Chapter 1-7

現代社会

[ 原書 第1部 第7章 現代社会 ]

語数 20 / 節 18 / 1節 約1015

原書の導入

現代社会とは何か

現代社会特有の問題

第6章「近代」で、入試に出題される文章の多くが「近代批判」をテーマとしていることに触れたが、「現代社会」についても基本的には同じことが言える。現代社会の枠組みは近代につくられており、近代社会の帰結として現代社会があるからだ。たとえば「近代合理主義」「資本主義」は、いまだに我々の社会の支配的な価値観や制度として機能している。

しかし一方で、「近代社会」にはなかった現代社会の特徴とよぶべきものもあり、消費社会・大衆社会・情報化社会などの言葉がそれに当たる。

そこで、入試に出題されやすいテーマに絞って、現代社会の輪郭を示す。

生産から消費の時代へ

現代社会の特徴として、まず挙げられるのは、現代は「消費社会」だということだ。ここで「消費社会」というのは、我々の価値観が「生産」よりも「消費」を優位としていることを指している。

例を挙げよう。戦後、一九六〇年代ぐらいまでの日本人にとっての消費とは、「皆と同じモノを買う」ことだった。「三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)」や「3C(Color TV・Car・Cooler)」という言葉が象徴するように、当時の人々は、こうした製品を買い揃えることで「人並み」「中流」になることを求めていたのだ。

しかし七十年代後半〜八十年代に入ると、消費社会の風景はうって変わる。豊かさの象徴である「三種の神器」「3C」が一通り行き渡った先に、人々が求めたのは、「他人とは違う自分」が表現できるモノやアイテムだった。

消費によって「他人とは違う自分」を表現する、とはどのようなことか。腕時計を買う場合で考えてみよう。いまや我々は、単に「安い」「正確」というだけで腕時計を選ばない。むしろ腕時計のデザインを吟味して、どれが「自分の趣味・センスに合っているか」と考えるはずだ。

つまり我々は、「時間を指し示す装置」としてだけでなく、「自分を個性的にしてくれるアイテム」として腕時計を買っているのだ。この時モノは、消費する人間の趣味や嗜好を表す記号として作用している。

こうした状況を、肯定的・否定的のどちらにとらえるかは論者によって意見が割れるが、入試では、消費と個性やアイデンティティとを関連づける文章が出題されることを頭に入れておこう。

情報の時代

消費社会と並んで現代社会を特徴づけるのが、「情報化社会」という言葉だ。この言葉は、もともと「工業化社会」「産業化社会」という言葉との対比で登場してきた。

工業化社会とは、いわば「モノ重視」の社会のことであり、大量生産・大量消費によって経済の成長を目指す社会のこと。他方、情報化社会は、モノ以上に情報の価値が重視される社会のことを言う。

情報重視の社会では、情報を所有する集団、すなわちマス・メディアが大きな権力をもってきたが、インターネットの普及により、誰もが不特定多数の人に向けて情報を発信することができるようになった。

入試でも、インターネット時代の「情報」を論じる問題文が見られる。

民主主義の形骸化

消費社会や情報化社会は、現代の文化や経済に関わる特徴だが、政治をテーマにした文章では「大衆社会」という言葉もよく登場する。これは民主主義の形骸化を指摘した言葉だ。

民主主義は、選挙などを通じて我々の手によって政治を運営する仕組みであり、近代の輝かしい遺産だとされている。

しかし、この民主主義は、実際は危うい側面をもっている。選挙によって決定された我々の代表が政治を行うが、その時、「間違った代表」を選んでしまったらどうなるだろうか。あのヒトラーさえも、民主的な手続きによって生み出された。皆で間違った方向へ進んでしまう時に、ブレーキをかけることができるのだろうか。

民主主義とは本来、国民同士の対話や討論を重ねることで、よりよい政治を実現していくことを目的としている。

しかし現代社会の個人は、政治的な関心が希薄になり、メディアの情報や周囲の人の考え方に流されやすいという側面をもつ。このような画一的で受動的な人々を「大衆」という言葉で批判することがあるが、そうした大衆からなる大衆社会のもとでは、民主主義も機能不全を起こしかねない。

民主主義は確かにすばらしい政治システムだが、それを支える我々一人一人が、不断の努力を重ねることによって、その形骸化を防がなければならないだろう。

Macro — 現代社会の地図

現代は、近代が行き着いた先である

近代の三つの特質と、その行き着いた先生産優位・産業化社会・民主主義という近代の三特質が、それぞれ消費社会・情報化社会・大衆社会へ変質したことを示した図。 近代の特質 現代への変質 生産優位 作ることが社会を動かす 消費社会 差異を買うことが社会を動かす 産業化社会 物とエネルギーが価値をもつ 情報化社会 情報が価値をもつ 民主主義 自立した市民が担う 大衆社会 匿名の多数が主役になる 現代社会は近代の次に来た別の時代ではない。近代が行き着いた先である。 だから近代を知らなければ、現代社会論は読めない
生産優位・産業化社会・民主主義が、それぞれ何に変質したか

現代社会は、近代の次に来た別の時代ではない。近代がもっていた三つの特質が、そのまま推し進められた結果である。生産が優位だった社会は消費社会になり、物とエネルギーが価値をもった産業化社会は情報化社会になり、自立した市民が担うはずだった民主主義は大衆社会になった。だから現代社会論を読むには、第6章の近代がそのまま前提になる。

この章の二十語は、大きく二つに分かれる。近代が生んだ帰結を名指す語(大衆社会・消費社会・情報化社会・監視社会・システム・装置・リスク)と、その帰結を問い直す語(エコロジー・多様性・構造主義・フェミニズム・ジェンダー・ポストモダン)である。

Index — 16 sections

  1. 01大衆社会
  2. 02消費社会
  3. 03情報(化)社会
  4. 04監視社会
  5. 05システム
  6. 06装置
  7. 07リスク
  8. 08グローバル化(グローバリゼーション)
  9. 09エコロジー
  10. 10多様性
  11. 11構造主義
  12. 12アカデミズム
  13. 13ジャーナリズム
  14. 14マジョリティー/マイノリティー
  15. 15フェミニズム
  16. 16ジェンダー
  17. 17ポストモダン
  18. 18自己決定/自己責任
Section 01

大衆社会

141★★★

大衆社会たいしゅうしゃかい

たいしゅうしゃかい[0]平板型

語構成
おおきいおおぜい社会人の結びつき
定義

大多数の人々の集団が、大きな力をもつ社会。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑141
原書の解説

大衆社会という語は、入試現代文で使われる場合には、ほとんどよい意味では使われない。

「大衆」とは、精神的に未熟で快楽だけを追求する、受動的な人々であるとされる。このような大衆が主人公となる社会が大衆社会である。

大衆社会の問題点として、最もよく挙げられるのが、大衆の政治的無関心である。大衆は自分自身の快楽にしか興味をもたず、社会的責任を果たすことを考えないため、政治に関して無関心になる。

民主主義社会では、選挙などの政治行動を通じて、国民が国家を監視・コントロールすることが重要であり、大衆社会は政治の腐敗を招く恐れがある。

もう一つ、問題点として多く挙げられるのが、情報操作・扇動に弱いことである。大衆社会では、ある特定の方向へ熱狂的に大衆の意識が向かうことがあり、ブレーキがかからなくなってしまうのだ。

なお、理性的・知的な市民よりも状況に流されやすい大衆の存在を重視し、その支持を求める手法や運動をポピュリズムとよぶ。

使用の境界

自立した判断をもたない匿名の多数が社会の主役となった状態。人数が多いことを言うのではない。

用法

要点は「大衆」が数の話ではないことにある。自立して判断する市民(☑122)が、マスメディアと大量生産のもとで受け身の均質な存在に変わった──この質の変化を指す。オルテガの『大衆の反逆』が古典で、大衆とは自分が凡庸であることを知りながらそれを権利として主張する人間だとされた。評論文では民主主義の変質(☑127)と結びつけられ、世論操作に弱くなった社会として批判的に語られる。「大衆的」は日常語では〈手頃で親しみやすい〉の意になる。

用例
  • 大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特別な価値を認めない── 良かれ悪しかれ「みんなと同じ」だと感じ、しかもそのことに苦痛を覚えず、むしろ他人と同一であると感じることに喜びを見いだす、そういうすべての人のことである。ホセ・オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(1930)/訳は本教材
    「大衆」を、階級ではなく態度として定義した一節である。ここが決定的に重要だ — 貧しいから大衆なのではない。学者にも富豪にも大衆はいる。定義の中身は「自分に要求しないこと」である。オルテガは別の箇所で、「みずからに多くを要求し、進んで困難と義務を負う者」と「自分に何の要求もせず、すでにある自分で満足する者」に人を分けた。注目したいのは、「みんなと同じ」であることに苦痛を覚えないという条件だ。同じであること自体は避けられない。それを心地よいと感じたところで、人は大衆になる。1-6 の 123 で見た個人という単位が、数として集まった瞬間に何を失うかが書かれている。
  • 群衆のなかの個人は、孤立していたときとはまったく別の存在になる。……彼は、文明の階段を幾段も下りてしまう。ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』(1895)/訳は本教材
    大衆社会論のいちばん古い層にあたる。注意したいのは、ル・ボンが「悪い人が集まる」とは言っていないことだ。同じ人が、集まると別人になると言っている。個人としては臆病な者が群衆では大胆になり、思慮深い者が群衆では即断する。足し算ではなく変質である。この見方は現代でも生きているが、同時に危うさも抱えている — 「群衆は愚かだ」という結論は、そのまま民主主義への不信になりうる。事実、ル・ボンのこの書は大衆を動員する側にも熱心に読まれた診断が、そのまま処方箋として使われてしまうという社会科学の宿命が、ここに現れている。
  • 大衆社会とは、身分や共同体から切り離された多数の個人が、たがいに似た生活をしながらたがいに無関係でいる社会である。 「似ている」と「つながっている」を分けて書くのが要点である。同じ番組を見て同じ商品を買うが、隣の人と話さない。1-6 の 124 の共同体では違いがあってもつながっていた。大衆社会はその逆である
  • ×休日のショッピングモールは大衆社会でごった返していた。 人の集まりを言うなら「人混み」「群衆」である。141 は社会の型を指す語で、その場にいる人々の集まりではない。なお「大衆」単独なら人々を指せるが、やや古風で、上から見下ろす含みが出るため、現代の文章では慎重に使う。
原書の反意語・関連語

関 民主主義(127)

派生形
  • 大衆たいしゅう[0]もとは仏教語で、寺院に集まる僧の群れを指した。近代に mass の訳語となって不特定多数の人々の意になる。「民衆」が統治される側、「公衆」が議論する側を指すのに対し、大衆は数として扱われる側である。
  • 大衆的たいしゅうてき[0]二つの向きがある。肯定なら親しみやすい(大衆的な価格)、否定なら低俗な(大衆的な趣味)。同じ語で褒めも貶しもできるのは、「多くの人に届く」ことの評価が定まっていないからである。
  • 大衆化たいしゅうか[0]限られた者のものが多数に開かれること。「大学の大衆化」「教養の大衆化」など。開かれることと薄まることが同時に起きるため、この語はほぼつねに両義的に使われる
コロケーション
  • 原子化個人がばらばらになる語共同体から切り離され、たがいに結びつかない個人の状態。「原子」という語が選ばれるのは、それ以上分けられず、かつ互いに結合しないという二つの含みがあるからだ。1-2 の要素論の像が、ここでは社会の診断に使われている。原子化した個人ほど動員されやすい — 1-6 の 138 で見た通りである。
  • 画一化中身がそろう語生活様式・趣味・意見が一様になること。注意したいのは、誰も命じていないのに進む点だ。同じ商品が最も安く、同じ番組が最も多く見られ、多数派に合わせるのが最も損をしない。1-6 の 140 の均質化が、人の趣味の水準まで降りてきた形である。
  • 大衆消費社会二つの語を継ぐ語大衆社会が消費を軸に組み上がった段階。この結びつきが自然に見えるのは、切り離された個人を再び束ねたのが商品だったからだ。身分でも土地でもなく、何を買うかで自分が何者かを示すようになる。142 へは、ここでつながる。
  • 大衆の反逆書名が語になった例オルテガの書名が、そのまま事態を指す語になったもの。「反逆」と訳される語が指しているのは革命ではない大衆が、指導する側の資格を問わずに社会の全面に出てきたことを指している。反逆の相手は権力ではなく、卓越そのものだという読み方をすると、この語は効いてくる。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 市民社会自立した個人が契約で結ぶ社会☑122。市民が大衆に変質した先が大衆社会。同じ人々の質の変化を言う。
  • 民衆支配される側の人々身分や階層を含意する。大衆は匿名性と均質性に重心がある。
  • 群衆一時的に集まった人の群れその場かぎり。大衆は社会構造として持続する。
  • 公衆公共の問題を論じる人々議論する主体として想定される。大衆は受け手として想定される。

ENmass society
ZH大众社会(大衆社会, dàzhòng shèhuì)

近代の三つの特質と、その行き着いた先生産優位・産業化社会・民主主義という近代の三特質が、それぞれ消費社会・情報化社会・大衆社会へ変質したことを示した図。 近代の特質 現代への変質 生産優位 作ることが社会を動かす 消費社会 差異を買うことが社会を動かす 産業化社会 物とエネルギーが価値をもつ 情報化社会 情報が価値をもつ 民主主義 自立した市民が担う 大衆社会 匿名の多数が主役になる 現代社会は近代の次に来た別の時代ではない。近代が行き着いた先である。 だから近代を知らなければ、現代社会論は読めない
近代の三つの特質と、その行き着いた先
入試文

政治=権力との対抗関係がないという意味ではないが、マス・メディアは、全体として、現代社会の権力と権威的秩序の一端をになう位置へと変化してきた。マス・メディアがつくりだす文化も、したがって大衆文化の多くも、文化という次元のうえで、弱者の抵抗表現を核にした下位文化とはとてもいえない権威的な存在へと変貌している。
大衆文化のつくり手のもつ意識がこの秩序どおりでないとしても、大量生産のかたちを介するかぎり、大衆文化は大衆社会に固有の権威的構造・秩序のなかに組みこまざるをえない。
フォーマルな、権威のある文化に押さえつけられた大衆文化がある、という図式は崩れ、たとえばクラシック音楽とポピュラー音楽との差違にかんして私たちがまだなんとなく感じている、「高級/低級」という文化秩序も実際的には(文化生産とその消費のありようとしては)逆転しつつある。

出典 中西新太郎「文化的支配に抵抗する」 / 出題 センター本試験(国語Ⅰ・Ⅱ)

読解のポイント
  • 従来=弱者の抵抗表現を核とした下位文化
  • 現在=権威的な存在へと変貌
  • 権威ある文化に押さえつけられた大衆文化があるという図式は崩れ、文化秩序は逆転しつつある
要約

マス・メディアは、全体として権威的な存在へと変化しており、権威ある文化に押さえつけられた大衆文化という図式は崩れつつある。

語法の観察

「〜になった」という完了形を重ねて変質を描く。誰がそうしたかを書かないことで、構造の変化として提示している。

Section 02

消費社会

142★★★

消費社会しょうひしゃかい

しょうひしゃかい[0]平板型

語構成
きえるついやす社会人の結びつき
定義

大量のモノやサービスを消費する、高度に発達した資本主義社会。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑142
原書の解説

消費社会の「消費」とは、社会的・文化的欲望を充足させるためにモノやサービスを消費することである。

消費社会以前にも人間は消費をしてきたが、それは身体的・生理的な欲望のためであった。

現代のような消費社会では、消費に対する人々の欲望は、きらびやかなCMや広告などの情報によって喚起される。情報には限界がないので、当然、我々の欲望にも限りはない。そして、限界なき欲望に応じるように、モノが大量に生産・消費されていく。これが現代的な消費社会を駆動させているシステムだ。

しかし、情報や欲望には限界がなくても、モノには限界がある。大量生産と大量消費を内蔵している消費社会は、大量採取と大量廃棄をも不可避とするので、資源の枯渇や環境問題をもたらしてしまった。

同時に、消費社会の実現は、生産優位から消費優位へと人々の価値観も大きく変えた。

消費社会を生きる人々は、消費によって「自分らしさ」や「個性」を獲得しようとする。たとえば、高級ブランドのバッグを身につけるのは、単に物を入れて運ぶためでもなければ、デザインが美しいからでもない。そのバッグを持つことで、自分のセンスがよいこと・高級バッグを持つことができる経済的余裕があることなどを、自分にも他人にも理解させるためである。

この時商品は、〈センスのよさ〉〈経済的余裕〉を意味する〈記号〉として機能しており、人々は、商品のもつ記号性によって「個性」を演出していることになる。

使用の境界

生産より消費が社会を動かす原理となった状態。物を大量に買うことではなく、何のために買うかが変わった点を指す。

用法

要点は買う理由の変化にある。必要だから買うのではなく、他人と違うことを示すために買う。ボードリヤールはこれを記号としての消費と呼んだ。したがって欲望は満たされることがなく、消費は終わらない。ここで☑68 差異(他との差によって意味が生じる)が経済の場面に現れる。☑18 パラドックスの項にあった「豊かになるほど欠乏感が強まる」も同じ構造である。評論文では、消費社会が人の欲望そのものを作り出す点が問われる。

用例
  • 財を顕示的に消費することは、有閑階級の紳士が評判を保つための手段である。……財の消費は、生活の必要を満たすためではなく、支払能力を証明するために行われる。ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』(1899)/訳は本教材
    消費社会論の起点になった一節である。「顕示的消費」という語の鋭さは、消費の目的が使うことではなく見せることだと言い切ったところにある。いったんそう見ると、不便であることが価値になる場面が説明できる。手入れの要る服、時間のかかる作法、実用に耐えない靴 — それらは「働かなくてよい」ことの証明だ。効率の悪さが、意図せずではなく意図して選ばれている。1-6 の 133 のフェティシズムと合わせて読むと、物が機能ではなく記号として消費されるという現代の議論の骨格ができあがる。
  • いき(粋)とは、垢抜けして、張のある、色っぽさである。……媚態は、二元的可能性を持続せしめる二元的態度である。九鬼周造『「いき」の構造』(1930)
    消費社会の語彙で読むとまったく別の顔を見せる一節である。九鬼が分析しているのは美意識だが、その構造は差異による自己の表示そのものだ。「垢抜け」とは野暮でないこと、つまり他者との差異である。「張」とは媚びきらないこと、つまり差異を保ち続けることだ。注目したいのは「二元的可能性を持続せしめる」という一句 — 手に入ってしまえば終わるのである。1-6 の 136 で見た「無限への憧憬」と同じ構造がここにあり、消費社会が欲望を満たさずに再生産し続ける仕組みと形が一致する。江戸の美学が、現代の消費の文法を先に書いていた
  • 消費社会では、人は物の機能ではなく、物が指し示す差異を買う。 「差異」が定義の核である。同じ性能の鞄が二つあって値段が十倍違うとき、買われているのは性能ではない。1-3 の記号論と 1-6 の 133 がここで合流する — 商品は記号であり、意味は他の商品との差からしか出ない
  • ×節約を心がけて、消費社会を控えるようにしている。 個々人の行いを言うなら「消費」「浪費」である。142 は社会全体の型を指す語で、個人が控えたりできるものではない。むしろ「消費を控える」ことすら一つの選択肢として商品化されるのがこの社会の特徴で、断捨離もミニマリズムも外へは出ていない
原書の反意語・関連語

関 資本主義(128)

派生形
  • 消費しょうひ[0]「費やして消す」という字面。経済学では生産に対する語で、価値を使い切ることを指す。記号としての消費は何も消していない点でこの字面から外れており、語の意味が実態に追いついていない例である。
  • 消費者しょうひしゃ[0]人を、買う役割だけで名指す語。「市民」が権利の主体、「労働者」が生産の担い手を指すのに対し、消費者は市場の中の位置である。政治の問題が「消費者の選択」に言い換えられるとき、何が抜け落ちるかを考えたい。
  • 消費財しょうひざい[3]生産財との対。最終的に人が使う財を指す。「財」という語が物だけでなくサービスも含むことに注意。現代の消費の中心が物から体験へ移ったことは、この語の射程で説明できる。
コロケーション
  • 記号としての消費中核の語商品を、使うためではなく自分の位置を示すために買うこと。この見方の強みは、「不合理な買い物」を合理的に説明できる点にある。必要でないものを買うのは愚かだからではない。その買い物には別の目的があったのだ。批判の前に理解を置く、よい分析の型である。
  • 欲望の生産順序を逆にする語欲しいものがあるから作るのではなく、作ったものを欲しくさせるという順序。広告の仕事はここにある。重要なのは、これが嘘をつくこととは違う点だ。広告は商品の説明ではなく、その商品を持った自分の像を売る。売られているのは物ではなく差異であるという定義が、ここで具体的になる。
  • 使い捨て時間を短くする語製品の寿命を短く設計すること。この語が消費社会論で重いのは、物が壊れるからではなく、古びるから捨てられることを示すからだ。機能はまだ生きているのに、記号としての価値が先に死ぬ。149 のエコロジーがここへ突き刺さる。
  • 豊かさのなかの貧しさ逆説を立てる語物が満ちているのに満たされないという状態。この言い方が成り立つのは、消費社会の欲望が他者との比較で作られるからだ。絶対量が増えても、差は消えない。むしろ全体が豊かになるほど小さな差が大きく見えるこの社会は原理的に満足に到達しない

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 生産社会生産が中心となる社会先行する段階。近代の産業社会がこれにあたる。
  • 大量消費大量に消費すること量の話。消費社会は消費の意味が変わったことを言う。
  • 記号消費意味や差異を買うボードリヤール。消費社会の中身を説明する語。
  • 差異化他と違うことで価値を生む☑68 差異と接続する。消費社会を駆動する仕組み。

ENconsumer society
ZH消费社会(消費社会, xiāofèi shèhuì)

必要のための消費から、差異のための消費へ必要を満たすために買う消費と、他と違うことを示すために買う消費の違いを示した図。 必要のための消費 必要 購入 満たされる 終わりがある 差異のための消費 他との差 購入 差が消える 新しい差を求めて、また買う 終わりがない ☑68 差異が、経済の場面に現れたものが消費社会である
必要のための消費から、差異のための消費へ
入試文

社会が便利になるとともに、人間は手や足、そして頭脳をますます必要としなくなる。人間がよかれとして作り上げている社会が、逆に未熟で衝動的で、待てなくても暮らせるような人間を作り出す。
言い換えれば、消費社会は消費人間を作り出し、消費人間はまた消費社会を支える。社会と人間の性格には、このような相関関係がある。
したがって、このような社会を暮らしやすいとするか、暮らしにくいとするかと問われれば、確かに表面的には暮らしやすい社会になっているが、成熟しなくてもよいという社会は、ある意味ではやっかいな社会であり、最終的には暮らしにくい社会に逆戻りする可能性をもつ、と答えざるを得ないだろう。

出典 町沢静夫『成熟できない若者たち』 / 出題 信州大学・教育学部

読解のポイント
  • 便利な消費社会 ↓ 人間は手や足、そして頭脳をますます必要としなくなる ↓ 未熟で衝動的で、待てなくても暮らせる人間を作り出す ↓ 暮らしにくい社会に逆戻りする可能性
要約

消費社会は、確かに表面的には暮らしやすい社会になっているが、未熟な人間を作り出す社会でもあるという点で、最終的には暮らしにくい社会になる可能性をもつ。

語法の観察

具体的な買い物の例から入り、そのあとで原理を述べる。読者自身の経験を論拠に取り込む型。

Section 03

情報(化)社会

143★★★

情報(化)社会じょうほうかしゃかい

じょうほうかしゃかい[0]平板型

語構成
情報知らせ・データそうなる社会人の結びつき
定義

生活・経済が情報を中心として発達していく社会。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑143
原書の解説

パソコンやインターネットなどのIT(情報技術)の発達により、現在では情報が世界中を飛び交っている。

現代のように変化の激しい社会においては、情報は国家・企業・組織・個人にとってきわめて重要なものとなる。またITの発達は、一部の国家や都市に集中していた情報を、瞬時に世界中の人に発信することを可能にした。

しかし反面で、このような情報化社会(高度情報化社会)で多くの人が膨大な量の情報を前にして、何が必要で何が不必要かを判断できず、とまどっている。

また、情報技術をもつ一部の国家や人間ばかりに情報が集まる「情報格差(デジタル・デバイド)」も問題となっている。

さらに、「個人情報(プライバシー)」が容易に他人に漏れてしまうということも深刻な問題だ。

たとえば

電気技術や通信網をもたない貧しい国家や地域は、世界の経済からどんどん取り残され、ますます経済格差が広がっていく。

また、いくらパソコンやインターネットが便利だといっても、パソコンの使い方がわからない人や所有していない人はそうした便利さを味わえない。

これが情報化社会がもたらすデジタル・デバイドである。

使用の境界

情報が物やエネルギーより大きな価値をもつようになった社会。情報量が増えたことだけを指すのではない。

用法

評論文で問われるのは技術ではなく、情報が増えたことで何が起きたかである。論点は三つ。①取捨選択の負担が個人に移った、②実体験より情報が先に来るようになった(行く前に知っている)、③情報が☑147 リスクの温床にもなる。原書はこれを☑144 監視社会と接続させる。日本語の「情報」は中国語の 情报 とはずれるので、語彙としても注意を要する。

用例
  • 情報は情報であって、物質でもエネルギーでもない。これを認めないような唯物論は、今日では生き延びることができない。ノーバート・ウィーナー『人間機械論』(1950)/訳は本教材
    情報という語に、独立した身分を与えた一文である。同じ設計図から作られた木の椅子と鉄の椅子は、材料もエネルギーも違うのに同じ形をしている。その「同じ」を担っているものは何か — 物質でもエネルギーでもない何かだ。ウィーナーはそれを情報と呼んだ。この一手が効いてくるのは、情報が減らずに複製できるという性質に気づいたときである。パンは分ければ減るが、知識は分けても減らない。所有と交換を前提に組まれた1-6 の 122 の市民社会が、情報という財の前できしみはじめる理由がここに書かれている。
  • 知は力なり。フランシス・ベーコン『聖なる瞑想』(1597)/訳は本教材
    四百年前の三語が、情報社会でようやく文字どおりになったという読み方ができる。ベーコンの時代、この句は比喩に近かった — 知っていれば自然を操れる、という主張である。ところが現代では、知が比喩でなく資源として売買され、蓄積され、独占される。検索の履歴が値段を持ち、所在地の記録が資産になる。注目したいのは「力」という語の宛先だ。ベーコンが想定したのは自然に対する人間の力だったが、情報社会で立ち上がったのは人間に対する人間の力である。144 の監視社会は、この宛先の変更から生まれた
  • 情報社会の課題は、情報が足りないことではなく、多すぎて選べないことにある。 希少性の位置が動いたことを押さえておきたい。情報が乏しかった時代には情報が資源だったが、溢れた時代に希少なのはそれを受け取る注意のほうだ。注意こそが取り合いの対象になる — この転回が現代の議論の出発点になる。
  • ×最新の家電を揃えて、我が家も情報化した。 機器の導入を言うなら「電子化」「デジタル化」である。143 の情報化は社会の中心的な資源が物から情報へ移ることを指す語で、道具が新しくなることではない何が価値を生むかが変わったかどうかを見るのが、この語の使いどころである。
原書の反意語・関連語

関 資本主義(128)

派生形
  • 情報じょうほう[0]もとは軍事用語で、「敵情の報告」の略とされる。誰かに向けて意味を持つように整えられたものを指し、データとは違う。数字の羅列はデータであり、読み手が意味を取り出せてはじめて情報になる
  • 情報化じょうほうか[0]過程を言う語「情報社会」と「情報化社会」の使い分けに注意したい。前者は到達した状態、後者は移行の途中を指す。一九七〇年代の日本で後者が多用されたのは、まだ来ていない未来として語られていたからだ。
  • 情報リテラシー[6]受け手の能力を指す語。読み書き能力(リテラシー)に倣った造語で、情報を評価し選ぶ力を言う。注意したいのは、この語が責任を受け手へ寄せる働きも持つことだ。「騙されるほうが悪い」という結論に流れないよう、送り手の責任とセットで論じるのが原則である。
コロケーション
  • 情報の非対称力の差を作る語取引する二者のあいだで持っている情報の量が違うこと。この語が重いのは、市場が対等な交換だという前提を内側から崩すからだ。売り手だけが欠陥を知っていれば、契約は自由でも公正ではない。1-6 の 122 の市民社会が前提していた対等さが、ここで条件つきになる。
  • 情報の氾濫量が質を壊す語「氾濫」という水の比喩が的確なのは、多すぎると使えないことを一語で示すからだ。水は要るが、洪水は要らない。情報も同じで、量が閾値を越えると選別の費用が得られる利益を上回る。だから人は選ばなくてよい仕組みに身を委ねる — それが推薦や検索の順位である。
  • デジタル・デバイド格差の新しい形情報技術を使える者と使えない者のあいだの格差。この語が示すのは、情報化が自動的に平等化しないことだ。技術は誰にでも開かれているように見えるが、使いこなす能力は教育と所得に依存する開かれた入口が新しい壁になるというこの構造は、1-6 の 127 の民主主義でも同じ形で現れる。
  • 情報を鵜呑みにする受け手の側の語確かめずに受け入れること。この言い方が現代で重みを増したのは、確かめる手間が受け手に丸ごと移されたからだ。新聞や放送には間に立って確かめる係がいた。直接届く情報にはそれがない。153 のジャーナリズムが問い直されている理由の一つがここにある。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 産業社会物の生産が中心となる社会先行する段階。情報化社会はその次に置かれる。
  • 知識社会知識が価値を生む社会知識は体系化された情報。情報化社会はより広く、流通の速さを含む。
  • メディア情報を媒介するもの手段。情報化社会は社会全体の構造を言う。
  • 情報リテラシー情報を読み解き使いこなす力対処する能力。情報化社会が要請するもの。

ENinformation society
ZH信息社会(情報社会, xìnxī shèhuì)

日中のズレ

中国語では「情報」ではなく 信息(xìnxī) を使う。情報化社会は 信息化社会。

中国語の 情报(qíngbào)は諜報・機密情報の意で、日常的な「情報」とは重ならない。

情報が体験に先立つかつて体験が先で情報が後だった順序が、情報化社会では逆転したことを示した図。 かつて 体験する 知る 驚きが体験の側にあった 情報化社会 知る 体験する 確認になる。驚きが薄れる。 行ったことのない場所を、すでに知っている。見る前に、見え方が決まっている。 取捨選択の負担が、個人の側に移った
情報が体験に先立つ
入試文

どこかに「正解」はあるはずなのだから、それを教えてくれる「情報」を捕まえなければならない。そのような思い込みがあって、二十世紀末の情報社会は生まれるのだが、それがどれほど役に立つものかはわからない。
しかし、「正解」につながる(はずの)情報を仕入れ続けなければ脱落者になってしまう、という思い込みが、一方にはある。だから、それをし続けなければならない。
それをし続けることによって得ることができるのは、「自分もまた『正解はどこかにある』と信じ込んでいる二十世紀人の一人である」という一体感だけである。
だからこそ、情報社会の裏側では、得体の知れない孤独感もまた、同時進行でひっそりと広がって行く。情報社会でなにを手に入れられるのかは知らないが、情報社会の一員にならなければ、情報社会から脱落した結果の孤独を味わわなければならないからである。

出典 橋本治『「わからない」という方法』 / 出題 専修大学・法学部

読解のポイント
  • どこかに「正解」があるという思い込み ↓ 情報社会の成立 ↓ 得体の知れない孤独感 ↓ 情報社会から脱落する孤独
要約

「正解」につながるはずの「情報」を手に入れようとすることによって情報社会は成立したが、その裏側では、情報を手に入れ続けなければ脱落者になるという不安と孤独とが広がっている。

語法の観察

量の増加を述べたあとで、質の変化へ転じる。「しかし問題は」という切り替えが論の重心を示す。

Section 04

監視社会

144★★★

監視社会かんししゃかい

かんししゃかい[0]平板型

語構成
みはるみる社会人の結びつき
定義

権力をもつ組織などに、人々が常に監視されている社会。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑144
原書の解説

監視社会に関する考え方に、哲学者フーコー(1926〜1984年)のものがある。

フーコーは、近代の刑務所では囚人が監視者に常に見られているような仕組みになっていることに着目し、監視されていること(他者のまなざし)が囚人の服従を生み出すと考えた。

現在の私たちの生活に置き換えてみると、監視カメラやGPS機能のついた携帯電話・国民総背番号(マイナンバー)制なども「監視」の例として挙げられる。

監視カメラやGPS機能は、私たちの安全を守るものであるし、国民総背番号(マイナンバー)制は国民へのサービスの向上に役立つものだ。

しかし、これらによって「誰がどこにいて何をしているか」が記録・監視されるということにもなるため、「安全性や利便性の追求」と「個人情報・プライバシーの保護」との兼ね合いが問題になる。

コラム

監視社会の傾向は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ以降強まり、たとえばバイオメトリクス(=指紋などの身体的特徴による生体認証)が導入されるようになった。

一方、商店街の防犯カメラを住民たちで監視することや、ビッグデータの場合には人々の動きを監視・分析するのが巨大コンピュータであることを考えると、監視の主体が特定の権力者から市民や機械へと拡散しているとも考えられる。

使用の境界

個人の行動が絶えず記録され、管理される社会。誰かが見ているという想定だけで人が自分を律する点を含む。

用法

要点は、監視の力が実際に見られていなくても働くことにある。フーコーはパノプティコン(一望監視装置)を近代権力の模型とし、見られているかもしれないという想定だけで人は自分を律すると論じた。この自発的な従順が☑138 全体主義の強制とは違う。現代ではカメラだけでなく、購買履歴・位置情報・検索履歴が監視の材料になり、監視する主体が国家から企業へ広がっている点が新しい。安全と自由のどちらを取るかという問いに接続する。

用例
  • 監視者は見ることができるが、見られていることは決して確かめられない。……これによって、実際には誰も見ていないときでさえ、監視の効果は持続する。ジェレミ・ベンサム『パノプティコン』(1791)/訳は本教材
    監視という技術の設計思想を、それを発明した当人が説明した一節である。要は「確かめられない」の一語にある。見られていると分かるなら、見られていないときは自由になれる。確かめられないなら、つねに見られていると想定して振る舞うほかない。ここで監視は監視者の労力から被監視者の自己抑制へ移し替えられる。ベンサムはこれを費用の節約として誇った。1-6 の 130 で見たとおり、彼は功利計算の人である — 最小の費用で最大の秩序を得る装置効率という善意が、そのまま自由の縮小になるというこの構造が、現代の監視社会論の芯である。
  • ビッグ・ブラザーがあなたを見ている。ジョージ・オーウェル『一九八四年』(1949)/訳は本教材
    二十語の標語が設計思想を裏返している。ベンサムのパノプティコンは監視されていることを確かめられない装置だった。オーウェルのポスターは監視していることをわざわざ告げる。なぜか — 告げたほうが安上がりだからだ。知らせてしまえば、あとは各自が自分を取り締まる。さらに注目したいのは「ブラザー(兄)」という語の選択である。独裁者でも父でもない。身内であり、見守ってくれる者だ。監視が保護の顔をして現れるという洞察が、この一語に畳み込まれている — 防犯カメラも見守りアプリも、同じ顔で我々の前に来る
  • 監視社会を支えているのは強権ではなく、安全と便利を求める我々自身の要求である。 加害者を外に置かないのがこの語の現代的な使い方である。カメラを増やせと求めるのは住民であり、位置情報を差し出すのは自分である。1-6 の 138 の全体主義が上から来たのに対し、監視社会は下から要請される
  • ×親に部屋を監視社会されている。 語の格が合っていない。個別の行為なら「監視されている」「見張られている」。144 は社会全体が記録と照合の網で覆われた状態を指す語である。特定の誰かが見ているのではなく、仕組みが見ているという点がこの語の核心で、見張る人がいる場面には使わない
派生形
  • 監視かんし[0]「監」は上から見おろす、「視」はじっと見る。字面に上下の関係が入っている。対等な相手には使わないのが原則で、「相互監視」という語が不穏に響くのは、この上下が双方向になるからである。
  • 監視カメラかんしカメラ[5]呼び名が争点になる語。設置する側は「防犯カメラ」と呼び、批判する側は「監視カメラ」と呼ぶ。同じ機械に目的を書き込むか働きを書き込むかの差で、名づけがそのまま立場の表明になる
  • パノプティコン[6]ベンサムが設計した一望監視施設。ギリシア語 pan(すべて)+optikon(見る)。実際にはほとんど建てられなかったのに語だけが残ったのは、建物ではなく原理として使えるからである。
コロケーション
  • 自発的な服従監視の完成形見られていることを内面化して、自分で自分を取り締まる状態。この語が示すのは、監視の到達点が監視の不要化だという逆説である。完全に働いた監視装置は、もう誰も見ていなくてよい。ベンサムの設計が最初からそれを狙っていたことは、上の引用の通りだ。
  • データの集積現代に固有の条件断片としては無害な記録が、集まると人物像を描くこと。この語が要るのは、ひとつひとつは誰も監視と呼ばないからだ。買い物の履歴も、通った改札も、単独では取るに足りない。集積という操作が性質そのものを変える — 1-2 の全体論がここでは不吉な形で当てはまる。
  • 安全と自由の交換取引として見る語監視を論じるときの基本の枠組み。ただしこの枠には大きな落とし穴がある — 安全は目に見え、失われた自由は目に見えない。事件が防がれたことは報じられるが、萎縮して言わなかった言葉は誰にも数えられない比較できない二つを天秤に載せていることに自覚がいる。
  • 監視の相互化向きが増える語国家が市民を見るだけでなく、市民どうしが見合う状態。投稿の炎上も、通報のしやすさも、この形に属する。1-4 の 83 の世間が技術を得て距離の制約を外したと読むと分かりやすい。顔の見えない相手からの相互監視が、現代に固有の形である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 管理社会人が組織に管理される社会近い語。監視社会は見られることによる自己規律に重心がある。
  • パノプティコン一望監視装置ベンサムが構想した監獄。フーコーが近代権力の模型とした。
  • プライバシー私生活が干渉されない権利侵される側の権利。監視社会はその侵害が常態化した状態。
  • 全体主義全体のために個を従属させる☑138。強制による支配。監視社会は自発的な従順を生む点が違う。

ENsurveillance society
ZH监控社会(監視社会, jiānkòng shèhuì)

監視の力は、見られていなくても働く一望監視装置の原理と、監視の主体が国家から企業へ広がった現代の状況を示した図。 見られているかもしれない それだけで人は自分を律する 現代の監視 カメラ購買履歴 位置情報検索履歴 監視するのは国家だけではない 安全のために、自由をどこまで手放すか。 強制ではなく、自発的な従順が生まれる
見られていなくても、監視は働く
入試文

空間の管理が強迫的に推し進められていることと、身体が自閉していくこととの間には、何らかの関係がありそうだ。
見知らぬ他者への不安がことさらに煽られる社会にあっては、異質な者を排除することが至上命令となる。そこにおいて過剰な危機管理意識が独り歩きを始めると、やがて自由が剥奪されることに抵抗を感じなくなる。
そして、分断され、他者とつながる術を忘れた身体が、既存の権力装置や資本主義のシステムへ容易に接続されてしまう。多くの人が、安全や安心の代償として空間や身体が干渉されることに、さほど違和感を持っていないように見えることの背景にはこうした変化がある。
犯罪防止の側面ばかりが強調されがちな監視社会化だが、より根源的な問題は、なし崩しに進行していく空間と身体の管理が、社会のすべての成員に不可逆的な影響を及ぼしていることにある。

出典 田仲康博「空間と表象の暴力」 / 出題 佛教大学・仏教学部・文学部・歴史学部など

読解のポイント
  • 監視社会化=空間と身体の管理 ↓ 過剰な危機管理意識 ↓ 身体の分断・他者とつながる術の忘却 ↓ 権力装置や資本主義システムへの接続 ↓ 空間や身体への干渉に違和感を持たない
要約

過剰な危機管理意識が働いた結果、安全や安心の代償として空間・身体への干渉に多くの人が違和感を持たなくなる。「監視社会化」の根源的な問題は、空間と身体の管理が社会の成員に不可逆的な影響を及ぼす点にある。

語法の観察

装置の説明から人の内面の変化へ移る。外側の仕掛けが内側を変えるという道筋をそのまま文章の構成にしている。

Section 05

システム

145★★★

システム

システム[1]頭高型

定義

個々の要素が影響し合いながら、全体として機能するまとまりや仕組み。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑145
原書の解説

システムという考えは、古代ギリシア哲学に由来し、アリストテレス(紀元前384〜前322年)は、「全体は部分の寄せ集め以上の存在である」と述べた。

個々の要素が複雑にからみ合って全体として機能しているものがシステムであり、「系」「体系」「制度」「方式」「機構」「組織」などと言われる場合もある。

システムの考え方は、近代科学で支配的であった要素還元主義を否定して、現代科学における中心的な概念の一つとして確立されている。

コラム

システムというと、巨大コンピュータのように複雑なネットワークで統御され、人間の感情など寄せつけない不可視で冷酷なもののように思われがちである。

しかし実は、学校で交響曲の法則も、花や樹木も、そして私たち人間自身も、複雑なものがからみ合って全体がつくられている以上、みな一つのシステムなのだ。

とくに生物は、「開放系システム」とよばれ、外界の環境にも柔軟に対応することができる存在である。

使用の境界

要素が相互に関係し合って一つのまとまりとして働く仕組み。部分の総和では説明できない点を含む。

用法

評論文では「システムに組み込まれる」という受け身の形で使われることが多い。個人の意図とは無関係に、仕組みそのものが動いてしまう──この自律性が要点である。だれも望んでいないのに環境が破壊される、だれも悪くないのに人が疲弊する。ここで☑21 疎外(自作物が逆に人を支配する)と☑16 自己目的化(手段が目的になる)が同じ構図で現れる。二十世紀の哲学が関係性とシステムを主題にしたのはこの認識による。

用例
  • 彼は、自分の利得だけを意図しているのだが、この場合も他の多くの場合と同じように、見えざる手に導かれて、自分の意図のうちにまったくなかった目的を促進することになる。アダム・スミス『国富論』第四編第二章(1776)/訳は本教材
    システムという語の最も重要な性質を言い当てた一節である。要点は「意図のうちにまったくなかった」だ。システムとは、個々の部分の意図の総和とは別の結果を生む仕組みである。だから誰かを責めても結果は変わらない。ただし注意したいのは、スミスがこの句を『国富論』の中でたった一度しか使っていないことだ。万能の原理として掲げたのではない。後の時代がこの一句を市場礼賛の標語に育てた引用が出典から離れて独り歩きする典型例として、読解の教訓にもなる。
  • 私悪すなわち公益。……蜂の巣が栄えていたのは、そこに悪徳が満ちていたからである。バーナード・デ・マンデヴィル『蜂の寓話』(1714)/訳は本教材
    スミスより六十年早く、システムの逆説を寓話の形で書いた一節である。マンデヴィルの蜂の巣では、虚栄も嫉妬も浪費も渦巻いているが、それゆえに仕事が生まれ、巣は繁栄している。あるとき蜂たちが正直になると、巣は静まり、そして衰える。この寓話が当時猛烈に非難されたのは、道徳と繁栄を切り離してしまったからだ。システムという見方の怖さがここに出ている — 部分の善さと全体の善さは別々に決まるだからシステムを論じる文章は、つねに道徳の言葉を無効化する危険を抱えている
  • システムという語は、責任の所在を人から仕組みへ移す。それは分析の前進であると同時に、免責の口実にもなる。 両面を同時に押さえるのがこの語の扱い方である。仕組みのせいだと言えるようになったことで個人攻撃を避けて原因に迫れるようになったが、同時に「システムだから仕方ない」という逃げ道も生まれた。
  • ×新しいシステムを導入して業務を効率化した。 日常語としては正しいが、評論語の 145 とは別である。この文の「システム」は装置や仕組みという意味の一般名詞だ。評論語のシステムは部分の意図を超えて自分の論理で動く全体を指し、導入したり取り替えたりできるものではない。
派生形
  • 体系たいけい[0]system の古い訳語。「知識の体系」のように整理された全体を指す。評論語のシステムが動いている仕組みを指すのに対し、体系は静止した配置を指す。動くかどうかが訳語の分かれ目である。
  • システム化[0]手作業を仕組みに置き換えること。日常語では肯定的だが、評論文では判断が人の手を離れるという意味で使われることがある。効率化と裁量の喪失は同じことの表と裏だ。
  • システマティック[5]形容詞形。「体系的な」「組織的な」の意。注意したいのは、この語にはほぼつねに肯定の色が付くことだ。同じ事態を「システマティックな管理」と書くか「機械的な管理」と書くかで、読み手の受ける印象は逆になる。
コロケーション
  • システムの論理意志を持たない主語「経営者の論理」ではなく「システムの論理」と書く語法。1-6 の 128 で見た「資本の論理」と同じ構文である。この主語を選ぶと、善人が善意で動いても悪い結果が出るという事態が書ける。誰も悪くないのに誰かが傷つく場面を説明するための道具だ。
  • 生活世界の植民地化境を越える語本来は話し合いと合意で動くべき領域に、効率と貨幣の論理が入り込むこと。「植民地化」という強い語が選ばれるのは、侵入した側の論理が現地の論理を置き換えてしまうからだ。介護に「回転率」が、教育に「費用対効果」が入るとき、言葉ごと入れ替わる
  • システムの自己目的化目的が消える語仕組みが、もともと何のためだったかを忘れ、自分の維持を目的にすること。書類のための書類、会議のための会議。1-6 の 121 の道具的理性と同じ転倒だが、こちらは個人ではなく組織に起きる誰も望んでいないのに止められないのが特徴である。
  • システムからの逃走外に出ようとする語仕組みの外へ出ようとする試み。この語を使う文章がたいてい失敗の物語になるのは、逃走の手段そのものがシステムから供給されているからだ。田舎暮らしも、デジタル断ちも、商品として買える。1-6 の 140 で見た「抵抗の回収」と同じ構図である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 体系筋道立てて組み立てられたもの訳語。静的な組み立てに重心がある。システムは動きと働きを含む。
  • 構造要素の関係の骨組み☑151 構造主義と接続する。構造は関係の型、システムは働く全体。
  • 組織目的のために作られた集まり人の集まり。システムは仕組みそのもの。
  • 複雑系相互作用で全体が決まる系☑44。システムの一種で、予測できないものを指す。

ENsystem
ZH系统(システム, xìtǒng)

システムの自律性誰も望んでいないのに仕組みそのものが動いてしまうという、システムの自律性を示した図。 個人個人個人 誰も望んでいない システム 結果が生じる 誰の責任でもない 個人の意図とは無関係に、仕組みそのものが動いてしまう。 ☑21 疎外・☑16 自己目的化と同じ構図がここにある
誰も望んでいないのに、動いてしまう
入試文

地域社会の弱体化というのは、とりわけ根の深い問題である。
通勤というかたちでの就労(職住一致の解消)、物流の広領域化(地域内での交換・物流の崩壊)、金融と販売のネットワークの全国チェーン化……。日常の消費行動も、そうした地域社会を超えたシステムにいわばぶら下がるかたちでしかなしえなくなっている。
銀行、通信・放送サービス、大型スーパー、コンビニという全国に張られたネットワークを外れたところでは、個人の生活もとたんに滞る。
中間共同体の消失というのは、このように「国家」と企業ネットワークという二つの巨大システムが社会の微細な神経として、個人の日常生活をその隅々まで侵蝕してきている事実と相即するものである。
個人はいま、家族や会社のしがらみに窒息しそうになっているというよりも、むしろ個としてむきだしのまま、巨大システムからなる「社会」なるもののなかをばらばらに漂流していると言ったほうが、すくなくとも現代人の大方の生活感覚としてはリアルである。

出典 鷲田清一『〈ひと〉の現象学』 / 出題 駒澤大学・文学部・仏教学部・法学部など

読解のポイント
  • 地域社会の弱体化・中間共同体の消失 ↓ 「国家」と企業ネットワークとが、個人の日常生活を侵蝕
要約

地域社会の弱体化と中間共同体の消失とは、「国家」と企業ネットワークという巨大システムが個人の日常生活を侵蝕している事実と関係する。人々は個のまま、巨大システムからなる「社会」のなかをばらばらに漂流している。

語法の観察

主語を人から仕組みへ移す。「システムが〜する」という書き方そのものが、自律性という主題を体現している。

Section 06

装置

146★★

装置そうち

そうち[1]頭高型

語構成
よそおう・そなえるおく
定義

ある目的に沿って、機械・設備などを設けること。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑146
原書の解説

現在、インターネットに代表されるように情報技術が飛躍的に発展しているが、パソコンや携帯電話は、こうした情報処理のための装置である。

また、装置という言葉は比喩的にも用いられる。たとえば、学校(教育)・家族・法律などのさまざまな制度は、国家を安定させるためにある規範を注入する〈装置〉、さらには国家そのものも〈装置〉だという考えもある。

コラム

「信じるから祈るのではない。祈るから信じるのだ」というのはブレーズ・パスカル(1623〜1662年)の言葉だが、祈る時の身ぶりや作法が敬虔な信仰を促すということがあり得る。

学校での朝礼や出欠確認、掃除当番などもまた、従順な生徒を育て、やがて勤勉な人間として社会に送り出すという側面もあるだろう。

こうした意味では、学校(教育)も装置なのである。

使用の境界

特定の働きを生み出すために組まれた仕組み。機械そのものではなく、人を一定の形に作る仕掛けを指す。

用法

評論文の「装置」は比喩である。機械を指すのではなく、人や社会に特定の効果を生み出す仕掛けを指す。学校は国民を作る装置、監獄は従順な身体を作る装置、といった使い方をする。要点は、その仕掛けが意図を超えて働くことにある。誰かが悪意で設計したのではなく、置かれているだけで効果を生む。文化を「秩序を創り出す装置」と呼んだ原書 ☑5 秩序の入試文も、この用法である。

用例
  • 複製技術は、複製されたものを伝統の領域から引き離す。……そこで滅びゆくものは、芸術作品のアウラである。ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』(1936)/訳は本教材
    装置が内容ではなく経験の条件を変えることを示した一節である。絵の写真は絵と同じ図柄を持つ。変わったのは中身ではない。変わったのは「ここに一つだけある」という事実のほうだ。ベンヤミンはそれをアウラと呼んだ。注目したいのは、彼がこれを嘆いていないことだ。アウラが消えることで芸術は儀礼から解放され、政治の道具になりうると彼は書く。技術は良くも悪くもなく、ただ可能性の配置を組み替える — これが 146 の装置という語の使い方である。同じ複製技術が、大衆芸術もナチスの宣伝も可能にした
  • それは奇妙な装置だ、と士官は言った。……この装置がこれまでにどう働いてきたか、いま自分の目で確かめられます。フランツ・カフカ『流刑地にて』(1919)/訳は本教材
    装置という語の不気味さを文学が先に掴んでいた例である。この短編で処刑機械を説明する士官は、残酷なのではなく、熱心なのだ。彼は装置の設計の美しさを誇らしげに語り、それが人を殺すことは説明の一部でしかない。ここに 146 の核心がある — 装置は、それを運用する者の道徳を必要としない。必要なのは正しく作動させる技能だけだ。1-6 の 121 の道具的理性が物の形をとるとこうなる。そして最後に士官自身がその装置に入るとき、装置は作った者すら例外にしないことが示される。
  • 学校は、知識を伝えると同時に、時間を守り列に並ぶ身体を作る装置でもあった。 表向きの目的と実際の働きを分けるのがこの語の使い方である。嘘をついているのではない。知識も本当に伝えている。ただし同時に別のこともしている装置という語は、この「同時に」を書くために要る
  • ×実験用の装置が人間を規律化している。 物としての機械と概念としての装置を混ぜている。評論語の 146 は建物・規則・言説・習慣が組み合わさって一定の主体を作り出す仕掛けの全体を指す。機械そのものではない。物を言いたいなら「機器」「設備」を使う。
派生形
  • 装置そうち[1]日常語では機械や設備を指す。評論語では物・制度・言説の組み合わせ全体を指すので、指す範囲が桁違いに広い。文中で「〜という装置」の形なら評論語、「〜の装置」なら物のことが多い。
  • 仕掛けしかけ[0]和語の言い換え。「装置」より柔らかく、作為の匂いが強い。「そういう仕掛けになっている」と言えば誰かが仕組んだという含みが出る。意図なき権力を書きたいなら「装置」のほうが正確である。
  • 機構きこう[1]制度の側に寄った語。「意思決定の機構」のように組織の仕組みを指す。装置が人を作り変える働きに焦点を置くのに対し、機構は物事が処理される経路に焦点を置く。
コロケーション
  • 権力の装置中核の言い方人を強制するのではなく、特定のふるまいを自然に感じさせる仕掛け。この語が有効なのは、命令者を探さなくてよいからだ。時間割も、机の並びも、誰かが悪意で作ったのではない。それでも特定の身体を確実に作り出す意図なき権力を書くための語である。
  • 規律化身体に働く語身体の動かし方の水準で人を作り変えること。思想を変えるのではない。姿勢・速度・順番を整えるのだ。この水準の変更は反論できないところが恐ろしい — 意見には反対できるが、習慣になった身体には反対しようがない
  • 装置として働く主語の置き換え「AはBという装置として働く」という言い方。この構文が便利なのは、Aの本来の目的を否定せずに別の働きを指摘できるからだ。病院は人を治す。そのうえで、正常と異常を線引きする装置としても働く「でもある」の議論を立てるための型である。
  • 装置の外部出られるかを問う語装置に捉えられていない場所。この語が問題になるのは、外部を指す言葉自体が装置の内側で作られているからだ。「自然に戻る」も「本当の自分」も、装置が用意した出口の看板かもしれない。1-4 の 76 で見た袋小路が、ここでも同じ形で現れる。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • システム要素が関係して働く全体☑145。システムは全体、装置は特定の効果を生むために組まれた部分。
  • 制度社会に定められたしくみ☑78。制度は共有された取り決め。装置は効果を生む仕掛けという機能面に重心。
  • 機構組み立てられた仕組み組織の骨組み。装置は働きを生む点を強調する。
  • メカニズム働きの仕組み過程の説明。装置は仕掛けそのもの。

ENapparatus / device
ZH装置(設備・装置, zhuāngzhì)

日中のズレ

中国語の 装置(zhuāngzhì)は物理的な設備・機器を指し、比喩的な用法はほとんどない。

日本語の評論語としての「装置」は、中国語では 机制(jīzhì)机器(jīqì) の比喩で表される。

装置は人を一定の形につくる学校・監獄・工場・病院といった装置が、置かれているだけで特定の効果を生むことを示した図。 ばらばらの人 装置 学校監獄 工場病院 置かれているだけで効果を生む 国民・受刑者・労働者・患者 一定の形をもった存在になる 誰かが悪意で設計したのではない。仕掛けが意図を超えて働く。
装置は人を一定の形につくる
入試文

「つながりの社会性」につながっていることの確認のために、携帯電話の通話ボタンを押す。ここでは、通話の相手は誰であってもかまわない。だれかとつながっているということが確認できさえすればいい。
北田が指摘する「つながりの社会性」への強迫観念は、ツイッターやフェイスブックをはじめとするソーシャルネットワークの登場にともないいっそう亢進していくだろう。
この状況を、どのようにして捉え、考えたらいいのか。装置が集積され、増殖していくことにともない、個々人の生が、従順になり、惰性的になっていく。現状に無関心になり、感覚が摩耗していく。
これにかんしては、アガンベンがいうように、キリスト教などの「宗教的な範疇」を用いて説明してもあまり意味がない。
監視カメラであれ、携帯電話であれ、現代にあって装置は、物として使用されることにより人間の生を捕捉し、制御し鋳造する。装置は、物として生産され、「受容され使用されることをつうじて、生活様式、感覚、習慣、関係性のあり方に影響を及ぼし、それらをつくりかえていく。
※北田=社会学者の北田暁大。
※アガンベン=イタリアの哲学者。

出典 篠原雅武の文章 / 出題 甲南大学・文学部・経済学部・法学部など

読解のポイント
  • 「つながりの社会性」への強迫観念の亢進 ↓ 装置の集積・増殖 ↓ 人間の生を捕捉し、制御し鋳造する ↓ 生活様式、感覚、習慣、関係性に影響を及ぼし、つくりかえていく
要約

「つながりの社会性」への強迫観念は、ソーシャルネットワークの登場にともない亢進していくだろう。これは、装置が人々の生活様式や感覚などのあり方に影響を及ぼし、つくりかえていくという状況を表している。

語法の観察

比喩であることを断らずに使う。読者が字義通りに読むと通じない箇所が、そのまま設問になる。

Section 07

リスク

147★★

リスク

リスク[1]頭高型

定義

ある行動や選択を行う際に発生し得る危険。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑147
原書の解説

東日本大震災のような地震やそれに伴う津波は、人間の判断や選択が関与せずに起きるもので、自然災害がもたらす危険性(danger)である。

一方、原発の計画や再稼働・廃止といったことになると、人間の判断とそれに伴う責任が加わる。こうした時に予見される危険性をリスク(risk)と言う。

また、金融商品への投資や投機もリスクに満ちた経済活動であろう。現代の先進諸国は、科学技術と産業の高度化によって、多くのリスクが入り乱れる〈リスク社会〉になったと言われている。

コラム

企業経営において、リスクを組織的に管理し、損失を事前に避けたり減らしたりすることを「リスクマネジメント」というが、経営だけでなく、自然災害・事故などに対してもリスクマネジメントが求められる時代になってきた。

一方、遺伝子検査でがんになる確率が高ければ、がんに侵されると予想される臓器を除去したり、胎児診断において胎児に異常が見つかった場合に中絶するなど、リスクを回避するための処置が取られるようになった。

しかし、先端医療のあり方では倫理的な問題も多く指摘されている。

使用の境界

起こりうる損失を、確率として見積もったもの。単なる危険ではなく、計算されている点が要点。

用法

日常語では「危険」と同義に使われるが、本来は確率として計算されている点が違う。この違いが評論文で効いてくる。ベックは、近代が富を生む社会からリスクを分配する社会へ変わったと論じた。原発事故・気候変動・感染症は、誰かの悪意ではなく近代の成功そのものが生んだ危険であり、国境も階級も越える。ここが要点で、リスクは科学技術の副産物として近代批判に接続する。「自己責任」(☑160)と結びつくと、リスクの負担が個人に転嫁される。

用例
  • 我々が将来の利回りを見積もる基礎となる知識は、きわめて薄弱である。……率直に言えば、我々はただ知らないのだと認めねばならない。ジョン・メイナード・ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』第十二章(1936)/訳は本教材
    計算できる危険と計算できない不確かさを分けた議論の代表例である。注目したいのは、経済学の書物が「我々はただ知らない」と書いていることだ。確率が計算できる事柄なら保険をかけられる。ところが十年後に何が起きるかは確率すら分からない。それでも人は投資する — ケインズはその動機を「血気(アニマル・スピリット)」と呼んだ。合理的計算では説明できない何かが経済を動かしているというこの指摘は、1-6 の 121 の近代合理主義への内側からの修正である。
  • 天災は忘れられたる頃来る。……文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す。寺田寅彦『天災と国防』(1934)
    リスクが文明とともに増えることを言い当てた一節である。直感に反する主張だが、理屈は明快だ — 文明は、壊れると困るものを大量に作る。堤防は水を防ぐが、堤防を信じて低地に町ができる。防いだ結果、被害の規模が大きくなる。さらに前半の一句が鋭い — 「忘れられたる頃」。災害の周期が人の記憶の長さを超えると、備えは必ず解ける技術ではなく記憶がリスク対策の律速になるというこの洞察は、現代の防災論がいまだに追いついていない。
  • 現代のリスクは、自然が与えるものではなく、人間の決定が生み出したものである。 この一文が現代のリスク論の出発点である。地震は決定の結果ではないが、原発の立地は決定の結果だ。決定である以上、誰が決めたのかを問える — だからリスクの議論は必ず責任の議論になる
  • ×この計画にはリスクがあるので、絶対に避けるべきだ。 リスクを「危険」の言い換えにしている。リスクは起こりうる損失の大きさと確からしさの積を指す語で、あるかないかではなく大きいか小さいかで語るリスクゼロの選択肢は存在しないため、「リスクがあるから避ける」は論として成り立たない
派生形
  • 危険きけん[0]リスクとは指す層が違う。危険は害そのもの(危険な場所)、リスクは害が起こる見込みも含んだ量「危険性」ならリスクに近づくが、評論文では確率を含むかどうかで使い分ける。
  • 不確実性ふかくじつせい[0]確率すら分からない状態。リスクが賭けのオッズが分かっているのに対し、不確実性は何が起こりうるかの一覧すら作れないこの二つを混ぜると、計算できないものを計算したふりをすることになる
  • リスクヘッジ[4]損失に備えて手を打つこと。保険・分散・撤退の選択肢をあらかじめ用意する。注意したいのは、ヘッジには費用がかかることだ。備えすぎて機会を失うのも一つの損失であり、リスク管理とはゼロにすることではなく釣り合わせることである。
コロケーション
  • リスク社会時代を名づける語富の分配よりリスクの分配が中心問題になった社会。この語の鋭さは、近代が成功したがゆえに新しい問題を作ったと見る点にある。飢えを克服した技術が放射能と気候変動を生む。1-6 の 119 の「近代化の代償」が、時間を隔てて請求されている
  • リスクの個人化責任が移る語社会が引き受けていた不確かさが、個人の選択の問題に置き換えられること。終身雇用が消えれば職を失う危険は「キャリア設計の失敗」になる同じ出来事が、社会の問題から本人の落ち度へ書き換えられる — 160 の自己責任へ、ここからまっすぐつながる。
  • 予防原則証明を待たない語害が証明されていなくても疑いがあれば手を打つという考え方。これが必要になるのは、証明を待っていると取り返しがつかない領域があるからだ。ただし裏面もある — 証明を要求しないことは、あらゆる規制を正当化しうるどこまで疑えば十分かという線引きの問題が残る。
  • リスクを引き受ける主体を問う語誰が損失を負担するかという問い。この結びつきが政治的なのは、リスクを作る者と引き受ける者がたいてい別人だからである。利益は集中し、リスクは薄く広く分散されるこの非対称を書けるかどうかが、リスク論の質を決める

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 危険害が生じるおそれ訳語。差し迫った害そのもの。リスクは確率として扱われる。
  • 蓋然起こる確からしさ☑8 と接続する。リスクはその負の側面を経済的に扱う語。
  • 不確実性確率すら見積もれない状態経済学では区別する。リスクは計算できる、不確実性は計算できない。
  • ハザード害をもたらす原因そのもの危険源。リスクはそれが実現する確率と被害の大きさの積。

ENrisk
ZH风险(リスク, fēngxiǎn)

リスク社会富を分配する社会からリスクを分配する社会への転換と、リスクが近代の成功の副産物であることを示した図。 富を分配する社会 どう豊かになるかを争う リスクを分配する社会 誰が危険を負うかを争う リスクの出どころ 原発気候変動感染症 国境も階級も越える 誰かの悪意ではなく、近代の成功そのものが生んだ危険である。 失敗の産物ではない。ここが要点になる。
富を分配する社会から、リスクを分配する社会へ
入試文

リスクとは何か? リスクは、とりたてて現代に――後期近代に――現れたものではなく、伝統社会にもあふれていたのではないか? たとえば自然災害の脅威――それは伝統社会においてより大きかったはずである――は、リスクではないのか?
そうではない。そのことを理解するためには、リスク(risk)と危険(danger)との相違を把握しておかなくてはならない。
ルーマンがとりわけ強調していることだが、リスクは、選択・決定との相関でのみ現れる。リスクは、選択・決定に伴う不確実性(の認知)に関連しているのだ。
リスクとは、何事かを選択したときに、それに伴って生じると認知された――不確実な――損害のことなのである。
それゆえ、地震や旱魃のような天災、突然外から襲ってくる敵(民衆にとっての)暴政などは、リスクではない。それらは、自らの選択の帰結とは認識されていないからである。
とすれば、リスクが一般化するのは、少なくとも近代以降だということになる。社会の規範やその環境が、人間の選択の産物であるとの自覚が確立した後でなければ、そもそも、リスクが現れようがないからである。

出典 大澤真幸『不可能性の時代』 / 出題 福岡教育大学

読解のポイント
  • リスク(risk)=選択・決定時に生じる不確実な損害
  • 危険(danger)とは異なる
  • 近代以降=規範や環境が、人間の選択の産物という自覚の確立後
要約

リスクとは、何事かの選択・決定に伴って生じる不確実な損害のことである。リスクは、規範や環境が人間の選択の産物であるという自覚が確立した近代以降に一般化した。

語法の観察

日常語との差を先に潰してから本題に入る。定義の精度が論の前提になっている。

Section 08

グローバル化(グローバリゼーション)

148★★

グローバル化(グローバリゼーション)グローバルか

グローバルか[0]平板型

定義

物事が世界的・地球的になっていく動き。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑148
原書の解説

国際化という傾向はあくまで「国家」を中心としているが、グローバル化は国家や国境に関係なく、物事が地球的規模で展開することを言う。

ヒト・モノ・カネ・情報などが国境に関係なく(ボーダーレスに)行き交う現代では、グローバル化はますます進展していくことが予想される。

問題点としては、グローバル化によって力の論理がむき出しになり、弱い文化を押しつぶすような標準化が進み、弱肉強食の世界になってしまうことなどが挙げられる。

なお、グローバル化を推進すべきだという考えを「グローバリズム」と言う。このキーワードと合わせて覚えておこう。

コラム

国際化社会は、インターナショナルという言葉からわかるように、国家と国家にまたがった社会のことを指す。国境の役割は大きく、国際連合の加盟国同士であっても、ヒトやモノが国境を通過する場合は監視の対象とされる。

これに対してグローバル社会は、〈地球規模の社会〉という意味である。

自由貿易・市場主義経済に支えられた多国籍企業が、国境に支配されずに自由な経済活動をする、という状況をイメージするとよいだろう。

使用の境界

人・物・資本・情報が国境を越えて動き、世界が一体化していくこと。単なる国際化とは前提が違う。

用法

「国際化」との違いが最初の関門になる。国際化は国家という単位を前提にした交流だが、グローバル化は国境そのものを無効にしていく動きである。だから☑125 国民国家の枠組みが揺らぐ。評論文では両義的に扱われ、①文化の均質化(どこも同じ風景になる)と、②地域の再発見(ローカルへの回帰)が同時に起こる点が論じられる。反グローバリズムは、経済的な格差の拡大と文化の画一化への抵抗として現れる。

用例
  • ブルジョアジーは、世界市場の開拓を通じて、あらゆる国の生産と消費を世界的なものに作りかえた。……古い、地方的・民族的な自足と閉鎖のかわりに、諸国民のあらゆる方面にわたる交通と、たがいの依存が現れる。カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党宣言』(1848)/訳は本教材
    グローバル化という語が生まれる百五十年前に、その中身が書かれていた一節である。ここから読み取るべきは二つある。第一に、これは資本主義への賛辞として書かれていることだ。マルクスは同じ段落でブルジョアジーの成し遂げた変革を驚嘆すべきものとして描く。批判とは、まず対象の力を正確に測ることから始まる。第二に、「たがいの依存」という一語である。依存は豊かさの条件であると同時に、危機の伝染路でもある。一国の金融が崩れると世界が揺れるのは、切り離せなくなったことの代償だ。1-6 の 125 で見た国民国家の器が、この一文の時点ですでに漏れはじめている
  • 国民文学というものは、いまやあまり意味をもたない言葉だ。世界文学の時代が近づいている。誰もがこの時代を早めるよう努めねばならない。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ─ エッカーマン『ゲーテとの対話』(1827)/訳は本教材
    グローバル化を、経済ではなく文化の側から予告した言葉である。注目したいのは、この発言がナショナリズムの最盛期に出ていることだ。当時のドイツは国民文学を作ることに国を挙げて取り組んでいた。その渦中で、その運動の中心人物が「もう意味がない」と言う。さらに「努めねばならない」という要請の形にも注意したい。ゲーテにとって世界文学は放っておけば来る未来ではなく、意志して作るものだった。現代のグローバル化が市場によって自動的に進むものとして語られがちなことと比べると、この差は大きい。
  • グローバル化は世界を均質にすると同時に、地域の固有性への関心を強めもする。 両方向を同時に書くのがこの語の作法である。どこでも同じ店が並ぶ一方で、「その土地らしさ」がかつてなく求められる。後者は前者への抵抗に見えるが、しばしば観光資源として商品化される — 1-6 の 140 で見た回収の循環である。
  • ×社内公用語を英語にして、我が社もグローバル化した。 通じるが、「国際化」「海外展開」の意味で使っている。148 は資本・情報・人が国境の制約を弱めて動くようになり、世界が一つの単位として結びついていく過程を指す語で、一つの組織が達成できるものではない国際化は国と国、グローバル化は国を越えると押さえておくとよい。
派生形
  • グローバル[1]globe(球)から来た語「地球全体を一つとして見る」という含みがある。「インターナショナル」が国と国のあいだを指すのに対し、グローバルは国という単位を前提としないこの差が148 と「国際化」の差そのものである。
  • グローバリズム[5]過程ではなく主張。国境を越えた市場の統合を推し進めるべきだとする立場。「化」が現象、「主義」が政策という区別は、1-6 の 120 の世俗化/世俗主義と同じ形である。
  • グローバリゼーション[7]原語のままの形。「グローバル化」と同義だが、やや学術寄りの響きになる。訳語を使うか原語を使うかで文章の身分が変わるのは、1-6 の 133 で見た物神崇拝/フェティシズムと同じ現象である。
コロケーション
  • グローバル・スタンダード普遍を装う語世界共通の基準とされるもの。この語を疑う目が要るのは、「世界の」と呼ばれる基準がたいてい特定の国の慣行だからである。1-1 の 1 と 2 で見た普遍と特殊の関係が、ここでは経済の力関係として現れる。強い者の特殊が普遍の名を得るという構図を見抜けるかどうかが分かれ目だ。
  • ローカル化対にして使う語世界規模の商品や制度が、その土地に合わせて姿を変えること。この語が要るのは、グローバル化が一方通行ではないからだ。同じ企業の店が国ごとに違う品を出すのは、均質化が完全には貫徹しないことの証拠である。両者を合わせて「グローカル化」と呼ぶこともある。
  • 国境を越える主語を選ぶ語この言い方で注意したいのは、越えられるものと越えられないものがあることだ。資本と情報は瞬時に越える。人は越えられない — ビザが要り、壁があり、審査がある。この非対称こそが現代の不均衡の中心であり、「グローバル化した世界」という言い方が隠しているものである。
  • 反グローバリズム抵抗の名グローバル化に抗する運動の総称。押さえておきたいのは、この運動自身がグローバルに連帯していることだ。各国の活動家が同じ日に同じ主張を掲げられるのは、グローバル化が用意した通信網のおかげである。批判する側も同じ条件の産物である — 1-6 の 136 と同じ構図がここでも成り立つ。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 国際化国と国の交流が増える国家という単位を前提にする。グローバル化は国境を無効にしていく点が違う。
  • 画一化すべてが同じ形になる結果の一つ。グローバル化は多様化も同時に起こす。
  • ローカル地域に根ざしたもの対概念。両者が同時に強まる現象をグローカル化と呼ぶ。
  • 植民地主義武力で他地域を支配する先行する形。グローバル化は経済的な浸透という形をとる。

ENglobalisation
ZH全球化(グローバル化, quánqiúhuà)

国際化とグローバル化国家という単位を前提とする国際化と、国境を無効にしていくグローバル化の違いを示した図。 国際化 国家という単位が前提 境界を保ったまま行き来する グローバル化 国境そのものが無効になる ☑125 国民国家の枠組みが揺らぐ 均質化と多様化が、同時に進行する
国際化とグローバル化 ── 前提が違う
入試文

「国際化」を英語でいえば、internationalizationということになろう。internationalとはnationとnationをつなぐ(=inter)という意味である。
「国際化」にはもともと違っているものを同質化するという含みがあるものとなるものを「つなぐ」というのがinterという接頭辞である。
日本、アメリカ、韓国、中国、これらの国々には似た面もあれば異なる面もある。すべての面で同じであれば国と国をつなぐ必要は生じない、違った面があるから国と国をつなぐ、すなわち国際化する必要が生じるわけである。
「国際化」に対して、グローバル化にはもともと違っているものを同質化するという含みがある。ボーダレス化する、国境をなくすとは、国と国を分け隔てる障害を取り除き人や物の往来を自由にするということを通り越して、当の異質性を消去する、そうしたニュアンスがグローバル化という言葉には含まれているのである。

出典 間宮陽介『グローバリゼーションと公共空間の創設』 / 出題 新潟大学・人文学部

読解のポイント
  • 国際化 =異質な面がある国同士をつなぐ ↔ グローバル化 =もともと違っているものを同質化する
要約

国際化は、がんらい異質な国同士をつなぐという意味をもつのに対して、グローバル化には異質性を消去するというニュアンスがある。

語法の観察

肯定面と否定面を交互に置き、どちらにも決めない。両義性そのものを結論にする型。

Section 09

エコロジー

149★★

エコロジー

エコロジー[2]中高型

定義

自然と人間との共生を目指し、自然環境を保護しようとする考え方。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑149
原書の解説

エコロジーとはもともと〈生態系〉を意味する語であり、人間も生態系の一員であるという観点から、環境保護を意味するようにもなった。

すなわち、人々が物質的な豊かさを追求して、自然環境を破壊し続けてきた状況に対して、自然と人間との共生的な関係をつくろうとする考え方である。

この考え方によって、

など、これまでの経済のあり方が広く見直されるようになっている。

また、「エコロジー」を省略した「エコ」という言葉だけでも、エコロジーと同様の意味を表し、企業や地域・団体によるエコ活動も盛んに行われている。

なお、生物とこれを取り巻く環境との相互関係(生態系)を研究する学問のことも、エコロジー(生態学)と言う。

コラム

エコロジーが注目されるようになったのは、自然環境の破壊をもたらした人間中心主義に対する反省があったからである。

これに対して、自然の生存権を認め、環境に関する次世代への責任を問う「環境倫理学」という学問も生まれてきた。

だが、自然環境の保護にはお金がかかってしまうし、人間の文化や生活が犠牲になる恐れも出てくる。

人間中心主義とエコ中心主義の折り合いが必要になる。

使用の境界

生物と環境の相互関係を捉える見方。環境保護の運動と、それを支える思想の両方を指す。

用法

評論文で重要なのは、エコロジーが単なる環境保護ではなく自然観の転換だという点である。人間を自然の外に立つ支配者ではなく、生態系の一部として位置づけ直す。したがって☑42 機械論的自然観・☑9 対象化・☑131 人間中心主義への正面からの批判になる。☑55 有機・☑44 複雑系と同じ側に立つ。「ディープエコロジー」は、人間の利益のためではなく自然そのものに価値を認める立場で、より徹底している。

用例
  • エコロギーとは、生物とその環境とのあいだのあらゆる関係についての学である。……ここで環境とは、広い意味での生存の条件のすべてを指す。エルンスト・ヘッケル『一般形態学』(1866)/訳は本教材
    エコロジーという語が作られた瞬間の定義である。ギリシア語 oikos(家)+ logos(学)。「家の学」という語源が効いているのは、家が生き物の集まりではなく関係の場だからだ。注目したいのは、この定義に「守る」も「大切にする」も入っていないことである。当初のエコロジーはただの記述の学だった。それが二十世紀後半に運動と価値の語になった学問の名が主張の名に変わるとき、記述と規範の境目が曖昧になる — 1-4 の 87 で見た継ぎ目が、ここでも問題になる。
  • 神社合祀は、第一に敬神思想を薄うし、第二に民の和融を妨げ、……第七に、天然風景と天然記念物を亡滅す。南方熊楠『神社合祀に関する意見』(1912)
    日本で最も早く生態系の破壊を一つの体系として告発した文章である。明治政府の神社合祀令によって各地の小さな社が壊され、その周りの鎮守の森が伐られた。南方が挙げた反対理由を順に読むと、信仰・地域の結束・生活・学問・景観・生物が一続きのものとして並べられていることが分かる。これがエコロジー的な思考そのものだ — 森を伐ることは木を減らすことではなく、関係を切ることである。南方は粘菌の研究者だった。顕微鏡で関係を見ていた目が、そのまま村と森の関係を見た — 学問が運動になる最も幸福な例の一つである。
  • エコロジーは、人間を自然の管理者とする見方を退け、関係の網の一部として置き直す。 位置の変更が要点である。環境保護は人間が外から守ってやるという構えを取りがちだが、エコロジーは守る側も網の中にいると見る。1-6 の 131 で見た人間中心主義からの離脱が、ここで具体的な学問の形をとる。
  • ×マイバッグを持参して、エコロジーに取り組んでいる。 通じるが、「エコ」という省略形の日常語である。評論語の 149 は生物と環境の関係を扱う学問、およびそこから出た世界観・運動を指す。個々の行動の名ではない。なお「エコ」が商品の売り文句になりきっていることも、この語を使うときに意識しておきたい。
派生形
  • 生態学せいたいがく[3]ecology の学問としての訳語。カタカナの「エコロジー」が運動や思想を含むのに対し、「生態学」は自然科学の一分野に限られる訳語とカタカナ語で射程が分かれた例である。
  • エコロジカル[4]形容詞形。「エコロジカルな視点」なら関係の全体を見る構えを指し、学術的に使える。一方「エコな」と縮めると商品の宣伝語になる。語の長さが文章の身分を決める珍しい例。
  • 環境かんきょう[0]「取り巻くもの」という字面。注意したいのは、この語が中心に何かを置くことを前提にしている点だ。誰かにとっての環境であり、それ自体としての環境は無い。エコロジーが「環境」より「生態系」を好むのは、この中心を消したいからである。
コロケーション
  • 生態系関係を単位にする語生物と環境をまとめてひとつのまとまりとして扱うための語。この語の力は、境界を引かずに全体を語れる点にある。1-2 の全体論が自然科学のなかで最も成功した形がこれだ。一種を取り除くと何が起きるか予測できないという事実そのものが、要素論の限界を示している。
  • 持続可能性時間を入れる語将来の世代の必要を損なわずに現在の必要を満たすこと。この語が要るのは、市場の計算に未来の人が現れないからだ。取引にはまだ生まれていない者の席がない。1-6 の 130 の功利計算が誰を数に入れるかという問題として、ここで再び現れる。
  • 環境倫理規範へ渡る語自然に対して人間が負う義務を扱う分野。難所は誰に対する義務かである。将来の人間に対してなら人間中心主義のままだが、自然そのものに対してなら権利の主体を人間の外へ広げることになる。この選択で議論の全体が変わるので、文章を読むときはまずここを確かめたい。
  • エコロジーの商品化回収を指す語環境への配慮が売るための付加価値になること。この語が批判的に使われるのは、消費を減らすはずの主張が新しい消費を生むからだ。「環境に優しい商品」を買うことは、やはり買うことである。142 の消費社会が自分への批判すら商品にできることの好例として押さえておきたい。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 生態学生物と環境の関係を研究する学問訳語。学問としての側面。エコロジーは思想と運動も含む。
  • 環境保護自然を守る活動実践。エコロジーは自然観の転換まで含む。
  • 要素論分解して全体を理解する☑43。エコロジーは全体の関係を見る点で正面から対立する。
  • 人間中心主義人間を万物の中心に置く☑131。エコロジーが批判する対象。

ENecology
ZH生态学(生態学, shēngtàixué)

人間の位置が変わる自然の外に立つ支配者としての人間から、生態系の一部としての人間へという位置づけの転換を示した図。 近代の自然観 人間 支配・操作 自然(資源) 人間は自然の外に立つ エコロジーの自然観 生態系 人間 人間は生態系の一部である ☑42 機械論・☑9 対象化・☑131 人間中心主義への正面からの批判
人間の位置が変わる
入試文

以上のように、エコロジー的発想のもとでは、産業社会は、非生命系に立脚した、抽象的な市民社会であり、経済合理的な個人から構成されるものとして総括される。
そして、それに代わるものとして、生命系に立脚した等身大の生活世界が対置され、そこでは生活者としての「具体性を持った人間」が浮かび上がる。
仮にこのような社会をエコロジー社会と名付けるとすれば、エコロジー社会は、産業社会の発展の方向を一八〇度転換させたものと考えることができる。
こうして、産業社会とエコロジー社会の対立の構図が鮮明になってくると、当然、産業社会の側からのエコロジーに対する反応が様々な形で生じることになる。
このような産業社会を総称して産業主義と呼び、エコロジー的な思考や発想をまとめてエコロジー主義ということができる。

出典 丸山真人『エコロジー批判と反批判』 / 出題 関西大学・総合情報学部

読解のポイント
  • 産業社会 =非生命系に立脚した抽象的な市民社会・経済合理的な個人 ↔ エコロジー社会 =等身大の生活世界・具体性を持った人間
要約

エコロジー的発想のもとでは、産業社会は非生命系に立脚した抽象的な市民社会であり、それに対し、等身大の生活世界はエコロジー社会とされる。

語法の観察

運動の話から自然観の話へ上がる。実践から思想へ移る箇所に、この語の重心がある。

Section 10

多様性

150★★

多様性たようせい

たようせい[0]平板型

語構成
おおいすがた・ありさまそのようす
定義

性質の異なるものが多く存在している様子。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑150
原書の解説

近年の現代評論の主張には、普遍性や画一性を求めるのではなく、多様性・複雑性を認識するという傾向が見られる。

たとえば、環境問題で持続可能性(=人類の活動が長期的に維持可能になるように環境を保全すること)が叫ばれるようになると、生物多様性が重視され始めた。

一つの生態系が長く持続していくためには、多様な生物が生息しているほうが有利だ、ということがわかったためであり、これは生態学的な多様性として取り上げられている。

また、こうしたことは社会的な多様性とも関連する。

人種的な多様性や、思想的・文化的な多様性を尊重した方が、高度な文明が繁栄していく可能性を含んでいるからだ。

コラム

かつての日本は、地縁血縁の絆の強い一枚岩的な共同体だったが、現在、こうした共同体は失われ、個人の多様な考え方や価値観を認める社会になっている。

多数の企業においても、社員の多様性を生かそうとする動き(=ダイバーシティ)が進んでいる。

使用の境界

異なる性質のものが共存していること。数の多さではなく、違いが保たれている点を指す。

用法

評論文では肯定的に語られるが、その先に難問が置かれるのが定型である。多様性を認めるなら、多様性を認めない立場も認めるのか。ここで☑76 文化相対主義と同じ自己言及の問題が現れる。もう一つの論点は、多様性が体制に取り込まれることで、差異が消費の対象(☑142)や企業の資源として扱われると、批判の力を失う。生物多様性の文脈では☑149 エコロジーと接続し、単一栽培の脆弱さが論じられる。

用例
  • 万物並び育ちて相害わず、道並び行われて相悖らず。『中庸』第三十章
    多様性という語が要求している状態を、二千年前に十四字で書いた一節である。注目したいのは「並び」の繰り返しだ。一つが他を包むのではない。横に並んで、たがいを損なわない。さらに二句目が効いている — 「道」もまた複数あると言っているのだ。物が多様なのは見れば分かるが、正しさの筋道が複数あってよいと認めるのは別の話である。1-4 の 76 の文化相対主義が踏み込んだのはこの二句目であり、そこから「では何でもありなのか」という難問が始まる。『中庸』は「相悖らず」と条件をつけることでその難問をぎりぎりで避けている
  • この生命観には荘厳さがある。……かくも単純な始まりから、限りなく美しく、限りなく驚くべき形態が生まれ、いまも生まれつつある。チャールズ・ダーウィン『種の起源』結語(1859)/訳は本教材
    多様性を、守るべきものではなく生まれ続けるものとして見た一節である。この見方の含意は大きい。多様性は最初からあった宝ではない単純なものから分かれ出てきた結果である。だから失われたものは二度と同じ形では戻らない。「いまも生まれつつある」という現在進行形にも注意したい — 多様性は完成した目録ではなく進行中の過程だ。保存という語だけではこの面が捉えられない。分かれ続けられる条件を残すことが、149 のエコロジーの実際の課題になる。
  • 多様性を認めることは、違いを我慢することではなく、違いを条件として制度を組み直すことである。 寛容と多様性の差が要点である。寛容は基準を動かさずに例外を許す。多様性の尊重は基準そのものを問い直す前者は許す側の位置を温存し、後者はそれを崩す — この差が実際の制度設計を分ける。
  • ×社内には様々な人がいて、多様性を持っている。 状態と理念を混ぜている。事実として様々な人がいるなら「多様である」で足りる。150 はその多様さを価値として認め、維持しようとする理念を指すことが多い。いるだけでは多様性ではないいることが不利にならない仕組みがあってはじめてこの語は使える。
派生形
  • 多様たよう[0]「様が多い」という字面。形容動詞として「多様な意見」のように使う。「様々」より硬く、評論文向き。反対は「一様」で、この対で書くと文が締まる
  • ダイバーシティ[4]経営と行政の語彙。「多様性」とほぼ同義だが、組織の人員構成の話に限定して使われることが多い。カタカナにすると施策の名になり、理念としての重みが抜ける — この軽さを批判の文章はよく突く。
  • 多元たげん[0]元(もと)が複数あること。「多元的社会」は権力の中心が複数ある社会を指す。多様が並んでいる中身の話なのに対し、多元は原理や権力の所在の話である。
コロケーション
  • 生物多様性最も具体的な形種・遺伝子・生態系の三つの水準での多様さ。この語が力を持つのは、多様性の価値を情緒に頼らず説明できるからだ。多様な生態系ほど撹乱から回復しやすい多様性は美徳ではなく保険であるというこの論法は、人間社会の議論にもそのまま移せる。
  • 多様性の尊重理念としての語違いを価値として扱う構え。この語の難所は、どこまでを違いとして認めるかだ。他者の多様性を認めない立場もまた一つの多様性なのか寛容は不寛容に対して寛容でありうるかというこの問いは、1-4 の 76 で行き当たった袋小路と同じものである。
  • 多様性の名のもとに疑いを差し込む語この言い回しが出てきたら批判の合図である。理念が別の目的の看板として使われていると言いたいときに使う。数合わせだけの登用、写真のための顔ぶれ。理念そのものは否定せずにその運用を撃つという評論文の定型の一つだ。
  • 画一と多様対にして考える語1-6 の 140 の均質化と正面から向き合う対。押さえておきたいのは、近代が両方を進めたことだ。国民を均質化しながら、同時に個人の個性を称揚した矛盾ではなく役割分担である — 制度は均質を要求し、消費は個性を要求する。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 多元根本が複数ある☑31。多元は原理の数、多様性は現れ方の違い。この差が設問になる。
  • 差異比較して見られる違い☑68。差異は関係、多様性は状態。
  • 画一化すべて同じ形になる対語。多様性が失われた状態。
  • 寛容異なるものを受け入れる態度。多様性は事実としての状態を指す。

ENdiversity
ZH多样性(多様性, duōyàngxìng)

入試文

生物学的な多様性については、どれを保護しどれを無視するかという選択の問題は、実は、以前からどの希少種をどの程度保護するのかという問題として存在していた。
しかし生物多様性という新しい単語の出現によって、静的な型としての個々の種の保存ということから、遷移する多様な生態系の保全へという転換がおこり、生物学者たちは「どの種を選ぶのか」という難題から解放された。
タカーチは、このことは、生物多様性ということにまつわるわれわれの本質的な無知の自覚を基盤にしているという。
文化やジェンダーといった人間のアイデンティティにかかわる領域における多様性の保護もそのあいまいさとそれに対する無知の自覚に基づいて、さしあたっては事実として存在している少数者の痛みの声に耳を傾けることからはじめる必要があるのではないだろうか。
※タカーチ=研究者のデイヴィッド・タカーチ。

出典 水谷雅彦「『多様性』ということ」 / 出題 関西大学・経済学部・政策創造学部・人間健康学部など

読解のポイント
  • 生物学的な多様性
  • どの希少種をどの程度保護するのか
  • 静的な型での個々の種の保存
  • 遷移する多様な生態系の保全
  • 本質的な無知の自覚 人間のアイデンティティにかかわる領域での多様性の保護
  • 少数者の痛みの声を聞くべき
要約

生物多様性という語の出現により、個々の種の保存から遷移する多様な生態系の保全へと考え方が移行した。人間のアイデンティティにかかわる多様性の保護も、無知の自覚に基づき、少数者の声に耳を傾ける必要がある。

語法の観察

肯定的な記述を積んだうえで、最後に難問を置く。着地させずに終わることで問いを残している。

寛容が基準を動かさず例外を許すのに対し、多様性の尊重は基準そのものを組み直すことを示した図上段では中央の基準線が動かないまま、外れた者が例外として脇に置かれる。下段では基準そのものが幅を持つ帯に組み直され、例外という位置が消える。 例外を許すのか、基準を組み直すのかTOLERANCE基準標準例外として許される線は動かない。許す側の位置も動かないDIVERSITY基準そのものが幅を持つ「例外」という位置が消えるので、許す側もいなくなる寛容は基準を温存し、多様性の尊重はそれを問い直すどちらを求めているのか ── 文章はここで分かれる
寛容と多様性のあいだ
Section 11

構造主義

151★★

構造主義こうぞうしゅぎ

こうぞうしゅぎ[0]平板型

語構成
くみたてるつくる主義立場
定義

人間の社会や文化を支えている根底的な構造を研究しようとする立場。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑151
原書の解説

言語学者のソシュール(1857〜1913年)は、言語の意味は自我や主体から生じるのではなく、普段は意識されない「語と語の差異」から生じると考えた。

たとえば、地震に強い建物には耐震構造や免震構造が設計段階から組み込まれているが、それを外見から判断することは難しい。

それと同様に、社会と文化の根底にあって人々に明確に自覚されていない構造(仕組み・制度)を見出そうとするのが、構造主義である。

歴史を重視するマルクス主義や、実体や主体を重視する実存主義とは異なり、構造主義では現象同士の関係や現象を支えるシステムが重視される。

コラム

文化人類学者のレヴィ=ストロース(1908〜2009年)は、オーストラリアの先住民などの婚姻制度を調査し、人々の間で近親相姦が禁止されている仕組みを見出した。

人間の自覚的な意識の前に、無意識の秩序が先行している、というわけだ。

構造主義は、自我・主体・理性といった近代的理念を相対化したとも言える。

使用の境界

個々の要素ではなく、要素の関係の型によって現象を説明する立場。表面ではなく深層の構造を見る。

用法

要点は、「私」が思考の出発点ではなくなることにある。私の認識も思考も、その時代と文化の構造に規定されている。だから絶対的な真理はなく、一切は関係から生じたものになる。この転換によって実存主義(☑115)の主体中心の思考が退けられ、二十世紀後半の知の潮流が生まれた。ソシュールの☑68 差異の考え方が土台にあり、☑67 分節・☑48 パラダイムとも同じ構図をもつ。読解では「関係性」という語が近くにあれば構造主義の系列だと判断できる。

用例
  • 社会的事実は、物のように扱わねばならない。……それは個人の外部にあり、個人に対して拘束力をもって働く。エミール・デュルケーム『社会学的方法の規準』(1895)/訳は本教材
    構造主義の地ならしをした一節である。「物のように」という言い方が挑発的なのは、社会が人の心の集まりだという常識を退けているからだ。言語も、道徳も、貨幣も、誰も作っていないのにそこにあり、従わないと生きていけない個人の意図の外にあり、個人を規定する — これが構造という語の中身である。注目したいのは、この見方が説明の順序を逆にすることだ。「なぜ人はそうするのか」を動機から説明するのをやめ、配置から説明する。1-6 の 131 で見た反ヒューマニズムへの道が、この一手から開かれる。
  • 言語は形式であって、実質ではない。……言語のなかにあるのは差異だけであり、しかも積極的な項をもたない差異である。フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』第二編(1916)/訳は本教材
    構造主義の核心を、一行に凝縮した命題である。「積極的な項をもたない差異」— 難解に見えるが、言っていることは単純だ。「あ」という音そのものには何の意味もない「い」でも「う」でもないことだけが意味を担っている。つまり要素は中身を持たず、関係の網のなかの位置でしかない。この見方を言語から神話へ、親族関係へ、ファッションへ広げたのが構造主義の運動だった。1-3 の 分節とここで完全に重なるが、構造主義はさらに一歩進んで「人間も、その網のなかの一つの位置だ」と言い切る。
  • 構造主義は、人が構造を使っているのではなく、構造が人を通して働いていると見る。 主語の入れ替えがこの立場の全部である。「私が話す」のではなく「言語が私において話す」。大げさに聞こえるが、日本語で考えている限り日本語の外の考えは出てこないと言えば当たり前のことでもある。
  • ×この建物の構造主義が美しい。 建築様式と思想の運動を混同している。建築なら「構造」「構成」である。(なお建築史には「構成主義」という別の運動があり、こちらとも別。)151 は要素ではなく要素間の関係が意味を決めると見る二十世紀の思想の潮流を指す。
派生形
  • 構造こうぞう[0]要素そのものではなく、要素間の関係の配置。「仕組み」と訳せそうだが、仕組みは動きを、構造は配置を指す。構造は静止していても構造であることが、この語の使いどころを決める。
  • 構造的こうぞうてき[0]批判の語彙として極めて重要。「構造的な差別」は個々人の悪意ではなく、仕組みが生む差別を指す。加害者を特定せずに被害を語れるため、現代の議論で使用頻度が高い。
  • 脱構築だつこうちく[3]構造主義の次の一手。構造を否定するのではなく、その構造がどんな排除の上に成り立っているかを内側から示す壊すのではなく解いて見せるというニュアンスが「脱」の一字に入っている。
コロケーション
  • 構造と主体争点そのもの人はどこまで自由に選べるのかという問い。構造主義を徹底すると選んでいるつもりの選択も配置の効果になる。これに対してそれでも選ぶ余地はあると応じたのが後の議論だ。1-5 の 106 の主体という語がここで最大の試練を受ける
  • 無意識の構造見えないことが条件の語当事者に自覚されないまま働く仕組み。この結びつきが重要なのは、自覚されていたら構造として働かないからだ。母語の文法を説明できる人はほとんどいないが、誰もが正確に使っている。1-5 の 117 の無意識とは別系統の語だが、見えないまま規定するという点では通じている。
  • 二項対立構造を取り出す道具生/死、自然/文化、聖/俗のような二つ一組の対。構造主義がこれを重んじるのは、意味が差異から生まれるなら最小の差異は二つだからだ。ただし後の批判が突いたのは、対の一方がつねに上位に置かれている点である — 158 のポストモダンはここから始まる。
  • 構造を明らかにする方法を言う語表に出ている多様な現象の背後に、少数の規則を見出す作業。この方法の強さは説明の経済性にある。数百の神話が数個の変換規則で説明できるなら、それは強力な理論だ。弱さも同じところにある — 説明できないものが視野から消える
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 実存主義この私の生き方を問う☑115。構造主義が乗り越えの対象とした立場。主体を中心に置く。
  • 要素論分解して全体を理解する☑43。構造主義は要素ではなく関係を見る点で違う。
  • 記号論意味を担うものを研究する☑62。構造主義の方法的な基盤。ソシュールに発する。
  • システム要素が関係して働く全体☑145。構造は型、システムは働く全体。

ENstructuralism
ZH结构主义(構造主義, jiégòu zhǔyì)

要素そのものには意味がなく、他の要素との差異が意味を生むことを示した図三つの点はどれも中身を持たない。たがいに異なるという関係だけが、それぞれの位置と意味を決めている。同じ点でも配置が変われば意味が変わることを下段で示す。 中身ではなく、位置が意味を作る要素そのものを見ても、何も書かれていない関係を書き入れると、はじめて意味が立ち上がる「あ」は「い」でも「う」でもないという一点だけで「あ」でありえている一つを抜けば、残りの意味もすべて動くだから構造は、要素の集まりではなく関係の網である人もまた、この網のなかの一つの位置である ── ここが構造主義の主張
差異だけが意味を担う
Section 12

アカデミズム

152★★

アカデミズム

アカデミズム[4]中高型

定義

学問研究や芸術創作において、純粋に真理や美を追求する態度。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑152
原書の解説

大学など、学問や芸術の研究・教育機関のことをアカデミーと言い、アカデミー内の伝統・形式・権威・正統性などを守り、純粋に学問研究や芸術を行う態度をアカデミズムと言う。

社会と一定の距離を保ちながら、時流や世論に流されず、一貫した方法で真理を目指すというアカデミズムの理念は現在も変わらないが、一方で、

といった批判の声もある。

使用の境界

大学など制度化された学問の世界と、その権威主義的な傾向。学問そのものを指すのではない。

用法

評論文ではほぼ批判的に使われる。批判の中身は、①現実の問題から隔絶している(象牙の塔)、②権威と序列で動いている、③専門が細分化して全体が見えない(☑16 自己目的化)である。一方で、時流に流されずに知を蓄積する役割を持つとして擁護されることもある。☑153 ジャーナリズムと対で置かれ、持続性と即時性、深さと広さという対比で語られるのが定型。「アカデミック」は日常では〈学術的で堅実〉という肯定語になる。

用例
  • 「君がここに来るまでに何千年もの時が過ぎ去り、さらに何千年もが沈黙のうちに待っている」── このことを心に思わない者は、学問への天職をもたない。マックス・ウェーバー『職業としての学問』(1919)/訳は本教材
    アカデミズムの倫理を、最も高い調子で述べた一節である。ウェーバーがここで求めているのは謙虚さではない途方もない時間の尺度で自分の仕事を測れということだ。その尺度では、ほとんどの研究は十年で乗り越えられる。同じ講演でウェーバーは「学問上の達成は必ず時代遅れになる。そしてそれこそが学問の意味である」と述べている。乗り越えられることを望んで仕事をするというこの構えが、芸術や宗教とアカデミズムを分ける。永遠を目指さない誠実さが、ここでは徳になっている。
  • 知識はそれ自体が目的である。……大学が目指すのは、有用な技術者を作ることではなく、知性そのものを陶冶することである。ジョン・ヘンリー・ニューマン『大学の理念』(1852)/訳は本教材
    アカデミズムが最も攻撃されやすい主張を、正面から掲げた一節である。「役に立たない」という非難に対して、ニューマンは役に立とうとしていないと答える。この構えを単なる象牙の塔の弁明と読むのは早計だ。短期の有用性で研究を選べば、いま価値が分かるものしか研究されなくなる。数論も、非ユークリッド幾何も、役に立たないと言われた時代を経てから暗号や相対論を支えた無用の許容が長期の有用を生むというこの逆説は、1-6 の 130 の功利計算では原理的に出てこない結論である。
  • アカデミズムの強みは、成果が出るまでの時間を長く取れることにある。 制度の意味を時間で説明するのがこの語の要点である。任期のない職と外部からの独立は特権ではなく、長期の探究を可能にするための装置だ。146 の装置という語で大学を読むと、この点が見えやすくなる。
  • ×彼の説明は堅苦しくてアカデミズムだ。 語の形が違う。態度を言うなら「アカデミック(学術的)」、批判なら「衒学的」「もったいぶった」である。なお 152 には①学問の世界そのもの、②権威化して硬直した学界という二つの用法があり、②は批判語である。どちらの意味かは文脈で決める
派生形
  • アカデミック[4]形容詞形。「学術的な」の意で肯定的に使うほか、「実践から遠い」という批判の含みも持つ。英語でも同じ二重性があり、「それはアカデミックな問題だ」は「机上の空論だ」の意になる。
  • 学界がっかい[0]「学会」と書き分ける。学界は研究者の世界全体、学会は特定の学問分野の団体・大会。同音なので、評論文では「学問の世界」と書き下すほうが安全である。
  • アカデメイア[5]語源。プラトンがアテナイ郊外のアカデモスの森に開いた学園の名。街の外に置かれていたことが象徴的で、「象牙の塔」という批判は語源の時点ですでに用意されている
コロケーション
  • 学問の自由制度が守る条件研究の内容と方法を、外部の権力から干渉されないこと。この自由が特別扱いされるのは、成果が事前に評価できないからだ。価値が分かってから許すのでは、まだ誰も価値を知らない研究は永久に始まらない自由は権利である前に方法上の必要である
  • 象牙の塔外からの呼び名現実から隔離された学問の世界。この語がほぼつねに批判として使われるのは、隔離が条件でもあり欠陥でもあるからだ。距離があるから流行に流されない判断ができる。同じ距離が現実の問題を見えなくもする同じ一つの性質が長所と短所を同時に生んでいる
  • アカデミズムとジャーナリズム二つの知の対時間の尺度が正反対の二つ。アカデミズムは遅く、検証を重んじ、限定つきで語る。ジャーナリズムは速く、伝達を重んじ、言い切るどちらが優れているかではなく、両方が要る。153 と合わせて読むと、現代の知の生態系が見えてくる。
  • 反アカデミズム外から挑む語既存の学界の権威に対抗する立場。この語を読むときに要るのは、中身の批判か権威への反発かを分ける目だ。権威を疑うこと自体は学問の作法だが、検証の手続きごと拒めばただの主張になる。両者は外から見ると似ている。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 学問体系的な知の探究中立語。アカデミズムは制度と権威の側面に重心がある。
  • ジャーナリズム時事を報じる営み☑153。対語として置かれる。持続と即時性で分かれる。
  • 権威主義権威に従い、また権威で押す態度☑10 権威と接続する。アカデミズム批判の中身。
  • 象牙の塔現実から隔絶した学問の世界比喩。アカデミズムの否定的な側面を言う成句。

ENacademism
ZH学院派(アカデミズム, xuéyuànpài)

ジャーナリズム・アカデミズム・古典が扱う時間の長さを帯の長さで比べた図同じ「知らせる」仕事でも、報道は日単位、学術は十年単位、古典は世紀単位の時間で価値を測る。帯の長さでその差を示し、速さと確かさが交換関係にあることを添える。 知は、どのくらいの時間で測るかジャーナリズム日・週速い。確かめきる前に出す。出さなければ意味がないアカデミズム年・十年遅い。確かめてから出す。出さなくても叱られない古典世紀読み継がれること自体が検証になっている速さと確かさは交換されるどれが優れているかではなく、三つとも要るということ「何千年が沈黙のうちに待っている」── この尺度で自分の仕事を測れ
知の三つの時間
Section 13

ジャーナリズム

153★★

ジャーナリズム

ジャーナリズム[4]中高型

定義

マス・メディアによる、時事的な問題の報道・解説・批判などの活動。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑153
原書の解説

ジャーナリズムとは、新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどの活動と、それによってつくり出される文化のことである。

ジャーナリズムの役割は、日々起こる事件や社会問題の概要と本質を報道し、それらに解説や論評を加えることだ。

情報が氾濫し、世界が混迷の度合いを深める現在、正確な情報や実践的な知を提供するジャーナリズムの重要性は非常に高い。

使用の境界

時事的な問題を取材し伝える営み。単に情報を流すことではなく、権力を監視する役割を含む。

用法

要点は権力を監視する役割にある。だから「第四の権力」と呼ばれる。評論文での批判は二つで、①商業主義によって視聴率と部数が優先される、②権力と癒着して監視の役割を果たさない。☑141 大衆社会と結びつくと、ジャーナリズムが世論を作り、その世論に迎合するという循環が生じる。☑143 情報化社会ではSNSが従来のジャーナリズムの位置を揺るがしている点も論点になる。

用例
  • 我が輩の資本は独立不羈の精神なり。……いやしくも人間社会の利害得失に関することならば、これを論ずるに憚るところなし。福沢諭吉『時事新報』発刊之趣旨(1882)
    日本のジャーナリズムが自分の資格を最初に宣言した文章である。注目したいのは「資本」という語の使い方だ。新聞は事業であり、金がなければ続かない。その現実を認めたうえで、福沢は本当の元手は独立の精神だと言い換えた。この言い換えは強がりではなく経営の判断でもある独立していることが信用を生み、信用が読者を生む。「不羈」はつながれないの意。政府にも政党にも広告主にもつながれないというこの構えが、いまも実現しきれていないことが、この一文を古びさせない。
  • この演習は、将来決してあってはならない、またあり得ないだろうところの架空的な演習に過ぎない。……敵機を関東の空に迎え撃つということは、すでに我等の敗北そのものである。桐生悠々「関東防空大演習を嗤ふ」─ 信濃毎日新聞 社説(1933)
    ジャーナリズムが何をするものかを、身をもって示した社説である。桐生はこの一本で信濃毎日新聞を追われた。注目したいのは、この文章が反戦の主張ではないことだ。純粋に軍事の理屈で書かれている — 本土上空で迎撃するということはすでに敵機が来ているということであり、木造家屋の都市は焼ける誰も言わないが誰でも分かる事実を書いただけである。そして十二年後、書かれた通りになったジャーナリズムの仕事は予言ではなく、いま見えているものを見えている通りに書くことだと、この一本が教える。
  • ジャーナリズムの役割は、権力が知らせたくないことを知らせることにある。 広報との差を一線で引く定義である。発表を伝えるだけなら権力の側の仕事で足りる。知らせたくないことに限って第三者が要る。この基準で測ると、報道の量ではなく内容が問われることになる。
  • ×彼は雑誌に記事を書くジャーナリズムだ。 人を指すなら「ジャーナリスト」である。153 は報道という活動・領域・その理念の全体を指す語で、個人には使わない。なお「〜イズム」の形だが主義ではなく活動領域を指す点が他の「イズム」と違うので注意したい。
派生形
  • ジャーナリスト[4]担い手を指す語。語源は journal(日々の記録)で、「その日のことを書く人」が原義。日々という時間の単位が語に埋め込まれていることが、152 のアカデミズムとの差をそのまま示している。
  • ジャーナリスティック[6]ほぼ批判語。「ジャーナリスティックな扱い」は刺激を優先して掘り下げが浅いという含み。速さという長所が、形容詞になると短所として現れるのは興味深い。
  • 報道ほうどう[0]行為としての語。ジャーナリズムが理念と領域を含むのに対し、報道は知らせるという行為そのものを指す。「報道はあるがジャーナリズムがない」という言い方が成り立つのは、この差があるからだ。
コロケーション
  • 第四の権力位置づけの語立法・行政・司法に次ぐ第四の力としての報道。この語が両義的なのは、権力を監視する立場が、それ自体権力になるからだ。誰が第四の権力を監視するのかという問いに、この語自身は答えを持たない。監視の連鎖にはどこかで終わりが要る
  • 客観報道達成できない原則記者の意見を交えずに事実を伝えること。この原則の難しさは、何を報じるかを選んだ時点ですでに判断が入っている点にある。1-5 の 90 の客観と同じ袋小路だ。それでもこの語が捨てられないのは、到達できない目標でも方向としては働くからである。
  • 報道の自由守られる条件取材と報道が干渉を受けないこと。押さえておきたいのは、これが報道機関の権利である前に読者の権利だという点である。知る権利があるから報道の自由が要る。順序を逆にすると、報道機関の都合が自由の名で語られることになる。
  • ジャーナリズムの商業化土台が揺らぐ語読まれる記事が正しい記事より優先される状態。この問題が深いのは、商業性がなければ独立も保てないからだ。福沢の言う「資本」の二つの意味がここで衝突する。142 の消費社会が知の領域に及んだ形である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 報道事実を伝えること行為。ジャーナリズムは理念と役割まで含む。
  • マスメディア大量に情報を伝える媒体手段。ジャーナリズムはその上で行われる営み。
  • アカデミズム制度化された学問☑152。対語として置かれる。
  • 世論社会に広がる意見対象であり、同時に作り出す相手。この循環が批判の的になる。

ENjournalism
ZH新闻业(ジャーナリズム, xīnwényè)

広報が発表をそのまま流すのに対し、報道は権力が出したくない事実を取り出すことを示した図権力の内側にある事実を、発表された分だけ流すのが広報、発表されていない部分を取り出して外へ出すのが報道である。両者を二本の経路として並べる。 どちらの経路を通るか権力の内側発表する事実伏せる事実流す広報・発表報道速く、正確で、無害掘り出すジャーナリズム遅く、揉め、必要上の経路だけでも新聞は毎日出るだから、出ていることは働いていることの証明にならない「我が輩の資本は独立不羈の精神なり」── 福沢諭吉不羈とは、つながれないこと。つながれていれば下の経路は通れない
二つの経路
Section 14

マジョリティー/マイノリティー

154★★

マジョリティー

マジョリティー[3]中高型

定義

多数。過半数。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑154
使用の境界

多数を占める側。数の多さだけでなく、自分たちのあり方が標準とみなされている状態を含む。

用法

要点は、マジョリティーであることが自覚されにくい点にある。自分たちのあり方が「普通」だとみなされているため、それが一つの立場であることに気づかない。この構図は☑75 自文化中心主義とまったく同じである。したがって評論文では、マジョリティーの側が自らの位置を問うことが求められる。数の問題ではなく力の問題であることも要点で、少数でも権力を握れば標準を決められる。

用例
  • 多数者が絶対的な力を握るとき、私が見るのは暴政の萌芽である。……アメリカでは、多数が思想のまわりに恐るべき囲いを巡らしている。その境界の内では、書き手は自由である。しかしそこを越えれば、災いが待つ。アレクシ・ド・トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第一巻(1835)/訳は本教材
    多数派の力が法ではなく空気として働くことを見抜いた一節である。「囲い」という比喩が的確なのは、囲いの内側にいる限り不自由を感じないからだ。検閲なら禁じられたことが分かる。囲いは見えないまま思考の範囲を決める。さらにトクヴィルは、これが専制君主よりたちが悪いと続ける — 君主は身体を縛るが、多数派は魂を放っておかない「みんなが言っている」という圧力に訴える先が無いのは、訴えるべき相手が自分もその一員である多数派だからである。
  • 衆これを悪むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。『論語』衛霊公篇
    多数派の判断を無条件には信じるなという古い戒めである。この句の構造で注目したいのは、「悪む」と「好む」の両方に同じ処方を出していることだ。普通、多数派への警戒は誰かが叩かれている場面で発動する。孔子はそこに留まらない — みんなが褒めているときこそ確かめよと言う。こちらのほうが難しい。叩かれている者を庇うのは勇気の問題だが、褒められている者を疑うのは不作法に見えるからだ。「必ず察す」の「察」は自分の目で確かめるの意。154 を扱う文章を読むときは、多数派が否定に回っているか肯定に回っているかで警戒を緩めないようにしたい。
  • マジョリティーの特権とは、自分がマジョリティーであることを意識しないでいられることである。 この定義が現代の議論の中心にある。多数派は自分の属性を説明する必要がない。標準として扱われるからだ。「普通」と呼ばれることこそが特権の中身であり、1-1 の 1 で見た普遍を名乗る特殊の社会的な形である。
  • ×会議ではマジョリティーが八票を集めて可決した。 数のことを言うなら「多数」「過半数」である。154 は社会のなかで標準として扱われ、規範を決める側にいる集団を指す語で、単なる票数ではない数が少なくてもマジョリティーでありうることに注意したい — 決めるのは数ではなく規範を握っているかどうかである。
原書の反意語・関連語

反 マイノリティー(155)

派生形
  • 多数派たすうは[0]日本語の訳語数を前面に出すぶん、規範を握っているという含みが薄い。カタカナの「マジョリティー」が選ばれるのは、数以上のものを言いたいときである。
  • マジョリティー[3]「マジョリティ」とも書く。長音の有無は表記の揺れで、意味は同じ。評論文ではどちらかに統一するのが原則。本教材は原書に合わせて長音を入れている。
  • 主流しゅりゅう[0]川の比喩から来た語数ではなく勢いと正統性を指すのが特徴で、「主流派」「非主流派」のように使う。マジョリティーが「標準である」ことを、主流は「中心にいる」ことを指している。
コロケーション
  • 多数者の暴政民主主義の内部の敵多数決の手続きを正しく踏んだうえで少数者の権利が奪われること。この語が重いのは、手続きの違反がない点だ。だから手続きの改善では防げない。多数決で決めてはいけない事柄をあらかじめ定めておくほかなく、それが憲法の人権規定である。1-6 の 127 で見た「次がある」ことの担保と一対をなす。
  • 沈黙の螺旋数が数を呼ぶ語少数意見の側が孤立を恐れて黙り、その結果さらに少数に見えるという循環。「螺旋」という語が的確なのは、回るたびに差が広がるからだ。実際の分布と見えている分布がずれていく — 143 の情報社会ではこの螺旋がかつてなく速く回る。
  • マジョリティーの無自覚見えないことが条件自分が基準になっていることに気づかない状態。この語が批判ではなく構造の記述として使われることに注意したい。意識しないでいられるのは悪意ではなく位置の効果だ。1-5 の 89 で見た離見の見が要求されるのは、まさにこの場面である。
  • マジョリティーの中の少数重なりを見る語一つの軸では多数派、別の軸では少数派という重なり。この視点が要るのは、人は一つの属性でできていないからだ。多数派の男性が別の場面では少数派でありうる。敵と味方を固定して描く議論の解像度を上げるための語である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • マイノリティー少数を占める側☑155。対語。
  • 多数派多数を占める側訳語。数の話に限られる。マジョリティーは標準とされる位置を含む。
  • 主流中心となっている流れ傾向の話。マジョリティーは人の集団を指す。
  • 特権有利な立場マジョリティーが自覚しにくい形でもつもの。批判の焦点。

ENmajority
ZH多数派(多数派, duōshùpài)

155★★

マイノリティー

マイノリティー[3]中高型

定義

少数。少数派。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑155
使用の境界

少数を占める側。標準から外れたものとして扱われ、不利益を受けている状態を含む。

用法

数の少なさではなく力関係と扱われ方が要点になる。だから人口の半数を占める女性が社会的マイノリティーとされることもある。評論文では、マイノリティーの側から見ることで標準そのものが問い直されるという構図が定型である。☑150 多様性・☑157 ジェンダーと組み合わせて出ることが多い。「配慮する」という言い方には、標準の側が施すという上下関係が残るため、近年は避けられる傾向にある。

用例
  • 社会が自ら暴君となるとき、その圧制の手段は官憲の手を借りるものに限られない。……それは、社会の内部により深く入り込み、魂そのものを奴隷にする。ジョン・スチュアート・ミル『自由論』第一章(1859)/訳は本教材
    少数者を押し潰すものの正体を言い当てた一節である。要点は「官憲の手を借りない」ところだ。法で禁じられていないのに言えない、着られない、名乗れない。これは誰の命令でもないから、撤回を求める相手がいない。ミルはこれを政治的抑圧より恐るべきものと呼んだ。政治的抑圧には抗議の宛先があるが、社会的圧制には無いからだ。1-4 の 83 で見た世間が、マイノリティーにとってどう働くかがここに書かれている。154 のトクヴィルの「囲い」と同じ事態を外側から見た記述である。
  • 愛する私たちの先祖が起伏す日常の言語で残しておいた多くの美しい言葉、それらの一つでも二つでも、生きている中に書き残しておきたい。知里幸恵『アイヌ神謡集』序(1923)
    マイノリティーの語りがどんな条件のもとで成立するかを示す一節である。注目したいのは「生きている中に」という一句だ。十九歳で世を去ることになる書き手が、時間が足りないことを知りながら書いている。そして「一つでも二つでも」。全部を残せるとは最初から思っていない。この諦めと断念しなさの同居が、少数者の記録のほとんどに共通する。さらに重いのは、この序文が日本語で書かれていることである — 残すために、奪った側の言葉を使うほかなかった。155 を論じる文章が「語る場が誰の言葉でできているか」を問い続けるのは、この事情による。
  • マイノリティーとは、数が少ない集団ではなく、規範を決める側にいない集団である。 数と権力を切り離すのがこの語の使い方の要点である。南アフリカのアパルトヘイト下では人口の多数派がマイノリティーだったこの一例を押さえておくと、「少数だから」という説明がいかに粗いかが分かる
  • ×この趣味はマイノリティーなので、話が合う人が少ない。 少数であることと不利な位置にあることを混ぜている。珍しい趣味を言うなら「少数派」「ニッチな」である。155 はその属性ゆえに不利益を被る位置を指す語で、珍しさの度合いではない不利益が伴うかどうかが判断の分かれ目になる。
原書の反意語・関連語

反 マジョリティー(154)

派生形
  • 少数派しょうすうは[0]数だけを指す訳語。評論文でカタカナが選ばれるのは、この語だと数の問題に見えてしまうからだ。訳語を避けることで意味を守っている珍しい例である。
  • マイノリティ[3]長音を落とした表記。学術書ではこの形も多い。表記の揺れは意味に影響しないが、一つの文章のなかでは統一するのが原則である。
  • 弱者じゃくしゃ[1]混同されやすいが別の語。弱者は力が弱いという性質の記述で、同情の対象という含みが付く。マイノリティーは位置の記述であって、弱いとは言っていない「弱者」と呼び替えた瞬間に議論が権利から保護へずれることに注意したい。
コロケーション
  • 社会的マイノリティー数を外す語あえて「社会的」と冠するのは、数の話ではないと明示するためである。この修飾がないと、「少数だから仕方ない」という多数決の論理に引き戻されてしまう語に一語足すことで議論の土俵を守っている例として、書き方の参考になる。
  • 声を上げる主体化を言う語この慣用句が155 の文脈で重いのは、声を上げること自体に費用がかかるからだ。名乗れば不利益を被る。不利益を被る位置にいる者ほど声を上げにくいという循環がある。「声が上がっていない」ことは「問題がない」ことを意味しない
  • 当事者性誰が語れるかを問う語その問題を身をもって生きていることから来る資格。この語が難しいのは、重んじすぎると当事者以外は黙るべきだという結論になり、軽んじすぎると当事者不在で議論が進むからだ。どちらの極も少数者を孤立させる点で同じ結果を生む。
  • マイノリティーの可視化見えるようにする語存在しているのに数えられていない状態から抜け出すこと。この語が示すのは、統計に項目がないことが不在と同義になるという現代に固有の事情だ。143 の情報社会ではデータに現れないものは存在しないものとして扱われる

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • マジョリティー多数を占める側☑154。対語。
  • 少数派少数を占める側訳語。数の話に限られる。
  • 弱者力の弱い立場の人力関係を言う。マイノリティーは標準からの外れという位置を指す。
  • エスニシティ集団への帰属意識☑85。マイノリティーが依拠する帰属の一つ。

ENminority
ZH少数派(少数派, shǎoshùpài)

解説 ── マジョリティー・マイノリティー

マジョリティーとマイノリティーがとくに問題となるのは、人種差別などで少数民族が差別や抑圧を受ける場合、つまりマイノリティーが単なる少数派ではなく、弱者の場合である。

現代では、いかに社会の中でマイノリティーの存在を尊重するかが課題となる。

また、政治における多数決などの場合にも、少数派の意見をどのように社会に反映させるかが重要な問題となる。

なお、黒人は人口的には少数者とは言えないが、人種差別を受けやすい社会的弱者であるため、マイノリティーとして扱う場合もある。

近年の日本では、同性愛者・障害者・在日外国人なども社会的弱者とされている。

対立の軸

マジョリティー/マイノリティー の軸 = 標準を決める側か、外れる側か

マジョリティー多数を占め、そのあり方が標準とみなされる側。
標準を決める側か、外れる側か
マイノリティー少数を占め、標準から外れたものとして扱われる側。
標準を決める位置マジョリティーが自らの立場を標準とみなし、その位置が自覚されにくいことを示した図。 マジョリティー マイノリティー これが「普通」だとされる 標準から 外れたものとされる 数ではなく、標準を決める 力の問題である。 ☑75 自文化中心主義とまったく同じ構図がここにある
標準を決める位置
Section 15

フェミニズム

156★★

フェミニズム

フェミニズム[3]中高型

定義

女性の社会的権利を男性と同等にし、女性の能力や役割の発展を目指す主張および、その運動。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑156
原書の解説

フェミニズムは、近代以降の社会が男性中心にできており、女性がさまざまな場面で差別を受けていることを糾弾するものである。

その運動の始めは、女性には選挙権がないなどの政治的差別と闘うものであった。

その後、フェミニズムは多様化する。次第に、政治的な権利だけでなく生活の中においても女性に対する差別をなくして、男性の意識も女性自身の意識も変えることにより、女性が自由に生活できる社会を実現することを目的とするようになる。

使用の境界

性別による差別をなくし、女性の権利と自由を確立しようとする思想と運動。女性だけの問題を扱うのではない。

用法

評論文で重要なのは、フェミニズムが「女性の問題」に留まらないという点である。性別が自然ではなく社会的につくられたものだと示すことで(☑157 ジェンダー)、自然に見えていたものが制度である(☑78)という視点そのものを鍛えた。この方法は人種・階級・障害の分析にも広がった。「男らしさ」の抑圧を問うのもフェミニズムの射程に入る。日常語では誤解が多く、男性への敵対と受け取られることがあるが、思想としては性別による束縛一般を扱う。

用例
  • 私は、女性が男性を支配する力を望むのではない。女性が自分自身を支配する力を望むのである。メアリ・ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』(1792)/訳は本教材
    フェミニズムが最初に受けた誤解に、最初から答えていた一句である。「男を支配する」と「自分を支配する」を並べたところに仕掛けがある。権力の量を奪い合う話ではないと言っているのだ。注目したいのは「自分自身を支配する」という言い回しだ。これは自律の古典的な定義そのものであり、1-6 の 135 で見たカントの「自ら招いた未成年状態から抜け出よ」とまったく同じ構えである。つまりこの主張は啓蒙の原理を女性にも適用せよと言っているにすぎない。にすぎないことが二百年かかったところに、この文章の重さがある。
  • 山の動く日来る。かく云へども人われを信ぜじ。……すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。与謝野晶子『そぞろごと』(『青鞜』創刊号・1911)
    日本のフェミニズムが最初に持った詩である。「山の動く日来る」という断言から始めておいて、次の行で「人われを信ぜじ」と自ら退く。この一往復が詩を強くしている — 信じられないことは書き手も分かっている。分かったうえで書いている。そして「眠りし女」という表現だ。女は無力だったのではなく、眠っていたと言う。力はもとからあったというこの前提が、運動の言葉としては決定的に効く — 与えられるのを待つのではなく、取り戻す話になるからだ。一四五文字ほどの詩が百年以上引かれ続けるのは、この構えのためである。
  • フェミニズムは、女性の地位の向上を求める運動であると同時に、性別によって成り立ってきた知の枠組みそのものを問い直す試みでもある。 二層あることを押さえるのが要点である。第一層は制度の是正 — 参政権、賃金、機会。第二層は認識の枠組みの問い直し「人間」と言うとき誰が想定されてきたか後者があるために、この運動は哲学の問題にもなる
  • ×彼女はフェミニズムだから、男性の意見に厳しい。 人を指すなら「フェミニスト」である。そのうえで、この文は立場を態度の悪さの説明に使っている。156 は性別による不均衡を是正しようとする思想と運動の総称で、男性への態度で定義される語ではない思想の名を人柄の説明に流用しないのは、1-6 の 139 でも見た原則である。
派生形
  • フェミニスト[4]担い手を指す語。日本語では「女性に優しい男性」という誤った用法が長く流通した。思想の立場を指す語が態度の語に取り違えられた典型例で、評論文では原義で使う。
  • 女性学じょせいがく[3]学問としての形。運動としてのフェミニズムに対し、研究の分野を指す。のちに「ジェンダー研究」へ名を広げたのは、男性のあり方も対象に含めるためである。
  • ミソジニー[3]女性への嫌悪・蔑視。ギリシア語 miso(憎む)+ gyne(女)。注意したいのは、個人の感情ではなく文化に埋め込まれた傾向を指すことだ。女性自身がミソジニーを内面化すると論じられるのは、この語が構造の語だからである。
コロケーション
  • 第一波・第二波段階で分ける語第一波は参政権と法的平等、第二波は家庭・身体・言説の不均衡を扱った。この区分が有用なのは、法の平等が達成されても不均衡が残ったという事実を一目で示せるからだ。制度を直しても変わらないものがあるという発見が、157 のジェンダーという語を要求した。
  • 個人的なことは政治的である境界を動かす標語第二波を象徴する一句。家事の分担も、身体の扱いも、私的な問題ではなく権力の配置の問題だと言う。この標語が強力なのは、1-6 の 122 の市民社会が引いた公私の線を引き直しているからだ。線の内側は介入されないかわりに救われもしない
  • フェミニズムの多様化内部の差を認める語「女性」という一つの主語で語れるのかという問い。階級・人種・地域によって直面する不均衡は違う。この自己批判が起きたことは運動の弱体化ではなく成熟と読むべきだ。155 の「マジョリティーの中の少数」が運動の内側で発見されたのである。
  • バックラッシュ反動を指す語前進に対して起きる揺り戻し。この語が要るのは、反動が前進の証拠でもあることを示すためだ。何も変わっていなければ反発も起きない。ただし反動を前進の証拠として片づけるのも危うい — 実際に後退することもある

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • ジェンダー社会的につくられた性差☑157。フェミニズムが用いる中心的な分析概念。
  • 男女平等男女の権利が等しいこと制度上の目標。フェミニズムはその根にある構造を問う。
  • 女性解放女性を束縛から解き放つ訳語の一つ。運動としての側面。
  • 家父長制家長の男性が権限をもつ制度☑19 の入試文にも現れる。フェミニズムが批判する対象。

ENfeminism
ZH女权主义(女権主義, nǚquán zhǔyì)

第一波が法と制度を、第二波が家庭と身体と言説を対象にしたことを示した図第一波は参政権や財産権など公的領域の法的平等を求めた。第二波は法が平等になっても残った家庭・身体・言葉のなかの不均衡を対象にした。公私の線を挟んで二つの波が並ぶ。 法が平等になっても、残ったもの公と私を分ける線公的領域私的領域第一波参政権・財産権教育・職業法の前の平等第二波家事・育児の分担身体・性・暴力言葉と表象「個人的なことは政治的である」この標語は、上の点線を引き直せという要求だった線の内側は、介入されないかわりに救われもしない
二つの波と、公私の線
Section 16

ジェンダー

157★★

ジェンダー

ジェンダー[1]頭高型

定義

社会的・文化的に形成される、男らしさや女らしさ。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑157
原書の解説

生物としての性をセックス(sex)、社会的・文化的な性をジェンダーと言う。

セックスは生まれつきだが、ジェンダーは社会や文化の中で成長していく過程で身につけるものである。

たとえば、

といった「男らしさ」「女らしさ」は、ジェンダーに基づく考え方だ。

このような文化的につくられた性差は、個人の自由な生き方を抑圧する側面があることから、ジェンダーの固定化の解消を求める「ジェンダー・フリー」を唱える論者もいる。

使用の境界

社会的・文化的につくられた性差。生物学的な性別(セックス)と区別して使う。

用法

セックスとの区別が最初の関門になる。身体の差異は生物学的だが、「女性は感情的だ」「男性は泣かない」といった内容は社会がつくったものである。この区別によって、自然に見えていたものが変えられるものになる。ここが要点で、☑96 本質主義への批判と直結する。近年はセックスとジェンダーの区別そのものも問い直されており、身体の理解自体が文化に規定されているという議論に進んでいる。

用例
  • 一方の性の他方への法的な従属は、それ自体として誤りであり、……いま完全な平等の原理によって置き換えられるべきである。……ある性に生まれたということが、なぜ人生のすべてを決めてしまうのか。ジョン・スチュアート・ミル『女性の隷従』第一章(1869)/訳は本教材
    ジェンダーという語が生まれる百年前に、その問いを立てた一節である。最後の一文が要である — 「ある性に生まれたということが」。ミルはここで生まれ(生物学的な性)と人生の配分(社会的な役割)を切り離して並べた。この切り離しがのちに sex と gender という二語に固まる。さらにミルは、女性の本性なるものは観察されたことがないとも書いた。従属した状態でしか観察していないのに、その観察から本性を導いている — この循環の指摘は、1-4 の 87 で見た「である」から「べきである」への飛躍の、最も重要な実例の一つである。
  • 女子であれば何様な理不尽をも堪へねばならぬか、……私は其様な事を思ふと一日も此家に居る気にはなれませぬ。樋口一葉『十三夜』(1895)
    ジェンダーが制度としてどう働くかを、一人の女の言葉で見せた一節である。この短編で、主人公は嫁ぎ先の仕打ちに耐えかねて実家へ帰る。そして父に諭されて、その夜のうちに戻っていく。注目したいのは、誰も悪人として書かれていないことだ。父は娘を思っており、思っているからこそ帰れと言う。離縁された娘がどう扱われるかを知っているからである。愛情が抑圧の経路になる — 151 の構造主義が言う「個人の意図の外で働く仕組み」が、これほど具体的に書かれた例は少ない。変えるべき相手が見当たらないことこそが、ジェンダーという語の必要を証明している。
  • 生物学的な性をセックス、社会的・文化的に作られた性をジェンダーと呼び分ける。 この対が語の出発点である。分けることの効果は「生まれつきだから仕方ない」という説明を検証にかけられることにある。なお現代ではセックスの側も文化の見方に影響されているという議論が進んでおり、二分自体が問い直されている
  • ×申込書のジェンダー欄に「男」と記入した。 書類の性別欄は通常「性別(sex)」である。(近年は自認する性を書く欄を設ける例もあり、その場合は 157 でよい。)評論語のジェンダーは社会が性別に割り当てた役割・規範・期待の総体を指す語で、個人の属性を記入する項目名ではない
派生形
  • ジェンダー[1]もとは文法用語。ラテン語系の言語で名詞を分類する「性」(男性名詞・女性名詞)を指していた。言語の恣意的な区分を指す語が、社会の恣意的な区分を指す語に転用されたところが見事である。
  • セックス[1]生物学的な性。日本語では性行為の意が強く出るため、評論文では「生物学的性」「身体的性」と書き下すことが多い。訳しにくさが議論の妨げになる例。
  • ジェンダー平等ジェンダーびょうどう[5]政策の語彙「男女平等」との差に注意したい。男女平等は二つの性の均衡を言うが、ジェンダー平等は二つに収まらない場合も含意できる語を変えることで枠を広げている
コロケーション
  • ジェンダー・ロール割り当てを指す語性別に応じて期待されるふるまいの型。この語の使いどころは、期待が本人の意思と無関係に先回りしていることを示す点にある。生まれた瞬間に着せる色が決まっている。146 の装置が生後ゼロ日から働きはじめると読むと、この語は具体的になる。
  • ジェンダー・バイアス偏りを指す語判断や評価に性別による偏りが無自覚に入り込むこと。この語が強力なのは、差別の意図を証明しなくてよいからだ。同じ履歴書の名前を変えると評価が変わる — この事実だけで偏りは示せる意図から結果へ、議論の土俵を移す語である。
  • ジェンダーの再生産続く仕組みを言う語教育・家庭・メディアを通じて次の世代に同じ配分が受け渡されること。「再生産」という語が的確なのは、誰も企てていないのに確実に続くことを示すからだ。維持のための努力が要らないほうが強い制度である
  • ジェンダー・フリー和製の語性別による区別をなくそうという主張を日本で表した語。注意したいのは、英語圏ではほとんど使われないことだ。そして「性差をなくす」という極端な意味に読み替えられて攻撃の的になった造語が誤読とともに独り歩きする危うさの例である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • セックス生物学的な性別対概念。身体的な差異。ジェンダーは社会がその上に載せた意味。
  • 性役割性別に応じて期待される振る舞いジェンダーが具体的に現れた形。
  • フェミニズム性差別をなくそうとする思想☑156。ジェンダーはその分析概念。
  • 本質主義生まれつきの性質だとする立場☑96。ジェンダー論が批判する立場。

ENgender
ZH社会性别(社会的性別, shèhuì xìngbié)

セックスとジェンダー生物学的な性別の上に社会が意味を載せる構造と、それによって変えられるものになることを示した図。 ジェンダー ── 社会が載せた意味 「女性は感情的」「男性は泣かない」「家事は女の仕事」 セックス ── 生物学的な性別 身体的な差異 載せる 社会が載せたものなら、変えられる。この転換が要点になる。 ☑96 本質主義への批判と、直結している
セックスの上に、社会が意味を載せる
Section 17

ポストモダン

158★★

ポストモダン

ポストモダン[4]中高型

定義

近代を乗り越えようとする思想運動。脱近代。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑158
原書の解説

ポストモダンは二十世紀後半に盛んになった思想運動のことで、ポスト・モダニズムとも言い、〈モダニズム(近代主義)以降〉という意味。

近代の価値観を絶対的・普遍的と考えることはできないとする。

ロゴス中心主義(=理性や論理を真理の究極的な根拠として考える立場)や、進歩主義(=世代を重ねるごとに、社会の矛盾を変革してよりよいものにしようとする立場)などの、近代の考え方の限界を指摘し、現代の消費社会や情報社会に対応する新しい知や実践のあり方を提唱する思想である。

ただし、近代の価値観に変わる新しい原理や制度を提唱するのではなく、近代の原理を相対化することで、近代的な価値観から自由になることを試みている。

また、代表的な哲学者には、リオタール(1924〜1998年)やデリダ(1930〜2004年)といった人物がいる。

たとえば

リオタールは、高度情報化社会の進展をみすえ、マルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系が終わりを迎えたとして、「大きな物語の終焉」を説いた。

また、デリダは「脱構築」という概念を用いて、「善/悪」「真/偽」「男/女」「西洋/東洋」といった二項対立において、前者が後者より優れているとする価値観の解体を主張した。

使用の境界

近代の枠組みが有効性を失ったあとの状況と、それを扱う思想。近代のあとの時代というだけの意味ではない。

用法

リオタールの「大きな物語の終焉」が定義として最もよく使われる。人類は理性によって進歩し解放される──こうした歴史全体を意味づける枠組みが信じられなくなった状況を指す。二つの大戦、社会主義の崩壊、環境破壊がその背景にある。だから残るのは小さな物語の並存であり、☑150 多様性や☑132 ニヒリズムに接続する。批判もあり、基準を失えば何も批判できなくなるという指摘がなされる。建築・芸術では様式の名としても使われる。

用例
  • 事実なるものは存在しない。存在するのは解釈だけである。フリードリヒ・ニーチェ『権力への意志』遺稿(1886頃)/訳は本教材
    ポストモダンと呼ばれる思考の最も短い定式である。ただし、この一句は自分自身に噛みつく — 「事実は存在しない」という主張は事実として述べられているのか。そうなら自己矛盾であり、解釈にすぎないなら従う理由がない。この自己言及の罠はニーチェ自身が承知していたと読むべきだ。彼が求めたのは新しい真理ではなく、真理という語の身分の引き下げだった。絶対に正しい何かを掲げること自体をやめるというこの構えが、1-6 の 135 で見た啓蒙の「理性の光」への最も深い疑いになる。158 を扱う文章は、この罠をどう処理しているかを見ると評価しやすい。
  • いや、殺したのはわたしでございます。……わたしがあの人を殺したのです。……夫を殺したのはわたしではございません。芥川龍之介『藪の中』(1922)
    大きな物語が成り立たなくなる事態を、小説の形で先取りした作品である。同じ殺人について盗人・妻・死者の霊がそれぞれ「自分がやった」と語る。三つの証言はどれも筋が通り、どれも他を否定する。注目したいのは、芥川が正解を用意していないことだ。普通の推理小説なら最後に真相が示される。この作品にはそれがない。読者は解釈のあいだで宙づりのまま放り出される。さらに深いのは、三人とも自分に不利な証言をしていることだ。嘘をつく動機すら見当たらない誠実に語っても真実が一つに定まらない — ポストモダンが言おうとしたことが、ここに書かれている。
  • ポストモダンとは、進歩や解放といった「大きな物語」への信頼が失われた状態を指す。 「大きな物語」が定義の核である。近代は人類はより自由へ、より豊かへ向かうという筋書きを共有していた。その筋書きが二度の世界大戦と公害と収容所を説明できなくなった。1-6 の 132 のニヒリズムとは親戚だが、こちらは価値ではなく筋書きの喪失を言う。
  • ×この建物は曲線が多くてポストモダンな感じがする。 建築様式としての「ポストモダン建築」は実在するので、それを指すなら正しい。ただし「〜な感じ」という雰囲気の語として使うと、思想史の語との区別がつかなくなる。評論文ではどちらの意味かを文中で明示するのが安全である。
派生形
  • モダン[1]近代・現代の両方を指す。「ポスト」が付くとその後という意味になるが、「後」が「終わった後」なのか「続きの中」なのかは定まっていないこの曖昧さが語の議論を長引かせている
  • モダニズム[4]二十世紀前半の芸術運動。合理性・機能・普遍を掲げた。ポストモダン建築が装飾と引用と土地の記憶を呼び戻したのは、この普遍主義への反発である。1-6 の 136 のロマン主義と同じ形の反発だ。
  • ポストモダニズム[7]運動や様式としての形。「ポストモダン」が時代の状況を指すのに対し、こちらはその状況に応じた表現や主張を指す。状況の名と主義の名を書き分けると、議論がすっきりする。
コロケーション
  • 大きな物語の終焉中核の言い方人類全体を貫く筋書きが信じられなくなったこと。この語で押さえておきたいのは、物語がなくなったのではない点だ。小さな物語は無数に増えた。失われたのはすべてをまとめる一本である。150 の多様性が価値として掲げられるのは、この一本が無くなったあとの生き方の設計だとも読める。
  • 相対主義陥りやすい隣すべては解釈だから優劣はつけられないという立場。ポストモダンと混同されるが同じではない「唯一の正解はない」と「どれも同じだ」は別の主張だからだ。前者は比較を続けるが、後者は比較をやめる。1-4 の 76 で見た文化相対主義と同じ分かれ道である。
  • 脱構築手つきを指す語ある主張が何を排除することで成り立っているかを内側から示す読み方。この作業が破壊と違うのは、対象を丁寧に読まなければできないことだ。最も忠実な読者だけが脱構築できる — この点を落とすと「何でもありの批評」に堕ちる。
  • ポストモダンの後現在地を問う語この語が使われるようになったこと自体が、ポストモダンが一つの時代として過ぎたと感じられている証拠である。「すべては解釈だ」という構えが事実の否定に流用されるようになったいま、解釈の複数性を認めつつ事実を守るという難しい姿勢が求められている。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 近代理性と進歩を信じた時代☑119 と接続する。ポストモダンはその前提が崩れた状況を指す。
  • 構造主義関係の型で説明する立場☑151。ポストモダンはその先に置かれることが多い。
  • 大きな物語歴史全体を意味づける枠組みリオタール。進歩・解放・啓蒙。その終焉がポストモダンの定義になる。
  • 相対主義唯一の基準を認めない☑26。ポストモダンが陥りやすいとされる立場。

ENpostmodern
ZH后现代(ポストモダン, hòuxiàndài)

一本の大きな物語が失われ、無数の小さな物語に分かれた状態を並べた図近代は進歩や解放という一本の筋書きを共有していた。その筋書きが信じられなくなったあと、物語が消えたのではなく、小さな物語が無数に増えた状態が残る。 物語は消えたのではなく、分かれたMODERNPOSTMODERN進歩一本の筋書きを皆が共有していた小さな物語が無数に増えた失われたのは、すべてをまとめる一本のほうであるここで二つの道が分かれる ──相対主義比較をやめる複数性の肯定比較を続ける「唯一の正解はない」と「どれも同じだ」は、別の主張である
一本から、無数へ
Section 18

自己決定/自己責任

159

自己決定じこけってい

じこけってい[0]平板型

語構成
自己みずから決定きめること
定義

自分の問題について、権力や社会の圧力を受けずに自分自身が決定すること。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑159
使用の境界

自分に関わることを自分で決めること。決める条件が整っていることを前提とする。

用法

医療・生殖・終末期の場面で中心となる概念で、患者が自分の治療を自分で決める権利を指す。要点は、決めるための条件が必要なことにある。十分な情報がなく、選択肢もなく、断れない立場に置かれていれば、形の上で選んでも自己決定とは言えない。評論文ではこの点が問われ、☑160 自己責任と安易に結びつけることへの批判につながる。☑36 自律との違いは、自律が規範の出どころを言うのに対し、自己決定は個別の選択を指す点にある。

用例
  • 文明社会のどの成員に対してであれ、その意志に反して権力を行使しても正当だとされる唯一の目的は、他人への危害を防ぐことである。……本人自身の幸福は、十分な正当化の理由にはならない。ジョン・スチュアート・ミル『自由論』第一章(1859)/訳は本教材
    自己決定という原則の古典的な定式である。効いているのは後半の一文だ。前半だけなら「他人に迷惑をかけるな」という穏当な常識にすぎない。後半はその人のためを思っての干渉すら退ける。これは厳しい主張である — 本人が損をすると分かっていても、止めてはならない。ミルがここまで踏み込んだのは、「あなたのため」という理由を認めると、干渉に限界がなくなるからだ。何が幸福かを決める権限が本人から離れた瞬間に、自己決定は消える原則は極端でなければ原則として働かないという見本でもある。
  • 意志の自律とは、意志がみずからにとって法則であるという意志の性質である。イマヌエル・カント『人倫の形而上学の基礎づけ』第二章(1785)/訳は本教材
    自己決定を、好き勝手と区別するための定義である。要点は「みずからにとって法則」という矛盾めいた言い方だ。自律とは規則が無いことではない。自分で立てた規則に自分が従うことである。ここでカントは二つの自由を分けている気まぐれに動く自由と、自分の決めた筋を通す自由。前者は欲求に従っているだけで、カントに言わせれば他律にすぎない。159 の議論が「本当に自分で決めたのか」を執拗に問うのは、この区別があるからだ。広告に動かされた選択は、選択の形をしていても自律ではない
  • 自己決定が成り立つには、選ぶ力だけでなく、選べるだけの選択肢と情報がそろっていなければならない。 条件の側を書くのがこの語の要点である。選択肢が一つしかないとき、選んだという形式は残っても中身は無い。143 で見た情報の非対称もここに効く — 知らされていない選択は自己決定ではない
  • ×自分で店を決めたので、今日の昼食は自己決定だ。 語の重さが場面に合っていない。日常の選択なら「自分で決めた」で足りる。159 は医療・生き方・身体のように、本人以外が口を出しうる領域で本人の意思を優先させるべきだという原則を指す語である。誰も干渉しない事柄にこの語は要らない
派生形
  • 自律じりつ[0]自分で立てた規則に従うこと。「自立」と書き分ける。自立は他に頼らないこと(経済的自立)、自律は自分で自分を律すること自立していても自律していないことはありうる
  • 他律たりつ[0]自律の対。外からの規則や欲求に動かされている状態。カントの用法では欲望に従うことも他律で、これが日常語の感覚と大きくずれる。「やりたいようにやる」は自律ではない
  • 自己決定権じこけっていけん[0]法と生命倫理の語彙。終末期医療、妊娠の継続、身体の処分をめぐって争点になる。どこまでを「自分のこと」と認めるかで結論が変わるため、境界の設定そのものが論点になる
コロケーション
  • インフォームド・コンセント医療での形十分な説明を受けたうえでの同意。この語が示すのは、同意だけでは足りないことだ。説明が同意の前提として制度化されている。159 の抽象的な原則が手続きの形をとった好例で、理念は手続きにならないと働かないことを教えてくれる。
  • パターナリズム対立する語本人のためを思って本人の意思に反して介入すること。「父権主義」と訳す。この語が難しいのは、全面的には否定できない点だ。子どもや判断能力を欠く場面では介入が必要になるどこに線を引くかという問いだけが残り、これに一般解は無い。
  • 自己決定権権利として立てる語「権」を付けると他者に対して主張できるものになる。重要なのは、権利は対応する義務を生むことだ。自己決定権を認めるとは、他者が「そんな選択はやめろ」と言えなくなるということである。認めることの不快さまで含めて引き受けるのが、この語の重みだ。
  • 自己決定の条件前提を問う語誰でも同じように決められるわけではないという指摘。貧困、依存、暴力のもとでの選択は形式としては自由でも実質としては強制でありうる。自己決定を無条件に称揚すると、追い詰められた選択まで本人の意思として扱われてしまう — 160 へは、この一歩でつながる。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 自律自分の考えに従って判断する☑36。自律は規範の出どころ、自己決定は個別の選択。
  • 自由束縛がないこと状態。自己決定は決める行為そのもの。
  • インフォームド・コンセント説明を受けた上での同意医療の場面。自己決定を成り立たせる手続き。
  • 自己責任結果を自分で引き受けること☑160。表裏の関係にあるが、結びつけ方が争点になる。

ENself-determination
ZH自我决定(自己決定, zìwǒ juédìng)

160

自己責任じこせきにん

じこせきにん[0]平板型

語構成
自己みずから責任負うべきつとめ
定義

自分の言動の結果について、他人や社会ではなく、自分自身が責任を負うこと。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑160
使用の境界

自分の選択の結果を自分で引き受けること。転じて、社会の側の責任を個人に転嫁する論法を指す。

用法

評論文ではほぼ批判的に扱われる。批判の型は決まっていて、①自己決定(☑159)の条件が整っていないのに責任だけを負わせる、②本来は社会が担うべきリスク(☑147)を個人に転嫁する、というものである。貧困・失業・災害の被害に対して使われると、構造的な原因が見えなくなる。日本では二〇〇四年以降この語が急速に広まり、社会的な文脈をもつ語になった。中国語に対応する定型句はない。

用例
  • この教説によって、各人は前代未聞の内面的孤独の感情のうちを歩まねばならなかった。……誰も彼を助けることはできなかった。説教者も、秘蹟も、教会も、神さえも。マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)/訳は本教材
    自己責任という感覚の起源を宗教のなかに見出した一節である。ウェーバーが論じているのは予定説 — 誰が救われるかはあらかじめ決まっており、何をしても変えられないという教えだ。この教えのもとではとりなしてくれる相手がいない。注目したいのは、この孤独が怠惰ではなく猛烈な勤勉を生んだことである。救いを確かめる術がないなら、成功をその印として読むほかない成功は救いの証拠、失敗は選ばれていないことの証拠 — この構図が世俗化して残ったものが、現代の自己責任論の骨格である。神を抜いても構図は残った
  • 君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む。『論語』衛霊公篇
    自己責任と似て非なるものを見分けるために引いておきたい句である。一見すると「人のせいにするな」という自己責任論そのものに見える。だが決定的な違いがある — これは自分に向けた言葉であって、他人に向けた言葉ではない。孔子は「小人は人のせいにする」と観察を述べているだけで、「だから助けるな」とは言っていない。現代の自己責任論が倫理として危ういのは、この一人称の教えを二人称・三人称で使うからだ。自分に求めるのは徳だが、他人に求めれば見捨てる口実になる同じ内容の命題が、主語を変えるだけで徳から冷酷へ反転する — 160 を読むときの最も重要な着眼点である。
  • 自己責任という語が力を持つのは、社会の側が引き受けていた不確かさを、個人の選択の失敗として書き換えられるからである。 語の機能を書くのがこの語の扱い方である。正しいか間違っているかではなく、何ができるようになるかを見る。147 で見たリスクの個人化が、言葉の上で完成した形がこの語である。
  • ×災害で家を失ったのは危険な土地に住んだ自己責任だ。 語の適用範囲を踏み越えている。自己責任が意味を持つのは159 の自己決定が実質的に成立していた場合に限られる。住む土地を収入と職と家族の事情のなかで選ばされたのなら、それは選択ではない自己責任を問うにはまず自己決定の条件が整っていたことを示さねばならない — この順序を飛ばした議論が最も多い誤用である。
派生形
  • 責任せきにん[0]三つの層がある。①因果的責任(引き起こした)、②道義的責任(非難されうる)、③役割責任(担当している)。自己責任論はしばしば①を示さずに②を課すどの層の話かを分けて読むだけで、議論の粗さが見える。
  • 自己責任じこせきにん[3]もとは金融・投資の用語説明を受けたうえで自分の判断で投資した以上、損失は自分で負うという限定された文脈で使われていた。その限定が外れて人生全般に広げられたところに、この語の問題がある。
  • 自業自得じごうじとく[4]仏教語。自分の行い(業)の報いを自分が受けること。もとは善悪どちらにも使えたが、現代ではほぼ非難の語になった。自己責任が制度の言葉であるのに対し、こちらは突き放すための言葉である。
コロケーション
  • 自己責任論主張として名指す語「論」を付けることで一つの立場として対象化する語法。この一字があると、批判の的にできるようになる。「自己責任だ」と言われれば議論は終わるが、「それは自己責任論だ」と言い返せば議論は続く語に「論」を足して相手の主張を一つの立場に格下げするのは、評論文の重要な技術である。
  • 結果責任射程を限る語結果に対してのみ責任を負うこと。自己責任と混ぜられやすいが、誰がその結果を引き起こしたかを問う点で違う。自分が引き起こしていない結果まで引き受けさせるのが自己責任論の飛躍であり、この語を並べるとその飛躍が見えやすくなる。
  • 社会的排除反対側から見る語個人の努力ではどうにもならない仕方で参加の機会から締め出されること。この語が要るのは、自己責任論が見えなくする側を名指すためだ。同じ事態を、本人の落ち度と読むか締め出しと読むかで、処方箋が正反対になる
  • 自助・共助・公助順序が争点になる語助けの三つの層を並べた言い方。並べる順序に主張が入っていることに注意したい。自助を先に置けば公助は最後の手段になり、公助を先に置けば権利として先に立つ三語の内容は同じでも、並べ方が政策になる — 1-3 で見た語の配置が意味を作るという原理の、最も実際的な例である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 自己決定自分で決めること☑159。表裏の関係。決めていないものに責任は生じないはずである。
  • 責任負うべきつとめ一般語。自己責任は個人に限定する点に重心がある。
  • リスク計算された損失の可能性☑147。リスクの負担を個人に移す論法として働く。
  • 新自由主義市場に委ね国家の役割を縮める立場自己責任論を支える思想的背景。

ENself-responsibility
ZH自己负责(自分で責任を負う, zìjǐ fùzé)

日中のズレ

中国語には日本語の「自己責任」に相当する定型句がない。文脈に応じて 自己负责・个人责任 などと訳す。

日本語の「自己責任」は二〇〇四年以降に社会的な批判語として定着した、比較的新しい用法である。

解説 ── 自己決定・自己責任

自己決定の権利は、〈個人は他者に迷惑をかけない限り、何をしても自由である〉というリベラリズムの考え方による。

たとえば今日、私たちは進学や就職を自分で選ぶのは当然だと考えている。親の職業を子どもが継ぐのが当然とされていた時代もあった。

それと同様に医療現場でも、患者の健康・生命を決定できるのは患者自身であり、治療法から尊厳死・安楽死の選択まで、患者の自己決定は正当化されるべきだ、という考え方が主流になっている。

さらに、自分の選んだことなのだから、自分で責任を取るのが当然だという自己決定に連動した自己責任論も多く出されている。

ただし、時代や国籍・性別、生まれ育った環境など、本人の意思ではどうにもならない要素がからみ合っている場合には、純粋な「自己決定」に拠る「自己責任」とは言えないだろう。

また、「自己決定・自己責任」のどちらにせよ、〈自己〉について考えなければならない。

患者の周りには家族や医師がいるように、私たちの世界は人間関係で成り立っている。そうした関係性に気づかず、「自分の決定」と自分の責任範囲を決め込むことには異論が出されている。

対立の軸

自己決定/自己責任 の軸 = 決めることか、引き受けることか

自己決定自分に関わることを自分で決めること。
決めることか、引き受けることか
自己責任自分の選択の結果を自分で引き受けること。
自己決定と自己責任自己決定が成り立つための条件と、それが欠けたまま責任だけを負わせる論法を示した図。 自己決定が成り立つ条件 十分な情報複数の選択肢断れる立場 自己決定 自己責任 条件が欠けたまま 条件を跳ばして責任だけを負わせる 決めていないものに、責任は生じないはずである。 ☑147 リスクの負担が、個人へ転嫁される
条件が欠けたまま、責任だけを負わせる
Meta — 俯瞰

二十語を上から見る

この章の語は、近代の帰結を名指す側と、それを問い直す側に分かれている。対立の軸と、語の格を一枚ずつ図にしておく。

本章の対立の軸一覧本章に現れる対立語のペアと、それを分ける軸を並べた一覧図。 PAIR AXIS マジョリティー マイノリティー 標準を決める側か、外れる側か 自己決定 自己責任 決めることか、引き受けることか 評論文は対立で動く ── 軸が分かれば片方から他方が読める
本章に現れる対立と、それを分ける軸
格による20語の分布硬・学術、硬、中の三段階に本章の20語を振り分けた図。 硬・学術 2 構造主義 ポストモダン 2 装置 アカデミズム 16 大衆社会 消費社会 情報 監視社会 システム リスク グローバル化 エコロジー 多様性 ジャーナリズム マジョリティー マイノリティー フェミニズム ジェンダー 自己決定 自己責任 語は意味ではなく格で選ぶ
格による二十語の分布

硬・学術に属する語は、会話で使うと不自然に響く。中に属する語は両方で使える。この区別は意味の理解とは別の層にあり、書く段階で効いてくる。

Output

産出

やるなら ── 自分の関心領域から一つ選び、次のいずれかを一段落で書く。

  • 自分が最近買ったものを一つ挙げ、それが必要のための消費か、差異のための消費かを書く
  • 自分がマジョリティーの側に立っている場面を一つ挙げ、そこで何が「普通」とされているかを書く
Blank

多様性を認めるということが、多様性を認めない立場をも認めることだとすれば、その原則はどこで止まるのか。