近代化⚠
きんだいか[0]平板型
中世の封建的な社会を脱して、民主的な社会・産業社会へと、社会が変わっていくこと。
『現代文キーワード読解』1-1 ☑119
中世ヨーロッパの社会は、キリスト教的価値観・封建的身分制度による支配の下にあったが、ブルジョワジーの台頭や市民革命などを経て、合理的で民主的な社会が実現された。
このように中世的な社会を脱して、理性的な市民によって民主的な社会が運営されるようになったり、人々が合理的な価値観をもつようになったりしたことを近代化と言う。
近代化は、民主化・合理化の他にも、個人主義化・産業化・資本主義化といった多様な側面から論じられる概念でもある。
時代的には、十七〜十八世紀の西欧で最初に実現され、その後西欧諸国が世界各地で勢力を拡大したため、日本などでは急速な近代化が求められることになった。
こうした西欧以外の国々では、西欧化がそのまま近代化と同義であるが、その過程では、精神的側面よりも制度・技術の導入が重視されることが多かった。
封建的な社会を脱し、民主的・産業的な社会へ変わること。技術の導入だけでは近代化とは言わない。
評論文で最も重要なのは、この語がある一つの尺度を含んでいるという点である。西欧で理論化された条件(ブルジョワジーの台頭・市民革命・自我の確立)を基準にすれば、それを満たさない社会は自動的に「遅れている」ことになる。原書の入試文は、明治以来の日本の知識人が自国を前近代だと考えて呻吟してきたと述べる。つまり近代化という語そのものが、☑75 自文化中心主義の構図を内側に抱えている。
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西洋の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的というのは内から自然に出て発展するという意味で、ちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむを得ず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。夏目漱石『現代日本の開化』(1911)
近代化という語を、速さではなく向きで捉えた一節である。漱石は「遅れている/進んでいる」とは言わない。力がどちらから来たかだけを問題にしている。この置き換えが効いているのは、遅速の話にするといずれ追いつくという慰めが残るのに対し、内発/外発の話にすると追いついた先でも同じ空白が残るからだ。花の比喩がむごいのはそこである — 外から開かされた花は、咲いてはいるが、咲く理由を自分の内側に持っていない。漱石はこの講演の末尾で「涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない」と言い切る。批判して終わらず、それでも進むほかないと認めたところに、この文章の重さがある。 -
一身独立して一国独立す。福沢諭吉『学問のすゝめ』三編(1873)
近代化の順序を八字で言い切った句である。国が独立してから人が独立するのではない。人が独立しなければ国は独立しない。福沢がこの順序にこだわったのは、当時の日本が国家の体裁だけを西洋に似せようとしていたからだ。制度は輸入できるが、その制度を動かす人の構えは輸入できない。119 の近代化が、技術・制度・意識の三層で進み、層ごとに速度が違うと言われるとき、福沢が見ていたのはいちばん下の層である。漱石の「外発的」と福沢の「一身独立」は、同じ空白を、諦めの側と要求の側から言っている。 - 明治日本の近代化は、制度の移植としては速く、意識の変容としては遅かった。 近代化を単一の速度で語らないのが、この語の使い方の勘所である。鉄道と憲法は数十年で入るが、家や村の中の関係はそれほど速く変わらない。評論文が「近代化の歪み」「未完の近代」と言うとき、指しているのはたいていこの層のあいだのずれだ。
- ×駅前が近代化されて、きれいなビルが建った。 通じるが、これは「近代的になった」=新しくなったという日常語であって、評論語の近代化ではない。評論語の近代化は社会の仕組みと人の意識がひとまとまりに組み替わる過程を指す。建物の建て替えを言いたいなら「再開発」「更新」が正しい。日常語の近代化は褒め言葉、評論語の近代化は分析語で、符号がそもそも付いていない。
- 近代[1]時代区分の名。「化」を外すと過程ではなく時期を指す。日本史では明治維新以後、西洋史ではおおむね市民革命以後を言う。始まりの置き方が国ごとに違うことを覚えておくと、比較の文章でつまずかない。
- 近代的[0]性質を言う形容動詞。「近代的自我」「近代的思考」のように近代に特徴的なの意で使うのが評論語。日常語の「近代的な設備」は新しい・便利だの意で、評論語とは別物である。
- 前近代[3]近代を基準に、その手前を一括りにする語。便利だが危うい。数千年の多様な社会を「まだ近代でない」という一点で束ねてしまうからだ。「前近代的だ」が非難として働くとき、その文章は近代を到達点として扱っている。
- 近代化の代償差引きの語近代化によって得たものと引き換えに失ったもの。「代償」という語がここで選ばれるのは、失ったものが偶然の副産物ではなく、得るための支払いだったと見るからだ。共同体の相互扶助を失ったのは近代化が下手だったからではなく、個人を析出させることが近代化そのものだった。この語を使う文章は、たいてい近代化を止めろとは言わない。支払ったものを数え直せ、と言っている。
- 後発の近代化位置の語先に近代化した国を見ながら進む近代化。重要なのは、後発であること自体が近代化の中身を変えるという点である。先発国では技術・制度・意識が数百年かけて順に育ったが、後発国では三つが同時に、しかも上から降ってくる。漱石の「外発的」はこの構造の別名だ。後発は遅れではなく、別の形である。
- 近代化を推し進める主語を要求する語「推し進める」と言った瞬間に推す主語が要る。西欧の近代化は市民が推したことになっているが、日本の近代化を推したのは国家だった。誰が推したかが、その後の社会の形を決める。国家が推した近代化では、個人は権利の主体としてより先に国民という資源として立ち上がる — 125 の国民国家と切り離せない理由がここにある。
- 近代化論学問の名としての語一九五〇〜六〇年代に、すべての社会は同じ道を同じ順で通ると説いた理論。この語が批判的に引かれることが多いのは、「同じ道」という前提が、欧米を地図の完成形に据えていたからだ。1-4 の 75 で見た自文化中心主義が、ここでは発展段階論という形をとっている。近代化という語を無邪気に使えなくなったのは、この批判以降である。
書き言葉・会話の両方で使える。
- 西欧化西欧の制度と文化を取り入れる西欧以外の国では近代化とほぼ同義になった。この重なりが批判の的になる。
- 工業化産業の中心が工業に移る経済の側面だけを言う。近代化はより広く、価値観の変化を含む。
- 民主化権力が国民に開かれる政治の側面。近代化を構成する一要素。
- 発展規模や水準が上がる方向を含まない中立語。近代化は目指すべき到達点を含意してしまう。
ENmodernisation
ZH现代化(近代化・現代化, xiàndàihuà)
日中のズレ
中国語の 现代化(xiàndàihuà)は「現代化」であり、日本語の「近代」と「現代」の区別に対応する語が中国語にはない。
中国語で歴史区分としての近代は 近代(jìndài)、現代は 现代(xiàndài) と分けるが、日常の「〜化」は 现代化 に統一される。