形式である。各条文には「ウルピアヌス『告示註解』第何巻より」といった出典が付されている。法は権力者の命令ではなく、名を持つ専門家の議論の集積として提示された。これが法を学問にした。
『学説彙纂』は単体の書物ではなく、四つの部分からなる事業の中心だった。皇帝の法令を集成した『勅法彙纂(コーデクス)』(初版529年、改訂版534年)、法学者の学説を編んだ『学説彙纂』(533年)、学生向けの教科書『法学提要(インスティトゥティオネス)』(533年11月21日公布、学説彙纂と同じ12月30日施行)、そして534年以降の追加立法『新勅法(ノヴェッラエ)』である。ノヴェッラエだけは公式の集成が完成せず、私的な編集で伝わった。この四部を「ローマ法大全(Corpus Iuris Civilis)」と総称するのは16世紀の慣行で、ゴトフレドゥスの1583年版に由来する。実定法・学説・教科書・追加立法という区分は、法を運用と教育の両面から支える構えを示している。
ただし委員会は原文をそのまま写したのではない。時代遅れの条文を削り、語を置き換え、複数の文を接合した。この改変(インテルポラティオ、「トリボニアヌスの継ぎはぎ」とも呼ばれる)は19世紀以降の法史学の主要な研究対象となり、どこまでが古典期の法学者の言葉かを剥がす作業が今も続いている。学説彙纂は古典法学を保存したが、同時に、保存されなかった部分を決定的に失わせた。
11世紀末から12世紀初頭のボローニャでこの写本が読み直され、イルネリウスに始まる註釈学派が行間に註を書き込みはじめる。教師と学生の団体(ウニウェルシタス)が数十年かけてそこから形をとり、のちに「ヨーロッパ最古の大学」と呼ばれるものになった。ただし「1088年創立」という年号は、1888年の創立記念祭にあたって遡及的に定められたものであり、パリとの先後も決着していない。制度の起源は、たいてい後から日付を与えられる。
ただし「編纂のローマ」という括りは一面的でもある。測量技師(アグリメンソレス)の体系とグローマによる区画割り、コンクリートとアーチによる構造技術、ウァロやコルメラの農学、そして前45年に施行されたユリウス暦は、いずれもローマで実質的に展開した知である。理論的独創が乏しかったことと、独自の知がなかったこととは別である。理論よりも運用に強い知の型があった、というのが正確なところだろう。
その後の1000年、ラテン語は学術の共通語であり続けた。ニュートンの『プリンキピア』(1687年)もガウスの『整数論研究』(1801年)もラテン語である。だがギリシア語圏との断絶の代償は大きかった。西方ラテン世界にはギリシア科学のごく一部しか翻訳されず、多くが読めなくなった。それらは8〜10世紀のバグダードでアラビア語に訳され、12世紀のトレドで今度はアラビア語からラテン語へ訳し戻される。クレモナのゲラルドゥスが『アルマゲスト』を訳し終えたのは1175年である。ガレノスの『解剖手技』の後半部はギリシア語原典が失われ、アラビア語訳でしか読めない。知は1本の線で伝わったのではなく、大きく迂回して戻ってきた。
学会・学術誌・実験 ── 17世紀の制度化
知の営みが集団的に組織された例は、17世紀以前にも各地にある。マラーゲやサマルカンドの天文台は複数の観測者を長期に束ね、アッバース朝の翻訳事業は組織的に知を移した。中世ヨーロッパの大学も、註釈と公開討論(quaestio disputata)の作法を数世紀かけて練り上げていた。17世紀ヨーロッパで新しかったのは組織そのものではなく、組織が何を保証したかである。誰が何をいつ見つけたのかを日付入りで確定し、他人の主張を集団で検証し、その結果を継続的に公刊する。この三つが一つの仕組みに束ねられたことに新しさがあった。逆に言えば、それ以前は、成果は書簡でやりとりされ、発見は秘匿されるか、パトロンへの献呈品として扱われていた。
1603年、18歳のフェデリコ・チェージが友人3人とローマで結成したリンチェイ・アカデミア(山猫の眼のように鋭い観察者、の意)は、その最初の応答だった。ガリレオは1611年に会員となり、学会は『太陽黒点論』(1613年)や『偽金鑑識官』(1623年)を出版した。だが1630年にチェージが死ぬと学会は事実上消滅する。個人の富に依存した組織の脆さが露呈した。
フィレンツェのアカデミア・デル・チメント(実験学会、1657〜67年)は別の解を試した。合言葉は「試し、また試す」。1667年の『自然実験集成』は個人名を伏せた集団の著作として刊行された。誰の手柄でもないことにすれば争いは起きない。しかしこの方式は普及しなかった。結局のところ、人を研究に向かわせる動機のひとつは名前が残ることだったからである。
ロンドンでは1660年11月28日、グレシャム・カレッジでのクリストファー・レンの天文学講義のあと、聴衆12人が集まって「物理数学的・実験的な学問を推進する学寮」の設立を決めた。原文の physico-mathematicall という語は、実験と数学的自然学を結びつけるという当時の綱領を示している。これが設立の日である。国王チャールズ二世による最初の勅許は1662年7月15日、翌1663年の第二勅許で「自然知識を増進するためのロンドン王立協会」という名称が定まった。設立年と勅許年は区別されるべきで、前者は私的な集まりの発足、後者は法人格の付与を意味する。標語 Nullius in verba(誰の言葉も鵜呑みにしない)を掲げながら、協会は国庫からほとんど金を受け取らず、会費滞納に長く苦しんだ。

| 年 | 何が | 併記すべきこと |
|---|---|---|
| 1603年 | リンチェイ・アカデミア(ローマ) | 1630年にチェージが死ぬと事実上消滅。個人の富に依存した組織の脆さ |
| 1660年11月28日 | 王立協会の発足(ロンドン、聴衆12人) | 勅許は1662年7月15日、名称の確定は1663年 |
| 1665年 | 『ジュルナル・デ・サヴァン』(1月5日、パリ)と『フィロソフィカル・トランザクションズ』(3月6日、ロンドン) | 後者は書記オルデンバーグ個人の事業。暦が二つあり、先後は一意に決まらない |
| 1810年10月 | ベルリン大学が256名の学生で開講 | フンボルトの在職は16か月ほどで、開学前に辞任 |
| 1862年7月 | モリル法 ── 連邦議会議員1人当たり3万エーカーの公有地 | 原資は約1070万エーカー、約250部族、162件の割譲 |
| 1876年 | ジョンズ・ホプキンズ大学 ── 大学院での研究を主目的とする最初の研究大学 | 約350万ドルの基金から出発 |
| 1890年 | 第二次モリル法 | 高等教育を広げた法が、同時に分離を制度に書き込んだ |
| 1950年5月 | 全米科学財団(NSF) | 初年度は管理運営費22万5000ドルのみ。研究助成は翌年度、約350万ドル |
| 1954年9月29日 | 欧州原子核研究機構(CERN)条約発効 | 原加盟12か国 |
| 1957年7月〜1958年12月 | 国際地球観測年(IGY) | 67か国が参加。延長線上に1959年12月の南極条約 |
表5学問を支える器は、いつどこにできたか
1666年のフランス科学アカデミーは正反対だった。コルベールが設計し、会員の一部は国王から年金を受け、フランス全土の測量やパリ子午線の決定といった国家的課題を割り当てられた。もっとも成文の規約はしばらく存在せず、俸給の等級(3000・1800・1200リーヴル)と定員・階層が定められるのは1699年1月26日の規約による。自弁の紳士たちの自由な結社か、俸給を受ける国家の頭脳か。この二つの型は今日まで各国の研究体制に影を落としている。
1665年3月6日、王立協会書記のヘンリー・オルデンバーグが『フィロソフィカル・トランザクションズ』を創刊した。同年1月5日にパリで出た『ジュルナル・デ・サヴァン』に二か月遅れる。しかも当時の英国はユリウス暦を用いていたから、この3月6日は大陸の暦では3月16日にあたり、実際の差はさらに10日大きい。英国の年始が3月25日だったため、当時の表記は「1664/65年3月6日」となる。どちらが先かという単純な問いさえ、暦が二つあれば一意には答えられない。

重要なのは、これが協会の公式刊行物ではなくオルデンバーグ個人の事業で、損益も彼が負ったことである。それでも機能は決定的だった。私信のやりとりが、日付入りで公開される記録になった。誰が先かを事後に確定できるようになったのである。ロバート・フックが1676年にばねの法則をアナグラム ceiiinosssttuv として公表し、1678年に ut tensio sic vis(伸びのごとく力あり)と明かしたのは、秘匿と公開のあいだの過渡的な作法だった。ニュートンとライプニッツの微積分優先権争いでは、1712年に王立協会が調査委員会を設け、報告書を会長のニュートン自身が起草するという有様になった。優先権が制度の中心問題になった証拠である。
査読はこれよりずっと遅れて、段階的に成立した。エディンバラの『医学論集』(1731年)の序文には論文を会員に回覧して判断させる旨の記述があり、王立協会が1752年に『トランザクションズ』の財政を引き受けた際に論文委員会を設けた。だがこれらは編集主体による内部審査であり、外部の匿名専門家が採否を決める現代型の査読が分野を越えて標準になるのは20世紀半ば以降である。1936年、アインシュタインは『フィジカル・レビュー』に送った論文が匿名の査読者に回されたことに憤慨し、原稿を撤回して別誌に出した。当時のドイツ語圏の慣行では、編集者が信頼する著者の原稿はそのまま載るのが普通だったからである。
方法論の側では二つの構想が競った。フランシス・ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』(1620年)は、三段論法ではなく事実の集積からの帰納を説き、人間が陥る偏見を四つの「イドラ」として分類した。死後刊行の『ニュー・アトランティス』(1627年)が描く「ソロモンの家」は、実験者・記録者・解釈者に分業した研究機関の構想で、王立協会の創設者たちはこれをしばしば引き合いに出した。一方デカルトの『方法序説』(1637年)は、疑いうるものを排して確実な出発点から演繹する道を示し、しかもラテン語ではなくフランス語で書かれた。集める方法と、疑う方法。近代科学はこの二つの緊張の上に立った。
実験がなぜ知識になるのかは、自明ではない。シェイピンとシャッファーは『リヴァイアサンと空気ポンプ』(1985年)で、ボイルの空気ポンプ実験を素材にこれを論じた。装置は air-pump(機械的な抽気装置、machina Boyleana)であって、そこに真空が生じているのか否かこそが係争点だった。彼らの整理では、事実の生産には三つの技術が要る。装置そのもの(物質的技術)、失敗を含めて冗長に書くことで読者を「その場に居合わせた証人」にする記述法(文学的技術、彼らのいう仮想的証言)、そして誰の証言なら信用できるかを定める社会的規約である。

ボイルの実験は、身分ある紳士の面前で行われることによって公的な事実になった。逆に言えば、実験室は入場を制限された私的な空間でありながら、そこでの出来事を万人に妥当するものとして通用させたのである。ホッブズはこれを二重に攻撃した。装置は漏れており真空は示されていない、そもそも真空は原理的にありえない、と技術的に。そして、個別の事実をいくら積んでも哲学が求める確実な知には届かず、私的な集会が独自の権威を主張することは内乱を経たばかりの秩序にとって危険である、と原理的に。両者の対立は自然についてであると同時に、誰が何を根拠に語ってよいかについての対立だった。同書が「知識の問題への解決は、社会秩序の問題への解決でもある」と結ぶのはそのためである。
言語も変わった。ガリレオは『天文対話』(1632年)をイタリア語で、デカルトは前述のとおりフランス語で書き、『トランザクションズ』は主として英語で編まれた(創刊期にはラテン語の寄稿や書簡の転載も併載されている)。専門家の閉じた共同体ではなく、読み書きのできる公衆に向けて書くという選択である。ただし移行は一様ではない。ニュートンの主著もガウスの主著もラテン語であり、分野によっては19世紀までラテン語が残った。共通語が一つ失われ、複数の国語が並立する時代がしばらく続く。
研究大学の発明 ── ベルリンからアメリカへ

18世紀の終わり、ヨーロッパの大学の評判は低かった。神学・法学・医学の職業訓練所であり、新しい知は大学の外の学会やサロンで生まれていた──もっとも、この「18世紀の大学は衰退していた」という像は、大学を批判した当時の知識人の言い分を後世が受け継いだもので、近年の大学史研究は修正を加えている。フランス革命政府は大学を廃止し、代わりにエコール・ポリテクニク(1794年)などの専門高等教育機関を作った。研究は科学アカデミーが、教育はグランド・ゼコールが担う分業である。ドイツ語圏の答えはこれと違った。ハレ(1694年)やゲッティンゲン(1737年開学)はすでに、蔵書を大規模に整備し、少人数の演習で原典を読ませる方式を導入していた。
1806年のイエナ・アウエルシュテットの敗戦と、翌1807年7月のティルジット条約によって、プロイセンは領土のほぼ半分を失った。ハレ大学も国外になった。国家再建の一環として、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世が1809年8月16日にベルリン大学の設立を裁可し、大学は1810年10月に256名の学生で開講する。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが内務省文教局長を務めたのは1809年から翌年までの16か月ほどで、彼は開学前に辞任している。彼の構想を記した覚書「ベルリンにおける高等学術施設の内的および外的組織について」は未完のまま草稿に留まり、公刊されたのは19世紀末である。したがって「フンボルト理念が1810年に大学を作った」という語りは、後から整えられた面が大きい──この点は研究史上、繰り返し論争になってきた。
それでも理念の内容は明確だった。教師は既成の知識を伝える者ではなく研究する者であり、学生は聴くだけでなく研究に参加する(研究と教授の統一)。そのためには外部の干渉から守られた「孤独と自由」(Einsamkeit und Freiheit)、すなわち教える自由と学ぶ自由が要る。従来は下位に置かれていた哲学部(今日でいう人文・理学)が、職業学部の上位に位置づけられた。初代の選挙による総長はフィヒテだった。
理念を運ぶ器になったのがゼミナールと学位論文である。ゼミナールはもともと古典文献学の教員養成の場で、10人程度が原典を読み、各自が新しい読解を提出して批判を受けた。ランケが1830年代のベルリンで歴史学に持ち込んだとき、学生は史料そのものを扱って自分の判断を述べることを求められた。同時に博士論文は、古い形式的な公開討論から、未発表の新知見を要求する成果物へと変質した。研究者を再生産する装置がここで完成する。
実験科学には別の器が要った。ユストゥス・フォン・リービヒは1824年、21歳でギーセン大学に着任し、学生が自ら手を動かす実験室を教育の中心に据えた。決定的だったのは1831年に彼が考案したカリアパラート(五球式の吸収装置)で、これにより有機化合物の炭素・水素の定量が短時間で確実にできるようになった。熟練の職人芸だった分析が、訓練可能な手続きになったのである。ホフマン、ケクレ、ヴュルツらが彼のもとを通り、英米からも学生が集まった。ただし、ギーセンを最初から「大量養成工場」として構想されたものと見る通説には、実際には研究のための施設が結果として教育機能を持ったのだ、という異論がある。
アメリカはこの制度を輸入した。1815年にゲッティンゲンへ渡ったティックナーやエヴァレットに始まり、19世紀を通じて数千人規模──よく引かれる推計では1万人近く──のアメリカ人がドイツの大学で学んだ。イェールが自前の博士号を初めて3人に授与したのは1861年である。そして1876年、ボルティモアに開学したジョンズ・ホプキンズ大学が、大学院での研究を主目的とする最初の本格的な研究大学となった。商人にして投資家(ボルティモア・アンド・オハイオ鉄道の大株主)だったジョンズ・ホプキンズが1873年に遺した約700万ドル──当時のアメリカで最大の慈善遺贈──は、遺言により大学と病院にほぼ折半され、大学は約350万ドルの基金から出発した。
初代学長ギルマンは学部教育より大学院フェローシップに資源を集中し、英国から数学者シルヴェスターを招いて1878年に『アメリカ数学ジャーナル』を創刊した。研究し、学生を訓練し、雑誌を出す──ドイツ型の3点セットである。なお、ホプキンズを終生の奴隷制廃止論者とする大学の公式記述は、2020年に大学自身の調査によって覆された。1850年の国勢調査は彼の世帯に奴隷とされた人々を記録している。基金の出所は、制度の性格と無関係ではない。

もう一つの流れは公費だった。1862年7月、リンカーンが署名したモリル法は、連邦議会議員1人当たり3万エーカーの公有地を各州に与え、その売却益で農学と工学を教える大学を設立させた。多くの州立大学がここから生まれ、高等教育の対象が階層的に広がった。ただし配分された土地の大半は、条約や強制移住によって先住民から取り上げられたものであり、近年の調査は約1070万エーカー、約250部族、162件の割譲という規模で筆数と部族名を具体的に特定している。

制度の成立を語るなら、その原資も語られねばならない。
恩恵の配分にも限定があった。1862年法の利益は白人にほぼ限られており、1890年の第二次モリル法は、人種を理由に入学を拒まないか、別個の機関を設けるかを州に求めた。後者を選んだ南部諸州に、黒人のための州立農工大学(いわゆる1890年ランドグラント校)が生まれる。高等教育を広げた法は、同時に分離を制度に書き込んだ法でもあった。1887年のハッチ法は農事試験場に連邦資金を投じ、州立大学に研究予算が流れる回路を作った。
第二次大戦がこの構造を一変させる。ヴァネヴァー・ブッシュが率いた科学研究開発局(OSRD)は、大学の研究者を軍に組み込むのではなく、大学に契約で仕事を出す方式をとった。MITの放射線研究所のレーダー、ペニシリンの量産、近接信管がその産物である。そしてマンハッタン計画は、総額およそ20億ドル、ピーク時に10万人以上を動員し、1945年7月16日のトリニティ実験に至った。区画化された秘密保持、産業規模の設備、軍の指揮系統。科学者は国家の資源であり、同時に国家の管理下に入った。広島・長崎の後、多くの参加者が公開書簡や運動に転じたのは、その関係の重さを自覚したからである。
1945年7月、ブッシュはトルーマンに報告書『科学──果てしなきフロンティア』を提出した(依頼したのは前年11月のローズヴェルトで、彼は提出前に死去している)。基礎研究は応用の源泉であり、平時にも政府が大学の基礎研究を支えるべきだ、という主張である。ただし実現は難航した。新機関を大統領が統制するか独立理事会が統制するか、特許の帰属をどうするかで対立し、1947年の法案はトルーマンに拒否権を行使された。
全米科学財団(NSF)の設立は1950年5月まで遅れ、初年度(1951会計年度)に議会が認めたのは22万5000ドルの管理運営費だけだった。研究助成の予算がつくのは翌年度(約350万ドル)で、最初の交付は1952年2月である。その間、海軍研究局、原子力委員会、国立衛生研究所が実質的な資金源となった。なお、ブッシュの報告に帰される「基礎研究→応用→開発」という直線モデルは、報告書自体の読み直しから疑問視されてもいる。
ロシア・ソ連 ── 国家と科学の緊張
ロシアの科学は、社会の内側から生えたのではなく、上から移植された。ピョートル一世は1697〜98年の大使節団で西欧を視察し、その後ライプニッツと書簡を交わし数度会っている。アカデミー設立の元老院令が出たのは1724年1月28日(旧暦、新暦では2月8日)で、実際に活動が始まったのは翌1725年、ピョートルの死後である。この機関は西欧のアカデミーとひとつ違っていた。ロシアには大学も中等教育も整っていなかったため、アカデミーに大学とギムナジウムが付属させられた。研究機関が教育機関を産むという、逆向きの順序である。
人材は輸入するほかなかった。ヨハン・ベルヌーイの息子ダニエルとニコラウス二世が1725年に招かれ(ニコラウスは着任の翌年ペテルブルクで病死する)、その縁で1727年、20歳のレオンハルト・オイラーがバーゼルから着いた。彼は1741年までここで働き、ベルリンに移って25年を過ごしたのち、1766年に戻って1783年に没した。晩年はほとんど視力を失っていたが、口述によって生産量はむしろ増え、その膨大な論文はアカデミーの紀要に載り続けた。ロシア人としてアカデミーで重きをなした最初の1人はロモノーソフ(1711〜65年)で、彼は1755年のモスクワ大学創設に関わった。移植された制度が土着化するまでに、およそ半世紀かかった。
その土壌から出た仕事は、しばしば外から見えなかった。カザン大学のニコライ・ロバチェフスキーは、平行線公準を捨てた幾何学を1826年に講演し、1829〜30年に地方誌『カザン報知』にロシア語で発表した。首都の権威オストログラツキーは否定的な評価を下し、この仕事は長く無視される。彼は1837年にクレレ誌(『純粋・応用数学雑誌』第17巻)へフランス語で "Géométrie imaginaire" を、1840年にはドイツ語で『平行線論の幾何学的研究』を出したが、反応は乏しいままだった。ほぼ同じ結論をラテン語で発表したハンガリーのボヤイ・ヤーノシュ(1832年)も黙殺されている。
周辺の言語と媒体という不利は確かにあった。だがより大きな障害は、平行線公準を捨ててよいという主張自体が受け取られなかったことである。評価が動くのは、ガウスが書簡でロバチェフスキーを高く評価していたことが1860年代に公刊され、さらにベルトラミやクラインが非ユークリッド幾何にモデルと解釈を与えてからだった。周辺性と、主張そのものの新奇さ。無視には二つの理由があり、後者のほうが重い。制度と言語の非対称は働いていたが、それだけではなかった。
ドミトリー・メンデレーエフの周期表(1869年3月6日、新暦。ロシア化学会で本人不在のまま代読された報告)は、逆に世界に届いた。届いた理由は表そのものではなく、表が空白を残し、そこに入る未知元素の性質を数値で予言したことである。エカアルミニウムは1875年にガリウムとして、エカホウ素は1879年にスカンジウムとして、エカケイ素は1886年にゲルマニウムとして見つかり、比重や酸化物の性質が予言とよく合った。ほぼ同時期にロータル・マイヤーも類似の周期性に到達しているが、検証可能な予言を出したことがメンデレーエフの位置を決めた。
革命後、アカデミーは廃止されるどころか強化された。1925年にソ連科学アカデミーと改称され、1934年に本部がモスクワへ移り、傘下に多数の研究所を抱える巨大組織になる。研究を大学ではなくアカデミー附置研究所に集中させるこの構造は、資源を計画的に投入できる反面、教育と研究を制度的に切り離した。五か年計画のもとで研究課題が上から割り当てられる「計画科学」が試みられ、成果は分野によって大きく異なった。数学と理論物理学は世界最高水準の学派を育て、確率論を公理化したコルモゴロフや、体系的な理論物理学の教程を残したランダウの名が残る。1938年に逮捕されたランダウが翌年釈放されたのは、カピッツァがスターリン宛に身元を引き受ける書簡を書いたからだった。
1957年10月4日、スプートニク一号(83.6キログラム)が軌道に乗った。設計を率いたセルゲイ・コロリョフは「主任設計者」とだけ呼ばれ、実名が公表されたのは1966年の死後である。彼は1938年に逮捕されてコルィマの収容所に送られ、のちに収容所内の設計局に移されて航空機の仕事をしていた。この「シャラーシカ」と呼ばれる獄中設計局は制度として運用され、1937年に逮捕された航空機設計者ツポレフは、収容下の設計局で爆撃機Tu-2を設計した。ソルジェニーツィンが『煉獄のなかで』に描いたマルフィノの研究所も同種の施設である。国家は科学者を投獄したうえで、その頭脳を使い続けた。
生物学では、政治が学問の内容そのものを裁いた。トロフィム・ルイセンコは春化処理(低温処理による開花促進)の効果を誇大に唱えて1930年代に台頭し、獲得形質の遺伝を認めない遺伝学を「ブルジョア的」と攻撃した。植物遺伝資源の世界最大級の収集を築いたニコライ・ヴァヴィロフは1940年8月に逮捕され、翌年死刑判決を受けて減刑されたのち、1943年1月26日にサラトフの獄中で栄養失調により死んだ(公式の死亡記録と名誉回復文書はジストロフィーと記す)。レニングラード封鎖下では、彼の種子コレクションを守った職員9名が、食用にできる種子に囲まれたまま餓死している。決定的だったのは1948年8月の全ソ農業科学アカデミー総会で、ここで遺伝学は事実上禁じられ、多数の研究者が職を失い、大学での教育も止まった。
ただし被害の性質は正確に見るべきである。個人への弾圧は分野を選ばなかった。1936年には数学者ルジンが集団的糾弾にかけられ(ルジン事件)、1937〜38年には物理学者ブロンシテインとシュブニコフが銃殺され、ランダウも逮捕されている。1949年には、量子力学と相対性理論を「観念論」として断罪する全ソ物理学会議が準備されもした(直前に中止された)。生物学が特異だったのは、分野の理論そのものが公式に否定され、研究職と大学教育から排除された点である。核開発が物理学者を必要としたことが、その差の理由としてしばしば挙げられる。ルイセンコの権勢はスターリンの死後に衰え、彼が完全に失脚するのは1964〜65年である。国家が科学を強力に支えるという構図と、国家が科学の内容を決めうるという構図は、同じ制度の表裏だった。
現代 ── 国際化と再編
第二次大戦後、物理学は個人の実験室に収まらない規模になった。アルヴィン・ワインバーグが1961年に「ビッグ・サイエンス」という語で論じ、デレク・デ・ソラ・プライスが『リトル・サイエンス、ビッグ・サイエンス』(1963年)で科学の指数関数的成長を計測した通りである。欧州原子核研究機構(CERN)は、1953年に条約が署名され1954年9月29日に発効した。原加盟12か国。単独では加速器を持てない戦後ヨーロッパが、中立地に共同施設を置き、頭脳流出を止めるという政治的動機が背景にあった。2012年7月4日にヒッグス粒子らしき信号が公表されたとき、2本の論文の著者はそれぞれ3000人規模に達していた。誰が発見者かという問いが、もはや意味をなさない形で。

国境を越える観測網も生まれた。1957年7月から1958年12月までの国際地球観測年(IGY)には67か国が参加し、南極、電離層、宇宙線などを同時観測した。スプートニクはこの枠組みのなかで打ち上げられている。米ソが最も鋭く対立した時期に共同観測が成立し、その延長で1959年12月に南極条約が署名された(発効は1961年)。同時に、スプートニクへの反応としてアメリカは1958年にNASAとARPA(のちのDARPA)を設け、国防教育法で理数教育に連邦資金を投じた。冷戦は科学の国際化と国家化を同時に加速させた。予算規模は象徴的で、NASAの支出は1966年に連邦予算の4%台に達し、その後は下がり続けた。

21世紀に入って地図が変わった。中国は2000年代以降、研究開発投資を継続的かつ急速に増やし、論文数でも2010年代後半には自然科学系の産出量で世界最大級となった。ただし数値は年次で動き、どのデータベースを使うか、共著をどう数えるかで順位も比率も変わる。断定的な最新値より、傾向として見るのが妥当である。傾向としては、総量だけでなく被引用上位層の比率でも2010年代後半から20年代にかけて存在感が増した一方、分野ごとの偏りは大きい。注目すべきは制度の側の動きで、中国政府は2020年前後に、論文数や掲載誌指標に依存した評価と論文1本ごとの報奨金を抑制する方針を公式に打ち出している。量的拡大の副作用を、拡大した当事者が問題化した。
その副作用の中心にあるのが評価指標である。ユージン・ガーフィールドは1955年に引用索引の構想を発表し、1964年に科学引用索引(SCI)を実現した。雑誌のインパクトファクターは本来、図書館が購読誌を選ぶための道具だった。それが研究者個人と論文の価値の代理指標に転用されたとき、統計的な難点が露呈する。ある雑誌の引用は少数の論文に極端に偏っており、平均値は個々の論文をほとんど予測しない。この点は1990年代に繰り返し指摘され、サンフランシスコ研究評価宣言(DORA、2013年)とライデン声明(2015年)という対抗規範を生んだ。図書館の選書のための比率が人事と資金の判断材料になるまでに、半世紀とかからなかったことになる。
流通と信頼性の側でも再編が進んだ。1991年に物理学のプレプリントサーバ arXiv が動きはじめ、2002年のブダペスト・オープンアクセス提唱、2018年のプランSへと、購読料に閉ざされた流通を開く動きが続いた。ただしオープンアクセスは費用を読者から著者へ移し、論文掲載料を払えるかどうかという新しい非対称を生んだ。同じ時期、再現性の問題が表面化する。2015年に心理学の100件の追試計画が公表され、判定の基準によって再現率が36%から68%まで動くことが示された。製薬企業の研究者による同種の報告もあったが、対象論文の一覧も生データも公開されておらず、独立の検証はできない。2023年には撤回論文が年間1万本を超えたと報じられたが、その多くは特定の出版社による一括撤回であり、単純な劣化の指標としては読めない。
最後に言語がある。英語という共通語は、ロバチェフスキーが20年待たされたような事態を大幅に減らした。世界のどこの誰でも同じ雑誌を読み、同じ会議で議論できる。だが可能にしたものの裏で、見えなくなったものもある。生物多様性保全の文献調査では、対象文書の三分の一以上が英語以外で書かれており、英語だけを読む研究者はその地域固有の知見にアクセスできない。非英語母語話者は同じ論文を読むのに要する時間も投稿の言語的リジェクト率も明確に高い、という調査も報告されている。共通語は参加の条件であると同時に、参加の費用でもある。ローマがギリシア語の知をラテン語に移すのに数世紀を要し、その過程で失われたものがアラビア語を迂回して戻ってきたように、学問の国際化はつねに翻訳の損益計算を伴う。制度は知を運ぶが、運ばれない知を同時に作り出す。
事実の台帳 確 111 / 推 8 / 争 7
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確キケロはギリシア哲学の概念を訳すためにラテン語の語彙を新造した(qualitas など)キケロ『アカデミカ』ほかの自作についての言及
- 確プトレマイオスとガレノスはローマ帝国下の人物だがギリシア語で著述した『アルマゲスト』『解剖手技』ほかの原典言語
- 確大プリニウス『博物誌』は全37巻、77年にティトゥスへ献呈された同書序文
- 確『博物誌』序文は「100人の著者の2000巻から2万の記録に値する事項を集めた」と述べ、第一巻は目次と典拠一覧である同書第一巻
- 確大プリニウスは79年のウェスウィウス噴火の際に死んだ小プリニウス『書簡集』6.16(タキトゥス宛)
- 確ウィトルウィウス『建築十書』はアウグストゥスに献呈され、firmitas・utilitas・venustas を建築の要件とした同書第一書三章
- 推『建築十書』の成立は前30〜前20年頃献呈相手と内容からの推定で、資料により幅がある
- 確ケルスス『医学論』は炎症の四徴(rubor, calor, tumor, dolor)を定式化した同書第三巻
- 確『医学論』は1478年にフィレンツェで印刷されたインキュナブラ書誌
- 争ケルススが職業医師であったか著作の構成と叙述態度から教養ある素人とみる通説的推定に対し、臨床記述の具体性を根拠に医師とみる再評価がある
- 確ローマでは人体解剖が行われず、ガレノスは主にバーバリーマカクやブタを解剖したガレノス『解剖手技』
- 確ガレノスは公開の場でブタの反回神経を結紮し発声が止まることを示したガレノス『解剖手技』の記述
- 確ガレノスは骨格については人骨や露出した遺体、剣闘士の裂傷を観察する機会を得たと自ら記しており、骨学の記述は比較的正確で誤りは内臓・血管系に集中するガレノス『骨について』『解剖手技』
- 確奇網(rete mirabile)の人体への存在、心室中隔の孔、五葉の肝臓を説いた『身体諸部分の用途について』ほか
- 確西欧の人体解剖は14世紀初頭に再開し、モンディーノ・デ・リウッツィ『解剖学』(1316年)以降、大学医学部で恒例の公開解剖が行われた同書および中世大学の学則
- 確ヴェサリウス『ファブリカ』は1543年刊バーゼル、オポリヌス刊本
- 確心室中隔の孔について、ヴェサリウスは1543年版では疑問を呈するにとどまり、1555年第二版で明確に否定した両版の該当箇所の比較
- 争ガレノスの死年216年頃とする説と199年頃とする説があり、アラビア語伝承をどう扱うかで分かれる
- 確『学説彙纂』は533年12月16日に公布、同月30日に施行された勅法 Tanta / Δέδωκεν
- 確『学説彙纂』の各条文には法学者名と著作名が出典として付されている同書本文の形式
- 確ユスティニアヌス法典群は勅法彙纂(初版529年・改訂534年)、学説彙纂(533年)、法学提要(533年11月21日公布)、新勅法(534年以降)からなり、新勅法は公式の集成が完成しなかった各構成部分の公布勅法
- 確「Corpus Iuris Civilis」という総称は16世紀の呼称であるディオニュシウス・ゴトフレドゥス版(1583年)
- 確『学説彙纂』の編纂委員会は原文を削除・置換・接合しており、この改変(インテルポラティオ)は19世紀以降の法史学の主要な研究対象である学説彙纂本文の批判的校訂とインテルポラティオ研究の伝統
- 確11世紀末から12世紀初頭のボローニャで『学説彙纂』が読み直され、イルネリウスに始まる註釈学派が生まれた註釈学派の伝統
- 推ボローニャの「1088年創立」は1888年の創立800年記念祭にあたって遡及的に定められた年代であり、「ヨーロッパ最初の大学」という順位づけはパリとの比較で決着していない記念祭委員会の決定と、大学成立史(ウニウェルシタスの形成過程)の研究
- 確測量技師(アグリメンソレス)の体系、コンクリートとアーチの構造技術、ウァロ・コルメラの農学、前45年施行のユリウス暦は、いずれもローマで実質的に展開した知である各技術書および暦法改革の記録
- 確ニュートン『プリンキピア』(1687年)とガウス『整数論研究』(1801年)はラテン語で書かれた各初版
- 確クレモナのゲラルドゥスは1175年にトレドで『アルマゲスト』のラテン語訳を完成した訳稿の奥書
- 確ガレノス『解剖手技』の後半部はギリシア語原典が失われ、アラビア語訳で伝わる現存写本の状況
- 確17世紀以前にも集団的に組織された知の営みがあった(マラーゲ・サマルカンドの天文台、アッバース朝の翻訳事業、中世大学の公開討論)各天文台の観測記録および中世大学の学則
- 確リンチェイ・アカデミアは1603年にフェデリコ・チェージらによって創設され、ガリレオは1611年に加入した学会記録
- 確同学会はガリレオ『太陽黒点論』(1613年)と『偽金鑑識官』(1623年)を刊行した各初版の刊記
- 確アカデミア・デル・チメントは1657〜67年に活動し、『自然実験集成』(1667年)を著者名を出さずに刊行した同書
- 確王立協会は1660年11月28日のグレシャム・カレッジでの会合に発し、勅許は1662年7月15日、名称確定は1663年の第二勅許協会の設立記録および勅許状
- 確1660年11月28日の覚書の文言は "a Colledge for the Promoting of Physico-Mathematicall Experimentall Learning" である同覚書
- 確王立協会は国庫からの支援をほとんど受けず、会費の滞納に長く苦しんだ協会の会計記録および評議会記録
- 確フランス科学アカデミーは1666年にコルベールの主導で設立され、一部会員は国王の年金を受けた。俸給の等級(3000・1800・1200リーヴル)と定員・階層を定めた規約は1699年1月26日設立時の体制および1699年規約
- 確『フィロソフィカル・トランザクションズ』は1665年3月6日創刊、オルデンバーグの個人事業だった創刊号および協会史
- 確『ジュルナル・デ・サヴァン』は1665年1月5日に創刊された創刊号
- 確当時の英国はユリウス暦を用い年始が3月25日だったため、『トランザクションズ』創刊日は大陸の暦では3月16日、当時の表記では「1664/65年3月6日」となる英国の暦制(グレゴリオ暦採用は1752年)
- 確フックは1676年にばねの法則をアナグラムで公表し、1678年に ut tensio sic vis と明かした『太陽望遠鏡について』および『復元力について』
- 確微積分優先権をめぐり王立協会は1712年に委員会を設け、その報告をニュートン自身が起草したCommercium Epistolicum(1713年)の成立事情
- 確王立協会は1752年に同誌の刊行責任を引き受け、論文委員会を設けた協会評議会記録
- 確エディンバラ『医学論集』(1731年)の序文は、原稿を会員に回覧する手続きを記している同書序文
- 推外部査読が分野横断的に標準化するのは20世紀半ば以降主要誌の運用開始時期の集積からの評価。誌ごとの年次には異説がある
- 確アインシュタインは1936年に『フィジカル・レビュー』へ送った論文が査読に回されたことに抗議し、撤回した同誌編集部との往復書簡(1937年に Journal of the Franklin Institute へ発表)
- 確ベーコン『ノヴム・オルガヌム』は1620年刊、『ニュー・アトランティス』は死後の1627年刊各初版
- 確デカルト『方法序説』(1637年)はフランス語で書かれた初版
- 確シェイピン゠シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ』(1985年)は、ボイルの空気ポンプ(air-pump, machina Boyleana)をめぐる論争を素材に、事実の生産を物質的・文学的・社会的技術の三層で分析し「仮想的証言」概念を提出した。同書の眼目は、入場を制限された私的空間で得られた事実が公共的な事実として通用する作法の分析にある同書
- 確ホッブズはボイル批判において、装置の気密の不完全さ、真空の原理的不可能性、実験的事実からは哲学的確実性が得られないことの3点を挙げたホッブズ『物体論』『自然学対話』
- 争実験的事実が社会的合意に依存する程度構成主義的説明と、実験の物質的拘束力を強調する立場が対立する
- 確ガリレオ『天文対話』(1632年)はイタリア語で書かれた初版
- 確『フィロソフィカル・トランザクションズ』創刊期は主として英語だが、ラテン語の寄稿や書簡の転載も併載された創刊期各号
- 確エコール・ポリテクニクは1794年に設立された設立法令
- 確ハレ大学は1694年に設立された設立勅許
- 確ゲッティンゲン大学は1737年に開学し、大規模図書館とゼミナールを整えた大学史
- 争「18世紀のヨーロッパの大学は衰退していた」という像啓蒙期の大学批判を引き継ぐ通説に対し、近年の大学史研究(ターナー、ハンマーシュタインら)は修正を加えている
- 確プロイセンは1806年のイエナ・アウエルシュテットの敗戦と1807年7月のティルジット条約により領土のほぼ半分を失い、ハレは国外となった講和条約の領土条項
- 確ベルリン大学の設立は1809年8月16日の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世の裁可により決まり、開講は1810年10月(学生256名)であるプロイセン王の設立文書および大学記録
- 確フンボルトが文教局長を務めたのは1809〜10年のおよそ16か月で、開学前に辞任したプロイセン内務省の人事記録
- 確フンボルトのベルリン高等学術施設に関する覚書は未完の草稿で、公刊は19世紀末である遺稿の刊行事情
- 争「フンボルト理念」が1810年の大学を実際に規定したか後世(1900年前後)の構築とみる立場(シェルスキー、パレチェク、アッシュら)と、理念の連続性を認める立場が対立する
- 確フィヒテはベルリン大学の最初の選挙による総長となった(初代総長はシュマルツ)大学史
- 確ランケは1830年代のベルリンで歴史学のゼミナールを制度化し、学生に史料の直接の取り扱いを求めたベルリン大学の演習記録
- 確リービヒは1824年に21歳でギーセン大学の員外教授となり(正教授は1825年)、1831年にカリアパラート(五球式吸収装置)を考案したギーセン大学人事記録および有機元素分析法の史料
- 争ギーセンの実験室が当初から大量教育モデルとして構想されたか教育装置とみる通説に対し、研究施設が結果的に教育機能を得たとする見直しがある
- 確エヴァレットは1817年にゲッティンゲンで学位を得たアメリカ人である学位記録
- 推19世紀を通じてドイツの大学で学んだアメリカ人はおよそ1万人規模各大学の登録簿からの推計で、数え方により幅がある
- 確イェール大学は1861年にアメリカ最初の博士号を3名に授与した大学記録
- 確ジョンズ・ホプキンズ大学は1876年に開学し、初代学長はギルマン。原資は1873年のホプキンズの遺贈総額約700万ドルのうち大学に配分された約半額(約350万ドル)である遺言書および大学史
- 確シルヴェスターは同大学で1878年に『アメリカ数学ジャーナル』を創刊した同誌創刊号
- 確ホプキンズを終生の奴隷制廃止論者とする大学の公式記述は2020年の大学自身の調査で覆され、1850年の国勢調査に彼の世帯の奴隷とされた人々が記録されているジョンズ・ホプキンズ大学 Hard Histories プロジェクトの公表資料および国勢調査原簿
- 確モリル法は1862年7月2日に成立し、連邦議員1人当たり3万エーカーの公有地を州に配分した同法条文
- 確モリル法の配分地の多くは条約や強制移住で先住民から取得された土地で、約1070万エーカー、約250部族、162件の割譲にわたるLee & Ahtone, "Land-Grab Universities", High Country News(2020年)
- 確1890年の第二次モリル法は、人種による入学拒否をしないか別個の機関を設けるかを州に求め、後者から黒人のための州立農工大学が生まれた同法条文および該当校の設立記録
- 確ハッチ法(1887年)は農事試験場に連邦資金を投じた同法条文
- 確マンハッタン計画は総額約20億ドルを費やし、ピーク時に10万人以上を動員し、1945年7月16日にトリニティ実験を行った米政府の事後公表資料
- 確ヴァネヴァー・ブッシュ『科学果てしなきフロンティア』は1945年7月にトルーマンへ提出された(依頼は1944年11月のローズヴェルト) ── 報告書の書簡部
- 確1947年の科学財団法案はトルーマンの拒否権により成立せず、NSFの設立は1950年5月立法記録
- 確NSFの1951会計年度の充当額は22万5000ドルで管理運営費のみ。研究助成の予算は1952会計年度(約350万ドル)からで、最初の交付は1952年2月であるNSFの充当額履歴および事業記録
- 争ブッシュ報告に「直線モデル」を帰属させること通説に対し、報告書自体にはその図式がないとする科学政策史の再読がある
- 確ペテルブルク科学アカデミー設立の元老院令は1724年1月28日(旧暦)付で、活動開始は1725年アカデミー設立文書
- 確ピョートル一世はライプニッツと書簡を交わし複数回会見したライプニッツ書簡集
- 確ペテルブルクに招かれたのはヨハン・ベルヌーイの息子ダニエルとニコラウス二世(1725年着任、ニコラウスは翌年ペテルブルクで没)であるアカデミー招聘記録
- 確オイラーは1727年にペテルブルクに着任し、1741〜66年をベルリンで過ごし、1766年に戻って1783年に没した伝記および学士院記録
- 確ロモノーソフは1755年のモスクワ大学創設に関与した大学設立文書
- 確ロバチェフスキーは1826年に非ユークリッド幾何を講演し、1829〜30年に『カザン報知』にロシア語で発表した同誌
- 確ロバチェフスキーは1837年にクレレ誌第17巻へフランス語で "Géométrie imaginaire" を、1840年にドイツ語で『平行線論の幾何学的研究』を発表した各誌・各書
- 確ボヤイ・ヤーノシュは1832年にラテン語で同種の結論を発表したが黙殺された『付録』(父ボヤイ・ファルカシュ『テンタメン』所収)
- 推ロバチェフスキーの仕事が長く無視された主因は、周辺の言語・媒体という不利よりも、平行線公準を捨てるという主張自体への抵抗である中心の言語・媒体(クレレ誌、ドイツ語単行本)でも反応が乏しかったこと、ラテン語で発表したボヤイも同様だったことからの評価
- 確評価が動いたのは、ガウスの書簡が1860年代に公刊され、ベルトラミやクラインがモデルと解釈を与えて以降であるガウス書簡集の刊行事情およびベルトラミ(1868年)・クラインの論文
- 確メンデレーエフの周期律は1869年3月6日(新暦、旧暦2月18日)にロシア化学会で本人不在のまま代読された同会記録
- 確エカアルミニウム=ガリウム(1875年)、エカホウ素=スカンジウム(1879年)、エカケイ素=ゲルマニウム(1886年)各元素の発見報告
- 確ロータル・マイヤーもほぼ同時期に周期性に到達していた1870年の論文
- 確ソ連科学アカデミーへの改称は1925年、本部のモスクワ移転は1934年アカデミー史
- 確ソ連の数学・理論物理学は国際的水準の学派を形成し、コルモゴロフは確率論の公理化(1933年)を、ランダウは理論物理学教程を残した各著作
- 確ランダウは1938年に逮捕され、カピッツァのスターリン宛書簡を経て翌年釈放された公開されたソ連公文書
- 確スプートニク一号は1957年10月4日に打ち上げられ、質量は83.6キログラム打ち上げ記録
- 確コロリョフの実名は1966年の死後まで公表されず、彼は1938年に逮捕され収容所を経て獄中設計局に移されたソ連公文書および伝記
- 確ツポレフは1937年に逮捕され、獄中設計局でTu-2を設計した設計局史
- 確ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』の舞台マルフィノは獄中の研究設計施設(シャラーシカ)である同作および著者自身の服役記録
- 確ルイセンコは春化処理の効果を掲げて1930年代に台頭し、メンデル遺伝学を「ブルジョア的」と攻撃した同時代の農学誌および総会速記録
- 確ヴァヴィロフは1940年8月に逮捕され、1943年1月26日にサラトフの獄中で栄養失調により死亡した(公式記録・名誉回復文書はジストロフィーと記す)ソ連公文書、名誉回復文書
- 確レニングラード封鎖下で、種子コレクションを守った全ソ植物栽培研究所(VIR)職員9名が餓死した同研究所の記録
- 確1948年8月の全ソ農業科学アカデミー総会で遺伝学は否定され、研究・教育が停止された総会速記録
- 確物理学・数学でも個人への弾圧はあった。1936年のルジン事件、1937〜38年のブロンシテインとシュブニコフの銃殺、1949年に準備され直前に中止された全ソ物理学会議がその例であるソ連公文書、アカデミー記録、会議準備文書
- 推分野の理論そのものの公式否定と教育からの排除に至ったのは遺伝学のみで、物理学・数学では個人への弾圧はあっても理論の公式否定には至らなかった分野別の人事・刊行状況および1949年の物理学会議中止の経緯からの評価
- 確ルイセンコが完全に失脚したのは1964〜65年であるアカデミーの人事記録
- 確ワインバーグは1961年に「ビッグ・サイエンス」を論じ、プライス『リトル・サイエンス、ビッグ・サイエンス』は1963年刊であるWeinberg, Science 134 (1961) および Price(1963年)
- 確CERN条約は1953年署名、1954年9月29日発効、原加盟12か国条約文書
- 確ヒッグス粒子の発見発表は2012年7月4日で、論文の著者は各3000人規模ATLAS/CMS両論文
- 確国際地球観測年は1957年7月〜1958年12月、67か国が参加し、スプートニク一号はこの枠組みのなかで打ち上げられたICSU記録およびソ連のIGY計画文書
- 確南極条約は1959年12月署名、1961年発効条約文書
- 確アメリカは1958年にNASAとARPAを設立し、国防教育法を制定した各設立法
- 確NASA予算は1966年に連邦予算の4%台に達した米連邦予算統計
- 推中国は2010年代後半に自然科学系論文の産出量で世界最大級になった複数の指標機関の集計。データベースと計数法により順位・年次が動く
- 確中国政府は2020年前後に、論文数・掲載誌指標偏重の評価と論文報奨金を抑制する方針文書を出した科学技術部・教育部の通知
- 確ガーフィールドは1955年に引用索引を提唱し、1964年にSCIを実現したGarfield, Science 122 (1955) および SCI の刊行
- 確雑誌の被引用は少数の論文に強く偏り、インパクトファクターは個別論文の被引用をほとんど予測しないSeglen, P. O., "Why the impact factor of journals should not be used for evaluating research", BMJ 314 (1997)
- 確DORAは2012年起草・2013年公表、ライデン声明は2015年各宣言文
- 確arXivは1991年に開始、ブダペスト・オープンアクセス提唱は2002年、プランSは2018年発表各一次資料
- 確製薬企業の研究者が、がん研究の重要論文53本のうち社内で確認できたのは6本と報告した(2012年)。対象論文の一覧も生データも公開されておらず、独立の検証はできないBegley & Ellis, Nature 483 (2012), 531-533
- 確心理学の100件の追試計画(2015年)では、判定基準により再現率が動く。有意性で36%、原著と追試を統合した場合で68%であるOpen Science Collaboration, Science 349 (2015)
- 確2023年の撤回論文は年間1万本を超えたと報じられ、その多くは特定出版社による一括撤回だった同年末の学術報道および撤回追跡データ
- 確生物多様性保全の文献の35.6%が英語以外の言語で書かれているAmano et al., PLoS Biology 14 (2016)
- 推非英語母語話者は論文の読解・執筆に要する時間および言語を理由とする不採択率が有意に高いAmano et al., PLoS Biology 21 (2023)。自己申告に基づくため数値には幅がある
源流 ── 知はどこで生まれたか
知の道具(知的工具 / The Tools of Knowledge)
数える ── 記数法の三つの原理と、ゼロという第四の発明
数詞と記数法は別の発明である。数詞は話し言葉のなかの語であり、記数法は数を書きとめる規約である。両者はしばしば食い違う。フランス語の80は「四つの20」と言うが、そう書くわけではない。独立した数詞が一・二・多の三段階しかない言語もあるが、数える能力の欠如を意味しない ── 対応づけや刻み目による計数は語彙とは別に働く。学問の道具として問題になるのは、話し言葉の数詞よりも、紙や粘土の上でどう並べるかのほうである。
最も素朴な規約は加算的である。記号に固有の値を与え、並んだ値をすべて足す。エジプトの聖刻数字は1・10・100……にそれぞれ別の絵記号を割り当て、必要な数だけ繰り返した。243なら100の記号を2つ、10の記号を4つ、1の記号を3つ並べる。並び順が意味を持たないため書き崩しに強い反面、大きな数ほど記号が増え、桁ごとの機械的な手続きを定義できない。ローマ数字も出発点は同じだが、後に減算則を取り込んだため、IVは四、VIは六というように並び順が値を左右する点で、純粋な加算的体系からは外れた。古典期には四をIIIIと書く形が優勢で、減算則の使用はまだ散発的だった。
第二の工夫が乗算的な組み合わせである。漢数字の「三百二十四」は、三と百を掛け、二と十を掛け、四を足す構造を持つ。位の名を明示するので、4005は日本語の漢数字なら「四千五」で済む。もっとも中国語では内部の空位に「零」を挟んで「四千零五」とするのが規範であり、乗算的な体系だから空位のしるしが要らない、とまでは言えない。いずれにせよ桁が名前で指定されるため、位置だけを頼りに桁をずらす筆算にはなじまない。
第三が位取りである。同じ記号でも、置かれた位置によって値が変わる。バビロニアは前2000年紀の初めごろまでに六十進の位取りを完成させ、縦棒と山形の2種の楔だけで任意の大きさの数を書いた。マヤは点と横棒による二十進の位取りを用いたが、暦の長期計数では第三位が20倍でなく18倍になる変則を含む ── 1年を360日に近づけるための妥協である。中国では算木を升目に並べる形で十進の位取りが早くから機能しており、空位は升目の空白がそのまま担った。そしてインドで、九個の記号と空位のしるしによる十進位取りが、書かれる数として成立した。これらは互いに独立の発明と考えられている。中国の数学が高度な計算を実現したのは漢数字によってではなく算木の盤面によるのであって、書く数と計算する数は分業していた。

位取りが決定的だったのは、計算を局所的な手続きに分解できるからである。加算は右の桁から順に足して繰り上がりを左へ送るだけで、桁数が増えても手続きは同じ反復になる。意味を考えずに規則を適用すれば答えが出る。もっとも、手順を反復して答えに至るという発想そのものは位取りに先立つ。バビロニアの手順文書にも、『九章算術』の各「術」にも、それは既にある。位取りが新たに与えたのは、手順を桁という単位に分解し、誰の手でも同じ形で反復できる筆算の形式のほうである。ローマ人が計算できなかったわけでもない。彼らは溝に玉を並べる計算板で計算し、ローマ数字は結果を記録する表記だった。位取りが変えたのは計算の可否ではなく、計算を紙の上で誰でも追跡し検算できるようにしたことである。
第四の発明がゼロである。ただしゼロには三つの異なる顔があり、別々の時期に獲得された。第一は空位のしるしで、バビロニアは長らく桁の空白を文脈で補わせた末、前1000年紀の後半に空位を埋める記号を用いるようになり、前4世紀から前3世紀ごろには二つの楔を斜めに並べた形が定型となった。より古い前8世紀から前7世紀の別形の例も報告されている。ただし数の末尾には使われず、60と3600の区別はなお文脈に委ねられている。
第二は、空白を埋める記号ではなく、それ自体が一個の数だという認識である。インドではこれが「空」を意味する śūnya という既存の語とともに定着し、6世紀から7世紀の文献では他の数と同列に扱われるようになる。第三は、演算の対象として規則を持つということである。この段階を明示的に書いたのが7世紀インドのブラフマグプタで、零と負数を含む加減乗除の規則を体系的に述べた。もっとも彼は零を零で割った商を零とした ── 誤りである。
負数の受容は、地域によって速度が著しく違う。中国では『九章算術』の方程章に正負術が現れ、連立一次方程式を解く過程で負の数が当然のように扱われる。3世紀の劉徽の注は、正の算木を赤、負の算木を黒として区別する実務まで書き留めている。これに対しヨーロッパでは抵抗が長く続いた。カルダーノは16世紀半ばに負の解を「虚構の数」と呼び、デカルトは負の根を「偽の根」と呼んだ。18世紀に至ってなお、「無より小さい量」は不合理だという議論が繰り返される。ヨーロッパの数が長さや面積という幾何学的な量と結びついており、負の長さは意味を成さなかったからである。負数が正当化されたのは、量の解釈を捨て、演算規則の一貫性だけを根拠とする19世紀の形式的な代数においてであった。
数の側からの最大の衝撃は、通約不可能量の発見である。正方形の対角線と一辺は、どんな共通の単位をとっても両方を整数倍で表せない。証明を得たのは前5世紀ごろのピュタゴラス派とされ、発見者ヒッパソスが秘密を漏らして海に投げ込まれたという話が伝わるが、数世紀後の著述にのみ現れる伝承で裏づけはない。この発見が示したのは、量と数を一致させられないということである。もっとも、これが「万物は数」という前提を崩壊させ、ギリシア数学に「基礎の危機」をもたらしたという筋書きには、同時代の証言を欠く後世の構成だという批判が強い。
確かなのは、エウドクソスが比を数ではなく量そのものの関係として定義しなおし、その方法が『原論』第五巻に収められたことである。二つの比が等しいとは、双方に任意の整数倍を施したときの大小関係がつねに一致することだ、という定義である。共通の単位を持たない量どうしでも、この定義なら比較が成り立つ。ギリシアは厳密な量の理論を得たが、数と量は別の対象として扱われ続けた。分離が解消され、無理数が有理数の集合から算術的に構成されたのは19世紀後半のデデキントらの仕事による。二千数百年の宿題であった。
書く ── 文字体系と知識の保存
文字は、何度も発明されたわけではない。他の文字を知らずにゼロから作られた例として広く認められるのは、メソポタミアの楔形文字(前3400〜前3200年ごろ、ウルクの粘土板)、エジプトの聖刻文字(前3200年ごろ、アビドス出土の骨・象牙のラベル)、中国の甲骨文(確実な年代を持つ資料は前1200年ごろの殷墟のもので、甲骨資料そのものは前13世紀から前11世紀に及ぶ)、そしてメソアメリカ(前600年から前300年ごろ)の四例である。

ただし数え方は研究者によって割れる。エジプトはメソポタミアから「文字という着想だけ」を受け取った刺激伝播ではないかという議論が続き、これを独立発明に数えない立場がある。逆に、イースター島のロンゴロンゴを加えて五例とする数え方もあるが、こちらも1770年のスペイン人による領有宣言の場で文字を目にした可能性を排除できておらず、刺激伝播の疑いは強い。インダス文字にいたっては、言語を記す文字体系なのか記号の集合にすぎないのかで論争が決着していない。
文字体系は、記号が何に対応するかで大別できる。語に対応する表語文字、音節に対応する音節文字、単音に対応するアルファベットである。記号数は表語で数百から数千、音節で数十から百程度、アルファベットで20から30程度になり、習得の負担はこの順に軽くなる。ここから「アルファベットが最も効率的な発明である」という進歩の物語が導かれてきたが、慎重に扱うべきである。現実の文字体系はほぼすべて混合で、楔形文字も漢字も表音的な用法を併せ持つ。記号数が多い体系は同音異義の弁別に強く、意味を目で直接つかめる ── 日本語の漢字仮名混じり表記が語の切れ目を分かち書きなしに示せるのはそのためで、記号数の多さは必ずしも不利ではない。
アルファベットの系譜は、いまのところ1点に収束する。前1900年から前1500年ごろ、シナイ半島のトルコ石鉱山セラービート・エル=ハーディムと、上エジプトのテーベ近郊、砂漠路沿いのワディ・エル=ホルに残された落書き状の刻文がそれである。前者を原シナイ文字と呼び、後者を区別して扱う研究者も多いため、まとめて初期アルファベット文字と呼ぶのが安全である。エジプトの絵記号の形を借りながら、セム語での物の名の語頭音だけを取って音を表す仕組みで、「家」を意味する語の頭音からbという具合になる。もっとも解読が及んでいるのは一部の語にとどまり、頭音を取るというこの仕組み自体、限られた同定に支えられた復元である。
ここからフェニキア文字の22の子音字が定まり、地中海各地に広がった。ギリシア人が加えた変更は決定的だった。ギリシア語に対応する音を持たないセム語の字 ── 喉音の字だけでなく、ヨッドやワウのような半母音の字も含む ── が行き場を失い、母音字に転用されたのである。ただし、これが母音表記の必要から意図された設計だったのか、余った字の消化として自然に生じたのかは、なお議論がある。いずれにせよ結果は同じである。子音だけを並べて母音を読み手の知識に委ねる表記から、母音を独立の字で書きとめる表記へ、この転用を境に移行した。読み手がその言語を知らなくても音を復元できる、という性質はここで生じている。
書く材料は、知識の量と寿命を物理的に決めた。粘土板は焼くと事実上不滅になるため、宮殿や文庫の火災がかえって記録を保存するという逆説が起きる。ニネヴェのアッシュールバニパル文庫が数万点規模で残るのは、まさに焼かれたからである。パピルスは軽いが湿気に弱く、エジプトの乾燥地以外ではほとんど残らない。羊皮紙は高価だが丈夫で両面に書ける。巻子から冊子への移行はこの材料の普及と時期が重なるが、初期の冊子にはパピルス製も多く、材料が移行を決めたとは言えない。ともあれ冊子は任意の箇所を直接開けるため、参照と引用の作法を変えている。

東アジアの竹簡・木牘は入手しやすい代わりに嵩張り、書物の量が荷車の台数で語られる程度には重かった。紙状の遺物は前漢期の遺跡から出土しており ── それを紙と認定してよいかには異論がある ── 後漢の蔡倫は発明者というより、製法を改良して実用に載せた人物と見るのが妥当である。材料の軽さは、書物を誰の手元に置けるかを決める。同じ内容が竹の束から一巻の紙に移ったとき、蔵書は建物の設備ではなく個人の持ち物にもなりうるものへ変わった。製紙法が西へ伝わって冊子と印刷の前提になったのも、この軽さと安さゆえである。
写本は、写すたびに誤る。同じ音の別語に置き換える誤り、字形の似た字を取り違える誤り、そして同じ語句が近くに2度現れるとき、写字生の目が後方へ跳んで途中を丸ごと脱落させる誤り。誤りは複製とともに累積し、しかも後の写字生が意味の通らない箇所を「直す」ため、もっともらしい別の本文が育っていく。1回の書写で入る誤りは少なくとも、写しの写しを十代重ねれば本文は別物に近づく。誤りの量は年数ではなく、間に挟まった書写の回数で決まる。古い写本が必ずしも良い本文を伝えるとは限らず、新しい写本が良い系統を伝えることもあるのは、そのためである。
これに対抗する技法が校訂である。アレクサンドリアの学者たちはホメロスの本文に、削除すべき行を示す横線や移動を示す星印といった符号体系を作った。劉向・劉歆は宮廷の蔵書を複数本で突き合わせて定本を作り、目録に編んだ。イスラーム世界では、教師の前で読み上げて聴取の事実を写本に記録し、伝授の免許を与える人的な保証が発達する。19世紀のヨーロッパでは異読の分布から写本の系統樹を復元する方法が定式化され、ラハマン法と呼ばれるようになったが、実際の写本は複数の本を参照して作られることが多く、きれいな樹形にならない。混淆を理由に単一の最良写本に依拠すべきだとするベディエの批判は、いまも消えていない。
印刷は何を変えたのか。エリザベス・アイゼンステインは1979年の著作で、印刷がもたらしたのは複製の速さより「固定性」だと論じた。同一の本文と同一の図版を、遠く離れた多数の読者が同時に参照できる。ゆえに誤りは共同で発見・訂正され、版を重ねるごとに精度が上がる ── 天文表や解剖図のように、一つの図版の狂いが全体を狂わせる分野では決定的だった、という主張である。有力な反論もある。エイドリアン・ジョンズは1998年の著作で、初期近代の印刷物はむしろ海賊版・誤植・偽の著者名に満ちており、その信頼性は機械の性質としてではなく、書籍業者の評判や国家の規制によって事後的に作られたと論じた。
もう一つの検討材料が東アジアである。木版印刷は8世紀に、金属活字は13世紀の高麗に遡り、明末の中国では出版が爆発的に増えた。17世紀の中国では耶蘇会士を介した天文学の大きな転換も現実に起きている。西洋天文学に基づく計算法は『崇禎暦書』に編まれ、清初には時憲暦として国家の暦法に採用された。何も起きなかったわけではない。ただしそれは、ヨーロッパで起きたのと同じ形の変革ではなかった。印刷は必要条件であっても十分条件ではなかった、というのが穏当な結論である。
測る ── 単位・器械・誤差
単位はもともと、土地ごとの取り決めであった。革命前のフランスでは、同じ名で呼ばれる布の長さの単位(オーヌ)が領主や都市ごとに異なり、名称と実量の組み合わせを数え上げれば25万種に達するという見積もりもある。日本でも曲尺と鯨尺が並存した。同じ「尺」や「ポンド」という語が、隣の町では別の量を指す。取引が現物を前にして行われるかぎり支障はない。困るのは、書かれた数値だけが土地を越えて動きはじめたときである。単位が違えば、他所の測定値は自分の帳簿に持ち込めない。度量衡の乱立は不便である以前に、記録を比較不能にする障害だった。
同じ問題への最も早い大規模な解答は、フランス革命の2000年前にある。前221年、統一直後の秦は度量衡の規格を定め、標準の枡や権(分銅)に詔を刻んで各地へ配った。現存する秦権にはその詔文が残っており、規格が文書ではなく器物そのものに刻まれて流通したことが分かる。規格を統一した目的は学問ではなく、徴税と労役の管理である。それでも、離れた土地の数値を同じ帳簿に載せられるという効果は変わらない。ただし基準はあくまで王朝の定めた人為であり、王朝が替われば基準も替わった。人ではないものに基準を求めるという発想は、まだない。
フランス革命期の改革者たちは、この恣意性を断つために人ではなく地球に基準を求めた。北極から赤道までの子午線弧の1000万分の一を1メートルとする。ドランブルとメシャンがダンケルクからバルセロナまでの弧を1792年から6年かけて三角測量した。1795年の法が定めたのは、まだ測量が終わらないうちに旧来の測地値から算出した暫定の長さであり、2人の結果を反映した確定値と、それを体現する白金の原器が定められたのは1799年である。測り終える前に法を作った、という順序であった。
しかもこの測量には隠された瑕疵がある。メシャンはバルセロナでの緯度観測に整合しない値を得ながら公表しなかった。加えて地球は完全な回転楕円体ではなく、扁平率の推定にも誤差があった。現在の値で計算すると、子午線の四分の一は1000万メートルをおよそ2キロメートル上回る。地球に基準を求めても、地球を測るのは人である。それでも構想のほうは残った。誤差は定義の側に固定され、以後のメートルは地球の大きさではなく、そのとき定めた1本の棒の長さを指すことになる。
自然に基準を求める試みは、結局もう一つの人工物を作って終わった。

その後の歴史は、基準を人工物から自然定数へ移す過程である。1889年に白金イリジウム合金の国際メートル原器が採用され、1960年にはクリプトン86の輝線波長へ、1983年には「真空中の光が2億9979万2458分の1秒間に進む距離」へと置き換えられた。残る四つの単位にも同じ転換が及び、七つの基本単位すべてが物理定数の定義値の上に立つ体系が完成したのが、2019年5月の国際単位系の改定である。キログラムはプランク定数、アンペアは電気素量、ケルビンはボルツマン定数、モルはアボガドロ定数の値を固定することで定義しなおされた。動機は実務的だった。国際キログラム原器は複製との比較で数十マイクログラム規模のずれを示しており、質量の世界基準が理由の分からない漂流をしていたのである。物体を基準にする限り、基準そのものが変化する可能性を排除できない。
| 年 | よりどころ | 併記すべきこと |
|---|---|---|
| 1795年 | 子午線の四分の一の1000万分の一(旧測地値による暫定値) | 測量が終わる前に法が定まった |
| 1799年 | ドランブル=メシャンの測量による確定値と、白金の原器 | メシャンは整合しない緯度観測を公表しなかった |
| 1889年 | 白金イリジウム合金の国際メートル原器 | 物体を基準にするかぎり、基準そのものが漂流しうる |
| 1960年 | クリプトン86の輝線波長 | ── |
| 1983年 | 真空中の光が2億9979万2458分の1秒間に進む距離 | 光速を定義値として固定 |
| 2019年 | 七つの基本単位すべてが物理定数の定義値の上に立つ | キログラムはプランク定数、アンペアは電気素量、ケルビンはボルツマン定数、モルはアボガドロ定数 |
表61メートルは何で決められてきたか
計測器のなかで、科学の形を最も変えたのは時計である。ホイヘンスが17世紀半ばに振り子の等時性を機構に組み込んだ時計を実用化し、日誤差は分の単位から秒の単位へ落ちた。経度は出発地の時刻と現在地の南中時刻の差から求まるため、揺れる船上で長期間狂わない時計があれば海上でも位置が分かる。英国議会が1714年に懸賞金を設けたこの問題に、独学の時計師ジョン・ハリソンが30年余をかけて挑み、大型の海洋時計から一転して懐中時計の形をとった四作目が、1761年から翌年の西インド航海で実用に足る精度を示した。

ただし当時、月の位置から時刻を割り出す月距法という競合手法があり、天文学者側の支持を得ていた。マスケリンらが編んだ航海暦は、高価な時計を買えない船にも経度を与える方式だったのである。ハリソンの評価をめぐる紛糾は、技術と学界の対立という図式ではなく、二方式の実用性競争でもあった。20世紀半ばにセシウム原子の遷移周波数を用いる時計が実現し、1967年に秒の定義そのものが原子に移る。この精度がなければ衛星測位は成り立たない ── 軌道上の時計は重力の弱さと運動の速さの差し引きで地上より1日あたり数十マイクロ秒進み、この相対論的な補正を怠れば、位置の誤差は1日あたり10キロメートル前後の割合で積み上がる。
17世紀初頭、二枚のレンズの組み合わせが二方向に世界を拡張した。オランダの眼鏡師による発明の報が伝わると、ガリレオはただちに自作の筒を天へ向け、月の凹凸、木星をめぐる四つの衛星、天の川が無数の星であることを1610年に公刊した。見落とされがちなのは、当時の反対が単なる頑迷ではなかったことである。レンズが像を歪めることは誰もが知っていた。ならば、地上の対象では正しく働く器械が、遠方の天体でも正しく働く保証はどこにあるのか ── 答えるには器械の理論と地上での対照実験が要った。器械による観察は、器械そのものへの信頼を別途調達しなければならない。同じ問題は顕微鏡でも起きる。レーウェンフックが1670年代に単レンズで報告した微小な生き物は、彼のレンズ製作法が秘匿されていたため、他者による追試が長く困難だった。
最後に、測定は必ずずれる、という前提そのものが道具になった。同じ星を何度測っても値は一致しない。この食い違いを、どの観測が失敗かという問題ではなく、誤差の分布という統計的対象として扱うのが誤差論である。最小二乗法はルジャンドルが1805年に公表し、ガウスは1809年の著作でより早く用いていたと主張して優先権論争になった。ガウスの寄与は方法そのものより、誤差が特定の釣鐘型の分布に従うと仮定するとき最小二乗の推定が最良になると示した点にある。ラプラスは翌年ごろ、多数の小さな独立した原因の和がこの分布に近づくことを示し、なぜ誤差がその形をとるのかを説明した。ここで測定の性格が変わる。値は真値ではなく、真値のまわりに散らばる標本になり、報告すべきものは数値ではなく数値と幅の組になった。現代の論文が測定値に必ず不確かさを添えるのは、この転換の直系の子孫である。
疑う ── 証拠と反証の作法
二つの条件を並べて比べれば違いが分かる、という直観は古い。イブン・シーナーは『医学典範』第二巻で、薬の効能を判定する条件として、比較しうる二つの症例で試すこと、偶然の一致を排すること、人体で確かめることといった要件を列挙している。しかし直観と手続きは別である。16世紀のフランスの外科医アンブロワーズ・パレは、1537年の従軍中、銃創に煮え油を注ぐ当時の処置の途中で油を切らし、やむなく軟膏を塗った兵の経過が良好だったことを記録した。これは比較の記録ではあるが、計画された実験ではない。偶然が対照群を作ってくれただけである。対照とは、比べる二群が処置以外の点で揃うように、あらかじめ設計することを指す。
その最初期の例として引かれるのが、英国海軍の軍医ジェームズ・リンドが1747年に行った壊血病の試験である。彼は同じ船の患者12人を選び、共通の食事のうえで2人ずつ六組に分け、それぞれに林檎酒、硫酸、酢、海水、柑橘、下剤混合を与えた。効果が最も突然かつ目に見えて現れたのは柑橘の組で、1人は6日で任務に復帰し、もう1人は最もよく回復したため残る病者の看護に当たることになった。林檎酒の組にも軽い改善は認められている。
ただし、これを現代の無作為化比較試験の祖と呼ぶのは正確ではない。割付は無作為ではなく、患者も観察者も何を与えられているか知っており、各群はわずか2人である。しかもリンド自身は柑橘を決定的な治療と結論づけなかった。彼は病因を湿った空気に求め、果汁を煮詰めた濃縮液を推奨したが、加熱は有効成分を壊してしまう。海軍が柑橘類の常備を制度化したのは1790年代半ば、商船に義務づけられたのは1860年代であった。証拠が出てから制度が動くまでに、半世紀から1世紀を要している。
無作為化を原理として据えたのは、20世紀の農事試験である。フィッシャーは、区画ごとに肥料の効果を比べるとき、処置をくじで割り当てることが誤差の見積もりを正当化すると論じた。人為で揃えられない未知の要因まで、無作為化は確率的に均す。この考え方が臨床に移されたのが、英国医学研究審議会が1948年に報告した肺結核に対するストレプトマイシンの試験で、割付は封筒に封入された乱数表によって行われた。ただし対照群は臥床安静のみで偽薬注射は行われておらず、患者も担当医も処置を知りえた。試験が確保した盲検性は、判定の中心である胸部エックス線写真を、患者情報から切り離した複数の読影者に評価させた点にある。全面的な二重盲検ではなく、判定の盲検化であった。
判断の基準として統計を用いる作法も、この時期に定着した。フィッシャーは1925年の教科書で、偶然では説明しにくい結果の目安として20分の一という水準を挙げたが、これは便宜的な線引きとして提示されたものだった。やがてこの目安は、論文の採否と研究費を左右する関門に変わる。批判は絶えない。算出されたp値は、仮説が正しい確率でも、効果が実在する確率でもない。閾値を下回らなかったことも、効果がないことを意味しない。解析条件を試行錯誤して閾値をまたがせる操作や、有意な結果だけが公表される偏りも指摘された。批判が個々の論文への異議から職業集団の公式見解に変わるのは2016年で、米国統計学会の声明はp値が何であり何でないかを述べ、閾値による二分と報告の不完全さを戒めている。
証拠を突き合わせて権威を退けるという作法は、実験科学の専有物ではない。17世紀から18世紀にかけての清の考証学は、別の対象に同じ手続きを向けていた。経書の本文と字義を、音韻の法則と同時代資料の用例によって検証し、権威ある注釈でも証拠が合わなければ退ける。閻若璩が『尚書古文疏証』で『古文尚書』の一部を後世の偽作と論証したのは、文献に対する反証の実践であった。ここで経書は、権威の源泉であることをやめ、経書の外にある証拠によって検証される対象に変わっている。対象が自然であるか古典であるかは、方法の骨格をさほど変えない。
これらを支える作法は、統計より前に社会的なものである。ただし査読の歴史は思われているより浅い。17世紀に創刊された学会誌の掲載可否は長らく編集者と学会役員の判断であり、外部の専門家に原稿を回して匿名の評価を受ける現在の形が分野を越えて標準になるのは、20世紀半ば以降と見られる。優先権の争いも制度の副産物だった。誰が先に言ったかで報いる仕組みを採るかぎり、争いは逸脱ではなく規範の帰結として起きる。引用も同様で、参照関係の索引化は文献検索の道具として始まったが、やがて掲載誌の平均引用数が個々の研究者の評価に流用された。査読も優先権も引用も、作法として整えられたものが制度としては別の働きをしはじめる点で共通している。
最後に、証拠と信念の関係そのものを扱う二つの枠組みがある。一つはベイズの定理を用いる考え方で、あらかじめ持っている確からしさを、観測されたデータによって書き換える。この定式化はベイズの死後の18世紀に公表され、ラプラスが独立に整備したが、20世紀前半には主観的な事前確率を含むことを理由に主流から外れた。復権したのは20世紀末である。積分が解けなくても標本を発生させて分布を近似する計算法が実用に載り、事前確率を含む計算が計算機で扱えるようになったことが直接の契機だった。
もう一つがポパーの反証可能性で、経験的に反駁されうる主張だけが科学に属するという線引きである。これは強力だが、そのままでは働かない。仮説は単独では検証されず、観測装置や補助的な前提を束にして初めてデータと突き合わせられるから、予測が外れたときにどれを捨てるかは論理だけでは決まらない。天王星の軌道の食い違いは、ニュートン理論を捨てずに未知の惑星を仮定して解決され、海王星の発見に終わった。同じ論法を水星の近日点移動に適用してバルカンという惑星を探した試みは何も見つけられず、最後は理論のほうが置き換えられた。同じ手を打って一方は当たり一方は外れる。どちらが正しい振る舞いだったかは、後から分かる。
混ざる ── 知はどう移動したか
知識が動く経路は限られている。組織的な翻訳、交易路、宗教的な人的網、征服と植民地の行政、留学、そして電子的な公開である。9世紀前後のバグダードで、ギリシア語やシリア語やサンスクリットの学術書が大量にアラビア語へ移されたのは、その規模と持続において際立った例である。フナイン・イブン・イスハークはガレノス翻訳の目録を自ら残し、複数の写本を突き合わせて本文を定めてから訳す手順を記した。ただし、この事業を「知恵の館」という一つの翻訳機関の業績として描く像は、主として通俗的な叙述に残るもので、専門研究の裏づけは薄い。実態は、カリフ、官僚、医師、富裕な後援者がそれぞれの必要から翻訳に金を出す、2世紀にわたる社会的現象だった。翻訳は制度である前に、需要である。
移動は一方向ではない。インドの仏典が中国語に訳され続けた数百年は、2世紀に始まってバグダードに数世紀先行する大翻訳運動であり、鳩摩羅什や玄奘の周囲には多人数の分業体制が組まれていた。玄奘がインド滞在の見聞を書き残した記録は、のちに現地の史料が乏しい時代のインド史を復元する資料として使われる ── 借り手が貸し手の記憶を保存するという逆転が起きた。技術も往復した。製紙法が8世紀の中央アジアの戦役で捕虜となった工人によって西へ伝わったという話は広く流布しているが、根拠となる記述は数世紀後のもので、サマルカンドでの製紙開始との因果関係は確定していない。イエズス会士と中国の官僚が共同でユークリッドの前半六巻を漢訳したのは17世紀初頭だが、残りの巻が訳されたのは250年後である。移動には、途切れと再開がある。

移動のたびに起きるのは、用語の作り直しである。そしてしばしば、誤読が語を生む。三角法の正弦は、サンスクリットで弓の弦を意味する語で呼ばれていた。これがアラビア語に音写された結果、綴りの上では「入江」「懐」を意味する語と見分けがつかなくなり、ラテン語に訳す者はそちらの意味で受け取って、入江や襞を意味する語を当てた。現在の記号 sin の語源は、この取り違えの化石である。同じ経路で、移項と整理を意味するアラビア語の術語が代数の名になり、中央アジア出身の数学者の名が算法の名として残った。日本語でも同じことが起きた。18世紀の蘭学者たちが解剖書を訳すとき、対応する語がない概念には新しい漢語を作るほかなく、その過程で生まれた語が今も医学用語として使われている。明治期には西周らが西洋哲学の術語に一群の訳語を鋳造した。
作られた訳語は、さらに移動する。20世紀初頭、日本に留学した中国の知識人は、日本語に定着した漢語の術語を大量に持ち帰り、それが現代中国語の学術語彙の基層の一部になった。韓国語やベトナム語の術語にも同じ経路をたどったものが多い。ただし、これを「日本製漢語の輸出」として単純に語ることには注意がいる。多くの語は古典漢語に既にあった語に新しい意味を負わせた転用であり、純然たる新造は一部にすぎない。しかも、どの語がどの経路で定着したかは語ごとに異なり、日本を経由せず中国で独自に定着した訳語も、いったん採られた後に別語へ置き換えられた訳語もある。語彙の系譜は国籍の物語ではなく、個々の語の履歴の集まりである。
現代の非対称も、経路の問題として現れる。学術の共通語が英語に収斂した結果、非英語で書かれた成果は存在しないものとして扱われやすい。誰でも読める形で出す代わりに著者側が掲載料を払う公開方式も、資金の乏しい地域の研究者を締め出す方向に働く。見るべきは、その偏りに対して周縁の側から立てられた具体的な対抗策のほうである。ラテンアメリカでは、公的資金による電子出版基盤が1998年から運用され、著者も読者も費用を負わない形で地域の学術誌を国際的に可視化してきた。掲載料の支払能力を参加の条件にしない公開が現に成り立つことを、この基盤は20年以上にわたって示している。
素材の側の非対称も同じ形をしている。遺伝資源については、由来国と利用者が利益を分け合う枠組みが2010年に名古屋議定書として採択され、2014年に発効した。試料を提供した国が、それを用いた研究と製品から締め出されないようにするための仕組みである。契機の一つは2006年末に起きた。インドネシアが高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)の分離株の国際的な提供を停止したのである。株を提供しても、それを用いて作られたワクチンを自国が買えない ── 監視網の一端を担う国が、その成果から排除される構造への異議申し立てだった。2011年のパンデミック・インフルエンザ事前対策枠組みは、この対立から生まれている。素材を出す側と成果を得る側が一致しないなら、共有は長続きしない。
知は特定の文明の所有物ではない。どの体系も、どこかから借りた記数法と、どこかから借りた文字と、どこかから借りた測り方の上に立っている。借りたものを組み替えて次の借り手へ渡すという往復のうえに、学問と呼ばれる営みは載っている。道具の由来を辿ることは、その道具の限界を辿ることでもある。ある記数法がどんな必要から生まれたかを知る者は、その記数法で何が書けないかも知っている。借り物であることを忘れたとき、知は自分の来歴を説明できなくなり、来歴を説明できない知は、自分がどこで間違えたのかも説明できない。
事実の台帳 確 78 / 推 9 / 争 11
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確エジプトの聖刻数字は加算的(同一記号の反復)、漢数字は乗算的(数字と位名の組み合わせ)に分類される両体系の表記実例および記数法の類型論
- 確ローマ数字は減算則(IVは四、IXは九)を含み、同じ二文字でも並び順で値が変わる。古典期には IIII 型が優勢で減算則の使用は散発的だったローマの碑文・貨幣・帳簿の数表記
- 確ローマでは計算に溝と玉による計算板が用いられ、ローマ数字は主として記録の表記であった出土した携帯用計算板および会計文書の用例
- 確中国語では 4005 を「四千零五」と表記・発音し、内部の空位に「零」を挟むのが規範である現代中国語および明清以降の数表記の慣行
- 確バビロニアは前2000年紀初頭までに六十進の位取り記数法を用いていた古バビロニア期の数学粘土板(プリンプトン322など)
- 確中国の算木記数法は升目に算木を並べる十進の位取りであり、空位は升目の空白が担った『孫子算経』の籌算の記述、および出土算木・算表資料
- 確手順を反復して答えに至る「算法」の形式は位取り以前から存在するバビロニアの手順文書(procedure text)、『九章算術』の各「術」
- 確後期バビロニアの文書に空位を示す記号が現れるが、数の末尾には用いられない前1000年紀後半以降のバビロニア文書。2本の斜め楔という定型はセレウコス朝期の天文文書に見られ、それ以前の散発的な別形の例も報告されている
- 確マヤの長期暦では第三位が第二位の20倍でなく18倍になるマヤ長期暦(キン・ウィナル・トゥン)の構造
- 確ゼロを表すインドの語 śūnya は「空」を意味する既存語であり、6〜7世紀の文献で数として扱われる同時期のサンスクリット数学・天文文献
- 確ブラフマグプタは零と負数を含む演算規則を体系的に述べ、零を零で割った商を零とした『ブラーフマスプタシッダーンタ』(628年)
- 確『九章算術』方程章に正負術があり、正の算木を赤・負の算木を黒とする色分けは3世紀の劉徽注に明記される『九章算術』および劉徽注
- 確カルダーノは負の解を虚構の数と呼んだ『アルス・マグナ』(1545年)
- 確デカルトは負の根を「偽の根」と呼んだ『幾何学』(1637年)
- 争通約不可能量の発見の時期と発見者前5世紀ごろのピュタゴラス派とされるが、個人の特定は史料上困難
- 推ヒッパソスが通約不可能量の秘密を漏らして海に沈められたという話は逸話である数世紀後の新プラトン派著述にのみ現れ、同時代の裏づけがない
- 争通約不可能量の発見が「万物は数」の前提を崩し、ギリシア数学に「基礎の危機」を引き起こしたとする筋書き同時代の証言を欠き、19世紀以降の再構成であるとする批判(W. Burkert, *Lore and Science in Ancient Pythagoreanism*、W. Knorr)が有力である
- 確エウドクソスの比例論は量の比を数から切り離して定義したユークリッド『原論』第五巻
- 確無理数を有理数の集合から算術的に構成する方法が示されたデデキント『連続性と無理数』(1872年)
- 争文字の独立発明の数三例から五例まで見解が分かれる。争点はエジプトを刺激伝播と見るか、ロンゴロンゴやインダス文字を数えるか
- 推ロンゴロンゴは独立発明として数えにくい1770年のスペインによる領有宣言の場で文字が示された記録があり、刺激伝播の可能性を排除できない
- 確ウルク後期の粘土板が最古級の楔形文字資料である(前3400〜前3200年ごろ)ウルクIV層出土の行政文書
- 確アビドスのU-j墓から出た骨・象牙のラベルが最古級のエジプト文字資料である(前3200年ごろ)ドイツ考古学研究所によるアビドス調査
- 確確実な年代の甲骨文は前1200年ごろの殷墟資料であり、甲骨資料全体は前13世紀から前11世紀に及ぶ殷墟出土卜辞の編年
- 争インダス文字が言語を表記する文字体系か否かFarmer, Sproat & Witzel(2004年)の非文字説と、これに反対する立場が対立
- 確初期アルファベット文字はシナイ半島セラービート・エル=ハーディムおよび上エジプトのワディ・エル=ホル(テーベ近郊の砂漠路沿い)の刻文に見られ、前1900〜前1500年ごろとされる両遺跡の刻文。狭義の「原シナイ文字」はセラービート出土の一群を指す
- 推頭音を取って音を表すという初期アルファベット文字の仕組みは、限られた語の同定に依拠した復元であるガーディナー(1916年)の baʿalat 読解以来、解読は部分的にとどまる
- 確フェニキア文字は22の子音字から成る前11世紀以降のフェニキア碑文
- 確ギリシア語に対応音を持たないセム語の字(喉音字および半母音字)が母音字に転用された初期ギリシア碑文の字形と字順
- 争ギリシア母音字の成立が母音表記の必要による意図的設計か、余剰の字の転用として自然に生じたものか双方の立場が並立する
- 確アッシュールバニパル文庫の粘土板は宮殿焼失時の加熱によってかえって保存されたニネヴェ出土粘土板の状態
- 推巻子から冊子への移行は羊皮紙の登場では説明できない初期の冊子にはパピルス製が多数含まれる。C. H. Roberts & T. C. Skeat, *The Birth of the Codex*(1983年)
- 争蔡倫以前の前漢期の遺跡から紙状の遺物が出土しているが、これを「紙」と認定してよいかには異論がある放馬灘・灞橋・懸泉置ほかの出土資料をめぐる論争
- 確アレクサンドリアの学者はホメロス本文の校訂に批評符号(オベロス、アステリスコスなど)を用いたゼノドトス、アリスタルコスの校訂実践およびそれを伝える古注
- 確劉向・劉歆は宮廷蔵書を複数本で校合して定本を作り、目録を編んだ『別録』『七略』(『漢書』芸文志に反映)
- 確イスラーム世界では聴取記録(サマーウ)と伝授免許(イジャーザ)によって本文の伝達が人的に保証された写本に残る聴取記録およびイジャーザ文書
- 確異読の分布から写本の系統を復元する方法が19世紀に定式化された(ラハマン法)K. Lachmann らの校訂実践
- 争系統樹による写本復元の有効性写本間の混淆(contamination)を理由に、J. Bédier(1928年)以来、単一の最良写本に依拠すべきだとする批判が続く
- 確アイゼンステインは印刷の本質的作用を「固定性」に求めたEisenstein, *The Printing Press as an Agent of Change*(1979年)
- 争印刷物の固定性・信頼性の由来ジョンズは信頼性が社会的に構築されたものであり印刷機の性質ではないと反論。Johns, *The Nature of the Book*(1998年)
- 確高麗では13世紀に金属活字による印刷が行われていた李奎報『東国李相国集』所収の鋳字印施記事
- 確17世紀の中国では耶蘇会士を介した天文学の大きな転換が現実に起きた『崇禎暦書』の編纂と清初の時憲暦への採用
- 推印刷は科学革命の必要条件ではあっても十分条件ではない東アジアで印刷が先行しながら同型の変革が生じなかったことからの解釈。ただし「何も起きなかった」という前提は成り立たない
- 推革命前のフランスでは度量衡が地域ごとに分立し、名称と実量の組み合わせの総数は25万種規模と見積もられるKen Alder, *The Measure of All Things*(2002年)。推計であり数え方により幅がある
- 確日本では曲尺と鯨尺が長さの単位として並存した度量衡法(1891年)以前の慣行および同法による整理
- 確秦は前221年の統一後に度量衡を規格化し、詔文を刻んだ標準器を各地に頒布した出土する秦権・秦量の詔版銘
- 確メートルの当初定義は子午線の四分の一の1000万分の一である。1795年の法が定めたのは旧測地値による暫定値であり、ドランブル=メシャンの測量(1792〜1798年)の結果に基づく確定値と白金原器は1799年に定まった共和暦3年芽月18日法およびアルシーヴ原器(1799年6月)
- 確メシャンはバルセロナでの緯度観測の不整合を公表しなかったKen Alder, *The Measure of All Things*(2002年)
- 確現在の測地値では子午線の四分の一は1000万メートルを約2キロメートル上回る現行の地球楕円体パラメータによる計算
- 確メートルの定義は1889年に国際原器、1960年にクリプトン86の波長、1983年に光速による定義へ移行した国際度量衡総会の決議
- 確2019年5月、キログラム・アンペア・ケルビン・モルが物理定数の定義値に基づく形へ改定され、SI基本単位はすべて定数によって定義される体系となった第26回国際度量衡総会(2018年)決議、2019年5月20日施行
- 確国際キログラム原器は複製との比較で数十マイクログラム規模の質量差を示していた国際度量衡局による定期比較
- 確ホイヘンスは振り子を用いた時計を17世紀半ばに実用化し、機械時計の日誤差を大きく改善したHuygens, *Horologium*(1658年)および『振子時計』(1673年)
- 確英国議会は1714年に経度測定法に対する懸賞を定めた経度法(1714年)
- 確ハリソンの四号機は1761年から翌年の西インド航海で実用的精度を示した経度委員会の航海試験記録
- 確経度決定では月距法がクロノメーター法と競合し、天文学者側の支持を得ていたマスケリンによる『航海暦』(1767年刊行開始)および経度委員会の審議記録
- 確1967年に秒の定義がセシウム133原子の超微細遷移周波数に基づくものへ変更された第13回国際度量衡総会
- 確衛星測位では衛星搭載時計が地上より1日あたり正味で数十マイクロ秒進み、相対論的補正を要するGPSの時刻系設計
- 確ガリレオは望遠鏡による観測結果を1610年に公刊した『星界の報告』(1610年)
- 推望遠鏡への当時の反対には、器械が遠方でも正しく働く保証を問う正当な論点が含まれていた17世紀初頭の光学的知識の水準からの解釈
- 確レーウェンフックはレンズ製作法を公開せず、追試が困難であった王立協会宛書簡群および同時代の追試記録
- 確最小二乗法はルジャンドルが1805年に公表し、ガウスは1809年の著作で先行使用を主張して優先権論争になったLegendre(1805年)、Gauss, *Theoria Motus*(1809年)
- 確ラプラスは多数の独立な誤差の和が正規分布に近づくことを示したLaplace(1810年ごろの一連の論文)
- 確イブン・シーナーは薬効判定の要件を列挙し、比較しうる症例での試験や偶然の排除を挙げた『医学典範』第二巻
- 確アンブロワーズ・パレは1537年の従軍中、煮え油の代わりに軟膏を用いた銃創の経過を記録したパレの外科著作および回想
- 確リンドは1747年、船上の壊血病患者12人を2人ずつ六組に分けて異なる処置を与えたLind, *A Treatise of the Scurvy*(1753年)
- 確リンドの記述では柑橘の組の1人が6日で任務に復帰し、もう1人は最もよく回復して残る病者の看護に当たった。林檎酒の組にも軽度の改善が認められている同書の記述
- 確リンドの試験には無作為化も盲検化もなく、彼自身は柑橘を決定的治療とは結論しなかった同書の記述および濃縮果汁(rob)の推奨
- 確英国海軍が柑橘類の常備を制度化したのは1790年代半ば、商船への義務化は1860年代である海軍省の措置および商船法(1867年)
- 確フィッシャーは無作為化を実験計画の原理として定式化したFisher, *The Design of Experiments*(1935年)
- 確英国医学研究審議会は1948年、封筒に封入した乱数表による割付でストレプトマイシンの試験を報告したMRC報告、*British Medical Journal*(1948年)
- 確同試験に偽薬対照はなく、盲検化は胸部エックス線写真の読影に限られていた同報告の方法記述
- 確フィッシャーは有意性の目安として20分の一の水準を便宜的に提示したFisher, *Statistical Methods for Research Workers*(1925年)
- 確米国統計学会は2016年、p値の解釈に関する六項目の原則からなる声明を公表し、p値が仮説の正しさの確率でないこと、有意性の二分で結論や政策判断を下すべきでないことを明記したAmerican Statistical Association, "Statement on Statistical Significance and P-Values"(2016年)
- 確閻若璩は『尚書古文疏証』で『古文尚書』の一部を後世の偽作と論証した同書
- 推外部査読が分野横断的に標準化するのは20世紀半ば以降である主要誌の運用開始時期の集積からの評価。誌ごとの年次には異説がある
- 確ベイズの論文は著者の死後に公表され、ラプラスが独立に定式化したBayes(1763年、プライスによる公表)、Laplace(1774年)
- 確ベイズ的方法は20世紀前半に主流から退き、標本を発生させて事後分布を近似する計算法の実用化とともに20世紀末に復権したギブス標本法によるベイズ計算の一般化(Gelfand & Smith, 1990年)以降の統計学文献
- 確ポパーは反証可能性を科学と非科学の線引き基準として提示したPopper, *Logik der Forschung*(1934年)
- 確仮説は補助的前提とともにしか検証できないため、反証の対象を論理だけでは特定できないデュエム=クワインのテーゼ
- 確天王星の軌道の不一致は未知の惑星の仮定によって解決され、海王星の発見に至ったルヴェリエおよびアダムズの計算、1846年の発見
- 確水星の近日点移動を未知の惑星で説明する試みは成功せず、一般相対性理論によって説明されたバルカン探索の失敗と1915年の説明
- 確フナイン・イブン・イスハークはガレノス翻訳の目録を残し、写本校合の手順を記したフナインの『書簡(リサーラ)』
- 争「知恵の館」を組織的な翻訳機関とする像これは主として通俗的な叙述に残る像であり、専門研究では Gutas, *Greek Thought, Arabic Culture*(1998年)以降、カリフの図書館ないし書庫と見て翻訳事業の大半を宮廷外の私的後援に帰す見方が標準となっている
- 確仏典の漢訳は2世紀に始まり、数百年にわたって訳場の分業体制のもとで続けられた大規模な翻訳事業である後漢の安世高・支婁迦讖以降の訳経記録、鳩摩羅什・玄奘の訳場
- 確玄奘のインド見聞録は後世のインド史復元の資料となった『大唐西域記』
- 争タラス河畔の戦いの捕虜による製紙法西伝伝承を伝える記述は数世紀後のもの(サアーリビー、11世紀)で、サマルカンドでの製紙開始との因果は確定していない
- 確ユークリッド『原論』の前六巻は17世紀初頭に漢訳され、残りの巻の漢訳は19世紀半ばである『幾何原本』(1607年、利瑪竇・徐光啓)、続編(1857年、李善蘭・ワイリー)
- 確sin の語源は、サンスクリット語 jyā(弦)がアラビア語に jb と音写された後、jayb(入江・懐)と読まれ、ラテン語訳で sinus に置き換えられたことに由来するクレモナのジェラルドらによるアラビア語数学書のラテン語訳における sinus の採用
- 確代数(algebra)はアラビア語の術語 al-jabr に、算法(algorithm)は数学者アル=フワーリズミーの名に由来するラテン語訳数学書の用語史
- 確18世紀後半の蘭学者による解剖書翻訳の過程で新しい漢語が造られた『解体新書』(1774年)
- 争近代学術語彙における和製漢語の位置日本発の新造とされる語の多くは古典漢語の転用であり、経路は語ごとに異なる
- 確著者も読者も費用を負わない公的資金による電子出版基盤が20世紀末からラテンアメリカで運用されているSciELO(1998年開始)
- 確生物多様性保全に関する文献の三分の一超が英語以外の言語で書かれているAmano et al., *PLOS Biology* 14(2016年)
- 推非英語で書かれた科学的知見は国際的な総説から系統的に脱落しやすい上記の言語分布と、総説の引用言語構成からの解釈
- 確遺伝資源の利用から生じる利益の配分を定める国際的枠組みが作られた名古屋議定書(2010年採択、2014年発効)
- 確インドネシアは2006年末から高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)分離株の国際的な提供を停止し、ワクチンへのアクセスを争点化したWHOのインフルエンザ株共有をめぐる交渉経緯
- 確この対立を受けて2011年にパンデミック・インフルエンザ事前対策(PIP)枠組みが成立した第64回世界保健総会決議(2011年)
マクロ ── 地図をひろげる
現在の全景(当前全景 / The Map Today)
現代の学問は、いくつあるのか。
この問いには、正しい答えがない。
数えるための台帳が、ひとつではないからだ。
本ページは学問を 17の領域に分けている。メタ知識・形式科学・情報・物理・化学・地球・生命・農学・医学・脳と心・工学・社会・人文・宗教・芸術・専門職・学際。
なぜ17なのか。答えは正直に言えば、これが原典の著者の分け方だったからである。
ここが重要な点だ。原典自身が、最上位の分類を五通り提示していた。事実
| 分類 | 数 | 出所 |
|---|---|---|
| 領域A〜Q | 17 | 原典独自 |
| KNOWLEDGE | 11 | 原典の最終圧縮表現 |
| OECD FORD | 6 | 研究開発統計の国際標準 |
| OpenAlex fields | 26 | 論文データ由来 |
| PART構成 | 33 | 文書の章立て |
そして、これら五つの間に対応表がなかった。
本ページはその対応表を作った。画面右上の切替で、同じ知識空間を五つの分類で見ることができる。同じ学問が、分類を変えると別の場所へ移動する。
作業の途中で、原典自身の不整合も見つかった。原典の「最終的な圧縮表現」である11分類は、自分の17領域のうち農学・芸術・専門職の三領域を落としていた。推論
また、専門職と学際の二領域は、OECDの6分類のどれにも収まらない。これは誤りではない。OECDの分類は研究開発費と人員を配分するための道具であって、知識を分類するための道具ではないからだ。解釈
分類の数を数えるより、なぜその数になったかを問うほうが情報量が多い。
領域ごとのノード数を見ると、この地図の性格が分かる。最も大きいのは医学・健康科学で171、次いで社会科学144、人文学92、生命科学89、学際・融合88、形式科学79である。推論
ただし、この順位そのものが、本ページの中心テーゼの実例になっている。医学が最大なのは、学術雑誌の分類(ASJC)と突き合わせて、医学を細かく彫ったからだ。突合先を変えれば、順位は変わる。数えた結果は、数えるのに使った道具の形をしている。解釈
それでも、学際・融合が単独の領域として医学・社会科学に肩を並べることは、2026年の学問がどうなっているかを示している。かつては境界線だった場所に、いまは多くの名前がついている。スノーが「二つの文化」を語った1959年から、地図の中心は移動した。解釈
この図では、どのノードを選んでも、そこから三つ先までの接続分野が浮かび上がる。あなたの専門を選んでみてほしい。隣にいるのが、思っていた分野とは限らない。
データと出典
- 17領域の五系統対応表:WORK_02 §1
- 領域別ノード数(全1,181):医学171/社会144/人文92/生命89/学際88/形式79
- 医学が最大なのは、ASJC と突き合わせて医学を細かく彫った結果である。順位は突合先に従属する 解釈
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四つの軸で切る
存在の階層(存在的层级 / The Ladder of Being)
素粒子から文明まで、世界は積み上がっている。
下の階を完全に理解すれば、上の階も分かるはずだ――
そう考えたくなる。
だが、量子力学から中国の政治制度を導くことはできない。
原典は世界を 24の階層に並べた。推論(L−2)と形式(L−1)から始まり、時空・量子(L0)、粒子、原子核、原子、分子、物質、生体分子、細胞、組織、個体、神経系、認知、意識、個人行動、二者関係、組織、制度、国家、国際社会、文化、文明、そして地球社会システム(L21)まで。
各階層には、それを扱う学問が対応している。細胞には細胞生物学(细胞生物学 / Cell Biology)と微生物学(微生物学 / Microbiology)。制度には経済学・法学・政治学・社会学・人類学・宗教学。
この梯子は、二つの方向に読める。
下向きに読むと、還元である。社会は個人に、個人は心理に、心理は神経回路に、神経回路は細胞に、細胞は分子に、分子は原子に、原子は量子場に依存している。この依存関係は非常に強い。心は脳に依存し、脳は生物学に依存し、生物学は化学に、化学は物理に依存する。
上向きに読むと、創発である。量子的相互作用から原子が、原子から分子が、分子から細胞が、細胞から神経回路が、神経回路から認知が、認知から個人が、個人から集団が、集団から制度が、制度から社会が現れる。
そしてその途中で、下の階層には存在しなかった概念が現れる。温度。流体。生命。遺伝。意識。言語。市場。法。国家。
ここに、還元主義の限界がある。原典はこれを三段階に分けて整理した。事実
存在論的依存は強い。心は脳なしに存在しない。 説明論的還元は限定的である。経済危機を量子力学で説明することに意味はない。 予測論的還元はさらに難しい。初期条件、計算複雑性、カオス、情報不足のために、下位の法則を知っていても上位の現象を予測できない場合が多い。
だから学問は階層ごとに分かれている。それは怠慢ではなく、必要である。解釈
もうひとつ、この梯子には見落とされやすい特徴がある。下の二段が物質ではないことだ。
L−2は推論、L−1は形式――論理、数学、確率、計算。これらは時空の中に存在するものではない。にもかかわらず、原典はこれを階層の最下部に置いた。物質の下に、物質でないものが敷かれている。
この配置は、S7で扱う形式軸と繋がっている。数学は物理学の下の階層にあるのではなく、階層全体を貫いている。梯子の絵は便利だが、そこだけは嘘をついている。解釈
そして上端も同様である。L21――地球社会システム――は、人類文明と生物圏と気候と技術と経済を同時に含む。ここまで来ると、対象はもう単一の学問の手に負えない。地球システム科学、地球変動科学、サステナビリティ学、プラネタリーヘルス、グローバル研究が同時に必要になる。梯子の最上段では、学問は再び融け合う。
データと出典
- 24階層の定義:原典 §138〜§161
- 各階層に対応する学問:原典が明示した対応表を本ページで正規化
- 還元の三段階:原典 §164
- 「量子力学から中国の政治制度は導けない」は原典 §162 の例
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四つの軸で切る
見えないものの九段階(不可见事物的九个层级 / Nine Grades of the Unseen)
「見えない」には、九種類ある。
電子が見えないことと、正義が見えないことと、
神が見えないことは、同じ意味ではない。
学問を分けるもうひとつの軸は、研究対象にどうやって到達するかである。原典はこれを九段階に分けた。
| クラス | 実例 | 主な学問 | |
|---|---|---|---|
| E0 | 直接知覚できる | 人間の行動、動植物、岩石、星、道具 | 生態学・地質学・人類学 |
| E1 | 装置を介して観測する | 細胞、分子、脳活動、系外惑星、重力波 | 細胞生物学・神経科学・天文学 |
| E2 | 間接的に推論する | 電子、クォーク、ニュートリノ、暗黒物質、心理学的な潜在構成概念 | 素粒子物理学・心理学 |
| E3 | 過去に存在した | 恐竜、古代文明、死語、古気候、人類の祖先 | 歴史学・考古学・古生物学 |
| E4 | 一人称でしか届かない | 痛み、クオリア、主観的経験、夢、自己感 | 意識科学・精神医学・現象学 |
| E5 | 社会的に実在する | 貨幣、法、婚姻、国家、大学、国籍 | 経済学・法学・社会学 |
| E6 | 形式的対象 | 数、集合、関数、群、位相空間、アルゴリズム | 数学・論理学・理論計算機科学 |
| E7 | 規範的対象 | 善、正義、義務、権利、美、正統性 | 倫理学・政治哲学・法学・美学 |
| E8 | 形而上学的・超越的対象 | 存在そのもの、必然的存在、神、究極原因、可能世界 | 形而上学・宗教哲学・自然神学・神学 |
この軸が示すのは、「肉眼で見えない」ことは「科学的に認識できない」ことを意味しない、ということである。
ニュートリノも暗黒物質も遺伝子も古気候も、直接は見えない。だが観測結果によって制約される。E1からE3までは、観測装置と推論の問題にすぎない。
境界はもっと先にある。
E4――一人称の経験――は、第三者が本人と同じ形ではアクセスできない。あなたの痛みを、私は測定できても経験できない。
E5――貨幣や法や国家――は、素粒子のような物体ではない。しかし人間のあいだで共有された規則と信念として、確かに因果的に作用する。
E6とE7は、そもそも経験的に発見する種類の対象ではない。電子顕微鏡で正義を観測することはできない。
そしてE8。ここには重要な線がある。経験科学は経験的検証によって主張を立てる。形而上学と神学は、概念的・理性的・啓示的な論証によって主張を立てる。この二つは異なる認識論的領域であり、片方の基準でもう片方を裁くことは方法論上正しくない。事実
異なる学問に、同一の証明基準を要求しないこと。 これが本ページの立場である。
データと出典
- 九段階の定義:原典 §165〜§173
- 原典 §105 の「見えないもの①〜⑦」(7分類)と本軸(9分類)は対応が不整合だったため、本ページではE0〜E8に一本化した
- 疑似科学との境界については S11 を参照
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四つの軸で切る
十一の方法(十一种方法 / Eleven Ways of Knowing)
同じ対象を、別の方法で調べたとき、
それは同じ学問だろうか。
学問を分ける第三の軸は、方法である。原典は十一の方法を挙げた。
演繹(论理学・数学・理論計算機科学)/実験(物理学・化学・生物学・医学)/観察(天文学・生態学・疫学)/無作為化比較試験(臨床医学・心理学・経済学・教育学)/因果推論(統計学・疫学・計量経済学)/シミュレーション(気候科学・工学・疫学)/歴史的再構成(歴史学・考古学・古生物学・宇宙論)/解釈(文学・法学・神学・人類学)/エスノグラフィ(人類学・社会学・科学技術社会論)/設計(工学・建築・デザイン・公共政策)/規範的推論(倫理学・法学・生命倫理学)。
この軸には、ひとつ際立ったノードがある。
伝統医学・中医学(传统医学・中医学 / Traditional Medicine, incl. TCM)である。
この分野は、方法論マップ上で四つの方法に線を持つ。古典テキスト――『黄帝内経』『傷寒論』――の読解が理論の基盤にある点で、解釈の学である。理論の歴史的形成を扱う点で、歴史的再構成の学でもある。臨床では観察を用い、現代の検証では無作為化比較試験を用いる。
つまりこの分野は、方法論の地図の上で、神学や文学と同じ場所にも、内科学や外科学と同じ場所にも立っている。推論
八要素で書けばこうなる。Oは同じ、Mが違う。
だから問いが立つ。
同じ対象を、テキスト解釈で研究するのと、無作為化試験で研究するのは、同じ学問なのか。
本ページはこの問いに答えを出さない。特定の医療体系の有効性についても評価を下さない。ここで示しているのは方法論の構造だけである。
だが、この問いが立つこと自体が、方法という軸の切れ味を示している。解釈
データと出典
- 十一の方法の定義:原典 §174〜§184
- 144スパイン学問への方法割当:WORK_02 §2
- 伝統医学・中医学は原典に独立ノードがなく(ASJCの下位項目として一度出現するのみ)、本ページで追加した:WORK_04 §3.2
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四つの軸で切る
形式と価値(形式与价值 / Form and Value)
学問は価値中立である――
という言い方は、半分しか正しくない。
存在・認識・方法という三つの軸に加えて、二つの軸が全体を横断する。
形式軸は、論理から数学、確率、計算、モデルへと進む。これは物質そのものではなく、可能な構造・関係・変換を扱う。数学は物理学の下の階層ではない。ほぼ全学問を横断する形式的な神経網である。
その証拠がある。数学の国際分類 MSC2020 は 63の最上位分類を持つが、その中には物理学、情報科学、生物学、経済学、システム制御が含まれている。数学が自分の内部に他分野を持っているのだ。事実
規範軸は、事実から選好、価値、規範、倫理、法、政治的正統性へと進む。
本ページで144のスパイン学問を分類したところ、86の学問(60%)が規範判断を内在していた。推論
医学は14章のうち13章が規範を内在する。例外は基礎医学だけである。工学は全章が規範を内在する。設計とは、何を良しとするかの判断を含むからだ。
規範を内在しない側に立つのは、演繹的な形式科学(論理学・数学)と、記述的な自然科学(物理学・化学・生物学の一部)である。
この数字は、本設計による分類の結果であって、外部の統計ではない。だがウェーバーの「価値自由」が百年前の論争ではなく、現在の学問地図の6割に関わる問題であることは示している。解釈
データと出典
- 形式軸・規範軸の定義:原典 §209〜§210
- MSC2020:63の2桁分類・529の3桁分類・6,022の5桁分類(msc2020.org、確認日 2026-08-17)
- 規範性フラグ86/144の全内訳:WORK_02 §2
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軸ではなく関係で見る
ハブとシナプス(枢纽与突触 / Hubs and Synapses)
ある学問が「多くの分野と繋がっている」と言うとき、
その繋がり方は、分野ごとにまったく違う。
本ページは学問間の関係を十二の型に分けている。包含、交差、還元、創発、形式化、方法論移植、応用、データ供給、観測装置供給、規範供給、歴史的説明、双方向フィードバック。
原典は九つの分野を「ハブ」として挙げた。数学、統計学、計算機科学、物理学、化学、生物学、神経科学、哲学、歴史学である。
これらの接続を型で分類したところ、九つのハブは、すべて違う型で繋がっていた。推論
| ハブ | 型 | 供給しているもの |
|---|---|---|
| 数学 | 形式化 | 形式的な言語 |
| 統計学 | 方法論移植 | 不確実性下の推論 |
| 計算機科学 | 方法論移植 | 計算と情報処理 |
| 物理学 | 還元 | 下位法則 |
| 化学 | 応用 | 物質の知識 |
| 生物学 | 応用 | 生命の知識 |
| 神経科学 | データ供給 | 機構とデータ |
| 哲学 | 規範供給 | 前提と規範 |
| 歴史学 | 歴史的説明 | 起源 |
「ハブである」ことの意味が、分野ごとに違う。数学がすべてに繋がるのと、哲学がすべてに繋がるのは、まったく別の現象である。解釈
この九つは、原典が名指したハブである。いっぽう、本ページが軸から生成した6,562本のリンクで数え直すと、別の顔ぶれが立つ ── 応用倫理学(出次数786)、確率論・統計学、実験計画法。だがこの三つには、原典由来のリンクが一本も無い。規則が作った鏡像である。原典の連鎖記述に繰り返し現れるのは、神経科学・経済学・物理学のほうだ。受け取る側の上位(神経科学・論理学・国際関係論・細胞生物学・世界史)も、その多くは存在階層のアンカーとして受けている。数えるネットワークを変えると、ハブも変わる。推論
もうひとつ、型の分布から見えることがある。
原典が独立した節を割いて記述した学問間の連鎖を型別に集計すると、最も多いのは「応用」だった。還元ではない。推論
学問間の主要な結合は、上位を下位に還元することではなく、基礎を実践へ運ぶことである。
そして四つの双方向ループがある。科学と技術、生物学と医学、社会と科学、技術と倫理。いずれも一方向ではない。
技術が新しい倫理問題を生み、倫理が法を生み、法が規制を生み、規制が技術の設計に戻る。ゲノム編集は生命倫理学を生み、規制を生んだ。人工知能はAI倫理を生み、AI法を生み、AIガバナンスを生んだ。神経技術は神経倫理学を生み、神経に関する権利の議論を生んだ。
学問は、世界を観測するだけではない。観測した結果として世界を変え、変わった世界をまた観測している。
データと出典
- 十二のリンク型:原典 §3 が定義したが本文でほぼ使われていなかったため、本ページで全リンクに付与した
- 型の内訳:応用8/双方向4/還元4/方法論移植4/創発2/形式化・データ・規範・歴史・装置 各1(WORK_02 §3.2)
- 包含リンク1,084本は原典の階層構造から機械生成(傘の統合と推移的冗長辺の清掃後)
- 原典由来の269本だけで作るネットワークでは、最大成分(108分野)に17領域すべてが同居し、最も遠い二分野は12歩離れている ── プラネタリーヘルスから生物学の哲学まで
- 派生を含めた全6,831本では、平均経路長2.24・クラスタ係数0.50・直径4 の小世界構造になる(次数分布は対数正規に近い)
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軸ではなく関係で見る
交差点(交叉点 / Intersections)
新しい学問は、既存の分野の交点から生まれる。
そして交点は、まだ空いている場所のほうが多い。
原典は、複数分野の掛け合わせとして定義される分野を24件明示していた。事実
構成要素が2つのものから始まる。認知神経科学(神経科学 × 心理学)。ケミカルバイオロジー(化学 × 分子生物学)。
3つ、4つと増えていく。生体医工学(医学 × 生物学 × 工学)。バイオインフォマティクス(生物学 × 計算機科学 × 統計学 × 数学)。
最も多いのはサステナビリティ学(可持续性科学 / Sustainability Science)で、七つの分野の交差である。生態学、気候科学、地球科学、経済学、工学、政治、倫理。
ここで、ひとつ実測から分かったことがある。
十二のリンク型のうち、五種類すべてを受け取っている領域は、医学だけである。推論
医学には、物理学から観測装置が来る(MRI、超音波、放射線治療)。化学から薬が来る。分子生物学から機構が来る。統計学から推論の方法が来る。そして基礎生物学とのあいだには双方向の往復がある――臨床の観察が、新しい生物学の仮説を送り返す。
だから医学は、生物学の応用ではない。十七の領域のうち、最も多くの型の入力を受ける統合の場である。解釈
そして、まだ名前のない交差点がある。図の上でグレーに描かれた空のノードは、既存分野の組み合わせのうち、原典にも標準分類にも名前が見つからなかったものである。
そこに何が生まれるかは、まだ誰も知らない。
データと出典
- 融合分野24件の全リスト:WORK_01 §5.1
- 医学への流入リンク型:還元(§199, §225)/応用(§197, §198)/観測装置供給(§196)/方法論移植(§186)/双方向(§204)
- 医学領域のノード数:171(17領域中1位)
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ミクロ ── 実務へ降りる
数える道具(计数的工具 / The Instruments of Counting)
OECD FORD ── 研究開発費と人員を配分するため
「学問の分類」として使われているものは、
ひとつ残らず、別の目的のために作られた道具である。
これが本ページで最も意外な発見かもしれない。
現代の主要な学問分類を調べたところ、中立的な「学問の台帳」は存在しなかった。すべてが別の実務目的のために作られていた。事実
| 分類 | 実際の目的 |
|---|---|
| APA PsycINFO | 文献データベースの内容記述 |
| OECD FORD | 研究開発費と人員の配分 |
| UNESCO ISCED-F | 教育プログラムと資格の国際比較 |
| Scopus ASJC | 学術雑誌の分類 |
| MeSH/MSC/ACM CCS/JEL/ERIC/AGROVOC/Atla | 文献検索のための統制語彙 |
最も明確なのはアメリカ心理学会である。同学会は自らの分類コード体系について、「これはPsycInfoデータベースの内容を記述するために設計されたものであり、心理学という分野を記述するものではない」と明記している。
分類を作った当人が、それが学問の分類ではないと言っているのだ。
だから「現代の学問はいくつあるか」という問いには、目的を指定しないと答えられない。
研究費を配分したいなら6つ(OECD FORD)。学生の専攻を国際比較したいなら11の広域分野(ISCED-F)。論文を索引したいなら26の分野と252の下位分野と4,516のトピック(OpenAlex)。哲学の文献を探したいなら6,155のカテゴリー(PhilPapers)。農学の概念を辿りたいなら41,000以上(AGROVOC)。
数え方は、目的に従属する。 解釈
データと出典
- 全出典と確認日:WORK_03 §7(20件、すべて2026-08-17確認)
- 下の一覧はASJCの下位分野の代表例であり、網羅ではない(ASJCの最下位は約334項目)
- 日中で指示範囲がずれる例:日本語の「文献学」に対応する中国語は语文学。中国語の「文献学」は書誌・文献の学を指し、範囲が異なる
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メタ ── 限界を見る
境界(边界 / The Edges)
どの学問体系にも、端がある。
端の向こうには、まだ埋まっていない穴と、
学問が越えてはならない線がある。
見えないことと、検証できないこと
研究対象が見えないことは、疑似科学を意味しない。重要なのは観測可能性ではなく、検証可能性・証拠・方法論である。
ニュートリノも暗黒物質もブラックホールも遺伝子も古気候も、直接は見えない。だが観測結果によって制約される。
一方、どのような観測結果でも否定されない主張は、経験科学としては扱いにくい。
ただし、これは「非経験的な学問は無意味だ」ということではない。数学、倫理学、形而上学、論理学、神学は、いずれも物理実験によって成立する学問ではない。異なる学問に、同一の証明基準を要求しないことが重要である。
埋まっていない穴 ── 意識
学問体系のなかで、最も大きな空白は意識である。
物理学から化学へ、化学から生物学へ、生物学から神経科学へ――ここまでは繋がっている。だが神経科学から主観的経験へ至る一段は、埋まっていない。原典はこの一段を ????? と書いた。
2025年、この穴について重要な実験が行われた。
意識研究の二大理論である統合情報理論(IIT)とグローバル・ニューロナル・ワークスペース理論(GNWT)の提唱者たちが、中立的な第三者コンソーシアムのもとで敵対的共同研究を行った。互いの理論から分岐する予測と、その合否基準を事前に登録し、256名の被験者に対してfMRI・MEG・頭蓋内脳波で検証したのである。結果は Nature に発表された。事実
そして――どちらの理論も、予測の一部が支持されなかった。
統合情報理論にとっては、後頭皮質内で持続的な同期が見られなかったことが理論に反する。グローバル・ニューロナル・ワークスペース理論にとっては、刺激の消失時に予測された発火が広く見られなかったことと、前頭前野における内容表現が限定的だったことが理論に反する。
一方が勝ったのではない。どちらも完全には支持されなかった。
学問体系の最大の空白は、まだそこにある。
越えてはならない線
最後にひとつ、この地図に置かなかったものについて書く。
優生学である。
かつてこれは学問だった。大学に講座があり、学会があり、査読誌があり、統計学の主要な手法のいくつかはこの文脈で開発された。そして政策になり、法律になり、多くの人が不妊手術を強制され、殺された。
本ページはこれを分野のノードとして立てなかった。他の143と並べれば、価値中立な一分野に見えてしまうからである。解釈
だが記録は残す。学問は中立ではない。害をなしうる。
S8で見た双方向ループ――技術が倫理問題を生み、倫理が法を生み、法が技術の設計に戻る――は、抽象的な図式ではない。あのループが機能しなかった時代の記録が、これである。
データと出典
- Cogitate Consortium, *Nature* 642: 133–142 (2025)、被験者256名、fMRI・MEG・頭蓋内EEG、予測とその合否基準を事前登録
- 還元の三段階(存在論的・説明論的・予測論的):原典 §164
- 「優生学」を分野ノードとしない判断:WORK_04 §3.5
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現在 ── いま学問はどうなっているか
数と規模の全景(规模的全景 / The Scale of Knowledge)
論文という単位

知識を「本数」で数えるという習慣は、それほど古くない。1665年、パリで『ジュルナル・デ・サヴァン』が、ロンドンで『フィロソフィカル・トランザクションズ』が創刊された。後者は王立協会の機関誌として記憶されているが、実態は書記オルデンバーグの私的な事業で、載ったのは観察の報告と手紙の抜粋であった。一つの主張を、方法と結果と考察という定型の器に入れて提出する形式が医学雑誌で優勢になるのは、1970年代に入ってからだと分析されている。論文という単位は、発見の自然な形ではなく、印刷と流通の都合が300年かけて固めた鋳型である。
その鋳型が数えられる対象になったのは、引用索引(引文索引 / citation index)の登場による。ユージン・ガーフィールドは1955年に『サイエンス』誌上で、論文どうしの引用関係を索引化する構想を示し、1964年に科学引用索引を刊行した。目的は検索であり、ある論文がその後どう使われたかを追う道具であった。しかし引用を機械可読にした瞬間、引用は数えられ、数えられるものは評価に使われるようになった。索引は世界の写像ではなく、検索のための選択として作られた。この出自は、以後の数字すべてに影を落としている。
年間にどれだけの論文が生まれているかという問いに単一の答えはない。母集団を定義する主体が複数あり、それぞれ別のものを数えている。クロスレフは、出版者が自ら登録するデジタルオブジェクト識別子(数字对象标识符 / digital object identifier)の管理機関として2000年に発足した。2026年公開の年次データファイルは約1億8000万件を含み、前年からの増加は1270万件、7.6%である。ただしここには雑誌論文のほか、書籍の章、会議録、プレプリント、データセット、査読報告、助成金の記録が混在し、登録は出版者の申告で査読の有無を問わない。クロスレフが数えているのは「識別子を振られた出版物」であって、「検証された知」ではない。
スコーパスとウェブ・オブ・サイエンスは、選別を業務とする商業データベースである。前者は2004年にエルゼビアが開始し、2020年代半ばの活動中収録誌は2万7000から2万8000、後者のコア・コレクションは四つの索引を束ねて2万2000余りである。両者に共通する誌は1万5000前後にすぎない。2016年の比較研究は、当時のウェブ・オブ・サイエンスが1万3605誌、スコーパスが2万346誌を収録したのに対し、逐次刊行物総目録のウルリッヒが査読誌だけで6万3013誌を記録していたことを示した。選別された索引は、存在する学術誌のせいぜい三分の一しか見ていない。選別は自然科学と生物医学に傾き、社会科学・人文学と非英語圏の誌を落とす。
第四の母集団が、2022年に公開されたオープンアレックスである。マイクロソフトが2021年に打ち切った学術グラフを非営利団体が引き継いだもので、収録対象を選別せず、集められるものをすべて集める。2025年11月の時点で2億7130万件を収録した。同月の全面改修では、データサイト由来の記録や各国の機関リポジトリから1億9200万件が加えられたが、これは書誌情報の質が揃わないため既定では検索と集計から外れる拡張分であり、利用者が明示的に選んだときだけ現れる。同じ「世界の学術文献」という対象が、どこまでを本体と認めるかという一つの判断で倍近く動く。
比較的安定した指標が、米国科学財団がスコーパスを用いて集計する科学・工学論文数で、2022年の世界総数は約330万件である。ただしこの集計も、スコーパスの収録誌からさらに「疑わしい雑誌」を除くフィルタを掛けた後の数であって、商業データベースの母集団をそのまま数えたものではない。何を数えたかという問いは、一段では終わらない。
| 母集団 | 始まり | 規模 | 何を入れるか |
|---|---|---|---|
| クロスレフ | 2000年 | 約1億8000万件(2026年) | 識別子を振られた出版物すべて。出版者の申告で、査読の有無を問わない |
| スコーパス | 2004年 | 活動中2万7000〜2万8000誌 | 商業データベースとしての選別。自然科学・生物医学に傾く |
| ウェブ・オブ・サイエンス | 1964年(科学引用索引) | コア・コレクション2万2000誌余り | 四つの索引を束ねた選別。スコーパスとの共通誌は1万5000前後 |
| オープンアレックス | 2022年 | 2億7130万件(2025年11月) | 選別しない。加えられた1億9200万件は既定で集計から外れる |
| 米国科学財団の集計 | 毎年 | 約330万件(2022年の年間) | スコーパスからさらに「疑わしい雑誌」を除いた後の数 |
| ウルリッヒ(参考) | ── | 査読誌6万3013誌(2016年) | 選別された索引が世界の三分の一しか見ていないことの目安 |
表7同じ「世界の学術文献」が、母集団の取り方でどれだけ動くか
伸び方は早くから指数関数だと指摘されてきた。デレク・デ・ソラ・プライスは1963年の『リトル・サイエンス、ビッグ・サイエンス』で、学術雑誌の数が18世紀半ば以降ほぼ一定率で増え、50年ごとに10倍になってきたことを示し、倍加時間(倍增时间 / doubling time)を十数年と見積もった。2015年の計量書誌学的分析は第二次大戦後の伸びを年8から9%、倍加およそ9年と算出したが、同じ研究者たちが新しいデータベースを加えて2021年に行った再分析は、年4.10%、倍加17.3年としている。倍近い開きは、世界が変わったからではなく、何を母集団に取るかが変わったからである。
出版の作法は分野によって別の文化を持つ。数学では著者が少なく、論文は長く、引用の蓄積も遅い。プレプリント(预印本 / preprint)としてのみ公開し、雑誌に投稿しなかったのは、雑誌掲載が業績の唯一の通路ではないという分野の感覚を映している。対極が実験物理である。2015年のヒッグス粒子の質量に関する共同論文は、著者が5154名(集計により5153名とも報じられる)を数えた。人文学では書物が単位であり続け、論文数で測ると過小評価される。計算機科学は査読付き国際会議を主戦場とし、機械学習の主要会議である神経情報処理システム会議の投稿数は、2014年の1700件足らずから2024年には1万5000件を超えた。
プレプリントは、この地図に新しい層を加えた。アーカイヴは1991年、ロスアラモスのポール・ギンスパルグが高エネルギー物理の草稿を配布する仕組みとして始めた。収録数は2014年末に100万件、2022年初めに200万件、2026年4月に300万件を超えた。100万件を積み増す時間が、7年余りから4年余りへ縮んでいる。月間投稿は2025年後半に2万8000件近くとなり、2026年半ばには3万件を超えた。生物学では2013年に、医学では2019年に同種の基盤が開かれ、感染症の流行期には査読前の草稿が政策判断の材料になった。査読を経ていない文書が事実上の一次文献として流通する事態を、既存の集計は長らく数えてこなかった。
論文にならない知もある。特許は年間370万件規模で出願されるが、内容が学術誌に載ることは稀である。公的機関の技術報告、データセット、研究用ソフトウェア、診療ガイドライン、政策文書 ── 灰色文献(灰色文献 / grey literature)と総称される。1990年代末のルクセンブルク会議で定義され2000年代に改訂されたこの術語の要は、出版を本業としない機関が生む情報という点にあり、書誌データベースの外にあることは条件ではなく結果である。実務で最も参照される文書ほど、学術的な計数からこぼれ落ちる。論文数の増加を知識生産の増加と読み替えるとき、この落差は無視できない。
人と金
研究に従事する人間を数えるには、まず1人を定義しなければならない。講義と管理業務の合間に研究する大学教員は、何人分と数えるべきか。フルタイム換算(全时当量 / full-time equivalent)であり、1人が1年間を全時間研究に費やした場合を一とし、労働時間の研究への配分比率で按分する。半分を教育に充てる教員は0.5人と数える。
この規約を含む研究開発統計の作法を定めるのが、経済協力開発機構のフラスカティ・マニュアル(弗拉斯卡蒂手册 / Frascati Manual)で、2015年の第七版が現行版である。同マニュアルは研究開発活動を、新規性・創造性・不確実性・体系性・移転可能性ないし再現可能性という五つの要件を満たす活動と定義した。第五の要件が二つの語を含むのは偶然ではない。成果が他者に引き渡せることと、成果が繰り返し得られることは別の条件であり、統計上の可否判定ではしばしば前者が決め手になる。定義が先にあり、統計はその写しである。
この規約に沿った世界集計が、2021年の『ユネスコ科学レポート』である。同報告は2018年時点の世界の研究者を約885万人(フルタイム換算)とし、2014年からの4年間で13.7%増えたと述べた。同期間の世界人口の伸びは4.6%で、人口の3倍の速度である。研究開発支出も同期間に19.2%増え、対GDP比は1.73%から1.79%へ上がった。研究は、経済より速く膨らむ部門である。
この数には二重の留保が要る。第一に、フルタイム換算という按分の規約が揃っても、そもそも誰を研究者として数えるかは国により違う。博士課程の学生を算入する国とそうでない国があり、国際比較の分母は完全には揃わない。第二に、これは2018年の値である。世界を覆う集計は各国統計の到着を待つため数年遅れて確定し、2020年代半ばの時点でも、これより新しい包括的な世界値は得られない。
現在を語るとき、手にしているのはつねに数年前の現在である。
国別の研究開発費の対GDP比(研发经费投入强度 / R&D intensity)を見ると、2023年の統計でイスラエルが6.3%、韓国が5.0%と突出し、経済協力開発機構全体では2.7%、欧州連合27か国では2.1から2.2%であった。後者が幅を持つのは、経済協力開発機構の系列とユーロスタットの公表とで数が分かれるためである。米国は3.4%で、額にすると8234億ドルと世界最大である。日本も3.4%前後で推移している。
ただしこの8234億ドルは経済協力開発機構の基準による値であり、米国科学財団の全国集計は同じ年の米国の研究開発費を9370億ドルとしている。同じ国の同じ年について、国際比較の表と国内統計の表が1割以上違う数を載せる。中国は2.6%だが、伸び率が違う。2023年の伸びは8.7%で、米国の1.7%、欧州連合の1.6%を大きく上回った。国家統計局らの公報によれば、2024年の研究開発費は3兆6326.8億元、前年比8.9%増である。比率の順位と、増分の順位は別のものを語っている。
| 国・地域 | 対GDP比(%) | 併記すべきこと |
|---|---|---|
| イスラエル | 6.3 | 突出した二国。額ではなく比率での首位 |
| 韓国 | 5.0 | 同上 |
| 米国 | 3.4 | 8234億ドル(OECD基準)。米国科学財団の全国集計では9370億ドル |
| 日本 | 3.4 | 前後で推移 |
| 経済協力開発機構全体 | 2.7 | ── |
| 中国 | 2.6 | 2023年の伸び8.7%。2024年は3兆6326.8億元、前年比8.9%増 |
| 欧州連合27か国 | 2.1〜2.2 | 幅は系列の違い。2023年の伸び1.6% |
表8研究開発費の対GDP比 ── 2023年
支出の中身は三つに分けられる。基礎研究(基础研究 / basic research)は特定の応用を想定しない知識の獲得、応用研究は特定の目的に向けたそれ、開発は既存知識による新製品・新工程の産出である。境界はあいまいで、同じ活動が申告の仕方で別の欄に入る。中国では基礎研究の比率が長く5%台に留まったが、2024年に2500.9億元、全体の6.88%となり、過去最高を記録した。額としては米国に次ぐ世界第二位と見られるが、この順位も為替換算か購買力平価かで動く。比率でみれば、なお主要先進国の水準を下回る。
資金の出所も大きく移動した。米国では連邦政府が国内の研究開発の67%を負担していた1964年が頂点で、2000年には四分の一に落ち、2020年には企業が73%を担うに至った。国家が科学を養う時代から、企業が科学を養う時代への移行である。連邦の支出額自体は増えているから資金量の減少ではないが、何が研究されるかを決める重心は動いた。企業が負担しにくい領域、すなわち成果が誰のものにもなりにくい基礎研究において、この移行は最も重い。
人の側では、養成と受け皿の乖離が顕著である。米国では2023年に5万7862人が研究博士号を取得し、うち1万9393人が一時滞在ビザの保持者で、その86%は科学・工学分野である。中国も2010年代を通じて博士号授与数を急増させ、2020年代前半には年間の授与数で米国を上回った。理工系の差はさらに大きいという推計もあるが、授与数か修了者数かで値は動く。一方、大学の常勤ポストは同じ速度では増えない。英国王立協会が2010年に公表した報告の経路図は、理系博士課程修了者を100としたとき、大学の任期なし研究職に至るのは約3.5、教授に至るのは約0.45にすぎないと推計した。博士課程が大学教員の養成課程だという前提は、既に崩れている。
結果として現れるのが、ポスドク(博士后 / postdoctoral researcher)の滞留である。博士号取得後の任期付き研究職は独立までの短い移行期間として設計されたが、実質的な長期雇用形態になった。米国国立衛生研究所の主要研究費を初めて獲得する年齢の中央値は、1980年ごろの30代半ばから2010年代には40代前半へと上がった。独立が10年近く遅れたのである。日本でも、研究大学の39歳以下の教員に占める任期付きの割合は、2013年度から2019年度にかけて6割前後で高止まりした。大学の本務教員に占める25歳から39歳の比率は、1986年度の39.0%から2019年度の22.0%へ落ちている。若手が減り、残った若手の多くが任期付きである。
労働の実態は、国境を越える移動と切り離せない。米国の博士号取得者の三分の一が一時滞在ビザ保持者であることは、受け入れ国の研究が移民に依存し、送り出し国が育成費用を負担していることを同時に示す。研究者に占める外国出身者の比率は国により極端に開き、大学の研究職や博士課程在籍者で半分前後に達する国がある一方、ほとんど受け入れのない国もある。ただし各国の統計は「研究者」の範囲も「外国出身」の定義も揃っておらず、この比較には幅を見込まなければならない。近年はこれに政治が加わり、査証や輸出管理、安全保障を理由とする審査が、どこで誰と研究できるかを規定するようになった。研究の労働市場は、制度によって仕切られた複数の市場の集合である。
地図の書き換え
20世紀後半の科学地図は、米国の突出によって特徴づけられた。第二次大戦後の連邦資金、欧州からの亡命科学者、大学院制度の拡張が重なり、論文数でも受賞者数でも米国が単独で世界の3割前後を占める時期が続いた。この構図が崩れる過程は、単一の年に起きたのではなく、指標ごとに別々の年に起きた。どの指標を見るかで、地図が書き換わった時点が変わるのである。
量の指標では、米国科学財団がスコーパスを用いて行う集計において、2016年に中国の科学・工学論文数が米国を上回った。それ以降も差は開き続けている。ただしこの集計自体、共著論文を参加著者の比率で按分する分数カウント(分数计数 / fractional counting)による。共著論文を関与国すべてに1本ずつ算入する整数カウントに切り替えれば、国際共著の多い国ほど数が膨らみ、順位も動く。同じ論文集合が、按分の規約を変えるだけで別の国別分布を見せる。
しかも「分数カウント」という同じ語が、集計主体によって別の操作を指している。米国科学財団は参加著者の比率で按分し、日本の科学技術・学術政策研究所は著者の所属機関の国の数で按分する。一国から10名、他国から1名が参加した論文は、前者では10対一に、後者では一対一に分かれる。同じ名を持つ二つの規約が、同じ論文に別の重みを与えるのである。その科学技術・学術政策研究所の集計では、2021年から2023年の平均で日本の論文数は7万225本、世界五位であり、中国・米国・インド・ドイツに次ぐ位置にある。
量が質を伴っているかは、被引用回数上位論文(高被引论文 / highly cited papers)で測られることが多い。分野と出版年ごとに上位10%、あるいは上位1%に入る論文の数を数える方法である。この指標でも、2020年代前半に中国が首位に立った。同じ期間、日本の順位は論文数でも上位論文でも下がり続けた。ここで注意すべきは、上位論文の指標が引用の分布を前提にしていることである。引用は研究者人口に比例して増えるから、人口の大きい国ほど有利に働く。指標は中立な物差しではなく、特定の集計方式が持つ癖である。
技術の側の指標はまた別の像を結ぶ。世界の特許出願は2024年に約372万5000件で、うち中国国家知識産権局が受理したのは180万件、世界の49.1%に達した。この比率は2014年の34.6%から10年で15ポイント近く上がっている。アジア全体では世界の70.1%を占めた。ただし国内出願は制度と補助金の影響を強く受けるため、件数は技術力の直接の尺度にならない。複数国に出願された同一発明をまとめて数えるパテントファミリー(专利族 / patent family)で測ると像は変わり、日本はこの指標で首位を保っている。同じ「特許で測った国力」が、数え方で入れ替わる。
欧州連合は、加盟国の資金に上乗せする形の枠組み計画を1980年代から積み重ねてきた。2014年から2020年のホライズン2020は約800億ユーロ、後継のホライズン・ヨーロッパは2021年から2027年で約955億ユーロの規模を持つ。2007年に設置された欧州研究会議は、国籍や国境を問わず個人の卓越性のみで配分する制度として、大陸規模の研究市場を作ろうとした。それでも欧州連合27か国の研究開発費の対GDP比は2%台前半に留まり、2000年代初頭に掲げた3%という目標には20年以上届いていない。
新しい伸びは複数の場所から来ている。インドは論文数で世界上位に定着し、ブラジルは自国語での出版と国際誌への進出を並行させ、イランは2000年代以降、制裁下にありながら論文数を急伸させた。これらの伸びは、しばしば国内の大学拡張と、業績に連動した昇進制度の導入によって説明される。数が政策に応答する以上、数の伸びを知の伸びと同一視することはできない。
国際共著(国际合著 / international co-authorship)の増加は、この期間で最も一貫した傾向である。米国科学財団の集計では、複数国の著者を含む論文の比率は2000年の7本に1本から、2020年には4本に1本近くまで上がった。人口の小さい国では6割から8割に達する。ただしこの数字の解釈は一つではない。対等な協力の増加とも読めるし、大型装置・大規模コホート・高性能計算といった集中した資源への、資源を持たない側からのアクセス経路とも読める。共著者一覧は、しばしば資源の分布図でもある。
そして政治が地図を直接に書き換えることがある。米国と中国の共著論文は2019年前後を頂点として減少に転じ、その後の数年で2割を超える規模で縮んだと複数の分析が報告している。両国に所属を持つ研究者の数も減った。研究の国際化は不可逆の趨勢と語られがちだが、実際には制度と安全保障の判断によって短期間で反転しうる。
最後に言語である。2010年代末の分析では、ウェブ・オブ・サイエンス収録文献の95%超、スコーパスでも90%を超える文献が英語であった。一方、非英語の学術出版は消えていない。中国語では大規模な国内論文データベースが数千誌規模を収め、ロシア語圏、ラテンアメリカ、日本にもそれぞれ公的ないし地域的な出版基盤がある。中国語の総合データベース、ラテンアメリカの公的な電子出版基盤、日本の公的機関が運営する数千誌規模の電子ジャーナル基盤 ── いずれも国際的な引用索引とはほとんど重ならない。したがって、これまで述べてきた国別の順位はすべて、英語を主体とするデータベースで測った順位である。順位表の上下が語っているのは、どこで知が作られたかではなく、どの索引がどこを映したかである。
何が数えられていないか
最も大きな空白は、地理的に偏っている。アフリカ大陸は世界人口の2割近くを占めるが、国際的な書誌データベースで測った研究成果の比率は1から2%の水準にとどまるとされる。ただしこの数字自体が問題を含んでいる。サハラ以南アフリカの生物医学系雑誌を対象に、複数のデータベースの収録範囲を比較した研究は、アフリカの雑誌を最も多く収める基盤が国際的な商業データベースではなく、アフリカの非営利団体が運営する電子基盤であることを示した。この基盤は500誌以上を公開しているが、その大半は主要な引用索引に収録されていない。数字が小さいのは、研究が少ないからだけではない。
ここには循環がある。索引に入らない雑誌は引用されにくく、引用されない雑誌は影響力の基準を満たせず、基準を満たさない雑誌は索引に入れない。可視性の欠如が可視性の欠如を生む構造で、当事者の努力では抜け出しにくい。加えて、地域固有の主題 ── 熱帯の作物病害、地域の言語、地方の行政制度 ── は国際誌の関心の外に置かれやすい。国際的な重要性という選別の基準は、中立に見えて、既に可視である研究の分布を再生産する。
別種の空白が、先住民と地域の知(土著和地方知识 / indigenous and local knowledge)である。数世代にわたる観察の蓄積として保持され、しばしば口承と実践の形をとるこれらの知は、論文という単位に馴染まない。生物多様性と生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォームは、その評価報告に先住民と地域の知を明示的に組み込む手続きを設けた。しかし組み込みは新たな問題を生む。誰が代表するのか、記録の権利は誰にあるのか、成果から生じる利益はどう配分されるのか。2010年に採択された名古屋議定書は遺伝資源について利益配分の枠組みを定め、2019年には先住民のデータ管理に関する原則が提唱された。公開と共有を善とする科学の作法が、そのままでは適用できない領域がある。
産業界の研究は、規模の大きさに比して見えない。経済協力開発機構の各国では企業部門が研究開発の実行の7割前後を担うが、その成果の大半は論文にならない。しかも企業の科学離れは統計的に確認されている。1980年から2006年の大企業を分析した研究は、企業科学者による論文が多くの産業で減少した一方、特許で測られる技術的知識の価値は安定していたことを示し、企業は科学が生む「卵」を求めるが「鵞鳥」自体は飼わなくなったと結論した。ベル研究所型の基礎研究部門が縮小した後、その空白は誰も埋めていない。
近年、この不可視性は新しい形で拡大している。有力な機械学習モデルの技術報告が、構成・規模・訓練データ・訓練手法を意図的に開示しないと明記する例が2020年代前半に現れ、以後は珍しくなくなった。スタンフォード大学の年次報告は、2025年に発表された注目すべき最先端モデルの9割超が産業界から出たとしている。分野の最前線が、査読も再現も外部検証もない文書によって定義されるようになった。学術データベースで機械学習分野を数えても、その分野で実際に何が作られたかは分からない。
軍事研究の空白はより古く、より制度化されている。米国の1946年原子力法は、核兵器に関する情報を「生まれながらに秘密」とする分類を導入した。誰が生み出したかを問わず、政府が関与しなくても、その種の情報は自動的に機密になる。輸出管理や安全保障指定の下に置かれた研究は、その存在すら公表されないことがある。国家の研究開発支出のうち防衛目的の比率は各国の統計で公表されているが、その内側で何が知られたかは、統計の外にある。
結果が出なかった研究の未発表 ── 出版バイアス(发表偏倚 / publication bias)── は、可視の文献そのものを歪める。2008年の分析は、米国食品医薬品局に登録された抗うつ薬の臨床試験74件を追跡し、そのうち31%、被験者数にして3449人分の試験が公表されていなかったことを示した。当局が肯定的と判定した試験はほぼすべてが公表されたのに対し、否定的ないし疑わしいと判定された試験の多くは公表されず、公表されたものも肯定的な結論として提示されていた。この選別により、薬効の推定値は薬剤ごとに11から69%、薬剤群全体で32%過大になっていた。存在しない文献が、存在する文献の意味を変えるのである。
臨床試験登録(临床试验注册 / clinical trial registration)である。試験の開始前に設計と主要評価項目を公開の登録簿に記載し、結果の如何にかかわらず一定期間内に報告することを義務づける。米国では2007年の法改正で、対象となる試験は終了後12か月以内の結果登録を求められることになった。だが遵守率は長く低いままだった。2008年から2012年に終了ないし中止した対象試験のうち、12か月以内に結果を登録したものは13.4%である。2017年に規則が強化された後を対象とした分析でも40.9%で、約3倍に伸びてなお半数に届かない。2020年代半ばになっても、対象と見られる研究の3割近くが結果を提出していないと当局自身が推定し、多数の実施主体に督促が送られている。制度は作られたが、機能は追いついていない。
データの共有も同様である。2014年の研究は、2年前から22年前までに公表された516本の論文の著者にデータを請求し、入手できる確率が論文の年齢1年あたり17%ずつ下がることを示した。20年前の論文のデータは、事実上失われている。原因の一つは単純で、著者の連絡先が有効である確率が年7%ずつ下がっていくことにある。論文は図書館と索引に残るが、その論文が依拠したデータは、誰も撤去しないまま静かに到達不能になっていく。存在しない文献が文献の意味を変えるのと同じように、到達できないデータは、到達できる論文の検証可能性を後から取り消す。
数えられないものを数えようとする試みは、それ自体が近年の重要な動きである。収録を選別しない書誌データベース、研究者に永続的な識別子を与える仕組み、研究機関の名寄せ台帳、データセットへの識別子付与、臨床試験と社会科学実験の登録簿、政策文書の引用を追跡する基盤 ── いずれも2000年代以降に作られ、可視の範囲を押し広げてきた。しかし押し広げられた範囲もまた、識別子を振れるもの、電子化されたもの、公開を選んだものに限られる。知の総量を測る試みは、測定の枠組みが同時に選別の枠組みであるという条件から、原理的に逃れられない。ここまでに並べた数はすべて、その条件のもとで読まれなければならない。
事実の台帳 確 70 / 推 11 / 争 2
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確『ジュルナル・デ・サヴァン』と『フィロソフィカル・トランザクションズ』はともに1665年に創刊された両誌の創刊号(1665年1月/3月)
- 確『フィロソフィカル・トランザクションズ』は当初、王立協会書記オルデンバーグの私的事業として刊行された王立協会の刊行史および同誌初期の刊記
- 確序論・方法・結果・考察という定型が医学雑誌で優勢になるのは1970年代であるSollaci & Pereira, *Journal of the Medical Library Association* 92(2004年)、1935〜1985年の医学誌の分析
- 確ガーフィールドは1955年に『サイエンス』誌で引用索引の構想を示し、1964年に科学引用索引が刊行されたGarfield, "Citation Indexes for Science", *Science* 122(1955年)、および Science Citation Index の刊行開始
- 確クロスレフは2000年に発足したDOI登録機関であり、雑誌論文のほか書籍の章・会議録・プレプリント・データセット・査読報告・助成金記録を登録するCrossref の事業概要
- 確2026年公開のクロスレフ年次データファイルは約1億8000万件の記録を含み、前年からの増加は1270万件(7.6%)であるCrossref, 2026 public data file 公表
- 確スコーパスは2004年開始で、2020年代半ばの活動中収録誌は2万7000〜2万8000であるElsevier の収録誌一覧
- 確ウェブ・オブ・サイエンス・コア・コレクションは四つの索引の集合で、2万2000誌余りを収録するClarivate の収録範囲説明(SCIE 約9400、SSCI 約3500、AHCI 約1800、ESCI 約7800)
- 確2016年の比較では、ウェブ・オブ・サイエンス1万3605誌、スコーパス2万346誌に対し、ウルリッヒは査読誌6万3013誌を記録していたMongeon & Paul-Hus, *Scientometrics* 106(2016年)
- 確両データベースは自然科学・工学・生物医学に偏り、社会科学・人文学および非英語誌を過小に収録する同論文
- 確スコーパスとウェブ・オブ・サイエンス・コア・コレクションの共通収録誌は約1万5000である(実測1万4917誌)両社の収録誌一覧の突合(2020年代半ば)
- 確灰色文献は、出版を本業としない政府・学術機関・企業・産業が印刷および電子の形で生む情報として国際会議で定義された術語である第三回国際灰色文献会議(ルクセンブルク、1997年)の定義および2004年ニューヨーク会議での改訂
- 確オープンアレックスは2022年公開で、マイクロソフト・アカデミック・グラフ(2021年終了)を引き継いだOurResearch による公表
- 確オープンアレックスの本体収録数は2025年11月時点で約2億7130万件である。同月の全面改修で加えられた約1億9200万件は、書誌情報の質が揃わないため既定では検索・集計の対象外に置かれる拡張分であり、本体に合算されるものではないOpenAlex の公表資料および2025年の年次総括
- 確スコーパスに基づく集計で、2022年の世界の科学・工学論文数は約330万件であるNational Science Board, *Science & Engineering Indicators*
- 確同集計はスコーパス収録誌をそのまま数えるのではなく、「疑わしい雑誌」を除くフィルタを掛けた後の母集団による同書の方法論付録
- 確プライスは学術雑誌数が18世紀半ば以降ほぼ一定率で増え、50年ごとに10倍になってきたと論じたPrice, *Little Science, Big Science*(1963年)
- 確2015年の分析は第二次大戦後の成長率を年8〜9%と算出したBornmann & Mutz, *JASIST*(2015年)
- 確同じ研究者らによる2021年の再分析は全体成長率を年4.10%、倍加時間17.3年としたBornmann, Haunschild & Mutz, *Humanities and Social Sciences Communications*(2021年)
- 推成長率推定の開きは主として母集団の取り方の違いに由来する二論文が用いたデータベースの差(WoS/Scopus のみか、Dimensions/Microsoft Academic を加えるか)からの解釈
- 確ペレルマンはポアンカレ予想の解決を2002年から2003年にかけてプレプリントとしてのみ公開し、雑誌に投稿しなかったarXiv 掲載の3本の草稿
- 確2015年のアトラスとCMSの共同論文の著者数は5154名である(集計により5153名とも報じられる)Aad et al., *Physical Review Letters* 114, 191803(2015年)
- 確機械学習の主要国際会議である神経情報処理システム会議の投稿数は、2014年の1700件足らずから2024年には1万5000件を超えた同会議の各年の主催者公表統計
- 確アーカイヴは1991年にポール・ギンスパルグが開始したarXiv の沿革
- 確アーカイヴの収録数は2014年末に100万件、2022年初めに200万件、2026年4月に300万件を超えた(300万件通過は同年7月の告知で公表された)arXiv の公表
- 確アーカイヴの月間投稿数は2025年後半に2万8000件近くとなり、2026年半ばには3万件を超えたarXiv の月間投稿統計
- 確生物学向けのプレプリント基盤は2013年、医学向けは2019年に開設されたbioRxiv(2013年11月)、medRxiv(2019年6月)
- 確世界の特許出願は2024年に約372万5000件であるWIPO, *World Intellectual Property Indicators 2025*
- 確フルタイム換算は、研究に充てた労働時間の比率で人員を按分する規約であるOECD『フラスカティ・マニュアル』第七版(2015年)
- 確同マニュアルは研究開発を、新規性・創造性・不確実性・体系性・移転可能性ないし再現可能性(transferable and/or reproducible)の五要件を満たす活動と定義する同書
- 推フルタイム換算の規約が揃っても、誰を研究者に算入するかは国により異なり(博士課程学生の扱いが分かれる)、国際比較の分母は完全には揃わない各国の研究開発調査の対象定義と『フラスカティ・マニュアル』の勧告との差からの解釈
- 推2020年代半ばの時点でも、2018年より新しい包括的な世界研究者数・世界研究開発支出の値は得られないユネスコ統計研究所の公表周期と各国統計の到着時期からの評価
- 確2018年の世界の研究者は約885万人(フルタイム換算)で、2014年から13.7%増、同期間の世界人口の伸びは4.6%であるUNESCO, *Science Report: The Race Against Time for Smarter Development*(2021年)
- 確同期間に世界の研究開発支出は19.2%増え、対GDP比は1.73%から1.79%へ上がった同報告
- 確2023年の研究開発費対GDP比はイスラエル6.3%、韓国5.0%、米国3.4%、中国2.6%、EU27か国2.1%、OECD全体2.7%であるOECD, Main Science and Technology Indicators。ただしEU27か国の同年値はEurostatの公表では2.2%であり、集計主体で分かれる
- 確日本の研究開発費対GDP比は2020年代前半を通じて3.4%前後で推移しているOECD, Main Science and Technology Indicators/総務省『科学技術研究調査』
- 争2023年の米国の研究開発費の額8234億ドル(Main Science and Technology Indicators)、米国科学財団の全国集計では9370億ドル(NSF NCSES, National Patterns of R&D Resources)。対象範囲と計上基準の差により、同一国・同1年について1割以上異なる値が並立する
- 確2023年の研究開発費の伸びは中国8.7%、米国1.7%、EU1.6%であるOECD, Main Science and Technology Indicators
- 確中国の2024年の研究開発費は3兆6326.8億元(前年比8.9%増)、うち基礎研究は2500.9億元で全体の6.88%である中国国家統計局・科学技術部・財政部『2024年全国科技経費投入統計公報』
- 推中国の基礎研究費は額として米国に次ぐ世界第二位である各国の基礎研究費公表値の比較による評価。為替換算か購買力平価かで順位は動きうる
- 確経済協力開発機構加盟国では企業部門が研究開発の実行の7割前後を担うOECD, Main Science and Technology Indicators(実行部門別支出)
- 確米国の連邦政府による研究開発資金負担比率は1964年の67%を頂点に、2000年には25%へ低下し、2020年には企業が73%を担ったNSF NCSES, National Patterns of R&D Resources
- 確2023年の米国の研究博士号取得者は5万7862人で、うち一時滞在ビザ保持者が1万9393人(34%)、その86%が科学・工学分野であるNSF NCSES, Survey of Earned Doctorates 2023
- 推中国の博士学位授与数は2020年代前半に年8万人規模に達し、年間の授与数で米国を上回った教育部『全国教育事業発展統計公報』各年版と SED 2023 の突合による評価。学位授与数を数えるか課程修了者数を数えるかで値は動く
- 推研究者に占める外国出身者の比率は国により極端に開き、大学の研究職や博士課程在籍者で半分前後に達する国がある一方、ほとんど受け入れのない国もある各国統計の比較による評価。「研究者」の範囲も「外国出身」の定義(出生地か国籍か)も国により揃わず、比較には幅を要する
- 確英国王立協会の2010年報告の経路図は、理系博士修了者を100としたとき大学の任期なし研究職に至るのが約3.5、教授に至るのが約0.45という推計を示したRoyal Society, *The Scientific Century: securing our future prosperity*(2010年)、図1.6
- 確日本の研究大学における39歳以下の教員に占める任期付きの割合は、2013年度60.0%、2019年度60.5%であるNISTEP『研究大学における教員の雇用状況に関する調査』(2020年)
- 確日本の大学教員に占める25〜39歳の比率は1986年度39.0%から2019年度22.0%へ低下した同調査および文部科学省の統計
- 推米国国立衛生研究所の主要研究費を初めて獲得する年齢は1980年ごろの30代半ばから2010年代の40代前半へ上昇したNIH の受給者年齢統計に基づく評価。集計年と対象種別により値は動く
- 確スコーパスに基づく集計で、中国の科学・工学論文数は2016年に米国を上回った。この集計は参加著者の比率で按分する分数カウントによるNational Science Board, *Science & Engineering Indicators*(方法論付録)
- 確「分数カウント」の按分単位は集計主体により異なる。米国科学財団は参加著者の比率で、NISTEPは著者の所属機関の国の数で按分する前掲書の方法論付録および NISTEP『科学技術指標』の計量方法
- 確分数カウントによる2021〜2023年平均で、日本の論文数は7万225本、世界五位(中国・米国・インド・ドイツに次ぐ)であるNISTEP『科学技術指標2025』
- 確2020年代前半に、中国は被引用回数上位10%論文および上位1%論文の数で世界一位となったNISTEP『科学技術指標』各年版および『科学研究のベンチマーキング』
- 確日本はパテントファミリー数で世界一位であるNISTEP『科学技術指標2025』
- 確2024年の中国国家知識産権局の特許出願受理は180万件、世界の49.1%で、2014年の34.6%から上昇した。アジア全体は70.1%であるWIPO, *World Intellectual Property Indicators 2025*
- 確ホライズン2020(2014〜2020年)は約800億ユーロ、ホライズン・ヨーロッパ(2021〜2027年)は約955億ユーロの規模を持つ欧州連合の予算文書
- 確欧州研究会議は2007年に設置された欧州委員会の決定
- 推欧州連合の研究開発費対GDP比は2000年代初頭に掲げた3%目標に20年以上到達していないリスボン戦略以降の目標設定と、Eurostat / OECD の実績値からの評価
- 確複数国の著者を含む論文の比率は2000年の約7本に1本から2020年には約4本に1本へ上がったNational Science Board, *Science & Engineering Indicators*(Scopus に基づく集計)
- 確米中共著論文は2019年前後を頂点に減少し、2021年までに2割を超える規模で縮んだVan Noorden, *Nature*(2022年)ほか Scopus / InCites に基づく複数の分析
- 争米中共著減少の主因安全保障政策と査証審査を主因とする見方と、中国側の自立志向および国内共著の増加を主因とする見方が並立する
- 確2010年代末の分析で、ウェブ・オブ・サイエンス収録文献の95%超、スコーパス収録文献の90%超が英語であったVera-Baceta, Thelwall & Kousha, *Scientometrics*(2019年)
- 確中国語の国内論文データベースは数千誌規模の学術誌を収録する中国知網(CNKI)および万方数据の収録誌統計
- 確ラテンアメリカ、ロシア語圏、日本にはそれぞれ国内・地域の学術出版基盤があり、国際的な引用索引とはほとんど重ならないSciELO、eLIBRARY.ru、J-STAGE の各収録範囲(各基盤の成立と課金構造の詳細はF章)
- 確日本では公的機関の運営する電子ジャーナル基盤が数千誌を公開しているJ-STAGE(科学技術振興機構)
- 推イランは2000年代以降、制裁下にありながら論文数を急伸させたScopus / Web of Science に基づく国別論文数の時系列からの評価
- 推アフリカ大陸の研究成果が国際的な書誌データベースで世界の1〜2%とされるのは、研究量の少なさと索引の非収録の両方に由来する各種の集計値と、下記の収録範囲比較研究からの解釈
- 確サハラ以南アフリカの生物医学誌を最も多く収録するのは国際的な商業データベースではなく、アフリカの非営利基盤である収録範囲の比較研究(Web of Science / Scopus / EMBASE / MEDLINE / African Index Medicus / African Journals OnLine の比較、2023年)
- 確African Journals OnLine は500誌以上を公開しているAJOL の公表
- 確生物多様性と生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォームは、評価に先住民と地域の知を組み込む手続きを設けているIPBES の方法論指針
- 確遺伝資源の利用から生じる利益配分の枠組みは2010年に採択された名古屋議定書
- 確先住民のデータ管理に関する原則が2019年に提唱されたCARE Principles for Indigenous Data Governance, Global Indigenous Data Alliance
- 確1980〜2006年の大企業の分析は、企業科学者の論文が多くの産業で減少した一方、特許で測る技術的知識の価値は安定していたことを示したArora, Belenzon & Patacconi, *Strategic Management Journal* 39(2018年)
- 確有力な機械学習モデルの技術報告が、構成・規模・訓練データ・訓練手法を開示しないと明記する例が2020年代前半に現れたOpenAI, *GPT-4 Technical Report*(2023年)における非開示の明示
- 確2025年に発表された注目すべき最先端モデルの9割超が産業界から出たStanford HAI, *AI Index Report*(2026年版)
- 確米国の1946年原子力法は、核兵器関連情報を政府の関与にかかわらず機密とする「生まれながらの秘密」の分類を導入したAtomic Energy Act of 1946, restricted data 条項
- 確米国食品医薬品局に登録された抗うつ薬試験74件のうち31%(被験者3449人分)が未公表であり、公表された文献に基づく効果量は薬剤ごとに11〜69%、薬剤群全体で32%過大であったTurner et al., *New England Journal of Medicine* 358(2008年)
- 確米国では2007年の法改正により、対象となる臨床試験は終了後12か月以内の結果登録を義務づけられたFDA Amendments Act of 2007(および2017年の最終規則)
- 確2008〜2012年に終了・中止した対象試験のうち12か月以内に結果を登録したものは13.4%であったAnderson et al., *New England Journal of Medicine* 372(2015年)
- 確2017年の最終規則施行後を対象とした分析では、期限内の結果報告率は40.9%であったDeVito, Bacon & Goldacre, *Lancet* 395(2020年)
- 確2020年代半ばの時点でも、報告義務の対象と見られる研究の3割近くが結果を未提出であり、多数の実施主体に督促が送られたFDA による遵守状況の分析および通知(2026年)
- 確2年前から22年前までに公表された516本の論文を対象とした請求で、データを入手できる確率は論文の年齢1年あたり17%低下し、著者の有効な連絡先が得られる確率は年7%低下したVines et al., *Current Biology* 24(2014年)
- 推可視性の欠如が可視性の欠如を再生産する循環が、非英語圏および低所得国の学術誌に働いている索引の選定基準(引用実績・国際性)と収録状況の対応からの解釈
現在 ── いま学問はどうなっているか
方法の解剖(方法的解剖 / Anatomy of Method)
因果を知る三つの階段
「分かった」という言葉は、少なくとも三つの異なる達成を指す。ジューディア・パールが2018年の著作でまとめた因果のはしごでは、第一段が観察 ── Xを見たときYがどう分布するか。第二段が介入 ── Xを手で動かしたときYがどうなるか。第三段が反事実 ── 起きなかった条件のもとで何が起きていたか。三つは精度ではなく、答えられる問いの種類が違う。とりわけ第三段は遠く、一個体について処置ありと処置なしの結果を同時に見ることはできず、ポール・ホランドは1986年にこれを因果推論の根本問題と呼んだ。
段の違いは数字の裏切りとして現れる。1973年秋のバークレー校大学院入試では、男性志願者のおよそ44%、女性のおよそ35%が合格した。ところが学科ごとに分けると、多くの学科で女性の合格率のほうが高い。志願が合格率の低い学科に集中していたためである。全体と層別で向きが逆転するこの現象を、シンプソンのパラドックスという。ただし志願先は、性別と合否の共通原因ではない。性別の結果であり、合否の原因である。効く交絡(混杂 / confounding)とは構造が違い、層別は交絡を除くのではなく、性別が志願先を経由して合否に及ぼす分を切り落とす操作になる。
向きを取り違える誤りは、逆側にも起きる。曝露と結果の双方が原因となって決まる変数 ── 合流点(对撞因子 / collider)── で層別し、あるいはその値で標本を選ぶと、無関係だった二つに関連が生まれる。入院患者だけを見ると二つの疾患が負に相関するのが古典的な例で、選択バイアスや生存者バイアスもこの構造をとる。交絡因子は調整しなければならず、合流点は調整してはならない。どちらであるかはデータに書かれておらず、因果の向きの仮定でしか決まらない。共変量を増やすほど推定が良くなるという直観は、ここで破れる。下の段のデータだけでは上の段の問いが測度ゼロの例外を除いて決まらないことは、定理の形でも示された。
介入の段に登る最も確実な梯子が、割り付けを偶然に委ねることである。フィッシャーが1935年の『実験計画法』で確立したこの手続きのもとでは、測定された交絡因子も測定されていないものも、割り付けの確率のうえで処置の有無と独立になる。その帰結として、群間の背景の分布は期待値において一致する。さらに、有意性検定を正当化する確率の枠組みそのものを割り付けが供給する。未知の要因まで扱える点で、観察データの事後的な調整とは異なる。
保証の内容を過大に読んではならない。均等化されるのは期待値においてであって、個々の試験においてではない。だからこそ、実施済みの試験で「両群の背景因子に有意差がない」ことを検定するのは筋が通らない ── その帰無仮説は割り付けの手続きによってすでに真だと分かっている、と1994年にスティーヴン・センは指摘した。ランダム化は脱落や不履行、集団外への一般化を保証せず、割り付け後の偏りも扱わない。何を与えられたかを患者と観察者が知っていれば、報告も判定もそれに従って動く。盲検化は無作為化の一部ではなく、別に用意される装置である。
介入が許されない問いでは、自然が配る偶然を使うほかない。差の差分法(双重差分 / difference-in-differences)である。1992年4月にニュージャージー州が最低賃金を4.25ドルから5.5ドルへ引き上げたとき、カードとクルーガーは隣接するペンシルヴェニア州東部のファストフード店と比べ、雇用減少の証拠は見いだせないと1994年に報告した。給与台帳を用いた再分析はこれを争っている。依拠するのは、処置がなければ両群の推移は平行だったはずだという、検証できない仮定である。
閾値が人を分ける制度なら、直上と直下を比べればよい。それを1960年に全米メリット奨学金の表彰効果の測定として定式化したのが、シスルスウェイトとキャンベルの回帰不連続デザイン(断点回归设计 / regression discontinuity design)である。仮定は、閾値において結果の潜在的な値が連続であること ── 当事者がどちら側に落ちるかを精密には操作できないこと ── で、得られるのは閾値近傍の効果にすぎない。操作変数法(工具变量法 / instrumental variables)で、処置に影響し、結果へは処置を経由してしか影響しない変数の変動だけを使う。
アングリストは1990年、ベトナム戦争期の徴兵抽選番号を操作変数に、従軍が後年の所得を押し下げたと推定した。ただし取り出されるのは、抽選番号で従軍の有無が変わった者についての局所的な効果であり、番号がどうであれ従軍した者も、しなかった者も、この推定には入らない。操作変数が結果へ直接には効かないという除外制約も、データからは検証できない。三つの技法はいずれも、ある個体への処置が他の個体の結果に影響しないことも前提にする。予防接種や隣接する労働市場のように、この前提が破れる場面では、対照群そのものが処置を受けている。
弱い操作変数はさらに捉えにくい。1995年の批判論文は、出生四半期を操作変数として就学年数の収益を推定した1991年の研究について、30万件を超える標本を用いながら、操作変数を乱数に置き換えても似た推定値と標準誤差が出ると示した。標本の大きさは、この種の誤りへの守りにならない。自然実験による因果分析に2021年のノーベル経済学賞が与えられたとき、承認されたのは万能の杖ではなく、仮定を明示してその破れ方まで書く作法だった。
しばしば誤読される文書がある。オースティン・ブラッドフォード・ヒルが1965年の講演で挙げた九つの項目 ── 関連の強さ、時間的先行、量反応関係など ── である。ヒル自身が本文で明示している ── 九つのいずれも因果仮説を決定づける証拠を与えず、いずれも必要条件として要求されるものではない、と。彼の語は基準ではなく観点であった。否定は九項目すべてに及び、時間的先行も例外とされていない。それでも原因が結果に先立つことだけは要求してよい ── ヒルの権威によってではなく、因果という概念の側からそう決まっているからである。項目を数えて点数化する用法は、その意図の反対側にある。
観点の列挙が無力なのではない。コーンフィールドらは1959年、より鋭い道具を示していた。喫煙と肺癌の相対危険が九であるとき、これを未知の交絡因子だけで説明するには、その因子が喫煙者で非喫煙者の9倍以上の頻度で分布していなければならない。証明されるのは因果ではなく、対抗仮説が満たすべき条件である ── 感度分析やE値として整備される発想だ。因果の主張とは、代替説明を一つずつ潰した残余であって、チェックリストの合計点ではない。
見る・作る・回す
学問を分ける線の1本は、対象に手を出せるかどうかである。化学者はフラスコの温度を任意に設定できる。天文学者は恒星の質量を変えられない。疫学者は被験者に発癌物質を投与できない。地質学者は造山運動をやり直せない。この線は分野の優劣ではない。天文学は最も古い定量科学の一つであり、日食の予報という厳しい検証に何千年も晒されてきた。手が出せないことが妨げるのは、精度ではなく、初期条件を指定する自由である。
観察科学は、その自由を自然からの配給で代替する。恒星の一生を一つ追いかけることはできないが、あらゆる年齢の恒星が同時に空に並んでいる。個体の時間発展を集団の断面で置き換える。疫学が前節の道具立てを発達させたのも同じ理由による。介入を設計できない以上、自然が偶然に近い割り付けを行っている場面を探し当てるほかない。1854年のロンドンでジョン・スノウが用いたのは、1852年に取水口をテムズ川上流へ移したランベス社と、下流に据え置いた会社の給水区域が同じ街路で入り混じり、住民の多くが自分の水源を知らないという偶然だった。観察科学の方法論的な洗練は、実験ができないことの補償として生まれてきた。

| 型 | 初期条件を指定できるか | 代わりに何を使うか | 例 |
|---|---|---|---|
| 実験 | できる | ── | フラスコの温度を任意に設定する化学 |
| 観察 | できない | 自然が配ったばらつき。個体の時間発展を集団の断面で置き換える | あらゆる年齢の恒星が同時に空に並ぶ天文学 |
| 準実験 | できない | 自然が偶然に近い割り付けを行った場面を探し当てる | 1854年ロンドン、給水区域が街路で入り混じっていたこと |
表9見る・作る・回す ── 対象に手を出せるかどうかで方法が分かれる
歴史科学 ── 進化生物学、宇宙論、考古学、地質学 ── では、対象が過ぎ去っている点でさらに条件が厳しい。ここで働く推論を、科学哲学者キャロル・クリーランドは2001年に痕跡からの推論として特徴づけた。実験科学が仮説から予測を導いて試すのに対し、歴史科学は対立仮説を立て、それらを識別する痕跡 ── 決め手 ── を探す。この非対称には根拠がある。過去の出来事は現在に無数の痕跡を残す一方、現在の状態は未来を一意に定めない。過去は過剰決定されており、だからこそ痕跡の照合が働く。
痕跡は1本では弱く、束になって強い。ウィリアム・帰納の一致(consilience)と名づけたのは、別種の事実から独立に得られた帰納が同じ結論に収束する事態である。独立であることが要点で、前提を共有する証拠を積み上げても信頼は増えない。なお、1998年にE・O・ウィルソンが自然科学と人文学の統合という別の意味で用いたため、二つの用法が混同されやすい。方法論として意味を持つのはヒューエルの側である。
1980年、ルイスとウォルター・アルヴァレスらは、イタリア・グッビオの白亜紀と古第三紀の境界層に、地殻の平均をはるかに超えるイリジウムの濃集を報告した。当初の証拠は地球化学的な異常という1点だった。以後、衝撃変成した石英、溶融ガラス起源の球粒、津波堆積物が加わり、1991年にはユカタン半島のチクシュルーブ構造が同年代の衝突クレーターとして同定された。独立な証拠線が1点に集まり、2010年には多数の研究者による総説が衝突を主因と結論した。ただしデッカン洪水玄武岩の噴火の寄与をめぐる議論は続いており、決着したとまでは言えない。
見る・作るに続く第三の様式としてシミュレーション(模拟 / simulation)が数えられるようになったのは20世紀後半である。起源の一つはロスアラモスで、スタニスワフ・ウラムが1946年に病床のソリティアから着想し、フォン・ノイマンらと乱数を用いた計算法へ育てた。2005年の米国大統領情報技術諮問委員会の報告は、計算科学を理論・実験に並ぶ第三の柱と呼んだ。もっとも、これが認識論的に新しい様式かについては論争があり、2009年には既存の道具立ての焼き直しにすぎないという批判も出た。
計算が何を保証するかを考えるとき、二つの問いを混ぜてはならない。第一は、書いた数式をプログラムが正しく解いているかという検証(验证 / verification)である。第二は、その数式が対象を適切に写しているかという妥当性確認(确认 / validation)である。前者は数学の内部で完結し、格子を細かくしたときの収束の次数を測る、既知の厳密解を作って解かせる、といった手続きで確かめられる。後者は世界との突き合わせを要する。方程式を正しく解くことと、正しい方程式を解くこととは別だ。
後者は、しばしば原理的に不可能である。1994年、ナオミ・オレスケスらは『サイエンス』誌で、地球科学の数値モデルは検証も妥当性確認もできないと論じた。ただし彼女らの言う検証は、数式を正しく解いているかという内部の点検ではなく、モデルが真であることの確立を指す。同じ語が二つの水準で使われており、その混同こそが論点だった。自然系は閉じておらず、入力データは不完全で、未確定のパラメータが常に残る。合致は妥当性の証明ではなく、支持の一形態にすぎない ── 異なる誤りが打ち消し合って合ってしまう可能性を排除できないからである。核兵器の信頼性評価、銀河形成、気候の100年予測は、いずれも実物大の対照実験が存在しない領域にある。
だからこそ気候科学は、単一のモデルではなく束を使う。結合モデル相互比較計画のもとで各国の機関が同じ実験計画でモデルを走らせ、結果の広がりを不確実性の目安とする。ただしこの束は、可能なモデルの空間からの無作為標本ではない ── 各モデルは互いにコードや定式化を借り合い、誤差は相関する。実際、第六期の一部のモデルは平衡気候感度が他の証拠と整合しないほど高く、第六次評価報告書はモデルを等しく数え上げるのをやめ、複数の系統の証拠を突き合わせて感度を評価した。モデルを増やすことは、正しさを増やすことではない。
計算実験が予測できるものにも上限がある。決定論的な方程式でも初期条件のごくわずかな違いが指数関数的に拡大しうることは古くから知られ、大気についてはそこから見積もられる予測可能性の限界がおよそ2週間とされてきた(値は評価指標と対象量に依存する)。ただし限界の適用先を取り違えてはならない。天気予報は初期値問題であり、気候投影は境界値問題である。個々の日の気温の軌跡が予測できないことは、温室効果気体の濃度という境界条件を変えたときに気温分布の統計がどう動くかを予測できないことを意味しない。
理想化は欠陥ではなく、方法の一部である。摩擦のない斜面も、理想気体も、点質量も、世界にはない。ジョージ・ボックスの句 ── すべてのモデルは間違っているが、いくつかは役に立つ ── は、この事情の要約として広く引かれる。含意を緩めて読むのは誤りである。ボックスが1976年の論文で続けて書いたのは、精緻化を重ねて「正しい」モデルに到達することはできない、科学者は何が重要な意味で間違っているかに注意を払わねばならない、ということだった。彼はこれを「虎が出ているときに鼠を心配するな」と言い換えている。すべてが等しく間違っているのだから何でもよい、という相対主義とは正反対の主張である。問うべきは、この誤りがこの問いに効くか否かである。
統計という共通語と、その罠
統計学は分野を横断する共通語になった。素粒子物理も臨床試験も社会学も、証拠の強さを同じ語彙で述べる。だが共通語であることは、中心の概念が正しく読まれていることを意味しない。p値(p值 / p-value)ほど、日々使われながら日々誤読されている量はない。定義はこうである。帰無仮説を含む統計モデル一式が正しいと仮定したうえで、データを要約する統計量が、観測された値と同程度かそれ以上に極端な値をとる確率。条件になっているのは仮説とモデルの側であり、結論になっているのはデータの側である。したがってp値は、仮説が正しい確率ではなく、0.03は「帰無仮説が正しい確率が3%」を意味しない。条件と結論を入れ替えるこの転置の誤りは、1994年にコーエンが改めて指弾した後も生き延びている。
含みはもう一つある。p値が小さいとき、疑われるのは帰無仮説だけではない。無作為抽出、独立性、分布形、測定の妥当性、解析手順が事前に決まっていたこと ── モデル一式のどれが破れていてもp値は小さくなりうる。たとえば、途中の結果を見ながら標本を足すか打ち切るかを決めていれば、名目上の5%はもう5%ではない。小さなp値が意味するのはモデルとデータの折り合いの悪さで、どこが悪いかは指し示さない。
そもそも今日の教科書的手続きは、二つの相容れない枠組みの融合物である。フィッシャーの有意性検定はp値を証拠の連続的な尺度と見て、5%を便宜的な目安として1925年の著作で挙げたにすぎない。ネイマンとピアソンの仮説検定は、対立仮説を明示して長期的な誤り率を制御する意思決定の理論であり、αは事前に固定する。両者は対立したまま、教科書のなかで一つの儀式へ縫い合わされた。
区別すべき第二の点は、有意性と効果の大きさである。p値は効果量と標本の大きさの双方に依存するから、標本を大きくすれば実質的に無意味な差でも有意になる。逆に大きな効果が小標本のために有意にならないこともある。「有意でない」は「効果がない」の同義語ではない ── 証拠の不在は不在の証拠ではない。関連して、一方が有意で他方が有意でないとき、その二つの差が有意であるとは限らない。
多重比較はこれを増幅する。独立な検定を20回行えば、すべて帰無仮説が真でも、少なくとも1回は5%水準を下回る確率が約64%に達する。2009年の実験がこれを鮮烈に示した。死んだ大西洋サケをMRI装置に入れ、人物の写真を「見せ」、補正なしに解析すると、サケの脳腔内に有意な賦活が出た。補正の必要を説くための実験である。偽発見率を制御する1995年の手続きなど、道具は整備されている。
より捉えにくいのは、不正を伴わない自由度の乱用である。データを見てから仮説を作り事前の予測として書くこと ── HARKing ── や、共変量の組み合わせを有意になるまで試すこと ── p-hacking ── は、本人には誠実な探索と見える。2011年の実験は、四つのありふれた解析上の自由を組み合わせるだけで偽陽性率が5%から61%へ跳ね上がると示し、「ある楽曲を聴くと被験者の実年齢が1年半若返る」という有意な結果を実演した。
2016年、アメリカ統計学会は創立以来はじめて特定の統計手法について公式声明を出し、六原則を示した ── p値はデータとモデルの不整合の程度を示しうるが、仮説が真である確率でも偶然によって生じた確率でもない。結論を閾値の通過だけで下してはならない。適正な推論は完全な報告と透明性を要する。p値も有意性も効果の大きさや重要性を測らず、p値だけでは証拠の良い尺度にならない。新奇な主張は一つもない。新奇だったのは、学会が公式に言わねばならないほど事態が悪化していたことである。
議論は続いた。2019年、同学会誌の特集号の巻頭論説は「統計的に有意」という語の使用中止を呼びかけ、同年『ネイチャー』誌にも800名超の署名を伴う二分法廃止の論考が載った。ただしこれは学会の公式方針ではなく編集上の主張であり、2021年には学会長の任じた作業部会が、p値と有意性検定は適切に用いれば有用だと反論している。閾値を捨てれば選択的報告が消えるのか、判断基準が不透明になるだけなのか ── 意見は割れている。
別の枠組みも古くからある。ベイズ統計(贝叶斯统计 / Bayesian statistics)は仮説そのものに確率を与え、データを得た後の確率を事前確率と尤度から計算する。批判は事前分布の選び方の恣意性に集中してきた。ただし論点はねじれている。事前分布の影響は、母数の推定についてはデータが増えれば薄れる。だが仮説そのものを比べるときには薄れない。尤度、すなわちモデルの形の指定は、どちらの場合もデータを集めて消える仮定ではない。
両枠組みの緊張を示す古典が、1957年にリンドリーが定式化したジェフリーズ=リンドリーのパラドックスである。帰無仮説に有限の確率を置き、対立仮説に広く散らばった事前分布を置くと、5%水準で有意な結果がベイズ因子では逆に帰無仮説を支持しうる。しかも、どれほど散らばらせるかの選択が結論を動かす。同じデータが枠組みによって逆向きの結論を導くのだから、統計は判断を自動化する装置ではない。
検出力(统计功效 / statistical power)、効果が実在するときにそれを有意として検出できる確率である。コーエンは1962年、心理学の1誌の悉皆調査で、中程度の効果への検出力の中央値が0.5を下回ると示した。2013年の分析は、神経科学分野の中央値を21%程度、想定する効果量に応じておよそ8〜31%の範囲と見積もった。検出力が低いとき、有意になった研究の効果量は過大になる ── 小さな効果は小標本では有意にならず、関門を通るのは偶然大きく出た推定値だけだからである。最初の報告が最も大きな効果を示し、追試のたびに縮むという型は、不正がなくとも構造的に生じる。
事前登録(预注册 / preregistration)と登録報告(注册报告 / Registered Reports)は、これらに手続きで応える試みである。解析計画をデータ取得の前に公開し、計画の段階で査読を受け、結果によらず掲載を約束させる。米国国立心肺血液研究所の大規模心血管試験では、事前登録が要求された2000年を境に、有意な便益を報告した割合が大きく下がった。ただしこれは55件の前後比較であって、同時期の他の変化を排除できていない ── 本章の前半が戒めた読み方が、そのまま返ってくる。それでも、登録が消したのは効果ではなく確証的な装いをまとった探索だと読むのが、最も無理のない解釈だろう。悪い測定と貧しい理論は、登録しても悪いまま残る。
機械学習は方法をどう変えたか
方法をめぐる議論の地形を、この20年で最も大きく動かしたのは統計そのものの内部改革ではなく、外から来た計算である。出発点として押さえるべき区別を、ガリット・シュムエリが2010年に整理した ── 説明と予測は別の目標であり、別のモデルを要求する。説明的モデリングは理論から導かれた因果構造を検定するもので、偏りの排除を最優先する。予測的モデリングは未知の新しい観測を当てることを目標とし、偏りと分散の交換によって、真のモデルより誤ったモデルのほうがよく当たる場合がある。同じデータから、目標が違えば違う変数選択、違う評価、違う結論が出る。
シュムエリの区別の前段には、2001年のレオ・ブレイマンによる「二つの文化」の対比がある。データがある確率モデルから生成されたと仮定して係数を解釈する文化と、生成過程を未知の関数として扱い予測精度だけで評価する文化である。後者には厄介な性質が伴う ── 精度がほぼ等しく構造の異なるモデルが多数併存しうる。同じ現象について、互いに矛盾する説明を与える同等に良い予測器がいくつも作れるのだから、精度は説明の資格を与えない。
深層学習(深度学习 / deep learning)はこの性質を極端まで押し進めた。数億から数千億の重みを持つ関数が、訓練データ上で高い精度を達成する。だがその関数がどの特徴を根拠にしているかは、重みを眺めても分からない。どの画素に強く反応したかを事後に調べることはできるが、それは関数の振る舞いの記述であって、対象が従う法則の記述ではない。当てることと分かることの距離が、これほど明確に開いた道具は過去になかった。
そこで説明可能性(可解释性 / explainability)の研究が広がった。局所的に単純なモデルで近似する手法、各特徴の寄与を協力ゲーム理論の配分として計算する手法、入力のどこが出力に効いたかを画像上に可視化する顕著性地図。しかしこれらの信頼性そのものが検証を要する。2018年に発表された健全性検査は、いくつかの著名な顕著性地図の手法について、モデルの重みを完全に乱数で置き換えても、ほとんど変わらない地図が出力されることを示した。モデルの判断ではなく、画像の輪郭を描いていたにすぎない、ということである。
より原理的な批判もある。シンシア・ルーディンが2019年に述べたのは、事後的な説明は元のモデルの近似であって元のモデルではない、という点だった。近似が忠実なら元のモデルの代わりにその近似を使えばよく、忠実でないならその説明は誤りを含む。高い利害のかかる判断については、後から説明を貼るのではなく、最初から解釈可能なモデルを設計すべきだ、という主張である。反論もあるが、事後説明が万能でないことは共有されつつある。
科学における機械学習(机器学习 / machine learning)の使い方は、大きく3通りに整理できる。代理モデル(代理模型 / surrogate model)である。計算量の大きい数値シミュレーションの入出力関係を学習させ、はるかに速い近似器で置き換える。2023年に発表された気象予報モデルは、欧州中期予報センターの高解像度予報と比べ、1380の検証項目のうち約9割で上回る精度を、桁違いに短い計算時間で示した。ただし、この種のモデルは再解析データや数値モデルの出力で訓練されており、物理法則を検証しているのではなく、既存の物理モデルが体現している関係を継承している。速さは理解の増加ではない。
第二が探索の絞り込みである。合成しうる化合物、結晶構造、たんぱく質配列の空間は組み合わせ的に巨大で、実験の数は有限である。機械学習はこの空間を篩にかけ、実験の順番を決める。2023年に報告された深層学習による無機結晶の大量探索と、自律実験室による短期間での多数の新規化合物合成は、いずれも翌年、化学の側から新規性そのものを疑う検討を受けた。候補の生成と、候補が本物であることの確認とは、まったく別の作業である。第三がパターン発見で、人間が見落としていた規則性をデータから拾い上げる用法である。
この三つの交点に置かれるのがAlphaFoldである。2020年代前半に、アミノ酸配列から立体構造を当てるという長年の難問は、実用の水準では解かれた。だが何が変わらなかったかを見落としてはならない。AlphaFoldは配列から構造を当てるが、なぜその構造になるかを語らない。折りたたみの経路も、中間状態も、エネルギー地形も出力しない。一つのアミノ酸置換が構造をどう変えるかの予測は不得手であり、複数の立体配座のあいだを行き来する分子について、そのゆらぎを表現するようには作られていない。折りたたみ問題のうち解かれたのは予測の部分であって、機構の部分ではない。予測の成功が理解の代替になるかどうかは、まさに前節までの問いに戻る。
そして機械学習は、統計の罠を新しい形で再生産している。データ漏洩(数据泄露 / data leakage)── 訓練の段階で、本来は使えないはずの情報が混入すること ── がその中心にある。2023年の調査は、少なくとも17の分野、294編の論文がこの誤りの影響を受けていると報告した。時系列を無視した分割、同一被験者の訓練集合と検証集合への分散、前処理を分割前に行うこと、いずれも精度を実力以上に見せる。2018年の研究は、肺炎検出の深層学習モデルが撮影した病院を高精度で識別できることを示した ── モデルは病変ではなく、病院ごとの有病率という近道を学んでいた。2021年、胸部画像による新型コロナウイルス感染症の判定モデルを網羅的に検討した総説は、精査に付した62編のいずれについても、方法上の欠陥や偏りのために臨床利用に足るとは言えないと結論している。
仮説の生成を機械が担う段階に入ると、負荷の配分がさらに偏る。文献を読み、実験を設計し、装置を動かし、結果を解釈する一連の作業を自動化する試みが、2023年以降相次いで報告されている。生成の側は安価に加速でき、検証の側はできない。多くの分野で律速となるのは、もはや思いつく能力ではなく、思いついたものを一つずつ潰す能力のほうである。方法の重心は、仮説をどう作るかから、仮説をどう捨てるかへ移りつつある。
事実の台帳 確 63 / 推 5 / 争 5
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確因果推論の問いは、観察・介入・反事実の三層に整理されるPearl & Mackenzie, *The Book of Why*(2018年)、および Pearl, *Causality*(2000年、第二版2009年)
- 確下の層のデータだけでは、測度ゼロの例外を除いて上の層の問いが決定されないBareinboim, Correa, Ibeling, Icard「On Pearl's Hierarchy and the Foundations of Causal Inference」(2022年)における因果階層定理
- 確1973年秋のバークレー校大学院入試は全体では男性の合格率が高く、学科別に見ると多くの学科で女性の合格率がわずかに高かったBickel, Hammel & O'Connell, *Science* 187(1975年)。全体の合格率は男性およそ44%、女性およそ35%
- 確全体と層別で関連の向きが逆転する現象はシンプソンのパラドックスと呼ばれるSimpson, *JRSS-B* 13(1951年)。「シンプソンのパラドックス」の名称は Blyth, *JASA* 67(1972年)による
- 推バークレーの事例で層別に用いられた志願先は、性別と合否の共通原因(交絡因子)ではなく、性別の結果かつ合否の原因、すなわち媒介変数である時間順序(志願は性別の後、合否は志願の後)からの帰結であり、因果構造としての解釈である
- 確曝露と結果の共通の結果である変数で層別または選抜を行うと、両者のあいだに見せかけの関連が生じるGreenland, Pearl & Robins「Causal Diagrams for Epidemiologic Research」*Epidemiology* 10(1999年)
- 確選択バイアスおよび生存者バイアスの多くは、共通の結果による選抜という同一の構造で説明できるHernán, Hernández-Díaz & Robins「A Structural Approach to Selection Bias」*Epidemiology* 15(2004年)
- 確個体について処置ありと処置なしの両方の結果を同時に観測することはできないHolland「Statistics and Causal Inference」*JASA* 81(1986年)が因果推論の根本問題と呼んだ
- 確無作為割り付けのもとでは、測定の有無にかかわらず背景変数は処置指標と独立になり、その帰結として群間の背景の分布は期待値において一致する。個々の試験における均等は保証されないFisher, *The Design of Experiments*(1935年)以来の標準的理解
- 確無作為割り付けは、有意性検定の確率的な基礎そのものを供給するFisher, *The Design of Experiments*(1935年)における無作為化検定
- 確盲検化は無作為化とは別個の装置であり、無作為化は割り付け後に生じる報告・判定の偏りを防がない英国医学研究審議会のストレプトマイシン試験(*BMJ*, 1948年)は乱数による割り付けを行ったが、盲検化されたのは判定の部分に限られた
- 確実施済みの無作為化試験について群間の背景因子の差を検定することは論理的に不整合であるSenn「Testing for baseline balance in clinical trials」*Statistics in Medicine* 13(1994年)
- 確ランベス社は1852年にテムズ川の取水口を上流へ移し、スノウはこれを利用して給水会社別のコレラ死亡率を比較したSnow, *On the Mode of Communication of Cholera*, 第二版(1855年)
- 確ニュージャージー州は1992年4月に最低賃金を時給4.25ドルから5.5ドルへ引き上げ、隣接するペンシルヴェニア州東部との比較で雇用減少は確認されなかったと報告されたCard & Krueger, *American Economic Review* 84(1994年)
- 争最低賃金引き上げの雇用効果給与台帳データを用いた Neumark & Wascher(*AER*, 2000年)は雇用減少を報告し、Card & Krueger(同年)が再反論した。決着していない
- 確差の差分法は平行トレンドの仮定に依拠し、この仮定はデータから検証できない準実験的手法の識別条件についての標準的理解(Angrist & Pischke, *Mostly Harmless Econometrics*, 2009年)
- 確回帰不連続デザインは1960年に全米メリット奨学金の表彰効果の分析として定式化されたThistlethwaite & Campbell, *Journal of Educational Psychology* 51(1960年)
- 確回帰不連続デザインが同定するのは閾値近傍における局所的な効果であるHahn, Todd & van der Klaauw, *Econometrica* 69(2001年)による識別条件の定式化
- 確ベトナム戦争期の徴兵抽選番号を操作変数として兵役の所得への影響が推定されたAngrist, *American Economic Review* 80(1990年)
- 確操作変数法が同定するのは、単調性の仮定のもとで、操作変数によって処置の有無が実際に変わる部分集団についての局所平均処置効果であるImbens & Angrist, *Econometrica* 62(1994年)
- 確除外制約(操作変数が結果へ直接には影響しないこと)はデータから検証できないAngrist, Imbens & Rubin, *JASA* 91(1996年)における識別条件の整理
- 確弱い操作変数のもとでは、実際の操作変数を乱数で置き換えても同様の推定値と標準誤差が得られうるBound, Jaeger & Baker, *JASA* 90(1995年)による、出生四半期を操作変数とする Angrist & Krueger(1991年)への批判。標本は30万件を超える
- 確準実験的手法は、ある個体への処置が他の個体の結果に影響しないという仮定(干渉のなさ)に立つRubin, *JASA* 81(1986年)による安定単位処置値仮定の定式化
- 確2021年のノーベル経済学賞は、労働経済学への実証的貢献(カード)と因果関係の分析についての方法論的貢献(アングリスト、インベンス)に授与されたスウェーデン王立科学アカデミー(2021年)
- 確ヒルは1965年の講演で九つの観点を挙げ、いずれも因果の決定的証拠を与えず、いずれも必要条件として要求されるものではないと明記したHill「The Environment and Disease: Association or Causation?」*Proceedings of the Royal Society of Medicine* 58(1965年)
- 推九項目のうち時間的先行だけは要求してよい原因は結果に先立つという因果概念そのものからの帰結である。ヒル自身は時間的先行を含む九項目のいずれについても必要条件性を否定しており、この主張は彼の記述の外にある
- 確相対危険を未知の交絡因子だけで説明するには、その因子が曝露群で相当に偏って分布していなければならないことが定量的に示されたCornfield et al., *JNCI* 22(1959年)。現代の感度分析とE値(VanderWeele & Ding, 2017年)の先駆
- 確歴史科学は予測ではなく痕跡の識別によって仮説を選別するという特徴づけがあるCleland「Historical science, experimental science, and the scientific method」*Geology* 29(2001年)
- 確独立に得られた複数の帰納が一致することを「帰納の一致」と呼んだのはヒューエルであるWhewell, *The Philosophy of the Inductive Sciences*(1840年)。E・O・ウィルソンの1998年の同名書は学問統合という別の意味で用いた
- 確白亜紀・古第三紀境界層のイリジウム濃集は1980年に報告され、対応するクレーターは1991年にユカタン半島で同定されたAlvarez et al., *Science* 208(1980年)、Hildebrand et al., *Geology* 19(1991年)
- 争白亜紀末の大量絶滅の主因2010年の *Science* 誌の総説は衝突を主因と結論したが、デッカン洪水玄武岩の噴火の寄与を重視する立場が存続している
- 確モンテカルロ法はロスアラモスで1940年代に定式化されたMetropolis & Ulam「The Monte Carlo Method」*JASA* 44(1949年)
- 確計算科学を理論・実験に並ぶ第三の柱と位置づける公的報告がある米国大統領情報技術諮問委員会(PITAC)報告(2005年)
- 争シミュレーションが認識論的に新しい方法かどうかFrigg & Reiss, *Synthese* 169(2009年)は既存の方法論の焼き直しだと論じ、Humphreys らが反論した
- 確verification(数式を正しく解いているか)と validation(正しい数式を解いているか)は別の問いである計算科学における標準的な区別、Roache(1998年)、Oberkampf & Roy(2010年)
- 確自然系は開いているため、地球科学の数値モデルは厳密な意味で検証も妥当性確認もできず、確証されうるにとどまる。ここでの検証はモデルが真であることの確立を指し、計算工学の用語法とは水準が異なるOreskes, Shrader-Frechette & Belitz, *Science* 263(1994年)
- 推気候モデルのアンサンブルは可能なモデルの空間からの無作為標本ではなく、機関間でコードと定式化が共有されるため誤差は相関するTebaldi & Knutti, *Phil. Trans. R. Soc. A* 365(2007年)、Knutti et al.「Climate model genealogy」*Journal of Climate* 26(2013年)による解釈
- 確第六期の一部の気候モデルは他の証拠と整合しない高い気候感度を示し、IPCC第六次評価報告書はモデルを等重みで扱わず複数の証拠系統から感度を評価したいわゆる「ホットモデル問題」に関する議論(Hausfather et al., *Nature*, 2022年)
- 推大気の予測可能性の限界はおよそ2週間であるLorenz(1969年)以来の見積もりで、その後の研究でも大きくは変わっていない。値は評価指標と対象量に依存する。またこれは初期値問題としての天気予報に関する限界であり、境界条件の変化に対する気候の統計の応答には直接には及ばない
- 確「すべてのモデルは間違っているが、いくつかは役に立つ」の含意は、精緻化によって正しいモデルに到達することはできず、何が重要な意味で間違っているかに注意すべきだということであるBox「Science and Statistics」*JASA* 71(1976年)。標語としての定型句は Box & Draper(1987年)
- 確p値とは、帰無仮説を含む統計モデルが正しいと仮定したときに、データの統計的要約が観測された値と同程度以上に極端な値をとる確率であるASA声明(2016年)原則一および二
- 確p値を仮説が真である確率と読む転置の誤りは、繰り返し指摘されてきたCohen「The Earth Is Round (p < .05)」*American Psychologist* 49(1994年)
- 確途中結果を見ながら標本を追加・打ち切りする手続きのもとでは、名目上の有意水準は保たれないArmitage, McPherson & Rowe, *JRSS-A* 132(1969年)による逐次的検定の第一種過誤率の計算
- 確有意水準0.05は便宜的な目安として提示されたものであるFisher, *Statistical Methods for Research Workers*(1925年)
- 確フィッシャーの有意性検定とネイマン=ピアソンの仮説検定は別個の枠組みであり、両者の創始者は対立していた統計学史における確立した理解
- 確両者は教科書のなかで出所を明かさぬまま一つの手続きへ縫い合わされたGigerenzer「Mindless statistics」*Journal of Socio-Economics* 33(2004年)
- 確「有意でない」は「効果がない」を意味しないAltman & Bland「Absence of evidence is not evidence of absence」*BMJ* 311(1995年)
- 確一方が有意で他方が有意でないことは、両者の差が有意であることを意味しないGelman & Stern, *The American Statistician* 60(2006年)
- 確独立な検定を20回行えば、すべて帰無仮説が真でも少なくとも1回は5%水準を下回る確率は約64%である1−0.95^20 ≈ 0.642
- 確多重比較補正を行わないfMRI解析は、死んだ大西洋サケの脳腔内に有意な賦活を検出しうるBennett et al.(2009年発表、2010年公刊)
- 確偽発見率を制御する多重比較手続きが1995年に提案されたBenjamini & Hochberg, *JRSS-B* 57(1995年)
- 確結果を見た後に仮説を立てて事前の予測として提示する慣行はHARKingと名づけられたKerr, *Personality and Social Psychology Review* 2(1998年)
- 確解析上の四つの自由を組み合わせるだけで偽陽性率は5%から約61%へ上昇するSimmons, Nelson & Simonsohn「False-Positive Psychology」*Psychological Science* 22(2011年)
- 確アメリカ統計学会は2016年、p値について六原則からなる公式声明を出した。同学会が特定の統計手法について公式声明を出したのはこれが初めてであるWasserstein & Lazar, *The American Statistician* 70(2016年)
- 確2019年に「統計的に有意」という語の使用中止を求める論説と、800名超の署名を伴う有意性廃止の提言が公表されたWasserstein, Schirm & Lazar, *The American Statistician* 73 補遺(2019年)、Amrhein, Greenland & McShane, *Nature* 567(2019年)
- 争統計的有意性を放棄すべきか2021年にアメリカ統計学会長の任じた作業部会は、p値と有意性検定は適切に用いれば有用だとする声明を発表し、上記の提言に反論した
- 確事前分布の影響は母数の推定については標本の増加とともに薄れるが、仮説そのものを比べるベイズ因子では、対立仮説に置いた事前分布の広がりの影響は残る前者はベルンシュタイン=フォン・ミーゼスの定理、後者はジェフリーズ=リンドリーのパラドックスの含意
- 確事前分布に広い散らばりを与えると、5%水準で有意な結果がベイズ因子では帰無仮説を支持しうるLindley「A statistical paradox」*Biometrika* 44(1957年)、Jeffreys, *Theory of Probability*(1939年)
- 確心理学の1誌の悉皆調査により、中程度の効果に対する検出力の中央値が0.5を下回ることが示されたCohen, *Journal of Abnormal and Social Psychology* 65(1962年)
- 確神経科学分野の検出力の中央値は21%程度、想定する効果量に応じておよそ8〜31%の範囲と見積もられたButton et al.「Power failure」*Nature Reviews Neuroscience* 14(2013年)
- 確検出力が低いとき、有意となった研究の効果量は系統的に過大になる効果量誇張(Type M)誤差、Gelman & Carlin, *Perspectives on Psychological Science* 9(2014年)
- 確米国国立心肺血液研究所の大規模心血管試験では、事前登録が要求された2000年より前の30件のうち多数が有意な便益を報告したのに対し、以後の25件ではその割合が大きく低下したKaplan & Irvin, *PLOS ONE* 10(2015年)。前後比較であり、同時期の他の変化は統制されていない
- 確説明を目的とするモデリングと予測を目的とするモデリングは異なる基準を要し、真のモデルより誤ったモデルのほうが予測に優れる場合があるShmueli「To Explain or to Predict?」*Statistical Science* 25(2010年)
- 確精度がほぼ等しく構造の異なるモデルが多数併存しうるBreiman「Statistical Modeling: The Two Cultures」*Statistical Science* 16(2001年)における羅生門効果
- 確一部の顕著性地図の手法は、モデルの重みを乱数化してもほとんど変わらない出力を与えるAdebayo et al.「Sanity Checks for Saliency Maps」NeurIPS(2018年)
- 確事後的な説明は元のモデルの近似にすぎず、高い利害のかかる判断には最初から解釈可能なモデルを用いるべきだという主張があるRudin, *Nature Machine Intelligence* 1(2019年)
- 確機械学習による気象予報モデルが、欧州中期予報センターの高解像度予報を1380の検証項目の約9割で上回る精度を示したLam et al.「GraphCast」*Science* 382(2023年)
- 争2023年に報告された大規模な無機結晶探索と自律実験室による多数の新規合成は、いずれも翌年、新規性および相の同定について化学の側から疑問を提起されたCheetham & Seshadri, *Chemistry of Materials*(2024年)ほか。決着していない
- 確2020年代前半に、アミノ酸配列からの立体構造予測は実験構造に迫る精度に達したJumper et al., *Nature* 596(2021年)
- 推AlphaFoldは構造を予測するが折りたたみの機構を説明しない手法の出力(配座の静的な予測と信頼度指標)と、折りたたみ経路・中間状態を扱わない設計からの解釈
- 確データ漏洩は少なくとも17の分野、294編の論文に影響していると報告されたKapoor & Narayanan「Leakage and the Reproducibility Crisis in Machine-Learning-Based Science」*Patterns* 4(2023年)
- 確肺炎検出の深層学習モデルは撮影施設を高精度で識別でき、施設ごとの有病率を近道として学習していたZech et al., *PLOS Medicine* 15(2018年)
- 確胸部画像による新型コロナウイルス感染症判定モデルの系統的総説は、精査した62編のいずれも臨床利用に足らないと結論したRoberts et al., *Nature Machine Intelligence* 3(2021年)
現在 ── いま学問はどうなっているか
測ることの政治(测量的政治 / The Politics of Measurement)
分類体系を並べてみる
学問をいくつに分けるか。答えは体系によって違う。エルゼビアの文献データベースScopusが用いるASJC(全学問領域雑誌分類)は最上位を27の分野に分け、その下に334の小分類を置く。OECDの研究開発統計が用いるFOS(科学技術分野分類)は六つの大分野と40余りの小分野からなる。ユネスコ統計研究所のISCED-F 2013は11の広分野・29の狭分野・約80の詳細分野。日本の科学研究費助成事業の「審査区分表」は11の大区分・65の中区分・306の小区分。一級学科(一级学科 / first-level discipline)を並べる。米国のCIP(教育プログラム分類)は、2020年版で48の二桁系列の下に千数百の六桁コードを持つ。最上位の枠の数が6から48まで開いている。同じ「学問の全体」を分けているはずの体系が、最初の一手からして一致しない。
一致しない理由は単純で、目的が違う。ASJCの目的は雑誌の索引である。分類は論文ではなく雑誌に付され、Scopusに収録される時点で編集方針と掲載内容をもとに社内の担当者が割り当てる。帰結は明快で、ある論文の「分野」はその内容ではなく掲載先によって決まる。分野をまたぐ研究を総合誌に載せれば、その論文は総合誌の分類を着せられる。索引としては合理的な設計である。索引以外の用途では、この設計が誤差の源になる。
OECDのFOSは研究開発統計の国際比較のために作られた。原型は各国の研究開発調査の方法を揃えるフラスカティ・マニュアルにあり、現行の6分野構成は2007年の改訂で定まった。目的は各国の研究開発費と研究者数を同じ枡で数えることであって、分野どうしの内的な近さを表すことではない。だから人文学は六つ目の箱に一括され、その内部は数個の小分野で足りることになっている。統計の粒度は、比較したい単位の粗さに従う。
ユネスコのISCED-F 2013が分類しているのは、学問ではなく教育プログラムである。何を教えているかという内容の近さで詳細分野を束ね、それを狭分野・広分野へ積み上げる。学位課程の国際比較のための道具だから、研究の最前線がどこにあるかには関知しない。教育課程として安定して存在するものだけが、この体系には現れる。
科研費の審査区分表は、研究費の審査を割り振るための区分である。2018年度助成の審査から、旧来の「系・分野・分科・細目表」を廃して導入された。ここで注目すべきは、作成者自身の説明である。審査区分は「科研費の審査のための区分であり、学問分野の体系化を趣旨としたものでも、大学の学科・専攻や学会の分野などに基づくものでもなく、また固定化されたものでもありません」と明記されている。分類を作った側が、これは学問の地図ではないと断っている。
学位授与権(学位授予权 / degree-awarding authority)の管理である。14の学科門類の下に一級学科があり、大学は自らが授権を得た一級学科でしか学位を出せない。目録は行政上の許可そのものであり、目録に載らない領域は学位課程として存在できない。分類の変更が、そのまま大学の設置しうる課程の変更になる。
米国のCIPは全米教育統計センターが維持し、高等教育機関の統一報告制度のために作られた。しかしこの統計コードは統計の外でも働く。国土安全保障省が「STEM指定」した六桁コードの課程を修了した留学生は、卒業後の就労許可の延長を受けられる。自分の課程をどの六桁コードで登録するかが、学生の在留期間を左右する。統計のための番号が、入国管理の閾値になっている。
目的が違えば、同じ学問の置き場も違う。心理学は、ISCED-Fでは「社会科学、ジャーナリズムおよび情報」の広分野に置かれ、OECDのFOSでは社会科学の第一小分野に置かれる。中国の学科目録では教育学門類に属する一級学科でありながら、授与できる学位は教育学でも理学でもよい。クラリベイトの引用索引では、心理学の下位分類が自然科学系の索引と社会科学系の索引に分かれて収録される。科研費では独立した中区分「心理学およびその関連分野」を持つ。教育学の下、社会科学の下、自然科学の隣、そしてどこにも属さない独立枠 ── 学問の側は動いていない。動いているのは枡のほうである。
分類が索引や統計にとどまるあいだ、こうした不一致は不便でしかない。資源配分に接続した瞬間に、不一致は利害になる。中国は2021年1月、既存のどの門類にも収まらない領域のために「交叉学科」という14番目の学科門類を新設し、集積回路科学と工程、および国家安全学を一級学科として置いた。2022年版の目録までに、この門類の一級学科は七つに増えている。分野が学位と資金の器になっているから、器の外にある研究は器を作ってもらうほかない。分類は世界の記述ではなく、配分の前提条件である。前提条件であるかぎり、その改定は学説の変化ではなく政治になる。
指標という装置
インパクトファクター(影响因子 / impact factor)の定義は単純である。ある年のある雑誌の値は、その年に生じた被引用のうち直前の2年間にその雑誌が掲載した論文へ向けられたものの総数を、同じ2年間にその雑誌が掲載した「引用可能項目」の数で割ったものである。2024年の値なら、分子は2024年中に生じた引用、分母は2022年と2023年の掲載数である。何を引用可能項目と数えるかは、後で見るようにこの指標の急所になる。2年窓の平均被引用数、それ以上のものではない。
設計目的は評価ではなかった。ユージン・ガーフィールドは1955年の『サイエンス』誌の論文で引用索引の構想を示し、共同研究者アーヴィング・シャーとともに、収録すべき雑誌を選ぶ道具としてこの比率を考案した。掲載数の少ない優れた雑誌が多い雑誌に埋もれないよう規模で割る ── それが分母の役割である。1972年の論文で公に提案され、1975年から『ジャーナル・サイテーション・リポーツ』として毎年公表される。想定された使い手は図書館員で、限られた予算でどの雑誌を購読するかを助けることが目的だった。
指標の内部には当初から非対称がある。分子は雑誌が出したあらゆる種類の記事への引用を数えるが、分母は「引用されうる項目」として原著論文と総説だけを数え、論説や書簡は除く。したがって論説や書簡が引用されるほど、分母を増やさずに分子だけが増える。種別の判定は指標提供者に委ねられている。2007年、ロックフェラー大学出版局の編集者たちは自誌と競合誌のデータを購入して検算を試み、公表値を再現できなかったと報告した。誤った種別の付与が見つかり、2度目に受け取ったデータもなお合わなかった。評価に使われている数値を、当事者が検算できない。押し上げの程度は誌ごとに大きく異なると推計されているが、種別判定の基準が公開されていないため独立の検証ができない。
値は測り方だけでなく、母集団の改定でも動く。2023年の版から、それまで対象外だった新興分野索引の収録誌にもインパクトファクターが付与されるようになり、値を持つ雑誌の集合が一挙に広がった。ある誌の分子と分母が前年と変わらなくても、その値が全体の中で占める位置は変わる。誰を同じ表に載せるかという判断が、定義と同時に効いている。
より根本的な難点は分布の形にある。被引用数(引用次数 / citation count)の分布は極端に右へ歪んでおり、平均は代表値にならない。ペール・セグレンは1997年の論文で、上位15%の論文が被引用の半分を、上位半分が9割を占めることを示した。残る1割は、下位半数の論文が集めた引用である。2016年、出版社の関係者と計量書誌学者が共同で11誌の被引用分布を公表したところ、どの誌でも掲載論文の65から75%が自誌の値を下回っていた。値が三に満たない誌でも30を超える誌でも、この割合はほとんど変わらない。歪みは雑誌の格ではなく、引用という現象そのものの性質である。
個人を測る指標として広まったh指数(h指数 / h-index)は、ホルヘ・ヒルシュが2005年に提案した。h本の論文がそれぞれh回以上引用されているような最大のhがその値である。突出した一本にも多数の未引用論文にも動かされない点が長所とされた。短所は定義から直接出てくる。値は論文数を超えられないから経歴の長さに縛られ、引用の慣行が分野ごとに違うから分野を跨いだ比較は成り立たない。そして単調非減少である ── 研究をやめてもh指数は下がらない。さらに、値は使うデータベースによって変わる。同じ研究者のh指数が、収録範囲の違う三つの基盤で三つの値をとる。指標は人ではなく、人が収録されている範囲を測っている。
提案者自身が後に強い留保を付けている。ヒルシュは2020年の論考で、自らの全業績の約半分を占める超伝導の研究に対する引用の総和が、自身の全被引用の1割に満たないと述べた。引用とh指数を信じるなら、自分の超伝導への寄与は取るに足らないことになる、と彼は書いている。指標の作者が、自分の指標は自分の分野で高い達成を識別できないと結論した。
そもそも被引用数は何を測っているのか。史上最も引用された論文は、1951年にローリーらが発表したタンパク質定量法の記述で、2014年の集計で30万件を超える引用を集めていた。理論的な達成ではなく、誰もが使う手技である。撤回後も引用され続ける論文の存在も繰り返し報告されている。引用は注目でもあり、有用性でもあり、論争の的であることでもある。「使われた」ことの記号ではあっても、どう使われたかを区別しない。
測ったものを評価に使うと、測ったものが壊れる。チャールズ・グッドハートは1970年代半ば、観測された統計的な規則性は制御目的の圧力がかかると崩れると述べた。マリリン・ストラザーンは1997年、これを「尺度が目標になったとき、それは良い尺度ではなくなる」と定式化しなおしている。ドナルド・キャンベルはさらに強く、量的な社会指標が社会的決定に用いられるほど歪曲の圧力を受け、監視しようとした当の過程を歪めると述べた。指標の劣化は運用の失敗ではなく、指標を目標にすることの構造的な帰結である。
現れた歪みは具体的である。一つの研究を最小の公表単位に切り分けて本数を稼ぐサラミ出版、雑誌どうしが互いを引き合う引用の積み上げ、自誌・自著への引用の膨張。指標の提供者は対抗措置として、異常な引用行動を示した雑誌の値を公表から外しており、2020年の公表では33誌、収録誌全体の0.3%弱が対象になった。著者数の膨張も同じ圧力の下にある。先の章で見たヒッグス粒子の質量の共同測定論文は、全33頁のうち24頁が著者名と所属の一覧に費やされていた。1人ひとりの寄与を数え分けることは、もはや原理的にできない。
是正を求める文書が三つ続いた。サンフランシスコ研究評価宣言(DORA)は2012年12月にアメリカ細胞生物学会の年会で起草され、翌年5月に公表された。中心的な勧告は、雑誌単位の指標を個々の論文の質の代理や採用・昇進・研究費の判断に用いるな、というものである。ライデン声明は2015年4月に『ネイチャー』誌へ10原則として掲載され、第一原則で定量的評価は質的な専門家判断を支援すべきだと述べた。2022年7月には研究評価改革の合意文書がまとまり、同年9月末に署名が開放され、研究評価推進連合(CoARA)が発足する。中核的な約束は、評価を主に査読による質的判断に基づけること、機関ランキングを研究評価に用いないことである。三つの文書はいずれも、指標の廃止ではなく指標の位置の格下げを求めている。ただし署名の数と、審査室で実際に使われる書式とは別の階層にある。
大学ランキングという産業
世界の大学を一列に並べる表には、有力なものが三つある。上海交通大学が2003年に始めた世界大学学術ランキング(ARWU)、英国のQS社による世界大学ランキング、そしてタイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)の世界大学ランキングである。三つは同じ対象を並べているように見えて、測っているものが違う。違いは重みづけの表を見れば分かる。
ARWUの指標は六つで、重みは公開されている。卒業生のノーベル賞・フィールズ賞受賞が10%、教員の同賞受賞が20%、高被引用研究者が20%、『ネイチャー』『サイエンス』掲載論文が20%、引用索引収録論文数が20%、規模で割った1人あたり成績が10%である。ここで数えられる賞は物理学・化学・生理学医学・経済学のノーベル賞とフィールズ賞に限られる。文学賞も平和賞も入らない。人文学と社会科学の最高の達成は、この表の目盛りの上には存在しない。しかも受賞は年代によって割り引かれる。受賞年が古いほど計上される重みが下がる設計であり、同じ受賞が、いつ受けたかによって別の点数になる。何を数えるかだけでなく、いつのものをどれだけ数えるかまでが、表の作者の選択である。
評判調査(声誉调查 / reputation survey)の比重が高い。2024年版より前の構成では、研究者への評判調査が40%、雇用者への評判調査が10%で、合わせて総得点の半分を占めていた。2024年版で構成が組み替えられ、学術評判が30%、雇用者評判が15%となり、代わりに国際研究ネットワーク、卒業生の就業成果、持続可能性がそれぞれ5%で加わった。評判調査は、回答者が名前を知っている大学に票が集まりやすい。すでに有名であることが、有名であることの根拠になる。
THEは2023年秋公表の2024年版で方法論を改め、教育を29.5%、研究環境を29%、研究の質を30%、国際性を7.5%、産業からの収入と特許を合わせて4%とした。それ以前の10年余りは、教育30・研究30・被引用30・国際性7.5・産業収入2.5という配分で、被引用という単一の指標が3割を占めていた。18の指標へ分解したこの改定で、順位表は目に見えて動いた。大学の中身は1年で変わらない。変わったのは重みである。
| 表 | 重みづけ |
|---|---|
| ARWU(2003年〜) | 教員の受賞20/高被引用研究者20/『ネイチャー』『サイエンス』論文20/収録論文数20/卒業生の受賞10/1人あたり成績10 |
| QS(2024年版より前) | 研究者への評判調査40/雇用者への評判調査10 ── 合わせて総得点の半分 |
| QS(2024年版) | 学術評判30/雇用者評判15/国際研究ネットワーク5/卒業生の就業成果5/持続可能性5 |
| THE(2024年版より前) | 教育30/研究30/被引用30/国際性7.5/産業収入2.5 |
| THE(2024年版) | 研究の質30/教育29.5/研究環境29/国際性7.5/産業収入と特許4 |
表10同じ大学を並べる三つの表 ── 重みづけの違い(%)
そもそも表に載る大学は少ない。主要ランキングが順位を付けるのは、表によって1000校から2000校余りである。世界の高等教育機関はその10倍を超える数があると推計されているが、推計には幅がある。載らない大学は「順位の低い大学」ではなく、測定の対象外である。しかし表の読者にとって、載らないことと低いことは区別されない。表は世界の縮図として読まれ、縮図に入らないものは存在しないものとして扱われる。
表は大学の行動を変える。評判調査の回答者層へ向けた広報、国際共著率や留学生比率の数値目標、被引用の伸びやすい分野への集中投資 ── いずれも指標の構成から逆算して導かれる。QSの被引用指標が教員数で割られるため、教員数を絞れば分子を増やさずに値が上がる。この種の逆算は不正ではない。指標が求めているとおりに振る舞っているだけである。
国家が順位を政策目標に据えた例もある。ロシアでは2012年5月の大統領令が、2020年までに世界の主要大学の上位100に少なくとも五つのロシアの大学を入れると定め、公募で選ばれた21大学に年間最大10億ルーブル規模の資金が投じられた。計画は2020年に終了したが、参加校のうち総合順位で上位100に入ったものはなかった。分野別の順位では複数の大学が上位に入っている。目標が総合順位という一つの数に固定されたために、実際に起きた変化の大半は達成として数えられなかった。
表に乗らない学問もある。教員養成、看護や社会福祉の実務教育、地域研究、現地語で書かれ現地で読まれる法制史や地方史。これらは英語の引用索引に載りにくく、載っても引用が集まるまでの時間が長い。ARWUでは、人文社会科学に特化した機関について『ネイチャー』『サイエンス』指標の重みを他の指標へ振り替える扱いがある。振り替えが必要だという事実そのものが、この表の目盛りが誰のために切られているかを示している。
2020年代に入って、順位表への協力をやめる大学が現れた。2022年11月、イェール大学ロースクールが『USニューズ』の法科大学院ランキングへのデータ提供を停止し、ハーバードをはじめ複数の有力校が続いた。翌年には医学大学院にも広がっている。同じ2022年、中国人民大学・南京大学・蘭州大学が国際ランキングから離脱したと報じられた。2023年にはユトレヒト大学がTHEへのデータ提供をやめている。理由は同じではない。イェールの学部長は方法論が経済的に恵まれない学生の受け入れを不利にすると述べ、ユトレヒトはオープンサイエンスと評価改革の文脈で順位表が競争を過度に強調すると述べ、中国の3校は外国が定めた基準からの自立という文脈で語られた。共通しているのは、順位が測り方の関数であることを測られる側が公に認めた点である。
このことは実例で確かめられる。QSが2024年版で被引用指標を分野ごとに正規化したとき、分野構成の偏った大学の位置はその一事だけで動いた。THEが同年版で被引用の単一指標を複数の「研究の質」指標へ分解したときも同様である。より分かりやすいのは、同じ年の同じ大学が三つの表で別の位置に現れることである。自然科学の論文と賞に厚いフランスのパリ・サクレー大学は、賞と『ネイチャー』『サイエンス』論文を重く見るARWUでは10位台に置かれるのに対し、評判調査を重く見るQSと教育環境を含めて配点するTHEでは60位から80位台に現れる。同じ大学が、同じ年に、40位も50位も違う場所に立っている。順位は大学の属性ではなく、重みづけという一組の選択の出力である。重みを公開しているランキングほど、この点は検証しやすい。
検証できるということは、順位が発見された事実ではなく計算結果だということでもある。
数えられたものが世界になる
イアン・ハッキングは、人を分類する営みが分類された人の側を変え、変わったループ効果(looping effect)と呼んだ。1986年の論考「人々を作り上げる」に始まるこの議論は、精神医学の診断名を主な例にしている。分類が与えられると、人はその分類のもとで自分を理解しはじめ、その理解に沿って振る舞いはじめ、やがて分類のもとの記述が実態と合わなくなる。物理的な対象の分類にはこの循環がない。中性子は「中性子」と呼ばれても振る舞いを変えない。人と制度を対象とする分類は、記述するそばから対象を作りかえる。
学問の分類は、まさにこの種の分類である。研究費の区分は申請者にどの枠で出すかを選ばせ、選ばれた枠ごとの申請数と採択数が次の改定の材料になり、改定された枠がまた申請を誘導する。新しい領域が枠を得れば、その名の下に人が集まり、学会ができ、教科書ができ、学位課程ができる。枠を得なければ、既存のどれかの枠に自分を翻訳して申請することになる。翻訳のたびに、研究計画は枠の言葉へ寄せられていく。区分表は学問の地図ではないと作成者が断っていても、資源がその表に沿って流れるかぎり、表は地図として振る舞う。
学際研究(跨学科研究 / interdisciplinary research)が制度上どこにも属さないことの帰結は、数字で確かめられている。オーストラリア研究会議の基幹助成計画に5年間で提出された1万8476件すべてを分析した2016年の研究は、申請が学問分野をまたぐ度合いと採択率が一貫して負の相関を示すことを報告した。関係は分野を問わず現れた。ただし、またぐ度合いの算出に用いられた分野符号は申請者自身が付したものであり、測られているのは申告された学際性である。審査者が学際研究を嫌っているとは限らない。自分の区分の外にある部分を評価しきれないというだけでも、この差は生じる。分類が資源配分に接続するとき、どの枠にも収まらないという性質そのものが不利益になる。
評価が短期の成果を求めると、長期の探索が減る。ジェームズ・マーチは1991年の論文で、組織は既知の方法を磨く「活用」と未知の可能性を試す「探索」のあいだで資源を配分せざるをえず、活用の見返りのほうが早く確実であるため、短期の成績で調整される組織は探索を過小に選ぶと論じた。生命科学でこれを検証した研究がある。失敗に寛容で審査周期の長い財団の支援を受けた研究者は、3年周期で更新審査を受ける公的助成の研究者に比べ、高い被引用を得る論文をより多く生み、研究の方向がより新奇な領域へ移っていた。制度が違えば、同程度の能力の研究者が違うことをする。
それでも測ることをやめられない。公費で運営される以上、何にいくら使われたかを説明する責任があり、資源は有限で、誰かに配って誰かに配らないという判断を毎年しなければならない。判断は必ず何らかの比較を含み、比較は必ず何らかの尺度を含む。「専門家の判断に委ねよ」という助言も、判断が偏らないという保証を伴わない。査読は既存の枠に収まる申請を高く評価する傾向を持ち、評価者や申請者の属性による偏りも繰り返し報告されている。指標を捨てれば偏りが消えるのではなく、偏りが見えなくなるだけである。
現実的な処方は三つに絞れる。第一に、測り方を複数持つこと。単一の順位は選択の出力にすぎないから、重みの違う複数の表を並べれば、結果のどこまでが対象の性質でどこからが尺度の性質かが見えてくる。ライデン声明が第一原則で定量的評価を専門家判断の「支援」に位置づけたのは、この意味においてである。指標を消すのではなく、指標に反証の機会を与えるということでもある。
第二に、平均ではなく分布を示すこと。雑誌の被引用分布を公表せよという2016年の提案は、一つの数が隠していた散らばりを見せるためのものだった。第三に、測れないものがあると明示すること。研究費の申請書で業績一覧の代わりに、何をなぜ行い何に貢献したかを記述させるナラティブ履歴書(narrative CV)の様式が、2020年代前半に英国、オランダ、スイスなどの助成機関で相次いで導入された。分量を絞った代表業績と、数に還元されない貢献の記述とを組み合わせる形式である。運用の負担は軽くない。それでも、指標に載らない仕事を書く欄が制度の中に存在するかどうかは、大きな違いを生む。
これらはどれも、測ることをやめる処方ではない。測ったものの外に何が残っているかを、測るたびに書き添える処方である。分類も指標も世界を切り取る道具であって、切り取られなかった部分がそれで消えるわけではない。消えるのは、切り取られなかった部分を見る習慣のほうである。
事実の台帳 確 44 / 推 7 / 争 3
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確ScopusのASJC分類は最上位27分野・下位334カテゴリからなり、分類は論文単位ではなく雑誌単位で、収録決定時に編集方針と掲載内容に基づいて付与されるElsevier / Scopus サポートセンターの分類説明
- 確OECDのFOS(科学技術分野分類)は六大分野と40余りの小分野からなり、現行版は2007年の改訂によるOECD, Revised Field of Science and Technology (FOS) Classification in the Frascati Manual(2007年)
- 確ユネスコのISCED-F 2013は11の広分野・29の狭分野・約80の詳細分野からなり、対象は学問ではなく教育プログラムであるUNESCO Institute for Statistics, ISCED Fields of Education and Training 2013
- 確科研費の審査区分表は11の大区分・65の中区分・306の小区分からなり、平成30年度助成の審査から旧「系・分野・分科・細目表」に代えて適用された文部科学省・日本学術振興会「審査区分表」
- 確「審査区分は、科研費の審査のための区分であり、学問分野の体系化を趣旨としたものでも、大学の学科・専攻や学会の分野などに基づくものでもなく、また固定化されたものでもありません」文部科学省「審査区分表について」および科学研究費補助金審査部会資料
- 確中国の学科目録は学科門類・一級学科の階層を持ち、大学は授権を得た一級学科でしか学位を授与できない国務院学位委員会・教育部『研究生教育学科専業目録(2022年)』
- 確中国では2021年一月に第14の学科門類「交叉学科」が新設され、集積回路科学と工程・国家安全学が一級学科として置かれた。2022年版目録までにこの門類の一級学科は七つになった国務院学位委員会・教育部通知(2021年1月)、同『研究生教育学科専業目録(2022年)』
- 確心理学は中国の学科目録では教育学門類の一級学科であり、教育学と理学のいずれの学位も授与しうる『研究生教育学科専業目録(2022年)』
- 確心理学はISCED-Fでは広分野「社会科学、ジャーナリズムおよび情報」に、OECDのFOSでは社会科学の第一小分野に置かれるISCED-F 2013、OECD FOS 2007
- 確クラリベイトの引用索引では心理学の下位分類が自然科学系索引と社会科学系索引に分かれて収録されるWeb of Science の索引別カテゴリ構成
- 確科研費の中区分10は「心理学およびその関連分野」である科研費審査区分表
- 確米国のCIPは全米教育統計センターが維持し、高等教育機関の統一報告制度のために設計された。現行の2020年版は48の二桁系列の下に千数百の六桁詳細コードを持つ(2010年版は47系列)NCES, Classification of Instructional Programs 2020
- 確米国では国土安全保障省がSTEM指定したCIPコードの課程修了者に、卒業後の就労許可の延長が認められるDHS の STEM 指定 CIP コード一覧および関連規則
- 確インパクトファクターは、当年に生じた被引用のうち直前2年間の掲載論文に向けられた総数を、同2年間に掲載された「引用可能項目」の数で割った値であるClarivate, Journal Citation Reports の定義
- 確ガーフィールドは1955年『サイエンス』誌に引用索引の構想を発表し、シャーとともに収録雑誌選定の道具としてインパクトファクターを考案した。『ジャーナル・サイテーション・リポーツ』の刊行は1975年に始まるGarfield, *Science* 122(1955年)、Garfield(1972年)、JCR 刊行史
- 確インパクトファクターの分子は全記事種別への引用を数えるが、分母は「引用可能項目」すなわち原著論文と総説のみを数えるClarivate, JCR の「citable items」の定義
- 確2023年の版から、新興分野索引(ESCI)の収録誌にもインパクトファクターが付与され、値を持つ雑誌の集合が拡大したClarivate の告知(2022年7月)および JCR 2023
- 確ロックフェラー大学出版局の編集者はインパクトファクターの元データを購入して検算を試み、公表値を再現できず、記事種別の誤付与を報告したRossner, Van Epps & Hill, *Journal of Cell Biology* 179(6)(2007年)
- 確上位15%の論文が被引用の約半分を、上位50%が約9割を占めるSeglen, *BMJ* 314(1997年)。対象は生化学系3誌
- 確主要11誌の被引用分布では、いずれの誌でも掲載論文の65〜75%が自誌のインパクトファクターを下回ったLarivière et al., "A simple proposal for the publication of journal citation distributions"(bioRxiv, 2016年)
- 確h指数は「h本の論文がそれぞれh回以上引用されている最大のh」と定義されるHirsch, *PNAS* 102(46)(2005年)
- 確同1人物のh指数は、収録範囲の異なるWeb of Science・Scopus・Google Scholarで別の値になる三基盤の収録範囲の差と、同一研究者集団を対象とした複数の比較研究
- 確ヒルシュは、自らの超伝導研究への引用総和が全被引用の1割未満であると述べ、h指数が自分の分野で高い達成を識別しないと結論したHirsch, "Superconductivity, what the H? The emperor has no clothes"(2020年)
- 確史上最多の被引用を集めた論文はタンパク質定量法の記述であり、2014年の集計で30万件を超えたLowry et al., *J. Biol. Chem.* 193(1951年)、Van Noorden et al., "The top 100 papers", *Nature*(2014年)
- 確グッドハートは、統計的規則性は制御目的の圧力がかかると崩れると述べたGoodhart(1975年)。「尺度が目標になったとき、それは良い尺度ではなくなる」という定式はストラザーンによる ── Strathern, "Improving ratings"(1997年)
- 確キャンベルは、量的社会指標が社会的決定に用いられるほど歪曲圧力を受け、対象の過程を歪めると述べたCampbell, "Assessing the Impact of Planned Social Change"(1976年)
- 確2020年の『ジャーナル・サイテーション・リポーツ』では、異常な引用行動を理由に33誌(収録誌の約0.27%)が公表対象から外されたClarivate の suppression 方針および同年の公表
- 確2015年のATLAS・CMS共同のヒッグス粒子質量測定論文は、全33頁のうち24頁が著者名と所属の一覧である*Physical Review Letters* 114, 191803(2015年)。著者数はG1章に記した
- 確DORAは2012年12月にアメリカ細胞生物学会年会で起草され、2013年5月に公表された。18の勧告からなり、雑誌単位の指標を個々の論文や個人の評価、採用・昇進・研究費の判断に用いないことを求めるSan Francisco Declaration on Research Assessment
- 確ライデン声明は2015年4月に『ネイチャー』誌に10原則として発表され、第一原則で定量的評価は質的な専門家判断を支援すべきだと述べるHicks, Wouters, Waltman, de Rijcke & Rafols, *Nature* 520(2015年)
- 確研究評価改革の合意文書は2022年7月にまとまり、同年9月末に署名が開放され、12月にCoARAが発足した。中核的約束には、査読による質的判断を評価の主軸とすること、研究評価に機関ランキングを用いないことが含まれるAgreement on Reforming Research Assessment(2022年)
- 確ARWUは2003年に上海交通大学で開始され、指標の重みは卒業生賞10・教員賞20・高被引用研究者20・『ネイチャー』『サイエンス』論文20・収録論文数二〇・一人あたり成績10%である。対象となる賞はノーベル賞(物理学・化学・生理学医学・経済学)とフィールズ賞に限られ、人文社会科学に特化した機関では『ネイチャー』『サイエンス』指標の重みが他へ振り替えられるShanghaiRanking, ARWU Methodology
- 確ARWUの賞指標は受賞年が古いほど計上される重みが割り引かれる同方法論の年代別重みづけ表
- 確QSは2024年版より前は学術評判40・雇用者評判10%で評判調査が半分を占め、2024年版で学術評判30・雇用者評判15%に改め、国際研究ネットワーク・就業成果・持続可能性を各5%で加えたQS World University Rankings Methodology
- 確QSの被引用指標は教員数で除して算出される同方法論(citations per faculty)
- 推QSが2024年版で被引用指標を分野ごとに正規化したことにより、分野構成の偏った大学の位置はその一事だけで動いた方法論変更の内容と前後版の順位からの評価。個別大学の変動幅の検証は十分ではない
- 確THEは2024年版(WUR 3.0)で教育29.5、研究環境29、研究の質30、国際性7.5、産業4%とし、指標数を18とした。それ以前は教育30・研究30・被引用30・国際性7.5・産業収入2.5%であったTimes Higher Education, World University Rankings 2024 Methodology
- 推主要ランキングが順位を付けるのは表によって1000校から2000校余りであり、世界の高等教育機関はその10倍を超える数があると推計されるARWU・QS・THE各版の掲載校数と、各国統計を積み上げた世界の高等教育機関数の推計による評価。後者は「高等教育機関」の定義により幅がある
- 推同1年の同一大学が三表で大きく異なる位置に現れる。パリ・サクレー大学はARWUで10位台、QSとTHEでは60位から80位台に置かれる各表の2020年代半ばの版の突合による評価。順位は版ごとに変動する
- 確ロシアでは2012年5月の大統領令が、2020年までに世界の上位100に五つのロシアの大学を入れる目標を定め、21大学が選定されたロシア連邦大統領令第599号(2012年)、Project 5-100
- 推計画に参加した21大学のうち、2020年時点で主要ランキングの総合順位で上位100に入ったものはない各ランキングの2020年版の順位と参加校名簿の突合による評価。上位100に入ったロシアの大学は計画外の機関である
- 確イェール大学ロースクールは2022年11月に『USニューズ』ランキングへのデータ提供を停止し、他の有力校が続き、翌年には医学大学院にも広がった各校の声明および同時期の報道
- 確中国人民大学・南京大学・蘭州大学が2022年に国際大学ランキングから離脱したと報じられた2022年5月の中国国内報道および国際報道
- 確ユトレヒト大学は2023年にTHEへのデータ提供を停止した同大学の公表および同年の報道
- 確ハッキングは、人間を対象とする分類が対象の自己理解と行動を変え、それが分類の内容を変える循環を「ループ効果」と呼んだHacking, "Making Up People"(1986年)、"The Looping Effects of Human Kinds"(1995年)
- 推学際性の高い申請ほど採択率が低く、関係は分野を問わず現れる。対象はオーストラリア研究会議の基幹助成計画への5年間・1万8476件の申請Bromham, Dinnage & Hua, *Nature* 534(2016年)。学際性の度合いは申請者自身が付した研究分野符号の散らばりから算出されており、測っているのは申告された学際性である(測定の限界の議論はG4章)。層ごとの採択率の具体値は原論文で確認できない
- 確マーチは、組織が探索と活用のあいだで資源を配分せざるをえず、短期の成績で調整される組織は探索を過小に選ぶと論じたMarch, "Exploration and Exploitation in Organizational Learning", *Organization Science* 2(1)(1991年)
- 確失敗に寛容で審査周期の長い財団の支援を受けた生命科学者は、3年周期の公的助成を受けた同等の研究者に比べ高被引用論文を多く生み、研究の方向がより新奇な領域へ移ったAzoulay, Graff Zivin & Manso, *RAND Journal of Economics* 42(3)(2011年)。対象はハワード・ヒューズ医学研究所とNIHの比較
- 推査読は既存の分野の枠に収まる申請を相対的に高く評価する傾向を持つ学際性と採択率の負の相関、新奇性の認知の遅れに関する研究群からの解釈。査読そのものを直接に操作した実験的検証は限られる
- 確業績一覧に代えて貢献を記述させる履歴書様式が、2020年代前半に複数国の助成機関で導入された英国王立協会 Résumé for Researchers、スイス国立科学財団の標準CV様式(2022年秋導入)、オランダの Recognition and Rewards 計画
- 争インパクトファクターの分子・分母の非対称が個別誌の値をどれだけ押し上げているか誌ごとに大きく異なるとする推計が複数あるが、記事種別の判定基準が公開されていないため、独立した再現は難しい
- 争順位表が大学の行動をどれだけ変えているか指標から逆算した施策の存在は各校の公表文書で確認できるが、順位が原因か資源配分の変化が原因かの識別は難しく、因果の強さの推定は分かれる
- 争DORA・ライデン声明・CoARAに代表される指標改革の実効性署名数の増加を根拠に転換が進んだとする見方と、任用・昇進の基準文書がなお雑誌指標に依拠していることを根拠に表明にとどまるとする見方が並立する(現場の調査はG7章)
- 推ランキングに載らない学問(教員養成、実務系教育、地域研究、現地語の歴史研究など)が不利になる各ランキングの指標構成と、英語引用索引の収録傾向からの解釈。個別分野ごとの定量的検証は十分ではない
現在 ── いま学問はどうなっているか
学際の実像(跨学科的实像 / Interdisciplinarity in Practice)
三つの「際」
分野をまたぐ研究を指す語は、日常の用法ではほとんど区別されずに使われる。だが実際に起きていることは3通りに分かれる。第一は、複数の分野が同じ問題に並んで取り組むが、それぞれの方法と語彙は保たれる場合。会議で地質学者が話し、次に経済学者が話し、報告書は二つの章に分かれる。第二は、概念や方法そのものが混ざり、どちらの分野の道具とも言えないものが生まれる場合。第三は、大学の外にいる当事者 ── 行政、企業、患者、農民 ── が問いの設定そのものに加わる場合である。並置か、統合か、学外を含むか。この三つは連続した程度の差ではなく、別種のことである。
この区別を国際的な文書として最初に整理したのは、経済協力開発機構の教育研究革新センターが1970年9月にニース大学で開いた会議と、その成果として1972年に刊行された報告書である。多分野(多学科 / multidisciplinary)が「複数の分野の並置」と定義され、学際(跨学科 / interdisciplinary)は「着想の単なる伝達から、組織化概念・方法論・手続き・認識論・術語・データの相互統合にいたるまで」の幅を持つものとされ、超学際(超学科 / transdisciplinary)は「分野ごとの世界像の範囲を超える、包括的な総合による共通の公理系」と定義された。同じ報告書には他にも複数分野性・交差分野性・メタ分野性といった十近い派生語が並んでおり、語の乱立は当初からの問題であった。
| 語 | 定義 | 起きていること |
|---|---|---|
| 多分野 | 複数の分野の並置 | 会議で地質学者が話し、次に経済学者が話し、報告書は二つの章に分かれる |
| 学際 | 着想の伝達から、組織化概念・方法論・手続き・認識論・術語・データの相互統合まで | 概念や方法そのものが混ざり、どちらの分野の道具とも言えないものが生まれる |
| 超学際 | 分野ごとの世界像の範囲を超える、包括的な総合による共通の公理系 | 1990年代以降は逆の意味 ── 学問の外にいる当事者と共同で問題を定義し解く実践 |
表11分野をまたぐ三つの型 ── 1972年の報告書の定義
この語を誰が造ったかについては、説が割れている。ニース会議ではピアジェ、ヤンチュ、リシュネロヴィッチの3名の発表にほぼ同時に現れており、造語をピアジェに帰する説が有力である一方、教育と計画の文脈で展開したのはヤンチュであった。注意すべきは、超学際という語の意味がその後移動したことである。1972年の定義が想定していたのは、諸分野の上に立つ共通の公理系という上からの統合であった。1990年代以降、とくにドイツ語圏とスイスで用いられるようになった意味は逆で、学問の外にいる実務者や当事者と共同で問題を定義し解く実践を指す。上からの統合と、外への開放。同じ語が正反対に近い二つの構想を担っている。文献でこの語に出会ったときは、どちらの系譜の用法かを確かめないと議論がすれ違う。
では実際の研究がこの三つのどこに位置するのかを、どう測るか。試みは大きく三系統ある。第一は参考文献の分散を見る方法で、ある論文が引用した文献が何種類の分野区分(学科分类 / subject category)に散らばっているかを数える。第二は著者の所属の多様性を見る方法で、共著者が何種類の学部・学科に属するかを数える。第三はこれらを一つの指標に圧縮する方法である。よく使われる Rao-Stirling 多様性指標は、多様性を三つの成分に分けて合成する。いくつの区分にまたがるか(変異性)、それらに均等に分布しているか(均衡性)、そして区分どうしがどれだけ離れているか(乖離性)である。第三の成分が入る点が重要で、遠い分野をつなぐ論文と近い分野をつなぐ論文を区別できる。
この指標を時系列に当てはめた代表的な研究が、六つの研究領域について1975年から2005年までを追ったものである。結果は二面的だった。一論文あたりの参考文献数と、引用された分野区分の種類数はともに5割ほど増え、共著者数は7割5分ほど増えた。境界を越える動きは明らかに増えている。ところが乖離性を織り込んだ統合指標(integration score)の伸びは、多くの領域で5%程度にとどまった。地図に描き出してみると理由がはっきりする。増えた引用の大半が、自分の領域の隣接地帯に向かっていたのである。越境は増えたが、越えている距離は短い。
より広い母集団でも似た形が出る。3500万件規模の論文を、掲載誌をもとに14の大分類と143の専門に割り当てた分析では、分野外への引用の比率は1970年代半ばまで下がり続け、その後上昇に転じている。上昇だけを取り出せば学際の進展の証拠になるが、その前に長い下降があったことも同じデータが示している。20世紀半ばの数十年は、分野が内側へ閉じていく時期だったのである。専門分化と越境は交互に強まるのであって、単調な進歩の物語には収まらない。しかも動きは分野ごとに異なり、全体の平均は個々の分野の別々の動きを均した結果にすぎない。
ただし、ここまでの数字はすべて「どの指標で測ったか」に従属する。学際性の測定指標を系統的に並べて相互の一致度を検証した研究は、同じ次元を捉えるはずの指標どうしでさえ結果が大きく食い違うことを示した。測定単位の問題も大きい。分野区分は掲載誌に対して与えられることが多く、1誌が複数の区分に割り当てられることも珍しくない。分野をまたぐ論文を総合誌に載せれば、その論文には総合誌の分類が着せられる ── 越境そのものが分類の操作によって見えなくなる。区分の粒度が粗ければ、実質的な越境が同一区分の内側に埋もれる。逆に細かすぎれば、隣室への移動が越境として数えられる。したがって「学際的な論文が増えている」という言明は、つねに特定の指標についての言明であって、それ以上ではない。
越境の見返りと代償
異質な知識の組み合わせが何をもたらすかを、大規模に測った研究がある。1790万件の論文について、参考文献に現れる雑誌の対がどれだけ珍しいかを、無作為に組み替えた基準と比べて評価したものである。結果は単純な「新奇さが良い」ではなかった。最も引用される論文は、圧倒的に定型的な組み合わせを土台としながら、その裾に非定型な組み合わせ(atypical combination)を少数抱えている型だった。この型の論文は上位5%に入る確率がおよそ2倍になる。また、非定型な組み合わせを持ち込む確率は、単独著者よりチームのほうが4割近く高かった。
越境は、根を張った上でなされるときに報われる。
ただし報われるまでに時間がかかる。参考文献の珍しい組み合わせで新奇性を定義した別の研究は、新奇な論文が長い観測窓では上位1%に入りやすい一方、短い窓では不利であり、インパクトファクター(影响因子 / impact factor)の低い雑誌に載りやすく、自分の分野の外から引用されやすいことを示した。同じ論文が、3年で評価すれば凡庸に、15年で評価すれば傑出して見える。指標が悪いのではなく、指標が定める時間の窓が結論を決めている。任期や昇進の審査が数年の窓で回るかぎり、この時間差はそのまま制度的な不利になる。
しかも、遠ければ遠いほどよいわけでもない。Rao-Stirling の三成分を分解して引用への効果を推定した研究は、変異性 ── いくつの分野にまたがるか ── は引用と正の関係にあるが、乖離性 ── どれだけ遠い分野を混ぜるか ── は負の関係にあると報告した。多様性と引用の関係を逆U字と見る推定も別に出ている。読み手は、少し離れた分野の混合は歓迎するが、あまりに異質な混合には報いない。「遠い分野を学べ」という助言は、どの成分の話かを指定しなければ処方にならない。
審査での不利は、より直接的に測られている。オーストラリアの研究会議の基幹助成に5年連続で提出された1万8476件の申請を分析した研究は、申請書に付された研究分野符号の散らばりから学際性の度合いを算出し、それが採択率と一貫して負の相関を持つこと、しかもその関係が分野を問わず現れることを報告した。ただしこの符号は申請者自身が付けるものであり、測っているのは実際の学際性というより「申請者が申告した学際性」である。それでも、申告が不利に働くという事実は残る。
なぜ査読(同行评议 / peer review)が越境に厳しくなるのかは、仕組みを見れば説明がつく。審査区分は分野ごとに設けられ、審査員はその区分の標準で読む。二つの分野の基準を半分ずつ満たす申請は、どちらの審査員から見ても不十分に見える。日本の科学研究費助成事業が2018年度の公募から従来の細目表を廃し、粒度の異なる三層の審査区分表に置き換えたのは、この構造への制度的な応答であった。複数の小区分にまたがる提案を、より粗い区分の審査に回せるようにする ── 箱そのものが障害だという認識が、設計に反映されている。
雑誌の壁も同種のものである。分野誌の編集委員会は自分の分野の読者に向けて選別するから、二つの分野のどちらの読者にも中心的でない論文は、質とは別の理由で落ちる。生産性への影響も測られている。研究拠点に所属する約900名の研究者と約3万2000件の論文を追跡した研究は、学際性が高いほど発表数が減る一方、被引用は増えるという二重の効果を報告した。異分野の語彙と方法を習得する費用、共同作業の調整費用が、そのまま産出量を削る。目立つが、少ない。
若手にとってこの構図は特に厳しい。ここから先は解釈になるが、学位取得から独立職を得るまでの期間に必要なのは、短い窓で見える業績と、採用側の分野が識別できる専門的な同一性である。学際的な仕事は、そのどちらも与えにくい。発表数は減り、引用は遅れて来て、しかも「何を専門とする人か」の説明に一文余計にかかる。長期的な見返りは、それを待てる地位を先に確保した者にしか届かない。学際が「業績を積んでから取り組むもの」として語られがちなのは、この非対称の帰結であって、若手に越境の意欲がないからではない。
それでも越境が要求され続けるのは、問題の側が分野に従って現れないからである。感染症の流行は、ウイルス学と疫学だけでは扱えない ── 検査体制の統計設計、人々の行動、輸送と備蓄、法的な権限配分が同時に効く。気候は大気物理と経済と政治の交点にしか存在しない。人工知能の統治は計算機科学と法学と倫理学のどれか一つには属さない。貧困研究では、無作為化比較試験(随机对照试验 / randomized controlled trial)を用いた介入評価が経済学に心理学・教育学・公衆衛生の手法を持ち込み、2019年のノーベル経済学賞の対象になった。分野は答えの分業であって、問いの分業ではない。
実際に統合が起きた例と、起きなかった例
統合が現に起きた最も明瞭な例は分子生物学である。「分子生物学」という語は1938年にロックフェラー財団のウォーレン・ウィーヴァーが用いたもので、財団の資金は物理学と化学の手法を生物学に向ける方向へ意図的に配分された。物理学者マックス・デルブリュックは、遺伝子変異を量子力学的な事象として扱う1935年の共著論文を経て生物学に移り、1940年代からファージ ── 細菌に感染するウイルス ── を材料とする研究群の中心になった。1945年にコールド・スプリング・ハーバーで始まったファージ実習講座は、外来者に共通の材料と共通の測定手続きを教えた。
この成功を可能にしたのは、思想の共有よりも操作の共有だったと考えるのが妥当である。標準化された生物と標準化された測り方があれば、物理学者は生物学者に転生しなくても参加できる。統合したのは分野そのものではなく作業台であった。なお「物理学者が生物学を救った」という筋書きには留保が要る。シュレーディンガーの『生命とは何か』(1944年)が若い研究者を惹きつけたという話はワトソン・クリック・ウィルキンズら当人の回想に依拠しており、構造化学と生化学の系譜の寄与を過小評価する物語だという批判が続いている。
認知科学の成立は、収束の年月日まで語られる珍しい例である。1956年9月にマサチューセッツ工科大学で開かれた情報理論の会合で、記憶容量の限界に関する心理学の報告、定理を証明する計算機プログラムの実演、言語の記述モデルの論文が同じ日に並んだ。この日を誕生日とする語りは、参加者の1人が後年に書いた回想に大きく依存しており、事後の構成という側面を含む。それでも、複数分野が同時に同じ抽象 ── 記号を規則で操作する仕組みとしての心 ── に到達した点は、当時の文献からも確認できる。
この分野には、統合の度合いを当事者が図示した資料が残っている。1978年にスローン財団の委員会がまとめた現状報告に付された六角形の図である。心理学・言語学・哲学・人類学・神経科学・計算機科学を頂点に置き、その間に11の学際的な結びつきを名前つきで描いた。ただし線の描き分けがある。確立した結びつきは実線で、まだ形成途上のもの ── 哲学と計算機科学、神経科学と人類学 ── は破線で示された。統合を宣言する図ではなく、どの継ぎ目が固まっていないかを記録した図である。その後の展開も無関係ではない。人類学は中心から離れ、神経科学との結びつきは認知神経科学として最も太い線になった。
バイオインフォマティクスは、別の型を示す。語そのものは分野より古く、1970年にオランダ語の小誌に載ったホーヘウェフとヘスペルの短報で「生体系における情報処理過程の研究」の意味で用いられた。現在の意味での分野が形を取るのは、配列データが人手で扱える量を超えてからである。1980年代前半に欧州分子生物学研究所のデータ集と GenBank が、1986年に日本の DNA データバンクが運用を始めた。ここで統合を担ったのは、理論でも制度でもなく、双方が必要としながら単独では扱えない一個の対象 ── 配列データベース ── だったと見るのが自然である。異なる分野の者が、それぞれの目的で同じものを使い、その使用を通じて共通の語彙を作る。境界物(边界对象 / boundary object)と呼ばれてきた働きである。
気候科学は、統合の規模が最も大きい例である。大気と海洋を結合した数値モデルは1960年代末に現れ、そこに炭素循環・植生・氷床が順次組み込まれて地球システムモデルになる。さらに経済モデルと結合した統合評価モデルが政策の選択肢を数値化する。1988年設立の気候変動に関する政府間パネルは、物理的基礎・影響と適応・緩和という三つの作業部会に分かれて評価報告を出してきた。ただし統合の度合いは一様ではない。物理系の統合は深いが、緩和を扱う部会では経済学以外の社会科学の関与が薄いという批判が繰り返されており、旗艦とされる事例でさえ統合は部分的である。
対照的に、収束しない例もある。意識の科学がそれである。統合情報理論(整合信息论 / integrated information theory)とグローバル・ワークスペース理論(全局神经工作空间理论 / global neuronal workspace theory)の対立が決着しないまま長く続いたため、両理論の提唱者自身が反対の予測を事前に登録し、第三者の連合が実験を実施するという敵対的協働(adversarial collaboration)が組まれた。2020年代半ばに公表された結果は、どちらの理論も無傷では通さなかった。手続きの設計は成功したが、収束はしなかった。さらに、一方の理論を科学の資格に欠けるとする公開の批判も出ており、何を理論として数えるかについてすら合意がない。
ナノテクノロジーは、名称が先行した例である。米国で2000年に国家的な計画が始まり、資金と語彙が一挙に整備された。しかし2002年から2003年の600件超の論文の共著関係を分析した研究は、伝統的な分野と比べて特徴的な学際的パターンが見られず、実態はむしろ互いに接続していない単1分野の集合だと報告した。共通するのは対象の大きさの尺度だけで、共通の対象も共通の問いもなかった。ただし判定には時期と専門の限定が要る。生体ナノ科学のような特定の専門について、後年より高い統合を報告する研究もあるからである。
自然科学と社会科学の統合が難しいのは、資金や制度の問題ではなく、説明という語の意味が一致しないからである。法則によって出来事を包摂する説明と、行為者にとっての意味を理解する解釈とは、目指すものが違う。19世紀末に法則定立的と個性記述的という対で立てられ、20世紀半ばには二つの文化として論じられ、社会生物学論争や科学戦争として噴出した対立は、どれも同じ断層の露頭である。無知が原因なら教育で埋まるが、何を答えとみなすかの不一致は、場を作っただけでは埋まらない。
これらを並べると、成功と失敗を分けたものについて一つの見立てが立つ。共通の問いだけでは足りない。意識の科学には共通の問いがあるが、双方が測定対象として認める共通の物がない。共通の尺度だけでも足りない。ナノには尺度があったが対象も問いもなかった。統合が起きたのは、共通の対象と、それを扱う共通の操作の両方があった場合である ── ファージと実習講座、配列データベースと計算手法、気候系と結合モデル。共通の操作は、意味の一致を必ずしも必要としない。もっとも、この見立て自体が事後の語りである危険を負う。成功した事例だけが詳しく語り継がれ、同じ条件で失敗した試みは記録に残らない。
制度が追いつくとき
制度が学際に供給するものは五つある。資金、場所、学位、雑誌、そして職名である。このうち最後の二つが決定的である。雑誌がなければ書いたものが届かず、職名がなければ若手が人生を賭けられない。中心を持たない研究がどれほど有望でも、それを本務として名乗れる職がなければ、担い手は副業としてしか関われない。学際センターや共同学位が繰り返し設けられるのは、この二つを人工的に用意するためである。裏返せば、資金だけを増やしても学際は根づかない。3年で終わる助成金が作れるのは共同研究であって、職業ではないからである。
資金の枠組みは、2010年代後半から明確に分野ではなく目標を単位に組まれるようになった。米国の科学財団が2019年に始めた収斂研究(convergence research)の加速計画は、分野の名ではなく主題の系統と期限を単位に配分する。欧州連合の枠組み計画では2021年9月に五つの使命 ── 気候変動への適応、がん、海洋と水、気候中立都市、土壌 ── が発足した。日本のムーンショット型研究開発制度は2020年1月に六つの目標を決定し、その後追加されて十の目標に及んでいる。共通するのは、配分の単位が「何を研究する分野か」ではなく「何を達成するか」に置き換えられている点である。分野をまたぐことが例外的な申請ではなく、枠の前提になる。
雑誌と学会も、それぞれの分野の成立とほぼ同時に生まれてきた。認知科学の専門誌は1977年に、学会は1979年に発足した。計算機と生物学の境界の専門誌は1985年に創刊され1998年に改称した。持続可能性科学の専門誌は2006年、気候変動の専門誌は2011年、プラネタリーヘルスの専門誌は2017年、持続可能性の総合誌は2018年に始まっている。専門誌の創刊は、その領域が自前の門番を持つことを意味する。そしてここに逆説の芽がある。門番を持つとは、外を持つということである。
制度化された学際は、新しい分野になる。教程ができ、標準的な教科書ができ、入学試験の科目になり、審査員の母集団ができ、そして固有の境界ができる。生化学はかつて化学と生理学の境界地帯であり、地球物理学も物理化学も社会心理学も生物統計学もそうだった。いまそれらは疑いなく分野である。学際性は新しい分野の前触れである、という定式化がしばしば引かれるのはこのためである。さらに、分野は内部で同じ種類の分割を小さな尺度で反復するという指摘もある。理論派と実証派、質的と量的、基礎と応用といった対立は、階層を下げても同じ形で現れる。境界は消えるのではなく、位置を変えて再生産される。
分類体系の側には、必ず遅れが生じる。研究開発統計の国際標準となっている分野分類は、六つの大分類と42の細分類からなるが、そのいずれにも学際そのものを収める区分はない。オーストラリア・ニュージーランドの標準研究分類は2008年版から2020年版への改定まで12年を要し、その改定で先住民研究や健康科学の区分が新設され、「技術」の区分は削除された。区分表は遅い道具であって、速く動く対象を測っている。ここに、測定をめぐる留保が戻ってくる ── 分類を通して学際性を測るかぎり、測定値は分類の遅れをそのまま含む。新しい越境ほど、既存の区分では「その他」に落ちるからである。
学際を収める場所がないのは、この分類だけではない。教育プログラムの国際分類にも、雑誌の索引に用いられる分類にも、学際そのものを立てた区分はない。学際的な領域は、いずれかの既存区分に押し込まれるか、残余の項目に落ちる。他方、分類の側を作り替えて受け止める国もある。中国は2021年1月、既存のどの門類にも収まらない領域のために「交叉学科」という14番目の学科門類を設けた。学位を出せる課程の枠が行政の目録によって決まる制度では、門類の追加は、その領域が学位課程として存在しうるようになったことを意味する。分類の遅れは宿命ではないが、遅れを認めて枠を足すという手順を要する。
分類の内側にも、越境の痕跡は読める。公開されている区分表や索引の項目名を眺めると、二つの分野の名を継いだ項目が繰り返し現れる。計算化学、計算言語学、計算考古学、計算神経科学、そして計量経済学、計量書誌学。どれも一方の親が、計算や計量という方法の側にある。対して、対象そのものを二つの分野で共有する項目は少ない。芸術と環境科学にまたがる保存科学、哲学とイスラーム学にまたがるイスラーム哲学、薬学と伝統医学にまたがる中薬学。こうした項目は数が少ないだけでなく、分類体系がもっとも扱いあぐねる場所に落ちる ── どちらか一方に押し込めば、その項目を成立させている二重性が消えてしまうからである。
この偏りは、計量が示した結論と符合する。越境の大半は、方法が旅をすることで起きていると読める。統計や計算という道具は、対象を選ばずに持ち運べるから、越える距離を問わずに接続を作れる。対象の側を共有する越境は、そのつど相手方の材料と作法を丸ごと引き受けねばならず、数が少なく、しかも遠い。項目名の付き方そのものが、どちらの型の越境なら制度に受け入れられやすいかを示している。
こうして見ると、学際は知識の例外的な状態ではない。現在の分野の名を並べれば、その多くはかつての越境の跡である。物理化学も、生物統計学も、地球化学も、社会心理学も、成立の時点では二つの箱の隙間に落ちる異物だった。分類が安定して見えるのは、越境が終わったからではなく、前回までの越境が名前を与えられて箱になったからにすぎない。いま学際と呼ばれているものは、分類が現実に追いつくまでの猶予期間につけられた名前である。その意味で、学際は知識の常態であり、分野の一覧のほうが、つねに一世代前の地図なのである。
事実の台帳 確 42 / 推 9 / 争 5
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確分野をまたぐ研究の類型を国際機関の文書として整理した早い例は、OECD 教育研究革新センター(CERI)がニース大学で1970年9月7〜12日に開いた会議の報告書である*Interdisciplinarity: Problems of Teaching and Research in Universities*(OECD, 1972年、Apostel, Berger, Briggs, Michaud 編)
- 確同報告書は multidisciplinary を「複数分野の並置」、interdisciplinary を「着想の伝達から組織化概念・方法論・手続き・認識論・術語・データの相互統合まで」、transdisciplinary を「分野ごとの世界像を超える包括的総合による共通の公理系」と定義した同上(Berger による用語解説)
- 確同報告書には pluridisciplinary, cross-disciplinary, metadisciplinary など十近い派生語が併存していた同上
- 争transdisciplinarity の語の初出1970年のニース会議において、ピアジェ、ヤンチュ、リシュネロヴィッチの発表にほぼ同時に現れる。造語をピアジェに帰する説が有力だが、この語を教育と計画の文脈で展開したのはヤンチュであり、帰属は一致していない ── OECD, *Interdisciplinarity*(1972年)所収の各論考
- 争超学際の意味1972年の「上位の公理系による統合」と、1990年代以降のドイツ語圏・スイスを中心とする「学外の当事者を含む問題解決」とで用法が異なり、文献ごとに系譜の確認が要る
- 確Rao-Stirling 多様性指標は多様性を変異性・均衡性・乖離性の三成分で構成するA. Stirling, "A general framework for analysing diversity in science, technology and society", *Journal of the Royal Society Interface*(2007年)
- 確六研究領域を1975〜2005年で追った分析では、引用された分野区分の種類数と参考文献数がともに約5割、共著者数が約75%増加した一方、統合指標の伸びは多くの領域で約5%にとどまったPorter & Rafols, *Scientometrics* 81(3): 719-745(2009年)
- 確同分析は、統合指標が伸びない理由を、増えた引用が隣接分野に向かっているためと説明した同上(科学地図による可視化)
- 確掲載誌をもとに3500万件超の論文を14の大分類と143の専門に割り当てた分析では、分野外への引用比率は1970年代半ばまで低下し、その後上昇に転じたR. Van Noorden, "Interdisciplinary research by the numbers", *Nature* 525: 306-307(2015年)
- 確学際性の測定指標は相互に一致せず、同じ次元を捉えるはずの指標間でも結果が大きく食い違うQ. Wang & J. W. Schneider, "Consistency and validity of interdisciplinarity measures", *Quantitative Science Studies* 1(1): 239-263(2020年)
- 推「学際的研究が増えている」という言明は、採用した指標・分野区分の粒度・測定単位に従属する上記 Porter & Rafols と Wang & Schneider の結果からの解釈
- 確1790万件の論文を対象に参考文献中の雑誌対の非定型性を無作為基準と比較した分析では、最高被引用の論文は定型的組み合わせを主体としつつ非定型な組み合わせを少数含む型であり、この型は上位5%に入る確率が約2倍だったUzzi, Mukherjee, Stringer & Jones, *Science* 342(6157): 468-472(2013年)
- 確同分析では、非定型な組み合わせを持ち込む確率は単独著者よりチームのほうが37.7%高かった同上
- 確新奇な組み合わせを含む論文は、長期の観測窓では上位1%に入りやすい一方で認知が遅れ、インパクトファクターの低い雑誌に掲載されやすく、自分の分野の外から引用されやすいJ. Wang, R. Veugelers & P. Stephan, "Bias against novelty in science", *Research Policy* 46(8): 1416-1436(2017年)
- 確多様性を成分分解すると、変異性は被引用と正、乖離性(遠い分野の混合)は負の関係を示すYegros-Yegros, Rafols & D'Este, *PLOS ONE* 10(8): e0135095(2015年)
- 確学際性と被引用の関係を逆U字(中程度で最大)と推定した研究があるLarivière & Gingras, *JASIST* 61(1)(2010年)
- 確オーストラリア研究会議の基幹助成に5年連続で提出された1万8476件の申請の分析では、研究分野符号から算出した学際性の度合いが採択率と一貫して負の相関を示し、この関係は分野を問わず現れたBromham, Dinnage & Hua, *Nature* 534(7609): 684-687(2016年)
- 推上記の分析が測っているのは、申請者が自ら付した符号による「申告された学際性」であり、研究内容の学際性と完全には一致しない同研究の測定手続きからの限定
- 確日本の科学研究費助成事業は2018年度公募から従来の細目表を廃し、粒度の異なる三層からなる審査区分表に移行した文部科学省「科研費審査システム改革2018」および「審査区分表」
- 確研究拠点所属の約900名の研究者と約3万2000件の論文を追跡した分析では、学際性は発表数を減らす一方で被引用を増やしたLeahey, Beckman & Stanko, *Administrative Science Quarterly* 62(1): 105-139(2017年)
- 推若手が学際に踏み出す不利は、短い評価窓と分野に紐づく採用慣行の組み合わせから生じる上記の遅延認知・生産性低下・採択率低下の各知見を、キャリア段階に当てはめた解釈
- 確開発経済学における無作為化比較試験を用いた貧困研究に2019年のノーベル経済学賞が与えられたスウェーデン国立銀行賞(2019年、バナジー・デュフロ・クレマー)
- 確「分子生物学」の語は1938年にロックフェラー財団のウォーレン・ウィーヴァーが用い、同財団は物理学・化学の手法を生物学へ向ける方向に資金を配分した同財団年次報告(1938年)および関連科学史研究
- 確遺伝子変異を量子力学的事象として扱う1935年の共著論文がデルブリュックの生物学転向の起点となったTimoféeff-Ressovsky, Zimmer & Delbrück(1935年、いわゆる3人論文)
- 確コールド・スプリング・ハーバーのファージ実習講座は1945年に始まり、外部からの参入者に共通の材料と測定手続きを教えた同研究所の講座記録
- 争シュレーディンガー『生命とは何か』(1944年)が分子生物学の成立に果たした役割ワトソン・クリック・ウィルキンズらの回想が主な根拠であり、構造化学・生化学の系譜の寄与を過小評価する事後的な物語だという批判が科学史側にある
- 確1956年9月にマサチューセッツ工科大学で開かれた情報理論の会合で、記憶容量に関する心理学報告、定理証明プログラムの実演、言語記述モデルの言語学論文が同時に提示された同会合の記録およびミラーによる回想(*Trends in Cognitive Sciences* 7(3), 2003年)
- 推この会合を認知科学の誕生とする語りは参加者の後年の回想に依拠しており、事後の構成という側面を含む上記回想の性格からの判断
- 確1978年のスローン財団委員会の現状報告に付された六角形図は、6分野を頂点として11の学際的結合を名指しし、確立したものを実線、形成途上のもの(哲学と計算機科学、神経科学と人類学)を破線で描き分けたSloan Foundation, *Cognitive Science 1978*(State of the Art Report)
- 確専門誌 *Cognitive Science* は1977年に創刊され、Cognitive Science Society は1979年に発足した同誌および同学会の記録
- 確学際領域の専門誌の創刊年は、*Sustainability Science* が2006年、*Nature Climate Change* が2011年、*The Lancet Planetary Health* が2017年、*Nature Sustainability* が2018年である各誌の創刊号
- 確bioinformatics の語は1970年にホーヘウェフとヘスペルがオランダ語で「生体系における情報処理過程の研究」の意味で導入したB. Hesper & P. Hogeweg, "Bioinformatica: een werkconcept", *Kameleon* 1(6)(1970年)/P. Hogeweg, *PLOS Computational Biology*(2011年)
- 確配列データ基盤は1980年代前半の EMBL データ集と GenBank(1982年)、DDBJ(1986年)、NCBI(1988年設立)として整備され、1985年創刊の専門誌は1998年に *Bioinformatics* に改称した各機関および同誌の沿革
- 確異分野の当事者が同一の対象を各自の目的で用いることで協働が成立する働きは「境界物」として概念化されたStar & Griesemer, *Social Studies of Science* 19(3)(1989年)
- 推バイオインフォマティクスの成立を可能にしたのは、共有された配列データベースという対象であるデータ基盤の整備時期と分野形成の時期の一致からの解釈。計算資源の低廉化や資金政策といった他の要因を排除できていない
- 確気候変動に関する政府間パネルは1988年に世界気象機関と国連環境計画のもとに設置され、物理的基礎・影響と適応・緩和の三作業部会構成をとるIPCC 設立経緯および各次評価報告書
- 確大気海洋結合モデルは1960年代末に実現し、以後炭素循環・植生・氷床を組み込んだ地球システムモデルへ拡張されたManabe & Bryan(1969年)以降のモデル発達史
- 争IPCC の統合の度合い物理系の統合に対し、緩和を扱う部会では経済学以外の社会科学の関与が薄いという批判が繰り返されており、評価は分かれる
- 確意識の二理論について提唱者が事前に反対予測を登録し第三者連合が検証する敵対的協働が実施され、参加者256名に対し fMRI・脳磁図・頭蓋内脳波を用いた結果が2020年代半ばに公表されたCogitate Consortium, *Nature*(2025年)
- 確その結果、統合情報理論が予測した持続的同期は確認されず、グローバル・ワークスペース理論が予測した前頭前野の関与も予測どおりには現れなかった(一方で意識の内容が後方皮質に表現される点は支持された)同上
- 争統合情報理論の科学としての資格2020年代前半に多数の研究者による公開の批判が出され、何を理論として数えるかについて合意がない
- 確2002〜2003年のナノ科学・ナノテクノロジー論文600件超の共著関係の分析は、伝統的分野に比して特徴的な学際的パターンを見出さず、実態を互いに接続しない単1分野の集合と結論したJ. Schummer, *Scientometrics* 59(3): 425-465(2004年)
- 推ナノの学際性についての判定は時期と専門に依存する生体ナノ科学など特定専門でより高い統合を報告する後年の研究があるため
- 確米国の国家ナノテクノロジー計画は2000年に開始されたNational Nanotechnology Initiative
- 確法則定立的と個性記述的の対はヴィンデルバントの1894年の講演に由来し、自然科学と人文学の方法的断絶をめぐる論争の系譜をなすW. Windelband「歴史と自然科学」(1894年、ストラスブール大学総長就任講演)
- 推統合が起きたのは共通の対象と共通の操作の双方が存在した場合であり、共通の問いのみ、または共通の尺度のみでは足りなかった分子生物学・バイオインフォマティクス・気候科学と、意識研究・ナノテクノロジーの対比からの解釈。成功例のみが詳細に語り継がれる選択の偏りを含む
- 確米国科学財団は2019年に収斂研究の加速計画を開始し、分野ではなく主題系統と期限を単位に配分しているNSF Convergence Accelerator
- 確欧州連合の枠組み計画では2021年9月に五つの使命(気候変動への適応、がん、海洋と水、気候中立都市、土壌)が発足したEU Missions in Horizon Europe
- 確日本のムーンショット型研究開発制度は2020年1月に目標一〜六を決定し、その後追加されて計10の目標に至った内閣府総合科学技術・イノベーション会議の決定
- 確研究開発統計の国際標準となっている分野分類は六つの大分類と42の細分類からなり、学際そのものを収める区分を持たないOECD *Frascati Manual 2015*(FORD 分類)
- 確オーストラリア・ニュージーランドの標準研究分類は2008年版から2020年版への改定に12年を要し、先住民研究および健康科学の区分が新設され「技術」区分が削除されたANZSRC 2020(2020年6月30日公表)
- 確学際性は新しい分野の前触れであるという定式化、および分野が内部で同型の分割を反復するという指摘が制度論から提出されているWeingart & Stehr 編 *Practising Interdisciplinarity*(2000年)/A. Abbott, *Chaos of Disciplines*(2001年)
- 確教育プログラムの国際分類(ISCED-F 2013)にも、雑誌の索引に用いられる分野分類にも、学際そのものを立てた区分はないUNESCO Institute for Statistics, ISCED Fields of Education and Training 2013/Scopus の分野分類(ASJC)の区分一覧
- 確中国は2021年1月、既存のどの門類にも収まらない領域のために「交叉学科」を14番目の学科門類として新設した国務院学位委員会・教育部「学位授与および人材育成学科目録」の設置(2021年)
- 推分野の名を二つ継いだ項目は「計算X」「計量X」型に偏っており、多重帰属の多くは対象の共有ではなく方法の可搬性によって生じている公開されている区分表・索引の項目名(計算化学・計算言語学・計算考古学・計算神経科学・計量経済学・計量書誌学など)からの解釈であり、体系ごとに項目の粒度が異なるため件数の比較はできない
- 推現在の分野の多くはかつての越境が名前を得て制度化したものであり、学際は分類が現実に追いつくまでの過渡的な呼称である生化学・地球物理学・物理化学・社会心理学・生物統計学の成立過程からの一般化
現在 ── いま学問はどうなっているか
知ることの限界(认识的界限 / The Limits of Knowing)
形式の限界
1930年9月、ケーニヒスベルクで二つの出来事が2日続けて起きた。7日、認識論の会議の討論で、24歳のクルト・ゲーデルが、算術を含む形式体系には証明も反証もできない命題が存在すると短く述べた。翌8日、同じ町でダフィット・ヒルベルトが講演し、「われわれは知らねばならない、われわれは知るであろう」と結んだ。ヒルベルトは1899年の『幾何学基礎論』で公理系自体を吟味の対象とし、そこから数学の無矛盾性を有限の手段で証明する計画へ進んでいた。順序は皮肉である。発言の重みをその場で受け止めたのはジョン・フォン・ノイマンだったと伝えられる。
第一不完全性定理の内容は、条件を落とすと別物になる。正確には、次の三つを満たす形式体系Tについて成り立つ。第一に、Tはごく限られた量の自然数の算術 ── 後続・加法・乗法の基本的事実 ── を表現できること。第二に、Tが無矛盾であること。第三に、公理化可能(recursively axiomatizable)であること、すなわち公理を機械的な手続きで次々に書き出せることである。判定できることまでは要らない。このとき、Tの言語で書かれたある文Gが存在し、TはGも、Gの否定も証明できない。なお原論文は、否定が証明できないことを示すのにω無矛盾というやや強い条件を用いており、単なる無矛盾性で足りるようにしたのは1936年のロッサーである。
第二定理は、この構成をT自身の内部で形式化することから出る。ただし条件は第一定理より重い。第一定理はごく弱い算術で足りるが、第二定理は第一定理の証明自体をT内部で追えるだけの強さを要する。Tが自分の証明可能性について最小限の事実 ── 証明できたことは証明できると証明できる、といった性質 ── を証明でき、かつ無矛盾ならば、「Tは無矛盾である」ことを算術の文として書き表したものを、Tは証明できない。ロビンソン算術(Robinson arithmetic)のような弱い体系は第一定理の条件を満たすが、この強さを持たない。依存はもう一つ、その書き表し方にもある。証明可能性を素直でない仕方で定義すれば、自分の無矛盾性を表すように見える文を体系自身が証明してしまう。体系は自分の足場の健全さを自分の言葉で保証できない ── そう言えるのは、これだけの条件の下である。
ここから広がった誤解を三つ切り分ける。第一に、定理は「その体系では何も証明できない」とは言っていない。ペアノ算術は膨大な定理を証明する。定理が言うのは、証明も反証もできない文が少なくとも一つ残る、ということである。Gを新しい公理に加えても事態は変わらない。拡張した体系がなお三条件を満たすかぎり同じ構成が働き、新しい独立な文が現れる。不完全性は一文の欠落ではなく、条件を満たす体系すべてが受け継ぐ性質である。
第二に、あらゆる形式体系が不完全だ、とも言っていない。加法だけで乗法を持たない自然数の理論は、1929年にプレスブルガーが完全かつ決定可能であることを示した。実数の代数と初等幾何も、タルスキが完全かつ決定可能であることを示している。「自然数の算術を含む」が外れれば、定理の射程は届かない。もっとも、決定可能であることと現実に判定できることは別で、プレスブルガー算術の判定手続きには1974年に二重指数の下界が示された。壁が一つ外れても、次の壁がある。
第三の誤解が最も根が深い。「不完全性定理によって人間は機械を超えると示された」という主張である。ジョン・ルーカスとロジャー・ペンローズの論法は、人間はGが真だと見抜けるが機械には証明できない、という形をとる。しかし定理が与えるのは条件つきの言明であり、「Tが無矛盾ならば、TはGを証明しない」としか言っていない。Gの真理を見抜くには体系の無矛盾性を知っていなければならず、それは第二定理によって内側からは手に入らない。論理学者の側からの評価は概して否定的である。「社会体制は不完全性定理により自己完結できない」といった日常への拡張も同様で、定理が要求する三つの前提のいずれとも接点を持たない。
決定不能性は別の道からも現れる。アラン・チューリングは1936年、機械的な計算という概念を定義し、その定義のもとで判定できない問題を構成した。彼が扱ったのは、機械が無限の出力列を出し続けるかどうかの判定であって、いま教科書が書く形 ── 任意のプログラムと入力について停止するか否かを判定する一般の手続きは存在しない ── ではない。この形と「停止問題(停机问题 / halting problem)」の名は、1958年のマーティン・デイヴィスの教科書を経て定着した。アロンゾ・チャーチも1936年、別の形式化で決定問題の否定的解決に達した。整数係数の方程式が整数解を持つかを問うヒルベルト第10問題は1970年に否定的に解決され、群の語の問題も四次元多様体の同相判定も決定不能である。
集合論では、独立性が別の顔で現れた。自然数の濃度と実数の濃度のあいだに別の濃度はあるか。カントールが立てたこの問い ── 連続体仮説(连续统假设 / continuum hypothesis)に、ゲーデルは1938年から1940年にかけて、構成可能集合の宇宙を用いて標準的な公理系のもとで反証できないことを示し、ポール・コーエンは1963年、強制法を作って証明もできないことを示した。連続体仮説は標準的な公理系から独立である。
「答えがない」と読むことはできない。独立とは、その公理系がその問いを決定しないということにすぎない。ゲーデル自身は連続体仮説に定まった真偽があると考え、より強い公理を求めた。一方で、唯一の意図された宇宙などなく、どの宇宙を見るかで答えが変わるとする立場もある。真理と証明可能性が別物であることも、独立に示されている。タルスキは1930年代に、算術の真なる文の全体は算術の言語の一つの式では定義できないことを証明した ── 真理の定義不可能性(undefinability of truth)である。対照的に、証明可能性のほうは算術の言語で定義できる。
それでも数学は止まらなかった。理由は三つある。一つは、独立な命題が日常の数学にはめったに顔を出さないことである。もっとも、パリス=ハリントンの定理やグッドスタインの定理のように、自然な組合せ論の言明でペアノ算術から独立なものもある。二つめは、証明に使える手段の水準が測れるようになったことである。ゲルハルト・ゲンツェンは1936年、ε₀までの超限帰納法を用いてペアノ算術の無矛盾性を証明した。内側からは出ないが、どれだけ外に出れば出るかは特定できる。三つめは、独立性の手法そのものが道具になったことである。強制法は集合論の標準技法である。壁の存在は、壁の位置を測るという研究を生んだ。
計算の限界
計算複雑性(计算复杂性 / computational complexity)が測るのは速さではなく、入力が大きくなったときの伸び方である。1965年ごろ、ジャック・エドモンズとアラン・コバムがそれぞれ、「実用的な算法」の代理として、計算量が入力の大きさの多項式で抑えられることを提案した。この線引きは粗い。n の100乗は実用にならず、指数時間でも小さな入力なら十分速い。それでも多項式と指数の差は、入力が2倍になったときに何が起きるかで決定的に分かれる。多項式なら定数倍で済み、指数なら以前の計算量を丸ごと二乗するに等しい負担が乗る。
Pは、決定性の機械が多項式時間で答えを出せる問題の集まりである。NPは、答えの候補を与えられたときに、それが正しいことを多項式時間で検証できる問題の集まりである。解くことと確かめることの差、と言い換えてよい。数独の解を確かめるのはたやすく、解くのは難しい。P対NP問題とは、この直観が定理として正しいかを問うている。1971年、スティーヴン・クックが充足可能性問題について、NPに属する任意の問題がそれに多項式時間で帰着することを示した。レオニード・レーヴィンが独立に同種の結果を得ており、翌1972年にリチャード・カープが21の問題について同じ性質を示した。
こうしてNP完全(NP完全 / NP-complete)という地位が確立する。一つでも多項式時間で解ければ、NPのすべてが多項式時間で解ける。巡回セールスマン、ナップサック、頂点被覆、グラフ彩色 ── 実務で現れる組合せ最適化の多くがここに落ちる。P対NPは2000年にクレイ数学研究所のミレニアム問題に選ばれ、賞金がかけられたが、未解決である。指数の壁は現実にどう見えるか。巡回セールスマンの厳密解を動的計画法で求める古典的な算法は、都市数 n に対しておよそ n²·2ⁿ の手数を要する。都市が10増えるごとに手数は約1000倍になる。ここで重要なのは、計算機を速くしても解ける規模はほとんど伸びない、という点である。速度が1000倍になっても、扱える都市は10増えるだけである。努力の投入と成果が対数でしか結びつかない領域が存在する。
ただし、NP完全であることは「その問題は解けない」を意味しない。複雑性の分類は最悪の入力についての保証であって、目の前の入力についての予言ではない。充足可能性問題を解く現代のソルバは、産業で生じる数百万変数規模の実例を日常的に処理している。巡回セールスマンでも、2006年に8万5900都市の実例が厳密に解かれた記録がある。線形計画法の単体法は、1972年にクレーとミンティが指数時間かかる入力を構成してみせたにもかかわらず、実務では一貫して高速である。2001年にダニエル・シュピールマンとシャンホア・テンが提示した平滑化解析は、入力にわずかな摂動を加えた平均で見れば多項式時間になることを示し、この乖離に理論の側から説明を与えた。
生物学の側の例として、しばしばタンパク質の折りたたみが引かれる。サイラス・レヴィンタールは1969年、ひとつの鎖がとりうる立体配座の数は天文学的であり、それらを順に試していては宇宙の年齢でも足りないのに、実際のタンパク質は秒以下で折りたたまれる、と指摘した。つまり自然は全探索をしていない。格子上に単純化したモデルではNP困難性が証明されているが、これは「タンパク質の構造予測が原理的に不可能」を意味しない。2020年の予測競技会が示したのは、全探索を速くする方法ではなく、進化と既知構造に含まれる統計的な制約を使って探索そのものを回避する方法だった。困難な問題への対処は、たいてい問題を解くことではなく、問題を取り替えることである。
実際の解決策は、近似アルゴリズム(近似算法 / approximation algorithm)とヒューリスティクスである。三角不等式を満たす巡回セールスマンには、1976年にニコス・クリストフィデスが最適解の1.5倍以内を保証する手続きを与えた。頂点被覆には、辺を順に選んで両端を取るだけで最適解の2倍以内に収まる素朴な手続きがある。だが近似にも壁がある。1990年代初頭に確立したPCP定理を出発点として、近似の良さ自体に限界があることが次々と示された。たとえば三変数の充足可能性の最大化は、P=NPでない限り、充足できる節の割合を8分の七より良く近似することはできない。どこまで諦めればよいかもまた、定理の形で分かる。
量子計算は、この地図の一部を書き換えるが全部ではない。ピーター・ショアが1994年に与えた算法は、素因数分解と離散対数を多項式時間で解く。RSA暗号の安全性はまさに素因数分解の困難さに依存しており、これは直撃である。もっとも素因数分解はNP完全とは考えられていない。より本質的な用途は、リチャード・ファインマンが1982年に指摘した量子系の模倣である。一方、構造のない探索に対するグローヴァーの算法(1996年)は、N 個の候補から√N 程度の手数で目的を見つける。二次の高速化にすぎず、指数を多項式に変えるものではない。量子計算機がNP完全問題を一般に多項式時間で解けるとは、専門家のあいだで広く考えられていない。それでも素因数分解と離散対数への脅威は現実的とみなされ、米国標準技術研究所は2024年8月、量子計算機に耐えると期待される暗号方式を標準として公表した。
最後に、計算は物理現象である以上、物理法則に縛られる。ロルフ・ランダウアーは1961年、1ビットの情報を消去するには温度 T の環境で少なくとも kT·ln2 のエネルギー散逸を伴うと論じた ── ランダウアーの原理(兰道尔原理 / Landauer's principle)である。室温では1ビットあたり約3×10⁻²¹ ジュール。2012年には微小粒子を用いた実験でこの下限に迫る測定が報告された。ハンス=ヨアヒム・ブレマーマンは1962年、質量とエネルギーの等価性とプランク定数から、1キログラムの物質が1秒間に処理できる情報量の上限を約1.4×10⁵⁰ ビットと見積もった ── ブレマーマンの限界(Bremermann's limit)である。この種の見積もりは、256ビットの鍵の総当たりが地球規模のエネルギーを何桁も超えることを示す。
計算の困難さは、暗号においては障害ではなく資源として使われている。
| 主題 | 原理が引く線 | 実際に届いている線 |
|---|---|---|
| 情報の消去 | ランダウアーの原理 ── 室温で1ビットあたり約3×10⁻²¹ ジュール | 2012年、微小粒子を用いた実験がこの下限に迫った |
| 計算の速さ | ブレマーマンの限界 ── 1キログラムの物質が毎秒約1.4×10⁵⁰ ビット | 巡回セールスマン問題は8万5900都市の実例が厳密に解かれている(2006年) |
表12原理の側の線と、いま届いている線
予測の限界
1814年、ピエール=シモン・ラプラスは、宇宙のすべての粒子の位置と速度を知り、それを解析にかけうる知性にとっては、未来も過去も現在と同じように眼前にあるだろう、と書いた。決定論的な法則があれば予測できる、という等式である。これが成り立たないことが、20世紀に明らかになった。先に気づいていたのはアンリ・ポアンカレで、三体問題の研究を通じて初期条件のごくわずかな違いが最終状態の大きな違いをもたらしうることを認め、1908年の著作では、気象がまさにそのような系であるがゆえに予報が難しいと述べている。
一般の関心を集めたのは、エドワード・ローレンツが1963年に出した対流の簡略模型だった。彼は1961年、計算をやり直すために印刷された途中値を打ち込んだところ、以前とまったく違う経過をたどることに気づいた。印刷は小数第三位までで、内部の値は第六位まで持っていた。千分の一の丸めが、数値実験の全体を別物にした。「ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こすか」という題は、1972年の講演のためにつけられたものである。
カオス(混沌 / chaos)と呼ばれる性質である。近接した二つの初期条件の差は、時間とともにおよそ e^(λt) で開く。この λ リアプノフ時間(李雅普诺夫时间 / Lyapunov time)という。ここに、努力の効きにくさの正体がある。誤差が1000倍に育つまでを予測可能期間とするなら、その期間を2倍に伸ばすには、初期値の誤差をさらに1000分の一にしなければならない。逆に言えば、測定精度を1000倍にしても予測期間は一期間分しか伸びない。観測点を増やし測器を精密にする投資は、予測期間には対数でしか効かない。
カオスは確率的なランダムさではない。まったく同じ初期状態から出発すれば、まったく同じ軌道が出る。式のどこにも乱数は入っていない。予測不能を生むのは、初期状態を有限の精度でしか知りえないことと、その誤差が指数的に拡大することの組み合わせである。重要なことに、軌道が予測できなくても、その軌道が住む領域の統計的性質は安定している。個々の軌道は追えないが、どの領域にどれだけの割合で滞在するかは決まっている。
気象予報の限界はこの構造から出る。ローレンツは1969年、小さな渦の誤差が大きな渦へと駆け上がる過程を考察し、模型が完璧で観測が今より遥かに密になっても、予測可能期間には有限の上限があると論じた。現在の見積もりでは、実際に技能を示す予報は10日程度までで、上限までにはなお数日の余地があるとされる。この壁への対応は、精度を上げることではなく、予測の形式を変えることだった。初期値をわずかに変えた多数の計算を並行して走らせ、結果の散らばりを確率として出す。アンサンブル予報(集合预报 / ensemble forecast)が主要な予報センターで実運用に入ったのは1992年である。
同じ発想は気象の外にも移された。米国で新型コロナウイルスの流行予測を集約した評価によれば、複数の模型を統合した予測は個々の模型のいずれをも平均して上回り、その一方で、予測期間を延ばすにつれて技能は急速に落ちた。統合は精度を底上げするが、伸びない距離は伸びない。答えを1本の線から分布へ置き換えるのは、当たる予測を作る技法ではなく、どこまでが言えるかを明示する作業である。散らばりの幅そのものが、その予測から引き出してよい結論の範囲を定める。
気候と天気の違いは、この構造から出る。半年後の特定の日の気温は原理的に予測できないが、その季節の平均気温がどこに寄るかは、海面水温のように緩やかに変わる条件から確率として言える。さらに100年先の気候となると、問いの種類が変わる。個々の日の軌跡ではなく、温室効果気体の濃度という外から与える条件を変えたとき気温の分布がどう動くかを問う。初期値の問題と境界条件の問題は別であり、前者に限界があることは、後者に限界があることを意味しない。同じ構造は太陽系にも現れる。惑星軌道のリアプノフ時間はおよそ500万年で、1億年先の地球の軌道上の位置は計算できない。それでも数千回の数値実験からは、水星の軌道が今後50億年のうちに不安定化する確率は1%程度と報告されている。
複雑系にはもう一つの困難がある。フィリップ・アンダーソンが1972年の論説で述べたように、構成要素の法則を知っていることと、多数が集まったときの振る舞いを導けることは別である。水分子の方程式から乱流を導くことも、神経細胞の性質から意識を導くことも、実際には手が届かない。もっとも、事態は一方的ではない。臨界点の近くで異なる物質が同じ指数を示す普遍性が知られているように、巨視的な振る舞いが微視的な細部にほとんど依存しない場合もある。どちらになるかは、系ごとに調べるほかない。
社会現象には、自然現象にはない固有の困難が加わる。予測が対象に伝わり、対象の振る舞いを変えるのである。ロバート・マートンは1948年、支払能力のある銀行でも「危ない」という予測が広まれば取り付けが起きて実際に破綻する、という例を挙げて自己成就予言を論じた。逆向きも起きる。感染症の流行予測が警告として機能し、人々が行動を変えた結果として予測が外れる。予測が当たらなかったのか、予測が効いたのかを事後に切り分ける一般的な方法はない。成功した警告は、失敗した予測と同じ形で記録される。
経済学ではこれが理論の問題として定式化された。ロバート・ルーカスは1976年、集計量のあいだに観測された関係は、その時点の政策のもとで人々が形成した期待と決定規則を反映しているにすぎず、政策を変えればその関係自体が変わる、と論じた ── ルーカス批判(卢卡斯批判 / Lucas critique)である。過去のデータに当てはめた式を政策変更後の予測に使うことは、変わるはずのものを固定して計算することになる。評価に用いられた指標が壊れるという、別の領域で繰り返されてきた指摘も、この批判の系として同型である。関係を利用する行為が、関係を変える。
では、専門家の長期予測は実際どうだったのか。フィリップ・テトロックは1980年代半ばから20年近く、政治・経済の専門家280人あまりから約2万8000件の確率つき予測を集め、2005年に公表した。平均的な専門家の的中は、単純な外挿規則にも劣った。学歴や経験年数との相関は乏しく、違いを生んだのは思考の様式のほうだった ── 単一の枠組みで説明する者より、複数の視点を継ぎ合わせ、自分の誤りを更新する者のほうが成績がよい。続く2011年からの予測トーナメントでは、上位2%程度の参加者が集団平均を大きく上回る成績を持続し、その技能は訓練と集約によって向上した。
観測の限界
1927年、ヴェルナー・ハイゼンベルクは、電子の位置を顕微鏡で見ようとする思考実験から不確定性関係(不确定性关系 / uncertainty relation)を導いた。短い波長の光を当てれば位置は精密に分かるが、光子が電子を蹴るので運動量が乱れる。この説明は直観的で、いまも広く流布している。だがこれは測定が対象を乱すという話であり、定式化としては不正確である。この関係はしばしば不確定性原理と呼ばれるが、原理という語は、以下に見る二つの別の言明を一つに丸めてしまう。
厳密な関係は、一つの量子状態について、位置の標準偏差と運動量の標準偏差の積が ℏ/2 以上になる、というものである。この形は同じ年にアール・ケナードが、翌年にヘルマン・ワイルが与えた。標準偏差とは、同じ状態を多数用意し、あるものには位置だけを、別のものには運動量だけを測ったときのばらつきである。測定の下手さではなく、状態そのものの性質を述べている。数学的には位置と運動量の分布がフーリエ変換で結ばれることの帰結であり、狭い波束ほど広い波数成分を要するという波の性質に等しい。任意の二つの物理量の組へ一般化したのはハワード・ロバートソンで、1929年、二つの量の交換子の期待値が下限を与えることを示した。位置と運動量はその特別な場合にすぎない。
測定が対象を乱すという関係もまた存在するが、別の不等式に従う。小澤正直は2003年、測定誤差と擾乱を厳密に定義すると、ハイゼンベルクが素朴に書いた形の不等式は普遍的には成り立たないと示した。2012年には中性子スピンと光子偏光の実験で、その破れが観測された。ケナードの関係は破れない。破れるのは、この定義のもとでの素朴な形である。もっとも、誤差と擾乱を別の仕方で定義すればハイゼンベルク型の関係が定理として証明できるという反論が2013年に出て、以後、どの定義が測定の何を捉えるかをめぐる応酬が続いている。争われているのは実験結果ではなく定義である。確かなのは、状態についての関係と測定についての関係が別物であり、両者を「観測者効果」の1語でまとめられない、という点である。
宇宙には、努力では届かない境界が2種類ある。粒子地平線(粒子视界 / particle horizon)である。宇宙の年齢は約138億年だが、その間に光が進んだ距離は膨張で引き伸ばされ、現在の尺度で測った観測可能な宇宙の半径は約465億光年になる。この球の外からの信号は届いていない。第二はより厳しい。膨張が加速している以上、ある距離より遠い天体が今日放つ光は、どれだけ待っても届かない。見える範囲が時間とともに無限に広がるのではない。
内側にも壁がある。宇宙は誕生から約38万年のあいだ、電離した粒子に満たされ光に不透明だった。電子と原子核が結合して中性の原子になり、再結合(recombination)と呼ぶ。背景放射はこの最終散乱面から来る。それより前は電磁波では原理的に見えない。ニュートリノは誕生から1秒程度で物質との相互作用を離れるが、その背景放射の直接検出はない。原始重力波はさらに古い情報を運ぶ。2014年に検出の発表があったが、翌年、Planck衛星との共同解析で信号が銀河系内の塵で説明できることが示され、検出という主張は取り下げられた。重力波の直接検出自体は2015年9月に達成された。
足元も見えていない。人類が掘った最も深い孔はコラ半島の1万2262メートルで、地球の半径6371キロメートルの0.2%に満たない。内部の構造は地震波の走り方から復元された。横波が核を通らないことから外核は液体と分かり、核とマントルの境界は深さ約2900キロメートルに、内核の存在は1936年にレーマンが突きとめた。2000年代からは、ウランやトリウムの崩壊が出す反ニュートリノの検出も加わり、熱源に制約を与えている。
太陽も同じである。中心で生まれた光子は散乱されつづけ、表面に達するまで数万年から数十万年を要すると見積もられる ── 値は模型に強く依存する。我々が見る太陽面の光は、現在の中心の状態を伝えない。ニュートリノだけがほぼ直進して数秒で出てくる。デイヴィスが1968年に始めた観測は期待の約三分の一しか捉えられず、太陽ニュートリノ問題と呼ばれた。原因はニュートリノが飛行中に種類を変えることにあった。2001年に荷電カレント反応の測定が別実験との比較で電子型以外の混入を示し、2002年に3種類すべてに感度を持つ中性カレント反応が全フラックスを直接数えて、これを確定させた。
過去の観測には、固有の偏りがある。歴史科学が扱うのは出来事そのものではなく、それが残した痕跡 ── 地層、化石、同位体比、遺伝子 ── であるが、痕跡は残り方が偏る。何が化石になり何が残らないかを扱うタフォノミー(埋藏学 / taphonomy)が示すとおり、硬い組織を持つ生物や堆積の速い環境が過剰に代表される。突然だった絶滅が、記録の上では徐々に減ったように見えることも知られている ── 最後の個体が最後の地層に残る保証はない。痕跡の分布は、過去の分布ではない。
他者の主観的経験もある。ネーゲルが1974年に問うたのは、蝙蝠が超音波で世界を捉えるとはどういう感じか、である。蝙蝠の神経系をどれだけ詳しく記述しても、その記述は三人称の言語で書かれ、一人称の視点そのものを含まない。チャーマーズが1995年に「難しい問題」と呼んだのは、この隔たりである。物理的過程がなぜ経験を伴うのかは、機能の説明が完成しても残る。心の科学の困難は、対象がその科学の言語では書けないことにある。
現代の研究が採った戦略は、問題を解くことではなく問い方を変えることだった。クリックとコッホが1990年に提案した意識の神経相関(neural correlates of consciousness)の探索は、なぜ経験が生じるかを問わず、どの神経過程が経験の有無に対応するかだけを問う。近年は対立する理論の提唱者が事前に予測を登録し、同じ実験で判定を受ける試みも行われる。なお一人称へのアクセスは自分自身についても万全ではない。人は判断の理由をしばしば取り違え、後から説明を作る。
四つの壁は性格が違う。形式の限界は論理の定理であり、計算の限界は多くが未証明の予想を含む。予測の限界は系の力学から、観測の限界は物理法則と配置から出る。共通するのは、いずれも「まだ努力が足りない」では解消されないことである。だが限界の確定は、探究の終わりではなく方向の変更を促してきた。決定不能性は証明の強さを測る研究を生み、計算の困難さは暗号という資源になり、初期値鋭敏性は単一の予報を確率分布に置き換えさせた。限界の測定は、知の放棄ではなく、知の設計である。
事実の台帳 確 78 / 推 5 / 争 4
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確ゲーデルは1930年9月7日、ケーニヒスベルクの認識論会議の討論で第一不完全性定理を初めて公にし、その翌日ヒルベルトが同市で「われわれは知らねばならない、われわれは知るであろう」と結ぶ講演を行った会議記録(*Erkenntnis* 誌に掲載された討論記録)およびヒルベルトのケーニヒスベルク講演(1930年9月8日)
- 推ケーニヒスベルクの討論でゲーデルの発言に即座に反応したのはフォン・ノイマンだったとされる後年の回想・伝記研究(Wang、Dawson)に基づく理解であり、当日の記録から直接に確かめられるものではない
- 確ヒルベルトは公理系そのものを吟味の対象とする立場を確立し、のちに数学の無矛盾性を有限の手段で証明する計画を掲げたHilbert, *Grundlagen der Geometrie*(1899年)および1920年代のヒルベルト計画に関する一連の論考
- 確第一不完全性定理は、自然数の算術を表現でき、無矛盾で、公理集合が機械的に書き出せる形式体系について、証明も反証もできない文の存在を主張するGödel, "Über formal unentscheidbare Sätze der Principia Mathematica und verwandter Systeme I"(1931年)。標準の条件は公理集合が帰納的可算であることで、判定可能性までは要らない(クレイグの技法により定理の射程では一致する)
- 確ゲーデルの原論文は、否定の証明不可能性を導くのにω無矛盾性を仮定しており、単なる無矛盾性で足りるようにしたのはロッサーであるRosser, "Extensions of some theorems of Gödel and Church", *Journal of Symbolic Logic*(1936年)
- 確第二不完全性定理は、体系が自身の無矛盾性を表す算術の文を証明できないことを主張するGödel(1931年)。第二定理の成立には第一定理より強い条件(ヒルベルト=ベルナイス=レープの導出条件、算術的には少なくともIΣ₁程度の帰納法)と、無矛盾性言明の標準的な形式化が要る。詳細な証明の公刊は Hilbert & Bernays, *Grundlagen der Mathematik* 第二巻(1939年)
- 確ロビンソン算術は第一定理の条件を満たすが導出条件を満たさず、第二定理の適用範囲には入らない導出条件に関する標準的な扱い(Hilbert & Bernays 1939年、Löb 1955年)
- 確無矛盾性言明の形式化の仕方によっては、体系が自身の「無矛盾性」を表す文を証明できるロッサー型の証明可能性述語による構成(Feferman, "Arithmetization of metamathematics in a general setting", *Fundamenta Mathematicae*、1960年)
- 確独立文を公理として追加しても、拡張した体系が条件を満たすかぎり新たな独立文が現れる(本質的不完全性)第一定理が該当する任意の体系に適用できることの直接の帰結(Gödel 1931年、Rosser 1936年)
- 確加法のみを持ち乗法を持たない自然数の理論は完全かつ決定可能であるPresburger(1929年)
- 確プレスブルガー算術の判定手続きには二重指数の下界があるFischer & Rabin(1974年)
- 確実閉体の理論は完全かつ決定可能であり、初等幾何とともに判定手続きを持つTarski, *A Decision Method for Elementary Algebra and Geometry*(1948年の報告、1951年刊)
- 確不完全性定理は、条件を満たす体系が「何も証明できない」ことを含意しない定理の言明そのもの(存在言明であり全称言明ではない)
- 争不完全性定理が人間の心は機械を超えることを示すという主張Lucas(1961年)、Penrose, *The Emperor's New Mind*(1989年)が唱え、定理の条件言明としての性格と体系の無矛盾性を知る手立ての欠如を理由に、Putnam・Boolos・Feferman ら論理学者側からの批判が優勢である
- 確チューリングは計算の概念を定義し、その定義のもとで判定不能な問題を構成したTuring, "On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem"(1936年)。ただし「停止問題」の名と現行の定式化は Davis, *Computability and Unsolvability*(1958年)以降のものであり、原論文が扱ったのは機械が無限の出力列を出し続けるかの判定である
- 確チャーチは独立に別の形式化で決定問題の否定的解決に達したChurch(1936年)
- 確整数係数方程式の整数解の存在を判定する一般の手続きは存在しない(ヒルベルト第10問題の否定的解決)Matiyasevich(1970年)、Davis・Putnam・J. Robinson の先行研究に基づく
- 確有限表示された群の語の問題は一般には決定不能であり、四次元閉多様体の同相判定も決定不能であるNovikov(1955年)、Boone(1958年)、Markov(1958年)
- 確ゲーデルは連続体仮説が標準的な集合論の公理系から反証できないことを示したGödel, *The Consistency of the Continuum Hypothesis*(1940年、1938年に予報)
- 確コーエンは強制法を用いて連続体仮説が同公理系から証明できないことを示したCohen(1963年の論文、1966年フィールズ賞)
- 争連続体仮説に定まった真偽があるかゲーデル自身は肯定し公理の拡張を求めた。現代の集合論には、大きな基数などによる決定を目指す立場と、単一の意図された宇宙を認めない立場が併存する
- 確算術の真なる文全体は算術の言語の一つの式では定義できないTarski の真理定義不可能性定理(1933年ポーランド語、1936年ドイツ語訳)
- 確証明可能性は算術の言語のなかで定義できる証明関係の原始帰納性とその算術化(Gödel 1931年)。真理述語との非対称はここに由来する
- 確ゲンツェンはε₀までの超限帰納法を用いてペアノ算術の無矛盾性を証明したGentzen(1936年)
- 確自然な組合せ論の言明でペアノ算術から独立なものが存在するParis & Harrington(1977年)、Kirby & Paris によるグッドスタインの定理の独立性(1982年)
- 確多項式時間を実用的算法の代理とする線引きは1960年代半ばに提案されたCobham(1965年)、Edmonds "Paths, trees, and flowers"(1965年)
- 確充足可能性問題のNP完全性が示され、翌年に21の問題へ拡張されたCook(1971年)、Levin(1973年、独立)、Karp(1972年)
- 確P対NP問題はクレイ数学研究所のミレニアム問題の一つである2000年の選定
- 確巡回セールスマン問題の厳密解を与える古典的動的計画法の計算量はおよそ n²·2ⁿ であるHeld & Karp(1962年)、Bellman(1962年)
- 確現代の充足可能性ソルバは、産業応用で生じる数百万変数規模の実例を日常的に処理するSAT競技会および形式検証・計画問題での適用報告
- 確8万5900都市規模の巡回セールスマン実例が厳密に解かれているConcorde による pla85900 の解決(2006年)
- 確単体法には指数時間を要する入力が構成できるが、実務では高速であるKlee & Minty(1972年)
- 確入力に微小な摂動を加えた平均で見れば単体法は多項式時間になるSpielman & Teng の平滑化解析(2001年の発表、2004年刊)
- 確タンパク質の立体配座の全探索は現実的な時間で不可能だが実際の折りたたみは高速であるLevinthal(1969年)
- 確格子模型に単純化したタンパク質折りたたみ問題はNP困難であるBerger & Leighton、Crescenzi et al.(いずれも1998年)
- 確2020年の盲検の構造予測競技会で、深層学習に基づく手法が全探索によらず実験構造に迫る精度を示したCASP14(2020年)の評価
- 確三角不等式を満たす巡回セールスマンには最適解の1.5倍以内を保証する近似算法があるChristofides(1976年)
- 確頂点被覆には、極大マッチングの両端点を取ることで最適解の2倍以内を保証する近似算法がある標準的な2倍近似(Gavril による構成として知られる)
- 確P≠NPの下で、三変数充足可能性の最大化は8分の七より良い比率で近似できないHåstad(2001年)、PCP定理(1992年)に基づく
- 確量子算法により素因数分解と離散対数は多項式時間で解けるShor(1994年)
- 確RSA暗号の安全性は素因数分解の困難さに依拠するRivest, Shamir & Adleman, *Communications of the ACM* 21(2)(1978年)
- 確量子計算機の主要な用途として量子系の模倣が提案されたFeynman, "Simulating Physics with Computers", *International Journal of Theoretical Physics* 21(1982年)
- 確構造のない探索に対する量子的高速化は候補数の平方根程度にとどまるGrover(1996年)
- 推量子計算機はNP完全問題を一般に多項式時間では解けないBQPがNPを含むとは考えられていないという専門家の広い合意であり、証明されてはいない
- 確米国標準技術研究所は2024年8月に耐量子暗号の標準を公表したFIPS 203・204・205
- 確1ビットの消去には少なくとも kT·ln2 のエネルギー散逸を伴うLandauer(1961年)。室温で約3×10⁻²¹ ジュール
- 確ランダウアー限界に迫るエネルギー散逸が実験で測定されたBérut et al., *Nature*(2012年)
- 推1キログラムの物質の情報処理速度の上限は約1.4×10⁵⁰ ビット毎秒と見積もられるBremermann(1962年)。mc²/h による上限であり、情報処理の物理的定式化の取り方に依存する
- 確ラプラスは決定論から予測可能性を導く思考を明示的に述べたLaplace, *Essai philosophique sur les probabilités*(1814年)
- 確ポアンカレは初期値鋭敏性を認識し、気象予報の困難をその例として挙げたPoincaré, *Science et méthode*(1908年)
- 確ローレンツは三変数の対流模型で決定論的非周期流を示したLorenz, "Deterministic Nonperiodic Flow", *Journal of the Atmospheric Sciences*(1963年)
- 確ローレンツの気づきは、印刷された途中値を丸めて再入力したことに始まる本人の回想(*The Essence of Chaos*, 1993年)
- 確「蝶の羽ばたき」の題は1972年の講演のために付けられたものであるAAAS会合での講演題(題そのものはフィリップ・メリリースの提案と伝えられる)
- 確完全な模型と密な観測を仮定しても気象の予測可能期間には有限の上限があるLorenz(1969年)
- 推現行の予報が技能を示すのは10日程度までで、上限までになお数日の余地があるZhang et al., *Journal of the Atmospheric Sciences*(2019年)ほかの推定に基づく解釈。値は評価指標と対象量に依存する
- 確初期値摂動による多数計算を用いるアンサンブル予報は1992年に主要予報センターで実運用に入ったECMWF および NCEP における導入
- 確感染症流行予測では複数模型の統合が個別模型を上回り、予測技能は予測期間の延長とともに急速に低下したCramer et al., *PNAS*(2022年、米国COVID-19予測ハブの評価)
- 確惑星軌道のリアプノフ時間はおよそ500万年と見積もられるLaskar(1989年)、Sussman & Wisdom(1992年)
- 確水星軌道が今後50億年のうちに不安定化する確率は約1%と報告されているLaskar & Gastineau, *Nature*(2009年)
- 確構成要素の法則を知ることと集合的振る舞いを導けることは別であると論じられたAnderson, "More Is Different", *Science*(1972年)
- 確臨界点の近傍では、異なる物質が同じ臨界指数を示す普遍性が成り立つ繰り込み群による普遍性クラスの説明(Wilson、1971年)
- 確予測の流布が対象を変え、予測を実現させる場合があるMerton, "The Self-Fulfilling Prophecy"(1948年)
- 確集計量の間の推定された関係は政策変更によって変化するため、政策評価に流用できないLucas, "Econometric Policy Evaluation: A Critique"(1976年)
- 確政治・経済の専門家約280人から集めた約2万8000件の確率予測は、平均すると単純な外挿規則に劣ったTetlock, *Expert Political Judgment*(2005年、1980年代半ばからの収集)
- 確単一の枠組みに依拠する者より複数視点を統合する者のほうが予測成績がよい同上(バーリンの「ハリネズミと狐」の区分に依拠した分析)
- 確予測トーナメントにおいて上位層が持続的に高成績を示し、訓練と集約により成績が向上したGood Judgment Project(2011年開始、IARPA主催のトーナメント)、Tetlock & Gardner, *Superforecasting*(2015年)
- 確ハイゼンベルクの1927年の議論は、測定による擾乱を用いた思考実験であったHeisenberg(1927年、ガンマ線顕微鏡の思考実験)
- 確標準偏差の積による厳密な不確定性関係は、単一の状態の性質を述べており、測定の擾乱を述べていないKennard(1927年)、Weyl(1928年)、任意の二つの物理量への一般形は Robertson, *Physical Review* 34(1929年)
- 争測定誤差と擾乱に関する不等式の形小澤正直(2003年)は素朴なハイゼンベルク型が普遍的には成り立たないとし、Busch, Lahti & Werner, *PRL* 111, 160405(2013年)は別の誤差・擾乱の定義のもとでハイゼンベルク型を証明した。定義の妥当性をめぐって論争が続いている
- 争素朴な誤差擾乱関係の破れとされる実験結果Erhart et al.(中性子スピン、2012年)、Rozema et al.(光子偏光、2012年)。破れが示されたのは小澤の定義による誤差・擾乱についてであり、別の定義のもとでは同種の測定が定理と整合するという反論がある
- 確宇宙の年齢は約138億年、観測可能な宇宙の共動半径は約465億光年であるPlanck 衛星の宇宙論パラメータ(2018年結果)に基づくΛCDM模型内の値であり、模型を替えれば動く
- 確加速膨張のもとでは、一定距離より遠方の天体が現在放つ光は永久に到達しないΛCDM模型における事象の地平面
- 確宇宙は誕生から約38万年後の再結合まで光に対して不透明であった宇宙マイクロ波背景放射の最終散乱面(赤方偏移約1100)
- 確宇宙背景ニュートリノは理論上存在するが直接検出はなされていない標準宇宙論の予言と、検出実験の現状
- 確2014年に原始重力波の検出として発表された信号は、銀河系内の塵で説明できることが示され、検出の主張は取り下げられたBICEP2(2014年)、BICEP2/Keck と Planck の共同解析(2015年)。論文自体は撤回されていない
- 確重力波の直接検出は2015年9月の連星ブラックホール合体で達成されたLIGO による GW150914(2016年2月発表)
- 確人類が掘った最深の孔は約1万2262メートルであり、地球半径6371キロメートルの0.2%に満たないコラ半島超深度掘削孔 SG-3(1989年到達)
- 確地球内部の構造は地震波の伝播から推定された外核の液体性(横波の不透過)、核マントル境界の深さ約2900キロメートル(Gutenberg、1910年代)、内核の発見(Lehmann、1936年)
- 確地殻とマントルの放射性崩壊起源の反ニュートリノが検出され、地球内部の熱源に制約を与えているKamLAND(2005年)、Borexino
- 推太陽中心で生じた光子が表面に達するまでの時間は数万年から数十万年である拡散近似による見積もりで、模型と仮定に強く依存する。より古い文献には10⁷年規模の値もある
- 確太陽ニュートリノの観測値は当初、期待値の約三分の一にとどまったDavis によるホームステイク実験(1968年開始)
- 確太陽ニュートリノ問題はニュートリノ振動によって解決されたSNO は2001年に荷電カレント反応の測定を他実験の弾性散乱と比較して電子型以外の存在を示し、2002年に3種すべてに感度を持つ中性カレント反応で全フラックスを直接測定した
- 確化石記録の偏りにより、突然の絶滅が漸進的に見えることがあるシグナー=リップス効果(1982年)
- 確三人称の記述は一人称の視点を含まないという問題が定式化されたNagel, "What Is It Like to Be a Bat?", *Philosophical Review*(1974年)
- 確物理的過程がなぜ経験を伴うのかという問いが「難しい問題」と名づけられたChalmers(1995年)
- 確意識の神経相関を探索するという方法論的転換が提案されたCrick & Koch(1990年)
- 確人は自分の判断の理由を誤認し、事後にもっともらしい説明を構成することがあるNisbett & Wilson, "Telling more than we can know", *Psychological Review*(1977年)
現在 ── いま学問はどうなっているか
解けていない問い(未解之问 / The Unsolved)
形式と物質
2000年5月、クレイ数学研究所はパリで七問を発表し、各問に100万ドルの賞金を懸けた。ミレニアム懸賞問題(千禧年大奖难题 / Millennium Prize Problems)である。1900年に同じパリでヒルベルトが挙げた23問への、意識的な対比である。ヒルベルトの一覧が20世紀の数学を実際に方向づけたのに対し、クレイの一覧は逆向きの機能を果たす ── 数学がどこで止まっているかを示す表である。四半世紀を経て、解かれたのは一問である。
その一問も、想定された道筋では解かれなかった。ポアンカレ予想を示したグリゴリー・ペレルマンが用いたのは位相幾何の手法ではなく、リチャード・ハミルトンが構想した幾何解析の方法 ── 曲率に応じて計量を連続的に変形させるリッチ流 ── を、途中で生じる特異点の処理まで含めて完成させるものだった。原稿は要点を圧縮した形で書かれており、検証は、複数の研究チームが細部を補う長大な解説を書くことで進んだ。事実上の査読が、制度の外側で数年をかけて行われた。彼は2006年のフィールズ賞を辞退し、2010年の懸賞金も、寄与はハミルトンと同等だとして受け取らなかった。
残る六問は、P対NP、リーマン予想、ナビエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさ、ヤン・ミルズの質量ギャップ、ホッジ予想、バーチ=スウィナートン=ダイアー予想である。このうちP対NPは「なぜ現在の道具では解けないかが分かっている」という特異な状態にある。計算の困難さに下界を与える証明技法は、3度にわたり自らの限界を証明されてきた。1975年のベイカー=ギル=ソロヴェイは、機械に補助的な問い合わせ装置を与えると結論が両方向に転びうることを示した。計算の詳細に立ち入らない議論では届かない。1994年のラズボロフ=ルディッチは、既存の回路下界の証明が共有する「自然な」性質が、暗号理論の標準的な仮定と両立しないと示した。2008年のアーロンソン=ウィグダーソンは、代数的な拡張を施した技法もなお足りないと示した。
手持ちの道具では届かない、という診断だけが確定している。
| 年 | 誰が | 何を示したか |
|---|---|---|
| 1975年 | ベイカー=ギル=ソロヴェイ | 機械に補助的な問い合わせ装置を与えると、結論が両方向に転びうる |
| 1994年 | ラズボロフ=ルディッチ | 既存の回路下界の証明が共有する「自然な」性質は、暗号理論の標準的な仮定と両立しない |
| 2008年 | アーロンソン=ウィグダーソン | 代数的な拡張を施した技法もなお足りない |
表13P対NP ── 道具の限界が3度証明されている
| 問題 | 状態 |
|---|---|
| ポアンカレ予想 | 解決。リッチ流とその特異点処理による。賞金もフィールズ賞も辞退された |
| P対NP | 未解決。「なぜ現在の道具では解けないか」が3度証明されている |
| リーマン予想 | 未解決 |
| ナビエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさ | 未解決 |
| ヤン・ミルズ理論の質量ギャップ | 未解決 |
| ホッジ予想 | 未解決 |
| バーチ=スウィナートン=ダイアー予想 | 未解決 |
表14ミレニアム懸賞問題 ── 四半世紀後の状態
リーマン予想は逆に、証拠が積み上がりながら証明が出ない例である。ゼータ関数の非自明な零点は、数値的に確かめられた範囲すべてで実部が二分の一である。だが、この分野には数え上げが裏切られた前例がある。素数の個数とその近似を与える対数積分との差は、計算可能な範囲でつねに一方向に偏るが、リトルウッドは1914年、この差が無限回符号を変えると証明した。最初に符号が変わる位置は、上界が下げられてきたものの、いまも特定されていない。観測される規則性と証明可能な事実は別物だという教訓が、この領域に刻まれている。
ナビエ・ストークス方程式とヤン・ミルズの質量ギャップ(质量隙 / mass gap)は、実用と証明の乖離を示す。前者は航空機の設計にも気象予報にも使われながら、三次元で滑らかな解が永久に存在し続けるのか、有限時間で発散するのかが未決である。2025年には機械学習を用いて、境界のあるオイラー方程式など粘性を持たない関連方程式について、不安定な特異解の族が数値的に見出されたと報告された。だが対象はナビエ・ストークスそのものではなく、粘性の有無こそがこの問題の核心である。そもそも数値解は証明ではなく、接近であって解決ではない。後者はさらに深い。強い相互作用を担う場の理論が、質量ゼロの構成要素から質量を持つ粒子だけを生むことは、加速器と格子上の数値計算で確かめられている。にもかかわらず、その理論を四次元で数学的に構成すること自体ができていない。
物理学の最大の空白は、一般相対性理論と量子論の統合である。重力を他の相互作用と同じ手続きで量子化すると、現れる無限大を有限個の量の再定義で吸収できない。量子重力(量子引力 / quantum gravity)の候補は複数あり、超弦理論は点粒子を拡がりを持つ対象に置き換え、ループ量子重力は時空を離散的な構造として組み立てる。どちらも内部の整合性は高いが、決定的な観測に届いていない。重力の量子効果が現れる尺度は、現在の加速器が到達するエネルギーより15桁ほど高く、当否を分ける実験をまだ誰も設計できていない。候補理論を確立した理論のように扱わないことが、この領域では最低限の作法である。
宇宙のエネルギー収支は、大半が正体不明である。プランク衛星の最終結果に基づく標準的な宇宙模型では、現在の宇暗黒エネルギー(暗能量 / dark energy)、暗黒物質(暗物质 / dark matter)で、既知の粒子でできた物質は5%程度である。ただしこの配分は、宇宙背景放射の統計を特定の模型で読んだ結果であり、模型を替えれば動く。暗黒エネルギーの側では、2025年の大規模分光観測がその強さの時間変化を示唆したが、有意性は発見の基準に達していない。
暗黒物質を粒子として直接捉える試みは、液体キセノン検出器の感度向上とともに候補の余地を狭めてきた。だが検出には至っていない。それどころか探索は、太陽由来のニュートリノが避けられない背景として現れる領域 ── 「ニュートリノの霧」と呼ばれる ── に、軽い候補についてはすでに踏み込んだ。2024年から2025年にかけて、キセノン検出器が太陽由来のホウ素8ニュートリノと原子核の散乱を捉えた。百ギガ電子ボルト規模の重い候補にはまだ余地があるが、感度を上げれば必ず見つかる、という段階は終わりつつある。
物質と反物質の非対称も未決である。サハロフは1967年、非対称が生じる三条件を挙げた。標準模型はこの三つを形式上は満たすが、そこに含まれるCP対称性の破れは、観測される物質の過剰を説明するには何桁も足りない。有力な筋書きの一つはニュートリノを経由するもので、ニュートリノ質量の起源という問題が接続する。ニュートリノが質量を持つことは、飛行中に種類が変わる振動の観測から確実である。だが、その絶対値も、三つの質量の順序も、粒子と反粒子が同一の存在かどうかも決まっていない。
トリチウムのベータ崩壊による直接測定の上限は、2025年の報告で有効電子ニュートリノ質量0.45電子ボルト(信頼水準90%)である。宇宙論的な観測はこれより一桁近く厳しい上限を与えるが、それは宇宙模型を経由した制約であり、模型を替えれば緩む。実験室で直接測る値と、宇宙から間接に絞る値は、同じ量についての別種の言明である。順序については、2025年に稼働した大型検出器の初期結果を含む翌年の解析が、通常順序をわずかに好む水準にとどまる。粒子と反粒子の同一性は、ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊が起きるかで判定されるが、これは未だ観測されていない。
生命と心
生命の起源は、実験で再現された部分と再現されない部分の境目がはっきりしている問題である。ウォルター・ギルバートが1986年に名づけたRNAワールド仮説(RNA世界假说 / RNA world hypothesis)は、遺伝情報の保持と触媒作用を一つの分子が兼ねる段階を想定する。名づけたのはギルバートだが、着想そのものは新しくない。遺伝と触媒を一つの分子が兼ねる段階という考えは、1960年代後半にウーズ、クリック、オーゲルがそれぞれ述べていた。根拠も弱くない。RNAが触媒として働くことは1980年代に発見され、タンパク質を合成するリボソームの反応中心がRNAでできていることは、2000年前後の構造解析で確かめられた。現在の生命の最も中心的な機構が、いまなおRNAの上に立っている。
困難は化学の側にある。原始的な条件でヌクレオチドを作る経路は、2009年にシアン化物と単純な前駆体から活性化されたピリミジンヌクレオチドに至る道筋が示されて大きく前進した。だが、4種の塩基を同じ条件で揃え、鎖に繋ぎ、酵素なしに十分な正確さで複製させる段階は、いまも通っていない。糖のリボースは水中で壊れやすく、鏡像異性体がなぜ一方に偏ったのかも説明されていない。ゆえに代謝が先だとする立場が並立する ── 硫化鉄の鉱物表面や、海底のアルカリ性熱水噴出孔に自然に生じるプロトン濃度の勾配を、最初の化学サイクルの舞台とみなす説である。両者は排他的ではないが、どちらが先かは決着していない。
そのうえ、舞台となる原始地球の条件そのものが論争中である。初期の大気が強く還元的だったのか、二酸化炭素と窒素を主とする中性に近いものだったのかで、可能な化学は大きく変わる。1950年代のミラーの放電実験が強還元的な大気を仮定していたことは、後にまさにこの点で批判された。反応が濃縮と乾湿の繰り返しを要するなら陸上の温泉が有利になり、エネルギー勾配の持続を重んじるなら深海が有利になる。最古の生命の痕跡とされる炭素同位体比や微細構造にも、非生物的な成因を排除しきれない例が少なくない。生命が始まった時期の下限すら、幅を持ったままである。
老化の機構も単一の説に収束していない。2013年に九項目として整理され、2023年に12項目へ拡張された「老化のホールマーク」(衰老的标志 / hallmarks of aging)── ゲノムの不安定性、テロメアの短縮、エピジェネティックな変化、タンパク質恒常性の破綻、細胞老化、慢性炎症などを含む一覧 ── は、原因の系列ではなく、老化した個体に共通して観察される特徴の目録である。提唱者自身が、加齢に伴って現れること、強めると老化が加速すること、和らげると老化が遅れることという三つの要件を掲げているが、要件を満たすことと上流であることは別である。項目が増えたこと自体が、機構がなお特定されていないことの表れでもある。
がんについても、原因となる遺伝子変異の目録は膨大に整備された一方、死をもたらす過程の理解は遅れている。がんによる死の大半は原発巣そのものではなく転移によって生じるが、転移の各段階 ── 原発巣からの離脱、血流中での生存、遠隔臓器への定着、そして長い休眠を経た再増殖 ── のどこが律速かは分かっていない。臓器ごとに転移先が偏る現象は1889年に「種と土」の比喩で指摘されて以来知られているが、土の側の条件を分子の言葉で書き下す作業は途上にある。休眠した細胞が何年も後に目覚める機構に至っては、介入の標的すら定まっていない。
抗菌薬耐性(抗菌药物耐药性 / antimicrobial resistance)は、時間の側から迫る未解決問題である。2024年に公表された世界的な疾病負担の推計では、1990年から2021年まで毎年100万人以上が耐性菌感染に起因して死亡し、2025年から2050年までの累計で3900万人以上が耐性を直接の死因としうるとされた。推計の不確実性は大きいが、方向は諸研究で一致している。困難は科学より制度に近い。新しい骨格を持つ抗菌薬は、成功すればこそ使用を控えられる薬であり、開発費を回収する通常の仕組みが働かない。技術の問題ではなく、報酬の設計の問題として残っている。
心の側では、意識のハードプロブレム(意识的难问题 / hard problem of consciousness)が、定式化そのものとして残っている。神経活動と報告可能な知覚との対応を見つけることと、なぜ物理的な過程に主観的な質が伴うのかを説明することは、別の課題である。主要な理論は複数ある。情報の統合の度合いを意識の量とみなす統合情報理論、情報が脳内で広域に放送されることを意識と同一視するグローバル・ワークスペース理論、ある状態についての高次の表象を要件とする説、脳を予測誤差の最小化装置とみなす予測処理の枠組み。これらは互いに両立しない予言を含む。
2025年に公表された敵対的協働の結果は、この状況をよく示している。対立する二陣営が事前に予言を登録し、中立の研究群が同一の実験計画で判定したところ、どちらの理論も中核の予言を無傷では通過しなかった。統合情報理論が要求した後方の皮質における持続的な同期は見られず、グローバル・ワークスペース理論の予言も部分的な支持にとどまった。一方で、意識される内容が後方の皮質に表現されるという点では、双方の予言を超えて一致した所見が得られている。決着したのは「どちらも現状のままでは不十分である」という点だけであり、理論の選択そのものは先送りされた。手続きが働いたことと、決着することは別である。
記憶の物理的な実体についても、位置は絞られたが正体は残っている。特定の記憶を担う細胞集団を標識し、光で再活性化すると対応する行動が引き起こされる ── エングラム(engram)と呼ばれるこの細胞集団の操作は2010年代に多数報告された。だが標識されるのは記憶が書き込まれた場所であって、何がどう書き込まれているかではない。シナプス強度の分布なのか、細胞内の分子状態なのか、集団の発火パターンの構造なのかで説は割れる。さらに上位の問い ── 脳がどのような学習則で結合を変え、どのような形式で世界を表現しているか ── は、機械学習の側で強力な学習則が実用化されたことでかえって輪郭が鮮明になった。誤差を出力側から逆向きに伝える計算を脳がそのまま実装している証拠はなく、生物学的に実現可能な代替案が複数提案されている段階にある。
地球と社会
気候感度(气候敏感度 / climate sensitivity)── 大気中の二酸化炭素濃度が倍になったとき、平衡状態で地表の平均気温が何度上がるか ── は、1979年に米国の研究評議会の報告が摂氏1.5度から4.5度という幅を示して以来、40年近く縮まらなかった。2021年のIPCC第六次評価報告書は、最良推定値を3度、可能性の高い範囲を2.5度から4度、可能性が非常に高い範囲を2度から5度とした。縮んだのは気候模型の一致によってではない。古気候の記録、産業革命以降の観測、個別の物理過程の理解という三系統の独立な証拠を統合する評価が2020年に示され、報告書はこの方法を採った。証拠の統合の仕方を変えることで幅が縮んだのであって、新しい観測が1点を指したわけではない。縮んだのは主に下端の側である。第五次報告書が可能性の高い範囲の下端とした1.5度は退けられ、感度が低い可能性が証拠によって除かれた。
残る幅の主因は雲である。雲は太陽光を反射して冷やし、赤外線を捉えて温める。温暖化に伴って雲の量・高さ・水の相がどう変わるかによって、雲フィードバック(云反馈 / cloud feedback)は符号すら模型間で揃わない時期が長く続いた。とりわけ亜熱帯の海洋上に広がる下層の層積雲は、数百メートルの厚みの中で起きる乱流と凝結に支配されており、格子間隔が数十キロメートルの全球模型では原理的に解像できない。解けない過程は経験的な近似式で代替される。新しい世代の模型群で気候感度の上端が伸びたのは、この近似式の変更に由来する部分が大きく、観測が高い値を独立に支持したためではない。だから模型の平均をそのまま気候感度と読むことはできない。
ティッピング・ポイント(临界点 / tipping point)の位置はさらに定まらない。2022年に公表された総説は、200件を超える研究を整理して16の要素を挙げ、グリーンランド氷床、西南極氷床、暖水性のサンゴ礁、永久凍土などについて閾値の中心推定と幅を示した。だが幅は多くの場合、中心推定と同程度に広い。可逆性の判定はさらに難しい。氷床は融解が進んだ後に同じ気温へ戻しても元に復さない可能性があり、大西洋の南北方向の循環については、模型が現実より安定な状態に偏っているという指摘が続いている。閾値の位置も、越えた後に戻れるかも、確定していない。
生物多様性の側では、失われる速度を測る以前に、何がどれだけあるのかが分かっていない。命名され記載された種の総数は数え方によって120万から200万程度の幅がある。真核生物全体の推計は、分類階層の充填の規則性を用いた2011年の研究が約870万種(標準誤差約130万)を示したが、それ以前の推計は300万から1億という桁違いの幅の中に散らばっていた。ただしこの数値も、上位の分類階層で記載が飽和するという仮定に依存しており、手法の妥当性は当初から争われている。細菌や菌類を含めれば推計はさらに割れる。絶滅速度が化石記録から求めた背景の数百倍から1000倍とされる根拠も、記載の進んだ分類群 ── おもに脊椎動物と一部の植物 ── からの外挿である。未記載の種は、絶滅しても記録に残らない。
経済学の未解決は、測定の精度ではなく因果の同定にある。成長会計は、産出の増加のうち全要素生産性(全要素生产率 / total factor productivity)と呼ぶ。技術進歩の尺度と説明されるが、定義上は「説明できなかった分」であり、半世紀以上前に「我々の無知の尺度」と呼ばれて以来、その性格は変わっていない。なぜある国が数十年にわたって成長し、別の国がしないのか。制度、地理、人的資本、それらの相互作用のうち何が上流かをめぐる議論は、自然実験を用いた研究が蓄積されてもなお決着していない。
不平等の決定要因も同様である。資本収益率と成長率の関係を軸とする説明が2010年代に広く読まれたが、技能に偏った技術変化、貿易、税制、労働市場の制度、企業間の生産性格差といった要因の寄与配分は、研究ごとに異なる。金融危機の予測に至っては、予測が可能かどうか自体が問われている。2008年11月、英国の女王がロンドンの経済学部を訪れて発した「なぜ誰も来ると分からなかったのか」という問いは繰り返し引かれるが、問題は予知能力ではない。危機は多数の主体の予期が同時に転換する現象であり、予測が公表されれば予測の対象そのものが変わる。物理的な系にはない再帰性が、ここに横たわっている。
社会科学に一般法則があるのかという問いは、再現性の問題と外的妥当性(外部效度 / external validity)の問題に分解できる。2010年代に行われた検証で、主要誌に載った経済学の実験室実験18件の追試では、11件(61%)で元の効果と同じ向きの有意な結果が得られ、心理学より高いが完全ではない水準を示した。より深刻なのは、再現された効果が別の場所で同じ大きさを持つとは限らないことである。開発経済学の無作為化比較試験を横断的に集めた分析は、同種の介入でも効果量が場所によって大きく散らばり、既存の研究から次の研究の結果を予測する精度が低いことを示した。
教育、貧困、紛争への介入が場所によって結果を変えるのは、介入が制度・規範・市場と相互作用するからである。同じ現金給付が、ある社会では投資に回り、別の社会では地域の物価を押し上げる。ゆえに「何が効くか」は「どこで、誰に、他に何があるとき効くか」に書き換えられねばならないが、その条件の一覧を先に書き下す一般的な方法は確立していない。そして人口減少社会の設計には、そもそも参照できる前例がない。国連の2024年改訂では世界人口は2080年代半ばに約103億でピークに達すると投影され、既に半数を超える国が人口の置換水準を下回っている。縮小しながら安定する経済と社会の設計は、理論も事例も不足したままである。
問いそのものが定まらない領域
ある領域では、答えの前に問いが定まっていない。人工知能の「知能」がその典型である。何をもって知能とするかが決まらないまま、測定だけが先行した。指標として用いられるのは主にベンチマーク、すなわち多数の問題を集めた試験である。だが試験は二重の意味で壊れる。第一に飽和する。上位の系がそろって9割を超えると、その試験はもはや差をつけない。大学院水準の科学問題を集めた難問集でさえ、公開から数年のうちに正答率が4割前後から9割台へ移り、識別力を失った。難易度を上げた後継が作られ、また飽和する。
第二に汚染される。学習に用いられる資料が公開文書を大量に含む以上、試験問題そのものが学習側に混入しうる。データ汚染(数据污染 / data contamination)の混入率を調べた研究は、広く使われる試験でも無視できない割合の問題が学習データに現れていると報告している。だが、構成概念妥当性(构念效度 / construct validity)である。試験の点が高いことは何を意味するのか。ある試験の点と、実務での有用性や未知の課題への一般化との対応は、ほとんど検証されていない。ベンチマークを扱う論文を大量に調べた分析は、比較に統計的な不確実性の評価を伴うものが少数にとどまることを示した。数字は精密だが、それが何の数字かが定まっていない。
「知能」「創造性」「理解」に操作的な定義を与える試みは、いずれも同じ壁に当たる。定義を狭く操作化すれば測れるが、測っているものが元の概念から離れる。定義を広く取れば概念には忠実だが、測定できない。心理学が20世紀前半に知能検査をめぐって経験した循環 ── 知能とは知能検査が測るものである ── が、対象を変えて再演されている。理解については、内部で何が起きていれば理解と呼んでよいかについて合意がなく、外形的な振る舞いだけを基準に据えると、振る舞いを模倣する系と原理的に区別できない。問いの側が固まらないかぎり、答えの側も固まらない。
地球外生命の探査でも、判定の基準が問いの中心にある。惑星大気の分子組成から生命の存在を推定する方法は、非生物的な生成経路をすべて排除できて初めて成り立つ。2023年から2025年にかけて、ある系外惑星の大気に、地球では主に海洋の微生物が作る硫黄化合物の兆候が見えたという報告が注目を集めた。しかし同じ観測データを別の解析手続きで扱った複数の研究は、統計的に有意な検出とは言えないと結論している。装置の較正、波長の区分の仕方、あらかじめ想定する分子の一覧といった解析上の選択が、結論を左右する。何をもって検出と呼ぶかの基準を先に定めないかぎり、同型の論争は繰り返される。バイオシグネチャー(biosignature)の判定基準を作ること自体が、いま未解決の課題である。
この事情を踏まえ、2021年には生命の検出を可否の二値で報告するのをやめ、確信の度合いを段階で示す尺度を導入すべきだという提案が出された。信号の検出、汚染の排除、非生物的経路の排除、独立の観測による確認といった段階を順に定め、どこまで到達したかを明示する枠組みである。これは答えの改良ではなく、問いの形式の変更にあたる。「生命はいるか」という問いには、そのままでは検証可能な形が与えられない。だから問いを「どの段階まで確かめられたか」に組み替える ── 未解決の領域では、こうした問いの再設計そのものが研究の主要な内容になる。
人新世(人类世 / Anthropocene)をめぐる論争は、問いの立て方そのものが争点になった例として明快である。作業部会は20世紀半ば、核実験に由来するプルトニウムが湖底の堆積物に記録された層を境界とする提案を出したが、2024年3月、第四紀層序に関する小委員会は18名中12名の反対でこれを否決し、上位の組織が同月これを追認した。手続きの適正をめぐる異議も表明された。ただし否決の論拠の一つは、人間活動の影響が単一の年代境界を持たず、地域と現象ごとに数千年にわたって始まっているという主張であり、これは「新しい世として区切るのではなく、長期にわたる出来事として扱うべきだ」という対案に結びつく。層序学の正式な単位にはならなかったが、用語は学界の内外で使われ続けている。
未解決問題の一覧は、その分野が何を重要と考えているかの自画像でもある。ヒルベルトの23問が実際に方向づけの力を持ったのは、問題が本質的だったからだけではない。誰が、どこで、どういう場で挙げたかが効いた。クレイの七問も、賞金という装置によって注目を集中させた。逆に、一覧に載らなかった問いは資源を集めにくい。研究資金の配分、雑誌の採否、任期の審査は、いずれも「重要な問い」についての合意を前提として動くが、その合意がどのように形成されるかは、分野の内部からは見えにくい。
そして、学問の外側にある問いがある。何を問う価値のある問いとするかは、研究者の共同体だけで決まらない。疾病研究への資源配分が、死者数や障害の重さといった負担の指標と必ずしも比例しないことは、1990年代から繰り返し指摘されてきた。作物についても、地域についても、同型の偏りが報告されている。未解決問題の一覧を眺めるとき、そこに何が載っているかと同じだけ、何が載っていないかが情報である。一覧は自然の側にある難しさの順位ではなく、難しさと関心が交差した地点の記録なのである。
事実の台帳 確 58 / 推 9 / 争 15
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確クレイ数学研究所は2000年に七つのミレニアム懸賞問題を発表し、各問に100万ドルの賞金を設定したClay Mathematics Institute, Millennium Problems(2000年)
- 確2020年代半ばの時点で解決済みはポアンカレ予想の一問のみで、六問が未解決であるClay Mathematics Institute の公表状況
- 確ミレニアム懸賞問題の七問は、ポアンカレ予想、P対NP、リーマン予想、ナビエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさ、ヤン・ミルズ理論の質量ギャップ、ホッジ予想、バーチ=スウィナートン=ダイアー予想であるClay Mathematics Institute の問題記述(2000年)
- 確ヒルベルトは1900年のパリ国際数学者会議で問題の一覧を提示した(講演で述べたのは一部、公刊版で23問)Hilbert, "Mathematische Probleme"(1900年)
- 確ペレルマンは2002年から2003年にかけてプレプリントを公開し、リッチ流とその特異点処理によりポアンカレ予想を含む幾何化予想を示したPerelman, arXiv preprints(2002〜2003年)
- 確ペレルマンは2006年のフィールズ賞を辞退し、2010年にクレイ研究所が授与を決めた懸賞金も受け取らなかった国際数学連合およびクレイ数学研究所の公表
- 確ペレルマンの原稿は要点を圧縮した形で書かれ、複数の研究チームによる詳細な解説の公刊が事実上の検証となったKleiner & Lott(*Geometry & Topology* 12、2008年)、Morgan & Tian(2007年)、Cao & Zhu(*Asian Journal of Mathematics* 10、2006年)
- 推ペレルマンの辞退理由としてハミルトンの寄与への言及が伝えられる本人の公的発言は限られており、報道と関係者証言に基づく理解である
- 確相対化の障壁(神託を付加すると結論が両方向に転ぶ)が示されたBaker, Gill & Solovay(1975年)
- 確自然な証明の障壁(一定の性質を持つ下界証明は暗号の標準的仮定と両立しない)が示されたRazborov & Rudich(1994年)
- 確代数化の障壁が示されたAaronson & Wigderson(2008年)
- 確リーマン予想は数値的に多数の零点について確認されているが、証明はない零点計算の各種報告および Clay Mathematics Institute の問題記述
- 確素数計数関数と対数積分の差は無限回符号を変えるLittlewood(1914年)
- 確最初に符号が変わる位置の上界は繰り返し改善されてきたが、具体的な位置は特定されていないスキューズ数に関する後続研究
- 確ナビエ・ストークス方程式の三次元における滑らかな解の大域的存在は未解決であるClay Mathematics Institute, "Navier–Stokes Existence and Smoothness"
- 確2025年、機械学習を用いて、粘性を持たない関連方程式について不安定な特異解の族が数値的に発見されたと報告されたGoogle DeepMind ほかによる研究発表(2025年)。対象は境界のある三次元オイラー方程式・非圧縮多孔質媒体方程式・ブシネスク方程式であり、ナビエ・ストークスではない。数値的発見であり、ミレニアム問題の解決ではない
- 確ヤン・ミルズ理論の四次元における数学的構成と質量ギャップの証明は未解決であるClay Mathematics Institute, "Yang–Mills and Mass Gap"
- 確重力の摂動的量子化は有限個の量の再定義では発散を吸収できない一般相対論の二ループ発散に関する結果(Goroff & Sagnotti, 1986年)
- 争量子重力の正しい枠組み超弦理論とループ量子重力を含む複数の候補が並立し、識別する実験的証拠はない
- 推重力の量子効果が顕在化する尺度は現行加速器の到達エネルギーより15桁程度高いプランクエネルギー(約10¹⁹ GeV)とLHCの重心系エネルギー(10³〜10⁴ GeV程度)の比較からの評価
- 確標準的な宇宙模型で、宇宙のエネルギー密度の約68%が暗黒エネルギー、約27%が暗黒物質、約5%が通常の物質とされるPlanck Collaboration, "Planck 2018 results. VI. Cosmological parameters", A&A 641, A6(2020年公刊)
- 推この配分は模型に依存し、仮定を変えれば数値も動くパラメータ推定がΛCDMの枠内での適合である点からの解釈
- 確液体キセノンを用いた直接探索は感度を高め続けているが、暗黒物質粒子の検出には至っていないLZ実験の公表結果(2024年および2025年)
- 確キセノンを用いた直接探索は太陽由来ホウ素8ニュートリノの原子核コヒーレント散乱を検出する感度に達し、軽い質量域では「ニュートリノの霧」に入ったPandaX-4T・XENONnT(2024年、兆候)、LZ(2025年12月、有意な観測)
- 争暗黒エネルギーが時間変化するかDESIの3年分の観測(2025年公表)は変化する模型を好むが、有意性は約2.8〜4.2σで発見基準(5σ)に達していない
- 確サハロフは1967年に、バリオン非対称の生成に必要な三条件を定式化したSakharov(1967年)
- 確クォーク部門で観測されるCP対称性の破れの大きさは、観測される物質過剰を説明するには不足する電弱バリオン数生成に関する標準的評価
- 確ニュートリノが質量を持つことは、フレーバーの変化を捉えた振動の観測から確立しているSuper-Kamiokande(1998年)、SNO(2002年)、2015年ノーベル物理学賞
- 確KATRIN実験は有効電子ニュートリノ質量の上限を0.45電子ボルト(信頼水準90%)とする結果を2025年に報告したKATRIN Collaboration, *Science*(2025年4月)
- 推宇宙論的観測はニュートリノ質量についてより厳しい上限を与えるが、宇宙模型を経由した制約である宇宙背景放射と大規模構造の解析に基づく評価であり、仮定する模型を替えれば緩む
- 争ニュートリノ質量の順序通常順序をわずかに好む解析があるが(JUNO初期結果を含む2026年の解析でおよそ2σ台)、確定していない
- 確ニュートリノがマヨラナ粒子かディラック粒子かは未決であり、ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊は未観測である各実験の上限報告
- 確「RNAワールド」という語はギルバートが1986年に用いたGilbert, *Nature* 319(1986年)
- 確遺伝と触媒を一つの分子が兼ねる段階という着想は、ギルバートの命名に先立って1960年代後半に述べられていたWoese(1967年)、Crick(1968年)、Orgel(1968年)
- 確RNAが触媒活性を持つことは1980年代前半に発見されたCech および Altman の研究(1989年ノーベル化学賞)
- 確リボソームのペプチド結合形成部位はRNAで構成されるリボソーム結晶構造解析(2000年前後、2009年ノーベル化学賞)
- 確原始的条件下で活性化ピリミジンヌクレオチドに至る合成経路が示されたPowner, Gerland & Sutherland, *Nature* 459(2009年)
- 争生命の起源における先行過程遺伝情報先行(RNAワールド)と代謝先行(硫化鉄表面説、アルカリ熱水噴出孔説)が並立し、決着していない
- 争生体分子のホモキラリティの起源円偏光や鉱物表面による初期の偏りと、その後の増幅機構をめぐる複数の説が並立し、決着していない
- 争初期地球大気の酸化還元状態強還元的とする見方と中性に近いとする見方が対立し、可能な前生物化学の範囲が変わる
- 確ミラーの放電実験は強還元的な大気組成を仮定していたMiller, *Science* 117(1953年)
- 確「老化のホールマーク」は2013年に九項目として提示され、2023年に12項目へ拡張されたLópez-Otín et al., *Cell* 153(2013年); *Cell* 186(2), 243–278(2023年)
- 推ホールマークの一覧は因果の系列ではなく共通観察される特徴の目録である提示された三要件(加齢時発現・強化で加速・緩和で減速)が上流性を含意しない点からの解釈
- 確臓器特異的な転移の偏りは「種と土」仮説として提唱されたPaget, *The Lancet*(1889年)
- 争がん死における転移の寄与割合9割前後という数値が広く引用されるが、推計の根拠は分類方法に依存し、確立した測定ではない
- 確1990年から2021年まで毎年100万人以上が細菌の抗菌薬耐性に起因して死亡したと推計されたGRAM Project, *The Lancet* 404(2024年9月)
- 確同研究は2025年から2050年の累計で3900万人以上が耐性を直接の死因としうると予測した同上(予測であり、不確実性区間を伴う)
- 確意識のハードプロブレムは、機能の説明と主観的経験の説明を区別する問題として定式化されたChalmers(1995年)
- 争意識の主要理論統合情報理論、グローバル・ワークスペース理論、高次表象説、予測処理が並立し、決着していない
- 確2025年公表の敵対的協働で、統合情報理論とグローバル・ワークスペース理論のいずれも中核予言を完全には満たさず、一方で意識される内容が後方皮質に表現される点は双方の予言を超えて支持されたCogitate Consortium, *Nature*(2025年)
- 確標識した細胞集団の光による再活性化で記憶に対応する行動が誘発されることが示された2010年代の光遺伝学的エングラム研究
- 争記憶の物理的な担体シナプス強度分布、細胞内分子状態、集団発火パターンのいずれが本体かで見解が分かれる
- 推脳が誤差逆伝播そのものを実装している証拠はなく、生物学的に妥当な代替学習則が複数提案されている段階である神経科学と機械学習の接点における議論状況からの評価
- 確1979年の報告は気候感度を摂氏1.5度から4.5度と評価したCharney Report, US National Research Council(1979年)
- 確IPCC第六次評価報告書は平衡気候感度の最良推定値を3度、可能性が高い範囲を2.5〜4度、可能性が非常に高い範囲を2〜5度としたIPCC AR6 WGI SPM(2021年)。第五次報告書が可能性の高い範囲の下端としていた1.5度は退けられ、狭まったのは主に下端側である
- 確複数系統の証拠を統合した評価は66%区間を2.6〜3.9度としたSherwood et al., *Reviews of Geophysics* 58(4)(2020年)
- 確雲フィードバックは気候感度の不確実性の主要因であるIPCC AR6 WGI 第七章
- 確亜熱帯の海洋上に広がる下層の層積雲は数百メートルの厚みの乱流と凝結に支配され、格子間隔が数十キロメートルの全球模型では解像できず、経験的な近似式で代替される雲過程のパラメタリゼーションに関する標準的な説明(IPCC AR6 WGI 第七章ほか)
- 推新世代模型群での気候感度上端の上昇は雲の表現の変更に由来する部分が大きいCMIP5とCMIP6の比較研究からの評価。観測による独立の支持は限定的である
- 確2022年の総説は16の気候ティッピング要素を同定し、閾値の中心推定と幅を示したArmstrong McKay et al., *Science* 377(2022年9月)
- 争大西洋南北循環の安定性模型が現実より安定側に偏っている可能性が指摘されており、閾値の位置も可逆性も確定していない
- 争真核生物の種数の推計Mora et al., *PLOS Biology* 9(8)(2011年)は約870万種(標準誤差約130万、記載済み約120万)としたが、上位分類群の記載曲線を外挿する手法の妥当性をめぐる批判が公表直後から続いている
- 確それ以前の全種数推計は300万から1億という幅の中に散らばっていた同上における先行研究の整理
- 推絶滅速度が背景の数百倍から1000倍とされる推定は、記載の進んだ分類群からの外挿である推定手法の記載範囲への依存からの評価
- 確全要素生産性は成長会計における残差であり、「我々の無知の尺度」と評されたAbramovitz(1956年)、Solow(1957年)
- 争長期成長の決定要因制度、地理、人的資本のいずれが上流かについて見解が分かれる
- 確主要誌掲載の経済学実験室実験18件の追試で、11件(61%)が元の効果と同じ向きの有意な結果を再現したCamerer et al., *Science* 351(6280)(2016年)
- 確2008年11月、英国の女王がロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを訪れ、金融危機について「なぜ誰も来ると分からなかったのか」と問うた2008年11月5日の訪問時の発言として報じられ、英国学士院が翌年に回答の書簡を送った
- 確開発分野の無作為化比較試験を横断的に集めた分析は、同種介入の効果量が場所により大きく散らばることを示したVivalt による影響評価のメタ分析(AidGrade データ)
- 確国連の2024年改訂は、世界人口が2080年代半ばに約103億でピークに達すると投影したUN DESA, *World Population Prospects 2024*
- 確半数を超える国で合計特殊出生率が人口置換水準(約2.1)を下回っている同上
- 確主要な言語理解ベンチマークは上位モデルの正答率が9割を超えて識別力を失ったMMLU等の飽和に関する報告(2023〜2026年)
- 確大学院水準の科学問題集でも、公開から数年で上位モデルの正答率が4割前後から9割台へ上昇したGPQA Diamond のスコア推移(2023〜2026年)
- 確広く用いられるベンチマークに無視できない割合の学習データ汚染が報告されている汚染率調査の各種報告(2024〜2025年)
- 確ベンチマーク論文の大規模調査で、比較に統計的不確実性の評価を伴うものは少数だったBean et al.(2025年)による445件の調査
- 確「知能とは知能検査が測るものである」という操作的定義が示され、循環として繰り返し批判されてきたBoring, "Intelligence as the tests test it", *New Republic*(1923年)
- 争系外惑星K2-18bにおける硫黄化合物の検出2023年および2025年の報告に対し、独立な再解析は統計的に有意な検出とは言えないとした(*A&A* 700, A284 ほか、2025年)
- 確生命検出の報告を可否の二値ではなく確信度の段階で示す枠組みが提案されたGreen et al., *Nature* 598(2021年)における生命検出確信度尺度の提案
- 確第四紀層序小委員会は2024年3月、人新世を正式な世とする提案を18名中12名の反対で否決し、上位機関が同月これを追認したICS/IUGS 声明(2024年3月20日)
- 争否決の手続きの適正小委員会内部から規約違反の指摘が出され、決定の正当性をめぐる異議が表明された
- 争人新世の扱い世として区切る案と、長期にわたる「出来事」として扱う対案が対立している
- 推疾病研究への資源配分は疾病負担の指標と必ずしも比例しない米国の研究資金配分と疾病負担の比較研究(1990年代以降)に基づく解釈。要因の同定は研究により異なる
現在 ── いま学問はどうなっているか
知はどう壊れるか(知识如何崩坏 / How Knowledge Breaks)
再現できない
まず用語を整理しておかねばならない。日本語でも英語でも、この領域の語は混乱している。米国科学アカデミー(全米科学・工学・医学アカデミー)が2019年に出した報告書は、二つを明確に分けた。再現性(可重复性 / reproducibility)とは、同じデータに同じ手順・同じコードを適用して同じ結果が出ることである。再現可能性(可复制性 / replicability)とは、同じ問いに対して新しくデータを取り直し、同じ結論に達することである。前者は計算の一致であり、後者は自然についての主張の一致である。前者が崩れれば計算か記述に誤りがある。後者が崩れても、必ずしも誤りとは限らない。この区別が定着していなかったことの証拠に、計算機科学の学会である米国計算機学会は当初これと逆の定義を採用しており、2020年に報告書の用法へ合わせて改めている。
心理学が最初に大きな数字を出した。オープン・サイエンス・コラボレーションが2015年に『サイエンス』で公表した追試計画は、2008年に3誌に載った実験研究・相関研究100本を、原著の材料を可能なかぎり用い、原著より高い検出力を確保して追試した。結果は、原著の97%が統計的に有意だったのに対し、追試で有意だったのは36%だった。ただしこの36%は「有意水準を下回るか」という一つの基準にすぎない。同じ論文は別の基準も併せて報告している。原著の効果量(效应量 / effect size)が追試の95%信頼区間に入ったのは47%、追試チームが主観的に「再現した」と判定したのは39%、原著と追試を統合して有意が残ったのは68%である。数字は基準に従属する。一つの数字だけを引くのは、この研究の作法に反する。
この結果の解釈自体が争点になった。ギルバートらは2016年に同誌上で、追試の手続きが原著と異なる例があること、標本誤差だけでも観測された低さは説明できることを指摘し、元データは高い再現性とも整合すると論じた。執筆陣は反論した。決着はついていない。確かなのは、追試の効果量が原著のおよそ半分だったという点で、これは基準の取り方に依存しない。
生物医学ではもっと早くから警告が出ていた。バイエルの研究者らが2011年に報告したのは、社内の創薬プロジェクト67件の照合で、公表データと社内所見が完全に一致したのは2割から2割5分程度だったという内容である。アムジェンのベグリーとエリスは2012年、がん生物学の「画期的」論文53本のうち、社内で結果を確認できたのは6本にとどまったと書いた。ただしどちらも、対象論文の一覧も生データも公開していない。秘密保持契約を理由としたが、検証不能な報告である以上、これらの数字は証言として扱うのが正しい。
検証可能な形で行われたのが、オープンサイエンス・センターとサイエンス・エクスチェンジによるがん生物学の再現プロジェクトである。2013年に開始し、53本の論文から193の実験を選んだ。だが完了できたのは23本から50実験だった。理由そのものが発見だった。193の実験のうち、原論文の記述だけで追試の手順書を書けたものは一つもなかった。効果量と検出力を計算するのに必要なデータが公開されていたのは、193のうち四つである。原著者に問い合わせると、41%の実験では非常に協力的だったが、32%では協力が得られないか返答がなかった。最終的に得られた158の効果について、原著が正の効果を報告したものでは、追試の効果量の中央値は原著の中央値より85%小さく、追試効果量の92%が原著を下回った。複数の判定基準で見て、成功が失敗を上回ったのは46%である。
経済学と社会科学でも同様の作業が行われた。キャメラーらは2016年、経済学の主要2誌に載った実験室実験18本を追試し、11本(61%)で原著と同方向の有意な効果を得た。2018年には『ネイチャー』『サイエンス』に2010年から2015年に載った社会科学の実験21本を追試し、13本(62%)で同様の結果を得た。効果量は原著のおよそ半分だった。興味深いのは、追試の前に研究者たちに予測市場で賭けさせたところ、どれが再現するかをかなり正確に当てたことである。共同体はうすうす知っていた、ということになる。
原因は一つではない。出版バイアス(发表偏倚 / publication bias)── 有意でない結果は投稿されず、投稿されても載らない。登録された臨床試験を追跡した分析が、否定的な結果ほど公表されないことを繰り返し示してきた。検出力(统计功效 / statistical power)の不足で、コーエンは1962年に心理学の論文が中程度の効果を検出する確率は5割に満たないと算定し、その後の追跡調査でも改善は見られなかった。バトンらは2013年、神経科学の研究の検出力の中央値を21%程度と見積もっている。想定する効果量に応じて、値は8から31%の幅をとる。検出力の低い研究で有意になった効果は、真であっても過大に推定される。
第三が解析の柔軟性である。サイモンズらは2011年、従属変数の選択・標本追加の判断・共変量の投入といった、研究者に許された選択の幅 ── 研究者の自由度(研究者自由度 / researcher degrees of freedom)── を組み合わせるだけで偽陽性率が6割を超えうることを示し、ビートルズの曲を聴くと年齢が若返るという「有意な」結果を実演してみせた。第四が単なる偶然である。そして第五に不正がある。ただし不正は、量としては最小の要因である。
低い再現率が即座に「間違い」を意味するわけではない、という点は強調しておく必要がある。効果が文脈に依存する場合、別の集団・別の時期・別の文化で同じ効果が出ないのは、理論の予測どおりでありうる。問題は、原著が文脈依存性を主張していたかどうかである。多くの場合、原著は普遍的な効果として書かれていた。ファネッリは2018年、「再現性の危機」という物語自体が誇張されており、分野横断的な崩壊の証拠はないと論じた。他方、『ネイチャー』が2016年に1576人の研究者から得た回答では、7割以上が他人の実験の再現に失敗した経験を持ち、5割以上が自分の実験の再現に失敗していた。危機を「重大」と答えたのは52%、危機はないと答えたのは3%だった。同じ回答者の7割以上が、自分の分野の論文の半分以上は信頼できるとも答えている。共同体は、壊れていると感じながら、使い続けている。
意図的な破れ
研究不正(科研不端行为 / research misconduct)の公的な定義は、意外に狭い。米国の連邦政府方針が2000年に定めた範囲は、捏造・改ざん・盗用の三つ、頭文字を取ってFFPと呼ばれる。捏造は存在しないデータを作ること、改ざんは存在するデータや画像を操作すること、盗用は他人の仕事を自分のものとして提示することである。この定義は、誠実な誤りと解釈の相違を除外している。除外は正しい。誤りを不正と呼べば、誰も何も報告しなくなる。しかし副作用として、FFPに該当しない大量の行為が制度の外側に落ちた。
その外側にあるのが、疑わしい研究実践(可疑研究行为 / questionable research practices)と呼ばれる領域である。ジョンらが2012年に米国の心理学者2155人に尋ねたところ、測定した従属変数のすべてを報告しなかったことがあると認めた者は63%、結果を見てから追加のデータを取るかどうか決めたことがあると認めた者は56%に達した。他方、データを捏造したと認めたのは1.7%である。この調査が併用した特殊な回答誘出手法には批判があるため、右の素の自己申告率を見るのが安全である。ファネッリが2009年に18件の調査を統合したメタ分析では、データの捏造・改ざんを自ら認めた研究者は約2%、同僚がやったのを知っていると答えた者はその数倍だった。自己申告は過少になる。
有名な事例は、たいてい制度ではなく個人の目によって発覚している。ベル研究所のヤン・ヘンドリック・シェーンは、1990年代末から2002年にかけて有機半導体の超伝導などで成果を量産したが、異なる実験を示すはずの図に、同一のノイズの揺らぎがそのまま現れていることを他機関の物理学者が見つけた。2002年9月に外部委員会が24件の疑義のうち16件で不正を認定し、20本を超える論文が撤回された。学位の取り消しをめぐる訴訟は長く続いた。ティルブルフ大学のディーデリック・スターペルは、社会心理学の実験データを実験そのものを行わずに作り、共同研究者に渡していた。2011年に3人の若手研究者が部局長に申告して発覚し、調査委員会は最終的に55本の論文と10本の博士論文で不正を認定した。共通するのは、査読(同行评议 / peer review)でも編集部でもなく、データを近くで見た人間が気づいたという点である。
日本ではSTAP細胞の事案がある。2014年1月に『ネイチャー』に載った2本の論文について、理化学研究所の調査委員会は同年4月、画像の切り貼りによる改ざんと、実験条件の異なるデータの流用による捏造の2件を不正と認定した。論文は同年7月に撤回された。検証実験では現象を再現できず、同年12月の最終報告は、STAP幹細胞とされたものが既存の胚性幹細胞に由来すると結論したが、その混入が故意によるものか否かは特定できないとした。認定された事実と、特定に至らなかった事実は分けて扱う必要がある。筆頭著者の博士号は2015年に取り消された。調査が続くさなかに、共著者の1人が自ら命を絶っている。何がその判断に至らせたかは、調査の対象ではなかったし、外から言えることでもない。ただ、事案の帰結が、不正を認定された当事者の範囲で終わらなかったことは記録に残る。
より新しい事例は、まだ確定していない部分を多く含む。2022年7月、『サイエンス』誌は、神経科学者マシュー・シュラグの画像解析に基づき、アルツハイマー病研究の一連の論文に画像の不適切な処理の疑義があると報じた。中心となったのは、2006年に『ネイチャー』に載ったアミロイドβの特定の多量体に関する論文である。当該論文は2024年に撤回された。ただし、報道の時点で認定されていたのは疑義の存在であって不正ではない。またこの多量体は、アミロイド仮説という大枠の中では1本の枝にすぎず、この1件で仮説全体が崩れるわけでもない。報道が示したのは分野の壊滅ではなく、20年近く誰も画像を確認しなかったという事実のほうである。
撤回(撤稿 / retraction)は、増減の大きい量である。2010年に医療記者のイヴァン・オランスキーとアダム・マーカスが始めたリトラクション・ウォッチは、撤回を追う報道と、その集積であるデータベースを作った。データベースは2023年にクロスレフへ移り、誰でも使える形になった。件数はどの母集団を数えるかで変わる。同じ2023年について、『ネイチャー』の集計は1万件超、撤回を専門に追う側の集計はそれを上回る値を出している。収録範囲の差に加えて、一つの撤回通知で複数の論文が撤回された場合の数え方の差が、そのまま値の差になる。
それを踏まえたうえで、2023年が記録的な年であったことは、どの集計でも共通している。ただし2024年の件数は9000件規模、2025年はそれをさらに下回る水準にあり、2023年の突出は継続的な増加ではなく、一つの原因による山だったと見るほうが実態に近い。撤回率 ── ある年の論文のうち後に撤回される割合 ── は過去10年で3倍以上になり、0.2%を超えたと『ネイチャー』は見積もっている。それでも1000本に2本である。撤回されない誤りのほうが、圧倒的に多い。
その2023年の内訳が、問題の性格を語っている。1万件のうち8000本以上が、ワイリー傘下のヒンダウィ社の雑誌からのものだった。理由は、査読過程の毀損と、出版・査読過程の組織的な操作である。ペーパーミル(论文工厂 / paper mill)── 論文そのもの、あるいは著者としての名義を商品として売る業者である。特徴は大量性と類似性で、2020年にエリザベス・ビックらが指摘した一群は、400本を超える論文が同一の実験画像の背景を共有していた。ビックらは2016年に、40誌の2万621本を目視で走査し、3.8%に問題のある画像が含まれ、その少なくとも半数は意図的な操作を示唆すると報告している。出版倫理委員会と国際STM出版社協会が2022年にまとめた報告では、一部の雑誌で投稿の2%程度がペーパーミル由来と疑われるという出版社の証言が紹介された。
査読を偽装する手口もある。投稿時に推薦査読者を挙げさせる慣行を利用し、実在する研究者の名前に自分の管理するメールアドレスを添えて登録する。編集部が依頼を送ると、著者本人のもとに届く。2017年、シュプリンガー社は1誌から107本を一括撤回した。査読者名は実在するが、メールアドレスが偽物だったのである。制度が善意を前提にしていた箇所が、そのまま攻撃面になった。
こうした行為に動機を与えるのは、多くの場合、雇用と昇進と学位の要件である。中国では2000年代以降、国際誌への掲載に対して大学が現金報奨を出す制度が広がり、その額は大学によって桁が違った。医師の昇進にも論文が要求された。2020年、教育部と科学技術部は現金報奨と収録誌指標の偏重を明示的に禁じる通知を出している。同種の圧力は中国に限らない。任期付きの職、獲得できる確率が2割前後の競争的資金、学位取得の要件としての査読誌掲載 ── これらはいずれも合理的な設計意図を持ちながら、合わせて一つの帰結を生む。何が測られるかが決まれば、測られるものが作られる。不正はその極端な場合であって、外側の広い領域は、規則には触れないまま同じ方向を向いている。
査読は何を保証するか
査読は、科学の本質的な伝統ではない。外部の専門家が原稿を審査する仕組みは断片的には17世紀に遡るが、必須の関門として定着したのは20世紀後半である。『ネイチャー』が形式的な査読制度を導入したのは1967年で、全論文に及んだのはさらに後だった。「ピア・レビュー」という語自体、冷戦期の米国で研究費配分の正当性を説明するために普及し、雑誌の審査には遡って適用されたものだ、という制度史研究もある。この制度は、それが保証すると信じられている事柄のために設計されたわけではない。
では何が検出できるのか。実験がある。1998年、フィオナ・ゴドリーらは掲載予定の論文に八つの誤りを故意に混ぜ、420人の査読者に送った。回答した221人が見つけた誤りの数は中央値で二つ、五つより多く見つけた者はおらず、一つも見つけられなかった者が16%いた。2008年の追試的な研究でも、九つの重大な誤りのうち検出されたのは平均で三つ前後にとどまっている。査読者は熱心でないのではない。無償で、締切の合間に、書かれたものだけを読んで判断している。
統計の誤りは特に見落とされる。ノイテンらは2016年、心理学の主要8誌の1985年から2013年の論文から25万を超える p 値を抽出し、検定統計量と自由度から逆算して整合性を検査した。少なくとも一つ不整合な p 値を含む論文が全体のほぼ半数、結論を左右しうる重大な不整合を含む論文が8本に1本あり、重大な不整合は有意と報告された側に偏っていた。この検査は完全に自動化できる程度のものである。数十年にわたって、誰も割り算を確かめていなかった。
捏造されたデータは、原理的に検出できない。査読者は実験室に立ち入らず、生データも持たず、著者の出した図表を読む。数字が内部で整合していれば、測定によるものか机上で作られたものかを区別する手がかりはない。画像の重複検査も、数値の分布から不自然さを探す手法も、掲載後に第三者が行うものであり、査読の一部ではない。査読が保証しているのは、およそ「この分野の複数の専門家が読んで、明白な欠陥を見つけなかった」という程度の事柄である。それは無ではないが、真理の証明からは遠い。
査読者どうしの判断も、思ったほど一致しない。機械学習の国際会議NIPSは2014年、投稿の1割にあたる166本を二つの独立な委員会に別々に審査させた。二つの委員会の採否が食い違ったのは43本、25.9%だった。より痛烈なのは条件付きの数字で、一方の委員会が採択した論文のうち他方が却下したものは、およそ半数に達した。2021年に同じ実験を繰り返すと、この割合は50.6%で、7年前と変わらなかった。採否の半分は、誰に当たったかで決まっている。雑誌の査読でも、査読者間の一致度は総じて低いと報告されてきた。
この判断には巨大な無償労働が投じられる。アツェルらは2021年、収録誌への掲載件数と査読に要する時間の推定から、2020年に世界の査読者が投じた時間を1億時間以上と見積もった。同じ推計で、米国に所属する査読者の時間を賃金換算した額は15億ドルを超える。仮定が多く値は幅を持って読むべきだが、桁は動かない。この労働は出版社の費用にも研究者の業績にも現れない。
査読の設計をめぐる比較研究もある。著者名を伏せる二重盲検査読(double-blind review)について、トムキンズらは2017年、ある会議で査読者を無作為に二群に分けた。著者名が見える側は、著名な著者・上位機関・大手企業の論文を有意に高く評価し、審査を引き受けたがった。他方、著者と査読者の双方を公開するオープン査読を無作為化試験で検討した研究では、査読の質そのものは目立って変わらず、依頼を断る査読者が増えた。二重盲が特定の属性の著者に有利に働くかについては、初期の肯定的な報告に再分析からの反論が出て、決着していない。設計の違いは効果を持つが、期待されたほど大きくはない。
プレプリント(预印本 / preprint)は、この配置を変えた。物理学はarXiv以来、査読前の公開を30年以上続けており、生物医学ではbioRxivとmedRxivが遅れて同じ道を開いた。2020年、感染症関連の論文では投稿から受理までの中央値が6日前後に短縮した ── 同じ雑誌の他分野の論文ではおよそ80日を超えていた。副作用も同時に現れた。ウイルスの配列に人為的な挿入があるとした査読前論文は、公開の2日後に、公開の場での批判を受けて取り下げられた。他方その年最大級の撤回は、査読前の場ではなく、最も権威ある査読誌2誌で起きた。出所不明の患者データベースに基づく2本の論文が、掲載から一か月ほどで撤回された。速さが問題だったのではなく、誰も元データを見なかったことが問題だった。
出版の経済が、この全体を規定している。購読料モデルでは、公費で行われた研究を、公費で雇われた研究者が無償で査読し、その成果を読むために公費で購読料を払う。大手の利益率は高い。エルゼビアを擁するRELXの科学・技術・医療部門は、2023年に売上30億6200万ポンド、調整後営業利益11億6500万ポンド、率にして38.0%を報告した。オープンアクセスへの移行は構造を変えたが、消しはしなかった。費用は読者から著者に移り、論文掲載料(论文处理费 / article processing charge)となった。『ネイチャー』が2021年に設定した額は1本あたり9500ユーロである。払える者だけが載る、という別の選別がここで生じる。
ハゲタカ雑誌(掠夺性期刊 / predatory journal)である。査読を行うと称して料金を取り、実際には何も審査しない。ジェフリー・ビールが個人で公開していた一覧は、法的圧力もあり2017年に取り下げられた。定義自体が難物で、2019年に43人の専門家が合意した記述は、「学術性を犠牲にして自己利益を優先する主体であり、虚偽の情報、編集・出版慣行からの逸脱、透明性の欠如、無差別で攻撃的な勧誘によって特徴づけられる」というものだった。シェンとビョークは2015年、2014年の1年でこの種の雑誌に約42万本が載ったと見積もった。2013年には記者が偽論文を304誌に送り157誌が受理した実験も行われたが、購読誌の対照群を欠き、オープンアクセス全般の問題であるかのように読まれた点で批判が強い。実務上は、既存の索引に収録されているか、編集委員が実在して就任を自覚しているか、料金と査読手続きが投稿前に明示されているか、勧誘が一方的な電子メールで来ていないか ── こうした確認の積み重ねしかない。単一の判定基準は存在しない。
直す試み
最初の実効的な改革は、心理学ではなく臨床試験で起きた。試験を開始前に登録し、計画した主要評価項目を先に宣言させる仕組み ── 事前登録(预注册 / preregistration)である。米国では1990年代末の法整備を経て公的な登録簿が動きはじめ、2005年には医学雑誌編集者国際委員会が事前登録を掲載の条件とした。効果を測った研究がある。カプランとアーヴィンは2015年、米国の国立心肺血液研究所が資金を出した大規模な心血管系の試験を、登録義務の前後で比べた。2000年より前に発表された30件では17件が有意な便益を示していたのに対し、以後の25件では2件だった。標本が小さく他の説明も排除できないが、事前に何を測るか宣言させるだけで結果の分布がこれほど動きうる、という示唆は強い。
登録報告(注册报告 / Registered Reports)である。方法と解析計画の段階で査読を受け、そこで受理されれば、結果がどう出ようとも掲載される。2013年に『コルテックス』などが導入し、その後多くの雑誌に広がった。シェールらは2021年、通常の心理学論文152本と登録報告71本で、第一仮説が支持された割合を比べた。通常の論文では96%が支持された ── つまりほとんど誰も外れなかったことになっている。登録報告では44%だった。この差は、選択的報告と出版バイアスの規模をおおまかに測る目盛りになる。ただし登録報告を選ぶ研究者は自ら選択しており、追試や確認的研究が多い点は割り引いて読む必要がある。
事前登録は自動的には効かない。クラーセンらは2021年、ある心理学誌に載った事前登録済みの研究27本について、登録内容と実際の論文を突き合わせた。すべてに何らかの逸脱があり、逸脱を完全に開示していたのは1本だけだった。宣言は、照合されて初めて拘束になる。
同多重解析(many analysts)の実験である。ジルバーツァーンらは2018年、29チーム61人の解析者に同一データを渡し、サッカーの審判が肌の色の濃い選手にレッドカードを出しやすいかを問うた。オッズ比の推定値は0.89から2.93に散らばり、20チームが有意な正の効果を、九チームが有意でない結果を報告した。ボトヴィニク=ネゼルらは2020年、70チームに同一の脳機能画像データを渡し九つの仮説を検証させた。同一の処理手順を選んだチームは二つとしてなく、有意判定はばらついた。ただし統計マップを統合すると、活動領域はおおむね一致した。ブレツナウらは2022年、73チームに同じデータで移民と社会政策支持の関係を検証させ、1253の回帰モデルから、強い負から強い正まで広がる推定値を得た。ばらつきは解析者の専門性や事前の信念では説明できなかった。
単一の解析から得られた一つの数字は、可能な数字の分布からの一つの標本にすぎない。
| 年 | 規模 | 問い | 散らばり |
|---|---|---|---|
| 2018年 | 29チーム61人 | サッカーの審判は肌の色の濃い選手にレッドカードを出しやすいか | オッズ比0.89〜2.93。20チームが有意な正、九チームが有意でない |
| 2020年 | 70チーム | 脳機能画像データで九つの仮説 | 同一の処理手順を選んだチームは二つとしてない。統合すると活動領域はおおむね一致 |
| 2022年 | 73チーム | 移民と社会政策支持の関係 | 1253の回帰モデルから、強い負から強い正まで |
表15同じデータを配って、別々に解析させると何が起きるか
透明性の側の改革が、データとコードの公開である。米国では2022年の政府方針が公費研究成果の即時公開を打ち出し、2023年には国立衛生研究所がデータ管理・共有計画の提出を義務づけた。ただし方針と実効性は別である。ストッデンらは2018年、ある一流誌がデータ提供を求める方針を導入した後の論文204本について、著者に請求してみた。実際に材料が得られたのは44%、結果を再現できたのは26%だった。方針がないよりは良いが、それだけでは足りない。
統計の側でも改革が試みられた。米国統計学会は2016年、p 値についての声明を出し、p 値が仮説の真偽の確率でも効果の大きさでもないことを、学会名で明示した。有意水準を0.005に下げようという提案と、分野ごとに水準を正当化せよという反論が、それぞれ多数の署名を伴って並んだ。2019年には「統計的有意性を引退させよ」と題する提言に800人を超える研究者が賛同した。ただしこれは学会の公式方針ではなく、雑誌の論説と署名者による主張である。2021年には学会長の任じた作業部会が、適切に用いればp値も有意性検定も有用だとする声明で反論した。実務の方向はおおむね一致している。二値の判定ではなく効果量と信頼区間を報告すること、そして研究を始める前に必要な標本規模を計算すること。後者は地味だが最も効く。検出力が2割の研究をいくら誠実に行っても、得られる有意な結果は誇張されている。
研究評価の側も動いた。DORA、ライデン声明、そして2022年末に発足した研究評価推進連合(CoARA)と、署名を集める文書が続き、CoARAには800を超える組織が署名している。では現場は変わったか。ライスらが2020年に生物医学系の任用・昇進基準を各国の大学について調べたところ、入手できた文書のうち4割が雑誌のインパクトファクターに言及していた。北米の審査文書を対象とした別の分析も同じ方向の結果を出している。署名は理念の表明であり、審査室で使われる書式とは別の階層にある。
これらを研究の対象として扱う分野が、この20年で成立した。メタサイエンス(元科学 / metascience)── 科学そのものを経験的に研究する営みである。2013年にオープンサイエンス・センターが、2014年にスタンフォードにメタ研究のセンターが設立され、専門誌と国際会議ができた。研究の生産性、査読の性質、資金配分の効果、報告の質を、検証可能な仮説として扱う。皮肉にも、この分野もまた業績を必要とする研究者によって担われており、同じ圧力の下にある。
それでも残る問題は三つある。第一に費用である。がん生物学の再現プロジェクトは8年をかけ、当初の計画を大幅に縮小したうえで50の実験を終えた。100本の追試を行った心理学の計画には270人が関与している。追試と検証は安くない。誰がその費用と時間を負担し、負担した者の業績としてどう数えるのかは、まだ解かれていない。第二に、改革そのものが新しい書式になりうる。事前登録は登録したという事実だけを残しうるし、データ公開はアクセス不能なリンクを残しうる。第三に、競争の圧力は消えない。職の数は学位取得者の数よりはるかに少なく、主要な競争的資金の採択率は2割前後にとどまる。この配分の下で、慎重で否定的で時間のかかる研究を選ぶことは、個人にとって合理的でない。ここまでの改革が変えたのは主として測定の方法であり、測定される者が置かれた状況ではない。壊れ方を正確に記述することと、壊れないようにすることの間には、まだ距離がある。
事実の台帳 確 73 / 推 6 / 争 5
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確米国科学アカデミー等の2019年報告は reproducibility を「同じデータ・同じ手順で同じ結果を得ること」、replicability を「新たなデータで同じ問いに同じ結論を得ること」と定義したNational Academies of Sciences, Engineering, and Medicine, *Reproducibility and Replicability in Science*(2019年)
- 確米国計算機学会は当初これと逆の定義を採用しており、2020年に改訂したACM Artifact Review and Badging(version 1.0 / version 1.1, 2020年8月)
- 確オープン・サイエンス・コラボレーションの追試計画は、2008年に3誌に載った100本を対象とし、原著の97%が有意、追試で有意は36%だったOpen Science Collaboration, "Estimating the reproducibility of psychological science", *Science* 349:aac4716(2015年)
- 確同計画の他の判定基準では、原著効果量が追試の95%信頼区間に入ったのが47%、主観的判定で再現ありが39%、原著と追試の統合で有意が残ったのが68%である同上
- 確同計画で追試の効果量は原著のおよそ半分だった同上
- 争右の低い再現率の解釈Gilbert, King, Pettigrew & Wilson の *Science*(2016年)コメントは手続きの不一致と標本誤差で説明できると論じ、執筆陣は同号で反論した。決着していない
- 確バイエルの研究者らは社内創薬プロジェクト67件の照合で、公表データと社内所見が完全に一致したのは2〜2割5分程度と報告したPrinz, Schlange & Asadullah, *Nature Reviews Drug Discovery*(2011年)
- 確アムジェンのベグリーとエリスは、がん生物学の「画期的」論文53本のうち社内で確認できたのは6本と報告したBegley & Ellis, *Nature* 483:531(2012年)
- 推右の二報告の数値は独立検証ができないいずれも対象論文の一覧と生データを公開していない(秘密保持を理由とする)
- 確がん生物学の再現プロジェクトは53本193実験を計画し、23本50実験を完了したErrington et al., *eLife* 10:e67995 および 10:e71601(2021年)
- 確同プロジェクトでは、原論文の記述だけで追試手順書を書けた実験は193のうち一つもなく、効果量と検出力の計算に必要なデータが公開されていたのは193のうち四つだった同上(e67995)
- 確同プロジェクトで、原著者は41%の実験で非常に協力的、32%で非協力または無応答だった同上
- 確同プロジェクトの158効果のうち、原著が正の効果を報告したものでは追試効果量の中央値が原著より85%小さく、92%が原著を下回った。複数基準で成功が失敗を上回ったのは46%である同上(e71601)
- 確経済学の実験室実験18本の追試で、同方向の有意な効果が得られたのは11本(61%)であるCamerer et al., *Science* 351:1433(2016年)
- 確『ネイチャー』『サイエンス』の社会科学実験21本(2010–2015年)の追試で、同方向の有意な効果が得られたのは13本(62%)、効果量は原著のおよそ半分であるCamerer et al., *Nature Human Behaviour* 2:637(2018年)
- 確右の二計画では、研究者を対象とする予測市場が追試の成否をよく予測した同上
- 確コーエンは心理学論文の検出力が中程度の効果に対して5割に満たないと算定したCohen, *Journal of Abnormal and Social Psychology*(1962年)。Sedlmeier & Gigerenzer(1989年)は改善が見られないと報告
- 確神経科学研究の検出力の中央値は21%程度、想定する効果量に応じておよそ8〜31%の範囲と見積もられたButton et al., *Nature Reviews Neuroscience* 14:365(2013年)
- 確解析上の自由度の組み合わせにより偽陽性率が6割を超えうることが実演されたSimmons, Nelson & Simonsohn, *Psychological Science* 22:1359(2011年)
- 争「再現性の危機」という枠組みの妥当性Fanelli, *PNAS* 115:2628(2018年)は誇張であると論じ、多数の追試計画の結果を根拠に反論する立場が対立する
- 確『ネイチャー』の2016年調査(回答者1,576人)では、7割超が他人の実験の再現に失敗、5割超が自分の実験の再現に失敗、52%が「重大な危機」と回答、危機はないは3%、7割超が自分の分野の論文の半分以上は信頼できると回答したBaker, *Nature* 533:452(2016年)
- 確米国連邦政府の研究不正の定義は捏造・改ざん・盗用の三類型に限られ、誠実な誤りと解釈の相違を除外するOSTP, Federal Policy on Research Misconduct(2000年)
- 確米国の心理学者2155人への調査で、従属変数をすべて報告しなかったと認めた者が約63%、データ捏造を認めた者が1.7%だったJohn, Loewenstein & Prelec, *Psychological Science* 23:524(2012年)
- 争右の調査が併用した回答誘出手法(Bayesian truth serum)による補正推定値の妥当性Fiedler & Schwarz(2016年)らが批判し、素の自己申告率のみを用いるべきだとする立場がある
- 確メタ分析で、データの捏造・改ざんを自ら認めた研究者は約2%だったFanelli, *PLoS ONE* 4:e5738(2009年)
- 確シェーンの事案では、2002年9月の外部調査委員会が24件の疑義のうち16件で不正を認定し、20本を超える論文が撤回されたBeasley委員会報告(ベル研究所、2002年)
- 推シェーンの不正は同一のノイズ波形が異なる実験の図に現れたことから外部の物理学者に気づかれた当時の報道および関係者の証言による経緯であり、査読過程による検出ではない
- 確スターペルの事案では、3人の若手研究者の申告を端緒とする調査委員会が、55本の論文と10本の博士論文で不正を認定したLevelt・Noort・Drenth委員会最終報告(2012年)
- 確理化学研究所の調査委員会は2014年4月、STAP論文について改ざん1件・捏造1件を研究不正と認定した理化学研究所研究論文の疑義に関する調査委員会報告書(2014年4月1日)
- 確STAP論文2本は2014年7月に撤回され、同年12月の最終報告はSTAP幹細胞が既存の胚性幹細胞に由来すると結論した。混入が故意によるものかは特定できないとされた理化学研究所研究論文に関する調査委員会報告書(2014年12月26日)
- 確2014年8月、STAP論文の共著者1名が死亡した各社報道および理化学研究所の公表。死に至った経緯は調査の対象とされていない
- 確STAP論文の筆頭著者の博士号は2015年に取り消された早稲田大学の公表(2015年11月)
- 確2022年7月の『サイエンス』誌の報道は、アルツハイマー病研究の一連の論文について画像処理の疑義を報じたものであり、その時点で認定されていたのは疑義の存在であるC. Piller, *Science* 377:358(2022年)
- 確疑義の中心となった2006年の『ネイチャー』論文(アミロイドβ多量体に関するもの)は2024年に撤回された*Nature*, Retraction(2024年6月)
- 推この1件でアミロイド仮説全体が否定されるわけではない当該多量体は仮説の1分枝であり、仮説の主要な根拠は遺伝学的証拠など別系統にある
- 確リトラクション・ウォッチは2010年に創設され、そのデータベースは2023年9月にクロスレフへ移管され公開されたCrossref発表(2023年9月12日)
- 確2023年の撤回件数は1万件を超え年間記録を更新した。うち8000本以上がヒンダウィ社の雑誌からのものであるR. Van Noorden, *Nature* 624:479(2023年)
- 確同じ2023年について、『ネイチャー』の集計(1万件超)と撤回を専門に追う側の集計とでは値が異なる。差は収録範囲の違いに加え、一つの撤回通知で複数論文が撤回された場合の数え方の違いから生じる同上および Retraction Watch/Crossref のデータベース
- 確撤回件数は2024年に9000件規模へ、2025年はさらに下回る水準へ減った。2023年の突出は継続的増加ではなく単一の原因による山であるRetraction Watch/Crossref の年次集計および同年の学術報道
- 確撤回率は過去10年で3倍以上になり、0.2%を超えたと推計された同上。ただし母集団の取り方(Crossref/Web of Science/Scopus)により値は変わる
- 確出版倫理委員会と国際STM出版社協会の2022年報告は、一部の雑誌で投稿の2%程度がペーパーミル由来と疑われるという出版社側の証言を紹介したCOPE & STM, *Paper Mills Research*(2022年6月)
- 推否定的な結果ほど公表されにくいことは、登録された臨床試験を追跡した複数の分析で繰り返し示されてきた試験登録簿と公表論文の照合研究群からの一般化であり、分野・登録制度により追跡率は異なる
- 確40誌2万621本の目視走査で、3.8%に問題のある画像が含まれ、その少なくとも半数が意図的操作を示唆したBik, Casadevall & Fang, *mBio* 7:e00809-16(2016年)
- 確同一の実験画像の背景を共有する400本超の論文群が2020年に指摘されたE. Bik らによる報告("tadpole paper mill")
- 確シュプリンガー社は2017年、1誌から107本を一括撤回した。理由は査読者名は実在するがメールアドレスが偽装されていたことであるSpringer声明(2017年4月)
- 確中国では2000年代以降、国際誌への掲載に対して大学が現金報奨を出す制度が広がり、支給額は大学によって桁が異なった中国の大学の報奨規程を横断的に収集した調査(2016年時点の100校規模の比較)
- 確中国の教育部・科学技術部は2020年、収録誌指標の偏重と論文への現金報奨を禁じる通知を出した教育部・科技部通知(2020年2月)。効果の検証はまだ限られる
- 確『ネイチャー』が形式的な査読制度を導入したのは1967年であるBaldwin, *Notes and Records of the Royal Society*(2015年)および *Isis*(2018年)
- 推「ピア・レビュー」という語は冷戦期米国の研究費審査の文脈で普及し、雑誌の審査に遡って適用されたM. Baldwin による制度史研究の解釈
- 確掲載予定論文に八つの誤りを混入して420人に送った実験で、回答した221人が見つけた誤りの数は中央値2、最大5、16%は皆無だったGodlee, Gale & Martyn, *JAMA* 280:237(1998年)
- 確九つの重大な誤りを混入した後続研究で、査読者が検出したのは平均で三つ前後だったSchroter et al., *Journal of the Royal Society of Medicine* 101:507(2008年)
- 確心理学8誌の25万超の p 値を機械的に検査した結果、ほぼ半数の論文に少なくとも一つの不整合、8本に1本に結論を左右しうる重大な不整合があったNuijten et al., *Behavior Research Methods* 48:1205(2016年)
- 確NIPS 2014の重複審査実験では、166本のうち25.9%で二委員会の採否が食い違い、一方が採択した論文の約半数を他方が却下した。2021年の再実験ではこの割合が50.6%だったCortes & Lawrence(2014年実験)、Beygelzimer et al., NeurIPS 2021 Consistency Experiment(2021年)
- 確2020年に世界の査読者が投じた時間は1億時間を超え、米国所属査読者の時間の賃金換算額は15億ドルを超えると推計されたAczel, Szaszi & Holcombe, *Research Integrity and Peer Review* 6:14(2021年)。推計は多数の仮定に依存する
- 確著者名が見える査読者は著名著者・上位機関の論文を高く評価し、審査を引き受けやすいことが無作為化実験で示されたTomkins, Zhang & Heavlin, *PNAS* 114:12708(2017年)
- 確オープン査読の無作為化試験では査読の質に有意な変化はなく、依頼を断る査読者が増えたvan Rooyen et al., *BMJ* 318:23(1999年)
- 争二重盲査読が女性著者など特定属性の著者に有利に働くかBudden et al.(2008年)の肯定的報告に対し、Webb, O'Hara & Freckleton(2008年)ら複数の再分析が反論した
- 確2020年、感染症関連論文の投稿から受理までの中央値は6日前後に短縮した(同誌の他分野は80日超)Palayew et al., *Nature Human Behaviour* 4:666(2020年)
- 確ウイルス配列に人為的挿入があるとした査読前論文は公開の2日後に取り下げられた(2020年1月〜2月)bioRxiv 掲載および撤回記録
- 確出所不明の患者データベースに基づく2本の論文が、2020年に掲載から約一か月で撤回された*The Lancet* および *New England Journal of Medicine* の撤回告知(2020年6月)
- 確RELXの科学・技術・医療部門は2023年に売上30億6200万ポンド、調整後営業利益11億6500万ポンド(率にして38.0%)を報告したRELX 2023年通期業績発表(2024年2月)
- 確『ネイチャー』は2021年、オープンアクセス選択の掲載料を1本9500ユーロに設定したSpringer Nature発表(2020年11月)
- 確ジェフリー・ビールが個人で公開していたハゲタカ雑誌の一覧は、2017年1月に取り下げられた同一覧の停止に関する当時の報道および本人の説明
- 確ハゲタカ雑誌の合意定義(2019年、43人の専門家による)は「学術性を犠牲にした自己利益の優先」を中核とし、単一の判定基準を置いていないGrudniewicz et al., *Nature* 576:210(2019年)
- 確2014年にこの種の雑誌に掲載された論文は約42万本と推計されたShen & Björk, *BMC Medicine* 13:230(2015年)。推計方法に依存する
- 確偽論文を304誌に送り157誌が受理した実験が2013年に行われたJ. Bohannon, *Science* 342:60(2013年)。購読誌の対照群を欠く点が批判された
- 確医学雑誌編集者国際委員会は2005年、臨床試験の事前登録を掲載の条件としたICMJE声明(2004年公表、2005年適用)
- 確米国の公的資金による大規模心血管試験で、有意な便益を示した割合は登録義務化前の30件中17件から、以後の25件中2件に減ったKaplan & Irvin, *PLoS ONE* 10:e0132382(2015年)。標本が小さく交絡の可能性が残る
- 確登録報告は2013年に『コルテックス』等で導入されたChambers, *Cortex* 49:609(2013年)
- 確通常の心理学論文では第一仮説の支持率が96%、登録報告では44%だったScheel, Schijen & Lakens, *Advances in Methods and Practices in Psychological Science* 4(2021年)。登録報告の選択バイアスは考慮が必要
- 確事前登録済み研究27本を登録内容と照合したところ、すべてに逸脱があり、逸脱を完全に開示していたのは1本だったClaesen et al., *Royal Society Open Science*(2021年)
- 確29チーム61人の解析者が同一データを解析した結果、オッズ比は0.89〜2.93に散らばり、20チームが有意な正の効果、九チームが有意でない結果を得たSilberzahn et al., *AMPPS* 1:337(2018年)
- 確70チームが同一の脳機能画像データで九仮説を検証した結果、同一の処理手順を選んだチームは二つとしてなく、有意判定はばらついたが、統合すると活動領域には一致が見られたBotvinik-Nezer et al., *Nature* 582:84(2020年)
- 確73チームが同一データで移民と社会政策支持の関係を検証し、1253のモデルから強い負から強い正まで広がる推定値が得られた。ばらつきは解析者の属性や事前の信念で説明されなかったBreznau et al., *PNAS* 119:e2203150119(2022年)
- 確米国の2022年8月の政府方針は、公費による研究成果の禁止期間なしの即時公開を各機関に指示したOSTP "Ensuring Free, Immediate, and Equitable Access to Federally Funded Research"(2022年8月25日)
- 確米国国立衛生研究所は2023年1月からデータ管理・共有計画の提出を義務づけたNIH Data Management and Sharing Policy(2023年1月25日施行)
- 確データ提供方針の導入後の論文204本について、材料が得られたのは44%、結果を再現できたのは26%だったStodden, Seiler & Ma, *PNAS* 115:2584(2018年)
- 確米国統計学会は2016年、p 値についての公式声明を出したWasserstein & Lazar, *The American Statistician* 70:129(2016年)
- 争有意水準の扱い0.005への引き下げを求める提案(Benjamin et al., *Nature Human Behaviour*, 2018年)と、分野ごとの正当化を求める反論(Lakens et al., 2018年)、有意性判定の廃止を求める提言(Amrhein, Greenland & McShane, *Nature* 567:305, 2019年、賛同者800人超)が並立する。後者は米国統計学会の公式方針ではなく、2021年に同学会長の任じた作業部会が反論する声明を出している
- 確CoARAには800を超える組織が署名しているCoARA公表資料(数は変動する)。DORA・ライデン声明・CoARAの内容と成立年次はG3章に記した
- 確生物医学系の任用・昇進基準文書のうち、入手できたものの約4割が雑誌のインパクトファクターに言及していたRice et al., *BMJ* 369:m2081(2020年)
- 推研究評価改革の署名と実際の審査実務の間には乖離がある右の基準文書調査および McKiernan et al., *eLife*(2019年)による米加の審査文書分析からの推論であり、因果の検証はまだない
- 確メタ研究を専門とする機関として、オープンサイエンス・センターが2013年、スタンフォードのメタ研究センターが2014年に設立された各機関の設立記録
- 確主要な競争的研究資金の採択率は2割前後の水準にある米国国立衛生研究所の研究プロジェクト助成の成功率(2020年代前半、年により変動)。制度・国により大きく異なる
現在 ── いま学問はどうなっているか
これからの学問(学问的去向 / Where Learning Is Going)
機械が仮説を作る
蛋白質構造予測(蛋白质结构预测 / protein structure prediction)は、半世紀にわたる未解決問題だった。アミノ酸の一次配列から折りたたまれた立体構造を計算で当てる。1994年から隔年で、正解がまだ公表されていない標的に予測を提出する盲検の競技会が開かれてきた。2020年の第14回で、深層学習に基づく予測系が全標的の中央値で90点台前半(100点満点の構造一致度指標)に達し、多くの標的で実験的に決めた構造と実用上区別できない水準だと評価された。2024年のノーベル化学賞は、計算による蛋白質設計にデイヴィッド・ベイカー、構造予測にデミス・ハサビスとジョン・ジャンパーが選ばれ、同じ年の物理学賞は機械学習の基礎をなす仕事にホップフィールドとヒントンが受けている。二つの賞が同年に出たことは、計算の道具が対象分野の内側で評価されはじめた徴候である。
ただし予測は実験の代替ではない。返ってくるのは静止した一つの構造であって、動き、複合体の組み方、変異の効果は別の問題である。予測構造のデータベースは2022年7月に2億件を超え、2024年には2億1400万配列を覆うが、使う側には領域ごとの確信度指標を読み、どこまで信じてよいかを判断する新しい技能が要求されるようになった。2024年に公表された複合体まで扱う後継系は、当初、実装を公開しないまま論文だけが出たため学術誌上で批判を受け、同年後半に非商業の学術利用に限って公開されている。何が検証可能かをめぐる交渉が、成果そのものと並ぶ争点になっている。
材料探索では、加速の主張と検証の負荷が同時に現れた。2023年11月、深層学習で220万の結晶構造を生成し、うち38万件を安定と予測したとする報告と、ロボットが17日間の自律運転で58の標的のうち41の新規化合物を合成したとする報告が、相前後して同じ雑誌に載った。翌年、固体化学者たちが回折データの解釈を検討し、報告された化合物の一部は既知の相で説明できると主張した。生成された結晶構造の側にも、新規性や有用性の乏しさと既知構造との重複が指摘された。合成の論文には2026年1月に訂正が付され、新規の物質を作ったという主張そのものが取り下げられた。批判の中心にいた研究者は、この訂正により論文の撤回までは要さないとの見方を示している。速く作れることと、それが新しいことは、別に確かめねばならない ── その確認に、公表から2年余りを要したことになる。

| 年 | 機械がしたこと | 人に残ったこと |
|---|---|---|
| 2020年 | 蛋白質構造予測が盲検の競技会で全標的の中央値90点台前半 | 動き、複合体の組み方、変異の効果は別の問題。確信度指標を読む技能が要る |
| 2021年 | 結び目の不変量の関係を機械学習が示唆 | 「自然傾き」を定義し、定理として証明したのは数学者 |
| 2023年11月 | 220万の結晶構造を生成し、うち38万件を安定と予測。ロボットが17日間で58の標的から41の新規化合物を合成 | 翌年、固体化学者が回折データを検討し、一部は既知の相で説明できると主張 |
| 2023年11月 | ── | 多項式フライマン=ルザ予想の証明を、共同作業が約3週間で証明支援系に書き下した |
| 2024年 | 予測構造のデータベースが2億1400万配列を覆う | 後継系は当初、実装を公開しないまま論文が出た |
表16機械が担った仕事と、そのあとに残った仕事
数学で機械が担ったのは、パターンの示唆だった。2021年、結び目の代数的な不変量である符号数と、結び目の幾何的な量との間に関係があるかを機械学習で探る試みから、「自然傾き」と名づけられた新しい幾何量が定義され、符号数がおおよそその半分になるという関係が見出された。関係を思いつく段階で機械を使い、定理としての証明は数学者が与えた。表現論でも同様の手順で予想が得られている。示唆と証明が分業されたのであって、証明の基準が緩んだのではない。
証明の確認そのものを機械に委ねる動きは、別の系譜から来ている。2023年11月、4人の数学者が多項式フライマン=ルザ予想を標数二の場合に解決したプレプリント(预印本 / preprint)を公開すると、直後に始まった共同作業が、その証明を証明支援系 Lean のコードに書き下す形式化(形式化 / formalization)を約3週間で完了させた。形式化された証明は、人が全文を読まなくても機械が整合性を検査できる。
競技の場でも同じ問いが立つ。2024年には自動証明系が国際数学オリンピックの六問中四問を解き、42点満点で28点、金メダルの閾値に1点届かない得点に相当した。この系の出力は形式言語で書かれ、機械が検査できた。ところが翌2025年には、形式化を経ない自然言語の証明で六問中五問・35点に達した系が現れ、採点は人間の審査に委ねられた。検査できる形に落とすことと、高い正答率を出すこととは、同じ方向には進んでいない。証明の確認を誰が引き受けるのかという問いは、能力の向上によってはむしろ鋭くなる。
自動実験室(self-driving laboratory)が動いている。2020年、移動式のロボットが人間用の設備の並ぶ実験室を歩き回り、8日間で688回の実験を自律的に実行して、水素発生の光触媒混合物を初期条件の6倍の活性まで最適化した。2023年には言語モデルを計画層に置き、文献検索から装置制御までを一続きにした系が報告されている。ただしこれらが探索するのは、あらかじめ人が張った変数空間の内側である。何を変数にするかは、いまのところ人が決めている。
文献の合成と仮説の提案に大規模言語モデルが使われはじめたことは、新しい検証負荷を生んだ。生成される参考文献が実在しないことがある。2023年に42の主題で系統的に調べた研究では、当時の一世代前のモデルで引用の55%、後続の世代で18%が完全な捏造であり、捏造でない引用のうちにも巻号や頁の誤りが、前者で4割強、後者で2割強含まれていた。世代が進むにつれて捏造率は下がっており、この数値をそのまま現在のモデルに当てはめることはできない。それでも、もっともらしい著者名、それらしい題名、実在する雑誌名という組み合わせで出てくる以上、確かめるまで区別がつかないという性質は変わらない。文献に当たる作業が減るのではなく、当たり直す作業が増えた。
汚染は逆向きにも進む。1950年代の学術誌を電子化する際、二段組の別々の列にあった語が結合して「vegetative electron microscopy」という存在しない術語が生まれた。それが訓練データを経由して再生産され、複数の論文に現れ、出版社が当初は正当な用法だと弁護する事態にまでなった。誤りが文献のなかを循環し、循環していること自体がもっともらしさの根拠になる。校訂という技法が写本の時代に要請されたのと同じ事情が、別の材料の上で戻ってきている。
出版社の方針はおおむね1点で揃った。2023年、医学雑誌編集者国際委員会と出版倫理委員会、および主要出版社は、生成系は説明責任を負えず利益相反も申告できないため著者にはなれないとし、使用があれば開示を求める方針を示した。著者性を、書いたかどうかではなく責任を引き受けられるかどうかで定義しなおしたことになる。査読(同行评议 / peer review)はより強い禁止に触れた。米国国立衛生研究所は2023年6月、申請書の内容を外部の系に入力すること自体が守秘義務違反にあたるとして、査読での使用を禁じている。他方、2023年から2024年にかけて開かれた機械学習・自然言語処理の四つの国際会議に提出された査読文のうち、実質的に言語モデルで書き換えられた可能性のある文は6.5から16.9%と推定された。
そして、加速それ自体が測れているかという問いがある。2024年に注目を集めた、材料科学者への導入で発見と特許が増え職務満足が下がったとする論文は、2025年5月、所属大学がデータの出所と信頼性に確信が持てないとして撤回を求めた。他方、2026年1月に公表された自然科学の論文4130万本の分析は、これらの道具を使う研究者が論文数で約3倍、被引用で約5倍、プロジェクトを主導する時期で約1.4年早いという個人の利得を示すと同時に、研究される主題の総量が約4.6%縮み、研究者どうしの関与が2割強減ることを報告した。個人にとっての加速と、分野全体の広がりは、別々に測らなければならない量である。
開く・分ける・守る
オープンサイエンス(开放科学 / open science)と一括りにされるものは、少なくとも三つの別々の要求からできている。読めること、再利用できること、そして誰が使ってよいかを決められること。この三つは同じ方向を向いていない。読めるようにする費用は誰かが払わねばならず、再利用できる形に整える手間は元の研究者にかかり、使途を決める権限を持ち出せば公開の範囲は狭まる。実際の制度設計は、この三つのどれを優先したかによって別々の形に落ちている。以下はその分岐を、公開・共有・保護の順に見たものである。
読めることについては、オープンアクセス(开放获取 / open access)に三つの道が区別される。著者が受理稿を機関や分野のリポジトリに置くグリーン、掲載誌が公開して費用を著者側の論文掲載料でまかなうことの多いゴールド、読者も著者も払わないダイヤモンドである。2021年に欧州の助成機関連合が委託した調査は、ダイヤモンド誌が世界に1万7000から2万9000誌あると推定し、完全オープンアクセス誌の目録に収録された論文の4割強を占めるとした。学術論文の総量に対しては1割に満たない。小規模で、多言語で、大学や学会が持ち出しで運営している。ラテンアメリカでは公的資金による電子出版基盤が1998年から動いており、著者にも読者にも課金しないまま地域の学術誌を国際的に可視化してきた。総量では無視できないのに、目録上は見えにくい層である。
方針の側では、2018年9月に発表され2021年から適用されたプランSが、公的助成を受けた論文の即時公開を求めた。米国では2022年8月の科学技術政策局の覚書が、連邦資金による論文とデータを禁止期間なしで公開するよう各機関に指示し、遅くとも2025年末までの実施を求めた。国立衛生研究所はこれを前倒しし、2025年7月1日以降に受理された査読済み原稿を、公表日に即時公開することを義務づけている。ただし2026年に入り、議会の予算関連文書が、科学技術政策局は2022年の覚書を廃止する手続きに入っていると記し、その状況の報告を求めた。行政側からの公式の告知はなく、覚書は2026年半ばの時点で撤回されていない。撤回が実際に行われるかどうかも、行われた場合に各機関の既存の方針がどうなるかも、決まっていない。公開の方針は一方向に進むとはかぎらず、進まないことの確定もまた、容易には起きない。
再利用できることの側にはFAIR原則がある。2016年に提案されたこの四条は、見つけられる、アクセスできる、相互運用できる、再利用できる、を要件とするが、新しかったのはそれを人だけでなく機械が自動的に処理できることまで求めた点である。FAIRはオープンを意味しない ── 条件つきの申請を経なければ使えないデータでも、所在と条件が機械可読なら要件を満たしうる。データセット自体を記述して査読と引用の対象にするデータ論文(数据论文 / data paper)という形式も現れ、データを作る仕事に業績としての名前がついた。
開かないものがある。個人情報がそうであり、それとは別の理由で先住民のデータがそうである。2019年に示されたCARE原則は、集合的な利益、権限をもつ管理、責任、倫理の四つを掲げる。背景には、遺骨や血液試料や言語の記録が、提供した集団の同意も利益もないまま研究資源として流通してきた経緯がある。FAIRがデータを中心に置くのに対し、CAREは人と目的を中心に置き、そのデータが誰の利益のために集められ誰が使途を決めるかを問う。両者は競合ではなく、片方が答えない問いをもう片方が扱う関係にある。
デュアルユース(两用 / dual use)はもっと荒れている。病原体の性質を強める研究、すなわち機能獲得研究について、米国は2024年5月に統一的な監督方針を公表し、2025年5月6日の施行を予定していた。ところが施行直前の2025年5月5日、大統領令がその方針を撤回し、危険とみなされる機能獲得研究への連邦資金を停止したうえで、代替方針の策定を120日以内に命じた。
期限は120日を大きく超過したが、2026年7月、代替方針が高リスク生命科学研究の停止に関する政府方針として公表された。2024年方針が採っていた病原体の一覧に基づく管理から、危険と評価される機能獲得研究そのものを連邦資金の対象外とする禁止型の枠組みへ、設計が入れ替わっている。1年余りのあいだ監督の枠組みが空白のまま研究が続いたこと、そして空白を埋めた新方針が規制の強化とも緩和とも一言で言えない構造を持つことの双方が、この経緯の要点である。同型の論争は、モデルの重みを公開するか否かをめぐって別の分野でも起きている。
遺伝資源の利用と利益配分を定めた枠組みは、現物のやり取りを前提に作られていた。配列がデータとして流通すれば、現物は介在しない。2024年11月、生物多様性条約の第16回締約国会議で塩基配列情報に関する多国間の利益配分の仕組みと基金が採択され、翌2025年2月に発足した。塩基配列をデータベースに登録し検索することが、条約の対象になったということである。登録も検索も、それ自体は物の移動を伴わない行為である。どこまでを資源の利用と数えるかが、交渉の焦点になった。
市民科学(公民科学 / citizen science)の実績は、量として測れる。2007年7月に始まった銀河の分類計画は、初年度に約15万人が5000万件の分類を行った。専門家が用意した分類の枠に収まらないものを参加者が拾い上げたことから、正体不明の発光天体や、それまで類型がなかった小型の緑色の銀河が見つかっている。鳥類の観察記録を集める計画は、2002年の開始から累計10億件に達するまで19年かかり、次の10億件は4年で積み上がって2025年に20億件を超えた。蛋白質の折りたたみをゲームにした計画では、10年以上決まらなかったレトロウイルスのプロテアーゼの構造が、参加者の作ったモデルを起点に決定されている。
品質管理は、参加者を信用するかどうかの問題ではなく、偏りをどう回収するかの問題である。観察は、人が住む場所、道路のある場所、そして週末に偏る。珍しい種ばかりが報告されれば、ありふれた種の分布は空白になる。鳥類の計画がチェックリスト形式をとり、見た種だけでなく探した時間と移動距離も記録させるのは、「そこにいなかった」という情報を回収するためである。そのうえで地域の専門家が異常値を選別する。設計の負担は増えるが、増やさなければ集まったデータは数の多さのぶんだけ偏る。
境界は動いている。参加者は、指示どおりにデータを集める手として位置づけられていた段階から、分類の設計に加わり、論文の共著者に名を連ね、自分たちの関心から問いを持ち込む段階へ移っている。汚染調査や健康被害の記録のように、当事者が測ることを求めて始まった研究もある。参加者が共著者に名を連ねる例が現れたことは、誰を研究者と数えるかという問題を、学位や所属ではなく仕事への関わり方の記述で扱う可能性を開いた。ただしそれが一般的な作法になったわけではなく、採用と昇進の場面では学位と所属が依然として第一の条件である。この点で市民科学は、次に述べる貢献の記述法の問題と地続きである。
誰が担うか
博士号を取った人が大学に残るという前提は、統計の上で成り立たなくなっている。米国の博士号調査によれば、研究博士号の授与数は2023年に5万7862件、2024年に5万8131件だった。国内で就職先が確定しポスドク以外の職に就く者の内訳を見ると、2023年は学術界が34%(7672人)、産業界が47%(1万495人)、2024年は学術界40%(8098人)、産業界40%(8266人)である。年ごとの振れは小さくないが、学術界の比率が2003年の54%から大きく下がったという長期の方向は変わらない。産業界への進路は例外ではなく、標準的な選択肢になっている。
残った人にとっても、任期のない職は減った。日本の国立大学の40歳未満の本務教員という母集団で見ると、任期付き雇用の割合は2007年度の約39%から2017年度の約64%へ上昇した。別の調査が研究大学の39歳以下を対象に測った比率は、2010年代を通じて6割前後で推移している。母集団が違えば水準も動きも違って見えるが、2010年代に入る時点で既に高い水準にあったことは共通している。任期付きの職を渡り歩く期間が長くなれば、次の職を得るために数年で論文になる主題を選ぶ誘因が働き、成否の判明に10年かかる問いは後回しになる。雇用の形式は、待遇の問題にとどまらず、主題の選択を通じて知識の内容にまで及ぶ。ただしこの経路そのものを直接に測った研究は少なく、雇用形態と主題選択の関係は、いまのところ推論である。
その隙間に、新しい職業ができた。研究ソフトウェア技術者、すなわち research software engineer という呼び名は2012年に英国の会合で作られた造語で、研究室のなかで本格的な開発をしているのに、開発者としても研究者としても評価されない人々を指すために必要とされた。翌年には協会ができ、2019年には資金を持ち職員を雇える学会になっている。同様に、データの管理設計と運用を担うデータ管理責任者(data steward)、申請書と契約と規制対応を引き受けるリサーチ・アドミニストレーターが、専門職として制度化されつつある。日本では2011年度から大学へのそうした人材配置が政策として進められた。研究を支える仕事が、研究者の余技から独立した職業へ移った。
チームは大きくなった。1955年から2000年までの約1990万本の論文を調べた分析は、社会科学から工学まで、ほぼすべての分野で単著から共著への移行が起きたことを示した。極端な例として、2015年に二つの実験グループが共同で出したヒッグス粒子の質量測定の論文は、全33頁のうち24頁を著者名と所属の一覧に費やしている。実験装置の建設から解析までを分担した集団の全員が名を連ねているのだが、この規模になると、著者欄はもはや誰が何をしたかを伝える装置ではない。紙面の三分の二以上を占めていながら、そこから読み取れるのは所属の一覧だけである。
そこで貢献の記述法が要る。CRediTは、着想、方法、解析、資金獲得、監督、執筆といった14の役割を定めた語彙で、2014年に作られ、2022年に米国の国内標準として正式化された。著者か否かの二分法を、役割ごとの記述に置き換える試みであり、装置の保守やデータの整備といった、従来は謝辞に落ちていた仕事に名前を与える効果もある。ただし記述は自己申告であり、誰が何をしたかを外から検証する手段は付いていない。責任の所在を明示する装置は、明示された内容の真偽については沈黙している。
1人で書く分野は消えていない。数学、哲学、歴史学では単著の論文が主流であり、人文学では1冊の単著書が業績評価の中心にありつづけている。問いの設定と論証が切り離せず、途中の工程を他人に渡せない仕事は分業しにくい、というのが通り相場の説明である。ただしそこにも例外は現れていて、前述の予想の形式化のように、多人数が補題ごとに分担して一つの証明を機械可読な形に落とす作業は、数学における新しい共同作業の形になっている。
人の移動は、国ごとに桁が違う。2012年に16か国の研究者を対象に行われた調査は、研究者に占める外国生まれの割合が、最も高い国では半数を超え、最も低い国では1%前後にとどまることを示した。値そのものは10年以上前のものであり、以後の査証制度の変化を織り込んでいない。頭脳流出(人才外流 / brain drain)という言い方は、流れが一方向だという前提を含むが、実際には帰国後の待遇を厚くする政策や、共同研究を通じた往復によって、循環と呼ぶほうが近い動きも観測されている。移動の自由度は、査証制度と安全保障政策に直接左右される。
ジェンダーの格差は、いくつかの層に分けて測られてきた。2013年の大規模な計量分析は、女性が第一著者や最終著者になる割合が低く、女性が筆頭の論文は被引用が相対的に低いことを示した。2020年の研究は、生産性の男女差が1950年代の1割程度から2000年代の3割超へ広がった一方で、在籍年数をそろえて比べると年あたりの論文数と影響力に大きな差は出ないことを見出している。差の主因は、大学院生からポスドク、常勤職に至る各段階で研究をやめる確率が女性のほうが一貫して高いこと ── つまり離脱と在籍期間にあった。是正の対象が、個人の生産性ではなく職を続けられる条件のほうにあることを示す結果である。
研究者以外の担い手も増えた。企業研究所、AI企業、非営利の研究機関、政府系のシンクタンク。計算資源や大型装置が参入の条件になる領域では、担い手の分布が資本の分布に従う。ある年次報告の集計では、注目すべき機械学習モデルのうち産業界由来のものが2023年の約6割から2024年の約9割へ増え、その水準は翌年も維持された。同じ報告は、被引用の多い研究の最大の供給源はなお大学だとも述べている。作れる場所と、それを外から確かめる場所が分かれつつある。
学問はどこへ行くのか
知識の総量が1人の把握を超えた状態は、もう例外ではない。個人が生涯に読める量はほとんど変わらないのに、産出は増え続ける。すると「理解している」の意味が変わる。すべてを自分で確かめた人はいない。ほとんどの結論は、他人の確かめた結果を信頼の連鎖として受け取り、その上に次を積む形で使われている。そこに、別の成分が加わる。何がどこにあるかを知り、必要なときに正しく取り出し、どこまでを自分で確かめ、どこから先を他人の確認に預けているかを言えること ── 少なくとも、この成分抜きに理解を語ることは難しくなった。
分業が進めば、統合の仕事が要る。総説と教科書はその結び目だったが、結び目の側も過剰生産に晒されている。医学分野では、系統的レビュー(系统综述 / systematic review)とメタ分析の産出が数十年で桁違いに増え、同じ主題に20件を超える重複した統合が並ぶ例が指摘された。統合の道具そのものが統合を必要とする段階に入っている。教科書もまた、分野の入口を定義する権限を持つがゆえに、書き換えの遅さが問題になる。
学問全体が新しさを失いつつあるという主張もある。2023年に公表された分析は、4500万本の論文と390万件の特許について、先行研究を置き換える方向に働いたか、それとも既存の枠組みを補強したかを引用の網目から測る指標を計算し、置き換え型の割合が数十年にわたって低下していると報告した。ただしこの結論には強い反論がある。引用実務の変化、特許制度の改正、指標そのものの定義が批判され、補正すると傾向が消えるか反転するという再分析も出ている。低下しているのが研究の性質なのか、測り方の副産物なのかは決着していない。
時間尺度の不一致は、より具体的な問題である。気候、感染症、生物多様性、機械学習の安全性 ── これらが要求する観測と介入の時間は数十年におよぶ。森林の再生や種の個体数の回復は、2回や3回の測定では傾向すら見えない。一方、助成の周期は3年から5年、任期付きの職はそれ以下、業績の評価は年単位で回り、政策の判断は選挙の周期に縛られる。長さの合わない複数の時計が同じ盤面に載っていて、短いほうが観測の設計を決めてしまう。
それでも長期の観測は存在する。ハワイの観測所での大気中二酸化炭素の連続測定は1958年に始まり、いまの気候科学の基準線になっている。英国の農事試験場の圃場実験は1840年代から続き、土壌と施肥の長期効果について他に代えのないデータを与えている。心臓病の追跡研究は1948年に始まり、三世代にわたって同じ地域の住民を追ってきた。これらは制度の周期より長く生き延びた例外であって、規則ではない。長期研究は、始めることより、資金の切れ目と担当者の交代を越えて続けることのほうが難しい。
永続性はデータにも及ぶ。2021年の調査は、2000年から2019年のあいだに174のオープンアクセス誌がウェブから消えたことを確認し、2019年に主要な目録に収載されていた1万4068誌のうち、長期保存の手当てが取られているのは約三分の一にとどまると報告した。多くは資金の切れた小規模誌で、消えたことに気づかれないまま引用だけが残る。公開されていることと残ることは別である。保存は技術ではなく、誰かが払い続ける費用と、引き受け続ける組織の問題である。
誰のための知か、という問いは、公開の方針、参加の設計、保存の費用のいずれにも現れる。開けば使われるが、開けない理由も同じ強さで存在する。速く出せば早く役に立つが、検証の負荷は後ろに送られる。参加者を広げれば観測は増えるが、偏りの補正が要る。掲載料を払える機関と払えない機関の差が、公開の方針そのものによって新しい格差に転じることもある。どれも一方を選べば済む種類の対立ではなく、どこで折り合いをつけたかを記録し、後から検討できるようにしておく以外に扱いようがない。
信頼は、測られるようになった量の一つである。68か国・7万1922人を対象にした事前登録の調査は、2025年に公表され、多くの国で科学者への信頼は中程度から高い水準にあり、科学者が社会や政策にもっと関与すべきだという意見が多数を占めることを示した。ただし国どうしの比較には留保が要る。設問が各国で同じものを測っているかを疑う再分析が2026年に出ており、この結論は各国内での比較には堪えるが、国別の順位づけには堪えない。国内の変動は別途追跡されている。米国では、科学者が公共の利益のために行動していると少なくともある程度は思うと答えた割合が、2020年4月の87%から2023年の73%へ下がり、その後76から77%へ戻った。低下も回復も観測されている。単調な衰退の物語には収まらない。
分野の境界は、問いの構造ではなく、資金の単位、雑誌の区分、学科の編成、評価の枠に従って引かれる。だから境界は動く。既存の分類に収まらない問いが繰り返し立てられ、そこに人と金がつき、専門誌と学位課程ができたとき、新しい分野が制度として現れる。逆に、問いが解けたり関心が離れたりすれば、分野は縮小して他に吸収される。生命科学と情報科学の境目に生じた領域も、気候と経済の境目に生じた領域も、この順序をたどっている。分類は知識の形を写した鏡ではなく、いまそれを扱っている人々の配置図である。
したがって、ここまでに引いた線もまた暫定である。ある指標が測っているのは、その指標が測れるものだけである。ある制度が数えているのは、その制度が数える形にした業績だけであり、英語で書かれず、論文の形をとらず、器具や手技として受け渡された知は最初から集計の外にある。学問の現在を記述するとは、何がどう数えられ、何が数えられていないかを同時に書きとめることであり、その書きとめ方自体が次に検討される対象になる。地図は、いま何がどこにあるかを示す。そこに何があるべきかは示さない。
事実の台帳 確 58 / 推 9 / 争 3
確かめられたこと、解釈にとどまること、いま争われていること ── 三つを分けて記す。
- 確蛋白質の立体構造予測を盲検で評価する国際的な競技会は1994年から隔年で実施されているCASP(Critical Assessment of Structure Prediction)の実施記録
- 確2020年の第14回競技会で、深層学習に基づく予測系が全標的の中央値で90点台前半の構造一致度(GDT_TS、100点満点)を示し、多くの標的で実験構造と実用上区別できない精度と評価されたCASP14 の公式評価および Jumper et al., *Nature* 596(2021年)
- 確2024年のノーベル化学賞は、計算による蛋白質設計と蛋白質構造予測に対して授与されたノーベル財団発表(2024年)
- 確同年のノーベル物理学賞は人工ニューラルネットワークによる機械学習の基礎的発見に対して授与されたノーベル財団発表(2024年)
- 確予測構造のデータベースは2022年7月に2億件超へ拡張され、2024年の記載では2億1400万配列を覆うEMBL-EBI 発表(2022年7月)、*Nucleic Acids Research* 52, D368(2024年)
- 確複合体まで扱う後継の予測系は、2024年5月の論文公表時に実装が非公開であったことで批判を受け、同年後半に非商業の学術利用向けに公開された同論文をめぐる学術誌上の書簡および開発元の公開告知
- 確2023年11月、深層学習により約220万の結晶構造を生成し、うち約38万件を安定と予測したとする報告が発表されたMerchant et al., *Nature* 624(2023年)
- 確同時期に、ロボットが17日間の自律運転で58の標的のうち41の新規化合物を合成したとする報告が発表されたSzymanski et al., *Nature* 624(2023年)
- 争これらの新規性の主張固体化学者による再検討は、回折パターンの解釈上、報告された化合物の一部が既知の相で説明できると主張し、生成された結晶構造についても新規性・有用性の乏しさや既知構造との重複が指摘された。合成の論文には2026年1月に訂正が付され、新規物質を合成したという中心的主張が訂正の対象となったことで争点は一部決着した。批判の中心にいた研究者は、この訂正により論文の撤回までは要さないとの見方を示している ── *Nature* 624(2023年)掲載論文への訂正(2026年1月)および批判側の公表見解
- 確機械学習によるパターン探索から結び目の新しい幾何量が定義され、代数的不変量である符号数との関係が予想として立てられ、証明されたDavies et al., *Nature* 600(2021年)
- 確多項式フライマン=ルザ予想(マートン予想)の標数二の場合の証明は2023年11月にプレプリントとして公開され、証明支援系 Lean による形式化が約3週間で完了したGowers, Green, Manners, Tao(2023年)および PFR 形式化プロジェクトの記録
- 確2024年、自動証明系が国際数学オリンピックの六問中四問を解き、42点満点で28点に相当する成績(銀メダル圏、金の閾値に1点届かず)を得た。この系の出力は形式言語で書かれ、機械による検査が可能だった開発元の発表(2024年)および *Nature*(2025年)掲載の関連論文
- 確2025年7月の国際数学オリンピックでは、形式化を経ない自然言語の証明により六問中五問・42点満点で35点(金メダル水準)に達した系が複数現れ、採点は人間の審査によった各開発元の発表および国際数学オリンピック組織委員会の公表(2025年7月)
- 確移動式のロボットが8日間で688回の実験を自律実行し、光触媒混合物の水素発生活性を初期の約6倍に高めたBurger et al., *Nature* 583(2020年)
- 確大規模言語モデルを計画層に置き、文献検索から装置制御までを一続きに行う化学実験系が報告されたBoiko et al., *Nature* 624(2023年)
- 確42の主題で系統的に調べた研究では、2023年前半に用いられた二世代の言語モデルについて、前世代で引用の55%、後続世代で18%が完全な捏造であり、捏造でない引用に含まれる実質的誤り(巻号・頁等)は前世代で約43%、後続世代で約24%だったWalters & Wilder, *Scientific Reports* 13(2023年)。対象は2023年前半の二世代であり、以後のモデルには直接当てはまらない
- 確1950年代の学術誌の電子化時に二段組の別列の語が結合して生じた実在しない術語が、訓練データを経由して複数の論文に再出現した「vegetative electron microscopy」の事例に関する2025年の追跡報道および出版社の訂正
- 確2023年、医学雑誌編集者国際委員会と出版倫理委員会、および主要出版社は、生成系は著者になりえないとし、使用の開示を求める方針を示したICMJE 勧告(2023年改訂)、COPE 見解表明(2023年2月)、各社の投稿規程
- 確米国国立衛生研究所は2023年6月、守秘義務違反を理由に査読での生成AIの使用を禁止したNIH Guide Notice NOT-OD-23-149(2023年6月23日)
- 確2023〜2024年に開かれた四つの国際会議(ICLR 2024、NeurIPS 2023、CoRL 2023、EMNLP 2023)の査読文のうち、実質的に言語モデルで書き換えられた可能性のある文の割合は6.5から16.9%と推定されたLiang et al., ICML(2024年)。ICML 2024 は推定の発表の場であって査読文の出所ではない
- 確AI導入で研究者の発見と特許が増え職務満足が下がったとする2024年の論文について、所属大学は2025年5月、データの出所・信頼性・妥当性に確信が持てないとして撤回を求めたMIT の公式声明(2025年5月)
- 確自然科学の論文4130万本の分析は、AI利用者が論文数で約3.0倍、被引用で約4.8倍、プロジェクト主導に至る時期で約1.4年早いという個人の利得を示す一方、研究される主題の総量が約4.6%縮み、研究者間の関与が約22%減ると報告したKang et al., *Nature*(2026年1月)
- 推個人の生産性向上と分野全体の主題の広がりは別々に測るべき量である上記の観測が相関に基づくことからの解釈。因果関係は確定していない
- 確2021年の調査は、ダイヤモンド型オープンアクセス誌が世界に1万7000から2万9000誌あり、完全オープンアクセス誌の目録(DOAJ)に収録された論文の4割強(報告により43〜45%)を占めると推定した。学術論文の総量に対する比率は8〜9%程度であるOA Diamond Journals Study(cOAlition S 委託、2021年3月)
- 確ラテンアメリカでは著者にも読者にも課金しない公的電子出版基盤が1998年から運用されているSciELO
- 確プランSは2018年9月に発表され、2021年から適用されたcOAlition S の発表文書
- 確米国の2022年8月の科学技術政策局覚書は、連邦資金による論文とデータの禁止期間なしの公開を各機関に指示し、遅くとも2025年末までの実施を求めたOSTP "Ensuring Free, Immediate, and Equitable Access to Federally Funded Research"(2022年8月25日)
- 確米国国立衛生研究所は、2025年7月1日以降に受理された査読済み原稿の即時公開を義務づけたNIH Public Access Policy 改定、NOT-OD-25-101
- 確2026年1月の歳出関連の共同説明文書は、科学技術政策局に対し2022年覚書の「廃止の手続き」の状況を報告するよう求めた(拘束力のない要請)。下院歳出委員会報告は手続きに入っていると承知していると記す。行政側からの公式の告知はなく、2026年8月の時点で覚書は撤回されていない2026年歳出関連の共同説明文書および下院歳出委員会報告
- 確FAIR原則は2016年に提案され、機械による自動処理可能性を要件に含めたWilkinson et al., *Scientific Data* 3(2016年)
- 推FAIRは公開を意味せず、条件つきアクセスのデータもFAIRでありうる原則の文言(アクセス条件が機械可読であることを求める)からの解釈
- 確CARE原則は2019年に示され、集合的利益・権限をもつ管理・責任・倫理の四つを掲げるGlobal Indigenous Data Alliance(2019年)、Carroll et al., *Data Science Journal* 19(2020年)
- 確米国は2024年5月に機能獲得研究等の統一的監督方針を公表し2025年5月6日施行の予定だったが、2025年5月5日の大統領令14292号がこれを撤回し、120日以内の代替方針策定を命じたOSTP 方針文書(2024年5月)、Executive Order 14292(2025年5月5日)
- 確大統領令14292号が命じた代替方針は期限を超過したのち2026年7月に公表された。病原体の一覧に基づく管理から、危険と評価される機能獲得研究そのものを連邦資金の対象外とする禁止型の枠組みへ設計が変わっているUSG Policy for Stopping High-Risk Life Sciences Research(2026年7月)、NIH Guide Notice NOT-OD-26-101
- 確名古屋議定書は2010年に採択され2014年に発効した生物多様性条約事務局
- 確塩基配列情報に関する多国間の利益配分の仕組みと基金は2024年11月の第16回締約国会議で採択され、2025年2月に発足したCBD 決定 16/2、基金の設立発表(2025年2月25日)
- 確2007年7月に始まった銀河分類の市民科学計画は、初年度に約15万人が5000万件の分類を行ったGalaxy Zoo の公表記録、Lintott et al.(2008年)
- 確同計画の参加者により、正体不明の発光天体および新たな類型の小型銀河が見出されたGalaxy Zoo に由来する天文学文献
- 確鳥類観察の記録計画は2002年に開始され、累計10億件に達するまで19年、次の10億件は4年で、2025年に20億件を超えたeBird の公表記録(2021年、2025年)
- 確10年以上構造が決まらなかったレトロウイルスのプロテアーゼが、折りたたみゲームの参加者が作成したモデルを起点に決定されたKhatib et al., *Nature Structural & Molecular Biology* 18(2011年)
- 推チェックリスト形式と観察努力の記録は、市民科学データの空間的・時間的偏りを補正するための設計であるeBird の記録様式と、そのデータを用いた個体数推定研究の手法からの解釈
- 確米国の研究博士号授与数は2023年に5万7862件、2024年に5万8131件だったNSF/NCSES, Survey of Earned Doctorates
- 確国内で就職先が確定し、ポスドク以外の職に就く博士号取得者のうち、学術界の比率は2023年が34%(7672人)、2024年が40%(8098人)、産業界の比率は2023年が47%(1万495人)、2024年が40%(8266人)だった。母集団は当該年の非ポスドク就職確定者である同調査
- 確同じ母集団における学術界の比率は2003年に54%であり、以後長期に低下した同調査の経年集計
- 確日本の国立大学で40歳未満の本務教員に占める任期付き雇用の割合は、2007年度の約39%から2017年度の約64%へ上昇した内閣府総合科学技術・イノベーション会議提出資料(文部科学省「学校教員統計調査」等に基づく)
- 確別の調査が研究大学の39歳以下の教員について測った任期付き比率は、2013年度60.0%、2019年度60.5%である。母集団も調査主体も右と異なるNISTEP『研究大学における教員の雇用状況に関する調査』(2020年)
- 推任期付き雇用の増加が、短期に成果の出る主題への偏りを生むという経路雇用統計と、評価窓の短さに関する既存研究からの推論であり、因果の直接の検証はない
- 推市民科学の共著者化は、誰を研究者と数えるかを仕事への関わり方の記述で扱う可能性を開いたが、採用・昇進の実務では学位と所属が第一の条件でありつづけている共著者化の事例と、採用公募の要件からの解釈
- 確research software engineer という呼称は2012年に英国の会合で作られ、2013年に協会、2019年に学会が設立されたSoftware Sustainability Institute および Society of Research Software Engineering の沿革
- 確日本では2011年度から大学へのリサーチ・アドミニストレーター配置が政策として進められた文部科学省のURA関連事業
- 確1955年から2000年までの約1990万本の論文の分析は、ほぼ全分野で単著から共著への移行を示したWuchty, Jones & Uzzi, *Science* 316(2007年)
- 確2015年のヒッグス粒子質量の共同測定論文は著者5154名で、全33頁のうち24頁が著者名と所属の一覧である*Physical Review Letters* 114, 191803(2015年)
- 確CRediTは14の役割からなる語彙で、2014年に作られ2022年に米国国内標準として正式化されたANSI/NISO Z39.104-2022
- 推役割記述は自己申告であり、外部からの検証手段を持たない標準の規定範囲からの解釈
- 推数学・哲学・歴史学では単著論文が、人文学では単著書が業績評価の中心でありつづけている分野別の共著率を扱う計量書誌学の各種集計と、人文系の任用基準文書からの解釈。分野の区切り方により値が動く
- 確16か国の研究者を対象とした2012年の調査は、研究者に占める外国生まれの割合が、最も高い国で半数を超え、最も低い国で1%前後にとどまることを示したFranzoni, Scellato & Stephan, *Nature Biotechnology* 30(2012年)。値は2012年時点のものである
- 確大規模な計量分析は、女性が第一著者・最終著者になる割合が低く、女性が筆頭の論文の被引用が相対的に低いことを示したLarivière et al., *Nature* 504(2013年)
- 確生産性の男女差は1950年代の1割程度から2000年代の3割超へ拡大したが、在籍年数をそろえると年あたりの論文数と影響力に大きな差は生じず、差の主因は離脱率と在籍期間にあったHuang et al., *PNAS* 117(2020年)
- 確注目すべき機械学習モデルのうち産業界由来のものは2023年の約6割から2024年の約9割へ増えたが、高被引用の研究の最大の供給源はなお大学であるStanford HAI, AI Index Report(2025年版)。2026年版は2025年に発表された注目すべきモデルの9割超が産業界由来であるとする
- 確系統的レビューとメタ分析は数十年で桁違いに増え、同一主題に20件を超える重複が生じる例があるIoannidis, *The Milbank Quarterly* 94(2016年)
- 争論文と特許の「置き換え型」の割合が数十年にわたり低下しているという主張Park, Leahey & Funk, *Nature* 613(2023年)が4500万本の論文と390万件の特許で報告。引用実務や特許制度の変化を補正すると傾向が消えるか反転するとの再分析があり、指標の定義自体も批判されている
- 確ハワイでの大気中二酸化炭素の連続観測は1958年に始まったマウナロア観測所の記録
- 確英国の農事試験場の圃場実験は1840年代に始まり現在も継続しているロザムステッドの長期試験(1843年以降)
- 確心臓病の地域住民追跡研究は1948年に始まり、三世代にわたって継続されているフラミンガム心臓研究
- 確2000年から2019年に174のオープンアクセス誌がウェブから消失し、2019年に主要目録に収載された1万4068誌のうち長期保存の手当てがあるのは約三分の一だったLaakso, Matthias & Jahn, *JASIST* 72(2021年)
- 確68か国・7万1922人を対象とする事前登録調査は、多くの国で科学者への信頼が中程度から高い水準にあり、社会や政策への関与を望む意見が多数だと報告したCologna et al., *Nature Human Behaviour*(2025年)
- 争右の調査による国家間の比較可能性測定の等価性(各国の回答者が同じ構成概念を答えているか)を疑う再分析が2026年に公表されており、国内比較には堪えるが国別の順位づけには堪えないとする立場と、比較可能とする原著側の立場が並立する
- 推「理解している」の意味に、どこまでを自分で確かめ、どこから先を他人の確認に預けているかを言えるという成分が加わった産出量と個人の可読量の乖離、および分業の実態からの解釈であり、定義の変更が完了したことを示す証拠はない
- 確米国で科学者が公共の利益のために行動していると少なくともある程度思うと答えた割合は、2020年4月の87%から2023年の73%へ低下し、その後76から77%へ戻ったPew Research Center の各年調査(2020年、2023年、2024年、2026年)
- 推分野の境界は問いの構造よりも資金・雑誌・学科・評価の単位に従って引かれる分野再編の事例(新設学科と専門誌の創刊が先行し、分類の改訂が後続する順序)からの解釈
メタ ── 限界を見る
学問は木ではない(学科不是一棵树 / It Is Not a Tree)
デカルトは学問を一本の樹に喩えた。
四百年、私たちはその比喩を使ってきた。しかし、いま数えてみると、それは木ではない。
証拠は四つある。事実
哲学 ―― PhilPapers は6,155のカテゴリーを持つが、下位カテゴリーは複数の親を持ちうる。 医学・生命科学 ―― MeSH は16の最上位カテゴリーと最大13階層を持つが、ひとつの記述子が複数のツリーに出現しうる。 計算機科学 ―― ACM は自らの分類システムを poly-hierarchical ontology(多重階層オントロジー)と明記している。 そして原典自身 ―― 本ページが扱う1,181の学問ノードのうち、34のノードが複数の親を持っていた。生物統計学は公衆衛生学と統計学の子であり、計算言語学は計算科学と言語学の子である。推論
人文学、生命科学、工学という性格の異なる三つの領域で、独立に発達した最大規模の分類が、いずれも木構造を放棄している。
学問は、木ではない。
木であり、有向非巡回グラフであり、ネットワークであり、フィードバックループであり、そして成長し続けるものである。
原典は最後に四本の式を残した。ここではそれを、そのまま置く。
論理 → 形式 → 物質 → 生命 → 心 → 社会 → 文化
哲学 ↔ すべての領域
科学 → 工学 → 技術 → 社会 → 新しい科学的問い
存在 → 意味 → 価値 → 究極の根拠
一本目は、複雑性の方向。 二本目は、メタの方向。 三本目は、フィードバックの方向。 四本目は、自然科学の射程を越える方向。
四本を重ねると、こうなる。
動的・多階層・多中心・循環型の知識ネットワーク
そしてもうひとつ。
どの分類を選んでも、分類のあとに残る問いは同じだった。
何が存在するのか。それはどのような構造を持つのか。どのように変化するのか。私たちはそれをどう知るのか。どう操作できるのか。それにはどのような意味があるのか。そして――私たちはどうすべきなのか。
分類は道具である。目的が変われば分類も変わる。2026年、ユネスコがまさにそれを書き換えている。
だが問いは、アリストテレスの時代から変わっていない。
あなたの専門は、この地図のどこにあるだろうか。 そして、あなたがまだ触れたことのない分野は、あなたの分野と何本の線で繋がっているだろうか。
データと出典
- 多重親34件の全リスト:総覧(S13)で「複数の親を持つ学問」を絞り込むと確かめられる
- ポリ階層の外部証拠:PhilPapers(philpapers.org/help/categorization.html)/MeSH(nlm.nih.gov/mesh/intro_trees.html)/ACM CCS(acm.org/publications/class-2012)、すべて確認日 2026-08-17
- 四本の式:原典 §229(原典では数式記法が破損していたため、本ページで再構成した)
- 七つの問い:原典 §215〜§221
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