Theme 2-5

経済けいざい論ろん

[ 原げん書しょ 第だい2部ぶ テーマ編へん 2-5 ]

加筆かひつ語彙ごい 12 / Key Point 2 / 図版ずはん 10

Macro — 論ろんの流ながれ

効率こうりつをもたらした仕組しくみが、そのまま一元化いちげんかをもたらした

経済論の流れ貨幣の発明から市場の成立、価値の一元化、三つの帰結を経て市場システムの見直しに至る流れを示した図。 貨幣の発明 余剰生産物の効率的な交換が可能になる ↔ 非効率な   物々交換 「商品」「市場」の成立 人々は市場に参加せざるを得ない ヒト・モノの価値の一元化 ヒトもモノも「値段」で価値がはかられる 貨幣の物神化格差の拡大成長至上主義 = 拝金主義= 貧富の差の拡大= 効率最優先 市場システムの見直し 「贈与」「ボランティア」というヒント 効率をもたらした仕組みが、そのまま一元化と序列化をもたらした
貨幣かへいの発明はつめいから、価値かちの一元化いちげんか、そして見直みなおしへ

この主題しゅだいは一本いっぽんの因果いんがでできている。貨幣かへいが発明はつめいされて余剰よじょう生産せいさん物ぶつの交換こうかんが可能かのうになり、市場しじょうが成立せいりつした。市場しじょうは効率的こうりつてきな分配ぶんぱいという優すぐれた機能きのうをもつが、いったん成立せいりつすると人々ひとびとに参加さんかを強制きょうせいする。そして市場しじょうの中なかでは、あらゆるモノも人ひとの労働ろうどうも貨幣かへいで換算かんさんされ、ヒトとモノの価値かちが一元化いちげんかされる。

ここから三みっつの帰結きけつが出でる。貨幣かへいの物神ぶっしん化か・格差かくさの拡大かくだい・成長せいちょう至し上じょう主義しゅぎである。読解どっかいの急所きゅうしょは、これらが市場しじょうの失敗しっぱいではなく市場しじょうがうまく働はたらいた結果けっかだという点てんにある。だからこそ、贈与ぞうよやボランティアのような別べつの原理げんりが見み直なおされる。

原げん書しょの本文ほんぶん

四よっつの段階だんかい

貨幣かへいと市場しじょう

市場しじょうとは、人々ひとびとが貨幣かへいを用もちいて自由じゆうにモノを交換こうかんする場ばのことである。市場しじょうは、モノを効率的こうりつてきに分配ぶんぱいし、経済けいざい競争きょうそうを促進そくしんさせるという優すぐれた機能きのうをもっている。

市場しじょうの成立せいりつには、貨幣かへいの存在そんざいが欠かかせない。なぜなら、物々交換ぶつぶつこうかんというシステムでは「商品しょうひん」となる余剰よじょう物ぶつは生うまれにくいからだ。

たとえば、あなたが魚さかなを持もっていて、肉にくと交換こうかんしたいと思おもったとしよう。その時ときあなたは、「肉にくを持もっていて、なおかつ魚さかなと交換こうかんしたい人ひと」を探さがさなければならない。この二ふたつの条件じょうけんに当あてはまる人ひとを魚さかなが腐くさる前まえに探さがすのは、非常ひじょうに効率こうりつが悪わるい。

貨幣かへいというオールマイティーな交換こうかん物ぶつがあることで、人々ひとびとは生活せいかつに必要ひつような水準すいじゅん以上いじょうの物もの(余剰よじょう物ぶつ)を積極的せっきょくてきに生産せいさんし、それを市場しじょうで交換こうかんすることができるようになったのである。

物々交換と貨幣による交換二つの条件が同時に満たされる必要のある物々交換と、その条件を不要にした貨幣による交換を対比した図。 物々交換 ── 欲望の二重の一致が要る あなた 魚をもち、肉が欲しい 相手 肉をもち、なおかつ魚が欲しい 二つの条件を同時に 満たす相手が要る 魚が腐る前に探せるか 貨幣による交換 ── 条件が消える 魚 貨幣 オールマイティー 肉 相手を探す条件が一つになる 貨幣が余剰を生み、余剰が市場を生んだ
貨幣かへいが余剰よじょうを生うみ、余剰よじょうが市場しじょうを生うんだ

貨幣かへいの支配しはい

しかし、市場しじょう経済けいざいはいいこと尽じんくめのシステムではない。ひとたび市場しじょうが成立せいりつすると、人々ひとびとはそこに参加さんかすることを強制きょうせいされる(そうでなければ、商品しょうひんを手てに入いれられない)。そして、市場しじょう経済けいざいのもとでは、あらゆるモノの価値かちは、貨幣かへいによって換算かんさんされることになる。さらに、モノばかりではなく我々われわれの労働ろうどうもまた、給料きゅうりょうという形かたちで価値かちをつけられていくのだ。

したがって、どれだけ特別とくべつな思おもい入いれがあるモノであろうとも、どのような人格じんかく者しゃであっても、それを欲ほしがる人ひとや企業きぎょうがなければ、市場しじょうの中なかでは価値かちのないものなのだ。その意味いみで、人間にんげんは貨幣かへいと市場しじょうに支配しはいされていると言いうこともできるだろう。

あらゆるものが貨幣で換算される異質なモノや人の労働が貨幣という単一の尺度で換算され、同じ軸に並べられることを示した図。 土地絵画 思い出の品労働人格 まったく異質なもの 貨幣 一般的な価値尺度 高低 同じ軸 異質なモノが「同質性」を与えられ、数量の大小で序列化される。 尺度が一つになることが、序列化を生む
尺度しゃくどが一ひとつになることが、序列化じょれつかを生うむ

市場しじょうと国家こっか

同時どうじに、市場しじょう経済けいざいのルールである自由じゆう競争きょうそうは、所得しょとく分配ぶんぱいの不平等ふびょうどうをもたらし、貧富ひんぷの差さを拡大かくだいさせる。そこで国家こっかは、累るい進しん所得しょとく税制ぜいせい――所得しょとくの額がくに応おうじて税ぜい額がくを決きめる制度せいど――や生活せいかつ保護ほごなどによって、所得しょとくの再分配さいぶんぱいを行おこない、社会的しゃかいてきな公正こうせいの確保かくほに努つとめている。

すると、ここに国家こっかと市場しじょう経済けいざいをめぐる論点ろんてんが浮うかび上あがってくる。すなわち、国家こっかはどの程度ていど、市場しじょうに介入かいにゅうするのが適当てきとうかという問題もんだいだ。

この問題もんだいをめぐっては、「自由じゆう競争きょうそうを阻害そがいしないために、国家こっかはできるだけ市場しじょうに介入かいにゅうしないほうがよい」という「小ちいさな政府せいふ」論ろん者しゃから、「弱じゃく者しゃ保護ほごのために国家こっかの介入かいにゅうは必要ひつようだ」という「大おおきな政府せいふ」論ろん者しゃまでさまざまな立場たちばがあることを知しっておこう。

市場と国家自由競争が生む不平等に対し、国家が累進課税と生活保護で再分配を行う構造と、介入の程度をめぐる二つの立場を示した図。 市場の自由競争 所得分配の不平等・貧富の差 国家による再分配 累進所得税制・生活保護 小さな政府 介入は少なく 大きな政府 弱者保護のため 自由競争を阻害しない 介入は必要である 論点は、国家がどの程度まで市場に介入するのが適当か
市場しじょうと国家こっか ── 介入かいにゅうはどこまでが適当てきとうか

新あたらしい経済けいざいシステムのヒント

市場しじょう経済けいざいを駆動くどう原理げんりとする資本しほん主義しゅぎの経済けいざいシステムにとって、これまでは成長せいちょうすることこそが至し上じょうの価値かちとされてきた。しかし、利潤りじゅんを追求ついきゅうし、効率的こうりつてきな生産せいさんを重視じゅうししてきた、これまでの経済けいざいシステム自体じたいのあり方かたを見み直ちょくそうとする議論ぎろんも提出ていしゅつされている。

地球ちきゅう資源しげんの有限ゆうげん性せいが叫さけばれている中なかで、経済けいざい活動かつどうが無限むげんに拡大かくだいしていくとは考かんがえられない。さらに、先進国せんしんこくを中心ちゅうしんに、物質的ぶっしつてきな豊ゆたかさよりも、精神せいしん的てきな豊ゆたかさを求もとめようとする傾向けいこうも強つよくなってきている。

たとえば、お中なか元もとやお歳暮せいぼなどの慣習かんしゅうに見みられるような「贈与ぞうよ」や、報酬ほうしゅうを期待きたいしない「ボランティア」などは、経済的けいざいてきな利潤りじゅんの追求ついきゅうを価値かちの中心ちゅうしんに置おく、今日きょうの市場しじょう原理げんり主義しゅぎや資本しほん主義しゅぎ経済けいざいとは異ことなる価値かち観かんに基もとづいて行おこなわれるものである。こういった活動かつどうは、これまでの経済けいざいシステムを考かんがえ直なおすためのヒントを与あたえてくれるはずだ。

交換と贈与等価性と同時性を前提とする市場の交換と、返礼が計算されない贈与を対比した図。 市場の交換 等価・同時 その場で関係が終わる 計算できる。利潤を追求できる。 贈与 見返りを求めない いつか、別の形で 関係が続いていく 贈与は「見返りがない」のではない。見返りが計算されないのである。 お中元・お歳暮・ボランティア ── 市場原理を乗り越えるヒント
交換こうかんと贈与ぞうよ ── 見返みかえりが計算けいさんされない
Key Point

二ふたつの要点ようてん

Key Point 1 ── 貨幣かへいの信用しんよう

貨幣かへい制度せいどは、その制度せいどに対たいする信頼しんらいがなければ成立せいりつしない。現在げんざいの貨幣かへいは知しっての通とおり、単たんなる「紙かみ」「金属きんぞく片へん」である。日本にほんの貨幣かへいについて言いえば、もちろん、それは「日本にほん」という国家こっかがつくっているから信用しんようがあるが、もし日本にほんという国家こっかが消滅しょうめつしたら、その瞬間しゅんかんから「円えん」はただの紙かみになる。

このような視点してんに立たつと、「カネこそすべて」と錯覚さっかくするほど強固きょうこな貨幣かへい制度せいども、一ひとつの約束事やくそくごとでしかないことがわかる。にもかかわらず、現実げんじつには多おおくの人々ひとびとが、貨幣かへいそのものが至し上じょうの価値かちをもっていると考かんがえ、貨幣かへいを獲得かくとくすることに価値かちを見出みいだしている。それは、「貨幣かへいこそが万能ばんのうであり最高さいこうの価値かちをもつものだ」という、ある意味いみで倒錯とうさくした思おもいであり、これを貨幣かへいの物神ぶっしん化か(フェティシズム)と言いう。

貨幣の信用と物神化国家の裏づけによって成り立つ貨幣が、その約束事を忘れられて至上の価値と錯覚される過程を示した図。 国家 信用を与える 貨幣 単なる紙・金属片 一つの約束事でしかない 忘れる 貨幣それ自体が価値をもつ 貨幣の物神化 = 拝金主義 「カネこそすべて」という錯覚 国家が消えれば「円」はただの紙になる ── それでも至上の価値に見える
貨幣かへいの信用しんようと物神ぶっしん化か
Key Point 2 ── 市場しじょう原理げんり主義しゅぎ

市場しじょうメカニズムに任にんせれば経済けいざいはうまくいくという考かんがえ方かたを「市場しじょう原理げんり主義しゅぎ」と言いう。日本にほんでは、今いままで国家こっかによる経済けいざい規制きせいや、国家こっかによる独占どくせん事業じぎょうが多おおすぎたため、経済けいざい競争きょうそうが不活ふかつ発はつだったり、官僚かんりょう・政治せいじ家かの汚職おしょくなどが行おこなわれたりして国民こくみんの利益りえきが損そこなわれてきた。近年きんねんではこうした反省はんせいから、「官かんから民みんへ」を合言葉あいことばに、これまで国家こっかが行おこなってきたことを民間みんかんにできることは民間みんかんに任にんせて、できるだけ市場しじょうメカニズムの中なかで行おこなわせる方向ほうこうに動うごいている。日本にほんで市場しじょう原理げんり主義しゅぎのような考かんがえ方かたが強きょうまっているのにはこうした背景はいけいがある。

しかし、行いき過すぎた市場しじょう原理げんり主義しゅぎは、経済的けいざいてきな弱じゃく肉にく強きょう食しょくの格差かくさ社会しゃかいを招まねいてしまう。格差かくさの拡大かくだいは社会しゃかい不安ふあんの温床おんしょうにもなることから、市場しじょう原理げんり主義しゅぎを強きょう者しゃの思想しそうと批判ひはんする論ろん者しゃもいる。

市場原理主義の背景と行きすぎ国家による規制の弊害への反省から市場原理主義が強まり、行きすぎれば格差社会を招く流れを示した図。 背景 ── 国家の規制が多すぎた 経済競争の停滞独占事業官僚・政治家の汚職 国民の利益が損なわれてきた 「官から民へ」 市場メカニズムに任せる 行きすぎると 格差社会 経済的な弱肉強食 格差の拡大は社会不安の温床にもなる。 市場原理主義を強者の思想と批判する論者もいる
市場しじょう原理げんり主義しゅぎの背景はいけいと行いきすぎ
Terms — 本ほんサイトによる加筆かひつ

この主題しゅだいを読よむための十二じゅうに語ご

原げん書しょのキーワード番号ばんごうは付ふされていない層そうである。概念がいねん語ご八やっつと、本文ほんぶん・入試にゅうし文ぶんに現あらわれる読解どっかい語彙ごい四よっつを補おぎなう。

01概念がいねん

貨幣かへい

かへい[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
貨かたから・財ざい+幣へいぬさ・財ざい物ぶつ
使用しようの境界きょうかい

モノとモノを交換こうかんするための一般的いっぱんてきな媒介ばいかい物ぶつ。それ自体じたいに価値かちがあるのではなく、共有きょうゆうされた信用しんようの上うえに成なり立たつ。

用法ようほう

要点ようてんは三みっつある。①交換こうかんの媒介ばいかい──物々交換ぶつぶつこうかんの非ひ効率こうりつを解消かいしょうした。②価値かちの尺度しゃくど──あらゆるモノを同おなじ物差ものさしで測はかれるようにした。③信用しんようの産物さんぶつ──それ自体じたいは紙かみや金属きんぞく片へんにすぎず、国家こっかという裏うらづけが消きえれば価値かちも消きえる。評ひょう論文ろんぶんで問とわれるのは③から生しょうじる逆説ぎゃくせつで、一ひとつの約束事やくそくごとにすぎないものが、あたかも至し上じょうの価値かちをもつかのように扱あつかわれる。これを貨幣かへいの物神ぶっしん化かと言いい、☑133 フェティシズムと同おなじ構造こうぞうをもつ。

用例ようれい
  • 交換こうかんが必要ひつようから生しょうじるがゆえに、貨幣かへいはいわば合意ごういによって生うまれた。……それゆえ貨幣かへいはノミスマと呼よばれる。自然しぜんによってではなくノモス(掟おきて)によってあるものだからである。アリストテレス『ニコマコス倫理学りんりがく』第だい五ご巻かん(前4世紀ぜんよんせいき)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    貨幣かへいの身分みぶんを語源ごげんで言いい切きった一節いっせつである。(1-5 で同おなじ書しょの別べつの巻かんを引ひいた。)ギリシア語ごの nomisma(貨幣かへい)はnomos(掟おきて・慣習かんしゅう)から来きている。つまり貨幣かへいは自然しぜん物ぶつではなく取とり決きめだと、語ごそのものが告つげている。この指摘してきの重おもさは、取とり決きめなら変かえられるという点てんにある。金かねや銀ぎんにもともと価値かちが宿やどっているのではない。皆みながそう扱あつかうからそうなっているだけだ。1-6 の 133 で見みた物神ぶっしん性せいは、この取とり決きめが物ものの性質せいしつに見みえてくる錯視さくしのことだった。二千にせん三百年さんびゃくねん前まえにすでに正ただしい診断しんだんが出でている。
  • 貨幣かへいは、目的もくてきへの手段しゅだんであるにもかかわらず、最もっとも完全かんぜんな形かたちでそれ自体じたいが目的もくてきとなる。……その理由りゆうは、貨幣かへいがいかなる特定とくていの目的もくてきとも結むすびついていないことにある。ゲオルク・ジンメル『貨幣かへいの哲学てつがく』(1900)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    貨幣かへいがなぜ目的もくてき化かするのかを説明せつめいした一節いっせつである。(2-3 の 08 で同おなじ書しょの別べつの箇所かしょを引ひいた。)普通ふつうの道具どうぐは用途ようとが決きまっているから目的もくてきにはなりにくい。ハンマーを溜ため込こむ人ひとはいない。貨幣かへいは違ちがう — 何なんにでも使つかえるがゆえに何なんにも使つかわれないまま持もたれうる。可能性かのうせいのまま所有しょゆうできるのだ。ここから重おもい帰結きけつが出でる。貨幣かへいを貯ためることには限げん度どが無ない。パンなら食たべきれる量りょうで止とまるが、可能性かのうせいには飽和ほうわ点てんが無ない。1-6 の 128 で見みた拡大かくだいを自己じこ目的もくてきとする資本しほん主義しゅぎの動どう力りょくが、貨幣かへいという物ものの性質せいしつから説明せつめいされている。
  • 貨幣かへいは、価値かちを測はかり、価値かちを運はこび、価値かちを貯ためる。この三みっつの働はたらきはたがいに緊張きんちょうしている。 教科書きょうかしょ的てきな三さん機能きのうを対立たいりつとして書かく型かたである。貯ためる働はたらきが強つよまると運はこぶ働はたらきが止とまる — 皆みなが貯ため込こめば交換こうかんが滞とどこおる。同おなじ一ひとつの物ものが果はたす役割やくわりどうしが衝突しょうとつするというこの構造こうぞうが、恐慌きょうこうの説明せつめいの入口いりぐちになる。
  • ×財布さいふに貨幣かへいが足たりなかった。 「お金かね」「小銭こぜに」である。評ひょう論語ろんごの貨幣かへいは交換こうかん・尺度しゃくど・蓄蔵ちくぞうの機能きのうを担になう制度せいどを指さし、手元てもとの現金げんきんを指さす語ごではない。なお「通貨つうか」は実際じっさいに流通りゅうつうしているお金かねを指さす別べつの語ごで、制度せいどとしての貨幣かへいと書かき分わけると議論ぎろんが澄すむ。
派生はせい形けい
  • 通貨つうか[1]流通りゅうつうしているお金かね。制度せいどとしての貨幣かへいに対たいし、実際じっさいに使つかわれている現物げんぶつと単位たんいを指さす。「通貨つうか危機きき」「基軸通貨きじくつうか」のように、国際こくさい関係かんけいの語彙ごいでよく現あらわれる。
  • 金銭きんせん[1]日常にちじょうと法律ほうりつの語ご。「金銭きんせん感覚かんかく」「金銭きんせんトラブル」。やや生々なまなましいぶん評ひょう論文ろんぶんでは避さけられ、「貨幣かへい」が選えらばれるのはこの生々なまなましさを一段いちだん抽象ちゅうしょう化かするためである。
  • 資本しほん[0]1-6 の 128 で立たてた語ご。利潤りじゅんを生うむために投とうじられた価値かち。貨幣かへいは投とうじられてはじめて資本しほんになる。箪笥たんすの中なかの貨幣かへいは貨幣かへいのままで、動うごかすことが資本しほんの条件じょうけんである。
コロケーション
  • 貨幣かへいの物神ぶっしん性せい1-6 からの継承けいしょう1-6 の 133 で見みた語ごがここで最もっとも純粋じゅんすいな形かたちをとる。労働ろうどうも、関係かんけいも、すべて数字すうじの背後はいごに隠かくれる。価格かかくを見みても誰だれがどんな条件じょうけんで作つくったかは見みえない。見みえないことが交換こうかんを速はやくする — 効率こうりつと不可視ふかしは同おなじことの表ひょうと裏うらである。
  • 貨幣かへい経済けいざい段階だんかいを示しめす語ご物々交換ぶつぶつこうかんに対たいする語ご。この対たいが示しめすのは、貨幣かへいが交換こうかんを飛躍ひやく的てきに広ひろげたという事実じじつだ。物々交換ぶつぶつこうかんでは欲ほしいものがたがいに一致いっちしなければ成立せいりつしない。貨幣かへいはその一致いっちを不要ふようにする — 03 の交換こうかんでこの点てんを詳くわしく見みる。
  • 貨幣かへいへの信用しんよう土台どだいを指さす語ご紙かみ切きれが価値かちを持もつのは皆みなが持もつと思おもっているからである。この循環じゅんかんがこの制度せいどの全部ぜんぶだ。信用しんようが崩くずれれば一夜いちやで価値かちが消きえる — ハイパーインフレーションがそれを示しめす。2-3 の 10 の担保たんぽという語ごがここで最もっとも切実せつじつに働はたらく。
  • 貨幣かへいを介かいさない関係かんけい外側そとがわを指さす語ご贈与ぞうよ、家事かじ、看護かんご、友情ゆうじょう。この語ごが要いるのは、経済けいざいの議論ぎろんがつい「値あたいが付つくもの」だけを数かぞえるからだ。GDP には家庭内かていないの労働ろうどうが入はいらない。測はかれないものをゼロとして扱あつかうという1-6 の 130 の功利こうり計算けいさんの問題もんだいが、ここでも同おなじ形かたちで現あらわれる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • お金かね日常にちじょうの呼よび名な和わ語ごで日常的にちじょうてき。貨幣かへいは制度せいどとしての側面そくめんを指さす学術がくじゅつ語ご。
  • 通貨つうか流通りゅうつうしている貨幣かへい制度せいどの実際じっさい。貨幣かへいはより抽象的ちゅうしょうてきな機能きのうの名な。
  • 資本しほん利潤りじゅんを生うむために投とうじられる価値かち☑128 と接続せつぞくする。増ふえることを目的もくてきとする点てんが違ちがう。
  • 価値かち望のぞましさ・値打ねうち測はかられる側がわ。貨幣かへいはそれを測はかる尺度しゃくどとして働はたらく。

ENmoney / currency
ZH货币(貨幣, huòbì)

02概念がいねん

市場しじょう⚠

しじょう[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
市しいち+場ばば

「しじょう」は仕組しくみ、「いちば」は場所ばしょ。読よみ分わけが問とわれる。

使用しようの境界きょうかい

貨幣かへいを用もちいてモノを交換こうかんする仕組しくみ。具体的ぐたいてきな売うり場ばではなく、価格かかくが決きまる場ば全体ぜんたいを指さす。

用法ようほう

読よみ分わけが最初さいしょの関門かんもんになる。「しじょう」は仕組しくみ、「いちば」は場所ばしょである。評ひょう論文ろんぶんはほぼ「しじょう」で、経済学けいざいがくの概念がいねんとして使つかう。要点ようてんは、市場しじょうがいったん成立せいりつすると参加さんかを強制きょうせいするという点てんにある。参加さんかしなければ商品しょうひんを手てに入いれられないからである。そして市場しじょうの中なかでは、あらゆるモノと人ひとの労働ろうどうが貨幣かへいで換算かんさんされ、同おなじ物差ものさしで序列化じょれつかされる。この一元化いちげんかが☑21 疎そ外がいや☑133 物神ぶっしん崇拝すうはいの議論ぎろんにつながる。

用例ようれい
  • 我々われわれが食事しょくじを期待きたいできるのは、肉屋にくやや酒屋さかややパン屋やの善意ぜんいによるのではなく、彼かれらが自分自身じぶんじしんの利益りえきを気きにかけるからである。アダム・スミス『国くに富とみ論ろん』第一だいいち編へん第だい二に章しょう(1776)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    市場しじょうという仕組しくみの核心かくしんを日常にちじょうの例れいで示しめした一節いっせつである。(1-7 の 145 で同おなじ書しょの「見みえざる手て」を引ひいた。あちらは結果けっか、ここでは動機どうきを見みている。)この一節いっせつが革命かくめい的てきなのは、善意ぜんいを必要ひつようとしないと言いい切きったことにある。徳とくの高たかい人ひとがいなくても社会しゃかいは回まわる。それどころか、各自かくじが自分じぶんの利益りえきを追おったほうが回まわる。ただし注意ちゅういしたいのは、スミスが『道徳どうとく感情かんじょう論ろん』の著者ちょしゃでもあることだ。彼かれは共感きょうかん(sympathy)を人間にんげんの基本きほんに置おいていた。市場しじょうが善意ぜんいを必要ひつようとしないのは、善意ぜんいが無ないからではなく、善意ぜんいだけでは見知みしらぬ他人たにんまで届とどかないからである。
  • 市いち(いち)は、無縁むえんの場ばである。……そこでは主しゅ従じゅうの縁えんも、親おや子この縁えんも、土地とちの縁えんも断たたれる。中世ちゅうせい日本にほんの「無縁むえん」の場ばとしての市しの性格せいかくの主旨しゅしによる
    市場しじょうが関係かんけいを切きる場所ばしょだという性格せいかくを示しめす。中世ちゅうせいの市しは寺じ社しゃの境内けいだいや河原かわらなど、誰だれの支配しはいも及およばない場所ばしょに立たった。注目ちゅうもくしたいのは、縁えんが切きれることが市しの条件じょうけんだった点てんだ。身分みぶんも出自しゅつじも持もち込こめないから取引とりひきができる。ここに市場しじょうの解放かいほうの側面そくめんがある — 1-6 の 122 で見みた身分みぶんから契約けいやくへという移行いこうが、市しという場所ばしょで先さきに起おきていた。同時どうじに切きられた縁えんは守まもってもくれない。自由じゆうと無防備むぼうびが同おなじ一ひとつの「無縁むえん」から出でている。
  • 市場しじょうは、見知みしらぬ者ものどうしを結むすびつける装置そうちである。そのために、たがいを知しらないままでいることを許ゆるしてもいる。 両面りょうめんを一文いちぶんに収おさめる型かたである。顔かおを知しらなくても取引とりひきできることが市場しじょうの力ちからだ。同時どうじに誰だれがどこで作つくったかを知しらずに済すませられる。効率こうりつと無関心むかんしんは同おなじ仕組しくみの表ひょうと裏うらである。
  • ×駅前えきまえの市場しじょうで野菜やさいを買かった。 読よみが違ちがう。場所ばしょとしての市場しじょうは「いちば」、経済けいざいの仕組しくみとしての市場しじょうは「しじょう」。評ひょう論語ろんごは後者こうしゃで、特定とくていの場所ばしょを指ささない。「労働市場ろうどうしじょう」「金融きんゆう市場しじょう」のように、建物たてものの無ないところにも市場しじょうはある。
派生はせい形けい
  • 市いち[1]和わ語ごの読よみ。定期ていき的てきに立たつ場ばを指さす(朝市あさいち・市しが立たつ)。場所ばしょと時間じかんが限かぎられているところが、いつでもどこでもある「しじょう」との決定的けっていてきな差さである。
  • 市場性しじょうせい[0]売うれる見込みこみ。「市場しじょう性せいが無ない」と言いわれたものが価値かちが無ないことにはならない。2-4 の 01 で見みたラスキンの「人ひとを貧まずしからしむる富とみは富とみにあらず」が突ついていたのはこの点てんだ。
  • マーケット[1]外来語がいらいご。「しじょう」より軽かるく、実務じつむ的てき。「マーケットが読よめない」のように相場そうばの意いでも使つかう。評ひょう論文ろんぶんで制度せいどを論ろんじるときは「市場しじょう」を選えらぶ。
コロケーション
  • 市場しじょうの失敗しっぱい限界げんかいを指さす語ご市場しじょうに任にんせると望のぞましくない結果けっかになる場合ばあい。公こう害がい、独占どくせん、公共財こうきょうざいの供給きょうきゅう不足ふそく。この語ごが便利べんりなのは、市場しじょうを全ぜん否定ひていせずに介入かいにゅうを正当化せいとうかできるからだ。「失敗しっぱい」という語ごが、普段ふだんは成功せいこうしていることを前提ぜんていにしている — 語ごの選えらび方かたに立場たちばが現あらわれている。
  • 市場しじょうの論理ろんり意志いしなき主語しゅご1-6 の 128 で見みた「資本しほんの論理ろんり」と同おなじ語ご法ほう。個々人ここじんの善悪ぜんあくと無関係むかんけいに働はたらくことを書かくための構文こうぶんである。注意ちゅういしたいのは、この言いい方かたが免責めんせきにも使つかえることだ — 「市場しじょうが決きめたこと」と言いえば誰だれも決きめていないことになる。
  • 市場しじょう化か領域りょういきが広ひろがる語ごそれまで市場しじょうの外そとにあったものが売うり買かいの対象たいしょうになること。水みず、医療いりょう、教育きょういく、介護かいご、そして 2-4 の 07 のコモンズ。2-4 の 01 で見みたポランニーの擬制ぎせいが、いまも新あたらしい領域りょういきへ広ひろがり続つづけている。
  • 市場しじょうと国家こっか対たいで立たてる語ご対立たいりつさせて語かたられるが、実際じっさいには市場しじょうは国家こっかなしに成なり立たたない。契約けいやくを守まもらせ、通貨つうかを発行はっこうし、所有権しょゆうけんを守まもるのは国家こっかだ。「市場しじょうか国家こっかか」という二に択たくは最初さいしょから成なり立たっていない — 問といは「どんな国家こっかがどんな市場しじょうを作つくるか」になる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • いちば売うり買かいをする具体的ぐたいてきな場所ばしょ同おなじ漢字かんじで読よみが違ちがう。魚さかな市場しじょう・青物あおもの市場しじょうのような実際じっさいの場所ばしょを指さす。
  • 経済けいざい財ざいの生産せいさんと分配ぶんぱいの営いとなみ全体ぜんたい上位じょうい概念がいねん。市場しじょうはその中なかの交換こうかんの仕組しくみ。
  • 競争きょうそう勝かち負まけを争あらそう市場しじょうが働はたらく原理げんり。市場しじょうは仕組しくみそのもの。
  • マーケット市場しじょう外来語がいらいご。ビジネスの文脈ぶんみゃくで「顧客こきゃく層そう」の意いでも使つかう。

ENmarket
ZH市场(市場・いちば, shìchǎng)

日中にっちゅうのズレ

中国語ちゅうごくごの 市场(shìchǎng)は「いちば」と「しじょう」の両方りょうほうを指さし、読よみ分わけがない。

日本語にほんごでは同おなじ漢字かんじを読よみ分わけることで、具体的ぐたいてきな場所ばしょと抽象的ちゅうしょうてきな仕組しくみを区別くべつしている。

03概念がいねん

交換こうかん

こうかん[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
交こうまじわる+換かえかえる
使用しようの境界きょうかい

互たがいに物ものを取とりかえること。等ひとしい価値かちのものを渡わたし合あう点てんを含ふくみ、一方的いっぽうてきに与あたえることは含ふくまない。

用法ようほう

経済けいざい論ろんの出発点しゅっぱつてんにある語ごで、物々交換ぶつぶつこうかんと貨幣かへいによる交換こうかんの対比たいひから議論ぎろんが始はじまる。物々交換ぶつぶつこうかんには〈魚さかなを持もっていて肉にくが欲ほしい人ひと〉と〈肉にくを持もっていて魚さかなが欲ほしい人ひと〉が出会であう必要ひつようがあり、これを経済学けいざいがくでは欲望よくぼうの二に重じゅうの一致いっちと呼よぶ。貨幣かへいはこの条件じょうけんを不要ふようにした。もう一ひとつの論点ろんてんが贈与ぞうよとの対比たいひで、交換こうかんが等価とうか性せいを前提ぜんていとするのに対たいし、贈与ぞうよは返礼へんれいを求もとめない。この差さが市場しじょう原理げんりを乗のり越こえるヒントとして提示ていじされる。

用例ようれい
  • 贈おくり物ものは、受うけ取とられ、そして返かえされねばならない。……贈おくられた物もののうちには、与あたえた者ものの霊れいが宿やどっている。だから物ものは主しゅのもとへ帰かえろうとする。マルセル・モース『贈与ぞうよ論ろん』(1925)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    交換こうかんのもう一ひとつの形かたちを発見はっけんした一節いっせつである。モースが調しらべたのは値段ねだんの付つかないやりとりだった。贈おくり物ものには三みっつの義務ぎむがある — 与あたえる、受うけ取とる、返かえす。どれも断ことわれない。市場しじょうの交換こうかんとの差さは決定的けっていてきだ。市場しじょうではその場ばで清算せいさんが済ずみ、関係かんけいが残のこらない。贈与ぞうよでは負債ふさいが残のこり、それが関係かんけいをつなぎ続つづける。「物ものに霊れいが宿やどる」という説明せつめいを迷信めいしんと片かたづけないほうがよい — 贈おくられた物ものが贈おくり主しゅを思おもい出ださせるという事実じじつの、正確せいかくな言いい表あらわしである。07 の贈与ぞうよでこの対たいをさらに詳くわしく見みる。
  • 人ひとは、生うまれつきある物ものを別べつの物ものと交換こうかんし、取引とりひきし、交易こうえきする性せい向こうをもつ。……この性せい向こうは他ほかのいかなる動物どうぶつにも見みられない。アダム・スミス『国くに富とみ論ろん』第一だいいち編へん第だい二に章しょう(1776)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    交換こうかんを人間にんげんの本性ほんしょうに置おいた一節いっせつである。(02 で同おなじ章しょうの別べつの箇所かしょを引ひいた。あちらは動機どうき、ここでは性せい向こうを扱あつかう。)この主張しゅちょうには強つよい反論はんろんがある。モースや後あとの人類学じんるいがくが示しめしたのは、多おおくの社会しゃかいで物々交換ぶつぶつこうかんは主要しゅような形かたちではなかったことだ。見知みしらぬ者ものどうしでは交換こうかんしたが、身内みうちでは贈与ぞうよか分配ぶんぱいだった。つまり交換こうかんは本性ほんしょうではなく関係かんけいの種類しゅるいによって選えらばれる形式けいしきである。それでもスミスの一文いちぶんが重要じゅうようなのは、この「本性ほんしょう」という前提ぜんていの上うえに経済学けいざいがくが建たてられたからだ。前提ぜんていを疑うたがうことは建物たてもの全体ぜんたいを揺ゆらすことになる。
  • 交換こうかんが成立せいりつするには、二ふたつのものが同おなじ尺度しゃくどで測はかれなければならない。 04 の尺度しゃくどへつなぐ型かたである。比くらべられないものは交換こうかんできない。だから交換こうかんの拡大かくだいはそのまま尺度しゃくどの統一とういつを要求ようきゅうする。01 の貨幣かへいはこの要求ようきゅうへの答こたえだった。
  • ×友人ゆうじんと近況きんきょうを交換こうかんした。 「情報じょうほう交換こうかん」なら自然しぜんだが、近況きんきょうなら「報告ほうこくし合あった」のほうがよい。評ひょう論語ろんごの交換こうかんは等価とうかのものをたがいに渡わたすという経済けいざいの構造こうぞうを指さし、07 の贈与ぞうよとの対たいで使つかう。「その場ばで清算せいさんが済すむか」が判定はんていの目安めやすになる — 清算せいさんが済すまないならそれは交換こうかんではない。
派生はせい形けい
  • 互酬ごしゅう[0]人類学じんるいがくの語ご。贈おくり合あいによって成なり立たつ関係かんけい。交換こうかんがその場ばで完結かんけつするのに対たいし、互ご酬むくいは時間じかんをかけて返かえし合あう。ポランニーは互ご酬むくい・再分配さいぶんぱい・交換こうかんを三みっつの型かたとして並ならべた — 2-4 の 05 の再分配さいぶんぱいと一組ひとくみで覚おぼえたい。
  • 取引とりひき[0]実務じつむの語ご。交換こうかんの具体的ぐたいてきな一回いっかいを指さす。交換こうかんが構造こうぞうを言いうのに対たいし、取引とりひきは出来事できごとを言いう。「交換こうかんの構造こうぞう」は言いえるが「取引とりひきの構造こうぞう」は別べつの意味いみになる。
  • 売買ばいばい[1]貨幣かへいを介かいした交換こうかん。物々交換ぶつぶつこうかんは売買ばいばいではない。売うりと買かいが分離ぶんりできることが貨幣かへいの効果こうかで、売うったあとすぐ買かわなくてよい。この時間差じかんさが恐慌きょうこうの可能性かのうせいを生うむという議論ぎろんもある。
コロケーション
  • 等価とうか交換こうかん前提ぜんていを含ふくむ語ご同おなじ価値かちのものをやりとりすること。この語ごの難むずかしさは、「同おなじ価値かち」を誰だれが決きめるのかにある。交換こうかんが成立せいりつしたから等価とうかだったと言いうなら循環じゅんかんである。1-6 の 128 で見みたマルクスの分析ぶんせきは、労働力ろうどうりょくの売買ばいばいだけが等価とうかに見みえて等価とうかでないと示しめすところから始はじまった。
  • 交換こうかん価値かちと使用しよう価値かち古典的こてんてきな対たい売うれる値打ねうちと使つかえる値打ねうち。水みずは使用しよう価値かちが高たかいのに交換こうかん価値かちが低ひくく、ダイヤは逆ぎゃくである。この食くい違ちがいこそが経済学けいざいがくの出発点しゅっぱつてんだった。役やくに立たつことと高たかく売うれることは別々べつべつに決きまる — この一点いってんを掴つかむと、価格かかくをめぐる議論ぎろんが読よめるようになる。
  • 交換こうかんの非対称ひたいしょう力ちからを見みる語ご同おなじ取引とりひきでも失うしなうものの重おもさが両者りょうしゃで違ちがうことがある。明日あすの食事しょくじがかかっている側がわと、断ことわっても困こまらない側がわ。形式けいしきとしては対等たいとうな交換こうかんが、実質じっしつとしては強制きょうせいでありうる — 1-7 の 159 で見みた自己じこ決定けっていの条件じょうけんと同おなじ問題もんだいである。
  • 交換こうかんされないもの外側そとがわを数かぞえる語ご空気くうき、時間じかん、思おもい出で、生命せいめい。この語ごが要いるのは、何なにが交換こうかんの外そとにあるべきかが時代じだいとともに動うごいてきたからだ。人ひとも、臓器ぞうきも、かつては交換こうかんの対象たいしょうだった。線せんを引ひき直なおす作業さぎょうが倫理りんりの仕事しごとになる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 贈与ぞうよ見返みかえりを求もとめずに与あたえる対たい概念がいねん。返礼へんれいを前提ぜんていとしない点てんが違ちがう。この対たいがこの主題しゅだいの締しめくくりになる。
  • 売買ばいばい代金だいきんと引ひきかえに渡わたす貨幣かへいを介かいした交換こうかん。交換こうかんはより広ひろく、物々交換ぶつぶつこうかんも含ふくむ。
  • 代替だいたい別べつのもので置おき換かえる置おき換かえの話はなし。交換こうかんは双方向そうほうこうのやりとり。
  • 流通りゅうつう市場しじょうを巡めぐって行いき渡わたる動うごきの全体ぜんたい。交換こうかんはその一ひとつ一ひとつの行為こうい。

ENexchange
ZH交换(交換, jiāohuàn)

04概念がいねん

尺度しゃくど

しゃくど[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
尺さしものさし+度どはかる・めもり
使用しようの境界きょうかい

ものごとを測はかるための物差ものさし。測はかる対象たいしょうではなく、測はかる側がわの基準きじゅんを指さす。

用法ようほう

入試にゅうしの傍線ぼうせん部ぶがこの語ごなので、定義ていぎを正確せいかくに押おさえる必要ひつようがある。「一般的いっぱんてきな価値かち尺度しゃくど」とは、あらゆるモノを測はかれる唯一ゆいいつの物差ものさしという意味いみである。ここから決定的けっていてきな帰結きけつが出でる。まったく異質いしつなモノが同どう質しつ性せいを与あたえられ、さらに数量すうりょうの大小だいしょうで序列化じょれつかされる。ガラス玉たまとダイヤモンドが同おなじ軸じくに並ならび、一いち億おく分ぶんの一いちという数字すうじが与あたえられる。人間にんげんも同おなじで、三十さんじゅうドルと九きゅう百億ひゃくおくドルが比くらべられてしまう。尺度しゃくどが一ひとつになることが、序列化じょれつかを生うむのが要点ようてんである。

用例ようれい
  • 人間にんげんは万物ばんぶつの尺度しゃくどである。あるものについてはあるということの、ないものについてはないということの。プロタゴラス 断片だんぺん ─ プラトン『テアイテトス』による(前5世紀ぜんごせいき)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    尺度しゃくどという語ごを哲学てつがくの問題もんだいにした一句いっくである。解釈かいしゃくは大おおきく二ふたつに分わかれる。「人間にんげん」を人類じんるい全体ぜんたいと読よむか、一人ひとりひとりと読よむかだ。後者こうしゃで読よむと徹底てっていした相対そうたい主義しゅぎになる — 私わたしに暖あたたかければ暖あたたかく、あなたに寒さむければ寒さむい。プラトンはこの読よみを厳きびしく批判ひはんした。だが批判ひはんの理由りゆうが面白おもしろい — この主張しゅちょうが正ただしいなら、この主張しゅちょうを否定ひていする人ひとにとってはこの主張しゅちょうが誤あやまりになる。1-7 の 158 で見みた自己じこ言及げんきゅうの罠わなと同おなじ形かたちである。それでもこの一句いっくが生いき続つづけているのは、尺度しゃくどが天てんから降ふってくるのではなく人ひとが立たてるものだという洞察どうさつが動うごかないからだ。
  • 天下てんかの物もの、大だいなるも小しょうなるも、皆みなその分ぶんあり。……鵬ほうは九きゅう万里ばんりを飛とび、蜩せみは榆に至いたらずして地ちに落おつ。しかも各々おのおのその適てきを得とくたり。『荘子そうし』逍遥しょうよう遊ゆう篇へんの主旨しゅしによる
    尺度しゃくどが一ひとつでないことを示しめした一節いっせつである。(1-1 と 1-5 で同おなじ書しょの別べつの篇へんを引ひいた。)大鵬たいほうは九きゅう万里ばんりを飛とび、せみは近ちかくの木きにも届とどかない。普通ふつうならここで優劣ゆうれつがつく。荘子そうしはそこで止とまらない — 「各々おのおのその適てきを得とくたり」。それぞれが自分じぶんに合あった在あり方ほうを得とくているのだから、同おなじ物差ものさしで並ならべる必要ひつようが無ない。ここで否定ひていされているのは大小だいしょうの事実じじつではなく、大小だいしょうを価値かちに読よみ替かえる操作そうさだ。05 の序列じょれつが尺度しゃくどの統一とういつから生うまれることを思おもえば、この一節いっせつは序列化じょれつかへの最もっとも古ふるい反論はんろんである。
  • 尺度しゃくどが一ひとつになると、違ちがいはすべて多おおいか少すくないかに変かわる。そして尺度しゃくどは、測はかる前まえに選えらばれている。 この主題しゅだいの中核ちゅうかくである。測定そくていは中立ちゅうりつに見みえて中立ちゅうりつではない。何なにを測はかるかを決きめた時点じてんで測はからないものが決きまっている。GDP を尺度しゃくどに選えらべば家事かじも自然しぜんもゼロになる。
  • ×この定規じょうぎの尺度しゃくどはミリ単位たんいだ。 「目盛めもり」「単位たんい」である。評ひょう論語ろんごの尺度しゃくどは物事ものごとを評価ひょうかするための基準きじゅんを指さす比喩ひゆの語ごで、計測器けいそくき具ぐの刻きざみではない。なお「尺さし」も「度ど」ももとは長ながさの単位たんいで、具体ぐたいから抽象ちゅうしょうへ意味いみが移うつった — 1-1 の 3 の抽象ちゅうしょうの実例じつれいとして読よめる語ごである。
派生はせい形けい
  • 基準きじゅん[0]判断はんだんのよりどころ。尺度しゃくどが連続れんぞくした目盛めもりを思おもわせるのに対たいし、基準きじゅんは合否ごうひの線せんを思おもわせる。「基準きじゅんを満みたす」は言いえるが「尺度しゃくどを満みたす」とは言いわない — 共起きょうきの差さに構造こうぞうの差さが出でている。
  • 物差しものさし[3]和わ語ごでの言いい換かえ。やわらかく、複数ふくすうあってよいという含ふくみを持もちやすい。「別べつの物差ものさしで測はかる」は自然しぜんだが「別べつの尺度しゃくどで測はかる」はやや硬かたい。文体ぶんたいに応おうじて選えらび分わける。
  • 通約つうやく[0]共通きょうつうの単位たんいで表あらわせるようにすること。「通約つうやく可能かのう/不可能ふかのう」の形かたちで使つかう。貨幣かへいはあらゆるものを通約つうやくする装置そうちである。通約つうやくできないものだけが交換こうかんの外そとに残のこる。
コロケーション
  • 単一たんいつの尺度しゃくどこの主題しゅだいの焦点しょうてんあらゆるものを一本いっぽんの物差ものさしで測はかること。貨幣かへいがその代表だいひょうである。この語ごが批判的ひはんてきに使つかわれるのは、比くらべられないものを比くらべさせるからだ。比くらべられるようになった瞬間しゅんかん、順位じゅんいがつく — 05 の序列じょれつは尺度しゃくどの統一とういつの自動的じどうてきな帰結きけつである。
  • 尺度しゃくどを疑うたがう批評ひひょうの一手いって測はかり方ほうそのものを問とい直なおすこと。この作業さぎょうが難むずかしいのは、疑うたがうためにも何なにらかの尺度しゃくどが要いるからだ。「GDP は不適切ふてきせつだ」と言いうには別べつの基準きじゅんが要いる。尺度しゃくどの外そとには出でられない — 出でられないことを認みとめたうえで複数ふくすうの尺度しゃくどを並ならべるのが現実的げんじつてきな道みちになる。
  • 共とも約やく不可能ふかのう比くらべられないことの名な共通きょうつうの尺度しゃくどで比較ひかくできないこと。もとは数学すうがくの語ごで、正方形せいほうけいの一辺いっぺんと対角線たいかくせんがその例れいだった。1-2 のパラダイムがこの語ごを借かりたのは、異ことなる理論りろん体系たいけいのあいだに共通きょうつうの物差ものさしが無ないと言いうためである。価値かちについても同おなじことが言いえるかが現代げんだいの争点そうてんになる。
  • 尺度しゃくどとしての貨幣かへい01 との結節けっせつ貨幣かへいの三さん機能きのうのうち最もっとも静しずかに効きくもの。交換こうかんや蓄蔵ちくぞうは目めに見みえるが、測はかる働はたらきは意識いしきされない。それでも値札ねふだが付ついた瞬間しゅんかんに物ものは比較ひかくの列れつに入はいる。2-3 の 04 の唯一ゆいいつ性せいが値札ねふだと相性あいしょうが悪わるいのはこのためである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 基準きじゅん判断はんだんのよりどころ判断はんだんの話はなし。尺度しゃくどは測はかることに特化とっかしている。
  • 価値かち望のぞましさ・値打ねうち測はかられる側がわ。尺度しゃくどは測はかる側がわ。この主しゅ客きゃくを取とり違ちがえない。
  • 物差ものさし長ながさを測はかる道具どうぐ訓読くんどくみ。比喩ひゆとして日常にちじょうでも使つかう。尺度しゃくどはその漢語かんご形けい。
  • 序列じょれつ順じゅんに並ならべた順位じゅんい尺度しゃくどが生うむ結果けっか。尺度しゃくどが一ひとつなら序列じょれつも一列いちれつになる。

ENmeasure / yardstick
ZH尺度(尺度, chǐdù)

05概念がいねん

序列じょれつ

じょれつ[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
序じょついで・順じゅん+列れつならび
使用しようの境界きょうかい

順位じゅんいをつけて一列いちれつに並ならべること。区別くべつすることとは違ちがい、上下じょうげがつく点てんを含ふくむ。

用法ようほう

「序列化じょれつか」という動詞どうし形けいで使つかうのが評ひょう論文ろんぶんの定型ていけいで、誰だれが何なにを基準きじゅんに並ならべたのかを問とう構かまえが伴ともなう。入試にゅうし文ぶんは、貨幣かへいという単一たんいつの尺度しゃくどが人間にんげんの価値かちを数量すうりょう化かし、それが過か酷こくな序列化じょれつかになると述のべる。三十さんじゅう億おく分ぶんの一いちという比ひが「だれの目めにも明あきらかになる」ことが要点ようてんで、序列じょれつは隠かくれているうちは意識いしきされない。ここに逆説ぎゃくせつがあり、序列じょれつが可視化かしかされた瞬間しゅんかんにこそ、それを否定ひていする人権じんけんという理念りねんが生うまれると論ろんじられる。

用例ようれい
  • 有閑ゆうかん階級かいきゅうの制度せいどは、所有しょゆうとそれにもとづく名誉めいよの序列じょれつから生しょうじた。……財産ざいさんは、いまや尊敬そんけいを得えるための最もっとも容易よういな基礎きそである。ソースティン・ヴェブレン『有閑ゆうかん階級かいきゅうの理論りろん』(1899)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    序列じょれつが何なにを基準きじゅんに組くみ替かわったかを示しめした一節いっせつである。(1-7 の 142 で同おなじ書しょの顕示的けんじてき消費しょうひを引ひいた。)かつて序列じょれつは武勲ぶくんや血ち筋すじで決きまった。近代きんだいでは財産ざいさんになる。ヴェブレンが「最もっとも容易よういな」と書かくのは皮肉ひにくだ — 数かぞえられるから容易よういなのである。武勲ぶくんは語かたりが要いり、血ち筋すじは証明しょうめいが要いる。金額きんがくはただ並ならべればよい。04 の尺度しゃくどが一ひとつになると序列じょれつが自動的じどうてきに生成せいせいされるというこの主題しゅだいの主張しゅちょうが、ここで歴史れきしの事実じじつとして確たしかめられる。
  • 君子くんしは器うつわならず。『論語ろんご』為い政せい篇へん
    序列化じょれつかへの最もっとも短みじかい抵抗ていこうである。(1-1 と 2-4 で同おなじ篇へんの別べつの箇所かしょを引ひいた。)「器うつわ」とは特定とくていの用途ようとに限かぎられた道具どうぐのことだ。皿さらは皿さらにしか使つかえず、用途ようとで価値かちが決きまる。君子くんしは器うつわではないとは、何なにかの役やくに立たつかどうかで測はかられる存在そんざいではないという宣言せんげんである。ここで拒こばまれているのは低ひくい序列じょれつではなく、序列じょれつに入いれられること自体じたいだ。「役やくに立たつ人材じんざい」という言いい方かたが当あたり前まえになった社会しゃかいで、この五字ごじはいよいよ鋭するどくなる。1-7 の 152 で見みたニューマンの「知識ちしきはそれ自体じたいが目的もくてきである」と同おなじ場所ばしょを、人ひとについて言いっている。
  • 一ひとつの尺度しゃくどが行いきわたると、あらゆる違ちがいが序列じょれつに変換へんかんされる。 この主題しゅだいの要約ようやくである。順位じゅんいは発見はっけんされるのではなく生成せいせいされる。偏差へんさ値ちも、再生さいせい数すうも、測はかり方ほうを決きめた瞬間しゅんかんに生うまれる。順位じゅんいがもともとあったように見みえてくるところがこの装置そうちの巧妙こうみょうさだ。
  • ×資料しりょうを年代ねんだい順じゅんに序列じょれつした。 「配列はいれつ」「並ならべた」である。序列じょれつは上下じょうげ・優劣ゆうれつを伴ともなう順序じゅんじょを指さし、単たんなる並ならび順じゅんではない。年代ねんだい順じゅんや五十ごじゅう音おん順じゅんに上下じょうげは無ない。なお「序列化じょれつか」と「化か」を付つけると上下じょうげを作つくり出だす操作そうさを名指なざせるようになる。
派生はせい形けい
  • 序じょ[1]順序じゅんじょ・次第しだい。「長幼ちょうようの序じょ」のように守まもるべき順序じゅんじょという含ふくみを持もつ。序列じょれつの「序じょ」にはもともと規範きはんの色いろがある — ただ並ならんでいるのではなく、そう並ならぶべきだという含ふくみが語ごに残のこっている。
  • 階層かいそう[0]社会学しゃかいがくの語ご。所得しょとく・職業しょくぎょう・学歴がくれきなどで分わかれた層そう。序列じょれつが一列いちれつの順位じゅんいを思おもわせるのに対たいし、階層かいそうは幅はばのある層そうを思おもわせる。層そうのなかでは順位じゅんいがつかないぶん、やや穏おだやかな語ごである。
  • ヒエラルキー[4]もとは教会きょうかいの位階いかい。ギリシア語ご hieros(聖せいなる)+ arche(支配しはい)。語源ごげんに「聖せいなる」が入はいっていることが重要じゅうようで、序列じょれつはもともと神かみが定さだめたものだった。1-6 の 120 の世俗化せぞくかのあと、誰だれが定さだめるのかという問といが空席くうせきのまま残のこった。
コロケーション
  • 序列化じょれつか操作そうさを名指なざす語ご違ちがいを上下じょうげに変かえる働はたらき。この語ごが要いるのは、序列じょれつが自然しぜんにあるものだと思おもわれがちだからだ。「化か」を付つけることで誰だれかがやっている操作そうさとして扱あつかえるようになる。1-7 の 160 の「自己じこ責任せきにん論ろん」と同おなじく、接尾せつび辞じが批判ひはんの足場あしばを作つくる。
  • 序列じょれつの内面化ないめんか自分じぶんで並ならぶ語ご外そとから与あたえられた順位じゅんいを自分じぶんの価値かちの感かんじ方ほうにしてしまうこと。2-2 の 11 で見みた美醜びしゅうの内面化ないめんかと同おなじ構造こうぞうである。誰だれにも言いわれなくても自分じぶんを順位じゅんいのなかに置おく — 1-7 の 144 の自発的じはつてきな服従ふくじゅうが評価ひょうかの領域りょういきで働はたらいた形かたちだ。
  • 序列じょれつと多様性たようせい対立たいりつする語ご1-7 の 150 の多様性たようせいが掲かかげるのは比くらべないことである。ところが多様性たようせいそのものが評価項目ひょうかこうもくになると、多様性たようせいの達成たっせい度どで順位じゅんいがつく。序列化じょれつかは自分じぶんへの批判ひはんすら序列じょれつに取とり込こむ — 1-6 の 140 で見みた抵抗ていこうの回収かいしゅうと同おなじ形かたちである。
  • 序列じょれつから降おりる可能かのうかを問とう語ご順位じゅんい争あらそいに参加さんかしないという選択せんたく。この言いい方かたが難むずかしいのは、降おりたことも評価ひょうかされうるからだ。「あえて降おりた人ひと」という新あたらしい席せきが用意よういされる。1-6 の 132 で見みた軸じくから降おりるという身振みぶりが、ここでも同おなじ困難こんなんに出会であう。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 区別くべつ違ちがいを見分みわけて分わける上下じょうげを含ふくまない。序列じょれつは必かならず上下じょうげがつく。
  • 階層かいそう上下じょうげに分わかれた層そう集団しゅうだんの構造こうぞう。序列じょれつは並ならべる操作そうさそのもの。
  • 格差かくさ開ひらいた差さ☑160 と接続せつぞくする。序列じょれつが固定こていした結果けっかとして生しょうじる。
  • 等級とうきゅう段階だんかいに分わけた位い定さだめられた区分くぶん。序列じょれつは連続的れんぞくてきな順位じゅんいも含ふくむ。

ENhierarchy / ranking
ZH序列(序列, xùliè)

06概念がいねん

余剰よじょう⚠

よじょう[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
余よあまる+剰じょうあまる

「余よ」も「剰じょう」も〈あまる〉を表あらわす。同義どうぎの重かさね語ごである。

使用しようの境界きょうかい

必要ひつような分ぶんを超こえて残のこったもの。無駄むだという意味いみではなく、蓄たくわえや交換こうかんに回まわせる余あまりを指さす。

用法ようほう

二字にじがともに〈あまる〉を表あらわす。経済けいざい論ろんでは「余剰よじょう生産せいさん物ぶつ」の形かたちが要点ようてんで、これがなければ交換こうかんも市場しじょうも成立せいりつしない。物々交換ぶつぶつこうかんの段階だんかいでは、腐くさる前まえに相手あいてを見みつける必要ひつようがあるため余剰よじょうは生うまれにくい。貨幣かへいが現あらわれて初はじめて、人々ひとびとは生活せいかつに必要ひつような水準すいじゅんを超こえて積極的せっきょくてきに生産せいさんするようになった。つまり貨幣かへいが余剰よじょうを生うみ、余剰よじょうが市場しじょうを生うんだという因果いんがである。「剰余じょうよ価値かち」(マルクス)は字じ順じゅんが逆ぎゃくで、労働ろうどうが生うんだ価値かちのうち賃金ちんぎんを超こえる部分ぶぶんを指さす別語べつご。

用例ようれい
  • 生せい産物さんぶつのうち、生産者せいさんしゃ自身じしんの生活せいかつに必要ひつような部分ぶぶんを超こえる部分ぶぶんが、他ほかの階級かいきゅうを養やしなう源泉げんせんとなる。……文明ぶんめいはこの余剰よじょうの上うえに建たてられている。デイヴィッド・リカード『経済学けいざいがくおよび課税かぜいの原理げんり』(1817)の主旨しゅしによる/訳やくは本ほん教材きょうざい
    余剰よじょうが社会しゃかいの形かたちを決きめることを示しめした議論ぎろんである。要点ようてんは「他ほかの階級かいきゅうを養やしなう」だ。全員ぜんいんが食たべるだけで精せい一杯いっぱいなら誰だれも別べつのことができない。余剰よじょうが出でてはじめて神官しんかんも、職人しょくにんも、学者がくしゃも存在そんざいできる。文明ぶんめいとは余剰よじょうの使つかい道みちの名前なまえであるとも言いえる。ここから二ふたつの問といが出でる。第一だいいちに、誰だれが余剰よじょうを作つくっているのか。第だい二にに、誰だれがそれを受うけ取とるのか。この二ふたつが一致いっちしないところに階級かいきゅうが生しょうじる — 1-6 の 128 の資本しほん主義しゅぎの分析ぶんせきは、この一点いってんを精密せいみつに追おったものである。
  • 倉廩そうりん実じつつれば則そくち礼れい節せつを知しり、衣食いしょく足あしれば則そくち栄辱えいじょくを知しる。『管子かんし』牧民ぼくみん篇へん
    余剰よじょうと道徳どうとくの順序じゅんじょを言いい切きった一句いっくである。倉くらが満みちてから礼れい節せつであって逆ぎゃくではない。この主張しゅちょうは道徳どうとくを相対そうたい化かしているように見みえるが、そうではない。道徳どうとくを要求ようきゅうするならまず条件じょうけんを整ととのえよと為い政せい者しゃに言いっているのだ。飢うえている者ものに礼れいを説とくのは順序じゅんじょが違ちがう。2-4 の 05 の再分配さいぶんぱいが道徳どうとくの議論ぎろんに先立さきだつと言いえるのはこの論法ろんぽうによる。同時どうじに注意ちゅういも要いる — この一句いっくは「豊ゆたかになれば自然しぜんに道徳的どうとくてきになる」とは言いっていない。条件じょうけんであって十分じゅうぶん条件じょうけんではない。1-7 の 142 で見みた豊ゆたかさのなかの貧まずしさが、その証拠しょうこである。
  • 余剰よじょうは、誰だれかが働はたらいて生うみ出だしたものであり、自然しぜんに湧わいてくるものではない。 この語ごを読よむときの構かまえである。「余あまった」という語ご感かんは誰だれの手ても思おもわせない。ところが余剰よじょうは必要ひつよう以上いじょうに働はたらいた結果けっかだ。誰だれが余よ分ぶんに働はたらき、誰だれがその分ぶんを受うけ取とったかを問とえるかどうかが分わかれ目めになる。
  • ×パーティーの料理りょうりが余剰よじょうになった。 「余あまった」「残のこった」である。余剰よじょうは生産せいさんや取引とりひきにおいて必要ひつよう分ぶんを超こえて生しょうじた部分ぶぶんを指さす経済けいざいの術語じゅつごで、日常にちじょうの食たべ残のこしには使つかわない。なお経済学けいざいがくの「消費しょうひ者しゃ余剰よじょう」「生産者せいさんしゃ余剰よじょう」は取引とりひきで得とくた差さ額がくの利益りえきを指さすまた別べつの用法ようほうである。
派生はせい形けい
  • 剰余じょうよ[0]字じを入いれ替かえた語ご。経済学けいざいがくでは「剰余じょうよ価値かち」が定訳ていやくで、「余剰よじょう」は一般的いっぱんてきな余あまりに使つかう。数学すうがくの剰余じょうよ(あまり)もこの字じ。順序じゅんじょが違ちがうだけで分野ぶんやが分わかれる珍めずらしい例れい。
  • 過剰かじょう[0]多おおすぎるという否定ひていの含ふくみを持もつ。余剰よじょうが中立ちゅうりつなのに対たいし、過剰かじょうはすでに評価ひょうかが入はいっている。「生産せいさん余剰よじょう」は事実じじつ、「生産せいさん過剰かじょう」は問題もんだい。同おなじ量りょうをどちらの語ごで書かくかで結論けつろんが違ちがってくる。
  • 黒字くろじ[0]会計かいけいの語ご。収入しゅうにゅうが支出ししゅつを上回うわまわる。余剰よじょうが物ものや労働ろうどうの側がわを指さすのに対たいし、黒くろ字じは帳簿ちょうぼの側がわを指さす。黒くろ字じでも余剰よじょうが生うみ出だされていないことはありうる — 他所よそから移うつしただけの場合ばあいだ。
コロケーション
  • 余剰よじょう価値かちマルクスの術語じゅつご労働者ろうどうしゃが生うみ出だした価値かちのうち賃金ちんぎんを超こえる部分ぶぶん。「剰余じょうよ価値かち」と訳やくすのが標準ひょうじゅんである。この語ごの要点ようてんは、利潤りじゅんの出でどころを交換こうかんではなく生産せいさんに求もとめたことにある。安やすく買かって高たかく売うるだけでは社会しゃかい全体ぜんたいの富とみは増ふえない — 増ふえているのだからどこかで生うみ出だされている。
  • 余剰よじょうの分配ぶんぱい争点そうてんそのもの生うみ出だされた余剰よじょうを誰だれがどれだけ取とるか。経済けいざいをめぐるあらゆる政治的せいじてき対立たいりつがこの一点いってんに集あつまる。賃金ちんぎん交渉こうしょうも、税制ぜいせいも、すべて余剰よじょうの取とり分ぶんの話はなしだ。2-4 の 05 の再分配さいぶんぱいはこの分配ぶんぱいを事後じごに修正しゅうせいする試こころみである。
  • 余剰よじょう人員じんいん人ひとに使つかう形かたち必要ひつような数かずを超こえた人ひと。この言いい方かたが冷つめたいのは、人ひとを生産せいさんの要素ようそとして数かぞえているからだ。1-6 の 137 で見みた『女工じょこう哀史あいし』の「機械きかいの一部いちぶ」と同おなじ視線しせんである。語彙ごいがすでに扱あつかい方ほうを決きめている。
  • 余剰よじょうと余暇よか同おなじ根ねから出でる語ご余剰よじょうがあるから働はたらかない時間じかんが持もてる。1-7 の 142 で見みたヴェブレンの有閑ゆうかん階級かいきゅうは余暇よかを見みせることで余剰よじょうの所有しょゆうを示しめしていた。余暇よかは休息きゅうそくである前まえに記号きごうである — この見方みかたを取とると、現代げんだいの休きゅうみ方ほうも違ちがって見みえてくる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 過剰かじょう多おおすぎる多おおいことへの否定的ひていてきな評価ひょうかを含ふくむ。余剰よじょうは中立ちゅうりつで、活用かつようできる余あまりを指さす。
  • 残余ざんよ残のこったもの使つかい残のこし。余剰よじょうは生産せいさんの結果けっかとして意図的いとてきに生しょうじたものも含ふくむ。
  • 剰余じょうよあまり同おなじ字じを入いれ替かえた語ご。マルクス経済学けいざいがくでは「剰余じょうよ価値かち」の形かたちで使つかう。
  • 蓄積ちくせきたくわえて積つみ上あげる動うごき。余剰よじょうはその対象たいしょうとなるもの。

ENsurplus
ZH剩余(余剰, shèngyú)

日中にっちゅうのズレ

中国語ちゅうごくごでは 剩余(shèngyú) と、字じの順序じゅんじょも用字ようじも異ことなる。余剰よじょう という語形ごけいは使つかわない。

マルクスの「剰余じょうよ価値かち」は中国語ちゅうごくごで 剩余价值(shèngyú jiàzhí)。

07概念がいねん

贈与ぞうよ

ぞうよ[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
贈ぞうおくる+与よあたえる
使用しようの境界きょうかい

見返みかえりを求もとめずに物ものを与あたえること。ただし多おおくの社会しゃかいでは、返礼へんれいの義務ぎむが暗黙あんもくのうちに伴ともなう。

用法ようほう

この主題しゅだいの締しめくくりにある語ごで、市場しじょう原理げんりを乗のり越こえるヒントとして提示ていじされる。お中なか元もとやお歳暮せいぼのような慣習かんしゅうは、等価とうか交換こうかんでも利潤りじゅん追求ついきゅうでもない原理げんりで動うごいている。ただし要点ようてんがあり、モースの研究けんきゅう以来いらい、贈与ぞうよには返礼へんれいの義務ぎむが伴ともなうことが知しられている。つまり贈与ぞうよは「見返みかえりがない」のではなく、見返みかえりが計算けいさんされない点てんに特徴とくちょうがある。時間じかんをおいて別べつの形かたちで返かえされる。この曖昧あいまいさが、かえって人ひとと人ひとを結むすびつけると論ろんじられる。

用例ようれい
  • 受うけ取とって返かえさない者ものは、低ひくい地位ちいに置おかれる。……与あたえることは優位ゆういを示しめすことであり、受うけ取とることは従属じゅうぞくを受うけ入いれることである。マルセル・モース『贈与ぞうよ論ろん』(1925)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    贈与ぞうよが無償むしょうの善意ぜんいではないことを言いい切きった一節いっせつである。(03 で同おなじ書しょの別べつの箇所かしょを引ひいた。あちらは三みっつの義務ぎむ、ここでは力ちから関係かんけいを扱あつかう。)贈おくり物ものは負債ふさいを作つくる。返かえせない者ものは下したに置おかれる。だからこそ返かえすことが義務ぎむになる。この見方みかたを取とると、贈与ぞうよは交換こうかんよりむしろ厳きびしい — 市場しじょうの交換こうかんはその場ばで清算せいさんされて対等たいとうに別わかれられるが、贈与ぞうよは関係かんけいを残のこす。「気持きもちだけで結構けっこうです」が断ことわりとして通つうじないのはこのためだ。贈与ぞうよを市場しじょうより温あたたかいものとして描えがく議論ぎろんは、この面めんを見落みおとしている。
  • 施せす者ものは、右みぎの手てのなすことを左ひだりの手てに知しらせるな。……隠かくれたところで為いすがよい。『新しん約やく聖書せいしょ』マタイ傳でん福音書ふくいんしょ 第だい六章ろくしょうの主旨しゅしによる
    贈与ぞうよから負債ふさいを取とり除のぞこうとする試こころみである。なぜ隠かくすのか — 知しられれば返礼へんれいが生しょうじるからだ。返礼へんれいが生しょうじればそれは交換こうかんになる。純粋じゅんすいな贈与ぞうよが成なり立たつには、受うけ取とった者ものが誰だれから受うけたか知しらないほうがよい。この構かまえは現代げんだいの匿名とくめいの寄き付ふや無む記き名めいの献血けんけつにまでつながっている。ただし難所なんしょも残のこる — 与あたえた側がわは知しっている。自分じぶんが善よいことをしたという満足まんぞくが残のこるかぎり、贈与ぞうよは完全かんぜんには無償むしょうにならない。純粋じゅんすいな贈与ぞうよは可能かのうかという問といは、いまも開ひらいたままである。
  • 贈与ぞうよと交換こうかんの違ちがいは、関係かんけいが残のこるかどうかにある。交換こうかんは清算せいさんで終おわり、贈与ぞうよは負債ふさいで続つづく。 この対たいを一文いちぶんで立たてる型かたである。どちらが優すぐれているという話はなしではない。清算せいさんできることが自由じゆうの条件じょうけんでもあり、続つづくことが支ささえの条件じょうけんでもある。2-4 の 06 の親密しんみつ圏けんが贈与ぞうよの側がわに属ぞくしていることに気きづくと、この対たいは一段いちだん深ふかく読よめる。
  • ×誕生日たんじょうびに友人ゆうじんへ贈与ぞうよした。 「贈おくった」「プレゼントした」である。評ひょう論語ろんごの贈与ぞうよは交換こうかんと対たいをなすやりとりの型かたを指さす人類学じんるいがく・経済学けいざいがくの術語じゅつごで、個別こべつの行為こういの名なではない。なお法律ほうりつ用語ようごの「贈与ぞうよ」は無償むしょうで財産ざいさんを移うつす契約けいやくで、これも別べつの用法ようほうである。
派生はせい形けい
  • 贈答ぞうとう[0]贈おくることと答こたえること。返礼へんれいまで含ふくんだ語ごである点てんが「贈与ぞうよ」と違ちがう。日本語にほんごがこの語ごを持もっていることは、返礼へんれいを前提ぜんていとする文化ぶんかを語彙ごいが写うつしているとも読よめる。
  • 互酬ごしゅう[0]03 でも触ふれた語ご。贈おくり合あいが長期ちょうきにわたって釣つり合あう形かたち。一回いっかいごとの等価とうかは求もとめないぶん、関係かんけいが続つづくことが前提ぜんていになる。続つづかない相手あいてとは互ご酬むくいできない。
  • 寄付きふ[1]現代げんだいの制度せいど化かされた贈与ぞうよ。返礼へんれいを求もとめない点てんで純粋じゅんすい贈与ぞうよに近ちかいが、税ぜいの控除こうじょや名前なまえの掲示けいじが入はいり込こみやすい。制度せいどが見返みかえりを再さい導入どうにゅうするという皮肉ひにくがこの語ごには付ついて回まわる。
コロケーション
  • 贈与ぞうよと交換こうかん対たいで立たてる語ごこの二に語ごは片方かたほうだけでは輪郭りんかくが出でない。交換こうかんは等価とうか・即時そくじ・清算せいさん、贈与ぞうよは不等ふとう価あたい・遅延ちえん・負債ふさい。重要じゅうようなのは、どちらも現代げんだい社会しゃかいに同時どうじに存在そんざいすることだ。贈与ぞうよが前近代ぜんきんだいのもので交換こうかんが近代きんだいのものだと読よむと、議論ぎろんが単純たんじゅんになりすぎる。
  • 返礼へんれいの義務ぎむ贈与ぞうよを動うごかす力ちから受うけ取とったら返かえさねばならないという拘束こうそく。この義務ぎむが法ほうにも契約けいやくにも書かかれていないところが要点ようてんだ。誰だれも強制きょうせいしていないのに働はたらく。1-4 の 83 の世間せけんがまさにこの力ちからで動うごいていることに気きづくと、日本にほん社会しゃかいの記述きじゅつにこの語ごが多た用ようされる理由りゆうが分わかる。
  • 純粋じゅんすい贈与ぞうよ可能かのうかを問とう語ご返礼へんれいを一切いっさい期待きたいしない贈与ぞうよ。この語ごが哲学てつがくの問題もんだいになるのは、それが成立せいりつした瞬間しゅんかんに成立せいりつしなくなるからだ。「純粋じゅんすいな贈与ぞうよをした」と認識にんしきすること自体じたいが見返みかえりになる。2-1 の 07 の再帰さいきが倫理りんりの領域りょういきで罠わなになる場面ばめんである。
  • 贈与ぞうよ経済けいざい別べつの体系たいけいとして見みる語ご交換こうかんではなく贈与ぞうよを軸じくに回まわっている経済けいざい。この語ごが現代げんだいで再ふたたび使つかわれるのは、公開こうかいされたソフトウェアや知ちの共有きょうゆうがこの形かたちに近ちかいからだ。2-4 の 07 の知ちのコモンズと重かさなる領域りょういきで、使つかっても減へらないものには贈与ぞうよが向むいている。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 交換こうかん等価とうかのものを取とりかえる対たい概念がいねん。等価とうか性せいと同時どうじ性せいを前提ぜんていとする。贈与ぞうよはどちらも前提ぜんていとしない。
  • 互ご酬むくい贈おくり合あって支ささえ合あう人類学じんるいがくの語ご。贈与ぞうよが社会しゃかいを成なり立たたせる仕組しくみとして働はたらく形かたち。
  • 寄き付ふ公こうのために金品きんぴんを出だす相手あいてが不ふ特定とくてい。贈与ぞうよは関係かんけいのある相手あいてに向むかう。
  • ボランティア報酬ほうしゅうを期待きたいしない行為こうい労働ろうどうの側がわ。贈与ぞうよは物ものの側がわ。どちらも市場しじょう原理げんりの外そとにある。

ENgift / giving
ZH赠与(贈与, zèngyǔ)

08概念がいねん

累進るいしん

るいしん[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
累るいかさなる+進しんすすむ
使用しようの境界きょうかい

数量すうりょうが増ふえるにつれて、割合わりあいも段階的だんかいてきに上あがっていくこと。単たんに増ふえることではない。

用法ようほう

「累るい進しん課税かぜい」の形かたちでほぼ固定こていしている。所得しょとくの額がくが上あがるほど税ぜい率りつそのものが上あがる仕組しくみで、国家こっかが所得しょとくの再分配さいぶんぱいを行おこない、社会的しゃかいてきな公正こうせいを確保かくほするための中心ちゅうしん的てきな手段しゅだんである。要点ようてんは比例ひれいとの差さにあり、比例ひれいなら割合わりあいは一定いっていだが、累るい進しんは割合わりあいが上あがる。だから累るい進しん性せいが強つよいほど再分配さいぶんぱいの力ちからも強つよい。対たい語ごの逆ぎゃく進しんも押おさえておくと、消費しょうひ税ぜいをめぐる議論ぎろんが読よめる。「累るい」は〈重かさなる〉で、累積るいせき・累計るいけいと同おなじ字じである。

用例ようれい
  • 同おなじ額がくを取とり上あげても、富とみめる者ものから取とる一いち枚まいと貧まずしき者ものから取とる一いち枚まいとでは、奪うばわれる幸福こうふくの大おおきさがまるで違ちがう。ジョン・スチュアート・ミル『経済学けいざいがく原理げんり』第だい五ご編へん(1848)の主旨しゅしによる/訳やくは本ほん教材きょうざい
    累るい進しん課税かぜいを功利こうり主義しゅぎの内側うちがわから基礎きそづけた議論ぎろんである。(1-6 の 130 と 1-7 でこの著者ちょしゃの別べつの書しょを引ひいた。)論法ろんぽうはこうだ — 同おなじ一いち万まん円えんでも、持もっている量りょうが多おおいほどその一いち万まん円えんの重おもみは軽かるい。だから同どう率りつで取とることは同おなじ痛いたみを与あたえることにならない。痛いたみを揃そろえようとすれば税ぜい率りつは上あげるほかない。この論ろんの強つよさは、平等びょうどうの理念りねんからではなく計算けいさんから出でていることにある。1-6 の 130 の功利こうり計算けいさんがここでは再分配さいぶんぱいの根拠こんきょになる — 同おなじ道具どうぐが少数しょうすう者しゃの犠牲ぎせいも再分配さいぶんぱいも導みちびきうるという両義性りょうぎせいが、よく見みえる例れいである。
  • よき政せいをなす者ものは、民みんの余あまりあるを取とりて民みんの足たらざるを補おぎなえふ。……天てんの道みちは、余あまりあるを損そんじて足たらざるを補おぎなえふ。『老子ろうし』第だい七なな十七じゅうなな章しょうの主旨しゅしによる
    累るい進しんの発想はっそうを自然しぜんの理りとして述のべた一節いっせつである。(1-1 ほかで同おなじ書しょの別べつの章しょうを引ひいた。)老子ろうしはこう続つづける — 人ひとの道みちはそうではない。足たりない者ものから奪うばって余あまっている者ものに差さし出だす。天てんの道みちと人ひとの道みちが逆ぎゃくを向むいているというこの指摘してきが鋭するどい。05 の序列じょれつが進すすむほど、持もっている者ものにさらに集あつまる。放ほうっておけば格差かくさは広ひろがる方向ほうこうへ動うごくのだ。累るい進しんはその自然しぜんな流ながれに逆さからうための人工的じんこうてきな仕掛しかけである — 自然しぜんに任にんせることが公平こうへいだという感覚かんかくがいかに疑うたがわしいかを、この一節いっせつが照てらしている。
  • 累るい進しん課税かぜいが公平こうへいだとされるのは、同おなじ率りつで取とることが同おなじ負担ふたんを意味いみしないからである。 この語ごの理屈りくつを一文いちぶんで示しめす型かたである。「同おなじ扱あつかい」が「公平こうへい」とは限かぎらない — この一点いってんが直感ちょっかんに反はんするため、累るい進しんの議論ぎろんはつねに説明せつめいを必要ひつようとする。2-4 の 05 の逆ぎゃく進しんと一いち対たいで読よみたい。
  • ×階段かいだんを累るい進しんして屋上おくじょうまで登のぼった。 そういう語ごではない。累るい進しんは数量すうりょうが増ますにつれて割合わりあいも上あがっていくという仕組しくみを指さす語ごで、移動いどうの意味いみは無ない。「累るい」は積つみ重かさなる、「進しん」は進すすむ。「累るい進しん税ぜい率りつ」「累るい進しん的てき」の形かたちでほぼ固定こていして使つかう。
派生はせい形けい
  • 累積るいせき[0]積つみ重かさなること。割合わりあいが変かわることは含意がんいしない。累るい進しんが率りつの変化へんかを言いうのに対たいし、累積るいせきは量りょうの蓄積ちくせきを言いう。「累積るいせき赤字あかじ」「累積るいせき効果こうか」。
  • 比例ひれい[0]累るい進しんの対たい。同おなじ率りつで一定いっていにかかる(比例ひれい税ぜい率りつ)。一見いっけんいちばん公平こうへいに見みえるのがこの形かたちで、だからこそミルの議論ぎろんが必要ひつようになった。直感的ちょっかんてきな公平こうへいと実質的じっしつてきな公平こうへいがずれる典型例てんけいれい。
  • 逓増ていぞう[0]次第しだいに増ふえる。「逓減ていげん」の対たいで、経済学けいざいがくの術語じゅつごとして使つかう。累るい進しんとほぼ同おなじ動うごきを指さすが、累るい進しんが制度せいどの名なとして定着ていちゃくしているのに対たいし、逓増ていぞうは現象げんしょうの記述きじゅつにとどまる。
コロケーション
  • 累るい進しん課税かぜい最もっとも定着ていちゃくした形かたち所得しょとくが増ふえるほど税ぜい率りつが上あがる仕組しくみ。この制度せいどの設計せっけいで重要じゅうようなのは「超過ちょうか累るい進しん」である — 上あがった税ぜい率りつは超こえた部分ぶぶんにだけかかる。境目さかいめを一いち円えん超こえたら手て取とりが減へるという誤解ごかいが根ね強つよいのは、この仕組しくみが知しられていないからだ。
  • 累るい進しん性せい程度ていどを言いう語ごどれだけ累るい進しん的てきかの度合どあい。この語ごが要いるのは、累るい進しんかどうかの二に択たくではないからだ。最高さいこう税ぜい率りつだけを見みても分わからない — 控除こうじょ、社会しゃかい保険ほけん料りょう、消費しょうひ税ぜいを含ふくめた全体ぜんたいで測はからなければ実際じっさいの累るい進しん性せいは出でてこない。
  • 累るい進しんの弱化じゃっか現代げんだいの傾向けいこう各国かっこくで最高さいこう税ぜい率りつが下さがってきたこと。理由りゆうとして挙あげられるのは資本しほんと人ひとの移動いどうだ — 高たかく取とれば出でていく。1-7 の 148 で見みたグローバル化かの非対称ひたいしょうがここで効きく。資本しほんは国境こっきょうを越こえられ、労働者ろうどうしゃは越こえにくいから、取とりやすい側がわに負担ふたんが寄よる。
  • 累るい進しんと逆ぎゃく進しん対たいで見みる語ご一ひとつの税ぜいだけを見みても全体ぜんたいは分わからない。累るい進しん的てきな所得しょとく税ぜいと逆ぎゃく進しん的てきな消費しょうひ税ぜいが同おなじ制度せいどのなかに同居どうきょしている。差さ引ひきでどうなっているかを問とうのが議論ぎろんの作法さほうで、一方いっぽうだけを取とり出だす論ろんはたいてい何なにかを隠かくしている。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 逆ぎゃく進しん所得しょとくが低ひくいほど負担ふたん率りつが上あがる対たい語ご。消費しょうひ税ぜいがその例れい。累るい進しんとは負担ふたんの向むきが逆ぎゃくになる。
  • 比例ひれい同おなじ割合わりあいで増ふえる割合わりあいが一定いってい。累るい進しんは割合わりあいそのものが上あがる。
  • 再分配さいぶんぱい富とみを配くばり直なおす☑2-4。累るい進しん課税かぜいはその代表的だいひょうてきな手段しゅだん。
  • 段階だんかい区切くぎられた層そう仕組しくみの形かたち。累るい進しんは割合わりあいが段階的だんかいてきに上あがる仕組しくみ。

ENprogressive (taxation)
ZH累进(累進, lěijìn)

09読解どっかい

換算かんさん

かんさん[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
換かえかえる+算さんかぞえる
使用しようの境界きょうかい

ある単位たんいで表あらわされた量りょうを、別べつの単位たんいに置おき換かえて計算けいさんすること。単たんに数かぞえることではない。

用法ようほう

経済けいざい論ろんでは「貨幣かへいに換算かんさんされる」という受身うけみ形けいが要点ようてんになる。あらゆるモノの価値かちが、そして人間にんげんの労働ろうどうまでもが、貨幣かへいという単位たんいに置おき換かえられていく。ここで重要じゅうようなのは、換算かんさんが機械的きかいてきで価値かち判断はんだんを含ふくまない操作そうさだという点てんである。だからこそ、思おもい入いれのあるモノも人格じんかく者しゃも、市場しじょうでは同おなじ物差ものさしに載のせられてしまう。この非ひ情じょうさが批判ひはんの的まとになる。日常にちじょうでは「時給じきゅうに換算かんさんすると」「円えんに換算かんさんすると」の形かたちで広ひろく使つかう。

用例ようれい
  • 貨幣かへいは、あらゆる質しつをその量りょうへと還元かんげんしてしまう。……大だい都市としの生活せいかつが計算けいさん的てきな性格せいかくを帯おびるのは、このためである。ゲオルク・ジンメル『大だい都市としと精神せいしん生活せいかつ』(1903)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    換算かんさんという操作そうさが心こころの形かたちまで変かえることを示しめした一節いっせつである。(01 と 2-3 の 08 でこの著者ちょしゃの別べつの書しょを引ひいた。)ジンメルの観察かんさつは具体的ぐたいてきだ — 大だい都市としの人ひとは時計とけいを見みる。約束やくそくの時刻じこくを守まもり、効率こうりつを測はかり、すべてを数かずで扱あつかうようになる。この「計算けいさん的てきな性格せいかく」は冷つめたさとして現あらわれるが、ジンメルはそれを非難ひなんしていない。数かぞえきれない人ひとと関かかわるには、一人ひとりひとりに心こころを配はいれないからだ。冷淡れいたんさは大だい都市としで生いきるための防衛ぼうえいである。1-6 の 140 の均質化きんしつかが心こころのかたちにまで及およんだ姿すがたがここに書かかれている。
  • 銭ぜにほど面白おもしろきものはなし。……世よの人ひとの心こころの底そこを見みるに、金銀きんぎんを第一だいいちとせぬ者ものはあらじ。井原いはら西鶴さいかく『日本にほん永代えいたい蔵ぞう』巻かん一いち(1688)の主旨しゅしによる
    換算かんさんが価値かち観かんの順位じゅんいまで書かき換かえたことを記録きろくした一節いっせつである。(1-1 で同おなじ書しょの冒頭ぼうとうを引ひいた。)西鶴さいかくが描えがいたのは町人ちょうにんが主役しゅやくになった時代じだいだ。武士ぶしの徳とくでも公家くげの血ち筋すじでもなく、金銀きんぎんが第一だいいちの物差ものさしになった。注目ちゅうもくしたいのは、西鶴さいかくがこれを嘆なげいていないことである。「面白おもしろきもの」と書かいている。新あたらしい尺度しゃくどが身分みぶんの壁かべを壊こわしたことへの解放かいほう感かんが、ここにはある。02 で見みた市しの無縁むえんと同おなじ性格せいかくだ — 換算かんさんは人ひとを序列じょれつに押おし込こむ装置そうちであると同時どうじに、古ふるい序列じょれつを壊こわす装置そうちでもあった。
  • 労働時間ろうどうじかんも、教育きょういくの成果せいかも、自然しぜんの価値かちも、すべて金額きんがくに換算かんさんされる。換算かんさんできないものは、議論ぎろんの外そとへ置おかれる。 この語ごの使つかいどころである。換算かんさんは比較ひかくを可能かのうにする。同時どうじに換算かんさんできないものを見みえなくする。04 の尺度しゃくどと同おなじ問題もんだいを操作そうさの側がわから言いった語ごである。
  • ×ドルを円えんに換算かんさんした。 この用法ようほうは正ただしい。評ひょう論文ろんぶんで問題もんだいになるのは質しつの違ちがうものを同おなじ単位たんいに置おき換かえる場面ばめんである。通貨つうかどうしの換算かんさんはもともと同おなじ種類しゅるいだから議論ぎろんにならない。命いのちに値段ねだんを付つける、自然しぜんを金額きんがくで測はかるといった種類しゅるいをまたぐ換算かんさんにこそ、この語ごの批評ひひょう的てきな出で番ばんがある。
派生はせい形けい
  • 換算するかんさんする[0]「AをBに換算かんさんする」の形かたち。「に」が換算かんさん先さきを示しめす。換算かんさん先さきを誰だれが決きめたかを問とうのがこの語ごの読よみ方かたで、受うけ身みで書かかれていたら主語しゅごを探さがす。
  • 置換ちかん[0]置おき換かえること一般いっぱん。単位たんいを揃そろえる含ふくみが無ない。換算かんさんが量りょうの対応たいおうを含ふくむのに対たいし、置換ちかんはただの入いれ替かえ。数学すうがく・言語学げんごがくの術語じゅつごとしても使つかう。
  • 通約つうやく[0]04 でも触ふれた語ご。共通きょうつうの単位たんいで表あらわせるようにする。換算かんさんが実際じっさいの作業さぎょうを指さすのに対たいし、通約つうやくはそれが可能かのうかどうかを問とう場面ばめんで使つかう。通約つうやく可能かのうだから換算かんさんできるという順序じゅんじょである。
コロケーション
  • 金銭きんせんに換算かんさんする最もっとも多おおい形かたちあらゆるものを金額きんがくで言いい直なおすこと。この操作そうさが批判ひはんされるのは、単位たんいが揃そろうと比較ひかくが始はじまり、比較ひかくが始はじまると順位じゅんいがつくからだ。05 の序列じょれつへまっすぐつながる。ただし押おさえておきたい — 換算かんさんしなければ賠償ばいしょうも補償ほしょうもできない。
  • 換算かんさんできないもの外側そとがわを数かぞえる語ご尊厳そんげん、思おもい出で、取とり返かえしのつかないもの。この語ごが要いるのは、換算かんさんを断ことわることにも代償だいしょうがあるからだ。値あたいが付つかないものは守まもられないことがある — 自然しぜんに値段ねだんを付つける議論ぎろんが出でてくるのは、ゼロとして扱あつかわれるよりはましだという判断はんだんによる。
  • 換算かんさんの暴力ぼうりょく批判ひはんの強つよい形かたち質しつの違ちがうものを無理むりに同おなじ単位たんいへ押おし込こむこと。「暴力ぼうりょく」という語ごが使つかわれるのは、押おし込こまれる側がわに拒こばむ手段しゅだんが無ないからだ。2-3 の 08 の代替だいたいで見みたとおり、何なにを無視むししてよいかを決きめた者ものが力ちからを持もつ。
  • 換算かんさん率りつ交換こうかん比率ひりつの語ごどれをどれだけに置おき換かえるかの比ひ。この語ごが示しめすのは、換算かんさんにはつねに恣意しいが入はいることだ。命いのち一ひとつをいくらとするかに正解せいかいは無ない。それでも数字すうじは決きめられ、決きまれば事実じじつのように働はたらきはじめる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 計算けいさん数かずを求もとめる作業さぎょう一般いっぱん。換算かんさんは単位たんいの置おき換かえという操作そうさを指さす。
  • 変換へんかん形かたちや種類しゅるいを変かえる広ひろい。換算かんさんは数量すうりょうに限かぎる。
  • 換言かんげん言いい換かえる言葉ことばの置おき換かえ。同おなじ「換かえ」でも対象たいしょうが違ちがう。
  • 評価ひょうか値打ねうちを判断はんだんする判断はんだんが入はいる。換算かんさんは機械的きかいてきな置おき換かえ。

ENconversion
ZH换算(換算, huànsuàn)

10読解どっかい

阻害そがい⚠

そがい[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
阻そはばむ+害がいそこなう

同音どうおんの「疎そ外がい」と書かき分わける。阻害そがいは〈さまたげる〉、疎そ外がいは〈人間にんげんらしさを奪うばう〉。

使用しようの境界きょうかい

働はたらきや進行しんこうをさまたげ、そこなうこと。単たんに遅おくらせるのではなく、本来ほんらいの働はたらきを損そこなう点てんを含ふくむ。

用法ようほう

最大さいだいの注意ちゅうい点てんは同音どうおんの「疎そ外がい」との書かき分わけである。阻害そがいは〈さまたげる〉、疎そ外がいは〈人間にんげんらしさを奪うばう〉で、字じも意味いみもまったく違ちがう。経済けいざい論ろんでは「自由じゆう競争きょうそうを阻害そがいしないために、国家こっかはできるだけ市場しじょうに介入かいにゅうしないほうがよい」という形かたちで、小ちいさな政府せいふ論ろんの根拠こんきょとして現あらわれる。逆ぎゃくに大おおきな政府せいふ論ろんは、介入かいにゅうがなければ弱じゃく者しゃが保護ほごされないと主張しゅちょうする。どちらの立場たちばから書かかれているかを見分みわける手てがかりになる語ごである。

用例ようれい
  • 大道だいどう廃すたれて仁義じんぎあり。智慧ちえ出ででて大だい偽にせあり。六ろく親和しんわせずして孝慈こうじあり。国家こっか昏乱こんらんして忠臣ちゅうしんあり。『老子ろうし』第だい十八じゅうはち章しょう
    あるものが別べつのものを妨さまたげているという見方みかたの古典こてんである。(1-1 ほかで同おなじ書しょの別べつの章しょうを引ひいた。)論法ろんぽうは四よっつの反復はんぷくだ。徳目とくもくが称たたえられるのは、それが失うしなわれたからである。仁義じんぎが説とかれるのは大道だいどうが廃すたれたからであり、孝行こうこうが褒ほめられるのは家族かぞくが和わんでいないからだ。この論法ろんぽうを阻害そがいという語ごで読よみ直なおすとこうなる — 徳目とくもくを掲かかげること自体じたいが、徳とくの自然しぜんな働はたらきを阻害そがいしている。規則きそくが増ふえるほど自じ発はつ性せいは痩やせる。改善かいぜんのための手立てだてが改善かいぜんを妨さまたげるというこの構造こうぞうは、1-7 の 145 のシステムの自己じこ目的もくてき化かと同おなじ形かたちをしている。
  • 過すぎたるはなほ及およばざるがごとし。『論語ろんご』先進せんしん篇へん
    阻害そがいがしばしば過剰かじょうから生しょうじることを言いった一句いっくである。(1-1 ほかで同おなじ書しょの別べつの篇へんを引ひいた。)注目ちゅうもくしたいのは「なほ〜がごとし」という言いい方かただ。過すぎたるは及およばざるより悪わるいとは言いっていない。同おなじくらいだと言いう。この等置とうちが効きいているのは、足たりないことは誰だれでも問題もんだいだと分わかるが、多おおすぎることは問題もんだいに見みえにくいからだ。熱心ねっしんさも、保護ほごも、情報じょうほうも、多おおすぎれば目的もくてきを阻害そがいする。1-7 の 143 で見みた情報じょうほうの氾濫はんらんはこの一句いっくの現代げんだい版はんであり、量りょうが閾値しきいちを越こえると性質せいしつが変かわるという事実じじつを二千五百にせんごひゃく年前ねんまえに掴つかんでいる。
  • 過度かどの規制きせいは、守まもろうとした当とうのものを阻害そがいすることがある。 この語ごが評ひょう論文ろんぶんで働はたらく典型てんけいである。手段しゅだんと目的もくてきのねじれを書かくのに使つかう。「妨さまたげる」より硬かたく、「邪じゃ魔まする」より客観的きゃっかんてきなので、制度せいどや仕組しくみを主語しゅごにできるのがこの語ごの便利べんりさだ。
  • ×前まえを歩あるく人ひとが阻害そがいになって進すすめない。 「邪じゃ魔ま」「障害しょうがい」である。阻害そがいは働はたらきや進行しんこうを妨さまたげるという硬かたい語ごで、物理的ぶつりてきに道みちをふさぐ場面ばめんには使つかいにくい。「成長せいちょうを阻害そがいする」「発達はったつを阻害そがいする」のように、目的語もくてきごに過程かていを表あらわす語ごが来くるのが普通ふつうである。
派生はせい形けい
  • 疎外そがい[0]同音どうおんの別語べつご。1-6 の 137 と2-1 の 02 で見みた語ごで、関係かんけいから締しめ出だされること。阻害そがいは妨さまたげる、疎そ外がいは遠とおざける。入試にゅうしでも問とわれる書かき分わけである。
  • 阻止そし[1]完全かんぜんに止とめる。阻害そがいが妨さまたげるにとどまるのに対たいし、阻止そしはやり遂とげる。「阻害そがいされた」は進すすんではいる、「阻止そしされた」は止とまっている — 程度ていどの差さが語ごで分わかれている。
  • 妨害ぼうがい[0]意図いとを含ふくむ語ご。誰だれかが故意こいにやっているという含ふくみが強つよい。阻害そがいは意図いとを問とわないため、仕組しくみや制度せいどを主語しゅごにできる。1-7 の 145 のシステムを論ろんじるなら阻害そがいを選えらぶ。
コロケーション
  • 〜を阻害そがいする基本きほんの形かたち目的語もくてきごには進行しんこう・成長せいちょう・発達はったつ・機能きのうなど過程かていを表あらわす語ごが来くる。この共起きょうきが示しめすのは、阻害そがいされるのは状態じょうたいではなく動うごきだということだ。止とまっているものは阻害そがいできない。語ごが時間じかんを含ふくんでいる。
  • 阻害そがい要因よういん原因げんいんを名指なざす語ご妨さまたげている当とうのもの。この語ごが実務じつむでよく使つかわれるのは、問題もんだいを特定とくていの要素ようそに切きり分わけられるからだ。ただし1-2 の要素ようそ論ろんと同おなじ限界げんかいがある — 要因よういんを一ひとつずつ取とり除のぞいても解決かいけつしないことがある。関係かんけいそのものが阻害そがいしている場合ばあいだ。
  • 相互そうごに阻害そがいする循環じゅんかんを書かく語ご二ふたつがたがいの働はたらきを妨さまたげ合あう状態じょうたい。この形かたちが書かけるとどちらが原因げんいんかを決きめずに事態じたいを記述きじゅつできる。2-2 の 02 で見みた相関そうかんと因果いんがの差さがここでも効きく — 原因げんいんを決きめない勇気ゆうきが正確せいかくさを生うむことがある。
  • 阻害そがいと促進そくしん対たいで使つかう語ご評ひょう論文ろんぶんでも実務じつむでもこの対たいで書かくのが定型ていけい。注意ちゅういしたいのは、同おなじ要素ようそが両方りょうほうの働はたらきをしうることだ。競争きょうそうはある水準すいじゅんまでは促進そくしんし、越こえると阻害そがいする。『論語ろんご』先進せんしん篇へんの「過すぎたるは」が言いっているのはまさにこれである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 妨害ぼうがいわざとじゃまをする意図いとがある。阻害そがいは仕組しくみや条件じょうけんが結果的けっかてきにさまたげる場合ばあいも含ふくむ。
  • 疎そ外がい自作じさく物ぶつが逆ぎゃくに人ひとを支配しはいする☑21。同音どうおんだが別語べつご。字じも意味いみも違ちがう。混同こんどうが最もっとも多おおい。
  • 抑制よくせいおさえてひかえさせる程度ていどを下さげる。阻害そがいは働はたらき自体じたいを損そこなう。
  • 制約せいやく条件じょうけんをつけて縛しばる枠わくを設もうける。阻害そがいは否定的ひていてきな評価ひょうかを含ふくむ。

ENobstruction / hindrance
ZH阻碍(阻害, zǔ'ài)

日中にっちゅうのズレ

中国語ちゅうごくごでは 阻碍そがい(zǔ'ài) または 妨碍ぼうがい を使つかう。阻害そがい という語形ごけいは用もちいない。

日本語にほんごの「疎そ外がい」は中国語ちゅうごくごで 异化(yìhuà)。二に語ごは中国語ちゅうごくごでも明確めいかくに別語べつごである。

11読解どっかい

温床おんしょう

おんしょう[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
温おんあたたかい+床ゆかとこ・苗床なえどこ
使用しようの境界きょうかい

好よしみましくないものが生うまれ育そだちやすい環境かんきょう。比喩ひゆとしてのみ使つかい、ほぼ常つねに否定的ひていてきな文脈ぶんみゃくに立たつ。

用法ようほう

もとは苗なえを育そだてるために温おんめた苗床なえどこのことで、比喩ひゆとして使つかう際さいはほぼ必かならず否定的ひていてきな対象たいしょうを伴ともなう。「犯罪はんざいの温床おんしょう」「腐敗ふはいの温床おんしょう」「不安ふあんの温床おんしょう」が定型ていけいで、「才能さいのうの温床おんしょう」のような肯定的こうていてきな用法ようほうはまれである。この主題しゅだいでは「格差かくさの拡大かくだいは社会しゃかい不安ふあんの温床おんしょうにもなる」という形かたちで現あらわれ、格差かくさが直接ちょくせつに不安ふあんを生うむのではなく、不安ふあんが育そだちやすい条件じょうけんを作つくるという含ふくみになる。因果いんがを断定だんていせずに関係かんけいを示しめせるため、評ひょう論文ろんぶんで重宝ちょうほうされる。

用例ようれい
  • 衣食いしょく足たりて礼れい節せつを知しる、と古人こじんは言げんへり。されど今いまの世よは、衣食いしょく足たりてなほ足たらざるを憂うれふるなり。幸田こうだ露伴ろはん『努力どりょく論ろん』(1912)の主旨しゅしによる
    豊ゆたかさが別べつの問題もんだいを育そだてることを言いった一節いっせつである。06 で引ひいた『管子かんし』の一句いっくを正面しょうめんから受うけてずらしている。衣食いしょくは足たりた。それなのに足たりないと感かんじ続つづける。ここで温床おんしょうという語ごが要いる — 不足ふそくそのものが不満ふまんを生うむのではない。足たりたあとに比較ひかくが始はじまるのだ。05 の序列じょれつが豊ゆたかさの上うえでこそ育そだつというこの事態じたいは、1-7 の 142 で見みた豊ゆたかさのなかの貧まずしさと同おなじものである。温床おんしょうとは、悪わるいものが悪わるい条件じょうけんから生うまれるとは限かぎらないことを言いうための語ごだ。
  • 禍かは口くちより出ででて身みを破はり、福ふくは心こころより出ででて我われを飾かざる。『太平たいへい記き』巻かん第だい十七じゅうななの主旨しゅしによる
    災さいいと幸こういが同おなじ人ひとの内ないから出でてくるという見方みかたである。注目ちゅうもくしたいのは出でどころが両方りょうほうとも自分じぶんだという点てんだ。外そとから来くるのではない。温床おんしょうという語ごが指さしているのもこの構造こうぞうである — 問題もんだいを育そだてている土壌どじょうはたいてい内側うちがわにある。そしてその土壌どじょうは同時どうじに良よいものも育そだてている。口くちは禍かの出口でぐちだが言葉ことばの出口でぐちでもある。温床おんしょうを取とり除のぞけば問題もんだいも消きえるが、同おなじ土壌どじょうから生はえていた良よいものも消きえる — 2-4 の 06 の親密しんみつ圏けんが安やすらぎと不正ふせいの両方りょうほうの温床おんしょうであるのと同おなじ事情じじょうである。
  • 匿名とくめい性せいは、率直そっちょくな発言はつげんを可能かのうにすると同時どうじに、無責任むせきにんな攻撃こうげきの温床おんしょうにもなる。 この語ごの使つかい方かたの見本みほんである。同おなじ条件じょうけんが二ふたつの正反対せいはんたいのものを育そだてると書かくのがこの語ごの本ほん領りょうだ。「温床おんしょう」と書かいた時点じてんで否定ひていの評価ひょうかが入はいるので、良よい面めんと並ならべると議論ぎろんが公平こうへいになる。
  • ×日ひ当あたりのよい温床おんしょうで苗なえを育そだてた。 原げん義ぎとしては正ただしいが、現代語げんだいごではほぼ比喩ひゆでしか使つかわない。園芸えんげいなら「苗床なえどこ」「フレーム」である。評ひょう論語ろんごの温床おんしょうは好よしみましくないものが生うまれ育そだちやすい環境かんきょうを指さし、「〜の温床おんしょうとなる」の形かたちでほぼ固定こていして使つかう。
派生はせい形けい
  • 苗床なえどこ[0]本来ほんらいの園芸えんげい用語ようご。比喩ひゆで使つかうと肯定的こうていてきになる(「才能さいのうの苗床なえどこ」)。温床おんしょうとほぼ同おなじものを指さすのに、評価ひょうかが正反対せいはんたいである点てんが面白おもしろい — 「温おん」の字じに甘あまやかしの含ふくみが付ついたのだろう。
  • 揺籃ようらん[0]ゆりかご。「〜の揺籃ようらんの地ち」の形かたちで発祥はっしょうの地ちを指さす。肯定的こうていてきで、文明ぶんめいや文化ぶんかの起源きげんに使つかう。温床おんしょう・苗床なえどこ・揺籃ようらんを並ならべると同おなじ像ぞうから三みっつの評価ひょうかが分わかれているのが見みえる。
  • 素地そじ[1]下地したじ・基礎きそ。中立ちゅうりつで、良よい方ほうにも悪わるい方ほうにも使つかえる。「受うけ入いれる素地そじがある」。条件じょうけんだけを述のべて評価ひょうかを保留ほりゅうしたいときに選えらぶ語ごである。
コロケーション
  • 〜の温床おんしょう固定こていした形かたち「の」の前まえには好よしみましくないものが来くる — 腐敗ふはい、不正ふせい、暴力ぼうりょく、差別さべつ。良よいものには使つかわない。この非対称ひたいしょうが示しめすのは、温床おんしょうという語ごがすでに評価ひょうかを含ふくんでいることだ。中立ちゅうりつに条件じょうけんを述のべたいなら「土壌どじょう」「素地そじ」を選えらぶほうがよい。
  • 温床おんしょうとなる動詞どうしを伴ともなう形かたち「なる」が自動詞じどうしであることに注意ちゅういしたい。誰だれかが温床おんしょうにしたのではない。結果けっかとしてそうなったと書かく形かたちである。2-1 の 09 で見みたとおり、自動詞じどうしは責任せきにんの所在しょざいをぼかす — 誰だれがその条件じょうけんを作つくったかまで書かけるかどうかが文章ぶんしょうの質しつを分わける。
  • 温床おんしょうを絶たつ対処たいしょを言いう語ご問題もんだいそのものではなく条件じょうけんのほうを取とり除のぞくという発想はっそう。この構かまえが優すぐれているのは、個々ここの事例じれいを追おいかけるより効きくからだ。ただし危あやうさもある — 条件じょうけんを絶たつとはしばしば自由じゆうを狭せばめることだ。1-7 の 144 で見みた安全あんぜんと自由じゆうの交換こうかんがここでも起おきる。
  • 温床おんしょうと土壌どじょう書かき分わけたい対たい土壌どじょうは中立ちゅうりつで、良よいものも育そだつ。温床おんしょうは否定的ひていてきである。同おなじ条件じょうけんをどちらの語ごで書かくかで主張しゅちょうが決きまる — 「多様たような意見いけんの土壌どじょう」と「対立たいりつの温床おんしょう」は同おなじ事態じたいを指さしうる。語ごの選択せんたくがすでに論証ろんしょうの一部いちぶである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 原因げんいん結果けっかを生しょうじさせるもの一いち対たい一いちの因果いんが。温床おんしょうは育そだちやすい条件じょうけんを指さし、直接ちょくせつの原因げんいんではない。
  • 土壌どじょう育そだつための基盤きばん中立ちゅうりつにも使つかえる。温床おんしょうは否定的ひていてきな対象たいしょうに限かぎられる。
  • 要因よういん結果けっかに関かかわる要素ようそ中立ちゅうりつ。温床おんしょうは評価ひょうかを含ふくむ。
  • 背景はいけい後うしろにある事情じじょう説明せつめいのための補足ほそく。温床おんしょうは生成せいせいの場ばを指さす。

ENhotbed / breeding ground
ZH温床(温床, wēnchuáng)

12読解どっかい

至上しじょう

しじょう[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
至しいたる・きわみ+上うえうえ

同音どうおんの「市場しじょう(しじょう)」と書かき分わける。「市場しじょう至し上じょう主義しゅぎ」は同音どうおんが重かさなる。

使用しようの境界きょうかい

これ以上いじょうのものがない、最もっとも高たかい位い。段階だんかいの頂点ちょうてんではなく、他ほかと比くらべようがないことを含ふくむ。

用法ようほう

同音どうおんの「市場しじょう(しじょう)」との聞きき分わけが要いる語ごである。「市場しじょう至し上じょう主義しゅぎ」は「しじょうしじょうしゅぎ」となり、音おとでは区別くべつできない。書かき分わけを押おさえておく。「〜至し上じょう主義しゅぎ」の形かたちが最もっとも多おおく、あるものを唯一ゆいいつ最高さいこうの価値かちに置おく立場たちばを指さして、ほぼ常つねに批判的ひはんてきに使つかわれる。この主題しゅだいでは「成長せいちょう至し上じょう主義しゅぎ=効率こうりつ最優先さいゆうせん」として現あらわれる。「至し上じょう命題めいだい」は☑114 命題めいだいの項こうで述のべたとおり日常にちじょう語ごの転用てんようで、〈果はたすべき最優先さいゆうせんの課題かだい〉の意いになる。

用例ようれい
  • 汝なんじの人格じんかくおよび他ほかのあらゆる人ひとの人格じんかくのうちにある人間にんげん性せいを、つねに同時どうじに目的もくてきとして用もちい、決けっして単たんに手段しゅだんとしてのみ用もちいないように行為こういせよ。イマヌエル・カント『人倫じんりんの形而上学けいじじょうがくの基礎きそづけ』第だい二に章しょう(1785)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    何なにを至し上じょうに置おくかを定さだめた一節いっせつである。(1-7 の 159 で同おなじ書しょの自律じりつの定義ていぎを引ひいた。)注目ちゅうもくしたいのは「単たんに……のみ」という限定げんていだ。手段しゅだんとして使つかうことを禁きんじてはいない。医い者しゃにかかることも、店みせで買かうことも、相手あいてを手段しゅだんとして使つかっている。禁きんじられているのは手段しゅだんとしてだけ扱あつかうことである。この線引せんびきが実務じつむ的てきに効きくのは、あらゆる社会しゃかい関係かんけいが相互そうご利用りようを含ふくむからだ。利用りようを禁きんじたら社会しゃかいが止とまる。04 の尺度しゃくどが一ひとつになった社会しゃかいで、換算かんさんできない一点いってんを残のこすための命題めいだいとしてこの一句いっくは働はたらく。
  • 国民こくみんは、すべて個人こじんとして尊重そんちょうされる。生命せいめい、自由じゆう及および幸福こうふく追求ついきゅうに対たいする国民こくみんの権利けんりについては、公共こうきょうの福祉ふくしに反はんしない限かぎり、立法りっぽうその他ほかの国政こくせいの上うえで、最大さいだいの尊重そんちょうを必要ひつようとする。日本にほん国こく憲法けんぽう 第だい十じゅう三さん条じょう(1946)
    何なにを至し上じょうに置おくかを国くにが宣言せんげんした条文じょうぶんである。(1-4 ほかで同おなじ憲法けんぽうの別べつの条文じょうぶんを引ひいた。)要ようは「個人こじんとして」という三さん文字もじである。国民こくみんとしてでも、家族かぞくの一員いちいんとしてでもない。個人こじんとしてだ。1-6 の 123 で見みた近代きんだいがつくり出だした単位たんいが、ここで価値かちの最上位さいじょういに置おかれている。ただし条件じょうけんが付つく — 「公共こうきょうの福祉ふくしに反はんしない限かぎり」。この一句いっくがあらゆる人権じんけん訴訟そしょうの争点そうてんになってきた。至し上じょうと言いいながら上うえに何なにかがあるように読よめるからだ。至し上じょうのものを複数ふくすう置おけないというこの語ごの性質せいしつが、条文じょうぶんの設計せっけいを難むずかしくしている。
  • 効率こうりつを至し上じょうとする発想はっそうは、効率こうりつで測はかれないものを価値かちの外そとへ追おい出だす。 この語ごが批判ひはんに使つかわれる典型てんけいである。至し上じょうに置おくとは、他ほかをその下したに置おくことだ。一ひとつを最上位さいじょういにした瞬間しゅんかん、残のこりは手段しゅだんになる。2-4 の 04 の原理げんり主義しゅぎと同おなじ構造こうぞうを別べつの語ごで言いっている。
  • ×この店みせのケーキは至し上じょうの味あじだ。 「絶品ぜっぴん」「最上さいじょう」である。至し上じょうはそれより上うえが無ないという意いで、価値かちの順位じゅんいを論ろんじる場面ばめんで使つかう。味あじの評価ひょうかには大だいげさすぎる。なお「至し上じょう命令めいれい」「効率こうりつ至し上じょう主義しゅぎ」のように、他ほかの語ごと結むすんで使つかうのが普通ふつうである。
派生はせい形けい
  • 最高さいこう[0]日常にちじょう語ご。比較ひかくの結果けっかとしての一位いちいで、軽かるく使つかえる。至し上じょうが価値かちの順位じゅんいの議論ぎろんで使つかわれるのに対たいし、最高さいこうは何なんにでも使つかえる。使用しよう範囲はんいの広こうさがそのまま語ごの軽かるさになっている。
  • 無上むじょう[0]仏教ぶっきょう語ご。「無む上じょう正せい等覚とうがく」のように使つかう。これより上うえが無ないという点てんで至し上じょうと同おなじだが、宗教しゅうきょうの語彙ごいの色いろが濃こい。「無む上じょうの喜よろこび」のようにやや古風こふうな文語ぶんごとして残のこる。
  • 至高しこう[0]ほぼ同義どうぎ。至し上じょうが順位じゅんいを思おもわせるのに対たいし、至し高こうは高たかさそのものを思おもわせる。「至し高こうの存在そんざい」は神かみを指ゆびせるが、「至し上じょうの存在そんざい」はやや据すえわりが悪わるい — 比較ひかくの含ふくみが残のこるからである。
コロケーション
  • 〜至し上じょう主義しゅぎ最もっとも多おおい形かたち効率こうりつ至し上じょう主義しゅぎ、成長せいちょう至し上じょう主義しゅぎ、学歴がくれき至し上じょう主義しゅぎ。この語形ごけいが示しめすのは、何なにを至し上じょうに置おいても同おなじ形かたちの批判ひはんが成なり立たつことだ。一ひとつを最上位さいじょういに据すえれば残のこりが手段しゅだんになる — 中身なかみが何なにであれ構造こうぞうは変かわらない。
  • 至し上じょう命令めいれい絶対ぜったいの要請ようせいカントの定言ていげん命法めいほうの訳語やくごの一ひとつ。条件じょうけんを付つけずに命めいじるという意味いみである。「〜したいなら〜せよ」ではなく「〜せよ」。日常にちじょう語ごでは絶対ぜったいに守まもるべき指示しじの意いで使つかわれ、哲学てつがくの含ふくみはほぼ抜ぬけている。
  • 至し上じょうのものを複数ふくすう置おく成なり立たたない要求ようきゅう語ごの定義上ていぎじょう不可能ふかのうである。ところが現実げんじつの憲法けんぽうや倫理りんりは複数ふくすうの価値かちを同時どうじに最上位さいじょういに置おきこうとする — 自由じゆうと平等びょうどう、安全あんぜんと人権じんけん。衝突しょうとつしたときにどう調整ちょうせいするかという問といがここから永久えいきゅうに生しょうじ続つづける。
  • 至し上じょうと絶対ぜったい近ちかい語ごの差さ至し上じょうは順位じゅんいの最上さいじょう、絶対ぜったいは比較ひかくの外そと。至し上じょうは他ほかと比くらべたうえでの一位いちいだが、絶対ぜったいは比くらべること自体じたいを拒こばむ。「絶対的ぜったいてきな価値かち」のほうが「至し上じょうの価値かち」より強つよい — 04 の尺度しゃくどの議論ぎろんで言いえば、絶対ぜったいは通約つうやくを受うけ付つけない。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 最上さいじょういちばん上うえ段階だんかいの頂点ちょうてん。至し上じょうは比較ひかくの外そとに置おかれる含ふくみが強つよい。
  • 絶対ぜったい比較ひかくするものがない☑25。近ちかい。至し上じょうは価値かちの高たかさ、絶対ぜったいは比較ひかくの可否かひ。
  • 究極きゅうきょく最終さいしゅうの段階だんかいの終おわり。至し上じょうは位いの高たかさ。
  • 最高さいこういちばん高たかい日常にちじょう語ご。至し上じょうは硬かたく、価値かちについてのみ使つかう。

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ZH至上(至上, zhìshàng)

格による分布硬・学術、硬、中の三段階に本節の語を振り分けた図。 硬・学術 0 硬 4 序列 余剰 累進 至上 中 8 貨幣 市場 交換 尺度 贈与 換算 阻害 温床 語は意味ではなく格で選ぶ
格かくによる分布ぶんぷ
入試にゅうしにチャレンジ

尺度しゃくどが一ひとつになると、何なにが起おきるか

単一の尺度が生む序列化ガラス玉とダイヤモンド、インドの子供とビル・ゲイツが、同じ貨幣の軸の上に並べられ極端な差が可視化されることを示した図。 モノ ガラス玉 ダイヤモンド 一億分の一 ▲ ヒト インドの子供 30 ドル ビル・ゲイツ 900 億ドル 三十億倍 同じドルという単位で数値化される かつては、両者を比べようとする者はいなかった。同じ市場の住民ではなかったからである。 市場のグローバル化が、比較を可能にしてしまった。 人間の価値の数量化は、そのまま過酷な序列化である
単一たんいつの尺度しゃくどが生うむ序列化じょれつか
本文ほんぶん

市場しじょうとは何なにでしょう? それは、たんにモノを交換こうかんする場ばではありません。すべてのモノが交換こうかんされるためには貨幣かへいを必要ひつようとします。貨幣かへいとは一般的いっぱんてきな価値かち尺度しゃくどです。そして、その貨幣かへいの媒介ばいかいによって、まったく異質いしつのモノが市場しじょう価値かちという同どう質しつ性せいをあたえられ、さらに市場しじょう価値かちの数量すうりょう的てきな大小だいしょうによって序列化じょれつかされることになるのです。ひとが個人こじんとしてどれだけ大切たいせつにしているガラス玉たまでも、ひとたび市場しじょうに投なげ出だされれば、他ほかのすべてのモノと同様どうように市場しじょう価値かちをもち、ダイヤモンドの一いち億おく分ぶんの一いちという数字すうじがあたえられてしまうのです。

人間にんげんについても同おなじことが言いえます。先さきほどの旅行記りょこうきを読よむイギリス人じんとタジ・マハールで苦役くえきにつくインド人ひととは、同おなじ市場しじょうの中なかの住民じゅうみんではないのです。だれも両者りょうしゃの価値かちを比くらべようとは思おもいません。ところが市場しじょうのグローバル化かによって、いまでは先進国せんしんこくの人間にんげんと途上とじょう国こくの人間にんげんの価値かちが、同おなじドルという共通きょうつうの貨幣かへい単位たんいで数値化すうちかされることになります。実際じっさい、CNNの番組ばんぐみで、グローバル企業きぎょうの下請したうけ工場こうじょうに売うられたインドの子供こどもの値段ねだんが三十さんじゅうドルであったというレポートが流ながされています。そしてこの数字すうじは、CNNの別べつの番組ばんぐみに映うつし出だされる世界一せかいいちの資産しさん家かビル・ゲイツの九きゅう百億ひゃくおくドルともいわれる資産しさん額がくと比くらべられることになります。

それによって、同おなじ地球ちきゅうに生いきている人間にんげんのあいだになんと三さん、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇倍ばいという価値かちの差さがあることがだれの目めにも明あきらかになってしまうのです。

人間にんげんの価値かちの数量すうりょう化か――それは同時どうじに、人間にんげんの価値かちの過か酷こくな序列化じょれつかでもあります。インドの子供こどもとビル・ゲイツの映像えいぞうを前まえにした人々ひとびとは三十さんじゅうドルと九きゅう百億ひゃくおくドルという数字すうじを比くらべて、同おなじ人間にんげんなのにこんなにも価値かちが違ちがうといって憤慨ふんがいするでしょう。同おなじ人間にんげんとして、何なにかしなければならないと考かんがえはじめるでしょう。

だが、まさにその瞬間しゅんかんこそ「人間にんげん」という理念りねんが世界せかい化かする瞬間しゅんかんです。人権じんけんという概念がいねんが普遍ふへん化かする瞬間しゅんかんです。本来ほんらい的てきにすべての人間にんげんが平等びょうどうにもっている価値かちが、市場しじょうによって三十さんじゅう億おく分ぶんの一いちという価値かちしかあたえられていないというのではないのです。反対はんたいに、市場しじょうによって三十さんじゅう億おく分ぶんの一いちの価値かちしかあたえられていないのがだれの目めにも明あきらかになることによって、人間にんげんの人間にんげんとしての価値かちをすべての人間にんげんが平等びょうどうにもっているという理念りねんが生うまれてくるのです。

出典しゅってん 岩井いわい克かつ人ひと「市場しじょうと人権じんけん」 / 出題しゅつだい 東海大学とうかいだいがく・文学ぶんがく部ぶ

序列化が理念を生むという逆説市場による極端な序列化が可視化された瞬間にこそ、人権という理念が普遍化するという逆説を示した図。 市場が人間を三十億分の一に序列化する それがだれの目にも明らかになる 同じ人間なのに、と憤慨する 「人間」という理念が世界化する 序列は、隠れている うちは意識されない 人権の普遍化 否定が起点になる
序列化じょれつかが理念りねんを生うむという逆説ぎゃくせつ
ヒント①

貨幣かへいによって、異質いしつのモノや人間にんげんが同おなじ物差ものさしで比くらべられてしまうということ。

ヒント②

貨幣かへいによる人間にんげんの非ひ人間にんげん的てきな序列化じょれつかを知しることで、初はじめて「人間にんげんの尊厳そんげん」という理念りねんが生うまれるということ。

問とい

傍線ぼうせん部ぶ「貨幣かへいとは一般的いっぱんてきな価値かち尺度しゃくどです」の説明せつめいとして最適さいてきなものを、次つぎのA〜Eから選えらべ。

  • A誰だれでも金かねが欲ほしいというのが、一般的いっぱんてきであること。
  • B様々さまざまな種類しゅるいの貨幣かへいがあることで尺度しゃくどが乱みだれること。
  • C価値かちの尺度しゃくどを決きめる物差ものさしとして貨幣かへいは働はたらくこと。
  • D貨幣かへいでは量りょうれない個人的こじんてきな価値かちもあるということ。
  • E貨幣かへいは市場しじょうの中なかでそれ自身じしんが意味いみを持もたないこと。
正解せいかいと解説かいせつ

正解せいかい ── C

市場しじょう経済けいざいにおいて、モノは貨幣かへいによって、「市場しじょう価値かち(価格かかく)」という尺度しゃくどではかられる。

  • A「価値かち尺度しゃくど」の話はなしと無関係むかんけい。
  • Bたった一ひとつの「市場しじょう価値かち(価格かかく)」という価値かち尺度しゃくどでモノの価値かちが決きめられることを踏ふまえていない。
  • D本文ほんぶん後半こうはんの内容ないようとは一致いっちするが、傍線ぼうせん部ぶの説明せつめいとしては不適当ふてきとう。
  • E「一般的いっぱんてきな価値かち尺度しゃくど」という語ごと無関係むかんけい。
Output

産出さんしゅつ

やるなら ── 次つぎのいずれかを一段落いちだんらくで書かく。

  • 自分じぶんにとって貨幣かへいでは換算かんさんできないものを一ひとつ挙あげ、なぜ換算かんさんできないのかを書かく
  • 身近みじかな贈与ぞうよの慣習かんしゅうを一ひとつ挙あげ、それが交換こうかんとどこで違ちがうのかを書かく
Blank

市場しじょうが人間にんげんを序列化じょれつかしたからこそ人権じんけんの理念りねんが生うまれたのだとすれば、その理念りねんは、市場しじょうを否定ひていしきることができるのか。