Theme 2-4

政治せいじ論ろん

[ 原げん書しょ 第だい2部ぶ テーマ編へん 2-4 ]

加筆かひつ語彙ごい 12 / Key Point 1 / 図版ずはん 9

Macro — 論ろんの流ながれ

二ふたつの原理げんりが、たえず引ひき合あっている

政治論の地図政治の定義から自由主義・民主主義の二つの原理を経て、現代政治の動きと諸潮流へ至る流れを示した図。 政治とは 為政者が制度を通じて社会に秩序を与える 自由主義 個人の自由を尊重する 行きすぎれば無政府状態へ 民主主義 国民の意思を尊重する 行きすぎれば衆愚政治・全体主義へ 現代政治の動き 冷戦の終結 → 新自由主義の隆盛 → 格差社会 現代政治のさまざまな潮流 保守主義自由至上主義 共同体主義原理主義 自由主義と民主主義は別の原理である。どちらも、行きすぎれば別のものに変わる。 この二本の緊張が、政治論の骨格をつくる
政治せいじの定義ていぎから、二ふたつの原理げんり、現代げんだいの潮流ちょうりゅうへ

この主題しゅだいの骨格こっかくは自由じゆう主義しゅぎと民みん主しゅ主義しゅぎの緊張きんちょうにある。二ふたつはセットで語かたられやすいが、別べつの原理げんりである。自由じゆう主義しゅぎが守まもるのは個人こじん、民みん主しゅ主義しゅぎが尊重そんちょうするのは全体ぜんたいの意思いしで、両者りょうしゃはしばしば衝突しょうとつする。そしてどちらも、単独たんどくで行いきすぎれば自みずからを裏切うらぎる。自由じゆう主義しゅぎは無む政府せいふ状態じょうたいへ、民みん主しゅ主義しゅぎは衆愚しゅうぐ政治せいじやポピュリズム、全体ぜんたい主義しゅぎへ傾かたむく。

現代げんだいの局面きょくめんはここに冷戦れいせんの終結しゅうけつが重かさなる。対立たいりつする相手あいてを失うしなった資本しほん主義しゅぎが新しん自由じゆう主義しゅぎとして純化じゅんかし、格差かくさ社会しゃかいを生うんだ。その反はん動どうとしてナショナリズムと原理げんり主義しゅぎが力ちからを得える一方いっぽう、公共こうきょう性せいを組くみ直ちょくそうとする試こころみも現あらわれている。

原げん書しょの本文ほんぶん

三みっつの段階だんかい

政治せいじとは何なにか

政治せいじは、人々ひとびとが集団しゅうだん社会しゃかいで円滑えんかつに生活せいかつする時ときに必要ひつようとなるものである。集団しゅうだん社会しゃかいをよりよくするための方法ほうほうや、そもそも何なにがよいことなのかを決きめていくのだ。

一方いっぽうで政治せいじは、集団しゅうだん内外ないがいの多おおくの人々ひとびとを現実げんじつに動うごかすことでもある。政治せいじは、哲学てつがくや芸術げいじゅつのように、黙だまって思考しこうを繰くり返かえしたり自己じこ表現ひょうげんをしたりすることではなく、あくまでも現実的げんじつてきな効果こうかや利益りえきを集団しゅうだんにもたらすことを使命しめいとする。そのため、政治せいじとは〈友とも〉と〈敵てき〉とを区別くべつすることだと主張しゅちょうする哲学者てつがくしゃもいる。〈友とも〉には十分じゅうぶんな恩恵おんけいを与あたえ、〈敵てき〉に対たいしては排除はいじょや攻撃こうげき、支配しはいをする。そして、この時ときに必要ひつようになるのが権力けんりょくだ。

政治せいじは、為い政せい者しゃが司法しほう・立法りっぽう・行政ぎょうせいの機関きかんを通つうじて社会しゃかいに秩序ちつじょを与あたえ、法律ほうりつなどのさまざまな制度せいどを設もうける。また、このような秩序ちつじょや制度せいどを人々ひとびとに納得なっとくしてもらうために、為い政せい者しゃは、人々ひとびとの自由じゆう・平等びょうどう、人権じんけんに関かんする政治的せいじてき態度たいどを示しめすイデオロギーを主張しゅちょうする。

自由じゆう主義しゅぎ・民みん主しゅ主義しゅぎ

近代きんだいにおいて、人々ひとびとに支持しじされたイデオロギーといえば、自由じゆう主義しゅぎ・民みん主しゅ主義しゅぎだろう。自由じゆう主義しゅぎは国家こっかの干渉かんしょうを遠とおざけ、個人こじんの自由じゆうを尊重そんちょうし、思想しそうや言げん論ろん、信しん教きょうの自由じゆうを求もとめる。経済的けいざいてきにも私有しゆう財産ざいさんを保護ほごし、市場しじょうでの取引とりひきの自由じゆうを求もとめるものだ。

一方いっぽうで民みん主しゅ主義しゅぎは、国民こくみんの同どう質しつ性せいや平等びょうどうを前提ぜんていとし、国民こくみんが集団しゅうだんの意思決定いしけっていに参加さんかし、その決定けっていが多数決たすうけつで行おこなわれる。

こう考かんがえると、自由じゆう主義しゅぎと民みん主しゅ主義しゅぎとをセットにして考かんがえても矛盾むじゅんはなさそうだが、実じつは両者りょうしゃは必かならずしも調和ちょうわするものではない。自由じゆう主義しゅぎが個人こじんの意思いしを尊重そんちょうするのに対たいして、民みん主しゅ主義しゅぎは、民衆みんしゅう=国民こくみんを権力けんりょくの中心ちゅうしんにする面めんをもっているからだ。

すなわち、自由じゆう主義しゅぎは個人こじん主義しゅぎやアナキズム(無む政府せいふ主義しゅぎ)に近ちかづくが、民みん主しゅ主義しゅぎは衆愚しゅうぐ政治せいじ(≒「知識ちしきや判断力はんだんりょくの乏とぼしい民衆みんしゅうが無定見むていけん的てきに行おこなう政治せいじ」)やポピュリズム(≒「大衆たいしゅうを誘導ゆうどうして為い政せい者しゃが権力けんりょくを保持ほじしようとする態度たいど」)、さらには全体ぜんたい主義しゅぎ(≒「個人こじんは国家こっかを構成こうせいする一部いちぶ分ぶんだとして、個人こじんより国家こっか全体ぜんたいの利益りえきを尊重そんちょうする考かんがえ」)に近ちかづく面めんがあることになる。入試にゅうしでも、民みん主しゅ主義しゅぎのこうした危険きけん性せいを指摘してきする文章ぶんしょうが見みられる。

自由主義と民主主義の緊張個人の自由を守る自由主義と、国民の意思を尊重する民主主義が、それぞれ行きすぎた場合に転落する先を示した図。 自由主義 国家の干渉を遠ざける 守るのは ── 個人 民主主義 国民の意思を尊重する 守るのは ── 全体 別の原理 行きすぎると 無政府状態 衆愚政治 全体主義 二つは似ているようで別の原理である。個人を守ることと、多数の意思に従うことは、しばしば衝突する。 どちらも、単独で行きすぎれば自らを裏切る
自由じゆう主義しゅぎと民みん主しゅ主義しゅぎの緊張きんちょう

現代げんだい政治せいじの動うごき

第だい二次にじ世界せかい大戦たいせん終了しゅうりょう後ご、アメリカを代表だいひょうとする資本しほん主義しゅぎ陣営じんえい(西にし側がわ)とソ連れんを代表だいひょうとする社会しゃかい主義しゅぎ陣営じんえい(東ひがし側がわ)とはイデオロギー的てきな対立たいりつを深ふかめ(冷戦れいせん)、対立たいりつの終結しゅうけつ後ごは、資本しほん主義しゅぎが経済けいざいモデルの代表だいひょうとなった。

これ以降いこう、人間にんげんの平等びょうどうや生存せいぞんの権利けんりを始はじめとした社会しゃかい主義しゅぎ的てきな要請ようせいを気きにせずに、人々ひとびとの自由じゆうな利潤りじゅん追求ついきゅうが許ゆるされるべきだという主張しゅちょうが説得力せっとくりょくをもつようになる。こうした主張しゅちょうは、経済的けいざいてきには市場しじょう原理げんり主義しゅぎ、政治的せいじてきには新しん自由じゆう主義しゅぎ(ネオリベラリズム)とよばれている。新しん自由じゆう主義しゅぎは、政府せいふ(大おおきな政府せいふ)による社会しゃかい保障ほしょうや再分配さいぶんぱいを重視じゅうしする自由じゆう主義しゅぎ(リベラリズム)と異ことなり、政府せいふを最小さいしょうにして、企業きぎょうや個人こじんの自由じゆう競争きょうそうを促うながそうとするものだ。「大おおきな政府せいふから小ちいさな政府せいふへ」という言葉ことばも生うまれている。

一方いっぽう、国境こっきょうを越こえた資本しほんの動うごきや情報じょうほう化か社会しゃかいの隆盛りゅうせいに伴ともない、グローバル化かの時代じだいに突入とつにゅうしている。それは世界的せかいてきな規模きぼでの文化ぶんかや技術ぎじゅつの発展はってんを促うながす反面はんめん、民族みんぞく・国家こっか・地域ちいきの独自どくじ性せいを奪うばうことにもつながる。今日きょう、こうしたグローバリズムに最もっとも先鋭せんえい的てきに対立たいりつするのはイスラム原理げんり主義しゅぎであろうが、従来じゅうらいの国民こくみん国家こっかにおけるナショナリズムの動うごきも活発化かっぱつかしてきた。日本にほんと韓国かんこく・中国ちゅうごくとの関係かんけい、ロシアとウクライナとの関係かんけい、あるいはイギリスからのスコットランドの独立どくりつの動うごきなども、グローバル化かとは正反対せいはんたいの様相ようそうを示しめしている。

ただし、現代げんだいのナショナリズムには、戦前せんぜんの日本にほんとアメリカとの対立たいりつのような、国家こっか規模きぼでの衝突しょうとつという印象いんしょうはない。権力けんりょくが、国家こっかという規模きぼに収束しゅうそくせずに分散ぶんさんする様子ようすも見みられるだろう。

冷戦の終結から格差社会へ資本主義と社会主義の対立が終わり、資本主義の一極化を経て新自由主義が隆盛し格差社会に至る流れを示した図。 冷戦期 資本主義 社会主義 対立 終結 資本主義の一極化 新自由主義の隆盛 格差社会 新自由主義がしたこと 政府の役割を最小にする 民営化・規制緩和・自由競争 再分配の縮小 「大きな政府から小さな政府へ」 対立する相手がいなくなったことが、一つの原理を強めた
冷戦れいせんの終結しゅうけつから格差かくさ社会しゃかいへ
大きな政府と小さな政府再分配を重視する自由主義と、自由競争に委ねる新自由主義を、政府の役割の大きさで対比した図。 自由主義(リベラリズム) 大きな政府 社会保障・再分配 結果の不平等を補正する 個人の自由は制度に支えられる 新自由主義(ネオリベラリズム) 小さな政府 市場・企業・個人の自由競争 結果は競争に委ねる 個人の自由は競争の自由になる どちらも「自由」を掲げるが、再分配をするかどうかで正反対になる
大おおきな政府せいふと小ちいさな政府せいふ
グローバル化とその反動国境を越える動きが民族や地域の独自性を脅かし、その反動としてナショナリズムと原理主義が強まる構造を示した図。 グローバル化 民族や地域の独自性が奪われる ナショナリズム 原理主義 反動として力を得る 最も先鋭的に対立するのがイスラム原理主義 原理主義は前近代の残存ではない。近代が生んだ現象である。
グローバル化かとその反はん動どう
Key Point

要点ようてん

Key Point 1 ── 「公共こうきょう性せい」などの新あたらしい視点してん

世界的せかいてきな金融きんゆう危機ききや東日本大震災ひがしにほんだいしんさいを契機けいきに、新しん自由じゆう主義しゅぎの隆盛りゅうせいとそれに伴ともなう格差かくさ社会しゃかいに抵抗ていこうする意見いけんが多おおくなってきた。個人こじんの自由じゆうよりも、人々ひとびとの絆きずなが重おもんじられてきたとも言いえよう。その動うごきの一ひとつに、「公共こうきょう性せい」の見直みなおしが挙あげられる。

学校がっこう・図書館としょかん・公園こうえんなどは公共こうきょうの施設しせつ、国くにや地方ちほう公共こうきょう団体だんたいが行おこなう事業じぎょうは公共こうきょう事業じぎょうとよばれる。現代げんだいでは、こうした公的こうてきなもの(公共こうきょう圏けん)への関心かんしんが、家族かぞくや友人ゆうじんなどの私的してきなもの(親密しんみつ圏けん)に比くらべて薄うすれてきたが、再ふたたび公共こうきょう性せいを重視じゅうしすべきだという主張しゅちょうがされている。そして、この公共こうきょう性せいに対たいしては、国くにや地方ちほう公共こうきょう団体だんたいだけの問題もんだいとするのではなく、市民しみん自身じしんの介入かいにゅうも必要ひつようだというのである。

また、住居じゅうきょや車くるまを共有きょうゆう(シェア)しようとする運動うんどうや、開発かいはつしたソフトウェアを人々ひとびとに公開こうかいし改良かいりょうしてもらうという「オープンソース」の発想はっそうもある。

他ほかにも、地球ちきゅう環境かんきょう問題もんだいが叫さけばれている今日きょう、地球ちきゅうは一種いっしゅの共有きょうゆう財産ざいさんだが、これを個人こじんの私利私欲しりしよくによる利用りように任にんせると環境かんきょうの悪化あっかをもたらすので、共同きょうどうで管理かんりをしようとする「コモンズ」という考かんがえや、非ひ正規せいき雇用こよう・失しつ業ぎょうの増大ぞうだいのような労働ろうどう環境かんきょうの変化へんかに伴ともなう、新あたらしい社会しゃかい保障ほしょう対策たいさくである「ベーシックインカム(≒政府せいふが国民こくみんに、最低限さいていげんの生活せいかつを送おくるのに必要ひつような金額きんがくを無条件むじょうけんで支給しきゅうするという政策せいさく)」など、従来じゅうらいとは異ことなる動うごきも見みられる。

公共圏と親密圏、そして新しい試み公共圏への関心が薄れ親密圏に集中する現状と、共同管理による新しい公共性の試みを示した図。 公共圏 親密圏 家族・友人 関心が親密圏に集中する 公共圏への関心が薄れる 新しい公共性の試み シェアオープンソース コモンズベーシックインカム 私有でも国有でもない第三の道 共同で持ち、共同で管理する 地球という共有財産をどう守るか 個人の私利私欲に任せない仕組みを、どう設計するか
公共こうきょう圏けんと親密しんみつ圏けん、そして新あたらしい試こころみ
Terms — 本ほんサイトによる加筆かひつ

この主題しゅだいを読よむための十二じゅうに語ご

原げん書しょのキーワード番号ばんごうは付ふされていない層そうである。概念がいねん語ご八やっつと、本文ほんぶん・入試にゅうし文ぶんに現あらわれる読解どっかい語彙ごい四よっつを補おぎなう。

01概念がいねん

新自由主義しんじゆうしゅぎ

しんじゆうしゅぎ[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
新しんあらた+自由じゆう主義しゅぎ個人こじんの自由じゆうを尊重そんちょうする立場たちば
使用しようの境界きょうかい

政府せいふの役割やくわりを最小さいしょうにし、企業きぎょうと個人こじんの自由じゆう競争きょうそうを促うながそうとする立場たちば。自由じゆう主義しゅぎとは政府せいふ観かんが正反対せいはんたいになる。

用法ようほう

最もっとも誤あやまりやすいのが自由じゆう主義しゅぎとの区別くべつである。どちらも個人こじんの自由じゆうを掲かかげるが、自由じゆう主義しゅぎ(リベラリズム)は大おおきな政府せいふで社会しゃかい保障ほしょうと再分配さいぶんぱいを行おこない、新しん自由じゆう主義しゅぎは小ちいさな政府せいふで競争きょうそうに委ゆだねる。冷戦れいせん終結しゅうけつ後ごに説得力せっとくりょくをもち、「民みん営えい化か」「規制きせい緩和かんわ」「自己じこ責任せきにん」といった語ごがここから派生はせいした。評ひょう論文ろんぶんではほぼ批判ひはんの対象たいしょうで、格差かくさ社会しゃかいを生うんだ元凶げんきょうとして論ろんじられる。入試にゅうし文ぶんは、批判ひはんする側がわまでがこの語彙ごいしか持もてなかった、という一段いちだん深ふかい指摘してきをしている。

用例ようれい
  • 労働ろうどう・土地とち・貨幣かへいを商品しょうひんとして扱あつかうことは、まったくの擬制ぎせいである。……この擬制ぎせいのもとで社会しゃかいは保護ほごを求もとめて動うごきはじめる。市場しじょうを野放のばなしにすれば、人間にんげんと自然しぜんという社会しゃかいの実体じったいそのものが破壊はかいされるからである。カール・ポランニー『大だい転換てんかん』(1944)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    市場しじょうを放ほうっておけば何なにが起おきるかを言いい当あてた一節いっせつである。要ようは「擬制ぎせい」という語ごだ。労働ろうどうも土地とちも貨幣かへいも売うるために作つくられたものではない。労働ろうどうは人間にんげんの活動かつどうそのもの、土地とちは自然しぜんそのもの、貨幣かへいは購買力こうばいりょくの記号きごうにすぎない。それを商品しょうひんということにするのが市場しじょう経済けいざいである。ポランニーはこれを嘘うそだと責せめているのではない — そういう取とり決きめで動うごいていると正確せいかくに述のべているだけだ。そして帰結きけつを言いう — 取とり決きめを本当ほんとうのことだと思おもい込こむと、人間にんげんと自然しぜんが壊こわれる。01 の新しん自由じゆう主義しゅぎへの最もっとも強つよい批判ひはんは、その台頭たいとうより四十よんじゅう年前ねんまえにすでに書かかれていた。
  • 売うるがために作つくられたるものにあらざる物ものを、売うるものと看做みなすは、経済けいざいの道みちにあらず。……人ひとを貧まずしからしむる富とみは、富とみにあらず。ジョン・ラスキン『この最後さいごの者ものにも』(1862)の主旨しゅしによる/訳やくは本ほん教材きょうざい
    効率こうりつという物差ものさしの外側そとがわから経済けいざいを測はかり直なおした一節いっせつである。ラスキンは美び術じゅつ批評ひひょう家かとして出発しゅっぱつし、経済学けいざいがくを素人しろうととして批判ひはんした。そのぶん論法ろんぽうが専門せんもんの内側うちがわに閉とじない。「人ひとを貧まずしからしむる富とみは富とみにあらず」— 富とみの定義ていぎそのものを書かき換かえているのだ。生産量せいさんりょうが増ふえても人ひとが貧まずしくなるならそれは富とみではない、と。この一手いってで効率こうりつと富とみが同おなじものではなくなる。2-5 の 04 の尺度しゃくどが一ひとつに揃そろうことの問題もんだいを扱あつかうのに対たいし、ラスキンはその尺度しゃくどの目盛めもりそのものを疑うたがっている。この書しょはのちにガンディーに決定的けっていてきな影響えいきょうを与あたえた。
  • 新しん自由じゆう主義しゅぎは、国家こっかを小ちいさくすると言いいながら、市場しじょうを成なり立たたせるために強つよい国家こっかを必要ひつようとする。 この語ごを扱あつかうときの要点ようてんである。規制きせい緩和かんわも民みん営えい化かも法律ほうりつと警察けいさつがなければ実行じっこうできない。「小ちいさな政府せいふ」は弱よわい政府せいふを意味いみしない — 05 の再分配さいぶんぱいを削けずるかわりに契約けいやくを守まもらせる力ちからは強つよめられる。
  • ×自由じゆうな発想はっそうを大切たいせつにする新しん自由じゆう主義しゅぎの校風こうふうだ。 「自由じゆう主義しゅぎ」「リベラル」との混同こんどうである。01 は一いち九きゅう七なな〇年代ねんだい以降いこう、市場しじょうの働はたらきを最大化さいだいかし国家こっかの介入かいにゅうを最小化さいしょうかしようとした政策せいさくの潮流ちょうりゅうを指さす固有こゆうの語ごで、思想しそうの自由じゆうや校風こうふうとは無関係むかんけい。なお「ネオリベラリズム」とも言いい、ほぼつねに批判ひはんの側がわから使つかわれる名なである。
派生はせい形けい
  • 自由主義じゆうしゅぎ[5]もとの語ご。個人こじんの自由じゆうを国家こっかの介入かいにゅうから守まもる立場たちば。「新しん」が付つくと守まもる対象たいしょうが個人こじんから市場しじょうへ移うつる — 一いち字じの差さで主役しゅやくが入いれ替かわっている。
  • ネオリベラリズム[7]原語げんごのままの形かたち。「ネオリベ」と略りゃくされることも多おおい。略りゃくされるほど批判ひはんの道具どうぐとして流通りゅうつうしているという証拠しょうこでもあり、略語りゃくごが出でたら定義ていぎを確たしかめるのが安全あんぜんである。
  • 小さな政府ちいさなせいふ[1]政策せいさくの標語ひょうご。比喩ひゆが議論ぎろんを先取さきどりしている点てんに注意ちゅういしたい — 小ちいさいほうがよいという感覚かんかくが語ごに埋うめ込こまれている。1-6 の 135 で見みた「理性りせいの光ひかり」と同おなじ、比喩ひゆによる議論ぎろんの先取さきどりである。
コロケーション
  • 規制きせい緩和かんわ最もっとも具体的ぐたいてきな政策せいさく市場しじょうへの制約せいやくを減へらすこと。この語ごが中立ちゅうりつに見みえるのは、「緩和かんわ」という語ごが楽らくになることを含意がんいするからだ。だが規制きせいは誰だれかを守まもるために置おかれていた。緩和かんわはその誰だれかの保護ほごを外はずすことでもある。語ごの穏おだやかさと効果こうかの大おおきさが釣つり合あっていない例れい。
  • 自己じこ責任せきにん01 が要求ようきゅうする語ご1-7 の 160 で立たてた語ごがここで政策せいさくの言葉ことばになる。市場しじょうに委ゆだねるとは結果けっかを本人ほんにんに引ひき受うけさせることだ。注意ちゅういしたいのは、この二ふたつがセットでなければ成なり立たたないことである。再分配さいぶんぱいを削けずるには、削けずられる側がわが納得なっとくする物語ものがたりが要いる。
  • 市場しじょう原理げんり主義しゅぎ批判ひはんの側がわの名な市場しじょうに任にんせればうまくいくという信念しんねん。「主義しゅぎ」ではなく「原理げんり主義しゅぎ」と呼よばれるのは、検証けんしょうを受うけ付つけないと見みられているからだ。04 の原理げんり主義しゅぎと2-5 の 12 の至し上じょうがここで合流ごうりゅうする。
  • 新しん自由じゆう主義しゅぎ的てきな主体しゅたい人ひとを作つくり変かえる語ご自分じぶんを投資とうしすべき資本しほんとして経営けいえいする人間にんげん像ぞう。「自己じこ投資とうし」「スキルの棚卸たなおろし」— 語彙ごいがすでに経営けいえいのものだ。1-7 の 146 の装置そうちがこの主体しゅたいを作つくっていると読よむと、政策せいさくが心こころのかたちまで及およんでいることが見みえる。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 自由じゆう主義しゅぎ国家こっかの干渉かんしょうを遠とおざけ個人こじんの自由じゆうを尊重そんちょうする社会しゃかい保障ほしょうや再分配さいぶんぱいを重視じゅうしする。政府せいふを大おおきく保たもつ点てんで新しん自由じゆう主義しゅぎと分わかれる。
  • 市場しじょう原理げんり主義しゅぎ市場しじょうの自由じゆうな競争きょうそうにすべてを委ゆだねる経済けいざいの側がわの呼よび名な。新しん自由じゆう主義しゅぎはその政治的せいじてきな形かたち。
  • 自由じゆう至し上じょう主義しゅぎ政府せいふの役割やくわりを最小限さいしょうげんに抑おさえるリバタリアニズム。新しん自由じゆう主義しゅぎより徹底てっていし、経済けいざい以外いがいの領域りょういきにも及およぶ。
  • 保守ほしゅ主義しゅぎ既存きそんの制度せいどを重視じゅうしする制度せいどへの態度たいど。新しん自由じゆう主義しゅぎは制度せいどを作つくり変かえる点てんでむしろ改革かいかくの側がわに立たつ。

ENneoliberalism
ZH新自由主义(新自由主義, xīn zìyóu zhǔyì)

02概念がいねん

ポピュリズム

ポピュリズム[3]中高なかだか型がた

使用しようの境界きょうかい

大衆たいしゅうに直接ちょくせつ訴うったえて支持しじを集あつめ、権力けんりょくを保ほとうとする政治せいじ手法しゅほう。人気にんきがあることそのものを指さすのではない。

用法ようほう

要点ようてんは、ポピュリズムが民みん主しゅ主義しゅぎの外そとからではなく内ないから生しょうじることにある。国民こくみんの意思いしを尊重そんちょうするという原理げんりそのものが、大衆たいしゅうに直接ちょくせつ訴うったえて支持しじを調達ちょうたつする手法しゅほうを可能かのうにする。だから民みん主しゅ主義しゅぎとポピュリズムは連続れんぞくしている。典型的てんけいてきな型かたは、「純粋じゅんすいな人民じんみん」と「腐敗ふはいしたエリート」を対立たいりつさせる語かたり方ほうである。評ひょう論文ろんぶんでは、既存きそん政治せいじへの不満ふまんとグローバル化かへの反はん動どうが結むすびついて台頭たいとうした現象げんしょうとして論ろんじられる。近年きんねんは肯定的こうていてきに用もちいる論ろん者しゃもいるが、日本語にほんごでは否定的ひていてきな含ふくみが強つよい。

用例ようれい
  • 国家こっかに多数たすうの派閥はばつがひしめくとき、ある一ひとつの派閥はばつが全体ぜんたいの多数たすうを占しめることはまれになる。……多数たすう者しゃによる抑圧よくあつを防ふせぐ最良さいりょうの道みちは、社会しゃかいを多おおくの部分ぶぶんに分わけておくことである。ジェイムズ・マディソン『ザ・フェデラリスト』第だい十じゅう篇へん(1787)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    ポピュリズムを制度せいどで防ふせごうとした最初さいしょの設計せっけい思想しそうである。マディソンの見立みたては冷徹れいてつだ — 人ひとが派閥はばつを作つくるのは本性ほんしょうであって、なくせない。ならばなくす代かわりに数かずを増ふやす。派閥はばつが多おおければどれも過か半数はんすうに届とどかず、妥協だきょうするほかなくなる。徳とくではなく構造こうぞうで暴走ぼうそうを止とめるというこの発想はっそうが、近代きんだいの憲法けんぽう設計せっけいの基礎きそになった。裏返うらがえせば、社会しゃかいが「我々われわれ」と「彼かれら」の二ふたつに割われたとき、この装置そうちは効きかなくなる。ポピュリズムがまさにその二に分割ぶんかつを作つくり出だす運動うんどうであることを、押おさえておきたい。
  • 衆愚しゅうぐ政治せいじの弊へいは、一時いちじの情じょうに駆かられて事ことを決けっするにあり。……民みんの望のぞむところ、必かならずしも民みんの利りにあらず。中江なかえ兆ちょう民みん『三さん酔人すいじん経綸けいりん問答もんどう』(1887)の主旨しゅしによる
    民みん主しゅ主義しゅぎの内側うちがわからその弱点じゃくてんを指摘してきした一節いっせつである。兆ちょう民みんは民みん権けん論ろん者しゃだった。その人ひとが民みんの望のぞみと民みんの利りが一致いっちしないと書かく。ここが重要じゅうようで、民みん主しゅ主義しゅぎを否定ひていするために言いっているのではない。『三さん酔人すいじん経綸けいりん問答もんどう』は理想りそうを語かたる紳士しんし、力ちからを説とく豪ごう傑けつ、そして両者りょうしゃを聞きく南海なんかい先生せんせいの三人さんにんが酒さけを飲のみながら論ろんじる形式けいしきで書かかれている。どれか一ひとつを正解せいかいにしないこの構成こうせい自体じたいが、一ひとつの声こえに収斂しゅうれんさせないという態度たいどの表明ひょうめいだ。02 のポピュリズムが「本当ほんとうの民たみの声こえ」を一ひとつに束たばねる運動うんどうであることを思おもえば、この形式けいしきはそれ自体じたいが反論はんろんになっている。
  • ポピュリズムは、社会しゃかいを「腐敗ふはいしたエリート」と「純粋じゅんすいな人民じんみん」に二に分ぶんし、自みずからを後者こうしゃの唯一ゆいいつの代だい弁べん者しゃと称しょうする。 定義ていぎとしていちばん使つかいやすい形かたちである。要点ようてんは三みっつ — 二に分割ぶんかつ、一方いっぽうの純粋じゅんすい化か、そして代だい弁べんの独占どくせん。三みっつ目めが最もっとも危険きけんだ。唯一ゆいいつの代だい弁べん者しゃを名乗なのれば、反対はんたいする者ものは人民じんみんではないことになる。
  • ×駅前えきまえで演説えんぜつしてポピュリズムに訴うったえた。 「大衆たいしゅうに訴うったえた」「人気にんき取とりをした」である。02 は政治せいじのスタイルあるいは思考しこうの型かたを指さす語ごで、行為こういの対象たいしょうではない。また単たんなる人気にんき取とりとも違ちがう — 「我々われわれこそが真しんの人民じんみんだ」という主張しゅちょうの構造こうぞうがあってはじめてこの語ごが当あたる。人気にんきがあるだけではポピュリズムではない。
派生はせい形けい
  • ポピュリスト[4]担にない手てを指さす語ご。ほぼ非難ひなんの語ごとして使つかわれるが、アメリカ史しの人民じんみん党とう(Populist Party)は農民のうみんの運動うんどうの名なで、もとは自称じしょうだった。自称じしょうが他称たしょうに変かわるとき色いろが付つく。
  • 大衆迎合たいしゅうげいごう[5]日本語にほんごでの訳語やくご。「迎合げいごう」の一語いちごで断罪だんざいが済すんでしまうため、分析ぶんせきの語ごとしては使つかいにくい。評ひょう論文ろんぶんでカタカナが選えらばれるのは、訳語やくごの非難ひなんの色いろを避さけるためである。
  • デマゴーグ[4]古代こだいギリシアの語ご。民衆みんしゅうの指導者しどうしゃが原げん義ぎで、もとは中立ちゅうりつだった。それが扇動者せんどうしゃの意いになった。「デマ」の語源ごげんでもある。ポピュリストと同おなじ道みちをたどった語ごである。
コロケーション
  • 人民じんみんの声こえ独占どくせんされる語ごポピュリズムが自みずからの正統性せいとうせいの根拠こんきょにするもの。この語ごの危あやうさは、誰だれも反論はんろんできない点てんにある。「それは人民じんみんの声こえではない」と言いえば人民じんみんに逆さからったことになる。1-6 の 127 で見みたリンカンの三みっつの前置詞ぜんちしのうち、「人民じんみんのための」だけを取とり出だした形かたちである。
  • エリート批判ひはん燃料ねんりょうとしての語ごポピュリズムがつねに必要ひつようとする敵てき。押おさえておきたいのは、この批判ひはんがしばしば当あたっていることだ。実際じっさいに格差かくさがあり、実際じっさいに声こえが届とどいていない。正ただしい不満ふまんが危あやうい形式けいしきに流ながし込こまれる — だから形式けいしきだけを批判ひはんしても効きかない。
  • 反はん知性ちせい主義しゅぎ隣接りんせつする語ご専門せんもん知ちや手続てつづきを「庶民しょみん感覚かんかく」の名なで退しりぞける態度たいど。この語ごを使つかうときは注意ちゅういが要いる — 知性ちせいへの不信ふしんには歴史的れきしてきな理由りゆうがある。1-6 の 135 で見みた啓蒙けいもう専制せんせいのように、知ちが上うえから押おしつけられてきた経験けいけんが各国かっこくにある。
  • ポピュリズムの土壌どじょう条件じょうけんを問とう語ご何なにがこの運動うんどうを育そだてるか。答こたえとして挙あがるのは格差かくさの拡大かくだい、中間ちゅうかん集団しゅうだんの弱じゃくまり、既存きそん政党せいとうへの不信ふしん。1-6 の 138 で見みた全体ぜんたい主義しゅぎの温床おんしょうとほぼ同おなじ一覧いちらんになる。孤立こりつした個人こじんが直接ちょくせつ「我々われわれ」に呼よびかけられるという構造こうぞうが共通きょうつうしている。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 衆愚しゅうぐ政治せいじ判断力はんだんりょくの乏とぼしい民衆みんしゅうによる政治せいじ民衆みんしゅうの側がわの質しつを問とう語ご。ポピュリズムは為い政せい者しゃの手法しゅほうを指さす。
  • 大衆たいしゅう迎合げいごう主義しゅぎ大衆たいしゅうに迎合げいごうする立場たちば訳語やくご。否定的ひていてきな評価ひょうかが語ごのなかに入はいっている。
  • 扇動せんどう人々ひとびとを煽あおって行動こうどうさせる行為こうい。ポピュリズムは政治せいじの型かた。
  • 民みん主しゅ主義しゅぎ国民こくみんが主権しゅけんをもつ☑127。ポピュリズムはその内側うちがわから生しょうじる。対立たいりつするのではない。

ENpopulism
ZH民粹主义(ポピュリズム, mínsuì zhǔyì)

03概念がいねん

衆愚政治しゅうぐせいじ

しゅうぐせいじ[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
衆しゅうおおぜい+愚ぐおろか+政治せいじまつりごと
使用しようの境界きょうかい

判断力はんだんりょくの乏とぼしい民衆みんしゅうが、定見ていけんなく行おこなう政治せいじ。民みん主しゅ主義しゅぎが失敗しっぱいした形かたちとして語かたられる。

用法ようほう

古代こだいギリシアからある批判ひはんで、プラトンが民みん主しゅ政せいをこう評ひょうしたことに始はじまる。要点ようてんは、この語ごが民みん主しゅ主義しゅぎ批判ひはんの常套句じょうとうくであり、同時どうじに使つかう側がわの立場たちばを露あらわにすることにある。誰だれが「愚おろか」だと判定はんていするのかという問といが必かならず残のこるからである。したがって評ひょう論文ろんぶんでこの語ごが出でたら、書かき手てが民みん主しゅ主義しゅぎをどう位置いちづけているかを見みる必要ひつようがある。「無定見むていけん」(定さだまった見識けんしきがないこと)という語ごとセットで説明せつめいされることが多おおい。

用例ようれい
  • 船ふねの持もち主ぬしは大柄おおがらだが耳みみが遠とおく目めも悪わるい。船ふね乗のりたちは舵かじを取とらせろと互たがいに争あらそい、説とき伏ふせた者ものが舵かじを握にぎる。……彼かれらは真しんの航海術こうかいじゅつを学まなんだ者ものを役やく立たたずと呼よぶ。プラトン『国家こっか』第だい六ろく巻かん・船ふねの比喩ひゆ(前まえ375頃ころ)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    衆愚しゅうぐ政治せいじという批判ひはんの原型げんけいである。(1-1 で同おなじ書しょの洞窟どうくつの比喩ひゆを引ひいた。)比喩ひゆの各かく項こうは対応たいおうが明確めいかくだ — 船ふねの持もち主ぬしが民衆みんしゅう、船ふね乗のりが政治せいじ家か、航海術こうかいじゅつを学まなんだ者ものが哲学者てつがくしゃ。要点ようてんは「説とき伏ふせた者ものが舵かじを握にぎる」にある。操船そうせんの技量ぎりょうではなく説得せっとくの巧うまさで決きまってしまう。ただし、この比喩ひゆには反論はんろんの余地よちも大おおきい。政治せいじに航海術こうかいじゅつのような正解せいかいがあるのか。目的地もくてきちが決きまっている船ふねと違ちがい、どこへ行いくかを決きめるのが政治せいじである。比喩ひゆが前提ぜんていをこっそり運はこんでくるという好例こうれいとして、構造こうぞうごと読よみたい。
  • 民みんは之のに由よらしむべし、之これを知しらしむべからず。『論語ろんご』泰たい伯はく篇へん
    衆愚しゅうぐという見方みかたが前提ぜんていにしているものを示しめす一句いっくである。この句くは長ながく「民みんは従じゅうわせればよく、理由りゆうを知しらせる必要ひつようはない」と読よまれ、愚民ぐみん政策せいさくの根拠こんきょとされてきた。ところが「知しらしむべからず」を「知しらせることができない」と読よむ説せつもある。禁止きんしか、不可能ふかのうかで意味いみがまるで変かわる。前者ぜんしゃなら愚民ぐみん政策せいさく、後者こうしゃなら説明せつめいの困難こんなんという実務じつむ上じょうの嘆なげきだ。同おなじ十二じゅうに字じが二千年にせんねん両方りょうほうに読よまれてきたというこの事実じじつ自体じたいが、衆愚しゅうぐ政治せいじという語ごの使つかわれ方ほうを照てらしている — 誰だれが読よむかで意味いみが変かわる語ごなのだ。
  • 衆愚しゅうぐ政治せいじという語ごは、批判ひはんの対象たいしょうを民衆みんしゅうに置おく。だが同おなじ事態じたいを、選択肢せんたくしを用意よういする側がわの問題もんだいとして書かくこともできる。 この語ごを警戒けいかいして使つかうための型かたである。「民衆みんしゅうが愚おろかだ」という結論けつろんは、そのまま民みん主しゅ主義しゅぎの否定ひていにつながりうる。1-7 の 141 で見みたル・ボンの『群衆ぐんしゅう心理しんり』が動員どういんする側がわにも読よまれたのと同おなじ危あやうさがある。
  • ×クラス会かいが紛糾ふんきゅうして衆愚しゅうぐ政治せいじのようになった。 語ごが重じゅうすぎる。混乱こんらんを言いうだけなら「収拾しゅうしゅうがつかない」で足たりる。衆愚しゅうぐ政治せいじは民みん主しゅ政せいが堕落だらくした形態けいたいを指さす政治学せいじがくの術語じゅつごで、アリストテレスの政体せいたい分類ぶんるいに由来ゆらいする。制度せいどとしての民たみ主しゅ政せいが前提ぜんていにある場面ばめんでしか正ただしく働はたらかない。
派生はせい形けい
  • 衆愚しゅうぐ[1]「衆しゅう」+「愚ぐ」。多数たすうであることと愚おろかであることを直結ちょっけつさせている語形ごけいで、語ごそのものが一ひとつの主張しゅちょうになっている。中立ちゅうりつな記述きじゅつ語ごではない、と意識いしきして使つかいたい。
  • 愚民ぐみん[0]より露骨ろこつな語ご。「愚民ぐみん政策せいさく」の形かたちで使つかう。統治とうちする側がわから見み下おろした語ごで、現代げんだいの文章ぶんしょうではほぼ引用いんようか批判ひはんの中なかでしか現あらわれない。
  • オクロクラシー[6]原語げんご。ギリシア語ご ochlos(群衆ぐんしゅう)+ kratia(支配しはい)。デモクラシーの demos(人民じんみん)と一いち字じ違ちがいで、人民じんみんか群衆ぐんしゅうかという呼よび方かたの差さが政体せいたいの名なを分わけている — 1-7 の 141 の大衆たいしゅう/民衆みんしゅうの書かき分わけと同おなじ構造こうぞうである。
コロケーション
  • 民みん主しゅ政せいと衆愚しゅうぐ政せい堕落だらく形態けいたいとしての対たいアリストテレスの分類ぶんるいでは、正ただしい政体せいたいにはそれぞれ堕落だらく形態けいたいがある — 王おう政せいに対たいする僭主せんしゅ政せい、貴族きぞく政せいに対たいする寡頭かとう政せい、そして共和きょうわ政せいに対たいする衆愚しゅうぐ政せい。この枠組わくぐみが示しめすのは、どの政体せいたいも腐くさりうるということだ。民みん主しゅ政せいだけが特別とくべつに危あやういのではない。
  • 衆愚しゅうぐに堕だする動詞どうしを伴ともなう形かたち「堕だする」という語ごが示しめすのは、もとは高たかい所しょにあったという前提ぜんていである。民みん主しゅ政せいがそもそも低ひくいなら堕おちようがない。この語ごを使つかう人ひとは、実じつは民みん主しゅ政せいを評価ひょうかしていることになる — 語ご法ほうから立場たちばが漏もれる例れい。
  • 衆愚しゅうぐ論ろん主張しゅちょうとして名指なざす語ご「論ろん」を付つけて一ひとつの立場たちばとして対象たいしょう化かする語ご法ほう。1-7 の 160 で見みた「自己じこ責任せきにん論ろん」と同おなじ手てつきである。「衆愚しゅうぐだ」と言いわれれば議論ぎろんは終おわるが、「それは衆愚しゅうぐ論ろんだ」と言いい返かえせば議論ぎろんは続つづく。
  • 熟じゅく議ぎ衆愚しゅうぐへの処方しょほう1-6 の 127 で見みた語ごがここで対抗たいこう策さくとして出でてくる。衆愚しゅうぐ論ろんの前提ぜんていは民衆みんしゅうが判断はんだんできないことだが、判断はんだんする場ばが与あたえられていないだけかもしれない。能力のうりょくの問題もんだいか条件じょうけんの問題もんだいか — ここが分わかれ目めになる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • ポピュリズム大衆たいしゅうに訴うったえて支持しじを集あつめる手法しゅほう為い政せい者しゃの側がわ。衆愚しゅうぐ政治せいじは民衆みんしゅうの側がわの質しつを問とう。
  • 民みん主しゅ主義しゅぎ国民こくみんが主権しゅけんをもつ☑127。衆愚しゅうぐ政治せいじはその劣化れっかした形かたちとして置おかれる。
  • 大衆たいしゅう社会しゃかい匿名とくめいの多数たすうが主役しゅやくの社会しゃかい☑141。衆愚しゅうぐ政治せいじが生しょうじる土壌どじょう。
  • 独裁どくさい一人ひとりまたは少数しょうすうが権力けんりょくを握にぎる権力けんりょくの集中しゅうちゅう。衆愚しゅうぐ政治せいじは分散ぶんさんしたまま質しつが落おちる状態じょうたい。

ENochlocracy / mob rule
ZH愚民政治(衆愚政治, yúmín zhèngzhì)

04概念がいねん

原理主義げんりしゅぎ

げんりしゅぎ[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
原理げんりおおもとの理り+主義しゅぎ立場たちば
使用しようの境界きょうかい

根本こんぽんの教義きょうぎや原理げんりに厳格げんかくに立たち返かえろうとする立場たちば。宗教しゅうきょうに限かぎらず、経済けいざいや政治せいじについても言いう。

用法ようほう

もとはアメリカのキリスト教きょうの一いち潮流ちょうりゅうを指さす語ごだったが、現在げんざいは宗教しゅうきょう以外いがいにも広ひろく使つかわれる。「市場しじょう原理げんり主義しゅぎ」は市場しじょうの自由じゆうな競争きょうそうにすべてを委ゆだねる立場たちばを指さし、宗教しゅうきょうとは無関係むかんけいである。要点ようてんは、原理げんり主義しゅぎが近代きんだいへの反はん動どうとして生しょうじる点てんにある。グローバル化かが民族みんぞくや地域ちいきの独自どくじ性せいを奪うばうとき、それに最もっとも先鋭せんえい的てきに対立たいりつするのがイスラム原理げんり主義しゅぎだと本文ほんぶんは述のべる。つまり原理げんり主義しゅぎは前近代ぜんきんだいの残存ざんぞんではなく、近代きんだいが生うんだ現象げんしょうである。

用例ようれい
  • 疑うたがいをもつことは不快ふかいであるが、確信かくしんをもつことは愚おろかである。ヴォルテール 書簡しょかん(1767)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    原理げんり主義しゅぎの心こころの姿勢しせいを一行いちぎょうで撃うった言葉ことばである。仕掛しかけは非対称ひたいしょうにある。疑うたがいには「不快ふかい」という感情かんじょうの語ごを、確信かくしんには「愚おろか」という知性ちせいの語ごを当あてている。つまり疑うたがいの苦くるしさは認みとめたうえで、それでも確信かくしんよりましだと言いっているのだ。ここが重要じゅうようで、疑うたがいを楽らくなことだとは言いっていない。2-1 の 09 で見みたキーツの消しょう極きょく的てき能力のうりょくと同おなじ構かまえである — 不確ふたしかさにとどまるのは能力のうりょくであって、自然しぜんな状態じょうたいではない。原理げんり主義しゅぎが魅力的みりょくてきなのは、この不快ふかいから解放かいほうしてくれるからだ。
  • 我々われわれは、真理しんりを所有しょゆうしているのではない。真理しんりを探さがし求もとめているのである。……絶対ぜったいの確実かくじつさを求もとめる者ものは、探求たんきゅうをやめた者ものである。ゴットホルト・エフライム・レッシング『再さい答弁とうべん』(1778)の主旨しゅしによる/訳やくは本ほん教材きょうざい
    原理げんり主義しゅぎの反対はんたい側がわに何なにがあるかを述のべた一節いっせつである。レッシングは有名ゆうめいな比喩ひゆを残のこした — 神かみが右みぎ手てに真理しんりを、左ひだり手てに真理しんりの探求たんきゅうを持もって選えらばせるなら、自分じぶんは左ひだり手てを選えらぶ。真理しんりそのものは神かみのものであって人ひとのものではないからだ。この構かまえを取とると、確信かくしんは傲慢ごうまんの一いち形態けいたいになる。注目ちゅうもくしたいのは、これが宗教しゅうきょうの内側うちがわから出でていることだ。レッシングは信仰しんこうを捨すてていない。信しんじることと確信かくしんすることは別べつだと言いっている。原理げんり主義しゅぎへの最もっとも有効ゆうこうな批判ひはんは宗教しゅうきょうの外そとからではなく内ないから来くる — この事実じじつは現代げんだいでも変かわらない。
  • 原理げんり主義しゅぎは、解釈かいしゃくを許ゆるさないことによって解釈かいしゃくを独占どくせんする。 この語ごの核心かくしんを突つく型かたである。「書かいてある通とおりに読よむ」と言いうが、「その通とおり」が何なにかは誰だれかが決きめている。解釈かいしゃくを否定ひていする立場たちばもまた一ひとつの解釈かいしゃくであり、しかも自分じぶんの解釈かいしゃく性せいを隠かくしているぶん手強てごわい。
  • ×基本きほんを大事だいじにする原理げんり主義しゅぎの指導者しどうしゃだ。 「原則げんそくを重おもんじる」である。04 は特定とくていの教義きょうぎや原理げんりを字義じぎ通とおりに解かいし、例外れいがいや解釈かいしゃくを認みとめない立場たちばを指さす。基本きほんを大事だいじにすることとは別べつで、状況じょうきょうに応おうじた判断はんだんを拒こばむかどうかが分わかれ目めになる。なお宗教しゅうきょうに限かぎらず市場しじょう原理げんり主義しゅぎのようにも使つかう。
派生はせい形けい
  • ファンダメンタリズム[7]原語げんご。もとは二十にじゅう世紀せいき初頭しょとうのアメリカのプロテスタントが自称じしょうした名なで、聖書せいしょの根本こんぽん(fundamentals)に立たち返かえるという意味いみだった。自称じしょうが他称たしょうになり批判ひはん語ごになったのは、02 のポピュリストと同おなじ経路けいろである。
  • 教条主義きょうじょうしゅぎ[5]近ちかい語ご。定さだまった教おしえを状況じょうきょうに関かかわりなく当あてはめること。原理げんり主義しゅぎが原典げんてんへの回帰かいきを掲かかげるのに対たいし、教きょう条じょう主義しゅぎは教おしえの適用てきように重心じゅうしんがある。マルクス主義しゅぎの内部ないぶでの批判ひはん語ごとして多おおく使つかわれてきた。
  • 原理げんり[1]それ自体じたいは中立ちゅうりつの語ご。他ほかのものを導みちびき出だすもとになる法則ほうそく。「主義しゅぎ」が付ついてはじめて態度たいどの名なになる。1-2 で見みた科学かがくの原理げんりと同おなじ語ごだが、科学かがくの原理げんりは反証はんしょうに開ひらかれているところが決定的けっていてきに違ちがう。
コロケーション
  • 市場しじょう原理げんり主義しゅぎ宗教しゅうきょうの外そとへの転用てんよう市場しじょうに任にんせれば必かならず最適さいてきになるという信念しんねん。この語形ごけいが示しめすのは、原理げんり主義しゅぎが宗教しゅうきょうだけの現象げんしょうではないことだ。検証けんしょうに開ひらかれていないという一点いってんで同おなじ形かたちをしている。01 の新しん自由じゆう主義しゅぎがこの名なで呼よばれるとき、批判ひはんは政策せいさくではなく態度たいどに向むけられている。
  • 原理げんり主義しゅぎ的てきな態度たいど広ひろく使つかえる形かたち「〜的てきな」を付つけると運動うんどうでなくても使つかえる。一ひとつの原理げんりをあらゆる場面ばめんに当あてはめて例外れいがいを認みとめない構かまえ。この形かたちなら身近みじかな議論ぎろんにも当あてられるため、評ひょう論文ろんぶんでも使用しよう頻度ひんどが高たかい。
  • 原げん点てんへの回帰かいき原理げんり主義しゅぎの自己じこ認識にんしき堕落だらくした現在げんざいから本来ほんらいの姿すがたへ戻もどるという物語ものがたり。注意ちゅういしたいのは、その「本来ほんらいの姿すがた」がしばしば近代きんだいになってから構想こうそうされたものだということだ。1-6 の 134 で見みた時代じだい区分くぶんは後あとから引ひかれるという教訓きょうくんが、ここでも効きく — 原げん点てんもまた作つくられる。
  • 原理げんり主義しゅぎと近代きんだい産物さんぶつとしての語ご原理げんり主義しゅぎは前近代ぜんきんだいの残のこりかすではない。近代きんだいへの反応はんのうとして近代きんだいのなかで生うまれた。印刷いんさつされた聖典せいてん、識字率しきじりつ、メディアによる動員どういん — すべて近代きんだいの道具どうぐである。1-6 の 136 のロマン主義しゅぎと同おなじ位置いちにこの運動うんどうを置おくと、見通みとおしがよくなる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 保守ほしゅ主義しゅぎ既存きそんの制度せいどを重視じゅうしする現状げんじょうを守まもる。原理げんり主義しゅぎは現状げんじょうを否定ひていして原げん点てんへ戻もどろうとする。
  • 急きゅう進しん主義しゅぎ一挙いっきょに変革へんかくしようとする変革へんかくの速度そくど。原理げんり主義しゅぎは根拠こんきょを原げん点てんに置おく点てんが違ちがう。
  • ドグマ疑うたがうことを許ゆるさない教義きょうぎ☑82。原理げんり主義しゅぎはその教義きょうぎに立たち返かえる運動うんどう。
  • 教きょう条じょう主義しゅぎ理論りろんを機械的きかいてきに当あてはめる硬直こうちょくの記述きじゅつ。原理げんり主義しゅぎは原げん点てん回帰かいきという運動うんどう性せいを含ふくむ。

ENfundamentalism
ZH原教旨主义(原理主義, yuánjiàozhǐ zhǔyì)

05概念がいねん

再分配さいぶんぱい

さいぶんぱい[3]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい
再さいふたたび+分配ぶんぱい分わけてくばる
使用しようの境界きょうかい

いったん分配ぶんぱいされた富とみを、税ぜいと社会しゃかい保障ほしょうによって配くばり直なおすこと。最初さいしょの分配ぶんぱいを市場しじょうが行おこなうことが前提ぜんていになる。

用法ようほう

要点ようてんは「再さい」の字じにある。市場しじょうが行おこなった一度いちど目めの分配ぶんぱいを、国家こっかが税ぜいと社会しゃかい保障ほしょうで配くばり直なおす。だからこの語ごを使つかう時点じてんで、市場しじょうの結果けっかをそのままにしないという立場たちばが含ふくまれている。自由じゆう主義しゅぎ(リベラリズム)と新しん自由じゆう主義しゅぎを分わける最大さいだいの争点そうてんがここで、前者ぜんしゃは再分配さいぶんぱいを重視じゅうしし、後者こうしゃは縮小しゅくしょうする。「大おおきな政府せいふ/小ちいさな政府せいふ」という対たいも、再分配さいぶんぱいをどこまで行おこなうかの違ちがいを言いい換かえたものである。

用例ようれい
  • 貧乏びんぼう線せん以下いかの生活せいかつをしている者ものが、……富とみめる国くににおいてかくも多数たすう存在そんざいする。この事実じじつを前まえにして、経済学けいざいがくは何なにを為いすべきかを問とわれている。河上かわかみ肇はじめ『貧乏びんぼう物語ものがたり』(1917)の主旨しゅしによる
    再分配さいぶんぱいという問題もんだいを日本語にほんごで最初さいしょに広ひろく知しらせた書物しょもつの一節いっせつである。河上かわかみの論ろんの運はこびで注目ちゅうもくすべきは「富とみめる国くににおいて」という限定げんていだ。貧まずしい国くにの貧困ひんこんではない。豊ゆたかになったはずの国くにになお貧困ひんこんがあるという事実じじつを問題もんだいとして立たてている。これは生産せいさんの問題もんだいではなく分配ぶんぱいの問題もんだいだという宣言せんげんである。全体ぜんたいの量りょうを増ふやせば解決かいけつするという答こたえをあらかじめ封ふうじているのだ。1-6 の 130 で見みた功利こうり計算けいさんが総量そうりょうの最大化さいだいかを求もとめるのに対たいし、再分配さいぶんぱいは総量そうりょうが同おなじでも配くばり方ほうで変かえられるものを扱あつかっている。
  • 国くには、すべての生活せいかつ部ぶ面めんについて、社会しゃかい福祉ふくし、社会しゃかい保障ほしょう及および公衆衛生こうしゅうえいせいの向上こうじょう及および増進ぞうしんに努つとめなければならない。日本にほん国こく憲法けんぽう 第だい二十にじゅう五ご条じょう第だい二に項こう(1946)
    再分配さいぶんぱいを国家こっかの義務ぎむとして書かき込こんだ条文じょうぶんである。(1-4 と 2-3 で同おなじ憲法けんぽうの別べつの条文じょうぶんを引ひいた。)注目ちゅうもくしたいのは「努つとめなければならない」という書かき方かただ。結果けっかを約束やくそくしていない。第一だいいち項こうが「健康けんこうで文化ぶんか的てきな最低限さいていげん度どの生活せいかつを営えいむ権利けんり」を権利けんりとして書かいたのに対たいし、第だい二に項こうは国家こっかの努力どりょく義務ぎむにとどまる。この落差らくさが実際じっさいの裁判さいばんで繰くり返かえし争あらそわれてきた — 権利けんりがあると言いえるのか、努力どりょく目標もくひょうにすぎないのか。2-3 の 10 の担保たんぽという語ごで言いえば、権利けんりは宣言せんげんされたが担保たんぽが弱よわいという状態じょうたいである。
  • 再分配さいぶんぱいは、生産せいさんされた富とみを配くばり直なおすことであって、富とみを減へらすことではない。 最もっともよくある誤解ごかいを先さきに潰つぶす型かたである。再分配さいぶんぱいの議論ぎろんはしばしば「働はたらかない者ものを養やしなうのか」という道徳どうとくの話はなしにすり替かえられる。配分はいぶんの設計せっけいの話はなしに引ひき戻もどすことが議論ぎろんの第一だいいち歩ほになる。
  • ×余あまった資料しりょうを各かく班はんに再分配さいぶんぱいした。 「配くばり直なおした」である。再分配さいぶんぱいは市場しじょうでいったん決きまった所得しょとくや富とみの配分はいぶんを、税ぜいと社会しゃかい保障ほしょうによって改あらためるという経済けいざい・政治せいじの術語じゅつごで、物ものを配くばり直なおす作業さぎょうの名なではない。「一次いちじ分配ぶんぱい」と「再分配さいぶんぱい」の対たいで覚おぼえるとよい。
派生はせい形けい
  • 分配ぶんぱい[0]市場しじょうで最初さいしょに決きまる配分はいぶんを一次いちじ分配ぶんぱいと呼よぶ。「再さい」が付つくことで二に度目どめだと分わかる。一度いちど目めがあることを前提ぜんていにしている点てんが重要じゅうようで、市場しじょうを否定ひていしていない。
  • 累進るいしん[0]2-5 の 08 で立たてる語ご。所得しょとくが増ふえるほど税ぜい率りつが上あがる仕組しくみ。再分配さいぶんぱいの主要しゅような手段しゅだんであり、「同おなじ率りつで取とる」ことが公平こうへいだという直感ちょっかんに正面しょうめんから反はんするところにこの制度せいどの理屈りくつがある。
  • 逆進ぎゃくしん[0]累るい進しんの反対はんたい。所得しょとくの低ひくい者ものほど負担ふたん率りつが高たかくなる。消費しょうひ税ぜいがその例れいで、税ぜい率りつは同おなじでも所得しょとくに占しめる割合わりあいが低所得ていしょとく層そうほど高たかい。同おなじ扱あつかいが不平等ふびょうどうを生うむという仕組しくみを見みる目めが要いる。
コロケーション
  • 所得しょとくの再分配さいぶんぱい最もっとも具体的ぐたいてきな形かたち累るい進しん課税かぜいと社会しゃかい保障ほしょう。この組くみ合あわせが要点ようてんなのは、取とることと配くばることが別々べつべつの制度せいどだからだ。高たかく取とっても配くばらなければ再分配さいぶんぱいではないし、配くばっても取とり方かたが逆ぎゃく進しん的てきなら効果こうかは相殺そうさいされる。2-5 の 08 の累るい進しんと一いち対たいで読よみたい。
  • 再分配さいぶんぱいと成長せいちょう対立たいりつさせられる対たい「まず成長せいちょう、分配ぶんぱいはそのあと」という語かたり口くち。この順序じゅんじょには検証けんしょうの余地よちがある — 格差かくさが大おおきいほど成長せいちょうが鈍にぶるという議論ぎろんも有力ゆうりょくになった。対立たいりつとされてきた二ふたつが実じつは同おなじ方向ほうこうを向むいているかもしれない、という論点ろんてんである。
  • 再分配さいぶんぱいへの抵抗ていこう心理しんりの側がわの語ご自分じぶんが受うけ取とる側がわでないと思おもう人ひとほど再分配さいぶんぱいに反対はんたいする。ここで効きいてくるのが1-7 の 160 の自己じこ責任せきにんだ。成功せいこうは自分じぶんの努力どりょく、失敗しっぱいは本人ほんにんの落おち度どという物語ものがたりが再分配さいぶんぱいの道徳的どうとくてきな根拠こんきょを掘ほり崩くずす。制度せいどの議論ぎろんの前まえに物語ものがたりの争あらそいがある。
  • 普遍ふへん主義しゅぎと選別せんべつ主義しゅぎ設計せっけいの分わかれ目め全員ぜんいんに配くばるか、必要ひつような人ひとにだけ配くばるか。効率こうりつだけを見みれば選別せんべつ主義しゅぎだが、選別せんべつには審査しんさと「受給者じゅきゅうしゃ」という烙印らくいんが伴ともなう。普遍ふへん主義しゅぎは無駄むだが出でるかわりに恥はじを生うまない — 効率こうりつと尊厳そんげんが交換こうかん関係かんけいにあるというこの構造こうぞうが、福祉ふくし論ろんの核心かくしんである。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 分配ぶんぱい分わけてくばる一度いちど目めの配分はいぶん。市場しじょうが行おこなう。再分配さいぶんぱいは国家こっかがそれを補正ほせいする。
  • 社会しゃかい保障ほしょう生活せいかつの保障ほしょうを制度せいどで行おこなう仕組しくみの名な。再分配さいぶんぱいはその働はたらきを言いう。
  • 平等びょうどう差さがないこと状態じょうたい。再分配さいぶんぱいはそこへ近ちかづける手段しゅだん。
  • 自由じゆう競争きょうそう市場しじょうに委ゆだねる対立たいりつする原理げんり。新しん自由じゆう主義しゅぎはこちらを優先ゆうせんし、再分配さいぶんぱいを縮小しゅくしょうする。

ENredistribution
ZH再分配(再分配, zàifēnpèi)

06概念がいねん

親密圏しんみつけん

しんみつけん[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
親おやしたしい+密みつこまやか+圏けんかこい・範囲はんい
使用しようの境界きょうかい

家族かぞくや友人ゆうじんなど、顔かおの見みえる近ちかしい関係かんけいの範囲はんい。私的してきであることと、選えらび取とれることを含ふくむ。

用法ようほう

公共こうきょう圏けんとの対たいでのみ意味いみをもつ語ごである。現代げんだいでは公共こうきょう圏けんへの関心かんしんが薄うすれ、関心かんしんが親密しんみつ圏けんに集中しゅうちゅうしている、という診断しんだんが定型ていけいになっている。要点ようてんは、これが単たんなる内ない向むきではないとされる点てんで、家族かぞくの形かたちが多様たよう化かした現代げんだいでは、親密しんみつ圏けんそのものが選えらび取とられるものになった。だから親密しんみつ圏けんの充実じゅうじつが公共こうきょう圏けんの再建さいけんにつながる可能性かのうせいも論ろんじられる。読解どっかいでは、親密しんみつ圏けんが肯定的こうていてきに語かたられているか、逃避とうひ先さきとして批判ひはんされているかを見みる。

用例ようれい
  • 家庭かていは、外そとの世界せかいの厳きびしさから逃のがれる場所ばしょであるとともに、外そとの世界せかいの秩序ちつじょが最もっとも濃こく流ながれ込こむ場所ばしょでもある。ジョン・スチュアート・ミル『女性じょせいの隷従れいじゅう』第だい二に章しょう(1869)の主旨しゅしによる/訳やくは本ほん教材きょうざい
    親密しんみつ圏けんの二に重じゅう性せいを早はやくから指摘してきした一節いっせつである。(1-7 の 157 で同おなじ書しょの第一だいいち章しょうを引ひいた。)家庭かていは避難ひなん所しょとされる。同時どうじに法ほうの届とどかない場所ばしょでもある。ミルが問題もんだいにしたのはそこだ — 公こうの場ばで禁きんじられている支配しはいが、家庭かていのなかでは合法ごうほうに行おこなわれている。私的してきな領域りょういきは介入かいにゅうされないかわりに救すくわれもしないという1-7 の 156 で見みた構造こうぞうが、ここに出でている。親密しんみつ圏けんという語ごが公共こうきょう圏けんの単たんなる裏側うらがわではないのはこのためだ。守まもるべき場所ばしょであると同時どうじに、踏ふみ込こむべき場所ばしょでもある — この二に重じゅう性せいを一語いちごで抱かかえられるかどうかがこの語ごの値打ねうちになる。
  • 春はるはあけぼの。……冬ふゆはつとめて。雪ゆきの降おりたるは言げんふべきにもあらず、霜しものいと白しろきも、またさらでもいと寒さむきに、火ひなど急きゅうぎおこして、炭すみ持もてわたるもいとつきづきし。清少納言せいしょうなごん『枕草子まくらのそうし』第一だいいち段だん(1000頃ころ)
    親密しんみつ圏けんでだけ成立せいりつする価値かちの記述きじゅつである。(1-1 で同おなじ段だんの別べつの部分ぶぶんを引ひいた。あちらは「をかし」の認識にんしきの型かた、ここでは場所ばしょの性質せいしつを見みている。)注目ちゅうもくしたいのは「つきづきし」(似につかわしい)という評価ひょうかの語ごだ。正ただしいでも美うつくしいでもない。その場ばに似に合あっているという評価ひょうかである。これは公共こうきょうの場ばでは通用つうようしない物差ものさしだ。誰だれにでも説明せつめいできる基準きじゅんではなく、その場ばを共有きょうゆうしている者ものだけに分わかる。親密しんみつ圏けんの特とく質しつはここにある — 普遍的ふへんてきな理由りゆうを要求ようきゅうされない。公共こうきょう圏けんが理由りゆうを求もとめる場ばなら、親密しんみつ圏けんは理由りゆうなしで受うけ入いれられる場ばである。
  • 親密しんみつ圏けんは、理由りゆうを説明せつめいしなくても受うけ入いれられる場ばである。だからこそ、不当ふとうな扱あつかいも説明せつめいされないまま続つづきうる。 両面りょうめんを一文いちぶんに収おさめる型かたである。説明せつめいが要いらないことが安やすらぎの根拠こんきょであり、同時どうじに不正ふせいの温床おんしょうでもある。2-5 の 11 の温床おんしょうという語ごが、ここでそのまま当あてはまる。
  • ×職場しょくばの雰囲気ふんいきがよく、親密しんみつ圏けんのようだ。 「アットホーム」「家庭かてい的てき」である。評ひょう論語ろんごの親密しんみつ圏けんは家族かぞく・友人ゆうじんなど、互たがいの具体的ぐたいてきな生せいに関心かんしんを寄よせ合あう関係かんけいの領域りょういきを指さす社会学しゃかいがくの術語じゅつごで、雰囲気ふんいきの形容けいようではない。なお職場しょくばを親密しんみつ圏けんとして語かたること自体じたいが、公私こうしの線せんを曖昧あいまいにする操作そうさとして批判ひはんの対象たいしょうになりうる。
派生はせい形けい
  • 親密しんみつ[0]距離きょりの近ちかさを言いう語ご。「圏けん」を付つけてはじめて領域りょういきの名なになる。親密しんみつな関係かんけいは個々ここの間あいだ柄がらだが、親密しんみつ圏けんはそうした関係かんけいの広ひろがり全体ぜんたいを指さす。
  • 私的領域してきりょういき[0]近ちかいが同おなじではない。私的してき領域りょういきは公おおやけに対たいする私わたしで、一人ひとりでいる場面ばめんも含ふくむ。親密しんみつ圏けんは必かならず他者たしゃとの関係かんけいを含ふくんでいる。孤独こどくは私的してき領域りょういきにはあるが親密しんみつ圏けんにはない。
  • ケア[1]親密しんみつ圏けんの中身なかみにあたる語ご。具体的ぐたいてきな誰だれかの生せいを支ささえる働はたらき。取とり替かえが利きかない点てんで2-3 の 08 の代替だいたいと正面しょうめんから対立たいりつし、だからこそ市場しじょうに載のせにくい。現代げんだいの福祉ふくし論ろんの中心ちゅうしんにある語ごである。
コロケーション
  • 公共こうきょう圏けんと親密しんみつ圏けん対たいで立たてる語ご公共こうきょう圏けんが誰だれにでも通つうじる理由りゆうで動うごくのに対たいし、親密しんみつ圏けんは具体的ぐたいてきな誰だれかへの関心かんしんで動うごく。重要じゅうようなのは、どちらか一方いっぽうでは足たりないことだ。公共こうきょう圏けんだけなら誰だれも個人こじんとして扱あつかわれない。親密しんみつ圏けんだけなら身内みうち以外いがいは存在そんざいしない。
  • 親密しんみつ圏けんの縮小しゅくしょう現代げんだいの診断しんだん家族かぞくが小ちいさくなり、地域ちいきの関係かんけいが薄うすくなること。この語ごが要いるのは、1-6 の 124 の共同体きょうどうたいの解体かいたいと区別くべつするためだ。共同体きょうどうたいは選えらべない結むすびつき、親密しんみつ圏けんは選えらべる結むすびつき。選えらべるようになったぶん、選えらばれなかった人ひとが孤立こりつする。
  • 親密しんみつ圏けんの政治せいじ性せい境界きょうかいを問とう語ご1-7 の 156 で見みた「個人的こじんてきなことは政治的せいじてきである」がここに効きく。誰だれが家事かじをし、誰だれが決きめ、誰だれが我慢がまんするか — すべて権力けんりょくの配置はいちだ。親密しんみつであることは対等たいとうであることを意味いみしない。
  • 新あたらしい親密しんみつ圏けん設計せっけいを試こころみる語ご血縁けつえんでも地ち縁えんでもない選えらばれた関係かんけい。共同きょうどう生活せいかつ、支ささえ合あいの輪わ、当事者とうじしゃの集あつまり。この語ごが現代的げんだいてきなのは、失うしなわれたものを取とり戻もどすのではなく作つくり直なおすという構かまえだからだ。懐古かいこではなく設計せっけいである点てんで、1-6 の 139 のアナキズムの自じ主しゅ管理かんりと同おなじ系譜けいふにある。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 公共こうきょう圏けん見知みしらぬ他者たしゃにも開ひらかれた場ば対たい語ご。この二ふたつの対たいが現代げんだい社会しゃかい論ろんの枠組わくぐみになる。
  • 共同体きょうどうたい生活せいかつと価値かちを共有きょうゆうする集団しゅうだん生うまれながらに属ぞくする。親密しんみつ圏けんは選えらび取とることができる。
  • 世間せけん顔かおの見みえる範囲はんいの圏けん☑79。評価ひょうかのまなざしを含ふくむ。親密しんみつ圏けんは情緒じょうちょ的てきなつながりに重心じゅうしんがある。
  • 私的してき領域りょういき個人こじんに属ぞくする範囲はんい法的ほうてき・制度せいど的てきな区分くぶん。親密しんみつ圏けんは関係かんけいの質しつを言いう。

ENintimate sphere
ZH亲密圈(親密圏, qīnmìquān)

07概念がいねん

コモンズ

コモンズ[1]頭高あたまだか型がた

使用しようの境界きょうかい

みんなで共同きょうどう管理かんりする資源しげん。誰だれのものでもない無む主しゅ物ぶつではなく、誰だれかが管理かんりしている点てんが要点ようてん。

用法ようほう

「コモンズの悲劇ひげき」という定型ていけい句くで知しられる。各人かくじんが私利しりを追おえば共有きょうゆう資源しげんは枯渇こかつする、という議論ぎろんである。しかしこの主題しゅだいは逆ぎゃくの方向ほうこうを向むいており、共同きょうどうで管理かんりすれば守まもれるという可能性かのうせいのほうを述のべている。地球ちきゅう環境かんきょうを一種いっしゅの共有きょうゆう財産ざいさんとして捉とらえ、個人こじんの私利私欲しりしよくに任にんせずに管理かんりしようという発想はっそうである。オストロムの研究けんきゅうが背景はいけいにあり、私有しゆうか国有こくゆうかという二に択たくを超こえる第だい三さんの道みちとして注目ちゅうもくされている。☑149 エコロジーと接続せつぞくする。

用例ようれい
  • 大地だいちは、万人ばんにんの共有きょうゆうの宝たからである。……我々われわれは、イングランドを再ふたたび万人ばんにんのための共有きょうゆうの宝庫ほうことせねばならない。ジェラード・ウィンスタンリー『新しん正義せいぎの法ほう』(1649)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    コモンズを囲かこい込こみの当時とうじに守まもろうとした側がわの言葉ことばである。ウィンスタンリーは掘ほる人ひと(ディガーズ)と呼よばれた運動うんどうの中心ちゅうしんにいた。荒あれ地ちを耕こうし、誰だれの許可きょかも得とくずに共有きょうゆう地ちとして使つかうという実力じつりょく行使こうしである。注目ちゅうもくしたいのは「再ふたたび」という語ごだ。新あたらしい制度せいどを要求ようきゅうしているのではない。もとに戻もどせと言いっている。1-6 の 122 で見みたルソーの「囲かこい」より百年ひゃくねん早はやく、現げんに囲かこわれつつある土地とちの上うえで書かかれた文章ぶんしょうだ。私的してき所有しょゆうの成立せいりつは静しずかな移行いこうではなく、同時どうじ代だい人ひとが抵抗ていこうした出来事できごとだった — この事実じじつがコモンズという語ごの重おもみを決きめている。
  • 入会にゅうかいの山野さんやは、村むら中ちゅうの者ものが定さだめに従じゅうひて薪たきぎを採とり草くさを刈かる。……定さだめを破やぶる者ものは、村むらの掟おきてによりてこれを咎とがむ。近世きんせいの村方むらかた文書ぶんしょに見みえる入会にゅうかいの慣行かんこうの主旨しゅしによる
    コモンズが無秩序むちつじょではないことを示しめす記述きじゅつである。共有きょうゆう地ちは誰だれでも好すきなだけ使つかえる場所ばしょではなかった。いつ、誰だれが、どれだけを細こまかく定さだめ、破やぶれば村むらが罰ばつした。これは「共有きょうゆう地ちの悲劇ひげき」という有名ゆうめいな議論ぎろんへの事実じじつによる反論はんろんになっている。あの議論ぎろんは誰だれも管理かんりしていない共有きょうゆう地ちを想定そうていしていたが、歴史上れきしじょうの入会地いりあいちはほぼ例外れいがいなく管理かんりされていた。私有しゆうか国有こくゆうかという二に択たくの外そとに、第だい三さんの管理かんりの形かたちが実在じつざいした — 1-6 の 139 のアナキズムの自じ主しゅ管理かんりが空想くうそうではないと言いえるのは、この種しゅの記録きろくがあるからだ。
  • コモンズは、誰だれのものでもない場所ばしょではなく、使つかう者ものたちが共同きょうどうで管理かんりする場所ばしょである。 最もっとも多おおい誤解ごかいを潰つぶす型かたである。「みんなのもの」を「誰だれのものでもない」と読よみ替かえた瞬間しゅんかんに、荒廃こうはいの物語ものがたりが始はじまる。共有きょうゆうと無む主しゅは違ちがう — この一点いってんを押おさえるだけで、議論ぎろんの質しつが変かわる。
  • ×駅前えきまえの広場ひろばは市民しみんのコモンズだから自由じゆうに使つかえる。 「自由じゆうに使つかえる」が誤あやまりである。コモンズは共同きょうどうの管理かんりと取とり決きめを伴ともなう。ルールが無ないならそれはコモンズではなく無む主しゅ物ぶつだ。なお現代げんだいでは知識ちしき・データ・自然しぜん環境かんきょうにもこの語ごを広ひろげて使つかうが、管理かんりの仕組しくみがあるかという問といはどの領域りょういきでも同おなじである。
派生はせい形けい
  • 入会いりあい[0]日本語にほんごでの対応たいおう語ご。村むらの共同きょうどう利用りようの権利けんりを指さし、いまも民法みんぽうに入会にゅうかい権けんとして残のこっている。「にゅうかい」ではない。近代きんだい法ほうが私有しゆうと国有こくゆうで割わり切きりろうとして割わり切きれなかった痕跡こんせきである。
  • 共有きょうゆう[0]法律ほうりつ用語ようごでは意味いみが狭せまい。複数人ふくすうにんが持分もちぶんをもって所有しょゆうする形かたちで、持分もちぶんは売うれる。コモンズは持分もちぶんに分わけられない点てんでこれとは違ちがう。分わけられるかどうかが決定的けっていてきな差さになる。
  • 公共財こうきょうざい[3]経済学けいざいがくの語ご。誰だれも排除はいじょできず、使つかっても減へらない財ざい(灯台とうだい・国防こくぼう)。コモンズは排除はいじょできないが使つかえば減へる点てんで公共財こうきょうざいとは別べつの類型るいけいである。この二に軸じくで分わけると議論ぎろんが精密せいみつになる。
コロケーション
  • 共有きょうゆう地ちの悲劇ひげき有名ゆうめいな反論はんろん各人かくじんが自分じぶんの利益りえきを追おえば共有きょうゆう地ちは必かならず荒廃こうはいするという議論ぎろん。この議論ぎろんの弱点じゃくてんは前提ぜんていにある — 誰だれも話はなし合あわないと仮定かていしているのだ。実際じっさいの共有きょうゆう地ちでは使つかう者ものどうしが取とり決きめを作つくる。モデルの前提ぜんていを確たしかめるという読解どっかいの作法さほうが、ここで直接ちょくせつ役やくに立たつ。
  • コモンズの囲かこい込こみ歴史れきしと現在げんざいをつなぐ語ご共有きょうゆう地ちが私有しゆうに切きり分わけられること。この語ごが現代げんだいでも生いきているのは、同おなじ操作そうさが知識ちしきや遺伝子いでんしに及およんでいるからだ。誰だれのものでもなかったものに線せんを引ひいて所有者しょゆうしゃを作つくる — 1-6 の 122 のルソーの一節いっせつがいまも現在げんざい形けいで読よめる。
  • 知ちのコモンズ現代げんだいへの拡張かくちょう学術がくじゅつ論文ろんぶん、辞典じてん、地図ちず、公開こうかいされたソフトウェア。この領域りょういきが特別とくべつなのは、使つかっても減へらないことだ。1-7 の 143 で見みたとおり、情報じょうほうは分わけても減へらない。悲劇ひげきが原理げんり的てきに起おきない共有きょうゆう地ちであり、囲かこい込こむ理由りゆうは希少性きしょうせいではなく利益りえきにしかない。
  • コモンズの再生さいせい設計せっけいの語ご失うしなわれた共有きょうゆうを作つくり直なおす試こころみ。注意ちゅういしたいのは、昔むかしに戻もどすのではないことだ。村むらの入会地いりあいちは抜ぬけられない共同体きょうどうたいの上うえに成なり立たっていた。選えらべる関係かんけいの上うえに同おなじ管理かんりを築きずけるかというのが現代げんだいの課題かだいで、06 の新あたらしい親密しんみつ圏けんと同おなじ問といを共有きょうゆうしている。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 公共財こうきょうざい誰だれもが使つかえる財ざい経済学けいざいがくの語ご。排除はいじょできない性質せいしつを言いう。コモンズは管理かんりの仕組しくみを含ふくむ。
  • 共有きょうゆう共同きょうどうで持もつ所有しょゆうの形かたち。コモンズはそこに管理かんりのルールが伴ともなう。
  • 私有しゆう個人こじんが持もつ対たい概念がいねん。☑128 資本しほん主義しゅぎの要件ようけん。
  • 入会地いりあいち村むらが共同きょうどう利用りようする山林さんりん日本にほんの伝統的でんとうてきなコモンズ。実例じつれいとして挙あげられる。

ENthe commons
ZH公共资源(共有資源, gōnggòng zīyuán)

08概念がいねん

連帯れんたい⚠

れんたい[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
連れんつらなる+帯おびおび・おびる
使用しようの境界きょうかい

複数ふくすうの者ものが共同きょうどうで責任せきにんを負おい、結むすびつくこと。仲なかがよいことや共感きょうかんすることとは違ちがう。

用法ようほう

入試にゅうし設問せつもんの急所きゅうしょがここにある。連れん帯たいとは複数ふくすうの者ものが共同きょうどうで責任せきにんを取とることであり、だからこそ「弱じゃく肉にく強きょう食しょくの論理ろんりで連れん帯たいする」は言語げんご矛盾むじゅんになる。弱じゃく肉にく強きょう食しょくは強つよい者ものが弱よわい者ものを退しりぞける原理げんりで、責任せきにんを共有きょうゆうする余地よちがないからである。自己じこ責任せきにん論ろんの語彙ごいしか持もたない者ものは、批判ひはんを語かたろうとしても自みずからを武装ぶそう解除かいじょしてしまう。この論理ろんりが読よみ取とれるかどうかが設問せつもんそのものになっている。「連れん帯たい責任せきにん」は法律ほうりつ用語ようごで、意味いみの中心ちゅうしんが明瞭めいりょうに出でている。

用例ようれい
  • 分業ぶんぎょうが進すすむほど、人ひとはたがいに異ことなっていく。そしてまさにそのゆえに、たがいを必要ひつようとするようになる。……これが有機ゆうき的てき連れん帯たいである。エミール・デュルケーム『社会しゃかい分業ぶんぎょう論ろん』(1893)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    連れん帯たいが同どう質しつ性せいからではなく差異さいから生うまれると言いい切きった一節いっせつである。(1-7 の 151 でこの著者ちょしゃの別べつの書しょを引ひいた。)常識じょうしきでは似にた者ものどうしが結むすびつく。デュルケームはそれを機械的きかいてき連れん帯たいと呼よび、古ふるい形かたちだとした。近代きんだいでは逆ぎゃくになる — 医い者しゃは農夫のうふを、農夫のうふは医い者しゃを必要ひつようとする。違ちがうからこそ離はなれられない。この見立みたての力ちからは、多様性たようせいと連れん帯たいが対立たいりつしないと示しめせることにある。1-7 の 150 の多様性たようせいがばらばらになることだと感かんじられがちなのに対たいし、分業ぶんぎょうの網あみはむしろ結むすびつきを強つよめる。ただし条件じょうけんがある — 網あみの目めが見みえていることだ。
  • 万国ばんこくの労働者ろうどうしゃよ、団だん結けつせよ。……プロレタリアは、失うしなうべきものは鉄鎖てっさのほか何なにもない。彼かれらが獲得かくとくすべきものは全ぜん世界せかいである。カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党きょうさんとう宣言せんげん』(1848)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    連れん帯たいを呼よびかけの形かたちで実演じつえんした末尾まつびである。(1-6 の 129 と 1-7 の 148 で同おなじ文書ぶんしょの別べつの箇所かしょを引ひいた。ここでは結むすびの一段いちだんを見みる。)注目ちゅうもくしたいのは「失うしなうべきものは鉄鎖てっさのほか何なにもない」という一句いっくだ。連れん帯たいの条件じょうけんを言いっているのである — 失うしなうものが多おおい者ものほど連れん帯たいしにくい。守まもるべき地位ちいや財産ざいさんがある者ものはそこから離はなれられない。この論理ろんりを裏返うらがえすと不穏ふおんな帰結きけつが出でる — 連れん帯たいを成なり立たたせるには、人ひとが失うしなうものを持もたないほうがよいのか。1-6 の 138 の全体ぜんたい主義しゅぎが中間ちゅうかん集団しゅうだんを破壊はかいしたのは、同おなじ理屈りくつの悪あく用ようだったとも読よめる。
  • 連れん帯たいは、同おなじ立場たちばの者ものが集あつまることではなく、立場たちばの違ちがう者ものがたがいの必要ひつようを認みとめることである。 この語ごの現代的げんだいてきな使つかい方かたである。同どう質しつな集団しゅうだんの結束けっそくは連れん帯たいというより排除はいじょの裏面りめんになりやすい。1-7 の 155 のマイノリティーとの連れん帯たいが難むずかしいのは、当事者とうじしゃでない者ものがどう関かかわれるかという問といを含ふくむからだ。
  • ×クラス全員ぜんいんで連れん帯たいして掃除そうじをした。 「協力きょうりょく」「一緒いっしょに」である。連れん帯たいは利害りがいや立場たちばを異いにする者ものが、共通きょうつうの課題かだいのために結むすびつくという政治的せいじてきな語ごで、共同きょうどう作業さぎょうの名なではない。なお「連れん帯たい保証ほしょう」は法律ほうりつ用語ようごで、全員ぜんいんが全額ぜんがくの責任せきにんを負おうというまったく別べつの意味いみである。
派生はせい形けい
  • 連帯感れんたいかん[3]感情かんじょうの側がわの語ご。制度せいどとしての連れん帯たいとは別べつに扱あつかうのが安全あんぜんである。連れん帯たい感かんが無なくても連れん帯たいの制度せいどは成なり立たちうるし、連れん帯たい感かんだけあっても何なにも支ささえない。
  • 団結だんけつ[0]力ちからを合あわせること。同おなじ立場たちばの者ものどうしが前提ぜんていになりやすい。連れん帯たいが違ちがう立場たちばをまたぐのに対たいし、団だん結けつは内側うちがわを固かためる。『共産党きょうさんとう宣言せんげん』の末尾まつびが「団だん結けつせよ」なのは、労働者ろうどうしゃという一ひとつの立場たちばを想定そうていしているからである。
  • 連携れんけい[0]実務じつむの語ご。組織そしきどうしが手てを組くむこと。価値かちの共有きょうゆうを含意がんいしないぶん軽かるく、行政ぎょうせいや企業きぎょうの文書ぶんしょで多た用ようされる。連れん帯たいを連携れんけいと言いい換かえると政治せいじ性せいが抜ぬける。
コロケーション
  • 社会しゃかい連れん帯たい制度せいどとしての語ご社会しゃかい保障ほしょうを支ささえる考かんがえ方かた。自分じぶんがいつ弱よわい側がわになるか分わからないから皆みなで支ささえる、という論理ろんりである。この語ごの強つよみは、同情どうじょうに頼たよらないことにある。助たすけ合あいではなく保険ほけんとして説明せつめいできるため、1-7 の 160 の自己じこ責任せきにん論ろんとも正面しょうめんから議論ぎろんできる。
  • 連れん帯たいの困難こんなん現代げんだいの診断しんだん格差かくさが広ひろがるほど連れん帯たいしにくくなるという逆説ぎゃくせつ。本来ほんらいなら格差かくさが広ひろがるほど結むすびつく理由りゆうが増ふえるはずだ。ところが実際じっさいには互たがいの生活せいかつが見みえなくなる。デュルケームの網あみの目めが長ながすぎてたどれなくなった状態じょうたいと言いえる。
  • 連れん帯たいを呼よびかける行為こういとしての語ご呼よびかけによってしか始しまらないというこの語ごの性質せいしつを示しめす形かたち。連れん帯たいは自然しぜんには生しょうじない。誰だれかが「これはあなたの問題もんだいでもある」と言いわなければ始しまらない。2-3 の 07 の公共こうきょう性せいが議論ぎろんの場ばを要求ようきゅうするのは、この呼よびかけが届とどく場所ばしょが要いるからだ。
  • 連れん帯たいと同情どうじょう書かき分わけたい対たい同情どうじょうは上うえから下したへ向むかう。連れん帯たいは横よこへ向むかう。この差さが実際じっさいに効きくのは、関係かんけいが終おわるかどうかだ。同情どうじょうは助たすけたら終おわるが、連れん帯たいは続つづく関係かんけいを前提ぜんていにしている。語ごを選えらび間違まちがえると、善意ぜんいが相手あいてを受うけ手ての位置いちに固定こていしてしまう。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 団だん結けつ力ちからを合あわせてまとまる行動こうどうの側がわ。連れん帯たいは責任せきにんを共有きょうゆうすることに重心じゅうしんがある。
  • 共感きょうかん相手あいての気持きもちが分わかる感情かんじょう。連れん帯たいは責任せきにんという行為こういの次元じげんにある。
  • 協力きょうりょく力ちからを合あわせて事ことに当あたる一時的いちじてきでもよい。連れん帯たいは継続的けいぞくてきな結むすびつきを含ふくむ。
  • 絆きずな切きれないつながり情緒じょうちょ的てき。連れん帯たいは社会的しゃかいてき・政治的せいじてきな結むすびつきを言いう。

ENsolidarity
ZH团结(団結, tuánjié)

日中にっちゅうのズレ

中国語ちゅうごくごの 连带(liándài)は「連れん帯たい責任せきにん」の連れん帯たいにほぼ限かぎられ、法律ほうりつ用語ようごである。

日本語にほんごの「労働者ろうどうしゃの連れん帯たい」のような結束けっそくの意いは 团结(tuánjié) を用もちいる。

09読解どっかい

為政者いせいしゃ

いせいしゃ[2]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい
為いなす・おこなう+政せいまつりごと+者ものひと

読よみは「いせいしゃ」。「為い」を「い」と読よむ熟語じゅくごは作さく為い・行為こうい・無む為いなど。

使用しようの境界きょうかい

政治せいじを行おこなう立場たちばにある人ひと。制度せいどを設もうけ秩序ちつじょを与あたえる側がわを指さし、政治せいじ家か一般いっぱんより重おもい。

用法ようほう

読よみが問とわれる語ごで、「いせいしゃ」である。「ためせいしゃ」ではない。「為い」を「い」と読よむ熟語じゅくごには「為い政せい」「作さく為い」「行為こうい」「無む為い」があり、まとめて押おさえる。評ひょう論文ろんぶんでは、政治せいじを行おこなう側がわと行おこなわれる側がわを分わけて論ろんじる箇所かしょに現あらわれる。本文ほんぶんの「為い政せい者しゃは、人々ひとびとの自由じゆう・平等びょうどう、人権じんけんに関かんする政治的せいじてき態度たいどを示しめすイデオロギーを主張しゅちょうする」は、制度せいどを納得なっとくさせるための語かたりが必要ひつようになるという構図こうずを述のべており、☑20 イデオロギーと直結ちょっけつする。

用例ようれい
  • 君きみは舟ふねなり、庶人しょじんは水みずなり。水みずは則そくち舟ふねを載のせ、水みずは則そくち舟ふねを覆くつがえす。『荀子じゅんし』王おう制せい篇へん
    為い政せい者しゃの位置いちを一ひとつの比喩ひゆで定さだめた一節いっせつである。(1-1 と 1-5 で同おなじ書しょの別べつの篇へんを引ひいた。)比喩ひゆの巧たくみさは同おなじ水みずが二ふたつの働はたらきをする点てんにある。浮うかべるものと沈しずめるものが同一どういつだ。だから為い政せい者しゃは民みんを味方みかたにつけるか敵てきに回まわすかを選えらべない — すでにその上うえに乗のっている。注目ちゅうもくしたいのは、これが民みん主しゅ政せいの思想しそうではないことだ。君きみと庶人しょじんははっきり区別くべつされている。それでも権力けんりょくの根拠こんきょが下したにあると言いい切きっている。統治とうちされる側がわに正統性せいとうせいの源みなもとを置おくというこの構図こうずは、1-6 の 127 の民たみ主しゅ主義しゅぎより二千年にせんねん早はやい。
  • 政せいをなすに徳とくを以もってすれば、譬たとへば北辰ほくしんの其その所しょに居いて衆しゅう星せいのこれに共むか(むか)ふがごとし。『論語ろんご』為い政せい篇へん
    為い政せい者しゃの理想りそうを天文てんもんの比喩ひゆで述のべた一句いっくである。(1-1 で同おなじ篇へんの別べつの箇所かしょを引ひいた。)北辰ほくしん(北極星ほっきょくせい)は動うごかない。それなのにすべての星ほしがその周まわりを回まわる。ここで言いわれているのは統治とうちとは動うごかすことではないという逆説ぎゃくせつだ。為い政せい者しゃが動うごき回まわって命令めいれいを出だすのではなく、定さだまった位置いちにあり続つづけることで秩序ちつじょが生しょうじる。1-7 の 145 のシステムという語ごで言いえば、為い政せい者しゃは中心ちゅうしん点てんであって動どう力りょくではない。ただしこの理想りそうには難点なんてんもある — 動うごかない者ものをどうやって取とり替かえるのか。03 で見みた政体せいたいの議論ぎろんは、まさにここから始はじまる。
  • 為い政せい者しゃの言葉ことばは、事実じじつの報告ほうこくとしてではなく、効果こうかを狙ねらった行為こういとして読よむ必要ひつようがある。 読解どっかいの構かまえである。為い政せい者しゃの発言はつげんは述のべると同時どうじに動うごかそうとしている。10 の言説げんせつという語ごが扱あつかうのはまさにこの層そうだ。何なにを言いったかだけでなく、言いうことで何なにが起おきるかまで読よむ。
  • ×町内会ちょうないかいの為い政せい者しゃに相談そうだんしてみよう。 語ごが重じゅうすぎる。「役員やくいん」「責任せきにん者しゃ」である。為い政せい者しゃは国くにや地域ちいきの政治せいじを執しつり行おこなう者ものを指さす硬かたい漢語かんごで、ある程度ていど以上いじょうの公こう権力けんりょくを伴ともなう場面ばめんで使つかう。なお「いせいしゃ」と読よむ — 「ためせいしゃ」ではない。
派生はせい形けい
  • 為政いせい[0]政まつりごと(まつりごと)を為いす。『論語ろんご』の篇へん名めいとしても知しられる。「政治せいじ」より行為こういの側がわに寄よった語ごで、誰だれかが実際じっさいに行おこなっているという含ふくみが強つよい。
  • 施政しせい[0]政せいを施せす。「施政しせい方針ほうしん演説えんぜつ」の形かたちで残のこる。為い政せいが担にない手てを指さす語ご(為い政せい者しゃ)になったのに対たいし、施政しせいは行為こういを指さす語ごのままである。同おなじ構造こうぞうの熟語じゅくごが別べつの道みちを歩あゆんだ例れい。
  • 統治とうち[1]近代きんだいの語彙ごい。制度せいどとして治ちめることを指さし、人格じんかくの色いろが薄うすい。為い政せい者しゃが誰だれかの顔かおを思おもわせるのに対たいし、統治とうちは仕組しくみを思おもわせる。1-7 の 145 のシステムという語ごと相性あいしょうがよい。
コロケーション
  • 為い政せい者しゃの責任せきにん問といを立たてる形かたち結果けっかに対たいしてどこまで負おうかという問とい。1-7 の 160 で見みた責任せきにんの三みっつの層そうがここで効きく。為い政せい者しゃは自分じぶんが引ひき起おこしていない事態じたいにも役割やくわり責任せきにんを負おう。因果いんが的てき責任せきにんが無なくても辞やめることがあるのは、この層そうが働はたらくからだ。
  • 為い政せい者しゃの視点してん位置いちを指さす語ご統治とうちする側がわから見みた景色けしき。この語ごが評ひょう論文ろんぶんで出でるときは批判ひはんの合図あいずであることが多おおい — 「治ちめやすさ」で物事ものごとを測はかっているという指摘してきだ。教育きょういくも、都市とし計画けいかくも、誰だれの視点してんで設計せっけいされているかで中身なかみが変かわる。
  • 為い政せい者しゃと民みん古典的こてんてきな対たい上下じょうげがはっきりした対たいである。現代げんだいの語彙ごいなら「政府せいふと市民しみん」だが、この語ごを選えらぶと古ふるい構図こうずが一緒いっしょに入はいってくる。語彙ごいが関係かんけいの形かたちを運はこんでくる — 2-3 の 07 で見みた「公こう」の語ご感かんのねじれと同おなじ問題もんだいである。
  • 賢明けんめいな為い政せい者しゃ理想りそうとして語かたる形かたち個人こじんの資質ししつに期待きたいするという構かまえ。これが危あやういのは、賢明けんめいでない者ものが就ついたときの備そなえが無ないからだ。02 で見みたマディソンの設計せっけいは正反対せいはんたいの発想はっそうだった — 誰だれが就ついても大おおきく壊こわれない仕組しくみを作つくる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 政治せいじ家か政治せいじに携たずさわる人ひと職業しょくぎょうの名な。為い政せい者しゃは権力けんりょくを行使こうしする立場たちばという位置いちを言いう。
  • 権力者けんりょくしゃ権力けんりょくを握にぎっている人ひと力ちからの側がわ。為い政せい者しゃは統治とうちする役割やくわりの側がわ。
  • 支配しはい者しゃ人々ひとびとを従じゅうわせる者もの一方的いっぽうてき。為い政せい者しゃは制度せいどを通つうじて統治とうちする含ふくみがある。
  • 統治とうち者しゃ国くにや地域ちいきを治ちめる者ものほぼ同義どうぎ。為い政せい者しゃのほうが文章ぶんしょう語ごとして古風こふう。

ENruler / those in power
ZH为政者(為政者, wéizhèngzhě)

10読解どっかい

言説げんせつ⚠

げんせつ[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
言げんことば+説せつとく・のべる
使用しようの境界きょうかい

社会しゃかいのなかで語かたられ流通りゅうつうしている言葉ことばのまとまり。個人こじんの発言はつげんではなく、共有きょうゆうされている語かたり方ほうを指さす。

用法ようほう

フーコー以降いこうの術語じゅつごで、「ディスクール」の訳語やくごである。要点ようてんは、言説げんせつが個人こじんの発言はつげんではなく社会しゃかいに流通りゅうつうしている語かたり方ほうを指さすことにある。だから「誰だれが言いったか」ではなく「どのように語かたられているか」を問題もんだいにする。入試にゅうし文ぶんの「『負まけ組くみ』叩たたきの言説げんせつが噴出ふんしゅつした」は、特定とくていの誰だれかの発言はつげんではなく、社会しゃかい全体ぜんたいに広ひろがった語かたり方ほうを指さしている。この語ごが出でたら、書かき手ては語かたり方ほうそのものを分析ぶんせきの対象たいしょうにしていると読よむ。

用例ようれい
  • 名な正ただしからざれば、則そくち言げん順じゅんはず。言げん順じゅんはざれば、則そくち事こと成せいらず。『論語ろんご』子路しろ篇へん
    言葉ことばの配置はいちが現実げんじつを動うごかすという発想はっそうの古ふるい形かたちである。(1-3 で同おなじ箇所かしょを正名せいめいの観点かんてんから引ひいた。ここでは言説げんせつという語ごの側がわから読よみ直なおす。)孔子こうしの論法ろんぽうは因果いんがの連鎖れんさだ — 名なが正ただしくなければ言げんが通とおらず、言げんが通とおらなければ事ことが成せいらない。言葉ことばの乱みだれが実務じつむの失敗しっぱいになるまで一直線いっちょくせんにつながっている。言説げんせつという現代げんだいの術語じゅつごが扱あつかうのも同おなじ構造こうぞうだが、向むきが逆ぎゃくである点てんに注意ちゅういしたい。孔子こうしは正ただしい名なを取とり戻もどせと言いう。現代げんだいの言説げんせつ分析ぶんせきは「正ただしい名な」もまた誰だれかが決きめたものだと疑うたがう。同おなじ洞察どうさつから正反対せいはんたいの処方しょほうが出でる。
  • 政治的せいじてきな言葉ことばは、嘘うそを真実しんじつらしく、殺人さつじんを尊敬そんけいすべきものに見みせるために作つくられている。……そして、純粋じゅんすいな風かぜに固かたさの外見がいけんを与あたえるために。ジョージ・オーウェル「政治せいじと英語えいご」(1946)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    言説げんせつが何なにをするかを具体例ぐたいれいで示しめした一節いっせつである。(1-6 の 138 でこの著者ちょしゃの小説しょうせつを引ひいた。)オーウェルが挙あげる例れいはすべて言いい換かえだ — 村むらを焼やくことを「平定へいてい」と呼よび、追放ついほうを「人口じんこうの移送いそう」と呼よぶ。注目ちゅうもくしたいのは最後さいごの一句いっくである。「純粋じゅんすいな風かぜに固かたさの外見がいけんを与あたえる」 — 中身なかみの無ない文章ぶんしょうを中身なかみがあるように見みせるということだ。難解なんかいな語ごを並ならべ、受動態じゅどうたいで書かき、主語しゅごを消けす。これは嘘うそをつくより広ひろく行おこなわれている。2-1 の 09 で見みた受動態じゅどうたいが責任せきにんの所在しょざいをぼかすという指摘してきは、このエッセイから来きている。
  • 同おなじ事実じじつでも、どの言説げんせつの枠わくに置おかれるかで、見みえ方かたも取とりうる対策たいさくも変かわる。 この語ごの使つかいどころである。貧困ひんこんを「福祉ふくし」の枠わくで語かたるか「就労しゅうろう支援しえん」の枠わくで語かたるかで、同おなじ人ひとが保護ほごの対象たいしょうにも訓練くんれんの対象たいしょうにもなる。枠わくの選択せんたくが政策せいさくの中身なかみを先さきに決きめてしまう。
  • ×彼かれの言説げんせつは説得力せっとくりょくがあった。 「発言はつげん」「主張しゅちょう」である。言説げんせつは個々ここの発言はつげんではなく、ある時代じだい・領域りょういきで何なにが語かたれて何なにが語かたれないかを定さだめている語かたりの体系たいけいを指さす。一人ひとりの言葉ことばにはふつう使つかわない。「〜をめぐる言説げんせつ」のように、主題しゅだいを伴ともなう形かたちで現あらわれるのが普通ふつうである。
派生はせい形けい
  • ディスクール[4]原語げんごのままの形かたち。フランス語ご discours。「言説げんせつ」という訳語やくごが定着ていちゃくする前まえはこちらが使つかわれた。もとは「談話だんわ・演説えんぜつ」という普通ふつうの語ごであることを知しっておくと、術語じゅつごとしての重おもみが相対そうたい化かできる。
  • 言表げんぴょう[0]より小ちいさな単位たんい。実際じっさいに語かたられた一ひとつ一ひとつの文ぶんを指さす。言表げんぴょうが集あつまって言説げんせつになるのではなく、言説げんせつがどの言表げんぴょうを可能かのうにするかを決きめているという順序じゅんじょで考かんがえるのがこの理論りろんの要点ようてんである。
  • 語りかたり[0]和わ語ごでの言いい換かえ。やわらかく、個人こじんの声こえを含ふくみうる。「当事者とうじしゃの語かたり」のように使つかう。言説げんせつが匿名とくめいの体系たいけいを指さすのに対たいし、語かたりは誰だれかの口くちから出でる — この差さを意識いしきして選えらび分わけたい。
コロケーション
  • 言説げんせつ空間くうかん広ひろがりを指さす語ごある事柄ことがらについて語かたられていることの総体そうたい。この語ごが要いるのは、個々ここの発言はつげんをいくら集あつめても見みえないものがあるからだ。何なにが語かたられていないかは、空間くうかんとして捉とらえないと見みえない。沈黙ちんもくもまた言説げんせつの一部いちぶである。
  • 支配しはい的てき言説げんせつ力ちからを含ふくむ語ごその時代じだいに当あたり前まえとされている語かたり方ほう。「支配しはい的てき」と付つくのは、他ほかの語かたり方ほうを押おしのけているからだ。注意ちゅういしたいのは、誰だれかが押おしつけているとは限かぎらないことである。1-7 の 151 の構造こうぞう主義しゅぎが言いうとおり、命令めいれい者しゃがいなくても配置はいちは働はたらく。
  • 言説げんせつを組くみ替かえる介入かいにゅうの語ご同おなじ事実じじつを別べつの枠わくで語かたり直なおすこと。この作業さぎょうが政治的せいじてきな行為こういであるのは、枠わくが変かわれば取とりうる手段しゅだんが変かわるからだ。「障害しょうがい」を個人こじんの欠損けっそんと語かたるか社会しゃかいの側がわの障壁しょうへきと語かたるかで、直なおすべき対象たいしょうが入いれ替かわる。
  • 言説げんせつと実践じっせん対たいで使つかう語ご語かたることと実際じっさいに行おこなうこと。この対たいを立たてる意味いみは、言説げんせつが実践じっせんを導みちびき、実践じっせんが言説げんせつを裏うらづけるという循環じゅんかんを見みるためだ。どちらが先さきかを決きめられないところにこの語ごの難むずかしさがあり、1-7 の 146 の装置そうちという語ごが両方りょうほうをまとめて指さすのはそのためである。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 発言はつげん口くちに出だして言いうこと個人こじんの行為こうい。言説げんせつは社会しゃかいに流通りゅうつうしているまとまり。
  • 議論ぎろん論ろんじ合あうことやりとり。言説げんせつは語かたられ方ほうそのもの。
  • イデオロギー行動こうどうを根底こんていで制限せいげんする信念しんねん☑20。信念しんねんの体系たいけい。言説げんせつは語かたりの様式ようしきに重心じゅうしんがある。
  • ディスクール言説げんせつフーコーの語ごの音訳おんやく。誰だれが語かたりうるかという権力けんりょくの問題もんだいを含ふくむ。

ENdiscourse
ZH话语(言説・ディスクール, huàyǔ)

日中にっちゅうのズレ

中国語ちゅうごくごの 言说(yánshuō)は「述のべる」という動詞どうしで、術語じゅつごとしては使つかわない。

フーコー的てきな「言説げんせつ」は 话语(huàyǔ)、言説げんせつ分析ぶんせきは 话语分析 となる。

11読解どっかい

依拠いきょ⚠

いきょ[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
依いよる・たよる+拠きょよりどころ

「依い」も「拠きょ」も〈よりどころとする〉を表あらわす。同義どうぎの重かさね語ごである。

使用しようの境界きょうかい

あるものをよりどころとして立たてること。参考さんこうにすることではなく、それに支ささえられていることを含ふくむ。

用法ようほう

二字にじがともに〈よりどころとする〉を表あらわす同義どうぎの重かさね語ごである。学術がくじゅつ文ぶんで「先行せんこう研究けんきゅうに依拠いきょする」「統計とうけいに依拠いきょした議論ぎろん」の形かたちで使つかう。入試にゅうし文ぶんの「そうした言葉ことばに依拠いきょすることは、同時どうじに自みずからを武装ぶそう解除かいじょしてしまうことでもあった」は、批判ひはんのために借かりた語彙ごいが、批判ひはんの力ちからを奪うばうという逆説ぎゃくせつを述のべている。依拠いきょする対象たいしょうがその人ひとの立場たちばを決きめてしまう、という構図こうずがここにある。読よみが問とわれることもある。

用例ようれい
  • 我々われわれは巨人きょじんの肩かたの上うえに乗のる小人しょうじんのようなものである。……彼かれらより遠とおくを見みることができるのは、我々われわれの視力しりょくが優すぐれているからでも背せが高たかいからでもなく、彼かれらの巨大きょだいさによって高たかく持もち上あげられているからだ。シャルトルのベルナール ─ ソールズベリのジョン『メタロギコン』(1159)による/訳やくは本ほん教材きょうざい
    依拠いきょという関係かんけいを最もっとも美うつくしく述のべた一節いっせつである。注目ちゅうもくしたいのは二に重じゅうの否定ひていだ。視力しりょくでもなく、背せでもない — 自分じぶんの能力のうりょくを二に度ど否定ひていしてから理由りゆうを述のべる。この慎重しんちょうさが依拠いきょという語ごの作法さほうを示しめしている。先人せんじんに依拠いきょしていることを認みとめないと、自分じぶんの見み晴はれらしを自分じぶんの手柄てがらにしてしまう。そしてもう一ひとつ — 「遠とおくを見みることができる」ことは認みとめている。謙遜けんそんではないのだ。実際じっさいに遠とおくが見みえており、その理由りゆうが自分じぶんの外そとにあると正確せいかくに述のべているだけである。1-7 の 152 のアカデミズムが出典しゅってんを必かならず示しめすのは、この作法さほうの制度せいど化かにほかならない。
  • 法ほうによりて人ひとによらざれ。義ぎによりて語ごによらざれ。智ちによりて識しきによらざれ。了りょう義経よしつねによりて不ふ了りょう義経よしつねによらざれ。『大般だいはつ涅槃ねはん経へ』四よん依い(依よるべき四よっつのもの)
    何なんに依拠いきょすべきかを四よっつ並ならべた一節いっせつである。構造こうぞうはすべて同おなじ形かたちだ — Aによって、Bによるな。注目ちゅうもくしたいのは一ひとつ目めである。「人ひとによるな」 — 誰だれが言いったかではなく何なにを言いったかで判断はんだんせよ、と。権威けんいへの依拠いきょを最初さいしょに禁きんじているのだ。二ふたつ目めも鋭するどい — 言葉ことばそのものではなく意味いみに依いれ。字面じづらに留とまるなというこの指示しじは、04 の原理げんり主義しゅぎへの千せん数百すうひゃく年前ねんまえの反論はんろんになっている。依拠いきょは避さけられない。だからこそ何なんに依拠いきょするかを選えらばねばならない — この一節いっせつが言いっているのはそういうことである。
  • 筆者ひっしゃの主張しゅちょうは、一いち九きゅう世紀せいきの統計とうけいに依拠いきょしている。その統計とうけいの取とり方かたを疑うたがえば、主張しゅちょう全体ぜんたいが揺ゆらぐ。 読解どっかいでこの語ごが働はたらく場面ばめんである。何なんに依拠いきょしているかを特定とくていできれば、そこを突つけばよい。論ろんの急所きゅうしょはたいてい前提ぜんていの側がわにある — 2-3 の 09 の通底つうていと一いち対たいで使つかえる読よみ方かただ。
  • ×駅えきに近ちかい物件ぶっけんに依拠いきょして住じゅうまいを決きめた。 「重視じゅうしして」「基準きじゅんにして」である。依拠いきょは論ろんや制度せいどがよりどころとすることを言いう硬かたい語ごで、日常にちじょうの判断はんだんには使つかいにくい。「〜に依拠いきょする」の形かたちで、目的語もくてきごには理論りろん・資料しりょう・法ほう・前提ぜんていが来くる。抽象的ちゅうしょうてきなよりどころに限かぎられると覚おぼえておくとよい。
派生はせい形けい
  • 依存いぞん[0]紛まぎらわしい語ご。依存いぞんはそれが無ないと成なり立たたないという状態じょうたいを言いい、否定的ひていてきな色いろが付つきやすい(依存いぞん症しょう)。依拠いきょは論ろんのよりどころで中立ちゅうりつである。「いそん」とも読よむ。
  • 準拠じゅんきょ[1]基準きじゅんとして従したがうこと。「準拠じゅんきょ集団しゅうだん」「規格きかくに準拠じゅんきょする」。依拠いきょが土台どだいにするのに対たいし、準拠じゅんきょは合あわせる。支ささえられているか、揃そろえているかという差さである。
  • 根拠こんきょ[0]最もっとも一般的いっぱんてきな語ご。主張しゅちょうを支ささえる理由りゆう。依拠いきょが動詞どうし的てき(〜に依拠いきょする)なのに対たいし、根拠こんきょは名詞めいしとして立たつ。「根拠こんきょに依拠いきょする」とは言いえるが重じゅう言げんに近ちかく、使つかい分わけたい。
コロケーション
  • 〜に依拠いきょする基本きほんの形かたち助詞じょしは「に」。目的語もくてきごにはその論ろんを支ささえている外部がいぶのものが来くる。この語ごが読解どっかいで重要じゅうようなのは、依拠いきょ先さきが書かかれていない論ろんがあるからだ。何なんにも依拠いきょしていない論ろんは存在そんざいしない以上いじょう、書かかれていないなら隠かくれている。
  • 依拠いきょする枠組わくぐみ見みえにくい前提ぜんてい理論りろん・立場たちば・世界観せかいかん。この結むすびつきが要いるのは、資料しりょうへの依拠いきょは見みえるが枠組わくぐみへの依拠いきょは見みえないからだ。同おなじ資料しりょうでも別べつの枠組わくぐみなら別べつの結論けつろんが出でる — 1-2 のパラダイムが扱あつかっていたのはこの層そうである。
  • 依拠いきょなき断定だんてい批判ひはんの語ごよりどころを示しめさずに言いい切きること。この批判ひはんが有効ゆうこうなのは、示しめせば検証けんしょうできるからだ。間違まちがっていることより、検証けんしょうさせないことのほうが重おもい問題もんだいである — 1-7 の 152 で見みたとおり、学問がくもんは乗のり越こえられるために手ての内うちを明あかす。
  • 相互そうご依拠いきょ循環じゅんかんを指さす語ご二ふたつの主張しゅちょうがたがいを根拠こんきょにしている状態じょうたい。循環じゅんかん論法ろんぽうである。外そとから見みればすぐ分わかるのに、内側うちがわにいると見みえないのが厄介やっかいなところだ。2-3 の 12 の固執こしつと同おなじく、他者たしゃの目めでしか検出けんしゅつできない。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 依存いぞん頼たよって成なり立たつ支ささえられている状態じょうたい。依拠いきょは論ろんや主張しゅちょうが何なにを根拠こんきょにするかを言いう。
  • 準拠じゅんきょ定さだめられた基準きじゅんに従したがう基準きじゅんがすでにある。依拠いきょは自分じぶんでよりどころを選えらぶ。
  • 基もとづく土台どだいとする一般いっぱん語ご。依拠いきょは硬かたい文章ぶんしょう語ごで、学術がくじゅつ文ぶんに使つかう。
  • 参照さんしょう照てらし合あわせて見みる参考さんこうにするだけ。依拠いきょは支ささえられている点てんが違ちがう。

ENto rely on / to be based on
ZH依据(よりどころとする, yījù)

日中にっちゅうのズレ

中国語ちゅうごくごでは 依い据すえ(yījù) または 根ね据すえ を使つかう。依拠いきょ という語形ごけいはほとんど用もちいない。

「〜に依拠いきょする」は 依い据すえ〜/以い〜为依据 と言いい換かえる。

12読解どっかい

淘汰とうた

とうた[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
淘とうよなげる・より分わける+汰たより分わける

「淘とう」も「汰た」も〈水みずで洗あらってより分わける〉を表あらわす。読よみ書かきともに問とわれる。

使用しようの境界きょうかい

不要ふようなものや適てきさないものが取とり除のぞかれ、残のこるものが選えらび分わけられること。単たんに減へることではない。

用法ようほう

二字にじがともに〈水みずで洗あらってより分わける〉を表あらわす。生物学せいぶつがくの「自然しぜん淘汰とうた」から、経済けいざいの「市場しじょうでの淘汰とうた」へ転用てんようされた。ヒント①が示しめすように、市場しじょう原理げんり主義しゅぎは市場しじょうの自由じゆうな競争きょうそうに任にんせると淘汰とうたにより良質りょうしつなものが残のこると考かんがえる。要点ようてんは、この語ごを使つかうと取とり除のぞかれる側がわの責任せきにんが問とわれなくなることにある。自然しぜんの摂理せつりのように語かたられるためである。だからこそ自己じこ責任せきにん論ろんと結むすびつきやすい。読よみ書かきともに問とわれる。

用例ようれい
  • 私わたしはこの有利ゆうりな変異へんいが保存ほぞんされ不利ふりな変異へんいが捨すて去さっられる原理げんりを、自然しぜん選択せんたく、すなわち最適さいてき者しゃ生存せいぞんと呼よぶ。チャールズ・ダーウィン『種しゅの起源きげん』第だい四よん章しょう(1859)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    淘汰とうたという語ごの出でどころである。(1-7 の 150 で同おなじ書しょの結語けつごを引ひいた。)注意ちゅうい深ふかく読よむと、ダーウィンは価値かち判断はんだんをしていない。「有利ゆうり」「不利ふり」はその環境かんきょうにおけるという限定げんていつきで、優すぐれている・劣おとっているとは書かいていない。環境かんきょうが変かわれば有利ゆうりと不利ふりは入いれ替かわる。ところが「最適さいてき者しゃ生存せいぞん」というスペンサー由来ゆらいの言いい換かえが広ひろまると、生いき残のこった者ものが最適さいてきだったという循環じゅんかんした読よみが生うまれた。これは同どう語ご反復はんぷくである — 何なにが最適さいてきかは生いき残のこったことでしか測はかれない。この循環じゅんかんが社会しゃかいに持もち込こまれると恐おそろしい道具どうぐになる。
  • 天てんは人ひとの上うえに人ひとを造つくらず、と云いへり。……されども、賢人けんじんと愚人ぐじんとの別べつは、学まなぶと学まなばざるとによりて出来できるものなり。福沢ふくざわ諭吉ゆきち『学問がくもんのすゝめ』初編しょへん(1872)
    淘汰とうたの論理ろんりが日本にほんで受うけ入いれられた道筋みちすじを示しめす一節いっせつである。(1-1 と 1-6 で同おなじ書しょの別べつの箇所かしょを引ひいた。)福沢ふくざわの意図いとは身分制みぶんせいの否定ひていだった。生うまれで決きまらないと言いうために努力どりょくで決きまると書かいた。ところがこの言いい方かたは結果けっかの差さを正当化せいとうかする論理ろんりにもなる。差さがあるのは学まなばなかったからだ、と。解放かいほうの言葉ことばがそのまま選別せんべつの言葉ことばになる。1-7 の 160 の自己じこ責任せきにんがここに根ねを持もつことは、押おさえておく値打ねうちがある。同おなじ一文いちぶんが、身分制みぶんせいの下もとでは解放かいほうを、競争きょうそう社会しゃかいの下もとでは切きり捨すてを意味いみしうる — 言葉ことばの効果こうかは置おかれた社会しゃかいで決きまる。
  • 市場しじょうでの淘汰とうたを自然しぜんの法則ほうそくのように語かたるとき、そのルールを誰だれが作つくったかが見みえなくなる。 この語ごを警戒けいかいして読よむ型かたである。「自然しぜん」という語ごが効きいている — 自然しぜんなら仕方しかたない。ところが市場しじょうのルールは法ほうと制度せいどで作つくられている。1-4 の 87 で見みた「である」から「べきである」への飛躍ひやくが、ここで最もっとも広ひろく行おこなわれている。
  • ×古ふるい機き種しゅは淘汰とうたされてなくなった。 誤あやまりではないが含ふくみに注意ちゅうい。この用法ようほうだと消きえたのは劣おとっていたからという評価ひょうかが自動的じどうてきに付つく。実際じっさいには規格きかくの政治せいじや販売はんばい網もうで決きまることも多おおい。「市場しじょうから姿すがたを消けした」と書かけば評価ひょうかを入いれずに済すむ。淘汰とうたという語ごは選えらぶだけで一ひとつの説明せつめいを連つれてくる。
派生はせい形けい
  • 淘汰するとうたする[1]他動詞たどうし。誰だれが淘汰とうたするのかが問題もんだいになる。「市場しじょうが淘汰とうたする」と書かけば市場しじょうが主語しゅごになり、制度せいどを作つくった者ものが文ぶんから消きえる — 2-1 の 09 で見みた受動態じゅどうたいの問題もんだいと同おなじ構造こうぞう。
  • 選別せんべつ[0]人ひとの手てによることがはっきりしている語ご。淘汰とうたが自然しぜんに起おきるように響ひびくのに対たいし、選別せんべつは誰だれかが基準きじゅんを持もって分わけている。同おなじ事態じたいをどちらの語ごで書かくかで、責任せきにんの所在しょざいが現あらわれたり消きえたりする。
  • 適者生存てきしゃせいぞん[5]スペンサーの造語ぞうご。ダーウィン自身じしんは第だい五ご版はんからこの語ごを採とり入いれたが、もとは彼かれの語ごではない。誰だれの語ごかを確たしかめるだけで、科学かがくとそこに付つけ加くわえられたイデオロギーを切きり分わけられる。
コロケーション
  • 自然しぜん淘汰とうた生物学せいぶつがくの術語じゅつご「自然しぜん選択せんたく」とも訳やくす。訳語やくごの差さが大おおきい — 「淘汰とうた」はふるい落おとすという像ぞうを持もつが、「選択せんたく」は中立ちゅうりつである。原語げんご selection に「落おとす」の意いは無ない。訳語やくごが概念がいねんに残酷ざんこくさを付つけ足たした例れいである。
  • 社会的しゃかいてき淘汰とうた転用てんようされた形かたち生物学せいぶつがくの語ごを社会しゃかいに持もち込こんだもの。この転用てんようが十九じゅうきゅう世紀末せいきまつに広こうまり、植民地しょくみんち支配しはいと優生ゆうせい思想しそうを正当化せいとうかした。科学かがくの権威けんいを借かりて価値かち判断はんだんを事実じじつに見みせるというこの手口てぐちは、形かたちを変かえていまも現あらわれる。
  • 淘汰圧とうたあつ条件じょうけんを指さす語ご何なにを残のこし何なにを落おとすかを決きめる環境かんきょうの側がわの条件じょうけん。この語ごが有用ゆうようなのは、視線しせんを落おとされた側がわから条件じょうけんの側がわへ移うつせるからだ。「なぜ消きえたか」ではなく「何なにが消けさせたか」を問とえる。1-7 の 145 のシステムの論理ろんりと同おなじ手てつきである。
  • 淘汰とうたされない否定ひてい形けいでの使用しよう生いき残のこった側がわを指さす。この言いい方かたには能力のうりょくの含ふくみが入はいり込こみやすい。運うんも、最初さいしょの位置いちも、無視むしされる。1-7 の 159 で見みた自己じこ決定けっていの条件じょうけんと同おなじで、出発点しゅっぱつてんの差さを数かぞえないかぎり結果けっかの差さは説明せつめいできない。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 選別せんべつより分わけて選えらぶ選えらぶ主体しゅたいがいる。淘汰とうたは結果けっかとして残のこるという含ふくみが強つよい。
  • 排除はいじょ外そとへ出だす意図いとがある。淘汰とうたは仕組しくみが働はたらいた結果けっかを言いう。
  • 競争きょうそう勝かち負まけを争あらそう過程かてい。淘汰とうたはその結果けっか。
  • 自然しぜん淘汰とうた環境かんきょうに適てきしたものが残のこるダーウィン。生物学せいぶつがくの語ご。市場しじょうの議論ぎろんに転用てんようされている。

ENselection / weeding out
ZH淘汰(淘汰, táotài)

格による分布硬・学術、硬、中の三段階に本節の語を振り分けた図。 硬・学術 4 新自由主義 親密圏 コモンズ 言説 硬 5 衆愚政治 再分配 為政者 依拠 淘汰 中 3 ポピュリズム 原理主義 連帯 語は意味ではなく格で選ぶ
格かくによる分布ぶんぷ
入試にゅうしにチャレンジ

弱じゃく肉にく強きょう食しょくの論理ろんりで、連れん帯たいできるか

弱肉強食の論理で連帯できるか連帯が責任の共有を要件とするのに対し、弱肉強食の論理は責任の共有を許さないため、両立しないことを示した図。 連帯 共同で責任を取る 弱肉強食の論理 強い者が弱い者を退ける 両立しない 批判しようとして、批判できなくなる 自己責任論を批判する その語彙しか持たない 自らを武装解除 充分に個人化された無力な個人があるばかりだった。 依拠する言葉が、その人の立場を決めてしまう
連れん帯たいと弱じゃく肉にく強きょう食しょく ── 両立りょうりつしない二ふたつ
本文ほんぶん

一いち九きゅう九きゅう〇年代ねんだい後半こうはんになって、貧困ひんこん化かへの不安ふあんが広範こうはんな人々ひとびとを捉とらえ始はじめたとき、「自己じこ責任せきにん論ろん」を借用しゃくようした「負まけ組くみ」叩たたきの言説げんせつが噴出ふんしゅつした。新しん自由じゆう主義しゅぎという市場しじょう万能ばんのう論ろん――「自己じこ責任せきにん」とともに「小ちいさな政府せいふ」「民みん営えい化か」「規制きせい緩和かんわ」「グローバル・スタンダード」「自立じりつ」といった言葉ことばがそこから派生はせいした。そうした言葉ことばのセットはひとまとめに「改革かいかく」と呼よばれた――は、そのためのもっともらしい語彙ごいを提供ていきょうした。

二〇にれい〇〇年としには、金子勝かねこまさるは、世代間せだいかん格差かくさへの不満ふまんを語かたる言葉ことばとして、「今いまのところ、この世代間せだいかん格差かくさを解消かいしょうするイデオロギーとして、二十歳はたち代だい以下いかの若年じゃくねん世代せだいに提供ていきょうされているのは市場しじょう主義しゅぎ的てきリベラリズム以外いがいにない」と述のべている。確たしかに、当時とうじの大学だいがく生せいや受験じゅけん生せいの論述ろんじゅつは、市場しじょう原理げんり主義者しゅぎしゃのそれであった。「自己じこ責任せきにんの時代じだい」の決意けつい表明ひょうめいで文章ぶんしょうを締しめることが、お約束やくそくのことでもあった。もちろん、だからといって、彼かれら彼女かのじょらが、市場しじょう原理げんり主義者しゅぎしゃであったわけではない。批判ひはんを語かたる言葉ことばがそれしかなく、何なにかをいおうとすればそうならざるを得とくなかったのである。

だが、金かね子こも述のべたように、そうした言葉ことばに依拠いきょすることは、同時どうじに自みずからを武装ぶそう解除かいじょしてしまうことでもあった。なぜなら、「弱じゃく肉にく強きょう食しょくの論理ろんりで連れん帯たいする」というのは、そもそも言語げんご矛盾むじゅんであり、そこには充分じゅうぶんに個人こじん化かされた無力むりょくな個人こじんがあるばかりだったのである。

おそらく、当時とうじの大学だいがく生せいや受験じゅけん生せいは、世代間せだいかん競争きょうそうの「勝かち組くみ」である大人おとなたちの口くちから出でた脅おどし文句もんくを反復はんぷくしていたに過すぎないだろう。それでも、「自己じこ責任せきにん論ろん」に代だいわるものがないというのは、やはり痛々いたいたしいことであった。「自己じこ責任せきにん論ろん」の論理ろんりは、驚おどろくほど素朴そぼくな因果いんが論ろんとして構成こうせいされている。そこでは、ある人ひとの人生じんせいにおける出来事できごとが、すべて個人こじんに内在ないざいする要因よういんで説明せつめいされてしまうのである。

出典しゅってん 西澤にしざわ晃彦あきひこ『貧者ひんじゃの領域りょういき――誰だれが排除はいじょされているのか』 / 出題しゅつだい 中央ちゅうおう大学だいがく・文学ぶんがく部ぶ

現代政治の四つの潮流政府の役割の大きさを横軸に、四つの政治的潮流を配置した図。 政府と共同体の役割 小さい 大きい 自由至上主義 リバタリアニズム 政府の役割を 最小限に抑える 共同体主義 コミュニタリアニズム 共同体の価値観を 重視する 保守主義 既存の制度・慣習を 重んじる 原理主義 根本の教義へ 立ち返る グローバル化への反動として、右側の三つが力を得た。 軸は一本ではないが、まずこの一本で位置を掴む
現代げんだい政治せいじの四よっつの潮流ちょうりゅう ── 一本いっぽんの軸じくで位置いちを掴つかむ
ヒント①

市場しじょう原理げんり主義しゅぎとは、〈市場しじょうの自由じゆうな競争きょうそうに任にんせると、淘汰とうたにより良質りょうしつなものが残のこる〉という考かんがえ方かた。

ヒント②

連れん帯たいとは「複数ふくすうの者ものがある行為こういや結果けっかに共同きょうどうで責任せきにんを取とる」の意いなので、「弱じゃく肉にく強きょう食しょく」という競争きょうそう原理げんりの考かんがえ方かたとは矛盾むじゅんするのである。

問とい

傍線ぼうせん部ぶ「充分じゅうぶんに個人こじん化かされた無力むりょくな個人こじんがあるばかりだった」の説明せつめいとして最もっとも適当てきとうなものを一ひとつ選えらべ。(設問せつもん・改かい)

  • A個々ここの人間にんげんが集団しゅうだんから孤立こりつしてしまったために、個人こじんとしての能力のうりょくを充分じゅうぶんに発揮はっきすることができなかった。
  • B自分じぶんたちが孤立こりつしていることに気きづかないため、他者たしゃとのつながりを積極的せっきょくてきに持もつことができなかった。
  • C強つよい者ものが弱よわい者ものに勝かつという論理ろんりをみんなが持もったために、実際じっさいには連れん帯たいする力ちからを失うしなってしまった。
  • D一人ひとり一人ひとりが他者たしゃと闘たたかう姿勢しせいを持もたなくなったために、独立どくりつした個人こじんとしての能力のうりょくを失うしなってしまった。
正解せいかいと解説かいせつ

正解せいかい ── C

「自己じこ責任せきにん論ろん」は新しん自由じゆう主義しゅぎという市場しじょう万能ばんのう論ろん(≒「弱じゃく肉にく強きょう食しょくを支持しじする考かんがえ」)に依拠いきょする、という筆者ひっしゃの主張しゅちょうを押おさえる。

さらに傍線ぼうせんの「個人こじん化かされた無力むりょくな個人こじん」とは、弱じゃく肉にく強きょう食しょくを認みとめた結果けっか、他者たしゃとの連れん帯たいを行おこなえなくなった人間にんげんだと考かんがえるのがよい。

A・Dは「個人こじんとしての能力のうりょく」が、Bは「自分じぶんたちが孤立こりつしていることに気きづかない」がそれぞれ本文ほんぶんにはない内容ないよう。

Output

産出さんしゅつ

やるなら ── 次つぎのいずれかを一段落いちだんらくで書かく。

  • 自己じこ責任せきにんという語ごで語かたられている事柄ことがらを一ひとつ挙あげ、その語ごを使つかわずに言いい直なおす
  • 身近みじかに共同きょうどうで管理かんりされているものを一ひとつ挙あげ、私有しゆうでも国有こくゆうでもない仕組しくみを説明せつめいする
Blank

新しん自由じゆう主義しゅぎを批判ひはんする言葉ことばのほとんどが、新しん自由じゆう主義しゅぎの広ひろめた語彙ごいでできているとしたら、その批判ひはんはどこに立たっていることになるのか。