Part 3 · 02

慣用かんよう句くと動詞どうし

[ 原げん書しょ 第だい3部ぶ ☑173〜184 ]

語ご数すう 12 / 作家さっかコラム 4 / 確認かくにんテスト 1

Part 3

この部ぶの章しょう

  1. 01感情かんじょうの形容詞けいようし161-172
  2. 02慣用かんよう句くと動詞どうし173-184
  3. 03心情しんじょうの漢語かんご185-196
  4. 04漢語かんご・副詞ふくし197-210
Section 02

慣用かんよう句くと動詞どうし

173★★★

水を差すみずをさす

みずをさす慣用かんよう句く

語ご構成こうせい
水みずみず+差ささす
定義ていぎ

余計よけいな口くち出だしをして、邪じゃ魔まをする。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑173
原げん書しょの解説かいせつ

〈物事ものごとがうまくいっていることを妨さまたげる〉の意いだが、とくに、〈仲なかがよい者もの同士どうしの邪じゃ魔まをする〉という意いを表あらわす。

使用しようの境界きょうかい

うまくいっているものを、横よこから邪じゃ魔ましてだいなしにすること。悪意あくいの有無うむは問とわない。

用法ようほう

熱あついものに水みずを注そそいで温度おんどを下さげる、という比喩ひゆがそのまま語ご義ぎになっている。だから対象たいしょうは盛もり上あがっているものに限かぎられ、もともと停滞ていたいしているものには使つかえない。悪意あくいがなくても成なり立たつ点てんが要点ようてんで、良よかれと思おもって言いった一言ひとことが水みずを差さすこともある。「二人ふたりの仲なかに水みずを差さす」のように人間にんげん関係かんけいにも使つかう。同おなじ「水みず」でも「水みずに流ながす」「水みずを向むける」は別べつの慣用かんよう句くなので混同こんどうしない。

用例ようれい
  • ここに茶ちゃわんが一ひとつあります。中なかには熱あつい湯ゆがいっぱいはいっている。ただそれだけではなんの変へん哲てつもないようですが、よく気きをつけて見みていると、だんだんにいろいろの微細びさいな現象げんしょうが起おこって来くる。寺田てらだ寅彦とらひこ『茶ちゃわんの湯ゆ』(1922)
    この慣用かんよう句くの物理的ぶつりてきな下地したじを見みせてくれる随筆ずいひつの書かき出だしである。寺田てらだはこのあと、湯ゆの表面ひょうめんに立たつ湯気ゆげ、茶ちゃわんの縁えんから起おきる対流たいりゅうを順じゅんに描えがいていく。大事だいじなのは熱あつい湯ゆが「なんの変へん哲てつもない」ものではないという観察かんさつだ。熱ねつがあるかぎり中なかでは動うごきが続つづいている。そこへ水みずを差させば温度おんどが下さがり、その動うごきが止とまる。この語ごが「盛もり上あがっているもの」にしか使つかえないのは、比喩ひゆの元もとが熱ねつの運動うんどうだからである。冷さめているものに水みずを差さしても何なにも起おこらない。
  • 久きゅうしく隔へだたりて逢あひたる人ひとの、我わが方ほうにありつること、数々かずかずに残のこりなく語かたり続つづくるこそ、あいなけれ。吉田兼好よしだけんこう『徒然草つれづれぐさ』第だい五十ごじゅう六ろく段だん(1330頃ころ)
    水みずを差さす側がわは悪意あくいを持もっていないという要点ようてんを裏うらから照てらす。久ひさしぶりに会あった人ひとが自分じぶんの身みの上うえを残のこらず語かたり続つづける。これを兼好けんこうは「あいなし」(=興きょうざめだ)と書かく。語かたっている本人ほんにんは嬉うれしくて話はなしているだけで、誰だれの邪じゃ魔まもしていないつもりである。それでも場ばの熱ねつは下さがる。水みずを差さすという語ごが悪意あくいの有無うむを問とわないのは、この語ごが動機どうきではなく結果けっかを名なづけているからだ。「差さすようで悪わるいが」という前置まえおきが成なり立たつのも、差さす気きがなくても差ささってしまうと皆みなが知しっているからである。
  • せっかく盛もり上あがっているところに水みずを差さすようだが、終電しゅうでんの時刻じこくを確たしかめておきたい。 前置まえおきとしての典型てんけい。構造こうぞうは「さしでがましいようですが」(169)と同おなじで、これから自分じぶんがすることを先さきに名指なざしておく。違ちがいは侵おかす対象たいしょうだ — さしでがましいは相手あいての領分りょうぶんを、水みずを差さすは場ばの熱ねつを侵おかす。
  • ×停滞ていたいした議論ぎろんに水みずを差さす。 比喩ひゆが成なり立たたない。冷さめているものはこれ以上いじょう冷さめない。慣用かんよう句くの誤ご用ようはたいていこの型かたで、意味いみだけを覚おぼえて元もとの場面ばめんを手放てばなしたときに起おきる。「邪じゃ魔まをする」とだけ覚おぼえていると、何なんにでも差させるように見みえてしまう。
作品さくひんでの用例ようれい

「アメリカさん」と呼よばれた叔父おじの散歩さんぽコースについて、人々ひとびとの間あいだでさまざまに推測すいそくがされていたが、「私わたし」にも自分じぶんなりの考かんがえがあった。

私わたしはこうした自分じぶんの考かんがえをよほど一いち座ざに披露ひろうしようかと思おもったが、すんでのところで思おもい留とまった。味あじもそっけもない見方みかたであったし、一いち座ざの、やはり同郷どうきょう人ひとの暖あたたかさがどこかに感かんじられるアメリカさん観かんに徒とらに水みずをさすようなものであったからである。

出典しゅってん 井上いのうえ靖やすし『道みち』

派生はせい形けい
  • 水を差される受うけ身み形けい。慣用かんよう句くが受うけ身みになれるのは、動詞どうしとして十分じゅうぶんに生いきている証拠しょうこである(「油あぶらを売うられる」とは言いえない)。受うけ身み・使役しえき・可能かのうのどこまで活用かつようできるかが、慣用かんよう句くの固かたまり具合ぐあいを測はかるものさしになる。
  • 水入らずみずいらず[0]「水みず」を外部がいぶの混まじり物ものとみる点てんで同おなじ発想はっそうに立たつ。「親おや子こ水みず入はいらず」はよそ者ものが入はいっていない状態じょうたいを言いう。油あぶらと水みずが混まじらないことから来きたとされ、ここでも水みずは「本来ほんらいそこにないよそのもの」という役やくを与あたえられている。
  • 冷や水を浴びせるひやみずをあびせる同おなじ比喩ひゆ体系たいけいの強つよい版はん。「差さす」は少量しょうりょう、「浴あびせる」は全ぜん量りょうで、温度おんど差さも勢いきおいいも桁けたが違ちがう。したがって悪意あくいの有無うむを問とわない「水みずを差さす」と違ちがい、こちらはほぼ意図的いとてきである。動詞どうしの選択せんたくだけで故意こいか過か失しつかが切きり替かわる。
コロケーション
  • 二人ふたりの仲なかに水みずを差さす人間にんげん関係かんけいの型かた原げん書しょがとくにこの用法ようほうを挙あげるのには理由りゆうがある。仲なかのよさは「熱ねつ」の比喩ひゆで語かたられる語ごだからだ — 熱ねつをあげる、熱ねつが冷さめる、熱々あつあつ。恋愛れんあいが温度おんどで測はかられる以上いじょう、それを壊こわす動作どうさも温度おんどの言葉ことばになる。比喩ひゆは単独たんどくでは立たたず、体系たいけいとして働はたらいている。
  • 水みずを差さすようで悪わるいが前置まえおきの型かた「ようで」が効きいている。断定だんていすれば自分じぶんの行為こういを妨害ぼうがいと認みとめることになるが、「ようだ」を挟はさむと「そう見みえるかもしれない」に後退こうたいする。169 の「さしでがましいようですが」とまったく同おなじ文法ぶんぽうの仕掛しかけで、日本語にほんごは越境えっきょうの前まえに推すい量りょうを一いち枚まい挟はさむことを好このむ。
  • 水みずを差さされた気分きぶん受うけ身みの形かたち受うけ身みにすると主語しゅごが場ばから人ひとへ移うつる。「場ばに水みずを差さす」は出来事できごとの記述きじゅつだが、「水みずを差さされた気分きぶん」は個人こじんの感情かんじょうの記述きじゅつになる。そして受うけ身みでは誰だれが差さしたかを言いわなくてよい — 加害者かがいしゃを名指なざさずに被害ひがいだけを述のべられるので、非難ひなんを和やわらげる働はたらきを持もつ。
  • 水みずに流ながす・水みずを向むける紛まぎらわしい親族しんぞく「水みず」の慣用かんよう句くは三みっつとも別べつの比喩ひゆである。「水みずに流ながす」は川かわの流ながれ(過去かこを押おし流ながす)、「水みずを向むける」は巫女みこが死者ししゃを呼よぶために水みずを手て向むけたことから(話はなしを誘さそい出だす)、「水みずを差さす」は湯ゆの温度おんど。同おなじ字じを見みて同おなじ族ぞくだと思おもうと間違まちがえる — 慣用かんよう句くは字じではなく場面ばめんで分類ぶんるいする。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 邪じゃ魔まする進行しんこうをさまたげる一般いっぱん語ご。水みずを差さすは〈盛もり上あがりを冷さます〉という含ふくみを持もつ。
  • 腰こしを折おりる話はなしの途中とちゅうでさえぎる話はなしに限かぎる。水みずを差さすは関係かんけいや雰囲気ふんいきにも使つかう。
  • 冷ひや水みずを浴あびせる勢いきおいいを一気いっきに止とめるより強つよい。水みずを差さすはさりげない妨害ぼうがい。
  • 興きょうざめ気分きぶんがしらける結果けっかの状態じょうたい。水みずを差さすはその原因げんいんとなる行為こうい。

ENto throw cold water on
ZH泼冷水(冷や水を浴びせる, pō lěngshuǐ)

174★★

才走るさいばしる

さいばしる[4]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい
才さい才能さいのう+走そうはしる
定義ていぎ

才能さいのうに富とみむ。また、才さい知ちが働はたらきすぎる。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑174
原げん書しょの解説かいせつ

「才さい気き走はしる」も同意どうい。「走はしる」には、〈過度かどだ〉という否定的ひていてきなニュアンスも含ふくまれている。

使用しようの境界きょうかい

才さい知ちがすぐれ、それが表ひょうに出ですぎていること。褒ほめきらず、批判ひはんの含ふくみを持もつ。

用法ようほう

要点ようてんは褒ほめきらないことにある。才能さいのうがあること自体じたいは認みとめているが、それが表ひょうに出で過すぎて鼻はなにつく、という評価ひょうかが入はいる。だから称賛しょうさんの文脈ぶんみゃくでは使つかえない。「走はしる」は度どを越ごして先さきへ行いくという意味いみで、「筆ふでが走はしる」「感情かんじょうに走はしる」と同おなじ用法ようほうである。小説しょうせつでは、少年しょうねんや若者わかものの人物じんぶつ描写びょうしゃに用もちいられ、その人物じんぶつの未熟みじゅくさを示しめす伏線ふくせんになることが多おおい。

用例ようれい
  • 企つまだ(つまだ)つ者ものは立たたず、跨また(また)ぐ者ものは行いかず。自みずから見みる者ものは明あきらかならず、自みずから是ぜ(ぜ)とする者ものは彰あら(あら)はれず、自みずから伐ほこ(ほこ)る者ものは功こうなく、自みずから矜ほこ(ほこ)る者ものは長ひさ(ひさ)しからず。『老子ろうし』第だい二十四にじゅうよん章しょう(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    「走はしる」という字じがなぜ否定ひていを帯おびるかを説とく。冒頭ぼうとうの二に句くはつま先さき立たちする者ものは長ながく立たてず、大股おおまたで歩あるく者ものは遠とおくへ行いけないという意味いみである。注意ちゅういしたいのは能力のうりょくを否定ひていしていない点てんだ。つま先さき立たちすれば実際じっさいに高たかくなるし、大股おおまたなら実際じっさいに速はやい。問題もんだいはそれが続つづかないことにある。才さい走はしるという語ごが才さいを認みとめながら褒ほめきらないのはこれと同おなじ構かまえで、いま出でている速はやさを認みとめたうえで、その先さきを危きぶんでいる。この語ごが少年しょうねんの描写びょうしゃに多おおいのも、先さきがまだ長ながいからである。
  • 己おれ(おれ)の珠たまに非ひざることを惧おそ(おそ)れるが故こに、敢あへ(あへ)て刻苦こっくして磨みが(みが)かうともせず、又また、己おのれの珠たまなるべきを半なかば信しんずるが故こに、碌々ろくろく(ろくろく)として瓦かわらに伍ごすることも出来できなかった。中島なかじま敦あつし『山月さんげつ記き』(1942/中島なかじま 1942 没ぼつ)
    才さい走はしった者ものの内側うちがわを書かいた一節いっせつである。外そとから見みれば李徴りちょうは才さい気きにあふれ、人ひとを人ひととも思おもわぬ男おとこだった。ところが本人ほんにんの告白こくはくでは、その高こう慢まんは自信じしんではなく恐おそれだったという。磨みがくけば珠たまでないと分わかってしまうから磨みがかない。ここに才さい走はしるという語ごの観察かんさつの鋭するどさがある — 才さいが表ひょうへ出で過すぎているとき、それは中身なかみが充みつるちているからではなく、中身なかみを確たしかめずに済すませているからであることが多おおい。この語ごの「鼻はなにつく」という感覚かんかくは、その空洞くうどうを読よみ手てが嗅かぎ当あてているのだ。
  • 才さい走はしった受うけ答こたえをする子こだと、担任たんにんは褒ほめもけなしもしない顔かおで言いった。 この語ごの使つかわれ方ほうを正確せいかくに写うつした文ぶん。褒ほめもけなしもしない — この宙ちゅうづりが語ご義ぎそのものである。才能さいのうの存在そんざいは認みとめているので悪口わるぐちではないが、「出で過すぎ」の判定はんていが入はいっているので称賛しょうさんでもない。
  • ×受賞じゅしょうの挨拶あいさつで恩おん師しは彼かれを才さい走はしった若者わかものだと讃たたえた。 称賛しょうさんの文脈ぶんみゃくには置おけない。「走はしる」が「度どを越こす」を運はこんでいるので、讃たたえるという動詞どうしと衝突しょうとつする。「才さい気きあふれる」「英邁えいまいな」なら純粋じゅんすいな称賛しょうさんになる。語ごの中なかに評価ひょうかが埋うめ込こまれているとき、文脈ぶんみゃくでは打うち消けせない。
作品さくひんでの用例ようれい

「私わたし」は、教授きょうじゅから入学試験にゅうがくしけんの英語えいごの成績せいせきを褒ほめられて、嬉うれしくなった。

私わたしはこの時とき、英語えいごは自分じぶんが出来できる方ほうらしい、と思おもうことによって、私わたしよりも大人おとなびて見みえる同どう級きゅう生せいや都会とかい育そだちの才さい走はしった同どう級きゅう生せいに感かんじていた劣等れっとう意識いしきから救すくわれた。

出典しゅってん 伊藤いとう整せい『若わかい詩人しじんの肖像しょうぞう』

派生はせい形けい
  • 才気走るさいきばしる[5]ほぼ同義どうぎだが、「才さい気き」という漢語かんごを挟はさむぶん文章ぶんしょう語ご寄よりになる。「才さい」一いち字じより「才さい気き」のほうが働はたらきの鋭するどさを前まえに出だすので、批判ひはんの色いろもやや濃こい。同おなじ意味いみでも語ごを長ながくすると文体ぶんたいが上あがるという一般いっぱん則そくがここでも働はたらく。
  • 小才こざい[0]「小しょう」がついて批判ひはんが前面ぜんめんに出でる。「小しょう才さいが利きく」は目め先さきの器用きようさはあるが大おおきな仕事しごとはできないという意味いみで、才さい走はしるにまだ残のこっていた敬意けいいが消きえている。接頭辞せっとうじひとつで評価ひょうかの目盛めもりが一段いちだん下さがる。
  • 才走らない否定ひてい形けいがほとんど使つかわれないことに注意ちゅういしたい。「才さい走はしらない少年しょうねん」とは言いわない。この語ごが目めに付ついたものだけを名指なざす語ごだからで、目めに付つかない状態じょうたいには名前なまえがない。否定ひてい形けいの不在ふざいが、その語ごの成立せいりつ条件じょうけんを教おしえてくれる。
コロケーション
  • 才さい走はしった少年しょうねん年齢ねんれいと結むすぶ年少ねんしょう者しゃに集中しゅうちゅうするのは偶然ぐうぜんではない。この語ごは「まだ結果けっかが出でていない」ことを前提ぜんていにしている。実績じっせきのある大人おとなに使つかうと侮辱ぶじょくに近ちかくなる — 成なし遂とげたものを見みずに見みかけだけで評ひょうしたことになるからだ。小説しょうせつでこの語ごが伏線ふくせんになりやすいのは、語ご自体じたいが「この先さきどうなるか」を含ふくんでいるためである。
  • どこか才さい走はしったところ部分ぶぶん化かの型かた「どこか」「〜たところ」というぼかしの枠わくとよく結むすぶ。これは人格じんかくの全体ぜんたいを断だんじたくないという話はなし手ての躊躇ちゅうちょである。批判ひはんを一点いってんに押おし込こめておくことで、相手あいてを否定ひていしきらずに済すませる。語ごの含ふくむ半端はんぱさが、構文こうぶんの半端はんぱさを呼よんでいる。
  • 才さい走はしって見みえる見みえ方かたの動詞どうし「見みえる」「思おもわれる」と結むすびやすい。才さい走はしるは内面ないめんの記述きじゅつではなく印象いんしょうの記述きじゅつだからだ。本人ほんにんが才さいを誇示こじしているとは限かぎらない — 受うけ手てが出で過すぎだと感かんじているだけの場合ばあいがある。167 うさんくさいと同おなじ構造こうぞうで、評価ひょうかの所在しょざいが見みる側がわにある。
  • 筆ふでが走はしる・感情かんじょうに走はしる「走はしる」の一族いちぞく「走はしる」は和わ語ごのなかで「度どを越ごして先さきへ行いく」を一手いってに担になう動詞どうしである。筆ふでが走はしる(書かき過すぎる)、感情かんじょうに走はしる(理りを欠かく)、極端きょくたんに走はしる、悪事あくじに走はしる。共通きょうつうするのは速はやさそのものは悪わるくないが、制御せいぎょが追おいついていないという判断はんだんだ。才さい走はしるはこの語ご族ぞくの一員いちいんとして読よむと腑ふに落おちる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 聡明そうめいかしこく道理どうりに明あかるい純粋じゅんすいな称賛しょうさん。才さい走はしるは出で過すぎている含ふくみがある。
  • 小しょう賢かしこしいこざかしく生意気なまいきだ明確めいかくな非難ひなん。才さい走はしるはそこまで強つよくない。
  • 才さい気き煥発かんぱつ才さい知ちがきらめいている称賛しょうさん。才さい走はしるは同おなじ性質せいしつを批判的ひはんてきに見みた言いい方かた。
  • 如才じょさいない気きがきいて抜ぬかりがない対人たいじん的てきな気配けはいり。才さい走はしるは知ち力りょくの鋭するどさ。

ENprecocious / too clever
ZH精明外露(才気が表に出る, jīngmíng wàilù)

175★★★

腑に落ちないふにおちない

ふにおちない慣用かんよう句く

語ご構成こうせい
腑ふはらわた・心こころの底そこ+落らくおちる

「腑ふ」は、はらわた。理解りかいが身体しんたいの底そこまで降おりてこないという比喩ひゆである。

定義ていぎ

納得なっとくがいかない。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑175
原げん書しょの解説かいせつ

「腑ふ」は腹はらのことで、〈心こころ〉の意いを表あらわす。左ひだりの文章ぶんしょうでは、「はは」の死しに対たいする戸惑とまどいが表現ひょうげんされる。

使用しようの境界きょうかい

説明せつめいされても納得なっとくできないこと。理解りかいできないのではなく、理解りかいしたうえで納得なっとくしきれない状態じょうたいを指さす。

用法ようほう

「腑ふ」ははらわたで、転てんじて心こころの底そこを指さす。理解りかいが頭あたまで止とまり、身体しんたいの底そこまで降おりてこない――この比喩ひゆが語ご義ぎになっている。したがって「わからない」とは違ちがう。説明せつめいは理解りかいできたが、それでも引ひっかかる、という状態じょうたいである。肯定こうてい形けいの「腑ふに落おちる」も使つかえるが、否定ひてい形けいのほうが圧倒的あっとうてきに多おおい。「府ふに落おちない」は誤あやまりで、「腑ふ」が正ただしい。

用例ようれい
  • では、時間じかんとは何なにか。誰だれも私わたしに問とわないなら、私わたしは知しっている。問とう人ひとに説明せつめいしようとすると、私わたしは知しらない。アウグスティヌス『告白こくはく』第だい十一じゅういち巻かん(397頃ころ/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    この語ごのちょうど裏側うらがわを言いい当あてた一節いっせつである。ここで起おきているのは腑ふには落おちているが言葉ことばにできないという状態じょうたいだ。「腑ふに落おちない」はその反対はんたいで、言葉ことばとしては完全かんぜんに理解りかいできたのに、底そこまで降おりてこない。二ふたつを並ならべると、理解りかいと納得なっとくが別々べつべつの器官きかんに属ぞくしていることが見みえてくる。頭あたまで分わかることと腹はらで分わかることは独立どくりつに起おこりうる — この慣用かんよう句くが「腑ふ」=はらわたという身体しんたいの語ごを選えらんだのは、その独立どくりつを知しっていたからである。
  • 余よは今いままで禅宗ぜんしゅうのいはゆる悟さとりといふ事ことを誤解ごかいして居いた。悟さとりといふ事ことは如何いかんなる場合ばあいにも平気へいきで死しぬる事ことかと思おもつて居いたのは間あいだ違いひで、悟さとりといふ事ことは如何いかんなる場合ばあいにも平気へいきで生いきて居いる事ことであつた。正岡まさおか子規しき『病牀びょうしょう六ろく尺さし』(1902)
    腑ふに落おちる瞬間しゅんかんの記録きろくとして読よめる。注目ちゅうもくすべきは子規しきが新あたらしい情報じょうほうを得とくていないことだ。「死しぬる事こと」も「生いきて居いる事こと」も前まえから知しっている言葉ことばである。変かわったのは並ならべ方ほうだけだ。つまり腑ふに落おちるとは知識ちしきの追加ついかではなく、すでにある知識ちしきの置おき直なおしである。この語ごが否定ひてい形けいで使つかわれることのほうが圧倒的あっとうてきに多おおいのは、材料ざいりょうは足たりているのに配置はいちが決きまらないという状態じょうたいが人ひとの常態じょうたいだからだろう。脊椎せきついカリエスで寝ねたきりの子規しきがこれを書かいたことも効きいている — 腑ふに落おちるのは身体しんたいの側がわで起おきる出来事できごとだ。
  • 説明せつめいはすべて筋すじが通とおっていた。それでも、どこか腑ふに落おちない。 正ただしい使つかい方かたの見本みほんである。「筋すじが通とおっていた」と認みとめたうえで「それでも」と続つづく — この逆接ぎゃくせつがこの語ごの住すむ場所ばしょだ。理解りかいを否定ひていしていないところが「わからない」と決定的けっていてきに違ちがう。
  • ×専門せんもん用語ようごが多おおくて腑ふに落おちない。 それは「理解りかいできない」である。腑ふに落おちないは理解りかいの失敗しっぱいではなく納得なっとくの失敗しっぱいで、理解りかいが成立せいりつしていることが前提ぜんていになる。前提ぜんていが崩くずれているので、この語ごは置おけない。
作品さくひんでの用例ようれい

「私わたし」は育そだての母はは(「はは」)の死しに遭遇そうぐうした。

どうしてははの方ほうがさきへ死しんだんだろう、なぜ私わたしがあとへのこったんだろう。昔むかしっからきつい人ひとで、なんでも私わたしのかなう段だんじゃなかったものを、なんのわけでこんなに脆もろく折おれてしまったんだか、なんとなく信しんじがたく腑ふに落おちかねた。

出典しゅってん 幸田こうだ文ぶん『髪かみ』

派生はせい形けい
  • 腑ふ[1]はらわた。漢方かんぽうの「五臓六腑ごぞうろっぷ」の「腑ふ」で、中空ちゅうくうの器官きかん(胃い・腸ちょう・膀胱ぼうこうなど)を指さす。中身なかみを受うけ入いれる空洞くうどうだという点てんが効きいていて、そこへ落おちて収おさまるという比喩ひゆが成なり立たつ。臓ぞう(=詰つまった器官きかん)ではこの比喩ひゆは作つくれない。
  • 腑抜けふぬけ[0]腑ふが抜ぬけた状態じょうたい、つまり芯しんがなくなること。「腑ふに落おちる」が腑ふを受うけ皿ざらとみるのに対たいし、こちらは腑ふを意志いしの座ざとみる。同おなじ器官きかんが、納得なっとくの器うつわにも気き概がいの座ざにもなる — 身体しんたい語ごは一ひとつの部位ぶいに複数ふくすうの心こころの働はたらきを割わり当あてる。
  • 合点がいかないがてんがいかないほぼ同義どうぎの別べつ系統けいとう。「合点がてん」は連歌れんがでよい句くに点てんを付つけたことに由来ゆらいし、評価ひょうかと承認しょうにんの語ごである。腑ふに落おちないが身体しんたいの比喩ひゆであるのに対たいし、合点がてんがいかないは採点さいてんの比喩ひゆだ。同おなじ「納得なっとくしない」を、一方いっぽうは腹はらで、一方いっぽうは帳簿ちょうぼで言いっている。
コロケーション
  • どうにも腑ふに落おちない副詞ふくしと結むすぶ「どうにも」「どこか」「いまひとつ」とよく結むすぶ。いずれも理由りゆうを特定とくていできないことを示しめす副詞ふくしである。理由りゆうが言いえるなら反論はんろんすればよい — 言いえないから腑ふという身体しんたいの語ごに頼たよることになる。共起きょうきする副詞ふくしが、この語ごの言語化げんごかしにくさを証言しょうげんしている。
  • 腑ふに落おちた肯定こうてい形けい使つかえるが頻度ひんどは低ひくい。これは語ごの非対称ひたいしょうを示しめす。納得なっとくできている状態じょうたいは意識いしきに上うえらないので報告ほうこくされず、できていない状態じょうたいだけが言葉ことばになる。感覚かんかくの語ごはたいてい不調ふちょうの側がわに語彙ごいが偏かたよる(172 の「間あいだがいい」に①の意味いみがないのと同おなじ現象げんしょう)。
  • 腑ふに落おちない点てん名詞めいし化かの型かた「点てん」「ところ」と結むすんで対象たいしょうを区切くぎる。全体ぜんたいは納得なっとくしたがこの一点いってんだけがという限定げんていである。議事ぎじや報告ほうこくなど公的こうてきな文脈ぶんみゃくでこの形かたちが好よしみまれるのは、相手あいての説明せつめい全体ぜんたいを否定ひていせずに疑義ぎぎを出だせるからだ。身体しんたいの比喩ひゆが礼儀れいぎとして働はたらいている。
  • 府ふに落おちない典型的てんけいてきな誤ご記き「府ふ」は役やく所しょ・くらであって身体しんたいではない。この誤ご記きが絶たえないのは、「腑ふ」という字じを日常にちじょうでほとんど見みないからである(他ほかに「臓腑ぞうふ」「五臓六腑ごぞうろっぷ」「腑抜ふぬけ」ぐらい)。字じが生活せいかつから退しりぞくと、慣用かんよう句くは音おとだけになり、比喩ひゆが見みえなくなる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 納得なっとくできない受うけ入いれられない一般いっぱん語ご。腑ふに落おちないは身体しんたい感覚かんかくを伴ともなう言いい方かた。
  • 釈然しゃくぜんとしないわだかまりが残のこるほぼ同義どうぎ。より硬かたい。
  • 合点がてんがいかない筋すじが通とおらない理屈りくつの側がわ。腑ふに落おちないは感覚かんかくの側がわ。
  • いぶかしいはっきりせず気きになる☑162。情報じょうほうが足たりない。腑ふに落おちないは情報じょうほうはあるが納得なっとくできない。

ENnot convinced
ZH无法信服(納得できない, wúfǎ xìnfú)

176★★★

身も蓋もないみもふたもない

みもふたもない慣用かんよう句く

語ご構成こうせい
身みうつわの本体ほんたい+蓋ふたふた

「身み」は容器ようきの本体ほんたい、「蓋ふた」はふた。「元もとも子こもない」とは別語べつご。

定義ていぎ

率直そっちょくに表現ひょうげんしすぎてしまい、含ふくみや味あじわいがないこと。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑176
原げん書しょの解説かいせつ

「身み」は容器ようきの「蓋ふた」に対たいして、物ものを入いれる本体ほんたい部分ぶぶんのこと。本体ほんたいも蓋ふたもないと、何なにもかもがあらわになることからできた語ご。

使用しようの境界きょうかい

露骨ろこつすぎて味あじわいや含ふくみがないこと。内容ないようが正ただしいかどうかは問とわない。

用法ようほう

「身み」は容器ようきの本体ほんたい、「蓋ふた」はそのふたで、両方りょうほうないなら中身なかみがむき出だしになる――この比喩ひゆである。要点ようてんは、言いっていることは正ただしい場合ばあいが多おおいという点てんにある。だからこそ話はなしが続つづかなくなる。「努力どりょくしても才能さいのうには勝かてない、と言いっては身みも蓋ふたもない」のように、正論せいろんであるがゆえに味あじ気きない発言はつげんを評ひょうする。字面じづらの似にた「元もとも子こもない」(元金がんきんも利子りしも失うしなう=すべて台だい無なし)とは別語べつごなので、混同こんどうしない。

用例ようれい
  • 人生じんせいは一いち箱はこのマッチに似にている。重大じゅうだいに扱あつかうのは莫迦莫迦ばかばかしい。重大じゅうだいに扱あつかわなければ危険きけんである。芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ『侏儒しゅじゅの言葉ことば』(1927)
    身みも蓋ふたもない言いい方かたの見本みほんであり、同時どうじにその言いい方かたがなぜ芸げいになりうるかも示しめしている。人生じんせいをマッチ箱はこに喩たとえた瞬間しゅんかん、荘重そうちょうな語かたりは一切いっさい不可能ふかのうになる。これが身みも蓋ふたもないということだ。しかし芥川あくたがわはそこで止とめず、二ふたつの否定ひていを並ならべて逃にげ場ばをなくす。身みも蓋ふたもなさは、相手あいての話はなしを終おわらせる代かわりに、そこから先さきへ進すすめなくする。正ただしさと会話かいわの続行ぞっこう可能性かのうせいは別べつのものだとこの語ごは教おしえている。
  • 真実しんじつは、めったに純粋じゅんすいではなく、決けっして単純たんじゅんではない。オスカー・ワイルド『真面目まじめが肝心かんじん』(1895/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    身みも蓋ふたもない発言はつげんがなぜ不十分ふじゅうぶんなのかを言いう。身みも蓋ふたもない言いい方かたの特徴とくちょうは正ただしいことだった。「結局けっきょくは金かねの問題もんだいだ」「才能さいのうには勝かてない」 — どれも事実じじつとして反論はんろんしにくい。ワイルドが突つくのはそこである。単純たんじゅんにできるということは、何なにかを捨すてたということだ。捨すてたぶんだけ話はなしが速はやく終おわる。蓋ふたは中身なかみを隠かくすためだけにあるのではなく、中身なかみの形かたちを保たもつためにもある — この慣用かんよう句くが容器ようきの比喩ひゆを選えらんだことの正確せいかくさがここで効きいてくる。
  • 身みも蓋ふたもない言いい方かたをすれば、結局けっきょくは締切しめきりに間まに合あうかどうかだ。 前置まえおきとしての型かた。自分じぶんでそう断ことわってから言いうことで、味あじ気きなさを承知しょうちのうえだと示しめす。169・173 と同おなじ「自分じぶんの越境えっきょうを先さきに名指なざす」構かまえで、日本語にほんごの前置まえおきはたいていこの形かたちをとる。
  • ×大事だいじな書類しょるいを無なくして身みも蓋ふたもない。 「元もとも子こもない」との取とり違ちがえ。元もとも子こもないは元金がんきんも利子りしも失うしなうことで損失そんしつを言いい、身みも蓋ふたもないは露骨ろこつさを言いう。字面じづらが似にているだけで、比喩ひゆの出でどころがまったく違ちがう — 一方いっぽうは金かね勘定かんじょう、他方たほうは容器ようきである。
作品さくひんでの用例ようれい

吹奏楽すいそうがく部ぶ員いんは、地区ちく大会たいかいで他ほかの学校がっこうの優秀ゆうしゅうな演奏えんそうを聴きいて危機きき感かんをもつ。地区ちく大会たいかいのあと、母はは親おやが克久かつひさに声こえをかける。

「やっぱり、強つよい学校がっこうは高たかい楽器がっきをたくさん持もっているのね」 それを言いっては、身みも蓋ふたもない。言いってはならない真実しんじつというものは世よの中なかにはある。それに高価こうかな楽器がっきがあれば演奏えんそうできるというものでもない。

出典しゅってん 中沢なかざわけい『楽隊がくたいのうさぎ』

派生はせい形けい
  • 身み[0]容器ようきの本体ほんたい。「身み」が身体しんたいを意味いみしないことに注意ちゅういする。重箱じゅうばこの身み、刀かたなの身み(=鞘さやに対たいする刀身とうしん)と同おなじ用法ようほうで、覆おおいに対たいする中身なかみの側がわを指さす。この一いち字じを身体しんたいだと読よんだ瞬間しゅんかん、慣用かんよう句く全体ぜんたいが意味いみ不明ふめいになる。
  • 身から出た錆みからでたさび同おなじ「身み」でもこちらは刀身とうしん。刀かたなの身みから出でた錆さびだから自分じぶんの行おこないが招まねいた災さいいを言いう。一ひとつの語ごが慣用かんよう句くごとに違ちがう物ものを指さしている — 慣用かんよう句くを語ごごとに分解ぶんかいして覚おぼえると間違まちがえるのはこのためだ。
  • 蓋を開けるふたをあける同おなじ容器ようきの比喩ひゆの別べつの使つかい方かた。こちらは結果けっかが明あきらかになることを言いい、評価ひょうかを含ふくまない。「蓋ふたがない」は味あじ気きなさ、「蓋ふたを開あける」は判明はんめい。同おなじ道具どうぐから別々べつべつの意味いみが育そだつところに、慣用かんよう句くの生いき物ものめいたふるまいが見みえる。
コロケーション
  • そう言いっては身みも蓋ふたもない応答おうとうの型かた相手あいての発言はつげんを受うけて返かえす形かたちが最もっとも多おおい。ここで注意ちゅういしたいのはこれが反論はんろんではないことだ。内容ないようが間違まちがっているとは言いっていない。言いい方かたによって会話かいわが死しんだと告つげているだけである。内容ないようへの評価ひょうかと発話はつわへの評価ひょうかを切きり離はなせるのがこの語ごの働はたらきだ。
  • 身みも蓋ふたもない言いい方かた発話はつわの名なづけ結むすぶ名詞めいしは「言いい方かた」「言いい草くさ」「物もの言いい」に集中しゅうちゅうする。「身みも蓋ふたもない考かんがえ」とはあまり言いわない。心こころの中なかでどう思おもっていてもかまわない — 口くちに出だしてはじめて蓋ふたが取とれるからである。この語ごは思考しこうではなく発話はつわを裁さばいている。
  • 身みも蓋ふたもない話はなしだが譲歩じょうほの型かた「だが」で受うけて先さきへ進すすむ形かたち。面白おもしろいのは、この前置まえおきを置おくと会話かいわが死しななくなることだ。蓋ふたを取とったことを自分じぶんで申告しんこくすれば、聞きき手てはそれを一ひとつの見方みかたとして受うけ取とれる。メタ発話はつわが会話かいわを救すくっている。
  • 元もとも子こもない紛まぎらわしい隣人りんじん「元もと」は元金がんきん、「子こ」は利子りし。すべてを失うしなうことを言いい、露骨ろこつさとは何なにの関係かんけいもない。入試にゅうしではこの二に語ごの取とり違ちがえが狙ねらわれる。「身み」と「元もと」、「蓋ふた」と「子こ」という音おととリズムの似にかよりだけで混線こんせんするので、それぞれの比喩ひゆの出でどころを押おさえておくのが唯一ゆいいつの対策たいさくになる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 露骨ろこつあらわで隠かくすところがない表現ひょうげんの直接ちょくせつさ。身みも蓋ふたもないは、その結果けっかとして話はなしが終おわってしまうことを含ふくむ。
  • 直截ちょくせつまわりくどくない肯定的こうていてきにも使つかえる。身みも蓋ふたもないは否定的ひていてき。
  • にべもないそっけない冷つめたさ。身みも蓋ふたもないは正ただしすぎて味あじ気きないこと。
  • 元もとも子こもないすべてを失うしなう結果けっかの話はなし。字面じづらが似にるが意味いみは別べつ。混同こんどうしやすい。

ENblunt / leaving nothing unsaid
ZH直言不讳(露骨に言う, zhíyán bùhuì)

177★★★

のっぴきならない

のっぴきならない慣用かんよう句く

語ご構成こうせい

「退の(の)き引ひきがならない」がつづまった語ご。

定義ていぎ

避さけることも退しりぞくこともできない。どうにもならない。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑177
原げん書しょの解説かいせつ

「のっぴき」は「退しりぞき引ひき」のことで、〈避さけて退しりぞくこと〉を表あらわす。また、類似るいじ表現ひょうげんに「進しん退たい窮きわまる」がある。

使用しようの境界きょうかい

避さけることも退しりぞくこともできず、どうにもならないこと。深刻しんこくさの度合どあいが高たかい。

用法ようほう

「退の(の)き引ひき」がならない、つまり退しりぞくことも引ひくこともできない、が語源ごげんである。音おとがつづまって「のっぴき」になった。実際じっさいの用法ようほうでは「のっぴきならない事情じじょう」という結むすびつきが圧倒的あっとうてきで、詳細しょうさいを語かたらずに深刻しんこくさだけを伝つたえる言いい方かたとして使つかわれる。だから婉曲えんきょく表現ひょうげんとしての機能きのうも持もつ。ひらがな書かきが標準ひょうじゅんで、漢字かんじを当あてることはまずない。

用例ようれい
  • 信しん(しん)乃すなわち軍ぐんを出でだし、背水はいすい(はいすい)の陣じんを張はる。……諸しょ将しょう、之これを賀が(が)して因よ(よ)りて信しんに問といひて曰いわくく、「兵法ひょうほうに『山陵さんりょうを右みぎ背せにし、水沢すいたくを前まえ左ひだりにす』と曰いわくふ。今いま、将しょう軍ぐんは臣しん等とうをして反かへ(かへ)つて水みずを背せにして陣じんせしめ……此このれ何なにの術じゅつぞや」と。信しん曰いわくく、「此このれ兵法ひょうほうに在あり。……之これを死し地ちに陥おとしい(おとしい)れて而しか(しか)る後あとに生せいく」と。『史記しき』淮陰わいいん侯こう列伝れつでん「背水はいすいの陣じん」(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    のっぴきならない状態じょうたいが何なにを生うむかを示しめす。韓信かんしんはわざと川かわを背せにして陣じんを敷しいた。退しりぞけないと分わかった兵へいは死し力りょくを尽つくし、勝かつ。つまりこの語ごが指さすのは単たんなる困窮こんきゅうではなく、選択肢せんたくしがゼロになった構造こうぞうである。「退しりぞき引ひきがならない」という語源ごげんのとおり、退しりぞくことも引ひくこともできない — この語ごが深刻しんこくさの度合どあいにおいて突出とっしゅつしているのは、程度ていどではなく構造こうぞうを言いっているからだ。
  • 血ちのなかへこれほど深ふかく踏ふみ込こんでしまった以上いじょう、もう渡わたらぬとしても、引ひき返かえすのは渡わたりきるのと同おなじだけ厄介やっかいなことだ。シェイクスピア『マクベス』第だい三さん幕まく第だい四よん場ば(1606/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    のっぴきならなさの内側うちがわから書かかれた台詞せりふである。マクベスは引ひき返かえす道みちが前まえへ進すすむ道みちと同おなじだけ遠とおいことに気きづく。ここで見みておきたいのはこの状況じょうきょうを作つくったのが本人ほんにんだということだ。のっぴきならない事情じじょうという言いい方かたが詳細しょうさいを語かたらずに深刻しんこくさだけを伝つたえる婉曲えんきょく表現ひょうげんとして働はたらくのは、そこに自分じぶんの落おち度どが含ふくまれているかどうかを言いわずに済すませられるからでもある。語かたらないことがこの語ごの機能きのうなのだ。
  • のっぴきならない事情じじょうで欠席けっせきいたします。 圧倒的あっとうてきに多おおい型かた。「事情じじょう」という中身なかみのない名詞めいしと結むすぶことで、深刻しんこくだと伝つたえながら何なにも明あかさないという離はなれ業ぎょうが成なり立たつ。相手あいてもそれ以上いじょうは訊きけない — 訊きけば無神経むしんけいになるように設計せっけいされている。
  • ×のっぴきならない用事ようじがあって返信へんしんが遅おくれました。 程度ていどが釣つり合あわない。この語ごは退路たいろが断たたれていることを言いうので、返信へんしんの遅おくれ程度ていどの結果けっかしか生うまないなら大だいげさになる。「立たて込こんでいて」「所しょ用ようで」で足たりる。婉曲えんきょく表現ひょうげんは重じゅうすぎると嘘うそに近ちかづく。
作品さくひんでの用例ようれい

少年しょうねんの兄弟きょうだいが親おやの使つかいで酒屋さかやに行いき、酒屋さかやの女おんな主人しゅじんと会あう。

女おんな主人しゅじんが奥おくへ去さり、しばらくしてもどると、二人ふたりのまえにおいてあった桃ももをとりあげて皮かわをむきはじめた。女おんな主人しゅじんはなにかいうのだろうかと顔かおをみつめても少年しょうねんたちには黙だまっている。 奥おくで、なにかのっぴきならないことがおこったのかもしれない、と弟おとうとは想像そうぞうした。

出典しゅってん 野呂のろ邦暢くにのぶ『白桃はくとう』

派生はせい形けい
  • のっぴき退き引き「のきひき」の音おとがつづまった形かたち。単独たんどくでは使つかわない。「ならない」と一体いったいで、170 の「遣やる瀬せ」と同おなじ型かたに属ぞくする。否定ひていと結むすんだ形かたちだけが生いき残のこるのは、その状態じょうたいが言葉ことばにされる必要ひつようのあった状態じょうたいだったということだ。
  • ひらがな書き表記ひょうきそのものがこの語ごの性格せいかくである。漢字かんじをまず当あてない — 「退たいっ引ひきならない」と書かくこともできるがほぼ見みない。音おとがつづまって語源ごげんが見みえなくなった語ごはかなで書かかれるようになる。表記ひょうきは語源ごげん意識いしきの温度おんど計けいだ。
  • 抜き差しならないぬきさしならない同おなじ型かたの兄弟きょうだい語ご。「抜ぬく」も「差さす」もできない、つまり刀かたなが鞘さやの途中とちゅうで固かたまった状態じょうたいから来きたとされる。のっぴきならないが足あしの比喩ひゆであるのに対たいし、こちらは手ての比喩ひゆ。どちらも「二に方向ほうこうの動作どうさが同時どうじに封ふうじられる」という同おなじ論理ろんりで作つくられている。
コロケーション
  • のっぴきならない事情じじょう婉曲えんきょくの型かたこの語ごの用例ようれいの大半たいはんをこれが占しめる。注目ちゅうもくすべきは「事情じじょう」が内容ないようゼロの名詞めいしである点てんだ。深刻しんこくさの度合どあいだけを伝つたえて中身なかみを伝つたえない — この情報量じょうほうりょうの非対称ひたいしょうが礼儀れいぎとして機能きのうしている。言いわないことを相手あいてに納得なっとくさせる語彙ごいが日本語にほんごにはいくつもあり、これはその代表だいひょう格かくである。
  • のっぴきならない立場たちば位置いちの名詞めいし「立場たちば」「状況じょうきょう」「羽目はめ」と結むすぶ。いずれも人ひとがどこかに置おかれていることを言いう名詞めいしで、語源ごげんの「退しりぞき引ひき」という空間くうかんの比喩ひゆと噛かみ合あっている。「のっぴきならない気持きもち」とは言いわない — この語ごは心こころの状態じょうたいではなく身みの置おきどころを言いう語ごだからだ。
  • のっぴきならなくなる変化へんかの形かたち「なる」で言いうほかない。自分じぶんでそうしたとは言いわない形かたちが選えらばれる。マクベスのように実際じっさいには自分じぶんで招まねいた場合ばあいでも、文法ぶんぽうの上うえでは出来事できごとの側がわが主語しゅごになる。170 やるせないと同おなじで、責任せきにんの所在しょざいをぼかす自動詞じどうしの形かたちである。
  • 進しん退たい窮きわまる同義どうぎの漢語かんご「進すすむも退しりぞくもできなくなる」で意味いみの構造こうぞうが完全かんぜんに一致いっちする。違ちがうのは文体ぶんたいと用途ようとだ。進しん退たい窮きわまるは客観きゃっかん描写びょうしゃに向むき、のっぴきならないは当事者とうじしゃの弁明べんめいに向むく。和わ語ごは言いい訳やくに使つかえるが漢語かんごは使つかいにくい — 漢語かんごは距離きょりを作つくり、距離きょりは共感きょうかんを呼よびにくいからである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 抜ぬき差さしならない身み動うごきがとれないほぼ同義どうぎ。より硬かたい。
  • 切羽詰せっぱつまる追おい詰つめられて余裕よゆうがない時間じかんの切迫せっぱく。のっぴきならないは選択肢せんたくしのなさ。
  • 已むを得とくない仕方しかたがない諦あきらめの受容じゅよう。のっぴきならないは事態じたいの深刻しんこくさ。
  • 窮きゅうする行いき詰つまる状態じょうたい。のっぴきならないは形容詞けいようし的てきに事情じじょうを修飾しゅうしょくする。

ENunavoidable / inescapable
ZH无法回避(避けられない, wúfǎ huíbì)

178★★★

気が(気の)置けないきがおけない

きがおけない慣用かんよう句く

語ご構成こうせい

誤ご用ようが非常ひじょうに多おおい。「油断ゆだんならない」は正反対せいはんたいの意味いみである。

定義ていぎ

遠慮えんりょする必要ひつようがなく、心こころから打うち解とけることができる。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑178
原げん書しょの解説かいせつ

「気きが許ゆるせない・油断ゆだんできない」という意味いみに間違まちがえやすいので注意ちゅういが必要ひつよう。

使用しようの境界きょうかい

遠慮えんりょする必要ひつようがなく、心こころから打うち解とけられること。「油断ゆだんならない」という意味いみではない。

用法ようほう

日本語にほんごで最もっとも誤ご用ようの多おおい慣用かんよう句くの一ひとつである。「気きを置おく」は〈遠慮えんりょする・気きを遣つかう〉の意いなので、その否定ひていは〈遠慮えんりょがいらない〉となり、肯定的こうていてきな評価ひょうかになる。ところが「油断ゆだんできない」という正反対せいはんたいの意味いみで理解りかいする人ひとが多おおく、文化ぶんか庁ちょうの調査ちょうさでも誤ご用ようが過か半はんを占しめる年としがある。入試にゅうしでも狙ねらわれる。「気きが置おけない」「気きの置おけない」は同義どうぎで、後者こうしゃのほうが「気きの置おけない友人ゆうじん」の形かたちでよく使つかわれる。

用例ようれい
  • 君子くんしの交こうはりは淡あわきこと水みずの若ごと(ごと)く、小人しょうじんの交こうはりは甘あまきこと醴れい(れい)の若わかし。君子くんしは淡あわくして以もって親したしみ、小人しょうじんは甘あまくして以もって絶た(た)ゆ。『荘子そうし』山やま木き篇へん(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    気きの置おけない関係かんけいの質しつを言いい当あてている。「醴れい」は甘酒あまざけだ。濃こくて甘あまい交まじわりは初はじめは心地ここちよいが長続ながつづきしない。水みずのように淡あわい交まじわりこそ親したしみが続つづく。ここで大事だいじなのは「淡あわい」が「冷つめたい」ではないことである。気きを遣つかわないのは関心かんしんがないからではなく、遣つかう必要ひつようがないところまで来きているからだ。誤ご用ようがこれほど多おおいのは、「気きを置おかない」という無防備むぼうびが現代語げんだいごでは危険きけんの合図あいずに聞きこえてしまうからだろう — この一節いっせつは無防備むぼうびが信頼しんらいの形かたちであることを思おもい出ださせる。
  • なぜ彼かれを愛あいしたのかと言いうよう強しいられるなら、こう答こたえるほかない — 「彼かれが彼かれであり、私わたしが私わたしであったから」と。モンテーニュ『エセー』第一だいいち巻かん「友情ゆうじょうについて」(1580/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    気きの置おけなさに理由りゆうがないことを言いう。モンテーニュは亡友ぼうゆうラ・ボエシとの交まじわりを説明せつめいしようとして説明せつめいを放棄ほうきする。理由りゆうを挙あげられる関係かんけいは、その理由りゆうが消きえれば終おわる — だから挙あげられないことが深ふかさの証あかしになる。この語ごが「友人ゆうじん」「間あいだ柄がら」といった関係かんけいそのものの名詞めいしとしか結むすばず、「気きの置おけない上司じょうし」が言いいにくいのも同おなじ理屈りくつだ。役割やくわりで説明せつめいのつく関係かんけいには、まだ気きを置おく場所ばしょが残のこっている。
  • 気きの置おけない友人ゆうじんと三時間さんじかんほど黙だまって本ほんを読よんでいた。 この語ごの本質ほんしつを示しめす作さく例れいである。沈黙ちんもくが気きまずくならない — これが気きを置おかないということだ。172 の「間あいだが持もたない」のちょうど反対はんたいで、間あいだを埋うめなくてよい関係かんけいを言いう。
  • ×あの人ひとは気きが置おけないから、契約書けいやくしょはよく読よんだほうがいい。 日本語にほんごで最もっとも多おおい誤ご用よう。「気きを置おく」が〈遠慮えんりょする・気きを遣つかう〉である以上いじょう、その否定ひていは〈遠慮えんりょがいらない〉という肯定的こうていてきな評価ひょうかにしかならない。「油断ゆだんならない」は正反対せいはんたいである。文化ぶんか庁ちょうの調査ちょうさで誤ご用ようが過か半はんを占しめる年としもある。
作品さくひんでの用例ようれい

高木たかぎという人物じんぶつが、叔母おばや母ははたちのいる別荘べっそうに遊あそびに来くる。

高木たかぎの去さった後あと、母ははと叔母おばは少しょう時じ彼かれの噂うわさをした。初対面しょたいめんの人ひとだけに母ははの印象いんしょうは殊ことに深ふかかった様さまに見みえた。気きの置おけない、至いたって行いき届とどいた人ひとらしいと云いって賞しょうめていた。叔母おばは又また母ははの批評ひひょうを一々いちいち実例じつれいに照しょうして確たしかめる風かぜに見みえた。

出典しゅってん 夏目なつめ漱石そうせき『彼岸ひがん過か迄まで』

派生はせい形けい
  • 気を置くきをおくすべての出発点しゅっぱつてん。〈遠慮えんりょする・気きを遣つかう〉で、「置おく」は距離きょりを取とるという含ふくみを持もつ(「一目ひとめ置おく」「距離きょりを置おく」)。相手あいてとの間あいだに「気き」を一いち枚まい挟はさむという空間くうかんのイメージだ。この一句いっくを覚おぼえておけば誤ご用ようはしない。
  • 気の置ける文法ぶんぽう的てきには作つくれるが実際じっさいには使つかわれない形かたち。言いえるはずなのに言いわないという空白くうはくがここにある。遠慮えんりょの要いる関係かんけいはあまりに普通ふつうなので、わざわざ名なづける必要ひつようがないのだろう — 言葉ことばは例外れいがいにだけ名なを与あたえる。
  • 心置きなくこころおきなく[4]まったく同おなじ発想はっそうの生いき残のこり。「心こころを置おかない」=遠慮えんりょしないで、「心こころ置おきなくお過すごしください」は今いまも日常にちじょうで使つかわれる。こちらは誤ご用ようされないのが面白おもしろい — 副詞ふくしとして一語いちご化かし、否定ひていの形かたちが意識いしきされなくなったぶん、かえって安全あんぜんに伝つたわっている。
コロケーション
  • 気きの置おけない友人ゆうじん最もっとも安定あんていした形かたち「気きの」のほうが「気きが」より多おおいのには文法ぶんぽう的てきな理由りゆうがある。連体れんたい修飾しゅうしょく(〜な友人ゆうじん)の中なかでは主語しゅごの助詞じょしが「が」から「の」へ交替こうたいできるのが日本語にほんごの規則きそくで(「背せの高たかい人ひと」「目めの大おおきい子こ」)、この語ごはほぼつねに名詞めいしを修飾しゅうしょくして使つかわれるので「の」の形かたちが定着ていちゃくした。用法ようほうの偏かたよりが形かたちの偏かたよりを生うんだ例れいである。
  • 気きの置おけない間あいだ柄がら関係かんけいの名詞めいし「間あいだ柄がら」「仲なか」「付つき合あい」と結むすぶ。いずれも二人ふたりのあいだに成なり立たつものを指さす名詞めいしで、一方いっぽうの性格せいかくを言いう語ごではないことがここから分わかる。気きの置おけなさは人ひとに属ぞくさず関係かんけいに属ぞくする — だから「気きの置おけない人ひと」より「気きの置おけない間あいだ柄がら」のほうが正確せいかくな言いい方かたになる。
  • 気きが置おける使つかわれない肯定こうてい形けい肯定こうてい形けいはほぼ死しんでいる。「気きが置おける相手あいて」とは言いわない。これは誤ご用ようが広ひろがった一因いちいんでもある — 肯定こうてい形けいが生いきていれば「気きを置おく=遠慮えんりょする」が日々ひび確認かくにんされるのに、否定ひてい形けいだけが残のこったために元もとの意味いみが見みえなくなった。語ごの一部いちぶだけが生いき残のこると誤解ごかいが始はじまる。
  • 気きが置おけない/油断ゆだんならない取とり違ちがえの構図こうず正反対せいはんたいの語ごを同義どうぎだと思おもうという極端きょくたんな誤ご用ようが起おきるのはなぜか。「〜ない」という否定ひてい形けいが警戒けいかいの言いい方かたに見みえること、そして「気きが許ゆるせない」という実在じつざいの表現ひょうげんと音おとが近ちかいことが効きいている。「許ゆるす」は否定ひていで警戒けいかい、「置おく」は否定ひていで親密しんみつ — この一語いちごの違ちがいを押おさえるほかない。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 気き安やすい遠慮えんりょがいらないほぼ同義どうぎでより日常的にちじょうてき。
  • 心こころ置おきない心配しんぱいやわだかまりがない同おなじ構造こうぞうの語ご。「心こころ置おきなく話はなす」。
  • 親したしい関係かんけいが近ちかい距離きょりの話はなし。気きが置おけないは遠慮えんりょの不要ふようさ。
  • 油断ゆだんならない警戒けいかいを要ようする正反対せいはんたいの意味いみ。誤ご用ようが非常ひじょうに多おおい相手あいて。

ENrelaxed / needing no reserve
ZH无需拘束(気兼ねがいらない, wúxū jūshù)

コラム ── 志賀しが直哉なおや

志賀しが直哉なおやは「小説しょうせつの神かみ様さま」と言いわれた作家さっかである。無駄むだな飾かざりを削そぎ落おとした簡潔かんけつな文章ぶんしょうのすがすがしさは、多おおくの人ひとの指摘してきするところだが、徹底てっていした推敲すいこうが作品さくひんの魅力みりょくを見みえないところで支ささえていた。たとえば、敗戦はいせん直後ちょくごに書かかれた『灰色はいいろの月つき』は、そこに描えがかれた出来事できごとの起おこった月つき日ひまで明示めいじしているため、事実じじつをそのまま書かいた随筆ずいひつだと多おおくの人ひとに思おもわれてきたが、実じつはいく通とおりかの草稿そうこうがあり、そこから念ねん入はいりに構成こうせいされた小説しょうせつだった。『出来事できごと』『正義せいぎ派は』『清兵衛せいべえと瓢箪ひょうたん』などの短編たんぺんも、構成こうせい的てきな意志いしによって貫つらぬかれた作品さくひんである。

志賀しが直哉なおやは武者小路むしゃのこうじ実篤さねあつと並ならんで、白樺しらかば派はの実質じっしつ上じょうの中心ちゅうしん部分ぶぶんを形かたちづくった作家さっかと言いうことができる。そして日本にほん近代きんだい小説しょうせつのそれ以降いこうのあり方かたに決定的けっていてきな影響えいきょうを与あたえた。だからこそ、たとえば太宰治だざいおさむなどは志賀しがに激はげしく噛かみついたのであった。確たしかに、日本にほんの近代きんだい小説しょうせつの枠組わくぐみをやや小ちいさくしたという批判ひはんもされているのである。

コラム ── 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ

夏目なつめ漱石そうせき・森鴎外もりおうがいという巨匠きょしょうの影響えいきょうを強つよく受うけて華々はなばなしく文学的ぶんがくてき出発しゅっぱつを遂とげた芥川あくたがわだが、人生じんせいのあり方かたから小説しょうせつのあり方かたまで、絶たえず迷まよいと不安ふあんを抱いだいていた作家さっかでもある。たとえば本作ほんさく『戯作三昧げさくざんまい』で描えがかれた滝沢たきざわ馬琴ばきんの創作そうさくの苦悩くのうは、同時どうじに芥川あくたがわ自身じしんの苦悩くのうとも重かさなるものだっただろう。そして、プロレタリア文学ぶんがくの台頭たいとうによって、彼かれの芸術げいじゅつ至し上じょう主義しゅぎが脅おびやかされた時とき、彼かれは自殺じさつを選えらぶことになった。

生前せいぜんのこうした芥川あくたがわの迷まよいや不安ふあんは、志賀しが直哉なおやの『沓掛くつかけにて』という芥川あくたがわとの交こう遊ゆうを回想かいそうした小品しょうひんの中なかで垣間見かいまみることができる。少すこし年上としうえで三さん年ねんほど創作そうさくを休止きゅうししていた志賀しがのもとを芥川あくたがわが訪おとずれ、文学ぶんがく上じょうの行いき詰づまりの悩なやみを打うち明あける。二に、三さん年ねん、創作そうさくを中断ちゅうだんしても差さし支ささえないほど潤沢じゅんたくな資産しさんをもち、調和ちょうわした作品さくひんを描えがいた志賀しが。一方いっぽう、つねに生活せいかつのやりくりに追おわれ、精神せいしん的てきな脆弱ぜいじゃくさを拭ふいきれなかった芥川あくたがわ。同時どうじ代だいの作家さっかでありながら、その境遇きょうぐうには大おおきな違ちがいがあったと言いえる。

179★★

高が知れるたかがしれる

たかがしれる慣用かんよう句く

語ご構成こうせい
高こう量りょう・程度ていど+知ちしる
定義ていぎ

程度ていどが大たいしたものではないとわかる。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑179
原げん書しょの解説かいせつ

「高こう」は、「売上高うりあげだか」のように数量すうりょうや程度ていどを示しめす。「高こうをくくる」は、〈大たいしたことはないと安易あんいに考かんがえる〉の意い。

使用しようの境界きょうかい

程度ていどが分わかってしまうほどたいしたことがないこと。相手あいてを低ひくく見みる評価ひょうかを含ふくむ。

用法ようほう

「高こう」は量りょうや程度ていどを表あらわす語ごで、「石高こくだか」「売上高うりあげだか」と同おなじ用法ようほうである。だから「高こうが知しれる」は〈どのくらいかが分わかってしまう〉、つまりたいした量りょうではない、という意味いみになる。ほぼ常つねに相手あいてを低ひくく見みる評価ひょうかを伴ともなうため、面めんと向むかっては使つかいにくい。関連かんれんする「高こうをくくる」は見積みつもる側がわの態度たいどを指さし、こちらは油断ゆだんの意味いみで使つかわれる。二に語ごを混同こんどうしないこと。

用例ようれい
  • 陳渉ちんしょう、少わか(わか)き時とき、嘗かつ(かつ)て人ひとと傭耕ようこう(ようこう)す。……「苟いやしく(いやしく)も富貴ふうきとならば、相そうひ忘わするる無むからん」と。傭者ようしゃ笑わらいひて応おうへて曰いわくく、「若なんぢ(なんぢ)は傭よう耕こうせらるるを為いすのみ。何なにぞ富貴ふうきとならんや」と。陳渉ちんしょう、太ふと息いきして曰いわくく、「嗟乎ああ(ああ)、燕雀えんじゃく(えんじゃく)安いづ(いづ)くんぞ鴻鵠こうこく(こうこく)の志こころざしを知しらんや」と。『史記しき』陳渉世家ちんしょうせいか(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    「高こうが知しれる」と言いわれた側がわからの反論はんろんである。雇やとわれ農民のうみんの仲間なかまたちは陳渉ちんしょうの言葉ことばを笑わらった — お前まえの身みの程ほどは見みえている、と。これがまさに高こうが知しれるという判断はんだんだ。注意ちゅういしたいのは彼かれらが間違まちがった推論すいろんをしていないことである。いま見みえている材料ざいりょうからは、その結論けつろんしか出でない。にもかかわらず陳渉ちんしょうはのちに秦しんに反旗はんきを翻こぼしす。つまりこの語ごの危あやうさは「量りょうを測はかり終おえた」と見みなすところにある。測はかれるのは現在げんざいの量りょうだけで、志しは量りょうではない。
  • 填然てんぜん(てんぜん)として之これを鼓こし、兵刃へいじん(へいじん)既すでに接せっす。甲こうを棄きて兵へいを曳ひ(ひ)きて走はしる。或あるいは百ひゃく歩ほにして後あとに止とまり、或あるいは五十ごじゅう歩ほにして後あとに止とまる。五十ごじゅう歩ほを以もって百ひゃく歩ほを笑わらいはば、則そくち何如いかん(いかん)。曰いわくく、不可ふかなり。直た(た)だ百ひゃく歩ほならざるのみ、是ぜれも亦またた走はしるなり。『孟子もうし』梁りょう恵王けいおう上じょう(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    「高こう」が量りょうの語ごであることを示しめす。五十ごじゅう歩ほ逃にげた者ものと百ひゃく歩ほ逃にげた者もの。数かずの上うえでは倍ばいの差さがあるのに、孟子もうしは「これも走はしるなり」と切きって捨すてる。量りょうの差さが質しつの差さにならない領域りょういきがあるということだ。「高こうが知しれる」も同おなじことをしている — 数かぞえられる範囲はんいに収しゅうまってしまえば、その中なかでどれだけ多おおくても同おなじ。「高こう」は石高こくだか・売上高うりあげだかの「高こう」であり、数かぞえるという行為こういが済すんだ時点じてんで評価ひょうかは終おわっている。だからこの語ごは侮蔑ぶべつを含ふくまざるをえない。
  • あれだけ騒さわいだが、損害そんがいは高こうが知しれていた。 物ものに向むけた穏当おんとうな使つかい方かた。人ひとに向むけると侮蔑ぶべつになるが、金額きんがく・被害ひがい・分量ぶんりょうなど実際じっさいに数かぞえられるものに向むけるかぎり語ご構成こうせいどおりの中立ちゅうりつな判断はんだんとして働はたらく。
  • ×新人しんじんの実力じつりょくは高こうをくくっていた。 二に語ごの混同こんどう。「高こうが知しれる」は結果けっか(分わかってしまった)、「高こうをくくる」は態度たいど(大たいしたことはないと安易あんいに見積みつもる)である。くくるのは見積みつもる側がわの心こころで、知しれるのは対象たいしょうの量りょう — 主語しゅごがそもそも違ちがう。
作品さくひんでの用例ようれい

アメリカの荒野こうやを馬うまで走はしる大会たいかいに出場しゅつじょうした「私わたし」は、馬うまに乗のりながら、軍人ぐんじんだった父ちち親おやのことを思おもい出だす。

野戦やせんに出でたといっても父ちちは後方こうほうの安全あんぜんな指揮しき班はんに属ぞくしており、一般いっぱんの召集しょうしゅう兵へいや侵略しんりゃくされた側がわの住民じゅうみんたちの舐なめた困苦こんくからみれば、無む論ろん父ちちの苦労くろうは比較ひかくにもならぬ高こうが知しれたものに過すぎなかったはずだ。

出典しゅってん 安岡やすおか章太郎しょうたろう『走はしれトマホーク』

派生はせい形けい
  • たかが高が[1]副詞ふくし化かした形かたち。「たかが知しれている」と重かさねて使つかうこともあるほど一語いちご化かが進すすみ、「高こう」という名詞めいしの自覚じかくはほぼ失うしなわれている。語源ごげんが見みえなくなるとかな書かきになるという傾向けいこうがここでも働はたらく(177 ののっぴきならないと同おなじ)。
  • 高をくくるたかをくくる別語べつごとして押おさえる。「高こうが知しれる」との違ちがいは時間じかんの位置いちにある — くくるのは事前じぜん、知しれるのは事後じご。事前じぜんにくくって外はずしたときに「痛いたい目めを見みる」という筋書すじがきが生うまれる。
  • 高が知れた連体形れんたいけいにすると侮蔑ぶべつが固定こていする。「高こうが知しれた腕うで前まえ」はすでに判定はんていの済すんだラベルとして相手あいてに貼はりつく。述語じゅつごならその場ばの判断はんだんで済すむが、連体れんたい修飾しゅうしょくは属性ぞくせいになる — 文法ぶんぽうの位置いちが傷きずの深ふかさを変かえる。
コロケーション
  • 高こうが知しれているテイル形かたちが標準ひょうじゅん「高こうが知しれる」より「知しれている」のほうが圧倒的あっとうてきに多おおい。テイル形かたちは結果けっかの残存ざんぞんを表あらわすので、すでに見積みつもりが終おわっていることを示しめす。この語ごは判断はんだんの過程かていではなく判断はんだんの完了かんりょうを言いう語ごなのだと、アスペクトが教おしえてくれる。
  • たかが〜副詞ふくし化かした形かたち「たかが子供こどもの遊あそびだ」の「たかが」はこの「高こう」から出でている。副詞ふくしになると判断はんだんの過程かていが完全かんぜんに消きえ、軽かろんじる気分きぶんだけが残のこる。「たかが」と言いった瞬間しゅんかんに議論ぎろんは終おわる — 176 の身みも蓋ふたもなさに近ちかい働はたらきをする。
  • 高こうをくくる態度たいどの側がわの語ご「くくる」は束たばねて一ひとつにまとめること。まだ分わかっていないものを「この程度ていどだろう」と束たばねてしまうのがこの語ごで、だから油断ゆだんの意味いみになる。「知しれる」は対象たいしょうが自みずから知しられる自動詞じどうし、「くくる」は主体しゅたいが勝手かってに束たばねる他動詞たどうし — 自他じたの別べつがそのまま意味いみの別べつである。
  • 石高こくだか・売上高うりあげだか・残高ざんだか「高こう」の一族いちぞく「高こう」は和わ語ごの接尾せつび辞じとして量りょうを作つくる。石高こくだか(米こめの量りょう)、売上高うりあげだか(金額きんがく)、残高ざんだか(残のこり)、生産せいさん高こう。すべて数字すうじで表あらわせるものばかりだ。「高こうが知しれる」を「程度ていどが低ひくい」と訳やくして済すませるとこの語ご族ぞくが見みえなくなる — 低ひくいのではなく数かぞえ終おわるのである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • たかがせいぜい副詞ふくし形けい。「たかが百ひゃく円えん」のように使つかう。
  • 高こうをくくるたいしたことはないと見みくびる見積みつもる側がわの態度たいど。高こうが知しれるは対象たいしょうの程度ていど。
  • 底そこが浅あさい中身なかみが乏とぼしい中身なかみの話はなし。高こうが知しれるは量りょうや程度ていどの話はなし。
  • 取とるに足たりない問題もんだいにする価値かちがない切きり捨すて。高こうが知しれるは程度ていどを測はかったうえでの評価ひょうか。

ENto be of little account
ZH不足挂齿(取るに足りない, bùzú guàchǐ)

180★★

はばかる

はばかる[2]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい
憚たんはばかる・さしさわる
定義ていぎ

① 気きがねする。遠慮えんりょする。

② いばる。幅はばをきかせる。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑180
原げん書しょの解説かいせつ

もとは、〈差さし障さわりがあってうまく進すすまないこと〉を言いう。この場面ばめんでは、「げん」の「母はは」に対たいする遠慮えんりょがちな姿勢しせいを示しめす。

使用しようの境界きょうかい

①気きがねして控ひかえること。②いばって幅はばをきかせること。正反対せいはんたいに見みえる二ふたつの意味いみを持もつ。

用法ようほう

①と②が正反対せいはんたいに見みえるのは、原げん義ぎが〈差さし障さわりがあってうまく進すすまない〉だからである。そこから、自分じぶんが差さし障さわりを感かんじて控ひかえるのが①、他人たにんにとって差さし障さわりになるほど幅はばをきかせるのが②になる。「憎にくまれっ子こ世よにはばかる」は②の用法ようほうで、この諺ことわざがあるために②を先さきに覚おぼえる人ひとが多おおいが、小説しょうせつで出でるのは①のほうが多おおい。幸田こうだ文ぶんの作さく例れいも①である。

用例ようれい
  • 人知じんちれぬわが通つうひ路ろの関守せきもりはよひよひごとにうちも寝ねななむ在原ありわらの業平なりひら/『伊勢いせ物語ものがたり』第だい五ご段だん(10世紀じっせいき)
    ①気きがねするの典型的てんけいてきな情じょう景けいである。男おとこは築地ついじ(ついじ)の崩くずれから通とおっていたが、見み張ばりが立たてられて通つうえなくなった。「関守せきもり」は本当ほんとうの番人ばんにんではなく、人ひと目めそのものだ。ここで見みておきたいのは禁きんじているのが誰だれでもないことである。命令めいれいされたわけではない。差さし障さわりがあると自分じぶんで感かんじて控ひかえる — これが「はばかる」の①だ。原げん義ぎの〈差さし障さわりがあってうまく進すすまない〉という言いい方かたが、主体しゅたいを立たてていないことに注意ちゅういしたい。誰だれが障さわりを作つくったかを言いわないから、②へも転てんじられるのである。
  • 力ちからなき正義せいぎは無力むりょくであり、正義せいぎなき力ちからは圧制あっせいである。……それゆえ、正義せいぎと力ちからとを合あわせねばならない。そのためには、正ただしいものが強つよくあるか、強つよいものが正ただしくあるかしなければならない。パスカル『パンセ』断章だんしょう二に九きゅう八はち(1670/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    ②いばる・幅はばをきかせるの側がわを照てらす。「憎にくまれっ子こ世よにはばかる」という諺ことわざが言いっているのは力ちからが正ただしさと無関係むかんけいに働はたらきうるという観察かんさつである。パスカルはそれを正義せいぎなき力ちから=圧制あっせいと名なづけた。ここで①と②が一ひとつの語ごに同居どうきょする理由りゆうが見みえてくる — どちらも「障さわり」を中心ちゅうしんに置おいているのだ。障さわりを感かんじる側がわに立たてば遠慮えんりょになり、障さわりを作つくる側がわに立たてば横行おうこうになる。一語いちごが正反対せいはんたいに見みえる二に義ぎを持もつとき、たいてい視点してんが入いれ替かわっている。
  • 母ははの手前てまえをはばかって、弟おとうとは好物こうぶつの皿さらへ手てを伸のばさなかった。 ①の用法ようほう。「〜の手前てまえ」「人ひと目めを」「世間せけんを」と結むすぶのが定型ていけいである。禁止きんしする主体しゅたいを名指なざさず、場ばの視線しせんだけを置おく — 小説しょうせつでこの語ごが選えらばれるのは、関係かんけいの圧力あつりょくを人物じんぶつに帰かえさずに書かけるからだ。
  • ×先輩せんぱいをはばかって、会議かいぎを仕切しきった。 ①と②の混線こんせん。「〜をはばかる」は①控ひかえるの形かたちなので、仕切しきるという前まえへ出でる動作どうさとは結けつべない。②の「幅はばをきかせる」を言いいたいなら「世よにはばかる」のように場所ばしょを目的語もくてきごに取とる形かたちになる。取とる格かく助詞じょしが意味いみを分わけている。
作品さくひんでの用例ようれい

碧へき郎ろうと弟おとうと章しょう次郎じろうは、育そだての母はは(「母はは」)とはあまり仲なかが良よくない。

母はははずっと憂鬱ゆううつにあまりいい顔かおはしていなかった。一いちツにはリョーマチの悪化あっかもあったが、碧へき郎ろうへの態度たいどの執しつりかたについて父ちちと意見いけんの合あわないことも、憂鬱ゆううつの大おおきな原因げんいんらしく察さっせられた。だから、ときに碧へき郎ろうが屈託くったくなくはしゃいで大だい笑わらいしたりすると、げんは母ははを憚はばかってびっくりとする。

出典しゅってん 幸田こうだ文ぶん『おとうと』

派生はせい形けい
  • 憚りはばかり[0]名詞めいし形けい。「はばかりながら」のほか、便所べんじょを「はばかり」と呼よぶ用法ようほうが古ふるくからある。人ひと目めを避さける場所ばしょだからその名なになった。婉曲えんきょくが固定こていして物ものの名なになった例れいで、言いい換かえの化石かせきとして面白おもしろい。
  • 憚る字じの成なり立たちも見みておきたい。「忄(りっしんべん)」+「單たん」で、心こころがためらうことを表あらわす。字じは①の側がわにしか対応たいおうしていない — ②の「幅はばをきかせる」は和わ語ごの「はばかる」が独自どくじに育そだてた意味いみで、漢字かんじを当あてたことで見みえにくくなった。
  • はばかりさま憚り様「ご苦労くろうさま」に近ちかい挨拶あいさつとして使つかわれた語ご。相手あいてに差さし障さわりをかけたことを詫わびる形かたちから出でている。今いまはほぼ死語しごだが、この語ごがかつて日常にちじょうの対人たいじん儀ぎ礼れいの中心ちゅうしんにあったことを示しめしている。
コロケーション
  • 人ひと目めをはばかる①の中心ちゅうしん最もっとも安定あんていした結むすびつき。「人ひと目め」「世間せけん」「外聞がいぶん」「人ひとの手前てまえ」 — いずれも実体じったいのない視線しせんである。具体的ぐたいてきな個人こじんを目的語もくてきごに取とりにくいのがこの語ごの特徴とくちょうで、「父ちちをはばかる」より「父ちちの手前てまえをはばかる」のほうが落おち着つく。控ひかえさせているのは人ひとではなく場ばの空気くうきだという認識にんしきが、共起きょうきに現あらわれている。
  • はばかりながら前置まえおきの化石かせき「恐おそれながら」に近ちかい謙譲けんじょうの前置まえおき。「はばかりながら申さるし上あげます」は差さし障さわりを承知しょうちで言いうという構かまえで、169 の「さしでがましいようですが」と同おなじ型かたである。越境えっきょうする前まえに越境えっきょうを申告しんこくする — 日本語にほんごの前置まえおきの基本きほん形けいがここにも出でている。
  • 憎にくまれっ子こ世よにはばかる②の定型ていけい②の用例ようれいはほとんどこの諺ことわざに集中しゅうちゅうしている。注目ちゅうもくしたいのは「世よに」という場所ばしょの格かくだ。①が「〜を」で対象たいしょうを取とるのに対たいし、②は「〜に」で広ひろがる場所ばしょを取とる。「幅はばをきかせる」という訳語やくごの「幅はば」が効きいていて、これは空間くうかんを占しめる動詞どうしなのである。
  • はばかりなく否定ひてい形けいの副詞ふくし「はばかりなく言いう」は遠慮えんりょせずにの意い。ここで面白おもしろいのは否定ひてい形けいが肯定的こうていてきにも否定的ひていてきにも傾かたむくことだ — 率直そっちょくとも無遠慮ぶえんりょとも読よめる。178 の「気きが置おけない」が誤解ごかいされたのと同おなじ地帯ちたいで、遠慮えんりょの欠如けつじょは信頼しんらいにも無礼ぶれいにもなりうる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 遠慮えんりょする控ひかえめにする①と同義どうぎ。日常にちじょう語ご。
  • 気兼きがねする相手あいてを思おもって控ひかえる①に近ちかい。相手あいてへの配慮はいりょが明確めいかく。
  • 幅はばをきかせる威勢いせいよく振ふる舞まう②と同義どうぎ。
  • 差さし障さわる支障ししょうが生しょうじるもとの意味いみに近ちかい。「はばかる」の原げん義ぎはここにある。

ENto refrain / to hold sway
ZH顾忌(気がねする, gùjì)

181★★★

棹さすさおさす

さおさす慣用かんよう句く

語ご構成こうせい
棹さおさお+差ささす

誤ご用ようが非常ひじょうに多おおい。「流ながれに逆さからう」は正反対せいはんたいの意味いみである。

定義ていぎ

時勢じせい・流行りゅうこうに合あわせて物事ものごとを進すすめる。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑181
原げん書しょの解説かいせつ

〈流ながれに逆さからう・勢いきおいいを止とめる〉という反対はんたいの意味いみに誤ご用ようしやすいので注意ちゅうい。

使用しようの境界きょうかい

流ながれに乗のって勢いきおいいを増ますこと。流ながれに逆さからうという意味いみではない。

用法ようほう

誤ご用よう率りつが非常ひじょうに高たかい慣用かんよう句くである。棹さお(さお)は舟ふねを進すすめるための道具どうぐで、川かわの流ながれに棹さおを差させばいっそう速はやく進すすむ。ところが「流ながれに逆さからう」という正反対せいはんたいの意味いみで理解りかいする人ひとが多おおく、文化ぶんか庁ちょうの調査ちょうさでは誤ご用ようが六ろく割わりを超こえる年としがある。夏目なつめ漱石そうせき『草枕くさまくら』の「情じょうに棹さおさせば流ながされる」が有名ゆうめいで、ここでも〈情じょうの流ながれに乗のってしまえば押おし流ながされる〉の意いである。☑173 水みずを差さすと対たいで押おさえるとよい。

用例ようれい
  • ゆく河かわの流ながれは絶たえずして、しかももとの水みずにあらず。淀よどみに浮うかぶうたかたは、かつ消きえかつ結むすびて、久きゅうしくとどまりたる例ためし(ためし)なし。鴨長明かものちょうめい『方丈ほうじょう記き』冒頭ぼうとう(1212)
    「流ながれ」という語ごが日本語にほんごでどういう位置いちにあるかを定さだめた一節いっせつである。流ながれは止とめられない。止とめようとする者ものは愚おろかであり、賢者けんじゃはそれを前提ぜんていとして生いきる — これが『方丈ほうじょう記き』の構かまえだ。ここまで押おさえると「棹さおさす」の誤ご用ようがなぜ起おきるかが見みえてくる。棹さおという道具どうぐは川底かわぞこを突つくので、抵抗ていこうの身みぶりに見みえる。しかし実際じっさいの船頭せんどうは流ながれの向むきへ棹さおを押おして速度そくどを足たす。道具どうぐの形かたちから想像そうぞうした意味いみと、道具どうぐの使つかい方かたから来きた意味いみがずれている — 誤ご用ようはたいていこのずれから生うまれる。
  • 同おなじ川かわに二に度ど入はいることはできない。われわれは同おなじ川かわに入はいり、また入はいらない。われわれはあり、またあらぬ。ヘラクレイトス 断片だんぺん(前五世紀ぜんごせいき/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    『方丈ほうじょう記き』と同おなじ観察かんさつが八はち百年ひゃくねん前まえのギリシアにもあったことを示しめす。川かわは同おなじ名なで呼よばれ続つづけるが中身なかみは入いれ替かわっている。この「名なは同おなじ、実じつは別べつ」という構図こうずが重要じゅうようで、「時流じりゅうに棹さおさす」の「時流じりゅう」もまさにこれである。時代じだいの流ながれは実体じったいではなく運動うんどうだから、乗のる以外いがいに関かかわりようがない。逆さからうという選択肢せんたくしはそもそもこの比喩ひゆの中なかにない — 棹さおは川底かわぞこに届とどくが、川かわを止とめる道具どうぐではない。
  • 円えん安やすに棹さおさして、輸出ゆしゅつ企業きぎょうが最高さいこう益ますを出だした。 正ただしい使つかい方かた。すでに起おきている流ながれがあり、それに乗のって速度そくどを足たす。流ながれを作つくったのは自分じぶんではないところが要点ようてんで、この語ごは手柄てがらを半分はんぶん状況じょうきょうに返かえしている。
  • ×時代じだいの風潮ふうちょうに棹さおさして、一人ひとり異いを唱となえた。 誤ご用よう率りつが六ろく割わりを超こえる年としもあるというその誤ご用ようである。棹さおを川底かわぞこに突つき立たてて踏ふん張はるという絵えが浮うかぶために起おきるが、船頭せんどうは止とまるためではなく進すすむために棹さおを使つかう。逆さからうなら「流ながれに逆さからう」「抗こうする」でよい。
作品さくひんでの用例ようれい

主人公しゅじんこうの画工がこうは山路やまじを登とうりながら感慨かんがいにふける。

智ちに働はたらけば角かどが立たつ。情じょうに棹さおさせば流ながされる。意地いじを通つうせば窮屈きゅうくつだ。兎角とかくに人ひとの世よは住すみにくい。

出典しゅってん 夏目なつめ漱石そうせき『草枕くさまくら』

派生はせい形けい
  • 棹さお[1]舟ふねを進すすめる道具どうぐ。櫓ろ(ろ)や櫂かい(かい)が水みずを掻かくのに対たいし、棹さおは川底かわぞこを突ついて押おす。つまり浅あさい川かわでしか使つかえない。底そこに届とどくというこの具体性ぐたいせいが比喩ひゆの土台どだいで、道具どうぐを知しらないと慣用かんよう句くが読よめなくなる典型例てんけいれいである。
  • 棹さす表記ひょうきの揺ゆれにも注意ちゅういしたい。「棹さおさす」「棹差さおさす」「さおさす」が併存へいそんする。道具どうぐが生活せいかつから消きえると表記ひょうきが揺ゆれ、表記ひょうきが揺ゆれると語源ごげん意識いしきがさらに薄うすれる — 誤ご用ようの進行しんこうと表記ひょうきの崩くずれは並行へいこうする。
  • 棹をさす助詞じょしを入いれた形かたちも使つかわれる。助詞じょしが入はいるほど字義じぎに近ちかづき、入はいらないほど慣用かんよう句くとして固かたまる。「棹さおをさす」は実際じっさいに舟ふねを操あやつる場面ばめんでも使つかえるが、「時流じりゅうに棹さおさす」はもはや舟ふねを思おもわせない。
コロケーション
  • 時流じりゅうに棹さおさす最もっとも多おおい形かたち「時流じりゅう」「時勢じせい」「風潮ふうちょう」「勢いきおいい」と結むすぶ。いずれもすでに動うごいているもので、止とまっているものには棹さおをさせない。173 の水みずを差さすが「熱あついもの」を要求ようきゅうするのと同おなじで、比喩ひゆの道具どうぐは対象たいしょうの状態じょうたいまで指定していする。慣用かんよう句くは意味いみだけでなく使つかえる場面ばめんの条件じょうけんを運はこんでいる。
  • 情じょうに棹さおさせば流ながされる『草枕くさまくら』の一句いっく漱石そうせきのこの一句いっくが誤解ごかいの一因いちいんにもなっている。「流ながされる」という結果けっかが否定的ひていてきなので、「棹さおさす」も否定的ひていてきな行為こういだと読よまれやすい。しかし文ぶんの構造こうぞうは「情じょうの流ながれに乗のってしまえば押おし流ながされる」で、乗のることと流ながされることは因果いんがでつながっている。棹さおさす自体じたいは中立ちゅうりつである。
  • 流ながれに棹さおさす誤ご用ようの温床おんしょうこの形かたちが最もっとも誤読ごどくされる。「流ながれに」という「に」が対象たいしょうとも方向ほうこうとも読よめることが効きいている — 「壁かべに手てをつく」の「に」だと取とれば抵抗ていこうに見みえ、「風かぜに乗のる」の「に」だと取とれば順行じゅんこうに見みえる。助詞じょしの多義たぎが慣用かんよう句くの誤ご用ようを支ささえている。
  • 水みずを差さす/棹さおさす対たいで覚おぼえる同おなじ「差さす」でも正反対せいはんたいの働はたらきをする。水みずを差さすは勢いきおいいを殺ころし、棹さおさすは勢いきおいいを足たす。共通きょうつうするのはどちらも「すでに動うごいているもの」に対たいして働はたらきかけることだ。差さすという動詞どうしは「細ほそいものを入いれる」という身みぶりで、入いれた先さきの結果けっかまでは決きめていない。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 便びん乗じょうするうまく機会きかいに乗のる打だ算さん的てきな含ふくみ。棹さおさすは中立ちゅうりつにも使つかえる。
  • 追おい風かぜになる勢いきおいいを助たすける状況じょうきょうの側がわ。棹さおさすは行為こういの側がわ。
  • 時流じりゅうに乗のる時代じだいの傾向けいこうに合あわせるほぼ同義どうぎの言いい換かえ。
  • 水みずを差さす盛もり上あがりを冷さます☑173。正反対せいはんたいの意味いみ。対たいで覚おぼえる。

ENto go with the current
ZH顺水推舟(流れに乗る, shùnshuǐ tuīzhōu)

182★★★

眉をひそめるまゆをひそめる

まゆをひそめる慣用かんよう句く

語ご構成こうせい
眉まゆまゆ+顰ひんひそめる
定義ていぎ

心配しんぱい・不快ふかいな気持きもちを表情ひょうじょうに出だす。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑182
原げん書しょの解説かいせつ

「ひそめる」は〈しわを寄よせる〉こと。また、「眉まゆを寄よせる」「顔かおをしかめる」も同おなじ意味いみを表あらわす語ご。

使用しようの境界きょうかい

不快ふかいや心配しんぱいのために眉まゆを寄よせること。表情ひょうじょうの描写びょうしゃであると同時どうじに、不快ふかい感かんの表明ひょうめいでもある。

用法ようほう

「顰ひそ(ひそ)める」は寄よせてしわを作つくるという意味いみで、「顰蹙ひんしゅく(ひんしゅく)」と同おなじ字じである。要点ようてんは、この動作どうさが声こえに出ださない不快ふかいの表明ひょうめいだという点てんにある。だから小説しょうせつでは、登場とうじょう人物じんぶつが言葉ことばにできない反発はんぱつを示しめす場面ばめんに置おかれる。心配しんぱいや苦痛くつうによっても眉まゆはひそめられるので、文脈ぶんみゃくでどちらかを判断はんだんする。「眉まゆをしかめる」は混用こんようが定着ていちゃくしつつあるが、本来ほんらいは「ひそめる」が正ただしいとされる。

用例ようれい
  • 西施せいし(せいし)、心こころを病やまいみて其その里さとに矉(ひそ)む。其その里さとの醜人しゅうじん、之これを見みて美びとし、帰かえりて亦またた心こころを捧ささげて其その里さとに矉む。其その里さとの富人ふじん、之これを見みて堅かたく門もんを閉へいぢて出ででず、貧人ひんじん、之これを見みて妻子さいしを挈たづさ(たづさ)へて之これを去さりて走はしる。彼かれは矉むの美びなるを知しりて、矉むの美びなる所以ゆゑん(ゆゑん)を知しらざるなり。『荘子そうし』天てん運うん篇へん「西施せいしの顰ひそ(ひそ)み」(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    「ひそめる」という語ごの出でどころである。絶世ぜっせいの美女びじょ・西施せいしは胸むねを病やまいみ、苦くるしさに眉まゆを寄よせて歩あるいた。その姿すがたが美うつくしかったので村むらの醜女しこめが真似まねをしたところ、人々ひとびとは門もんを閉へいざして逃にげた。荘子そうしの結論けつろんは「美うつくしい理由りゆうを知しらなかった」である。この話はなしが教おしえるのは眉まゆをひそめる動作どうさが本来ほんらい意図いとされたものではないことだ。西施せいしは苦くるしかったから寄よせたのであって見みせるために寄よせたのではない。だからこそこの動作どうさは言葉ことばより正直しょうじきな合図あいずとして読よまれる — 小説しょうせつでこの語ごが効きくのはそのためである。
  • 眉根まゆねを寄よせる筋肉きんにくは、思案しあんの行いき詰づまりに出会であったときにも、不快ふかいなものに出会であったときにも、同おなじように収縮しゅうしゅくする。ダーウィン『人ひと及および動物どうぶつの表情ひょうじょうについて』第だい八章はっしょう(1872/の主旨しゅしによる)
    心配しんぱいと不快ふかいという二ふたつの読よみがなぜ一ひとつの動作どうさに同居どうきょするかを説明せつめいしてくれる。ダーウィンの観察かんさつは思考しこうの困難こんなんと身体しんたいの苦痛くつうが同おなじ筋肉きんにくを動うごかすというものだった。語ご義ぎの多義たぎはときに身体しんたいの構造こうぞうに由来ゆらいする。だから「その話はなしに眉まゆをひそめた」も「痛いたみに眉まゆをひそめる」も同おなじ語ごで言いえる。どちらの意味いみかは文脈ぶんみゃくが決きめるが、そもそも分わかれていないものを文脈ぶんみゃくが分わけているのだと知しっておくと、読解どっかいで無理むりに一方いっぽうに決きめつけずに済すむ。
  • 母ははは何なにも言いわず、ただ眉まゆをひそめた。それで話はなしは終おわりだった。 この動作どうさの本質ほんしつは沈黙ちんもくである。言葉ことばにすれば反論はんろんされうるが、表情ひょうじょうは反論はんろんの相手あいてにならない。声こえに出ださない不快ふかいの表明ひょうめいが言葉ことばより強つよく働はたらくのはこのためだ。
  • ×名な演奏えんそうに客きゃく席せきは眉まゆをひそめた。 感嘆かんたんには使つかえない。この動作どうさは不快ふかい・心配しんぱい・苦痛くつうのいずれかに限かぎられ、プラスの強つよい感情かんじょうには向こうかない。「息いきを呑のむ」「目めを見み張はる」がその位置いちに入はいる。表情ひょうじょうの慣用かんよう句くは感情かんじょうの種類しゅるいごとに厳密げんみつに割わり当あてられている。
作品さくひんでの用例ようれい

緊急きんきゅう入院にゅういんした「彼かれ」は、旧友きゅうゆうが意識いしき不明ふめいの状態じょうたいで入院にゅういんしていることを旧友きゅうゆうの妻つま(三緒子みおこ)から知しらされる。

まさか、こんなところで、寝台しんだいの上うえに肥満ひまんした四肢ししを投なげ出だして仰臥ぎょうがしたまま泥どろ人形にんぎょうのように微び動どうだにしない旧友きゅうゆうと再会さいかいすることになるとは思おもわなかったのだ。 「あんたさんも運うんの悪わるいこってしたなあ」 細君さいくんは眉まゆをひそめて気きの毒どくそうに彼かれを見みた。

出典しゅってん 三浦みうら哲郎てつろう『まばたき』

派生はせい形けい
  • 顰蹙ひんしゅく[0]同おなじ「顰ひん」の字じを持もつ漢語かんご。「顰ひん」は眉まゆを寄よせる、「蹙しゅく」は額がくにしわを寄よせるで、二字にじとも同おなじ動作どうさを言いっている。「顰蹙ひんしゅくを買かう」はその表情ひょうじょうを相手あいてにさせてしまうこと。買かうという動詞どうしが選えらばれているのは、自分じぶんの行おこないの代価だいかとして受うけ取とるという含ふくみからである。
  • 顰みに倣うひそみにならう『荘子そうし』のこの話はなしから出でた成せい語ご。むやみに人ひと真似まねをすることを言いうが、現代げんだいでは「他人たにんに倣ならって何なにかをする」の謙譲けんじょう表現ひょうげんとして使つかわれる(「顰ひんみに倣ならって私わたしも一言ひとこと申さるし上あげます」)。元もとは愚おろかさの譬たとえだったものが、自分じぶんに向むけることで謙遜けんそんに転てんじた。
  • 眉根まゆね[1]眉まゆの内側うちがわの付つけ根ね。「眉根まゆねを寄よせる」は「眉まゆをひそめる」より解剖学かいぼうがく的てきに正確せいかくで、実際じっさいに動うごくのはこの部分ぶぶんである。文学ぶんがくでは「眉根まゆね」のほうが古風こふうで和歌わか的てきな響ひびきを持もち(「眉根まゆね掻かき」は『万葉集まんようしゅう』に見みえる恋こいの兆ちょうし)、同おなじ動作どうさでも語ごの選択せんたくで時代じだいの匂においが変かわる。
コロケーション
  • 思おもわず眉まゆをひそめる無意識むいしきの副詞ふくし「思おもわず」「つい」とよく結むすぶ。意図いとしないで出でてしまったという注釈ちゅうしゃくが付つくわけだ。これは西施せいしの話はなしと同おなじ論理ろんりである — 作つくった表情ひょうじょうは効きかない。不ふ随ずい意いであることが信憑性しんぴょうせいの源みなもとであり、だから副詞ふくしがその不ふ随ずい意い性せいをわざわざ保証ほしょうする。
  • 眉まゆをひそめる向むきもあるぼかしの型かた「向むき」「筋すじ」といった不ふ特定とくていの名詞めいしと結むすぶと、誰だれが不快ふかいに思おもったかを言いわずに批判ひはんを報告ほうこくできる。新聞しんぶんや評ひょう論ろんでこの形かたちが多おおいのはそのためだ。表情ひょうじょうという個人的こじんてきな動作どうさが、匿名とくめいの世論よろんを表あらわす装置そうちに転用てんようされている。
  • 眉まゆをひそめさせる使役しえきの形かたち使役しえきにすると主語しゅごが出来事できごとに移うつる。「その発言はつげんは多おおくの人ひとの眉まゆをひそめさせた」 — ここでは発言はつげんが主語しゅごで、不快ふかいの責任せきにんが対象たいしょうの側がわに置おかれる。能のう動どうなら感かんじた人ひとの主観しゅかん、使役しえきなら起おこした側がわの落おち度ど — 態たいの選択せんたくが責任せきにんの配分はいぶんを変かえる。
  • 眉まゆをひそめる/眉まゆをしかめる混用こんようの現状げんじょう本来ほんらいは「ひそめる」が正ただしいとされる。「しかめる」は顔かお全体ぜんたいにしわを寄よせる動詞どうしで(顔かおをしかめる)、眉まゆという部分ぶぶんとは本来ほんらい結むすばない。ただし混用こんようは相当そうとうに定着ていちゃくしている。入試にゅうしでは「ひそめる」を選えらぶのが安全あんぜんである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 顔かおをしかめる不快ふかいで顔かおをゆがめるより大おおきな表情ひょうじょう。眉まゆをひそめるは抑制よくせいされている。
  • 眉まゆをしかめる─混用こんようされるが、本来ほんらいは「ひそめる」が正ただしいとされる。
  • 顰蹙ひんしゅくを買かう人ひとから嫌いやわれる結果けっか。眉まゆをひそめるは反応はんのうそのもの。
  • 難色なんしょくを示しめす賛成さんせいしかねる態度たいどを見みせる意思いし表示ひょうじ。眉まゆをひそめるは感情かんじょうの表出ひょうしゅつ。

ENto frown
ZH皱眉(眉をひそめる, zhòuméi)

183★★★

聞こえよがし聞こえよがし

聞きこえよがし慣用かんよう句く

語ご構成こうせい
聞ぶんきく+〜よがしわざと見みせつける

「〜よがし」は〈わざと〜させる〉の接尾せつび語ご。「これ見みよがし」と同おなじ型かた。

定義ていぎ

悪口わるぐちや皮肉ひにくを、相手あいてにわざと聞きこえるように言いうこと。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑183
原げん書しょの解説かいせつ

動詞どうし「聞きこえる」の命令形めいれいけいに接尾せつび語ご「がし(=…と言いわんばかりに)」がついた語ご。他ほかに「これ見みよがし」などもある。

使用しようの境界きょうかい

相手あいてにわざと聞きこえるように言いうこと。直接ちょくせつ言いわずに聞きかせる点てんが要点ようてん。

用法ようほう

「〜よがし」は〈わざと〜させる〉を表あらわす接尾せつび語ごで、「これ見みよがし」と同おなじ型かたである。要点ようてんは、形式上けいしきじょうは相手あいてに向むけていない点てんにある。独どくり言げんのように、あるいは別べつの人ひとに話はなすように言いいながら、実際じっさいは当人とうにんに聞きかせている。この間接かんせつ性せいが、直接ちょくせつ言いうよりも陰いん湿しつな印象いんしょうを与あたえる。小説しょうせつでは人間にんげん関係かんけいの緊張きんちょうを描えがくのに使つかわれる。「聞きこえよがしに」という副詞ふくし形けいが標準的ひょうじゅんてきな使つかい方かたである。

用例ようれい
  • イアーゴー「はてな。あれは気きに入はいらぬ。」オセロー「何なにと言いった。」イアーゴー「いえ、何なにでも。何なにでもありませぬ、将しょう軍ぐん。」シェイクスピア『オセロー』第だい三さん幕まく第だい三さん場ば(1604/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    聞きこえよがしの構造こうぞうを舞台ぶたいの上うえで解剖かいぼうしてみせた場面ばめんである。イアーゴーは独どくり言げんのように呟つぶやく。形式上けいしきじょうはオセローに向むけていない。だから問とい返かえされると「何なにでもない」と引ひっ込こめられる。ところが引ひっ込こめることで疑うたがいはかえって濃こくなる。ここにこの語ごの恐おそろしさがある — 間接かんせつ性せいは弱よわさではなく武器ぶきだ。直接ちょくせつ言いえば反論はんろんできるが、言いっていないことには反論はんろんできない。「形式上けいしきじょうは相手あいてに向むけていない」という一点いってんが、相手あいてから応答おうとうの手段しゅだんを奪うばっている。
  • 世間せけんとは、いったい、何なにの事ことでしょう。人間にんげんの複数ふくすうでしょうか。どこに、その世間せけんというものの実体じったいがあるのでしょう。……そのうちに自分じぶんにも、世間せけんというものの実体じったいがぼんやりわかって来きました。世間せけんというのは、君きみじゃないか。太宰治だざいおさむ『人間にんげん失格しっかく』(1948/抄しょう)
    宛先あてさきの偽装ぎそうという点てんでこの語ごと同おなじ仕掛しかけを扱あつかっている。「世間せけんがゆるさない」と言いうとき、話はなし手ては自分じぶんを主語しゅごの位置いちから外はずしている。ゆるさないのは自分じぶんではなく世間せけんだ、と。ところが主人公しゅじんこうは見抜みぬく — 世間せけんというのは、君きみじゃないか。聞きこえよがしもまったく同おなじで、「独どくり言げんだ」「別べつの人ひとに話はなしていた」と言いい張はれる形かたちを取とりながら、実際じっさいの発話はつわ者しゃはそこにいる。責任せきにんの所在しょざいをずらす技術ぎじゅつとして、二ふたつは兄弟きょうだいである。
  • 隣となりの席せきで、誰だれにともなく「今いまどき手て書かきとはね」と聞きこえよがしに言いうのが聞きこえた。 典型的てんけいてきな形かたち。「誰だれにともなく」が効きいている — 宛先あてさきの不在ふざいが明示めいじされるほど、本当ほんとうの宛先あてさきははっきりする。この逆説ぎゃくせつが陰いん湿しつさの正体しょうたいである。
  • ×司し会かい者しゃは聞きこえよがしに注意ちゅうい事項じこうを読よみ上あげた。 公然こうぜんと全員ぜんいんに向むけた発話はつわには使つかえない。この語ごは「向むけていないふりをする」ことを条件じょうけんにしているので、初はじめから向むけている発話はつわには成なり立たたない。また内容ないようが悪口わるぐち・皮肉ひにくでない点てんでも外はずれる。
作品さくひんでの用例ようれい

川口かわぐちは、工藤くどうの鉛なまりの研けんぎ方ほうに文句もんくをつけ、もう一度いちど研けんいでくるように工藤くどうに命めいじる。

「はい、分わかりました」 ふだんは向むこうっ気きのつよい工藤くどうが素直すなおに返事へんじをして、すぐに工場こうじょうの隅すみへ戻もどっていった。さっそく砥石といしを準備じゅんびしはじめている。 川口かわぐちは聞きこえよがしに舌した打うちをしてから削けずり台だいに向むかった。

出典しゅってん 内海うつみ隆一郎りゅういちろう『大だいづち小しょうづち』

派生はせい形けい
  • がし〈…と言いわんばかりに〉を表あらわす古ふるい接尾せつび語ご。命令形めいれいけいに付つくのが条件じょうけんで(聞きこえよ+がし、見みよ+がし)、「わざとそうさせようとする」という意志いしを含ふくむ。現代語げんだいごには新しん語ごを作つくる力ちからが残のこっていない — 「読よめよがし」とは言いわない。接尾せつび語ごの生死せいしを見みるのによい例れいである。
  • これ見よがし[0]同おなじ型かたで方向ほうこうが逆ぎゃく。聞きこえよがしは声こえ、これ見みよがしは物ものや動作どうさを使つかう。そしてこれ見みよがしは誇示こじ、聞きこえよがしは攻撃こうげきである。感覚かんかくのチャンネルが違ちがうと同おなじ構文こうぶんでも働はたらきが変かわる — 見みせるのは自分じぶんを大おおきくし、聞きかせるのは相手あいてを小ちいさくする。
  • 当てこすりあてこすり[0]内容ないようの側がわから名なづけた語ご。「聞きこえよがし」が言いい方かたを指さすのに対たいし、こちらは遠とお回まわしに相手あいてを当あててこするという内容ないようと手てつきを指さす。二に語ごはしばしば同おなじ場面ばめんを別べつの角度かくどから記述きじゅつしている — 聞きこえよがしに当あてこすりを言いう、と重かさねて使つかえる。
コロケーション
  • 聞きこえよがしに言いう副詞ふくし形けいが標準ひょうじゅんほぼつねに「〜に」の副詞ふくし形けいで現あらわれる。名詞めいしとして単独たんどくで使つかうことは少すくない。これはこの語ごが言いわれた内容ないようではなく言いい方かたを記述きじゅつする語ごだからだ。同おなじ言葉ことばでも、面めんと向むかって言いえば批判ひはん、背中せなか越ごしに言いえば聞きこえよがし — 変かわるのは発話はつわの角度かくどだけである。
  • 聞きこえよがしの嫌味いやみ内容ないようの限定げんてい結むすぶ内容ないようは「嫌味いやみ」「悪口わるぐち」「当あてこすり」に限かぎられる。褒ほめ言葉ことばを聞きこえよがしに言いうことはありえないのかというと、実じつはありうる — ただしその場合ばあい褒ほめているのは別べつの誰だれかで、当人とうにんを貶おとしめるためである。いずれにせよ矛ほこ先さきは聞きき手てに向むいている。
  • これ見みよがし同型どうけいの兄弟きょうだい「〜よがし」は生産性せいさんせいの低ひくい接尾せつび語ごで、現代語げんだいごに残のこるのはほぼこの二に語ごだけである。「聞きこえよ」「見みよ」という命令形めいれいけい+「がし」という成なり立たちで、「がし」は〈…と言いわんばかりに〉。命令形めいれいけいを含ふくみながら命令めいれいしていないというねじれが、そのままこの語ごの間接かんせつ性せいを写うつしている。
  • 独どくり言げんのように共起きょうきする枠わく「独どくり言げんのように」「誰だれにともなく」「わざと大おおきな声こえで」といった説明せつめい句くとセットで現あらわれることが多おおい。これは語かたり手てが読者どくしゃに仕掛しかけを明あかしているということだ。作中さくちゅう人物じんぶつには見みえていない意図いとが、読者どくしゃにだけ見みえる — 小説しょうせつでこの語ごが緊張きんちょうを生うむのはこの情報じょうほうの落差らくさによる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 当あてこすり遠とお回まわしに皮肉ひにくを言いう内容ないようが皮肉ひにくであること。聞きこえよがしは言いい方かたの話はなし。
  • これ見みよがしわざと見みせつける同おなじ「〜よがし」の型かた。対象たいしょうが視覚しかく。
  • 嫌味いやみ不快ふかいにさせる言いい方かた内容ないよう。聞きこえよがしはその届とどけ方ほう。
  • 独どくり言げん相手あいてなしにつぶやく形式けいしきは同おなじだが、意図いとの有無うむで分わかれる。

ENmeant to be overheard
ZH故意说给人听(聞こえよがし, gùyì shuō gěi rén tīng)

184★★★

健気けなげ

けなげ[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
健けんすこやか+気ききだて
定義ていぎ

気丈きじょうな様子ようす。心こころがけがしっかりしている様子ようす。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑184
原げん書しょの解説かいせつ

年少ねんしょう者しゃや弱じゃく者しゃが、困難こんなんな状況じょうきょうでもしっかりした様子ようすをしている場合ばあいによく用もちいられる。

使用しようの境界きょうかい

弱よわい立場たちばの者ものが、困難こんなんに負まけず懸命けんめいに努つとめること。強つよい者ものの努力どりょくには使つかわない。

用法ようほう

要点ようてんは「弱よわい立場たちばの者もの」という前提ぜんていにある。子供こども・女性じょせい・小ちいさな生いき物もの・病人びょうにんなどが困難こんなんに立たち向むかう姿すがたに使つかう語ごで、力ちからのある大人おとなが努力どりょくしても健気けなげとは言いわない。したがって見みる側がわの目め線せんが上うえからになり、称賛しょうさんでありながら憐あわれみを含ふくむ。この非対称ひたいしょうが現代げんだいでは意識いしきされるようになり、使つかい方かたに注意ちゅういが向むけられている。「健けん」の字じを「けな」と読よむのは当あて字じで、語源ごげんは「けなり(=異ことなり)」からとする説せつがある。

用例ようれい
  • 痩蛙やせがへる(やせがへる)まけるな一茶是いっさこれ(これ)にあり小林こばやし一茶いっさ(1828没ぼつ)
    健気けなげという語ごが成なり立たつ視線しせんの位置いちを一句いっくで示しめしている。蛙かわずが闘たたかっている。一茶いっさは見みている。そして声援せいえんを送おくる。ここに揃そろっているのは弱よわい者もの・懸命けんめいさ・それを見み守まもる者ものという三みっつの条件じょうけんで、これがそのまま健気けなげの成立せいりつ条件じょうけんである。注意ちゅういしたいのは「一茶いっさ是ぜにあり」と名乗なのりながら、一茶いっさは何なにもしていないことだ。助たすけない。見みているだけである。健気けなげという評価ひょうかにつきまとう非対称ひたいしょうはここにある — この語ごを使つかえる者ものは、その困難こんなんの外そとにいる。
  • そしてよだかの星ほしは燃もえつづけました。いつまでもいつまでも燃もえつづけました。今いまでもまだ燃もえてゐます。宮沢賢治みやざわけんじ『よだかの星ほし』(1934/賢治けんじ 1933 没ぼつ)
    健気けなげの最もっとも純度じゅんどの高たかい形かたちがここにある。よだかは醜みにくいと蔑さげすまれ、名なを奪うばわれそうになり、虫むしを食たべて生いきる自分じぶんに耐たえられず、空そらへ昇のぼって燃もえ尽つきる。誰だれも見みていない。報むくわれてもいない。それでも燃もえつづける。健気けなげさの本体ほんたいは結果けっかではなく持続じぞくだとこの結むすびは教おしえる。そして「今いまでもまだ」という現在げんざい形けいが効きいている — 読者どくしゃがこの語かたり手ての位置いちに立たたされる。健気けなげと呼よぶことは、見届みとどける役やくを引ひき受うけることでもある。
  • 幼おさない妹いもうとが背伸せのびして洗あらい物ものをしている。止とめるのも惜おしくて、健気けなげだと思おもいながら見みていた。 この語ごの使つかい方かたを正確せいかくに写うつした作さく例れい。「見みていた」で終おわるところが要点ようてんである。称賛しょうさんと憐あわれみと手てを出ださないことが同時どうじに成なり立たつ — この複雑ふくざつな心こころの配合はいごうを一語いちごで担になうのが健気けなげだ。
  • ×創業そうぎょう社しゃ長ちょうが健気けなげに働はたらいて会社かいしゃを大おおきくした。 強つよい立場たちばの者ものには使つかえない。この語ごは「弱よわい者ものが」という前提ぜんていを語ご義ぎに含ふくんでいるので、権限けんげんも資源しげんもある人物じんぶつに向むけると皮肉ひにくに聞きこえる。「精せい力りょく的てきに」「たゆまず」でよい。語ごには使つかってよい相手あいてが書かき込こまれている。
作品さくひんでの用例ようれい

源氏げんじ方ほうの熊谷次郎直実くまがいじろうなおざねは平家へいけの若武者わかむしゃの首くびを討うとうとするが、敦盛あつもりは自分じぶんを討うち取とるように言いう。

熊谷くまがいはなさけを知しる武士ぶしでした。この人ひと一人ひとりを助たすけたとて源氏げんじが負まけるものでもあるまいと助たすけようとしますが、しかし「ただとくとく首くびをとれ」と若武者わかむしゃは健気けなげに言いい放はなちます。

出典しゅってん 田辺たなべ聖せい子こ『文車ふぐるま日記にっき』

派生はせい形けい
  • 健気さけなげさ[0]名詞めいし化かすると対象たいしょうから切きり離はなせる。「その健気けなげさに打うたれた」は健気けなげさを独立どくりつした価値かちとして扱あつかう言いい方かたで、人物じんぶつではなく性質せいしつを受うけ取とっている。感動かんどうする側がわの都合つごうで性質せいしつだけを抜ぬき取とれるという点てんに、この語ごの非対称ひたいしょうがもう一度いちど現あらわれる。
  • 健けな「健けん」を「けな」と読よむのは当あて字じである。語源ごげんは「けなり(=異ことなり)」からとする説せつがあり、「人ひとと違ちがって殊勝しゅしょうだ」という意味いみだったとされる。「殊勝しゅしょう」もまた「ことさら勝すぐれている」で、二に語ごが同おなじ発想はっそうで作つくられているのが面白おもしろい。
  • 殊勝しゅしょう[0]意味いみも構かまえも近ちかい漢語かんご。「殊勝しゅしょうな心こころがけ」は健気けなげとほぼ重かさなるが、やや上うえから評定ひょうじょうする調子ちょうしが強つよい。和わ語ごの健気けなげには同情どうじょうが、漢語かんごの殊勝しゅしょうには査定さていが混まじる — 同おなじ内容ないようを和わ語ごで言いうか漢語かんごで言いうかで、見みる側がわの姿勢しせいまで変かわる。
コロケーション
  • 健気けなげに働はたらく弱じゃく者しゃの努力どりょく共起きょうきする動詞どうしは「働はたらく」「尽つくす」「耐たえる」「立たち向むかう」。いずれも継続けいぞくと負荷ふかを含ふくむ。一度いちどきりの勇敢ゆうかんな行為こういには使つかいにくい — それは「勇いさましい」である。健気けなげさは日々ひびの積つみ重かさねに宿やどるので、反復はんぷくを含ふくむ動詞どうしを選えらぶ。
  • 健気けなげな姿すがた見みられる存在そんざい「姿すがた」「様子ようす」「けなげさ」と結むすぶ。すべて外そとから見みた形かたちである。「健気けなげな決意けつい」とは言いわない — 本人ほんにんの内心ないしんはこの語ごの守備しゅび範囲はんいではない。161 のしおらしいと同おなじ構造こうぞうで、評価ひょうか語ごは見みる側がわに属ぞくする。だから自称じしょうできない。
  • 健気けなげにも感嘆かんたんの副詞ふくし「〜にも」という形かたちを取とると意外いがい性せいへの感嘆かんたんが加くわわる(「幼おさないながら健気けなげにも」)。注目ちゅうもくすべきは「〜ながら」とよく組くむことだ。譲歩じょうほの枠わくが必要ひつようとされるのは、期待きたいされていない者ものが期待きたいを超こえたという判断はんだんがこの語ごに内ない蔵ぞうされているからである。
  • 健気けなげ/気丈きじょう近ちかい語ごとの差さ気丈きじょうは心こころの強つよさそのものを言いい、立場たちばの上下じょうげを問とわない。「気丈きじょうな社しゃ長ちょう」は言いえるが「健気けなげな社しゃ長ちょう」は言いいにくい。健気けなげには「弱よわいのに」という譲歩じょうほが溶とけ込こんでいるためで、その譲歩じょうほこそが憐あわれみの正体しょうたいである。現代げんだいでこの語ごの使用しように慎重しんちょうさが求もとめられるのはここに理由りゆうがある。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 殊勝しゅしょう感心かんしんなほど心こころがけがよい立場たちばを問とわない。健気けなげは弱よわい者ものに限かぎる。
  • いじらしい健気けなげで心こころを打うたれる見みる側がわの感情かんじょう。健気けなげは当人とうにんの態度たいど。
  • けなげ─ひらがな書かき。小説しょうせつではこちらも多おおい。
  • たくましい力ちから強つよく困難こんなんに耐たえる強つよさそのもの。健気けなげは弱よわさを前提ぜんていとする。

ENbrave / admirable (of the weak)
ZH坚强(けなげだ, jiānqiáng)

コラム ── 横光よこみつ利り一いち

横光よこみつ利り一いちは、「真昼まひるである。特別急行列車とくべつきゅうこうれっしゃは満員まんいんのまま全ぜん速そく力りょくで駆かけていた。沿線えんせんの小駅こえきは石いしのように黙殺もくさつされた」で始はじまる『頭あたまならびに腹はら』で、一躍いちやく、新しん感覚かんかく派はの旗手きしゅと目めされ、川端かわばた康成やすなりらとともに活躍かつやくした作家さっかである。それ以降いこう、横光よこみつはプロレタリア文学ぶんがくの隆盛りゅうせいと私小説ししょうせつの残存ざんぞんという二ふたつの潮流ちょうりゅうに抗こうい、モダニズム文学ぶんがくの先頭せんとうを歩ほみ、その試こころみは井伏いぶせ鱒二ますじや梶井かじい基次郎もとじろうなどの新興しんこう芸術げいじゅつ派は、伊藤いとう整せいや堀辰雄ほりたつおなどの新しん心理しんり主義しゅぎへと受うけ継つがれていく。未完みかんの大作たいさく『旅愁りょしゅう』は、西洋せいよう近代的きんだいてきなものと日本にほん的てきなものとの間あいだで揺ゆれ動うごく人物じんぶつの内面ないめんを描えがいた、思想しそう小説しょうせつともよぶべきものである。こう見みるなら、横光よこみつは、関東大震災かんとうだいしんさいから太平洋たいへいよう戦争せんそうまでの人々ひとびとの不安ふあんや苦悩くのうを作品さくひんに定着ていちゃくすることに情熱じょうねつを費ついやした作家さっかと言いえるだろう。

なお、初期しょきの横光よこみつには、『春はるは馬車ばしゃに乗のって』『美うつくしい家いえ』など病妻びょうさいものの作品さくひんがあり、妻つまと夫おっとの愛あいと苦悩くのうが新しん感覚かんかく派はならではの新鮮しんせんな文体ぶんたいで描えがかれている。

コラム ── 高見たかみ順じゅん

膨大ぼうだいな資料しりょうを駆使くしし数年すうねんがかりでまとめた『昭和しょうわ文学ぶんがく盛衰せいすい史し』という大著たいちょで自みずから明あきらかにしているように、高見たかみ順じゅんは、昭和しょうわ初期しょきにアバンギャルド運動うんどうなどの影響えいきょうを受うけ、またプロレタリア文学ぶんがく運動うんどう組織そしきに加くわわって、横光よこみつ利り一いちらのモダニズム文学ぶんがくとプロレタリア文学ぶんがくの両方りょうほうに関かかわった作家さっかである。さらに転向てんこうも経験けいけんしつつ、その痛いたみの中なかから創作そうさくに向むかっていった。『故こ旧きゅう忘わすれ得とくべき』などがその現あらわれだが、そこで彼かれは独特どくとくの饒舌じょうぜつ体からだを操あやつって自みずからのやり場ばのない苦くるしみを直視ちょくししていき、独自どくじの小説しょうせつ世界せかいを切きり開ひらいた。

『故こ旧きゅう忘わすれ得とくべき』に、理髪店りはつてんで鏡かがみの前まえの自分じぶんと対面たいめんする時ときの奇妙きみょうな違和感いわかんを描えがいた一節いっせつがある。こうした違和感いわかんは戦後せんごの長ちょう編へん『わが胸むねの底そこのここには』に受うけ継つがれていく。それは、島崎しまざき藤村とうそんの「吾われ胸むねの底そこのここには言げんひがたき秘密ひみつ住じゅうめり」という詩句しくを題名だいめいにした作品さくひんで、元もと県知事けんちじを父ちちにもつ私生児しせいじとして貧困ひんこん家庭かていに育そだった者ものの屈折くっせつや苦悩くのうが、自虐的じぎゃくてきに描えがかれている。

確認かくにんテスト25
問とい 1

次つぎの空欄くうらんに当あてはまる語ごを、あとの①〜④からそれぞれ一ひとつずつ選えらべ(同おなじものは二に度ど使つかってはならない)。なお、空欄くうらんには活用かつようさせて入はいるものもある。

  • ア 携帯電話けいたいでんわで大声おおごえで会話かいわすると、電車でんしゃの中なかでは乗じょう客きゃくが[ ]ことがある。
  • イ 本当ほんとうはそうは思おもってないのに、大勢おおぜいに合あわせて流ながれに[ ]発言はつげんをするなんて、調子ちょうしのいい人ひとだ。
  • ウ 皆みなで盛もり上あがっているところに[ ]ようで申もうし訳わけないが、その計画けいかくには問題もんだいがある。
  • エ [ ]ながら申さるし上あげますが、あなたのお考かんがえには少すこし無理むりがあるように思おもいます。
  • ①水みずを差さす
  • ②棹さおさす
  • ③はばかる
  • ④眉まゆをひそめる
正解せいかいと解説かいせつ

ア=④ / イ=② / ウ=① / エ=③

イ・ウ:「棹さおさす」と「水みずを差さす」の意味いみの違ちがいをしっかり理解りかいしておくこと。

エ:「はばかりながら申さるし上あげます」は、これで一ひとつの表現ひょうげんとして覚おぼえておこう。

問とい 2

次つぎの傍線ぼうせん部ぶの意味いみを答こたえよ。

  • ア SNSを介かいして何百なんびゃく人ひともの「友達ともだち」がいるという人ひともいるが、その何百なんびゃく人ひとのうち、本当ほんとうに気きが置おけない「友達ともだち」は果はたして何人なんにんだろうか。
  • イ 健気けなげに働はたらいて家計かけいを助たすける少年しょうねんの姿すがたをテレビで見みて、心こころを打うたれる。
  • ウ 彼かれの説明せつめいにはどうも腑ふに落おちない点てんがあったので、そこを改あらためて質問しつもんする。
  • エ 我々われわれの軍ぐんは敵てき軍ぐんに四方しほうを包囲ほういされ、のっぴきならない状況じょうきょうに追おい込こまれた。
正解せいかいと解説かいせつ

ア=心こころから打うち解とけることができる / イ=気丈きじょう / ウ=納得なっとくができない / エ=どうにもならない

ア:とくに意味いみを誤ご用ようしやすい語ごなので注意ちゅうい。

イ:「健気けなげ」は〈気丈きじょうな様子ようす・心こころがけがしっかりしている様子ようす〉という意味いみ。

問とい 3

次つぎの空欄くうらんに当あてはまる語ごを、あとの①〜④からそれぞれ一ひとつずつ選えらべ(同おなじものは二に度ど使つかってはならない)。なお、空欄くうらんには活用かつようさせて入はいるものもある。

  • ア 深ふかい学識がくしきがあったとしても、[ ]ところを見みせない方ほうが、周囲しゅういから反はん感かんをもたれないだろう。
  • イ 彼女かのじょに対たいして「太ふとったね」なんて、そんな言いい方かたをしては[ ]。「ふっくらしたね」とか、他ほかに言いい方かたがあるだろう。
  • ウ いくら勉強べんきょうが大変たいへんだとは言いっても、単語たんごテストの範囲はんいは[ ]。
  • エ 自習室じしゅうしつで騒さわいでいたら、少すこし離はなれた席せきの人ひとに「うるさいな」と[ ]に言いわれ、自分じぶんたちが悪わるかったと素直すなおに反省はんせいした。
  • ①才さい走はしる
  • ②高こうが知しれる
  • ③身みも蓋ふたもない
  • ④聞きこえよがし
正解せいかいと解説かいせつ

ア=① / イ=③ / ウ=② / エ=④

ウ:「高こうが知しれている」という言いい方かたもある。

慣用句を、比喩の元になった場面の種類(道具・身体・数量と動作)で三つに分けた図第一の帯は道具から出た慣用句で、水を差す(湯の温度)、棹さす(舟の棹)、身も蓋もない(容器)。第二の帯は身体から出たもので、腑に落ちない(はらわた)、眉をひそめる(眉)、居丈高(座高)。第三の帯は数量と動作から出たもので、高が知れる(石高)、のっぴきならない(退き引き)、気の置けない(気を置く)。下段には、元の場面を失うと誤用が始まると記した。 比喩の出どころTHE SOURCE IMAGE道具水を差す湯の温度棹さす舟の棹身も蓋もない容器身体腑に落ちないはらわた眉をひそめる眉居丈高座高数量と動作高が知れる石高のっぴきならない退き引き気の置けない気を置く元の場面を失った慣用句から、誤用は始まる
意味いみだけを覚おぼえると、使つかえる場面ばめんの条件じょうけんが落おちる
Blank

湯ゆに水みずを差さす暮くらしも、川底かわぞこを棹さおで突つく舟ふねも、もう身みのまわりにはない。道具どうぐが消きえたあとも言葉ことばのほうは残のこる。残のこった言葉ことばは、まだ同おなじものを指さしているのか。