Theme 2-4

政治論

[ 原書 第2部 テーマ編 2-4 ]

加筆語彙 12 / Key Point 1 / 図版 9

Macro — 論の流れ

二つの原理が、たえず引き合っている

政治論の地図政治の定義から自由主義・民主主義の二つの原理を経て、現代政治の動きと諸潮流へ至る流れを示した図。 政治とは 為政者が制度を通じて社会に秩序を与える 自由主義 個人の自由を尊重する 行きすぎれば無政府状態へ 民主主義 国民の意思を尊重する 行きすぎれば衆愚政治・全体主義へ 現代政治の動き 冷戦の終結 → 新自由主義の隆盛 → 格差社会 現代政治のさまざまな潮流 保守主義自由至上主義 共同体主義原理主義 自由主義と民主主義は別の原理である。どちらも、行きすぎれば別のものに変わる。 この二本の緊張が、政治論の骨格をつくる
政治の定義から、二つの原理、現代の潮流へ

この主題の骨格は自由主義と民主主義の緊張にある。二つはセットで語られやすいが、別の原理である。自由主義が守るのは個人、民主主義が尊重するのは全体の意思で、両者はしばしば衝突する。そしてどちらも、単独で行きすぎれば自らを裏切る。自由主義は無政府状態へ、民主主義は衆愚政治やポピュリズム、全体主義へ傾く。

現代の局面はここに冷戦の終結が重なる。対立する相手を失った資本主義が新自由主義として純化し、格差社会を生んだ。その反動としてナショナリズムと原理主義が力を得る一方、公共性を組み直そうとする試みも現れている。

原書の本文

三つの段階

政治とは何か

政治は、人々が集団社会で円滑に生活する時に必要となるものである。集団社会をよりよくするための方法や、そもそも何がよいことなのかを決めていくのだ。

一方で政治は、集団内外の多くの人々を現実に動かすことでもある。政治は、哲学や芸術のように、黙って思考を繰り返したり自己表現をしたりすることではなく、あくまでも現実的な効果や利益を集団にもたらすことを使命とする。そのため、政治とは〈友〉〈敵〉とを区別することだと主張する哲学者もいる。〈友〉には十分な恩恵を与え、〈敵〉に対しては排除や攻撃、支配をする。そして、この時に必要になるのが権力だ。

政治は、為政者が司法・立法・行政の機関を通じて社会に秩序を与え、法律などのさまざまな制度を設ける。また、このような秩序や制度を人々に納得してもらうために、為政者は、人々の自由・平等、人権に関する政治的態度を示すイデオロギーを主張する。

自由主義・民主主義

近代において、人々に支持されたイデオロギーといえば、自由主義・民主主義だろう。自由主義は国家の干渉を遠ざけ、個人の自由を尊重し、思想や言論、信教の自由を求める。経済的にも私有財産を保護し、市場での取引の自由を求めるものだ。

一方で民主主義は、国民の同質性や平等を前提とし、国民が集団の意思決定に参加し、その決定が多数決で行われる。

こう考えると、自由主義と民主主義とをセットにして考えても矛盾はなさそうだが、実は両者は必ずしも調和するものではない。自由主義が個人の意思を尊重するのに対して、民主主義は、民衆=国民を権力の中心にする面をもっているからだ。

すなわち、自由主義は個人主義やアナキズム(無政府主義)に近づくが、民主主義は衆愚政治(≒「知識や判断力の乏しい民衆が無定見的に行う政治」)やポピュリズム(≒「大衆を誘導して為政者が権力を保持しようとする態度」)、さらには全体主義(≒「個人は国家を構成する一部分だとして、個人より国家全体の利益を尊重する考え」)に近づく面があることになる。入試でも、民主主義のこうした危険性を指摘する文章が見られる。

自由主義と民主主義の緊張個人の自由を守る自由主義と、国民の意思を尊重する民主主義が、それぞれ行きすぎた場合に転落する先を示した図。 自由主義 国家の干渉を遠ざける 守るのは ── 個人 民主主義 国民の意思を尊重する 守るのは ── 全体 別の原理 行きすぎると 無政府状態 衆愚政治 全体主義 二つは似ているようで別の原理である。個人を守ることと、多数の意思に従うことは、しばしば衝突する。 どちらも、単独で行きすぎれば自らを裏切る
自由主義と民主主義の緊張

現代政治の動き

第二次世界大戦終了後、アメリカを代表とする資本主義陣営(西側)とソ連を代表とする社会主義陣営(東側)とはイデオロギー的な対立を深め(冷戦)、対立の終結後は、資本主義が経済モデルの代表となった。

これ以降、人間の平等や生存の権利を始めとした社会主義的な要請を気にせずに、人々の自由な利潤追求が許されるべきだという主張が説得力をもつようになる。こうした主張は、経済的には市場原理主義、政治的には新自由主義(ネオリベラリズム)とよばれている。新自由主義は、政府(大きな政府)による社会保障や再分配を重視する自由主義(リベラリズム)と異なり、政府を最小にして、企業や個人の自由競争を促そうとするものだ。「大きな政府から小さな政府へ」という言葉も生まれている。

一方、国境を越えた資本の動きや情報化社会の隆盛に伴い、グローバル化の時代に突入している。それは世界的な規模での文化や技術の発展を促す反面、民族・国家・地域の独自性を奪うことにもつながる。今日、こうしたグローバリズムに最も先鋭的に対立するのはイスラム原理主義であろうが、従来の国民国家におけるナショナリズムの動きも活発化してきた。日本と韓国・中国との関係、ロシアとウクライナとの関係、あるいはイギリスからのスコットランドの独立の動きなども、グローバル化とは正反対の様相を示している。

ただし、現代のナショナリズムには、戦前の日本とアメリカとの対立のような、国家規模での衝突という印象はない。権力が、国家という規模に収束せずに分散する様子も見られるだろう。

冷戦の終結から格差社会へ資本主義と社会主義の対立が終わり、資本主義の一極化を経て新自由主義が隆盛し格差社会に至る流れを示した図。 冷戦期 資本主義 社会主義 対立 終結 資本主義の一極化 新自由主義の隆盛 格差社会 新自由主義がしたこと 政府の役割を最小にする 民営化・規制緩和・自由競争 再分配の縮小 「大きな政府から小さな政府へ」 対立する相手がいなくなったことが、一つの原理を強めた
冷戦の終結から格差社会へ
大きな政府と小さな政府再分配を重視する自由主義と、自由競争に委ねる新自由主義を、政府の役割の大きさで対比した図。 自由主義(リベラリズム) 大きな政府 社会保障・再分配 結果の不平等を補正する 個人の自由は制度に支えられる 新自由主義(ネオリベラリズム) 小さな政府 市場・企業・個人の自由競争 結果は競争に委ねる 個人の自由は競争の自由になる どちらも「自由」を掲げるが、再分配をするかどうかで正反対になる
大きな政府と小さな政府
グローバル化とその反動国境を越える動きが民族や地域の独自性を脅かし、その反動としてナショナリズムと原理主義が強まる構造を示した図。 グローバル化 民族や地域の独自性が奪われる ナショナリズム 原理主義 反動として力を得る 最も先鋭的に対立するのがイスラム原理主義 原理主義は前近代の残存ではない。近代が生んだ現象である。
グローバル化とその反動
Key Point

要点

Key Point 1 ── 「公共性」などの新しい視点

世界的な金融危機や東日本大震災を契機に、新自由主義の隆盛とそれに伴う格差社会に抵抗する意見が多くなってきた。個人の自由よりも、人々の絆が重んじられてきたとも言えよう。その動きの一つに、「公共性」の見直しが挙げられる。

学校・図書館・公園などは公共の施設、国や地方公共団体が行う事業は公共事業とよばれる。現代では、こうした公的なもの(公共圏)への関心が、家族や友人などの私的なもの(親密圏)に比べて薄れてきたが、再び公共性を重視すべきだという主張がされている。そして、この公共性に対しては、国や地方公共団体だけの問題とするのではなく、市民自身の介入も必要だというのである。

また、住居や車を共有(シェア)しようとする運動や、開発したソフトウェアを人々に公開し改良してもらうという「オープンソース」の発想もある。

他にも、地球環境問題が叫ばれている今日、地球は一種の共有財産だが、これを個人の私利私欲による利用に任せると環境の悪化をもたらすので、共同で管理をしようとする「コモンズ」という考えや、非正規雇用・失業の増大のような労働環境の変化に伴う、新しい社会保障対策である「ベーシックインカム(≒政府が国民に、最低限の生活を送るのに必要な金額を無条件で支給するという政策)」など、従来とは異なる動きも見られる。

公共圏と親密圏、そして新しい試み公共圏への関心が薄れ親密圏に集中する現状と、共同管理による新しい公共性の試みを示した図。 公共圏 親密圏 家族・友人 関心が親密圏に集中する 公共圏への関心が薄れる 新しい公共性の試み シェアオープンソース コモンズベーシックインカム 私有でも国有でもない第三の道 共同で持ち、共同で管理する 地球という共有財産をどう守るか 個人の私利私欲に任せない仕組みを、どう設計するか
公共圏と親密圏、そして新しい試み
Terms — 本サイトによる加筆

この主題を読むための十二語

原書のキーワード番号は付されていない層である。概念語八つと、本文・入試文に現れる読解語彙四つを補う。

01概念

新自由主義しんじゆうしゅぎ

しんじゆうしゅぎ[0]平板型

語構成
あらた自由主義個人の自由を尊重する立場
使用の境界

政府の役割を最小にし、企業と個人の自由競争を促そうとする立場。自由主義とは政府観が正反対になる。

用法

最も誤りやすいのが自由主義との区別である。どちらも個人の自由を掲げるが、自由主義(リベラリズム)は大きな政府で社会保障と再分配を行い、新自由主義は小さな政府で競争に委ねる。冷戦終結後に説得力をもち、「民営化」「規制緩和」「自己責任」といった語がここから派生した。評論文ではほぼ批判の対象で、格差社会を生んだ元凶として論じられる。入試文は、批判する側までがこの語彙しか持てなかった、という一段深い指摘をしている。

用例
  • 労働・土地・貨幣を商品として扱うことは、まったくの擬制である。……この擬制のもとで社会は保護を求めて動きはじめる。市場を野放しにすれば、人間と自然という社会の実体そのものが破壊されるからである。カール・ポランニー『大転換』(1944)/訳は本教材
    市場を放っておけば何が起きるかを言い当てた一節である。要は「擬制」という語だ。労働も土地も貨幣も売るために作られたものではない。労働は人間の活動そのもの、土地は自然そのもの、貨幣は購買力の記号にすぎない。それを商品ということにするのが市場経済である。ポランニーはこれを嘘だと責めているのではないそういう取り決めで動いていると正確に述べているだけだ。そして帰結を言う — 取り決めを本当のことだと思い込むと、人間と自然が壊れる。01 の新自由主義への最も強い批判は、その台頭より四十年前にすでに書かれていた
  • 売るがために作られたるものにあらざる物を、売るものと看做すは、経済の道にあらず。……人を貧しからしむる富は、富にあらず。ジョン・ラスキン『この最後の者にも』(1862)の主旨による/訳は本教材
    効率という物差しの外側から経済を測り直した一節である。ラスキンは美術批評家として出発し、経済学を素人として批判した。そのぶん論法が専門の内側に閉じない。「人を貧しからしむる富は富にあらず」— 富の定義そのものを書き換えているのだ。生産量が増えても人が貧しくなるならそれは富ではない、と。この一手で効率と富が同じものではなくなる。2-5 の 04 の尺度が一つに揃うことの問題を扱うのに対し、ラスキンはその尺度の目盛りそのものを疑っている。この書はのちにガンディーに決定的な影響を与えた。
  • 新自由主義は、国家を小さくすると言いながら、市場を成り立たせるために強い国家を必要とする。 この語を扱うときの要点である。規制緩和も民営化も法律と警察がなければ実行できない「小さな政府」は弱い政府を意味しない — 05 の再分配を削るかわりに契約を守らせる力は強められる
  • ×自由な発想を大切にする新自由主義の校風だ。 「自由主義」「リベラル」との混同である。01 は一九七〇年代以降、市場の働きを最大化し国家の介入を最小化しようとした政策の潮流を指す固有の語で、思想の自由や校風とは無関係。なお「ネオリベラリズム」とも言い、ほぼつねに批判の側から使われる名である。
派生形
  • 自由主義じゆうしゅぎ[5]もとの語個人の自由を国家の介入から守る立場。「新」が付くと守る対象が個人から市場へ移る — 一字の差で主役が入れ替わっている。
  • ネオリベラリズム[7]原語のままの形「ネオリベ」と略されることも多い。略されるほど批判の道具として流通しているという証拠でもあり、略語が出たら定義を確かめるのが安全である。
  • 小さな政府ちいさなせいふ[1]政策の標語比喩が議論を先取りしている点に注意したい — 小さいほうがよいという感覚が語に埋め込まれている。1-6 の 135 で見た「理性の光」と同じ、比喩による議論の先取りである。
コロケーション
  • 規制緩和最も具体的な政策市場への制約を減らすこと。この語が中立に見えるのは、「緩和」という語が楽になることを含意するからだ。だが規制は誰かを守るために置かれていた緩和はその誰かの保護を外すことでもある。語の穏やかさと効果の大きさが釣り合っていない例。
  • 自己責任01 が要求する語1-7 の 160 で立てた語がここで政策の言葉になる。市場に委ねるとは結果を本人に引き受けさせることだ。注意したいのは、この二つがセットでなければ成り立たないことである。再分配を削るには、削られる側が納得する物語が要る
  • 市場原理主義批判の側の名市場に任せればうまくいくという信念。「主義」ではなく「原理主義」と呼ばれるのは、検証を受け付けないと見られているからだ。04 の原理主義と2-5 の 12 の至上がここで合流する
  • 新自由主義的な主体人を作り変える語自分を投資すべき資本として経営する人間像。「自己投資」「スキルの棚卸し」— 語彙がすでに経営のものだ。1-7 の 146 の装置がこの主体を作っていると読むと、政策が心のかたちまで及んでいることが見える。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 自由主義国家の干渉を遠ざけ個人の自由を尊重する社会保障や再分配を重視する。政府を大きく保つ点で新自由主義と分かれる。
  • 市場原理主義市場の自由な競争にすべてを委ねる経済の側の呼び名。新自由主義はその政治的な形。
  • 自由至上主義政府の役割を最小限に抑えるリバタリアニズム。新自由主義より徹底し、経済以外の領域にも及ぶ。
  • 保守主義既存の制度を重視する制度への態度。新自由主義は制度を作り変える点でむしろ改革の側に立つ。

ENneoliberalism
ZH新自由主义(新自由主義, xīn zìyóu zhǔyì)

02概念

ポピュリズム

ポピュリズム[3]中高型

使用の境界

大衆に直接訴えて支持を集め、権力を保とうとする政治手法。人気があることそのものを指すのではない。

用法

要点は、ポピュリズムが民主主義の外からではなく内から生じることにある。国民の意思を尊重するという原理そのものが、大衆に直接訴えて支持を調達する手法を可能にする。だから民主主義とポピュリズムは連続している。典型的な型は、「純粋な人民」と「腐敗したエリート」を対立させる語り方である。評論文では、既存政治への不満とグローバル化への反動が結びついて台頭した現象として論じられる。近年は肯定的に用いる論者もいるが、日本語では否定的な含みが強い。

用例
  • 国家に多数の派閥がひしめくとき、ある一つの派閥が全体の多数を占めることはまれになる。……多数者による抑圧を防ぐ最良の道は、社会を多くの部分に分けておくことである。ジェイムズ・マディソン『ザ・フェデラリスト』第十篇(1787)/訳は本教材
    ポピュリズムを制度で防ごうとした最初の設計思想である。マディソンの見立ては冷徹だ — 人が派閥を作るのは本性であって、なくせない。ならばなくす代わりに数を増やす。派閥が多ければどれも過半数に届かず、妥協するほかなくなる徳ではなく構造で暴走を止めるというこの発想が、近代の憲法設計の基礎になった。裏返せば、社会が「我々」と「彼ら」の二つに割れたとき、この装置は効かなくなる。ポピュリズムがまさにその二分割を作り出す運動であることを、押さえておきたい。
  • 衆愚政治の弊は、一時の情に駆られて事を決するにあり。……民の望むところ、必ずしも民の利にあらず。中江兆民『三酔人経綸問答』(1887)の主旨による
    民主主義の内側からその弱点を指摘した一節である。兆民は民権論者だった。その人が民の望みと民の利が一致しないと書く。ここが重要で、民主主義を否定するために言っているのではない。『三酔人経綸問答』は理想を語る紳士、力を説く豪傑、そして両者を聞く南海先生の三人が酒を飲みながら論じる形式で書かれている。どれか一つを正解にしないこの構成自体が、一つの声に収斂させないという態度の表明だ。02 のポピュリズムが「本当の民の声」を一つに束ねる運動であることを思えば、この形式はそれ自体が反論になっている。
  • ポピュリズムは、社会を「腐敗したエリート」と「純粋な人民」に二分し、自らを後者の唯一の代弁者と称する。 定義としていちばん使いやすい形である。要点は三つ — 二分割、一方の純粋化、そして代弁の独占三つ目が最も危険だ。唯一の代弁者を名乗れば、反対する者は人民ではないことになる
  • ×駅前で演説してポピュリズムに訴えた。 「大衆に訴えた」「人気取りをした」である。02 は政治のスタイルあるいは思考の型を指す語で、行為の対象ではない。また単なる人気取りとも違う「我々こそが真の人民だ」という主張の構造があってはじめてこの語が当たる。人気があるだけではポピュリズムではない
派生形
  • ポピュリスト[4]担い手を指す語ほぼ非難の語として使われるが、アメリカ史の人民党(Populist Party)は農民の運動の名で、もとは自称だった自称が他称に変わるとき色が付く
  • 大衆迎合たいしゅうげいごう[5]日本語での訳語「迎合」の一語で断罪が済んでしまうため、分析の語としては使いにくい。評論文でカタカナが選ばれるのは、訳語の非難の色を避けるためである。
  • デマゴーグ[4]古代ギリシアの語民衆の指導者が原義で、もとは中立だった。それが扇動者の意になった。「デマ」の語源でもある。ポピュリストと同じ道をたどった語である。
コロケーション
  • 人民の声独占される語ポピュリズムが自らの正統性の根拠にするもの。この語の危うさは、誰も反論できない点にある。「それは人民の声ではない」と言えば人民に逆らったことになる。1-6 の 127 で見たリンカンの三つの前置詞のうち、「人民のための」だけを取り出した形である。
  • エリート批判燃料としての語ポピュリズムがつねに必要とする敵。押さえておきたいのは、この批判がしばしば当たっていることだ。実際に格差があり、実際に声が届いていない正しい不満が危うい形式に流し込まれる — だから形式だけを批判しても効かない
  • 反知性主義隣接する語専門知や手続きを「庶民感覚」の名で退ける態度。この語を使うときは注意が要る — 知性への不信には歴史的な理由がある。1-6 の 135 で見た啓蒙専制のように、知が上から押しつけられてきた経験が各国にある。
  • ポピュリズムの土壌条件を問う語何がこの運動を育てるか。答えとして挙がるのは格差の拡大、中間集団の弱まり、既存政党への不信。1-6 の 138 で見た全体主義の温床とほぼ同じ一覧になる。孤立した個人が直接「我々」に呼びかけられるという構造が共通している。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 衆愚政治判断力の乏しい民衆による政治民衆の側の質を問う語。ポピュリズムは為政者の手法を指す。
  • 大衆迎合主義大衆に迎合する立場訳語。否定的な評価が語のなかに入っている。
  • 扇動人々を煽って行動させる行為。ポピュリズムは政治の型。
  • 民主主義国民が主権をもつ☑127。ポピュリズムはその内側から生じる。対立するのではない。

ENpopulism
ZH民粹主义(ポピュリズム, mínsuì zhǔyì)

03概念

衆愚政治しゅうぐせいじ

しゅうぐせいじ[0]平板型

語構成
おおぜいおろか政治まつりごと
使用の境界

判断力の乏しい民衆が、定見なく行う政治。民主主義が失敗した形として語られる。

用法

古代ギリシアからある批判で、プラトンが民主政をこう評したことに始まる。要点は、この語が民主主義批判の常套句であり、同時に使う側の立場を露わにすることにある。誰が「愚か」だと判定するのかという問いが必ず残るからである。したがって評論文でこの語が出たら、書き手が民主主義をどう位置づけているかを見る必要がある。「無定見」(定まった見識がないこと)という語とセットで説明されることが多い。

用例
  • 船の持ち主は大柄だが耳が遠く目も悪い。船乗りたちは舵を取らせろと互いに争い、説き伏せた者が舵を握る。……彼らは真の航海術を学んだ者を役立たずと呼ぶ。プラトン『国家』第六巻・船の比喩(前375頃)/訳は本教材
    衆愚政治という批判の原型である。(1-1 で同じ書の洞窟の比喩を引いた。)比喩の各項は対応が明確だ — 船の持ち主が民衆、船乗りが政治家、航海術を学んだ者が哲学者。要点は「説き伏せた者が舵を握る」にある。操船の技量ではなく説得の巧さで決まってしまう。ただし、この比喩には反論の余地も大きい。政治に航海術のような正解があるのか。目的地が決まっている船と違い、どこへ行くかを決めるのが政治である。比喩が前提をこっそり運んでくるという好例として、構造ごと読みたい。
  • 民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず。『論語』泰伯篇
    衆愚という見方が前提にしているものを示す一句である。この句は長く「民は従わせればよく、理由を知らせる必要はない」と読まれ、愚民政策の根拠とされてきた。ところが「知らしむべからず」を「知らせることができない」と読む説もある。禁止か、不可能かで意味がまるで変わる。前者なら愚民政策、後者なら説明の困難という実務上の嘆きだ。同じ十二字が二千年両方に読まれてきたというこの事実自体が、衆愚政治という語の使われ方を照らしている — 誰が読むかで意味が変わる語なのだ。
  • 衆愚政治という語は、批判の対象を民衆に置く。だが同じ事態を、選択肢を用意する側の問題として書くこともできる。 この語を警戒して使うための型である。「民衆が愚かだ」という結論は、そのまま民主主義の否定につながりうる。1-7 の 141 で見たル・ボンの『群衆心理』が動員する側にも読まれたのと同じ危うさがある。
  • ×クラス会が紛糾して衆愚政治のようになった。 語が重すぎる。混乱を言うだけなら「収拾がつかない」で足りる。衆愚政治は民主政が堕落した形態を指す政治学の術語で、アリストテレスの政体分類に由来する制度としての民主政が前提にある場面でしか正しく働かない。
派生形
  • 衆愚しゅうぐ[1]「衆」+「愚」多数であることと愚かであることを直結させている語形で、語そのものが一つの主張になっている。中立な記述語ではない、と意識して使いたい。
  • 愚民ぐみん[0]より露骨な語。「愚民政策」の形で使う。統治する側から見下ろした語で、現代の文章ではほぼ引用か批判の中でしか現れない
  • オクロクラシー[6]原語。ギリシア語 ochlos(群衆)+ kratia(支配)。デモクラシーの demos(人民)と一字違いで、人民か群衆かという呼び方の差が政体の名を分けている — 1-7 の 141 の大衆/民衆の書き分けと同じ構造である。
コロケーション
  • 民主政と衆愚政堕落形態としての対アリストテレスの分類では、正しい政体にはそれぞれ堕落形態がある — 王政に対する僭主政、貴族政に対する寡頭政、そして共和政に対する衆愚政。この枠組みが示すのは、どの政体も腐りうるということだ。民主政だけが特別に危ういのではない
  • 衆愚に堕する動詞を伴う形「堕する」という語が示すのは、もとは高い所にあったという前提である。民主政がそもそも低いなら堕ちようがないこの語を使う人は、実は民主政を評価していることになる — 語法から立場が漏れる例。
  • 衆愚論主張として名指す語「論」を付けて一つの立場として対象化する語法。1-7 の 160 で見た「自己責任論」と同じ手つきである。「衆愚だ」と言われれば議論は終わるが、「それは衆愚論だ」と言い返せば議論は続く
  • 熟議衆愚への処方1-6 の 127 で見た語がここで対抗策として出てくる。衆愚論の前提は民衆が判断できないことだが、判断する場が与えられていないだけかもしれない。能力の問題か条件の問題か — ここが分かれ目になる。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • ポピュリズム大衆に訴えて支持を集める手法為政者の側。衆愚政治は民衆の側の質を問う。
  • 民主主義国民が主権をもつ☑127。衆愚政治はその劣化した形として置かれる。
  • 大衆社会匿名の多数が主役の社会☑141。衆愚政治が生じる土壌。
  • 独裁一人または少数が権力を握る権力の集中。衆愚政治は分散したまま質が落ちる状態。

ENochlocracy / mob rule
ZH愚民政治(衆愚政治, yúmín zhèngzhì)

04概念

原理主義げんりしゅぎ

げんりしゅぎ[0]平板型

語構成
原理おおもとの理主義立場
使用の境界

根本の教義や原理に厳格に立ち返ろうとする立場。宗教に限らず、経済や政治についても言う。

用法

もとはアメリカのキリスト教の一潮流を指す語だったが、現在は宗教以外にも広く使われる。「市場原理主義」は市場の自由な競争にすべてを委ねる立場を指し、宗教とは無関係である。要点は、原理主義が近代への反動として生じる点にある。グローバル化が民族や地域の独自性を奪うとき、それに最も先鋭的に対立するのがイスラム原理主義だと本文は述べる。つまり原理主義は前近代の残存ではなく、近代が生んだ現象である。

用例
  • 疑いをもつことは不快であるが、確信をもつことは愚かである。ヴォルテール 書簡(1767)/訳は本教材
    原理主義の心の姿勢を一行で撃った言葉である。仕掛けは非対称にある。疑いには「不快」という感情の語を、確信には「愚か」という知性の語を当てている。つまり疑いの苦しさは認めたうえで、それでも確信よりましだと言っているのだ。ここが重要で、疑いを楽なことだとは言っていない。2-1 の 09 で見たキーツの消極的能力と同じ構えである — 不確かさにとどまるのは能力であって、自然な状態ではない。原理主義が魅力的なのは、この不快から解放してくれるからだ。
  • 我々は、真理を所有しているのではない。真理を探し求めているのである。……絶対の確実さを求める者は、探求をやめた者である。ゴットホルト・エフライム・レッシング『再答弁』(1778)の主旨による/訳は本教材
    原理主義の反対側に何があるかを述べた一節である。レッシングは有名な比喩を残した — 神が右手に真理を、左手に真理の探求を持って選ばせるなら、自分は左手を選ぶ真理そのものは神のものであって人のものではないからだ。この構えを取ると、確信は傲慢の一形態になる。注目したいのは、これが宗教の内側から出ていることだ。レッシングは信仰を捨てていない。信じることと確信することは別だと言っている。原理主義への最も有効な批判は宗教の外からではなく内から来る — この事実は現代でも変わらない。
  • 原理主義は、解釈を許さないことによって解釈を独占する。 この語の核心を突く型である。「書いてある通りに読む」と言うが、「その通り」が何かは誰かが決めている解釈を否定する立場もまた一つの解釈であり、しかも自分の解釈性を隠しているぶん手強い。
  • ×基本を大事にする原理主義の指導者だ。 「原則を重んじる」である。04 は特定の教義や原理を字義通りに解し、例外や解釈を認めない立場を指す。基本を大事にすることとは別で、状況に応じた判断を拒むかどうかが分かれ目になる。なお宗教に限らず市場原理主義のようにも使う
派生形
  • ファンダメンタリズム[7]原語もとは二十世紀初頭のアメリカのプロテスタントが自称した名で、聖書の根本(fundamentals)に立ち返るという意味だった。自称が他称になり批判語になったのは、02 のポピュリストと同じ経路である。
  • 教条主義きょうじょうしゅぎ[5]近い語定まった教えを状況に関わりなく当てはめること。原理主義が原典への回帰を掲げるのに対し、教条主義は教えの適用に重心がある。マルクス主義の内部での批判語として多く使われてきた。
  • 原理げんり[1]それ自体は中立の語他のものを導き出すもとになる法則。「主義」が付いてはじめて態度の名になる。1-2 で見た科学の原理と同じ語だが、科学の原理は反証に開かれているところが決定的に違う。
コロケーション
  • 市場原理主義宗教の外への転用市場に任せれば必ず最適になるという信念。この語形が示すのは、原理主義が宗教だけの現象ではないことだ。検証に開かれていないという一点で同じ形をしている。01 の新自由主義がこの名で呼ばれるとき、批判は政策ではなく態度に向けられている
  • 原理主義的な態度広く使える形「〜的な」を付けると運動でなくても使える一つの原理をあらゆる場面に当てはめて例外を認めない構え。この形なら身近な議論にも当てられるため、評論文でも使用頻度が高い。
  • 原点への回帰原理主義の自己認識堕落した現在から本来の姿へ戻るという物語。注意したいのは、その「本来の姿」がしばしば近代になってから構想されたものだということだ。1-6 の 134 で見た時代区分は後から引かれるという教訓が、ここでも効く — 原点もまた作られる
  • 原理主義と近代産物としての語原理主義は前近代の残りかすではない近代への反応として近代のなかで生まれた。印刷された聖典、識字率、メディアによる動員 — すべて近代の道具である。1-6 の 136 のロマン主義と同じ位置にこの運動を置くと、見通しがよくなる。

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 保守主義既存の制度を重視する現状を守る。原理主義は現状を否定して原点へ戻ろうとする。
  • 急進主義一挙に変革しようとする変革の速度。原理主義は根拠を原点に置く点が違う。
  • ドグマ疑うことを許さない教義☑82。原理主義はその教義に立ち返る運動。
  • 教条主義理論を機械的に当てはめる硬直の記述。原理主義は原点回帰という運動性を含む。

ENfundamentalism
ZH原教旨主义(原理主義, yuánjiàozhǐ zhǔyì)

05概念

再分配さいぶんぱい

さいぶんぱい[3]中高型

語構成
ふたたび分配分けてくばる
使用の境界

いったん分配された富を、税と社会保障によって配り直すこと。最初の分配を市場が行うことが前提になる。

用法

要点は「再」の字にある。市場が行った一度目の分配を、国家が税と社会保障で配り直す。だからこの語を使う時点で、市場の結果をそのままにしないという立場が含まれている。自由主義(リベラリズム)と新自由主義を分ける最大の争点がここで、前者は再分配を重視し、後者は縮小する。「大きな政府/小さな政府」という対も、再分配をどこまで行うかの違いを言い換えたものである。

用例
  • 貧乏線以下の生活をしている者が、……富める国においてかくも多数存在する。この事実を前にして、経済学は何を為すべきかを問われている。河上肇『貧乏物語』(1917)の主旨による
    再分配という問題を日本語で最初に広く知らせた書物の一節である。河上の論の運びで注目すべきは「富める国において」という限定だ。貧しい国の貧困ではない豊かになったはずの国になお貧困があるという事実を問題として立てている。これは生産の問題ではなく分配の問題だという宣言である。全体の量を増やせば解決するという答えをあらかじめ封じているのだ。1-6 の 130 で見た功利計算が総量の最大化を求めるのに対し、再分配は総量が同じでも配り方で変えられるものを扱っている。
  • 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。日本国憲法 第二十五条第二項(1946)
    再分配を国家の義務として書き込んだ条文である。(1-4 と 2-3 で同じ憲法の別の条文を引いた。)注目したいのは「努めなければならない」という書き方だ。結果を約束していない。第一項が「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を権利として書いたのに対し、第二項は国家の努力義務にとどまる。この落差が実際の裁判で繰り返し争われてきた権利があると言えるのか、努力目標にすぎないのか。2-3 の 10 の担保という語で言えば、権利は宣言されたが担保が弱いという状態である。
  • 再分配は、生産された富を配り直すことであって、富を減らすことではない。 最もよくある誤解を先に潰す型である。再分配の議論はしばしば「働かない者を養うのか」という道徳の話にすり替えられる配分の設計の話に引き戻すことが議論の第一歩になる。
  • ×余った資料を各班に再分配した。 「配り直した」である。再分配は市場でいったん決まった所得や富の配分を、税と社会保障によって改めるという経済・政治の術語で、物を配り直す作業の名ではない「一次分配」と「再分配」の対で覚えるとよい。
派生形
  • 分配ぶんぱい[0]市場で最初に決まる配分を一次分配と呼ぶ。「再」が付くことで二度目だと分かる一度目があることを前提にしている点が重要で、市場を否定していない
  • 累進るいしん[0]2-5 の 08 で立てる語。所得が増えるほど税率が上がる仕組み。再分配の主要な手段であり、「同じ率で取る」ことが公平だという直感に正面から反するところにこの制度の理屈がある。
  • 逆進ぎゃくしん[0]累進の反対所得の低い者ほど負担率が高くなる。消費税がその例で、税率は同じでも所得に占める割合が低所得層ほど高い同じ扱いが不平等を生むという仕組みを見る目が要る。
コロケーション
  • 所得の再分配最も具体的な形累進課税と社会保障。この組み合わせが要点なのは、取ることと配ることが別々の制度だからだ。高く取っても配らなければ再分配ではないし、配っても取り方が逆進的なら効果は相殺される。2-5 の 08 の累進と一対で読みたい。
  • 再分配と成長対立させられる対「まず成長、分配はそのあと」という語り口。この順序には検証の余地がある格差が大きいほど成長が鈍るという議論も有力になった。対立とされてきた二つが実は同じ方向を向いているかもしれない、という論点である。
  • 再分配への抵抗心理の側の語自分が受け取る側でないと思う人ほど再分配に反対する。ここで効いてくるのが1-7 の 160 の自己責任だ。成功は自分の努力、失敗は本人の落ち度という物語が再分配の道徳的な根拠を掘り崩す制度の議論の前に物語の争いがある
  • 普遍主義と選別主義設計の分かれ目全員に配るか、必要な人にだけ配るか。効率だけを見れば選別主義だが、選別には審査と「受給者」という烙印が伴う普遍主義は無駄が出るかわりに恥を生まない効率と尊厳が交換関係にあるというこの構造が、福祉論の核心である。

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 分配分けてくばる一度目の配分。市場が行う。再分配は国家がそれを補正する。
  • 社会保障生活の保障を制度で行う仕組みの名。再分配はその働きを言う。
  • 平等差がないこと状態。再分配はそこへ近づける手段。
  • 自由競争市場に委ねる対立する原理。新自由主義はこちらを優先し、再分配を縮小する。

ENredistribution
ZH再分配(再分配, zàifēnpèi)

06概念

親密圏しんみつけん

しんみつけん[0]平板型

語構成
したしいこまやかかこい・範囲
使用の境界

家族や友人など、顔の見える近しい関係の範囲。私的であることと、選び取れることを含む。

用法

公共圏との対でのみ意味をもつ語である。現代では公共圏への関心が薄れ、関心が親密圏に集中している、という診断が定型になっている。要点は、これが単なる内向きではないとされる点で、家族の形が多様化した現代では、親密圏そのものが選び取られるものになった。だから親密圏の充実が公共圏の再建につながる可能性も論じられる。読解では、親密圏が肯定的に語られているか、逃避先として批判されているかを見る。

用例
  • 家庭は、外の世界の厳しさから逃れる場所であるとともに、外の世界の秩序が最も濃く流れ込む場所でもある。ジョン・スチュアート・ミル『女性の隷従』第二章(1869)の主旨による/訳は本教材
    親密圏の二重性を早くから指摘した一節である。(1-7 の 157 で同じ書の第一章を引いた。)家庭は避難所とされる。同時に法の届かない場所でもある。ミルが問題にしたのはそこだ — 公の場で禁じられている支配が、家庭のなかでは合法に行われている私的な領域は介入されないかわりに救われもしないという1-7 の 156 で見た構造が、ここに出ている。親密圏という語が公共圏の単なる裏側ではないのはこのためだ。守るべき場所であると同時に、踏み込むべき場所でもある — この二重性を一語で抱えられるかどうかがこの語の値打ちになる。
  • 春はあけぼの。……冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるもいとつきづきし。清少納言『枕草子』第一段(1000頃)
    親密圏でだけ成立する価値の記述である。(1-1 で同じ段の別の部分を引いた。あちらは「をかし」の認識の型、ここでは場所の性質を見ている。)注目したいのは「つきづきし」(似つかわしい)という評価の語だ。正しいでも美しいでもないその場に似合っているという評価である。これは公共の場では通用しない物差しだ。誰にでも説明できる基準ではなく、その場を共有している者だけに分かる。親密圏の特質はここにある — 普遍的な理由を要求されない公共圏が理由を求める場なら、親密圏は理由なしで受け入れられる場である。
  • 親密圏は、理由を説明しなくても受け入れられる場である。だからこそ、不当な扱いも説明されないまま続きうる。 両面を一文に収める型である。説明が要らないことが安らぎの根拠であり、同時に不正の温床でもある。2-5 の 11 の温床という語が、ここでそのまま当てはまる。
  • ×職場の雰囲気がよく、親密圏のようだ。 「アットホーム」「家庭的」である。評論語の親密圏は家族・友人など、互いの具体的な生に関心を寄せ合う関係の領域を指す社会学の術語で、雰囲気の形容ではない。なお職場を親密圏として語ること自体が、公私の線を曖昧にする操作として批判の対象になりうる。
派生形
  • 親密しんみつ[0]距離の近さを言う語。「圏」を付けてはじめて領域の名になる親密な関係は個々の間柄だが、親密圏そうした関係の広がり全体を指す。
  • 私的領域してきりょういき[0]近いが同じではない。私的領域は公に対する私で、一人でいる場面も含む。親密圏は必ず他者との関係を含んでいる。孤独は私的領域にはあるが親密圏にはない
  • ケア[1]親密圏の中身にあたる語具体的な誰かの生を支える働き取り替えが利かない点で2-3 の 08 の代替と正面から対立し、だからこそ市場に載せにくい。現代の福祉論の中心にある語である。
コロケーション
  • 公共圏と親密圏対で立てる語公共圏が誰にでも通じる理由で動くのに対し、親密圏は具体的な誰かへの関心で動く。重要なのは、どちらか一方では足りないことだ。公共圏だけなら誰も個人として扱われない。親密圏だけなら身内以外は存在しない
  • 親密圏の縮小現代の診断家族が小さくなり、地域の関係が薄くなること。この語が要るのは、1-6 の 124 の共同体の解体と区別するためだ。共同体は選べない結びつき、親密圏は選べる結びつき選べるようになったぶん、選ばれなかった人が孤立する
  • 親密圏の政治性境界を問う語1-7 の 156 で見た「個人的なことは政治的である」がここに効く。誰が家事をし、誰が決め、誰が我慢するか — すべて権力の配置だ。親密であることは対等であることを意味しない
  • 新しい親密圏設計を試みる語血縁でも地縁でもない選ばれた関係。共同生活、支え合いの輪、当事者の集まり。この語が現代的なのは、失われたものを取り戻すのではなく作り直すという構えだからだ。懐古ではなく設計である点で、1-6 の 139 のアナキズムの自主管理と同じ系譜にある。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 公共圏見知らぬ他者にも開かれた場対語。この二つの対が現代社会論の枠組みになる。
  • 共同体生活と価値を共有する集団生まれながらに属する。親密圏は選び取ることができる。
  • 世間顔の見える範囲の圏☑79。評価のまなざしを含む。親密圏は情緒的なつながりに重心がある。
  • 私的領域個人に属する範囲法的・制度的な区分。親密圏は関係の質を言う。

ENintimate sphere
ZH亲密圈(親密圏, qīnmìquān)

07概念

コモンズ

コモンズ[1]頭高型

使用の境界

みんなで共同管理する資源。誰のものでもない無主物ではなく、誰かが管理している点が要点。

用法

「コモンズの悲劇」という定型句で知られる。各人が私利を追えば共有資源は枯渇する、という議論である。しかしこの主題は逆の方向を向いており、共同で管理すれば守れるという可能性のほうを述べている。地球環境を一種の共有財産として捉え、個人の私利私欲に任せずに管理しようという発想である。オストロムの研究が背景にあり、私有か国有かという二択を超える第三の道として注目されている。☑149 エコロジーと接続する。

用例
  • 大地は、万人の共有の宝である。……我々は、イングランドを再び万人のための共有の宝庫とせねばならない。ジェラード・ウィンスタンリー『新正義の法』(1649)/訳は本教材
    コモンズを囲い込みの当時に守ろうとした側の言葉である。ウィンスタンリーは掘る人(ディガーズ)と呼ばれた運動の中心にいた。荒れ地を耕し、誰の許可も得ずに共有地として使うという実力行使である。注目したいのは「再び」という語だ。新しい制度を要求しているのではないもとに戻せと言っている。1-6 の 122 で見たルソーの「囲い」より百年早く、現に囲われつつある土地の上で書かれた文章だ。私的所有の成立は静かな移行ではなく、同時代人が抵抗した出来事だった — この事実がコモンズという語の重みを決めている。
  • 入会の山野は、村中の者が定めに従ひて薪を採り草を刈る。……定めを破る者は、村の掟によりてこれを咎む。近世の村方文書に見える入会の慣行の主旨による
    コモンズが無秩序ではないことを示す記述である。共有地は誰でも好きなだけ使える場所ではなかったいつ、誰が、どれだけを細かく定め、破れば村が罰した。これは「共有地の悲劇」という有名な議論への事実による反論になっている。あの議論は誰も管理していない共有地を想定していたが、歴史上の入会地はほぼ例外なく管理されていた私有か国有かという二択の外に、第三の管理の形が実在した — 1-6 の 139 のアナキズムの自主管理が空想ではないと言えるのは、この種の記録があるからだ。
  • コモンズは、誰のものでもない場所ではなく、使う者たちが共同で管理する場所である。 最も多い誤解を潰す型である。「みんなのもの」を「誰のものでもない」と読み替えた瞬間に、荒廃の物語が始まる共有と無主は違う — この一点を押さえるだけで、議論の質が変わる。
  • ×駅前の広場は市民のコモンズだから自由に使える。 「自由に使える」が誤りである。コモンズは共同の管理と取り決めを伴うルールが無いならそれはコモンズではなく無主物だ。なお現代では知識・データ・自然環境にもこの語を広げて使うが、管理の仕組みがあるかという問いはどの領域でも同じである。
派生形
  • 入会いりあい[0]日本語での対応語村の共同利用の権利を指し、いまも民法に入会権として残っている「にゅうかい」ではない。近代法が私有と国有で割り切ろうとして割り切れなかった痕跡である。
  • 共有きょうゆう[0]法律用語では意味が狭い複数人が持分をもって所有する形で、持分は売れる。コモンズは持分に分けられない点でこれとは違う。分けられるかどうかが決定的な差になる。
  • 公共財こうきょうざい[3]経済学の語誰も排除できず、使っても減らない財(灯台・国防)。コモンズは排除できないが使えば減る点で公共財とは別の類型である。この二軸で分けると議論が精密になる
コロケーション
  • 共有地の悲劇有名な反論各人が自分の利益を追えば共有地は必ず荒廃するという議論。この議論の弱点は前提にある — 誰も話し合わないと仮定しているのだ。実際の共有地では使う者どうしが取り決めを作るモデルの前提を確かめるという読解の作法が、ここで直接役に立つ。
  • コモンズの囲い込み歴史と現在をつなぐ語共有地が私有に切り分けられること。この語が現代でも生きているのは、同じ操作が知識や遺伝子に及んでいるからだ。誰のものでもなかったものに線を引いて所有者を作る — 1-6 の 122 のルソーの一節がいまも現在形で読める
  • 知のコモンズ現代への拡張学術論文、辞典、地図、公開されたソフトウェア。この領域が特別なのは、使っても減らないことだ。1-7 の 143 で見たとおり、情報は分けても減らない悲劇が原理的に起きない共有地であり、囲い込む理由は希少性ではなく利益にしかない
  • コモンズの再生設計の語失われた共有を作り直す試み。注意したいのは、昔に戻すのではないことだ。村の入会地は抜けられない共同体の上に成り立っていた。選べる関係の上に同じ管理を築けるかというのが現代の課題で、06 の新しい親密圏と同じ問いを共有している。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 公共財誰もが使える財経済学の語。排除できない性質を言う。コモンズは管理の仕組みを含む。
  • 共有共同で持つ所有の形。コモンズはそこに管理のルールが伴う。
  • 私有個人が持つ対概念。☑128 資本主義の要件。
  • 入会地村が共同利用する山林日本の伝統的なコモンズ。実例として挙げられる。

ENthe commons
ZH公共资源(共有資源, gōnggòng zīyuán)

08概念

連帯れんたい

れんたい[0]平板型

語構成
つらなるおび・おびる
使用の境界

複数の者が共同で責任を負い、結びつくこと。仲がよいことや共感することとは違う。

用法

入試設問の急所がここにある。連帯とは複数の者が共同で責任を取ることであり、だからこそ「弱肉強食の論理で連帯する」は言語矛盾になる。弱肉強食は強い者が弱い者を退ける原理で、責任を共有する余地がないからである。自己責任論の語彙しか持たない者は、批判を語ろうとしても自らを武装解除してしまう。この論理が読み取れるかどうかが設問そのものになっている。「連帯責任」は法律用語で、意味の中心が明瞭に出ている。

用例
  • 分業が進むほど、人はたがいに異なっていく。そしてまさにそのゆえに、たがいを必要とするようになる。……これが有機的連帯である。エミール・デュルケーム『社会分業論』(1893)/訳は本教材
    連帯が同質性からではなく差異から生まれると言い切った一節である。(1-7 の 151 でこの著者の別の書を引いた。)常識では似た者どうしが結びつく。デュルケームはそれを機械的連帯と呼び、古い形だとした。近代では逆になる — 医者は農夫を、農夫は医者を必要とする違うからこそ離れられない。この見立ての力は、多様性と連帯が対立しないと示せることにある。1-7 の 150 の多様性がばらばらになることだと感じられがちなのに対し、分業の網はむしろ結びつきを強める。ただし条件がある — 網の目が見えていることだ。
  • 万国の労働者よ、団結せよ。……プロレタリアは、失うべきものは鉄鎖のほか何もない。彼らが獲得すべきものは全世界である。カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党宣言』(1848)/訳は本教材
    連帯を呼びかけの形で実演した末尾である。(1-6 の 129 と 1-7 の 148 で同じ文書の別の箇所を引いた。ここでは結びの一段を見る。)注目したいのは「失うべきものは鉄鎖のほか何もない」という一句だ。連帯の条件を言っているのである — 失うものが多い者ほど連帯しにくい。守るべき地位や財産がある者はそこから離れられない。この論理を裏返すと不穏な帰結が出る — 連帯を成り立たせるには、人が失うものを持たないほうがよいのか。1-6 の 138 の全体主義が中間集団を破壊したのは、同じ理屈の悪用だったとも読める。
  • 連帯は、同じ立場の者が集まることではなく、立場の違う者がたがいの必要を認めることである。 この語の現代的な使い方である。同質な集団の結束は連帯というより排除の裏面になりやすい。1-7 の 155 のマイノリティーとの連帯が難しいのは、当事者でない者がどう関われるかという問いを含むからだ。
  • ×クラス全員で連帯して掃除をした。 「協力」「一緒に」である。連帯は利害や立場を異にする者が、共通の課題のために結びつくという政治的な語で、共同作業の名ではない。なお「連帯保証」は法律用語で、全員が全額の責任を負うというまったく別の意味である。
派生形
  • 連帯感れんたいかん[3]感情の側の語制度としての連帯とは別に扱うのが安全である。連帯感が無くても連帯の制度は成り立ちうるし、連帯感だけあっても何も支えない
  • 団結だんけつ[0]力を合わせること。同じ立場の者どうしが前提になりやすい。連帯が違う立場をまたぐのに対し、団結は内側を固める『共産党宣言』の末尾が「団結せよ」なのは、労働者という一つの立場を想定しているからである。
  • 連携れんけい[0]実務の語組織どうしが手を組むこと。価値の共有を含意しないぶん軽く、行政や企業の文書で多用される連帯を連携と言い換えると政治性が抜ける
コロケーション
  • 社会連帯制度としての語社会保障を支える考え方。自分がいつ弱い側になるか分からないから皆で支える、という論理である。この語の強みは、同情に頼らないことにある。助け合いではなく保険として説明できるため、1-7 の 160 の自己責任論とも正面から議論できる
  • 連帯の困難現代の診断格差が広がるほど連帯しにくくなるという逆説。本来なら格差が広がるほど結びつく理由が増えるはずだ。ところが実際には互いの生活が見えなくなるデュルケームの網の目が長すぎてたどれなくなった状態と言える。
  • 連帯を呼びかける行為としての語呼びかけによってしか始まらないというこの語の性質を示す形。連帯は自然には生じない誰かが「これはあなたの問題でもある」と言わなければ始まらない。2-3 の 07 の公共性が議論の場を要求するのは、この呼びかけが届く場所が要るからだ。
  • 連帯と同情書き分けたい対同情は上から下へ向かう。連帯は横へ向かう。この差が実際に効くのは、関係が終わるかどうかだ。同情は助けたら終わるが、連帯は続く関係を前提にしている。語を選び間違えると、善意が相手を受け手の位置に固定してしまう

書き言葉・会話の両方で使える。

類語と差
  • 団結力を合わせてまとまる行動の側。連帯は責任を共有することに重心がある。
  • 共感相手の気持ちが分かる感情。連帯は責任という行為の次元にある。
  • 協力力を合わせて事に当たる一時的でもよい。連帯は継続的な結びつきを含む。
  • 切れないつながり情緒的。連帯は社会的・政治的な結びつきを言う。

ENsolidarity
ZH团结(団結, tuánjié)

日中のズレ

中国語の 连带(liándài)は「連帯責任」の連帯にほぼ限られ、法律用語である。

日本語の「労働者の連帯」のような結束の意团结(tuánjié) を用いる。

09読解

為政者いせいしゃ

いせいしゃ[2]中高型

語構成
なす・おこなうまつりごとひと

読みは「いせいしゃ」。「為」を「い」と読む熟語は作為・行為・無為など。

使用の境界

政治を行う立場にある人。制度を設け秩序を与える側を指し、政治家一般より重い。

用法

読みが問われる語で、「いせいしゃ」である。「ためせいしゃ」ではない。「為」を「い」と読む熟語には「為政」「作為」「行為」「無為」があり、まとめて押さえる。評論文では、政治を行う側と行われる側を分けて論じる箇所に現れる。本文の「為政者は、人々の自由・平等、人権に関する政治的態度を示すイデオロギーを主張する」は、制度を納得させるための語りが必要になるという構図を述べており、☑20 イデオロギーと直結する。

用例
  • 君は舟なり、庶人は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆す。『荀子』王制篇
    為政者の位置を一つの比喩で定めた一節である。(1-1 と 1-5 で同じ書の別の篇を引いた。)比喩の巧みさは同じ水が二つの働きをする点にある。浮かべるものと沈めるものが同一だ。だから為政者は民を味方につけるか敵に回すかを選べないすでにその上に乗っている。注目したいのは、これが民主政の思想ではないことだ。君と庶人ははっきり区別されている。それでも権力の根拠が下にあると言い切っている。統治される側に正統性の源を置くというこの構図は、1-6 の 127 の民主主義より二千年早い
  • 政をなすに徳を以てすれば、譬へば北辰の其の所に居て衆星のこれに共(むか)ふがごとし。『論語』為政篇
    為政者の理想を天文の比喩で述べた一句である。(1-1 で同じ篇の別の箇所を引いた。)北辰(北極星)は動かない。それなのにすべての星がその周りを回る。ここで言われているのは統治とは動かすことではないという逆説だ。為政者が動き回って命令を出すのではなく、定まった位置にあり続けることで秩序が生じる。1-7 の 145 のシステムという語で言えば、為政者は中心点であって動力ではない。ただしこの理想には難点もある — 動かない者をどうやって取り替えるのか。03 で見た政体の議論は、まさにここから始まる。
  • 為政者の言葉は、事実の報告としてではなく、効果を狙った行為として読む必要がある。 読解の構えである。為政者の発言は述べると同時に動かそうとしている10 の言説という語が扱うのはまさにこの層だ。何を言ったかだけでなく、言うことで何が起きるかまで読む。
  • ×町内会の為政者に相談してみよう。 語が重すぎる「役員」「責任者」である。為政者は国や地域の政治を執り行う者を指す硬い漢語で、ある程度以上の公権力を伴う場面で使う。なお「いせいしゃ」と読む — 「ためせいしゃ」ではない
派生形
  • 為政いせい[0]政(まつりごと)を為す『論語』の篇名としても知られる。「政治」より行為の側に寄った語で、誰かが実際に行っているという含みが強い。
  • 施政しせい[0]政を施す。「施政方針演説」の形で残る。為政が担い手を指す語(為政者)になったのに対し、施政は行為を指す語のままである。同じ構造の熟語が別の道を歩んだ例。
  • 統治とうち[1]近代の語彙制度として治めることを指し、人格の色が薄い。為政者が誰かの顔を思わせるのに対し、統治は仕組みを思わせる。1-7 の 145 のシステムという語と相性がよい
コロケーション
  • 為政者の責任問いを立てる形結果に対してどこまで負うかという問い。1-7 の 160 で見た責任の三つの層がここで効く。為政者は自分が引き起こしていない事態にも役割責任を負う因果的責任が無くても辞めることがあるのは、この層が働くからだ。
  • 為政者の視点位置を指す語統治する側から見た景色。この語が評論文で出るときは批判の合図であることが多い — 「治めやすさ」で物事を測っているという指摘だ。教育も、都市計画も、誰の視点で設計されているかで中身が変わる。
  • 為政者と民古典的な対上下がはっきりした対である。現代の語彙なら「政府と市民」だが、この語を選ぶと古い構図が一緒に入ってくる語彙が関係の形を運んでくる — 2-3 の 07 で見た「公」の語感のねじれと同じ問題である。
  • 賢明な為政者理想として語る形個人の資質に期待するという構え。これが危ういのは、賢明でない者が就いたときの備えが無いからだ。02 で見たマディソンの設計は正反対の発想だった — 誰が就いても大きく壊れない仕組みを作る

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 政治家政治に携わる人職業の名。為政者は権力を行使する立場という位置を言う。
  • 権力者権力を握っている人力の側。為政者は統治する役割の側。
  • 支配者人々を従わせる者一方的。為政者は制度を通じて統治する含みがある。
  • 統治者国や地域を治める者ほぼ同義。為政者のほうが文章語として古風。

ENruler / those in power
ZH为政者(為政者, wéizhèngzhě)

10読解

言説げんせつ

げんせつ[0]平板型

語構成
ことばとく・のべる
使用の境界

社会のなかで語られ流通している言葉のまとまり。個人の発言ではなく、共有されている語り方を指す。

用法

フーコー以降の術語で、「ディスクール」の訳語である。要点は、言説が個人の発言ではなく社会に流通している語り方を指すことにある。だから「誰が言ったか」ではなく「どのように語られているか」を問題にする。入試文の「『負け組』叩きの言説が噴出した」は、特定の誰かの発言ではなく、社会全体に広がった語り方を指している。この語が出たら、書き手は語り方そのものを分析の対象にしていると読む。

用例
  • 名正しからざれば、則ち言順はず。言順はざれば、則ち事成らず。『論語』子路篇
    言葉の配置が現実を動かすという発想の古い形である。(1-3 で同じ箇所を正名の観点から引いた。ここでは言説という語の側から読み直す。)孔子の論法は因果の連鎖だ — 名が正しくなければ言が通らず、言が通らなければ事が成らない。言葉の乱れが実務の失敗になるまで一直線につながっている。言説という現代の術語が扱うのも同じ構造だが、向きが逆である点に注意したい。孔子は正しい名を取り戻せと言う。現代の言説分析は「正しい名」もまた誰かが決めたものだと疑う。同じ洞察から正反対の処方が出る
  • 政治的な言葉は、嘘を真実らしく、殺人を尊敬すべきものに見せるために作られている。……そして、純粋な風に固さの外見を与えるために。ジョージ・オーウェル「政治と英語」(1946)/訳は本教材
    言説が何をするかを具体例で示した一節である。(1-6 の 138 でこの著者の小説を引いた。)オーウェルが挙げる例はすべて言い換えだ — 村を焼くことを「平定」と呼び、追放を「人口の移送」と呼ぶ。注目したいのは最後の一句である。「純粋な風に固さの外見を与える」中身の無い文章を中身があるように見せるということだ。難解な語を並べ、受動態で書き、主語を消す。これは嘘をつくより広く行われている。2-1 の 09 で見た受動態が責任の所在をぼかすという指摘は、このエッセイから来ている。
  • 同じ事実でも、どの言説の枠に置かれるかで、見え方も取りうる対策も変わる。 この語の使いどころである。貧困を「福祉」の枠で語るか「就労支援」の枠で語るかで、同じ人が保護の対象にも訓練の対象にもなる枠の選択が政策の中身を先に決めてしまう
  • ×彼の言説は説得力があった。 「発言」「主張」である。言説は個々の発言ではなく、ある時代・領域で何が語れて何が語れないかを定めている語りの体系を指す。一人の言葉にはふつう使わない「〜をめぐる言説」のように、主題を伴う形で現れるのが普通である。
派生形
  • ディスクール[4]原語のままの形。フランス語 discours。「言説」という訳語が定着する前はこちらが使われたもとは「談話・演説」という普通の語であることを知っておくと、術語としての重みが相対化できる。
  • 言表げんぴょう[0]より小さな単位実際に語られた一つ一つの文を指す。言表が集まって言説になるのではなく、言説がどの言表を可能にするかを決めているという順序で考えるのがこの理論の要点である。
  • 語りかたり[0]和語での言い換えやわらかく、個人の声を含みうる。「当事者の語り」のように使う。言説が匿名の体系を指すのに対し、語りは誰かの口から出るこの差を意識して選び分けたい
コロケーション
  • 言説空間広がりを指す語ある事柄について語られていることの総体。この語が要るのは、個々の発言をいくら集めても見えないものがあるからだ。何が語られていないかは、空間として捉えないと見えない。沈黙もまた言説の一部である。
  • 支配的言説力を含む語その時代に当たり前とされている語り方。「支配的」と付くのは、他の語り方を押しのけているからだ。注意したいのは、誰かが押しつけているとは限らないことである。1-7 の 151 の構造主義が言うとおり、命令者がいなくても配置は働く
  • 言説を組み替える介入の語同じ事実を別の枠で語り直すこと。この作業が政治的な行為であるのは、枠が変われば取りうる手段が変わるからだ。「障害」を個人の欠損と語るか社会の側の障壁と語るかで、直すべき対象が入れ替わる
  • 言説と実践対で使う語語ることと実際に行うこと。この対を立てる意味は、言説が実践を導き、実践が言説を裏づけるという循環を見るためだ。どちらが先かを決められないところにこの語の難しさがあり、1-7 の 146 の装置という語が両方をまとめて指すのはそのためである。
硬・学術

論文・評論でのみ使う。会話では不自然。

類語と差
  • 発言口に出して言うこと個人の行為。言説は社会に流通しているまとまり。
  • 議論論じ合うことやりとり。言説は語られ方そのもの。
  • イデオロギー行動を根底で制限する信念☑20。信念の体系。言説は語りの様式に重心がある。
  • ディスクール言説フーコーの語の音訳。誰が語りうるかという権力の問題を含む。

ENdiscourse
ZH话语(言説・ディスクール, huàyǔ)

日中のズレ

中国語の 言说(yánshuō)は「述べる」という動詞で、術語としては使わない。

フーコー的な「言説」は 话语(huàyǔ)、言説分析は 话语分析 となる。

11読解

依拠いきょ

いきょ[1]頭高型

語構成
よる・たよるよりどころ

「依」も「拠」も〈よりどころとする〉を表す。同義の重ね語である。

使用の境界

あるものをよりどころとして立てること。参考にすることではなく、それに支えられていることを含む。

用法

二字がともに〈よりどころとする〉を表す同義の重ね語である。学術文で「先行研究に依拠する」「統計に依拠した議論」の形で使う。入試文の「そうした言葉に依拠することは、同時に自らを武装解除してしまうことでもあった」は、批判のために借りた語彙が、批判の力を奪うという逆説を述べている。依拠する対象がその人の立場を決めてしまう、という構図がここにある。読みが問われることもある。

用例
  • 我々は巨人の肩の上に乗る小人のようなものである。……彼らより遠くを見ることができるのは、我々の視力が優れているからでも背が高いからでもなく、彼らの巨大さによって高く持ち上げられているからだ。シャルトルのベルナール ─ ソールズベリのジョン『メタロギコン』(1159)による/訳は本教材
    依拠という関係を最も美しく述べた一節である。注目したいのは二重の否定だ。視力でもなく、背でもない — 自分の能力を二度否定してから理由を述べる。この慎重さが依拠という語の作法を示している。先人に依拠していることを認めないと、自分の見晴らしを自分の手柄にしてしまう。そしてもう一つ — 「遠くを見ることができる」ことは認めている。謙遜ではないのだ。実際に遠くが見えており、その理由が自分の外にあると正確に述べているだけである。1-7 の 152 のアカデミズムが出典を必ず示すのは、この作法の制度化にほかならない。
  • 法によりて人によらざれ。義によりて語によらざれ。智によりて識によらざれ。了義経によりて不了義経によらざれ。『大般涅槃経』四依(依るべき四つのもの)
    何に依拠すべきかを四つ並べた一節である。構造はすべて同じ形だ — Aによって、Bによるな。注目したいのは一つ目である。「人によるな」 — 誰が言ったかではなく何を言ったかで判断せよ、と。権威への依拠を最初に禁じているのだ。二つ目も鋭い — 言葉そのものではなく意味に依れ字面に留まるなというこの指示は、04 の原理主義への千数百年前の反論になっている。依拠は避けられないだからこそ何に依拠するかを選ばねばならない — この一節が言っているのはそういうことである。
  • 筆者の主張は、一九世紀の統計に依拠している。その統計の取り方を疑えば、主張全体が揺らぐ。 読解でこの語が働く場面である。何に依拠しているかを特定できれば、そこを突けばよい論の急所はたいてい前提の側にある — 2-3 の 09 の通底と一対で使える読み方だ。
  • ×駅に近い物件に依拠して住まいを決めた。 「重視して」「基準にして」である。依拠は論や制度がよりどころとすることを言う硬い語で、日常の判断には使いにくい「〜に依拠する」の形で、目的語には理論・資料・法・前提が来る。抽象的なよりどころに限られると覚えておくとよい。
派生形
  • 依存いぞん[0]紛らわしい語。依存はそれが無いと成り立たないという状態を言い、否定的な色が付きやすい(依存症)。依拠は論のよりどころ中立である。「いそん」とも読む
  • 準拠じゅんきょ[1]基準として従うこと。「準拠集団」「規格に準拠する」。依拠が土台にするのに対し、準拠は合わせる支えられているか、揃えているかという差である。
  • 根拠こんきょ[0]最も一般的な語主張を支える理由。依拠が動詞的(〜に依拠する)なのに対し、根拠は名詞として立つ「根拠に依拠する」とは言えるが重言に近く、使い分けたい
コロケーション
  • 〜に依拠する基本の形助詞は「に」。目的語にはその論を支えている外部のものが来る。この語が読解で重要なのは、依拠先が書かれていない論があるからだ。何にも依拠していない論は存在しない以上、書かれていないなら隠れている
  • 依拠する枠組み見えにくい前提理論・立場・世界観。この結びつきが要るのは、資料への依拠は見えるが枠組みへの依拠は見えないからだ。同じ資料でも別の枠組みなら別の結論が出る — 1-2 のパラダイムが扱っていたのはこの層である。
  • 依拠なき断定批判の語よりどころを示さずに言い切ること。この批判が有効なのは、示せば検証できるからだ。間違っていることより、検証させないことのほうが重い問題である — 1-7 の 152 で見たとおり、学問は乗り越えられるために手の内を明かす
  • 相互依拠循環を指す語二つの主張がたがいを根拠にしている状態。循環論法である。外から見ればすぐ分かるのに、内側にいると見えないのが厄介なところだ。2-3 の 12 の固執と同じく、他者の目でしか検出できない

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 依存頼って成り立つ支えられている状態。依拠は論や主張が何を根拠にするかを言う。
  • 準拠定められた基準に従う基準がすでにある。依拠は自分でよりどころを選ぶ。
  • 基づく土台とする一般語。依拠は硬い文章語で、学術文に使う。
  • 参照照らし合わせて見る参考にするだけ。依拠は支えられている点が違う。

ENto rely on / to be based on
ZH依据(よりどころとする, yījù)

日中のズレ

中国語では 依据(yījù) または 根据 を使う。依拠 という語形はほとんど用いない。

「〜に依拠する」は 依据〜/以〜为依据 と言い換える。

12読解

淘汰とうた

とうた[1]頭高型

語構成
よなげる・より分けるより分ける

「淘」も「汰」も〈水で洗ってより分ける〉を表す。読み書きともに問われる。

使用の境界

不要なものや適さないものが取り除かれ、残るものが選び分けられること。単に減ることではない。

用法

二字がともに〈水で洗ってより分ける〉を表す。生物学の「自然淘汰」から、経済の「市場での淘汰」へ転用された。ヒント①が示すように、市場原理主義は市場の自由な競争に任せると淘汰により良質なものが残ると考える。要点は、この語を使うと取り除かれる側の責任が問われなくなることにある。自然の摂理のように語られるためである。だからこそ自己責任論と結びつきやすい。読み書きともに問われる。

用例
  • 私はこの有利な変異が保存され不利な変異が捨て去られる原理を、自然選択、すなわち最適者生存と呼ぶ。チャールズ・ダーウィン『種の起源』第四章(1859)/訳は本教材
    淘汰という語の出どころである。(1-7 の 150 で同じ書の結語を引いた。)注意深く読むと、ダーウィンは価値判断をしていない。「有利」「不利」はその環境におけるという限定つきで、優れている・劣っているとは書いていない。環境が変われば有利と不利は入れ替わる。ところが「最適者生存」というスペンサー由来の言い換えが広まると、生き残った者が最適だったという循環した読みが生まれた。これは同語反復である何が最適かは生き残ったことでしか測れない。この循環が社会に持ち込まれると恐ろしい道具になる
  • 天は人の上に人を造らず、と云へり。……されども、賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり。福沢諭吉『学問のすゝめ』初編(1872)
    淘汰の論理が日本で受け入れられた道筋を示す一節である。(1-1 と 1-6 で同じ書の別の箇所を引いた。)福沢の意図は身分制の否定だった。生まれで決まらないと言うために努力で決まると書いた。ところがこの言い方は結果の差を正当化する論理にもなる。差があるのは学ばなかったからだ、と。解放の言葉がそのまま選別の言葉になる。1-7 の 160 の自己責任がここに根を持つことは、押さえておく値打ちがある。同じ一文が、身分制の下では解放を、競争社会の下では切り捨てを意味しうる言葉の効果は置かれた社会で決まる
  • 市場での淘汰を自然の法則のように語るとき、そのルールを誰が作ったかが見えなくなる。 この語を警戒して読む型である。「自然」という語が効いている — 自然なら仕方ない。ところが市場のルールは法と制度で作られている。1-4 の 87 で見た「である」から「べきである」への飛躍が、ここで最も広く行われている。
  • ×古い機種は淘汰されてなくなった。 誤りではないが含みに注意。この用法だと消えたのは劣っていたからという評価が自動的に付く。実際には規格の政治や販売網で決まることも多い。「市場から姿を消した」と書けば評価を入れずに済む。淘汰という語は選ぶだけで一つの説明を連れてくる
派生形
  • 淘汰するとうたする[1]他動詞誰が淘汰するのかが問題になる。「市場が淘汰する」と書けば市場が主語になり、制度を作った者が文から消える — 2-1 の 09 で見た受動態の問題と同じ構造。
  • 選別せんべつ[0]人の手によることがはっきりしている語。淘汰が自然に起きるように響くのに対し、選別は誰かが基準を持って分けている同じ事態をどちらの語で書くかで、責任の所在が現れたり消えたりする
  • 適者生存てきしゃせいぞん[5]スペンサーの造語。ダーウィン自身は第五版からこの語を採り入れたが、もとは彼の語ではない誰の語かを確かめるだけで、科学とそこに付け加えられたイデオロギーを切り分けられる
コロケーション
  • 自然淘汰生物学の術語「自然選択」とも訳す。訳語の差が大きい — 「淘汰」はふるい落とすという像を持つが、「選択」は中立である。原語 selection に「落とす」の意は無い訳語が概念に残酷さを付け足した例である。
  • 社会的淘汰転用された形生物学の語を社会に持ち込んだもの。この転用が十九世紀末に広まり、植民地支配と優生思想を正当化した科学の権威を借りて価値判断を事実に見せるというこの手口は、形を変えていまも現れる
  • 淘汰圧条件を指す語何を残し何を落とすかを決める環境の側の条件。この語が有用なのは、視線を落とされた側から条件の側へ移せるからだ。「なぜ消えたか」ではなく「何が消させたか」を問える。1-7 の 145 のシステムの論理と同じ手つきである。
  • 淘汰されない否定形での使用生き残った側を指す。この言い方には能力の含みが入り込みやすい運も、最初の位置も、無視される。1-7 の 159 で見た自己決定の条件と同じで、出発点の差を数えないかぎり結果の差は説明できない

書き言葉。会話では不自然。

類語と差
  • 選別より分けて選ぶ選ぶ主体がいる。淘汰は結果として残るという含みが強い。
  • 排除外へ出す意図がある。淘汰は仕組みが働いた結果を言う。
  • 競争勝ち負けを争う過程。淘汰はその結果。
  • 自然淘汰環境に適したものが残るダーウィン。生物学の語。市場の議論に転用されている。

ENselection / weeding out
ZH淘汰(淘汰, táotài)

格による分布硬・学術、硬、中の三段階に本節の語を振り分けた図。 硬・学術 4 新自由主義 親密圏 コモンズ 言説 5 衆愚政治 再分配 為政者 依拠 淘汰 3 ポピュリズム 原理主義 連帯 語は意味ではなく格で選ぶ
格による分布
入試にチャレンジ

弱肉強食の論理で、連帯できるか

弱肉強食の論理で連帯できるか連帯が責任の共有を要件とするのに対し、弱肉強食の論理は責任の共有を許さないため、両立しないことを示した図。 連帯 共同で責任を取る 弱肉強食の論理 強い者が弱い者を退ける 両立しない 批判しようとして、批判できなくなる 自己責任論を批判する その語彙しか持たない 自らを武装解除 充分に個人化された無力な個人があるばかりだった。 依拠する言葉が、その人の立場を決めてしまう
連帯と弱肉強食 ── 両立しない二つ
本文

一九九〇年代後半になって、貧困化への不安が広範な人々を捉え始めたとき、「自己責任論」を借用した「負け組」叩きの言説が噴出した。新自由主義という市場万能論――「自己責任」とともに「小さな政府」「民営化」「規制緩和」「グローバル・スタンダード」「自立」といった言葉がそこから派生した。そうした言葉のセットはひとまとめに「改革」と呼ばれた――は、そのためのもっともらしい語彙を提供した。

二〇〇〇年には、金子勝は、世代間格差への不満を語る言葉として、「今のところ、この世代間格差を解消するイデオロギーとして、二十歳代以下の若年世代に提供されているのは市場主義的リベラリズム以外にない」と述べている。確かに、当時の大学生や受験生の論述は、市場原理主義者のそれであった。「自己責任の時代」の決意表明で文章を締めることが、お約束のことでもあった。もちろん、だからといって、彼ら彼女らが、市場原理主義者であったわけではない。批判を語る言葉がそれしかなく、何かをいおうとすればそうならざるを得なかったのである。

だが、金子も述べたように、そうした言葉に依拠することは、同時に自らを武装解除してしまうことでもあった。なぜなら、「弱肉強食の論理で連帯する」というのは、そもそも言語矛盾であり、そこには充分に個人化された無力な個人があるばかりだったのである。

おそらく、当時の大学生や受験生は、世代間競争の「勝ち組」である大人たちの口から出た脅し文句を反復していたに過ぎないだろう。それでも、「自己責任論」に代わるものがないというのは、やはり痛々しいことであった。「自己責任論」の論理は、驚くほど素朴な因果論として構成されている。そこでは、ある人の人生における出来事が、すべて個人に内在する要因で説明されてしまうのである。

出典 西澤晃彦『貧者の領域――誰が排除されているのか』 / 出題 中央大学・文学部

現代政治の四つの潮流政府の役割の大きさを横軸に、四つの政治的潮流を配置した図。 政府と共同体の役割 小さい 大きい 自由至上主義 リバタリアニズム 政府の役割を 最小限に抑える 共同体主義 コミュニタリアニズム 共同体の価値観を 重視する 保守主義 既存の制度・慣習を 重んじる 原理主義 根本の教義へ 立ち返る グローバル化への反動として、右側の三つが力を得た。 軸は一本ではないが、まずこの一本で位置を掴む
現代政治の四つの潮流 ── 一本の軸で位置を掴む
ヒント①

市場原理主義とは、〈市場の自由な競争に任せると、淘汰により良質なものが残る〉という考え方。

ヒント②

連帯とは「複数の者がある行為や結果に共同で責任を取る」の意なので、「弱肉強食」という競争原理の考え方とは矛盾するのである。

傍線部「充分に個人化された無力な個人があるばかりだった」の説明として最も適当なものを一つ選べ。(設問・改)

  • A個々の人間が集団から孤立してしまったために、個人としての能力を充分に発揮することができなかった。
  • B自分たちが孤立していることに気づかないため、他者とのつながりを積極的に持つことができなかった。
  • C強い者が弱い者に勝つという論理をみんなが持ったために、実際には連帯する力を失ってしまった。
  • D一人一人が他者と闘う姿勢を持たなくなったために、独立した個人としての能力を失ってしまった。
正解と解説

正解 ── C

「自己責任論」は新自由主義という市場万能論(≒「弱肉強食を支持する考え」)に依拠する、という筆者の主張を押さえる。

さらに傍線の「個人化された無力な個人」とは、弱肉強食を認めた結果、他者との連帯を行えなくなった人間だと考えるのがよい。

A・Dは「個人としての能力」が、Bは「自分たちが孤立していることに気づかない」がそれぞれ本文にはない内容。

Output

産出

やるなら ── 次のいずれかを一段落で書く。

  • 自己責任という語で語られている事柄を一つ挙げ、その語を使わずに言い直す
  • 身近に共同で管理されているものを一つ挙げ、私有でも国有でもない仕組みを説明する
Blank

新自由主義を批判する言葉のほとんどが、新自由主義の広めた語彙でできているとしたら、その批判はどこに立っていることになるのか。