Part 3 · 01

感情かんじょうの形容詞けいようし

[ 原げん書しょ 第だい3部ぶ ☑161〜172 ]

語ご数すう 12 / 作家さっかコラム 4 / 確認かくにんテスト 1

Part 3

この部ぶの章しょう

  1. 01感情かんじょうの形容詞けいようし161-172
  2. 02慣用かんよう句くと動詞どうし173-184
  3. 03心情しんじょうの漢語かんご185-196
  4. 04漢語かんご・副詞ふくし197-210
Macro — 五十ごじゅう語ごの地図ちず

評ひょう論語ろんごは概念がいねんを、小説しょうせつ語ごは心こころの動うごきを名なづける

小説重要語の四つの層感情を表す形容詞、慣用句、心情を表す漢語、副詞という四つの層に五十語を分けた図。 Ⅰ 感情の形容詞 161-172 しおらしい・いぶかしい・懐かしい あさましい・うとましい・やるせない 語られない心を、語り手が名づける 見る側の視線を含む語が多い Ⅱ 慣用句 173-184 水を差す・腑に落ちない・棹さす 身も蓋もない・気の置けない 語源を知らないと逆に取る 誤用が問われる語が集まる Ⅲ 心情の漢語 185-207 刹那・怪訝・理不尽・屈託・得心 諧謔・鷹揚・姑息・横柄・怯懦 読みが問われる語が集中する 字の意味が語義をそのまま示す Ⅳ 副詞・呼応 208-210 果たして・あながち・からくも 文末まで読んで判断する 反語と二重否定を見落とさない 評論語は概念を、小説語は心の動きを名づける
四よっつの層そう ── 形容詞けいようし・慣用かんよう句く・漢語かんご・副詞ふくし

第だい1部いちぶ・第だい2部ぶの語ごが概念がいねんを名なづけるものだったのに対たいし、この五十ごじゅう語ごは心こころの動うごきを名なづける。だから覚おぼえ方ほうも変かわる。定義ていぎを暗記あんきするのではなく、誰だれの、どんな心こころが、どう動うごいたかという場面ばめんごと押おさえるほうが速はやい。原げん書しょが各かく語ごに作品さくひんの一節いっせつを添そえているのはそのためである。

読解どっかい上じょうの急所きゅうしょは二ふたつある。一ひとつは誤ご用ようで、「気きの置おけない」「棹さおさす」「姑息こそく」のように、広ひろまっている意味いみが本来ほんらいと正反対せいはんたいの語ごがある。もう一ひとつは語源ごげんで、字じと成なり立たちをたどれば意味いみは導みちびける。この二ふたつを先さきに図ずにしておく。

誤用が問われる六語本来の意味と、広まっている誤った意味を並べた六つの語の一覧。 本来の意味 広まっている誤り 気の置けない遠慮がいらない 棹さす流れに乗って勢いを増す 姑息その場しのぎ 片腹痛いそばで見て苦々しい なおざり手をつけず放っておく 身も蓋もない露骨で味わいがない 油断ならない 流れに逆らう 卑怯だ おかしくて腹がよじれる おざなり(一応はやる) 元も子もない(すべて失う) 語源をたどれば、本来の意味のほうが素直に導ける
誤ご用ようが問とわれる六ろく語ご
語源が意味を決める五語語源をたどることで意味が導ける五つの語を示した図。 やるせない腑に落ちない のっぴきならない姑息うろ覚え 思いを遣(や)る瀬がない 腑=はらわた。底まで降りてこない 退(の)き引きがならない 姑=しばらく、息=休む うろ=空洞。中身がすかすか 感情が無いのではなく、行き場がない 理解はしたが納得できない 退くことも引くこともできない 卑怯ではなく、その場しのぎ まったく覚えていないのではない 字と語源をたどれば、意味は覚えるものではなく導けるものになる
語源ごげんが意味いみを決きめる五ご語ご
Movements

主おもな文ぶん芸げい思潮しちょう

近代日本文学の主な思潮浪漫主義から新感覚派まで、近代日本文学の思潮を時間の流れに沿って並べた図。 浪漫主義 感情と個性の解放 ── 森鴎外・北村透谷・島崎藤村 自然主義 現実をありのままに ── 島崎藤村・田山花袋 耽美派・白樺派 美の追求/理想主義 ── 谷崎潤一郎・志賀直哉 新現実主義(新思潮派) 理知的な構成 ── 芥川龍之介 プロレタリア文学 階級と労働を描く 新感覚派・新興芸術派・新心理主義 表現の革新/内面の探究 ── 横光利一・堀辰雄 作品の語彙は、その作家が属した思潮と結びついている
近代きんだい日本にほん文学ぶんがくの思潮しちょう

浪漫ろまん主義しゅぎ

感情かんじょうを自由じゆうに表現ひょうげんすることを重視じゅうしし、自我じがの解放かいほうや個性こせいを求もとめたもので、明治めいじ三十さんじゅう年代ねんだいに最盛さいせいを迎むかえた。

〈作家さっか〉 北きた村むら透谷とうこく・与謝野よさの鉄幹てっかん・森鴎外もりおうがい(初期しょき)など。

自然しぜん主義しゅぎ

明治めいじ三十さんじゅう年代ねんだい半なかばに現あらわれ、現実げんじつを美化びかせずにありのままに描えがくことを目指めざした文学ぶんがく傾向けいこう。主人公しゅじんこうを通とおして作者さくしゃ自身じしんの内面ないめんを告白こくはくする「私小説ししょうせつ」へとつながった。

〈作家さっか〉 島崎しまざき藤村とうそん(『破戒はかい』以降いこう)・田た山やま花袋かたいなど。

耽美たんび派は・白樺しらかば派は

明治めいじ末まつ〜大正たいしょう初期しょきにかけて登場とうじょうした、自然しぜん主義しゅぎに反はんする思潮しちょう。美的びてきな世界せかいを徹底的てっていてきに追求ついきゅうした耽美たんび派はと、自己じこや個性こせいを積極的せっきょくてきに肯定こうていした白樺しらかば派はが二に大だいグループである。

〈耽美たんび派はの作家さっか〉 谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう・永井ながい荷風かふうなど。 〈白樺しらかば派はの作家さっか〉 武者小路むしゃのこうじ実篤さねあつ・志賀しが直哉なおや・有島ありしま武郎たけおなど。

新しん現実げんじつ主義しゅぎ(新しん思潮しちょう派は)

耽美たんび派は・白樺しらかば派はが見過みすごした〈現実げんじつ〉を再度さいどとらえ直ちょくそうとした大正たいしょう時代じだいの文学ぶんがく傾向けいこうで、新しん思潮しちょう派はが中心ちゅうしんグループ。

〈作家さっか〉 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ・菊池きくち寛ひろしなど。

プロレタリア文学ぶんがく

大正たいしょう〜昭和しょうわ初期しょきにかけての社会しゃかい状況じょうきょうの悪化あっかを背景はいけいに発生はっせいし、貧まずしい労働者ろうどうしゃの姿すがたを描えがくことで社会しゃかいの革命かくめいを目指めざした。

〈作家さっか〉 小林こばやし多喜二たきじ・徳永とくなが直ちょく・葉は山やま嘉樹よしきなど。

新しん感覚かんかく派は・新興しんこう芸術げいじゅつ派は・新しん心理しんり主義しゅぎ

プロレタリア文学ぶんがくに対立たいりつ。新あたらしい表現ひょうげん技法ぎほうを取とり入いれて、政治せいじ思想しそうを抜ぬきにして文学ぶんがくそのものの革新かくしんに取とり組くんだ。

〈新しん感覚かんかく派はの作家さっか〉 横光よこみつ利り一いち・川端かわばた康成やすなりなど。 〈新興しんこう芸術げいじゅつ派はの作家さっか〉 井伏いぶせ鱒二ますじなど。 〈新しん心理しんり主義しゅぎの作家さっか〉 堀辰雄ほりたつお・伊藤いとう整せいなど。

Section 01

感情かんじょうの形容詞けいようし

心情語の二軸配置向きが自分か他者か、評価が肯定か否定かという二軸に、主な心情語を配置した図。 自分に向かう 他者に向かう 好意・肯定 反発・否定 懐かしいやるせない しおらしい健気鷹揚 屈託怯懦間が悪い あさましいうとましい 横柄・居丈高 おぼつかない諧謔 閉口うさんくさい 同じ「弱さ」でも、自分に向けば怯懦、他者に向けば健気になる
心情しんじょう語ごの二に軸じく配置はいち
161★★★

しおらしい

しおらしい[4]中高なかだか型がた

定義ていぎ

① 控ひかえめで従じゅう順じゅんな様子ようす。

② 上品じょうひんで優美ゆうびな様子ようす。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑161
原げん書しょの解説かいせつ

「萎いれる」からできた語ごというものなど、語源ごげんにはいくつかの説せつがある。

使用しようの境界きょうかい

控ひかえめで従じゅう順じゅんな様子ようす。おとなしいだけでは足たりず、いじらしさや可憐かれんさを伴ともなう。

用法ようほう

見みる側がわの好意的こういてきな視線しせんを含ふくむ語ごである。だから自分じぶんについて「私わたしはしおらしい」とは言いいにくい。小説しょうせつでは、若わかい女性じょせいや小ちいさなものの佇たたずまいを描えがくのに使つかわれ、堀辰雄ほりたつおの作さく例れいのように石仏いしぼとけにも用もちいられる。人ひと以外いがいにも及およぶ点てんが特徴とくちょうである。現代語げんだいごでは「普段ふだんは強気つよきな人ひとが急きゅうにしおらしくなる」という落差らくさを面白おもしろがる用法ようほうが多おおく、この場合ばあいはやや揶揄やゆが混まじる。語源ごげんには「萎いれる」からとする説せつなどがある。

用例ようれい
  • うつくしきもの、瓜うりにかきたるちごの顔かお。雀すずめの子この、ねず鳴なきするに躍おどり来くる。……頭あたまは尼にそぎなるちごの、目めに髪かみのおほへるを、かきはやらで、うちかたぶきて物ものなど見みたるも、うつくし。清少納言せいしょうなごん『枕草子まくらのそうし』「うつくしきもの」の段だん(1000頃ころ)
    しおらしいという語ごがどこから発はっしているかを見みせてくれる一段いちだんである。(1-1 で同おなじ書しょの第一だいいち段だんを引ひいた。)「うつくし」は現代語げんだいごの美うつくしいではなく小ちいさいものをいとおしむ気持きもちを言いう。注目ちゅうもくしたいのは、髪かみをかき上あげもせずに首くびをかしげて見みているという描写びょうしゃだ。本人ほんにんは何なにもしていない。整ととのえようとも、見みせようともしていない。その無防備むぼうびさを見みる側がわが愛あいでている。しおらしいが自称じしょうに向こうかないのはこのためである — この語ごは見みられている側がわではなく見みている側がわに属ぞくしている。
  • 牡丹ぼたん散さんつて打だかさなりぬ二に三さん片へん与謝よさ蕪村ぶそん(1784没ぼつ)
    しおらしさが衰おとろえの側がわにもあることを示しめす一句いっくである。牡丹ぼたんは豪奢ごうしゃな花はなだ。その花はなびらが散さんって、二に、三さん片へんばかり重かさなっている。数かずを「二に三さん片へん」と数かぞえられるほど少すくなく言いうところにこの句くの全部ぜんぶがある。盛もりのときには数かぞえようもなかったものが、いま数かぞえられる。語源ごげんに「萎いれる」を当あてる説せつがあるのは、この語ごが力ちからを失うしなったものへ向むく視線しせんを含ふくむからだろう。控ひかえめさと衰おとろえは、見みる側がわからは同おなじ姿すがたに見みえる。
  • 普段ふだんは言いい返かえす人ひとが、その日ひはしおらしく黙だまっていた。 現代語げんだいごで最もっとも多おおい使つかい方かたである。要点ようてんは落差らくさだ。もともと控ひかえめな人ひとにはこの語ごを使つかわない。強気つよきな人ひとが一時的いちじてきに控ひかえめになったときに出でる。だからやや揶揄やゆが混まじる — 元もとに戻もどることを見み越ごしているからだ。
  • ×私わたしはしおらしい性格せいかくです。 自称じしょうできない語ごである。この語ごは見みる側がわの好意的こういてきな視線しせんを含ふくんでいるので、自分じぶんに向むけるとその視線しせんを自分じぶんで用意よういしたことになる。「控ひかえめ」「おとなしい」なら自称じしょうできる。評価ひょうか語ごか記述きじゅつ語ごかという見分みわけが、ここでも効きく。
作品さくひんでの用例ようれい

作品さくひん冒頭ぼうとうの一節いっせつ。筆者ひっしゃは、かつて奈良ならの古寺ふるでらを訪おとずれたことを回想かいそうする。

その萱かや屋根やねの古ふるい寺じの、木きぶかい墓地ぼちへゆく小径こみちのかたわらに、一体いったいの小ちいさな苔こけ蒸むした石仏いしぼとけが、笹ささむらのなかに何なにかしおらしい姿すがたで、ちらちらと木洩こもれ日びに光ひかって見みえている。

出典しゅってん 堀辰雄ほりたつお『大和路やまとじ・信濃しなの路ろ』

派生はせい形けい
  • しおらしげ[0]「げ」は外そとから見みた様子ようすを表あらわす接尾せつび辞じ。「〜げ」が付つくと推すい量りょうの色いろが入はいる — そう見みえるが本当ほんとうかは分わからない。もともと見みる側がわの語ごであるこの語ごにさらに一いち枚まい距離きょりが加くわわる。
  • しおらしさ[0]名詞めいし形けい。「しおらしさが漂ひょうう」のようにその場ばに広ひろがるものとして扱あつかえる。形容詞けいようしは対象たいしょうに貼はりつくが、名詞めいし形けいは対象たいしょうから離はなれる。
  • 萎れるしおれる[0]語源ごげんとされる語ご。草くさ木きが水みずを失うしなって垂たれるのが原げん義ぎで、転てんじて元気げんきをなくす。語源ごげんが正ただしいとすれば、しおらしさはもともと喪失そうしつの姿すがただったことになる — 蕪村ぶそんの牡丹ぼたんが照てらしているのはこの層そうである。
コロケーション
  • しおらしい姿すがた人ひと以外いがいにも及およぶ形かたち原げん書しょが引ひく堀辰雄ほりたつおの一節いっせつでは石仏いしぼとけに使つかわれている。この語ごが人ひと以外いがいに及およぶのは、「控ひかえめで従じゅう順じゅん」という性格せいかくの記述きじゅつではなく、見みえている佇たたずまいの記述きじゅつだからだ。意志いしを持もたないものにも佇たたずまいはある。性格せいかくの語ごなら人ひとにしか使つかえないが、佇たたずまいの語ごは何なんにでも使つかえる。
  • しおらしくうつむく動作どうさと結むすぶ形かたちうつむく・黙だまる・小ちいさくなる — 共起きょうきする動詞どうしはすべて身みを引ひく方向ほうこうである。前まえへ出でる動詞どうしとは結むすばない。この偏かたよりが示しめすのは、しおらしさが積極的せっきょくてきにふるまって得とくられるものではないことだ。何なにかをやめたときに現あらわれる。
  • 急きゅうにしおらしくなる落差らくさを言いう形かたち現代語げんだいごで最もっとも頻度ひんどが高たかい。「急きゅうに」が付つくことがこの語ごの現代的げんだいてきな用法ようほうの証あかしである。古典こてんでは持続じぞくする佇たたずまいだったものが、現代げんだいでは一時的いちじてきな変化へんかになった。語ごが状態じょうたいから出来事できごとへ移うつっている — 共起きょうき語ごの変化へんかから語ご義ぎの移うつりが読よめる。
  • しおらしいことを言いう言葉ことばに及およぶ形かたち発言はつげんに使つかうと皮肉ひにくの色いろが濃こくなる。姿すがたはごまかせないが言葉ことばはごまかせると感かんじられているからだ。同おなじ語ごでも、姿すがたに使つかえば好意こうい、言葉ことばに使つかえば疑うたがいになる。共起きょうきする名詞めいしが評価ひょうかの向むきを決きめている。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • いじらしい健気けなげで心こころを打うたれる相手あいてを憐あわれむ気持きもちが強つよい。しおらしいは態度たいどの慎つつましさを見みている。
  • 慎つつましいでしゃばらない態度たいどそのもの。しおらしいは、そこに愛あいらしさを感かんじ取とる側がわの視線しせんが入はいる。
  • 従じゅう順じゅん素直すなおに従したがう従したがうことに重心じゅうしん。しおらしいは佇たたずまいの印象いんしょうを言いう。
  • 健気けなげ弱よわい者ものが懸命けんめいに努つとめる☑184。努力どりょくの側がわ。しおらしいは静しずけさの側がわ。

ENdemure / modest
ZH娴静(しとやかだ, xiánjìng)

162★★★

いぶかしい

いぶかしい[4]中高なかだか型がた

定義ていぎ

① 実じつ情じょうが不明ふめいで、気きになる。

② 疑うたがわしく、不審ふしんに思おもう。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑162
原げん書しょの解説かいせつ

「物事ものごとがはっきりせず明あきらかにしたい」という気持きもちを表あらわす。動詞どうし「訝げんる(=不審ふしんに思おもう)」からできた語ごとも言いわれる。

使用しようの境界きょうかい

実じつ情じょうがはっきりせず、気きになること。相手あいてを疑うたがう場合ばあいと、事情じじょうを知しりたい場合ばあいの両方りょうほうを含ふくむ。

用法ようほう

要点ようてんは、疑うたがいよりも「明あきらかにしたい」気持きもちが語ごの芯しんにあることである。だから相手あいてを非難ひなんする響ひびきが薄うすく、立原たちはら道造みちぞうの作さく例れいのように、恋こいしい相手あいての仕草しぐさに対たいしても使つかえる。動詞どうし形けいは「訝げんる(いぶかる)」で、こちらのほうが現代げんだいでは使用しよう頻度ひんどが高たかい。「いぶかしげに」という副詞ふくし形けいも小説しょうせつによく出でる。漢字かんじは「訝げんしい」だが、ひらがな書かきが一般的いっぱんてきである。

用例ようれい
  • 世よに語かたり伝でんふる事こと、まことはあいなきにや、多おおくは皆みな虚きょ言げんなり。……人ひとはみな、ありのままには言げんはず、いささかづつ飾かざりて語かたるものなり。吉田兼好よしだけんこう『徒然草つれづれぐさ』第だい七なな十じゅう三さん段だん(1330頃ころ)
    いぶかしさがなぜ必要ひつようかを説といた一段いちだんである。(1-1 ほかで同おなじ書しょの別べつの段だんを引ひいた。)兼好けんこうは嘘うそをつく人ひとが悪わるいとは言いっていない。「いささかづつ飾かざりて語かたる」 — 誰だれもが少すこしずつ盛もるのだ。だから特定とくていの誰だれかを疑うたがうのではなく、伝つたわってくる話はなし一般いっぱんに構かまえを取とることになる。これが「いぶかしい」の位置いちだ — 相手あいてを悪人あくにんと決きめてはいない。ただ、そのまま受うけ取とらない。1-7 の 153 のジャーナリズムが確たしかめるという手続てつづきを要求ようきゅうするのは、この構かまえの制度せいど化かにほかならない。
  • 私わたしはかつて真しんとして受うけ入いれてきたすべてを一度いちどは疑うたがわねばならない。……ほんのわずかでも疑うたがいうるものはすべて、偽にせとして退しりぞけることにしよう。ルネ・デカルト『省察せいさつ』第一だいいち省察せいさつ(1641)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    いぶかしさを徹底てっていしたらどうなるかを示しめした一節いっせつである。(1-2 と 1-5 でこの著者ちょしゃの別べつの書しょを引ひいた。)注目ちゅうもくしたいのは「一度いちどは」という限定げんていだ。デカルトは疑うたがい続つづけることを目的もくてきにしていない。疑うたがいきったあとに残のこるものを見みつけるために疑うたがう。ここにいぶかしいと疑うたがい深ふかいの差さがある — 前者ぜんしゃは確たしかめるための一時いちじの構かまえ、後者こうしゃは確たしかめようとしない態度たいどだ。疑うたがいは目的もくてきか手段しゅだんかで評価ひょうかが正反対せいはんたいになる。
  • 説明せつめいを聞きいてもいぶかしい思おもいが残のこった。 最もっとも自然しぜんな形かたちである。「思おもい」「気持きもち」「面めん持もち」と結むすぶ。いぶかしいのは対象たいしょうではなくこちらの心こころだからだ。「いぶかしい話はなし」も言いえるが、その場合ばあいも訝げんしく思おもわせる話はなしという意味いみになる。
  • ×彼かれの説明せつめいはいぶかしく間違まちがっていた。 語ごの役割やくわりが違ちがう。いぶかしいはまだ判断はんだんがついていない状態じょうたいを言いう。間違まちがいだと分わかった時点じてんでいぶかしさは消きえる。「不審ふしんな点てんがあった」「疑うたがわしかった」なら自然しぜん。未決みけつであることがこの語ごの条件じょうけんである。
作品さくひんでの用例ようれい

詩し集しゅう『萱草わすれぐさに寄きす』の冒頭ぼうとうに置おかれた一いち編へん。複雑ふくざつな女性じょせい心理しんりへの思おもいを綴つづりったものと考かんがえられる。

――人ひとの心こころを知しることは……人ひとの心こころとは…… 私わたしは そのひとが蛾がを追おう手てつきを あれは蛾がを捉とらえようとするのだろうか 何なにかがいぶかしかった

出典しゅってん 立原たちはら道造みちぞう『はじめてのものに』

派生はせい形けい
  • いぶかる[3]動詞どうし形けい。「訝げんる」と書かく。「いぶかしむ」よりやや古風こふうで、文語ぶんごの格かくが残のこる。現代げんだいの小説しょうせつでは地ちの文ぶんで見みかけることが多おおい。
  • 訝しいいぶかしい[4]漢字かんじ表記ひょうき。「訝げん」は言げん+牙きばで、言葉ことばがすんなり通とおらないという成なり立たちとされる。現代げんだいの小説しょうせつでは仮名かな書かきも多おおいので、読よみを問とわれやすい。
  • 怪訝けげん[0]2-3 の 心情しんじょうの漢語かんごで別べつに立たつ語ご(187)。いぶかしいの漢語かんご版はんにあたるが、怪訝けげんはほぼ「怪訝けげんな顔かお」「怪訝けげんそうに」の形かたちに限かぎられる。和わ語ごのほうが使つかい道みちが広ひろい。
コロケーション
  • いぶかしげに副詞ふくしとしての形かたちほとんどこの形かたちで現あらわれる。「いぶかしげに見みる」「いぶかしげな顔かお」。「げ」が付つくのは、いぶかしさが外そとから観察かんさつされているからだ。本人ほんにんが「私わたしはいぶかしい」と言いうことは少すくない — 心こころの内ないが顔かおに出でたところを第三者だいさんしゃが書かく語ごである。
  • いぶかしむ動詞どうしにした形かたち「いぶかる」とも言いう。動詞どうしにすると心こころの動うごきが時間じかんを持もつ。「いぶかしい」は状態じょうたい、「いぶかしむ」はその状態じょうたいに入はいる出来事できごと。小説しょうせつでは動詞どうし形けいのほうが使つかいやすい — 場面ばめんが動うごくからだ。
  • いぶかしさが募つのる量りょうが増ふえる形かたち「募つのる」と結むすぶのは、いぶかしさが時間じかんとともに積つみ上あがるからだ。一度いちどきりの違和感いわかんなら消きえるが、重かさなると疑うたがいに変かわる。いぶかしい → 疑うたがわしい → 怪あやしいという段階だんかいをこの共起きょうきが示しめしている。
  • いぶかしいことに文頭ぶんとうに置おく形かたち書かき手ての判断はんだんを前置まえおきする言いい方かた。この形かたちが要いるのは、読者どくしゃにも同おなじ構かまえを取とってもらいたいからだ。事実じじつを並ならべる前まえに「これは訝げんしい」と宣言せんげんする — 読よみ方かたの指示しじとして働はたらく接続せつぞく的てきな用法ようほうである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 疑うたがわしい本当ほんとうかどうか怪あやしい疑うたがいが中心ちゅうしん。いぶかしいは〈はっきりさせたい〉という気持きもちを含ふくむ。
  • 怪訝けげん不審ふしんに思おもって腑ふに落おちない☑187。表情ひょうじょうに出でた様子ようすを言いうことが多おおい。
  • 腑ふに落おちない納得なっとくできない☑175。理屈りくつが通とおらない感かんじ。いぶかしいは情報じょうほうが足たりない感かんじ。
  • うさんくさい何なにかありそうで信用しんようできない☑167。相手あいてを怪かいしむ。いぶかしいは中立ちゅうりつにも使つかえる。

ENdubious / puzzling
ZH疑惑(いぶかしい, yíhuò)

163★

懐かしいなつかしい

なつかしい[4]中高なかだか型がた

定義ていぎ

① 心こころ引ひかれ、愛あい着ちゃくを抱いだく。

② 過去かこのことに心こころ引ひかれる。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑163
原げん書しょの解説かいせつ

「懐なつかしい」は「なつく」と同おなじ語源ごげんで、親近感しんきんかんを表あらわす語ご。左ひだりの文章ぶんしょうでは、〈心こころ引ひかれ、親したしくなりたい〉という①の意いである。

使用しようの境界きょうかい

①心こころ引ひかれ、愛あい着ちゃくを抱いだくこと。②過去かこのことに心こころ引ひかれること。現代げんだいでは②が優勢ゆうせいだが、古ふるくは①が本ほん義ぎ。

用法ようほう

現代語げんだいごでは②「昔むかしを思おもい出だして心こころ引ひかれる」がほぼすべてを占しめるが、小説しょうせつでは①「心こころ引ひかれ、親したしくなりたい」で使つかわれることがある。森鴎外もりおうがいの作さく例れいがまさにこれで、初対面しょたいめんの相手あいてに対たいして「懐なつかしい人ひと柄がら」と言いう。過去かこの記憶きおくは関係かんけいしていない。「なつく」と同おなじ語源ごげんだと知しっておくと、①の用法ようほうが理解りかいしやすい。入試にゅうしでは①が問とわれる。

用例ようれい
  • 京きょうに入はいり立たちてうれし。家いえに至しりて門もんに入はいるに、月明げつめいかければ、いとよくありさま見みゆ。聞ききしよりもまして、いふかひなくぞこぼれ破やぶれたる。紀き貫之つらゆき『土佐とさ日記にっき』(935頃ころ)
    懐なつかしさが喪失そうしつと一組ひとくみであることを見みせる一節いっせつである。(1-3 で同おなじ書しょの冒頭ぼうとうを引ひいた。)五ご年ねんぶりに帰かえった家いえは荒あれ果はてている。注目ちゅうもくしたいのは「うれし」から始はじまることだ。喜よろこんで帰かえってきて、そこで壊こわれた家いえを見みる。この落差らくさが懐なつかしさの構造こうぞうそのものである — 変かわっていないはずのものが変かわっていると気きづいたときに、はじめて過去かこが過去かことして立たち上あがる。懐なつかしさは戻もどれたときではなく、戻もどれないと分わかったときに来くる。
  • 一口ひとくち飲のんだ紅茶こうちゃに浸ひたした一切いっさいれの菓子かしが口蓋こうがいに触ふれた瞬間しゅんかん、私わたしは身震みぶるいした。……この快かいさはどこから来きたのか。私わたしにはそれが分わからなかった。マルセル・プルースト『失うしなわれた時ときを求もとめて』第一だいいち篇へん(1913)/訳やくは本ほん教材きょうざい
    懐なつかしさが意志いしによって呼よび出だせないことを示しめした一節いっせつである。要ようは「分わからなかった」だ。思おもい出だそうとして思おもい出だしたのではない。菓子かしの味あじが先さきに来きて、あとから記憶きおくが追おいついてくる。この順序じゅんじょが重要じゅうようで、懐なつかしさは身体しんたいの側がわから始はじまる。2-2 の身体しんたい論ろんで見みたとおり、身体しんたいは意識いしきより多おおくを覚おぼえている。だから懐なつかしさは不ふ意い打うちの形かたちでしか来こない — 懐なつかしもうとして懐なつかしむことはできない。
  • 古こ語ごのなつかしは、過去かこを思おもうことではなく、心こころが引ひかれて離はなれがたいことを言いった。 古こ語ごと現代語げんだいごで意味いみがずれる代表だいひょう格かくである。「なつく」と同根どうこんで、親したしみを感かんじてそばにいたいという現在げんざいの気持きもちを指さした。時間じかんの語ごではなく距離きょりの語ごだったのだ。入試にゅうしではこの差さがそのまま問とわれる。
  • ×初はじめて訪おとずれた土地とちなのに、とても懐なつかしかった。 誤あやまりではないが、説明せつめいが要いる。この言いい方かたが成なり立たつのは古こ語ごの「心こころが引ひかれる」という層そうが残のこっているからで、現代語げんだいごとしてはやや詩的してきな用法ようほうになる。評ひょう論文ろんぶん・小説しょうせつでは「懐なつかしさに似にた」のように断ことわりを入いれるほうが文ぶんが締しまる。
作品さくひんでの用例ようれい

高こう利り貸かしの愛人あいじんであるお玉たまは、日中にっちゅう、よく窓まどの外そとを眺ながめて暮くらしていた。ある時とき、通とおりかかった医学部いがくぶ生せいの岡田おかだに恋心こいごころを抱いだく。

お玉たまのためには岡田おかだも只ただ窓まどの外そとを通とおる学生がくせいの一人ひとりに過すぎない。しかも際立きわだって立派りっぱな紅顔こうがんの美び少年しょうねんであったが、それならばといって、己惚うぬぼれらしい、気障きざな態度たいどがないのにお玉たまは気きが附ふいて、何なにとはなしに懐なつかしい人ひと柄がらだと思おもい初はじめた。

出典しゅってん 森鴎外もりおうがい『雁がん』

派生はせい形けい
  • 懐かしむなつかしむ[4]他動詞たどうし。対象たいしょうを取とるのが特徴とくちょうで、「故郷こきょうを懐なつかしむ」。形容詞けいようしのままでは対象たいしょうを「が」でしか取とれないが、動詞どうしにすると「を」で取とれる — 心こころの向むきがはっきりする。
  • 懐くなつく[2]同根どうこんの語ご。慣なれ親したしんでそばに寄よる。古こ語ごの「なつかし」が時間じかんではなく距離きょりの語ごだったことが、この語ごとの近ちかさから見みえる。語源ごげんをたどると古こ語ごの意味いみが出でてくる例れい。
  • 郷愁きょうしゅう[0]ノスタルジアの訳語やくご。故郷こきょうという場所ばしょに限定げんていされるのが「懐なつかしい」との差さ。もとは医学いがく用語ようご(ホームシック)で、病名びょうめいだった語ごが情緒じょうちょの語ごになったという経歴けいれきを持もつ。
コロケーション
  • 懐なつかしむ動詞どうしにした形かたち意志いし的てきな行為こういになる。「懐なつかしい」は不ふ意いに来くるが、「懐なつかしむ」は自分じぶんから向むかう。プルーストの一節いっせつが示しめすのは前者ぜんしゃで、後者こうしゃはすでに手てに入いれた過去かこを味あじわうことだ。不ふ意い打うちか手続てつづきかの差さである。
  • 懐なつかしい顔かお人ひとに使つかう形かたち久ひさしぶりに会あった人ひとを指さす。この言いい方かたが相手あいてに向むかって使つかえるのは、相手あいてが変かわっていないことへの喜よろこびを含ふくむからだ。「老ろうけたね」とは正反対せいはんたいの挨拶あいさつである。同おなじ再会さいかいをどちらの語ごで言いうかで関係かんけいが決きまる。
  • 懐なつかしさに浸ひたる受うけ身みに近ちかい形かたち「浸ひたる」という動詞どうしが示しめすのは、こちらが動うごかず包つつみまれるという関係かんけいだ。快こころよいが、前まえへ進すすまない。評ひょう論文ろんぶんでこの語ごが批判的ひはんてきに使つかわれるのは、懐旧かいきゅうが現在げんざいの課題かだいから目めをそらす道具どうぐになりうるからである。
  • 懐旧かいきゅう漢語かんごでの言いい換かえ硬かたく、距離きょりがある。「懐旧かいきゅうの情じょう」の形かたちで使つかう。和わ語ごの「懐なつかしい」が個人こじんの内ないから出でるのに対たいし、漢語かんごの「懐旧かいきゅう」は外そとから名なづけている。語彙ごいの層そうを上あげると感情かんじょうから距離きょりが取とれる — 評ひょう論文ろんぶんが漢語かんごを選えらぶ理由りゆうの一ひとつである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 恋こいしい離はなれているものを慕したう対象たいしょうがそばにない。懐なつかしいは目めの前まえの相手あいてにも使つかえる(①)。
  • 親したしみやすい近ちかづきやすい相手あいての性質せいしつ。懐なつかしいは感かんじる側がわの心こころの動うごき。
  • 慕したわしい心こころが引ひき寄よせられる古風こふう。①の意いに近ちかい。
  • 郷愁きょうしゅう故郷こきょうを思おもう気持きもち名詞めいし。②の系列けいれつで、場所ばしょに限かぎられやすい。

ENdear / nostalgic
ZH怀念(懐かしむ, huáiniàn)

164★

しかつめらしい

しかつめらしい[5]中高なかだか型がた

定義ていぎ

① もっともらしい。

② まじめぶった様子ようすだ。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑164
原げん書しょの解説かいせつ

もとは「しかつべらしい」で、音おとが変化へんかしてできた語ご。「鹿爪しかつめらしい」と字じをあてる。

使用しようの境界きょうかい

堅苦かたくるしく、もっともらしい様子ようす。真面目まじめであることではなく、真面目まじめぶって見みえることを指さす。

用法ようほう

ほぼ常つねに揶揄やゆが混まじる語ごである。書かき手ては、その堅苦かたくるしさをおかしがっている。だから褒ほめ言葉ことばとしては使つかえない。「しかつめらしい顔かお」「しかつめらしく」の形かたちが多おおく、表情ひょうじょうや口くちぶりについて言いう。漢字かんじでは「鹿爪しかつめらしい」と当あてるが、これは当あて字じで、語源ごげんとは関係かんけいがない。現代げんだいの会話かいわではほとんど使つかわれず、小説しょうせつと評ひょう論ろんに残のこる語ごである。

用例ようれい
  • 文三ぶんぞうはしかつめらしい顔かおをして、……役やく所しょの帰かえりに本ほんを小脇こわきに抱かかえて歩あるいてゐる。その様子ようすがまた可笑おかしい。二葉亭ふたばてい四迷しめい『浮雲うきぐも』(1887)の主旨しゅしによる
    しかつめらしさがなぜ滑稽こっけいになるかを示しめした描写びょうしゃである。『浮雲うきぐも』は日本にほんの近代きんだい小説しょうせつの出発点しゅっぱつてんとされる。主人公しゅじんこうの内海うつみ文三ぶんぞうは真面目まじめで、理屈りくつっぽく、要よう領りょうが悪わるい。ここが要点ようてんで、しかつめらしさは不ふ真面目まじめな人ひとには出だせない。本気ほんきで真面目まじめにしているから滑稽こっけいなのだ。この語ごは中身なかみの空虚くうきょさを責せめているのではない — 形かたちと場面ばめんが釣つり合あっていないことを笑わらっている。だから同おなじ顔かおつきでも、場面ばめんが変かわれば厳粛げんしゅくになる。
  • あの男おとこは天てんを仰あおぐいで祈いのるふりをし、床ゆかに接吻せっぷんし、……そうして人ひとの財産ざいさんを数かぞえている。モリエール『タルチュフ』(1664)の主旨しゅしによる/訳やくは本ほん教材きょうざい
    しかつめらしさが偽善ぎぜんに近ちかづく地点ちてんを示しめした戯曲ぎきょくである。タルチュフは敬虔けいけんなふりをする男おとこだ。大だいげさな身振みぶりほど疑うたがわしいというこの直感ちょっかんは、国くにを問とわず共有きょうゆうされている。ただし押おさえておきたい — しかつめらしいと偽善ぎぜんは同おなじではない。偽善ぎぜんは中身なかみが違ちがうことを言いうが、しかつめらしさは形かたちが過剰かじょうであることを言いう。中身なかみが本当ほんとうでもしかつめらしくはなりうる — 『浮雲うきぐも』の文三ぶんぞうがまさにそれだ。この差さを押おさえておかないと、この語ごはただの非難ひなんになる。
  • しかつめらしい顔かおで当あたり前まえのことを述のべた。 最もっとも多おおい使つかい方かたである。顔かおつき・口調くちょう・書かきぶりと結むすぶ。要点ようてんは中身なかみとの落差らくさだ。大たいしたことを言いっていないのに重々おもおもしいからこの語ごが出でる。中身なかみが重じゅうければ「厳粛げんしゅく」「重々おもおもしい」になる。
  • ×葬儀そうぎの場ばでしかつめらしく振ふる舞まった。 場面ばめんが合あっていない。葬儀そうぎで真面目まじめにしているのは当然とうぜんなので、落差らくさが生しょうじない。「神妙しんみょうに」「殊勝しゅしょうに」である。この語ごは不ふ釣つり合あいを笑わらう語ごだから、釣つり合あっている場面ばめんでは働はたらかない。
作品さくひんでの用例ようれい

何度なんども食事しょくじの代金だいきんを店みせに払はらわずに帰かえる老人ろうじんがいた。彼かれは今夜こんやも店みせに来きて、注文ちゅうもんをして言いい訳やくを述のべる。

老人ろうじんは娘むすめのいる窓まどや店みせの者ものに向むかって、始はじめのうちはしきりに世間せけんの不況ふきょう、自分じぶんの職業しょくぎょうの彫金ちょうきんの需要じゅようされないことなどを鹿爪しかつめらしく述のべ、従したがって勘定かんじょうも払はらえなかった言訳いいわけを、喋々ちょうちょうと述のべる。

出典しゅってん 岡本おかもとかの子こ『家いえ霊れい』

派生はせい形けい
  • しかつめらしさ[0]名詞めいし形けい。「〜が抜ぬけない」「〜を装そうう」と結むすぶ。形容詞けいようしはその場ばの様子ようすを言いうが、名詞めいし形けいは持続じぞくする性質せいしつを言いえるようになる。
  • もっともらしい[5]近ちかい語ご。「尤もっとも」+「らしい」で、理屈りくつが通とおっているように見みえる。しかつめらしいが態度たいどに向むくのに対たいし、もっともらしいは内容ないように向むく。形かたちか中身なかみかで使つかい分わける。
  • 鹿爪らしいしかつめらしい[6]当あて字じ。「鹿爪しかつめ」に意味いみは無なく、音おとを借かりただけとされる。語源ごげんは「然しか(しか)」+「つめ(詰つめ)」など諸説しょせつあり定さだまらない。当あて字じが定着ていちゃくすると語源ごげんが見みえなくなる例れいである。
コロケーション
  • しかつめらしい顔かお最もっとも多おおい形かたち顔かおつきに集中しゅうちゅうする。それは表情ひょうじょうが最もっとも作つくりやすく、最もっとも見み破やぶられやすいからだ。声こえも姿勢しせいも作つくれるが、顔かおは見みる側がわの目めに最初さいしょに入はいる。作さく為いが一番いちばん早はやく露ろれる場所ばしょにこの語ごが集あつまる。
  • しかつめらしく言いう発言はつげんに使つかう形かたち内容ないようではなく言いい方かたを評ひょうしている。この形かたちが示しめすのは、同おなじ内容ないようでも言いい方かたで受うけ取とられ方ほうが変かわることだ。2-4 の 10 の言説げんせつが扱あつかう枠わくの効果こうかが、一人ひとりの口調くちょうの水準すいじゅんで起おきている。
  • しかつめらしい理屈りくつ中身なかみに及およぶ形かたちもっともらしいが実じつは薄うすいという含ふくみになる。この用法ようほうでは形かたちの過剰かじょうから中身なかみの空虚くうきょへ評価ひょうかが滑すべる。厳密げんみつには別べつのことだが、語ごはしばしばこの滑すべりを起おこす — 読解どっかいではどちらを言いっているかを押おさえたい。
  • しかつめらしさを崩くずす緩ゆるめる側がわの語ご真面目まじめな場ばがふとゆるむ瞬間しゅんかん。この言いい方かたが好意的こういてきに響ひびくのは、崩くずせるということが余裕よゆうの証あかしだからだ。崩くずせない人ひとはしかつめらしいままになる — この語ごが最終的さいしゅうてきに指さしているのは硬かたさそのものである。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 生真面目きまじめ真剣しんけんで融通ゆうずうがきかない中身なかみが本当ほんとうに真面目まじめ。しかつめらしいは外見がいけんの話はなしで、揶揄やゆが混まじる。
  • もったいぶるわざと重々おもおもしく振ふる舞まうわざとらしさが明確めいかく。しかつめらしいは当人とうにんが自覚じかくしていない場合ばあいも含ふくむ。
  • 厳いかめしいいかにも威厳いげんがある威い圧あつ感かん。しかつめらしいは滑稽こっけいさを伴ともなう。
  • 神妙しんみょうおとなしく殊勝しゅしょうである態度たいどが改かいまっている。批判ひはんの含ふくみがない。

ENsolemn / pompous
ZH一本正经(まじめくさった, yīběn zhèngjīng)

165★★

片腹痛いかたはらいたい

かたはらいたい[5]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい

古こ語ご「傍かたわらいたし」の「傍かたわら」が「片腹かたはら」と誤ご用ようされてできた語ご。

定義ていぎ

相手あいての反応はんのうをそばで見聞けんぶんきし、苦々にがにがしく感かんじる。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑165
原げん書しょの解説かいせつ

古こ語ごの「傍かたわらいたし(=きまりが悪わるい・みっともない)」の「傍かたわら」が、「片腹かたはら」と誤ご用ようされてできた語ご。

使用しようの境界きょうかい

そばで見聞けんぶんきして、苦々にがにがしく感かんじること。滑稽こっけいさと不快ふかいさが同居どうきょする。

用法ようほう

語源ごげんが要点ようてんになる。古こ語ごの「傍かたわらいたし」(=そばで見みていてきまりが悪わるい・みっともない)の「傍かたわら」が「片腹かたはら」と誤あやまって書かかれ、定着ていちゃくした語ごである。だから本来ほんらいは「腹はらが痛いたい」とは無関係むかんけいで、「おかしくて腹はらがよじれる」という現代的げんだいてきな理解りかいは語源ごげんから外はずれる。志賀しが直哉なおやの作さく例れいでは、自分じぶんの言葉ことばが過大かだいに評価ひょうかされるのを聞きいて気きまずくなる場面ばめんで使つかわれており、嘲あざけりよりも居心地いごこちの悪わるさが中心ちゅうしんにある。

用例ようれい
  • 仁和寺にんなじにある法師ほうし、年としよるまで石清水いわしみずを拝おがまざりければ、心こころ憂うく覚おぼえて、ある時とき思おもひ立たちて、ただ一人ひとり徒と歩ほよりまうでけり。……少すこしのことにも、先達せんだつはあらまほしき事ことなり。吉田兼好よしだけんこう『徒然草つれづれぐさ』第だい五十ごじゅう二に段だん(1330頃ころ)
    片腹かたはら痛いたさがどこから生しょうじるかを示しめす一段いちだんである。(1-1 ほかで同おなじ書しょの別べつの段だんを引ひいた。)法師ほうしは山やまのふもとの社しゃを本ほん社しゃだと思おもい込こんで拝おがんで帰かえる。本当ほんとうの石清水いわしみずは山やまの上うえにある。注目ちゅうもくしたいのは、法師ほうしが真剣しんけんだったことだ。長年ながねんの願ねがいを果はたしたつもりで満足まんぞくして帰かえる。片腹かたはら痛いたさはこの「つもり」から生うまれる — 本人ほんにんが得意とくいげであればあるほど見みている側がわは笑わらいをこらえることになる。失敗しっぱいそのものではなく、失敗しっぱいに気きづいていない自信じしんがこの語ごの的まとである。
  • 十兵衛じゅうべえは己おのれが腕うでを恃たのみて、人ひとの言げんふことを聞きかず。……されど、その恃たのむところ、まことに恃たのむに足たるや。幸田こうだ露伴ろはん『五重塔ごじゅうのとう』(1892)の主旨しゅしによる
    片腹かたはら痛いたいと紙一重かみひとえのところに本物ほんものがあることを示しめす作品さくひんである。主人公しゅじんこうののっそり十兵衛じゅうべえは腕うで一本いっぽんを頼たよりに塔とうの造営ぞうえいを奪うばい取とろうとする。周囲しゅういから見みれば身みの程ほど知しらずだ。ところが彼かれは本当ほんとうに建だててしまう。ここで分わかるのは、片腹かたはら痛いたいという評価ひょうかが見みる側がわの見積みつもりに依存いぞんしていることだ。実力じつりょくが伴ともなえば同おなじ自信じしんが気き概がいになる。この語ごを使つかうとき、評価ひょうかしているのは相手あいてではなく自分じぶんの判断はんだんである — 2-3 の 12 の固執こしつと同おなじ危あやうさがここにもある。
  • 初心者しょしんしゃに指図さしずされるとは片腹かたはら痛いたい。 相手あいての身みの程ほどを測はかる形かたちである。「〜とは片腹かたはら痛いたい」という構文こうぶんで固定こていして使つかうことが多おおい。上うえから見み下おろす語ごなので、使つかえば自分じぶんの位置いちも同時どうじに示しめすことになる。
  • ×転ころんで打うったところが片腹かたはら痛いたい。 身体しんたいの痛いたみには使つかわない。「脇腹わきばらが痛いたい」である。もとは「傍かたわら痛いたし」(そばで見みていて見み苦くるしい)で、「かたはら」が「片腹かたはら」に転てんじたとされる。語源ごげんを知しると誤ご用ようが防ふせげる典型例てんけいれいである。
作品さくひんでの用例ようれい

実母じつぼを亡なくした少年しょうねんの「私わたし」は、祖母そぼから、新あたらしい母はは親おや候補こうほの女性じょせいの写真しゃしんを見みせられ、感想かんそうを求もとめられる。

「おまえはどう思おもう?」と言いった。不ふ意いでなんといっていいかわからなかった。ただ、「心こころさえいい方ほうなら」と答こたえた。 この答こたえは祖母そぼをすっかり感心かんしんさせた。十じゅう三さんの私わたしからこの答こたえを聴きこうとは思おもわなかったように祖母そぼは祖父そふにそれを話はなしていた。聞きいていて片腹かたはら痛いたかった。

出典しゅってん 志賀しが直哉なおや『母ははの死しと新あたらしい母はは』

派生はせい形けい
  • 傍ら痛しかたはらいたし[0]古こ語ごのもとの形かたち。そばで見みていて気きの毒どくだ・見み苦くるしい。もとは同情どうじょうの色いろもあったのが、現代語げんだいごでは嘲あざけりに寄よった。語ごの温度おんどが下さがった例れいである。
  • 片腹痛さかたはらいたさ[0]名詞めいし形けい。用例ようれいは多おおくない。この語ごが形容詞けいようしのまま使つかわれるのは、その場ばの反応はんのうだからで、持続じぞくする性質せいしつとして名詞めいし化かする必要ひつようが薄うすい。
  • 痛し痒しいたしかゆし[1]紛まぎらわしい語ご。どちらにしても具合ぐあいが悪わるいというまったく別べつの意味いみ。「痛いた」の字じが共通きょうつうするだけで、片腹かたはら痛いたいとは無関係むかんけいである。
コロケーション
  • 〜とは片腹かたはら痛いたいほぼ固定こていした構文こうぶん「〜とは」で受うけるのが定型ていけい。この構文こうぶんが示しめすのは、片腹かたはら痛いたさが状態じょうたいではなく特定とくていの言げん動どうへの反応はんのうだということだ。誰だれかが何なにかを言いった、その言いい分ぶんに対たいして出でる。反応はんのうの語ごなので、対象たいしょうが要いる。
  • 片腹かたはら痛いたいかぎり強つよめた形かたち「かぎり」を添そえるとさらに硬かたくなる。この語ごはもともと文語ぶんごの格かくを引ひきずっているので、現代げんだいの会話かいわではやや芝しば居いがかる。時代じだい小説しょうせつや皮肉ひにくの文脈ぶんみゃくで生いきる語ごである。
  • 笑止しょうし漢語かんごでの言いい換かえほぼ同義どうぎ。「笑止千万しょうしせんばん」の形かたちで使つかう。片腹かたはら痛いたいが身体しんたいの比喩ひゆなのに対たいし、笑止しょうしは笑わらいを直接ちょくせつ名指なざす。和わ語ごのほうが身体しんたいに近ちかく、漢語かんごのほうが判定はんていに近ちかい。
  • 身みの程ほど知しらず対象たいしょうを言いう語ご片腹かたはら痛いたさの原因げんいんを名指なざした語ご。この二に語ごがしばしば一緒いっしょに現あらわれるのは、片腹かたはら痛いたいが見みる側がわの感かんじ、身みの程ほど知しらずが見みられる側がわの状態じょうたいだからだ。同おなじ事態じたいの両側りょうがわを別々べつべつの語ごが受うけ持もっている。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 笑止しょうしおかしくてばかばかしい嘲あざけりが前面ぜんめんに出でる。片腹かたはら痛いたいは気きまずさも含ふくむ。
  • 噴飯ふんぱん物ぶつばかばかしくて笑わらってしまう嘲笑ちょうしょうが強つよい。片腹かたはら痛いたいはもっと静しずかな苦にがさ。
  • 居いたたまれないその場ばにいられない自分じぶんの側がわの苦くるしさ。片腹かたはら痛いたいは相手あいてへの評価ひょうかを含ふくむ。
  • 見み苦くるしい見みていて不快ふかいである不快ふかいさのみ。片腹かたはら痛いたいは滑稽こっけいさも伴ともなう。

ENlaughable / absurd
ZH可笑(おかしい, kěxiào)

166★★★

あさましい

あさましい[4]中高なかだか型がた

定義ていぎ

① 見み苦くるしい。

② 品ひん性せい・態度たいどが卑いやしい。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑166
原げん書しょの解説かいせつ

もとは、よくも悪わるくも驚おどろきあきれることを表あらわしたが、現代げんだいでは、非難ひなんの意味いみを込こめた意いで使つかわれる。

使用しようの境界きょうかい

見み苦くるしく、卑いやしいこと。道徳的どうとくてきに劣おとっていることへの強つよい非難ひなんを含ふくむ。

用法ようほう

古こ語ごでは〈驚おどろきあきれる〉が本ほん義ぎで、よい方向ほうこうにも悪わるい方向ほうこうにも使つかえた。現代語げんだいごでは悪わるい方向ほうこうに固定こていし、強つよい非難ひなんを表あらわす。したがって軽かるい気持きもちでは使つかえない。「浅あさましい」と書かくが、これは当あて字じであり、「浅あさい」との意味いみ的てきなつながりは後あとから付つけられたものである。確認かくにんテストの用例ようれい「自分じぶんの責任せきにんを他人たにんに押おしつけて知しらん顔かお」がこの語ごの典型的てんけいてきな対象たいしょうで、卑怯ひきょうさと厚あつかましさを同時どうじに責せめる。

用例ようれい
  • 築地つきじのつら、道みちのほとりに、飢うゑ死しぬる者もののたぐひ、数かずも知しらず。取とり捨すつるわざも知しらねば、くさき香か世界せかいに満みち満みちて、変へんりゆくかたちありさま、目めも当あてられぬ事こと多たかり。鴨長明かものちょうめい『方丈ほうじょう記き』養和ようわの飢饉ききん(1212)
    あさましいという語ごが本来ほんらいどこまでを指さしたかを見みせる一節いっせつである。(1-1 ほかで同おなじ書しょの別べつの箇所かしょを引ひいた。)古こ語ごの「あさまし」は善悪ぜんあくではなく「あきれるほど意外いがいだ」という意いだった。よいことにも使つかえた。この一節いっせつが示しめすのはその意外いがいさの極きょくみである — 目めも当あてられない。注意ちゅういしたいのは、長明ちょうめいが死者ししゃを責せめていないことだ。事態じたいそのものがあさましい。現代語げんだいごで「浅あさましい」が人ひとの心こころ根ねを責せめる語ごになったのは、意外いがいさが道徳どうとくの判断はんだんへ滑すべり込こんだ結果けっかである。
  • 老婆ろうばは、死人しにんの髪かみを抜ぬくことを悪わるいとは思おもわない。この女おんなもまた、生いきるために蛇へびを干魚ほしうおと偽いつわって売うっていた。……ならば自分じぶんのすることも大目おおめに見みてくれるだろう。芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ『羅生門らしょうもん』(1915)の主旨しゅしによる
    あさましさが生いきるためのものであるときどう扱あつかうかを問とう場面ばめんである。(1-4 ほかでこの著者ちょしゃの別べつの作さくを引ひいた。)老婆ろうばの論理ろんりは筋すじが通とおっている。飢うえて死しぬよりましだ、と。そして下人げにんはその論理ろんりを受うけ取とって、老婆ろうばの着物きものを剥はぎ取とる。あさましさは伝染でんせんするのだ。ここで効きいているのは、誰だれも悪人あくにんとして書かかれていないことである。状況じょうきょうが人ひとをあさましくするというこの見方みかたは、この語ごをただの非難ひなんから引ひき離はなす。
  • 金かねに目めがくらんだあさましい振ふる舞まい。 現代語げんだいごの中心ちゅうしん的てきな用法ようほうである。欲よく得とくのために品ひん位くらいを失うしなうことを言いう。「浅あさい」という字じを当あてるのは後あとからの解釈かいしゃくで、もとの「あさまし」とは別語べつご源みなもととされる。字面じづらが意味いみを作つくり変かえた例れいである。
  • ×満開まんかいの桜さくらのあまりの美うつくしさに、あさましく思おもわれた。 古こ語ごならば正ただしいが、現代語げんだいごとしては通つうじない。古こ語ごの「あさまし」はよいことにも悪わるいことにも使つかえる「あきれるほど意外いがいだ」だった。現代語げんだいごは悪わるい方向ほうこうに固定こていしている。古文こぶんの設問せつもんではこの差さがそのまま問とわれる。
作品さくひんでの用例ようれい

経済的けいざいてきにあまり豊ゆたかではない一家いっか。一家いっか総そう出でで、廃品はいひんの中なかから自転車じてんしゃを拾ひろおうとする。

一家いっか五ご人ひとが明あかりの下したに集合しゅうごうしてみると、五ご人ひとのうち三人さんにんまでは大だいなり小しょうなりいかがわしい拾得物しゅうとくぶつをたずさえてきていることが判わかった。あさましいゴミあさりに加かわらなかったと言いえるのは、かろうじて三さん歳さいの子供こどもだけだった。

出典しゅってん 阿部昭あべあきら『自転車じてんしゃ』

派生はせい形けい
  • あさましさ[0]名詞めいし形けい。「人間にんげんのあさましさ」のように、個人こじんではなく人間にんげん一般いっぱんに向むけて使つかうと批評ひひょうの語ごになる。誰だれかを責せめる語ごから、条件じょうけんを見みる語ごへ移うつせる。
  • あさむ[2]古こ語ごの動詞どうし。あきれる・驚おどろく。ここから「あさまし」が派生はせいしたとされる。驚おどろきが語幹ごかんにあることを知しると、古こ語ごの用法ようほうの広こうさが腑ふに落おちる。
  • 浅はかあさはか[2]別語べつご。考かんがえが足たりないことを言いい、欲よく得とくの含ふくみは無ない。あさましいが品ひん位いの問題もんだいなのに対たいし、浅あさはかは判断はんだんの問題もんだい。「浅あさ」の字じに引ひかれて混同こんどうしやすい。
コロケーション
  • あさましい姿すがた外そとから見みた形かたちふるまい・姿すがた・欲よくと結むすぶ。心こころそのものには使つかいにくいのが特徴とくちょうで、「あさましい心こころ」より「あさましい振ふる舞まい」が自然しぜんである。見みえるところに出でて初はじめてこの語ごが使つかえる — 外そとから見みた語ごであることが共起きょうきに現あらわれている。
  • あさましくも副詞ふくしにした形かたち「〜も」を伴ともなって文語ぶんご調ちょうになる。語かたり手ての嘆なげきを前置まえおきする働はたらきをする。出来事できごとを述のべる前まえに評価ひょうかを置おくというこの形かたちは、古典こてんの語かたりから受うけ継つがれたものである。
  • あさましさに堕だする過程かていを言いう形かたち「堕だする」が示しめすのは、もとはそうでなかったという前提ぜんていである。生うまれつきあさましい人ひとはいない。『羅生門らしょうもん』の下人げにんが数刻すうこくのうちに変かわるように、状況じょうきょうが押おし下さげる。
  • 浅あさましい当あて字じでの表記ひょうき「浅あさ」の字じを当あてることで心こころが浅あさいという解釈かいしゃくが定着ていちゃくした。語源ごげんとは別べつとされるが、いまではこの字じが意味いみを支ささえている。1-3 で見みたとおり、表記ひょうきもまた意味いみを作つくる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • いやしい品ひん位くらいが低ひくい身分みぶんや態度たいど。あさましいは行おこないの醜みにくさに重心じゅうしんがある。
  • さもしい心こころ根ねが卑いやしく欲よく深ふかい欲よくの卑いやしさに限かぎる。あさましいはより広ひろい。
  • 見み苦くるしい見みていて不快ふかい外見がいけんの話はなしにも使つかえる。あさましいは心こころのありようを指さす。
  • 浅あさましい─同どう語ごの漢字かんじ表記ひょうき。「浅あさい」との関連かんれんは当あて字じによる後あと付つけ。

ENdespicable / shameful
ZH卑鄙(卑劣だ, bēibǐ)

コラム ── 夏目なつめ漱石そうせき

夏目なつめ漱石そうせきは国民的こくみんてき作家さっかと言いわれる。その作品さくひんはどれもいまだに多おおくの日本人にほんじんに読よまれ、精神せいしんの栄養えいようになっているが、その魅力みりょくの一ひとつは文体ぶんたいにあると考かんがえられる。江戸えどっ子こらしい、くだけていてしかも明快めいかいな、話はなし言葉ことばに近ちかい言いい方かたや、和わ漢かん洋ようにわたる深ふかい教養きょうようからおのずとにじみ出でてくる格調かくちょうの高たかさなどが、その独特どくとくの文体ぶんたいの魅力みりょくを形かたちづくっている。

昔むかし、徳川とくがわ夢声むせいという朗読ろうどくの名手めいしゅがラジオ番組ばんぐみで『草枕くさまくら』を読よんだそうだが、当時とうじの人々ひとびとは耳みみで聞きいても、漱石そうせきの小説しょうせつの内容ないようを理解りかいできたわけだ。現代げんだいとは隔世かくせいの感かんがある。

漱石そうせきは自然しぜん主義しゅぎ一色いっしょくで文学ぶんがくが塗ぬり込こめられようとしていた時代じだいに、それに理解りかいを示しめしながらもなお独自どくじな位置いちを占しめ、森鴎外もりおうがいとともに文学ぶんがくを一段いちだん高たかいところから照てらし出だすような存在そんざいだった。その〈高たかさ〉を保証ほしょうしたものの一ひとつは、漱石そうせきの抱いだいた問題もんだい意識いしきの大おおきさ、深ふかさであっただろう。

コラム ── 森鴎外もりおうがい

森鴎外もりおうがいは漱石そうせきに比肩ひけんする明治めいじ文学ぶんがくの巨匠きょしょうだが、それだけではない。当時とうじの日本にほんの超ちょうエリートとしてドイツに留学りゅうがくし、コッホなどの著名ちょめいな医学いがく者しゃから指導しどうを受うけ、陸りく軍ぐん軍医ぐんい総そう監かんにまで上うえり詰つめた人物じんぶつとしても知しられている。ドイツ留学りゅうがく中ちゅうの経験けいけんは『舞姫まいひめ』という浪漫ろまん主義しゅぎ作品さくひんに結けつ実じつするが、その舞台ぶたいを日本にほんに移うつしたのが『雁がん』だという指摘してきもされている。たしかに『舞姫まいひめ』のエリスも『雁がん』のお玉たまも、封建ほうけん社会しゃかいに埋没まいぼつし、薄幸はっこうな人生じんせいを送おくる女性じょせいである一方いっぽう、『舞姫まいひめ』の豊太郎とよたろうと『雁がん』の岡田おかだには、最終的さいしゅうてきには傍観者ぼうかんしゃ的てきな態度たいどをとる知識人ちしきじんエリートという類似性るいじせいが見みられる。なお、鴎外おうがいは晩年ばんねん、歴史れきし小説しょうせつや史し伝でんを発表はっぴょうした。

ちなみに、現実げんじつの鴎外おうがいはなかなかの愛妻家あいさいかで、陸りく軍ぐん師し団だんのあった広島ひろしまに出張しゅっちょうした際さいの、夫人ふじんに宛あてた配慮はいりょに満みちた手紙てがみや歌うたが残のこされている。「自分じぶんは信用しんようされているほど君子くんしではないから、外そとでは何なにをしているかわからない」と夫人ふじんを煙けむりに巻まいた漱石そうせきとは対照的たいしょうてきだ。

167★★★

うさんくさい

うさんくさい[5]中高なかだか型がた

定義ていぎ

態度たいどや様子ようすが、どことなく疑うたがわしいさま。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑167
原げん書しょの解説かいせつ

「うさん」には「胡散うさん」という字じをあてる。

使用しようの境界きょうかい

なんとなく怪かいしく、信用しんようできないこと。根拠こんきょのない直感的ちょっかんてきな疑うたがいである点てんが要点ようてん。

用法ようほう

要点ようてんは根拠こんきょがない直感ちょっかんだという点てんにある。具体的ぐたいてきな証拠しょうこは挙あげられないが、なんとなく信用しんようできない――この曖昧あいまいさがそのまま語ご義ぎである。だから「うさんくさいと思おもった」と書かけば、書かき手ての主観しゅかんであることが明示めいじされる。「胡散うさん(うさん)」は当あて字じで、語源ごげんには諸説しょせつある。会話かいわでもよく使つかわれ、小説しょうせつでは人物じんぶつの第一だいいち印象いんしょうを描えがくのに便利べんりな語ごである。

用例ようれい
  • 人ひと有ゆうり、鈇(ふ)を亡うしな(うしな)ふ者ものあり。其その鄰となり(となり)の子こを意うたが(うたが)ふ。其その行歩こうほを視しれば鈇を窃ぬす(ぬす)めるなり。顔色かおいろも鈇を窃ぬすめるなり。言語げんごも鈇を窃ぬすめるなり。動作どうさ態度たいど、為いすところ一ひとつとして鈇を窃ぬすめざるは無むきなり。俄にはか(にはか)にして其その谷たにを抇(ほ)りて其その鈇を得とくたり。他日たじつ、復また其その鄰となりの子こを見みるに、動作どうさ態度たいど、鈇を窃ぬすめるに似にたる無なし。『列子れっし』説せつ符ふ篇へん「亡鈇(ぼうふ)の疑うたがい」(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    うさんくささがどこに宿やどるのかを実験じっけんのように示しめした一段いちだんである。斧おのをなくした男おとこが隣となりの子こを疑うたがう。すると歩あるき方ほうも顔色かおいろも口くちぶりも、すべてが盗人ぬすびとらしく見みえてくる。ところが谷たにから斧おのが出でてきたその翌日よくじつ、同おなじ子この同おなじ動作どうさが、どこも盗人ぬすびとらしくない。変かわったのは子こではなく男おとこのほうだ。ここにこの語ごの急所きゅうしょがある — うさんくささは対象たいしょうが持もっている性質せいしつではなく、見みる側がわに起おきている状態じょうたいである。だから「うさんくさいと思おもった」と書かけば、書かき手ての側がわの情報じょうほうになる。
  • 疑うたがいは、思おもいのなかの蝙蝠こうもりのようなものだ。それはつねに薄明はくめいのうちを飛とぶ。フランシス・ベーコン『随筆ずいひつ集しゅう』「疑うたがいについて」(1625/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    うさんくささがどの明あかるさで生しょうじるかを言いい当あてている。蝙蝠こうもりが飛とぶのは昼ひるでも夜よるでもない時間じかんである。真しんっ暗くらなら疑うたがいようがない — 何なにも見みえないのだから判断はんだんそのものが立たたない。明みんるければ確たしかめられる — 確たしかめれば疑うたがいは事実じじつに変かわる。うさんくさいは、その中間ちゅうかんの明あかるさにだけ生いきる語ごだ。見みえているのに見みきわめられない。だから証拠しょうこが出でた瞬間しゅんかんにこの語ごは死しぬ。
  • 肩書かたがききばかり並ならんだ名刺めいしを出だされて、うさんくさく思おもった。 根拠こんきょと呼よべるものが何なにもないのに判断はんだんだけが動うごいている。材料ざいりょうは肩書かたがききの数かずという形式的けいしきてきな事実じじつひとつきりで、そこから不正ふせいの証拠しょうこは一歩いっぽも出でてこない。この材料ざいりょうと判断はんだんのあいだの跳躍ちょうやくが、そのままこの語ごの意味いみである。
  • ×領りょう収しゅう書しょの偽造ぎぞうが確認かくにんされたのでうさんくさい。 確認かくにんされた時点じてんでこの語ごは使つかえない。疑うたがいが事実じじつに変かわったのだから、言いうべきは「不正ふせいだ」であって疑うたがわしさではない。この語ごが占しめているのは検証けんしょうの前まえの区間くかんだけで、証拠しょうこはその区間くかんを終おわらせてしまう。
作品さくひんでの用例ようれい

女子高生じょしこうせいである裕生ゆうきは、自分じぶんのことを周囲しゅういに「僕ぼく」と言いっている。

母ははや男おとこ友達ともだちは気味きみが悪わるいからやめてくれと言いう。そんなときは裕生ゆうきも面倒めんどうがって、だって男おとこの子こになりたいんだもんと言いいきってやり過すごした。たしかにかつてはとても男おとこの子こになりたかった。少年しょうねんという言葉ことばには爽さわやかさがあるけれど、少女しょうじょという言葉ことばには得体えたいの知しれないうさんくささがある。

出典しゅってん 松まつ村むら栄子えいこ『僕ぼくはかぐや姫ひめ』

派生はせい形けい
  • うさんくささ[0]「さ」で名詞めいしになると、感かんじから量りょうへ移うつる。「うさんくさい」はあるかないかだが、「うさんくささ」は漂ひょうう・増ます・消きえないと結むすんで程度ていどを持もつ。原げん書しょが引ひく松まつ村むら栄子えいこの一節いっせつが「少女しょうじょという言葉ことばには得体えたいの知しれないうさんくささがある」と名詞めいし形けいを選えらんだのは、個々ここの少女しょうじょではなく語ごそのものにまとわる気配けはいを言いいたかったからである。
  • 胡散うさん[0]当あて字じで、語源ごげんには諸説しょせつある。重要じゅうようなのは単独たんどくではほとんど使つかわれない点てんだ。「胡散うさんな男おとこ」とは言いわず、ほぼ「くさい」と一体いったいで用もちいる。「くさい」が意味いみの主役しゅやくで、この接尾せつび辞じは「〜のようだが確たしかでない」を一手いってに担になっている(面倒めんどうくさい・照しょうれくさい・嘘うそくさい)。
  • 胡乱うろん[0]同おなじ「胡こ」を持もつ漢語かんごで、意味いみも近ちかいが文体ぶんたいが違ちがう。「胡乱うろんな目めつき」は書かき言葉ことば・時代じだいがかった調子ちょうしを帯おび、会話かいわではまず出でない。和わ語ごのうさんくさいが生活せいかつの語ごであるのに対たいし、胡乱うろんは文章ぶんしょうの語ごである。同おなじ内容ないようをどの文体ぶんたいで言いうかという選択せんたくがここにある。
コロケーション
  • うさんくさい男おとこ人ひとにつく形かたち初対面しょたいめんの人物じんぶつに最もっともよくつく。理由りゆうは単純たんじゅんで、初対面しょたいめんとは情報じょうほうが足たりない状態じょうたいだからだ。情報じょうほうの不足ふそくがこの語ごの成立せいりつ条件じょうけんである以上いじょう、付つき合あいの長ながい相手あいてには使つかいにくい。長ながく知しっていてなお疑うたがうなら、それは直感ちょっかんではなく蓄積ちくせきであり、別べつの語ごの仕事しごとになる。
  • うさんくさそうに様態ようたいの形かたち「そうだ」がつくことに注意ちゅういしたい。推すい量りょうの「そうだ」は外そとから見みた様子ようすにつく接尾せつび辞じである。うさんくささが対象たいしょうの性質せいしつなら「そうだ」は要いらない — 性質せいしつは推すい量りょうしないからだ。この語ごが推すい量りょうの形かたちとこれほど馴染なじむこと自体じたいが、語ご義ぎが見みる側がわにあることの文法ぶんぽう的てきな証拠しょうこになっている。
  • うさんくさい話はなし事ことにつく形かたち「話はなし」という名詞めいしがよく選えらばれるのは、話はなしが伝聞でんぶんの形かたちだからである。見みたものは疑うたがいにくく、聞きいたものは疑うたがいやすい。「うまい話はなし」「もうかる話はなし」と結むすびやすいのも同おなじ理由りゆうで、まだ起おきていない出来事できごとは検証けんしょうしようがない。検証けんしょうできない情報じょうほうの形かたちがこの語ごを呼よぶ。
  • うさんくささが漂ひょうう気配けはいの動詞どうし「漂ひょうう」は発生源はっせいげんを特定とくていしない動詞どうしである。匂におい・気配けはい・雰囲気ふんいきといった出でどころの言いえないものにしかつかない。根拠こんきょが挙あげられないというこの語ごの性格せいかくと、動詞どうしの性格せいかくが正確せいかくに噛かみ合あっている。逆ぎゃくに「うさんくささが証明しょうめいされた」とは言いえない — 証明しょうめいできるものはもううさんくささではない。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • いかがわしい道義的どうぎてきに問題もんだいがありそう不ふ健全けんぜんさを含ふくむ。うさんくさいは信用しんようの話はなし。
  • 怪あやしい不審ふしんである広ひろい。うさんくさいは〈におい〉のような直感ちょっかんに重心じゅうしん。
  • いぶかしいはっきりせず気きになる☑162。明あきらかにしたい気持きもち。うさんくさいは近ちかづきたくない気持きもち。
  • 眉唾まゆつば信しんじがたい名詞めいし。話はなしの内容ないように限かぎる。うさんくさいは人ひとにも使つかえる。

ENsuspicious / shady
ZH可疑(怪しい, kěyí)

168★★

うとましい

うとましい[4]中高なかだか型がた

定義ていぎ

いやで遠とおざけたい気持きもちだ。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑168
原げん書しょの解説かいせつ

「疎そむ(=いやがり遠とおざける)」の形容詞けいようし形けい。左ひだりの文章ぶんしょうでは、自分じぶんの誤解ごかいを思おもい出だしたくないという「私わたし」の感情かんじょうが描えがかれる。

使用しようの境界きょうかい

いやで遠とおざけたいと感かんじること。憎にくむほどではないが、そばに置おきたくないという感覚かんかくを指さす。

用法ようほう

「疎うと(うと)い」と同どう語源ごげんで、距離きょりを取とりたいという方向ほうこうが語ごの芯しんにある。だから憎悪ぞうおとは違ちがい、静しずかで持続的じぞくてきな拒否きょひ感かんになる。確認かくにんテストの用例ようれいのように、いつもは便利べんりな携帯電話けいたいでんわが今日きょうはうとましい、という形かたちで状況じょうきょうによって反転はんてんする点てんも特徴とくちょうである。自分自身じぶんじしんに対たいしても使つかえ、「自分じぶんがうとましい」は自己じこ嫌悪けんおを表あらわす。小説しょうせつでは人間にんげん関係かんけいの微妙びみょうな冷ひえ方ほうを描えがくのに用もちいられる。

用例ようれい
  • ある寒さむい冬ふゆの日ひ、一群いちぐんのヤマアラシが、たがいの体温たいおんで凍こごえを防ふせごうと身みを寄よせ合あった。だがたちまち、たがいの棘とげが痛いたみだす。離はなれれば、ふたたび寒さむさが襲おそう。こうして近ちかづいては離はなれ、離はなれては近ちかづくことを繰くり返かえしたすえ、彼かれらは、たがいをいちばんよく耐たえうるほどよい隔へだたりを見みいだした。ショーペンハウアー『余よ録ろくと補遺ほい』第だい二に巻かん(1851/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    うとましさが憎悪ぞうおではないことをこれほど明快めいかいに示しめす文章ぶんしょうはない。ヤマアラシたちはたがいを憎にくんでいない — それどころか同おなじ寒さむさを共有きょうゆうし、たがいを必要ひつようとしている。それでもそばに置おくと痛いたい。この必要ひつようと痛いたみが同時どうじに成なり立たつ状態じょうたいが、うとましいという語ごの場所ばしょである。だから解決かいけつは排除はいじょではなく距離きょりになる。この語ごが静しずかで持続的じぞくてきなのは、相手あいてを消けす方向ほうこうへ向むかっていないからだ。
  • 汚よごれつちまつた悲かなしみに/今日きょうも小雪こゆきの降おりかかる/汚よごれつちまつた悲かなしみに/今日きょうも風かぜさへ吹ふきすぎる中原なかはら中也ちゅうや『山羊やぎの歌うた』「汚よごれつちまつた悲かなしみに」(1934/中也ちゅうや 1937 没ぼつ)
    「自分じぶんがうとましい」の構造こうぞうがここに書かかれている。悲かなしみは本来ほんらいわたしのものであるはずだ。ところがこの詩しで悲かなしみは雪ゆきが降おりかかり風かぜが吹ふきすぎる、外そとにある物もののように扱あつかわれる。自分じぶんの感情かんじょうを眺ながめる位置いちに立たつ — これが自己じこ嫌悪けんおの形式けいしきである。憎にくむのではなく持もて余あます。「汚よごれつちまつた」という完了かんりょうの言いい方かたも効きいている。もう元もとに戻もどせないから、残のこる手立てだては距離きょりを取とることだけになる。
  • 毎まい朝あさの挨拶あいさつが、いつからかうとましくなっていた。 「いつからか」が要ようである。うとましさには始はじまりの一点いってんがない。出来事できごとがあって生しょうじるのではなく、気きづいたときにはすでにそうなっている。だから理由りゆうを問とわれても答こたえられない — 答こたえられないことが欠陥けっかんではなく語ご義ぎである。
  • ×裏切うらぎられて、あの男おとこがうとましい。 出来事できごとへの反応はんのうなら「憎にくい」である。裏切うらぎりという一点いってんの原因げんいんがあり、感情かんじょうがそこから発はっしているのなら、それは敵てき意いだ。うとましいは原因げんいんに還元かんげんできない、じわじわとした拒否きょひ感かんを受うけ持もつ語ごで、強つよい出来事できごとのあとにはかえって置おきにくい。
作品さくひんでの用例ようれい

「私わたし」は、ナタリアという人物じんぶつの生前せいぜんの様子ようすを回想かいそうし、最後さいごの別わかれを悔くやむ。

ローマにさえ来きれば、またいつでも会あえる、と軽かるい気持きもちで別わかれをつげ、またあの白しろい大理石だいりせきの階段かいだんを小しょう走はしりに駆かけおりたのだったが、そのことが、十一じゅういち月つきの雨あめの道みちで、突然とつぜん、うとましかった。

出典しゅってん 須賀敦子すがあつこ『ふるえる手て』

派生はせい形けい
  • うとむ疎む[2]形容詞けいようしの元もとになった動詞どうし。重要じゅうようなのは他動詞たどうしである点てんで、「彼かれを疎そむ」と対象たいしょうを取とる。つまり動詞どうしのほうには意志いしがある。形容詞けいようしになると意志いしが抜ぬけて感かんじ方ほうだけが残のこる — 「うとましい」はそう感かんじてしまうのであってそうしようとしているのではない。この意志いしの脱落だつらくが「〜しい」という接尾せつび辞じの仕事しごとである。
  • うとい疎い[2]同どう語源ごげんで、距離きょりという芯しんを共有きょうゆうする。ただし向むきが違ちがう。「機械きかいに疎そい」は知識ちしきの距離きょりで、そこに嫌悪けんおはない。「うとましい」は感情かんじょうの距離きょりである。同おなじ「遠とおさ」が、知ちに向むけば無知むち、情じょうに向むけば拒否きょひになる — 一ひとつの語根ごこんが二ふたつの領域りょういきへ枝分えだわかれした好例こうれい。
  • 疎遠そえん[0]同おなじ「疎そ」を持もつ漢語かんごだが、感情かんじょうが抜ぬけている。「疎遠そえんになる」は関係かんけいの状態じょうたいを外そとから記述きじゅつする語ごで、どちらが嫌きらったかを言いわない。和わ語ごは心こころの内側うちがわ、漢語かんごは関係かんけいの外形がいけい — この分業ぶんぎょうは第だい1部いちぶでくり返かえし見みた和わ語ごと漢語かんごの役割やくわり分担ぶんたんそのものである。
コロケーション
  • うとましく思おもう心こころの動詞どうしと結むすぶ動詞どうしが「思おもう」であることに意味いみがある。憎にくしみは行動こうどうになる — 憎にくんで殴なぐる、憎にくんで訴うったえる、と外そとへ出でる。ところがうとましさは思おもうにとどまる。離はなれたいという願ねがいであって働はたらきかけの意志いしではないから、行為こういの動詞どうしと結むすびようがない。この語ごが人間にんげん関係かんけいの冷ひえ方ほうを描えがくのに向むくのは、何なにも起おこらないまま進行しんこうするからだ。
  • 自分じぶんがうとましい自分じぶんに向むく形かたちこの語ごがもつ最もっとも苦くるしい形かたちである。うとましさの処方しょほうは距離きょりを取とることだが、相手あいてが自分じぶんなら距離きょりが取とれない。逃にげ場ばのない拒否きょひ感かんだけが残のこる。「憎にくい」を自分じぶんに向むけると自じ罰ばつになり、刑けいを執行しっこうすればいちおう片へんがつく。うとましいにはその出口でぐちすらない。
  • うとましい存在そんざい名なづける形かたち「存在そんざい」という極端きょくたんに抽象的ちゅうしょうてきな名詞めいしと結むすぶ。「うとましい行為こうい」とはあまり言いわない。この偏かたよりが示しめすのは、非難ひなんされているのが何なにをしたかではなく、そこに居いること自体じたいだという事実じじつである。行為こういなら改あらためられるが、存在そんざいは改あらためようがない — この語ごの救すくいのなさはそこにある。
  • うとましさが募つのる蓄積ちくせきの動詞どうし「募つのる」は少すこしずつ増ふえていく動詞どうしである。瞬間しゅんかんの感情かんじょうとは結むすばない — 「驚おどろきが募つのる」とは言いわない。うとましさがこの動詞どうしを選えらぶのは、それが時間じかんをかけて積せきもる型かたの感情かんじょうだからだ。一回いっかいの出来事できごとでは成立せいりつせず、反復はんぷくが要いる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 憎にくらしい憎にくみ、腹はら立たたしい積極的せっきょくてきな敵てき意い。うとましいは離はなれたい気持きもち。
  • わずらわしい面倒めんどうでうるさい手間てまの話はなし。うとましいは存在そんざいそのものへの拒否きょひ感かん。
  • 疎遠そえんつきあいが遠とおのく関係かんけいの状態じょうたい。うとましいは感情かんじょう。
  • よそよそしい親したしみがない相手あいての態度たいど。うとましいは自分じぶんの感かんじ方ほう。

ENirksome / repellent
ZH厌烦(うとましい, yànfán)

169★★

さしでがましい

さしでがましい[5]中高なかだか型がた

定義ていぎ

他人たにんのことに必要ひつよう以上いじょうに関かかわると感かんじさせるさま。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑169
原げん書しょの解説かいせつ

古こ語ごの「差さし出でづ(=出だしゃばる)」からできた語ごと言いわれている。

使用しようの境界きょうかい

分ぶんをこえて口くちや手てを出だす様子ようす。実際じっさいにでしゃばっている場合ばあいと、そう思おもわれることを恐おそれる場合ばあいの両方りょうほうで使つかう。

用法ようほう

実際じっさいの用法ようほうで最もっとも多おおいのは前置まえおきとしての謙遜けんそんである。「さしでがましいようですが」と断ことわってから意見いけんを述のべる。この場合ばあい、話はなし手ては自分じぶんの発言はつげんが越境えっきょうだと認みとめたうえで、それでも言いうという構かまえを取とる。確認かくにんテストの用例ようれいもこの形かたちである。したがってこの語ごは、人間にんげん関係かんけいの境界線きょうかいせんを意識いしきしていることの表明ひょうめいになる。他人たにんを非難ひなんする用法ようほうもあるが、頻度ひんどは前置まえおきのほうが高たかい。

用例ようれい
  • 子こ曰いわくく、其その位いに在ざいらざれば、其その政まつりごと(まつりごと)を謀はか(はか)らず。『論語ろんご』泰たい伯はく篇へん(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    この語ごが何なにを前提ぜんていにしているかを一行いちぎょうで示しめしている。「位い」とは担当たんとうの範囲はんいである。孔子こうしが言いっているのは能力のうりょくの話はなしではない — 正ただしい意見いけんであっても、位置いちが違ちがえば口くちを出だすべきではないという境界きょうかいの話はなしだ。さしでがましいという語ごも同おなじ構かまえに立たつ。言いった内容ないようが間違まちがっているとは一言ひとことも言いっていない。言いう資格しかくの位置いちにいるかどうかだけを問題もんだいにする。だから正論せいろんほどさしでがましくなりうる。
  • 人ひとは、忠告ちゅうこくほど気き前まえよく与あたえるものはない。ラ・ロシュフコー『箴言しんげん集しゅう』第一だいいち一〇いちれい(1665/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    さしでがましさがどこから湧わくかを突ついている。忠告ちゅうこくには元手もとでがかからない。金かねも労力ろうりょくも要いらず、言いうだけで善意ぜんいの側がわに立たてる。だから人ひとはいくらでも出だす。悪意あくいから生うまれるのではなく、安やすさから生うまれる — ここがこの語ごの厄介やっかいなところだ。「さしでがましいようですが」という前置まえおきは、この安やすさを自分じぶんで値あたい付つけし直なおす行為こういである。ただでは出だしませんと断ことわってから出だす。
  • さしでがましいようですが、日付ひづけをもう一度いちどご確認かくにんください。 実際じっさいに最もっとも多おおい型かたである。構造こうぞうを見みると奇妙きみょうなことが起おきている — 越境えっきょうだと自分じぶんから認みとめたうえで、それでも越こえる。つまりこの前置まえおきは謙遜けんそんの形かたちをした許可きょかの要求ようきゅうであり、境界きょうかいを意識いしきしていることの表明ひょうめいによって境界きょうかいを越こえる権利けんりを一時的いちじてきに買かっている。
  • ×さしでがましくご指導しどういただき、ありがとうございました。 相手あいての行為こういには使つかえない。この語ごは他人たにんへの非難ひなんか自分じぶんの謙遜けんそんのどちらかで、感謝かんしゃの枠わくには入はいらない。敬語けいごの形かたちをしていても、語彙ごいそのものがマイナスの評価ひょうかを運はこんでいるので打うち消けせない — 評価ひょうか語ごは文型ぶんけいで中和ちゅうわできないという典型例てんけいれいである。
作品さくひんでの用例ようれい

「私わたし」が、修道院しゅうどういんにいる叔母おばに就職しゅうしょくの報告ほうこくをすると、叔母おばから祝いわいの手紙てがみが届とどいたが、そこには格言かくげんが書かかれていた。

「貧まずしくとも正ただしく働はたらけ。悩なやむとも、聖せい霊れいとともにそれが如何いかんに正ただしき悩なやみなるかを知しれよ。絶望ぜつぼうはいびつなる悩なやみであることを知しれ。」 私わたしは叔母おばのこの平凡へいぼんな文章ぶんしょうを嘲笑ちょうしょうしたのではなく、寧むしろ彼女かのじょのさしでがましさによって力ちからづけられ慰なぐさめられるのを知しったのである。

出典しゅってん 井伏いぶせ鱒二ますじ『たま虫むしを見みる』

派生はせい形けい
  • さしでがましさ[0]名詞めいし化かすると評価ひょうかが反転はんてんしうる。原げん書しょが引ひく井伏いぶせ鱒二ますじの一節いっせつでは、「私わたし」は叔母おばのさしでがましさによって力ちからづけられ慰なぐさめられると書かく。形容詞けいようしのままなら非難ひなんだが、名詞めいしにして「〜によって」の原因げんいんの位置いちに置おくと、越境えっきょうそのものが好意こういの証あかしとして読よみ直なおされる。品詞ひんしの変換へんかんが価値かちの変換へんかんを可能かのうにしている。
  • さしでる差し出る[0]元もとの動詞どうし。「出でる」は自動詞じどうしで、自分じぶんの側がわの運動うんどうを言いう。ここが大事だいじで、さしでがましさは相手あいてを引ひき込こむ力ちからではなく、自分じぶんがはみ出だす動うごきである。境界線きょうかいせんは動うごかない。動うごくのは自分じぶんだけ — だから責任せきにんがすべてこちら側がわに来くる。
  • 出しゃばるでしゃばる[3]ほぼ同義どうぎだが前置まえおきに使つかえない。「出だしゃばるようですが」とは言いわない。理由りゆうは語ごの格かくにある — 俗語ぞくご的てきで非難ひなんの色いろが強きょうすぎるので、謙遜けんそんの型かたに乗のらない。同おなじ内容ないようの語ごでも、格かくが低ひくいほうは自分じぶんに向むけにくい。謙遜けんそんにはある程度ていどの文体ぶんたいの高たかさが要いるのである。
コロケーション
  • さしでがましいようですが前置まえおきの型かた「よう」がこの型かたのすべてである。断定だんていすれば「さしでがましいですが」となり、自分じぶんの越境えっきょうを事実じじつとして認みとめてしまう。「ようだ」を挟はさむと推すい量りょうになり、「そう見みえるかもしれませんが」に後退こうたいする。わずか二に音おんで責任せきにんの量りょうが変かわる — 日本語にほんごのモダリティが対人たいじん関係かんけいを調節ちょうせつしている現場げんばだ。
  • さしでがましい真似まね非難ひなんの形かたち「真似まね」という名詞めいしが選えらばれることに注目ちゅうもくしたい。「真似まね」は行為こういを一段いちだん低ひくく見みる語ごで、本物ほんものでないという含ふくみを持もつ。つまりこの結むすびつきは助言じょげんの中身なかみを評価ひょうかしていない — 助言者じょげんしゃを演えんじたこと自体じたいを責せめている。内容ないようではなく位置いちを撃うつというこの語ごの性格せいかくが、名詞めいしの選択せんたくに出でている。
  • さしでがましいとは存ありじますが改かいまった形かたち敬語けいごが重かさなるほどこの語ごは生いきる。理由りゆうは明快めいかいで、敬語けいごとは距離きょりの表示ひょうじであり、この語ごは距離きょりの侵犯しんぱんについての語ごだからだ。侵犯しんぱんを告つげるのに距離きょりの言葉ことばを使つかう — この矛盾むじゅんした組くみ合あわせがちょうど礼儀れいぎとして働はたらく。書簡しょかん・議事ぎじ・弔辞ちょうじといった格かくの高たかい場ばほど出現しゅつげん率りつが上あがる。
  • さしでがましく口くちを出だす動作どうさと結むすぶ共起きょうきするのは「口くちを出だす」「手てを出だす」「顔かおを出だす」 — すべて「出だす」である。語源ごげんの「差さし出でづ」がそのまま生いきていて、引ひく方向ほうこうの動詞どうしとは結むすばない。「さしでがましく黙だまる」とは言いえない。語源ごげんの空間くうかん感覚かんかくが共起きょうきの範囲はんいを決きめている例れいである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 出だしゃばり前まえに出でたがる人ひと柄がらの記述きじゅつ。さしでがましいは個々ここの行為こういについて言いう。
  • おこがましい身みの程ほど知しらずである身分みぶん不相応ふそうおうの含ふくみが強つよい。さしでがましいは領分りょうぶんを越こえる話はなし。
  • 余計よけいな不要ふようである不要ふようさのみ。さしでがましいは越境えっきょうの含ふくみを持もつ。
  • 僭越せんえつ立場たちばを越こえて出で過すぎる漢語かんごで改かいまった場ばに使つかう。「僭越せんえつながら」は挨拶あいさつの定型ていけい。

ENmeddlesome / presumptuous
ZH多管闲事(おせっかいだ, duōguǎn xiánshì)

170★★

やるせない

やるせない[4]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい

「思おもいを遣や(や)る瀬せ(せ)がない」という成なり立たち。感情かんじょうの行ゆき場ばがないことを言いう。

定義ていぎ

思おもいを晴はれらすことができず、つらい。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑170
原げん書しょの解説かいせつ

「遣やる瀬せない」と書かく。「遣やる」は〈自みずからの思おもいを晴はれらす〉の意いなので、「やるせない」は〈思おもいを晴はれらす場所ばしょがない〉となる。

使用しようの境界きょうかい

思おもいを晴はれらす方法ほうほうがなく、切きりないこと。悲かなしみに加くわえて、どうにもできないという行いき詰づまりを含ふくむ。

用法ようほう

語ご構成こうせいが意味いみをそのまま示しめす。「遣やる瀬せ」=思おもいを遣やる(送おくり出だす)瀬せ(場所ばしょ)がないという成なり立たちである。だから感情かんじょうが無ないのではなく、あふれる感情かんじょうの行ゆき場ばがないのが要点ようてんになる。恋愛れんあい小説しょうせつで多た用ようされ、確認かくにんテストの用例ようれいも「思おもいを寄よせている人ひとが手ての届とどかないところにいる」場面ばめんである。現代げんだいの会話かいわでも生いきている語ごで、「やるせない」という形容詞けいようし形けいのほか「やるせなさ」の名詞めいし形けいもよく使つかわれる。

用例ようれい
  • 月つきやあらぬ春はるや昔むかしの春はるならぬわが身みひとつはもとの身みにして在原ありわらの業平なりひら/『伊勢いせ物語ものがたり』第だい四よん段だん(10世紀じっせいき)
    やるせなさの構文こうぶんそのものである。去年きょねんと同おなじ月つき、同おなじ春はる。それなのにあの人ひとだけがいない。注目ちゅうもくすべきはこの歌うたが終おわっていないことだ。「もとの身みにして」の「して」は接続せつぞくの形かたちで、続つづきを求もとめたまま切きれている。結論けつろんが出でないのではなく、出だす場所ばしょがない。「遣やる瀬せ(=思おもいを送おくり出だす場所ばしょ)がない」とはまさにこの文ぶんの終おわらなさである。感情かんじょうが過剰かじょうなのではなく、出口でぐちがない。
  • 東海とうかいの小島こじまの磯いその白砂はくしゃに/われ泣なきぬれて/蟹かにとたはむる石いし川かわ啄木たくぼく『一握いちあくの砂すな』(1910)
    行ゆき場ばのない感情かんじょうが何なにをするかを見みせてくれる。泣ないている。そして泣なきながら蟹かにと戯たわむれている。この二ふたつはどちらも悲かなしみを解決かいけつしない。泣ないても消きえず、遊あそんでも紛まぎれない。出口でぐちがないとき、感情かんじょうは意味いみのない動作どうさへ流ながれ込こむ — やるせなさが「酒さけをあおる」「歩あるきまわる」といった無む目的もくてきな行為こういとよく結むすぶのはこのためだ。行為こういが解決かいけつではなく排水はいすいになっている。
  • 言いえなかった言葉ことばが胸むねに残のこって、やるせない。 語ご構成こうせいのとおりである。言葉ことばはすでに生うまれている — 足たりないのは感情かんじょうではなく宛先あてさきだ。やるせないを「悲かなしい」と取とり違ちがえないために、この形かたちを基準きじゅんにしておくとよい。
  • ×計画けいかくが失敗しっぱいしてやるせない。 失敗しっぱいには原因げんいんも対処たいしょもある。手てを打うてる出来事できごとなら、感情かんじょうには「次つぎはこうする」という出口でぐちが残のこっている — それは「悔くやしい」である。やるせないが要求ようきゅうするのはどうにもならないという条件じょうけんで、対処たいしょ可能かのうな事態じたいには置おけない。
作品さくひんでの用例ようれい

「私わたし」は、クラスで仲間なかまはずれにされている哲夫てつおと親したしくなろうとする。

彼かれは、終始しゅうし、無言むごんで、私わたしの家いえの方向ほうこうと彼かれの家いえの方向ほうこうの別わかれ目めになる曲きょくり角かどに来きても、知しらん顔かおでした。 「さよなら、哲夫てつおくん、明日あすね!」 私わたしの声こえだけが響ひびき渡わたりました。私わたしは、少すこし、やるせない思おもいに浸ひたりながら、彼かれの後うしろ姿すがたを見み守まもっていました。

出典しゅってん 山田やまだ詠美えいみ『海うみの方ほうの子こ』

派生はせい形けい
  • やるせなさ[0]名詞めいし形けいが形容詞けいようしと同おなじくらいよく使つかわれる珍めずらしい語ご。「やるせなさに酒さけをあおる」のように原因げんいんの位置いちに置おけるので、感情かんじょうを行動こうどうの動機どうきとして扱あつかえるようになる。形容詞けいようしのままでは状態じょうたいの記述きじゅつにとどまるが、名詞めいしにすると物語ものがたりが動うごき出だす — 小説しょうせつでこの形かたちが多おおいのはそのためである。
  • 遣る瀬やるせ単独たんどくではまず使つかわない。「遣やる瀬せがある」とは言いえない。否定ひていと一体いったいになってはじめて意味いみを持もつ語ごで、「やむを得とくない」の「やむ」、「とんでもない」の「とん」と同おなじ型かたに属ぞくする。否定ひてい形けいだけが生いき残のこったという事実じじつ自体じたいが、この感情かんじょうが日本語にほんごでどれほど繰くり返かえし言いわれてきたかを示しめしている。
  • せんかたない詮方無い[5]同おなじ型かたの兄弟きょうだい語ご。「詮方せんかた(=方法ほうほう)」+「無ない」で、やるせないと構造こうぞうが並行へいこうしている。ただし「詮方せんかた無ない」は諦あきらめへ向むかう — 方法ほうほうがないと認みとめて手てを引ひく。やるせないは諦あきらめない。手てを引ひけないまま出口でぐちを探さがし続つづけるからつらいのであって、この差さがそのまま二に語ごの距離きょりである。
コロケーション
  • やるせない思おもい名詞めいしと結むすぶ「思おもい」が最もっともよく選えらばれるのは偶然ぐうぜんではない。「思おもい」は誰だれかに向むかう名詞めいしである — 思おもいを寄よせる、思おもいを伝つたえる、思おもいを遂とげる。もともと宛先あてさきを持もつ語ごだからこそ、宛先あてさきを失うしなったときの落差らくさが大おおきい。「やるせない怒いかり」が言いいにくいのは、怒いかりが宛先あてさきを自分じぶんで作つくってしまうからだ。
  • やるせなさが募つのる蓄積ちくせきの動詞どうし出口でぐちがないものは溜たまる。流ながれ出でる先さきがあれば「晴はれる」「収おさまる」と結むすぶはずだが、この語ごは増ふえる方向ほうこうの動詞どうしを選えらぶ。「募つのる」「込こみ上あげる」「胸むねにたまる」 — いずれも行ゆき場ばのなさが前提ぜんていである。共起きょうきする動詞どうしの向むきが語ご義ぎの向むきを写うつしている。
  • やるせなさを持もて余あます処理しょりの失敗しっぱい「持もて余あます」は扱あつかいきれないことを言いう動詞どうしで、捨すてられないものにしかつかない。要いらないものなら捨すてればすむ。捨すてられず、かといって置おき場ばもない — この宙ちゅうづりがやるせなさの実質じっしつである。「遣やる瀬せ」がないとは置おき場ばがないということだと、この結むすびつきが教おしえてくれる。
  • やるせなくなる変化へんかの形かたち自動詞じどうし的てきな「なる」でしか言いえない。「やるせなくする」とは言いわない — 誰だれかがそうさせたのではないからだ。加害者かがいしゃのいない感情かんじょうである点てんが「悔くやしい」「腹はら立たたしい」と決定的けっていてきに違ちがう。責せめる相手あいてがいないので、感情かんじょうは外そとへ出でずに内側うちがわに留とまる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 切きりない胸むねがしめつけられる感情かんじょうの強つよさ。やるせないは出口でぐちがないことに重心じゅうしんがある。
  • もどかしい思おもうようにならず苛立いらだつ苛立いらだちが前面ぜんめん。やるせないは静しずかな諦あきらめを含ふくむ。
  • 虚むなしい手てごたえがなく空虚くうきょである空白くうはく感かん。やるせないは満みちた思おもいの行ゆき場ばがない状態じょうたい。
  • 憂鬱ゆううつ気きが晴はれない持続じぞくする気分きぶん。やるせないは特定とくていの思おもいに結むすびつく。

ENdisconsolate / wretched
ZH无奈(どうしようもない, wúnài)

171★★

おぼつかない

おぼつかない[5]中高なかだか型がた

定義ていぎ

① はっきりしない。

② 心こころもとない。頼たよりない。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑171
原げん書しょの解説かいせつ

「覚さとし束たばない」と書かく。「おぼ」は「朧おぼろ(=ぼうっとしてはっきりしない)」の「おぼ」と同おなじ語源ごげんとされている。

使用しようの境界きょうかい

①はっきりせず不確ふたしかなこと。②不安ふあんで心こころもとないこと。同おなじ形かたちで二ふたつの層そうを持もつ。

用法ようほう

三みっつの対象たいしょうに使つかい分わける。①記憶きおく(記憶きおくがおぼつかない)②動作どうさ(おぼつかない足あし取とり)③見込みこみ(成功せいこうはおぼつかない)。共通きょうつうするのは確たしかさが足たりないことで、程度ていどが弱よわく不安定ふあんていな状態じょうたいを表あらわす。古こ語ごでは〈はっきりしないので気きがかりだ〉が本ほん義ぎで、②の不安ふあんの層そうはそこに由来ゆらいする。漢字かんじでは「覚さとし束たばない」と当あてるが、これも当あて字じである。

用例ようれい
  • 照しょうりもせず曇くもりもはてぬ春はるの夜よるの朧月夜おぼろづきよにしくものぞなき大江おおえ千里せんり/『新古今和歌集しんこきんわかしゅう』春はる上じょう(原歌げんかは『大江おおえ千里せんり集しゅう』、9世紀末せいきまつ)
    「おぼ」の出でどころを見みせてくれる一いち首くびである。「おぼつかない」の「おぼ」は「朧おぼろ(おぼろ)」と同どう語源ごげんとされる。この歌うたが言いうのは「照しょうりもせず曇くもりもはてぬ」 — どちらにも決きまらないという状態じょうたいだ。注目ちゅうもくしたいのは、この決きまらなさを歌うたが欠如けつじょとして扱あつかっていないことである。「しくものぞなき」(これに及およぶものはない)と最上さいじょう級きゅうで称たたえる。同おなじ不確ふたしかさが、景けいに向むけば美びになり、心こころに向むけば不安ふあんになる — おぼつかないの二ふたつの層そうはここで一ひとつにつながっている。
  • 僕ぼくの将来しょうらいに対たいする唯ただ(ただ)ぼんやりした不安ふあんである。芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ『或ある旧友きゅうゆうへ送おくる手記しゅき』(1927)
    ②の層そうがどういうものかを示しめす。芥川あくたがわが自みずからの死しの理由りゆうとして書かいたこの一行いちぎょうの要かなめは「ぼんやりした」である。不安ふあんにはふつう対象たいしょうがある — 試験しけんが、病やまいが、金かねが、と名指なざせる。ところがここでは対象たいしょうが輪郭りんかくを持もたない。輪郭りんかくが定さだまらないこと(①)が、そのまま心こころもとなさ(②)になる。二ふたつの意味いみが一語いちごに同居どうきょしているのは偶然ぐうぜんではなく、見みきわめられないものは身み構かまえようがないという人間にんげんの作つくりに由来ゆらいしている。
  • おぼつかない手てつきで箸はしを持もつ子こを、祖母そぼがじっと見みていた。 動作どうさの層そう。ここで面白おもしろいねじれが起おきている — 当とうの子こどもは不安ふあんを感かんじていない。心こころもとなく思おもっているのは見みている祖母そぼのほうだ。動作どうさに使つかうとき、この語ごは観察かんさつ者しゃの感情かんじょうを対象たいしょうへ移うつして述のべている。
  • ×おぼつかない情報じょうほうをもとに記事きじを書かいた。 情報じょうほうの中身なかみの不確ふたしかさには使つかわない。それは「あやふやな」「不確ふたしかな」である。おぼつかないが向むかうのは記憶きおく・動作どうさ・見込みこみ、つまり誰だれかが確たしかにやり遂とげられるかという遂行すいこうの確たしからしさで、命題めいだいの真偽しんぎではない。
作品さくひんでの用例ようれい

谷間たにまにある池いけの周囲しゅういが、ダム建設けんせつで埋うめ立たてられることになる。

一羽いちわの小鳥ことりが池いけの水面すいめんをかすめて、おぼつかなげに飛とびまわっていた。池いけはこの小鳥ことりの住居じゅうきょを犯おかした化物ばけものなのであろう。小鳥ことりは水面すいめんにうつる自分じぶんの姿すがたに向むかって細ほそく鋭するどい悲鳴ひめいをあげ、幾度いくどとなくはげしい羽はばたきをした。

出典しゅってん 井伏いぶせ鱒二ますじ『朽きゅう助すけのいる谷間たにま』

派生はせい形けい
  • おぼつかなさ[0]名詞めいし化かすると三みっつの層そうがいったん融ゆうける。「足あし取とりのおぼつかなさ」は動作どうさの不安定ふあんていさとそれを見みる心こころもとなさを一語いちごで抱かかえる。形容詞けいようしは文ぶんの中なかで層そうを選えらばされるが、名詞めいしは選えらばずにすむ — 多義たぎ語ごを多義たぎのまま運はこべるのが名詞めいし形けいの利り点てんである。
  • おぼつかなげ[0]「げ」+「な」で形容けいよう動詞どうしになる。「〜ない」で終おわる形容詞けいようしに「げ」がつくのは珍めずらしく(さりげない→×さりげなげ)、この語ごが「ない」を否定ひていとして意識いしきされなくなるほど一語いちご化かしていることの証拠しょうこになる。語源ごげんが透明とうめいでなくなると、語ごは自由じゆうに接尾せつび辞じを取とれる。
  • 朧おぼろ[0]同どう語源ごげんとされる語ご。「朧月おぼろづき」「朧おぼろげ」と広ひろがる。面白おもしろいのは評価ひょうかが正反対せいはんたいである点てんだ — 「朧おぼろ」は春はるの景けいとして愛あいでられ、「おぼつかない」は不安ふあんとして嫌いやわれる。同おなじ不ふ明瞭めいりょうさでも、眺ながめるなら美うつくしく、当あてにするなら困こまる。語ごの評価ひょうかは対象たいしょうではなく対象たいしょうとの関かかわり方ほうで決きまるという見本みほんである。
コロケーション
  • 記憶きおくがおぼつかない記憶きおくの層そう記憶きおくは自分じぶんのものなのに自分じぶんで確たしかめられない — この奇妙きみょうな所有しょゆうがこの結むすびつきを生うむ。「記憶きおくが正ただしい/間違まちがっている」とは他人たにんの証言しょうげんと突つき合あわせてはじめて言いえる。それができないあいだは確たしかさの度合どあいしか言いいようがない。検証けんしょうの外そとにある自分じぶんの内容ないようにこの語ごが向むくのはそのためだ。
  • おぼつかない足あし取とり動作どうさの層そう「足あし取とり」「手てつき」「口くちぶり」 — 結むすぶのは体からだの動うごきを外そとから名なづけた名詞めいしばかりである。「おぼつかない意志いし」とは言いわない。見みえるものにしかつかないのは、この層そうが観察かんさつの語ごだからだ。幼児ようじ・老人ろうじん・酔よった人ひと・病やんだ人ひと — 体からだの制御せいぎょが完成かんせいしていないか失うしなわれつつある人ひとに集中しゅうちゅうする。
  • 成功せいこうはおぼつかない見込みこみの層そう「は」で取とり立たてることに意味いみがある。「成功せいこうがおぼつかない」より「成功せいこうは」のほうが自然しぜんなのは、いったん成功せいこうという望のぞみを立たて、そのうえで否定ひていしているからだ。対比たいひの「は」が、期待きたいと現実げんじつの落差らくさを一文字いちもじで作つくっている。見込みこみの語ごはつねに期待きたいの存在そんざいを前提ぜんていにする。
  • おぼつかなげに様態ようたいの形かたち「げ」は外そとから見みた様子ようすを表あらわす。だからこの形かたちは動作どうさの層そうでしか生いきない — 「記憶きおくがおぼつかなげだ」とは言いえない。原げん書しょが引ひく井伏いぶせ鱒二ますじの一節いっせつで小鳥ことりが「おぼつかなげに」飛とぶのは、小鳥ことりの内心ないしんを語かたり手てが知しらないという正直しょうじきさの表明ひょうめいでもある。「げ」は観察かんさつ者しゃの謙虚けんきょさの印しるしだ。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • あやふやはっきりしない内容ないようの曖昧あいまいさ。おぼつかないは実現じつげんや記憶きおくの確たしからしさ。
  • 心こころもとない頼たよりなく不安ふあんである②に近ちかい。おぼつかないは①の意いも強つよく持もつ。
  • 危あやうい失敗しっぱいしそうである結果けっかの見込みこみ。おぼつかないは状態じょうたいの不確ふたしかさ。
  • うろ覚おぼえはっきり覚おぼえていない☑204。記憶きおくに限かぎる。おぼつかないは動作どうさや見込みこみにも使つかえる。

ENuncertain / unsteady
ZH模糊(はっきりしない, móhu)

172★★

間が悪いまがわるい

まがわるい慣用かんよう句く

語ご構成こうせい
間あいだあいだ・タイミング+悪あくわるい

慣用かんよう句く。「間あいだ」はタイミングとその場ばの空気くうきの両方りょうほうを指さす。

定義ていぎ

① きまりが悪わるい。

② 運うんが悪わるい。折おりが悪わるい。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑172
原げん書しょの解説かいせつ

「間あいだ」は、〈空間くうかん・時間じかん・機会きかい〉など多おおくの意いをもつ。また、「間あいだがいい(=運うんがいい)」という表現ひょうげんもある。

使用しようの境界きょうかい

①きまりが悪わるいこと。②折おりが悪わるく、都合つごうが悪わるいこと。二ふたつの意味いみを文脈ぶんみゃくで読よみ分わける。

用法ようほう

「間あいだ」はタイミングとその場ばの空気くうきの両方りょうほうを指さす語ごで、そこから二ふたつの意味いみが出でる。①は自分じぶんの側がわの気きまずさ、②は状況じょうきょうの側がわの不ふ都合つごうである。確認かくにんテストの用例ようれい「人ひと前まえで漢字かんじの読よみの間違まちがいを指摘してきされると、間あいだが悪わるい思おもいをする」は①。「間あいだが悪わるいことに雨あめが降ふってきた」は②。日本語にほんごの「間あいだ」は音楽おんがく・演劇えんげき・会話かいわのリズムを指さす重要じゅうよう語ごでもあり、「間あいだがいい」「間あいだを取とる」「間あいだが持もたない」など派生はせいが多おおい。

用例ようれい
  • 見所けんじょ(けんじょ)の批判ひはんに、「せぬ所しょが面白おもしろき」といふことあり。これは、為手して(して)の秘ひする所しょの安心あんじん(あんじん)なり。世阿弥ぜあみ『花鏡かきょう』「万能ばんのうを一心いっしんに綰つな(つな)ぐ事こと」(1424/表記ひょうきは本ほん教材きょうざいで整ととのえた)
    日本語にほんごの「間あいだ」が何なにであるかを定義ていぎした文章ぶんしょうである。観客かんきゃくが面白おもしろがるのは舞まっている所しょではなく「せぬ所しょ」だと世阿弥ぜあみは言いう。ただしそれは休きゅうんでいる時間じかんではない。演者えんじゃは内ないで心こころを切きらさずにつないでいる — だから面白おもしろい。つまり「間あいだ」は空白くうはくではなく、張ばりつめて保たもたれている時間じかんだ。ここまで来くると「間あいだが悪わるい」が何なにを言いっているかが分わかる — その保持ほじに失敗しっぱいした状態じょうたいである。何なにもしていない時間じかんの質しつが悪わるいのだ。
  • はしたなきもの。異人ことひと(ことひと)を呼よぶに、我われぞとてさし出ででたる。物ものなどとらするをりは、いとどなり。清少納言せいしょうなごん『枕草子まくらのそうし』「はしたなきもの」の段だん(1000頃ころ)
    ①きまりが悪わるいの最もっとも古ふるい記述きじゅつの一ひとつ。161 で同おなじ書しょの「うつくしきもの」を引ひいたが、清少納言せいしょうなごんの「ものづくし」は感情かんじょう語彙ごいの原型げんけいの目録もくろくでもある。ここで起おきているのはこうだ — 他ほかの人ひとを呼よんだのに、自分じぶんだと思おもって出でて行おこなってしまった。注意ちゅういしたいのは、誰だれも自分じぶんを責せめていないことである。悪わるいことは何なにも起おきていない。ただ半拍はんぱくずれただけで居場所いばしょがなくなる。「間あいだが悪わるい」が「悪わるい」と言いいながら道徳どうとくの語ごではないのはこのためだ。
  • 謝あやまろうとした瞬間しゅんかんに相手あいてが笑わらいだして、間あいだが悪わるかった。 ①の典型てんけい。誰だれも悪わるくない。謝あやまろうとした側がわにも笑わらった側がわにも落おち度どはない。起おきているのはずれだけである。責任せきにんの所在しょざいを問とわないまま気きまずさだけを取とり出だせる — これがこの語ごの使つかい勝手かってのよさだ。
  • ×遅刻ちこくしたうえに嘘うそをついたので間あいだが悪わるい。 落おち度どがあるならこの語ごではない。自分じぶんに非ひがある気きまずさは「後うしろめたい」「面目めんぼくない」である。間あいだが悪わるいが引ひき受うけるのは拍子ひょうしのずれであって責任せきにんではない。「悪わるい」という評価ひょうか語ごを含ふくみながら道徳的どうとくてき評価ひょうかを含ふくまないという珍めずらしい語ごだと押おさえておきたい。
作品さくひんでの用例ようれい

父ちちがアメリカにいる「彼かれ」は、小学校しょうがっこう一いち年生ねんせいの時とき、祖父そふからアメリカに行いくかどうか聞きかれる。

「大学校だいがっこうを出でたらお前まえもアメリカへ行いくのかね。」 「行いくさ。」 「若わかしお父ちちさんが帰かえって来きてしまったら?」 「それでも行いくよ。」 そんな気きはしなかったが、間あいだが悪わるかったので彼かれはそう云いった。

出典しゅってん 牧まき野の信しん一いち『地球ちきゅう儀ぎ』

派生はせい形けい
  • 間がいいまがいい対たい義ぎの形かたちが存在そんざいするのが重要じゅうようである。ただし「間あいだがいい」は②の意味いみしか持もたない — 「運うんがいい・折おりがいい」だけで、①に対応たいおうする「きまりがいい」はない。気きまずさには反対語はんたいごがないのだ。否定的ひていてきな感情かんじょう語ごのほうが目めが細こまかいという一般的いっぱんてき傾向けいこうが、ここにも出でている。
  • 間合いまあい[0]「間あいだ」を距離きょりとして取とり出だした語ご。剣けん術じゅつ・武道ぶどうの用語ようごから日常にちじょう語ごになった。「間合まあいを詰つめる」「間合まあいを外はずす」と操作そうさの対象たいしょうになる点てんが「間あいだが悪わるい」と対照的たいしょうてきで、こちらは技術ぎじゅつの語ごである。同おなじ「間あいだ」が、制御せいぎょできる側がわから見みれば間合まあい、制御せいぎょに失敗しっぱいした側がわから見みれば間あいだの悪わるさになる。
  • 間延びまのび[0]「間あいだ」が長ながすぎる状態じょうたい。「間あいだが悪わるい」がずれを言いうのに対たいし、これは過剰かじょうを言いう。「間あいだ延のびした話はなし」は内容ないようが悪わるいのではなく張ばりが失うしなわれている — ふたたび世阿弥ぜあみの「せぬ所しょ」を心こころでつなぐという条件じょうけんが効きいている。間あいだは長ながさの問題もんだいではなく緊張きんちょうの問題もんだいである。
コロケーション
  • 間あいだが悪わるいことに副詞ふくし句くの型かた②の代表だいひょう形けい。文頭ぶんとうに置おいて出来事できごとの側がわの不運ふうんを告つげる。重要じゅうようなのはこの形かたちでは話はなし手ての心情しんじょうを言いっていない点てんだ。「あいにく」「折おり悪あくしく」と交換こうかんでき、①の気きまずさは消きえる。同おなじ語ごが、文中ぶんちゅうの位置いちを変かえるだけで心情しんじょうの語ごから状況じょうきょうの語ごへ移うつる — 統語とうごが意味いみを選えらぶ好例こうれいである。
  • 間あいだが悪あくそうに様態ようたいの形かたち①専用せんよう。共起きょうきする動作どうさは頭あたまをかく・笑わらってごまかす・目めをそらす・鼻はなの頭あたまを触さわると、いずれも意味いみのない手持てもちぶさたの動うごきである。なぜか。間あいだが悪わるいとは「何なにをすべきか決きまらない時間じかん」だからだ。空あいた時間じかんを埋うめるためだけの動作どうさが出でる。世阿弥ぜあみの言いう「せぬ所しょ」を保たもてなかった姿すがたがそのままここにある。
  • 間あいだが悪わるい思おもいをする経験けいけんの形かたち「思おもいをする」は自分じぶんでは選えらべない経験けいけんを受うけ取とる型かたである(つらい思おもい・恥はじずかしい思おもい)。「間あいだが悪わるくする」とは言いえない。ずれは起おこすものではなく起おきるもので、当事者とうじしゃはつねに受うけ身みだ。文型ぶんけいがこの語ごの無責任むせきにんさを保証ほしょうしている。
  • 間あいだが持もたない「間あいだ」の一族いちぞく「間あいだがいい」「間あいだを取とる」「間合まあい」「間あいだ延のび」「間あいだ抜ぬけ」 — 「間あいだ」の一族いちぞくはどれも時間じかんの長ながさと空気くうきの張ばりを同時どうじに言いう。日本語にほんごの「間あいだ」は空間くうかんと時間じかんを分わけないのである(「間あいだ」は部屋へやでもあり拍はくでもある)。この未分化みぶんかこそが芸げい能のう語彙ごいの土台どだいで、「間あいだが悪わるい」はその巨大きょだいな語ご族ぞくの末端まったんにつながっている。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • きまりが悪わるい恥はじずかしく落おち着つかない①と同義どうぎ。より日常的にちじょうてき。
  • ばつが悪わるい気きまずい①と同義どうぎ。会話かいわで最もっとも多おおい。
  • 折おり悪あくしくちょうど都合つごうの悪わるい時ときに②の副詞ふくし形けい。硬かたい言いい方かた。
  • 運うんが悪わるいめぐりあわせが悪わるい結果けっかの話はなし。間あいだが悪わるいはタイミングの話はなし。

ENawkward / ill-timed
ZH尴尬(気まずい, gāngà)

コラム ── 島崎しまざき藤村とうそん

島崎しまざき藤村とうそんは雑誌ざっし『文学ぶんがく界かい』に参加さんかし、詩し集しゅう『若菜わかな集しゅう』を発表はっぴょうしたが、その後ごは小説しょうせつに転てんじた。『家いえ』という作品さくひんは、『破戒はかい』『春はる』に続つづく長ちょう編へん小説しょうせつ第だい三さん作さくで、明治めいじ四十よんじゅう三さん・四よん十四じゅうよん年ねんに、新聞しんぶん・雑誌ざっしに連載れんさいされたものである。当時とうじは自然しぜん主義しゅぎ文学ぶんがくが評ひょう論ろんを中心ちゅうしんに全盛期ぜんせいきを迎むかえていたが、それに引ひきずられるようにして、藤村とうそんや田た山やま花袋かたいなどの小説しょうせつにも見みるべきものが出でてきた頃ころであった。

『家いえ』は、二ふたつの旧きゅう家かにスポットライトをあて、すべてのことを家いえの中なかに視点してんを置おいて眺ながめる形かたちで書かかれている。この点てんで、家父かふ長ちょう制せい下したにある家いえの現実げんじつを深ふかくえぐりとった作品さくひんだ。また、二ふたつの旧きゅう家かのモデルになったのは、信しん州しゅう浅間あさまの島崎しまざき家かと、長姉ちょうし園その子こが嫁とついだ木曽福島きそふくしまの高瀬たかせ家か。藤村とうそんの血縁けつえん者しゃである両家りょうけの人々ひとびとの多おおくはこの小説しょうせつに実際じっさいに登場とうじょうし、三吉さんきちという登場とうじょう人物じんぶつは藤村とうそん自身じしんがモデルである。

ちなみに、自然しぜん主義しゅぎ文学ぶんがくの代表作だいひょうさくとして、藤村とうそんの『家いえ』を挙あげる評ひょう論ろん家かもいる。

コラム ── 谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう

谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうは、島崎しまざき藤村とうそんなどの自然しぜん主義しゅぎ文学ぶんがくと対立たいりつする立場たちばである、耽美たんび派は作家さっかとして出発しゅっぱつした。しかし、二ふたつの文学ぶんがく潮流ちょうりゅうを並ならべて比較ひかくすると、意外いがいな類似性るいじせいも見みつかる。たとえば、藤村とうそんの『破戒はかい』が当時とうじの封建ほうけん社会しゃかいの下もとでの部落ぶらく問題もんだいに対たいする反はん抗こう意識いしきを萌芽ほうが的てきに内在ないざいさせ、その後ごのプロレタリア文学ぶんがくの布石ふせきとなったように、谷崎たにざきの『刺青いれずみ』『痴人ちじんの愛あい』などの作品さくひんにおけるエロスや官かん能のうへの傾斜けいしゃは、その後ごの日本にほん的てきなモダニズムを用意よういしたのである。

また、随筆ずいひつ『陰翳いんえい礼讃らいさん』においては、過度かどな明あかるさを忌避きひする日本にほん的てきな美びのありようを追求ついきゅうするうちに、今日きょうの節せつ電でん効果こうか、省しょうエネ対策たいさくなどエコロジー的てきな発想はっそうを喚起かんきさせるとも言いえよう。

さらに晩年ばんねんの傑作けっさく『細雪ささめゆき』は、古典的こてんてきな美びへの傾斜けいしゃを見みせた退廃たいはい的てきな作品さくひんとして、軍ぐん部ぶによって発禁はっきん処分しょぶんとされた。プロレタリア文学ぶんがくとは異ことなるが、消しょう極きょく的てきながらも、結果的けっかてきにはもう一ひとつの抵抗ていこう文学ぶんがくたり得とくたのである。

確認かくにんテスト24
問とい 1

次つぎの空欄くうらんに当あてはまる語ごを、あとの①〜⑥からそれぞれ一ひとつずつ選えらべ(同おなじものは二に度ど使つかってはならない)。なお、空欄くうらんには活用かつようさせて入はいるものもある。

  • ア 思おもいを寄よせている人ひとが手ての届とどかないところにいる時ときは、何なにとも[ ]ものだ。
  • イ 読書どくしょ中ちゅうの小説しょうせつで、主人公しゅじんこうの性格せいかくが自分じぶんと似にていることに気きづき、[ ]気きがした。
  • ウ いつもはひょうきんな彼かれが、皆みなの前まえで話はなしをする時ときは急きゅうに[ ]顔かおになるのが、何なにともおかしい。
  • エ その程度ていどの勉強べんきょう量りょうで「猛もう勉強べんきょう」などと言いうなんて、[ ]にもほどがある。他ほかの人ひとは君きみの二に倍ばいは勉強べんきょうしているよ。
  • オ 通つう学がく途中とちゅうで気きになっていた、名前なまえも知しらない彼女かのじょに思おもい切きって声こえをかけたら、あからさまに[ ]顔かおをされてしまった。
  • カ 今日きょうは一人ひとりでいたいのに、しきりに携帯電話けいたいでんわにメッセージが届とどく。こんな時とき、いつもは便利べんりな携帯電話けいたいでんわが[ ]てたまらない。
  • ①懐なつかしい
  • ②しかつめらしい
  • ③いぶかしい
  • ④片腹かたはら痛いたい
  • ⑤うとましい
  • ⑥やるせない
正解せいかいと解説かいせつ

ア=⑥ / イ=① / ウ=② / エ=④ / オ=③ / カ=⑤

イ:「懐なつかしい」には〈心こころ引ひかれる〉という意味いみもある。

オ:「いぶかしい」の動詞どうし形けいは「いぶかる(訝げんる)」で、〈疑うたがわしく思おもう・不審ふしんに思おもう〉の意い。

問とい 2

次つぎの空欄くうらんに当あてはまる語ごを、あとの①〜⑥からそれぞれ一ひとつずつ選えらべ(同おなじものは二に度ど使つかってはならない)。なお、空欄くうらんには活用かつようさせて入はいるものもある。

  • ア 人ひと前まえで漢字かんじの読よみの間違まちがいを指摘してきされると、[ ]思おもいをすることになるので、自信じしんがない時ときは辞書じしょで調しらべよう。
  • イ 「ラクして痩やせられる」や「簡単かんたんに成績せいせきが上あがる」などの広告こうこくを見みたら、まず[ ]と思おもわなければならない。
  • ウ 自分じぶんの責任せきにんを他人たにんに押おしつけて知しらん顔かおをしているなんて、[ ]ことだ。
  • エ 皆みなの前まえで発表はっぴょうした時ときのことは、とても緊張きんちょうしていて記憶きおくが[ ]。
  • オ いつもは男おとこ勝まさりな彼女かのじょが、好意こういを寄よせている彼かれの前まえでは急きゅうに[ ]なる。
  • カ 君きみたち二人ふたりの問題もんだいに[ ]ことを言いうようだが、一人ひとりの友人ゆうじんの忠告ちゅうこくとして聞きいてほしい。
  • ①しおらしい
  • ②あさましい
  • ③うさんくさい
  • ④さしでがましい
  • ⑤おぼつかない
  • ⑥間あいだが悪わるい
正解せいかいと解説かいせつ

ア=⑥ / イ=③ / ウ=② / エ=⑤ / オ=① / カ=④

ア:この文ぶんでは〈①きまりが悪わるい〉の意い。

エ:この文ぶんでは、〈①はっきりしない〉の意味いみ。

感情の形容詞を、見る側に属して自称できない語と、本人に属して自称できる語に分けた図左の枠には、しおらしい・しかつめらしい・片腹痛い・うさんくさい・さしでがましいが入る。これらは評価する視線を語のなかに含むので自分には使えない。右の枠には、いぶかしい・懐かしい・うとましい・やるせない・間が悪いが入る。これらは本人の感じを述べるので自称できる。下の帯には、どちらにも立てる語としておぼつかない・あさましいを置いた。 その語は誰の側にあるかWHOSE WORD見る側に属する自称できないしおらしいしかつめらしい片腹痛いうさんくさいさしでがましい本人に属する自称できるいぶかしい懐かしいうとましいやるせない間が悪いどちらにも立てる語おぼつかない  あさましい評価語は視線を含む。含んだ視線は、自分では用意できない
自称じしょうできるかどうかが、語ごの所属しょぞくを教おしえる
Blank

「しおらしい」と言いえるのは、その人ひとを見みている側がわだけである。では、見みられている本人ほんにんのなかで、その心こころの動うごきは何なにと呼よばれているのか。