Chapter 1-2

科学かがく

[ 原げん書しょ 第だい1部いちぶ 第だい2章にしょう 科学かがく ]

語ご数すう 16 / 節せつ 9 / 1節いっせつ 約やく10〜15分ぶん

原げん書しょの導入どうにゅう

科学かがくとは何なにか

現代げんだいと科学かがく

入試にゅうしでは、「科学かがく」に関かんする文章ぶんしょうがしばしば出題しゅつだいされる。その理由りゆうは、多おおくの受験じゅけん生せいが「科学かがくとは何なにか」を知しらないからだ。

こう言いうと、「現代げんだい社会しゃかいが科学かがくの成果せいかによって成なり立たっていることも、科学技術かがくぎじゅつが環境かんきょう破壊はかいや戦争せんそう兵器へいきを生うみ出だしたことも、クローンや臓器ぞうき移植いしょくなどで科学技術かがくぎじゅつが新あらたな倫理的りんりてきな問題もんだいを引ひき起おこしたことも知しっている」と思おもう人ひとがいるかもしれない。

しかし、入試にゅうしの「科学かがく論ろん」では、もっと本質的ほんしつてきなことが問とわれる。つまり、「そもそも科学かがくとはいったい何なになのか」ということだ。これがわからないと、なぜ科学かがくとその応用おうようとしての科学技術かがくぎじゅつが現在げんざいのように発展はってんし、そして多おおくの問題もんだいを引ひき起おこしたのかが理解りかいできない。そのため、「科学かがくとは何なにか」が出題しゅつだいされるのである。

近代きんだい科学かがくの特徴とくちょう

それでは「科学かがくとは何なにか」について学まなんでいこう。科学かがくの最大さいだいの特徴とくちょうは、「機械論きかいろん」という考かんがえ方かただ。機械論きかいろんとは、「自然しぜんも生物せいぶつも、すべて物質ぶっしつからできた機械きかいである。すべての物体ぶったいは機械きかいだから、一ひとつ一ひとつの部品ぶひんから成なり立たっている。分解ぶんかいして細こまかく調しらべれば、対象たいしょうを完全かんぜんに理解りかいできるはずだ」というものである。

現在げんざいのような科学かがくを、古代こだいや中世ちゅうせいの科学かがくと区別くべつして「近代きんだい科学かがく」と言いう。近代きんだい以前いぜんの人々ひとびとは、物体ぶったいに魂たましいがあると考かんがえたり、神かみの力ちからによって世界せかいが成なり立たっていると考かんがえたりしていた。科学かがくが今いまのような客観的きゃっかんてきな学問がくもんとして発達はったつしたのは、近代きんだいに入はいり、宗教しゅうきょうの力ちからが弱じゃくまるにつれて、次第しだいに機械論きかいろん的てきな見方みかたが強きょうまっていったためだ。

近代きんだい科学かがくの研究けんきゅう方法ほうほう

近代きんだい以降いこうの科学かがくの驚おどろくべき発展はってんは、その研究けんきゅうの方法ほうほうに理由りゆうがある。第一だいいちに、「実際じっさいに証明しょうめいや検証けんしょうができることだけを研究けんきゅうする」という態度たいど〈=実証じっしょう主義しゅぎ〉が挙あげられる。したがって、証明しょうめいや検証けんしょう・実験じっけんができない領域りょういきの事柄ことがらは、研究けんきゅうの対象外たいしょうがいとされた。

第だい二にに、実験じっけんの結果けっかから原因げんいんを考かんがえ、その因果いんが関係かんけいを法則ほうそくとして導みちびくという方法ほうほうを取とる。その法則ほうそく化かには数学すうがくが使つかわれ、実験じっけん結果けっかを数値すうちデータとして処理しょりする。それによって、客観的きゃっかんてきで正確せいかくな科学的かがくてき知識ちしきが得とくられる。

第だい三さんに近代きんだい科学かがくは、物事ものごとをそれ以上いじょう分わけられない要素ようそにまで細こまかく分わけて(還元かんげんして)分析ぶんせきし、それらを再構成さいこうせいして対象たいしょうを理解りかいする。これを要素ようそ(還元かんげん)主義しゅぎと言いう。部分ぶぶん部分ぶぶんを理解りかいすれば全体ぜんたいを理解りかいできるというこの考かんがえ方かたは、現代げんだいでは限界げんかいも指摘してきされているものの、近代きんだい科学かがくを強力きょうりょくに推すいし進すすめた原理げんりの一ひとつである。

科学かがくの制度せいど化か

十九じゅうきゅう世紀せいきに入はいり、科学技術かがくぎじゅつの発達はったつが産業さんぎょうの発展はってんに不可欠ふかけつなものとなると、科学かがくの基礎きそ研究けんきゅうや科学技術かがくぎじゅつ開発かいはつが国家こっかや企業きぎょうの支援しえんで行おこなわれるようになっていった。すなわち、科学技術かがくぎじゅつに関かんする研究けんきゅう・開発かいはつが個人的こじんてきな知的ちてき探求たんきゅうを目的もくてきとしたものではなく、企業きぎょうや国家こっかによって制度せいど化かされ、大規模だいきぼかつ組織的そしきてきに行おこなわれるようになったのだ。その結果けっか、科学かがくや科学技術かがくぎじゅつが社会しゃかいに及およぼす影響えいきょうはきわめて大おおきくなり、一いち面めんでは科学かがくや科学技術かがくぎじゅつは人々ひとびとの生活せいかつを便利べんりで豊ゆたかにしたが、反面はんめんでは地球ちきゅう的てき規模きぼの環境かんきょう破壊はかいや世界的せかいてきな大戦たいせん争そうを引ひき起おこすようになっていった。

問とい直なおされる近代きんだい科学かがく

二十にじゅう世紀せいき以降いこう、近代きんだい科学かがくは多おおくの批判ひはんにさらされ、そのあり方かたが問とい直なおされている。たとえば、「科学かがくは時代じだいが進すすめば進すすむほど、新あらたな真理しんりを発見はっけんして進歩しんぽする」という従来じゅうらいの科学かがく観かんがくつがえされ、「科学かがくもまた時代じだいや社会しゃかいの知的ちてき状況じょうきょう、科学者かがくしゃたちの物ものの見方みかたなどに拘束こうそくされる」という考かんがえ方かたが出でてきた。これに従じゅうえば、近代きんだい科学かがくは真理しんり追究ついきゅうの一本いっぽん道みちを歩あゆんできたわけではなく、ある特定とくていの「考かんがえ方かたの枠組わくぐみ」の中なかで発展はってんしてきたものであることがわかる。

また、近代きんだい科学かがくの特徴とくちょうである「機械論きかいろん的てき自然しぜん観かん」や「要素ようそ主義しゅぎ」は自然しぜんを操作そうさ・支配しはいの対象たいしょうとしてとらえるため、結果けっかとして自然しぜん破壊はかいにつながってしまった。その反省はんせいもあり、自然しぜん環境かんきょうや生態系せいたいけいを有機ゆうき的てき・全体ぜんたい的てきにとらえようとするエコロジーの思想しそうも強きょうまってきている。今後こんごは、高度こうどな科学技術かがくぎじゅつを自然しぜん環境かんきょうや生態系せいたいけいを保護ほごするために用もちいていくような、人間にんげんと自然しぜんとの共生きょうせいのあり方かたが求もとめられていると言いえよう。

今いままで見みてきたように、科学かがくも万能ばんのうではない。科学かがくとはどのようなものかを理解りかいした上うえで、科学かがくと人間にんげんのよりよい関係かんけいについて考かんがえることが必要ひつようだ。

Macro — 科学かがく論ろんの地図ちず

一本いっぽんの流ながれが、正せいと負ふを生うんだ

科学論の全体地図近代科学の四つの特徴が技術への応用と制度化を経て、正の遺産と負の遺産に分かれる流れを示した図。 近代科学の特徴 機械論的自然観 実証主義 因果関係の法則化 要素還元主義 コントロール可能な自然 自然の数値化・法則化 技術への応用 科学技術の制度化 正の遺産 食糧増産 医療の発展 生活水準の向上 負の遺産 環境問題 大量殺戮兵器開発 生命倫理問題 同じ一本の流れが、正と負の両方を生んだ
近代きんだい科学かがくの特徴とくちょう → 技術ぎじゅつへの応用おうよう → 制度せいど化か → 二ふたつの遺産いさん

この章しょうの語ごは、ばらばらの用語集ようごしゅうではない。機械論きかいろん・実証じっしょう主義しゅぎ・因果いんがの法則ほうそく化か・要素ようそ還元かんげん主義しゅぎという四よっつの特徴とくちょうが、自然しぜんを操作そうさ可能かのうなものに変かえ、技術ぎじゅつへ応用おうようされ、国家こっかと企業きぎょうによって制度せいど化かされた。食糧しょくりょう増ぞう産さんも環境かんきょう破壊はかいも、同おなじ一本いっぽんの流ながれから出でている。個々ここの語ごは、この流ながれのどこかに位置いちしている。

近代以前の科学と近代科学近代以前は神が創造した魂ある自然として分解不可能、近代科学では自然は部品からできた物体として分解可能とする対比図。 近代以前の科学 あらゆる物に魂があり、分解不可能 神 神の創造 自然(魂) 近代科学 自然は部品からできている 自然(物体) 分解 ABC DEF 分解できない 法則を見出す発想がない 分解できる 操作・支配の対象になる 宗教の力が弱まるにつれて機械論的な見方が強まった
近代きんだい以前いぜんの科学かがくと、近代きんだい科学かがく

転換点てんかんてんは「分わけられるかどうか」にある。近代きんだい以前いぜん、自然しぜんは魂たましいを持もち神かみが創つくったものだったから、分解ぶんかいして調しらべるという発想はっそうが成なり立たたなかった。宗教しゅうきょうの力ちからが弱じゃくまり、自然しぜんが部品ぶひんの集あつまりとみなされた瞬間しゅんかんに、自然しぜんは操作そうさの対象たいしょうになった。

Index — 16 sections

節せつ

  1. 01テクノロジー
  2. 02機械論きかいろん
  3. 03要素ようそ論ろん
  4. 04複雑系ふくざつけい
  5. 05仮説かせつ/検証けんしょう
  6. 06科学かがく主義しゅぎ
  7. 07パラダイム
  8. 08科学かがくの中立ちゅうりつ性せい/科学かがくの制度せいど化か/因果いんが/実証じっしょう
  9. 09帰納きのう/演繹えんえき/有機ゆうき/無機むき
Section 01

テクノロジー

41★★★

テクノロジー

テクノロジー[3]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい

語源ごげんはギリシア語ごのテクネー。テクニック(技法ぎほう)と同どう語源ごげんである。

定義ていぎ

技術ぎじゅつ。中なかでも科学技術かがくぎじゅつのこと。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑41
原げん書しょの解説かいせつ

テクノロジーの語源ごげんはギリシア語ごの「テクネー」だが、その意味いみは〈よく生いき得えるための術じゅつ〉で、道具どうぐを用もちいた技術ぎじゅつだけではなく、詩しや絵画かいがなどの芸術げいじゅつ的てき要素ようそも含ふくんでいた。必かならずしも技術ぎじゅつ=科学技術かがくぎじゅつではなかったのである。

ところが、近代きんだいに入はいり、国家こっかが先導せんどうする軍事ぐんじ産業さんぎょうなどの発達はったつの影響えいきょうを受うけて、技術ぎじゅつは急速きゅうそくに科学かがくと結むすびつくようになった。そして、今日きょうの巨大きょだいな科学技術かがくぎじゅつの誕生たんじょうは人々ひとびとの暮くらしを豊ゆたかにする反面はんめん、ブラックボックス(=仕組しくみのわからないもの)化かして、原発げんぱつ事故じこで見みられたような恐怖きょうふと不安ふあんを人々ひとびとにもたらすようにもなった。

コラム

原子げんし・分子ぶんしレベルの物質ぶっしつを扱あつかうナノテクノロジーや遺伝子いでんし操作そうさを含ふくむバイオテクノロジー(生命せいめい工学こうがく)など、科学技術かがくぎじゅつの発達はったつはめざましい。しかし、科学かがくや科学技術かがくぎじゅつ自体じたいには、〈こうすべきだ〉や〈こうしてはならない〉といった倫理的りんりてきな判断はんだんや方向ほうこう性せいは含ふくまれていない。これを、〈科学かがくや科学技術かがくぎじゅつの価値かち中立ちゅうりつ性せい〉と言いう。

使用しようの境界きょうかい

科学かがくと結むすびついた技術ぎじゅつを指さす。個人こじんの身体しんたいに宿やどる「技ぎ」は含ふくまない。複製ふくせいできるかどうかが線せんになる。

用法ようほう

評ひょう論文ろんぶんでは「科学技術かがくぎじゅつ」とほぼ同義どうぎで使つかわれ、多おおくは近代きんだい批判ひはんの文脈ぶんみゃくに置おかれる。中心ちゅうしんにあるのはブラックボックス化かという論点ろんてんで、使つかう側がわが仕組しくみを理解りかいできないまま依存いぞんする状態じょうたいを指さす。原発げんぱつ・遺伝子いでんし操作そうさ・AIがその例れいとして挙あがる。もう一ひとつの論点ろんてんが〈複製ふくせい可能性かのうせい〉で、ダ・ヴィンチの絵えや名な選手せんしゅの技わざは複製ふくせいできないが、機械きかい技術ぎじゅつは複製ふくせいできる。この差さが「技ぎ」と「テクノロジー」を分わける。

用例ようれい
  • 西洋せいようの開かい化か(すなわち一般いっぱんの開かい化か)は内発的ないはつてきであって、日本にほんの現代げんだいの開かい化かは外発がいはつ的てきである。……涙なみだを呑のんで上うえ滑すべりに滑すべって行いかなければならない。夏目なつめ漱石そうせき『現代げんだい日本にほんの開かい化か』(1911・和歌山わかやまでの講演こうえん)
    内ないから生はえてきた開かい化かと、外そとから接つぎ木きされた開かい化かは違ちがう、と漱石そうせきは言いう。ここで語かたられているのはテクノロジーの受うけ取とり方ほうの問題もんだいである。西洋せいようでは、蒸気じょうき機関きかんも電でん信しんも、それを生うんだ問といや失敗しっぱいの積つみ重かさねと一緒いっしょに育そだってきた。日本にほんはできあがった装置そうちだけを買かった。仕組しくみを知しらないまま結果けっかだけを使つかう — これは原げん書しょのいうブラックボックス化かの、いちばん早はやい形かたちである。「上うえ滑すべり」という言葉ことばが正確せいかくなのは、滑すべっている当人とうにんに地面じめんの手てざわりが伝つたわっていないからだ。百年ひゃくねん後ごに原発げんぱつや AI について言いわれていることの骨格こっかくが、すでにこの一文いちぶんにある。
  • 工こう、其その事ことを善よくせんと欲よくすれば、必かならず先さきづ其その器うつわを利きくす。『論語ろんご』衛霊公えいれいこう篇へん
    職人しょくにんがよい仕事しごとをしようと思おもえば、まず道具どうぐを研けんぐ、という。道具どうぐが仕事しごとの質しつを決きめるという認識にんしきは古ふるい。では何なにが近代きんだいで変かわったのか。研けんぐ主体しゅたいが消きえたことである。この一句いっくの道具どうぐは、その職人しょくにんの手てのなかで、その職人しょくにんによって研けんがれる。だから道具どうぐと技ぎは分ぶんかちがたい。一方いっぽうテクノロジーは、誰だれが使つかっても同おなじ働はたらきをするように作つくられている。それが複製ふくせい可能かのうということであり、同時どうじに、使つかう者ものが中身なかみを知しらなくてよくなるということでもある。「技ぎ」と「テクノロジー」を分わける線せんは、ここ — 人ひとから切きり離はなせるかどうか — に引ひかれる。
  • 巨大きょだいなテクノロジーは、恩恵おんけいと同時どうじにブラックボックス化かをもたらした。 評ひょう論文ろんぶんにおける中心ちゅうしん的てきな論点ろんてんである。批判ひはんされているのは技術ぎじゅつの性せい能のうではなく、使つかう側がわと仕組しくみの距離きょりだ。性せい能のうが上あがるほど中身なかみは複雑ふくざつになり、複雑ふくざつになるほど理解りかいできる人ひとは減へる。依存いぞんだけが増ふえて理解りかいが減へるというこの非対称ひたいしょうに、原発げんぱつ事故じこの恐怖きょうふの根ねがある。
  • ×名人めいじんの包丁ほうちょうさばきは日本にほんが誇ほこるテクノロジーだ。 個人こじんの身体しんたいに宿やどるものは「技ぎ」「技法ぎほう」である。テクノロジーは複製ふくせいできる体系たいけいを指さす。ダ・ヴィンチの絵えも名な選手せんしゅの動うごきも複製ふくせいできないが、機械きかい技術ぎじゅつは同おなじものをいくつでも作つくれる。「同おなじものをもう一ひとつ作つくれるか」を問とえば二に語ごは分わかれる。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 123

コロケーション
  • 科学技術かがくぎじゅつ結合けつごうした名な「科学かがく」と「技術ぎじゅつ」はもともと別べつのものだった。科学かがくは知しること、技術ぎじゅつは作つくることである。近代きんだいに入はいり、国家こっかが先導せんどうする軍事ぐんじ産業さんぎょうを通つうじて両者りょうしゃが一ひとつの語ごに溶とけた。したがってこの四よん文字もじは、結合けつごうが完了かんりょうしたという歴史れきしそのものを名なとして持もっている。評ひょう論文ろんぶんがこの語ごを使つかうとき、その結合けつごうをどこで問とい直なおすかが論点ろんてんになる。
  • ブラックボックス距離きょりの名な入力にゅうりょくと出力しゅつりょくだけが見みえ、中身なかみが見みえない箱はこのこと。注意ちゅういしたいのは、これが技術ぎじゅつの欠陥けっかんではないという点てんだ。中なかを見みなくても使つかえることこそ、技術ぎじゅつの完成度かんせいどが高たかい証しょうでもある。批判ひはんが向むかうのは箱はこそのものではなく、箱はこに囲かこまれて暮くらしながら箱はこを開あける力ちからを失うしなっていく状態じょうたいのほうである。
  • 技術ぎじゅつ決定論けっていろん因果いんがの向むき技術ぎじゅつが社会しゃかいのあり方かたを決きめるとする立場たちば。逆ぎゃくに、社会しゃかいの要請ようせいが技術ぎじゅつを選えらぶという見方みかたもある。評ひょう論文ろんぶんでこの語ごが出でたら、筆者ひっしゃはたいていその一方いっぽう通行つうこうを疑うたがっている。印刷いんさつ術じゅつが宗教しゅうきょう改革かいかくを起おこしたのか、宗教しゅうきょう改革かいかくを求もとめる力ちからが印刷いんさつ術じゅつを選えらんだのか — この形かたちの問といが立たてられる。
  • テクネー失うしなわれた広こうさギリシア語ごの原げん義ぎは〈よく生いき得えるための術じゅつ〉で、道具どうぐの技術ぎじゅつだけでなく詩しや絵画かいがも含ふくんでいた。現在げんざいのテクノロジーは、その広ひろがりを削そぎ落おとして科学かがくと結むすびついた部分ぶぶんだけを残のこした形かたちである。語源ごげんを確たしかめることに意味いみがあるのは、削そぎ落おとされたものが何なにだったかが分わかるからで、近代きんだい批判ひはんの文章ぶんしょうはしばしばここから始はじまる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 技術ぎじゅつわざ全般ぜんぱん日本語にほんごの「技術ぎじゅつ」は身体しんたいの技わざも含ふくむ。「職人しょくにんの技術ぎじゅつ」は複製ふくせいできない。テクノロジーは複製ふくせい可能かのうな体系たいけいを指さすことが多おおい。
  • テクネーギリシア語ごの原げん義ぎ〈よく生いき得えるための術じゅつ〉。道具どうぐの技術ぎじゅつだけでなく詩しや絵画かいがも含ふくんだ。現在げんざいの技術ぎじゅつより広ひろい。
  • 工学こうがく技術ぎじゅつを体系化たいけいかした学問がくもん学問がくもん分野ぶんやの名な。テクノロジーは実践じっせんと産物さんぶつを含ふくむ。
  • 技法ぎほう作品さくひんをつくる手てつき芸術げいじゅつ・工芸こうげいの語ご。個人こじんに属ぞくし、伝授でんじゅはできても複製ふくせいはできない。

ENtechnology
ZH技术(技術, jìshù)

テクネーから技とテクノロジーへギリシア語テクネーが個人の身体に宿る技と、複製可能な近代的機械技術に分かれた経緯を示した図。 テクネー よく生き得るための術 技 個人の身体から離れない 身体の訓練と不可分 複製できない テクノロジー 科学と結びついた技術 身体から切り離される 複製できる ダ・ヴィンチの名画/達人の技 機械/原発/遺伝子操作 分かれ目は、複製できるかどうかにある
テクネーから、技ぎとテクノロジーへ
入試にゅうし文ぶん

テクネーという言葉ことばは近代きんだい語ごのテクニック(技法ぎほう)やテクノロジー(技術ぎじゅつ)の語源ごげんになっている。そういう観点かんてんから言いえば、太古たいこの石器せっきから現代げんだいの科学技術かがくぎじゅつに至いたるまで、すべての道具どうぐ・機械きかい類るいはテクネーの産物さんぶつだと言いうこともできる。しかし近代きんだい以前いぜんの伝統的でんとうてき技術ぎじゅつは、現代げんだいのテクノロジーと違ちがって、個人こじんの身体しんたいから離はなれない「技ぎ」である。レオナルド・ダ・ヴィンチの名画めいがは二に度どと現げんわれないし、天才てんさい的てき俳優はいゆうの名演技めいえんぎは二に度どと見みられない。スポーツの名な選手せんしゅや武術ぶじゅつの達人たつじんの技わざにしても同おなじことである。人間にんげんは老おいと死しを運命うんめいづけられた存在そんざいである以上いじょう、身体しんたいの訓練くんれんと結むすびついて生うまれる「技ぎ」は本来ほんらい個人的こじんてきな手て作つくりのものであって、機械的きかいてきに複製ふくせいすることはできない。つまり、同おなじテクネーの産物さんぶつであっても、近代的きんだいてき機械的きかいてき技術ぎじゅつと身体しんたい技法ぎほうとは根本的こんぽんてきに性質せいしつが違ちがっており、後者こうしゃは個々人ここじんの精神せいしん的てき努力どりょくと不可分ふかぶんなのである。

出典しゅってん 湯ゆ浅あさ泰雄やすお『哲学てつがくの誕生たんじょう 男性だんせい性せいと女性じょせい性せいの心理学しんりがく』 / 出題しゅつだい 関西大学かんさいだいがく・商しょう学部がくぶ・政策創造学部せいさくそうぞうがくぶ・経済学部けいざいがくぶなど

読解どっかいのポイント
  • テクネー(テクニックやテクノロジーの語源ごげん)
  • 近代きんだい以前いぜん=個人こじんの身体しんたいから離はなれない「技ぎ」
  • - 身体しんたいの訓練くんれんと結むすびついて生うまれる
  • - 個々人ここじんの精神せいしん的てき努力どりょくと不可分ふかぶん
  • 近代的きんだいてき機械的きかいてき技術ぎじゅつ=複製ふくせい可能かのう
要約ようやく

近代きんだい以前いぜんの伝統的でんとうてき技術ぎじゅつは、複製ふくせいが可能かのうな近代的きんだいてき機械的きかいてき技術ぎじゅつと異ことなり、個人こじんの身体しんたいから離はなれない「技ぎ」であり、個々人ここじんの精神せいしん的てき努力どりょくと不可分ふかぶんなものだ。

語ご法ほうの観察かんさつ

テクネーという語ごが、複製ふくせいできない「技ぎ」と複製ふくせいできる技術ぎじゅつに分わかれた経緯けいいが示しめされる。「しかし」以降いこうが主張しゅちょう。

本文ほんぶん中ちゅうのキーワード

41テクノロジー / 123個人こじん

Section 02

機械論きかいろん

42★★★

機械論きかいろん

きかいろん[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
機械きかいからくり・しかけ+論ろん説とき方ほう・立場たちば
定義ていぎ

物事ものごとを、精密せいみつに組くみ立たてられた機械きかいのようにみなす考かんがえ方かた。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑42
原げん書しょの解説かいせつ

機械きかいは部品ぶひんと部品ぶひんとの組くみ合あわせでできている。機械きかいがどのように動うごくかは、それぞれの部品ぶひんを調しらべて、それを再ふたたび組くみ合あわせれば理解りかいできる。このように、ある現象げんしょうを機械きかいであるかのようにみなし、原因げんいんと結果けっかからなる法則ほうそくで説明せつめいしようとする考かんがえ方かたを機械論きかいろんと言いう。

機械論きかいろんを自然しぜんの理解りかいに応用おうようし、自然しぜん現象げんしょうを原因げんいんと結果けっかの因果いんが関係かんけいで説明せつめいできると考かんがえるのが機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんである。こうした自然しぜん観かんは、自然しぜんを操作そうさ・支配しはいする態度たいどにつながっていた。それに対たいして近代きんだい以前いぜんの自然しぜん観かんは、自然しぜんを一ひとつの生命体せいめいたいだと考かんがえたり、自然しぜんの中なかに神かみの意思いしを読よみ取とったりしていたため、近代きんだい科学かがくのように、自然しぜんの中なかに法則ほうそくを発見はっけんしたり数学的すうがくてきな処理しょりをするという発想はっそうがなかった。

ちなみに、イギリスの哲学者てつがくしゃ・政治せいじ思想家しそうかのホッブズ(一いち五ご八はち八はち〜一いち六ろく七なな九きゅう年ねん)は、はじめて国家こっかを機械きかいとしてみなし、個人こじんを国家こっかの最小単位さいしょうたんいの部品ぶひんだと考かんがえた。そして、その個人こじんが自分じぶんの利益りえきだけを考かんがえると人々ひとびとは殺ころし合あってしまうため、国家こっかが必要ひつようだと説といた。

使用しようの境界きょうかい

物事ものごとを部品ぶひんの組くみ合あわせとみなし、原因げんいんと結果けっかの法則ほうそくで説明せつめいする立場たちば。単たんに「機械きかいのようだ」という比喩ひゆではない。

用法ようほう

評ひょう論文ろんぶんでは単独たんどくより「機械論きかいろん的てき自然しぜん観かん」という結むすびつきで現あらわれる。要点ようてんは、自然しぜんを〈分解ぶんかいできる部品ぶひんの集あつまり〉と見みた結果けっか、自然しぜんが操作そうさ・支配しはいの対象たいしょうになったという因果いんがである。近代きんだい批判ひはんの文章ぶんしょうはほぼこの流ながれをたどる。近代きんだい以前いぜんの自然しぜん観かん(自然しぜんは生命体せいめいたい、自然しぜんに神かみの意思いしが宿やどる)との対比たいひで出でるので、必かならず対たいの側がわを探さがす。ホッブズが国家こっかを機械きかい、個人こじんを部品ぶひんとみなした例れいが挙あげられることも多おおい。

用例ようれい
  • 宇宙うちゅうという書物しょもつは、それを読よむすべを学まなばぬかぎり理解りかいできない。この書物しょもつは数学すうがくの言葉ことばで書かかれており、その文字もじは三角形さんかくけい・円えん、その他ほかの幾何学きかがく図ず形けいである。ガリレオ・ガリレイ『偽金にせがね鑑識かんしき官かん』(1623)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんの出発点しゅっぱつてんにある一節いっせつである。自然しぜんを「読よめるもの」として扱あつかったことが決定的けっていてきだった。読よめるということは、そこに書かき手ての気きまぐれではなく規則きそくがあるということだ。そして規則きそくが数学すうがくの言葉ことばで書かかれているなら、数式すうしきに置おき換かえて処理しょりできる。ここから、自然しぜんのなかに法則ほうそくを発見はっけんし、それを操作そうさへつなげる道みちが開ひらいた。注目ちゅうもくしたいのは、この一文いちぶんが自然しぜんを神かみの作品さくひんとして讃たたえながら、同時どうじに神かみを計算けいさんの外そとへ押おし出だしていることである。書物しょもつが読よめてしまえば、書かき手てに問とい合あわせる必要ひつようはなくなる。
  • 人ひとの身みは父母ふぼを本ほんとし、天地てんちを初はつとす。天地てんち父母ふぼのめぐみをうけて生せいれ、又また養やしなはれたるわが身みなれば、わが私わたしの物ものにあらず。貝原かいばら益軒えきけん『養生ようじょう訓くん』巻かん第一だいいち(1713)
    こちらは近代きんだい以前いぜんの自然しぜん観かんである。身体しんたいは天地てんちから続つづいてきたひと続つづきのものであって、部品ぶひんの組くみ合あわせではない。だから「わが私わたしの物ものにあらず」— 自分じぶんの身体しんたいですら、自分じぶんの所有物しょゆうぶつとして切きり出だせない。ガリレイの一文いちぶんと並ならべると差さがはっきりする。機械論きかいろんは世界せかいを「分わけられるもの」と見みた。この自然しぜん観かんは世界せかいを「分わけられないもの」と見みている。分わけられないなら、部品ぶひんとして取とり替かえることも、数式すうしきに置おき換かえて操作そうさすることもできない。近代きんだい科学かがくが可能かのうになるためには、まずこの見方みかたが退たいかなければならなかった。
  • 機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんは、自然しぜんを操作そうさし支配しはいする態度たいどと一続ひとつづきのものである。 評ひょう論文ろんぶんでもっとも多おおい型かたで、認識にんしきの変化へんかが態度たいどの変化へんかを生うんだという因果いんがを述のべている。部品ぶひんの集あつまりだと見みなければ、取とり替かえようとは思おもわない。「そう見みた」ことと「そう扱あつかった」ことのあいだに飛躍ひやくが無ない点てんがこの議論ぎろんの要かなめで、近代きんだい批判ひはんはほぼこの一本いっぽんの線せんをたどる。
  • ×彼かれの受うけ答こたえは機械論きかいろん的てきで、心こころがこもっていない。 ここは「機械的きかいてき」である。機械論きかいろんは世界せかいの説明せつめいのしかたを指さす立場たちばの名なで、態度たいどや様子ようすの形容けいようには使つかえない。「論ろん」が付ついているかどうかで、主張しゅちょうなのか比喩ひゆなのかが分わかれる。43 の要素ようそ論ろん、47 の科学かがく主義しゅぎも同おなじ作つくりである。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 43 要素ようそ論ろん

派生はせい形けい
  • 機械論的きかいろんてき[0]実際じっさいの用法ようほうはほぼこの形かたち。「機械的きかいてき」とはまったく違ちがう点てんに注意ちゅういしたい。機械的きかいてきは動作どうさの様子ようす、機械論きかいろん的てきは世界せかいの見方みかたである。一いち字じの差さで層そうが変かわる。
  • 機械論的自然観きかいろんてきしぜんかん長ながい複合ふくごう語ごだが、この形かたちでひとつの術語じゅつごとして扱あつかう。語ごを長ながくして曖昧あいまいさを削けずる作つくりで、「人間にんげん疎そ外がい」「要素ようそ還元かんげん主義しゅぎ」と同おなじ手てつきである。
  • 有機体論ゆうきたいろん対立たいりつする立場たちばの名な。部分ぶぶんの総和そうわでは全体ぜんたいを説明せつめいできないとする。55 の有機ゆうきと直接ちょくせつつながっており、この章しょうは機械論きかいろんから出発しゅっぱつして有機体ゆうきたい論ろんへ戻もどってくる構成こうせいになっている。
コロケーション
  • 機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんほぼ固定こていした形かたち単独たんどくの「機械論きかいろん」より、この形かたちでの出現しゅつげんが圧倒的あっとうてきに多おおい。「自然しぜん観かん」が付つくことで、論理ろんりの話はなしから世界せかいの見みえ方かたの話はなしへ移うつる。評ひょう論文ろんぶんが扱あつかいたいのは前者ぜんしゃではなく後者こうしゃ — 近代きんだい人ひとが自然しぜんをどう眺ながめるようになったかのほうだからである。この四字よじを見みたら、対たいの「近代きんだい以前いぜんの自然しぜん観かん」がどこかにあると思おもって探さがすとよい。
  • 目的論もくてきろんと機械論きかいろん説明せつめいの型かたの対たい目的論もくてきろんは「何なにのために」で説明せつめいし、機械論きかいろんは「何なんによって」で説明せつめいする。石いしが落おちるのは本来ほんらいの場所ばしょへ帰かえろうとするから、が目的論もくてきろん。重力じゅうりょくが働はたらくから、が機械論きかいろんである。近代きんだい科学かがくは「何なにのために」を問といから外はずした — そしてその問といが行ゆき場ばを失うしなったことが、のちに意味いみの喪失そうしつとして論ろんじられるようになる。
  • 国家こっかを機械きかいとみなすホッブズの比喩ひゆ個人こじんを最小単位さいしょうたんいの部品ぶひんとして国家こっかを組くみ立たてる発想はっそうで、機械論きかいろんが自然しぜんを超こえて社会しゃかいへ及およんだ例れいである。重要じゅうようなのは、この比喩ひゆが単たんなる言いい換かえではないことだ。部品ぶひんと見みなせば、設計せっけいもできるし、取とり替かえもできる。社会しゃかい契約けいやくという考かんがえ方かたが成なり立たつのは、この見方みかたに立たってはじめてである。
  • 生気論せいきろん退しりぞけられた対立たいりつ項こう生命せいめいには物質ぶっしつでは説明せつめいできない固有こゆうの力ちからがある、とする立場たちば。機械論きかいろんに敗はいれた側がわとして科学史かがくしに置おかれる。ただし評ひょう論文ろんぶんがこの語ごを出だすときは、勝敗しょうはいの確認かくにんではなく「何なにが説明せつめいされないまま残のこったか」を問とい直なおすためであることが多おおい。44 の複雑系ふくざつけいは、その残のこりを別べつの道みちから拾ひろおうとする試こころみにあたる。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 要素ようそ論ろん部分ぶぶんに分わけて全体ぜんたいを理解りかいする機械論きかいろんの方法ほうほう面めん。機械論きかいろんが〈世界観せかいかん〉、要素ようそ論ろんが〈手続てつづき〉と分わけると整理せいりできる。
  • 生気論せいきろん生命せいめいには固有こゆうの力ちからがあるとする機械論きかいろんの対立たいりつ立場たちば。生命せいめいを物質ぶっしつだけでは説明せつめいできないとする。
  • 目的論もくてきろん物事ものごとは目的もくてきに向むかうとする近代きんだい以前いぜんの説明せつめい様式ようしき。機械論きかいろんは目的もくてきを認みとめず、原因げんいんだけで説明せつめいする。
  • 有機体ゆうきたい論ろん全体ぜんたいが部分ぶぶんを規定きていする部分ぶぶんの総和そうわでは全体ぜんたいを説明せつめいできないとする立場たちば。機械論きかいろんの逆ぎゃく。

ENmechanism
ZH机械论(機械論, jīxièlùn)

二つの自然観自然を一つの生命体とみる近代以前の自然観と、部品の組み合わせとみる機械論的自然観の対比図。 近代以前の自然観 自然は一つの生命体 分けられない。神の意思が宿る。 機械論的自然観 自然は部品の組み合わせ 分けられる。因果の法則で説明する。 分けられるとみなした瞬間、自然は操作の対象になった
二ふたつの自然しぜん観かん ── 分わけられるか
入試にゅうし文ぶん

私わたしたち近ちか・現代人げんだいじんは、近代きんだい科学かがくの分析ぶんせき的てきな知ち、機械論きかいろん的てきな自然しぜん観かんにもとづく知ちによって、事物じぶつや自然しぜんをひたすら対象たいしょう化かし、事物じぶつや自然しぜんの法則ほうそくを知しってそれを支配しはいし、それに働はたらきかけようとしてきた。そうすることによって、人間にんげんの支配しはい圏けんと自由じゆうを拡大かくだいしようとしてきた。そしてたしかに、そのような近代きんだい科学かがくの知ちにのっとった技術ぎじゅつ文明ぶんめいは、世界的せかいてきな規模きぼで衣ころも・食しょく・住じゅうにわたって人類じんるいの生活せいかつに大おおきな変革へんかくをもたらしたといえるだろう。
しかも近代きんだい科学かがくの知ちと技術ぎじゅつ文明ぶんめいは、それらのもたらしたものが大おおきかっただけではなく、人間にんげんの営いとなみのなかで、ただ一ひとつ永続えいぞく的てきかつ無限むげんに発展はってんするものと見みなされてきた。したがって現在げんざい未解決みかいけつな問題もんだいも、やがては必かならず科学かがくによって解決かいけつされるものと考かんがえられた。近代きんだい生理学せいりがくや医学いがくはまさにそのような能のう動的どうてきで楽観らっかん的てきな科学的かがくてき知ちの所しょ産さんであり、そこでは痛いたみや苦くるしみをなくし、病やまいを排除はいじょすることができると確信かくしんされた。

出典しゅってん 中村なかむら雄二郎ゆうじろう『術語じゅつご集しゅう』 / 出題しゅつだい 中央ちゅうおう大学だいがく・商しょう学部がくぶ

読解どっかいのポイント
近代科学の知と技術文明
↓
機械論的自然観
↓
事物や自然をひたすら対象化・法則化
↓
支配
↓
永続的かつ無限に発展
→ 未解決の問題も未来には解決
要約ようやく

機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんにもとづく近代きんだい科学かがく・技術ぎじゅつ文明ぶんめいは、人間にんげんの生活せいかつを便利べんりにした。そして社会しゃかいは永続えいぞく的てき、無限むげんに発展はってんするものと見みなされ、すべての問題もんだいが科学かがくによって解決かいけつするものと考かんがえられた。

語ご法ほうの観察かんさつ

「〜てきた」「〜と見みなされてきた」という完了かんりょうの反復はんぷくが、近代きんだいという一ひとつの時代じだいを一括ひとくくりにして対象たいしょう化かしている。

本文ほんぶん中ちゅうのキーワード

42機械論きかいろん的てきな自然しぜん観かん / 9対象たいしょう化か / 74文明ぶんめい

Section 03

要素ようそ論ろん

43★★★

要素論ようそろん

ようそろん[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
要素ようそもとになる一ひとつ一ひとつ+論ろん説とき方ほう・立場たちば
定義ていぎ

要素ようそ=それ以上いじょう簡単かんたんなものに分析ぶんせきできないもの、を調しらべることで全体ぜんたいを理解りかいしようとする考かんがえ方かた。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑43
原げん書しょの解説かいせつ

要素ようそ論ろんは要素ようそ還元かんげん論ろん、要素ようそ主義しゅぎとも言いい、対象たいしょうを最小さいしょうの構成こうせい単位たんいにまで分解ぶんかいし、それらの構成要素こうせいようそのもつ性質せいしつや関係かんけいを明あきらかにすることによって、全体ぜんたいを理解りかいしようとする考かんがえ方かたを指さす。

要素ようそ論ろんは科学かがくの発展はってんを主導しゅどうしてきたが、他方たほうでその限界げんかいも指摘してきされている。それは、要素ようそ論ろんの考かんがえ方かたでは全体ぜんたいを理解りかいできないこともあるからだ。

たとえば、複雑系ふくざつけいという学問がくもん分野ぶんやでは、部分ぶぶんが集あつまって複雑化ふくざつかしたものは新あたらしい性質せいしつを帯おびることが指摘してきされている。このような、「全体ぜんたい」になることで獲得かくとくされる新あたらしい性質せいしつは、各かく要素ようそを足たし合あわせるだけでは理解りかいできないのである。

たとえば

水みずについて調しらべる際さいに、水みず(H₂O)を水素すいそ(H)と酸素さんそ(O)とに分わけ、さらに水素すいそ原子げんしと酸素さんそ原子げんしがどのようなものから成なり立たっているかを調しらべていく方法ほうほうが要素ようそ論ろんである。

使用しようの境界きょうかい

分解ぶんかいして調しらべれば全体ぜんたいが分わかるとする立場たちば。分解ぶんかいすること自体じたいではなく、それで全体ぜんたいが説明せつめいできるという主張しゅちょうが中身なかみ。

用法ようほう

「要素ようそ還元かんげん主義しゅぎ」「要素ようそ主義しゅぎ」とも呼よばれ、評ひょう論文ろんぶんではほぼ批判ひはんの対象たいしょうとして現あらわれる。批判ひはんの型かたは決きまっていて、〈分解ぶんかいすると、全体ぜんたいになって初はじめて生しょうじる性質せいしつが消きえる〉というものである。水みずを水素すいそと酸素さんそに分わけると水みずの性質せいしつは消きえる、という例れいが定番ていばん。この批判ひはんの受うけ皿ざらが複雑系ふくざつけいとエコロジーになる。「〜に還元かんげんできない」という否定ひてい形けいとセットで覚おぼえると、文章ぶんしょう中ちゅうで見みつけやすい。

用例ようれい
  • 検討けんとうしようとする問題もんだいのおのおのを、できるかぎり多おおくの、しかもその問題もんだいをよりよく解とくために必要ひつようなだけの小しょう部分ぶぶんに分割ぶんかつすること。ルネ・デカルト『方法ほうほう序説じょせつ』第だい二に部ぶ・四よっつの規則きそくの第だい二に(1637)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    要素ようそ論ろんの手続てつづきが、そのまま規則きそくとして書かかれている。注目ちゅうもくしたいのは「必要ひつようなだけの」という限定げんていである。デカルトは、細こまかく割わればよいとは言いっていない。解とくために必要ひつような粒度りゅうどまで割われと言いっている。ところがこの限定げんていは、後あとの科学かがくのなかで薄うすれていった。分わけられるならもっと分わけられるはずだ、という力ちからが働はたらくからである。原げん書しょのいう要素ようそ論ろん — 「最小さいしょうの構成こうせい単位たんいまで分解ぶんかいすれば全体ぜんたいが理解りかいできる」という主張しゅちょう — は、この規則きそくから限定げんていを外はずしたときに生うまれる。方法ほうほうが主義しゅぎに変かわる瞬間しゅんかんがここにある。
  • 三十さんじゅうの輻や、一ひとつの轂こしきを共ともにす。其その無むに当あたりて、車くるまの用よう有ゆうり。埏埴して以もって器うつわを為つくる。其その無むに当あたりて、器うつわの用よう有ゆうり。『老子ろうし』第だい十一じゅういち章しょう
    三十さんじゅう本ほんの輻や(や)が一ひとつの轂こしき(こしき)に集あつまる。しかし車くるまが車くるまとして使つかえるのは、輻やでも轂こしきでもなく、その中心ちゅうしんの「無む」(空所くうしょ)のおかげだ、という。粘土ねんどをこねて器うつわを作つくる。器うつわが器うつわであるのは、粘土ねんどではなく、その内側うちがわの空洞くうどうのおかげである。これは要素ようそ論ろんへの、二千年にせんねん以上いじょう前まえからの反論はんろんになっている。部品ぶひんを一ひとつ残のこらず数かぞえ上あげても、「用よう(はたらき)」は出でてこない。用ようは部品ぶひんどうしの配置はいちから生うまれるのであって、部品ぶひんのどれかに入はいっているのではないからだ。原げん書しょが挙あげる〈全体ぜんたいになってはじめて生しょうじる性質せいしつ〉とは、まさにこの「無む」の位置いちにあるものである。
  • 水みずを水素すいそと酸素さんそに分わけると、要素ようそは残のこるが、水みずの性質せいしつは消きえる。 要素ようそ論ろん批判ひはんの定番ていばんの例れいである。分解ぶんかいが失敗しっぱいしたのではない点てんに注意ちゅういしたい。水素すいそも酸素さんそも、正確せいかくに取とり出だされている。失うしなわれたのは要素ようそではなく要素ようそどうしの関係かんけいのほうだ。この一文いちぶんが効きくのは、分解ぶんかいの精度せいどを上あげても解決かいけつしないことを一撃いちげきで示しめすからである。
  • △患者かんじゃの症状しょうじょうを要素ようそ論ろん的てきに分わけて調しらべた。 分わけて調しらべること自体じたいは「分析ぶんせき」である。要素ようそ論ろんは、そこに「分わければ全体ぜんたいが分わかる」という主張しゅちょうまで含ふくんでいる。主張しゅちょう抜ぬきに手てつきだけを指さすなら「要素ようそに分わけて」「分析ぶんせき的てきに」で足たりる。立場たちばの名なを作業さぎょうの名なとして使つかうと、筆者ひっしゃが批判ひはんしているものとずれる。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 27 還元かんげん/42 機械論きかいろん

派生はせい形けい
  • 要素還元論ようそかんげんろん[0]「論ろん」は立場たちばを指さす。要素ようそ論ろんとほぼ同義どうぎだが、還元かんげんという操作そうさの名なが入はいるぶん手続てつづきが前面ぜんめんに出でる。
  • 要素主義ようそしゅぎ[0]「主義しゅぎ」が付つくと、方法ほうほうが唯一ゆいいつの道みちだという主張しゅちょうになる。同おなじ内容ないようを、論ろんとして言いうか主義しゅぎとして言いうかで批判ひはんのあたり方ほうが変かわる。
  • 要素還元的ようそかんげんてき[0]形容けいようの形かたち。原げん書しょの入試にゅうし文ぶんは「帰納法きのうほう的てき・要素ようそ還元かんげん的てきな方法論ほうほうろん」と二ふたつを並ならべて使つかっている。53 の帰納きのうと組くみで現あらわれるのは偶然ぐうぜんではなく、事実じじつを集あつめて法則ほうそくへ、部分ぶぶんを集あつめて全体ぜんたいへ、という同おなじ向むきの運動うんどうだからである。
  • 全体論ぜんたいろん対立たいりつする立場たちば。ホーリズム。全体ぜんたいは部分ぶぶんの総和そうわを超こえるとする。44 の複雑系ふくざつけい、55 の有機ゆうきと同おなじ側がわに立たつ語ごで、この章しょうはこの三さん語ごで一ひとつの陣じんを張はっている。
コロケーション
  • 要素ようそ還元かんげん主義しゅぎ三さん語ごの合成ごうせい要素ようそ・還元かんげん・主義しゅぎの三みっつが重かさなった長ながい名なである。「要素ようそに分わけて説明せつめいする」という方法ほうほう(要素ようそ還元かんげん)に、「それだけが説明せつめいの道みちだ」という主張しゅちょう(主義しゅぎ)が乗のった形かたち。批判ひはんの的まとは前半ぜんはんではなく後半こうはんにある。分わけて調しらべることを誰だれも否定ひていしていない。語ごの後うしろ半分はんぶんを読よみ落おとすと、評ひょう論文ろんぶんが科学かがくそのものを否定ひていしているように見みえてしまう。
  • 〜に還元かんげんできない否定ひてい形けいの主力しゅりょくこの語ごがもっとも力ちからを持もつのは否定ひてい形けいのときである。「心こころは脳のうに還元かんげんできない」「文化ぶんかは経済けいざいに還元かんげんできない」— いずれも全体ぜんたいにしかない何なにかがあるという主張しゅちょうだ。注意ちゅういしたいのは、この形かたちは「では何なにがあるのか」を言いう義務ぎむを負おうこと。負おわないまま使つかわれた否定ひてい形けいは、ただの拒絶きょぜつにすぎない。
  • 要素ようそ論ろんの限界げんかい受うけ皿ざらの予告よこく評ひょう論文ろんぶんでこの句くが出でたら、直後ちょくごに必かならず受うけ皿ざらが用意よういされている。多おおくは複雑系ふくざつけい、エコロジー、全体ぜんたい論ろんのいずれかである。限界げんかいを言いうだけで代だい案あんを出ださない文章ぶんしょうは入試にゅうしに出でにくい。「限界げんかい」の一語いちごを見みつけたら、その先さきで何なにが提示ていじされるかを探さがすのが読よみの手順てじゅんになる。
  • 分析ぶんせきと総合そうごうデカルトの対たい分わけて調しらべ(分析ぶんせき)、順序じゅんじょ立たてて組くみ直なおす(総合そうごう)。デカルトの四よっつの規則きそくはこの往復おうふくで組くまれている。要素ようそ論ろんが批判ひはんされるのは、往路おうろだけが強つよくなって復路ふくろが弱よわいからである。分わけるのは易やさしく、組くみ直なおすのは難むずかしい。復路ふくろの困難こんなんに名なを与あたえたのが「創発そうはつ」で、44 の複雑系ふくざつけいはそこから出発しゅっぱつする。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 還元かんげんもとに戻もどす・分解ぶんかいする操作そうさの名な。要素ようそ論ろんはその操作そうさを方法ほうほうの中心ちゅうしんに据すえる立場たちばの名な。
  • 機械論きかいろん世界せかいを部品ぶひんの集あつまりと見みる世界観せかいかん。要素ようそ論ろんはその世界観せかいかんが採とる手続てつづき。
  • 分析ぶんせき分わけて調しらべる中立ちゅうりつの作業さぎょう。要素ようそ論ろんは〈分析ぶんせきすれば全体ぜんたいが分わかる〉という前提ぜんていまで含ふくむ。
  • 全体ぜんたい論ろん全体ぜんたいは部分ぶぶんの総和そうわを超こえる要素ようそ論ろんの対立たいりつ立場たちば。ホーリズム。複雑系ふくざつけいはこちらに近ちかい。

ENreductionism
ZH要素论(要素論, yàosùlùn)

要素論とその限界全体を要素に分解して再構成する要素論の手続きと、分解によって失われる創発的性質を示した図。 全体 水 H₂O 分解 H O 再構成 全体を理解 要素論の主張 しかし 全体になって初めて 現れる性質 分解すると消える → 複雑系へ 要素の足し算では、全体を取り戻せないことがある
分解ぶんかいして再構成さいこうせいする ── そして漏もれるもの
入試にゅうし文ぶん

西洋せいよう近代きんだいに発達はったつした自然科学しぜんかがくは、デカルトやベーコンらに代表だいひょうされる無機むき的てきな機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんに基もとづいている。二〇にれい世紀せいきの科学かがく・技術ぎじゅつを振ふり返かえると、この自然しぜん観かんに基もとづく帰納法きのうほう的てき・要素ようそ還元かんげん的てきな方法論ほうほうろんがあまりにも極端きょくたんに押おし進すすめられたきらいがある。それは、自然しぜんを徹底てっていして人間にんげんと対立たいりつする外界がいかいの物質ぶっしつとみなして、客観的きゃっかんてきに観察かんさつし、一定いっていの法則ほうそく性せいを見み出だすとともに、実験じっけんや数式すうしきなどによって理論りろん化かし、その理論りろんを利用りようしてモノをつくっていくという方法論ほうほうろんである。
そこでは同一どういつ条件じょうけんの下もとでは必かならず同一どういつの現象げんしょうが起おきるという再現性さいげんせいのあることが大前提だいぜんていとなった。逆ぎゃくに言いえば、再現性さいげんせいのないものは自然科学しぜんかがくの対象たいしょうから除外じょがいしてしまったのである。
概念がいねんや法則ほうそく性せいを自然しぜんの事実じじつからのみ構築こうちくしようという自然科学しぜんかがくの方法論ほうほうろんは、確たしかに世界せかいの聖書せいしょ的てき解釈かいしゃくからの決別けつべつという意味いみでは画期的かっきてきなことだった。しかし、それによって捕捉ほそくできる自然界しぜんかいが部分的ぶぶんてきとなり、自然しぜんを全体ぜんたいとして理解りかいしようという態度たいどを失うしなわせてしまったことは否定ひていできない。

出典しゅってん 常盤文克ときわふみかつ『「知ちの経営けいえい」を深ふかめる』 / 出題しゅつだい 大阪産業大学おおさかさんぎょうだいがく・経営けいえい学部がくぶ

読解どっかいのポイント
機械論的自然観に基づく帰納法的・要素還元的な方法論
=自然を客観的に観察して得られる法則、理論を利用してモノをつくる
- + 聖書的解釈からの決別
- − 自然を全体として理解する態度の喪失
要約ようやく

機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんに基もとづく科学かがく・技術ぎじゅつは、帰納法きのうほう的てき・要素ようそ還元かんげん的てきな方法論ほうほうろんを極端きょくたんに押おし進すすめたために、自然しぜんを全体ぜんたいとして理解りかいしようとする態度たいどを失うしなわせてしまった。

語ご法ほうの観察かんさつ

「確たしかに〜。しかし〜」の譲歩じょうほ構文こうぶんで、方法論ほうほうろんの功績こうせきを認みとめたうえで限界げんかいを述のべる。譲歩じょうほの後あとに主張しゅちょうが来くる。

本文ほんぶん中ちゅうのキーワード

56無機むき / 42機械論きかいろん的てき自然しぜん観かん / 53帰納法きのうほう的てき / 43要素ようそ / 27還元かんげん的てき / 90客観的きゃっかんてき / 69同一どういつ / 95現象げんしょう / 9対象たいしょう / 22概念がいねん

Section 04

複雑系ふくざつけい

44★★

複雑系ふくざつけい

ふくざつけい[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
複雑ふくざつ入いり組くんでいる+系けいつながりをもつまとまり
定義ていぎ

ある物事ものごとが多おおくの要素ようそからなり、それらの要素ようそが相互そうごに影響えいきょうし合あっていて、個々ここの要素ようそからは全体ぜんたいが明あきらかにならないもの。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑44
原げん書しょの解説かいせつ

従来じゅうらいの要素ようそ論ろんに基もとづく近代きんだい科学かがくが、物事ものごとを要素ようそに分解ぶんかいした上うえで、それぞれの要素ようそがもつ性質せいしつで物事ものごとの本質ほんしつをとらえようとしたのに対たいし、複雑ふくざつなシステムそのものを研究けんきゅうの対象たいしょうにするのが複雑系ふくざつけいの科学かがくである。複雑系ふくざつけいの特徴とくちょうとして、非線形ひせんけい性せい〈=単たんなる足たし算ざんの効果こうかではなく、相そう乗じょう効果こうかを生うみ出だすような性質せいしつ〉や自己じこ組織そしき性せい〈=さまざまな外部がいぶ環境かんきょうに適応てきおうするために、多様たような変化へんかや組織そしきが自律的じりつてきに起おこる性質せいしつ〉といったものがある。

たとえば

海岸線かいがんせんの複雑ふくざつな地形ちけいは、数かず限かぎりない波なみの浸食しんしょく作用さようによって形成けいせいされたもので、その形状けいじょうを単純たんじゅんな方程式ほうていしきで計算けいさんすることはできない。そうした地形ちけいをまるごと理解りかいしようとするのが複雑系ふくざつけいの思考しこう方法ほうほうである。

使用しようの境界きょうかい

多数たすうの要素ようそが相互そうごに影響えいきょうし合あい、個々ここの要素ようそからは全体ぜんたいが読よめない系けい。単たんに複雑ふくざつなだけのものは含ふくまない。

用法ようほう

要素ようそ論ろんへの反はん措定そていとして置おかれる語ごである。評ひょう論文ろんぶんでは「人間にんげんは複雑系ふくざつけいである」という形かたちで、科学かがくの限界げんかいを示しめすために使つかわれることが多おおい。同おなじ薬くすりが同おなじように効きくとは限かぎらない、同おなじ放射線ほうしゃせん量りょうでも発症はっしょうする人ひととしない人ひとがいる、といった例れいがそこに続つづく。「複雑ふくざつ」という日常にちじょう語ごと混同こんどうしないことが要点ようてんで、複雑系ふくざつけいは〈要素ようその相互作用そうごさようによって全体ぜんたいが予測よそくできなくなる〉という構造こうぞうを指さす。単たんに要素ようそが多おおいだけでは複雑系ふくざつけいではない。

用例ようれい
  • 原因げんいんのごく小ちいさな差さが結果けっかに非常ひじょうに大おおきな差さを生うむことがある。初はじめのわずかな誤差ごさが、のちに途方とほうもない誤差ごさをもたらす。そうなれば予測よそくは不可能ふかのうとなり、我々われわれは偶然ぐうぜんの現象げんしょうを目めにすることになる。アンリ・ポアンカレ『科学かがくと方法ほうほう』(1908)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    複雑系ふくざつけいの科学かがくが生うまれる半はん世紀せいき以上いじょう前まえに、その核心かくしんが言いい当あてられている。重要じゅうようなのは「偶然ぐうぜんの現象げんしょうを目めにする」という言いい方かたである。ポアンカレは「偶然ぐうぜんが起おきる」とは言いっていない。因果いんがは一ひとつひとつ厳密げんみつに働はたらいているのだ。それでも初期しょきのわずかな差さが増幅ぞうふくされるため、人ひとの側がわからは偶然ぐうぜんとしか見みえなくなる。ここは 1-1 の 7・8 で見みた構図こうずと正確せいかくに重かさなる — 必然ひつぜんと偶然ぐうぜんの境目さかいめは、世界せかいではなく認識にんしきの側がわにある。複雑系ふくざつけいとは、その境目さかいめを科学かがくの内側うちがわに引ひき込こんだ分野ぶんやだと言いえる。
  • 風かぜが吹ふけば土つちほこりが立たって盲人もうじんが増ふえ、盲人もうじんは三味線しゃみせんを買かい、三味線しゃみせんには猫ねこの皮かわが要いり、猫ねこが減へれば鼠ねずみが増ふえ、鼠ねずみが桶おけをかじるゆえ桶屋おけやが儲もうかる。『世間せけん学者がくしゃ気質きしつ』(1768)に見みえる俗諺ぞくげんの趣意しゅい
    江戸えどの笑わらい話はなしだが、一ひとつひとつの繋つながりはすべて因果いんがになっている。どこにも飛躍ひやくは無ない。それでも「風かぜが吹ふく」から「桶屋おけやが儲もうかる」は予測よそくできない。なぜか。連鎖れんさが長ながくなるほど、各段かくだん階かいのわずかなずれが積つみ重かさなるからである。これが非線形ひせんけい性せいの日常にちじょう語ごによる説明せつめいになっている。足たし算ざんなら、二に倍ばいの風かぜは二に倍ばいの儲もうけを生うむはずだ。ところがこの連鎖れんさはそうならない。複雑系ふくざつけいが「複雑ふくざつなもの」ではなく「相互作用そうごさようによって全体ぜんたいが読よめなくなる系けい」を指さすことが、この笑わらい話はなしからよく分わかる。
  • 人間にんげんは複雑系ふくざつけいであり、同おなじ薬くすりが同おなじように効きくとはかぎらない。 評ひょう論文ろんぶんで科学かがくの限界げんかいを示しめすときの定型ていけいである。科学かがくが間違まちがっていると言いっているのではない。要素ようそに分わけて調しらべる方法ほうほうが、相互作用そうごさようの強つよい対象たいしょうでは効ききにくい、と言いっている。同おなじ放射線ほうしゃせん量りょうでも発症はっしょうする人ひととしない人ひとがいる、といった例れいがここに続つづく。
  • ×手続てつづきが多おおくて複雑系ふくざつけいになっている。 要素ようそが多おおいだけなら「複雑ふくざつ」である。複雑系ふくざつけいは要素ようそどうしが影響えいきょうし合あい、個々ここの要素ようそからは全体ぜんたいが読よめなくなる系けいを指さす。「部分ぶぶんを全部ぜんぶ知しれば全体ぜんたいが分わかるか」を問とえばよい。分わかるなら、それはただ複雑ふくざつなだけである。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 43 要素ようそ論ろん

派生はせい形けい
  • 複雑系科学ふくざつけいかがく[0]分野ぶんやの名な。複雑ふくざつなシステムそのものを研究けんきゅう対象たいしょうにするところが従来じゅうらいの科学かがくと違ちがう。分わけてから調しらべるのではなく、分わけずに調しらべる方法ほうほうを作つくるという転換てんかんである。
  • 複雑ふくざつ[0]日常にちじょう語ご。要素ようそが多おおい、入いり組くんでいるという意味いみしか持もたない。複雑系ふくざつけいとの混同こんどうがこの語ごの最大さいだいの落おとし穴あなで、評ひょう論文ろんぶんでは必かならず「系けい」まで読よむこと。
  • 系けい[1]「システム」の訳語やくごで、互たがいに関係かんけいし合あう要素ようそのまとまりを指さす。この一いち字じが付つくことで、対象たいしょうが個物こぶつではなく関係かんけいの網あみになる。「生態系せいたいけい」「太陽系たいようけい」も同おなじ作つくりである。
コロケーション
  • 非線形ひせんけい性せい足たし算ざんにならない入力にゅうりょくを二に倍ばいにしても出力しゅつりょくが二に倍ばいにならない関係かんけいを指さす。線形せんけいなら、部分ぶぶんを調しらべて足たせば全体ぜんたいになる — つまり要素ようそ論ろんが成なり立たつ。非線形ひせんけいだと成なり立たたない。43 の要素ようそ論ろんと 44 の複雑系ふくざつけいを分わけているのは、思想しそうの違ちがいではなく対象たいしょうがどちらの性質せいしつを持もつかである。ここを押おさえると、両者りょうしゃは敵対てきたいではなく分業ぶんぎょうだと分わかる。
  • 自己じこ組織そしき性せい設計せっけい者しゃのいない秩序ちつじょ外そとから設計せっけいされずに、系けいが自分じぶんで構造こうぞうを作つくり出だす性質せいしつ。1-1 の 5 で見みた秩序ちつじょは、人ひとが言語げんごによって与あたえるものだった。こちらの秩序ちつじょには与あたえる者ものがいない。誰だれも設計せっけいしていないのに整ととのっているという事態じたいを説明せつめいできることが、この概念がいねんの力ちからである。市場しじょう・生態系せいたいけい・脳のうがその例れいとして挙あげられる。
  • 創発そうはつ要素ようそ論ろんの取とりこぼし全体ぜんたいになってはじめて現あらわれ、部分ぶぶんの性質せいしつからは予測よそくできない性質せいしつのこと。水みずの湿しつり気きは水素すいそにも酸素さんそにも無ない。要素ようそ論ろんが捉とらえそこねる当とうのものに名なを与あたえた語ごで、「〜に還元かんげんできない」の否定ひてい形けいが指さしていた中身なかみがこれにあたる。否定ひてい形けいに肯定こうていの名なを与あたえたところに、この語ごの値打ねうちがある。
  • カオス決定論けっていろん的てきなのに読よめない初期値しょきちのごく小ちいさな差さが結果けっかを大おおきく変かえる振ふる舞まい。法則ほうそくは完全かんぜんに決きまっているのに予測よそくできないという一見いっけん矛盾むじゅんした性質せいしつを持もつ。ポアンカレが言いい当あてたのはこれである。日常にちじょう語ごの「混沌こんとん(カオス)」は区別くべつが立たっていない状態じょうたいを指さすので、まったく別物べつものだと切きり分わけておきたい。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 非線形ひせんけい足たし算ざんでは効果こうかが出でない複雑系ふくざつけいの性質せいしつの一ひとつ。入力にゅうりょくを2倍にばいにしても出力しゅつりょくが2倍にばいにならない関係かんけいを指さす。
  • 自己じこ組織そしき性せい自律的じりつてきに秩序ちつじょが生うまれる外そとから設計せっけいされずに構造こうぞうができる性質せいしつ。複雑系ふくざつけいのもう一ひとつの柱はしら。
  • 創発そうはつ全体ぜんたいになって初はじめて現あらわれる性質せいしつ部分ぶぶんの性質せいしつからは予測よそくできない。要素ようそ論ろんが捉とらえそこねる当とうのもの。
  • カオス初期値しょきちのわずかな差さが結果けっかを大おおきく変かえる決定論けっていろん的てきでありながら予測よそくできない振ふる舞まい。複雑系ふくざつけいの一部いちぶをなす。

ENcomplex system
ZH复杂系统(複雑系, fùzá xìtǒng)

複雑系の二つの性質入力に比例しない非線形性と、外部から設計されずに秩序が生まれる自己組織性という複雑系の性質を示した図。 非線形性 線形 実際 入力 出 力 二倍にしても二倍にならない 相乗効果が生まれる 自己組織性 外から設計されずに秩序ができる 環境に適応して自律的に変化する この二つがあるかぎり、分解しても全体は読めない
非線形ひせんけい性せいと自己じこ組織そしき性せい
入試にゅうし文ぶん

経済けいざい論理ろんりや人間にんげんの欲望よくぼうが科学かがくを侵犯しんぱんし始はじめている。そこにおいて、科学かがくは人間にんげんが希き求きゅうするものに応こたえるという目的もくてきが付加ふかされる。現代人げんだいじんが求もとめている健康けんこうや長寿ちょうじゅや新あたらしい能力のうりょく(再生さいせい医療いりょう、人体じんたい改造かいぞう、生殖せいしょく治療ちりょう、デザイナーベビーなど)への渇望かつぼうである。それらは、(時期じき尚早しょうそうであるにもかかわらず)いかにも実現じつげん可能かのうかのように喧伝けんでんされ、生命科学せいめいかがくへの投資とうしが増加ぞうかしている。科学かがくが人間にんげんの役やくに立たつという役割やくわりを過剰かじょうに背負せおわされているのである。
しかし、人間にんげんは複雑系ふくざつけいであり、個々ここの人ひとごとに体質たいしつや体調たいちょうが異ことなっている。他ほかの人ひとに効きいた薬くすりが同おなじように効きくとは限かぎらないし、同おなじ放射線ほうしゃせん量りょうを浴あびても病気びょうきが発症はっしょうする人ひともいれば発症はっしょうしない人ひともいる。誰だれにでも等ひとしく同おなじ反応はんのうが起おこるわけではないのである。人間にんげんを相手あいてにする科学かがくの限界げんかいと言いえるだろうか。

出典しゅってん 池内いけうち了りょう『科学かがくの限界げんかい』 / 出題しゅつだい 中央ちゅうおう大学だいがく・文学ぶんがく部ぶ・法学部ほうがくぶ・経済学部けいざいがくぶなど

読解どっかいのポイント
経済論理や人間の欲望が科学を侵犯
- 科学は人間が希求するものに応えるという目的が付加
- 科学が人間の役に立つ役割を過剰に背負わされる
↔
人間は複雑系=科学には限界がある
要約ようやく

経済けいざい論理ろんりや人間にんげんの欲望よくぼうが科学かがくを侵犯しんぱんし始はじめている。科学かがくは人間にんげんの役やくに立たつという役割やくわりを過剰かじょうに背負せおわされているが、人間にんげんは複雑系ふくざつけいのため、人間にんげんを扱あつかう科学かがくには限界げんかいがある。

語ご法ほうの観察かんさつ

「〜と言いえるだろうか」で結むすぶ。断定だんていを避さけた問といかけだが、直前ちょくぜんまでの記述きじゅつが答こたえを一方いっぽうに寄よせている。

本文ほんぶん中ちゅうのキーワード

44複雑系ふくざつけい

Section 05

仮説かせつ/検証けんしょう

45★★★

仮説かせつ

かせつ[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
仮かりかりに+説せつとく・のべる
定義ていぎ

ある現象げんしょうを説明せつめいするために、仮かりに立たてる説せつ。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑45
使用しようの境界きょうかい

現象げんしょうを説明せつめいするために仮かりに立たてる説せつ。まだ確たしかめられていないことが前提ぜんてい。確たしかめ終おわったら法則ほうそく・理論りろんと呼よぶ。

用法ようほう

「仮説かせつを立たてる」「仮説かせつを検証けんしょうする」という動詞どうしの組くみ合あわせが固定こていしている。評ひょう論文ろんぶんでは、二十にじゅう世紀せいき以降いこうの科学かがく観かんを述のべる箇所かしょで「理論りろんは仮説かせつにすぎない」という形かたちで現あらわれる。ここでの含意がんいは、理論りろんが永遠えいえんの真理しんりではなく、実験じっけんと合あわなければ捨すてられる暫定ざんてい物ぶつだということ。「仮説かせつにすぎない」は日常にちじょうでは相手あいての主張しゅちょうを退しりぞける言いい方かたになるが、科学かがく論ろんの文脈ぶんみゃくでは科学かがくの性格せいかくそのものの記述きじゅつなので、否定ひていの意味いみに読よまないこと。

用例ようれい
  • 重力じゅうりょくのこれらの性質せいしつの原因げんいんを、私わたしはいまだ現象げんしょうから導みちびき出だせていない。そして私わたしは仮説かせつをつくらない。アイザック・ニュートン『プリンキピア』第だい二に版はん・一般いっぱん注ちゅう(1713)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    万有引力ばんゆういんりょくの法則ほうそくを打うち立たてた当人とうにんが、「なぜ引力いんりょくが働はたらくのか」については何なにも言いわないと宣言せんげんしている。ここでニュートンが退しりぞけている「仮説かせつ」は、現象げんしょうから確たしかめようのない思おもいつきのことである。引力いんりょくがどう働はたらくかは計算けいさんできる。なぜ働はたらくかは計算けいさんできない。だから後者こうしゃについては黙だまる、という徹底てっていぶりだ。注意ちゅういしたいのは、この態度たいどが科学かがくから仮説かせつを追放ついほうしたのではないことである。追放ついほうされたのは検証けんしょうにかけられない仮説かせつだけで、検証けんしょうにかけられる仮説かせつはむしろこのあと科学かがくの中心ちゅうしんになっていく。46 の検証けんしょうと対たいで読よむべき一節いっせつである。
  • 枯木こぼくに花はな咲さくを怪かいしむより、生木なまきに花はな咲さくを怪かいしむべし。三浦みうら梅園ばいえん『多賀たが墨すみ卿きょう君きみにこたふる書しょ』(1777)
    枯かれ木きに花はなが咲さけば誰だれでも驚おどろく。だが本当ほんとうに問とうべきは、生いきた木きに花はなが咲さくという「当あたり前まえ」のほうだ、という。仮説かせつはここから生うまれる。説明せつめいを必要ひつようとしていると気きづかれた瞬間しゅんかんに、はじめて現象げんしょうは説明せつめいの対象たいしょうになる。リンゴが落おちるのは当あたり前まえだと思おもっているかぎり、万有引力ばんゆういんりょくの仮説かせつは立たてようがない。1-1 の 14 で見みた自明じめい性せいの問題もんだいが、ここでは科学かがくの出発点しゅっぱつてんとして現あらわれている。仮説かせつを立たてる力ちからとは、当あたり前まえを当あたり前まえでなくする力ちからのことである。
  • 二十にじゅう世紀せいき以降いこうの科学かがく観かんでは、理論りろんは仮説かせつにすぎないとされる。 ここでの「にすぎない」を否定ひていに読よまないこと。日常にちじょうでは相手あいての主張しゅちょうを退しりぞける言いい方かただが、ここでは科学かがくの性格せいかくそのものの記述きじゅつである。理論りろんは永遠えいえんの真理しんりではなく、実験じっけんと合あわなければ捨すてられる暫定ざんてい物ぶつだ、と言いっている。捨すてられる用意よういがあることが、科学かがくが科学かがくである条件じょうけんになったという主張しゅちょうである。
  • △まだ仮説かせつの段階だんかいなので信用しんようできない。 科学かがく論ろんの文脈ぶんみゃくでは、すべての理論りろんが仮説かせつの段階だんかいにある。したがってこの言いい方かたは、何なにも言いっていないに等ひとしい。問とうべきは仮説かせつかどうかではなく、どこまで検証けんしょうを経へてきたかである。「まだ検証けんしょうが十分じゅうぶんでない」なら通とおる。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 46 検証けんしょう

派生はせい形けい
  • 仮説的かせつてき[0]「仮説かせつの」で足たりることが多おおい。あえて使つかうと「確定かくていしていない」という留保りゅうほが前面ぜんめんに出でるため、「仮説かせつ的てきな結論けつろん」は結論けつろんを弱よわめる言いい方かたになる。
  • 作業仮説さぎょうかせつ[4]真偽しんぎより先さきへ進すすめるかどうかで置おく仮説かせつ。「作業さぎょう」の二字にじが、この仮説かせつが目的もくてきではなく道具どうぐであることを示しめしている。
  • 仮定かてい[0]近ちかい語ごだが、検証けんしょうにかけない点てんが違ちがう。「仮かりにこうだとすれば」と置おいて議論ぎろんを進すすめるためのもので、真偽しんぎは問とわない。仮説かせつは確たしかめる、仮定かていは確たしかめない — この一点いってんで分わかれる。
コロケーション
  • 仮説かせつを立たてる固定こていした動詞どうし「作つくる」でも「考かんがえる」でもなく「立たてる」と言いう。立たてるのは、倒たおれうるものに使つかう動詞どうしである。柱はしらを立たて、旗はたを立たて、説せつを立たてる。いずれも支ささえを失うしなえば倒たおれる。この動詞どうしの選択せんたくに、仮説かせつが暫定ざんてい物ぶつであるという性格せいかくが現あらわれている。「真理しんりを立たてる」とは言いわない。
  • 仮説かせつを検証けんしょうする一いち対たいの手続てつづき立たてることと確たしかめることが対たいになっている。立たてただけでは科学かがくにならない。ここが日常にちじょう語ごの「推測すいそく」との決定的けっていてきな違ちがいで、推測すいそくは確たしかめる義務ぎむを負おわないが、仮説かせつは最初さいしょから確たしかめられるために立たてられる。確たしかめようのないものは仮説かせつと呼よばない — ニュートンの一節いっせつはそれを言いっている。
  • 作業さぎょう仮説かせつ道具どうぐとしての仮説かせつ真しんであることを主張しゅちょうせず、研究けんきゅうを進すすめるための足場あしばとして仮かりに置おく仮説かせつ。「とりあえずこう考かんがえて先さきへ進すすむ」という構かまえである。真偽しんぎより使つかい勝手かってで選えらばれる点てんが特徴とくちょうで、この形かたちを知しっておくと、48 のパラダイムが「正ただしさ」ではなく「研究けんきゅうを進すすめられるか」で選えらばれることも理解りかいしやすい。
  • 仮説かせつにすぎない二ふたつの読よみ日常にちじょうでは相手あいての主張しゅちょうを退しりぞける言いい方かた、科学かがく論ろんでは科学かがくの性格せいかくの記述きじゅつ。同おなじ五ご文字もじが正反対せいはんたいの役割やくわりを果はたす。見分みわけ方ほうは単純たんじゅんで、特定とくていの説せつを指さしていれば前者ぜんしゃ、理論りろん一般いっぱんを指さしていれば後者こうしゃである。入試にゅうしでこの句くが傍線ぼうせんを引ひかれたら、まずどちらかを決きめる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 推測すいそくたぶんこうだろうと考かんがえる日常にちじょう語ご。検証けんしょうにかけることを前提ぜんていとしない。仮説かせつは検証けんしょうの手続てつづきとセット。
  • 理論りろん体系化たいけいかされた説明せつめい検証けんしょうを経へて受うけ入いれられた段階だんかい。仮説かせつはその手前てまえ。
  • 前提ぜんてい議論ぎろんの出発点しゅっぱつてんに置おくもの疑うたがわずに置おく。仮説かせつは疑うたがって確たしかめる対象たいしょう。
  • モデル単純化たんじゅんかした写うつし現象げんしょうを扱あつかいやすくした図式ずしき。仮説かせつは真偽しんぎを問とえる主張しゅちょうであるのに対たいし、モデルは道具どうぐ。

ENhypothesis
ZH假说(仮説, jiǎshuō)

46★★★

検証けんしょう

けんしょう[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
検けんしらべる+証しょうあかす
定義ていぎ

実際じっさいに調しらべて証明しょうめいすること。実験じっけんや事実じじつの観察かんさつによって、仮説かせつの真偽しんぎを確たしかめること。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑46
使用しようの境界きょうかい

実験じっけんや観察かんさつによって仮説かせつの真偽しんぎを確たしかめること。確たしかめる手続てつづきを踏ふまないものは検証けんしょうと呼よばない。

用法ようほう

「検証けんしょう」は近年きんねん、行政ぎょうせいやメディアで「事後じごの点検てんけん」の意いでも広ひろく使つかわれる(政策せいさくの検証けんしょう、事故じこの検証けんしょう)。科学かがく論ろんの文脈ぶんみゃくではあくまで〈仮説かせつの真偽しんぎを実験じっけんで確たしかめる手続てつづき〉であり、この二に層そうを読よみ分わける。あわせて反証はんしょうを押おさえておく。検証けんしょうは正ただしいことを示しめし、反証はんしょうは誤あやまりを示しめす。二十にじゅう世紀せいきの科学かがく哲学てつがくは、検証けんしょうできることではなく反証はんしょうできることを科学かがくの条件じょうけんとした点てんで、原げん書しょの記述きじゅつより一歩いっぽ先さきに進すすんでいる。

用例ようれい
  • かの図ずに照てらし合ごうはせ見みしに、一いちとして其その図ずに聊いささかも違いふことなき品々しなじななり。……この日ひ、ふと思おもひつきしは、この実験じっけんのあらん上うえは、この書しょを翻訳ほんやくせば必かならず人ひとの身みの理りも明みんらむべし。杉田すぎた玄白げんぱく『蘭学らんがく事始ことはじめ』(1815・明和めいわ八はち年ねん〈1771〉の腑分ふわけを回想かいそうして)
    玄白げんぱくらは小塚原こづかっぱらで腑分ふわけを見学けんがくし、オランダの解剖かいぼう書しょの図ずと一ひとつひとつ突つき合あわせた。そしてひとつも違ちがわなかった。ここで起おきているのが検証けんしょうである。注目ちゅうもくしたいのは、彼かれらが翻訳ほんやくより先さきに照合しょうごうをしたことだ。書物しょもつが正ただしいかどうかを、書物しょもつの外そとにある事実じじつで確たしかめた。長ながく読よまれてきた漢方かんぽうの書しょと食くい違ちがっていたのは、権威けんいではなく事実じじつの側がわが判定はんていしたからである。1-1 の 10 で見みた「権威けんいに従したがう」構かまえが、この日ひ、事実じじつに従したがう構かまえへ入いれ替かわった。近代きんだい日本にほんの科学かがくは、この照合しょうごうの一日いちにちから始はじまったと言いってよい。
  • 知ちを致いたすは物ものに格かくるに在あり。『大学だいがく』経一けいいち章しょう
    知ちを極きわめるには、物ものにじかに当あたれ、という。「格かくる(いたる)」は、対象たいしょうのところまで自分じぶんが行いくことを意味いみする。座すわって考かんがえるのではなく、出でかけていって確たしかめる。この四字よじ(格かく物ぶつ致知ちち)は、東ひがしアジアにおける検証けんしょうの思想しそうの源みなもとにあたる。ただし朱子学しゅしがくの「格かく物ぶつ」は、事物じぶつの理りを窮きわめるという内面ないめんの作業さぎょうに傾かたむいていった。実験じっけんによって仮説かせつの真偽しんぎを判定はんていするという意味いみでの検証けんしょうは、手続てつづきが定さだまってはじめて成立せいりつする。玄白げんぱくらの照合しょうごうが画期的かっきてきだったのは、正ただしさの判定はんていを個人こじんの洞察どうさつから手続てつづきへ移うつした点てんにある。
  • 事故じこの原因げんいんについて、記録きろくをたどって検証けんしょうが行おこなわれた。 近年きんねんひろく使つかわれる、事後じごの点検てんけんという意味いみでの用法ようほうである。政策せいさくの検証けんしょう、事故じこの検証けんしょう。科学かがく論ろんの文脈ぶんみゃくでの検証けんしょう(仮説かせつの真偽しんぎを実験じっけんで確たしかめる手続てつづき)とは層そうが違ちがうので、評ひょう論文ろんぶんではどちらの意味いみで使つかわれているかを前後ぜんごから決きめる必要ひつようがある。
  • ×この仮説かせつは検証けんしょうできないので科学的かがくてきに正ただしい。 逆ぎゃくである。検証けんしょうも反証はんしょうもできない主張しゅちょうは、科学かがくの枠わくの外そとに置おかれる。二十にじゅう世紀せいきの科学かがく哲学てつがくは、正ただしさを示しめせることではなく誤あやまりを示しめす道みちが開ひらかれていることを科学かがくの条件じょうけんとした。反証はんしょうできないことは強つよみではなく、科学かがくであることの放棄ほうきである。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 反証はんしょう/45 仮説かせつ

派生はせい形けい
  • 検証可能性けんしょうかのうせい[0]科学かがくと科学かがくでないものを分わける基準きじゅんとして二十にじゅう世紀せいきの科学かがく哲学てつがくが立たてた概念がいねん。のちに反証はんしょう可能性かのうせいへ引ひき継つがれる。「可能性かのうせい」が付つくことで、実際じっさいに検証けんしょうされたかどうかではなく、道みちが開ひらかれているかどうかを問とう形かたちになる。
  • 追検証ついけんしょう[0]「追つい」は後あとから追おいかけること。他人たにんが繰くり返かえせることを要求ようきゅうする形かたちで、科学かがくが個人こじんの資質ししつから独立どくりつするための仕掛しかけである。
  • 反証はんしょう[0]対たいになる語ご。誤あやまりであることを示しめす。検証けんしょうが無限むげんの確認かくにんを要ようするのに対たいし、反証はんしょうは一いち例れいで足たりる。この非対称ひたいしょうが、科学かがくの条件じょうけんを検証けんしょうから反証はんしょうへ移うつした。
コロケーション
  • 検証けんしょうと反証はんしょう非対称ひたいしょうな二ふたつ検証けんしょうは正ただしいことを示しめし、反証はんしょうは誤あやまりであることを示しめす。この二ふたつは対等たいとうではない。「白鳥はくちょうはすべて白しろい」を検証けんしょうするには白鳥はくちょうを無限むげんに確たしかめねばならないが、反証はんしょうには黒くろい白鳥はくちょうが一羽いちわいれば足たりる。ポパー以降いこう、科学かがくの要件ようけんが反証はんしょう可能性かのうせいに置おかれたのはこの非対称ひたいしょうゆえで、53 の帰納きのうの問題もんだいと地続じつづきである。
  • 検証けんしょう可能性かのうせい線せんを引ひく基準きじゅん確たしかめる道みちがあるかどうかで、科学かがくと科学かがくでないものを分わける考かんがえ方かた。注意ちゅういしたいのは、これが正ただしさの基準きじゅんではなく、科学かがくであることの基準きじゅんだという点てんだ。確たしかめられない主張しゅちょうが誤あやまりだと言いっているのではない。科学かがくの手続てつづきでは扱あつかえないと言いっている。52 の実証じっしょう主義しゅぎが切きり捨すてたものも、まさにここである。
  • 追つい検証けんしょう他人たにんが繰くり返かえす別べつの研究者けんきゅうしゃが同おなじ手続てつづきを踏ふんで確たしかめること。一人ひとりの観察かんさつは科学かがくにならないという要請ようせいがここに表あらわれている。玄白げんぱくらが腑分ふわけを「見みた」だけなら証言しょうげんだが、同おなじ照合しょうごうを誰だれがやっても同おなじ結果けっかになるなら知識ちしきである。誰だれでも繰くり返かえせることが、事実じじつを権威けんいから独立どくりつさせる。
  • 検証けんしょうを経へる時間じかんの含ふくみ「経へる」は時間じかんをかけて通とおり抜ぬける動詞どうしである。一度いちどで終おわるものではないという含ふくみがここにある。仮説かせつは検証けんしょうを経へるたびに少すこしずつ確たしからしさを増ますが、完全かんぜんに証明しょうめいされることはない。45 で見みた「理論りろんは仮説かせつにすぎない」は、この終おわりのなさを言いい換かえたものである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 実証じっしょう事実じじつにもとづいて証明しょうめいする根拠こんきょを経験けいけん的てき事実じじつに置おくこと。検証けんしょうは仮説かせつを確たしかめる手続てつづきそのもの。
  • 反証はんしょう誤あやまりであることを示しめす検証けんしょうと対たいをなす。ポパー以降いこう、科学かがくの要件ようけんは反証はんしょうできることだとされる。
  • 論証ろんしょう論理ろんりによって示しめす三さん段だん論法ろんぽうのように理屈りくつで導みちびく。検証けんしょうは事実じじつに当あてる。
  • 確認かくにんそのとおりだと確たしかめる日常にちじょう語ご。真偽しんぎを問とう構かまえを含ふくまない。

ENverification
ZH检验(検証, jiǎnyàn)

解説かいせつ ── 仮説かせつ・検証けんしょう

近代きんだいの科学かがくは、まず何なにらかのデータに基もとづいて仮説かせつを立たて、仮説かせつを確たしかめるために、観察かんさつ・計算けいさん・実験じっけんなどによって検証けんしょうする。検証けんしょうされて正ただしければ、仮説かせつは法則ほうそくや理論りろんとして受うけ入いれられるようになるが、実験じっけんや証明しょうめいが失敗しっぱいすると、その仮説かせつは却下きゃっかされ、修正しゅうせいを加くわえられて新あたらしい仮説かせつが立たてられる。客観的きゃっかんてきな法則ほうそくや理論りろんを見みつけ出だそうとするこのような研究けんきゅうの方法ほうほうは、近代きんだい科学かがくによって確立かくりつされ、その後ご、科学かがく以外いがいの学問がくもんにも広ひろく影響えいきょうを与あたえた。

また、「反証はんしょう」という言葉ことばも合あわせて覚おぼえておこう。これは、仮説かせつや法則ほうそくが虚偽きょぎ・誤あやまりであることを証明しょうめいすることを言いう。

対立たいりつの軸じく

仮説かせつ/検証けんしょう の軸じく = 確たしかめる前まえか後あとか

仮説かせつ現象げんしょうを説明せつめいするために仮かりに立たてる説せつ。
確たしかめる前まえか後あとか
検証けんしょう実験じっけんや観察かんさつで仮説かせつの真偽しんぎを確たしかめる手続てつづき。
科学研究のプロセス観察とデータの蓄積から仮説を立て、検証を経て法則化に至る流れと、検証に失敗した場合に仮説へ戻る循環を示した図。 観察 データの蓄積 仮説 仮に立てる説 検証 実験・観察 法則 理論 失敗すれば却下し、修正して立て直す 実証主義 確かめられることだけを研究する。証明・検証・実験ができない領域は対象外に置かれた。 この切り捨てが、のちの批判を招く
科学かがく研究けんきゅうのプロセス ── 検証けんしょうに失敗しっぱいしたら戻もどる
入試にゅうし文ぶん

十九じゅうきゅう世紀せいきには、理論りろんの樹立じゅりつこそ科学かがくの目的もくてきであり、実験じっけんはその検証けんしょうであって、検証けんしょうされた理論りろんは自然しぜんの永遠えいえんの真理しんりであると信しんじられていたが、二十にじゅう世紀せいきには、実験じっけん結果けっかこそが信しんじられるものであって、理論りろんは実験じっけんのための仮説かせつに過すぎず、実験じっけんと合あわない理論りろんは捨すてられるだけでなく、別べつの理論りろんも可能かのうであり、要ようするに理論りろんは近似きんじ的てきなものに過すぎないと考かんがえられるようになった。
ある現象げんしょうをどのように理解りかいするかは「解釈かいしゃく」の問題もんだいなのであって、どのように解釈かいしゃくされようと、実験じっけんにおいて得とくられたインプットとアウトプットとの関係かんけいこそが信しんじられるものであるということになると、科学かがくとは一定いっていの条件じょうけんのもとで、どのように働はたらきかけるとどのように応答おうとうするかという、操作そうさとその効果こうかの間あいだの関係かんけいを見み出だす仕事しごとになる。

出典しゅってん 坂本さかもと賢三けんぞう『先端せんたん技術ぎじゅつのゆくえ』 / 出題しゅつだい 法ほう政せい大学だいがく・経営けいえい学部がくぶ

読解どっかいのポイント
  • 十九じゅうきゅう世紀せいきの科学かがく=実験じっけんによって検証けんしょうされた理論りろんは永遠えいえんの真理しんり
  • 二十にじゅう世紀せいきの科学かがく=理論りろんは実験じっけんのための仮説かせつに過すぎない
要約ようやく

十九じゅうきゅう世紀せいきには、理論りろんの樹立じゅりつが科学かがくの目的もくてきであり、実験じっけんはその検証けんしょうの手段しゅだんに過すぎなかったが、二十にじゅう世紀せいきには、理論りろんは仮説かせつに過すぎず、実験じっけんの操作そうさとその効果こうかの関係かんけいを見み出だすことが科学かがくの仕事しごととなった。

語ご法ほうの観察かんさつ

十九じゅうきゅう世紀せいきと二十にじゅう世紀せいきを対比たいひする構文こうぶんが一文いちぶんの中なかで完結かんけつしている。「〜が、〜」の逆接ぎゃくせつが時代じだいの切きれ目めになっている。

本文ほんぶん中ちゅうのキーワード

46検証けんしょう / 45仮説かせつ / 95現象げんしょう

検証と反証の非対称を示した図「白鳥はすべて白い」という一般命題は、白い白鳥をいくら数えても証明できないが、黒い白鳥が一羽いれば覆る、という非対称を示す。 「白鳥はすべて白い」を確かめる検証VERIFY千羽数えても証明されない次の一羽が反例になりうるから反証FALSIFY一羽で足りる「すべて」は一つの例外で崩れるこの非対称ゆえに、科学の要件は「確かめられること」から「誤りを示せること」へ移った
検証けんしょうは無限むげんに要いり、反証はんしょうは一ひとつで足たりる
Section 06

科学かがく主義しゅぎ

47★★

科学主義かがくしゅぎ

かがくしゅぎ[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
科学かがくたしかめられる知ち+主義しゅぎ立場たちば・考かんがえ方かた
定義ていぎ

科学かがくを万能ばんのうとみなし、科学かがくによって世よの中なかの問題もんだいを解決かいけつできるとする考かんがえ方かた。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑47
原げん書しょの解説かいせつ

科学かがくの力ちからによって、あらゆる自然しぜん現象げんしょうが解明かいめいでき、人類じんるいが直面ちょくめんしている問題もんだいも解決かいけつできると考かんがえるのが科学かがく主義しゅぎ(科学かがく至し上じょう主義しゅぎ、科学かがく万能ばんのう主義しゅぎとも言いう)である。そのため、現在げんざいは未解決みかいけつの問題もんだいがあったとしても、それはやがて科学かがくが発達はったつすれば解決かいけつされるだろうと考かんがえられる。

こうした科学かがく主義しゅぎと対立たいりつする立場たちばとして、反はん科学かがく主義しゅぎというものがある。反はん科学かがく主義しゅぎは、公こう害がい、環境かんきょう破壊はかいやエネルギー問題もんだいの原因げんいんを科学技術かがくぎじゅつに求もとめ、科学かがくそのものの存在そんざいを否定ひていする。

どちらも行いき過すぎた考かんがえ方かたであるが、現在げんざい、危機きき的てき状態じょうたいにある問題もんだいの解決かいけつに対たいして科学技術かがくぎじゅつが一定いっていの貢献こうけんをしていることは確たしかであり、科学かがくを全ぜん否定ひていすることは得とく策さくではない。環境かんきょう問題もんだいにせよ、エネルギー問題もんだいにせよ、現代げんだい社会しゃかいが抱かかえる問題もんだいは、科学技術かがくぎじゅつ以外いがいの複雑ふくざつな要因よういんも絡からまっており、その解決かいけつには科学かがくも含ふくめた多分たぶん野のの知ちの連携れんけいと総合そうごうが必要ひつようだろう。

使用しようの境界きょうかい

科学かがくを万能ばんのうとみなし、あらゆる問題もんだいが科学かがくで解決かいけつできるとする立場たちば。科学かがくを重おもんじることそのものは科学かがく主義しゅぎではない。

用法ようほう

必かならず批判ひはん語ごとして使つかわれる。要点ようてんは、科学かがくを信しんじることではなく、〈科学かがく以外いがいの方法ほうほうは存在そんざいしえない〉と主張しゅちょうする点てんにある。原げん書しょの入試にゅうし文ぶんは、この排他はいた性せいゆえに科学かがく至し上じょう主義しゅぎは宗教しゅうきょうと変かわらないと論ろんじる。ここが読解どっかいの急所きゅうしょで、科学かがくと宗教しゅうきょうを対立たいりつさせる常識じょうしきを反転はんてんさせている。対立たいりつ語ごの「反はん科学かがく主義しゅぎ」も同おなじく行いき過すぎとして退しりぞけられ、評ひょう論文ろんぶんは多おおくの場合ばあいその中間ちゅうかんに着地ちゃくちする。

用例ようれい
  • 人間にんげんの不安ふあんは科学かがくの発展はってんから来くる。進すすんで止とまる事ことを知しらない科学かがくは、かつて我々われわれに止とまる事ことを許ゆるして呉くれた事ことがない。夏目なつめ漱石そうせき『行人こうじん』塵労じんろう(1912)
    一郎いちろうが友人ゆうじんに宛あてた長ながい手紙てがみのなかの一節いっせつである。注目ちゅうもくしたいのは、漱石そうせきが科学かがくの内容ないようを一言ひとことも批判ひはんしていないことだ。間違まちがっているとも、危険きけんだとも言いっていない。言いっているのは「止とまらない」という一点いってんである。これが科学かがく主義しゅぎの急所きゅうしょを正確せいかくに突ついている。科学かがくそのものには、どこで足たりるとするかを決きめる仕組しくみが無ない。未解決みかいけつの問題もんだいがあれば、いずれ科学かがくが解決かいけつすると言いえてしまう。反証はんしょうされようのないこの構かまえこそが、科学かがく主義しゅぎを科学かがくではなく信仰しんこうにしている — 原げん書しょの入試にゅうし文ぶんが「科学かがく至し上じょう主義しゅぎは宗教しゅうきょうと変かわらない」と論ろんじるのは、この意味いみである。
  • 吾われが生せいや涯かぎり有ゆうり、而れども知ちや涯かぎり無なし。涯かぎり有あるを以もって涯かぎり無むきに随ずいふは、殆あやふきのみ。『荘子そうし』養生ようじょう主しゅ篇へん
    人ひとの命いのちには限かぎりがあるのに、知ちには限かぎりがない。限かぎりある身みで限かぎりない知ちを追おうのは危あやうい、という。知ちの無限むげん性せいそのものを危険きけんと見みた一節いっせつである。荘子そうしが言いうのは怠たいけよということではない。追おい切きれないものを追おい切きれると思おもうことが危あやういのだ。科学かがく主義しゅぎは、まさにその「追おい切きれる」という前提ぜんていの上うえに立たつ。あらゆる問題もんだいはいずれ科学かがくで解決かいけつできる、という言いい方かたは、無限むげんの知ちが有限ゆうげんの時間じかんのうちに手てに入はいるかのように語かたっている。43 の要素ようそ論ろんで引ひいた庖丁ほうちょうの話はなしは、この直後ちょくごに置おかれている。荘子そうしは「限かぎりなく分わけること」も「限かぎりなく知しること」も同おなじ危あやうさとして並ならべた。
  • 科学かがく主義しゅぎの問題もんだいは科学かがくを信しんじることではなく、科学かがく以外いがいの方法ほうほうは存在そんざいしえないと主張しゅちょうする点てんにある。 読解どっかいの急所きゅうしょである。批判ひはんされているのは信頼しんらいではなく排他はいた性せいだ。科学かがくを重おもんじることそのものは科学かがく主義しゅぎではない。原げん書しょの入試にゅうし文ぶんはこの排他はいた性せいゆえに科学かがく至し上じょう主義しゅぎは宗教しゅうきょうと変かわらないと論ろんじる。科学かがくと宗教しゅうきょうを対立たいりつさせる常識じょうしきを正面しょうめんから反転はんてんさせているので、設問せつもんはほぼここに来くる。
  • ×統計とうけいデータを重おもんじる彼かれの態度たいどは科学かがく主義しゅぎ的てきだ。 データを重おもんじるのは「実証的じっしょうてき」である。科学かがく主義しゅぎは科学かがくの適用範囲てきようはんいを無限むげんだと主張しゅちょうする立場たちばで、態度たいどの勤勉きんべんさとは関係かんけいがない。「科学かがくで扱あつかえないものがあると認みとめるか」を問とえば判別はんべつできる。認みとめるなら実証的じっしょうてき、認みとめないなら科学かがく主義しゅぎである。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

反はん 反はん科学かがく主義しゅぎ / 関せき 49 科学かがくの中立ちゅうりつ性せい

派生はせい形けい
  • 科学至上主義かがくしじょうしゅぎ[0]科学かがく主義しゅぎとほぼ同義どうぎだが、序列じょれつの含ふくみが加くわわる。「至し上じょう」は他ほかと比くらべたうえでの最上位さいじょういなので、比較ひかくの相手あいてを消けしてはいない。
  • 科学万能主義かがくばんのうしゅぎ[0]「万能ばんのう」は何なんにでも効きくこと。適用範囲てきようはんいの無限むげん性せいを正面しょうめんから名指なざす形かたちで、三みっつの言いい方かたのうちもっとも批判ひはんの色いろが濃こい。
  • 実証主義じっしょうしゅぎ[0]近ちかいがまったく違ちがう立場たちば。実証じっしょう主義しゅぎは「確たしかめられることだけを扱あつかう」という方法ほうほうの限定げんていで、扱あつかえない領域りょういきがあることを認みとめている。科学かがく主義しゅぎは認みとめない。限定げんていするか、拡張かくちょうするかで正反対せいはんたいを向むく。
コロケーション
  • 科学かがく至し上じょう主義しゅぎ順位じゅんいを付つける形かたち「至し上じょう」はこれより上うえは無ないという位置いちを指さす。科学かがくを他ほかのあらゆる知ちの上うえに置おく言いい方かたで、科学かがく主義しゅぎよりも序列じょれつの含ふくみが強つよい。注意ちゅういしたいのは、順位じゅんいを付つけた時点じてんで、比くらべる相手あいてを認みとめてしまっていることだ。1-1 の 25 で見みた絶対ぜったいとは違ちがい、これは相対的そうたいてきな最上位さいじょういにすぎない。その揺ゆらぎが批判ひはんの入口いりぐちになる。
  • 反はん科学かがく主義しゅぎ同おなじ構かまえの裏側うらがわ公こう害がい・環境かんきょう破壊はかい・エネルギー問題もんだいの原因げんいんを科学技術かがくぎじゅつに求もとめ、科学かがくそのものの存在そんざいを否定ひていする立場たちば。原げん書しょはこれも行いき過すぎとして退しりぞける。面白おもしろいのは、この二ふたつが構かまえとしては同おなじ形かたちをしていることだ。一方いっぽうは「科学かがくがすべてを解決かいけつする」、他方たほうは「科学かがくがすべてを壊こわす」。どちらも科学かがくに全部ぜんぶを背負せおわせている点てんで鏡像きょうぞうになっている。
  • 科学かがくと宗教しゅうきょう反転はんてんする対たい常識じょうしきではこの二ふたつは対立たいりつするものとされる。ところが原げん書しょの入試にゅうし文ぶんは、科学かがく至し上じょう主義しゅぎこそ宗教しゅうきょうと同おなじ構かまえを持もつと論ろんじる。疑うたがいを許ゆるさず、未解決みかいけつを「いずれ解決かいけつされる」で処理しょりし、外部がいぶの説明せつめいを認みとめない。信しんじ方ほうの形かたちが同おなじであれば、信しんじる中身なかみが何なにであれ同おなじ働はたらきをする — 1-1 の 20 のイデオロギーとまったく同おなじ論法ろんぽうである。
  • 多た分野ぶんやの知ちの連携れんけい着地ちゃくち点てん評ひょう論文ろんぶんはこの語ごの議論ぎろんを、たいてい科学かがく主義しゅぎと反はん科学かがく主義しゅぎの中間ちゅうかんに着地ちゃくちさせる。環境かんきょう問題もんだいもエネルギー問題もんだいも、科学技術かがくぎじゅつ以外いがいの要因よういんが絡からみ合あっているからだ。44 の複雑系ふくざつけいがここで効きいてくる — 要因よういんが相互作用そうごさようしている対象たいしょうは、一ひとつの分野ぶんやの方法ほうほうだけでは扱あつかえない。章しょうの構成こうせいそのものがこの結論けつろんへ向むけて組くまれている。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 実証じっしょう主義しゅぎ確たしかめられることだけを扱あつかう方法ほうほうの限定げんてい。科学かがく主義しゅぎは科学かがくの適用範囲てきようはんいを無限むげんだと主張しゅちょうする点てんで一歩いっぽ踏ふみ込こむ。
  • 合理主義ごうりしゅぎ理性りせいを判断はんだんの基準きじゅんとするより広ひろい立場たちば。科学かがく主義しゅぎはその一いち形態けいたい。
  • 反はん科学かがく主義しゅぎ科学かがくそのものを否定ひていする科学かがく主義しゅぎの対立たいりつ立場たちば。公こう害がいや環境かんきょう破壊はかいの原因げんいんを科学かがくに求もとめる。
  • 技術ぎじゅつ決定論けっていろん技術ぎじゅつが社会しゃかいを決きめるとする社会しゃかいの側がわの説明せつめい。科学かがく主義しゅぎは認識にんしきの側がわの主張しゅちょう。

ENscientism
ZH科学主义(科学主義, kēxué zhǔyì)

科学主義と反科学主義科学を万能とみなす科学主義と科学そのものを否定する反科学主義を両端に置き、その中間に多分野の知の連携を置いた図。 科学主義 科学は万能である 反科学主義 科学の存在を否定する 科学も含めた多分野の知の連携 評論文の多くはここに着地する 他の方法を認めない 科学の貢献を認めない 排他的である点で、科学至上主義は宗教と同型になる
両りょう極きょくと、その中間ちゅうかん
入試にゅうし文ぶん

「大おおきさ」とか「速はやさ」というものはある観察かんさつ方法ほうほうによるものであって、方法ほうほうを変かえれば、まったくその基準きじゅんも変かわってしまうものなのだ。アインシュタインの相対性そうたいせい原理げんりは、そのことを明確めいかくに関係かんけいづけたものといえるだろう。だから、旧来きゅうらいの方法論ほうほうろん、時間的じかんてき、空間的くうかんてき概念がいねんは、一ひとつの方法ほうほうであって、それ自身じしんをまったく自由じゆうに見みられる立場たちばこそが要求ようきゅうされているのである。一人ひとりより十人じゅうにんのほうが価値かちがあるとする基準きじゅん、十分じゅうぶんより一日いちにちのほうが大切たいせつだとする基準きじゅん、それはある一定いっていの方法論ほうほうろんにもとづく価値かちなのであって、合理主義ごうりしゅぎ、客観きゃっかん主義しゅぎは、まさにそのことを見みずして、その方法ほうほう以外いがいは存在そんざいしえないとするがゆえに、その科学かがく至し上じょう主義しゅぎは宗教しゅうきょうとはまったく変かわらないとせねばならない。

出典しゅってん 藤本ふじもと敏夫としおの文章ぶんしょう / 出題しゅつだい 早稲田大学わせだだいがく・教育学きょういくがく部ぶ

読解どっかいのポイント
科学至上主義
=合理主義、客観主義以外の方法は存在しないとする
↓
宗教と変わらない
要約ようやく

方法ほうほうが変かわれば、価値かち基準きじゅんも変かわるのだから、旧来きゅうらいの方法ほうほうを自由じゆうに見みられる立場たちばが求もとめられている。しかし、科学かがく至し上じょう主義しゅぎは、合理主義ごうりしゅぎや客観きゃっかん主義しゅぎ以外いがいの方法ほうほうは存在そんざいしえないとする点てんで、宗教しゅうきょうとまったく変かわらない。

語ご法ほうの観察かんさつ

「〜とせねばならない」という当為とういで結むすぶ。記述きじゅつから規範きはんへ移うつる箇所かしょが、筆者ひっしゃの主張しゅちょうの位置いちを示しめしている。

本文ほんぶん中ちゅうのキーワード

26相対性そうたいせい / 22概念がいねん / 12合理主義ごうりしゅぎ / 90客観きゃっかん主義しゅぎ / 47科学かがく至し上じょう主義しゅぎ

Section 07

パラダイム

48★★

パラダイム

パラダイム[3]中高なかだか型がた

定義ていぎ

ある時代じだいの科学者かがくしゃたちに共有きょうゆうされている物ものの見方みかたや考かんがえ方かたのこと。転てんじて、一時いちじ代だいに支配しはい的てきな思考しこうの枠組わくぐみ。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑48
原げん書しょの解説かいせつ

科学かがくは連続的れんぞくてき、直線ちょくせん的てきにだんだんと進歩しんぽするものだと考かんがえられていたが、パラダイムという考かんがえ方かたは、科学かがくは進歩しんぽするのではなく、革命かくめいのように非ひ連続的れんぞくてきに変化へんかすることを主張しゅちょうした。これをパラダイムシフト(パラダイム変換へんかん)と言いう。

パラダイムが異いなれば、物ものの見方みかたが根本的こんぽんてきに異ことなる。たとえば、天動説てんどうせつの延長えんちょう上じょうに地動説ちどうせつはない。天動説てんどうせつから地動説ちどうせつに移行いこうされる時とき、革命かくめい的てきなパラダイムシフトが起おきたのである。

コラム

近代きんだい科学かがくでは、観察かんさつデータは「事実じじつ」であり、客観的きゃっかんてきなものだとされた。したがって、観察かんさつデータから導みちびき出だされる理論りろんや法則ほうそくも同様どうように、客観きゃっかん性せいを備そなえていると考かんがえられた。こうした考かんがえに基もとづけば、観察かんさつデータが蓄積ちくせきすればするほど、理論りろんは精緻せいちとなり、科学かがくは進歩しんぽしていくことになる。

しかし新あたらしい科学かがく論ろんでは、このような実証じっしょう主義しゅぎ的てきな見方みかたは見み直なおされている。きっかけとなった議論ぎろんの一ひとつが、科学かがく哲学者てつがくしゃハンソン(一いち九きゅう二に四よん〜一いち九きゅう六ろく七なな年ねん)が唱となえた「観察かんさつの理論りろん負荷ふか性せい」だ。

ハンソンの主張しゅちょうでは、たとえば、同おなじように顕微鏡けんびきょうで細胞さいぼうを観察かんさつしても、子こどもと科学者かがくしゃとでは見方みかたが異ことなる。子こどもには「細胞さいぼう」という概念がいねんがないので、その像ぞうは「単たんなる模様もよう」にしか見みえないが、科学者かがくしゃはそこにさまざまな科学的かがくてき知見ちけんを読よみ込こむことができる。つまり、「観察かんさつする」「見みる」という単純たんじゅんな行為こういも、観察かんさつする人間にんげんがもつ先入観せんにゅうかんや知識ちしき・理論りろんの影響えいきょうを受うける、というのだ。

使用しようの境界きょうかい

ある時代じだいの科学者かがくしゃが共有きょうゆうする見方みかたの枠組わくぐみ。個人こじんの考かんがえではなく、共有きょうゆうされていることが要件ようけん。

用法ようほう

クーンの用語ようごで、評ひょう論文ろんぶんではパラダイムシフトという形かたちが最もっとも多おおい。要点ようてんは、科学かがくが連続的れんぞくてきに進歩しんぽするのではなく非ひ連続れんぞくに転換てんかんするという主張しゅちょうである。天動説てんどうせつから地動説ちどうせつへの移行いこうが定番ていばんの例れいで、地動説ちどうせつは天動説てんどうせつの延長えんちょう上じょうにはない。もう一ひとつの含意がんいが、新しん旧きゅうどちらの支持しじ者しゃも自分じぶんの正ただしさを論理ろんりだけでは相手あいてに示しめせない、という点てん。ここから〈科学かがくも時代じだいや社会しゃかいに拘束こうそくされる〉という近代きんだい科学かがく批判ひはんにつながる。日常にちじょうでは「発想はっそうの大だい転換てんかん」程度ていどの軽かるい意味いみでも使つかわれる。

用例ようれい
  • 井蛙せいあは以もって海うみを語かたるべからざるは、虚きょに拘かかわればなり。夏虫なつむしは以もって氷こおりを語かたるべからざるは、時ときに篤あつればなり。『荘子そうし』秋水しゅうすい篇へん
    井戸いどの蛙かわずに海うみを語かたれないのは、狭せまい場所ばしょに縛しばられているから。夏なつの虫むしに氷こおりを語かたれないのは、その季節きせつしか知しらないから。ここで言いわれているのは、知識ちしきが足たりないのではなく、見みる枠わくそのものが限かぎられているということである。井戸いどの蛙かわずにいくら海うみの話はなしを聞きかせても伝つたわらない。海うみという語ごが、蛙かわずの枠わくのなかでは井戸いどの大おおきい版はんにしか翻訳ほんやくされないからだ。パラダイムが異ことなる者ものどうしが論理ろんりだけでは相手あいてを説得せっとくできないのは、これと同おなじ事情じじょうによる。証拠しょうこを出だしても、その証拠しょうこが相手あいての枠わくのなかで別べつの意味いみに読よまれてしまう。
  • おのれ古典こてんを説とくに、師しの説せつとたがへること多おおく、師しの説せつのわろき事ことあるをば、わきまへいふこともおほかるを、……よき人ひとの説せつならんからに、必かならずなずみ守まもるべきにもあらず。本居もとおり宣長のりなが『玉たま勝間かつま』二にの巻かん「師しの説せつになづまざる事こと」(1795頃ころ)
    師しである賀茂真淵かものまぶちの説せつと違ちがうことを、宣長のりながはしばしば書かいた。それを弁明べんめいした一段いちだんである。注目ちゅうもくしたいのは、宣長のりながが「師しが間違まちがっている」で終おわらせていないことだ。「よき人ひとの説せつならんからに」— よい人ひとの説せつだからといって、それにこだわって守まもる必要ひつようはない、と言いう。説せつの良よし悪あしと、それに従したがうかどうかを切きり離はなしている。ここに枠わくの乗のり換かえがどう起おこるかが見みえる。新しん旧きゅうどちらの支持しじ者しゃも、論理ろんりだけでは相手あいてに正ただしさを示しめせない。だから宣長のりながは論証ろんしょうではなく、従じゅうわなくてよいという構かまえのほうを先さきに立たてた。転換てんかんはしばしば、この順序じゅんじょで起おきる。
  • 天動説てんどうせつから地動説ちどうせつへの移行いこうは、パラダイムシフトの典型てんけいである。 定番ていばんの例れいだが、要点ようてんは「地動説ちどうせつは天動説てんどうせつの延長えんちょう上じょうにない」ことである。天動説てんどうせつを精密せいみつにしていけば地動説ちどうせつになる、のではない。連続的れんぞくてきな進歩しんぽではなく、一挙いっきょの乗のり換かえが起おきた。この非ひ連続れんぞく性せいがクーンの主張しゅちょうの中心ちゅうしんで、科学かがくが積つみ上あげで進すすむという常識じょうしきを否定ひていしている。
  • △彼かれ一人ひとりのパラダイムが変かわった。 パラダイムは専門家せんもんか集団しゅうだんに共有きょうゆうされていることが要件ようけんである。一人ひとりの内側うちがわで起おきた変化へんかは「世界観せかいかんの変化へんか」「考かんがえを改あらためた」にあたる。「共有きょうゆうされているか」を問とえば世界観せかいかん・常識じょうしき・パラダイムは仕分しわけできる — 個人こじんなら世界観せかいかん、社会しゃかい一般いっぱんなら常識じょうしき、学問がくもん共同体きょうどうたいの内側うちがわならパラダイムである。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 95/22 概念がいねん

コロケーション
  • パラダイムシフト非ひ連続れんぞくな乗のり換かえこの語ごの実際じっさいの主役しゅやく。「進歩しんぽ」ではなく「転換てんかん」である点てんが要ようで、前まえの枠わくが改良かいりょうされるのではなく、丸まるごと置おき換かわる。日常にちじょうでは「発想はっそうの大だい転換てんかん」程度ていどの軽かるい意味いみでも使つかわれるが、評ひょう論文ろんぶんでは前まえの枠わくで説明せつめいできていたことが説明せつめいできなくなるほどの断絶だんぜつを指さす。軽かるく読よむと、文章ぶんしょうが主張しゅちょうしている断絶だんぜつの深ふかさを見落みおとす。
  • パラダイムに拘束こうそくされる内側うちがわからは見みえない枠わくのなかにいる者ものに、枠わくは見みえない。井戸いどの蛙かわずが井戸いどを井戸いどとして知しらないのと同おなじである。この語ごが近代きんだい科学かがく批判ひはんにつながるのは、科学者かがくしゃもまた時代じだいと社会しゃかいの枠わくのなかで考かんがえているにすぎないという帰結きけつが出でるからだ。1-1 の 14 の自明じめい性せい、20 のイデオロギーと同おなじ問題もんだい圏けんにあると分わかると、章しょうをまたいで筋すじが通とおる。
  • 通約つうやく不可能ふかのう性せい翻訳ほんやくできない新しん旧きゅうのパラダイムのあいだで、同おなじ語ごが同おなじものを指ささなくなることを言いう。天動説てんどうせつの「惑星わくせい」と地動説ちどうせつの「惑星わくせい」は別べつのものである。だから両者りょうしゃの議論ぎろんは噛かみ合あわない。説得せっとくが起おこるのは論証ろんしょうによってではなく、新あたらしい枠わくのほうが仕事しごとを進すすめやすいと分わかるときだ、というのがクーンの見立みたてである。
  • 支配しはい的てきなパラダイム通常つうじょう科学かがくの時期じき転換てんかんと転換てんかんのあいだには、一ひとつの枠わくが共有きょうゆうされ、そのなかで問題もんだいを解とき続つづける長ながい時期じきがある。この時期じきの研究けんきゅうは枠わくを疑うたがわない。疑うたがわないからこそ精密せいみつになれる。パラダイムは科学かがくを縛しばるだけでなく、科学かがくを可能かのうにもしている — この両面りょうめんを落おとすと、批判ひはんが一方的いっぽうてきになる。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 枠組わくぐみ考かんがえを支ささえる構かまえ日本語にほんごの言いい換かえ。パラダイムは共有きょうゆうされている点てんと、変かわるときに一挙いっきょに変かわる点てんを含ふくむ。
  • 世界観せかいかん世界せかいの捉とらえ方ほう全体ぜんたい個人こじんにも使つかえる。パラダイムは専門家せんもんか集団しゅうだんに共有きょうゆうされるもの。
  • 常識じょうしき当然とうぜんとされている事柄ことがら社会しゃかい一般いっぱん。パラダイムは学問がくもん共同体きょうどうたいの内側うちがわの枠わく。
  • イデオロギー行動こうどうを根底こんていで制限せいげんする信念しんねん政治的せいじてき・集団的しゅうだんてき。パラダイムは認識にんしきの枠わくであり、政治的せいじてき含ふくみを持もたない。

ENparadigm
ZH范式(パラダイム, fànshì)

科学の進歩観とパラダイムシフト科学が連続的に進歩するという従来の見方と、非連続に枠組みが転換するというパラダイム論の対比図。 従来の科学観 ── 連続的な進歩 データが積もるほど真理に近づく パラダイム論 ── 非連続な転換 革命 枠組みが入れ替わり、問いも変わる 帰結 重要だった問題やデータが、まったく無意味に見えてくることがある。 新旧どちらの支持者も、自分の正しさを論理だけでは相手に示せない。 天動説の延長上に地動説はない
連続的れんぞくてきな進歩しんぽか、非ひ連続れんぞくな転換てんかんか
入試にゅうし文ぶん

常識的じょうしきてき科学かがく観かんによると、科学かがく革命かくめいとは、ある一定いっていした観察かんさつや実験じっけんのデータに対たいする解釈かいしゃくが変かわることである。しかしこのような見方みかたでは、科学かがく革命かくめいの性質せいしつを十分じゅうぶんに表ひょうわせない。科学かがく革命かくめいによって一ひとつの分野ぶんやのパラダイムが変かわると、同おなじ現象げんしょうを見みても、それを取とり扱あつかう見方みかた、考かんがえ方かたが変かわり、その現象げんしょうについて取とり上あげる問題もんだいが変かわる。パラダイムが変かわると、今いままで重要じゅうようであった問題もんだいやデータが、まったく無意味むいみなように見みえてくることもある。その問題もんだいを解とくためには、新あたらしい概念がいねん組織そしきや用語ようごや、観察かんさつや実験じっけんの新あたらしい方法ほうほうを使つかうようになる。結局けっきょく、その現象げんしょうを見みる見方みかたが変かわり、その意味いみでパラダイムは一ひとつの自然しぜん観かんを含ふくんでいる。
古ふるいパラダイムを支持しじする人ひとも、新あたらしいパラダイムを支持しじする人ひとも、どちらも自分じぶんのパラダイムの方ほうが正ただしいことを論理的ろんりてきに完全かんぜんな証明しょうめいによって相手あいてに示しめすことはできない。

出典しゅってん 都城秋穂つじょうあきほ『科学かがく革命かくめいとは何なにか』 / 出題しゅつだい 上智大学じょうちだいがく・文学ぶんがく部ぶ

読解どっかいのポイント
パラダイムの変化
↓
同じ現象を見ても、それを取り扱う見方、考え方が変わる
↓
新しい概念組織や用語や、観察や実験の新しい方法を使うようになる
要約ようやく

科学かがく革命かくめいとはパラダイムが変かわることであり、それによってそれまでの現象げんしょうの見方みかた・考かんがえ方かたが大おおきく変かわる。

語ご法ほうの観察かんさつ

「しかしこのような見方みかたでは〜十分じゅうぶんに表ひょうわせない」で常識的じょうしきてき科学かがく観かんを退しりぞけ、そこから自説じせつを立たてる。否定ひていが起点きてんになる型かた。

本文ほんぶん中ちゅうのキーワード

48パラダイム / 95現象げんしょう / 22概念がいねん

Section 08

科学かがくの中立ちゅうりつ性せい/科学かがくの制度せいど化か/因果いんが/実証じっしょう

49★★

科学の中立性かがくのちゅうりつせい

かがくのちゅうりつせい[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
中立ちゅうりつどちらにも属ぞくさない+性せいそのような性質せいしつ
定義ていぎ

科学かがくそのものは善ぜんでも悪あくでもないという考かんがえ方かた。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑49
原げん書しょの解説かいせつ

科学かがくの中立ちゅうりつ性せいとは、科学かがくそれ自体じたいは価値かち的てきに中立ちゅうりつであるということ。たとえば、科学かがくが大規模だいきぼな戦争せんそうに利用りようされたとしても、それは利用りようする人間にんげんの問題もんだいであり、科学かがく自体じたいに罪つみはないという考かんがえ方かたである。

しかし、科学かがくの成果せいかが人類じんるい規模きぼの生活せいかつや生死せいしを左右さゆうする現在げんざい、科学者かがくしゃは研究けんきゅう成果せいかの負ふの影響えいきょうまで考かんがえる倫理りんり観かんが必要ひつようだという意見いけんも多おおい。

使用しようの境界きょうかい

科学かがくそれ自体じたいは善ぜんでも悪あくでもないとする立場たちば。使つかう人間にんげんの責任せきにんだという主張しゅちょうとセットで現あらわれる。

用法ようほう

「科学かがくに罪つみはない、悪わるいのは使つかう人間にんげんだ」という主張しゅちょうの名前なまえである。評ひょう論文ろんぶんではこの主張しゅちょうを紹介しょうかいしたうえで疑うたがうという運はこびがほとんどで、そのまま肯定こうていされることは少すくない。疑うたがいの根拠こんきょは、研究けんきゅうの方向ほうこうそのものが軍事ぐんじや経済けいざいの要請ようせいで決きまっている(=科学かがくの制度せいど化か)という事実じじつである。したがって中立ちゅうりつ性せいと制度せいど化かは必かならず対たいで読よむ。原発げんぱつ・核兵器かくへいき・遺伝子いでんし操作そうさが具体例ぐたいれいとして続つづくことが多おおい。

用例ようれい
  • 聖人せいじん生しょうじて大盗たいとう起おこる。……斗と斛こくを為つくりて之これを量りょうれば、則そくち斗と斛こくと并ならびせて之これを窃ぬすむ。権衡けんこうを為つくりて之これを称しょうれば、則そくち権衡けんこうと并ならびせて之これを窃ぬすむ。『荘子そうし』胠篋篇
    聖人せいじんが現あらわれたからこそ大泥棒おおどろぼうも現あらわれた、という。枡ますを作つくって量りょうれば、泥どろ棒ぼうは枡ますごと盗ぬすむ。秤はかりを作つくって計けいれば、秤はかりごと盗ぬすむ。ここが鋭するどい。盗ぬすまれるのは中身なかみではなく、公正こうせいを保証ほしょうしていた道具どうぐそのものなのだ。「科学かがくに罪つみはない、悪わるいのは使つかう人間にんげんだ」という主張しゅちょうは、科学かがくを枡ますや秤はかりの側がわに置おいている。しかし荘子そうしの見立みたてでは、枡ますが作つくられたこと自体じたいが、枡ますごと奪うばうという盗ぬすみ方ほうを生うんだ。道具どうぐが無なければその盗ぬすみは成なり立たたない。中立ちゅうりつに見みえるものが、新あたらしい力ちからの形かたちをあらかじめ用意よういしてしまう — 中立ちゅうりつ性せいへの疑うたがいは、この構図こうずの上うえに立たてられる。
  • 真しんの文明ぶんめいは山やまを荒あらさず川かわを荒あらさず村むらを破やぶらず人ひとを殺ころさざるべし。田中たなか正造しょうぞうの日記にっき(1912)
    足尾あしお銅山どうざんの鉱毒こうどくと生涯しょうがいをかけて闘たたかった人ひとの言葉ことばである。注目ちゅうもくしたいのは、文明ぶんめいの定義ていぎそのものを書かき換かえている点てんだ。当時とうじの文明ぶんめいとは、鉱山こうざんを掘ほり、製錬せいれん所しょを建だて、産業さんぎょうを興おこすことだった。田中たなか正造しょうぞうはそれを否定ひていしていない。その結果けっかとして山やまと川かわと村むらと人ひとが損そこなわれるなら、それは文明ぶんめいではないと言いっている。つまり技術ぎじゅつの外そとに評価ひょうかの基準きじゅんを置おいたのである。「科学かがくは中立ちゅうりつで、使つかい方かたが問題もんだいだ」という言いい方かたは、評価ひょうかの基準きじゅんを技術ぎじゅつの外そとに置おくところまでは同おなじだ。違ちがうのは、田中たなかが「では誰だれがその外そとの基準きじゅんを守まもるのか」まで引ひき受うけたことである。中立ちゅうりつ性せいの主張しゅちょうは、しばしばそこで止とまる。
  • 科学かがくは中立ちゅうりつだという主張しゅちょうは、研究けんきゅうの方向ほうこうが誰だれの要請ようせいで決きまるかを問とわずに済すませてしまう。 評ひょう論文ろんぶんにおける疑うたがいの立たて方ほうである。何なにを研究けんきゅうするかの選択せんたくが、すでに価値かち判断はんだんであるという指摘してきだ。軍事ぐんじと経済けいざいの要請ようせいが研究費けんきゅうひを配分はいぶんしている以上いじょう、成果せいかだけを中立ちゅうりつと呼よぶことはできない。この反論はんろんの根拠こんきょが 50 の制度せいど化かなので、二に語ごは必かならず対たいで読よむ。
  • ×研究者けんきゅうしゃは中立ちゅうりつ性せいを守まもり、私情しじょうを交こうえず観察かんさつした。 研究者けんきゅうしゃの態度たいどの話はなしなら「価値かち自由じゆう」「客観きゃっかん性せい」である。科学かがくの中立ちゅうりつ性せいは知ちそのものが善ぜんでも悪あくでもないという主張しゅちょうで、倫理的りんりてきな善悪ぜんあくについての性質せいしつを指さす。人ひとの構かまえの話はなしか、知ちの性格せいかくの話はなしかで語ごを選えらび分わけたい。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 47 科学かがく主義しゅぎ

派生はせい形けい
  • 価値中立性かちちゅうりつせい[0]どの面めんについて中立ちゅうりつなのかを特定とくていする形かたち。学術がくじゅつ文ぶんではこちらが選えらばれる。「中立ちゅうりつ性せい」だけでは政治的せいじてき中立ちゅうりつと紛まぎれる。
  • 中立的ちゅうりつてき[0]形容けいようの形かたち。「中立ちゅうりつである」と断定だんていせずにその性質せいしつだけを言いえるため、主張しゅちょうを弱よわめたいときに使つかわれる。「中立的ちゅうりつてきに見みえる」はほぼ疑うたがいの前置まえおきである。
  • 価値自由かちじゆうウェーバーの語ご。研究者けんきゅうしゃが価値かち判断はんだんを持もち込こまないという態度たいどへの要請ようせいである。知ちの性格せいかくについての主張しゅちょうである中立ちゅうりつ性せいとは層そうが違ちがう。人ひとに向むけた要請ようせいか、知ちについての記述きじゅつか — この区別くべつが付つくと、両者りょうしゃを混まぜた議論ぎろんに気きづける。
コロケーション
  • 科学かがくに罪つみはない主張しゅちょうの要約ようやくこの語ごが名指なざしている主張しゅちょうそのものである。評ひょう論文ろんぶんでは紹介しょうかいしたうえで疑うたがうという運はこびがほとんどで、そのまま肯定こうていされることは少すくない。注意ちゅういしたいのは、疑うたがうことが「科学かがくは有罪ゆうざいだ」を意味いみしないことだ。問とわれているのは、罪つみの有無うむを問とえる場所ばしょに科学かがくを置おいてよいのかという一段いちだん手前てまえのことである。
  • 価値かち中立ちゅうりつ性せい学術がくじゅつ語ごの形かたち「価値かち」を冠かんむりすると、どの面めんについて中立ちゅうりつなのかが特定とくていされる。中立ちゅうりつとだけ言いえば政治的せいじてきな中立ちゅうりつとも読よめるが、この形かたちなら善悪ぜんあくの評価ひょうかについての中立ちゅうりつだと分わかる。語ごを長ながくして曖昧あいまいさを削けずる、43 の要素ようそ還元かんげん主義しゅぎと同おなじ手てつきである。
  • 研究者けんきゅうしゃの倫理りんり中立ちゅうりつ性せいの裏返うらがえし科学かがくの成果せいかが人類じんるい規模きぼの生死せいしを左右さゆうする現在げんざい、研究者けんきゅうしゃは負ふの影響えいきょうまで考かんがえる責任せきにんを負おうという主張しゅちょう。これは中立ちゅうりつ性せいを認みとめたうえで責任せきにんだけを人ひとに戻もどす立場たちばと、中立ちゅうりつ性せいそのものを否定ひていする立場たちばの二ふたつに分わかれる。評ひょう論文ろんぶんがどちらを取とっているかは、責任せきにんの所在しょざいを研究者けんきゅうしゃ個人こじんに置おくか制度せいどに置おくかで見分みわけられる。
  • デュアルユース同おなじ知ちの二ふたつの顔かお同一どういつの研究けんきゅうが民みん生せいにも軍事ぐんじにも使つかえる、という問題もんだい。中立ちゅうりつ性せいの主張しゅちょうがもっとも強つよく見みえる場面ばめんであり、同時どうじにもっとも弱よわく見みえる場面ばめんでもある。技術ぎじゅつに善悪ぜんあくが書かき込こまれていないのは確たしかだが、どちらの用途ようとが資金しきんを出だしたかは書かき込こまれている。50 の制度せいど化かがここで効きく。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 価値かち自由じゆう価値かち判断はんだんを持もち込こまないウェーバーの語ご。研究者けんきゅうしゃの態度たいどについての要請ようせい。中立ちゅうりつ性せいは知ちそのものの性格せいかくについての主張しゅちょう。
  • 客観きゃっかん性せい主観しゅかんから独立どくりつしている認識にんしきの性質せいしつ。中立ちゅうりつ性せいは倫理的りんりてきな善悪ぜんあくについての性質せいしつ。別べつの軸じく。
  • 公平こうへいどちらにも偏かたよらない日常にちじょう語ご。人ひとの扱あつかいについて言いう。
  • 無色むしょく透明とうめい色いろがついていない比喩的ひゆてきな言いい換かえ。学術がくじゅつ文ぶんでは使つかわない。

ENvalue-neutrality of science
ZH科学的中立性(科学の中立性, kēxué de zhōnglìxìng)

50★★

科学の制度化かがくのせいどか

かがくのせいどか[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
制度せいど定さだめられたしくみ+化かそうなる
定義ていぎ

科学かがく研究けんきゅうが専門せんもん化かし、大学だいがくや企業きぎょうで組織的そしきてきに研究けんきゅうが行おこなわれるようになること。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑50
原げん書しょの解説かいせつ

科学かがくはもともと個人こじんの興味きょうみに従したがって探究たんきゅうされる営いとなみであった。それが本格的ほんかくてきに制度せいど化かされたのは、十九じゅうきゅう世紀せいき以降いこうにおいてである。科学者かがくしゃが専門職せんもんしょく業ぎょうになり、大学だいがくや企業きぎょうの組織そしきによって科学かがく研究けんきゅうが大規模だいきぼに行おこなわれるようになった。

科学かがくが制度せいど化かされるようになった背景はいけいには、二十にじゅう世紀せいきになって技術革新ぎじゅつかくしんが資本しほん主義しゅぎの存続そんぞくに不可欠ふかけつとなったこと、科学かがく研究けんきゅうが高度こうど化か・複雑化ふくざつかしたため研究けんきゅう設備せつびに多た額がくの費用ひようがかかり、組織的そしきてきな研究けんきゅうが求もとめられるようになったことなどが挙あげられる。

使用しようの境界きょうかい

研究けんきゅうが個人こじんの探究たんきゅうから離はなれ、大学だいがくや企業きぎょうで組織的そしきてきに行おこなわれるようになること。研究者けんきゅうしゃが職業しょくぎょうになった点てんが要点ようてん。

用法ようほう

十九じゅうきゅう世紀せいき以降いこうの変化へんかを指さす歴史的れきしてきな語ごである。含意がんいは二ふたつあり、①研究けんきゅうの高度こうど化かで設備せつびに多た額がくの費用ひようがかかり個人こじんでは担になえなくなった、②国家こっかと企業きぎょうが研究けんきゅうを支ささえるため、研究けんきゅうの方向ほうこうが国家こっかと企業きぎょうの利益りえきに従したがうようになった。②が科学かがくの中立ちゅうりつ性せいへの反論はんろんになる。評ひょう論文ろんぶんでは「科学かがくが社会しゃかいに及およぼす影響えいきょうが巨大きょだいになった」という記述きじゅつに続つづけて、環境かんきょう破壊はかいと大戦たいせん争そうが挙あげられる。制度せいど化かは中立ちゅうりつでいられなくなる過程かていだと読よむと、章しょう全体ぜんたいがつながる。

用例ようれい
  • われらの基金ききんの目的もくてきは、諸しょ原因げんいんの知識ちしきと、事物じぶつの隠かくれた運動うんどうの知識ちしきを得えること、そして人間にんげんの支配しはいの境さかいを押おし広ひろげて、あらゆる可能かのうなことを成なし遂とげることにある。フランシス・ベーコン『ニュー・アトランティス』(1627)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    架空かくうの島しまに置おかれた研究けんきゅう機関きかん「ソロモンの家いえ」の説明せつめいである。書かかれたのは十七じゅうなな世紀せいきだが、近代きんだいの研究所けんきゅうしょの設計図せっけいずがすでにここにある。個人こじんの好奇心こうきしんではなく、基金ききんがあり、目的もくてきが定さだめられ、分業ぶんぎょうで運営うんえいされる組織そしきとして科学かがくが描えがかれている。注目ちゅうもくしたいのは目的もくてきの書かき方かただ。「知識ちしきを得えること」だけでは終おわらず、「人間にんげんの支配しはいの境さかいを押おし広ひろげて」と続つづく。知しることと支配しはいすることが、最初さいしょから一ひとつの目的もくてきとして結むすばれている。制度せいど化かとは、この結むすびつきに予算よさんと組織そしきが付ついた状態じょうたいのことである。十九じゅうきゅう世紀せいきに現実げんじつになるまで、二百年にひゃくねんかかった。
  • 学問がくもんとは、ただむつかしき字じを知しり、解かいし難なんき古文こぶんを読よみ、和歌わかを楽らくしみ、詩しを作つくるなど、世上せじょうに実じつのなき文学ぶんがくを言いうにあらず。……専もっぱら勤つとむべきは人間にんげん普通ふつう日用にちように近ちかき実学じつがくなり。福沢ふくざわ諭吉ゆきち『学問がくもんのすゝめ』初編しょへん(1872)
    学問がくもんを「実じつのあるもの」へ寄よせる宣言せんげんである。和歌わかや漢かん詩しは「実じつのなき文学ぶんがく」として脇わきへ置おかれ、日常にちじょうの役やくに立たつ実学じつがくが中心ちゅうしんに据すえられた。ここで起おきているのは、学問がくもんの値打ねうちを、学問がくもんの外そとにある尺度しゃくどで測はかりはじめるという転換てんかんである。役やくに立たつかどうかは、学問がくもんの内側うちがわからは決きまらない。社会しゃかいが決きめる。したがってこの一節いっせつは、学問がくもんが社会しゃかいの要請ようせいに従したがう道みちを開ひらいてもいる。制度せいど化かの二ふたつの含ふくみ — 費用ひようがかかるから組織そしきが要いる、組織そしきが支ささえるから方向ほうこうが決きまる — の後者こうしゃの芽めが、日本にほんではここにある。
  • 科学かがくの制度せいど化かによって、研究けんきゅうの方向ほうこうは国家こっかと企業きぎょうの利益りえきに従したがうようになった。 49 の中立ちゅうりつ性せいへの反論はんろんがこれである。研究けんきゅう設備せつびに多た額がくの費用ひようがかかるようになり、個人こじんでは担になえなくなった。国家こっかと企業きぎょうが支ささえるようになれば、支ささえる側がわの関心かんしんが何なにを研究けんきゅうするかを決きめる。成果せいかだけを取とり出だして中立ちゅうりつと呼よんでも、その成果せいかが選えらばれた理由りゆうは中立ちゅうりつではない。
  • △学会がっかいの運営うんえいが制度せいど化かして手続てつづきばかりになった。 手続てつづきが目的もくてきになってしまった状態じょうたいは「官僚かんりょう化か」と呼よぶ。制度せいど化かは研究けんきゅうが組織的そしきてきに行おこなわれるようになることで、それ自体じたいは弊害へいがいを意味いみしない。ただし官僚かんりょう化かは制度せいど化かの弊害へいがいとして現あらわれるので、1-1 の 16 自己じこ目的もくてき化かがここで接続せつぞくする。手段しゅだんだった手続てつづきが、それ自体じたいを目的もくてきにしはじめる。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 78

派生はせい形けい
  • 制度化せいどか[0]「化か」が過程かていを指さす。ある営いとなみが社会しゃかいの仕組しくみに組くみ込こまれていく変化へんかで、科学かがくに限かぎらず使つかえる。「福祉ふくしの制度せいど化か」「差別さべつの制度せいど化か」も同おなじ作つくりである。
  • 職業化しょくぎょうか制度せいど化かの一いち側面そくめん。生せい業ぎょうになるということは、やめられなくなるということでもある。好奇心こうきしんで始はじめた探究たんきゅうが、生活せいかつを支ささえる仕事しごとに変かわったとき何なにが起おきるか — この問といが制度せいど化か批判ひはんの一ひとつの核かくになる。
  • 官僚化かんりょうか制度せいど化かの弊害へいがいを名指なざす語ご。手続てつづきが自己じこ目的もくてきになる。1-1 の 16 と直接ちょくせつつながるので、あわせて読よむと制度せいど論ろんの見取みとり図ずが立たつ。
コロケーション
  • 科学者かがくしゃという職業しょくぎょう十九じゅうきゅう世紀せいきの発明はつめい「科学者かがくしゃ(scientist)」という語ごが作つくられたのは十九じゅうきゅう世紀せいきである。それ以前いぜん、科学かがくは職業しょくぎょうではなかった。語ごが無なかったということは、その身分みぶんが社会しゃかいのなかに無なかったということだ。制度せいど化かとは、まず名なを持もつことから始はじまる — 1-1 の 22 で見みた概念化がいねんかが、ここでは社会的しゃかいてきな身分みぶんについて起おきている。
  • 研究費けんきゅうひと研究けんきゅうの方向ほうこう因果いんがの線せん制度せいど化かを批判ひはんする議論ぎろんは、必かならずこの線せんを通とおる。設備せつびが高額こうがくになるほど、資金しきんを出だす側がわの意い向こうが強つよくなる。大型おおがた加速器かそくきも宇宙うちゅう望遠鏡ぼうえんきょうも、個人こじんの好奇心こうきしんでは建たたない。注意ちゅういしたいのは、これが研究者けんきゅうしゃの堕落だらくとして語かたられていないことだ。構造こうぞうの記述きじゅつであり、1-1 の 21 の疎そ外がいと同おなじ形かたちをしている。
  • 産さん学がく連携れんけい制度せいど化かの現在げんざい形けい大学だいがくと企業きぎょうが組くんで研究けんきゅうを進すすめる仕組しくみ。制度せいど化かがさらに一歩いっぽ進すすんだ形かたちとして評ひょう論文ろんぶんに現あらわれる。成果せいかが早はやく社会しゃかいに届とどくという利り点てんと、短期たんきに成果せいかの出でる研究けんきゅうへ資源しげんが偏かたよるという難点なんてんが同時どうじに語かたられる。基礎きそ研究けんきゅうの擁護論ようごろんは、たいていここを起点きてんにしている。
  • 官僚かんりょう化か制度せいど化かの影かげ手続てつづきを整ととのえるうちに、手続てつづきを守まもること自体じたいが目的もくてきになる。制度せいど化かの弊害へいがいを名指なざす語ごである。皮肉ひにくなのは、官僚かんりょう化かを防ふせぐために作つくられる点検てんけんの仕組しくみが、また新あたらしい手続てつづきを増ふやすことだ。1-1 の 35 で見みた「恣意しいを排はいする仕掛しかけが形式けいしき主義しゅぎと批判ひはんされる」構図こうずと同おなじ往復おうふくにある。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 組織化そしきかまとまりを作つくる形かたちの話はなし。制度せいど化かは社会しゃかいの仕組しくみに組くみ込こまれることまで含ふくむ。
  • 職業しょくぎょう化か生せい業ぎょうになる制度せいど化かの一いち側面そくめん。科学者かがくしゃが専門職せんもんしょくになった。
  • 産業さんぎょう化か産業さんぎょうとして成なり立たつ経済けいざいの側がわ。制度せいど化かは国家こっかの支援しえんも含ふくむ。
  • 官僚かんりょう化か手続てつづきが自己じこ目的もくてきになる制度せいど化かの弊害へいがいを言いう語ご。ここで☑16 自己じこ目的もくてき化かと接続せつぞくする。

ENinstitutionalisation of science
ZH科学的制度化(科学の制度化, kēxué de zhìdùhuà)

51★★

因果いんが⚠

いんが[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
因もともと・原因げんいん+果かみ・結果けっか
定義ていぎ

原因げんいんと結果けっか。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑51
原げん書しょの解説かいせつ

近代きんだい科学かがくは自然しぜんの事象じしょうを因果いんが関係かんけいとしてとらえるが、その根底こんていには、「世よの中なかの事象じしょうにはすべて原因げんいんと結果けっかがある」という考かんがえ方かた〈=因果いんが律りつ〉がある。

たとえば

喫煙きつえんと肺はいガンには因果いんが関係かんけいがある、という指摘してきがある。

使用しようの境界きょうかい

原因げんいんと結果けっかの結むすびつき。前後ぜんごして起おきただけでは因果いんがではない。一方いっぽうが他方たほうを生しょうじさせている必要ひつようがある。

用法ようほう

評ひょう論文ろんぶんでは単独たんどくより「因果いんが関係かんけい」「因果いんが律りつ」の形かたちで現あらわれる。近代きんだい科学かがくの根底こんていに〈世よの中なかの事象じしょうにはすべて原因げんいんと結果けっかがある〉という前提ぜんていがあり、これを因果いんが律りつと呼よぶ。この前提ぜんていがあるからこそ自然しぜんが法則ほうそく化かでき、操作そうさできるようになった。仏教ぶっきょう語ごの「因果いんが」(因果応報いんがおうほう)とは系統けいとうが違ちがうので、文脈ぶんみゃくで見分みわける。読解どっかい上じょうの急所きゅうしょは相関そうかんとの混同こんどうで、「喫煙きつえんと肺はいガンには因果いんが関係かんけいがある」と「相関そうかんがある」は主張しゅちょうの強つよさが違ちがう。

用例ようれい
  • 明日あす太陽たいようが昇しょうらないということは、昇のぼるということに劣おとらず理解りかい可能かのうな命題めいだいであり、いささかの矛盾むじゅんも含ふくんではいない。デイヴィッド・ヒューム『人間にんげん知性ちせい研究けんきゅう』第だい四よん章しょう(1748)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    毎まい朝あさ太陽たいようは昇のぼってきた。だから明日あすも昇のぼる — この推論すいろんは論理ろんりではない、とヒュームは言いう。「明日あすは昇しょうらない」と言いっても、どこにも矛盾むじゅんは生しょうじないからだ。ここで暴ぼうかれているのは、因果いんがが事物じぶつのなかに見みえているのではないという事実じじつである。私わたしたちが見みているのは、Aのあとに B が続つづくという繰くり返かえしだけだ。「A が B を生しょうじさせている」という結むすびつきは、繰くり返かえしを見みた側がわの心こころのなかで作つくられる。因果いんがと相関そうかんの区別くべつがむずかしいのは、そもそも私わたしたちが相関そうかんしか観察かんさつできないからである。近代きんだい科学かがくが因果いんが律りつを前提ぜんていに置おいたことの重おもさが、ここから分わかる。
  • もろもろの事ことがらは心こころにもとづき、心こころを主しゅとし、心こころによってつくり出だされる。汚よごれた心こころで語かたり、または行ぎょうなうならば、苦くるしみはその人ひとにつき従したがう — 車くるまをひく牛うしの足跡あしあとに、車輪しゃりんがついて行いくように。『法句ほっく経へ(ダンマパダ)』第一だいいち偈げ/訳やくは本ほん教材きょうざい
    仏教ぶっきょうのいう因果いんがである。牛うしの足跡あしあとに車輪しゃりんが従したがうという比喩ひゆが正確せいかくで、原因げんいんと結果けっかのあいだに一分いっぷんの隙すきも認みとめていない。しかし科学かがくの因果いんがとは、決定的けっていてきに違ちがうところがある。ここでの原因げんいんは「心こころ」であって、物ものではない。そして結果けっかは「苦くるしみ」であって、測はかれる量りょうではない。科学かがくの因果いんが律りつが誰だれが観察かんさつしても同おなじになる関係かんけいを扱あつかうのに対たいし、こちらはその人ひとに還かんってくる関係かんけいを扱あつかう。「因果応報いんがおうほう」という日常にちじょう語ごがこの系統けいとうから来きているので、評ひょう論文ろんぶんで「因果いんが」に出会であったら、まずどちらの系統けいとうかを決きめる必要ひつようがある。
  • 喫煙きつえんと肺はいがんのあいだには因果いんが関係かんけいがある。 「相関そうかんがある」と比くらべてみたい。相関そうかんは「一緒いっしょに動うごく」としか言いっていないが、因果いんがは「一方いっぽうが他方たほうを生しょうじさせている」と言いっている。主張しゅちょうの強つよさがまるで違ちがう。相関そうかんから因果いんがへ進すすむには、第だい三さんの要因よういんを消けし、時間じかんの前後ぜんごを確たしかめ、仕組しくみを示しめすという手続てつづきが要いる。読解どっかいでは、その手続てつづきが本文ほんぶんにあるかを見みる。
  • ×アイスの売上うりあげと水難すいなん事故じこは一緒いっしょに増ふえるので因果いんが関係かんけいがある。 どちらも気温きおんが高たかいときに増ふえるだけで、一方いっぽうが他方たほうを生しょうじさせてはいない。これは相関そうかんである。因果いんがと相関そうかんの取とり違ちがえは、この語ごの読解どっかいにおける最大さいだいの落おとし穴あなで、評ひょう論文ろんぶんでも統計とうけいを扱あつかう文章ぶんしょうでも必かならず問とわれる。「共通きょうつうの原因げんいんが別べつにないか」を毎回まいかいいちど疑うたがってみるとよい。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 42 機械論きかいろん

派生はせい形けい
  • 因果関係いんがかんけい[4]もっとも多おおい形かたち。「関係かんけいがある/ない」で議論ぎろんできるようになる。ただし一いち対たい一いちに切きり出だす形かたちなので、要因よういんが絡からみ合あう対象たいしょうでは窮屈きゅうくつになる。
  • 因果律いんがりつ[2]「律りつ」は法則ほうそくを指さす。個々ここの因果いんが関係かんけいではなく、すべての事象じしょうに原因げんいんがあるという原理げんりを名指なざす。前提ぜんていであって発見はっけんではない、というのが要点ようてんである。
  • 因果的いんがてき[0]形容けいようの形かたち。「因果いんが的てきに説明せつめいする」で原因げんいんによる説明せつめいを意味いみする。42 の目的論もくてきろん的てきな説明せつめい(何なにのために)と対たいにして使つかうと、説明せつめいの型かたの違ちがいが際さい立たつ。
  • 因縁いんねん[0]仏教ぶっきょう語ご。人ひとの力ちからを超こえた結むすびつきを指さし、科学かがくの因果いんがとは別べつ系統けいとうである。「因もと」が直接ちょくせつの原因げんいん、「縁えん」が間接かんせつの条件じょうけんで、二ふたつを分わけている点てんは現代げんだいの「要因よういん」の考かんがえ方かたに近ちかい。
コロケーション
  • 因果いんが律りつ近代きんだい科学かがくの前提ぜんてい世よの中なかの事象じしょうにはすべて原因げんいんと結果けっかがあるという前提ぜんてい。注意ちゅういしたいのは、これが証明しょうめいされた法則ほうそくではないことだ。ヒュームが示しめしたとおり、経験けいけんからこの前提ぜんていを導みちびくことはできない。それでも置おかれるのは、置おかなければ自然しぜんを法則ほうそく化かできないからである。42 の機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんは、この前提ぜんていの上うえにしか立たたない。
  • 因果いんが関係かんけい一いち対たい一いちに結むすぶもっとも多おおい形かたち。「関係かんけい」が付つくことで、原因げんいんと結果けっかを一組ひとくみとして取とり出だすことになる。ここに単純化たんじゅんかが入はいり込こむ。現実げんじつには要因よういんは複数ふくすうあり、互たがいに影響えいきょうし合あっている。44 の複雑系ふくざつけいが問題もんだいにするのは、まさにこの一いち対たい一いちに切きり出だせなさである。
  • 因果いんがと相関そうかん読解どっかいの急所きゅうしょ相関そうかんがあっても因果いんががあるとは限かぎらない。逆ぎゃくに、因果いんががあれば相関そうかんは必かならずある。この非対称ひたいしょうを押おさえておくと、統計とうけいを根拠こんきょにした主張しゅちょうを読よむときに足あしが止とまる。「一緒いっしょに動うごいている」から「生しょうじさせている」へ跳とぶ箇所かしょが、文章ぶんしょうのいちばん弱よわいところであることが多おおい。
  • 因果応報いんがおうほう別べつ系統けいとうの語ご仏教ぶっきょう語ごで、行おこないの善悪ぜんあくが本人ほんにんに報むくいとして返かえるという考かんがえ。科学かがくの因果いんがとは系統けいとうが違ちがう。見分みわけ方ほうは簡単かんたんで、善悪ぜんあくが関かかわっていれば仏教ぶっきょう系けい、測はかれる量りょうが関かかわっていれば科学かがく系けいである。評ひょう論文ろんぶんで両方りょうほうが同おなじ段落だんらくに出でてくるときは、筆者ひっしゃがその重かさなりを主題しゅだいにしている。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 相関そうかん一緒いっしょに変動へんどうする統計とうけいの語ご。因果いんがと混同こんどうされやすい最大さいだいの相手あいて。相関そうかんがあっても因果いんががあるとは限かぎらない。
  • 因縁いんねん前世ぜんせいからの結むすびつき仏教ぶっきょう語ご。人ひとの力ちからを超こえた結むすびつきを指さし、科学かがくの因果いんがとは別べつ系統けいとう。
  • 必然ひつぜん法則ほうそくによってそうなる因果いんががあれば必然ひつぜんになる。因果いんがは関係かんけい、必然ひつぜんは様態ようたいを言いう。
  • 要因よういん結果けっかに関かかわる要素ようそ複数ふくすうありうる。因果いんがは原因げんいんと結果けっかを一いち対たい一いちに結むすぶ言いい方かた。

ENcausality
ZH因果(因果・報い, yīnguǒ)

日中にっちゅうのズレ

中国語ちゅうごくごの 因果いんが(yīnguǒ)は仏教ぶっきょう語ごとしての因果応報いんがおうほうの含ふくみが強つよく、日常にちじょうでは「因果報应」の形かたちで使つかわれる。

科学かがくの文脈ぶんみゃくで「原因げんいんと結果けっか」を言いうときは 因果关系(yīnguǒ guānxì) と関係かんけいの語ごを伴ともなうのが通例つうれい。

52★

実証じっしょう

じっしょう[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
実じつまこと・じっさい+証しょうあかす
定義ていぎ

経験けいけん的てきな事実じじつに基もとづいて、理論りろんや主張しゅちょうを証明しょうめいしたり説明せつめいしたりすること。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑52
原げん書しょの解説かいせつ

主張しゅちょうの根拠こんきょを事実じじつに求もとめるのが、実証じっしょうである。それに対たいして、三さん段だん論法ろんぽうのように論理的ろんりてきに説明せつめいすることは論証ろんしょうと言いう。

近代きんだい科学かがくは実験じっけんと観察かんさつを重おもんじ、理論りろんや知識ちしきの根拠こんきょをもっぱら経験けいけん的てき事実じじつに限定げんていした。こうした立場たちばを実証じっしょう主義しゅぎと言いい、他ほかの学問がくもん分野ぶんやに大おおきな影響えいきょうを与あたえた。社会しゃかい科学かがくの分野ぶんやでも、統計とうけいデータに基もとづいた研究けんきゅうは実証じっしょう主義しゅぎの立場たちばと言いえる。

使用しようの境界きょうかい

経験けいけん的てきな事実じじつにもとづいて証明しょうめいすること。論理ろんりだけで導みちびくのは論証ろんしょうであって実証じっしょうではない。

用法ようほう

「実証じっしょう主義しゅぎ」という立場たちば名めいで出でることが多おおい。中身なかみは確たしかめられることだけを研究けんきゅうするという態度たいどで、その結果けっか、証明しょうめいも実験じっけんもできない領域りょういきは研究けんきゅうの対象外たいしょうがいに置おかれた。この切きり捨すてが後あとの批判ひはんを招まねく。統計とうけいデータにもとづく社会しゃかい科学かがくの研究けんきゅうも実証じっしょう主義しゅぎの系列けいれつにある。読解どっかいでは、論証ろんしょうとの対たいをつかんでおくと設問せつもんに強つよい。実証じっしょうは事実じじつ、論証ろんしょうは論理ろんり。「実証的じっしょうてき」は肯定的こうていてきな評価ひょうか語ごとして使つかえるが、「実証じっしょう主義しゅぎ的てき」と書かくと限界げんかいを指摘してきする含ふくみが出でやすい。

用例ようれい
  • 聞きかざるは之これを聞きくに若わかかず、聞きくは之これを見みるに若わかかず、見みるは之これを知しるに若わかかず、知しるは之これを行ぎょうふに若わかかず。『荀子じゅんし』儒效篇じゅこうへん
    聞きかないより聞きくほうがよい、聞きくより見みるほうがよい、見みるより分わかるほうがよい、分わかるより行おこなうほうがよい。知ちの確たしかさを、対象たいしょうとの距離きょりで並ならべた一節いっせつである。ここに実証じっしょうの考かんがえ方かたの骨格こっかくがある。伝聞でんぶんは弱よわく、直接ちょくせつの観察かんさつは強つよい。注目ちゅうもくしたいのは、階梯かいていが「見みる」で終おわっていないことだ。見みたうえで分わかり、分わかったうえで行おこなう。行おこなってみてはじめて、その理解りかいが本物ほんものかどうかが試ためされる。実験じっけんという手続てつづきが実証じっしょうの中心ちゅうしんにあるのは、まさにこの最後さいごの段だんのためである。観察かんさつは起おきたことを受うけ取とるだけだが、実験じっけんは自分じぶんから働はたらきかけて、世界せかいに答こたえさせる。
  • 科学者かがくしゃはあたまが悪わるくなくてはいけない。寺田てらだ寅彦とらひこ『科学者かがくしゃとあたま』(1933)
    物理学ぶつりがく者しゃが書かいた、一見いっけんすると乱らん暴ぼうな一句いっくである。寺田てらだの言いう「あたまのいい人ひと」は、先さきの見通みとおしが利りきすぎて、途中とちゅうの事実じじつを飛とばしてしまう人ひとのことだ。結論けつろんが読よめるので、確たしかめずに進すすむ。ところが自然しぜんは、しばしば見通みとおしの外そとにあるところで面白おもしろいことをしている。足あしの遅おそい人ひとだけが、道端みちばたの宝物たからものに気きづく。これは実証じっしょうという構かまえの、もっとも実際的じっさいてきな説明せつめいになっている。実証じっしょうとは、自分じぶんの推論すいろんより事実じじつを上うえに置おくと決きめておくことである。46 で見みた杉田すぎた玄白げんぱくらの照合しょうごうが意味いみを持もったのも、彼かれらが漢方かんぽうの書しょよりも目めの前まえの身体しんたいを上うえに置おいたからだった。
  • 統計とうけいデータにもとづく研究けんきゅうは、実証じっしょう主義しゅぎの系列けいれつにある。 実証じっしょう主義しゅぎは、確たしかめられることだけを研究けんきゅうの対象たいしょうにするという方法ほうほうの限定げんていである。ここまでは慎重しんちょうで、健全けんぜんな構かまえに見みえる。問題もんだいはその先さきで、証明しょうめいも実験じっけんもできない領域りょういきが研究けんきゅうの外そとに置おかれたことにある。外そとに置おかれたものは、やがて「存在そんざいしない」かのように扱あつかわれはじめる。この切きり捨すてが後あとの批判ひはんを招まねいた。
  • ×前提ぜんていが正ただしいので結論けつろんも正ただしい。よって実証じっしょうされた。 前提ぜんていから筋道すじみちで導みちびくのは「論証ろんしょう」である。実証じっしょうは経験けいけん的てきな事実じじつに当あてて確たしかめること。実証じっしょうは事実じじつ、論証ろんしょうは論理ろんり — この対たいを押おさえておくと設問せつもんに強つよい。なお 54 の演繹えんえきは論証ろんしょうの側がわに、53 の帰納きのうは実証じっしょうの側がわに立たっている。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

関せき 論証ろんしょう/実証じっしょう主義しゅぎ

派生はせい形けい
  • 実証的じっしょうてき[0]肯定的こうていてきな評価ひょうか語ごとして安定あんていして使つかえる。「思弁しべん的てき」「観念かんねん的てき」の反対はんたいに置おかれ、事実じじつに支ささえられているという含ふくみを持もつ。
  • 実証主義じっしょうしゅぎ[0]「主義しゅぎ」が付つくと、方法ほうほうの限定げんていが立場たちばになる。評価ひょうかは文脈ぶんみゃくしだいで、慎重しんちょうさを褒ほめる場合ばあいと切きり捨すてを咎とがめる場合ばあいがある。12 の合理化ごうりかと同おなじ両義性りょうぎせいを持もつ。
  • 実証性じっしょうせい[0]性質せいしつとして取とり出だす形かたち。「実証じっしょう性せいが高たかい/乏とぼしい」と程度ていどで論ろんじられるようになる。実証じっしょうは本来ほんらいあるかないかだが、この形かたちにすると度合どあいで語かたれる。
  • 論証ろんしょう[0]対たい語ご。論理ろんりによって示しめす。三さん段だん論法ろんぽうのように筋道すじみちで導みちびくもので、事実じじつに当あてる実証じっしょうとは根拠こんきょの置おき場所ばしょが違ちがう。この対たいで覚おぼえるのが読解どっかい上じょうもっとも効率こうりつがよい。
コロケーション
  • 実証じっしょうと論証ろんしょう根拠こんきょの置おき場所ばしょ実証じっしょうは事実じじつに当あて、論証ろんしょうは論理ろんりで導みちびく。この対たいがこの語ごの読解どっかいの中心ちゅうしんにある。面白おもしろいのは、両者りょうしゃが互たがいの弱点じゃくてんを補おぎなえい合あっていることだ。論証ろんしょうは確実かくじつだが新あたらしい事実じじつを生うまない。実証じっしょうは新あたらしい事実じじつを生うむが確実かくじつにならない。54 の演繹えんえきと 53 の帰納きのうの非対称ひたいしょうと、まったく同おなじ構図こうずがここにある。
  • 実証的じっしょうてき肯定こうていの評価ひょうか語ごほぼ褒ほめ言葉ことばとして使つかえる珍めずらしい形かたち。「実証的じっしょうてきな研究けんきゅう」は、思おもいつきではなく事実じじつに支ささえられているという評価ひょうかになる。ところが「実証じっしょう主義しゅぎ的てき」と書かくと限界げんかいを指摘してきする含ふくみが出でやすい。「主義しゅぎ」が入はいることで、確たしかめられないものを外はずしたという切きり捨すての面めんが前まえへ出でるからである。
  • 実証じっしょう主義しゅぎ限定げんていという方法ほうほう確たしかめられることだけを扱あつかうという態度たいど。47 の科学かがく主義しゅぎとここで正確せいかくに分わかれる。実証じっしょう主義しゅぎは科学かがくが扱あつかえない領域りょういきがあることを認みとめる。科学かがく主義しゅぎは認みとめない。同おなじく科学かがくを重おもんじながら、一方いっぽうは謙虚けんきょで一方いっぽうは傲慢ごうまんになる — その分わかれ目めが、限定げんていするか拡張かくちょうするかにある。
  • 実証じっしょうデータ実務じつむの言葉ことば調査ちょうさ・行政ぎょうせい・経営けいえいの文書ぶんしょで多た用ようされる形かたち。数字すうじが付ついていれば実証じっしょうだという思おもい込こみが紛まぎれ込こみやすい場所ばしょでもある。データがどう集あつめられたか、何なにが数かぞえられ何なにが数かぞえられなかったかを問とわなければ、実証じっしょうの形かたちをした思おもい込こみにしかならない。52 と 51 を続つづけて読よむと、この落おとし穴あなが見みえる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 論証ろんしょう論理ろんりによって示しめす三さん段だん論法ろんぽうのように筋道すじみちで導みちびく。実証じっしょうは事実じじつに当あてる。この対たいが要点ようてん。
  • 検証けんしょう仮説かせつの真偽しんぎを確たしかめる手続てつづき。実証じっしょうは根拠こんきょの置おき方ほうを指さす。
  • 立証りっしょう証拠しょうこを挙あげて示しめす法律ほうりつで多おおく使つかう。実証じっしょうは学術がくじゅつ・研究けんきゅうの語ご。
  • 例れい証しょう例れいを挙あげて示しめす一いち例れいでは足たりない。実証じっしょうは反復はんぷく可能かのうな事実じじつを要求ようきゅうする。

ENempirical proof / positivism
ZH实证(実証, shízhèng)

中立性と制度化科学は善でも悪でもないとする中立性の主張に対し、制度化によって研究の方向が国家と企業に決められるという反論を示した図。 科学の中立性 科学それ自体は善でも悪でもない 悪いのは使う人間である 反論 科学の制度化 国家と企業が研究を支える 研究の方向そのものが決められる もはや中立ではいられない 制度化の背景 研究が高度化・複雑化し、設備に多額の費用がかかる 技術革新が資本主義の存続に不可欠になる 二つの語は、必ず対で読む
中立ちゅうりつ性せいの主張しゅちょうと、制度せいど化かによる反論はんろん
因果と相関の違いを示した図上段は原因が結果を生じさせる因果、下段は共通の原因によって二つが同時に動くだけの相関を示す。 一緒に動くことと、生じさせることは違う因果喫煙肺がん一方が他方を生じさせている相関気温が高いアイスの売上水難事故一緒に増える二つのあいだに矢印は無い。共通の原因が別にある相関があっても因果があるとは限らない。ただし因果があれば、相関は必ずある
矢印やじるしがどこに引ひけるかを見みる
Section 09

帰納きのう/演繹えんえき/有機ゆうき/無機むき

53★

帰納きのう

きのう[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
帰きかえる・おさまる+納のうおさめる
定義ていぎ

個々ここの具体的ぐたいてきな事実じじつから、一般的いっぱんてきな知識ちしきや法則ほうそくを導みちびき出だすこと。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑53
原げん書しょの解説かいせつ

たとえば、リンゴが木きから地面じめんに落おちた、ミカンも木きから落おちた、さらにはサルも木きから落おちた! このように、いくつかの具体的ぐたいてき・個別こべつ的てきな事実じじつから一般的いっぱんてき・普遍的ふへんてきな法則ほうそく(この場合ばあいは「万有引力ばんゆういんりょくの法則ほうそく」)を導みちびき出だしていくことを帰納きのうと言いう。いわば、下したから上うえへのボトムアップの方法ほうほうだ。

使用しようの境界きょうかい

個々ここの事実じじつから一般いっぱん法則ほうそくを導みちびくこと。事例じれいを集あつめただけでは足たりず、法則ほうそくの形かたちにまとめる段階だんかいが要いる。

用法ようほう

「帰納法きのうほう」の形かたちで出でることが多おおく、演繹えんえきと必かならず対たいで扱あつかわれる。ボトムアップという言いい換かえを持もっておくと図式ずしき化かしやすい。リンゴが落おちた、ミカンも落おちた、サルも落おちた──だから万有引力ばんゆういんりょくの法則ほうそくがある、という説明せつめいが定番ていばん。急所きゅうしょは、帰納きのうが絶対ぜったいに確実かくじつではないことで、次つぎの一いち例れいが反例はんれいになりうる。この不ふ確実かくじつさが「理論りろんは仮説かせつにすぎない」という科学かがく観かんにつながる。原げん書しょの要素ようそ論ろんの入試にゅうし文ぶんにも「帰納法きのうほう的てき・要素ようそ還元かんげん的てきな方法論ほうほうろん」という形かたちで現あらわれる。

用例ようれい
  • 経験けいけんにのみ頼たよる者ものは蟻ありに似にて、ただ集あつめては用もちいる。理性りせいにのみ頼たよる者ものは蜘蛛くもに似にて、自みずからのうちから巣そうを紡つむぐ。蜜蜂みつばちこそが中道ちゅうどうであり、庭にわや野のの花はなから材料ざいりょうを集あつめ、自みずからの力ちからでそれを変かえ、消化しょうかする。フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』第一だいいち巻かん(1620)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    帰納法きのうほうを提唱ていしょうした書しょのなかの、もっとも知しられた比喩ひゆである。蟻ありは事実じじつを集あつめるだけで法則ほうそくに至いたらない。蜘蛛くもは自分じぶんのなかだけで理屈りくつをこしらえる。蜜蜂みつばちは集あつめたものを変かえる。ここが帰納きのうの核心かくしんにあたる。原げん書しょのいう〈事例じれいを集あつめただけでは足たりず、法則ほうそくの形かたちにまとめる段階だんかいが要いる〉とは、まさに蜜蜂みつばちの消化しょうかにあたる作業さぎょうである。リンゴが落おち、ミカンが落おち、サルが落おちた — ここまでは蟻ありである。「万有引力ばんゆういんりょくの法則ほうそくがある」へ跳とぶところで、はじめて蜜蜂みつばちになる。そしてこの跳躍ちょうやくは、集あつめた事実じじつそのものからは論理的ろんりてきに導みちびけない。
  • 雪ゆきの結晶けっしょうは、天てんから送おくられた手紙てがみである。中なか谷たに宇吉郎うきちろう『雪ゆき』(1938)
    世界せかいで初はじめて人工じんこう雪ゆきを作つくった物理学ぶつりがく者しゃの言葉ことばである。一ひとつひとつの結晶けっしょうの形かたちは、それが落おちてくるまでに通とおった上空じょうくうの気温きおんと水蒸気すいじょうき量りょうによって決きまる。だから結晶けっしょうを読よめば、見みることのできない高たかいところの様子ようすが分わかる。注目ちゅうもくしたいのは、この一句いっくが帰納きのうの手てつきそのものを比喩ひゆにしていることだ。中なか谷たには何千なんぜんという結晶けっしょうを撮影さつえいし、形かたちを分類ぶんるいし、条件じょうけんと対応たいおうづけた。個々ここの具体ぐたいから、見みえない一般いっぱんの条件じょうけんを読よみ取とる — これがボトムアップということである。そして「手紙てがみ」という語ごが的確てきかくなのは、読よむ者ものがいてはじめて結晶けっしょうが情報じょうほうになるからだ。法則ほうそくは自然しぜんのなかに転ころがっているのではなく、読よまれてはじめて現あらわれる。
  • リンゴが落おち、ミカンも落おち、サルも落おちた。ゆえに万有引力ばんゆういんりょくの法則ほうそくがある — これが帰納きのうである。 原げん書しょの説明せつめいをそのまま文ぶんにしたもの。下したから上うえへのボトムアップと言いい換かえると54 の演繹えんえきとの対たいがつかめる。急所きゅうしょは絶対ぜったいに確実かくじつではないことで、次つぎの一いち例れいが反例はんれいになりうる。この不ふ確実かくじつさが「理論りろんは仮説かせつにすぎない」という科学かがく観かんにつながる。45 と合あわせて読よみたい。
  • ×三角形さんかくけいの内角ないかくの和わは一いち八はち〇度どだから、この三角形さんかくけいの残のこりの角かどは五ご〇度どだ。これが帰納きのうである。 一般いっぱん法則ほうそくから個別こべつを導みちびいているので、これは「演繹えんえき」。向むきが逆ぎゃくである。帰納きのうはボトムアップ、演繹えんえきはトップダウン。迷まよったら「結論けつろんのほうが前提ぜんていより広ひろいか狭せまいか」を見みるとよい。広ひろくなっていれば帰納きのう、狭せまくなっていれば演繹えんえきである。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

反はん 54 演繹えんえき

派生はせい形けい
  • 帰納的きのうてき[0]形容けいようの形かたち。「帰納的きのうてきに導みちびかれた」と書かけば、事例じれいの積つみ上あげから来きた結論けつろんだと分わかる。同時どうじに確実かくじつではないという含ふくみも伴ともなう。
  • 帰納法きのうほう[0]手続てつづきの名な。演繹えんえき法ほうと対たいにして覚おぼえる。「法ほう」の一いち字じが付つくだけで、構かまえの名なから手順てじゅんの名なへ変かわる。
  • 数学的帰納法すうがくてききのうほう名前なまえは帰納きのうだが、中身なかみは演繹えんえきというまぎらわしい語ご。「n のとき成なり立たてば n+1 でも成なり立たつ」を示しめすもので、事例じれいを集あつめているのではない。だから確実かくじつである。名なに引ひきずられないこと。
  • 演繹えんえき[0]対たい語ご。帰納きのうは新あたらしい知識ちしきを生うむが確実かくじつではなく、演繹えんえきは確実かくじつだが新あたらしい知識ちしきを生うまない。この非対称ひたいしょうが科学かがく方法論ほうほうろんの基本きほん構図こうずで、54 の項こうで正面しょうめんから扱あつかう。
コロケーション
  • 帰納法きのうほう方法ほうほうとしての名な「法ほう」が付ついて手続てつづきの名なになる。事実じじつを集あつめ、比くらべ、共通きょうつうするものを取とり出だし、法則ほうそくの形かたちにまとめる — この一連いちれんが帰納法きのうほうである。ベーコンがこれを「新あたらしい道具どうぐ(ノヴム・オルガヌム)」と呼よんだのは、アリストテレス以来いらいの演繹えんえき的てきな論理学ろんりがくに取とって代だいわるものとして構想こうそうしたからだ。近代きんだい科学かがくはこの道具どうぐの上うえに建たっている。
  • 帰納きのうの限界げんかい次つぎの一いち例れいどれだけ事例じれいを集あつめても、次つぎの一いち例れいが反例はんれいになりうる。白しろい白鳥はくちょうを千羽せんば見みても「白鳥はくちょうはすべて白しろい」は証明しょうめいされない。黒くろい白鳥はくちょうが一羽いちわいれば覆くつがえる。この非対称ひたいしょうが、科学かがくの要件ようけんを検証けんしょう可能性かのうせいから反証はんしょう可能性かのうせいへ移うつした理由りゆうである。46 の項こうと合あわせて読よむと、二十にじゅう世紀せいきの科学かがく哲学てつがくが何なにを問題もんだいにしたかが分わかる。
  • 帰納法きのうほう的てき・要素ようそ還元かんげん的てき同おなじ向むきの二に語ご原げん書しょの入試にゅうし文ぶんにこの並ならびで現あらわれる。事実じじつを集あつめて法則ほうそくへ、部分ぶぶんを集あつめて全体ぜんたいへ — どちらも下したから上うえへ積つみ上あげる運動うんどうである。43 の要素ようそ論ろんと 53 の帰納きのうがしばしば一括いっかつして批判ひはんされるのは、積つみ上あげれば届とどくという前提ぜんていを共有きょうゆうしているからだ。44 の複雑系ふくざつけいは、その前提ぜんていに届とどかない対象たいしょうがあると言いっている。
  • 統計的とうけいてき推論すいろん帰納きのうの数学的すうがくてきな形かたち標本ひょうほんから母集団ぼしゅうだんを推すいす手続てつづき。帰納きのうの不ふ確実かくじつさを、確率かくりつという形かたちで数値すうちに変かえたものである。「必かならずそうだ」とは言いわず「九五きゅうごパーセントの確たしからしさで」と言いう。1-1 の 7 で見みた蓋然がいぜんが、ここで実際じっさいの道具どうぐになっている。不ふ確実かくじつさを消けすのではなく、不ふ確実かくじつさの大おおきさを測はかれるようにしたのが進歩しんぽだった。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 演繹えんえき一般いっぱんから個別こべつを導みちびく向むきが逆ぎゃく。帰納きのうはボトムアップ、演繹えんえきはトップダウン。この対たいで覚おぼえる。
  • 一般化いっぱんか適用範囲てきようはんいを広ひろげる結論けつろんの扱あつかい。帰納きのうはその結論けつろんに至いたる手続てつづき。
  • 類るい推すい似にた事例じれいから推すいす一いち対たい一いちの推論すいろん。帰納きのうは多数たすうの事例じれいから法則ほうそくを作つくる。
  • 統計的とうけいてき推論すいろん標本ひょうほんから母集団ぼしゅうだんを推すいす帰納きのうの数学的すうがくてきな形かたち。確たしからしさを数値すうちで示しめす。

ENinduction
ZH归纳(帰納, guīnà)

54★

演繹えんえき

えんえき[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
演えんのべる・おしひろげる+繹えき糸口いとぐちをひきだす

「演えん」も「繹えき」も〈引ひき出だす・押おし広ひろげる〉を表あらわす。読よみが問とわれる語ごである。

定義ていぎ

一般的いっぱんてきな理論りろんから個々ここの具体的ぐたいてきな事例じれいに説明せつめいを与あたえること。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑54
原げん書しょの解説かいせつ

演繹えんえきは、帰納きのうとは逆ぎゃくの方法ほうほうを考かんがえればよい。たとえば私わたしたちは、三角形さんかくけいの内角ないかくの和わは一いち八はち〇度どであることを法則ほうそく(定理ていりや公理こうり)として知しっている。そのため、もし三角形さんかくけいの内角ないかくのうち二ふたつの角度かくどがわかれば、もう一ひとつの角度かくどを、計算けいさんだけで導みちびき出だすことができるわけだ。このように、演繹えんえきは上うえから下したへのトップダウンの方法ほうほうだ。

使用しようの境界きょうかい

一般いっぱん法則ほうそくから個別こべつの事例じれいを説明せつめいすること。前提ぜんていが正ただしければ結論けつろんも必かならず正ただしい点てんが帰納きのうと違ちがう。

用法ようほう

読よみが問とわれる語ごである。トップダウンと言いい換かえると帰納きのうとの対たいがつかめる。三角形さんかくけいの内角ないかくの和わが一いち八はち〇度どという定理ていりがあるから、二ふたつの角かどが分わかれば残のこりが計算けいさんで出でる──これが演繹えんえきの典型てんけい。急所きゅうしょは確実性かくじつせいで、前提ぜんていが正ただしければ結論けつろんも必かならず正ただしい。ただし新あたらしい知識ちしきは生うまれない。帰納きのうは新あたらしい知識ちしきを生うむが確実かくじつではない。この非対称ひたいしょうが科学かがく方法論ほうほうろんの基本きほん構図こうずになる。「演繹えんえきする」という動詞どうし形けいも学術がくじゅつ文ぶんで使つかう。

用例ようれい
  • 幾何学きかがくに王道おうどうなし。エウクレイデス(ユークリッド)がプトレマイオス王おうに答こたえたと伝つたえられる言葉ことば・プロクロス『エウクレイデス註釈ちゅうしゃく』(5世紀ごせいき)
    王おうが「もっと楽らくに幾何学きかがくを学まなぶ道みちはないか」と尋たずねたのに対たいする答こたえである。この一句いっくが言いい当あてているのは、演繹えんえきには近道ちかみちが無ないということだ。公理こうりから定理ていりへ、定理ていりからまた次つぎの定理ていりへ、一歩いっぽずつ導みちびいていくほかない。途中とちゅうを飛ひばせば、そこで鎖くさりが切きれる。帰納きのうなら、事例じれいを少すこし多ために集あつめて「たぶんこうだ」と言いうことができる。演繹えんえきにはその余地よちが無ない。この厳きびしさが、そのまま演繹えんえきの強つよみでもある。一歩いっぽずつしか進すすめないかわりに、前提ぜんていが正ただしければ結論けつろんも必かならず正ただしい。王おうであることが役やくに立たたない世界せかいを作つくったことが、幾何学きかがくの功績こうせきだった。
  • われ思おもう、ゆえにわれあり。……このことを、私わたしは求もとめていた哲学てつがくの第一だいいち原理げんりとして、ためらうことなく受うけ入いれられると判断はんだんした。ルネ・デカルト『方法ほうほう序説じょせつ』第だい四部しぶ(1637)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    43 で引ひいた「分割ぶんかつの規則きそく」と同おなじ書物しょもつの、後半こうはんにある一節いっせつである。疑うたがいうるものをすべて疑うたがい、疑うたがっている自分じぶんだけは疑うたがえないところまで来きた。デカルトはそこを「第一だいいち原理げんり」と呼よんだ。第一だいいち原理げんりとは、そこから先さきを導みちびき出だすための出発点しゅっぱつてんである。つまりこの一句いっくは、演繹えんえきの起点きてんをどう据すえるかを実演じつえんしてみせたものだ。注目ちゅうもくしたいのは、彼かれが起点きてんを見みつけたのではなく疑うたがって残のこったと書かいていることである。演繹えんえきは前提ぜんていが正ただしければ結論けつろんも正ただしい。だから全体ぜんたいの重おもみが、最初さいしょの一ひとつに集あつまる。『方法ほうほう序説じょせつ』が分割ぶんかつの規則きそくから始はじまってここへ至いたるのは、偶然ぐうぜんではない。
  • 三角形さんかくけいの内角ないかくの和わは一いち八はち〇度どである。ゆえに二ふたつの角かどが分わかれば、残のこりは計算けいさんだけで出でる — これが演繹えんえきである。 原げん書しょの説明せつめいをそのまま文ぶんにしたもの。上うえから下したへのトップダウンである。急所きゅうしょは確実性かくじつせいで、前提ぜんていが正ただしければ結論けつろんも必かならず正ただしい。ただし新あたらしい知識ちしきは生うまれない。残のこりの角かどの大おおきさは、定理ていりと二ふたつの角かどのなかにすでに入はいっていた。取とり出だしただけである。
  • ×食しょくの問題もんだいを生活せいかつ全体ぜんたいへ演繹えんえきして論ろんじる。 適用範囲てきようはんいを横よこへ広ひろげるのは「敷衍ふえん」である。演繹えんえきは一般いっぱん法則ほうそくから個別こべつの結論けつろんを導みちびく論理ろんりの手続てつづき。「衍えん」も「演えん」も〈のべる〉意いを含ふくむため字面じづらが似にているが、敷衍ふえんは説明せつめいの身振みぶり、演繹えんえきは論理ろんりの手続てつづきで、層そうが違ちがう。1-1 の 28 と合あわせて確認かくにんしておきたい。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

反はん 53 帰納きのう

派生はせい形けい
  • 演繹的えんえきてき[0]形容けいようの形かたち。「演繹えんえき的てきな体系たいけい」といえば、少数しょうすうの公理こうりから全体ぜんたいが導みちびかれる構造こうぞうを指さす。ユークリッド幾何学きかがくがその原型げんけいである。
  • 演繹法えんえきほう[0]手続てつづきの名な。帰納法きのうほうと対たいにする。「上うえから下したへ」「トップダウン」という言いい換かえを一緒いっしょに覚おぼえると図式ずしき化かしやすい。
  • 演繹するえんえきするサ変動へんどう詞し。学術がくじゅつ文ぶんで実際じっさいに使つかわれる。「この原則げんそくから次つぎの帰結きけつが演繹えんえきされる」のように、受うけ身みで用もちいられることが多おおい。受うけ身みにすると導みちびいた人ひとが消きえ、論理ろんりそのものが導みちびいたように読よめる — それが演繹えんえきの建前たてまえでもある。
コロケーション
  • 演繹えんえき的てきに導みちびかれる確実かくじつさの宣言せんげんこの形かたちが使つかわれたら、前提ぜんていが正ただしいかぎり結論けつろんも正ただしいと主張しゅちょうしていることになる。したがって反論はんろんは、結論けつろんではなく前提ぜんていを撃うつほかない。評ひょう論文ろんぶんでこの形かたちを見みつけたら、「では前提ぜんていはどこに書かかれているか」を探さがすのが正ただしい手順てじゅんである。
  • 三さん段だん論法ろんぽう演繹えんえきの代表的だいひょうてきな形かたち大前提だいぜんてい・小前提しょうぜんてい・結論けつろんの三さん段だんで組くむ。「人ひとはみな死しぬ/ソクラテスは人ひとである/ゆえにソクラテスは死しぬ」。注目ちゅうもくしたいのは、結論けつろんがすでに前提ぜんていのなかに入はいっていることだ。新あたらしいことは何なにも加くわわっていない。それでも意味いみがあるのは、入はいっていることに気きづいていなかったからである。演繹えんえきの値打ねうちは発見はっけんではなく、整理せいりにある。
  • 仮説かせつ演繹えんえき法ほう二ふたつを組くむ仮説かせつを立たて、そこから演繹えんえきで予測よそくを導みちびき、予測よそくが当あたるかを実験じっけんで確たしかめる。帰納きのう・演繹えんえき・検証けんしょうの三みっつが一ひとつの輪わになっている。近代きんだい科学かがくの実際じっさいの手てつきはこれで、演繹えんえきだけでも帰納きのうだけでも科学かがくにならない。45・46・53・54 を一いち枚まいの図ずに並ならべると、この輪わが見みえてくる。
  • 演繹えんえきと敷衍ふえん字面じづらの罠わな「演えん」も「衍えん」ものべ広ひろげる意いを含ふくみ、書かき取とりで取とり違ちがえやすい。演繹えんえきは法則ほうそくから結論けつろんを導みちびく(縦たて)、敷衍ふえんは適用範囲てきようはんいを広ひろげる(横よこ)。向むきが違ちがう。入試にゅうしで読よみが問とわれるのは敷衍ふえん、意味いみが問とわれるのは演繹えんえきという傾かたむきもあるので、両方りょうほうを押おさえておきたい。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 帰納きのう個別こべつから一般いっぱんを導みちびく向むきが逆ぎゃく。演繹えんえきはトップダウン。
  • 敷衍ふえん意味いみを押おし広ひろげて説明せつめいする字面じづらが似にるが別語べつご。敷衍ふえんは説明せつめいを広ひろげること、演繹えんえきは法則ほうそくから結論けつろんを導みちびくこと。
  • 適用てきよう規則きそくを当あてはめる実務じつむ語ご。演繹えんえきは論理ろんりの手続てつづきとしての名な。
  • 三さん段だん論法ろんぽう二ふたつの前提ぜんていから結論けつろんを導みちびく演繹えんえきの代表的だいひょうてきな形式けいしき。

ENdeduction
ZH演绎(演繹, yǎnyì)

55★

有機ゆうき

ゆうき[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
有ゆうある+機きはたらき・からくり
定義ていぎ

① 生命せいめい力りょくのある様子ようす。 ② 各部かくぶ分ぶんが密接みっせつにつながり、調和ちょうわが保たもたれている様子ようす。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑55
原げん書しょの解説かいせつ

各部かくぶ分ぶんが互たがいに密接みっせつに関連かんれんし合あって全体ぜんたいを形かたちづくっている生物せいぶつは有機体ゆうきたいともよばれる。

また、有機体ゆうきたいのように、全体ぜんたいを構成こうせいしている部分ぶぶんが互たがいに密接みっせつにつながり、調和ちょうわを保たもっている様子ようすを有機ゆうき的てきと言いう。

使用しようの境界きょうかい

各部かくぶ分ぶんが密接みっせつにつながり、切きり離はなせないこと。単たんに関係かんけいがあるだけでは足たりず、切きり離はなすと成なり立たたないことを含ふくむ。

用法ようほう

化学かがくの「有機ゆうき化合物かごうぶつ」とは層そうが違ちがう。評ひょう論文ろんぶんで使つかうのはほぼ「有機ゆうき的てき」という形容けいよう動詞どうしで、〈部分ぶぶんが密接みっせつにつながり、切きり離はなせない〉状態じょうたいを指さす。要素ようそ論ろん・機械論きかいろんへの対抗たいこう概念がいねんとして置おかれ、エコロジーの思想しそうと結むすびつく。「有機ゆうき的てきなつながり」「有機ゆうき的てきに結合けつごうする」が定型ていけい。肯定的こうていてきな評価ひょうかを伴ともなうことが多おおく、「無機むき的てき」が冷つめたさを含意がんいするのと対たいをなす。自然しぜん環境かんきょうや生態系せいたいけいを有機ゆうき的てき・全体ぜんたい的てきにとらえる、という言いい方かたが近代きんだい科学かがく批判ひはんの締しめくくりによく現あらわれる。

用例ようれい
  • 天地てんちは我われと並ならび生しょうじて、万物ばんぶつは我われと一いち為つくり。『荘子そうし』斉せい物ぶつ論ろん篇へん
    天地てんちは自分じぶんと一緒いっしょに生うまれ、万物ばんぶつは自分じぶんと一ひとつである、という。自分じぶんと世界せかいのあいだに切きれ目めを認みとめない言いい方かたである。ここが有機ゆうきという語ごの底そこにある考かんがえ方かただ。注意ちゅういしたいのは、荘子そうしが「万物ばんぶつは互たがいに関係かんけいしている」と言いっていないことである。関係かんけいしていると言いうなら、まず二ふたつに分わけねばならない。「一いち為つくり」は、分わける手前てまえで止とまっている。原げん書しょのいう〈各かく部分ぶぶんが密接みっせつにつながり、切きり離はなせない〉とは、この止とまり方ほうのことだ。単たんに関係かんけいがあるだけなら、切きり離はなしてもそれぞれは残のこる。切きり離はなすと成なり立たたなくなるとき、はじめてそれは有機ゆうき的てきだと言いえる。
  • 帝釈天たいしゃくてんの宮ぐうに珠網しゅもうあり。一々いちいちの珠たまの中なかに、一切いっさいの珠たまの影かげを現げんず。一珠いっしゅのうちに現げんずる一切いっさいの珠たまの影かげのなかに、また一切いっさいの珠たまの影かげを現げんずること、重じゅう重じゅう無む尽じんなり。『華厳けごん経へ』の説とく因もと陀羅だら網もうの趣意しゅい
    帝釈天たいしゃくてんの宮殿きゅうでんにかけられた網あみの結むすび目めごとに珠たまがある。それぞれの珠たまが、他ほかのすべての珠たまを映うつしている。そして映うつった像ぞうのなかにも、また全部ぜんぶが映うつっている。この比喩ひゆが有機ゆうき的てきなつながりを描えがくのに適てきしているのは、中心ちゅうしんが無ないからである。どの珠たまも特別とくべつではなく、どの珠たまも全体ぜんたいを含ふくんでいる。一ひとつ取とり除のぞけば、残のこる珠たますべての映うつしているものが変かわる。生態系せいたいけいがこう語かたられるのはそのためだ。44 の複雑系ふくざつけいは、この直観ちょっかんに非線形ひせんけい性せい・自己じこ組織そしき性せいという測はかれる名なを与あたえたものだと言いってよい。
  • 自然しぜん環境かんきょうを有機ゆうき的てき・全体ぜんたい的てきにとらえ直なおす必要ひつようがある。 近代きんだい科学かがく批判ひはんの締しめくくりによく現あらわれる形かたちである。「有機ゆうき的てき」と「全体ぜんたい的てき」が並ならぶのは偶然ぐうぜんではない。切きり離はなせないという性質せいしつ(有機ゆうき)から、全体ぜんたいとして扱あつかうほかないという方法ほうほう(全体ぜんたい論ろん)が出でてくる。42 の機械論きかいろん、43 の要素ようそ論ろんと正面しょうめんから対たいを成なす位置いちに置おかれている。
  • △部署ぶしょどうしが有機ゆうき的てきにつながっているので、一ひとつ抜ぬけても問題もんだいない。 有機ゆうき的てきなら、一ひとつ抜ぬければ全体ぜんたいが変かわる。抜ぬけても問題もんだいないなら、それは切きり離はなせる関係かんけい — つまり無機むき的てきである。「切きり離はなしても成なり立たつか」を問とえば有機ゆうきと無機むきは分わかれる。褒ほめ言葉ことばとして広ひろく使つかわれる語ごなので、中身なかみを確たしかめずに置おかれやすい。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

反はん 56 無機むき

派生はせい形けい
  • 有機的ゆうきてき[0]評ひょう論文ろんぶんでの実際じっさいの主役しゅやく。部分ぶぶんが密接みっせつにつながり、切きり離はなせない状態じょうたいを指さす。肯定的こうていてきな評価ひょうかを伴ともなうことが多おおく、「無機むき的てき」が冷つめたさを含意がんいするのと対たいをなす。
  • 有機体ゆうきたい[0]そういう性質せいしつを持もつものの名な。生物せいぶつが本ほん義ぎだが、社会しゃかい・国家こっか・言語げんごなどにも比喩ひゆとして使つかわれる。比喩ひゆとして使つかわれた瞬間しゅんかんに、部分ぶぶんは全体ぜんたいのためにあるという含ふくみが入はいり込こむ。
  • 有機性ゆうきせい[0]性質せいしつとして取とり出だす形かたち。「有機ゆうき性せいを保たもつ」「有機ゆうき性せいが失うしなわれる」と程度ていどや変化へんかを論ろんじられるようになる。都市とし論ろん・組織そしき論ろんでよく使つかわれる。
  • 無機むき[1]対たい語ご。部分ぶぶんと全体ぜんたいを切きり離はなせること。この二に語ごは対たいでしか意味いみが定さだまらないので、片方かたほうが出でたらもう片方かたほうを探さがす。
コロケーション
  • 有機ゆうき的てきなつながり定型ていけいの褒ほめ言葉ことばもっとも多おおい形かたちで、ほぼ肯定的こうていてきな評価ひょうかを伴ともなう。ただし中身なかみは厳きびしい要求ようきゅうをしている。有機ゆうき的てきであるとは、どれか一ひとつを外はずせば全体ぜんたいが変かわるということだ。取とり替かえのきく部品ぶひんが並ならんでいるだけなら、それは有機ゆうき的てきではない。褒ほめ言葉ことばとして気軽きがるに使つかうと、無機むき的てきな集合しゅうごうを有機ゆうき的てきと呼よんでしまう。
  • 有機体ゆうきたい生いき物ものとしての全体ぜんたい各部かくぶ分ぶんが互たがいに関連かんれんし合あって全体ぜんたいを形かたちづくるもの。この語ごが比喩ひゆとして社会しゃかいや国家こっかに使つかわれるとき、注意ちゅういが要いる。有機体ゆうきたいなら、部分ぶぶんは全体ぜんたいのために存在そんざいすることになる。個人こじんを細胞さいぼうと見みなす議論ぎろんは、この比喩ひゆからたやすく出でてくる。42 で見みたホッブズの機械きかいの比喩ひゆと、向むきは逆ぎゃくだが同おなじ危あやうさを持もっている。
  • 有機ゆうき化学かがく別べつの層そう炭素たんそを含ふくむ化合物かごうぶつを扱あつかう化学かがくの分野ぶんや。評ひょう論文ろんぶんの「有機ゆうき」とは層そうが違ちがう。かつては生命体せいめいたいからしか得とくられないと考かんがえられた物質ぶっしつを指さしたので、語源ごげんのうえではつながっているが、現在げんざいの意味いみに生命せいめいの含ふくみは無ない。「有機ゆうき的てき」という形容けいよう動詞どうしで出でたら評ひょう論ろんの層そう、物質ぶっしつ名めいなら化学かがくの層そうである。
  • 有機ゆうきと全体ぜんたい論ろん性質せいしつと立場たちば有機ゆうきは対象たいしょうが持もつ性質せいしつ、全体ぜんたい論ろんはその性質せいしつを前提ぜんていとする立場たちば。この区別くべつが付つくと、「有機ゆうき的てきだから全体ぜんたい論ろんで行いくべきだ」という主張しゅちょうのどこが論証ろんしょうでどこが飛躍ひやくかが見みえる。すべての対象たいしょうが有機ゆうき的てきなわけではないので、飛躍ひやくは「どの対象たいしょうについて言いっているか」に潜ひそんでいる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 無機むき生命せいめいが感かんじられない対たい語ご。部分ぶぶんと全体ぜんたいを切きり離はなせるかどうかで分わかれる。
  • 全体ぜんたい論ろん全体ぜんたいは部分ぶぶんの総和そうわを超こえる立場たちば名めい。有機ゆうきはその性質せいしつを表あらわす語ご。
  • 複雑系ふくざつけい相互作用そうごさようで全体ぜんたいが決きまる現代げんだい科学かがくの語ご。有機ゆうき的てきという古ふるい語ごの内容ないようを精密せいみつにしたもの。
  • 生態系せいたいけい生物せいぶつと環境かんきょうのまとまり具体的ぐたいてきな対象たいしょう。有機ゆうき的てきな関係かんけいの代表だいひょう例れいとして挙あげられる。

ENorganic
ZH有机(有機, yǒujī)

56★

無機むき

むき[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
無むない+機きはたらき・からくり
定義ていぎ

生命せいめいが感かんじられない様子ようす。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』1-1 ☑56
原げん書しょの解説かいせつ

機械きかいなどの非ひ生命体せいめいたいは、部分ぶぶんを組くみ合あわせたものが全体ぜんたいであり、バラバラに解体かいたいしたあとで再構成さいこうせいすればもとどおりにすることができる。また、機械きかいのように、部分ぶぶんと全体ぜんたいとを切きり離はなせる様子ようすを無機むき的てきと言いう。「無機むき的てきなデザイン」というように、あたたかみがないという意味いみでも用もちいられる。

使用しようの境界きょうかい

部分ぶぶんと全体ぜんたいを切きり離はなせること。転てんじて、あたたかみが感かんじられないこと。二ふたつの用法ようほうが同居どうきょする。

用法ようほう

二ふたつの層そうがある。①部分ぶぶんと全体ぜんたいを切きり離はなせる性質せいしつ(機械きかいなどの非ひ生命体せいめいたい)、②あたたかみがない(「無機むき的てきなデザイン」「無機むき質しつな部屋へや」)。評ひょう論文ろんぶんでは①が本ほん義ぎで、機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんを「無機むき的てきな機械論きかいろん的てき自然しぜん観かん」と形容けいようする用法ようほうが原げん書しょの入試にゅうし文ぶんに現あらわれる。日常にちじょうでは②が優勢ゆうせいで、こちらは感覚かんかく的てきな評価ひょうか語ごになる。読解どっかいでは、対たい語ごの「有機ゆうき」が近ちかくにあれば①、感想かんそうを述のべる文脈ぶんみゃくなら②と判断はんだんできる。

用例ようれい
  • 人間にんげんの身体しんたいとは、自分じぶんでぜんまいを巻かんく機械きかいである。……そこにあるのは、精密せいみつに組くみ合あわされた部品ぶひんの運動うんどうにすぎない。ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリ『人間にんげん機械論きかいろん』(1747)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    無機むき的てきな自然しぜん観かんを、人間にんげんそのものに適用てきようしきった書物しょもつである。デカルトは動物どうぶつを機械きかいと見みなしたが、人間にんげんの精神せいしんだけは別べつに置おいた。ラ・メトリはその区別くべつを外はずした。注目ちゅうもくしたいのは「自分じぶんでぜんまいを巻かんく」という一句いっくだ。外そとから動うごかされているのではなく、自分じぶんで動うごいている。それでも機械きかいだと言いっている。ここに無機むきの定義ていぎが正確せいかくに現あらわれている — 無機むきとは、動うごかないことでも冷つめたいことでもなく、部分ぶぶんと全体ぜんたいを切きり離はなせることである。分解ぶんかいして組くみ直なおせば元もとどおりになるなら、どれだけ複雑ふくざつに動うごいていても無機むき的てきなのだ。
  • 王おう大だいいに怪かいしみて、之これを剖さかしむ。皆みな、革かわ・木き・膠にかわ・漆うるし・白しろ・黒くろ・丹たん・青あおの傅会ふかいせる所しょなり。……王おう試こころみに其その心こころを廃はいせば、則そくち口くち言げんふこと能のうはず。『列子れっし』湯問とうもん篇へん・偃えん師しの人形にんぎょう
    偃えん師しという工人こうじんが作つくった人形にんぎょうは、歌うたい、舞まい、王おうの側女そばめに流りゅうし目めまで送おくった。怒おこった王おうが分解ぶんかいさせると、革かわと木きと膠にかわと漆うるしでできていた。そして心臓しんぞうにあたる部品ぶひんを外はずすと口くちがきけなくなり、肝きもを外はずすと目めが見みえなくなった。これは無機むきの見本みほんのような話はなしである。どの働はたらきも、どれかの部品ぶひんに対応たいおうしている。外はずせばその働はたらきだけが消きえ、戻もどせばまた動うごく。取とり外はずして、戻もどせる — これが「部分ぶぶんと全体ぜんたいを切きり離はなせる」ということだ。55 の有機ゆうきと並ならべると差さがはっきりする。生いき物ものは、心臓しんぞうを外はずして戻もどすことができない。
  • 原げん書しょの入試にゅうし文ぶんは、近代きんだいの自然しぜん観かんを無機むき的てきな機械論きかいろん的てき自然しぜん観かんと呼よんでいる。 ここでの無機むきは①の本ほん義ぎ — 部分ぶぶんと全体ぜんたいを切きり離はなせる、という性質せいしつである。「冷つめたい」という感覚かんかく的てきな評価ひょうかではない。42 の機械論きかいろんと重かさねて置おかれているので、自然しぜんを部品ぶひんの集あつまりと見みる態度たいどを一語いちごで名指なざしている。評ひょう論文ろんぶんで「無機むき的てき」に出会であったら、まず対たいの「有機ゆうき的てき」が近ちかくにないかを見みる。
  • △このビルは無機むき的てきな機械論きかいろん的てきデザインだ。 「あたたかみがない」という②の意味いみと、「部分ぶぶんを切きり離はなせる」という①の意味いみが一文いちぶんのなかで混まざっている。デザインの感想かんそうなら②で足たりるので、「無機むき質しつなデザイン」と書かけばよい。対たい語ごの有機ゆうきが近ちかくにあれば①、感想かんそうを述のべる文脈ぶんみゃくなら②と、層そうを決きめてから書かく。
原げん書しょの反はん意い語ご・関連かんれん語ご

反はん 55 有機ゆうき

派生はせい形けい
  • 無機的むきてき[0]二ふたつの層そうが同居どうきょする形かたち。①部分ぶぶんと全体ぜんたいを切きり離はなせる、②あたたかみがない。対たい語ごの有機ゆうきが近ちかくにあれば①、感想かんそうの文脈ぶんみゃくなら②と判断はんだんする。
  • 無機質むきしつ[0]ほぼ②の意味いみに限かぎられる。感覚かんかく的てきな評価ひょうか語ごで、評ひょう論文ろんぶんの記述きじゅつには使つかいにくい。褒ほめにも貶けなしにも転ころぶ。
  • 無機物むきぶつ化学かがくの語ごで、炭素たんそを含ふくまない化合物かごうぶつ。評ひょう論文ろんぶんの「無機むき」とは層そうが違ちがう。物質ぶっしつ名めいとして出でたら化学かがく、性質せいしつの形容けいようとして出でたら評ひょう論ろんの層そうである。
  • 有機ゆうき[1]対たい語ご。切きり離はなせないつながり。この章しょうは 42 の機械論きかいろんから始はじまり、この一いち対たいで閉とじる構成こうせいになっている。分わけられるか分わけられないか — 十六じゅうろく語ごすべてがこの一本いっぽんの問といに集あつまる。
コロケーション
  • 無機むき的てきな機械論きかいろん的てき自然しぜん観かん原げん書しょの言いい回まわし「無機むき的てき」と「機械論きかいろん的てき」を重かさねた、ほとんど同義どうぎ反復はんぷくに見みえる形かたちである。それでも重かさねるのは、二ふたつが別べつのことを言いっているからだ。機械論きかいろん的てきは説明せつめいのしかた、無機むき的てきは対象たいしょうの性質せいしつを指さす。自然しぜんを無機むき的てきなものと見みなしたから、機械論きかいろん的てきに説明せつめいできた — この順序じゅんじょが重かさなりのなかに畳たたみ込こまれている。
  • 無機むき質しつ感覚かんかくの語ご②の系列けいれつで、あたたかみが感かんじられないという評価ひょうかを伝つたえる。「無機むき質しつな部屋へや」「無機むき質しつな声こえ」。面白おもしろいのは、この語ごがしばしば褒ほめ言葉ことばとしても使つかわれることだ。装飾そうしょくを削そぎ落おとした美うつくしさを指さすこともある。評価ひょうかの向むきが文脈ぶんみゃくでしか決きまらないので、評ひょう論文ろんぶんの記述きじゅつ語ごとしては使つかいにくい。
  • 有機ゆうきと無機むき切きり離はなせるかこの一問いちもんだけで二に語ごは分わかれる。分解ぶんかいして組くみ直なおせば元もとどおりになるなら無機むき、ならないなら有機ゆうきである。生命せいめいと非ひ生命せいめいの境目さかいめに見みえるが、実際じっさいにはそうとも限かぎらない。組織そしきや都市としや言語げんごも、この問といにかけることができる — そこがこの対たいの応用おうよう範囲はんいの広こうさである。
  • 無機むき的てきな関係かんけい人ひとへ向むけた比喩ひゆ人ひとと人ひとの結むすびつきについて言いうとき、取とり替かえがきくという含ふくみが生しょうじる。誰だれが抜ぬけても同おなじように回まわる関係かんけいのことだ。1-1 の 21 で見みた疎そ外がいと、ここで接続せつぞくする。分業ぶんぎょうが進すすむほど関係かんけいは無機むき的てきになり、無機むき的てきになるほど個人こじんは交換こうかん可能かのうになる — この線せんが近代きんだい批判ひはんの一本いっぽんの筋すじである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 有機ゆうき切きり離はなせないつながり対たい語ご。分解ぶんかいして再構成さいこうせいできるかどうかで分わかれる。
  • 機械的きかいてき部品ぶひんの組くみ合あわせとして扱あつかう方法ほうほうの語ご。無機むきは性質せいしつの語ご。
  • 即物的そくぶつてき感情かんじょうを交こうえず物ものとして扱あつかう態度たいどの語ご。無機むきは対象たいしょうの性質せいしつ。
  • 画一的かくいつてきすべて同おなじ形かたちにそろえる多様性たようせいの欠如けつじょ。無機むきとは別べつの軸じく。

ENinorganic
ZH无机(無機, wújī)

対立たいりつの軸じく

帰納きのう/演繹えんえき の軸じく = 推論すいろんの向むき

帰納きのう個々ここの事実じじつから一般いっぱん法則ほうそくを導みちびく。
推論すいろんの向むき
演繹えんえき一般いっぱん法則ほうそくから個々ここの事例じれいを導みちびく。

有機ゆうき/無機むき の軸じく = 切きり離はなせるか

有機ゆうき各部かくぶ分ぶんが密接みっせつにつながり、分わけられない。
切きり離はなせるか
無機むき部分ぶぶんと全体ぜんたいを切きり離はなし、再構成さいこうせいできる。
帰納と演繹個別の事実から一般法則を導く帰納と、一般法則から個別を導く演繹を上下の向きで対比した図。 帰納 ── ボトムアップ 一般法則 リンゴミカンサル 個別の事実 新しい知識が生まれるが、確実ではない 演繹 ── トップダウン 内角の和は一八〇度 残り一つの角を計算で出す 個別の事例 確実だが、新しい知識は生まれない
ボトムアップとトップダウン
有機と無機分解すると成り立たない有機体と、分解して再構成できる無機的なものの対比図。 有機 切り離せない 分解すると全体が失われる 生態系・生物・組織 無機 切り離せる 再構成すればもとどおりになる 機械・非生命体 要素論が扱えるのは、右側だけである
切きり離はなせるか、切きり離はなせないか
帰納と演繹を確実さと新しさの二軸で置いた図帰納は新しい知識を生むが確実ではなく、演繹は確実だが新しい知識を生まない、という非対称を示す。 確実さと新しさは、同時には手に入らない新しい知識が生まれる新しい知識は生まれないUNCERTAINCERTAIN帰納個別 → 一般ボトムアップ演繹一般 → 個別トップダウン空いている確実で、しかも新しい推論の道は無い不確実で新しくもない推論はそもそも使われない仮説演繹法は、この二つを輪にして弱点を補う ──帰納で仮説を立て、演繹で予測を導き、実験で確かめる
帰納きのうは新あたらしく不ふ確実かくじつ、演繹えんえきは確実かくじつで新あたらしくない
Meta — 俯瞰ふかん

十六じゅうろく語ごを上うえから見みる

この章しょうの語ごは、近代きんだい科学かがくという一ひとつの対象たいしょうを別々べつべつの角度かくどから切きったものである。対立たいりつの軸じくと、語ごの格かくを一いち枚まいずつ図ずにしておく。

本章の対立の軸一覧本章に現れる対立語のペアと、それを分ける軸を並べた一覧図。 PAIR AXIS 仮説 検証 確かめる前か後か 帰納 演繹 推論の向き 有機 無機 切り離せるか 評論文は対立で動く ── 軸が分かれば片方から他方が読める
本章ほんしょうに現あらわれる対立たいりつと、それを分わける軸じく
格による40語の分布硬・学術、硬、中の三段階に本章の40語を振り分けた図。 硬・学術 9 機械論 要素論 複雑系 科学主義 パラダイム 科学の中立性 科学の制度化 帰納 演繹 硬 1 実証 中 6 テクノロジー 仮説 検証 因果 有機 無機 語は意味ではなく格で選ぶ
格かくによる四十よんじゅう語ごの分布ぶんぷ

硬かた・学術がくじゅつに属ぞくする語ごは、会話かいわで使つかうと不自然ふしぜんに響ひびく。中なかに属ぞくする語ごは両方りょうほうで使つかえる。この区別くべつは意味いみの理解りかいとは別べつの層そうにあり、書かく段階だんかいで効きいてくる。

Output

産出さんしゅつ

やるなら ── 自分じぶんの関心かんしん領域りょういきから一ひとつ選えらび、次つぎのいずれかを一段落いちだんらくで書かく。

  • その領域りょういきで、要素ようそに還元かんげんできないものは何なにか
  • その領域りょういきが前提ぜんていにしているパラダイムは何なにか。それが変かわるとしたら、何なにが無意味むいみになるか
Blank

科学かがくが中立ちゅうりつであるためには、何なにを研究けんきゅうするかを誰だれが決きめているかを問とわずにおく必要ひつようがある。では、それを問とうた瞬間しゅんかんに、中立ちゅうりつ性せいは何なんに変かわるのか。