身体
しんたい[1]頭高型
生きて働いているものとしてのからだ。物体として扱えば「肉体」に近づき、生きられているものとして扱えば身体になる。
評論文の「身体」は、単なる「からだ」ではなく近代批判の語として置かれる。デカルト以来、身体は精神の器・物質として軽視されてきた。二十世紀の身体論はそこを反転させ、身体を世界と接する経路として捉え直す。読解の急所は、日本語の「身」が心とも人間関係とも通じる語であるのに対し、「身体」は西洋語の訳語として物体の側に引かれてきたという二重性にある。入試文はこの点をそのまま論じている。
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私は肉体の詩人であり、また魂の詩人である。……もし肉体が人間でないとするなら、魂とは何なのか。ウォルト・ホイットマン『草の葉』「わたし自身の歌」(1855)/訳は本教材
心身二元論への最も短い反論である。仕掛けは問いの形にある。「肉体も大事だ」と主張するのではない。肉体を人間から外したら、魂の側も定義できなくなると言っている。魂は肉体との対でしか意味を持たないからだ。この構えは 1-5 の 91 の心身二元論を内側から崩す。デカルトは二つに分けたが、分けたあとで一方だけを取り出せるとは言っていない。ホイットマンはその取り出しの不可能を一行の問いで突いた。なお「詩人である」と二度名乗る形も効いている — 並べることでどちらも捨てないと示している。 -
身体は大いなる理性である。……我が兄弟よ、汝が「精神」と呼ぶあの小さな理性もまた、汝の身体の道具にすぎない。フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』「身体の軽蔑者について」(1883)/訳は本教材
心と身体の上下を正面から引っくり返した一節である。仕掛けは「理性」という語の取り合いにある。理性は本来精神の側の看板だ。ニーチェはその看板を身体の側へ持っていく。身体こそが大いなる理性であり、精神はその道具にすぎない、と。なぜそう言えるのか — 意識に上るのは身体でなされている膨大な調整のごく一部だけだからだ。心臓も消化も免疫も、考えなくても整えられている。1-5 の 91 の心身二元論が精神を上に置いたのに対し、ここでは順位が逆転する。ただし注意したい — 上下を入れ替えただけでは二元論は残る。02 の相関で見るとおり、この主題の要は順位ではなく分けたこと自体にある。 - 身体は、自分のものでありながら自分の思い通りにはならない。 この主題の出発点である。所有はしているが支配はしていない。心臓は止められず、眠りは命令できない。所有と支配のずれが、07 の所有と 08 の随意でそれぞれ扱われる。
- ×毎朝走って身体を鍛えている。 通じるが、「体」「からだ」のほうが自然である。評論語の身体は心との対で立てられる概念語で、運動や健康の対象としての肉体を指す語ではない。「体」に置き換えて意味が変わらないなら、そこに身体は要らない — 2-1 の 01 で見た他者/他人と同じ見分け方が使える。
- 肉体[0]物質としての側面を強く出す語。「肉体労働」「肉体的な疲労」。身体が心との関係のなかで立てられるのに対し、肉体は精神の反対物として置かれる。二元論の内側の語である。
- 身体的[0]形容動詞形。「身体的な接触」のように使う。注意したいのは、「肉体的」より中立である点だ。肉体的には性的・労働的な含みが付きやすいが、身体的にはそれが無い。
- 生身[0]和語の言い方。代替のきかない、傷つく身体を指す。「生身の人間」と言えば抽象化を拒む宣言になる。評論文では制度や数値に対して個別の身体を対置するときに使われる。
- 身体性性質だけを抜く語身体という実体ではなく、身体をもつことに由来する性質。この語が要るのは、思考にも言葉にも身体の痕跡があると言いたいときだ。「腑に落ちる」「手に負えない」— 抽象的なことを言う語彙が身体から来ている。1-3 のメタファーがここに根を持つ。
- 身体を通した理解知の別の道説明されて分かるのではなく、できるようになって分かること。自転車の乗り方は言葉では伝わらない。この結びつきが評論文で重いのは、近代の知が言語化できるものだけを知として数えてきたからだ。1-6 の 121 の近代合理主義が取りこぼした側が、ここにある。
- 身体の物象化批判の語身体が部品や資源として扱われること。医療でも労働でも身体は数値に置き換えられる。1-6 の 133 の物神性が自分の身体に及んだ形で、持ち主である当人までが自分の身体を管理対象として見るようになる。
- 身体感覚測れないものを指す語自分の内側から感じられる身体の状態。この語が便利なのは、外から観察できる身体と区別できるからだ。体温計の数字とだるさは別のものだ。この二つが食い違うとき、どちらを本当とするか — 身体論の問いはここに集まる。
書き言葉・会話の両方で使える。
- 肉体物質としてのからだ精神と対立させて置く語。魂の器という含みが強い。身体は経験する主体としての側面を含む。
- 身からだ・我が身訓読み。日本語では「身に沁む」のように心にも通じ、人間関係の位置も表す。物体の意はほとんどない。
- 物体空間を占める物☑9 対象化の対象。近代はこの側から身体を捉えた。
- 生身生きているからだ傷つきやすさを含意する。身体は中立で学術的。
ENbody
ZH身体(身体, shēntǐ)