Theme 2-5

経済論

[ 原書 第2部 テーマ編 2-5 ]

加筆語彙 12 / Key Point 2 / 図版 10

Macro — 論の流れ

効率をもたらした仕組みが、そのまま一元化をもたらした

経済論の流れ貨幣の発明から市場の成立、価値の一元化、三つの帰結を経て市場システムの見直しに至る流れを示した図。 貨幣の発明 余剰生産物の効率的な交換が可能になる ↔ 非効率な   物々交換 「商品」「市場」の成立 人々は市場に参加せざるを得ない ヒト・モノの価値の一元化 ヒトもモノも「値段」で価値がはかられる 貨幣の物神化格差の拡大成長至上主義 = 拝金主義= 貧富の差の拡大= 効率最優先 市場システムの見直し 「贈与」「ボランティア」というヒント 効率をもたらした仕組みが、そのまま一元化と序列化をもたらした
貨幣の発明から、価値の一元化、そして見直しへ

この主題は一本の因果でできている。貨幣が発明されて余剰生産物の交換が可能になり、市場が成立した。市場は効率的な分配という優れた機能をもつが、いったん成立すると人々に参加を強制する。そして市場の中では、あらゆるモノも人の労働も貨幣で換算され、ヒトとモノの価値が一元化される

ここから三つの帰結が出る。貨幣の物神化・格差の拡大・成長至上主義である。読解の急所は、これらが市場の失敗ではなく市場がうまく働いた結果だという点にある。だからこそ、贈与やボランティアのような別の原理が見直される。

原書の本文

四つの段階

貨幣と市場

市場とは、人々が貨幣を用いて自由にモノを交換する場のことである。市場は、モノを効率的に分配し、経済競争を促進させるという優れた機能をもっている。

市場の成立には、貨幣の存在が欠かせない。なぜなら、物々交換というシステムでは「商品」となる余剰物は生まれにくいからだ。

たとえば、あなたが魚を持っていて、肉と交換したいと思ったとしよう。その時あなたは、「肉を持っていて、なおかつ魚と交換したい人」を探さなければならない。この二つの条件に当てはまる人を魚が腐る前に探すのは、非常に効率が悪い。

貨幣というオールマイティーな交換物があることで、人々は生活に必要な水準以上の物(余剰物)を積極的に生産し、それを市場で交換することができるようになったのである。

物々交換と貨幣による交換二つの条件が同時に満たされる必要のある物々交換と、その条件を不要にした貨幣による交換を対比した図。 物々交換 ── 欲望の二重の一致が要る あなた 魚をもち、肉が欲しい 相手 肉をもち、なおかつ魚が欲しい 二つの条件を同時に 満たす相手が要る 魚が腐る前に探せるか 貨幣による交換 ── 条件が消える 貨幣 オールマイティー 相手を探す条件が一つになる 貨幣が余剰を生み、余剰が市場を生んだ
貨幣が余剰を生み、余剰が市場を生んだ

貨幣の支配

しかし、市場経済はいいこと尽くめのシステムではない。ひとたび市場が成立すると、人々はそこに参加することを強制される(そうでなければ、商品を手に入れられない)。そして、市場経済のもとでは、あらゆるモノの価値は、貨幣によって換算されることになる。さらに、モノばかりではなく我々の労働もまた、給料という形で価値をつけられていくのだ。

したがって、どれだけ特別な思い入れがあるモノであろうとも、どのような人格者であっても、それを欲しがる人や企業がなければ、市場の中では価値のないものなのだ。その意味で、人間は貨幣と市場に支配されていると言うこともできるだろう。

あらゆるものが貨幣で換算される異質なモノや人の労働が貨幣という単一の尺度で換算され、同じ軸に並べられることを示した図。 土地絵画 思い出の品労働人格 まったく異質なもの 貨幣 一般的な価値尺度 同じ軸 異質なモノが「同質性」を与えられ、数量の大小で序列化される。 尺度が一つになることが、序列化を生む
尺度が一つになることが、序列化を生む

市場と国家

同時に、市場経済のルールである自由競争は、所得分配の不平等をもたらし、貧富の差を拡大させる。そこで国家は、累進所得税制――所得の額に応じて税額を決める制度――や生活保護などによって、所得の再分配を行い、社会的な公正の確保に努めている。

すると、ここに国家と市場経済をめぐる論点が浮かび上がってくる。すなわち、国家はどの程度、市場に介入するのが適当かという問題だ。

この問題をめぐっては、「自由競争を阻害しないために、国家はできるだけ市場に介入しないほうがよい」という「小さな政府」論者から、「弱者保護のために国家の介入は必要だ」という「大きな政府」論者までさまざまな立場があることを知っておこう。

市場と国家自由競争が生む不平等に対し、国家が累進課税と生活保護で再分配を行う構造と、介入の程度をめぐる二つの立場を示した図。 市場の自由競争 所得分配の不平等・貧富の差 国家による再分配 累進所得税制・生活保護 小さな政府 介入は少なく 大きな政府 弱者保護のため 自由競争を阻害しない 介入は必要である 論点は、国家がどの程度まで市場に介入するのが適当か
市場と国家 ── 介入はどこまでが適当か

新しい経済システムのヒント

市場経済を駆動原理とする資本主義の経済システムにとって、これまでは成長することこそが至上の価値とされてきた。しかし、利潤を追求し、効率的な生産を重視してきた、これまでの経済システム自体のあり方を見直そうとする議論も提出されている。

地球資源の有限性が叫ばれている中で、経済活動が無限に拡大していくとは考えられない。さらに、先進国を中心に、物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさを求めようとする傾向も強くなってきている。

たとえば、お中元やお歳暮などの慣習に見られるような「贈与」や、報酬を期待しない「ボランティア」などは、経済的な利潤の追求を価値の中心に置く、今日の市場原理主義や資本主義経済とは異なる価値観に基づいて行われるものである。こういった活動は、これまでの経済システムを考え直すためのヒントを与えてくれるはずだ。

交換と贈与等価性と同時性を前提とする市場の交換と、返礼が計算されない贈与を対比した図。 市場の交換 等価・同時 その場で関係が終わる 計算できる。利潤を追求できる。 贈与 見返りを求めない いつか、別の形で 関係が続いていく 贈与は「見返りがない」のではない。見返りが計算されないのである。 お中元・お歳暮・ボランティア ── 市場原理を乗り越えるヒント
交換と贈与 ── 見返りが計算されない
Key Point

二つの要点

Key Point 1 ── 貨幣の信用

貨幣制度は、その制度に対する信頼がなければ成立しない。現在の貨幣は知っての通り、単なる「紙」「金属片」である。日本の貨幣について言えば、もちろん、それは「日本」という国家がつくっているから信用があるが、もし日本という国家が消滅したら、その瞬間から「円」はただの紙になる。

このような視点に立つと、「カネこそすべて」と錯覚するほど強固な貨幣制度も、一つの約束事でしかないことがわかる。にもかかわらず、現実には多くの人々が、貨幣そのものが至上の価値をもっていると考え、貨幣を獲得することに価値を見出している。それは、「貨幣こそが万能であり最高の価値をもつものだ」という、ある意味で倒錯した思いであり、これを貨幣の物神化(フェティシズム)と言う。

貨幣の信用と物神化国家の裏づけによって成り立つ貨幣が、その約束事を忘れられて至上の価値と錯覚される過程を示した図。 国家 信用を与える 貨幣 単なる紙・金属片 一つの約束事でしかない 忘れる 貨幣それ自体が価値をもつ 貨幣の物神化 = 拝金主義 「カネこそすべて」という錯覚 国家が消えれば「円」はただの紙になる ── それでも至上の価値に見える
貨幣の信用と物神化
Key Point 2 ── 市場原理主義

市場メカニズムに任せれば経済はうまくいくという考え方を「市場原理主義」と言う。日本では、今まで国家による経済規制や、国家による独占事業が多すぎたため、経済競争が不活発だったり、官僚・政治家の汚職などが行われたりして国民の利益が損なわれてきた。近年ではこうした反省から、「官から民へ」を合言葉に、これまで国家が行ってきたことを民間にできることは民間に任せて、できるだけ市場メカニズムの中で行わせる方向に動いている。日本で市場原理主義のような考え方が強まっているのにはこうした背景がある。

しかし、行き過ぎた市場原理主義は、経済的な弱肉強食の格差社会を招いてしまう。格差の拡大は社会不安の温床にもなることから、市場原理主義を強者の思想と批判する論者もいる。

市場原理主義の背景と行きすぎ国家による規制の弊害への反省から市場原理主義が強まり、行きすぎれば格差社会を招く流れを示した図。 背景 ── 国家の規制が多すぎた 経済競争の停滞独占事業官僚・政治家の汚職 国民の利益が損なわれてきた 「官から民へ」 市場メカニズムに任せる 行きすぎると 格差社会 経済的な弱肉強食 格差の拡大は社会不安の温床にもなる。 市場原理主義を強者の思想と批判する論者もいる
市場原理主義の背景と行きすぎ
Terms — 本サイトによる加筆

この主題を読むための十二語

原書のキーワード番号は付されていない層である。概念語八つと、本文・入試文に現れる読解語彙四つを補う。

01概念

貨幣かへい

かへい[1]頭高型

語構成
たから・財ぬさ・財物
使用の境界

モノとモノを交換するための一般的な媒介物。それ自体に価値があるのではなく、共有された信用の上に成り立つ。

用法

要点は三つある。①交換の媒介──物々交換の非効率を解消した。②価値の尺度──あらゆるモノを同じ物差しで測れるようにした。③信用の産物──それ自体は紙や金属片にすぎず、国家という裏づけが消えれば価値も消える。評論文で問われるのは③から生じる逆説で、一つの約束事にすぎないものが、あたかも至上の価値をもつかのように扱われる。これを貨幣の物神化と言い、☑133 フェティシズムと同じ構造をもつ。

用例
  • 交換が必要から生じるがゆえに、貨幣はいわば合意によって生まれた。……それゆえ貨幣はノミスマと呼ばれる。自然によってではなくノモス(掟)によってあるものだからである。アリストテレス『ニコマコス倫理学』第五巻(前4世紀)/訳は本教材
    貨幣の身分を語源で言い切った一節である。(1-5 で同じ書の別の巻を引いた。)ギリシア語の nomisma(貨幣)はnomos(掟・慣習)から来ている。つまり貨幣は自然物ではなく取り決めだと、語そのものが告げている。この指摘の重さは、取り決めなら変えられるという点にある。金や銀にもともと価値が宿っているのではない皆がそう扱うからそうなっているだけだ。1-6 の 133 で見た物神性は、この取り決めが物の性質に見えてくる錯視のことだった。二千三百年前にすでに正しい診断が出ている
  • 貨幣は、目的への手段であるにもかかわらず、最も完全な形でそれ自体が目的となる。……その理由は、貨幣がいかなる特定の目的とも結びついていないことにある。ゲオルク・ジンメル『貨幣の哲学』(1900)/訳は本教材
    貨幣がなぜ目的化するのかを説明した一節である。(2-3 の 08 で同じ書の別の箇所を引いた。)普通の道具は用途が決まっているから目的にはなりにくい。ハンマーを溜め込む人はいない。貨幣は違う — 何にでも使えるがゆえに何にも使われないまま持たれうる可能性のまま所有できるのだ。ここから重い帰結が出る。貨幣を貯めることには限度が無い。パンなら食べきれる量で止まるが、可能性には飽和点が無い。1-6 の 128 で見た拡大を自己目的とする資本主義の動力が、貨幣という物の性質から説明されている
  • 貨幣は、価値を測り、価値を運び、価値を貯める。この三つの働きはたがいに緊張している。 教科書的な三機能を対立として書く型である。貯める働きが強まると運ぶ働きが止まる — 皆が貯め込めば交換が滞る。同じ一つの物が果たす役割どうしが衝突するというこの構造が、恐慌の説明の入口になる。
  • ×財布に貨幣が足りなかった。 「お金」「小銭」である。評論語の貨幣は交換・尺度・蓄蔵の機能を担う制度を指し、手元の現金を指す語ではない。なお「通貨」実際に流通しているお金を指す別の語で、制度としての貨幣と書き分けると議論が澄む。
派生形
  • 通貨つうか[1]流通しているお金。制度としての貨幣に対し、実際に使われている現物と単位を指す。「通貨危機」「基軸通貨」のように、国際関係の語彙でよく現れる。
  • 金銭きんせん[1]日常と法律の語。「金銭感覚」「金銭トラブル」。やや生々しいぶん評論文では避けられ、「貨幣」が選ばれるのはこの生々しさを一段抽象化するためである。
  • 資本しほん[0]1-6 の 128 で立てた語利潤を生むために投じられた価値貨幣は投じられてはじめて資本になる箪笥の中の貨幣は貨幣のままで、動かすことが資本の条件である。
コロケーション
  • 貨幣の物神性1-6 からの継承1-6 の 133 で見た語がここで最も純粋な形をとる。労働も、関係も、すべて数字の背後に隠れる。価格を見ても誰がどんな条件で作ったかは見えない見えないことが交換を速くする効率と不可視は同じことの表と裏である。
  • 貨幣経済段階を示す語物々交換に対する語。この対が示すのは、貨幣が交換を飛躍的に広げたという事実だ。物々交換では欲しいものがたがいに一致しなければ成立しない。貨幣はその一致を不要にする — 03 の交換でこの点を詳しく見る。
  • 貨幣への信用土台を指す語紙切れが価値を持つのは皆が持つと思っているからである。この循環がこの制度の全部だ。信用が崩れれば一夜で価値が消える — ハイパーインフレーションがそれを示す。2-3 の 10 の担保という語がここで最も切実に働く
  • 貨幣を介さない関係外側を指す語贈与、家事、看護、友情。この語が要るのは、経済の議論がつい「値が付くもの」だけを数えるからだ。GDP には家庭内の労働が入らない測れないものをゼロとして扱うという1-6 の 130 の功利計算の問題が、ここでも同じ形で現れる。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • お金日常の呼び名和語で日常的。貨幣は制度としての側面を指す学術語。
  • 通貨流通している貨幣制度の実際。貨幣はより抽象的な機能の名。
  • 資本利潤を生むために投じられる価値☑128 と接続する。増えることを目的とする点が違う。
  • 価値望ましさ・値打ち測られる側。貨幣はそれを測る尺度として働く。

ENmoney / currency
ZH货币(貨幣, huòbì)

02概念

市場しじょう

しじょう[0]平板型

語構成
いち

「しじょう」は仕組み、「いちば」は場所。読み分けが問われる。

使用の境界

貨幣を用いてモノを交換する仕組み。具体的な売り場ではなく、価格が決まる場全体を指す。

用法

読み分けが最初の関門になる。「しじょう」は仕組み、「いちば」は場所である。評論文はほぼ「しじょう」で、経済学の概念として使う。要点は、市場がいったん成立すると参加を強制するという点にある。参加しなければ商品を手に入れられないからである。そして市場の中では、あらゆるモノと人の労働が貨幣で換算され、同じ物差しで序列化される。この一元化が☑21 疎外や☑133 物神崇拝の議論につながる。

用例
  • 我々が食事を期待できるのは、肉屋や酒屋やパン屋の善意によるのではなく、彼らが自分自身の利益を気にかけるからである。アダム・スミス『国富論』第一編第二章(1776)/訳は本教材
    市場という仕組みの核心を日常の例で示した一節である。(1-7 の 145 で同じ書の「見えざる手」を引いた。あちらは結果、ここでは動機を見ている。)この一節が革命的なのは、善意を必要としないと言い切ったことにある。徳の高い人がいなくても社会は回るそれどころか、各自が自分の利益を追ったほうが回る。ただし注意したいのは、スミスが『道徳感情論』の著者でもあることだ。彼は共感(sympathy)を人間の基本に置いていた市場が善意を必要としないのは、善意が無いからではなく、善意だけでは見知らぬ他人まで届かないからである。
  • 市(いち)は、無縁の場である。……そこでは主従の縁も、親子の縁も、土地の縁も断たれる。中世日本の「無縁」の場としての市の性格の主旨による
    市場が関係を切る場所だという性格を示す。中世の市は寺社の境内や河原など、誰の支配も及ばない場所に立った。注目したいのは、縁が切れることが市の条件だった点だ。身分も出自も持ち込めないから取引ができる。ここに市場の解放の側面がある — 1-6 の 122 で見た身分から契約へという移行が、市という場所で先に起きていた。同時に切られた縁は守ってもくれない自由と無防備が同じ一つの「無縁」から出ている
  • 市場は、見知らぬ者どうしを結びつける装置である。そのために、たがいを知らないままでいることを許してもいる。 両面を一文に収める型である。顔を知らなくても取引できることが市場の力だ。同時に誰がどこで作ったかを知らずに済ませられる効率と無関心は同じ仕組みの表と裏である。
  • ×駅前の市場で野菜を買った。 読みが違う。場所としての市場は「いちば」、経済の仕組みとしての市場は「しじょう」。評論語は後者で、特定の場所を指さない「労働市場」「金融市場」のように、建物の無いところにも市場はある
派生形
  • いち[1]和語の読み定期的に立つ場を指す(朝市・市が立つ)。場所と時間が限られているところが、いつでもどこでもある「しじょう」との決定的な差である。
  • 市場性しじょうせい[0]売れる見込み「市場性が無い」と言われたものが価値が無いことにはならない。2-4 の 01 で見たラスキンの「人を貧しからしむる富は富にあらず」が突いていたのはこの点だ。
  • マーケット[1]外来語「しじょう」より軽く、実務的。「マーケットが読めない」のように相場の意でも使う。評論文で制度を論じるときは「市場」を選ぶ。
コロケーション
  • 市場の失敗限界を指す語市場に任せると望ましくない結果になる場合。公害、独占、公共財の供給不足。この語が便利なのは、市場を全否定せずに介入を正当化できるからだ。「失敗」という語が、普段は成功していることを前提にしている — 語の選び方に立場が現れている。
  • 市場の論理意志なき主語1-6 の 128 で見た「資本の論理」と同じ語法。個々人の善悪と無関係に働くことを書くための構文である。注意したいのは、この言い方が免責にも使えることだ — 「市場が決めたこと」と言えば誰も決めていないことになる
  • 市場化領域が広がる語それまで市場の外にあったものが売り買いの対象になること。水、医療、教育、介護、そして 2-4 の 07 のコモンズ。2-4 の 01 で見たポランニーの擬制が、いまも新しい領域へ広がり続けている
  • 市場と国家対で立てる語対立させて語られるが、実際には市場は国家なしに成り立たない。契約を守らせ、通貨を発行し、所有権を守るのは国家だ。「市場か国家か」という二択は最初から成り立っていない — 問いは「どんな国家がどんな市場を作るか」になる。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • いちば売り買いをする具体的な場所同じ漢字で読みが違う。魚市場・青物市場のような実際の場所を指す。
  • 経済財の生産と分配の営み全体上位概念。市場はその中の交換の仕組み。
  • 競争勝ち負けを争う市場が働く原理。市場は仕組みそのもの。
  • マーケット市場外来語。ビジネスの文脈で「顧客層」の意でも使う。

ENmarket
ZH市场(市場・いちば, shìchǎng)

日中のズレ

中国語の 市场(shìchǎng)は「いちば」と「しじょう」の両方を指し、読み分けがない。

日本語では同じ漢字を読み分けることで、具体的な場所と抽象的な仕組みを区別している。

03概念

交換こうかん

こうかん[0]平板型

語構成
まじわるかえる
使用の境界

互いに物を取りかえること。等しい価値のものを渡し合う点を含み、一方的に与えることは含まない。

用法

経済論の出発点にある語で、物々交換と貨幣による交換の対比から議論が始まる。物々交換には〈魚を持っていて肉が欲しい人〉と〈肉を持っていて魚が欲しい人〉が出会う必要があり、これを経済学では欲望の二重の一致と呼ぶ。貨幣はこの条件を不要にした。もう一つの論点が贈与との対比で、交換が等価性を前提とするのに対し、贈与は返礼を求めない。この差が市場原理を乗り越えるヒントとして提示される。

用例
  • 贈り物は、受け取られ、そして返されねばならない。……贈られた物のうちには、与えた者の霊が宿っている。だから物は主のもとへ帰ろうとする。マルセル・モース『贈与論』(1925)/訳は本教材
    交換のもう一つの形を発見した一節である。モースが調べたのは値段の付かないやりとりだった。贈り物には三つの義務がある — 与える、受け取る、返す。どれも断れない。市場の交換との差は決定的だ。市場ではその場で清算が済み、関係が残らない贈与では負債が残り、それが関係をつなぎ続ける。「物に霊が宿る」という説明を迷信と片づけないほうがよい — 贈られた物が贈り主を思い出させるという事実の、正確な言い表しである。07 の贈与でこの対をさらに詳しく見る。
  • 人は、生まれつきある物を別の物と交換し、取引し、交易する性向をもつ。……この性向は他のいかなる動物にも見られない。アダム・スミス『国富論』第一編第二章(1776)/訳は本教材
    交換を人間の本性に置いた一節である。(02 で同じ章の別の箇所を引いた。あちらは動機、ここでは性向を扱う。)この主張には強い反論がある。モースや後の人類学が示したのは、多くの社会で物々交換は主要な形ではなかったことだ。見知らぬ者どうしでは交換したが、身内では贈与か分配だった。つまり交換は本性ではなく関係の種類によって選ばれる形式である。それでもスミスの一文が重要なのは、この「本性」という前提の上に経済学が建てられたからだ。前提を疑うことは建物全体を揺らすことになる
  • 交換が成立するには、二つのものが同じ尺度で測れなければならない。 04 の尺度へつなぐ型である。比べられないものは交換できない。だから交換の拡大はそのまま尺度の統一を要求する01 の貨幣はこの要求への答えだった。
  • ×友人と近況を交換した。 「情報交換」なら自然だが、近況なら「報告し合った」のほうがよい。評論語の交換は等価のものをたがいに渡すという経済の構造を指し、07 の贈与との対で使う。「その場で清算が済むか」が判定の目安になる — 清算が済まないならそれは交換ではない。
派生形
  • 互酬ごしゅう[0]人類学の語贈り合いによって成り立つ関係。交換がその場で完結するのに対し、互酬は時間をかけて返し合うポランニーは互酬・再分配・交換を三つの型として並べた — 2-4 の 05 の再分配と一組で覚えたい。
  • 取引とりひき[0]実務の語交換の具体的な一回を指す。交換が構造を言うのに対し、取引は出来事を言う。「交換の構造」は言えるが「取引の構造」は別の意味になる
  • 売買ばいばい[1]貨幣を介した交換。物々交換は売買ではない。売りと買いが分離できることが貨幣の効果で、売ったあとすぐ買わなくてよいこの時間差が恐慌の可能性を生むという議論もある。
コロケーション
  • 等価交換前提を含む語同じ価値のものをやりとりすること。この語の難しさは、「同じ価値」を誰が決めるのかにある。交換が成立したから等価だったと言うなら循環である。1-6 の 128 で見たマルクスの分析は、労働力の売買だけが等価に見えて等価でないと示すところから始まった。
  • 交換価値と使用価値古典的な対売れる値打ちと使える値打ち。水は使用価値が高いのに交換価値が低く、ダイヤは逆である。この食い違いこそが経済学の出発点だった。役に立つことと高く売れることは別々に決まる — この一点を掴むと、価格をめぐる議論が読めるようになる。
  • 交換の非対称力を見る語同じ取引でも失うものの重さが両者で違うことがある。明日の食事がかかっている側と、断っても困らない側形式としては対等な交換が、実質としては強制でありうる — 1-7 の 159 で見た自己決定の条件と同じ問題である。
  • 交換されないもの外側を数える語空気、時間、思い出、生命。この語が要るのは、何が交換の外にあるべきかが時代とともに動いてきたからだ。人も、臓器も、かつては交換の対象だった線を引き直す作業が倫理の仕事になる。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 贈与見返りを求めずに与える対概念。返礼を前提としない点が違う。この対がこの主題の締めくくりになる。
  • 売買代金と引きかえに渡す貨幣を介した交換。交換はより広く、物々交換も含む。
  • 代替別のもので置き換える置き換えの話。交換は双方向のやりとり。
  • 流通市場を巡って行き渡る動きの全体。交換はその一つ一つの行為。

ENexchange
ZH交换(交換, jiāohuàn)

04概念

尺度しゃくど

しゃくど[1]頭高型

語構成
ものさしはかる・めもり
使用の境界

ものごとを測るための物差し。測る対象ではなく、測る側の基準を指す。

用法

入試の傍線部がこの語なので、定義を正確に押さえる必要がある。「一般的な価値尺度」とは、あらゆるモノを測れる唯一の物差しという意味である。ここから決定的な帰結が出る。まったく異質なモノが同質性を与えられ、さらに数量の大小で序列化される。ガラス玉とダイヤモンドが同じ軸に並び、一億分の一という数字が与えられる。人間も同じで、三十ドルと九百億ドルが比べられてしまう。尺度が一つになることが、序列化を生むのが要点である。

用例
  • 人間は万物の尺度である。あるものについてはあるということの、ないものについてはないということの。プロタゴラス 断片 ─ プラトン『テアイテトス』による(前5世紀)/訳は本教材
    尺度という語を哲学の問題にした一句である。解釈は大きく二つに分かれる。「人間」を人類全体と読むか、一人ひとりと読むかだ。後者で読むと徹底した相対主義になる — 私に暖かければ暖かく、あなたに寒ければ寒い。プラトンはこの読みを厳しく批判した。だが批判の理由が面白い — この主張が正しいなら、この主張を否定する人にとってはこの主張が誤りになる。1-7 の 158 で見た自己言及の罠と同じ形である。それでもこの一句が生き続けているのは、尺度が天から降ってくるのではなく人が立てるものだという洞察が動かないからだ。
  • 天下の物、大なるも小なるも、皆その分あり。……鵬は九万里を飛び、蜩は榆に至らずして地に落つ。しかも各々その適を得たり。『荘子』逍遥遊篇の主旨による
    尺度が一つでないことを示した一節である。(1-1 と 1-5 で同じ書の別の篇を引いた。)大鵬は九万里を飛び、せみは近くの木にも届かない。普通ならここで優劣がつく。荘子はそこで止まらない — 「各々その適を得たり」。それぞれが自分に合った在り方を得ているのだから、同じ物差しで並べる必要が無い。ここで否定されているのは大小の事実ではなく、大小を価値に読み替える操作だ。05 の序列が尺度の統一から生まれることを思えば、この一節は序列化への最も古い反論である。
  • 尺度が一つになると、違いはすべて多いか少ないかに変わる。そして尺度は、測る前に選ばれている。 この主題の中核である。測定は中立に見えて中立ではない。何を測るかを決めた時点で測らないものが決まっている。GDP を尺度に選べば家事も自然もゼロになる
  • ×この定規の尺度はミリ単位だ。 「目盛り」「単位」である。評論語の尺度は物事を評価するための基準を指す比喩の語で、計測器具の刻みではない。なお「尺」も「度」ももとは長さの単位で、具体から抽象へ意味が移った — 1-1 の 3 の抽象の実例として読める語である。
派生形
  • 基準きじゅん[0]判断のよりどころ。尺度が連続した目盛りを思わせるのに対し、基準は合否の線を思わせる。「基準を満たす」は言えるが「尺度を満たす」とは言わない — 共起の差に構造の差が出ている。
  • 物差しものさし[3]和語での言い換えやわらかく、複数あってよいという含みを持ちやすい。「別の物差しで測る」は自然だが「別の尺度で測る」はやや硬い文体に応じて選び分ける
  • 通約つうやく[0]共通の単位で表せるようにすること。「通約可能/不可能」の形で使う。貨幣はあらゆるものを通約する装置である。通約できないものだけが交換の外に残る
コロケーション
  • 単一の尺度この主題の焦点あらゆるものを一本の物差しで測ること。貨幣がその代表である。この語が批判的に使われるのは、比べられないものを比べさせるからだ。比べられるようになった瞬間、順位がつく — 05 の序列は尺度の統一の自動的な帰結である。
  • 尺度を疑う批評の一手測り方そのものを問い直すこと。この作業が難しいのは、疑うためにも何らかの尺度が要るからだ。「GDP は不適切だ」と言うには別の基準が要る。尺度の外には出られない — 出られないことを認めたうえで複数の尺度を並べるのが現実的な道になる。
  • 共約不可能比べられないことの名共通の尺度で比較できないこと。もとは数学の語で、正方形の一辺と対角線がその例だった。1-2 のパラダイムがこの語を借りたのは、異なる理論体系のあいだに共通の物差しが無いと言うためである。価値についても同じことが言えるかが現代の争点になる。
  • 尺度としての貨幣01 との結節貨幣の三機能のうち最も静かに効くもの。交換や蓄蔵は目に見えるが、測る働きは意識されない。それでも値札が付いた瞬間に物は比較の列に入る。2-3 の 04 の唯一性が値札と相性が悪いのはこのためである。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 基準判断のよりどころ判断の話。尺度は測ることに特化している。
  • 価値望ましさ・値打ち測られる側。尺度は測る側。この主客を取り違えない。
  • 物差し長さを測る道具訓読み。比喩として日常でも使う。尺度はその漢語形。
  • 序列順に並べた順位尺度が生む結果。尺度が一つなら序列も一列になる。

ENmeasure / yardstick
ZH尺度(尺度, chǐdù)

05概念

序列じょれつ

じょれつ[0]平板型

語構成
ついで・順ならび
使用の境界

順位をつけて一列に並べること。区別することとは違い、上下がつく点を含む。

用法

「序列化」という動詞形で使うのが評論文の定型で、誰が何を基準に並べたのかを問う構えが伴う。入試文は、貨幣という単一の尺度が人間の価値を数量化し、それが過酷な序列化になると述べる。三十億分の一という比が「だれの目にも明らかになる」ことが要点で、序列は隠れているうちは意識されない。ここに逆説があり、序列が可視化された瞬間にこそ、それを否定する人権という理念が生まれると論じられる。

用例
  • 有閑階級の制度は、所有とそれにもとづく名誉の序列から生じた。……財産は、いまや尊敬を得るための最も容易な基礎である。ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』(1899)/訳は本教材
    序列が何を基準に組み替わったかを示した一節である。(1-7 の 142 で同じ書の顕示的消費を引いた。)かつて序列は武勲や血筋で決まった。近代では財産になる。ヴェブレンが「最も容易な」と書くのは皮肉だ — 数えられるから容易なのである。武勲は語りが要り、血筋は証明が要る。金額はただ並べればよい。04 の尺度が一つになると序列が自動的に生成されるというこの主題の主張が、ここで歴史の事実として確かめられる。
  • 君子は器ならず。『論語』為政篇
    序列化への最も短い抵抗である。(1-1 と 2-4 で同じ篇の別の箇所を引いた。)「器」とは特定の用途に限られた道具のことだ。皿は皿にしか使えず、用途で価値が決まる君子は器ではないとは、何かの役に立つかどうかで測られる存在ではないという宣言である。ここで拒まれているのは低い序列ではなく、序列に入れられること自体だ。「役に立つ人材」という言い方が当たり前になった社会で、この五字はいよいよ鋭くなる。1-7 の 152 で見たニューマンの「知識はそれ自体が目的である」と同じ場所を、人について言っている。
  • 一つの尺度が行きわたると、あらゆる違いが序列に変換される。 この主題の要約である。順位は発見されるのではなく生成される。偏差値も、再生数も、測り方を決めた瞬間に生まれる順位がもともとあったように見えてくるところがこの装置の巧妙さだ。
  • ×資料を年代順に序列した。 「配列」「並べた」である。序列は上下・優劣を伴う順序を指し、単なる並び順ではない。年代順や五十音順に上下は無い。なお「序列化」と「化」を付けると上下を作り出す操作を名指せるようになる。
派生形
  • じょ[1]順序・次第。「長幼の序」のように守るべき順序という含みを持つ。序列の「序」にはもともと規範の色があるただ並んでいるのではなく、そう並ぶべきだという含みが語に残っている。
  • 階層かいそう[0]社会学の語所得・職業・学歴などで分かれた層。序列が一列の順位を思わせるのに対し、階層は幅のある層を思わせる。層のなかでは順位がつかないぶん、やや穏やかな語である。
  • ヒエラルキー[4]もとは教会の位階。ギリシア語 hieros(聖なる)+ arche(支配)。語源に「聖なる」が入っていることが重要で、序列はもともと神が定めたものだった。1-6 の 120 の世俗化のあと、誰が定めるのかという問いが空席のまま残った
コロケーション
  • 序列化操作を名指す語違いを上下に変える働き。この語が要るのは、序列が自然にあるものだと思われがちだからだ。「化」を付けることで誰かがやっている操作として扱えるようになる。1-7 の 160 の「自己責任論」と同じく、接尾辞が批判の足場を作る
  • 序列の内面化自分で並ぶ語外から与えられた順位を自分の価値の感じ方にしてしまうこと。2-2 の 11 で見た美醜の内面化と同じ構造である。誰にも言われなくても自分を順位のなかに置く — 1-7 の 144 の自発的な服従が評価の領域で働いた形だ。
  • 序列と多様性対立する語1-7 の 150 の多様性が掲げるのは比べないことである。ところが多様性そのものが評価項目になると、多様性の達成度で順位がつく序列化は自分への批判すら序列に取り込む — 1-6 の 140 で見た抵抗の回収と同じ形である。
  • 序列から降りる可能かを問う語順位争いに参加しないという選択。この言い方が難しいのは、降りたことも評価されうるからだ。「あえて降りた人」という新しい席が用意される。1-6 の 132 で見た軸から降りるという身振りが、ここでも同じ困難に出会う。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 区別違いを見分けて分ける上下を含まない。序列は必ず上下がつく。
  • 階層上下に分かれた層集団の構造。序列は並べる操作そのもの。
  • 格差開いた差☑160 と接続する。序列が固定した結果として生じる。
  • 等級段階に分けた位定められた区分。序列は連続的な順位も含む。

ENhierarchy / ranking
ZH序列(序列, xùliè)

06概念

余剰よじょう

よじょう[0]平板型

語構成
あまるあまる

「余」も「剰」も〈あまる〉を表す。同義の重ね語である。

使用の境界

必要な分を超えて残ったもの。無駄という意味ではなく、蓄えや交換に回せる余りを指す。

用法

二字がともに〈あまる〉を表す。経済論では「余剰生産物」の形が要点で、これがなければ交換も市場も成立しない。物々交換の段階では、腐る前に相手を見つける必要があるため余剰は生まれにくい。貨幣が現れて初めて、人々は生活に必要な水準を超えて積極的に生産するようになった。つまり貨幣が余剰を生み、余剰が市場を生んだという因果である。「剰余価値」(マルクス)は字順が逆で、労働が生んだ価値のうち賃金を超える部分を指す別語。

用例
  • 生産物のうち、生産者自身の生活に必要な部分を超える部分が、他の階級を養う源泉となる。……文明はこの余剰の上に建てられている。デイヴィッド・リカード『経済学および課税の原理』(1817)の主旨による/訳は本教材
    余剰が社会の形を決めることを示した議論である。要点は「他の階級を養う」だ。全員が食べるだけで精一杯なら誰も別のことができない。余剰が出てはじめて神官も、職人も、学者も存在できる文明とは余剰の使い道の名前であるとも言える。ここから二つの問いが出る。第一に、誰が余剰を作っているのか。第二に、誰がそれを受け取るのかこの二つが一致しないところに階級が生じる — 1-6 の 128 の資本主義の分析は、この一点を精密に追ったものである。
  • 倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る。『管子』牧民篇
    余剰と道徳の順序を言い切った一句である。倉が満ちてから礼節であって逆ではない。この主張は道徳を相対化しているように見えるが、そうではない。道徳を要求するならまず条件を整えよと為政者に言っているのだ。飢えている者に礼を説くのは順序が違う。2-4 の 05 の再分配が道徳の議論に先立つと言えるのはこの論法による。同時に注意も要る — この一句は「豊かになれば自然に道徳的になる」とは言っていない条件であって十分条件ではない。1-7 の 142 で見た豊かさのなかの貧しさが、その証拠である。
  • 余剰は、誰かが働いて生み出したものであり、自然に湧いてくるものではない。 この語を読むときの構えである。「余った」という語感は誰の手も思わせない。ところが余剰は必要以上に働いた結果だ。誰が余分に働き、誰がその分を受け取ったかを問えるかどうかが分かれ目になる。
  • ×パーティーの料理が余剰になった。 「余った」「残った」である。余剰は生産や取引において必要分を超えて生じた部分を指す経済の術語で、日常の食べ残しには使わない。なお経済学の「消費者余剰」「生産者余剰」取引で得た差額の利益を指すまた別の用法である。
派生形
  • 剰余じょうよ[0]字を入れ替えた語経済学では「剰余価値」が定訳で、「余剰」は一般的な余りに使う数学の剰余(あまり)もこの字。順序が違うだけで分野が分かれる珍しい例。
  • 過剰かじょう[0]多すぎるという否定の含みを持つ。余剰が中立なのに対し、過剰はすでに評価が入っている「生産余剰」は事実、「生産過剰」は問題同じ量をどちらの語で書くかで結論が違ってくる
  • 黒字くろじ[0]会計の語収入が支出を上回る。余剰が物や労働の側を指すのに対し、黒字は帳簿の側を指す。黒字でも余剰が生み出されていないことはありうる — 他所から移しただけの場合だ。
コロケーション
  • 余剰価値マルクスの術語労働者が生み出した価値のうち賃金を超える部分「剰余価値」と訳すのが標準である。この語の要点は、利潤の出どころを交換ではなく生産に求めたことにある。安く買って高く売るだけでは社会全体の富は増えない増えているのだからどこかで生み出されている
  • 余剰の分配争点そのもの生み出された余剰を誰がどれだけ取るか経済をめぐるあらゆる政治的対立がこの一点に集まる。賃金交渉も、税制も、すべて余剰の取り分の話だ。2-4 の 05 の再分配はこの分配を事後に修正する試みである。
  • 余剰人員人に使う形必要な数を超えた人。この言い方が冷たいのは、人を生産の要素として数えているからだ。1-6 の 137 で見た『女工哀史』の「機械の一部」と同じ視線である。語彙がすでに扱い方を決めている
  • 余剰と余暇同じ根から出る語余剰があるから働かない時間が持てる。1-7 の 142 で見たヴェブレンの有閑階級余暇を見せることで余剰の所有を示していた余暇は休息である前に記号である — この見方を取ると、現代の休み方も違って見えてくる。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 過剰多すぎる多いことへの否定的な評価を含む。余剰は中立で、活用できる余りを指す。
  • 残余残ったもの使い残し。余剰は生産の結果として意図的に生じたものも含む。
  • 剰余あまり同じ字を入れ替えた語。マルクス経済学では「剰余価値」の形で使う。
  • 蓄積たくわえて積み上げる動き。余剰はその対象となるもの。

ENsurplus
ZH剩余(余剰, shèngyú)

日中のズレ

中国語では 剩余(shèngyú) と、字の順序も用字も異なる。余剰 という語形は使わない。

マルクスの「剰余価値」は中国語で 剩余价值(shèngyú jiàzhí)。

07概念

贈与ぞうよ

ぞうよ[1]頭高型

語構成
おくるあたえる
使用の境界

見返りを求めずに物を与えること。ただし多くの社会では、返礼の義務が暗黙のうちに伴う。

用法

この主題の締めくくりにある語で、市場原理を乗り越えるヒントとして提示される。お中元やお歳暮のような慣習は、等価交換でも利潤追求でもない原理で動いている。ただし要点があり、モースの研究以来、贈与には返礼の義務が伴うことが知られている。つまり贈与は「見返りがない」のではなく、見返りが計算されない点に特徴がある。時間をおいて別の形で返される。この曖昧さが、かえって人と人を結びつけると論じられる。

用例
  • 受け取って返さない者は、低い地位に置かれる。……与えることは優位を示すことであり、受け取ることは従属を受け入れることである。マルセル・モース『贈与論』(1925)/訳は本教材
    贈与が無償の善意ではないことを言い切った一節である。(03 で同じ書の別の箇所を引いた。あちらは三つの義務、ここでは力関係を扱う。)贈り物は負債を作る。返せない者は下に置かれる。だからこそ返すことが義務になる。この見方を取ると、贈与は交換よりむしろ厳しい — 市場の交換はその場で清算されて対等に別れられるが、贈与は関係を残す。「気持ちだけで結構です」が断りとして通じないのはこのためだ。贈与を市場より温かいものとして描く議論は、この面を見落としている
  • 施す者は、右の手のなすことを左の手に知らせるな。……隠れたところで為すがよい。『新約聖書』マタイ傳福音書 第六章の主旨による
    贈与から負債を取り除こうとする試みである。なぜ隠すのか — 知られれば返礼が生じるからだ。返礼が生じればそれは交換になる純粋な贈与が成り立つには、受け取った者が誰から受けたか知らないほうがよい。この構えは現代の匿名の寄付や無記名の献血にまでつながっている。ただし難所も残る — 与えた側は知っている自分が善いことをしたという満足が残るかぎり、贈与は完全には無償にならない純粋な贈与は可能かという問いは、いまも開いたままである。
  • 贈与と交換の違いは、関係が残るかどうかにある。交換は清算で終わり、贈与は負債で続く。 この対を一文で立てる型である。どちらが優れているという話ではない清算できることが自由の条件でもあり、続くことが支えの条件でもある。2-4 の 06 の親密圏が贈与の側に属していることに気づくと、この対は一段深く読める。
  • ×誕生日に友人へ贈与した。 「贈った」「プレゼントした」である。評論語の贈与は交換と対をなすやりとりの型を指す人類学・経済学の術語で、個別の行為の名ではない。なお法律用語の「贈与」無償で財産を移す契約で、これも別の用法である。
派生形
  • 贈答ぞうとう[0]贈ることと答えること返礼まで含んだ語である点が「贈与」と違う。日本語がこの語を持っていることは、返礼を前提とする文化を語彙が写しているとも読める。
  • 互酬ごしゅう[0]03 でも触れた語贈り合いが長期にわたって釣り合う形。一回ごとの等価は求めないぶん、関係が続くことが前提になる。続かない相手とは互酬できない
  • 寄付きふ[1]現代の制度化された贈与返礼を求めない点で純粋贈与に近いが、税の控除や名前の掲示が入り込みやすい。制度が見返りを再導入するという皮肉がこの語には付いて回る。
コロケーション
  • 贈与と交換対で立てる語この二語は片方だけでは輪郭が出ない。交換は等価・即時・清算、贈与は不等価・遅延・負債。重要なのは、どちらも現代社会に同時に存在することだ。贈与が前近代のもので交換が近代のものだと読むと、議論が単純になりすぎる。
  • 返礼の義務贈与を動かす力受け取ったら返さねばならないという拘束。この義務が法にも契約にも書かれていないところが要点だ。誰も強制していないのに働く。1-4 の 83 の世間がまさにこの力で動いていることに気づくと、日本社会の記述にこの語が多用される理由が分かる。
  • 純粋贈与可能かを問う語返礼を一切期待しない贈与。この語が哲学の問題になるのは、それが成立した瞬間に成立しなくなるからだ。「純粋な贈与をした」と認識すること自体が見返りになる。2-1 の 07 の再帰が倫理の領域で罠になる場面である。
  • 贈与経済別の体系として見る語交換ではなく贈与を軸に回っている経済。この語が現代で再び使われるのは、公開されたソフトウェアや知の共有がこの形に近いからだ。2-4 の 07 の知のコモンズと重なる領域で、使っても減らないものには贈与が向いている。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 交換等価のものを取りかえる対概念。等価性と同時性を前提とする。贈与はどちらも前提としない。
  • 互酬贈り合って支え合う人類学の語。贈与が社会を成り立たせる仕組みとして働く形。
  • 寄付公のために金品を出す相手が不特定。贈与は関係のある相手に向かう。
  • ボランティア報酬を期待しない行為労働の側。贈与は物の側。どちらも市場原理の外にある。

ENgift / giving
ZH赠与(贈与, zèngyǔ)

08概念

累進るいしん

るいしん[0]平板型

語構成
かさなるすすむ
使用の境界

数量が増えるにつれて、割合も段階的に上がっていくこと。単に増えることではない。

用法

「累進課税」の形でほぼ固定している。所得の額が上がるほど税率そのものが上がる仕組みで、国家が所得の再分配を行い、社会的な公正を確保するための中心的な手段である。要点は比例との差にあり、比例なら割合は一定だが、累進は割合が上がる。だから累進性が強いほど再分配の力も強い。対語の逆進も押さえておくと、消費税をめぐる議論が読める。「累」は〈重なる〉で、累積・累計と同じ字である。

用例
  • 同じ額を取り上げても、富める者から取る一枚と貧しき者から取る一枚とでは、奪われる幸福の大きさがまるで違う。ジョン・スチュアート・ミル『経済学原理』第五編(1848)の主旨による/訳は本教材
    累進課税を功利主義の内側から基礎づけた議論である。(1-6 の 130 と 1-7 でこの著者の別の書を引いた。)論法はこうだ — 同じ一万円でも、持っている量が多いほどその一万円の重みは軽い。だから同率で取ることは同じ痛みを与えることにならない痛みを揃えようとすれば税率は上げるほかない。この論の強さは、平等の理念からではなく計算から出ていることにある。1-6 の 130 の功利計算がここでは再分配の根拠になる同じ道具が少数者の犠牲も再分配も導きうるという両義性が、よく見える例である。
  • よき政をなす者は、民の余りあるを取りて民の足らざるを補ふ。……天の道は、余りあるを損じて足らざるを補ふ。『老子』第七十七章の主旨による
    累進の発想を自然の理として述べた一節である。(1-1 ほかで同じ書の別の章を引いた。)老子はこう続ける — 人の道はそうではない足りない者から奪って余っている者に差し出す天の道と人の道が逆を向いているというこの指摘が鋭い。05 の序列が進むほど、持っている者にさらに集まる放っておけば格差は広がる方向へ動くのだ。累進はその自然な流れに逆らうための人工的な仕掛けである — 自然に任せることが公平だという感覚がいかに疑わしいかを、この一節が照らしている。
  • 累進課税が公平だとされるのは、同じ率で取ることが同じ負担を意味しないからである。 この語の理屈を一文で示す型である。「同じ扱い」が「公平」とは限らない — この一点が直感に反するため、累進の議論はつねに説明を必要とする。2-4 の 05 の逆進と一対で読みたい。
  • ×階段を累進して屋上まで登った。 そういう語ではない。累進は数量が増すにつれて割合も上がっていくという仕組みを指す語で、移動の意味は無い。「累」は積み重なる、「進」は進む「累進税率」「累進的」の形でほぼ固定して使う。
派生形
  • 累積るいせき[0]積み重なること。割合が変わることは含意しない。累進が率の変化を言うのに対し、累積は量の蓄積を言う。「累積赤字」「累積効果」。
  • 比例ひれい[0]累進の対同じ率で一定にかかる(比例税率)。一見いちばん公平に見えるのがこの形で、だからこそミルの議論が必要になった直感的な公平と実質的な公平がずれる典型例。
  • 逓増ていぞう[0]次第に増える「逓減」の対で、経済学の術語として使う。累進とほぼ同じ動きを指すが、累進が制度の名として定着しているのに対し、逓増は現象の記述にとどまる。
コロケーション
  • 累進課税最も定着した形所得が増えるほど税率が上がる仕組み。この制度の設計で重要なのは「超過累進」である — 上がった税率は超えた部分にだけかかる境目を一円超えたら手取りが減るという誤解が根強いのは、この仕組みが知られていないからだ。
  • 累進性程度を言う語どれだけ累進的かの度合い。この語が要るのは、累進かどうかの二択ではないからだ。最高税率だけを見ても分からない — 控除、社会保険料、消費税を含めた全体で測らなければ実際の累進性は出てこない
  • 累進の弱化現代の傾向各国で最高税率が下がってきたこと。理由として挙げられるのは資本と人の移動だ — 高く取れば出ていく。1-7 の 148 で見たグローバル化の非対称がここで効く。資本は国境を越えられ、労働者は越えにくいから、取りやすい側に負担が寄る
  • 累進と逆進対で見る語一つの税だけを見ても全体は分からない。累進的な所得税と逆進的な消費税が同じ制度のなかに同居している差引きでどうなっているかを問うのが議論の作法で、一方だけを取り出す論はたいてい何かを隠している

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 逆進所得が低いほど負担率が上がる対語。消費税がその例。累進とは負担の向きが逆になる。
  • 比例同じ割合で増える割合が一定。累進は割合そのものが上がる。
  • 再分配富を配り直す☑2-4。累進課税はその代表的な手段。
  • 段階区切られた層仕組みの形。累進は割合が段階的に上がる仕組み。

ENprogressive (taxation)
ZH累进(累進, lěijìn)

09読解

換算かんさん

かんさん[0]平板型

語構成
かえるかぞえる
使用の境界

ある単位で表された量を、別の単位に置き換えて計算すること。単に数えることではない。

用法

経済論では「貨幣に換算される」という受身形が要点になる。あらゆるモノの価値が、そして人間の労働までもが、貨幣という単位に置き換えられていく。ここで重要なのは、換算が機械的で価値判断を含まない操作だという点である。だからこそ、思い入れのあるモノも人格者も、市場では同じ物差しに載せられてしまう。この非情さが批判の的になる。日常では「時給に換算すると」「円に換算すると」の形で広く使う。

用例
  • 貨幣は、あらゆる質をその量へと還元してしまう。……大都市の生活が計算的な性格を帯びるのは、このためである。ゲオルク・ジンメル『大都市と精神生活』(1903)/訳は本教材
    換算という操作が心の形まで変えることを示した一節である。(01 と 2-3 の 08 でこの著者の別の書を引いた。)ジンメルの観察は具体的だ — 大都市の人は時計を見る。約束の時刻を守り、効率を測り、すべてを数で扱うようになる。この「計算的な性格」は冷たさとして現れるが、ジンメルはそれを非難していない数えきれない人と関わるには、一人ひとりに心を配れないからだ。冷淡さは大都市で生きるための防衛である。1-6 の 140 の均質化が心のかたちにまで及んだ姿がここに書かれている。
  • 銭ほど面白きものはなし。……世の人の心の底を見るに、金銀を第一とせぬ者はあらじ。井原西鶴『日本永代蔵』巻一(1688)の主旨による
    換算が価値観の順位まで書き換えたことを記録した一節である。(1-1 で同じ書の冒頭を引いた。)西鶴が描いたのは町人が主役になった時代だ。武士の徳でも公家の血筋でもなく、金銀が第一の物差しになった。注目したいのは、西鶴がこれを嘆いていないことである。「面白きもの」と書いている。新しい尺度が身分の壁を壊したことへの解放感が、ここにはある。02 で見た市の無縁と同じ性格だ — 換算は人を序列に押し込む装置であると同時に、古い序列を壊す装置でもあった
  • 労働時間も、教育の成果も、自然の価値も、すべて金額に換算される。換算できないものは、議論の外へ置かれる。 この語の使いどころである。換算は比較を可能にする。同時に換算できないものを見えなくする。04 の尺度と同じ問題を操作の側から言った語である。
  • ×ドルを円に換算した。 この用法は正しい。評論文で問題になるのは質の違うものを同じ単位に置き換える場面である。通貨どうしの換算はもともと同じ種類だから議論にならない。命に値段を付ける、自然を金額で測るといった種類をまたぐ換算にこそ、この語の批評的な出番がある。
派生形
  • 換算するかんさんする[0]「AをBに換算する」の形。「に」が換算先を示す。換算先を誰が決めたかを問うのがこの語の読み方で、受け身で書かれていたら主語を探す
  • 置換ちかん[0]置き換えること一般。単位を揃える含みが無い。換算が量の対応を含むのに対し、置換はただの入れ替え数学・言語学の術語としても使う
  • 通約つうやく[0]04 でも触れた語共通の単位で表せるようにする。換算が実際の作業を指すのに対し、通約はそれが可能かどうかを問う場面で使う。通約可能だから換算できるという順序である。
コロケーション
  • 金銭に換算する最も多い形あらゆるものを金額で言い直すこと。この操作が批判されるのは、単位が揃うと比較が始まり、比較が始まると順位がつくからだ。05 の序列へまっすぐつながる。ただし押さえておきたい — 換算しなければ賠償も補償もできない
  • 換算できないもの外側を数える語尊厳、思い出、取り返しのつかないもの。この語が要るのは、換算を断ることにも代償があるからだ。値が付かないものは守られないことがある — 自然に値段を付ける議論が出てくるのは、ゼロとして扱われるよりはましだという判断による。
  • 換算の暴力批判の強い形質の違うものを無理に同じ単位へ押し込むこと。「暴力」という語が使われるのは、押し込まれる側に拒む手段が無いからだ。2-3 の 08 の代替で見たとおり、何を無視してよいかを決めた者が力を持つ
  • 換算率交換比率の語どれをどれだけに置き換えるかの比。この語が示すのは、換算にはつねに恣意が入ることだ。命一つをいくらとするかに正解は無いそれでも数字は決められ、決まれば事実のように働きはじめる

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 計算数を求める作業一般。換算は単位の置き換えという操作を指す。
  • 変換形や種類を変える広い。換算は数量に限る。
  • 換言言い換える言葉の置き換え。同じ「換」でも対象が違う。
  • 評価値打ちを判断する判断が入る。換算は機械的な置き換え。

ENconversion
ZH换算(換算, huànsuàn)

10読解

阻害そがい

そがい[0]平板型

語構成
はばむそこなう

同音の「疎外」と書き分ける。阻害は〈さまたげる〉、疎外は〈人間らしさを奪う〉。

使用の境界

働きや進行をさまたげ、そこなうこと。単に遅らせるのではなく、本来の働きを損なう点を含む。

用法

最大の注意点は同音の「疎外」との書き分けである。阻害は〈さまたげる〉、疎外は〈人間らしさを奪う〉で、字も意味もまったく違う。経済論では「自由競争を阻害しないために、国家はできるだけ市場に介入しないほうがよい」という形で、小さな政府論の根拠として現れる。逆に大きな政府論は、介入がなければ弱者が保護されないと主張する。どちらの立場から書かれているかを見分ける手がかりになる語である。

用例
  • 大道廃れて仁義あり。智慧出でて大偽あり。六親和せずして孝慈あり。国家昏乱して忠臣あり。『老子』第十八章
    あるものが別のものを妨げているという見方の古典である。(1-1 ほかで同じ書の別の章を引いた。)論法は四つの反復だ。徳目が称えられるのは、それが失われたからである。仁義が説かれるのは大道が廃れたからであり、孝行が褒められるのは家族が和んでいないからだ。この論法を阻害という語で読み直すとこうなる — 徳目を掲げること自体が、徳の自然な働きを阻害している。規則が増えるほど自発性は痩せる改善のための手立てが改善を妨げるというこの構造は、1-7 の 145 のシステムの自己目的化と同じ形をしている。
  • 過ぎたるはなほ及ばざるがごとし。『論語』先進篇
    阻害がしばしば過剰から生じることを言った一句である。(1-1 ほかで同じ書の別の篇を引いた。)注目したいのは「なほ〜がごとし」という言い方だ。過ぎたるは及ばざるより悪いとは言っていない。同じくらいだと言う。この等置が効いているのは、足りないことは誰でも問題だと分かるが、多すぎることは問題に見えにくいからだ。熱心さも、保護も、情報も、多すぎれば目的を阻害する。1-7 の 143 で見た情報の氾濫はこの一句の現代版であり、量が閾値を越えると性質が変わるという事実を二千五百年前に掴んでいる。
  • 過度の規制は、守ろうとした当のものを阻害することがある。 この語が評論文で働く典型である。手段と目的のねじれを書くのに使う。「妨げる」より硬く、「邪魔する」より客観的なので、制度や仕組みを主語にできるのがこの語の便利さだ。
  • ×前を歩く人が阻害になって進めない。 「邪魔」「障害」である。阻害は働きや進行を妨げるという硬い語で、物理的に道をふさぐ場面には使いにくい「成長を阻害する」「発達を阻害する」のように、目的語に過程を表す語が来るのが普通である。
派生形
  • 疎外そがい[0]同音の別語1-6 の 137 と2-1 の 02 で見た語で、関係から締め出されること。阻害は妨げる、疎外は遠ざける入試でも問われる書き分けである。
  • 阻止そし[1]完全に止める。阻害が妨げるにとどまるのに対し、阻止はやり遂げる「阻害された」は進んではいる、「阻止された」は止まっている程度の差が語で分かれている
  • 妨害ぼうがい[0]意図を含む語誰かが故意にやっているという含みが強い。阻害は意図を問わないため、仕組みや制度を主語にできる1-7 の 145 のシステムを論じるなら阻害を選ぶ。
コロケーション
  • 〜を阻害する基本の形目的語には進行・成長・発達・機能など過程を表す語が来る。この共起が示すのは、阻害されるのは状態ではなく動きだということだ。止まっているものは阻害できない語が時間を含んでいる
  • 阻害要因原因を名指す語妨げている当のもの。この語が実務でよく使われるのは、問題を特定の要素に切り分けられるからだ。ただし1-2 の要素論と同じ限界がある — 要因を一つずつ取り除いても解決しないことがある。関係そのものが阻害している場合だ。
  • 相互に阻害する循環を書く語二つがたがいの働きを妨げ合う状態。この形が書けるとどちらが原因かを決めずに事態を記述できる。2-2 の 02 で見た相関と因果の差がここでも効く — 原因を決めない勇気が正確さを生むことがある。
  • 阻害と促進対で使う語評論文でも実務でもこの対で書くのが定型。注意したいのは、同じ要素が両方の働きをしうることだ。競争はある水準までは促進し、越えると阻害する『論語』先進篇の「過ぎたるは」が言っているのはまさにこれである。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 妨害わざとじゃまをする意図がある。阻害は仕組みや条件が結果的にさまたげる場合も含む。
  • 疎外自作物が逆に人を支配する☑21。同音だが別語。字も意味も違う。混同が最も多い。
  • 抑制おさえてひかえさせる程度を下げる。阻害は働き自体を損なう。
  • 制約条件をつけて縛る枠を設ける。阻害は否定的な評価を含む。

ENobstruction / hindrance
ZH阻碍(阻害, zǔ'ài)

日中のズレ

中国語では 阻碍(zǔ'ài) または 妨碍 を使う。阻害 という語形は用いない。

日本語の「疎外」は中国語で 异化(yìhuà)。二語は中国語でも明確に別語である。

11読解

温床おんしょう

おんしょう[0]平板型

語構成
あたたかいとこ・苗床
使用の境界

好ましくないものが生まれ育ちやすい環境。比喩としてのみ使い、ほぼ常に否定的な文脈に立つ。

用法

もとは苗を育てるために温めた苗床のことで、比喩として使う際はほぼ必ず否定的な対象を伴う。「犯罪の温床」「腐敗の温床」「不安の温床」が定型で、「才能の温床」のような肯定的な用法はまれである。この主題では「格差の拡大は社会不安の温床にもなる」という形で現れ、格差が直接に不安を生むのではなく、不安が育ちやすい条件を作るという含みになる。因果を断定せずに関係を示せるため、評論文で重宝される。

用例
  • 衣食足りて礼節を知る、と古人は言へり。されど今の世は、衣食足りてなほ足らざるを憂ふるなり。幸田露伴『努力論』(1912)の主旨による
    豊かさが別の問題を育てることを言った一節である。06 で引いた『管子』の一句を正面から受けてずらしている衣食は足りた。それなのに足りないと感じ続ける。ここで温床という語が要る — 不足そのものが不満を生むのではない足りたあとに比較が始まるのだ。05 の序列が豊かさの上でこそ育つというこの事態は、1-7 の 142 で見た豊かさのなかの貧しさと同じものである。温床とは、悪いものが悪い条件から生まれるとは限らないことを言うための語だ。
  • 禍は口より出でて身を破り、福は心より出でて我を飾る。『太平記』巻第十七の主旨による
    災いと幸いが同じ人の内から出てくるという見方である。注目したいのは出どころが両方とも自分だという点だ。外から来るのではない。温床という語が指しているのもこの構造である — 問題を育てている土壌はたいてい内側にある。そしてその土壌は同時に良いものも育てている。口は禍の出口だが言葉の出口でもある温床を取り除けば問題も消えるが、同じ土壌から生えていた良いものも消える — 2-4 の 06 の親密圏が安らぎと不正の両方の温床であるのと同じ事情である。
  • 匿名性は、率直な発言を可能にすると同時に、無責任な攻撃の温床にもなる。 この語の使い方の見本である。同じ条件が二つの正反対のものを育てると書くのがこの語の本領だ。「温床」と書いた時点で否定の評価が入るので、良い面と並べると議論が公平になる。
  • ×日当たりのよい温床で苗を育てた。 原義としては正しいが、現代語ではほぼ比喩でしか使わない。園芸なら「苗床」「フレーム」である。評論語の温床は好ましくないものが生まれ育ちやすい環境を指し、「〜の温床となる」の形でほぼ固定して使う
派生形
  • 苗床なえどこ[0]本来の園芸用語比喩で使うと肯定的になる(「才能の苗床」)。温床とほぼ同じものを指すのに、評価が正反対である点が面白い — 「温」の字に甘やかしの含みが付いたのだろう。
  • 揺籃ようらん[0]ゆりかご「〜の揺籃の地」の形で発祥の地を指す。肯定的で、文明や文化の起源に使う。温床・苗床・揺籃を並べると同じ像から三つの評価が分かれているのが見える。
  • 素地そじ[1]下地・基礎中立で、良い方にも悪い方にも使える。「受け入れる素地がある」。条件だけを述べて評価を保留したいときに選ぶ語である。
コロケーション
  • 〜の温床固定した形「の」の前には好ましくないものが来る — 腐敗、不正、暴力、差別。良いものには使わない。この非対称が示すのは、温床という語がすでに評価を含んでいることだ。中立に条件を述べたいなら「土壌」「素地」を選ぶほうがよい。
  • 温床となる動詞を伴う形「なる」が自動詞であることに注意したい。誰かが温床にしたのではない結果としてそうなったと書く形である。2-1 の 09 で見たとおり、自動詞は責任の所在をぼかす誰がその条件を作ったかまで書けるかどうかが文章の質を分ける。
  • 温床を絶つ対処を言う語問題そのものではなく条件のほうを取り除くという発想。この構えが優れているのは、個々の事例を追いかけるより効くからだ。ただし危うさもある — 条件を絶つとはしばしば自由を狭めることだ。1-7 の 144 で見た安全と自由の交換がここでも起きる。
  • 温床と土壌書き分けたい対土壌は中立で、良いものも育つ。温床は否定的である。同じ条件をどちらの語で書くかで主張が決まる — 「多様な意見の土壌」と「対立の温床」は同じ事態を指しうる語の選択がすでに論証の一部である。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 原因結果を生じさせるもの一対一の因果。温床は育ちやすい条件を指し、直接の原因ではない。
  • 土壌育つための基盤中立にも使える。温床は否定的な対象に限られる。
  • 要因結果に関わる要素中立。温床は評価を含む。
  • 背景後ろにある事情説明のための補足。温床は生成の場を指す。

ENhotbed / breeding ground
ZH温床(温床, wēnchuáng)

12読解

至上しじょう

しじょう[0]平板型

語構成
いたる・きわみうえ

同音の「市場(しじょう)」と書き分ける。「市場至上主義」は同音が重なる。

使用の境界

これ以上のものがない、最も高い位。段階の頂点ではなく、他と比べようがないことを含む。

用法

同音の「市場(しじょう)」との聞き分けが要る語である。「市場至上主義」は「しじょうしじょうしゅぎ」となり、音では区別できない。書き分けを押さえておく。「〜至上主義」の形が最も多く、あるものを唯一最高の価値に置く立場を指して、ほぼ常に批判的に使われる。この主題では「成長至上主義=効率最優先」として現れる。「至上命題」は☑114 命題の項で述べたとおり日常語の転用で、〈果たすべき最優先の課題〉の意になる。

用例
  • 汝の人格および他のあらゆる人の人格のうちにある人間性を、つねに同時に目的として用い、決して単に手段としてのみ用いないように行為せよ。イマヌエル・カント『人倫の形而上学の基礎づけ』第二章(1785)/訳は本教材
    何を至上に置くかを定めた一節である。(1-7 の 159 で同じ書の自律の定義を引いた。)注目したいのは「単に……のみ」という限定だ。手段として使うことを禁じてはいない。医者にかかることも、店で買うことも、相手を手段として使っている。禁じられているのは手段としてだけ扱うことである。この線引きが実務的に効くのは、あらゆる社会関係が相互利用を含むからだ。利用を禁じたら社会が止まる。04 の尺度が一つになった社会で、換算できない一点を残すための命題としてこの一句は働く。
  • 国民は、すべて個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。日本国憲法 第十三条(1946)
    何を至上に置くかを国が宣言した条文である。(1-4 ほかで同じ憲法の別の条文を引いた。)要は「個人として」という三文字である。国民としてでも、家族の一員としてでもない個人としてだ。1-6 の 123 で見た近代がつくり出した単位が、ここで価値の最上位に置かれている。ただし条件が付く — 「公共の福祉に反しない限り」。この一句があらゆる人権訴訟の争点になってきた至上と言いながら上に何かがあるように読めるからだ。至上のものを複数置けないというこの語の性質が、条文の設計を難しくしている。
  • 効率を至上とする発想は、効率で測れないものを価値の外へ追い出す。 この語が批判に使われる典型である。至上に置くとは、他をその下に置くことだ。一つを最上位にした瞬間、残りは手段になる。2-4 の 04 の原理主義と同じ構造を別の語で言っている。
  • ×この店のケーキは至上の味だ。 「絶品」「最上」である。至上はそれより上が無いという意で、価値の順位を論じる場面で使う。味の評価には大げさすぎる。なお「至上命令」「効率至上主義」のように、他の語と結んで使うのが普通である。
派生形
  • 最高さいこう[0]日常語比較の結果としての一位で、軽く使える。至上が価値の順位の議論で使われるのに対し、最高は何にでも使える使用範囲の広さがそのまま語の軽さになっている
  • 無上むじょう[0]仏教語。「無上正等覚」のように使う。これより上が無いという点で至上と同じだが、宗教の語彙の色が濃い。「無上の喜び」のようにやや古風な文語として残る。
  • 至高しこう[0]ほぼ同義至上が順位を思わせるのに対し、至高は高さそのものを思わせる。「至高の存在」は神を指せるが、「至上の存在」はやや据わりが悪い比較の含みが残るからである。
コロケーション
  • 〜至上主義最も多い形効率至上主義、成長至上主義、学歴至上主義。この語形が示すのは、何を至上に置いても同じ形の批判が成り立つことだ。一つを最上位に据えれば残りが手段になる中身が何であれ構造は変わらない
  • 至上命令絶対の要請カントの定言命法の訳語の一つ。条件を付けずに命じるという意味である。「〜したいなら〜せよ」ではなく「〜せよ」。日常語では絶対に守るべき指示の意で使われ、哲学の含みはほぼ抜けている
  • 至上のものを複数置く成り立たない要求語の定義上不可能である。ところが現実の憲法や倫理は複数の価値を同時に最上位に置こうとする — 自由と平等、安全と人権。衝突したときにどう調整するかという問いがここから永久に生じ続ける。
  • 至上と絶対近い語の差至上は順位の最上、絶対は比較の外至上は他と比べたうえでの一位だが、絶対は比べること自体を拒む「絶対的な価値」のほうが「至上の価値」より強い — 04 の尺度の議論で言えば、絶対は通約を受け付けない

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 最上いちばん上段階の頂点。至上は比較の外に置かれる含みが強い。
  • 絶対比較するものがない☑25。近い。至上は価値の高さ、絶対は比較の可否。
  • 究極最終の段階の終わり。至上は位の高さ。
  • 最高いちばん高い日常語。至上は硬く、価値についてのみ使う。

ENsupreme
ZH至上(至上, zhìshàng)

格による分布硬・学術、硬、中の三段階に本節の語を振り分けた図。 硬・学術 0 4 序列 余剰 累進 至上 8 貨幣 市場 交換 尺度 贈与 換算 阻害 温床 語は意味ではなく格で選ぶ
格による分布
入試にチャレンジ

尺度が一つになると、何が起きるか

単一の尺度が生む序列化ガラス玉とダイヤモンド、インドの子供とビル・ゲイツが、同じ貨幣の軸の上に並べられ極端な差が可視化されることを示した図。 モノ ガラス玉 ダイヤモンド 一億分の一 ヒト インドの子供 30 ドル ビル・ゲイツ 900 億ドル 三十億倍 同じドルという単位で数値化される かつては、両者を比べようとする者はいなかった。同じ市場の住民ではなかったからである。 市場のグローバル化が、比較を可能にしてしまった。 人間の価値の数量化は、そのまま過酷な序列化である
単一の尺度が生む序列化
本文

市場とは何でしょう? それは、たんにモノを交換する場ではありません。すべてのモノが交換されるためには貨幣を必要とします。貨幣とは一般的な価値尺度です。そして、その貨幣の媒介によって、まったく異質のモノが市場価値という同質性をあたえられ、さらに市場価値の数量的な大小によって序列化されることになるのです。ひとが個人としてどれだけ大切にしているガラス玉でも、ひとたび市場に投げ出されれば、他のすべてのモノと同様に市場価値をもち、ダイヤモンドの一億分の一という数字があたえられてしまうのです。

人間についても同じことが言えます。先ほどの旅行記を読むイギリス人とタジ・マハールで苦役につくインド人とは、同じ市場の中の住民ではないのです。だれも両者の価値を比べようとは思いません。ところが市場のグローバル化によって、いまでは先進国の人間と途上国の人間の価値が、同じドルという共通の貨幣単位で数値化されることになります。実際、CNNの番組で、グローバル企業の下請け工場に売られたインドの子供の値段が三十ドルであったというレポートが流されています。そしてこの数字は、CNNの別の番組に映し出される世界一の資産家ビル・ゲイツの九百億ドルともいわれる資産額と比べられることになります。

それによって、同じ地球に生きている人間のあいだになんと三、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇倍という価値の差があることがだれの目にも明らかになってしまうのです。

人間の価値の数量化――それは同時に、人間の価値の過酷な序列化でもあります。インドの子供とビル・ゲイツの映像を前にした人々は三十ドルと九百億ドルという数字を比べて、同じ人間なのにこんなにも価値が違うといって憤慨するでしょう。同じ人間として、何かしなければならないと考えはじめるでしょう。

だが、まさにその瞬間こそ「人間」という理念が世界化する瞬間です。人権という概念が普遍化する瞬間です。本来的にすべての人間が平等にもっている価値が、市場によって三十億分の一という価値しかあたえられていないというのではないのです。反対に、市場によって三十億分の一の価値しかあたえられていないのがだれの目にも明らかになることによって、人間の人間としての価値をすべての人間が平等にもっているという理念が生まれてくるのです。

出典 岩井克人「市場と人権」 / 出題 東海大学・文学部

序列化が理念を生むという逆説市場による極端な序列化が可視化された瞬間にこそ、人権という理念が普遍化するという逆説を示した図。 市場が人間を三十億分の一に序列化する それがだれの目にも明らかになる 同じ人間なのに、と憤慨する 「人間」という理念が世界化する 序列は、隠れている うちは意識されない 人権の普遍化 否定が起点になる
序列化が理念を生むという逆説
ヒント①

貨幣によって、異質のモノや人間が同じ物差しで比べられてしまうということ。

ヒント②

貨幣による人間の非人間的な序列化を知ることで、初めて「人間の尊厳」という理念が生まれるということ。

傍線部「貨幣とは一般的な価値尺度です」の説明として最適なものを、次のA〜Eから選べ。

  • A誰でも金が欲しいというのが、一般的であること。
  • B様々な種類の貨幣があることで尺度が乱れること。
  • C価値の尺度を決める物差しとして貨幣は働くこと。
  • D貨幣では量れない個人的な価値もあるということ。
  • E貨幣は市場の中でそれ自身が意味を持たないこと。
正解と解説

正解 ── C

市場経済において、モノは貨幣によって、「市場価値(価格)」という尺度ではかられる。

  • A「価値尺度」の話と無関係。
  • Bたった一つの「市場価値(価格)」という価値尺度でモノの価値が決められることを踏まえていない。
  • D本文後半の内容とは一致するが、傍線部の説明としては不適当。
  • E「一般的な価値尺度」という語と無関係。
Output

産出

やるなら ── 次のいずれかを一段落で書く。

  • 自分にとって貨幣では換算できないものを一つ挙げ、なぜ換算できないのかを書く
  • 身近な贈与の慣習を一つ挙げ、それが交換とどこで違うのかを書く
Blank

市場が人間を序列化したからこそ人権の理念が生まれたのだとすれば、その理念は、市場を否定しきることができるのか。