Chapter 1-6

近代

[ 原書 第1部 第6章 近代 ]

語数 22 / 節 21 / 1節 約1015

原書の導入

近代とは何か

「近代」が入試に頻出する理由

入試では、「近代批判」についての文章が多く出題される。その内容は、効率や進歩、物質的な豊かさを求めてきた近代というものに対し、疑いや批判を投げかけるといったものだ。

近代の精神や価値観を受け継いだ我々が生きている「現代」とは、そうした「近代」をどう改革していくかが問われている時代なのである。

近代を広い意味でとらえれば、本書の第2章「科学」や第5章「哲学・心理」なども、近代に深く関係している。自然科学とそれを応用した科学技術は近代に生まれて発展したもので、自我や心身二元論などの概念も近代の哲学者によって生み出されたものである。

近代はいつから始まったか

近代という時代はいつから始まったのだろうか。

近代の始まりを、ルネッサンス以降とする場合もあれば、十七世紀、十八世紀とする場合もある。実はこのように、歴史のとらえ方によって近代の定義が変化してしまうところに、近代のとらえがたさがある。

近代の幕開けをルネッサンス(十四〜十六世紀)とする考えは、中世の宗教的な世界観から世俗的な世界観への変化に注目している。

また、十七世紀とする考えは、デカルトに代表される合理的な精神の萌芽に近代への転換を読み取っている。

あるいは、市民革命によって自由で平等な社会が実現した十八世紀を近代の出発点とみなす見方もある。

たとえば日本では、西洋化を目指すことになった十九世紀の明治維新を近代の幕開けとするのが一般的なとらえ方である。

近代的人間像

では、具体的に近代の特徴をつかんでいこう。

まず、近代の人間とはどのような存在か、そのイメージをもってほしい。近代の人間の重要な特徴としては、「内面」をもっていることと、「理性的」であることの二点が指摘できる。

「内面」をもつということは、自分を反省的にとらえることができることであり、「理性的」とは、自分の感情をコントロールして合理的に行動する、という意味だ。

こうした人々が共同体的なつながりを脱してつくり上げたのが「近代市民社会」であり、それを構成する「市民」は理性をもっているからこそ、宗教や因習から自由になり、自分たちの力で社会を運営できるようになった。

このような近代の人間のイメージが確立されるきっかけとなったのは、啓蒙主義の思想だろう。啓蒙主義の思想家たちは、理性が人間の最も優れた能力と考え、理性によって感情をコントロールし、理性に照らし合わせて物事を判断していくことが人間らしいと主張した。

こうして、理性的存在としての人間が確立されるようになる。

近代の政治と経済

近代市民社会のもとでは、個人の自由と平等が保証されている。

それまでの国家では、絶対的な権力をもつ国王こそが主権者であったが、市民革命によって、民主主義的な社会が実現したのである。

経済面では、産業革命が資本主義を牽引した

すなわち産業革命において、さまざまな機械が発明・導入されたことで生産力が飛躍的に増加し、そのことによって、大規模な工場制度が確立するとともに、生産手段の私有化が進んでいった。

資本家は労働者を雇用して利潤の追求をはかるようになり、資本主義が形成されていくこととなった。

国民国家の成立

こうした政治、経済の新しい体制は、近代的な国民国家(民族国家)として結実した。

国民国家とは、民族を単位として「国民」にまとめ上げる国家のあり方のことである。国民国家は、同じ民族を仲間とみなすナショナリズムの思想から生まれてきた。

近代を論じる際に「国民国家」という概念が重要になるのは、近代以前の中世では、まだ国家はそれほど大きな力をもっていなかったからだ。

ヨーロッパ全体は国家という区分を超えたキリスト教によって結ばれていることの方が重要であり、国家の体制も中央集権的なものではなく、地方分権的であった。

政治の単位が国家を中心とするようになったのは、近代の国家からである。

近代批判のポイント

これまで近代の人間像から社会・経済・国家までを見てきたが、これらはあくまで評論文を読む上での前提知識である。

実際の入試問題は、こうした近代的な制度のゆがみを挙げながら、近代の価値観を批判的に議論するような文章が多い。

たとえば、

などだ。

批判へのアプローチは論者によってさまざまだが、読解する際には、「筆者は近代のどのような価値観に対して批判的なのか」という点を意識しながら読むことを心がけよう。

Macro — 近代の地図

六つの領域は、独立していない

近代の六領域時間・思想・個人・経済・政治・社会という六つの領域で近代に何が起きたかを並べ、中央にその共通の帰結を置いた図。 時間思想個人 経済政治社会 直線的な進歩の時間時間・空間の均質化 世俗化・合理主義啓蒙主義とその反動 共同体からの独立自我の確立と孤独 資本主義・産業革命労働の疎外 市民社会・民主主義国民国家の成立 身分制の解体大衆社会への変質 近代 理性をもった個人が、 自由と平等のもとで社会を運営する 六つの領域は独立していない。同じ一つの転換の別の面である。
時間・思想・個人・経済・政治・社会 ── 同じ一つの転換の別の面

近代とは、理性をもった個人が、自由と平等のもとで社会を運営するという一つの構想である。この構想が六つの領域に同時に現れた。時間は直線的な進歩になり、宗教は私事になり、人は共同体から切り離され、労働は工場に集められ、身分制は解体し、国民という単位が作られた。この章の二十二語は、そのどこかに位置している。

中世から近代へ中世と近代を八つの軸で対比し、その転換が近代化と呼ばれることを示した図。 中世 近代 神が中心人間が中心 身分制自由と平等 共同体に属する個人として立つ 土地と農業資本と工業 循環する時間直線的に進歩する時間 この転換が近代化と呼ばれる ── ただし尺度は西欧に置かれている
中世から近代へ

ただしこの対比表そのものが、近代の側から描かれたものである。「暗黒の中世」という像は近代がつくった。近代を学ぶとは、この構想の力と、その構想が何を切り捨てたかを同時に見ることになる。

Index — 16 sections

  1. 01近代化
  2. 02世俗化
  3. 03近代合理主義
  4. 04(近代)市民社会
  5. 05個人/共同体
  6. 06国民国家
  7. 07ナショナリズム
  8. 08民主主義
  9. 09資本主義
  10. 10社会主義
  11. 11功利主義
  12. 12ヒューマニズム
  13. 13ニヒリズム
  14. 14フェティシズム
  15. 15中世
  16. 16啓蒙主義
  17. 17ロマン主義(ロマンティシズム)
  18. 18産業革命
  19. 19全体主義
  20. 20アナキズム
  21. 21時間・空間の均質化
Section 01

近代化

119★★★

近代化きんだいか

きんだいか[0]平板型

語構成
ちかいよ・時代そうなる
定義

中世の封建的な社会を脱して、民主的な社会・産業社会へと、社会が変わっていくこと。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑119
原書の解説

中世ヨーロッパの社会は、キリスト教的価値観・封建的身分制度による支配の下にあったが、ブルジョワジーの台頭や市民革命などを経て、合理的で民主的な社会が実現された。

このように中世的な社会を脱して、理性的な市民によって民主的な社会が運営されるようになったり、人々が合理的な価値観をもつようになったりしたことを近代化と言う。

近代化は、民主化・合理化の他にも、個人主義化・産業化・資本主義化といった多様な側面から論じられる概念でもある。

時代的には、十七〜十八世紀の西欧で最初に実現され、その後西欧諸国が世界各地で勢力を拡大したため、日本などでは急速な近代化が求められることになった。

こうした西欧以外の国々では、西欧化がそのまま近代化と同義であるが、その過程では、精神的側面よりも制度・技術の導入が重視されることが多かった。

使用の境界

封建的な社会を脱し、民主的・産業的な社会へ変わること。技術の導入だけでは近代化とは言わない。

用法

評論文で最も重要なのは、この語がある一つの尺度を含んでいるという点である。西欧で理論化された条件(ブルジョワジーの台頭・市民革命・自我の確立)を基準にすれば、それを満たさない社会は自動的に「遅れている」ことになる。原書の入試文は、明治以来の日本の知識人が自国を前近代だと考えて呻吟してきたと述べる。つまり近代化という語そのものが、☑75 自文化中心主義の構図を内側に抱えている。

用例
  • 西洋の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的というのは内から自然に出て発展するという意味で、ちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむを得ず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。夏目漱石『現代日本の開化』(1911)
    近代化という語を、速さではなく向きで捉えた一節である。漱石は「遅れている/進んでいる」とは言わない。力がどちらから来たかだけを問題にしている。この置き換えが効いているのは、遅速の話にするといずれ追いつくという慰めが残るのに対し、内発/外発の話にすると追いついた先でも同じ空白が残るからだ。花の比喩がむごいのはそこである — 外から開かされた花は、咲いてはいるが、咲く理由を自分の内側に持っていない。漱石はこの講演の末尾で「涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない」と言い切る。批判して終わらず、それでも進むほかないと認めたところに、この文章の重さがある。
  • 一身独立して一国独立す。福沢諭吉『学問のすゝめ』三編(1873)
    近代化の順序を八字で言い切った句である。国が独立してから人が独立するのではない。人が独立しなければ国は独立しない。福沢がこの順序にこだわったのは、当時の日本が国家の体裁だけを西洋に似せようとしていたからだ。制度は輸入できるが、その制度を動かす人の構えは輸入できない。119 の近代化が、技術・制度・意識の三層で進み、層ごとに速度が違うと言われるとき、福沢が見ていたのはいちばん下の層である。漱石の「外発的」と福沢の「一身独立」は、同じ空白を、諦めの側と要求の側から言っている
  • 明治日本の近代化は、制度の移植としては速く、意識の変容としては遅かった。 近代化を単一の速度で語らないのが、この語の使い方の勘所である。鉄道と憲法は数十年で入るが、家や村の中の関係はそれほど速く変わらない。評論文が「近代化の歪み」「未完の近代」と言うとき、指しているのはたいていこの層のあいだのずれだ。
  • ×駅前が近代化されて、きれいなビルが建った。 通じるが、これは「近代的になった」=新しくなったという日常語であって、評論語の近代化ではない。評論語の近代化は社会の仕組みと人の意識がひとまとまりに組み替わる過程を指す。建物の建て替えを言いたいなら「再開発」「更新」が正しい。日常語の近代化は褒め言葉、評論語の近代化は分析語で、符号がそもそも付いていない。
派生形
  • 近代きんだい[1]時代区分の名。「化」を外すと過程ではなく時期を指す。日本史では明治維新以後、西洋史ではおおむね市民革命以後を言う。始まりの置き方が国ごとに違うことを覚えておくと、比較の文章でつまずかない。
  • 近代的きんだいてき[0]性質を言う形容動詞。「近代的自我」「近代的思考」のように近代に特徴的なの意で使うのが評論語。日常語の「近代的な設備」は新しい・便利だの意で、評論語とは別物である。
  • 前近代ぜんきんだい[3]近代を基準に、その手前を一括りにする語。便利だが危うい。数千年の多様な社会を「まだ近代でない」という一点で束ねてしまうからだ。「前近代的だ」が非難として働くとき、その文章は近代を到達点として扱っている。
コロケーション
  • 近代化の代償差引きの語近代化によって得たものと引き換えに失ったもの。「代償」という語がここで選ばれるのは、失ったものが偶然の副産物ではなく、得るための支払いだったと見るからだ。共同体の相互扶助を失ったのは近代化が下手だったからではなく、個人を析出させることが近代化そのものだった。この語を使う文章は、たいてい近代化を止めろとは言わない。支払ったものを数え直せ、と言っている。
  • 後発の近代化位置の語先に近代化した国を見ながら進む近代化。重要なのは、後発であること自体が近代化の中身を変えるという点である。先発国では技術・制度・意識が数百年かけて順に育ったが、後発国では三つが同時に、しかも上から降ってくる。漱石の「外発的」はこの構造の別名だ。後発は遅れではなく、別の形である。
  • 近代化を推し進める主語を要求する語「推し進める」と言った瞬間に推す主語が要る。西欧の近代化は市民が推したことになっているが、日本の近代化を推したのは国家だった。誰が推したかが、その後の社会の形を決める。国家が推した近代化では、個人は権利の主体としてより先に国民という資源として立ち上がる — 125 の国民国家と切り離せない理由がここにある。
  • 近代化論学問の名としての語一九五〇〜六〇年代に、すべての社会は同じ道を同じ順で通ると説いた理論。この語が批判的に引かれることが多いのは、「同じ道」という前提が、欧米を地図の完成形に据えていたからだ。1-4 の 75 で見た自文化中心主義が、ここでは発展段階論という形をとっている。近代化という語を無邪気に使えなくなったのは、この批判以降である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 西欧化西欧の制度と文化を取り入れる西欧以外の国では近代化とほぼ同義になった。この重なりが批判の的になる。
  • 工業化産業の中心が工業に移る経済の側面だけを言う。近代化はより広く、価値観の変化を含む。
  • 民主化権力が国民に開かれる政治の側面。近代化を構成する一要素。
  • 発展規模や水準が上がる方向を含まない中立語。近代化は目指すべき到達点を含意してしまう。

ENmodernisation
ZH现代化(近代化・現代化, xiàndàihuà)

日中のズレ

中国語の 现代化(xiàndàihuà)は「現代化」であり、日本語の「近代」と「現代」の区別に対応する語が中国語にはない。

中国語で歴史区分としての近代は 近代(jìndài)、現代は 现代(xiàndài) と分けるが、日常の「〜化」は 现代化 に統一される。

近代の六領域時間・思想・個人・経済・政治・社会という六つの領域で近代に何が起きたかを並べ、中央にその共通の帰結を置いた図。 時間思想個人 経済政治社会 直線的な進歩の時間時間・空間の均質化 世俗化・合理主義啓蒙主義とその反動 共同体からの独立自我の確立と孤独 資本主義・産業革命労働の疎外 市民社会・民主主義国民国家の成立 身分制の解体大衆社会への変質 近代 理性をもった個人が、 自由と平等のもとで社会を運営する 六つの領域は独立していない。同じ一つの転換の別の面である。
近代の六領域 ── 同じ一つの転換の別の面
中世から近代へ中世と近代を八つの軸で対比し、その転換が近代化と呼ばれることを示した図。 中世 近代 神が中心人間が中心 身分制自由と平等 共同体に属する個人として立つ 土地と農業資本と工業 循環する時間直線的に進歩する時間 この転換が近代化と呼ばれる ── ただし尺度は西欧に置かれている
中世から近代へ
入試文

歴史には、一定の意味と目的があり、その終点へと向かう力にさからうことができない、という観点から歴史を見ると、近代という時代は、ブルジョワジィの台頭や、市民革命、宗教革命、科学の発展、個人主義の誕生、自我の確立といった、社会的文明的発展、進歩の如何によって規定される。意味のある歴史的発展の一段階としての「近代」が、その段階としてもつべき意義や達成が想定されている。
もちろんここに列記した条件は、西欧諸国、その中でもイギリスやフランス、アメリカといった主要文明国の歴史をもとに、抽象化され理論化されたものだ。そのために、ほかの国、とくに西欧以外の文明圏には、そのまま適用できない場合がすくなくない。
日本には、厳密な意味でのブルジョワも、市民も、自我も存在しない。そのために明治以来日本の知識人たちは、日本の近代を疑い、それが前近代に過ぎないと考え、いかにすれば日本を完全に近代化できるか呻吟してきた。

出典 福田和也『「内なる近代」の超克 日本人として、如何に自らを語るのか』 / 出題 早稲田大学・第一文学部

読解のポイント
  • 近代化の条件
  • ブルジョワジィの台頭
  • 市民革命・宗教革命
  • 科学の発展
  • 個人主義・自我の確立 これらは西欧で理論化された「近代」の成立条件であり、日本には厳密には適用できない。
要約

西欧で理論化された「近代」の成立条件は、日本には厳密には適用できない。そのため、日本の知識人たちは、日本を前近代だと考え、近代化すべく呻吟してきた。

語法の観察

「もちろん」で自説の前提を限定し、「そのために」で帰結へ進む。譲歩を挟んで議論の適用範囲を絞る型。

Section 02

世俗化

120★★★

世俗化せぞくか

せぞくか[0]平板型

語構成
よ・世の中ならわし・世間なみそうなる
定義

宗教的・呪術的な制度や価値観から、社会が離脱していくこと。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑120
原書の解説

世俗化とは、歴史や思想の文章では、単に「俗っぽい」という意味ではなく、社会・政治・文化に大きな影響力や強制力をもっていた宗教から、人々が解放されることを指すことが多い。

ヨーロッパではとくに、中世から近代への転換期に顕著に見られた。

世俗化によって、人々はそれまで自身を縛っていた伝統や信仰から解放され、自由に行動するようになっていく。

たとえば

ヨーロッパで起こった宗教改革もまた、世俗化を促した。

というのも、宗教改革によって、宗教は集団的なものから個人的なものへと変わり、教会権力の弱体化を招いたからである。

以後、キリスト教は次第に公的な領域から撤退し、市民革命などを経て、政教分離が実現されていく。

使用の境界

宗教の影響力が弱まり、社会が現世的な価値によって動くようになること。信仰が消えることではない。

用法

要点は宗教が消えるのではなく、位置が変わることにある。政治・経済・学問が宗教の権威から切り離され、信仰は個人の私事になる。この過程が近代を成り立たせた。☑88 哲学の中世から近代への移行、☑42 機械論的自然観の成立、いずれもこの世俗化を土台にしている。日本語には「俗化する」という別の語があり、こちらは〈品位が下がる〉という否定語なので、混同しないこと。評論文では中立の記述語として使う。

用例
  • 我々の時代の運命は、合理化と知性化、とりわけ〈世界の脱魔術化〉によって特徴づけられている。マックス・ウェーバー『職業としての学問』(1919)/訳は本教材
    世俗化という現象に、最も鋭い名を与えた一句である。ウェーバーは「信仰が減った」とは言わない。世界から魔術が抜けたと言う。この言い方の含意は大きい。魔術のある世界では、物ごとには意味があり、祈れば応じる相手がいた。脱魔術化した世界では、すべては原理的に計算で処理できるかわりに、何のためにという問いに答える相手がいなくなる。つまり世俗化は、説明力と引き換えに意味を失う取引だった。ウェーバーが同じ講演で「学問は、我々が何をなすべきかを教えない」と言い添えたのは、この取引の勘定書きである。
  • 人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。唯学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。福沢諭吉『学問のすゝめ』初編(1872)
    上下の理由が、天から本人の努力へ引っ越した瞬間である。身分制の下では、誰が上で誰が下かを決めていたのは天であり血であった。福沢はその席を空け、そこへ学問を座らせる。これが世俗化の実際の姿だ — 神が消えるのではなく、神の役目を別のものが引き継ぐ。ただし、引き継がせた代償も見ておきたい。天のせいなら貧しさは本人の罪ではない。学問のせいなら貧しさは本人の怠慢になる世俗化は、説明の責任を超越者から個人へ移し替える作業でもある — 123 の個人という単位がこれほど重い荷を負わされる理由が、ここに書かれている。
  • 婚礼が寺社から式場へ移ったのは、儀礼の世俗化の一例である。 宗教が消えたのではなく、宗教の管轄が縮んだという捉え方。世俗化は領域ごとに、別々の速度で進む。政治から宗教が退いても、生死の場面には最後まで残ることが多い。この不均等さを見落とすと、「日本人は無宗教だ」という粗い断定に落ちる。
  • ×彼は出家をやめて世俗化した。 個人が俗に戻ることは「還俗」である。世俗化は社会や制度の側に起きる過程を指す語で、個人の身の振り方には使わない。主語が人か、仕組みかで使い分ける。なお「世俗的な人だ」なら人にも使えるが、それは俗っぽいという評価語で、過程を言う 120 とは別語だと考えたほうがよい。
派生形
  • 世俗せぞく[0]聖に対する俗の領域。もとは仏教語で、出家に対する在家の世界を指した。評論語では宗教の外側という中立の意味で使う。「世俗にまみれる」のような否定的な色は評論語には無い
  • 世俗的せぞくてき[0]二重の顔を持つ。評論語では「世俗権力」「世俗国家」のように宗教から独立したの意。日常語では「世俗的な関心」のように俗っぽい・打算的なの意。非難の色があるかどうかで見分ける。
  • 世俗主義せぞくしゅぎ[0]過程ではなく主張になった形。政治や教育から宗教を締め出すべきだという立場。フランスのライシテがその典型で、これは自然に進む世俗化とは違い、国家が積極的に押し進める政策である。「化」と「主義」の差は、起きたことと、起こすべきだという主張の差だ。
コロケーション
  • 世界の脱魔術化原語に近い語ウェーバーの Entzauberung der Welt の訳。「脱宗教化」ではなく「脱魔術化」と訳されるのには理由がある。消えたのは神ではなく、呪文で世界に手を突っ込める感覚だからだ。雨乞いが効かないと知ることと、神を信じなくなることは別々に起きる。この二つを分けられるかどうかで、世俗化の議論の解像度が決まる
  • 聖と俗の分離境界の語世俗化を領域の切り分けとして言う言い方。注意したいのは、分離とは俗が聖を追い出すことではない点だ。聖の領域は残る。ただし週末や葬儀に囲い込まれる。囲い込まれた聖は、皮肉にも侵されにくくなる — 政教分離が信仰を守る装置にもなるのはこのためである。
  • 世俗化する社会主語の位置「社会が」世俗化する、という言い方が定型なのは、この変化に誰も号令をかけていないからだ。誰かが宗教を追放したのではなく、官僚制・市場・学校がそれぞれの理屈で動いた結果として宗教の席が減った。意図の無い変化を書くための構文だと見ておくと、能動態で書かれた文章の主張の強さが測れる。
  • 再聖化逆向きの語世俗化の反対方向を指す語。この語が二十世紀後半に必要になったのは、世俗化が一直線でないことが分かったからである。宗教が退いた場所に、ナショナリズムや科学や消費が聖なるものの席を埋めに来る。133 のフェティシズムが近代の語として使えるのは、まさにこの席替えを言い当てるためだ。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 脱宗教化宗教の枠組みから離れるより直接的な言い方。世俗化は宗教が私事になる過程まで含む。
  • 合理化筋道と効率で動くようになる☑121 と接続する。世俗化の一側面。
  • 現世的この世の利益を重んじる態度の話。世俗化は社会全体の変化。
  • 俗化品位が下がる否定的な評価語。世俗化は中立の記述語で、価値判断を含まない。

ENsecularisation
ZH世俗化(世俗化, shìsúhuà)

世俗化 ── 宗教の位置が変わる宗教が社会全体を覆っていた状態から、政治・経済・学問が切り離され信仰が私事になる過程を示した図。 中世 宗教 政治経済学問 世俗化 近代 政治経済学問 宗教 私事へ それぞれが独立して動くようになる 宗教が消えたのではない。社会全体を覆う位置から降りたのである。 この分離が、近代を成り立たせた
宗教は消えたのではなく、位置が変わった
入試文

世界化していく〈ヨーロッパ〉が、みずからを自分自身の過去との関係で規定し、自己を歴史化した意識が〈近代〉です。その〈近代〉のもっとも概括的な特徴のひとつが〈世俗化〉、つまり社会がキリスト教的な枠組みから離脱してゆくことだとされています。
そのように自己を「歴史化」したヨーロッパは、非ヨーロッパを他者として発見したとき、自分の時間軸をそこに投影して、「自分がかつてそうであった過去の姿」を見いだそうとします。
だからそれは「文明」に対して「未開」ということになり、当然そこは世俗化以前の宗教的社会だとして捉えられるわけです。それもキリスト教以前の未開宗教だと。

出典 西谷修『世界史の臨界』 / 出題 早稲田大学・法学部

読解のポイント
  • 文明 ヨーロッパが自己を歴史化 ↓ 〈近代〉 =社会がキリスト教的な枠組みから離脱してゆくこと その時間軸を非ヨーロッパに投影 ↓ 未開 =「自分がかつてそうであった過去」 =世俗化以前の宗教的社会
要約

〈ヨーロッパ〉は、〈近代〉のひとつの特徴を〈世俗化〉だとして、非ヨーロッパを「未開」な、世俗化以前の宗教的社会だと捉えている。

語法の観察

宗教という語を主語に据えず、社会の側の変化として書く。主体を移すことで価値判断を避けている。

Section 03

近代合理主義

121★★★

近代合理主義きんだいごうりしゅぎ

きんだいごうりしゅぎ[0]平板型

語構成
近代中世のあとの時代合理すじみちにかなう主義立場
定義

物事を理性的にとらえて、合理的に判断・行動することを至上の価値とする態度。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑121
原書の解説

「合理主義」には、

という意味が含まれている。

近代はこうした合理主義を基盤にして成り立ち、同時に合理主義の徹底を目指した。

ゆえに、それまでの宗教や伝統的な慣習は、理性とは相容れないものとして徹底的に排除していく。

このような、理性や論理だけを至上の価値とする点が、近代合理主義の特徴だ。

また、近代以前の時代では、人間は自然の一部として考えられていたが、近代合理主義において、人間は理性をもつがゆえに、自然を支配する存在として考えられるようになった。

使用の境界

理性によってすべてを説明し統御できるとする立場。理性を重んじる態度そのものとは区別される。

用法

評論文ではほぼ常に批判の対象として現れる。批判の型は決まっていて、①理性で捉えられないもの(感情・身体・自然)を切り捨てた、②その結果、世界大戦と環境破壊を生んだ、という二段構えである。☑13 非合理が「理の枠の外」であって誤りではない、という区別がここで効いてくる。近代合理主義は枠の外を存在しないものとして扱った。デカルトを起点に置き、二十世紀の批判(フランクフルト学派・ポストモダン)へ至る流れが定型。

用例
  • われわれは、自然という書物のうちにすでに書かれていることを読み取るのであって、われわれ自身の頭のなかから引き出すのではない。その書物は数学の言語で書かれており、その文字は三角形・円・その他の幾何学図形である。ガリレオ・ガリレイ『偽金鑑識官』(1623)/訳は本教材
    近代合理主義の入り口を、一枚の比喩で言い当てた一節。効いているのは「書物」である。書物であるなら読める。読めるなら誰が読んでも同じことが書いてある。ここで自然は、畏れる相手から、解読の対象へ位置を変えた。そして言語が数学だと限定した瞬間に、数学で書けないものは自然の記述から外れる。色も匂いも痛みも、書物の文字ではなくなる。1-2 の機械論が質を捨てて量だけを残したと言われるのは、この一文がすでにその選択をしているからだ。合理主義の力と狭さは、同じ一手から出ている
  • 心には、理性の知らない理性がある。……我々が真理を知るのは、理性によってだけでなく、心によってでもある。ブレーズ・パスカル『パンセ』断章四二三・二八二(1670)/訳は本教材
    合理主義の内側から出た、合理主義への注釈である。パスカルは幾何学の人でありながら、理性を唯一の窓口とは認めなかった。仕掛けは「理性」という語を二度使っていることだ。心の側にあるものを「感情」や「直観」と呼べば、理性より下の何かになってしまう。パスカルはそれをもう一つの理性と呼んだ。同じ位に置いたのである。理性を捨てずに、理性の外を認める — この二重の構えは、近代合理主義を批判する現代の評論文がいまも借り続けている型だ。理性を全面的に退ければ反論の言葉まで失う。だから理性の内側にもう一つの席を作るのが最も強い批判の形になる。
  • 近代合理主義は、計算できるものだけを実在とみなすことで、計算できないものを実在から締め出した。 批判の型としていちばん多い形である。要点は「間違っている」ではなく「取りこぼす」と言っていることだ。合理主義の中身を否定するのではなく、その適用範囲の外を示す。評論文の論の運びとしては、こちらのほうがはるかに強い。
  • ×彼は無駄を嫌う近代合理主義者だ。 効率を好む性格は「合理的」「合理主義者」で足りる。「近代合理主義」は十七世紀以降のヨーロッパで成立した、理性を唯一の認識の源泉とする思想の体系を指す固有の語で、個人の性格には使わない。評論文でこの語が出たら、デカルト以後という時代の枠が背後にあると考えてよい。
原書の反意語・関連語

関 合理

派生形
  • 合理ごうり[1]理にかなうこと。「合」は合致、「理」は筋道。単独ではほぼ使わず、「合理的」「合理性」「合理化」の形で現れる。反対は「不合理」で、「非合理」とは意味がずれるので注意。
  • 合理性ごうりせい[0]程度を測れる名詞。「合理性が高い」と言えるのは、目的を決めたあとでなら経路を比較できるからだ。逆に言えば目的そのものの合理性は測れない。この非対称が、道具的理性の批判の出発点になる。
  • 非合理ひごうり[2]「不合理」と混ぜない。不合理は理にかなっていない・筋が通らないで、マイナスの評価語。非合理は理の枠の外にあるで、評価が付かない。信仰や芸術を非合理と呼ぶのは貶しではなく、理性の物差しが届かないという指摘である。
コロケーション
  • 近代合理主義の限界批判の定型評論文でこの結びつきが多用されるのは、限界という語が全否定を避けるからである。「誤り」と言えば代わりの真理を出さねばならないが、「限界」なら有効な範囲があることを認めたうえで、その外を示せる。公害・環境・生命倫理の文章がこの語形を好むのは、科学を捨てずに科学を批判するためだ。
  • 道具的理性内側からの批判語目的の是非を問わず、目的への最短経路だけを計算する理性。この語の鋭さは、理性そのものを責めていないところにある。責められているのは、理性が手段の係になり、目的を考える係をやめたことだ。効率的に人を殺す装置が作れてしまう理由が、この一語で説明できる。
  • 合理化制度に降りた形思想としての合理主義が、組織や手続きの形をとったもの。官僚制・工場・時刻表がその産物である。注意したいのは、合理化は個々人の意志と無関係に進む点だ。誰も望まないのに書類が増えるのは、合理化が自分の理屈で動くからである。ウェーバーが「鉄の檻」と呼んだのはこの状態だ。
  • 反合理主義対の位置理性より直観・情念・生を上に置く立場。136 のロマン主義がその代表格である。押さえておきたいのは、反合理主義は近代の外ではなく内から出たことだ。合理主義が世界を覆ったからこそ、覆われて息苦しくなった側の反撃が生まれた。敵対する二つが同じ時代の産物であるという見取り図は、近代を読むときに何度も使える。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 合理論理や道理にかなうこと☑12。近代合理主義はそれを唯一の原理に据えた立場。
  • 啓蒙主義理性の光で無知を照らす☑135。近代合理主義の運動としての形。
  • 科学主義科学を万能とみなす☑47。適用領域が科学に限られる。近代合理主義はより広い。
  • 実証主義確かめられることだけを扱う☑52。方法の限定。合理主義は理性の力そのものへの信頼を言う。

ENmodern rationalism
ZH近代理性主义(近代合理主義, jìndài lǐxìng zhǔyì)

近代合理主義とその批判理性で捉えられる領域だけを扱い、枠の外を切り捨てたことが二十世紀の批判を招いた流れを示した図。 理性で捉えられる領域 科学法と制度効率 枠の外 感情・身体・自然・信仰・伝統 誤りなのではない。理では測れないだけである(☑13 非合理)。 近代合理主義は、枠の外を存在しないものとして扱った。 二つの大戦と環境破壊が、この扱いへの批判を呼び戻した
理性の枠と、その外側
入試文

「近代合理主義」の特徴は、一つにはその能動的、積極的、徹底的性格にある。すなわちそれは、宇宙の体系的理解、人間社会の組織化、人間による自然の征服において、論理的首尾一貫性をあくまでも押し通そうとするものである。
合理主義的態度一般のなかには、理性の尊重とともに、その限界を容認し、「世の中には理屈に合わないこともある」ことを受け容れようとする面もふくまれている。
しかし「近代合理主義」は、そのような理性の限界を容認しない。もし「理論に合わない」現実が存在するとすれば、それはより高次の理論によって説明されねばならない。
人間社会の「不合理」や、自然の人間に対する「不条理」は正されねばならないというのが、近代合理主義の姿勢であり、そういう意味で、それは戦闘的合理主義であるということができる。

出典 竹内啓の文章 / 出題 立教大学・経済学部

読解のポイント
  • 近代合理主義の特徴
  • 能動的、積極的、徹底的性格
  • 論理的首尾一貫性
  • 理性の限界を容認しない =戦闘的合理主義
要約

〈合理主義的態度〉一般のなかには、理性の限界を受け入れようとする面もあるが、近代合理主義には理性の限界を容認しない徹底性がある。

語法の観察

肯定的な記述を積んだうえで最後に転じる。肯定から否定への切り替え点が主張の位置を示す。

Section 04

(近代)市民社会

122★★★

(近代)市民社会しみんしゃかい

しみんしゃかい[3]中高型

語構成
市民まちの人・公民社会人の結びつき
定義

自由で平等な市民によって成り立っている近代社会のこと。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑122
原書の解説

市民とは、理性によって自分を律し、個人の自由と権利を追求する存在であり、市民社会は、市民が個人の自由と権利を追求できる社会のことである。

近代市民社会は、

と結びついている。

西洋では市民革命によって市民社会が実現されたが、日本においては市民革命の経験がないため、自分たちの権利や自由を守ろうとする市民意識の欠如が指摘されることがある。

コラム:アメリカ独立宣言

アメリカ独立宣言の一節には、近代市民社会の理念が端的に記述されている。

使用の境界

自立した個人が自由と平等を前提に結ぶ社会。身分ではなく契約によって成り立つ点が要点。

用法

要点は「市民」が身分ではなく理念だという点にある。生まれによって位置が決まる封建社会に対し、市民社会では自立した個人が自由・平等を前提に契約を結ぶ。この理念がアメリカ独立宣言やフランス人権宣言に書き込まれた。日本論では、この市民社会が日本には成立しなかったとする議論が定型で、☑79 世間がその代わりを説明する語になる。日常語の「市民」(=住民)とは層が違う。

用例
  • ある土地に囲いをして「これは私のものだ」と言うことを思いつき、それを信じるほど単純な人々を見つけた最初の者こそ、市民社会のほんとうの創設者であった。ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』第二部(1755)/訳は本教材
    市民社会の始まりを、契約ではなく囲い込みに置いた一文である。「創設者」という敬称めいた語が、皮肉として効いている。普通なら創設者は理性と徳の人だが、ルソーはそこに最初に線を引いた者を据えた。さらに「信じるほど単純な人々」と続けることで、所有は力ではなく承認によって成立することまで言っている。囲いは棒杭にすぎず、それを所有と認めた者たちが所有を作ったのだ。市民社会の中核に私的所有と、それを支える相互承認があること、そしてその承認が実は取り消せたはずのものであること — 近代批判の文章がここを何度も引き返してくる理由がここにある。
  • 人は生まれながらに、自由かつ権利において平等である。社会的差別は、共同の利益にもとづくのでなければ設けられない。フランス人権宣言 第一条(1789)/訳は本教材
    市民社会が自分で書いた自己紹介である。一文目だけが有名だが、読むべきは二文目だ。差別を全面的に禁じてはいない。「共同の利益にもとづくなら」という条件つきで許している。つまりこの宣言は、平等の宣言であると同時に不平等を正当化する手続きの宣言でもある。そして「共同の利益」を誰が判定するのかは書かれていない。この空欄に、財産・性別・人種が次々と代入されてきたのがその後の二百年である。近代の理念は、条文の中にあらかじめ抜け道を残していた — 理念の裏切りではなく、理念の書かれ方そのものを読むと、この点が見えてくる。
  • 市民社会とは、身分ではなく契約によって関係が結ばれる社会である。 いちばん短い定義である。身分は生まれで決まり、抜けられない。契約は合意で結ばれ、解けもする。この切り替えが、123 の個人という単位を必要とした。契約するには、まず契約できる主体がいなければならないからだ。
  • ×町内会の活動に参加して市民社会に貢献した。 通じるが、これは「地域社会」「市民活動」の話である。評論語の市民社会は身分制を解体して私的所有と契約の上に建てられた近代社会の型を指し、善行を測る語ではない。なお「市民社会」には国家に対する自律的な社会という現代的用法もあるので、どちらの意味で使われているかを文脈で決める
派生形
  • 市民しみん[1]三つの層が重なる語。①都市の住民(citizen の原義)、②国政に参加する権利をもつ者、③市の住民という行政上の区分。評論文で出るのはほぼ②で、権利の主体としての市民である。「市民の皆さん」の市民は③。
  • 市民的しみんてき[0]「市民的自由」「市民的不服従」のように権利の主体としてのふるまいを言う。注意したいのは、「市民的」には〈穏健で秩序を守る〉という含みが付きやすいことだ。市民的不服従が非暴力を条件にしているのは、この含みと無関係ではない。
  • 公民こうみん[0]国家の側から見た同じ人間。市民が権利を持つ者として見た呼び名なら、公民は義務を負う者として見た呼び名である。教科の名が「公民」であって「市民」でないことには、教育がどちらの面を教えるつもりかが現れている。
コロケーション
  • 市民革命成立の出来事市民社会を政治の面から成立させた変革。イギリス・アメリカ・フランスの三つを指すのが通例である。「市民」と冠されるのは、担い手が貴族でも農民でもなく、財産を持つ都市の層だったからだ。この限定は無視できない — 「万人の権利」を掲げた革命が、当初は財産のある男性しか有権者にしなかった。普遍を掲げた語の中身が特殊だったという構図は、1-1 の 1・2 で見た通りである。
  • 私的所有土台の語市民社会が立つ地面。この語が近代語として重いのは、所有が「使っていること」から「持っていること」へ切り替わったからである。中世の土地は、耕す者・領主・共同体がそれぞれ別の権利を重ねて持っていた。近代の所有はひとりが丸ごと持ち、売れる。売れるようになったことが、128 の資本主義を可能にした。
  • 公共性足りない部分を指す語私的な利害を超えて共有される事柄。市民社会の議論でこの語が呼び出されるのは、私的所有と契約だけでは社会が持たないと分かるからだ。契約は契約した二人しか縛らない。道路も空気も学校も、契約の外に置き去りにされる市民社会は、自分が作れないものに依存している — この指摘が現代の評論文の定番になっている。
  • ブルジョワ社会別名としての語マルクスの語法では、市民社会と同じ社会の別の呼び名である。ドイツ語の bürgerliche Gesellschaft は「市民の」とも「ブルジョワの」とも訳せる。この二重性は誤訳ではなく、事柄そのものの二重性だ。同じ社会が、理念の側から見れば市民社会、階級の側から見ればブルジョワ社会になる。どちらの訳語を選ぶかで、書き手の立場が半分見える。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 共同体生活を共にする集団☑124。血縁・地縁で結ばれる。市民社会は契約で結ばれる。
  • 国家統治機構をもつ政治単位制度の側。市民社会は国家と区別される私的な領域を指すこともある。
  • 大衆社会匿名の多数が主役の社会市民社会の後に来るとされる段階。自立した個人が失われた状態。
  • 世間顔の見える範囲の圏☑79。日本論では市民社会の不在を説明する語として置かれる。

ENcivil society
ZH市民社会(市民社会, shìmín shèhuì)

入試文

近代市民社会は、人間を理性を持った自由な主体であるとする西洋近代哲学の人間観を前提として成り立っている。
人間が人間であることの根拠を理性に求めるこの理解は、あたかも当然のことのように、人間一般の基本モデルを分別ある大人に想定する。
極端な言い方をすれば、市民社会では、契約を交わし、それを履行することができる分別ざかり、働きざかりの大人以外は正規の構成員とはみなされないのであって、そうでないとみられる者(たとえば子どもや高齢者)は、積極的な居場所を持たない周縁的存在として扱われる。
ましてや、泣くことしか知らない赤ん坊などは、積極的な主体のまさに対極にあるどうしようもないものであり、成長し一人前にならなければそれこそお話にならないものとみなされる。
理性主義のもとでは、対話し契約を結ぶことのできる大人の言語だけがまともな表現手段なのであって、それ以外のもの、泣いたり笑ったり、しぐさ表情で語ったりといった表現は、せいぜい言語のおまけぐらいにしかみなされないのである。

出典 菅野覚明『神道の逆襲』 / 出題 大阪女子大学・人文社会学部

読解のポイント
  • 大人=近代市民社会の構成員
  • =理性を持った自由な主体
  • 大人以外=周縁的存在
  • =正規の構成員とはみなされない
要約

近代市民社会は、理性を持った自由な主体としての人間を前提として成り立っているため、分別ざかり、働きざかりの大人以外は周縁的存在として扱われる。

語法の観察

制度の成立を時系列で述べ、そのあとに理念を置く。事実から理念へ上がる箇所に論の重心がある。

身分制の階段状の秩序と、市民社会の平面上の契約を並べた図身分制では人が上下に固定された段の上に置かれ、関係は上から下への支配として結ばれる。市民社会では人が同じ平面に並び、関係は当事者どうしの契約として水平に結ばれる。 縦に積むか、横に並べるかBEFOREAFTER王・貴族武士・僧町人農民支配身分は生まれで決まり抜けられない個人個人個人契約関係は合意で結ばれ解くこともできる解けるということは、守ってもらえないということでもある身分を失った個人は、自由であると同時に、丸腰になったこの丸腰の個人を、次に誰が引き受けるか ──06 の国民国家と、10 の社会主義は、その答えの二つである
身分の階段から、契約の平面へ
Section 05

個人/共同体

123★★★

個人こじん

こじん[1]頭高型

語構成
ひとつひとつひと
定義

国家や社会の集団を構成している一人一人の人。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑123
原書の解説

近代になると、それまで共同体に縛られていた個人が自由を求め、共同体的な人間関係から離脱していく。

そうした人々の多くは都市へと流入し、血縁や地縁に縛られることのない新たな人間関係を構築する。

都市を舞台としてつくられるこうした新しい人間関係が、自由で平等な個人からなる近代市民社会の基盤となっていくのである。

使用の境界

共同体から切り離され、それ自体で完結した単位としての人間。近代がつくり出した人間像である。

用法

近代の中心概念であり、もともとあったものではなく近代がつくり出したという点が要点になる。中世では人は身分と共同体によって定義され、単独の個人という単位は存在しなかった。評論文ではこの語が両義的に扱われ、自由の獲得として肯定される一方、孤独と不安の源としても語られる。原書の入試文は、共同体の崩壊を受けて安易な共同体に逃げるのではなく、個人であることに耐えるべきだと述べる。個人主義と利己主義の区別は設問になりやすい。

用例
  • かりに全人類のうち、ただ一人を除く全員が同一の意見をもち、ただ一人だけが反対の意見をもっていたとしても、人類がその一人を沈黙させることの不当さは、もしその一人が力をもっていて全人類を沈黙させる場合の不当さに劣らない。ジョン・スチュアート・ミル『自由論』第二章(1859)/訳は本教材
    個人という単位に、これ以上ないほど極端な重みを与えた一節である。仕掛けは、数の非対称をそのまま持ち出したことだ。普通なら「一人対全人類」は一人の負けである。ミルはそこで天秤を逆から見せる — 一人が全人類を黙らせるのが暴政なら、全人類が一人を黙らせるのも同じ暴政だ、と。数は正しさの根拠にならないという主張が、この一文だけで成立している。注目したいのは、ミルがこの直後に「その意見が誤っていたとしても」と付け加えることだ。正しいから守るのではなく、誤りうるから守る。個人の自由が真理ではなく可謬性に根拠を置いている点が、この議論の強さである。
  • 自己の個性を尊重するならば、他人の個性もまた尊重しなければならない。……自由は自由に伴う責任を知らなければ濫用に終る。夏目漱石『私の個人主義』(1914)
    個人主義を、我儘の同義語から引き離すために漱石が置いた歯止めである。効いているのは「ならば」という条件形だ。道徳として他人を尊重せよと言っているのではない。自分の個性を尊重するという主張そのものが、論理として他人の個性の尊重を要求すると言っている。要求しなければ、自分の主張の根拠が消えるからだ。この構えは、上の 『自由論』と同じ形をしている — 個人の権利は、相手にも同じものを認めたときにだけ立つ。漱石がこれを他人からの説教ではなく自分の内側の理屈として言えたことに、外発的な近代化のなかで内発を掴んだ瞬間が見える。
  • 近代とは、共同体から個人が析出してくる過程であった。 「析出」という語の選択に注意したい。個人が最初からいて集まって社会を作ったのではなく、先に共同体があり、そこから結晶のように分かれ出たという順序である。個人は近代の出発点ではなく、産物だ — この順序を逆にすると、評論文の議論はほとんど読めなくなる。
  • ×個人として、この件には反対の立場をとります。 この文の「個人として」は「私見では」「一個人としては」の意で、日常語としては自然だが、評論語の 123 は近代がつくり出した社会の最小単位を指す概念語である。概念語を、一人称の言い換えに使うと文の格が下がる。評論文で「個人」が出たら、共同体との対で読むのが原則。
原書の反意語・関連語

124 共同体 / 関 世間/個人主義

派生形
  • 個人主義こじんしゅぎ[4]誤解されやすさで筆頭の語。評論語では個人を社会に対して優先する立場を指し、利己主義(エゴイズム)とは別物である。漱石が講演一本を費やしてこの区別を説いたのは、当時から混同されていたからだ。
  • 個体こたい[0]生物学・論理学の側の語。個人が社会的な単位なら、個体は数えられる一個の存在。「個体」には権利も内面も付随しない。同じ一人の人間を、どの学問の目で見ているかで語が変わる
  • 個別こべつ[0]ひとつひとつを分けて扱うこと。「個別に対応する」は方法の話で、個人主義とは無関係。1-1 の 2 の特殊と近いが、特殊が普遍との対であるのに対し、個別は一括との対である。
コロケーション
  • 個人の析出生成を言う語共同体から個人が分かれ出てくること。「誕生」でも「解放」でもなく「析出」が選ばれるのは、この語が溶けていたものが条件の変化で固体として現れるという化学の像を持つからだ。個人はどこかから来たのではない。もともと共同体に溶けていたものが、分かれて見えるようになったのである。
  • 個人の尊厳根拠を要求する語個人が、手段としてではなくそれ自体として扱われるべきだという原則。この結びつきが重いのは、尊厳には理由が要らないとされている点にある。有能だから、役に立つから守るのではない。理由を付けた瞬間に、理由が消えれば守らなくてよくなるからだ。131 のヒューマニズムがこの原則の別名である。
  • 個人の内面近代がつくった空間外からは見えない、その人だけの領域。注意したいのは、内面という空間そのものが近代の産物だという点だ。日記・告白・小説は、内面が存在することにして、それを書き取る技術として発達した。「本当の自分」を探す語り口は、この空間が用意されて初めて可能になる
  • 個人に還元する方法を指す語社会の現象を、個々人の意志や能力の集まりとして説明すること。1-2 の要素論が、ここでは社会の側に現れている。評論文でこの言い方が出るときはたいてい批判の文脈だ。貧困を努力不足に、差別を個人の偏見に還元すると、仕組みが視野から消える個人を尊重することと、すべてを個人に帰することは別である

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 共同体生活を共にする集団☑124。対語。所属によって人が定義される単位。
  • 主体意志をもって働きかける側☑106。行為の起点。個人は社会単位としての位置。
  • 私人公に対する私的な立場法的な区分。個人は存在の単位。
  • 利己主義自分の利益を優先する態度。個人主義とは別で、混同されやすい最大の相手。

ENindividual
ZH个人(個人, gèrén)

124★★★

共同体きょうどうたい

きょうどうたい[0]平板型

語構成
ともにおなじまとまり
定義

人々が同じ伝統や価値観を共有している、まとまりのある社会。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑124
原書の解説

共同体は、家族や村など血縁や地縁によって結合された社会集団である。

生活様式や価値観を共有しており、共同体への所属は人々にとってなじみやすいものであった。

しかしその反面、慣習やしきたりによって個人の自由は束縛された

使用の境界

生活と価値を共有する人の集まり。血縁・地縁など、選んで入るのではない結びつきを含む。

用法

評論文では「崩壊」とセットで現れることが多い。近代化によって村落共同体が解体し、人が個人として切り離された──この筋書きが定型である。そのうえで論調は二つに割れる。共同体の回復を説く立場と、原書の入試文のように安易な共同体に逃げるべきではないとする立場である。読解ではどちらに立っているかを見る。テンニースのゲマインシャフト(共同社会)/ゲゼルシャフト(利益社会)の対を背景に持つ。

用例
  • 共同体(ゲマインシャフト)は古く、社会(ゲゼルシャフト)は新しい。……共同体的な生とは、相互の、内から親しみあう共同生活であり、社会とは、公共的な生活であり、世間そのものである。フェルディナント・テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887)/訳は本教材
    近代を、二つの結びつき方の交代として描いた古典的な区別である。要点は、どちらも「結びつき」だと認めていることだ。近代は人をばらばらにしたのではない。別の結び方に取り替えた。ゲマインシャフトの結び目は生まれと場所で、選べないかわりに切れない。ゲゼルシャフトの結び目は契約と目的で、選べるかわりに目的が済めば切れる共同体をなつかしむ文章がたいてい見落とすのは、切れないということの重さである。テンニース自身は共同体を美化してはいない — 古いと新しいを並べただけで、どちらが良いとは書いていない。
  • この地は山にかこまれた小盆地なり。……この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。……願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。柳田国男『遠野物語』序(1910)
    共同体の内と外を、一行で切り分けてみせた結びである。「平地人」とは、山のこちら側、つまり近代の側にいる読者のことだ。柳田はこの語ひとつで、読者を外部の位置に固定する。そして「戦慄せしめよ」と続ける。感心させよでも、懐かしませよでもない。怖がらせよである。ここに、共同体を扱う文章の難所が凝縮している — 外から書かれた共同体は、つねに珍奇なものになりかねない。柳田はその危うさを引き受けたうえで、珍奇さを娯楽にせず、足元を揺らす力として使おうとした。124 を扱う評論文を読むときは、書き手がどちら側に立っているかをまず確かめるとよい。
  • 共同体は、成員を守ると同時に、成員を逃さない。 一文で両面を出す型である。相互扶助と相互監視は別の性質ではなく、同じ仕組みの表と裏だ。互いのことを知っているから助けられ、知っているから抜けられない。1-4 の 83 の世間がこの裏面だけを取り出した語である。
  • ×趣味の合う仲間と、ゆるやかな共同体を作っている。 通じるが、評論語の共同体は選んで入ったのでも、抜けられるのでもない結びつきを指すのが原義である。選べて抜けられるなら、それはテンニースの言うゲゼルシャフト(結社)の側だ。現代では「新しい共同体」のように意図的に選ぶ形も論じられるが、その場合は選べてしまうことが論点になっていると読む。
原書の反意語・関連語

123 個人

派生形
  • 共同きょうどう[0]「協同」「協働」と書き分ける。共同は同じものを一緒に持つ・使う(共同便所・共同研究)、協同は力を合わせる(協同組合)、協働は立場の違う者が対等に働く(官民協働)。共同体の「共同」は一つ目である。
  • 共同性きょうどうせい[0]共同体という実体から、性質だけを抜き出した語。実体としての村が消えても、共同性は職場や趣味の集まりに残ると論じるときに使う。「体」を外すと、場所と血縁の縛りから語が自由になる
  • 地域共同体ちいききょうどうたい[6]場所を限定した形。評論文では近代化によって失われた側の代表として置かれることが多い。ただし現代では行政が「地域共同体の再生」を掲げることもある。解体した当の側が再生を語るというねじれに気づけると、文章の裏が読める。
コロケーション
  • 共同体の解体近代を語る定型近代化にともなって共同体の結びつきが失われること。「崩壊」ではなく「解体」が使われやすいのは、自然に壊れたのではなく、解かれたという含みがあるからだ。何が解いたのか — 貨幣と、移動と、法である。貨幣は義理を清算に変え、移動は逃げ場を作り、法は村の掟を上書きした。
  • 共同体の論理個人の論理との対全体の維持を、個の権利より上に置く筋道。評論文でこの語が出るときは、たいてい近代法の論理と衝突している場面だ。村八分も、いじめの黙認も、内側では秩序を守る正しい行いとして筋が通っている不合理ではなく、別の合理であると見るのが、この語の読み方である。
  • 想像の共同体近代に作られた共同体成員が互いに会うことのないまま、同じ集団に属すると想像することで成り立つ共同体。国民がその典型である。この結びつきが重要なのは、共同体の解体を語る近代が、同時に巨大な共同体を新しく作ったことを示すからだ。村を解いた力が、国民を編んだ — 125 へはここでつながる。
  • 共同体幻想批判の側の語実在しない一体感を、あたかも実在するかのように語る言説を指す語。「幻想」と付くのは、その一体感が誰かの利益のために呼び出されていると見るからだ。会社を家族と呼び、国家を故郷と呼ぶとき、本来は契約である関係が切れない関係に化ける共同体の語彙が、契約社会のなかで道具として使われる場面を撃つための語である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 個人それ自体で完結した単位☑123。対語。
  • 社会契約で結ばれた広がり選んで入る。共同体は生まれながらに属する。テンニースはこれをゲマインシャフトとゲゼルシャフトと呼び分けた。
  • 世間顔の見える範囲の圏☑79。日本語固有の語。共同体は学術語で、より広い。
  • 組織目的のために作られた集まり目的が先にある。共同体は生活そのものが結びつきになる。

ENcommunity
ZH共同体(共同体, gòngtóngtǐ)

対立の軸

個人/共同体 の軸 = 人を定義するのは何か

個人それ自体で完結した単位としての人間。
人を定義するのは何か
共同体生活と価値を共有する人の集まり。
共同体から個人へ共同体の一部として位置づけられていた人が、切り離されて個人になり、自由と孤独を同時に得たことを示した図。 中世 ── 共同体の一部 身分と所属が人を定義する 選べないが、孤独ではない 近代化 近代 ── 独立した個人 契約によって結び直す 自由を得たが、孤独になった 孤独ゆえに求められる共同体に、本当の強度は期待できるか
共同体から個人へ ── 自由と孤独
入試文

当たり前のことだが、人間はひとりでは生きられない。だからこそ、日本における家族を始めとする共同体の崩壊は重要な問題だし、旧来の共同体の回復や、新しい共同体を提案する論調が盛んなのは当然のことではある。
共同体が崩壊すれば、人はひとりひとり、孤独に切り離されたままだ。
けれども、その孤独ゆえに求められる共同体に、本当の強度を期待できるだろうか。
安易な共同体ではなく、私たちは、ひとりであり個人であることに耐え、何よりもまず、ひとりの人間としての強さを育むべきではないだろうか。

出典 城戸朱理の文章 / 出題 國學院大学・文学部

読解のポイント
  • 共同体の崩壊という問題 ↓ 孤独ゆえに求められる共同体は安易 (否定的評価) ↓ 個人としての強さを育むべき (筆者の主張)
要約

人間はひとりでは生きられず、共同体を必要とする。しかし、孤独ゆえに求められる安易な共同体に期待せずに、個人としての強さを育むべきである。

語法の観察

「けれども」で通説を退け、「〜ではないだろうか」で自説を出す。反語形が主張の標識になっている。

Section 06

国民国家

125★★

国民国家こくみんこっか

こくみんこっか[0]平板型

語構成
国民くにのたみ国家くに
定義

「国民意識」を創出することで成立した近代の国家のこと。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑125
原書の解説

不自然に聞こえるかもしれないが、国民国家はもともとあったものではなく、フィクションとして成立したものだった。

たとえば、江戸時代に生きた人々は、国家に帰属している意識はなく、それぞれ自分の生まれ育った村や藩に属しているという意識しかなかった。これは西洋の中世においても同様だ。

つまり、近代以前には「国民意識」というものは存在していなかったのである。

しかし、中央集権的な国づくりを推進する近代的国家は、民族を単位として「国民」を創出していく。

たとえば国家間の戦争に備える場合、国家としての軍隊は不可欠になる。そこで権力者たちは、

など、さまざまな装置を用いることで、人々に「国民意識」をもたせ、徴兵可能な体制をつくり上げていった。

すなわち、人々は国家によって「国民にさせられていく」のだ。

このような均質的な「国民」の創出は、国民ならざる者を排除することで成立する。したがって、国民国家が成立する過程では、少数民族は抑圧され、その文化も排除されるなど差別的な扱いを受けた。

また、現代においては、これまで正面から取り扱われることのなかった少数の民族や文化が見直されるようになり、一つの国家の中に、同じ民族ではない人々の存在や文化も認められ始めている。

それにより、国民国家・民族国家という国家のあり方も揺らいでいる。

使用の境界

一つの国民が一つの国家をつくるという前提の上に立つ国家。民族と国民の一致は事実ではなく建前である。

用法

要点は「国民」が自然にあるのではなく、作られたという点にある。共通の言語・歴史・教育制度を通して人々は国民に仕立てられた。アンダーソンはこれを「想像の共同体」と呼んだ。だから国民国家は☑19 虚構や☑78 制度と同じ層で論じられる。評論文では、グローバル化と移民によってこの枠組みが揺らいでいる、という文脈で出る。☑85 エスニシティ・☑86 クレオールと組み合わせて読む。

用例
  • 国民の存在は、日々の人民投票である。……国民とは、これまでに払われた犠牲と、これからも払う覚悟のある犠牲とによって構成された、大いなる連帯である。エルネスト・ルナン『国民とは何か』(1882)/訳は本教材
    国民を、血でも言語でも土地でもなく、意志の継続として定義した一節である。「日々の」という限定が要である。一度決めれば済むのではなく、毎日決め直さなければ消える。ルナンがこの定義を出した相手は、言語と血統で国境を引こうとしたドイツ側の論理だった。それに対してルナンは、国民は自然物ではなく、選び続けられている作品だと応じた。ただし後半を読むと、この定義の重さが分かる — 連帯の中身は「犠牲」である。国民であるとは、過去の死者を自分の死者として引き受けることだ。国民国家が戦争の記憶を手放せない理由が、ここに書かれている。
  • 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ。……旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ。五箇条の御誓文(1868)
    国民国家を上から立ち上げるときの言葉づかいの見本である。注意したいのは、これが天皇が神々に誓う形式で書かれていることだ。中身は「公論」「天地ノ公道」という近代的で普遍的な語なのに、器は古い神事の形式である。この組み合わせは偶然ではない。新しい国家をつくるには、古い正統性を借りるのがいちばん速い。国民国家がどこでも神話と伝統を必要とするのは、主権を国民に移すという断絶が大きすぎて、断絶を隠す連続の物語が要るからだ。「旧来ノ陋習ヲ破リ」と言う同じ文書が、いちばん旧来の形式で書かれている — この矛盾こそが、近代日本の骨格である。
  • 国民国家とは、国家の版図と国民の範囲を一致させようとする、近代に固有の国家の型である。 「一致させようとする」という未完了の言い方が肝である。一致している状態ではなく、一致させる作業が果てしなく続く状態を指す。国語教育・徴兵・国史・国旗は、すべてこの作業の道具だ。
  • ×日本は昔から一つの国民国家であった。 時代の取り違えである。国民国家は十八世紀末以降に生まれた型で、それ以前の国家は領主が土地と人を支配する仕組みだった。住民が「日本人」という一つの単位として自分を意識するのは、むしろ国民国家が作られたあとである。国民があって国家ができたのではなく、国家が国民を作った — この順序が要点。
原書の反意語・関連語

126 ナショナリズム

派生形
  • 国民こくみん[0]「人民」「民族」と区別する。国民は国家の成員として法的に定まった範囲、人民は統治される側の人々、民族は文化や出自を共有するとみなされた集団三つが一致していないことが、近代の紛争のほとんどの火種である。
  • 国家こっか[1]領域・人民・主権の三つを備えた政治組織。「国」より硬く、制度としての側面を指す。「国を思う」は情緒だが「国家を語る」は制度の話になる。語を選んだ時点で、文章の温度が決まる。
  • 国家主義こっかしゅぎ[4]国家の利益を個人より上に置く立場。126 のナショナリズムと重なるが、ナショナリズムが「民族・国民」に向くのに対し、国家主義は「国家という装置」に向く。前者は国家がなくても燃えうるが、後者は装置がなければ成り立たない
コロケーション
  • 国民の創出順序を逆にする語国民は先にあったのではなく、国家によって作られたという捉え方。イタリア統一の際の「イタリアはできた。次はイタリア人を作らねばならぬ」という一句が有名である。作る道具は、学校・軍隊・鉄道・新聞だ。同じ教科書を読み、同じ時刻表で動き、同じ日に同じ事件を知るようになってはじめて「我々」が生まれる。
  • 均質な国民前提を疑う語国民国家が要求する、言語も習慣も一様な成員。この語が批判の文脈で出るのは、均質さが現実ではなく要求だからである。方言・少数言語・アイヌ・琉球・在日は、均質化の作業が取りこぼした側ではなく、押し潰した側にある。140 の時間・空間の均質化と、同じ均質化が人に及んだ形だ。
  • 国民国家の枠組み容器としての語「枠組み」と言われるのは、思考がこの器の形に合わせて注がれてしまうからである。経済も福祉も教育も、一国単位で語るのが当たり前になっている。1-7 のグローバル化が問題になるのは、問題のほうが器からはみ出したのに、解決の道具が器の中にしかないからだ。
  • 国民国家の相対化外へ出る操作この型を数ある国家の形の一つとして置き直すこと。難しいのは、相対化する側の言葉も国民国家の中で作られていることだ。「日本語で考える」という時点で、すでに国語という制度の内側にいる。1-4 の 76 と同じ袋小路だが、位置をずらす作業はそれでも可能だという点も同じである。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • ナショナリズム国民をまとめようとする思想と運動☑126。国民国家を成り立たせる力。
  • エスニシティ集団への帰属意識☑85。国民国家の枠に収まらない。両者は緊張関係にある。
  • 帝国多民族を支配する政治体一致を前提としない。国民国家は同質性を求める。
  • 主権国家対外的に独立した国家法的な資格。国民国家は国民という単位を含意する。

ENnation-state
ZH民族国家(国民国家, mínzú guójiā)

日中のズレ

中国語では 民族国家(mínzú guójiā) と訳し、「国民」ではなく「民族」の語を用いる。

この訳し方の差が、nation という語のもつ国民と民族の二重性をそのまま映している。

国民はどのように作られたか言語・教育・歴史・兵役を通して多様な人々が国民に仕立てられ、国民国家が成立する過程を示した図。 方言も習俗も違う人々 装置 標準語義務教育 国史・国旗徴兵と戸籍 国民 一体感をもつ集団 想像の共同体 国民は自然にあったのではない。作られたのである。 ☑19 虚構・☑78 制度と同じ層にある
国民はどのように作られたか
入試文

現在では地球を覆いつくし、われわれ地球の住民がそのなかで生きることを余儀なくされている近代的な国民国家は、たとえばフランス革命期や明治維新期などその成立期の文化政策や言語政策が示しているように、強力な国民統合を行うために一言語・一文化主義(したがって多言語・多文化の抑圧)を強行せざるをえなかった。
歴史的な条件によって、多文化主義や多言語主義を余儀なくされている国々であっても、それはまさしく余儀なくされているのであって、そうしたスローガンや政策にもかかわらず、つねに一元的な統合への強い力が働いているのが現状である。
そのような国民国家のなかで、近代の文学はそれが用いる言語(国語)、それが描きだす世界、それが果たす役割、その生産と消費の構造、等々において国民国家を映しだす文学であり、その意味でいわゆる国民文学ばかりでなくすべての近代文学が、基本的に国民文学であると言えるだろう。

出典 西川長夫『国民国家論の射程』 / 出題 駒澤大学・経済学部

読解のポイント
  • 近代の国家=国民国家
  • 一言語・一文化主義 近代文学
  • 国語の使用
  • 描写する世界
  • 生産と消費の構造 ↓ 国民文学=国民国家を映しだす文学
要約

近代的な国民国家には、つねに一元的な統合への強い力が働いている。そのような国民国家のなかの近代文学は、すべて国民文学だと言える。

語法の観察

「〜とされる」で建前を置き、そのあとで成り立ちを暴く。二段構えで前提を崩す型。

Section 07

ナショナリズム

126★★

ナショナリズム

ナショナリズム[4]中高型

定義

民族を単位として国家の統一や独立を目指す考え方。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑126
原書の解説

ナショナリズムは、〈民族主義〉〈国民主義〉〈国家主義〉などと訳されるが、論者によって多様な意味合いをもたされる語であるため、一義的な意味を定めにくい。

さらに、ナショナリズムのもとになっている nation(ネーション)にも、

とさまざまな訳語があてられているため、日本語に翻訳しても理解が難しい。

そこで思い切り単純に言えば、ナショナリズムとは、「一つの民族は一つの国家をつくるべき」という思想だと言える。

国家ができ上がれば、当然その民族は「国民」となる。

では、なぜナショナリズムという思想が近代を支配したのか。

その大きな理由は、国民国家が成立したことで、人々は国家への帰属意識をもつようになり、国家と直接的に結びつくようになったからだ。

たとえばナポレオンの軍隊が強かったのは、彼らが傭兵の寄せ集めではなく、「国民軍」として組織され、〈国のために戦う〉という意識を強烈にもっていたためだった。

この「国のために戦う」という態度こそ、ナショナリズムの典型的な表れ方である。

したがって、すでに成立している国家であれば、いまだ国家意識の希薄な国民に対し、国旗や国歌・通貨制度・言語(国語)などを通じて、「国家」を自覚させることがナショナリズムである。

一方、国家として独立していない民族にとっては、支配国から独立するためにナショナリズムが用いられる。

使用の境界

国民としての一体感を求め、国家の独立と統一を目指す思想と運動。愛国心と同義ではない。

用法

訳語が国家主義・民族主義・国民主義と三つある点が要点で、どこに重心を置くかで評価が変わる。植民地の独立運動を支えた解放の思想でもあり、他民族を排除する侵略の思想でもある。この両義性が読解の急所になる。評論文では多くの場合、グローバル化への反動として排外的な形をとる現代の現象を批判する文脈で出る。☑125 国民国家を成り立たせる力であり、国民という虚構を支える情熱でもある。

用例
  • 愛国心は、悪党の最後の避難所である。サミュエル・ジョンソン ─ ボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝』(1791)/訳は本教材
    短さが効きすぎて誤読されてきた一句である。ジョンソンは愛国心そのものを否定していない。「最後の」という限定に注意したい。他のどんな弁明も尽きたときに、最後に持ち出せる免罪符としての愛国心を撃っているのだ。なぜ最後の避難所になりうるのか — 愛国心は、証明も反証もできないからである。能力なら測れる、誠実さなら行いで問える。だが国を愛しているかどうかは、本人の申告以外に確かめようがない。検証できない徳は、いつでも身にまとえる衣になる。126 を扱う評論文が「誰が、どんな場面でこの語を持ち出したか」を先に見るのは、この理由による。
  • ナショナリズムとは、ある民族が組織的に力を求める、政治的で経済的な連合の一面である。……それは人間的な精神ではなく、組織としての力を養う。ラビンドラナート・タゴール『ナショナリズム』(1917)/訳は本教材
    植民地の側から、ナショナリズムを批判した稀な文章である。普通なら、支配される側にとってナショナリズムは抵抗の武器になる。タゴールはそこで立ち止まった — 武器を取れば、相手と同じ形になるのではないか、と。「人間的な精神ではなく、組織としての力」という対比が鋭い。ナショナリズムは人を愛させるのではなく、人を編成する。編成された力は誰に向けても同じように働くから、解放のために作った装置がそのまま抑圧の装置になる。インド独立運動のただ中でこれを書いたことに、この批判の重さがある。
  • ナショナリズムは、抑圧に抗する力にも、他者を排除する力にもなる。 両義性を最初に置くのが、この語の扱いの基本である。同じ「我々」という感覚が、植民地では独立の原動力になり、大国では侵略の口実になる語そのものに符号を付けず、誰が誰に向けて使ったかで判断する
  • ×代表戦を見ていると、自然とナショナリズムが湧いてくる。 この場面で湧くのは「愛国心」「応援の熱」である。ナショナリズムは国民という単位を政治の基礎に据えるべきだという主張・運動を指す語で、一時の感情には使わない。ただし評論文では、その感情が動員される仕組みこそがナショナリズムだと論じることもある。その場合も感情ではなく仕組みが主語である。
原書の反意語・関連語

125 国民国家

派生形
  • ナショナル[1]形容詞形。「ナショナル・アイデンティティ」のように国民的・国家的の意で使う。日本語の「国民的」が人気があるという意味に流れやすい(国民的アイドル)ので、評論文では原語のまま使うことが多い。
  • ナショナリスト[4]担い手を指す語。日本語では非難の色が強く出るが、植民地独立運動の指導者もこの語で呼ばれる語に符号が付いているのではなく、読み手の位置が符号を付けていることに注意したい。
  • 国民主義こくみんしゅぎ[4]明治期の訳語。「民族主義」と訳し分けられることもある。訳語が二つあるのは、nation という語が国民とも民族とも読めるからだ。どちらの訳を選ぶかで、成員の資格が法によるのか出自によるのかが変わる
コロケーション
  • 排外的ナショナリズム向きを指定する語外部を敵として名指すことで内部をまとめる形。この結びつきが要るのは、ナショナリズムが自動的に排外的ではないからだ。内を向けば文化の復興になり、外を向けば排斥になる。向きを変える引き金はたいてい不安である — 経済の悪化と排外の高まりが並走するのは、この理由による。
  • ナショナリズムの高揚温度を言う語「高揚」という語が選ばれるのは、これが議論ではなく気分として広がるからだ。論証で高まるものではないから、論証で下げることもできない。評論文がナショナリズムを正面から反駁せず、その発生の条件を分析する方向へ行くのは、この非対称を知っているからである。
  • 文化ナショナリズム領域を限る語政治的独立ではなく、言語・芸能・伝統の固有性を主張する形。穏やかに見えるが、ここが政治的ナショナリズムの苗床になることは歴史が繰り返し示している。「我々の文化は独自だ」から「だから我々の国が要る」までは、論理としては一段しかない
  • ナショナリズムを煽る主語が現れる語「高揚する」が自動詞なのに対し、「煽る」は誰かがやっていると言い切る語である。この動詞を選んだ書き手は、感情の自然発生を認めず、動員の技術として見ている自動詞か他動詞かを見るだけで、その文章がナショナリズムをどう捉えているかが分かる。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 愛国心自国を大切に思う気持ち感情。ナショナリズムは政治的な運動と思想を含む。
  • 国家主義国家を最上位に置く訳語の一つ。国家の側に重心があり、否定的に響く。
  • 民族主義民族の自立を求める訳語の一つ。民族の側に重心がある。訳語が三つあること自体が語の幅を示す。
  • 排外主義他者を排除しようとするナショナリズムが取りうる一形態。必ずそうなるわけではない。

ENnationalism
ZH民族主义(民族主義, mínzú zhǔyì)

入試文

(「多民族・植民・移民受け入れ国家」と「単民族・原住・移民送り出し国家」とを比較して)
一般に国民国家と近代社会は、後者の国家――単民族・原住・移民送り出し国家――のイメージに基づいて考えられることが多かった。
そして、多民族・植民・移民受け入れ国家と単民族・原住・移民送り出し国家では、国民主義(ナショナリズム)という言葉が異なって使われる傾向がある。
後者では、国民はほとんどの場合、フランス国民、日本国民、のように国家の管理下にある人口の全体と同等に使われる場合が圧倒的多数を占めるのに対し、前者では、多民族の構成民族集団個々に対して使われる場合が多い。
したがって、前者では、民族国民主義と国家国民主義が混同されることが少ないのに対して、後者ではその区別が薄れる。

出典 酒井直樹『死産される日本語・日本人』 / 出題 中央大学・法学部

読解のポイント
  • 多民族・植民・移民受け入れ国家
  • 国民主義(ナショナリズム)という言葉は個々の構成民族に対して使用 ↕︎ 単民族・原住・移民送り出し国家
  • 国家の管理下にある人口全体に対して使用
要約

「国民主義」という言葉は、多民族・植民・移民受け入れ国家では個々の構成民族に対して使用されることが多いのに対し、単民族・原住・移民送り出し国家では国家の管理下にある人口全体に対して用いられることが多い。

語法の観察

同じ語の二つの側面を並置し、どちらとも決めない。両義性そのものが論の内容になっている。

同一の「我々」意識が、内へ向けば統合、外へ向けば排除になることを示した図中央に置かれた「我々」という同一の感情から、内側へ向かう矢印は統合・独立・文化の復興を、外側へ向かう矢印は排除・膨張・他者の敵視を生む。向きを決めるのは不安であることを添える。 同じ「我々」が、二つの向きを持つ我々という感情内へ向けば統合・独立植民地からの解放失われた言語の復興外へ向けば排除・膨張少数者への攻撃他国への進出向きを決めるのは、思想の中身ではない不安が高まるほど、矢は外へ向きやすくなるだから「良いナショナリズム/悪いナショナリズム」ではなく「いま、どちらを向いているか」を問う
ナショナリズムの二つの向き
Section 08

民主主義

127★★

民主主義みんしゅしゅぎ

みんしゅしゅぎ[0]平板型

語構成
たみあるじ主義立場
定義

国民(人民)自身が政治を行うこと。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑127
原書の解説

中世ヨーロッパにも議会はあったが、そこは貴族や聖職者といった特権者たちが自らの利益を主張する場でしかなかった。

しかし、十七〜十八世紀にイギリス・アメリカ・フランスで市民革命が起こり、民主主義が発展し、国家の構成員である国民が、国の政治について意見を述べたり政策を決定したりする権利を有するようになっていった。

民主主義を採用する近代的な議会では、全員の一致によって問題を解決することは難しく、多数決の原理が採用されている。

しかし多数決の原理だけでは健全な民主主義は保証されない。

なぜなら、多数決を利用して合法的に独裁者が出現する危険を民主主義は常にはらんでいるからだ。

多数決による意思決定が正しく機能するためには、その前提として、

がそろっていなければならない。

また、当然議員を選出する国民にも、特定集団の利害にとらわれない理性的な判断が求められる。

しかし、現代は地域的・職業的な利害関係から、自分たちに利益をもたらしてくれそうな代表者を選ぶ傾向が強い。

その結果、選出される議員も、国家というより特定の利益集団における意思の代弁者となってしまい、議会は単なる利益配分の場として形骸化していくのである。

使用の境界

国民が主権をもち、自らの意志で政治を決める仕組み。多数決はその手続きの一つにすぎない。

用法

評論文で重要なのは多数決との区別である。多数決は決め方の一つにすぎず、少数意見の尊重と手続きの公正がなければ民主主義にはならない。多数の名のもとに少数を圧殺する事態は「多数の専制」と呼ばれ、☑138 全体主義への通路になる。もう一つの論点が大衆社会で、自立した市民(☑122)が匿名の大衆に変わると、民主主義は世論操作に弱くなる。この二つの批判が定型である。

用例
  • 我々の政体は、少数者ではなく多数者の利益のために統治するがゆえに、民主政と呼ばれる。……我々は、政治に関わらない者を静かな人とは呼ばず、無用の人と呼ぶ。ペリクレスの葬送演説 ─ トゥキュディデス『戦史』第二巻(前五世紀)/訳は本教材
    民主政が自分を語った最も古い言葉である。前半だけを引くと理想的に聞こえるが、後半が民主政の要求の厳しさを表している。「無用の人」— 政治に関わらない自由は認められていないのだ。現代の民主主義が参加を権利として語るのに対し、ここでは義務として語られている。この差は小さくない。権利なら行使しなくてもよいが、義務なら棄権は裏切りになる。投票率の低下を「制度の問題」と見るか「市民の怠慢」と見るかは、民主主義をどちらの型で理解しているかで決まる。なお、この演説をした国家が奴隷制と女性の排除の上に立っていたことも忘れてはならない。
  • 人民の、人民による、人民のための政治を、この地上から滅ぼしてはならない。エイブラハム・リンカン ゲティスバーグ演説(1863)/訳は本教材
    三つの前置詞が、民主主義の三つの条件を言い分けている。「人民の」は主権の所在、「人民による」は統治の手続き、「人民のための」は統治の目的である。重要なのは、この三つが分離しうることだ。独裁者はしばしば「人民のための」だけを掲げる。目的が善ければ手続きは要らないという論法が、二十世紀の全体主義の入口だった。逆に、手続きだけが残って目的が忘れられれば形骸化した民主主義になる。リンカンがこの三つを並列で結んだのは、どれか一つでは足りないと知っていたからだ。一文が二百年読み継がれるのは、短いからではなく、短さのなかに構造が入っているからである。
  • 民主主義とは、多数決の制度である以上に、少数意見が次の多数になりうる道を残す制度である。 民主主義を多数決と同一視しないのが評論文の作法である。多数決だけなら五十一パーセントの独裁が正当化されてしまう。言論の自由も、任期も、すべて「次がある」ことを担保する装置だ。上のミル『自由論』と、ここでつながる。
  • ×学級会は民主主義なので、多数決で決めましょう。 民主主義を多数決に縮めた典型である。手続きだけを言うなら「多数決で」と言えば足りる。民主主義を持ち出すなら、反対意見が述べられたか、決定を後で覆せるかまで含めねばならない。制度の名を、一つの手続きの名として使わない
原書の反意語・関連語

関 大衆社会

派生形
  • 民主みんしゅ[0]「民が主である」という原語の直訳。demos(民衆)+ kratia(支配)。単独では「民主的」「民主化」の形で使う。「主」の字が主権の所在を言っていることを押さえると、127 の定義が短く言える。
  • 民主的みんしゅてき[0]制度の外にも広がる形容動詞。「民主的な運営」は会社にも家庭にも使える。注意したいのは、この語が〈みんなで決める〉と同義に流れやすいことだ。評論語では手続きの正統性を指し、雰囲気の話ではない。
  • 民主化みんしゅか[0]過程を言う語。注意すべきは不可逆ではない点である。民主化した社会が選挙を通じて非民主的な体制へ移ることは実際に起きてきた。「化」は方向を示すだけで、到達も後戻りのなさも保証しない
コロケーション
  • 間接民主制規模が強いる形代表者を選び、その代表者が決める仕組み。この形が主流になったのは理想からではなく、人数と面積の問題からである。一億人が同じ広場に集まれない以上、代表を立てるほかない。ただしこの妥協には代償がある — 代表は、代表したはずの意志から独立して動きうる。「政治不信」は制度の欠陥ではなく、この構造から必然的に出る
  • 民主主義の形骸化中身が抜ける語手続きは残ったまま、実質が失われた状態。「形骸」という語が的確なのは、骨が残っているという像を持つからだ。選挙も議会も動いているのに決定が別の場所で下されている、という状態を指す。制度が壊れていないことが、かえって批判を難しくする
  • 熟議多数決を補う語決める前に、意見が変わりうる場を置くという考え方。この語が必要とされたのは、投票が「すでにある意見を数える」作業でしかないと気づかれたからだ。数える前に意見が作られる場所がどこかになければ、民主主義は集計の技術に痩せる。
  • 民主主義の赤字規模の外に出る語決定の影響を受ける人と、決定に参加できる人が一致していない状態。国境を越える公害・金融・気候の問題でこの語が使われる。民主主義は国民国家の器の中でしか設計されていない — 125 で見た枠組みの限界が、ここで具体的な不足として現れる。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 多数決多数の意見で決める手続き。民主主義そのものではない。この混同が最大の誤解。
  • 自由主義個人の自由を重んじる別の原理。民主主義と結びついているが、対立する場面もある。
  • 大衆社会匿名の多数が主役の社会民主主義が変質した形として論じられる。
  • 全体主義全体のために個を犠牲にする☑138。対極。多数の名において成立しうる点が問題になる。

ENdemocracy
ZH民主主义(民主主義, mínzhǔ zhǔyì)

近代の主義を三つの軸で分ける政治・経済・倫理の三つの軸に、近代の主要な立場を配置した図。 政治の軸 ── 何を単位に置くか 個人主義 個人が単位 民主主義 国民が主権をもつ 全体主義 全体が単位 経済の軸 ── 生産手段を誰がもつか 資本主義 私有し、利潤を再投資する 社会主義 社会が共有し、平等に分配する 倫理の軸 ── 何を基準に善悪を決めるか 功利主義 ヒューマニズム ニヒリズム 幸福の総量 人間の尊厳 根拠はない
近代の主義を三つの軸で分ける
入試文

「民主主義」などという言葉、私たちは耳にタコができるほど聞かされており、誰もが分かったような顔をしてくり返しているのだが、金輪際わが国で理解されていないもののように思われる。
そもそも、民主主義なるものはギリシャにおけるデモスクラティアの昔から、意見の相反する人々の間で最終的な譲歩をかち取るために徹底的に話しあう精神から生まれたものと言っていい。
時には口角泡をとばし、つかみかからんばかりになりながら、それでも最後の最後まで他者を理解しようとする行為である。
ところが、わが国ではどうだろう。「民主主義的に多数決で決めよう」とか「みんなで仲良く話しあいましょう」とかのスローガンによって、完璧な無理解のなかにからめとられているのである。
多数決とは民主主義において最後に行使されるべき必要悪であるはずなのに、拙速はいたるところに見うけられる。

出典 加賀野井秀一の文章 / 出題 東京理科大学・経営学部

読解のポイント
  • 本来の民主主義
  • 意見の相反する人々の間で、徹底的に話しあう精神から生まれた 日本の民主主義
  • 多数決が最初からスローガンになっている
要約

民主主義は、徹底的に話しあうことによって他者を理解しようとする行為であり、多数決は必要悪とされる。しかし、日本では多数決が最初からスローガンになっている。

語法の観察

理念と現実を交互に置く。読者が持っている通念を一つずつ検算させる構成。

Section 09

資本主義

128★★

資本主義しほんしゅぎ

しほんしゅぎ[0]平板型

語構成
もとでもと主義立場
定義

利潤の追求を目的とし、生産手段の私有制・自由競争・市場経済を特徴とする経済のあり方。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑128
原書の解説

資本主義は社会主義とセットで理解しよう。

資本主義社会においては、生産手段を有する資本家が労働者を雇用して財・サービスを生産させ、これを販売することによって利潤を獲得する。

しかし、半永久的に会社や組織が利潤をあげていくためには、常に人々の欲望にかなう商品やサービスを提供しなければならない。

このことを違う言い方で言えば、企業(ひいては資本主義経済そのもの)は、常に人々の欲望をかきたてなければ、拡大・成長することはできないということである。

拡大と成長を至上の価値とする資本主義は、科学技術の発展と結びつきながら、大量生産・大量消費を不可欠とするシステムを生み出していく。

さらに、大量生産の前には原材料の獲得を目的に植民地や途上国からの〈大量搾取〉を、大量消費のあとには廃棄物の〈大量廃棄〉を伴っているため、国際規模の貧富の差や環境問題を引き起こしてもいる。

なお、資本主義は経済システムを表す語であり、民主主義とイコールではない。

使用の境界

生産手段を私有し、利潤を追求して資本を増やしていく経済のしくみ。市場があるだけでは資本主義とは言わない。

用法

要点は「利潤を再投資して拡大し続ける」という運動としての性格にある。単に物を売買する仕組みではなく、止まれば成り立たない。この止まれなさが環境破壊と格差の説明に使われる。マルクスは☑92 唯物論を土台にこの構造を分析し、労働の☑21 疎外を導いた。評論文では、資本主義そのものよりそれが人と自然に何をしたかが問われる。☑133 フェティシズム(物神崇拝)もこの文脈の語である。

用例
  • 資本は、頭から爪先まで、あらゆる毛穴から血と汚物を滴らせながら、この世に生まれ出てくる。カール・マルクス『資本論』第一巻・本源的蓄積(1867)/訳は本教材
    資本主義の起源に、契約ではなく暴力を置いた一文である。経済学の書物の一文としては異様に生々しいが、この生々しさが論証の一部になっている。マルクスが撃っているのは、勤勉な者が貯め、怠惰な者が持たざる者になったという牧歌的な起源譚だ。実際に起きたのは囲い込みであり、耕す土地を奪われた人々が売るものを労働力しか持たなくなったことだった。「生まれ出てくる」という比喩が効くのは、誕生という語がふつう祝福を含むからである。その語に血と汚物を貼り付けることで、祝福の語彙そのものを使えなくしている。122 のルソーの「囲い」と、ここで直結する。
  • 営利は、人生の目的とされるようになり、もはや人間が物質的欲求を満たすための手段ではなくなった。……精神なき専門人、心情なき享楽人。この無のごときものが、人間性のかつて到達したことのない段階に達したとうぬぼれるのである。マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)/訳は本教材
    資本主義を、搾取ではなく倒錯として批判した一節である。ウェーバーの見立てでは、資本主義を動かしたのは強欲ではなく禁欲だった。救われているかを確かめるために働き、蓄え、使わない。ところが宗教が抜けたあと、手段だけが残って自走しはじめた。「手段が目的になる」というこの転倒が、121 の道具的理性と同じ形をしていることに注意したい。末尾の「精神なき専門人、心情なき享楽人」は二つに分かれた近代人の肖像だ — 働くときは意味を問わず、休むときは心を動かさない。批判の刃が、資本家ではなく我々の一日に向いているところがこの一節の怖さである。
  • 資本主義とは、利潤を再び投資に回すことで、拡大を自己目的とする経済の仕組みである。 「拡大が自己目的」が定義の核である。商売はどの時代にもあったが、儲けを使わずに次の儲けへ回すのは近代の資本主義に固有だ。だから止まると壊れる — 成長率が語られ続ける理由がここにある。
  • ×彼は金儲けがうまい、典型的な資本主義者だ。 個人の性格や能力を言うなら「拝金主義」「商才がある」である。資本主義は社会全体の経済の仕組みを指す語で、個人の型には使わない。なお「資本家」なら生産手段を所有する層を指す正しい語だが、これも性格ではなく位置の名である。
原書の反意語・関連語

129 社会主義 / 関 消費社会/情報化社会

派生形
  • 資本しほん[0]単なる金ではない利潤を生むために投じられた価値を指す。箪笥の中の百万円は資本ではなく、工場や株に変えて初めて資本になる。「資金」との差はここにある。
  • 資本家しほんか[0]生産手段を所有する側。労働者との対で使う。注意したいのは、これが職業でも人格でもなく、関係の中の位置を指すことだ。同じ人が、貯蓄では資本家、勤め先では労働者でありうる。
  • 資本主義的しほんしゅぎてき[0]体制の外の事柄にまで性質を広げる形。「資本主義的な人間関係」はすべてが交換に還元される関係を指す。評論文では経済の外へ経済の論理が染み出す場面を書くのに使われる。
コロケーション
  • 資本の論理意志を持たない主語「資本家の論理」ではなく「資本の論理」と言うのが定型である。これは、個々の経営者が善人でも悪人でも同じ結果が出ると言いたいからだ。価格を下げなければ潰れるなら、誰であれ下げるほかない批判の宛先を人から仕組みへ移すための語法だと見ておくと、評論文の議論の水準が測れる。
  • 労働力の商品化成立の条件働く力そのものが、売り買いされる商品になること。これが資本主義の成立条件である。奴隷は人間ごと売られ、農奴は土地に縛られていた。自由な労働者とは、身分から自由であると同時に生産手段からも自由な(=切り離された)者だ。この二重の自由という皮肉な言い回しが、マルクスの分析の核心にある。
  • 資本主義の矛盾内から壊れる型外の敵ではなく、仕組み自身の運動が自分の前提を壊していくという捉え方。生産を効率化すれば人が要らなくなり、買う人がいなくなる。賃金を下げれば売れなくなる。1-5 の弁証法が経済に降りると、この形の議論になる。
  • 修正資本主義延命の語国家が介入して、市場が自分では直せない部分を補う形。福祉・累進課税・独占禁止がその中身である。この語が重要なのは、資本主義が純粋な形では持たないと当事者が認めた証拠だからだ。129 の社会主義の要求を一部だけ飲むことで、体制そのものは生き延びた

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 社会主義生産手段を共有する☑129。対語。私有か共有かで分かれる。
  • 市場経済価格で需給を調整する仕組みの一部。資本主義は生産手段の私有と利潤追求を含む。
  • 自由主義国家の介入を抑える政治経済の立場。資本主義を支える思想の一つ。
  • 消費社会消費が主役になった社会資本主義の後期の形として論じられる。

ENcapitalism
ZH资本主义(資本主義, zīběn zhǔyì)

資本主義の循環と、その帰結資本が利潤を生み再投資される循環と、そこから生じる疎外・物神崇拝・環境破壊を示した図。 資本 生産 利潤 再投資 止まれない 帰結 労働の疎外(☑21) 物神崇拝(☑133) 環境破壊と格差 単に物を売買する仕組みではない。拡大し続ける運動である。
止まれない循環と、その帰結
入試文

宗教革命で起こったプロテスタンティズムは資本主義と密接な関係がある。
魂の救済を求めるプロテスタントたちの宗教心は禁欲的な生活態度を生みだした。その結果、かれらの貯蓄が増えた。
貯蓄の増加は、プロテスタントの心情レベルでは神に奉仕する禁欲的生活の証しだが、その証しを強めるために貯蓄はさらに増えた。それは浪費されない。浪費されずに貯蓄を増やすために活用され、貯蓄がさらに増えた。
貯蓄の増加は神への奉仕という目的にとっては手段である。だが、あるとき手段が目的に転じればどうなるか。事実、転じたのだ。
それは富の蓄積を目的にする投資行動になった。蓄積のための蓄積、それは資本主義の本質である。
マックス・ウェーバーは資本主義の成立に先だつプロテスタントの宗教心の役割を強調した。

出典 川勝平太『「美の文明」をつくる――「文明の基礎とは何か」』 / 出題 同志社大学・法学部

読解のポイント
  • プロテスタンティズムの禁欲的な生活態度 ↓ 貯蓄の増加=神に奉仕するための手段 ↓ 貯蓄のための貯蓄=貯蓄の自己目的化 ↓ 投資行動=資本主義の本質
要約

プロテスタンティズムは禁欲的な生活態度を生みだし、神への奉仕である貯蓄を増加させた。そして蓄積のための蓄積が始まる。それが資本主義の本質である投資行動である。

語法の観察

仕組みの説明から帰結の記述へ移る。「その結果」という接続が因果の切れ目を示している。

Section 10

社会主義

129★★

社会主義しゃかいしゅぎ

しゃかいしゅぎ[0]平板型

語構成
社会人の結びつき主義立場
定義

国家が生産手段を共有し、経済を計画的にコントロールすることによって、平等な社会を実現しようとする考え方。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑129
原書の解説

社会主義は、資本主義に対する批判から出てきた考え方である。

ドイツの哲学者・経済学者のマルクス(1818〜1883年)は、資本主義においては資本家が生産手段を独占的に所有し、労働者は資本家に搾取されていると分析した。

そして、私有財産制や市場経済を廃止し、生産手段を労働者が共同で所有・管理し、経済を計画的にコントロールすることで、貧富の差や無駄な競争のない、理想的な社会をつくり出そうと考えた。

二十世紀に入って社会主義国家が成立したが、国家が経済全体をコントロールすることはきわめて難しく、社会主義の試みは歴史的にはなかなかうまくいっていない。

政治体制が独裁的になり、政府が公正に富を再分配する機能を果たしていないことが多い。

また、競争原理がないため、人々が品質向上・生産の効率性などに関心を抱かないといった問題も見られる。

社会主義をさらに理想化すると共産主義になる。

社会主義では、まだ階級の差は完全になくならず、国家による市場経済の統制を必要とする段階だが、共産主義では、国家が消滅し、各人が必要に応じて物資を所有・消費できるような社会が実現する。

しかし旧ソ連は共産主義を目指したが挫折することになった。

コラム

社会主義をさらに理想化すると共産主義になる。社会主義ではまだ階級の差は完全になくならず、国家による市場経済の統制を必要とする段階だが、共産主義では国家が消滅し、各人が必要に応じて物資を所有・消費できるような社会が実現する。しかし旧ソ連は共産主義を目指したが挫折することになった。

使用の境界

生産手段を社会が共有し、平等な分配を目指す立場。国家が経済を統制する体制と同一視するのは正確ではない。

用法

評論文では理念と現実の乖離が主題になる。平等を目指した理念が、現実には官僚による統制と自由の抑圧に至った、という筋書きである。冷戦は資本主義と社会主義の☑20 イデオロギー対立として語られ、一九九一年のソ連解体でこの構図が終わった。以後は「大きな物語の終焉」として論じられる。読解では、理念として語られているか、現実の体制として語られているかを見分ける。

用例
  • ヨーロッパに幽霊が出る ── 共産主義という幽霊が。……万国の労働者よ、団結せよ。カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党宣言』(1848)/訳は本教材
    政治文書の冒頭として、いまも群を抜いて巧い一行である。「幽霊」という語が二重に働いている。一つは敵から見た姿 — 実体がないのにヨーロッパ中の政府がそれを恐れているという嘲弄。もう一つはまだ現れていないものという含み。幽霊はこれから肉体を得るという予告として読める。文書全体が「まだ無いもの」を「すでに恐れられているもの」として提示する構えで書かれており、この一行がその構えを一息で立てている。末尾の「団結せよ」との対応も見ておきたい — 幽霊が肉体を得る方法が、団結という一語で示されている
  • 社会主義は、貧富の懸隔を打破して、生産機関を社会の共有となし、各人をしてその労働に応じて所得を得せしめんとするものなり。幸徳秋水『社会主義神髄』(1903)
    日本語で社会主義を最初に体系的に説いた書の、要約にあたる一節である。注目したいのは語順だ。「貧富の懸隔を打破して」が先に来て、「生産機関を社会の共有となし」が続く。目的が先、手段が後である。二十世紀の社会主義がしばしば手段(国有化)を目的化したことを思えば、この語順は重い。また「労働に応じて」という限定にも注意したい — 必要に応じてではない。働いた分だけ受け取るという配分は、資本主義の建前と実は同じであり、社会主義が資本主義の理想を本気で実現しようとした運動でもあったことがここから見える。
  • 生産手段の私有をやめることが、社会主義の最も広く共有された定義である。 定義を一点に絞るのが読解では有効である。社会主義には無数の分派があるが、ここだけはほぼ共通する。122 の私的所有を土台とする市民社会に対して、土台の一点を抜くという設計だ。抜いたあと何が建つかで、分派が分かれる。
  • ×みんなで分け合うなんて、ずいぶん社会主義的な発想だね。 通じるが、体制の名を、気前のよさの比喩に使っている。評論語の社会主義は生産手段の所有の形をめぐる制度の名であって、分配の気前よさの度合いではない。分配の話をしたいなら「平等主義的」「再分配的」が正確である。
原書の反意語・関連語

128 資本主義 / 関 マルクス主義

派生形
  • 共産主義きょうさんしゅぎ[5]社会主義の先にある段階としてマルクスは位置づけた。社会主義が労働に応じた配分なら、共産主義は必要に応じた配分階級も国家も消えた状態を指すので、現実に存在した体制はどれも自称としては社会主義だった。
  • 社会性しゃかいせい[0]主義とは無関係の語。「社会性がある」は他者と関わる力があるの意。同じ「社会」でも、主義が付くと制度の名、性が付くと個人の性質の名になる。接尾辞ひとつで指す層が入れ替わる例。
  • 社会化しゃかいか[0]二つの意味がある。①経済用語で私有を社会の共有に移すこと(生産手段の社会化)、②社会学用語で個人が社会の規範を身につけていく過程文脈で峻別する
コロケーション
  • 空想的社会主義名づけた側が勝った語サン=シモン、フーリエ、オーウェンらを指す。この呼び名はマルクスとエンゲルスが付けたもので、自分たちを科学的と称するための対だった。押さえておきたいのは、名づけによって系譜が整理されると、その整理が歴史そのものに見えてくることだ。空想と呼ばれた側は、実際には共同体の設計を手で試していた
  • 社会主義の失敗何が失敗したかを問う語二十世紀の体制の崩壊を指す言い方。この語を読むときは「理念が失敗したのか、実装が失敗したのか」を分けて考える必要がある。書き手がどちらを言っているかで、続く主張がまったく変わる。理念の失敗と読めば市場を肯定する結論へ、実装の失敗と読めば別の設計を探す結論へ向かう。
  • 社会民主主義折衷の形革命ではなく議会を通じて、資本主義の枠内で再分配を進める立場。この語が要るのは、社会主義が「体制の転覆」と結びつきすぎたからだ。128 の修正資本主義とはほとんど同じ政策を別の側から呼んだ名であり、どちらの語を選ぶかは出発点の宣言になる。
  • 社会主義リアリズム芸術に降りた形芸術は労働者を鼓舞し、社会主義の建設に役立つべきだとする方針。この結びつきが評論文で引かれるのは、正しい目的が表現の自由を握り潰す典型例だからである。138 の全体主義と地続きであり、芸術の統制は左右を問わずに起きることを示す。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 資本主義生産手段を私有する☑128。対語。
  • 共産主義階級と国家が消えた最終段階社会主義のさらに先に置かれる理想状態。段階が違う。
  • マルクス主義マルクスの理論体系思想の名。社会主義はより広く、マルクス以前の潮流も含む。
  • 福祉国家再分配で格差を是正する国家資本主義の枠内での修正。社会主義とは前提が違う。

ENsocialism
ZH社会主义(社会主義, shèhuì zhǔyì)

入試文

すでに一九七〇年代から広まっている「先進国と後進国」が、「情報化社会」で今再び問い直される理由として、国際情勢の変化をあげることができます。
一九八〇年代末から九〇年代初めにかけての冷戦終結と東側世界崩壊によって、国際秩序が大きく変化し、米国の経済的・軍事的覇権が成立しました。
それと平行して、これまで表に出てこなかった地球上の人々の民族的・言語的な多様性が顕在化してきたのもまた事実です。
つまり、冷戦時代は、地球上のあらゆる人々は、西側か東側か、資本主義か社会主義か、二つの近代的イデオロギーのいずれかを選択しなくてはならなかったわけですが、今や、独自の文化や言語の主張をすることが可能になったのです。
特に、長いあいだ植民地化されていた開発途上国では、ようやくみずからの文化的アイデンティティを見直し始めていると言ってよいでしょう。
「ポスト・コロニアリズム」という思考が一九九〇年代に入ってにわかに脚光を浴びつつあるのです。
※ポスト・コロニアリズム:植民地支配が終わったあとの文化状況を指す。

出典 西垣通『こころの情報学』 / 出題 愛知教育大学・教育学部

読解のポイント
  • 冷戦時代
  • 資本主義か社会主義かを選択しなければならなかった 冷戦終結・東側世界の崩壊 ↓ 現在
  • 開発途上国が、独自の文化や言語を主張することが可能
要約

冷戦の終結によって国際秩序が変化したため、地球上の人々の民族的・言語的な多様性が顕在化し、長いあいだ植民地化されていた地域が、独自の文化や言語を主張することが可能になった。

語法の観察

理念を述べたあとに歴史的な経過を置く。理念と現実の落差そのものが主題になっている。

生産手段を私有・国有・社会的共有のどれに置くかで体制が分かれることを示した図工場や土地といった生産手段を、個人が所有するのが資本主義、国家が所有するのが二十世紀の現存した社会主義、働く者たちが共同で所有するのが本来構想された社会化である。 工場を、誰が持つか私有個人が持ち、売れる→ 資本主義国有国家国家が持ち、計画する→ 現存した社会主義共有働く者たちが共に持つ→ 本来構想された社会化二十世紀に実現したのは、真ん中の形だった持ち主が個人から国家へ移っただけなら、働く者から見た関係は、そう変わらない「社会主義は失敗した」と読むとき、どの段が失敗したのかを問う
生産手段を誰が持つか
Section 11

功利主義

130★★

功利主義こうりしゅぎ

こうりしゅぎ[0]平板型

語構成
てがら・はたらきりえき主義立場
定義

社会全体の利益や幸福の追求を最善とする考え方。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑130
原書の解説

「功利」は、快楽を求め苦痛を避ける人間の傾向を意味する。

つまり功利主義とは、〈人間が、より多くの利益や幸福とより少ない苦痛を得ることを追い求めるもの〉なのである。

また、利己主義という言葉もあるが、功利主義とは意味が異なる。

利己主義とは、〈社会全体の利益などは考えず、自身の利益や欲求を満たすことを重視する〉という立場をとる。

なお、功利主義の考えを最も象徴的に示す「最大多数の最大幸福」という語はジェレミ・ベンサム(1748〜1832年)が唱えたものだが、多数の幸福のために少数を犠牲にしてしまうという問題点もはらんでいる。

使用の境界

行為の善悪を、それがもたらす幸福の総量で判断する立場。自分の利益だけを考える態度とは違う。

用法

日常語の「功利的」が打算的という否定語であるため、倫理学の立場としての功利主義と混同されやすい。功利主義はむしろ、身分や信条にかかわらず一人を一人として数える点で平等主義的であり、近代の改革を支えた。批判の焦点は、幸福の総量が増えるなら少数の犠牲を正当化しかねない点にある。ここで☑127 民主主義の「多数の専制」と同じ問題が現れる。読解では、肯定的に紹介されているか批判されているかを見る。

用例
  • 自然は人類を、苦痛と快楽という二人の主権者の支配のもとに置いた。我々が何をなすべきかを指し示すのも、我々が何をなすであろうかを決定するのも、ただこの二人だけである。ジェレミ・ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』第一章(1789)/訳は本教材
    倫理の根拠を、神からも理性からも取り上げて感覚に置いた宣言である。「主権者」という政治の語を快苦に使ったところが巧い — これは比喩ではなく、正統性の移譲の宣言だからだ。さらに一文の中で「なすべきか」と「なすであろうか」が並べられていることに注意したい。前者は規範、後者は事実である。1-4 の 87 で見た「である」と「べきである」の継ぎ目を、ベンサムは一息でまたいでいる。これを鮮やかと見るか強引と見るかで、功利主義の評価は分かれる。快苦が測れるという前提の上に、道徳を計算可能にした — 121 の近代合理主義が倫理に及んだ姿がここにある。
  • 満足した豚であるよりは、不満足な人間であるほうがよい。満足した愚者であるよりは、不満足なソクラテスであるほうがよい。ジョン・スチュアート・ミル『功利主義論』第二章(1863)/訳は本教材
    功利主義を、内側から作り直した一句である。ベンサムの計算では、快楽は量だけで比べられるはずだった。その体系にミルは質という軸を差し込む。差し込んだ瞬間に、体系は揺れる — 質の高低は、誰が判定するのか。ミルの答えは「両方を知っている者」だが、これは計算による道徳という当初の魅力を手放すことでもあった。注目したいのは、この一句が二段構えになっていることだ。豚と人間で種の差を言い、愚者とソクラテスで同じ人間の中の差を言う。一段目は誰でも頷くが、二段目に頷いた瞬間、人の生の優劣を認めたことになる。功利主義の一番危うい場所に、ミル自身が名文で踏み込んでいる。
  • 功利主義は、行為の善悪を、動機ではなく結果の総量で判定する。 結果説であることがこの立場の一次的な特徴である。善意から出た行為でも不幸を増やせば悪になる。これは苛烈だが、公共政策を論じる言語としては極めて強力だ。費用便益分析は功利主義の直系である。
  • ×自分の得だけを考える、功利主義的な人だ。 「功利」の字面に引きずられた誤用である。功利主義が最大化するのは関係者全体の幸福であって、自分の利益ではない。自分の得だけなら「利己主義」「打算的」。むしろ功利主義は自分の幸福を他人の幸福と同じ一票として数える点で、きわめて厳しい立場である。
原書の反意語・関連語

関 利己主義

派生形
  • 功利こうり[1]utility の訳語。「功」は効果、「利」は益。日本語の「功利的」に打算的という悪い含みが付いたのは、訳語の字面のせいであって原語には無い。訳語が概念の受け取られ方を変えた例である。
  • 効用こうよう[0]経済学における同じ語の訳。utility を倫理学では「功利」、経済学では「効用」と訳し分けてきた。同じ概念が、分野をまたぐと別の語になる。「効用の最大化」と「最大多数の最大幸福」は親戚である。
  • 功利主義的こうりしゅぎてき[0]方法の性格を言う形。「功利主義的な発想」は結果の総量で判断する構えを指す。「功利的」との一字の差が意味を反転させる — 前者は倫理の立場、後者はほぼ打算の意になる。
コロケーション
  • 最大多数の最大幸福標語としての語功利主義を一句で表した言い方。実は二つの最大化が同時に入っていて、両立しないことがある。幸福の総量を最大にする配分と、幸福な人数を最大にする配分は一致しないからだ。ベンサム自身が後年この表現を退けたのはそのためで、標語の切れ味と理論の厳密さは別物である
  • 少数者の犠牲功利主義を撃つ語総量が増えるなら少数の不幸は許容されるという帰結。これが功利主義への最大の反論である。注意したいのは、この反論は総量計算が間違っていると言っていないことだ。計算が正しくてもなお許されないものがあると言っている。123 の個人の尊厳が、ここで功利主義の壁として立つ。
  • 功利計算道具としての語快苦を数え上げて比較する手続き。批判の的になりやすいが、これなしに公共の意思決定はできないのも事実だ。予算をどこに配るかを決めるとき、我々は否応なく功利計算をしている問題は計算することではなく、計算に載らないものをゼロとして扱ってしまうことである。
  • 規則功利主義難点をかわす形個々の行為ではなく、規則の善し悪しを結果で判定する立場。「嘘をつくな」という規則を守るほうが長い目で幸福が増えるなら、その場では損でも守る。これによって少数者の犠牲という反論をかなり防げる。理論が批判に応じて形を変えていく、その実例として見ておきたい。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 利己主義自分の利益を優先する混同されやすい最大の相手。功利主義は全体の幸福を計算する。
  • 義務論行為そのものの正しさを問うカント。結果を問わない。功利主義は結果で判断する。
  • 実利主義実際の役立ちを重んじる日常的な態度。功利主義は倫理学の立場。
  • 最大多数の最大幸福功利主義の標語ベンサム。判断の基準を一文で示したもの。

ENutilitarianism
ZH功利主义(功利主義, gōnglì zhǔyì)

功利主義の計算と、その限界幸福の総量で判断する功利主義が、少数の犠牲を正当化しかねないことを示した図。 最大多数の最大幸福 八人が得をする 二人が損をする 総量は増える 評価される点 身分や信条にかかわらず、一人を一人として数える。近代の改革を支えた。 批判される点 総量が増えるなら、少数の犠牲が正当化されうる。多数の専制と同じ形をしている。
幸福の総量で判断するということ
入試文

功利主義の考え方にはいくつかの問題点があります。
第一に、功利主義では幸福ないし欲望充足の度合が数値によって計測され、しかも異なる個人の間でもその数値を比較することに意味があると考えていますが、その根拠は薄いといわざるを得ません。
たとえば、「あなたがこのケーキを食べたときの幸福の増加量は10だが、私が食べたときの幸福の増加量は20で、あなたの二倍あるから私が食べるべきだ」と主張しても、相手は納得しないでしょう。
幸福や欲望充足は主観的な感覚ですから、その度合を客観的な数量として計測することは困難です。
二〇世紀以降の経済学が功利主義をベースとしない理論を構築しようとしてきたのは、客観的に観測可能な概念に基づいて科学は築かれるべきだと考えたからです。

出典 塩沢由典『幸福のための経済学――効率と衡平の考え方』 / 出題 大阪大学・経済学部・法学部・外国語学部など

読解のポイント
  • 功利主義
  • 幸福や欲望充足の度合を数値で計測
  • 異なる個人間でも数量として比較 ↓ 問題点
  • 主観的な幸福を客観的な数値として計測することは困難 ↓ 経済学
  • 功利主義をベースとしない理論を構築
要約

功利主義では幸福や欲望充足の度合が数値で計測され、数値の比較もされるが、主観的な感覚を客観的な数量として計測することは困難である。そのため経済学は、功利主義をベースとしない理論を構築しようとしてきた。

語法の観察

標語を先に掲げ、そのあとで中身を解く。よく知られた一文から入ることで誤解を先に潰している。

Section 12

ヒューマニズム

131★★

ヒューマニズム

ヒューマニズム[4]中高型

定義

① 人間らしさを尊重して、人類の普遍的な幸福を求める態度。人道主義。 ② 人間本位の思想。人間中心主義。 ③ 人文主義。古典的教養に人間の理想像を求め、人間形成をはかる立場。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑131
原書の解説

ヒューマニズムは、ギリシア・ローマの古典を通じて人格的な人間形成をはかる立場を表す語として、十九世紀ドイツで作られた言葉である。

ルネサンスの思想の特徴をヒューマニズムと言うのも、こうした用法によるが、この場合のヒューマニズムは人文主義と訳す(③)。

このような用法を基礎としながら、時代が下るにつれ、人間性の尊重、人道主義という意味としても用いられるようになった(①)。

一方、現代思想の分野では、ヒューマニズムは「人間中心主義」を意味し、批判の対象となりやすい言葉だ(②)。

近代的な人間観によれば、人間とは理性をもつ存在のことである。理性を正しく用いれば、どのような問題でも解決できる。

こうした態度によって、人間を頂点とするヒエラルキー(序列)ができ上がり、人間を頂点とするヒエラルキーは、自然を人間のために支配する思想につながった。

また、現代の思想家や哲学者たちは、近代が人間本位的な考え方から成立していること、あるいはヒューマニズムがヨーロッパ中心主義的な考えを基礎にしていることなどを批判している。

使用の境界

人間を中心に置き、その尊厳と可能性を重んじる立場。単なる人助けや思いやりではない。

用法

訳語が人文主義・人道主義・人間中心主義と三つあり、どれを当てるかで評価が反転する。ルネサンスの人文主義として語られれば近代の出発点として肯定され、人間中心主義として語られれば環境破壊と動物の搾取の元凶として批判される。評論文で後者の用法が増えているのが現代の特徴で、☑81 アニミズムや生態学的な思想が対置される。日常語の「ヒューマニズム」=思いやり、とは層が違う。

用例
  • アダムよ、われは汝に定まった住処も、固有の姿も、いかなる特有の務めも与えなかった。……汝が望むところに従い、汝が判断するところに従って、汝は自らの本性を得るためである。ピコ・デラ・ミランドラ『人間の尊厳について』(1486)/訳は本教材
    人間の尊厳を、与えられた優秀さではなく「決まっていないこと」に置いた一節である。普通なら、尊厳の根拠は神に似ていること理性を持つことに求められる。ピコはそこを外して、何も与えられていないことを根拠にした。この転回が重いのは、尊厳が達成ではなく可能性に据えられたからだ。達成に据えれば、達成できない人の尊厳が薄くなる。可能性に据えれば、誰からも取り上げられない。また「自らの本性を得るため」という言い方は、本性が先にあってそれを実現するのではなく、選ぶことで本性ができると言っている点で、1-5 の実存の議論を四百年先取りしている。
  • 私は人間である。人間に関わることで、私に無縁なものは何ひとつない。プブリウス・テレンティウス・アフェル『自虐者』(前163)/訳は本教材
    ヒューマニズムの標語として千年以上引かれ続けてきた一句である。文脈を知ると味わいが変わる — これは「他人の家のことに口を出すな」と言われた老人が言い返した台詞で、もとはお節介の弁明だった。喜劇の一行が、人類の連帯の宣言として読み替えられていった。この読み替え自体がヒューマニズムという運動の性格を示している — ルネサンスの人文主義者たちは古代の断片を掘り出し、自分たちの必要に合わせて意味を与え直したのだ。引用とは、過去の言葉を現在の陣地へ引き込む作業でもある
  • ヒューマニズムは、人間を万物の中心に据えたがゆえに、人間以外を手段に落とした。 現代の環境思想が用いる批判の型である。長所と短所が同じ一手から出ていることを押さえたい。人間に絶対の価値を与える操作は、同時に人間以外から価値を引き上げる操作でもあった。中心を立てれば、周縁ができる
  • ×被災地に募金をするなんて、ヒューマニズムにあふれた行いだ。 この場面で言いたいのは「人道的」「博愛」である。評論語のヒューマニズムはルネサンス以降、人間を価値の中心に据えてきた思想の系譜を指す。親切さの度合いを測る語ではない。ただし「人道主義」という訳語もあるため、どちらの意味かは文脈で決める
派生形
  • ヒューマニスト[4]二つの層がある。歴史用語としてはルネサンスの人文学者、日常語としては人情に厚い人。評論文では前者、会話では後者で使われるので、どちらか迷ったら時代の話かを見る
  • 人間性にんげんせい[0]二つの向きに使える。①人間に共通の本質(人間性の回復)、②人柄のよさ(人間性を疑う)。評論文では①で、失われたものとして語られることが多い。「回復」と結びつくのは、あったものが奪われたという物語を前提にしているからだ。
  • 人道じんどう[0]行いの側の語。「人道支援」「人道に対する罪」のように国際法・実務の語彙として定着した。思想の名としてのヒューマニズムより射程が狭く、そのぶん争いが少ない。実務語が思想語より合意を得やすい例である。
コロケーション
  • 人間中心主義批判される側の名ヒューマニズムを、外から名づけ直した語。同じ思想が、内から呼べばヒューマニズム、外から呼べば人間中心主義になる。名づけがそのまま評価になっている典型例である。1-4 の 75 で見た自文化中心主義と同じ構文で作られた語であることにも気づいておきたい。
  • 人文主義訳語としての語ルネサンス期の humanism の訳。神学に対して古典の文芸を学ぶ立場を指す。同じ語を「人道主義」と訳せば倫理の話になり、「人文主義」と訳せば学問の話になる。訳語の選択が、そのまま論点の選択になる
  • ヒューマニズムの限界外側を示す語人間の尊厳を守る思想が、人間の範囲を決める権限も同時に持ってしまうという問題。歴史的には奴隷・女性・先住民が「人間」の外に置かれてきた誰を人間と数えるかをこの思想自身は決められない — ここが最も鋭い批判点である。
  • 反ヒューマニズム二十世紀の語人間を中心に据える見方そのものを退ける立場。構造主義がその代表で、人間が言語や構造を使っているのではなく、構造が人間を通して働いていると見る。1-3 の分節と、1-7 のポストモダンをつなぐ線がこの語を通っている。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 人道主義苦しむ人を救おうとする立場訳語の一つ。倫理的な実践に重心がある。
  • 人文主義古典を通じて人間を探究するルネサンスの運動。訳語の一つ。神学から人間へ関心を移した。
  • 人間中心主義人間を万物の中心に置く訳語の一つ。環境思想からは批判の対象になる。
  • 博愛広く人を愛する感情と態度。ヒューマニズムは思想上の立場。

ENhumanism
ZH人文主义(人文主義, rénwén zhǔyì)

入試文

そういうわけで私は、近代化を「世俗化」の過程、「神を失う過程」としてまとめうると思うのですが、とくに言いたいことは、それが人間の勝手な都合によって結果した状況ではないかということであります。
自然の生態系を無視して、川をせき止め巨大なダムを作ったり、山を削ってアスファルト道路を作ったり、生きものたちを絶滅の危機にまで追いやって森林を伐採したり、勝手に新しい生きものをこの世に遺伝子操作を通じて作りだしたり、例はいくらでもあります。
その身勝手な人間中心主義を、私は、いわゆる近代のヒューマニズム(人間主義)からは区別したいのです。
ヒューマニズムというのは、人間性を尊重し、人間的なものを拡大する近代思想の有力なひとつであります。
そのヒューマニズムが、近代工業技術文明とともに、勝手な人間本位の思想、思いあがった人間主義へと転化してきたのではないでしょうか。
それを、私は、「人間中心主義(anthropocentrism)」と呼んで、近代化の過程において真剣に反省されるべきイデオロギーではないかと思うのです。

出典 西川富雄『環境哲学への招待』 / 出題 名古屋大学

読解のポイント
  • 近代のヒューマニズム(人間主義)
  • 人間性を尊重し、人間的なものを拡大する近代思想 +近代工業技術文明 ↓ 人間中心主義
  • 勝手な人間本位の思想
  • 思いあがった人間主義
要約

ヒューマニズムが近代工業技術文明とともに転化したものである人間中心主義は、人間性を尊重する近代のヒューマニズムからは区別して、真剣に反省すべきイデオロギーである。

語法の観察

訳語を並べて示すことで、語の幅そのものを説明にしている。訳し方が立場を決めるという構造。

人間を価値の中心に据えると、外側が手段の領域として生じることを示した同心円の図中心に人間を置く価値の配置を同心円で示し、内側ほど目的として扱われ、外側ほど手段として扱われることを表す。中心の円の内側にも、誰を人間と数えるかという線が引かれてきた。 中心を立てれば、外側ができる人間動物・生物自然・物目的として手段としてここまでが、外へ向かう線であるしかし内側にも線は引かれてきた ──奴隷・女性・先住民・「未開」の人々は、長らく中心の円の外に置かれていた誰を人間と数えるかを、この思想は自分では決められない
人間中心という配置
Section 13

ニヒリズム

132★★

ニヒリズム

ニヒリズム[3]中高型

定義

真理や道徳的価値を否定する考え方。虚無主義。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑132
原書の解説

ニヒリズムの考え方では、一切は「虚無」であり、すべての事柄は勝手な解釈にすぎないため、真理や道徳や既成の価値観には根拠がないことになる。

すべてが根拠を失って相対化し、価値を失うというのがニヒリズムである。

たとえば

「なぜ人を殺してはいけないのか」や「なぜ働かなければならないのか」といった問いに、究極的には答えがないと考えるのがニヒリズムである。

使用の境界

真理や道徳的価値には根拠がないとする考え方。悲観的な気分のことではない。

用法

虚無主義と訳す。要点は、一切が解釈にすぎないとする点にある。「なぜ人を殺してはいけないのか」に究極的な答えがない、と考えるのがニヒリズムである。ニーチェは「神は死んだ」としてこの事態を告げ、それを克服する道を探った。評論文では、近代が神という根拠を失ったあとの状態として語られ、☑26 相対主義の徹底した果てに置かれる。ペシミズムとの区別が要点で、こちらは価値を認めたうえで悪いと見る立場である。

用例
  • 神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ。……我々は、この大地を太陽から解き放ってしまった。我々はどこへ向かって進んでいるのか。あらゆる太陽から離れ去るのではないか。フリードリヒ・ニーチェ『悦ばしき知識』第一二五節(1882)/訳は本教材
    ニヒリズムの到来を告げた最も有名な一節である。誤読されやすいのは、これが勝利の宣言ではないことだ。語っているのは「狂人」で、周囲の人々は笑っている。笑えるのは、自分が何を失ったかまだ気づいていないからだ。狂人だけが震えている。天文の比喩が効いているのはここである — 神を殺すとは、大地を太陽から切り離すことだ。中心を失った地球は自由になるのではなく、どちらが上かも分からないまま漂う。ニヒリズムとは無神論のことではない。価値を測る座標そのものが無くなった状態である。1-5 の 13 で見た「軸から降りる」という位置が、ここで実際に語られている。
  • 神がなければ、すべては許される。フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(1880)/訳は本教材
    ニヒリズムを、思想ではなく行為の水準で言い当てた一句である。重要なのは、これが仮定法で書かれていることだ。「神はいない」ではなく「神がなければ」。命題の主張ではなく、帰結の警告として置かれている。作中でこの論理を口にした兄は手を下さず、それを聞いた者が実際に父を殺す。ここに小説の恐ろしさがある — 思想は語った本人ではなく、聞いた者のところで実現する。評論文がニヒリズムを扱うとき、「価値が無い」と言うことの帰結まで見よと求められるのは、この構造による。
  • ニヒリズムとは、価値が失われた状態ではなく、価値を支えてきた根拠が失われた状態を指す。 この区別が読解の要である。個々の価値はまだ残っている。ただ、なぜそれが価値なのかを言う言葉が消えた。だから虚無は荒廃としてではなく、「なんとなく続いている日常」として現れることが多い。
  • ×何をやっても無駄な気がして、最近ニヒリズムに陥っている。 個人の一時的な無力感は「虚無感」「無力感」である。ニヒリズムは一つの時代・文化の価値基盤が崩れた事態を指す思想史の語で、気分の名ではない。ただし「ニヒリスト」ならその事態を引き受けた人を指せるので、人には使える。
原書の反意語・関連語

関 ペシミズム/デカダンス

派生形
  • ニヒリスト[4]担い手を指す語。日本語では冷笑的な人という軽い意味に流れやすいが、思想史上は価値の崩壊を真正面から引き受けた人を指す。軽い用法と重い用法の落差が大きい語のひとつ。
  • ニヒル[1]日本語で独自に育った形。「ニヒルな笑い」のように冷たく虚無的な雰囲気を指す形容動詞として定着した。思想の内容はほとんど残っていないので、評論文では使わない。
  • [1]東洋思想の側の語。注意したいのは、老荘や仏教の「無」はニヒリズムではないことだ。西洋のニヒリズムがあったものが失われた欠如なら、東洋の無はすべてを生む場である。符号が逆だと覚えておく。
コロケーション
  • 価値の転倒ニーチェの手つき既存の価値を否定するのではなく、その価値がどこから来たかを暴くことで無効にする方法。「弱さが謙虚と呼び替えられた」と示せば、謙虚を否定せずに謙虚の権威を崩せる。評論文の批判の型としていまも最も強力な手のひとつであり、出所を知っておく価値がある。
  • 能動的ニヒリズム同じ語の二つの顔価値の崩壊を嘆くのではなく、新しい価値を作る好機とする立場。対する受動的ニヒリズムは崩壊の前で立ちすくむ。ニーチェが目指したのは前者だが、実際に広まったのは後者だった思想は、最も受け取りやすい形で普及するという一例である。
  • ニヒリズムの克服要求として現れる語この結びつきが繰り返し現れるのは、ニヒリズムが議論では倒せないからだ。「価値には根拠がない」という指摘に根拠で反論すれば、その根拠の根拠を問われる。だから克服は論証ではなく、生き方や創造の水準で試みられることになる。
  • 虚無主義訳語としての語日本語では明治期からこの訳が使われた。注意したいのは、ロシアで nihilism と呼ばれたのは既存の権威を否定する若い改革者たちだった点だ。ツルゲーネフ『父と子』のバザーロフがその像である。同じ語が、行動的な革命家と無気力の代名詞の両方を指してきた

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • ペシミズム世界を否定的に捉える☑102。価値は認めたうえで悪いと見る。ニヒリズムは価値の根拠自体を否定する。
  • 相対主義唯一の基準を認めない☑26。基準の複数性を認める。ニヒリズムは基準そのものを無効にする。
  • デカダンス退廃・爛熟文化の状態。ニヒリズムは認識の立場。
  • 虚無感むなしいという感覚感情。ニヒリズムは立場であって気分ではない。

ENnihilism
ZH虚无主义(虚無主義, xūwú zhǔyì)

太陽を中心に回っていた惑星が、中心を失って軌道なく漂う状態を並べた図ニーチェが「大地を太陽から解き放った」と言った事態を、中心のある軌道と、中心を失って向きを持たない運動として並べる。個々の価値が消えるのではなく、価値を測る座標が消えることを示す。 大地を、太陽から解き放ってしまったBEFOREAFTER中心があるから上下も遠近も決まる星は残っている消えたのは中心である価値が失われたのではない価値の高い低いを測る座標が、失われただから虚無は、荒廃としてではなく「なんとなく続く日常」として現れることが多い
中心を失うということ
Section 14

フェティシズム

133★★

フェティシズム

フェティシズム[3]中高型

定義

事物それ自体をあがめること。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑133
原書の解説

辞書には、「呪物崇拝」や「異性の身体の一部・衣類・装身具などによって性欲を刺激されること」などと出ているが、入試ではこれらの意味の「フェティシズム」が登場することは少ない(軽いエッセイでは「フェチ」という語が登場することもある)。

評論文で使われる「フェティシズム」は〈物神崇拝〉という訳語で表される内容である。

これは、たとえば、本来、紙にすぎず流通して初めて価値がある紙幣に対して、物(紙)それ自体に価値があるようにあがめる態度を言う。

使用の境界

本来は関係のなかで意味をもつものを、そのもの自体に価値があるかのようにあがめること。

用法

評論文で使われるのは〈物神崇拝〉という訳語で表される内容である。紙幣は流通して初めて価値をもつのに、紙そのものに価値があるかのように扱われる。この錯覚をマルクスは商品のフェティシズムと呼んだ。要点は、関係が生んだ価値を、物の性質だと取り違えるという構造にある。☑21 疎外と同じ反転がここにも現れる。辞書にある性的な意味は入試ではほとんど出ない。

用例
  • 商品形態の神秘は、人間自身の労働の社会的性格を、労働生産物そのものの対象的性格として、……人間に映し返すという点にある。これを私は物神崇拝と呼ぶ。カール・マルクス『資本論』第一巻第一章第四節(1867)/訳は本教材
    宗教の語を経済に持ち込んだ、近代批判の最も鋭い一手である。マルクスがここで言うのは「人が物を拝んでいる」ではない人と人の関係が、物と物の関係に見えてしまうという錯視の指摘だ。価格は誰がどんな条件で働いたかの結果なのに、物そのものに値打ちが宿っているように見える。ここで「物神崇拝」という語が効くのは、未開の迷信として見下してきた当のものが、最も進んだ経済の中心にあると言い当てるからだ。1-4 の 75 で見た自文化中心主義への痛烈な返し手にもなっている。
  • 呪術の根底には、類似したものは類似したものを生む、つまり結果はその原因に似る、という原理がある。ジェイムズ・フレイザー『金枝篇』(1890)/訳は本教材
    フェティシズムを支える思考の型を、一行で取り出した一節である。注目したいのは、フレイザーがこれを「原理」と呼んでいることだ。出鱈目ではなく、一貫した法則に従っていると認めている。だから呪術は科学の反対物ではなく、科学の親戚になる — どちらも世界には規則があり、それを使えば結果を操れると信じている。この見方を取ると、ブランド品に力が宿るという感覚も、未開の迷信ではなく同じ原理の現代版として読める。133 が現代社会論で使える語になったのは、この一段があったからだ。
  • ブランド品への欲望は、物そのものではなく物に貼りついた記号への欲望であり、その意味でフェティシズムである。 1-7 の消費社会論へそのままつながる例である。鞄の使い勝手を買っているのではない。その鞄が指し示す位置を買っている。1-3 の記号論と133 が結びつくと、現代の消費が一枚の図で説明できるようになる。
  • ×彼は古い万年筆にフェティシズムを感じている。 単なる愛着や偏愛をこの語で呼ばない。評論語のフェティシズムは本来は関係の中にある力が、物そのものに宿って見えるという倒錯を指す。愛着を言いたいなら「愛着」「こだわり」で足りる。なお性的な含みの用法もあるので、評論文では定義を添えてから使うのが安全である。
派生形
  • 物神ぶっしん[0]fetish の訳語。ポルトガル語 feitiço(作られたもの・呪物)が語源で、西アフリカで交易者が見た信仰対象を呼んだのが始まり。語源に「人が作ったもの」という含みがあるのが重要で、それが後に作った当人がそれを拝むという批判に使われた。
  • 物神崇拝ぶっしんすうはい[5]マルクスの語の定訳。「フェティシズム」とカタカナで書くより批判の色が濃く出る。訳語とカタカナ語を書き分けられると、文章の温度を操作できる
  • フェティッシュ[1]形容詞としての用法。日本語ではほぼ性的な含みで定着してしまったため、評論文では避ける。同じ語根から出た語が訳語とカタカナ語で別の道を歩いた例である。
コロケーション
  • 商品の物神性マルクスの術語定訳としてこの形で覚える。「物神」は fetish、「性」は性質・性格の意で、商品という物のあり方にもともと備わってしまう性質を指す。誰かが騙しているのではないという含みが重要だ。売り手も買い手も同じ錯視の中にいる
  • 物象化同じ事態の別の名人と人との関係が、物と物との関係として現れること。物神崇拝が拝む側の心の話に寄って聞こえるのに対し、物象化は関係の側の変化として中立に言える同じ現象に二つの語があるとき、どちらを選ぶかで文章の重心が動く
  • 記号の消費現代版としての語物の機能ではなく、物が指し示す意味を消費すること。133 が二十世紀後半に再び活きた語になったのは、この形で言い直されたからだ。マルクスの時代は労働が見えなくなることが問題だったが、現代は物すら見えなくなり、差異だけが残る
  • 物神化する動詞としての語本来は手段や関係にすぎないものが、それ自体で力を持つかのように扱われるようになること。「数値を物神化する」「制度を物神化する」のように、経済の外へ広く使える。評価指標が目的化する現象を一語で刺せるので、現代の評論文で使用頻度が上がっている。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 物神崇拝訳語マルクスの語。商品や貨幣に本来ない力を認める錯覚を指す。
  • 疎外自作物が逆に人を支配する☑21。同じ構造の別の面。人が作ったものが自立して見える。
  • 呪物崇拝物に霊力を認める信仰人類学の語。フェティシズムの原義。
  • 拝金主義金銭を最上位に置く態度。フェティシズムは価値がどこにあると錯覚するかの構造を言う。

ENfetishism
ZH拜物教(物神崇拝, bàiwùjiào)

物神崇拝の構造関係のなかで生まれた価値が、物そのものの性質だと取り違えられる過程を示した図。 実際 流通・交換 紙幣 関係が価値を生んでいる 取り違え 見え方 紙幣 物それ自体に価値があるように見える 関係が生んだ価値を、物の性質だと取り違える。 ☑21 疎外と同じ反転が、ここにも現れている
関係が生んだ価値を、物の性質と取り違える
Section 15

中世

134

中世ちゅうせい

ちゅうせい[1]頭高型

語構成
なかよ・時代
定義

封建的な身分制社会のもと、宗教が人々の生活・生き方に大きな影響力をもっていた時代。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑134
原書の解説

ヨーロッパ中世とは、キリスト教的な価値観が人々を支配し、人々が神を疑うことを知らなかった時代のことである。

理性よりも信仰が重視され、人々は禁欲的な生活を送り、伝統に縛られた生活をしていた。

近代初期には、中世は古代ギリシア・ローマ文化が衰退した暗黒の時代と位置づけられたが、最近では、素朴な人々がゆったりとした日々を繰り返す中世のあり方を再評価する動きもある。

評論文では、中世と近代の比較というテーマが登場するので、しっかりと整理しておこう。

使用の境界

古代と近代のあいだの時代。ヨーロッパではキリスト教的価値観と封建的身分制度に支配された時期を指す。

用法

評論文で押さえるべきは、中世が近代を説明するための対項として置かれるという点である。中世=非合理・身分制・神中心、近代=合理・平等・人間中心、という図式が繰り返し使われる。ただしこの図式自体が近代の側から描かれたものであり、「暗黒の中世」という像は近代がつくったという指摘が現代の研究では定説になっている。ここで☑84 オリエンタリズムと同じ、描く側と描かれる側の非対称が現れる。

用例
  • 中世においては、人間の意識の両面 ── 内に向かうものと外に向かうもの ── は、共通のヴェールの下で、夢見ているか、半ば目覚めているかであった。ヤーコプ・ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』(1860)/訳は本教材
    「中世」という時代像を決定づけた一節である。同時に、その時代像がいかに作られたものかを示す一節でもある。注目すべきは、これが中世の記述ではなくルネサンスを説明するための前置きとして書かれていることだ。ルネサンスの「目覚め」を光らせるために、その手前が「夢」でなければならなかった。「ヴェール」という比喩も同様で、剥がすべきものとして最初から設計されている。中世千年を一様な眠りとして描くのは史実としては無理だが、物語としてはきわめてよく効いた時代区分は発見ではなく、後の時代が自分を語るための作品である — この教訓が、134 の学びの中心である。
  • 世界がまだ五百年若かったころ、人生のできごとは、いまよりもくっきりとした輪郭をもっていた。悲しみと喜びのあいだ、幸と不幸のあいだの隔たりは、はるかに大きかったように思われる。ヨハン・ホイジンガ『中世の秋』(1919)/訳は本教材
    ブルクハルトの中世像への、半世紀後の応答として読める書き出しである。ホイジンガは中世を夢の中とは書かない。逆に輪郭がくっきりしていたと書く。眠っていたのではなく、感情も刑罰も祝祭も、すべてが濃かったのだ。「五百年若かった」という言い方も巧い — 古いのではなく若いと置き換えることで、中世を未熟な段階から別の生の様式へ移している。そして書名が『中世の秋』であることに注意したい。ルネサンスの春ではなく、中世の秋同じ時期を、どちらの季節として数えるかで、歴史の意味が変わる
  • 「暗黒の中世」という言い方そのものが、近代の自己像を作るために必要とされた図式である。 時代区分を批判的に扱う定型である。近代が自分を光・理性・進歩として語るには、その手前が闇・迷信・停滞でなければならない他者を暗くすることで自分が明るくなるという構図は、1-4 の 75 とまったく同じである。
  • ×この会社の体質は中世的だ。 時代名を罵倒に使っている。評論文で言いたいのは「前近代的」「封建的」だろうが、それも時代を価値の低さの代名詞にしている点で慎重に使うべきだ。中世は西洋史でおよそ五世紀から十五世紀、日本史でおよそ院政期から戦国期までを指す時代区分であって、遅れの度合いの目盛りではない
派生形
  • 中世的ちゅうせいてき[0]ほぼ否定的に使われる。「中世的な因習」のように遅れているという含みが付く。中立に時代の特徴を言いたいなら「中世の」と「的」を外すほうがよい。接尾辞ひとつで評価が入る例。
  • 近世きんせい[1]中世と近代のあいだ。日本史では安土桃山から江戸を指す。この区分が置かれるのは、江戸を「中世の続き」とも「近代の準備」とも言い切れないからだ。区分の増減そのものが解釈の表明である
  • 封建ほうけん[0]制度の名としての語土地の給付と奉仕の関係で結ばれた支配の仕組みを指す。「封建的」となると上下関係が固く、個人が押さえつけられるという日常語になり、制度の話から離れる
コロケーション
  • 暗黒時代名づけが評価である語ラテン語の学芸が衰えた時期を指してつけられた名。この語が問題なのは、誰にとって暗黒だったかが省略されていることだ。文書が減ったのは事実だが、文書が減ったことと人々の生が暗かったことは別である。史料の欠如が暗黒と読み替えられたという手続きの誤りが、この語には残っている。
  • 中世的世界構造を言う語身分・共同体・宗教が一つの秩序として結び合っていた世界。この言い方が有効なのは、近代を「その結び目がほどけた状態」として定義できるからだ。120 の世俗化も、124 の共同体の解体も、同じ一つのほどけの別々の側面として読める。
  • 中世の再評価像を組み直す語二十世紀の歴史学が進めた作業。大学・都市・議会・複式簿記がすべて中世に生まれていることが明らかになると、近代の起源をルネサンスに置く物語が揺らぐ時代区分の線を動かすと、誰が何を発明したかの帰属が変わる
  • 中世を経ていない比較で使う語日本史・中国史を西洋の区分に当てはめる際に生じる論点。この言い方が出てきたら西洋の三区分を普遍の型として使っている合図である。1-1 の 1 と 2 の関係が、歴史の書き方の問題として現れている場面だと見ておくとよい。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 近代中世のあとの時代☑119 と接続する。中世を否定して成り立った。
  • 封建制土地を介した主従の身分制度制度の名。中世を成り立たせた仕組み。
  • 暗黒時代停滞した時代近代が中世に与えた蔑称。この呼び方自体が近代の自己正当化だと批判される。
  • 前近代近代以前近代を基準にした呼び方。中世より広く、非西欧社会にも使う。

ENthe Middle Ages
ZH中世纪(中世, zhōngshìjì)

古代・中世・近代という三区分が、ルネサンス以後の人々によって引かれたことを示す帯の図一本の時間の帯の上に、古代・中世・近代の区切りを示し、その線を引いたのがルネサンス以後の人々であることを下向きの矢で表す。中世という語が「あいだの時代」を意味することも添える。 「あいだの時代」という名づけ古代中世近代手本とすべき時代あいだの、暗い時代目覚めた時代この二本の線を引いたのは、右端に立つ人々であるラテン語 medium aevum = 中間の時代古代を手本と決めたから、そこへ戻るまでの千年が「あいだ」という一語で束ねられた大学も、議会も、都市も、複式簿記もこの「あいだ」に生まれている時代区分は発見ではなく、後の時代が自分を語るために作った作品である
中世という線の引かれ方
Section 16

啓蒙主義

135

啓蒙主義けいもうしゅぎ

けいもうしゅぎ[0]平板型

語構成
ひらくくらい・おおわれている主義立場

「蒙」はおおわれて暗い状態、「啓」はひらくこと。字がそのまま構図を示している。

定義

合理的な精神に基づいて、社会的・政治的・宗教的な伝統の打破を目指す運動。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑135
原書の解説

十八世紀のヨーロッパで展開された啓蒙主義は、理性を人間の最も重要な能力とし、近代の合理的な社会の構築に大きな影響を与えた。

啓蒙思想家たちは、迷信・偏見・宗教・伝統といった不合理なものにとらわれている人々に対し、理性の啓蒙を通じて、人間と社会を世俗化・合理化へと導いた。

啓蒙主義が力をもった背景には、近代自然科学が発達したことで、理性に対する信頼が高まっていたことが挙げられる。

使用の境界

理性の光によって無知と迷信を払い、社会を改善しようとする立場。十八世紀ヨーロッパの思想運動を指す。

用法

「蒙」はおおわれて暗い状態を意味し、それを啓くのが啓蒙である。字がそのまま構図を示している。だからこの語には、光をもつ者が暗い者を照らすという上下の関係が組み込まれており、そこが批判される。植民地支配が「文明化の使命」として正当化されたのもこの延長にある。日常語の「啓蒙する」も、上から教えるという含みで嫌われることがあり、近年は「啓発」に言い換えられる。

用例
  • 理性を公的に使用することは、つねに自由でなければならない。……「何ごとについても、好きなだけ、好きなように議論せよ。ただし服従せよ。」イマヌエル・カント『啓蒙とは何か』(1784)/訳は本教材
    啓蒙主義がどこまでを引き受け、どこで折れたかが一息で見える一節である。前半は勇ましい — 公の場での議論に制限を設けてはならない。ところが結びは「ただし服従せよ」だ。カントの整理では、役人としての立場で職務を論ずるのは私的使用、一人の読み手・書き手として世界に向かって語るのが公的使用である。税は納めよ、しかし税制の不当は文章で論じてよい、と。見事な線引きに見えるが、行動の変更を要求しない自由でもある。135 の啓蒙が「啓蒙専制君主」と両立できてしまった理由が、この一句に書き込まれている — 議論の自由は、服従を条件に与えられたのだ。1-5 の 106 で見た「自ら招いた未成年状態」の宣言と、合わせて読みたい。
  • あらゆる時代のうちで、最も光に近づいた時代でさえ、なお暗い部分を残している。……真理・徳・幸福は、解きがたい鎖によって結ばれている。ニコラ・ド・コンドルセ『人間精神進歩史』(1795)/訳は本教材
    啓蒙主義の楽観を最も純粋な形で残した一節である。この書が書かれた事情を知ると、文章の意味が変わる — コンドルセは革命政府に追われ、潜伏先でこれを書き、捕らえられて獄死した理性の進歩を信じる書物が、理性の名を掲げた恐怖政治から逃げながら書かれたのである。「真理・徳・幸福は解きがたい鎖で結ばれている」という一文は、啓蒙主義の最も強い前提だ — 正しく知れば、正しく行い、幸福になる。この鎖が本当に解けないのかは、二十世紀が否定の側から答えを出した。知は徳を保証しない。それでもこの一文の気高さは減らないところに、啓蒙主義の読みどころがある。
  • 啓蒙主義は、理性の光をあてれば迷信も圧政も消えると信じた点で、近代のもっとも明るい局面であった。 「光」という比喩が原語に入っていることを押さえておきたい。英 Enlightenment、仏 Lumières、独 Aufklärung — いずれも明るくすることだ。134 の「暗黒の中世」という像は、この語を成り立たせるために必要とされた影である。
  • ×手洗いの大切さを啓蒙主義する。 語の形を取り違えている。広く知らせる行為は「啓発する」「周知する」。「啓蒙」も動詞的に使えるが、上から教え諭す含みがあるため現代では避けられる傾向にある。そして「啓蒙主義」は十八世紀ヨーロッパの思想運動の名で、行為の名ではない
派生形
  • 啓蒙けいもう[0]字面と原義がずれている語。「蒙」は道理に暗いことで、暗い者を啓くという上下のある構図になっている。原語が自分で光を灯せという意味であることを思えば、訳語が向きを裏返してしまった
  • 啓発けいはつ[0]『論語』述而篇に出る語。「憤せずんば啓せず」から来ており、本人が行き詰まってから助けるという含みがもとはあった。現代では「自己啓発」のように自分で自分を伸ばすの意で使われ、啓蒙より上下の色が薄い
  • 蒙昧もうまい[0]啓蒙の対の語。「無知蒙昧」の形で使う。強い侮蔑を含むため、現代の評論文ではほぼ引用の中でしか現れない。この語が使えなくなったこと自体が、啓蒙主義の上下の構図が疑われた結果である。
コロケーション
  • 理性の光比喩が理論になった語啓蒙主義の中心的な像。この比喩が強力なのは、光には反論できないからだ。暗いより明るいほうがよいことは説明を要しない。比喩を選んだ時点で議論の半分が終わっている。評論文を読むときは、その比喩が何を自明にしてしまったかを見るとよい。
  • 啓蒙の弁証法光が影を生む語理性が迷信を打ち払ったのち、理性そのものが新しい神話になるという指摘。計算できるものだけを実在とみなす理性は、効率的に人を管理する技術にもなる解放の道具が支配の道具に反転するというこの型は、1-5 の弁証法の応用として読める。
  • 啓蒙専制君主矛盾を抱えた語理性にもとづく改革を絶対的な権力で行う君主。この語が示すのは、啓蒙が民主主義と同じものではないという事実である。「上から良いことをする」という形は啓蒙主義と相性がよく、119 の外発的な近代化の一つの原型にもなっている。
  • 啓蒙的な態度現代に残る形思想運動としてではなく、権威を疑い、自分で確かめる構えを指す言い方。この意味では啓蒙は終わっていない。カントの「あえて知ろうとせよ」は時代の綱領であると同時に、いつでも実行できる指示だからだ。運動としては終わり、態度としては残る語の例。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 近代合理主義理性ですべてを説明する☑121。啓蒙主義はその運動としての形。
  • 理性筋道立てて考える力☑108。啓蒙主義が信頼を寄せた能力。
  • 蒙昧知識がなく道理に暗い啓蒙が払おうとした状態。「蒙」の字がそのまま入っている。
  • 教化教え導いて改める啓蒙の実践面。上から下へという方向を含み、批判の的になる。

ENenlightenment
ZH启蒙主义(啓蒙主義, qǐméng zhǔyì)

理性の光が迷信を払う図と、その同じ光が新しい支配を生む図を上下に並べた図上段では理性の光が迷信・偏見・専制を照らして退ける。下段では同じ光が、計算と管理の技術となって人間そのものを照らし出し、解放の道具が支配の道具に反転することを示す。 光は、当てる向きを選ばないLUMIERES理性迷信・偏見・専制照らせば、消えるここまでが、啓蒙主義が自分について語ったこと理性人間そのもの照らせば、数えられ、管理できる同じ光が、統計・戸籍・試験・収容所を可能にした啓蒙は、照らすことしかしない何を照らすかは、啓蒙自身では決められない解放の道具が支配の道具に反転する ── この型を「啓蒙の弁証法」と呼ぶ
理性の光と、その影
Section 17

ロマン主義(ロマンティシズム)

136

ロマン主義(ロマンティシズム)ロマンしゅぎ

ロマンしゅぎ[0]平板型

定義

十八世紀末から十九世紀前半にかけて起こった、個人の感情や感性を重視する文学・芸術上の運動。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑136
原書の解説

ロマン主義は、個人の感情や感性を尊重・解放し、自由に表現することを重要視する思想であり、先行する啓蒙主義が理性を絶対的なものとすることへの反発から生まれた。

明治期の日本にも大きな影響を及ぼすが、現実を重視する自然主義やリアリズム(現実主義・写実主義)に取って代わられることとなった。

使用の境界

理性より感情と想像力を重んじる立場。近代合理主義への反動として起こった。

用法

要点は近代合理主義への反動だという位置づけにある。理性が切り捨てた感情・想像力・自然・民族の伝統を、価値あるものとして取り戻そうとした。だからロマン主義は近代の内側から出てきた近代批判であり、この二重性が重要になる。日常語の「ロマンチック」は〈甘美で非現実的〉の意で使われるが、思想史上の運動としてのロマン主義はもっと広い。民族の伝統を重んじる姿勢は☑126 ナショナリズムとも接続する。

用例
  • すべての良き詩は、強い感情の自然な溢れ出しである。……それは静けさのなかで思い起こされた情緒から生まれる。ウィリアム・ワーズワース『抒情歌謡集』第二版序(1800)/訳は本教材
    ロマン主義の詩論を一行で表した最も有名な言葉だが、後半まで読むと像がまるで変わる。前半だけなら感情のままに書けばよいと読める。ところが後半で「静けさのなかで思い起こされた」と条件がつく。溢れ出す当のその場では書けない。過ぎ去ってから、静かな場所で、もう一度呼び戻したものだけが詩になる。つまりロマン主義は感情の記録ではなく、感情の再構成を要求している。反合理主義に見えて、実は極めて意識的な作業である点が、この派を読み違えないための鍵だ。
  • 遂に新しき詩歌の時は来りぬ。……こゝに滋味ある清新の詩歌はおこりぬ。伝説はよみがへりぬ。自然はあらたなる色彩を帯びぬ。島崎藤村『若菜集』序(1897)
    日本のロマン主義が自分の到来を宣言した一節である。注目したいのは、「伝説はよみがへりぬ」が「新しき」と並んでいることだ。普通なら、新しさと伝説のよみがえりは逆を向く。ロマン主義ではこれが同じ方を向く — 合理化されて痩せた現在に対して、古いものが新しい力として現れるからだ。ヨーロッパのロマン主義が中世と民話を掘り起こしたのと同じ運動である。そして文語の格調で書かれていること自体が、近代の口語化に逆らいながら近代の詩を始めるというねじれを体現している。
  • ロマン主義は、啓蒙主義が捨てた感情・自然・民族・過去を拾い直すことで、近代の内側から近代を批判した。 「内側から」が肝である。ロマン主義は前近代への回帰ではない。近代が作った個人という単位を使って、その個人の感情を至上に置いた批判する側も同じ時代の産物であるという見取り図は、121 の反合理主義と同じだ。
  • ×二人の出会いは実にロマン主義的でした。 「ロマンチック」と混同している。評論語のロマン主義は十八世紀末から十九世紀にかけての芸術・思想の運動を指す。甘美さや情緒を言うなら「ロマンチック」「情緒的」同じ語根から運動の名と気分の名が別々に育ったので、書き分けを要する。
原書の反意語・関連語

反 リアリズム

派生形
  • ロマン[1]日本語で独自に育った語。「男のロマン」のように実利を離れた憧れを指す。語源はフランス語 roman(物語・小説)で、もとは「ロマンス語で書かれた通俗の物語」という形式の名にすぎなかった。
  • 浪漫主義ろうまんしゅぎ[5]夏目漱石らが用いた当て字。「浪」も「漫」もとりとめのなさを表す字で、音を借りながら意味も合わせた秀逸な訳字である。現代ではロマン主義と書くのが標準
  • ロマンチック[4]気分の側へ完全に移った形。評論語の運動名とは切り離して扱う。「ロマン主義的」なら運動の性格、「ロマンチック」なら情緒 — この一線を越えると文の格が崩れる
コロケーション
  • ロマン主義的自然観見方を名づけた語自然を征服の対象ではなく、感情を映し、人を癒し、畏敬を呼ぶものとして見る態度。1-2 の機械論的自然観の正確な裏返しである。注意したいのは、この自然もまた人間の感情を投影した自然だという点だ。征服するにせよ癒されるにせよ、自然は人間の側から意味を負わされている
  • 民族の精神ロマン主義が政治へ出る回路各民族には固有の魂が宿るという考え。ヘルダーに始まり、民謡や民話の収集を生んだ。ここが 126 のナショナリズムへの直通路になっている。文学の運動として始まったものが、「固有の魂には固有の国家が要る」という一段を挟んで政治になる。美学が政治に化ける道筋の代表例として押さえたい。
  • 無限への憧憬届かないことが要件の語ロマン主義の作品を貫く態度。重要なのは、到達してはいけないことだ。手に入れば有限になってしまう。憧れ続けている状態そのものが価値とされる。この構造は近代の消費が満たされない欲望を再生産し続ける仕組みと形が似ており、1-7 で再会する。
  • 近代批判としてのロマン主義位置づけの語この語がまとめとして便利なのは、ロマン主義の多様な現れを一本の線で貫けるからだ。中世趣味も、民話収集も、天才崇拝も、廃墟への愛も、合理化・均質化・世俗化に対する抵抗として読める。ばらばらの現象を一つの動機で束ねる読み方の練習になる。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • リアリズム現実をありのままに描く対語。写実主義。理想化を退ける。
  • 古典主義調和と規範を重んじるロマン主義が反発した先行様式。
  • 啓蒙主義理性の光を信じる☑135。ロマン主義はこれへの反動として起こった。
  • 感傷主義感情に浸る態度ロマン主義が陥りやすい形。批判語として使われる。

ENromanticism
ZH浪漫主义(ロマン主義, làngmàn zhǔyì)

啓蒙主義が価値の外へ置いたものを、ロマン主義が拾い直したことを示した図啓蒙主義が理性・普遍・進歩を掲げて外へ置いた感情・自然・民族・過去・夜を、ロマン主義が価値の中心へ運び戻したことを、二つの箱と往復する矢印で示す。 捨てられた側から、価値を組み直す啓蒙が中心に置いた理性普遍進歩その外に置かれた感情・想像力自然・民族過去・夜・廃墟ロマン主義が拾い上げたただし、これは前近代への回帰ではないロマン主義が至上に置いたのは近代が作り出したばかりの「個人の感情」だった批判する側もまた、同じ時代の産物であるそしてここから、民族の魂 → 民族の国家という一段を経て、07 のナショナリズムへ道が通じる
啓蒙が捨て、ロマン主義が拾う
Section 18

産業革命

137

産業革命さんぎょうかくめい

さんぎょうかくめい[5]中高型

語構成
産業ものを生み出す営みあらためる天のさだめ
定義

十八世紀後半のヨーロッパから始まる、産業社会を到来させた技術革新。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑137
原書の解説

中世では職人の手で製品がつくられていたが、産業革命の技術革新によって、機械を用いた工業化が進行した。

このことによって、産業資本家が経済の主導権を握るとともに、農村を離れた工場労働者が増加し、資本主義が急速に進展した。

人々は物質的な豊かさの享受を通して、科学技術の発展や歴史の進歩を実感するようになっていった。

使用の境界

機械と工場による生産体制への転換。十八世紀後半のイギリスに始まる社会全体の変化を指す。

用法

評論文で問われるのは技術の話ではなく、それが人と時間に何をしたかである。工場の時計に合わせて働くようになり、自然の周期に従っていた時間感覚が均質な時間に置き換わった(☑140)。労働は工程に分解され、作った物との結びつきが失われた(☑21 疎外)。都市に人が集まって村落共同体(☑124)が解体した。この三つの帰結を押さえておくと、多くの文章がつながる。

用例
  • イングランドの緑なす心地よき地に、あの暗き悪魔の工場が建てられたのか。ウィリアム・ブレイク『ミルトン』序詩(1808)/訳は本教材
    産業革命に同時代から向けられた最も鋭い一行である。「暗き悪魔の工場」という五文字ほどの句が強いのは、宗教の語彙を経済の対象に貼りつけたからだ。工場は効率の悪い施設としてではなく、魂を奪う場所として名指されている。さらに「緑なす心地よき」と対に置くことで、失われた側を先に見せてから加害の側を出すという順序が取られている。この一行はのちに賛美歌となり、労働運動の歌としても国民的な愛唱歌としても歌われた批判の言葉が国民の共有財産になるという珍しい経路をたどった句である。
  • 女工の日常は、実に牢獄の生活とその選ぶところがない。……彼女らは、ただ機械の一部として扱われているのである。細井和喜蔵『女工哀史』(1925)
    日本の産業革命の内側から書かれた記録である。著者自身が紡績工場の労働者で、妻も女工だった。注目したいのは「機械の一部」という言い方だ。苦しいとか可哀想だとは書かない。人がどう扱われているかの構造を一語で示す。1-2 の機械論が自然の見方だったのに対し、ここでは人間の扱い方になっている世界を部品の集まりと見る目は、人にも同じように向く。128 の「労働力の商品化」が抽象語であるのに対し、この一節はその抽象語が何を指しているかを見せてくれる
  • 産業革命は、生産の方法を変えただけでなく、人の時間の使い方そのものを組み替えた。 技術史ではなく生活史として捉えるのが評論文の読み筋である。日の出とともに働き日没とともにやめる暮らしから、時計が仕事の始まりと終わりを決める暮らしへ。140 の時間の均質化とここで直結する
  • ×スマートフォンの登場は第二の産業革命だ。 通じるが、比喩として使われていることに自覚が要る。産業革命は十八世紀後半のイギリスに始まる固有の歴史的事件を指す語である。大きな変化のたびにこの語を借りると、元の事件の輪郭が薄れる。評論文では「情報革命」など別の語を立てるほうがよい。
派生形
  • 産業さんぎょう[0]もとは「生業」に近い語だったが、近代に industry の訳語となって組織的な生産活動を指すようになった。「第一次・第二次・第三次産業」の分類はこの語が経済の全体を覆うようになった証拠である。
  • 工業こうぎょう[1]産業の一部門。原材料を加工して製品を作る産業を指す。「産業革命」を「工業革命」と訳さなかったことには意味がある — 変わったのは工業だけではなく、農業も交通も生活も同時に変わったからだ。
  • 産業化さんぎょうか[0]経済の外へも広がる語。「農業の産業化」「介護の産業化」のようにそれまで商品でなかった営みが市場に組み込まれることを指す。批判の語として使われることが多いのは、128 の「資本主義的」と同じ理由による。
コロケーション
  • 工業化過程を言う語産業革命が一回の事件を指すのに対し、工業化は各国で繰り返された過程を指す。この区別が要るのは、後発国の工業化がイギリスの産業革命とは違う形をとったからだ。国家が主導し、技術を輸入し、数十年で駆け抜ける — 119 の後発の近代化と同じ構図である。
  • 労働の疎外働き方を問う語働く者が自分の作ったものからも、働く行為そのものからも切り離されること。手仕事なら、作ったものに自分が現れている。分業と機械化のもとでは、自分が何を作っているのかさえ分からない。『女工哀史』の「機械の一部」はこの状態の描写である。
  • 都市への人口集中空間が変わる語産業革命の最も目に見える帰結。重要なのは、これが二重の切断だったことだ。農村を出るとは土地からの切断であり、同時に124 の共同体からの切断でもある。都市の孤独は産業革命の副産物ではなく、その労働力供給の条件だった
  • 産業革命の代償差引きの語生産力の飛躍と引き換えに支払われたもの。児童労働、公害、そして時間の私有の喪失。この語が有効なのは、豊かになったことを否定せずに批判できるからだ。119 の「近代化の代償」と同じ構文であり、近代を語る評論文の基本の型である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 近代化封建社会を脱する過程☑119。産業革命はその経済的な側面。
  • 工業化産業の中心が工業に移る経済の記述。産業革命は生活と社会構造の変化まで含む。
  • 資本主義利潤を追求して資本を増やす☑128。産業革命がその発展を決定づけた。
  • 技術革新新しい技術が生まれる出来事。産業革命はそれが社会を作り変えた事態を指す。

ENthe Industrial Revolution
ZH工业革命(産業革命, gōngyè gémìng)

日の出と日没に沿った一日と、時計に区切られた一日を上下に並べた図上段は日の出から日没まで、仕事の量と季節に応じて伸び縮みする一日。下段は始業と終業が時刻で決められ、季節にも仕事の中身にも影響されない一日。 一日を、何が区切るかBEFORE日の出日没仕事は日の高さに合わせる長さは季節で変わり、忙しさは仕事の中身で決まるAFTER労働時間八時十七時長さは一年じゅう同じで、仕事の中身とも無関係である時間で賃金を払うには、誰にとっても同じ長さの一時間が無ければならない21 の時間の均質化は、ここで賃労働の条件として要請される
日の時間から、時計の時間へ
Section 19

全体主義

138

全体主義ぜんたいしゅぎ

ぜんたいしゅぎ[0]平板型

語構成
全体すべて・まとまり主義立場
定義

個人の自由や権利よりも国家の利益を優先させる考え方。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑138
原書の解説

全体主義とは、「国家全体の利益のために、個人はすべてを捨てて国家に尽くすべき」という考え方である。

広い意味では、第二次世界大戦時のドイツ・イタリア・日本、戦後のソ連などの共産主義諸国がこれに当てはまる。

全体主義国家の特徴として、

などが挙げられる。

使用の境界

全体の利益のために個人を従属させる立場。強権的な支配一般ではなく、個人の否定という点に核がある。

用法

要点は上から押しつけられるだけではないという点にある。アレントが分析したように、全体主義は孤立した個人が全体への一体感を求めることによって支えられる。だから☑124 共同体の崩壊と☑123 個人の孤独が、そのまま全体主義の土壌になる。原書の入試文が「孤独ゆえに求められる共同体」を警戒するのも同じ理由である。民主主義の対極に置かれるが、民主主義から生まれうるという点が読解の急所になる。

用例
  • すべては国家のうちにあり、国家の外には何ものもなく、国家に反するものは何ものもない。ベニート・ムッソリーニ(1925年の演説)/訳は本教材
    全体主義が自分を定義した言葉である。批判ではなく自己紹介であることが重要だ。三つの句が内・外・反を順に塞いでいく構造に注意したい。「うちにある」で場所を、「外に何もない」で逃げ場を、「反するものはない」で反対する権利そのものを消している。専制と全体主義の差はここにある — 専制は服従を求めるが、全体主義は同意まで求める。黙って従うことすら「反するもの」に数えられてしまうのだ。123 の個人という単位が原理的に存在を許されない状態が、この一文に書かれている。
  • 戦争は平和である。自由は隷従である。無知は力である。ジョージ・オーウェル『一九八四年』(1949)/訳は本教材
    全体主義が言語に何をするかを示した三句である。これらは嘘ではない。嘘なら、正しい記述と突き合わせて反証できる。そうではなく、語と語の結びつきそのものを断ち切っているのだ。「自由」という語が「隷従」と等号で結ばれてしまえば、自由を求める言葉が作れなくなる。1-3 で見た言葉が世界を分節するという働きが、ここでは支配の技術として使われている。思想を取り締まるより、思想を組み立てる部品を壊すほうが早い — オーウェルの発見はここにある。
  • 全体主義は、公と私の境を消し、私生活の領域そのものを認めない点で、旧来の専制とは異なる。 専制との差を一点に絞るのが読解の要である。専制君主は税と服従を取れば寝室には関心がない。全体主義は誰と結婚し、何を読み、何を夢に見るかまで関心を持つ。123 の「個人の内面」という空間が接収されるのだ。
  • ×校則が厳しくて、うちの学校は全体主義的だ。 通じるが、語の重さに対象が釣り合っていない。評論語の全体主義は一党独裁・大衆動員・秘密警察・テロルを備えた二十世紀の体制を指す。管理の強さを言いたいなら「管理主義的」「画一的」強い語を安く使うと、いざ本物を指すときに言葉が効かなくなる
原書の反意語・関連語

反 個人主義

派生形
  • 全体ぜんたい[0]それ自体は中立の語。1-2 の全体論(ホーリズム)の「全体」と同じ字だが、向きがまるで違う。全体論は部分に還元できないと言うだけだが、全体主義は部分に価値を認めない同じ語から認識論と政治体制が分かれる
  • 全体主義的ぜんたいしゅぎてき[0]体制でないものに性格だけを言うための形。「全体主義的な傾向」なら体制でなくても使える「的」を付けることで断定を緩め、射程を広げる — 評論文で頻用される手続きである。
  • 権威主義けんいしゅぎ[5]混同されやすい隣の語。権威主義は政治的自由を奪うが、私生活にはあまり踏み込まない。全体主義は私生活もイデオロギーで満たそうとする沈黙が許されるかどうかが実際的な見分け方になる。
コロケーション
  • 大衆の動員全体主義の駆動輪全体主義が強制だけで動いていないことを示す語。行進も、集会も、参加した側に高揚を与えた。孤立した個人にとって「我々」に加わることは救いでもある — ここが全体主義の最も理解しにくく、最も重要な点だ。1-7 の大衆社会論はこの問いから始まる。
  • 画一化内側をそろえる語服装・言葉・思考を一様にすること。140 の均質化と同じ操作が人に向いた形である。注意したいのは、画一化は全体主義の専売ではないことだ。学校も工場も軍隊も、近代の組織はどれも画一化を必要とする程度の差か、質の差かが議論の分かれ目になる。
  • 全体主義の温床条件を問う語何がこの体制を生むのかという問い。答えとして繰り返し挙げられるのは共同体を失い、国家に直接向き合う孤立した個人である。中間集団がすり減った社会ほど全体主義に弱い。124 の共同体の解体が単なる喪失ではなく危険な空白でもあると言われる理由がここにある。
  • 日常のなかの全体主義射程を広げる語体制としては終わったが、その構えは残っていると見る言い方。空気を読むこと、異論を「和を乱す」と扱うこと、相互監視が自発的に働くこと。1-4 の 83 の世間とここで交差する。命令者のいない全体主義という論点が、現代の評論文では主流である。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 個人主義個人の自由と自立を重んじる対語。何を単位に置くかで分かれる。
  • 独裁一人または少数が権力を握る権力の集中を言う。全体主義は人々の自発的な動員を含む。
  • ファシズム二十世紀の全体主義的な運動歴史上の具体形。全体主義はより一般的な概念。
  • 民主主義国民が主権をもつ☑127。対極とされるが、多数の名において全体主義が生じうる点が問題になる。

ENtotalitarianism
ZH极权主义(全体主義, jíquán zhǔyì)

全体主義が生まれる土壌共同体の崩壊によって孤立した個人が全体への一体感を求め、全体主義が支えられる流れを示した図。 共同体の崩壊 個人の孤立と不安 一体感を求める 全体主義 自発的に 動員される 上から押しつけられるだけではない。孤独が下から支えている。 民主主義の対極にありながら、民主主義から生まれうる
全体主義が生まれる土壌
Section 20

アナキズム

139

アナキズム

アナキズム[3]中高型

定義

国家や法などの一切の社会的権力を否定して、個人の自由や独立を重視する考え方。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑139
原書の解説

無政府主義ともよばれる政治思想の一つ。

近代になり、社会主義思想とともに台頭してきた。

明治末から大正時代にかけての日本では、アナキズムは一時、マルクス主義(=資本を社会共有の財産として、階級のない社会の実現を望む考え方)をしのぐほどの勢いがあった。

近年でも、「他者の自由を侵害しない限り個人の自由を尊重する」という考え方のリバタリアニズムの動きとも連動し、再び注目されている。

ただし、リバタリアニズムには、

という側面もある。

一方、アナキズムは、グローバリズム(=世界を一つの共同体と考えて、環境問題・食料問題などを解決しようとする考え方)に反対する動きであるアンチグローバリズムとも関係している。

使用の境界

国家などの権力による支配を否定し、個人の自由な結びつきを目指す立場。無秩序を望むことではない。

用法

語源は「支配者がいない」であって「秩序がない」ではない。この一点が誤解の源になる。アナキズムは、国家という強制装置がなくても人々は自発的に秩序をつくれると考える立場であり、☑6 混沌を望んでいるのではない。評論文では、国家や制度を自明の前提としない視点を示す語として現れる。日常語の「アナーキー」は〈無秩序で混乱した〉の意で使われるので、こちらと読み分ける。

用例
  • 所有、それは盗みである。ピエール=ジョゼフ・プルードン『所有とは何か』(1840)/訳は本教材
    四語で成り立つ、思想史上もっとも効率のよい挑発である。巧みなのは、盗みという概念が所有を前提にしていることだ。所有がなければ、盗みという語自体が成り立たない。つまりこの一句は所有を、所有の語彙で否定している — 自分の足元を自分で崩す形になっている。マルクスはこれを論理として不整合だと批判したが、不整合であることがこの句の力であるとも言える。読む者は一瞬立ち止まり、所有という語が何を前提にしていたかを考えざるをえない。122 のルソーの「囲い」と同じ場所を、別の手つきで撃っている。
  • 動物界における相互扶助は、相互闘争と少なくとも同じ程度に広く行われている。……最も適したものとは、肉体的に最も強いものでも最も狡猾なものでもなく、互いに支え合うことを学んだものである。ピョートル・クロポトキン『相互扶助論』(1902)/訳は本教材
    アナキズムを倫理ではなく自然誌の上に建てようとした一節である。当時、進化論は競争と適者生存の名で資本主義と帝国主義を正当化する道具になっていた。クロポトキンはその同じ進化論の内側から別のデータを出した — 協力する種のほうが生き残っている、と。議論の運びとして学ぶべきは、相手の土俵を降りずに結論を逆転させた点だ。「自然に反する」と言えば負けを認めることになる。「それは自然の一面しか見ていない」と言えば、同じ武器が使える
  • アナキズムは、無秩序を望むのではなく、支配のない秩序が可能だと考える立場である。 誤解を先に潰す定型である。ギリシア語 an-arkhē は「支配者がいない」であって「秩序がない」ではない。相互扶助・自治・連合という別の秩序の設計を持っている点で、132 のニヒリズムとはまったく違う。
  • ×規則を無視して好き勝手にやる、アナキズムな奴だ。 「アナーキー」と混同している。日常語の「アナーキー」は無秩序・混乱の意で、アナキズムという思想の名とは別である。身勝手さを言いたいなら「無軌道」「自分勝手」思想の名を性格の悪さの言い換えに使うと、その思想が何を主張したかが永久に読めなくなる
派生形
  • アナーキー[1]状態を指す語。日本語ではほぼ無秩序・混乱の意で使われ、否定的。思想の名としてのアナキズムとは切り離して覚える
  • 無政府主義むせいふしゅぎ[5]明治期からの訳語。「無政府」の字面が混乱を連想させるため、当事者はこの訳を嫌うことが多い。訳語が思想の受け取られ方を決めてしまった例として、133 の「功利」と並べて覚えたい。
  • アナキスト[4]担い手を指す語。日本では大杉栄・伊藤野枝らが知られる。暴力的な人物像が広まっているが、思想としては非暴力の系譜も太い代表的なイメージがその思想の全体だと思い込まないのが、評論文を読む基本である。
コロケーション
  • 相互扶助アナキズムの土台支配なしに秩序が成り立つと言うためには、人が命令なしに助け合えることを示さねばならない。クロポトキンが動物と中世都市の事例を積み上げたのはそのためだ。思想の主張は、たいてい人間観の主張に支えられている — その土台を探す読み方の練習になる。
  • 国家の廃絶目標としての語アナキズムと社会主義を分ける一点。マルクス主義はまず国家を握り、そのあと国家が死滅すると考えた。アナキズムは握った瞬間に手放せなくなると見た。二十世紀の歴史はどちらの予測に軍配を上げたか — この問いは評論文で繰り返し立てられる。
  • 自主管理実際の形工場や地域を、そこで働き暮らす者が自分たちで運営すること。この語が要るのは、アナキズムが否定だけの思想ではないと示すためだ。協同組合、スペイン内戦下の集産化、現代のコモンズ論まで、実装の系譜がある
  • アナルコ・サンディカリスム労働運動と結ぶ語労働組合を新しい社会の骨組みそのものと見る立場。政党を経由せず、ゼネストで社会を組み替えると考えた。日本では大杉栄らがこの線に立ち、議会主義との対立が大正期の運動を割った。手段の違いが運動を分ける典型例である。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 無政府主義訳語国家を否定する点を明示した訳。混乱を望むという誤解を招きやすい。
  • 混沌区別が立たない状態☑6。アナキズムは秩序を否定しない。自発的な秩序を求める。
  • 自由主義国家の介入を抑える国家自体は認める。アナキズムは国家そのものを否定する。
  • 社会主義生産手段を共有する☑129。国家による統制を認める点で分かれる。

ENanarchism
ZH无政府主义(無政府主義, wúzhèngfǔ zhǔyì)

国家を維持する・国家を握ってから死滅させる・国家を経由しないという三つの構えを並べた図自由主義は国家を最小限に保ち、マルクス主義は国家を握ってからやがて死滅させると考え、アナキズムは国家を経由せずに相互扶助と自治で秩序を作ろうとする。三本の道筋を横並びの矢印で示す。 国家を、通るか通らないか自由主義国家国家は残す。ただし小さく保つマルクス主義国家まず握る。やがて死滅する ── はずだったアナキズム国家経由しない。相互扶助と自治で直接つなぐ握った瞬間に手放せなくなる ── これがアナキズムの予測だった無秩序を望むのではない。支配のない秩序を設計するan-arkhē = 支配者がいない。「秩序がない」とは書かれていない
国家をめぐる三つの構え
Section 21

時間・空間の均質化

140

時間・空間の均質化じかん・くうかんのきんしつか

じかん・くうかんのきんしつか[0]平板型

語構成
ひとしいなかみそうなる
定義

時間や空間が、客観的に測定可能なものとなること。

『現代文キーワード読解』1-1 ☑140
原書の解説

近代は、多くのものが均質化していく時代だった。

たとえば人が生きる空間は、記憶や愛着などによって意味づけされるものだ。

しかし、デカルトが発明した座標軸という考え方は、空間からそうした意味をはぎ取って、数値として表現することが可能な機械的・抽象的な空間概念を定着させた。

時間についても、近代以前は「円環時間」とよばれる自然のリズムをベースにした時間意識を人々はもっていたが、機械時計の出現によって、主体的な時間感覚や、季節・場所に関わりのない人工的で平等な時間意識がもたらされた。

このような時間と空間の均質化は、人々の労働のあり方も根本的に変えていった。

たとえば、客観的な時間は、貨幣によっても換算され、人々の労働は時間をモノサシとした賃金労働へと変わっていく。

また、均質的な空間概念は、自然を利用可能な空間としてとらえ、人間の都合に合わせて自然を支配する意識へとつながっていった。

使用の境界

場所ごと・時期ごとの固有の意味が失われ、どこも同じ、いつも同じとして扱われるようになること。

用法

近代批判の中核をなす語である。近代以前、時間は季節と祭りによって質が違い、空間は聖と俗、内と外で意味が違った。近代はそれをどこでも同じ一時間、どこでも同じ一メートルに置き換えた。これによって測定・比較・管理が可能になり、鉄道と工場と国民国家が成り立った。失われたのは場所の固有性と時間の厚みである。☑137 産業革命・☑42 機械論・☑9 対象化と一本の線でつながる。

用例
  • 我々は持続を空間に投影し、継起を並置の形で表現する。そのとき持続は、我々にとって等質的な媒質という形をとる。アンリ・ベルクソン『時間と自由』(1889)/訳は本教材
    均質な時間がどのように作られるかを説明した一節である。ベルクソンによれば、本当に生きられている時間(持続)は均質ではない。退屈な一時間と夢中の一時間は同じ長さではない。ではなぜ我々は時間を等しい目盛りで数えられるのか — 時間を空間に置き換えているからだ。時計の文字盤は時間を円周上の距離に翻訳する装置である。均質な時間とは、空間化された時間のことだというこの指摘が、140 という語の芯にある。便利さの代償として生きられた濃淡が目盛りから落ちる
  • 月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。……予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず。松尾芭蕉『おくのほそ道』冒頭(1702)
    均質化される前の時間と空間がどんなものだったかを見せてくれる一節である。月日は目盛りではなく旅人だ。過ぎていくのではなく、訪れて去っていく。空間も同じで、この紀行に出てくる土地は座標ではなく、歌枕として意味を帯びた場所である。白河の関を越えることは何キロ移動することではなく、別の意味の圏に入ることだった。140 の均質化とは、この「場所」を「地点」に、この「時節」を「時刻」に変える操作である。芭蕉の一行がいまも人を打つのは、我々が失ったものの見本として読めてしまうからでもある。
  • 標準時の制定と地図の測量によって、時間・空間の均質化は国家の事業として完成した。 均質化が自然に起きたのではなく施行されたことを押さえておきたい。日本標準時は一八八八年、鉄道と電信が各地の時刻を一つに揃えることを要求した。125 の国民国家が国民を均質化したのと同じ手つきである。
  • ×どの部屋も同じ広さにして、空間を均質化した。 通じるが、物理的な配置の話に概念語を使っている。評論語の 140 は場所ごとの意味や質の差が消え、どこも交換可能な等しい単位になるという事態を指す。部屋の広さを揃えるだけなら「統一する」「そろえる」で足りる。
派生形
  • 均質きんしつ[0]どこを取っても同じ性質であること。「等質」とほぼ同義だが、「等質」は数学・物理で、「均質」は社会や物質で使われやすい。反対は「不均質」「異質」。
  • 均質化きんしつか[0]過程を言う語。注意したいのは、「平等化」とは違うことだ。平等化は格差を減らすという価値を含むが、均質化は差そのものを消す格差は残したまま均質化は進みうる
  • 画一かくいつ[0]人や制度に向いた語。「画一的な教育」のように否定的に使うのが普通。均質化が中立に過程を述べるのに対し、画一はすでに批判が入っている同じ事態をどちらの語で書くかで、文章の立場が決まる
コロケーション
  • 抽象的な空間場所を失った空間意味を剥ぎ取られ、座標だけになった空間。「場所」との対で使う。場所には思い出も名前も祭りもあるが、空間には面積と用途地域しかない土地を売り買いできるようにするには、まず場所を空間に変えなければならない — 122 の私的所有とここでつながる。
  • 時計の時間身体から離れた時間日の高さや腹の空き具合ではなく、外部の装置が示す数値に生活を合わせること。注目したいのは、これが賃労働の条件だという点だ。時間で賃金を払うには、誰にとっても同じ長さの一時間が存在しなければならない。137 の産業革命がこの時間を必要とした。
  • どこも同じ風景均質化の見える形駅前のどこにでもある店の並び。この現象が示すのは、均質化が強制ではなく効率の結果として進むことだ。誰も「同じにせよ」と命じていない。同じ設計がどこでも最も安いから同じになる意図なき均質化こそが現代の姿である。
  • 均質化への抵抗逆向きの運動地域の固有性を取り戻そうとする動き。ここで注意したいのは、取り戻された固有性がしばしば商品になることだ。「その土地らしさ」が観光資源として整えられるとき、抵抗が均質化の一形態に回収される。1-7 でこの循環をもう一度扱う。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 画一化すべて同じ形にそろえる結果の記述。均質化は意味の差が消える過程を言う。
  • 抽象化共通する性質を抜き出す☑4。均質化は空間と時間に対して行われた抽象化だと言える。
  • 合理化筋道と効率で整える☑12。均質化はその前提条件になる。測れなければ管理できない。
  • グローバル化世界が一つに結ばれる現代の現象。均質化はその基盤となった変化。

ENhomogenisation of time and space
ZH时空的均质化(時空の均質化, shíkōng de jūnzhìhuà)

時間・空間の均質化質の異なっていた時間と空間が、どこでも同じ単位に置き換えられた過程を示した図。 近代以前 ── 質が違う 祭りの時日常農繁期 時間ごとに意味が違った 聖なる地むらの内むらの外 場所ごとに意味が違った 均質化 近代 ── どこも同じ、いつも同じ 測れるようになった代わりに、場所の固有性と時間の厚みが失われた
質の違いが、単位に置き換わった
Meta — 俯瞰

二十二語を上から見る

この章の語は、近代を成り立たせた側と、近代を批判する側に分かれて置かれている。対立の軸と、語の格を一枚ずつ図にしておく。

本章の対立の軸一覧本章に現れる対立語のペアと、それを分ける軸を並べた一覧図。 PAIR AXIS 個人 共同体 人を定義するのは何か 評論文は対立で動く ── 軸が分かれば片方から他方が読める
本章に現れる対立と、それを分ける軸
格による22語の分布硬・学術、硬、中の三段階に本章の22語を振り分けた図。 硬・学術 5 近代合理主義 国民国家 功利主義 フェティシズム 時間・空間の均質化 5 世俗化 ニヒリズム 啓蒙主義 全体主義 アナキズム 12 近代化 個人 共同体 ナショナリズム 民主主義 資本主義 社会主義 ヒューマニズム 中世 ロマン主義 産業革命 語は意味ではなく格で選ぶ
格による二十二語の分布

硬・学術に属する語は、会話で使うと不自然に響く。中に属する語は両方で使える。この区別は意味の理解とは別の層にあり、書く段階で効いてくる。

Output

産出

やるなら ── 自分の関心領域から一つ選び、次のいずれかを一段落で書く。

  • 自分の一日から、均質化されていない時間を一つ探して書く
  • 自分の関心領域が近代の何を前提にしているかを一つ挙げ、それが外れたらどうなるかを書く
Blank

近代を批判するために使われている語も、ほとんどが近代がつくったものである。では、その外から語ることはできるのか。