原書の導入
新しい言語観
新しい言語観
言語をテーマとする入試現代文は、大きく二つのタイプに分けることができる。表現としての言語を主題としているものと、記号としての言語を主題としているものという二つである。
表現としての言語については、レトリックの役割を再評価する内容の文章が目立っている。レトリックの主たる役割は、古代ギリシア以来、弁論における説得力を高めたり、文章を装飾したりすることだとされてきた。しかし近年、既存の言葉では名づけることのできない現実をあるがままに表現するという、レトリックの創造的な機能に着目した研究が進み、そうした事情が現代文にも反映されている。
レトリックと並んで出題されやすいのが、言語の多義性や解釈の多様性を肯定的に評価する文章だ。こうした文章では、テクスト(=表現されているもの)の意味や評価はコンテクスト(=文脈)に依存するということを前提とした内容のものが多い。レトリックにせよ、言語の多義性にせよ、どちらにも言えることは、言語と事物とは一対一の対応関係にはないということであるが、こうした新しい言語観をもたらしたのが「記号としての言語」という考え方である。
記号という概念
記号作用とは、「あるもの」が、それ以外の何かを意味することを言う。
たとえば〈イヌ〉という言葉は、声に出した時にはただの音声である。だが、この音声は、四本足のイヌという動物を指している。このように考えると、言語とは、「ある内容」を指し示している記号だと言えよう。
また、記号は言葉に限ったものではない。信号機もそれ自体はただの物体だが、〈赤信号〉は「止まれ」を、〈青信号〉は「進め」を意味する記号だと考えられる。
さらに、〈白いハト〉が「平和」を表すような場合は、記号であると同時に象徴でもある。このように見ると、言語だけでなくさまざまなものを、意味をもった記号とみなすことができる。
モノが先か、コトバが先か
「記号としての言語」という考え方に基づいて、もう少し具体的に言語の役割を考えてみよう。
日本では、虹は「赤橙黄緑青藍紫」の七色に分けられる。しかし、外国では六色や五色に分けるところが多い。もちろん、虹の色そのものが国によって異なっているわけではない。ところが、見る人の属している文化によって、虹の色の数が異なってくるのである。ここで鍵を握っているのが「言葉」だ。
日本では「藍色」と「青色」が言葉によって区別できるが、ある国ではその区別がなく、「藍色」を指す言葉がないとする。すると、虹は六色に見えるのである。つまり、虹は最初から七色で、それに七つの名前をつけているのではない。色の名前を知っているからこそ、虹が七色に見えるのだ。通常、我々は、物が先にあって、それに名前をつけていると考えている。しかし、名前があるからこそ、はじめて物が認識できるようになる、とも言える。我々の認識は、言葉によって成り立っているのである。
言語の恣意性
次に、「水」という言葉について考えてみる。あの無色透明な液体を、なぜ「みず」とよぶのか。答えは「たまたまそう名づけられたから」である。
あの液体を「みず」とよばなければいけない理由がないことは、まったく同じものを英語では「water」と別の言葉でよぶことが示している。モノとコトバとの間には必然的な結びつきがないことを、言語の恣意性と言う。
恣意的であるのは、モノとコトバとの関係だけではない。虹の例で見たように、分節も恣意的であると言える。
言葉を通して文化を見る―言語学の広がり
「分節」や「言語の恣意性」などから何がわかるのか。
ここまで確認してきたように、我々の認識は言葉によって成立しており、言葉が異なれば世界の見え方が変わってくる。ある言語の単語や文法構造などを分析することによって、その文化の構造や価値体系がわかるのだ。
例を挙げよう。日本語では普通、「兄」と「弟」とを区別して使うことが多い。これに対して、英語ではだいたい「brother」とひとくくりにする。これは、日本では儒教などの影響によって、年長者に敬意を表す文化をもっていることと関係している。家族の呼び方に限らず、あらゆる言葉から、その文化の特徴を読み取ることができるのである。
Section 01
メタファー/レトリック(修辞)
57
メタファー
メタファー[1]メタファー頭高型
語構成
漢語形は「隠喩」「暗喩」。対する「シミリ」は「直喩」「明喩」。
定義
形式上はたとえの形をとらない比喩。「……のようだ」と言わないたとえのこと。
『現代文キーワード読解』1-1 ☑57
原書の解説
「彼は『歩く辞書』だ」のように、「……のようだ」と言わずにたとえる比喩をメタファーと言う。また、「彼は歩く辞書のようだ」のように、「……のようだ」とたとえるのはシミリ(直喩・明喩)と言う。メタファーはレトリックの一つである。
メタファーは、文章を美しく表現するためにも使われるが、メタファーの役割はそれだけではない。メタファーには、既存の言葉ではうまく表現できない事柄を、たとえによって表現できるようにするという創造的な役割もある。
使用の境界「のようだ」を使わない比喩。使えばシミリ(直喩)になる。形式で分かれるので判定は迷わない。
用法評論文で問われるのは装飾ではなく創造的な役割のほうである。既存の語では言い表せない現実に、別の領域の語を持ち込んで名を与える働きを指す。山の下部を着物の「裾」と呼び、机の支えを「脚」と呼ぶ。この転用が定着すると、その語が新しい意味を獲得する。したがってメタファーは言語を豊かにする装置であって、飾りではない。「隠喩」「暗喩」が漢語形。日常語では「たとえ」でよいが、評論文では技法名として使う。
用例
- 彼は「歩く辞書」だ。「のようだ」がない。断定の形をとることで、たとえが強く働く。
- 机の「脚」は人間の脚からの転用である。名のないものに名を与えた例。定着して新しい意味になった。
- ×彼は歩く辞書のようだ、というメタファー。「のようだ」があるのでシミリ(直喩)。形式で分かれる。
コロケーション
- メタファーとして用いる
- メタファーの創造性
- 死んだメタファー
類語と差
- シミリ「のようだ」を使う比喩直喩・明喩。「彼は歩く辞書のようだ」。メタファーは「彼は歩く辞書だ」。形式だけの違いに見えて、断定の強さが変わる。
- 象徴抽象を具体で示し続ける一対一で置き換えるのではなく、意味が汲み尽くせない。メタファーは置き換えが効く。
- アレゴリー物語全体で別の意味を語る長さが違う。メタファーは語や句の単位、アレゴリーは作品の単位。
- 換喩近さで置き換える「赤ペンを入れる」で添削を指すような、隣接関係による置換。メタファーは類似関係による置換。
ENmetaphor
ZH隐喻(隠喩, yǐnyù)
58
レトリック(修辞)
しゅうじ[1]しゅうじ頭高型
定義
文章を飾るための表現(技法)のこと。
『現代文キーワード読解』1-1 ☑58
原書の解説
文章を美しくしたり、わかりやすくしたりするための表現技法をレトリックと言う。レトリックには、比喩や倒置、擬人法などがある。また、レトリックは、そのままレトリックを研究する学問の名前でもあり、修辞学と訳す。
修辞学の起源は、相手を説得するための弁論術であったため、修辞学は、言葉を巧みに飾って相手を強引に説得するテクニックとしてしばしば誤解されてきた。しかし、レトリックは、有限の言葉で無限の事柄を表現する可能性をもっている。我々の認識や思考を広げる役割を果たしているのだ。
使用の境界言葉を効果的に用いる技法の総称。比喩・倒置・擬人法などを含む。装飾に限らない。
用法日常語の「レトリック」は批判語で、「レトリックにすぎない」は中身のない言葉の飾りという意味になる。評論文はこの通念を退けるところから始まることが多い。近年の研究が着目したのは、既存の言葉で名づけられない現実をあるがままに表現するという創造・発見の機能である。有限の言葉で無限の事柄を表現し、認識と思考の幅を広げる。読解では、この語が肯定的に使われているか否定的に使われているかを最初に判定する。「修辞」「修辞学」が訳語。
用例
- レトリックは我々の認識や思考を広げる役割を果たしている。評論文での肯定的な用法。装飾ではなく発見の装置と見る。
- それは単なるレトリックだ。日常の否定的な用法。中身がないという批判。
- 修辞学の起源は説得のための弁論術であった。古代ギリシア。ここから「巧みに飾る技術」という誤解が生まれた。
派生形
- 修辞学[3]
- 修辞的[0]
- レトリカル
コロケーション
- レトリックを凝らす
- レトリックにすぎない
- レトリックの創造機能
類語と差
- 比喩たとえる技法レトリックの一種。レトリックはより広い上位概念で、倒置や反復も含む。
- 弁論術説得のための話術修辞学の起源。相手を動かすことが目的で、表現の美しさは手段だった。
- 文体書きぶりの全体作品全体の質。レトリックは個々の技法。
- 詭弁筋の通らない論法中身を欠いた言いくるめ。レトリックを否定的に使うときの言い換えだが、本義ではない。
ENrhetoric
ZH修辞(修辞, xiūcí)
比喩の四類型 ── 単位と、言い切れるかどうか
入試文
「名状しがたいもの」が目の前に現れたとき、どう表現したらよいのか。言い表すべき言葉がないとき、どう対処するのか。たとえば美しい山の姿を前にして、その下の方をなんと表現したらよいかと言葉に詰まる。そのとき人はたとえばメタファーに頼ることになる。着物の裾になぞらえて「山裾」と呼ぶ。
あるいは机の「脚」。机の「脚」を表す固有の言葉がなかったとする。そこで本来は人間や動物のそれに使われる「脚」をメタファー的な意味の拡張によって物に転用することになる。この種の表現法は目立たないけれども、しばしば日常生活で必要になる。いろいろな工夫がなされ、その一部は国語に取り込まれる。この種の言葉の工夫を伝統的レトリックでは「濫喩」と呼ぶが、濫喩は言語表現の彫琢というレトリックの本来の狙いをはみ出して、もっと基本的な言語的要請に応えていると言えようか。これはある語が新しい意味(従来の言い方では「比喩的な意味」)を獲得するプロセスでもある。
出典 野内良三『レトリックと認識』 / 出題 駒澤大学・経済学部
読解のポイント- 山「裾」 =着物の裾をメタファーとして転用
- 机の「脚」 =人間や動物の脚をメタファーとして転用
- 「裾」「脚」が新しい意味を獲得
- ※濫喩=代わりの言葉を用いるレトリックのこと
要約メタファーは、既存の言葉ではうまく表現できないことを表現可能にする。そして、そのメタファーが日常生活に取り込まれると、その語の新しい意味として定着する。
語法の観察「〜たとする」という仮定を挟んで、語がなかった場合を想像させる。ここから転用の必然性を導いている。
Section 09
差異/同一/一義(的)/両義(的)/多義(的・性)
68
差異
さい[1]さい頭高型
定義
ある物事について、他と比較した時に見られる違い。
『現代文キーワード読解』1-1 ☑68
原書の解説
近代の言語観では、言葉はそれ自体で意味をもっていると考えられていた。しかし現代では、言語は他の言葉との差異によって意味をもつという考えが主流になっている。
なお、言語から離れるが、商品の価値も、商品のもつ情報の差異によってもたらされるという考え方もできる。
たとえば
「兄」という語は、「弟」という語との差異によって、はじめて意味をもつ。
使用の境界他と比較したときに見られる違い。比較の相手を前提とする点が要点で、単独では成り立たない。
用法現代言語論の中核をなす。近代の言語観では語がそれ自体で意味を持つとされたが、現代では語は他の語との差異によって意味を持つとされる。「兄」は「弟」との差があって初めて意味を持ち、単独では成り立たない。この考えは言語を超えて広がり、商品の価値も他商品との情報の差異によって生まれるという議論(差異化)に接続する。広告論・消費社会論で頻出するので、言語の話に限定せずに読む。
用例
- 言語は他の言葉との差異によって意味をもつ。現代言語観の中核。語は単独では意味を持たない。
- 「兄」は「弟」との差異によってはじめて意味をもつ。比較の相手がなければ成立しない。
- 商品は機能ではなく差異によって売れる。消費社会論への展開。差異化が価値を生む。
派生形
- 差異化[0]
- 差異的[0]
- 微差[1]
類語と差
- 違い異なっていること日常語。差異は〈意味を生む違い〉という理論的な含みを持つ。
- 区別見分けて分ける認識する側の働き。差異は関係そのものの性質。
- 個性そのものらしさ内側に備わったものとして語る。差異は関係の中でしか出てこない。
- 同一区別できないこと対語。どちらも比較を前提とする点では同じ構造をもつ。
ENdifference
ZH差异(差異, chāyì)
69
同一
どういつ[0]どういつ平板型
定義
二つ以上の物事の性質が同じで、区別ができないこと。
『現代文キーワード読解』1-1 ☑69
原書の解説
〈明けの明星も宵の明星も同じ金星だ〉という時、〈明けの明星〉と〈宵の明星〉は、土星などの他の星との比較で、同一の性質をもつものとみなされている。
また、〈今日の私は、昨日の私と変わりのない私だ〉という時には、昨日と今日とを比較した上で、変化しない同一の〈私〉の性質が言われている。
このように、差異と同じく、同一も何かとの比較を前提としている概念だと考えられる。なお、自己の人格についての同一性(自己同一性)は、アイデンティティとよばれている。
使用の境界二つ以上のものが同じ性質を持ち、区別できないこと。差異と同じく比較を前提とする。
用法要点は、同一もまた比較を前提とする概念だという点にある。明けの明星と宵の明星が「同一だ」と言えるのは、他の星と比べたうえでのことである。昨日の私と今日の私が同じだと言えるのも、昨日と今日を比べているからである。したがって差異と同一は反対語でありながら、構造は同じ。この指摘が読解の急所になる。自己についての同一性はアイデンティティと呼ばれ、近代論・現代社会論に接続する。
用例
- 明けの明星と宵の明星は同一の金星である。他の星との比較を経て同一だと言える。
- 同一も差異と同じく、比較を前提とした概念である。反対語だが構造は同型。ここが要点。
- 自己の同一性はアイデンティティとよばれる。近代論・現代社会論への接続点。
原書の反意語・関連語反 68 差異 / 関 アイデンティティ
派生形
- 同一性[0]
- 同一化[0]
- 自己同一性[0]
類語と差
- 同じ違いがない日常語。同一は〈何との比較において同じか〉を含意する。
- 等価価値が等しい交換の話。同一は性質の話。
- アイデンティティ自己の同一性自分が自分であり続けること。同一性の一用法。
- 差異比較して見られる違い対語。両者は反対でありながら、比較を前提とする点では同型。
ENidentity
ZH同一(同一, tóngyī)
70
一義(的)
いちぎ[1]いちぎ頭高型
定義
① 意味や解釈が一つしかないこと。 ② 最も大切なこと。根本。
『現代文キーワード読解』1-1 ☑70
使用の境界①意味や解釈が一つしかないこと。②最も大切なこと、根本。二つの用法が同居する。
用法二つの用法があり、混同すると設問を落とす。①意味が一つしかない(一義的な解釈)。②第一に、根本的に(一義的には政府の責任だ)。②は行政・報道でよく使われ、こちらのほうが日常では頻度が高い。評論文では①が中心で、言語の多義性を論じる文脈で対比項として置かれる。「一義的に決まる」は、解釈の余地がないという意味。「義」は〈意味〉であることを押さえておくと、一義・両義・多義が一列に並ぶ。
用例
- 法の条文は一義的に解釈できるとは限らない。①の用法。解釈の幅があるという主張。
- 一義的には、これは行政の責任である。②の用法。第一には、という意味。
- 「義」は〈意味〉のこと。一義・両義・多義を並べて理解する鍵。
類語と差
- 多義多くの意味を持つ対語。解釈の幅の有無で分かれる。
- 明確はっきりしている分かりやすさの話。一義は解釈の数の話。
- 一意ただ一つに定まる数学・情報の語。日本語の日常文では使わない。
- 第一義最も重要な意味②の系列。「第一義的には」の形で使う。
ENunivocal
ZH单义(一義, dānyì)
71
両義(的)
りょうぎ[1]りょうぎ頭高型
定義
正反対となる二つの意味をもち、どちらの意味にも取れること。
『現代文キーワード読解』1-1 ☑71
使用の境界正反対の二つの意味を同時に持ち、どちらにも取れること。単に意味が二つあるだけでは両義ではない。
用法最も誤りやすい語である。「二つの意味」ではなく「対照的な二つの意味」が要件になる。原書が挙げる例は身体で、自分の意のままになる主体的な側面と、単なる物体という客観的な側面を同時に持つ。この二つは正反対だから両義的と言える。評論文では、近代が切り捨ててきた〈どちらとも決まらないもの〉を救い上げる文脈で使われることが多く、肯定的な評価を伴う。「曖昧」と訳すと誤りになるので、必ず〈対照的な二つ〉と押さえる。
用例
- 身体は主体でも物体でもあるという点で両義的である。正反対の二側面を同時に持つ。原書の例。
- 聖なるものは、清浄と不浄という両義性を帯びる。対照的な二つの意味が同居する典型。
- ×意味が二つあるから両義的だ。対照的でなければ「多義」。ここが設問になる。
派生形
- 両義的[0]
- 両義性[0]
類語と差
- 多義多くの意味を持つ数の話。両義は〈対照的な二つ〉という条件が付く。
- 曖昧はっきりしない欠点として言う。両義はその構造自体が対象の性質だと述べる。
- アンビバレント相反する感情を同時に抱く心理の語。両義は対象や概念についても言う。
- ディレンマ二つとも選べない選択の場面。両義は意味の構造。
ENambivalent
ZH两义(両義, liǎngyì)
72
多義(的・性)
たぎ[1]たぎ頭高型
定義
多くの意味をもっていること。または、いくつもの意味に解釈できること。
『現代文キーワード読解』1-1 ☑72
使用の境界多くの意味を持ち、いくつもの解釈が成り立つこと。対照的である必要はない点が両義と違う。
用法評論文では肯定的に扱われる。言語が多義であるからこそ、テクストは複数の読みに開かれ、コンテクストによって意味が変わる。この主張が「作者の意図が唯一の正解ではない」という読解観を支える。日常では多義性は不便さとして扱われるが、評論文でそう読むと逆になる。両義との差が設問になりやすく、多義は数だけ、両義は対照的な二つという線で分ける。「一義」との対で置かれることが多い。
用例
- 言語の多義性が解釈の多様性を支えている。評論文での肯定的な用法。読みの複数性の根拠。
- この詩は多義的に読める。複数の解釈が成り立つ。優劣をつけない言い方。
- 多義と両義は別語である。多義は数、両義は対照性。混同が設問になる。
類語と差
- 一義意味が一つしかない対語。解釈の幅の有無で分かれる。
- 両義対照的な二つの意味を持つ条件が厳しい。多義は数だけを言う。
- 曖昧はっきりしない否定的な評価。多義は評論文では肯定的に扱われる。
- 含蓄言外に意味を含む味わいの話。多義は解釈が複数成り立つという構造。
ENpolysemy / multivocal
ZH多义(多義, duōyì)
解説 ── 一義・両義・多義
「義」は〈意味〉のこと。したがって、一義とは一つの意味しかないことであり、多義とはさまざまな意味をもち得ることを言う。ちなみに「一義的」には、〈第一には〉という意もあることを覚えておこう。
注意が必要なのは両義だ。両義は、単なる「二つの意味」ではなく、「対照的な二つの意味」がある場合に用いられる。たとえば我々の身体は、自分の意のままになる主体的な側面と、単なる物体という客観的な側面とがあるという点で、両義的な存在である。
対立の軸
差異/同一 の軸 = 比較の結果が違いか同じか
差異他と比べたときに見られる違い。
比較の結果が違いか同じか
同一二つ以上の性質が同じで区別できないこと。
一義(的)/多義(的・性) の軸 = 意味の数
一義(的)意味や解釈が一つしかない。
意味の数
多義(的・性)多くの意味をもち、複数の解釈が成り立つ。
差異が意味をつくり、同一もまた比較を前提とする
一義・両義・多義 ── 数と質