Part 3 · 04

漢語かんご・副詞ふくし

[ 原げん書しょ 第だい3部ぶ ☑197〜210 ]

語ご数すう 14 / 作家さっかコラム 8 / 確認かくにんテスト 1

Part 3

この部ぶの章しょう

  1. 01感情かんじょうの形容詞けいようし161-172
  2. 02慣用かんよう句くと動詞どうし173-184
  3. 03心情しんじょうの漢語かんご185-196
  4. 04漢語かんご・副詞ふくし197-210
Section 04

漢語かんご・副詞ふくし

197★

艱難かんなん

かんなん[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
艱かんなやむ・くるしむ+難なんむずかしい

「艱かん」も「難なん」も〈苦くるしみ・難むずかしさ〉を表あらわす。読よみが問とわれる。

定義ていぎ

困難こんなんに遭あい、悩なやみ苦くるしむこと。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑197
原げん書しょの解説かいせつ

「艱難かんなん」の意味いみを強つよめた、「艱難かんなん辛苦しんく」という四字よじ熟語じゅくごもある。

使用しようの境界きょうかい

困難こんなんにあって苦くるしみ悩なやむこと。単たんなる困難こんなんではなく、長ながく続つづく苦くるしみを含ふくむ。

用法ようほう

二字にじがともに〈苦くるしみ・難むずかしさ〉を表あらわす。日常にちじょう語ごではなく、「艱難かんなん辛苦しんく」という四字よじ熟語じゅくご、または「艱難かんなん汝なんじを玉たまにす」という諺ことわざの形かたちで出会であうことが多おおい。後者こうしゃは〈苦労くろうが人ひとを立派りっぱにする〉という意味いみで、西洋せいようの諺ことわざの訳やくとされる。「艱かん」は画数かくすうが多おおく書かき取とりでも難むずかしいため、読よみで問とわれることが中心ちゅうしんになる。小説しょうせつでは、登場とうじょう人物じんぶつの来歴らいれきを要約ようやくする箇所かしょに現あらわれる。

用例ようれい
  • 天てんの将まさ(まさ)に大任たいにんを是こ(こ)の人ひとに降くださんとするや、必かならず先さきづ其その心こころ志こころざしを苦くるしめ、其その筋骨きんこつを労ろうせしめ、其その体からだ膚はだを餓うゑしめ、其その身みを空乏くうぼうにし、行ぎょうひ其その為いす所しょに払乱ふつらん(ふつらん)せしむ。心こころを動うごかし性せいを忍しのばせ、其その能あた(あた)はざる所しょを曾益そうえき(そうえき)せしむる所以ゆゑん(ゆゑん)なり。『孟子もうし』告子こくし下した(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    「艱難かんなん汝なんじを玉たまにす」という諺ことわざの出でどころにあたる一節いっせつである。天てんが大任たいにんを与あたえようとするとき、まず心こころを苦くるしめ、身みを飢うえさせ、やることなすこと狂くるわせるという。ここで見みておきたいのは苦くるしみに目的もくてきが与あたえられていることだ。「能のうはざる所しょを曾益そうえきせしむる」 — できなかったことをできるようにするためだと言いう。艱難かんなんという語ごが「単たんなる困難こんなん」より重おもいのは、この意味いみづけの伝統でんとうを背負せおっているからである。長ながく続つづき、その先さきに何なにかがあると信しんじられている苦くるしみ — それがこの語ごの住すむ場所ばしょだ。
  • 私わたしの生せいを殺ころさないものは、私わたしをより強つよくする。ニーチェ『偶像ぐうぞうの黄昏たそがれ』箴言しんげんと矢や(1889/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    同おなじ思想しそうの近代きんだい版はんであり、同時どうじにその危あやうさも見みせてくれる。孟子もうしは天てんという与あたえ手てを立たてていた。ニーチェには与あたえ手てがいない。苦くるしみはただ起おこるのであって、強つよくなるかどうかは結果論けっかろんである。ここに「艱難かんなん汝なんじを玉たまにす」を他人たにんに向むけて言いうときの危あやうさが見みえる — 苦くるしんでいる当人とうにんが言いえば励はげましだが、外そとから言いえば苦くるしみの正当化せいとうかになりうる。諺ことわざは誰だれが誰だれに向むけて言いうかで意味いみが変かわる。
  • 十じゅう年ねんの艱難かんなんの末すえに、祖父そふはこの土地とちに根ねを下おろした。 正ただしい使つかい方かた。「十じゅう年ねんの」という期間きかんの語ごと結むすぶのが要点ようてんで、艱難かんなんは長ながさを含ふくむ。「〜の末すえに」という結むすびもよく合あう — 終おわったあとから振ふり返かえって名なづける語ごだからだ。
  • ×初日しょにちの設定せってい作業さぎょうに艱難かんなんした。 語ごの重おもさが合あわない。一日いちにちで終おわることにこの語ごは使つかえないし、そもそも「艱難かんなんする」という動詞どうし形けいはない。「難なん儀ぎした」「手てこずった」でよい。硬かたい漢語かんごほど活用かつようの自由じゆうが少すくない。
作品さくひんでの用例ようれい

旧きゅう家かの生うまれである三吉さんきちは実家じっかに戻もどり、一家いっかの大黒柱だいこくばしらのような存在そんざいになっていく。

「自分じぶんは未いまだ若わかい」斯ここ世よの中なかには自分じぶんの知しらないことが沢山たくさんある。一いち期き思想しそうから、一度いちど破やぶって出でた旧きゅうい家いえへ死しすべき生命せいめいも捨すてずに戻もどって来きた。其その時じから彼かれは斯ここ世よの艱難かんなんを進すすんで嘗なめようとした。

出典しゅってん 島崎しまざき藤村とうそん『家いえ』

派生はせい形けい
  • 艱なやむ「艱かん」は常用じょうよう漢字かんじ外がいで、この語ごと「艱難かんなん辛苦しんく」以外いがいではほぼ見みない字じである。字じが一語いちごに囲かこい込こまれると、読よみも意味いみもその一語いちごごと覚おぼえるほかなくなる — 読よみが問とわれるのはそのためだ(「かんなん」であって「かんたん」ではない)。
  • 艱難辛苦かんなんしんく[1]四字よじ熟語じゅくご。「艱難かんなん」+「辛苦しんく」で、二字にじ熟語じゅくごを二ふたつ並ならべるという四字よじ熟語じゅくごの最もっとも基本的きほんてきな作つくり方かたに従したがう(悪戦苦闘あくせんくとう・暗中模索あんちゅうもさく)。並ならべても意味いみは増ふえないが、四よん拍はくのリズムが演説えんぜつや碑文ひぶんに向むく。
  • 難儀なんぎ[1]日常にちじょう語ごに降おりてきた同どう系けいの語ご。「難なん儀ぎする」と動詞どうしになれるのが艱難かんなんとの大おおきな違ちがいで、使用しよう頻度ひんどの高たかい語ごほど活用かつようが豊ゆたかである。関西かんさいでは今いまも生いきた口語こうごで、同おなじ漢語かんごが地域ちいきによって文語ぶんごにも口語こうごにもなる。
コロケーション
  • 艱難かんなん辛苦しんく四字よじ熟語じゅくごの形かたち実際じっさいに出会であうのはほぼこの形かたちである。「辛苦しんく」も同義どうぎなので、四字よじすべてが「苦くるしい」を言いっている。同義どうぎの字じを重かさねて強つよめるのは漢語かんごの常道じょうどうだが(187 怪訝けげんと同おなじ作つくり)、四字よじまで重かさねると意味いみの追加ついかではなく文体ぶんたいの荘重そうちょうさが目的もくてきになる。
  • 艱難かんなん汝なんじを玉たまにす諺ことわざの形かたち「玉たまにす」は原石げんせきを磨みがいて宝玉ほうぎょくにすること。西洋せいようの諺ことわざの翻訳ほんやくとも言いわれる。注目ちゅうもくしたいのは「玉たま」という比喩ひゆだ — 磨みがくのは外側そとがわであって、中身なかみが変かわるわけではない。もともと玉たまである者ものだけが玉たまになるという含ふくみが残のこっており、174 才さい走はしるの『山月さんげつ記き』が「己おのれの珠たまに非ひざることを惧おそれる」と書かいたのと同おなじ比喩ひゆの系譜けいふに立たつ。
  • 艱難かんなんに耐たえる受うけ手ての動詞どうし「耐たえる」「堪こたえる」「乗のり越こえる」と結むすぶ。「艱難かんなんと闘たたかう」とはあまり言いわない。闘たたかう相手あいては倒たおせるものだが、艱難かんなんは倒たおす対象たいしょうではなく通とおり過すぎるまで持もちこたえるものだからだ。共起きょうきする動詞どうしが、その語ごの想定そうていする対処法たいしょほうを教おしえてくれる。
  • 艱難かんなん/困難こんなん/苦難くなん三さん語ごの差さ困難こんなんは中立ちゅうりつで事柄ことがらの側がわを言いい、苦難くなんは苦くるしみの側がわを言いう。艱難かんなんはそこに「長ながく続つづく」と「文語ぶんご的てきな重おもさ」が加くわわる。三さん語ごは事態じたいの大おおきさではなく、書かき手ての構かまえの違ちがいを示しめす — 艱難かんなんを選えらぶ書かき手ては、その苦くるしみを物語ものがたりとして語かたろうとしている。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 困難こんなん難むずかしくて苦くるしい一般いっぱん語ご。艱難かんなんは文章ぶんしょう語ごで、苦くるしみの深ふかさと長ながさを含ふくむ。
  • 辛苦しんくつらく苦くるしいこと並ならべて「艱難かんなん辛苦しんく」と使つかう。ほぼ同義どうぎ。
  • 苦難くなん苦くるしみと難なん儀ぎ近ちかい。艱難かんなんのほうが古風こふうで重おもい。
  • 試練しれん力ちからを試ためす困難こんなん乗のり越こえる前提ぜんていがある。艱難かんなんは苦くるしみそのもの。

ENhardship / tribulation
ZH艰难(困難, jiānnán)

198★★

一瞥いちべつ

いちべつ[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
一いちひとつ+瞥べつちらりと見みる
定義ていぎ

ちらっと見みること。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑198
原げん書しょの解説かいせつ

「瞥べつ」は〈横よこ目めでちらっと見みる〉の意い。「一いち瞥べつを与あたえる」という使つかい方かたも覚おぼえておこう。

使用しようの境界きょうかい

ちらりと一度いちどだけ見みること。関心かんしんの薄うすさや冷淡れいたんさを含ふくむことが多おおい。

用法ようほう

「瞥べつ」はちらりと見みるという字じで、この一いち字じに語ご義ぎが集約しゅうやくされている。要点ようてんは、この語ごがしばしば相手あいてを軽かろんじる態度たいどを含ふくむことにある。「一いち瞥べつをくれる」「一いち瞥べつしただけで」という形かたちで、じっくり見みるに値あたいしないという評価ひょうかが示しめされる。ただし単たんに短みじかく見みることを言いう中立ちゅうりつの用法ようほうもあり、文脈ぶんみゃくで判断はんだんする。「一いち瞥べつだにしない」は〈見み向むきもしない〉という強つよい無視むしの表現ひょうげんである。

用例ようれい
  • ……稲妻いなずまが走はしった。そして夜よるが来きた。ああ、消きえ去さった美うつくしい人ひとよ。そのまなざしが一瞬いっしゅんわたしをよみがえらせたあなたよ。もう永遠えいえんのかなたでしかあなたに会あえないのか。ボードレール『悪あくの華はな』「通とおりすがりの女おんなに」(1857/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    一いち瞥べつが軽かろんじるためだけのものではないことを示しめす。雑踏ざっとうですれ違ちがった女性じょせいと目めが合あった。それだけである。会話かいわもなければ再会さいかいもない。それでもその一瞬いっしゅんが生涯しょうがいの出来事できごとになる。ここで効きいているのは時間じかんの短みじかさと意味いみの大おおきさの不ふ釣つり合あいだ。一いち瞥べつという語ごはその不ふ釣つり合あいを名指なざせる — 軽かろんじる一いち瞥べつは「見みるに値あたいしない」という判断はんだんを、この詩しの一いち瞥べつは「見み尽つくせない」という感覚かんかくを運はこぶ。短みじかさそのものは中立ちゅうりつである。
  • 子こ曰いわくく、其その以な(な)す所しょを視し、其その由よる所しょを観かん、其その安やすんずる所しょを察さっすれば、人焉ひといづ(いづ)くんぞ廋(かく)さんや、人ひと焉いずくんぞ廋さんや。『論語ろんご』為い政せい篇へん(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    見みることに段階だんかいがあることを説とく。孔子こうしは視し・観かん・察さつと三みっつの動詞どうしを使つかい分わける — 行おこないを視し、動機どうきを観かん、落おち着つき先さきを察さっする。この三さん段だんを踏ふめば人ひとは隠かくしようがないという。一いち瞥べつはこの最初さいしょの段だんの、さらに手前てまえにある。視しることすら完了かんりょうしていない。だからこの語ごが軽侮けいぶを含ふくむのは当然とうぜんで、「じっくり見みるに値あたいしない」という判断はんだんを態度たいどで示しめしていることになる。見みる時間じかんの長ながさが敬意けいいの量りょうに換算かんさんされる — この対応たいおうがある限かぎり、一いち瞥べつは失しつ礼れいでありうる。
  • 受付うけつけは書類しょるいに一いち瞥べつをくれただけで、判はんを押おした。 軽侮けいぶの含ふくみが出でた例れい。「くれる」という動詞どうしが効きいている — 与あたえてやるという上うえからの構かまえを作つくる。「一いち瞥べつを与あたえる」も同おなじで、視線しせんを施ほどこし物もののように扱あつかう言いい方かたである。
  • ×名画めいがの前まえで三十分さんじっぷん一いち瞥べつしつづけた。 持続じぞくと両立りょうりつしない。「一いち」が入はいっているとおり、一度いちどきり・一瞬いっしゅんが条件じょうけんである。「凝視ぎょうしした」「見み入はいった」が正ただしい。数かずを含ふくむ漢語かんごはその数かずを守まもる — 一いち瞥べつ・一瞬いっしゅん・一顧いっこ。
作品さくひんでの用例ようれい

食糧しょくりょう難なんの戦争せんそう直後ちょくご、「私わたし」たちの乗のる汽車きしゃに、果物くだものを入いれた籠かごをさげて乗のり込こむ女性じょせいがいた。「私わたし」は無関心むかんしんな態度たいどをつくろった。

内心ないしんは、私わたしこそ誰だれよりも最もっとも、その籠かごの内容ないよう物ぶつに関心かんしんを持もっていたに違ちがいないのですが、けれども私わたしは、我慢がまんしてその方向ほうこうには一いち瞥べつもくれなかったのでした。

出典しゅってん 太宰治だざいおさむ『たずねびと』

派生はせい形けい
  • 瞥べつ〈横よこ目めでちらりと見みる〉。この一いち字じに語ご義ぎのすべてが入はいっている。「目め」偏ぺんを持もち、「一いち瞥べつ」「瞥見べっけん」以外いがいではほぼ使つかわれない。字じが一語いちごに囲かこい込こまれる点てんで197 の「艱かん」と同おなじで、硬かたい漢語かんごはしばしば専用せんようの字じを抱かかえている。
  • 瞥見べっけん[0]「ざっと目めを通とおす」。一いち瞥べつが態度たいどの語ごであるのに対たいし、瞥見べっけんは作業さぎょうの語ごである(「資料しりょうを瞥見べっけんしたかぎりでは」)。軽侮けいぶの含ふくみはなく、むしろ謙遜けんそんに使つかう。同おなじ字じでも、対象たいしょうが人ひとか文書ぶんしょかで評価ひょうかが入いれ替かわる。
  • 一瞥する動詞どうし形けい。「一いち瞥べつをくれる/与あたえる/投なげる」という名詞めいし+授受じゅじゅ動詞どうしの形かたちと併存へいそんする。動詞どうし形けいは中立ちゅうりつ、名詞めいし形けいは評価ひょうかを帯おびる — 名詞めいしにすると視線しせんが物ものとして扱あつかえ、物ものはやり取とりの対象たいしょうになるからである。
コロケーション
  • 一いち瞥べつをくれる軽侮けいぶの型かた「くれる」「与あたえる」と結むすぶと上下じょうげ関係かんけいが生しょうじる。視線しせんが恩恵おんけいのように扱あつかわれるからだ。「一いち瞥べつを賜たまわる」とは言いわない — 下したから上うえへは流ながれない。授受じゅじゅの動詞どうしは日本語にほんごで最もっとも厳密げんみつに上下じょうげを刻きざむ装置そうちで、それがこの語ごに軽侮けいぶを与あたえている。
  • 一いち瞥べつしただけで判断はんだんの速はやさ「〜だけで分わかった」という形かたちで使つかうと軽侮けいぶではなく眼力がんりきの証明しょうめいになる。「一いち瞥べつしただけで贋作がんさくと見抜みぬいた」 — 短みじかい時間じかんで正解せいかいに達たっしたのだから称賛しょうさんだ。同おなじ語ごが、判断はんだんの当否とうひによって侮蔑ぶべつにも称賛しょうさんにもなる。
  • 一いち瞥べつだにしない強つよい否定ひてい「だに」という古ふるい副ふく助詞じょしと結むすぶ。「〜さえしない」で、最小限さいしょうげんのものすら与あたえないことを言いう。一いち瞥べつは「最小さいしょうの関心かんしん」の単位たんいとして機能きのうしており、それを否定ひていすることで完全かんぜんな無視むしを表あらわせる。最小単位さいしょうたんいの語ごは否定ひていの足場あしばになる。
  • 一顧いっこだにしない隣となりの表現ひょうげん「一顧いっこ」は振ふり返かえって見みること。一いち瞥べつが横よこ目め、一顧いっこが振ふり返かえりで、どちらも「わずかな注意ちゅうい」を表あらわす。「一顧いっこだにしない」のほうが慣用かんようとして固かたい。身体しんたいの向むきの違ちがいが二に語ごを分わけているのに、用法ようほうはほぼ重かさなるのが面白おもしろい。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 一見いっけんひとめ見みる中立ちゅうりつ。一いち瞥べつは冷淡れいたんさや軽視けいしを含ふくみやすい。
  • 垣間見かいまみる隙間すきまからのぞき見みる偶然ぐうぜん性せいがある。一いち瞥べつは意図いとして短みじかく見みる。
  • 目めを通とおすざっと確認かくにんする文書ぶんしょに限かぎる。一いち瞥べつは人ひとにも使つかえる。
  • 流りゅうし目め横よこ目めでちらりと見みる色いろっぽさを含ふくむ。一いち瞥べつは冷つめたい。

ENa glance
ZH一瞥(ちらりと見る, yīpiē)

199★★

諧謔かいぎゃく

かいぎゃく[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
諧かいやわらぐ・ととのう+謔ぎゃくたわむれる
定義ていぎ

おもしろみのある言葉ことば。ユーモア。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑199
原げん書しょの解説かいせつ

「諧かい謔ぎゃくを弄ろうする」という慣用かんよう句くで覚おぼえておこう。「弄ろうする」は、〈思おもうままに操あやつる〉の意い。

使用しようの境界きょうかい

気きのきいた冗談じょうだん。ユーモアの訳語やくごで、上品じょうひんさと知性ちせいを伴ともなう点てんが要点ようてん。

用法ようほう

「諧かい」はやわらぐ、「謔ぎゃく」はたわむれるで、和わやかな冗談じょうだんという語ご構成こうせいになっている。したがって害がい意いのない上品じょうひんな笑わらいを指さし、皮肉ひにくや嘲あざけりとは区別くべつされる。実際じっさいの用法ようほうは「諧かい謔ぎゃくに富とみむ」「諧かい謔ぎゃく味あじ」という結むすびつきが多おおく、文ぶん芸げい批評ひひょうで作家さっかの文体ぶんたいを評ひょうするときに使つかわれる。夏目なつめ漱石そうせきの文章ぶんしょうを評ひょうする際さいにしばしば用もちいられる語ごである。読よみが問とわれる。

用例ようれい
  • そのとき彼かれらは野のに立たつ三さん、四十よんじゅう基もとの風車かざぐるまを見みつけた。「サンチョ、見みよ。あそこに三十さんじゅうを越こえる無む法ほうな巨人きょじんがいる。」「巨人きょじんなどではございません。あれは風車かざぐるまです。腕うでのように見みえるのは帆ほでございます。」「わかっておらぬな。あれは巨人きょじんだ。恐おそろしければ離はなれて祈いのっておれ。」セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇ぜんぺん第だい八章はっしょう(1605/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    諧かい謔ぎゃくが嘲あざけりとどこで分わかれるかを教おしえてくれる。この場面ばめんは滑稽こっけいだが、読者どくしゃはドン・キホーテを軽蔑けいべつしない。理由りゆうは語かたり手てが彼かれを見み下くだしていないからだ。風車かざぐるまに突撃とつげきする愚おろかさと、見みえたものを信しんじ抜ぬく誠実せいじつさが同おなじ一ひとつの行為こういとして書かかれている。諧かい謔ぎゃくとはこの「同時どうじに見みる」ことである。「諧かい」はやわらぐ、「謔ぎゃく」はたわむれる — 笑わらいながら相手あいてを突つき放はなさないという態度たいどが、字じの選択せんたくにすでに書かき込こまれている。
  • 吾輩わがはいは猫ねこである。名前なまえはまだ無ない。どこで生せいれたかとんと見当けんとうがつかぬ。何なにでも薄うす暗くらいじめじめした所しょでニャーニャー泣ないていた事ことだけは記憶きおくしている。夏目なつめ漱石そうせき『吾輩わがはいは猫ねこである』(1905)
    日本語にほんごの諧かい謔ぎゃくの到達点とうたつてんと言いってよい書かき出だしである。仕掛しかけは文体ぶんたいと主語しゅごの落差らくさだ — 「吾輩わがはい」という尊大そんだいな一人称いちにんしょうを使つかうのが名前なまえもない捨すて猫ねこである。しかも「とんと見当けんとうがつかぬ」と漢文かんぶん調ちょうの語かたり口くちを崩くずさない。言葉ことばの格かくと中身なかみの格かくがずれる — これが上品じょうひんな笑わらいの作つくり方かたである。誰だれも傷きずつけていないことに注意ちゅういしたい。諧かい謔ぎゃくは対象たいしょうを必要ひつようとしない笑わらいでありうる — 皮肉ひにくには刺さす相手あいてが要いるが、諧かい謔ぎゃくには要いらない。
  • 弔辞ちょうじにまで諧かい謔ぎゃくを忍しのばせるのがあの人ひとの流りゅう儀ぎだった。 この語ごの格かくが出でた例れい。「忍しのばせる」という動詞どうしが効きいている — 諧かい謔ぎゃくは前面ぜんめんに押おし出ださない。気きづく人ひとにだけ気きづかれるという控ひかえめさが上品じょうひんさの正体しょうたいで、笑わらわせようとした瞬間しゅんかんに諧かい謔ぎゃくではなくなる。
  • ×新しん入はいりをからかう諧かい謔ぎゃくが飛とび交こうった。 攻撃こうげきには使つかえない。「諧かい」がやわらぐという字じである以上いじょう、場ばを和わませないものは諧かい謔ぎゃくではない。「揶揄やゆ」「冷ひやかし」「嘲弄ちょうろう」が正ただしい。字じの意味いみが使用しようの範囲はんいを決きめている。
作品さくひんでの用例ようれい

読本よみほん作者さくしゃの滝沢たきざわ馬琴ばきんの家いえを、画家がかの渡辺わたなべ崋山かざんが訪おとずれる。

「古人こじんは後生こうせい恐おそるべしと云いいましたがな。」 馬琴ばきんは崋山かざんが自分じぶんの絵えのことばかり考かんがえているのを、妬ねたましいような心こころもちで眺ながめながら、何時いつになくこんな諧かい謔ぎゃくを弄ろうした。

出典しゅってん 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ『戯作三昧げさくざんまい』

派生はせい形けい
  • 諧やわらぐ「言げん」偏ぺん+「皆みな」で、皆みなの言葉ことばが調和ちょうわすることを表あらわすとされる。「俳諧はいかい」の「諧かい」もこれで、連歌れんがから生うまれた俳諧はいかいが「おかしみ」を本ほん領りょうとしたのはこの字じによる。芭蕉ばしょうの仕事しごとはこの「おかしみ」を深ふかみへ押おし進すすめることだった。
  • 謔たわむれる常用じょうよう漢字かんじ外がいで、この語ご以外いがいではほぼ見みない。「戯たわむ(たわむ)れる」と同おなじ意味いみだが、「戯ぎ」が遊あそび一般いっぱんを指さすのに対たいし、「謔ぎゃく」は「言げん」偏ぺんを持もち言葉ことばでのたわむれに限かぎられる。部首ぶしゅが意味いみの領域りょういきを限定げんていしている。
  • ユーモア[1]諧かい謔ぎゃくはこの語ごの訳語やくごとして明治めいじ期きに定着ていちゃくした。原語げんごはもと体液たいえき(humour)を意味いみし、四よん体液たいえき説せつの均衡きんこうが気質きしつを作つくるという古ふるい医学いがくに由来ゆらいする。体液たいえきの均衡きんこう=諧やわらぐ(やわらぐ)と考かんがえると、訳語やくごの選択せんたくは偶然ぐうぜんにしてはよく出来できている。
コロケーション
  • 諧かい謔ぎゃくに富とみむ最もっとも安定あんていした形かたち「富とみむ」と結むすぶのは示唆しさ的てきだ。富とみむのは量りょうではなく豊ゆたかさである(機き知ちに富とみむ・示唆しさに富とみむ)。諧かい謔ぎゃくは回数かいすうで測はからない — 一日いちにちに何度なんど冗談じょうだんを言いったかではなく、語かたり口くち全体ぜんたいに滲にじんでいるかで評価ひょうかされる。人格じんかくの属性ぞくせいとして扱あつかわれる語ごである。
  • 諧かい謔ぎゃくを弄ろうする慣用かんようの形かたち「弄ろうする」は〈思おもうままに操あやつる〉。技術ぎじゅつとして扱あつかう言いい方かたで、やや批判的ひはんてきな色いろを帯おびることもある(「弄ろうする」は「策さくを弄ろうする」とも言いう)。「富とみむ」が自然しぜんににじみ出でるものとして扱あつかうのに対たいし、「弄ろうする」は意図いとして操あやつるものとして扱あつかう — 動詞どうしが評価ひょうかを運はこぶ。
  • 諧かい謔ぎゃく味あじ接尾せつび辞じ「味あじ」「味あじ」は〈おもむき〉を表あらわす接尾せつび辞じ(人間味にんげんみ・妙味みょうみ・真実味しんじつみ)。「諧かい謔ぎゃく味あじのある文章ぶんしょう」は冗談じょうだんが書かいてあるのではなく、文章ぶんしょう全体ぜんたいにその気配けはいがあることを言いう。数かぞえられないものを扱あつかうための語形ごけいで、諧かい謔ぎゃくが出来事できごとではなく雰囲気ふんいきであることを示しめす。
  • 諧かい謔ぎゃく/皮肉ひにく/揶揄やゆ三さん語ごの距離きょり皮肉ひにくは言いいたいことの逆ぎゃくを言いう(技法ぎほう)、揶揄やゆは相手あいてをからかう(攻撃こうげき)、諧かい謔ぎゃくは場ばを和わませる(態度たいど)。三さん語ごは笑わらいの強つよさではなく矛ほこ先さきの有無うむで分わかれる。諧かい謔ぎゃくだけが矛ほこ先さきを持もたない — だからこそ訳語やくごとして「ユーモア」に当あてられたのである。
格かく硬かた・学術がくじゅつ

論文ろんぶん・評ひょう論ろんでのみ使つかう。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • ユーモアおかしみ外来語がいらいご。諧かい謔ぎゃくはその訳語やくごで、より文章ぶんしょう語ご的てき。
  • 洒落しゃれ気きのきいた言葉遊ことばあそび言葉ことばの技巧ぎこう。諧かい謔ぎゃくはより広ひろい態度たいど。
  • 皮肉ひにく遠とお回まわしに刺さす刺さす意図いとがある。諧かい謔ぎゃくは害がい意いを含ふくまない。
  • 滑稽こっけいおかしくてばかばかしい対象たいしょうの性質せいしつ。諧かい謔ぎゃくは作つくり手ての技量ぎりょう。

ENhumour / wit
ZH诙谐(ユーモア, huīxié)

200★★

鷹揚おうよう

おうよう[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
鷹たかたか+揚ようあがる
定義ていぎ

ゆったりとしている様子ようす。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑200
原げん書しょの解説かいせつ

鷹たかが大空おおぞらをゆうゆうと飛とぶ様子ようすからできた語ご。

使用しようの境界きょうかい

ゆったりとして、細こまかいことにこだわらない様子ようす。度ど量りょうの大おおきさを肯定的こうていてきに評価ひょうかする語ご。

用法ようほう

語源ごげんが印象いんしょうを決きめる。鷹たかが大空おおぞらをゆうゆうと飛とぶ様子ようすから生うまれた語ごで、悠然ゆうぜんとした構かまえを肯定的こうていてきに評価ひょうかする。したがって基本的きほんてきに褒ほめ言葉ことばである。ただし文脈ぶんみゃくによっては〈細こまかいことに気きづかない〉という含ふくみも出でる。森鴎外もりおうがいの作さく例れいでは、ドイツ人ひと女性じょせいが指先ゆびさきを差さし伸のべる仕草しぐさに用もちいられており、優雅ゆうがさと同時どうじにわずかな芝しば居いがかりも感かんじさせる。☑206 横柄おうへいと対たいで押おさえるとよい。読よみが問とわれる。

用例ようれい
  • 北冥ほくめい(ほくめい)に魚さかな有ゆうり、其その名なを鯤こん(こん)と為いす。鯤こんの大だいなる、其その幾き千里せんりなるかを知しらず。化かして鳥とりと為つくる、其その名なを鵬ほう(ほう)と為いす。……怒ど(ど)して飛ひべば、其その翼つばさは垂天すいてんの雲くもの若ごと(ごと)し。……蜩せみ(せみ)と学鳩がっきゅう(がっきゅう)之これを笑わらいひて曰いわくく、「我われ決起けっきして飛とび、楡枋ゆほう(ゆほう)に搶あた(あた)る。……奚なん(なん)ぞ以もって九きゅう万里ばんりにして南みなみせんとするを為いさんや」と。『荘子そうし』逍遥しょうよう遊ゆう(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    鷹揚おうようという語ごの構図こうずがそのままここにある。大鵬たいほうは九きゅう万里ばんりを飛とぶ。蝉せみと小鳩こばとはそれを笑わらう — そんなに高たかく飛とんでどうするのか、と。注目ちゅうもくすべきは大鵬たいほうが反論はんろんしないことだ。笑わらわれても飛とび方ほうを変かえない。これが鷹揚おうようさである。細こまかいことにこだわらないのは寛容かんようだからではなく、尺度しゃくどが違ちがうからだ。だからこの語ごは肯定こうていでありながら、いつでも「細こまかいことに気きづかない」という含ふくみへ転ころびうる — 気きづかないのか気きにしないのかは、外そとからは見分みわけられない。
  • 愚おろかな一貫性いっかんせいは狭せまい心こころの妖怪ようかいである。……今日きょう考かんがえていることを断固だんことして語かたれ。そして明日あすは明日あす考かんがえることを断固だんことして語かたれ。たとえそれが今日きょう語かたったことのすべてと食くい違ちがっていようとも。エマソン『自己じこ信頼しんらい』(1841/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    鷹揚おうようさが無責任むせきにんとどこで分わかれるかを考かんがえるために引ひく。エマソンが否定ひていするのは「愚おろかな」一貫性いっかんせいであって一貫性いっかんせいそのものではない。小ちいさな辻褄つじつまを守まもるために大おおきな判断はんだんを曲まげることを責せめている。鷹揚おうような人物じんぶつが好よしみかれるのもここで、些事さじを見逃みのがすのは本ほん筋すじを見みているからだと受うけ取とられる。逆ぎゃくに本ほん筋すじも見みていないのに些事さじを見逃みのがせば「ずぼら」になる。同おなじふるまいが鷹揚おうようにも怠慢たいまんにも見みえるのは、見みる者ものがその人ひとの尺度しゃくどを信しんじているかどうかによる。
  • 祖父そふは孫まごが皿さらを割わっても鷹揚おうように笑わらうだけだった。 典型的てんけいてきな肯定こうていの使つかい方かた。年長者ねんちょうしゃ・上位じょうい者しゃに使つかうと収おさまりがよいのは、とがめる権利けんりを持もつ者ものがとがめないという構図こうずが要いるからだ。とがめる立場たちばにない者ものが見逃みのがしても鷹揚おうようとは言いわない。
  • ×部下ぶかは上司じょうしの叱責しっせきを鷹揚おうように受うけ止とめた。 上下じょうげが逆ぎゃくである。この語ごは上うえから下したへの寛大かんだいさを言いう。下位かい者しゃの受うけ止とめ方ほうには使つかえない — 「素直すなおに」「泰然たいぜんと」なら成なり立たつ。評価ひょうか語ごには使つかってよい方向ほうこうが刻きざまれている(184 健気けなげと同おなじ構造こうぞう)。
作品さくひんでの用例ようれい

渡邊わたなべは知しり合あいのドイツ人ひと女性じょせいとホテルで会かい食しょくする。

「長ながく待またせて。」 独逸どいつ語ごである。ぞんざいな詞しと不ふ吊つり合ごうに、傘かさを左ひだりの手てに持もち替かえて、鷹揚おうように手袋てぶくろに包つつみんだ右みぎの手ての指尖ゆびさきを差さし伸のべた。渡邊わたなべは、女おんなが給仕きゅうじの前まえで芝しば居いをするなと思おもいながら、丁寧ていねいにその指尖ゆびさきをつまんだ。

出典しゅってん 森鴎外もりおうがい『普請中ふしんちゅう』

派生はせい形けい
  • 鷹たか[1]語源ごげんの中心ちゅうしん。鷹たか狩かりの文化ぶんかが背景はいけいにあり、鷹たかは猛禽もうきんでありながら「品ひん位いある鳥とり」とされた。強つよさと優雅ゆうがさが同居どうきょするというこのイメージが鷹揚おうようを褒ほめ言葉ことばにしている — 「鳶揚えんよう」でも「烏揚うよう」でも同おなじ意味いみにはならない。
  • 揚あがる高たかく上あがる字じ。「揚々ようよう」「意気揚々いきようよう」と同おなじで、上向うわむきの気分きぶんを運はこぶ。ただし「意気揚々いきようよう」が得意とくいげであるのに対たいし、「鷹揚おうよう」には誇示こじがない。「鷹たか」が加くわわることで「高たかさ」が「自じ慢まん」ではなく「余裕よゆう」に変かわる。
  • おうよう[0]読よみが問とわれる語ご。「ようよう」「たかあげ」ではない。「鷹たか」を「おう」と読よむのは漢かん音おんで、訓くんの「たか」と離はなれているため間違まちがえやすい。硬かたい漢語かんごでは訓読くんどくみの知識ちしきがかえって邪じゃ魔まをすることがある。
コロケーション
  • 鷹揚おうように構かまえる姿勢しせいの動詞どうし「構かまえる」「笑わらう」「うなずく」「かまえる」と結むすぶ。いずれも動うごきの小ちいさい動作どうさである。「鷹揚おうように走はしる」とは言いわない。語源ごげんの「鷹たかが悠々ゆうゆうと飛とぶ」という像ぞうは速はやさではなく羽はばたきの少すくなさを見みている — 力ちからを使つかっていないように見みえることが鷹揚おうようさの核かくである。
  • 鷹揚おうような人物じんぶつ人ひと柄がらの語ご「人物じんぶつ」「性格せいかく」「気風きふう」と結むすぶ。一時的いちじてきな態度たいどではなく持続じぞくする人ひと柄がらを言いう語ごである。188 居丈高いたけだかが「〜になる」を要求ようきゅうしたのと正反対せいはんたいで、鷹揚おうようは「〜である」で足たりる。作つくれる姿勢しせいは一時的いちじてき、作つくれない姿勢しせいは恒常的こうじょうてき — 文法ぶんぽうがその違ちがいを記録きろくしている。
  • 鷹揚おうように育そだつ環境かんきょうの語ごへ「鷹揚おうように育そだてられた」という言いい方かたもある。ここでは本人ほんにんではなく育そだて方ほうを言いっており、細こまかく干渉かんしょうしないことを指さす。肯定こうていと否定ひていの両方りょうほうに転ころびうるのはこの用法ようほうで最もっとも顕著けんちょで、「おおらか」とも「放任ほうにん」とも読よめる。
  • 鷹揚おうよう/横柄おうへい対たいで押おさえる206 横柄おうへいと対たいになる。どちらも上位じょうい者しゃのふるまいを言いうが、鷹揚おうようは相手あいてを許ゆるし、横柄おうへいは相手あいてを押おさえつける。分わかれ目めは「相手あいてが楽らくになるか苦くるしくなるか」だ。同おなじ「細こまかいことを言いわない」でも、相手あいての負担ふたんが減へれば鷹揚おうよう、増ふえれば横柄おうへいになる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • おおらかこせこせしない性格せいかく。鷹揚おうようは態度たいどの悠然ゆうぜんさ。
  • 悠然ゆうぜん落おち着ついてゆったりしている動どうじなさ。鷹揚おうようは寛大かんだいさを含ふくむ。
  • 寛大かんだいとがめず受うけ入いれる許ゆるす側面そくめん。鷹揚おうようは構かまえ全体ぜんたい。
  • 横柄おうへい人ひとを見み下くだして無礼ぶれいだ☑206。同おなじ悠然ゆうぜんとした態度たいどでも、こちらは否定的ひていてき。

ENmagnanimous / composed
ZH大方(おおらかだ, dàfāng)

201★★

つまびらか

つまびらか[2]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい
詳つまびらかつまびらか
定義ていぎ

事こと細こまかく、くわしい様子ようす。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑201
原げん書しょの解説かいせつ

古ふるくは「つまびらか」と書かいて、「詳つまびらからか・審つまびらか」という漢字かんじをあてた。

使用しようの境界きょうかい

細こまかいところまで明あきらかであること。ほぼ「つまびらかにする」「つまびらかでない」の形かたちで使つかう。

用法ようほう

漢字かんじでは「詳つまびらからか」と書かくが、ひらがな書かきが一般的いっぱんてきである。実際じっさいの用法ようほうは二ふたつに集中しゅうちゅうし、「つまびらかにする」(=細部さいぶまで明あきらかにする)と「つまびらかでない」(=詳くわしいことは分わからない)である。後者こうしゃは報道ほうどうや学術がくじゅつ文ぶんで、情報じょうほうが不足ふそくしていることを丁寧ていねいに述のべる言いい方かたとして使つかわれる。硬かたい文章ぶんしょう語ごなので会話かいわには出でない。読よみ書かきともに問とわれる。

用例ようれい
  • 師しの説せつとたがふとて、なあらがひそといましめおかるるは、いとあらぬこと也なり。……よき人ひとの説せつならんからに、あまたの中なかには、ひがこともなどかなからむ。かならずわろきこともまじらではえあらず。本居もとおり宣長のりなが『玉たま勝間かつま』「師しの説せつになづまざる事こと」(1795)
    「つまびらかにする」という態度たいどがどこから来くるかを示しめす。宣長のりながは師しの説せつと違ちがっても争あらそうなという戒いましめはよくないと言いう。理由りゆうは明快めいかいで、どんなすぐれた人ひとの説せつでも数かず多おおいなかには誤あやまりが混まじらないはずがないからだ。ここにあるのは権威けんいではなく細部さいぶで決きめるという構かまえである。つまびらかとは「細こまかいところまで明あきらかである」こと — 大だいづかみに正ただしいでは足たりない。この語ごが学術がくじゅつと報道ほうどうに集中しゅうちゅうするのは、そこが細部さいぶで真偽しんぎが決きまる場所ばしょだからである。
  • 出来事できごとについては、たまたま居合いあわせただけの者ものから聞きいたことをそのまま書かくことはせず、私わたし自身じしんが居合いあわせた事柄ことがらも、他人たにんから聞きいた事柄ことがらも、できるかぎり厳密げんみつに一ひとつ一ひとつ吟味ぎんみして記しるした。骨ほねの折おれる仕事しごとであった。同おなじ出来事できごとについて証言しょうげんする者ものたちが、同おなじことを語かたらなかったからである。トゥキュディデス『戦せん史し』第一だいいち巻かん(前五世紀ぜんごせいき/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    「つまびらかでない」という言いい方かたがなぜ必要ひつようかを教おしえてくれる。トゥキュディデスは証言しょうげんが食くい違ちがったと正直しょうじきに書かく。食くい違ちがいを消けして一ひとつの物語ものがたりにすることもできたはずだ。そうせずに吟味ぎんみの過程かていを記しるした。この「分わかっているところまでを示しめし、分わかっていないことは分わかっていないと言いう」という構かまえが、「詳細しょうさいはつまびらかでない」という定型ていけい句くを生うむ。知しらないことを知しらないと書かくための語彙ごいを持もつことは、学問がくもんの最低さいてい条件じょうけんである。
  • 当時とうじの経緯けいいはつまびらかでない。 報道ほうどうと学術がくじゅつで最もっともよく使つかわれる形かたち。「分わからない」と言いうより正確せいかくである — まったく不明ふめいなのではなく、細部さいぶが確定かくていしていないことを示しめす。語ごの選択せんたくが不確ふたしかさの度合どあいを刻きざんでいる。
  • ×駅えきまでの道みちをつまびらかに教おしえてもらった。 文体ぶんたいが合あわない。文語ぶんご的てきで硬かたい語ごなので、日常にちじょうの場面ばめんに置おくと滑稽こっけいになる。「詳くわしく」「細こまかく」でよい。硬かたい語ごを使つかうこと自体じたいが事柄ことがらの格かくを主張しゅちょうしてしまうことに注意ちゅういしたい。
作品さくひんでの用例ようれい

「わたくし」は、酒気しゅきを帯おびた男おとこたちが銀ぎん座ざをさまようようになった理由りゆうについて考かんがえる。

わたくしは此この不ふ体裁ていさいにして甚はなはだ無遠慮ぶえんりょな行動こうどうの原因げんいんするところをつまびらかにしないのであるが、其その実例じつれいによって考察こうさつすれば、昭和しょうわ二に年ねん初はじめて三田みたの書しょ生せい及および三田みた出身しゅっしんの紳士しんしが野球やきゅう見物けんぶつの帰かえり群ぐんをなし隊たいをつくって銀ぎん座ざ通つうを襲おそった事ことを看過かんかするわけには行いかない。

出典しゅってん 永井ながい荷風かふう『濹東綺譚』

派生はせい形けい
  • つまびらかならず文語ぶんごの形かたち。公文こうぶん書しょ・碑文ひぶん・古ふるい報道ほうどうに残のこる。「〜ならず」は断定だんていの助動詞じょどうし「なり」の否定ひていで、現代語げんだいごの「〜でない」より硬かたい。同おなじ内容ないようを文語ぶんごで書かくか口語こうごで書かくかが、文書ぶんしょの格かく式しきを決きめていた時代じだいの名残なごりである。
  • つばひらか古こ形けい。『万葉集まんようしゅう』などに見みえるとされ、「つまびらか」はその転てんじた形かたちと考かんがえられている。語源ごげんは未詳みしょうだが、「つばら(つばらに=こまごまと)」という古こ語ごとのつながりが指摘してきされる。細こまかさを言いう和わ語ごが古ふるくからあったということだ。
  • 詳細しょうさい[0]同おなじ内容ないようの漢語かんご。「詳細しょうさいはつまびらかでない」という言いい方かたは、実じつは同おなじ意味いみの語ごを二ふたつ重かさねている。それでも不自然ふしぜんに感かんじないのは、「詳細しょうさい」が対象たいしょうを指さす名詞めいし、「つまびらか」が状態じょうたいを言いう形容けいよう動詞どうしと役割やくわりが分わかれているからである。
コロケーション
  • つまびらかにする明あきらかにする側がわ他動詞たどうし的てきな用法ようほう。「真しん相そうをつまびらかにする」のように調査ちょうさ・報告ほうこくの文脈ぶんみゃくで使つかう。「明あきらかにする」より細部さいぶへの約束やくそくが重おもい — 明あきらかにするは結論けつろんを示しめせば足たりるが、つまびらかにするは過程かていまで開ひらいて見みせることを含意がんいする。
  • つまびらかでない分わからない側がわ否定ひてい形けいのほうが頻度ひんどが高たかい。「詳細しょうさいはつまびらかでない」は報道ほうどうの定型ていけい句くである。重要じゅうようなのはこの形かたちが責任せきにんを果はたしていることだ — 分わからないと書かくのは、分わかったふりをしないという宣言せんげんである。190 屈託くったく、178 気きの置おけないと同おなじく、否定ひてい形けいが主役しゅやくの語ごだが、こちらは倫理りんりが理由りゆうである。
  • つまびらかに述のべる発話はつわの動詞どうし「述のべる」「記しるす」「調しらべる」「する」と結むすぶ。すべて知ちの作業さぎょうである。「つまびらかに感かんじる」とは言いわない — 感覚かんかくは細部さいぶに分解ぶんかいしても確たしかさが増ふえないからだ。この語ごは検証けんしょう可能かのうなものにしかかからない。
  • 詳つまびらからか・審つまびらか二ふたつの表記ひょうき「詳つまびらか」はくわしい、「審しん」はつまびらかに調しらべる。「審しん」を当あてると調査ちょうさの含ふくみが強つよまる(審査しんさ・審議しんぎ・不審ふしん)。どちらの字じを当あてても読よみは同おなじで、実際じっさいにはかな書かきが最もっとも多おおい — 表記ひょうきの選択肢せんたくしが多おおい語ごはかなへ流ながれる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 詳細しょうさいくわしいこと名詞めいし・形容けいよう動詞どうし。つまびらかは和わ語ごで文章ぶんしょう語ご。
  • 詳つまびらからか─漢字かんじ表記ひょうき。同どう語ご。
  • 明あきらかはっきりしている判明はんめいの度合どあい。つまびらかは細部さいぶまで及およぶこと。
  • つまびらかにする明あきらかにする動詞どうし句く。公表こうひょう・解明かいめいの場面ばめんで使つかう。

ENin detail / fully known
ZH详尽(詳しい, xiángjìn)

202★★

姑息こそく

こそく[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
姑しゅうとめしばらく+息いきやすむ・いき

「姑しゅうとめ」はしばらく、「息いき」は休やすむ。「卑怯ひきょう」は本来ほんらいの意味いみではない。

定義ていぎ

一時いちじの間まに合あわせにすること。その場ばしのぎ。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑202
原げん書しょの解説かいせつ

現在げんざいでは〈卑怯ひきょう〉という意味いみで多おおく使つかわれるが、元来がんらいは、「姑しゅうとめ(=ちょっと)」+「息いき(=やすむ)」の意い。

使用しようの境界きょうかい

その場ばしのぎであること。「卑怯ひきょう」という意味いみではない。誤ご用ようが非常ひじょうに多おおい。

用法ようほう

誤ご用よう率りつが非常ひじょうに高たかい語ごである。「姑しゅうとめ」はしばらく、「息いき」は休やすむで、〈しばらく息いきをつく〉=一時いちじしのぎ、が本来ほんらいの意味いみである。ところが「卑怯ひきょう」「ずるい」の意味いみで理解りかいする人ひとが七なな割わりを超こえるという調査ちょうさがあり、入試にゅうしでも狙ねらわれる。「姑息こそくな手段しゅだん」は本来ほんらい〈根本的こんぽんてきな解決かいけつを避さけた一時いちじしのぎの手段しゅだん〉で、ずるさとは無関係むかんけいだった。ただし誤ご用ようの定着ていちゃくも進すすんでおり、辞書じしょによっては両義りょうぎを載のせる。

用例ようれい
  • 曾子そうし(そうし)疾やまひ(やまひ)に寝ふ(ふ)す。……童子どうじ曰いわくく、「華か(か)にして睆かん(かん)たり、大夫たいふの簀さく(さく)か」と。……曾子そうし曰いわくく、「然しかり。……君子くんしの人ひとを愛あいするや徳とくを以もってし、細人さいじん(さいじん)の人ひとを愛あいするや姑息こそくを以もってす。吾われ何なにをか求もとめん。吾われ正せいを得とくて斃たふ(たふ)れんのみ」と。『礼記らいき』檀弓上だんきゅうじょう(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    「姑息こそく」という語ごの出典しゅってんそのものである。死しの床ゆかの曾子そうしは、身分みぶんに合あわない立派りっぱな敷物しきものを使つかっていることを指摘してきされ、取とり替かえさせる。弟子でしたちは病人びょうにんを動うごかすなと止とめた。その止とめ方ほうを曾子そうしは「姑息こそく」と呼よぶ。いま楽らくにさせることを選えらんで、正ただしさを後回あとまわしにするからだ。ここに卑怯ひきょうという意味いみは一切いっさいない。むしろ弟子でしたちは優やさしい。優やさしさが一時いちじしのぎになることを突ついているのがこの語ごで、「姑しばらく(しばらく)」+「息やすむ(やすむ)」という語ご構成こうせいがそのまま出典しゅってんの場面ばめんと一致いっちする。
  • 多おおくの語ごは、いま廃すたれていてもふたたび生うまれるだろう。そしていま尊とうとばれている語ごも廃すたれるだろう。慣用かんようがそう望のぞむならば。言葉ことばの規範きはんも規則きそくも裁定さいていも、その慣用かんようの手てにある。ホラティウス『詩し論ろん』(前まえ一世いっせい紀き/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    「姑息こそく=卑怯ひきょう」という誤ご用ようをどう考かんがえるかという問といに答こたえている。ホラティウスは語ごの生死せいしを決きめるのは慣用かんようだと言いい切きる。正ただしさの根拠こんきょは語源ごげんではなく使用しようである、と。この立場たちばを取とれば「姑息こそく=卑怯ひきょう」もやがて正ただしくなる。それでもいまこの語ごを学まなぶ意味いみは消きえない — 入試にゅうしという場面ばめんでは本ほん義ぎが問とわれるという実務じつむ的てきな理由りゆうに加くわえて、語源ごげんを知しる者ものだけが「その場ばしのぎ」と「卑怯ひきょう」の違ちがいを意識いしきして書かけるという理由りゆうがある。変化へんかを認みとめることと、区別くべつを手放てばなすことは別べつである。
  • 根本こんぽんの原因げんいんに触ふれないまま数字すうじだけ直なおすのは姑息こそくな対処たいしょだ。 本ほん義ぎに沿そった使つかい方かた。「その場ばしのぎ」という意味いみで、卑怯ひきょうさは含ふくまない。やっている当人とうにんに悪意あくいがなくても成立せいりつするのが要点ようてんで、『礼記らいき』の弟子でしたちと同おなじである。
  • ×匿名とくめいで悪口わるぐちを書かき込こむとは姑息こそくな奴やつだ。 誤ご用ようの典型てんけい。ここで言いいたいのは「卑怯ひきょう」である。文化ぶんか庁ちょうの調査ちょうさでもこの誤ご用ようが七なな割わりを超こえる年としがある。「姑しゅうとめ」の字じが「姑しゅうとめ(しゅうとめ)」を思おもわせ、「息いき」が「息いきをひそめる」を思おもわせる — 字面じづらからの連想れんそうが誤ご用ようを育そだてたと見みられる。
作品さくひんでの用例ようれい

予備校生よびこうせいの「私わたし」は、友人ゆうじんとのつきあいに違和感いわかんを抱いだく。

内輪うちわの冗談じょうだんをキーワードにして連れん帯たいを深ふかめて何なにがおもしろいのか。自分じぶんたちの半径はんけい五ごメートル以内いないの話題わだいに終始しゅうしするばかりで、そこに他人たにんを入いれようとしない彼かれらの距離きょりの取とり方かたが姑息こそくに思おもえた。

出典しゅってん 山田やまだ詠美えいみ『微分びぶん積分せきぶん』

派生はせい形けい
  • 姑しばらく「しばらく」を表あらわす副詞ふくしとしての「姑しゅうとめ」。「姑しゅうとめ(しゅうとめ)」とは別べつの用法ようほうである。「姑しばら(しばら)く之これを措お(お)く」のように漢文かんぶんで使つかわれた。この用法ようほうを知しらないと語ご構成こうせいが読よめない — 誤ご用ようの根ねはこの一いち字じにある。
  • 息やすむ「休やすむ」を表あらわす用法ようほう。「休息きゅうそく」「安息あんそく」「終息しゅうそく」の「息いき」で、呼吸こきゅうの意味いみではない。203 息吹いぶきの「息いき」が呼吸こきゅうであるのと対照的たいしょうてきで、同おなじ字じが二ふたつの意味いみを持もつ。「姑しゅうとめ」+「息いき」で「しばらく休やすむ」 — 字義じぎを足たすと語ご義ぎになる典型例てんけいれいである。
  • 姑息的こそくてき[0]医学いがくの術語じゅつご。英語えいごのpalliative(緩和かんわ的てき)の訳語やくごとして使つかわれ、根治こんじ的てき(radical)と対たいになる。本ほん義ぎの「一時いちじしのぎ」が正確せいかくに生いきている用法ようほうで、日常にちじょう語ごが誤ご用ようへ流ながれても術語じゅつごが本ほん義ぎを保存ほぞんするという現象げんしょうがここに見みえる。
コロケーション
  • 姑息こそくな手段しゅだん最もっとも多おおい形かたち「手段しゅだん」「対処たいしょ」「やり方かた」「策さく」と結むすぶ。すべて方法ほうほうを指さす名詞めいしである。本ほん義ぎでは「方法ほうほうが一時的いちじてきだ」という意味いみになるが、誤ご用ようでは「方法ほうほうが卑劣ひれつだ」と読よまれる。同おなじ共起きょうき語ごが二ふたつの読よみを許ゆるしてしまうことが、誤ご用ようの定着ていちゃくを早はやめた。
  • 姑息こそくな人ひと誤ご用ようのみの形かたち人ひとを直接ちょくせつ修飾しゅうしょくするのは誤ご用ようの側がわだけである。本ほん義ぎは方法ほうほうの性質せいしつを言いう語ごなので、人ひと柄がらにはかからない。「姑息こそくな人ひと」と書かいてあればほぼ確実かくじつに「卑怯ひきょうな人ひと」の意味いみだと読よめる — 共起きょうきの型かたが誤ご用ようの判別はんべつに使つかえる。
  • 姑息こそくな延命えんめい医療いりょうの文脈ぶんみゃく医学いがくでは本ほん義ぎが生いきている。「姑息こそく的てき治療ちりょう」は原因げんいんを取とり除のぞかず症状しょうじょうを和やわらげる治療ちりょうを指さす正式せいしきな術語じゅつごで、非難ひなんの意味いみはない。専門せんもん用語ようごは語ご義ぎの変化へんかから守まもられる — 使つかう集団しゅうだんが限かぎられ、定義ていぎが文書ぶんしょ化かされているからである。
  • 姑息こそく/卑怯ひきょう/小手先こてさき三さん語ごの整理せいり卑怯ひきょうは道徳どうとくの語ご(正々せいせい堂々どうどうでない)、姑息こそくは時間じかんの語ご(一時的いちじてきである)、小手先こてさきは技術ぎじゅつの語ご(本質ほんしつに届とどかない)。誤ご用ようの実態じったいは「姑息こそく」が「卑怯ひきょう」の席せきへ移うつろうとしているということだが、本来ほんらい姑息こそくの隣となりにいるのは小手先こてさきである。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 卑怯ひきょうずるく正々せいせい堂々どうどうとしない誤ご用ようとして広ひろまった意味いみ。本来ほんらいは別べつ。
  • その場ばしのぎ一時的いちじてきに間まに合あわせる本来ほんらいの意味いみ。言いい換かえとして最もっとも正確せいかく。
  • 弥縫びほう策さく破やぶれを繕つくろう応急おうきゅうの策さく硬かたい言いい換かえ。姑息こそくと同おなじ構造こうぞう。
  • 小手先こてさき表面ひょうめん的てきな工夫くふう技術ぎじゅつの浅あささ。姑息こそくは時間的じかんてきな一時いちじ性せい。

ENstopgap / temporary
ZH权宜(一時しのぎ, quányí)

コラム ── 坂口さかぐち安吾あんご

坂口さかぐち安吾あんごは石いし川かわ淳あつし・太宰治だざいおさむ・織田おだ作さく之の助すけなどとともに、新しん戯作げさく派は、無頼派ぶらいはとよばれ、戦後せんご文学ぶんがくを導みちびいた一人ひとりとされている。戦後せんご間かんもない昭和しょうわ二に十一じゅういち年ねんに『堕落だらく論ろん』を発表はっぴょうして、人々ひとびとに堕落だらくを勧すすめ、堕落だらくすることによって真実しんじつの救すくいを見み出だすべきだとした。さらに、その実践じっせんのような形かたちで『白痴はくち』『外套がいとうと青空あおぞら』などの小説しょうせつを書かいて当時とうじの人々ひとびとに刺激しげきを与あたえた。その限かぎりで、彼かれを戦後せんご文学ぶんがく作家さっかの一員いちいんとみることに間違まちがいはない。

しかし、彼かれの文学的ぶんがくてき出発しゅっぱつは昭和しょうわ六ろく年ねん頃ころで、『風かぜ博士はかせ』『黒くろ谷たに村むら』などのファルス(笑劇しょうげき)を発表はっぴょうして、それまでの日本にほん文学ぶんがくの伝統でんとうとは異質いしつな小説しょうせつを世よに問とうた。さらにその理論的りろんてき裏うらづけとして『FARCEに就ついて』を書かき、『日本にほん文化ぶんか私観しかん』という作品さくひんとともに、むしろ戦後せんごになって真価しんかが改あらためて見出みいだされることになる。そこには今日きょうでも色いろあせない明確めいかくな文明ぶんめい批評ひひょうがある。また、東日本大震災ひがしにほんだいしんさい直後ちょくごの人々ひとびとの心境しんきょうを、彼かれの戦後せんご直後ちょくごのそれと対比たいひする試こころみもされている。

コラム ── 太宰治だざいおさむ

太宰治だざいおさむは、非ひ合法ごうほう運動うんどうへの関与かんよや女性じょせいとの心中しんちゅう未遂みすいを経へて、自殺じさつを前提ぜんていに遺書いしょのつもりで書かいた『晩年ばんねん』で本格的ほんかくてきな創作そうさく活動かつどうに入はいった。

「大人おとなとは、裏切うらぎられた青年せいねんの姿すがたである」(『津軽つがる』)「生いきているのだからね、インチキをやっているに違ちがいないのさ」(『斜陽しゃよう』)――こうした彼かれの言葉ことばを見みる限かぎり、老ろう成せいを望のぞむ人間にんげんでなかったことは確たしかで、「そこで考かんがえ出だしたのは、道化どうけでした。それは、自分じぶんの、人間にんげんに対たいする最後さいごの求きゅう愛あいでした」(『人間にんげん失格しっかく』)とあるように、独自どくじのユーモアが生うみ出だされた。また、薬物やくぶつ中毒ちゅうどくに苦くるしみ、退廃たいはい的てきな作品さくひんを書かきながらも、「神かみを求もとめた人ひと」であったという評価ひょうかもされる。『トカトントン』とは敗戦はいせん直後ちょくご、同名どうめいの作品さくひんの中なかで耳みみに響ひびく音おととして描写びょうしゃされたものだが、感かん受じゅ性せいを研とぎ澄すますなら今日きょうでもその音おとが聴きこえてくるかもしれない。なお太宰だざいは、女性じょせいと玉川たまがわ上水じょうすいに身みを投なげて一生いっしょうを終おえた。

203★

息吹いぶき

いぶき[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
息いきいき+吹すいふく
定義ていぎ

① 呼吸こきゅう。息いきづかい。

② 活動かつどうする気配けはい。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑203
原げん書しょの解説かいせつ

「息吹いぶきく(=息いきをする・息いきづく)」という動詞どうしもある。

使用しようの境界きょうかい

生いき生いきとした気配けはい。呼吸こきゅうそのものではなく、生命せいめい力りょくの兆ちょうしを指さす。

用法ようほう

熟字訓じゅくじくんで「いぶき」と読よみ、「そくすい」ではない。実際じっさいの用法ようほうは「春はるの息吹いぶき」「時代じだいの息吹いぶき」「新あたらしい息吹いぶき」という結むすびつきにほぼ固定こていしており、いずれもこれから盛さかんになるものの兆ちょうしを肯定的こうていてきに表あらわす。だから衰退すいたいや終おわりには使つかえない。呼吸こきゅうそのものの意味いみで使つかうことは現代げんだいではまれで、比喩ひゆとして定着ていちゃくしている。読よみが問とわれる語ごである。

用例ようれい
  • 主おもなる神かみは、土つちの塵ちりで人ひとを形かたちづくり、その鼻はなに命いのちの息いきを吹ふき入いれられた。人ひとはこうして生いきる者ものとなった。『旧約きゅうやく聖書せいしょ』創世記そうせいき 第だい二に章しょう(訳やくは本ほん教材きょうざい)
    「息いき」が生命せいめいそのものを指さすという感覚かんかくの古こさを示しめす。土つちの塵ちりはただの物質ぶっしつである。そこへ息いきが入はいった瞬間しゅんかんに生いき物ものになる。つまり息いき=生命せいめいという等式とうしきがここに立たてられている。ヘブライ語ごのルーアハ、ギリシア語ごのプネウマ、ラテン語ごのスピリトゥス — いずれも「息いき」と「霊れい」を同おなじ語ごで言いう。日本語にほんごの「息吹いぶき」も同おなじ発想はっそうに立たつ。だからこの語ごは呼吸こきゅうの意味いみではほとんど使つかわれず、「生命せいめい力りょくの兆ちょうし」の意味いみで生いきている — 比喩ひゆのほうが本ほん義ぎを追おい出だしたのである。
  • 僕ぼくの前まえに道みちはない/僕ぼくの後うしろに道みちは出来できる/ああ、自然しぜんよ/父ちちよ/僕ぼくを一人ひとり立たちにさせた広大こうだいな父ちちよ/僕ぼくから目めを離りさないで守まもる事ことをせよ/常つねに父ちちの気魄きはくを僕ぼくに充みつるたせよ高こう村むら光太郎こうたろう『道程どうてい』(1914/光太郎こうたろう 1956 没ぼつ)
    「新あたらしい息吹いぶき」という言いい方かたが何なにを指さしているかを見みせる。注目ちゅうもくしたいのは「気魄きはくを僕ぼくに充みつるたせよ」という結むすびだ。外そとから入はいってくる力ちからとして生命せいめいが捉とらえられている。創世記そうせいきの息いきと同おなじ構造こうぞうである。そして「僕ぼくの前まえに道みちはない」 — まだ何なにも始はじまっていない。息吹いぶきが「これから盛さかんになるものの兆ちょうし」を指さし、衰退すいたいや終おわりには使つかえないのはこのためだ。すでに完成かんせいしたものに息吹いぶきはない — この語ごはつねに未完成みかんせいの側がわに立たつ。
  • 雪ゆきの下したから緑みどりが覗のぞいて、春はるの息吹いぶきを感かんじた。 最もっとも標準的ひょうじゅんてきな使つかい方かた。「春はるの」「時代じだいの」「新あたらしい」と結むすぶ形かたちで用例ようれいのほとんどを占しめる。「感かんじる」という動詞どうしが選えらばれるのも要点ようてんで、見みえるのではなく気配けはいとして受うけ取とるものだ。
  • ×往おう時じの息吹いぶきはいまや見みる影かげもない。 衰退すいたいの文脈ぶんみゃくには置おけない。この語ごはこれから盛さかんになるものにしかかからない。「往おう時じの活気かっき」「かつての勢いきおいい」なら成なり立たつ。時間じかんの向むきが語ごに書かき込こまれている — 息吹いぶきはつねに前まえを向むく。
作品さくひんでの用例ようれい

戦後せんご初期しょき、「彼かれ」は「彼女かのじょ」と恋愛れんあい関係かんけいにあるが、戦争せんそう体験たいけんに苦くるしめられている。

彼かれは彼女かのじょの白しろい顔かおの輪郭りんかくの中なかから何なにか、彼女かのじょの心こころの息吹いぶきのようなものが彼かれの方ほうにふきつけてくるのを感かんじた。〈俺おれはこのひとの生存せいぞんの中なかにはいることはできはしない。俺おれは俺おれの生存せいぞんの中なかにしかないのだ。〉

出典しゅってん 野間のま宏ひろし『顔かおの中なかの赤あかい月つき』

派生はせい形けい
  • 息吹いぶき[1]熟字訓じゅくじくん。「そくすい」とは読よまない。二字にじまとめて和わ語ごの読よみを当あてるというこの方式ほうしきは大人おとな(おとな)・土産みやげ(みやげ)・五月雨さみだれ(さみだれ)と同おなじで、漢字かんじを和わ語ごの衣装いしょうとして使つかうという日本語にほんご独特どくとくの扱あつかい方ほうである。
  • 伊吹いぶき[1]同音どうおんの地名ちめい・植物しょくぶつ名めい。伊吹山いぶきやまは『古事記こじき』で倭建やまとたける命いのちが荒あらぶる神かみに打うたれた山やまとして現あらわれる。「息吹いぶき」と「伊吹いぶき」の関係かんけいは未詳みしょうだが、山やまから吹ふき下おろす風かぜを神かみの息いきと見みる感覚かんかくが働はたらいていた可能性かのうせいが指摘してきされる。
  • 息災そくさい[0]同おなじ「息いき」を持もつが意味いみが違ちがう。ここでの「息いき」は「やめる・静しずめる」で、「災さいいを息や(や)める」が原げん義ぎの仏教ぶっきょう語ごである。202 姑息こそくの「息いき」と同おなじ用法ようほうで、203 息吹いぶきの「息いき」とは別べつ — 一いち字じが二ふたつの語ご族ぞくを養やしなっている。
コロケーション
  • 春はるの息吹いぶき季節きせつと結むすぶ四季しきのなかで春はるだけがこの語ごを取とる。「秋あきの息吹いぶき」とは言いわない。始はじまりの季節きせつにしかかからないからで、春はるは日本語にほんごで「兆ちょうし」の語彙ごいを独占どくせんしている(芽め吹ふく・萌もえる・ほころぶ)。季節きせつの偏かたよりがそのまま語ご義ぎの証拠しょうこになる。
  • 時代じだいの息吹いぶき抽象ちゅうしょうへの拡張かくちょう「時代じだい」「新しん時代じだい」「変革へんかくの」と結むすぶと歴史れきしの語ごになる。比喩ひゆが二に段だんになっている — 呼吸こきゅう→生命せいめい力りょく→時代じだいの勢いきおいい。時代じだいは呼吸こきゅうしないのにこの言いい方かたが成なり立たつのは、すでに「息吹いぶき=生命せいめいの兆ちょうし」という段階だんかいを経へているからだ。
  • 息吹いぶきを感かんじる知覚ちかくの動詞どうし「感かんじる」「伝つたわる」「宿やどる」と結むすぶ。「見みる」「聞きく」とは結むすばない。五ご感かんのどれか一ひとつでは捉とらえられないものだからで、「気配けはい」の語彙ごいがそろってこの性質せいしつを持もつ(167 の「うさんくささが漂ひょうう」と同おなじ)。発生源はっせいげんを特定とくていできないものは、特定とくていを求もとめない動詞どうしと結むすぶ。
  • 息吹いぶきく動詞どうし形けい「息吹いぶきく」は〈息いきをする・息いきづく〉。名詞めいしの「息吹いぶき」より古ふるいとされる。「芽め吹ふく」と並ならべると構造こうぞうが見みえる — 「吹ふく」は内ないから外そとへ出でてくる動うごきを表あらわす。息吹いぶきは外そとから与あたえられるものであり、同時どうじに内ないから出でてくるものでもある。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 気配けはいなんとなく感かんじられる様子ようす中立ちゅうりつ。息吹いぶきは生命せいめい力りょくの躍動やくどうを含ふくむ。
  • 兆ちょうしこれから起おこる前触まえぶれ時間じかんの先取さきどり。息吹いぶきは今いまそこにある活気かっき。
  • 活気かっき生いき生いきとした勢いきおいい集団しゅうだんや場ばの状態じょうたい。息吹いぶきはより微細びさいな兆ちょうし。
  • 鼓動こどう脈打みゃくうつ動うごき比喩ひゆとして近ちかい。息吹いぶきは呼吸こきゅう、鼓動こどうは心臓しんぞう。

ENbreath / stirrings of life
ZH气息(息吹, qìxī)

204★★

うろ覚えうろおぼえ

うろおぼえ[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
うろ空そら・うつろ+覚さとしおぼえ

「うろ」は空洞くうどうのこと。「空そら覚おぼえ(そらおぼえ)」は逆ぎゃくに暗記あんきしていること。

定義ていぎ

ぼんやりとした記憶きおく。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑204
原げん書しょの解説かいせつ

「うろ」は接頭語せっとうごで、〈不十分ふじゅうぶんなこと〉を意味いみする。

使用しようの境界きょうかい

はっきりせず、あいまいに覚おぼえていること。まったく覚おぼえていないのではない点てんが要点ようてん。

用法ようほう

「うろ」は空うろ(うろ)・うつろで、木きのうろ(空洞くうどう)と同おなじ語ごである。中身なかみがすかすかの記憶きおく、という比喩ひゆになっている。要点ようてんは、まったく覚おぼえていないわけではないことで、断片だんぺんは残のこっているが確信かくしんが持もてない状態じょうたいを指さす。「空そら覚おぼえ(そらおぼえ)」は同おなじ字じを書かきうるが、こちらは〈暗記あんきしていること〉で意味いみがほぼ逆ぎゃくになる。混同こんどうに注意ちゅういする。

用例ようれい
  • われわれの魂たましいのうちに蝋ろうの板いたがあると考かんがえてみよう。……われわれが見みたり聞きいたり思おもったりしたものをこの板いたに押おしあてる。印しるしが残のこっているあいだは覚おぼえており、印しるしが消きえれば忘わすれる。……蝋ろうが深ふかく清きよらかな者ものはよく学まなびよく覚おぼえる。濁にごって汚よごれた者もの、柔やわらかすぎる者もの、硬かたすぎる者ものは、そうではない。プラトン『テアイテトス』(前四世紀ぜんよんせいき/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    うろ覚おぼえという状態じょうたいが何なにであるかを二千年にせんねん以上いじょう前まえに説明せつめいしている。要点ようてんは記憶きおくが「ある/ない」の二に択たくではないことだ。印しるしは深ふかくも浅あさくもなる。薄うすれかけた印しるし — それがうろ覚おぼえである。この語ごの要点ようてんが「まったく覚おぼえていないわけではない」ことにあるのは、記憶きおくが連続れんぞく量りょうだからだ。そして「うろ」は木きのうろ(空洞くうどう)と同おなじ語ごである。プラトンの蝋板ろうばんと日本語にほんごのうろ — どちらも記憶きおくを「物ものの状態じょうたい」として捉とらえている。覚おぼえるとは心こころに何なにかが残のこることだという直観ちょっかんは、文化ぶんかを越こえて共通きょうつうする。
  • 私わたしの書しょ斎さいのガラス戸棚とだなの抽匣ひきだし(ひきだし)にはいっている一ひとつの小箱こばこ。……そのなかに小ちいさな銀ぎんの匙さじが一ひとつはいっている。……この銀ぎんの匙さじを見みるたびにいつも私わたしは云いいしれぬなつかしい気持きもちになる。中なか勘かん助すけ『銀ぎんの匙さじ』(1913/中なか 1965 没ぼつ)
    うろ覚おぼえがどうやって呼よび戻もどされるかを書かいている。この小説しょうせつの全体ぜんたいは幼時ようじの記憶きおくの再現さいげんだが、その入口いりぐちに置おかれるのは説明せつめいではなく一本いっぽんの匙さじである。物ものが記憶きおくの欠かけを埋うめるのだ。ここにこの語ごの実用じつよう上じょうの要点ようてんがある — うろ覚おぼえは無知むちではないので、手てがかりが一ひとつ与あたえられれば一気いっきに像ぞうを結むすぶ。「言いわれれば思おもい出だす」という状態じょうたいを正確せいかくに名指なざす語ごは、日本語にほんごではほぼこれ一ひとつである。
  • 道みち順じゅんはうろ覚おぼえだったが、角かどのポストを見みて思おもい出だした。 この語ごの性格せいかくを写うつした作さく例れい。うろ覚おぼえは「思おもい出だせる可能性かのうせいを残のこした忘却ぼうきゃく」である。まったく知しらなければポストは手てがかりにならない — 薄うすい印しるしが残のこっているからこそ外そとからの刺激しげきが効きく。
  • ×初はじめて聞きく曲きょくだがうろ覚おぼえだ。 前提ぜんていが崩くずれている。一度いちどは覚おぼえたことが条件じょうけんである。「うろ」は中身なかみがすかすかの空洞くうどうであって、そもそも器うつわがなければ空洞くうどうにもならない。171 おぼつかないの①とは近ちかいが、あちらは確たしかさの不足ふそく、こちらは記憶きおくの欠かけである。
作品さくひんでの用例ようれい

中年ちゅうねんの「私わたし」は暗くらい過去かこの経験けいけんをもっており、生せいと死しについての思おもいが去来きょらいする。

私わたしは昔むかしギリシャ神話しんわを読よんで、うろ覚おぼえに忘却ぼうきゃくの河かわというのがあったのを覚おぼえている。三途さんずの河かわのようなものだろう、死者ししゃがそこを渡わたり、その水みずを飲のみ、生いきていた頃ころの記憶きおくをすべて忘わすれ去さると言いわれているものだ。

出典しゅってん 福永ふくなが武彦たけひこ『忘却ぼうきゃくの河かわ』

派生はせい形けい
  • うろ空・洞[1]木きの空洞くうどう。「うつろ」「うつせみ」「うつわ」と同どう語源ごげんとされる。「中なかが空そらである」という一点いってんでつながる語ご族ぞくで、「うつろな目め」は中身なかみのないまなざしを言いう。原げん書しょが「うろ」を接頭語せっとうごと説明せつめいするのは別べつ説せつで、語源ごげんには諸説しょせつがある。
  • うろつく[0]同おなじ「うろ」を持もつとされる語ご。目的もくてきなく歩あるきまわることで、「中身なかみがない・定さだまらない」という芯しんを共有きょうゆうする。「うろたえる」も同どう族ぞくとされ、空洞くうどうという一ひとつのイメージから記憶きおく・歩行ほこう・動揺どうようの三さん領域りょういきに語ごが伸のびている。
  • 生半可なまはんか[0]近ちかい意味いみの別語べつご。205 の接頭語せっとうご「生なま(なま)」を使つかう。「生半可なまはんかな知識ちしき」はうろ覚おぼえと重かさなるが、うろ覚おぼえが記憶きおくの欠かけを言いうのに対たいし、生半可なまはんかは習得しゅうとくの中途半端ちゅうとはんぱさを言いう。忘わすれたのか身みにつけていないのかの違ちがいである。
コロケーション
  • うろ覚おぼえだが前置まえおきの型かた「うろ覚おぼえだが」「うろ覚おぼえで申もうし訳わけないが」という断ことわりの形かたちで最もっともよく使つかう。これは情報じょうほうの信頼度しんらいどを自分じぶんで格かく付つけする行為こういだ。201 の「つまびらかでない」と同おなじ働はたらきで、不確ふたしかさを明示めいじすることが誠実せいじつさになる。日本語にほんごはこの種しゅの自己じこ格かく付つけの語彙ごいを豊ゆたかに持もっている。
  • うろ覚おぼえの知識ちしき名詞めいしを修飾しゅうしょく「知識ちしき」「記憶きおく」「話はなし」「歌詞かし」と結むすぶ。いずれも言葉ことばでできたものであることに注意ちゅういしたい。「うろ覚おぼえの匂におい」とは言いわない — 言葉ことばにできるものだけが「部分的ぶぶんてきに正ただしい」という状態じょうたいを取とれる。感覚かんかくは正誤せいごで測はかれないのである。
  • うろ覚おぼえで話はなす行為こういの動詞どうし「話はなす」「答こたえる」「書かく」と結むすぶとやや批判的ひはんてきになる。不確ふたしかなまま外そとへ出だしたことが問題もんだいになるからだ。知しっている状態じょうたいとしてのうろ覚おぼえは中立ちゅうりつだが、それを根拠こんきょに行為こういすると責任せきにんが生しょうじる — 同おなじ状態じょうたいが、内ないに留とまるか外そとへ出でるかで評価ひょうかを変かえる。
  • 空そら覚おぼえ紛まぎらわしい隣人りんじん「空そら覚おぼえ(そらおぼえ)」は逆ぎゃくである。「空そらで言いえる」の「そら」で、暗記あんきしていることを指さす。ただし「うろ覚おぼえ」の意味いみで使つかわれることもあり、辞書じしょでも両方りょうほうの語ご義ぎが載のる。「うろ」と「そら」がどちらも「中身なかみがない」を連想れんそうさせることが混線こんせんの原因げんいんである。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • おぼつかない確たしかさが足たりない☑171。動作どうさや見込みこみにも使つかえる。うろ覚おぼえは記憶きおくに限かぎる。
  • あやふやはっきりしない内容ないようの曖昧あいまいさ全般ぜんぱん。うろ覚おぼえは記憶きおくの曖昧あいまいさ。
  • 生半可なまはんか中途半端ちゅうとはんぱである知識ちしきの浅あささ。うろ覚おぼえは保持ほじの不確ふたしかさ。
  • 空そら覚おぼえそらで覚おぼえること同音どうおんの別語べつご。こちらは暗記あんきしていること。正反対せいはんたいに近ちかい。

ENvague recollection
ZH记不清(うろ覚え, jìbuqīng)

コラム ── 野間のま宏ひろし

椎名しいな麟三りんぞう・梅崎春生うめざきはるお・中村なかむら真一郎しんいちろうらとともに、第一だいいち次つぎ戦後せんご派はの作家さっかとされる野間のま宏ひろしは、小説しょうせつ『暗くらい絵え』をもって衝撃的しょうげきてきに登場とうじょうした。例れい文ぶんの『顔かおの中なかの赤あかい月つき』という少すこし奇き異いな感かんじのする題名だいめいの小説しょうせつは、その翌年よくねんに発表はっぴょうされた。

『顔かおの中なかの赤あかい月つき』のテーマは、「俺おれは俺おれの生存せいぞんの中なかにしかない」とあるように、人間にんげん存在そんざいの自己じこ中心ちゅうしん性せいから脱却だっきゃくできない苦くるしみの確認かくにんであろう。主人公しゅじんこうは、かつてフィリピン戦線せんせんで自分じぶんの生存せいぞんを維持いじするために戦友せんゆうを見み殺ころしにした経験けいけんをもっており、そのため、戦後せんご復員ふくいんして知しり合あった女性じょせいに惹ひかれながらも、ついに手てを差さし伸のべることができない。自分じぶんの心こころの中なかにある斑点はんてんのようなものが、決定的けっていてきな場面ばめんで相手あいての顔かおの中なかの赤あかい月つきとして現あらわれ、それとともにかつての兵へい隊たいたちの姿すがたが浮うかんできて、相手あいての生存せいぞんと自分じぶんの生存せいぞんとがこすれながら離はなれる、というふうにこの小説しょうせつは終おわっていく。人間にんげんを、生せい理り・心理しんり・社会しゃかいという三みっつの面めんから総合そうごう的てきにとらえる全体ぜんたい小説しょうせつの試こころみだった。

コラム ── 吉行よしゆき淳之介じゅんのすけ

第だい二次にじ世界せかい大戦たいせん終了しゅうりょうをもって始はじまった戦後せんご派はの文学ぶんがくを分類ぶんるいする時とき、よく「第一だいいち次つぎ戦後せんご派は」「第だい二次にじ戦後せんご派は」「第だい三さんの新人しんじん」という言葉ことばが用もちいられる。一いち、二に、三さんというのはいちおう時代じだい順じゅんを表あらわしているが、実際じっさいには、その文学的ぶんがくてき出発しゅっぱつにはそれほど差さはなかった。現げんに、第だい三さんの新人しんじんの代表だいひょうとされる吉行よしゆき淳之介じゅんのすけの小説しょうせつの発表はっぴょうは、昭和しょうわ二十にじゅう一いち年ねんまでさかのぼることができる。しかし、彼かれらが脚光きゃっこうを浴あびるのは昭和しょうわ二十にじゅう年代ねんだい末まつまで待またなければならなかった。

戦争せんそうのような極限きょくげん状況じょうきょうに対応たいおうする時とき、人間にんげんはしばしば観念かんねんに頼たよる。とくに第一だいいち次つぎ戦後せんご派はの作家さっかたちは壮大そうだいな観念かんねんの営いとなみに全力ぜんりょくを傾かたむけ、それがまた当時とうじの読者どくしゃを惹ひきつける要因よういんにもなっていた。しかし、人々ひとびとの関心かんしんが次第しだいに日常にちじょう生活せいかつに注ちゅうがれるようになると、日常にちじょう性せいの中なかに潜ひそむ非ひ日常的にちじょうてきなものを的確てきかくな文体ぶんたいでとらえる、吉行よしゆきや安岡やすおか章太郎しょうたろう、遠藤えんどう周しゅう作さくたちの作品さくひんが光ひかりを放はなち始はじめた。実際じっさい、彼かれらは連続れんぞくして芥川賞あくたがわしょうを受賞じゅしょうすることになる。

205★

生返事なまへんじ

なまへんじ[3]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい
生せいなま・中途半端ちゅうとはんぱ+返事へんじこたえ
定義ていぎ

気きのない、いい加減かげんな返事へんじ。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑205
原げん書しょの解説かいせつ

接頭語せっとうご「なま」は、①不十分ふじゅうぶん・中途半端ちゅうとはんぱな状態じょうたい、②何なにとなく・少すこし、の意いを表あらわす。「生返事なまへんじ」は①の用法ようほう。

使用しようの境界きょうかい

気きのない、いいかげんな返事へんじ。返事へんじはしているが心こころがこもっていない状態じょうたいを指さす。

用法ようほう

接頭語せっとうごの「生なま(なま)」は〈中途半端ちゅうとはんぱ・不十分ふじゅうぶん〉を表あらわし、「生せい煮にえ」「生半可なまはんか」「生兵法なまびょうほう」と同おなじ用法ようほうである。要点ようてんは、返事へんじそのものはしている点てんにある。だから無視むしとは違ちがい、相手あいてを軽かろんじていることが返事へんじの質しつを通とおして伝つたわる。小説しょうせつでは、人物じんぶつの関心かんしんの薄うすさや心こころの距離きょりを描えがくのに使つかわれる。「生返事なまへんじをする」という動詞どうし句くが標準的ひょうじゅんてきな使つかい方かたである。

用例ようれい
  • 私わたしはしばしばこう言いってきた。人間にんげんの不幸ふこうはただ一ひとつ、自分じぶんの部屋へやに静しずかに留とまっていられないことから来くるのだ、と。パスカル『パンセ』断章だんしょう一いち三さん九きゅう「気き晴はれらし」(1670/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    生返事なまへんじが起おきる心こころの状態じょうたいを言いい当あてている。パスカルの観察かんさつは人ひとは「いまここ」に留とめまれないというものだ。心こころはつねに別べつのところへ行いこうとする。生返事なまへんじはまさにその証拠しょうこで、身体しんたいはこの場ばにあり、口くちも動うごいているのに、心こころだけがいない。注目ちゅうもくしたいのはこの語ごが相手あいてへの軽視けいしを必かならずしも意味いみしないことである。心こころがよそにあるだけだ。それでも受うけ取とる側がわには軽かろんじられたと映うつる — 不在ふざいは拒否きょひと見分みわけがつかない。
  • メナルクは階段かいだんを降おりながら扉とびらを開あけ、また降おりる。……人ひとに会あえば挨拶あいさつをし、返事へんじを待またずに行おこなってしまう。……彼かれがあなたに話はなしかけるのは、あなたに話はなしているのではなく、彼かれが思おもい出だしたことを声こえに出だしているだけである。ラ・ブリュイエール『人ひとさまざま』「上うえの空そらの人ひと」(1688/抄しょう・訳やくは本ほん教材きょうざい)
    生返事なまへんじの極北きょくほくを描えがいた人物像じんぶつぞうである。メナルクは失しつ礼れいな男おとこではない。挨拶あいさつもすれば返事へんじもする。ただそのすべてが相手あいてに向むいていない。ここで見みえるのは「返事へんじはしている」というこの語ごの要点ようてんだ。無視むしなら関係かんけいはそこで切きれる。生返事なまへんじは関係かんけいを切きらないまま中身なかみだけを抜ぬくので、相手あいては怒おこる足場あしばさえ与あたえられない。183 聞きこえよがしが宛先あてさきを偽装ぎそうするのに対たいし、生返事なまへんじは応答おうとうを偽装ぎそうする — どちらも形式けいしきだけを残のこして実質じっしつを抜ぬく技法ぎほうである。
  • 画面がめんから目めを離りさないまま生返事なまへんじを返かえす弟おとうとに、母はははもう何なにも言いわなかった。 この語ごの典型的てんけいてきな場面ばめん。「返事へんじを返かえす」という形かたちで使つかわれることが多おおい。母ははが何なにも言いわなかったのは要点ようてんで、生返事なまへんじは叱しかる根拠こんきょを与あたえない — 返事へんじはしたのだから。
  • ×名前なまえを呼よばれても無視むしして生返事なまへんじだった。 無視むしとは両立りょうりつしない。「返事へんじそのものはしている」のがこの語ごの条件じょうけんで、返事へんじがなければ生返事なまへんじにもならない。「黙殺もくさつした」「聞きこえないふりをした」が正ただしい。接頭語せっとうごの「生せい」は「中途半端ちゅうとはんぱ」であって「皆無かいむ」ではない。
作品さくひんでの用例ようれい

AとBは仲良なかよしで、AはBを外出がいしゅつに誘さそい、Bも喜よろこんで応おうじていた。

「今度こんどの日曜にちようは、大丈夫だいじょうぶだね」 「うん、それがね……」 Bは生返事なまへんじをした。 「それが、といったって、この前まえちゃんと約束やくそくしたじゃないか」 「うん。あと、一いち、二に、三さん日ひたてば、はっきりするんだけど……」

出典しゅってん 吉行よしゆき淳之介じゅんのすけ『子供こどもの領分りょうぶん』

派生はせい形けい
  • 生なま[1]①中途半端ちゅうとはんぱ、②何なにとなくの二ふたつの用法ようほうを持もつ接頭語せっとうご。生返事なまへんじは①。②は「生せい暖あたたかい」「生せいぬるい」で、程度ていどがわずかにそうであることを言いう。もとは「火ひを通とおしていない」という調理ちょうりの語ごで、加工かこうの不足ふそくという一点いってんから両方りょうほうの用法ようほうが育そだった。
  • 生返事[3]アクセントは中高なかだか型がた。「なま」を独立どくりつして読よまず一語いちごとして発音はつおんすることが、接頭語せっとうごが完全かんぜんに溶とけ込こんだ証拠しょうこである。「生せい+返事へんじ」と切きって読よめば説明的せつめいてき、一語いちごで読よめば慣用かんよう — 音おとのまとまりが語ごの成熟せいじゅくを示しめす。
  • 空返事そらへんじ[3]ほぼ同義どうぎの別語べつご。「そら」は204 の「空そら覚おぼえ」と同おなじで、中身なかみがないことを言いう。「生せい」は足たりない、「空そら」は無ない — 厳密げんみつには空そら返事へんじのほうが冷つめたいが、実際じっさいには交換こうかんして使つかわれる。使用しよう頻度ひんどは生返事なまへんじが圧倒的あっとうてきである。
コロケーション
  • 生返事なまへんじをする基本きほんの形かたち「する」「返かえす」と結むすぶ。「生返事なまへんじが出でる」とは言いわないのが面白おもしろい — 本人ほんにんの行為こういとして扱あつかわれる。心こころがよそにあることは本人ほんにんの意志いしではないのに、文法ぶんぽう上じょうは意志いし的てきな動作どうさの形かたちを取とる。だから責せめられるのである。
  • 生返事なまへんじばかり反復はんぷくの副ふく助詞じょし「ばかり」「ばかりで」と結むすぶと非難ひなんが確定かくていする。一度いちどなら偶然ぐうぜんだが、繰くり返かえされると態度たいどになるからだ。168 うとましいの「募つのる」と同おなじで、反復はんぷくが一回いっかいの出来事できごとを人ひと柄がらの評価ひょうかへ変かえる — 副ふく助詞じょしが評価ひょうかのスイッチになっている。
  • 生せい煮にえ・生兵法なまびょうほう「生せい」の一族いちぞく接頭語せっとうご「生せい」は〈中途半端ちゅうとはんぱ〉を担になう。生せい煮にえ(火ひが通とおりきらない)、生半可なまはんか、生兵法なまびょうほう(生兵法なまびょうほうは大だい怪我けがのもと)、生せいかじり。すべて「やってはいるが足たりない」という一点いってんで揃そろう。接頭語せっとうごを一ひとつ覚おぼえると語彙ごいが束たばで手てに入はいる。
  • 気きのない返事へんじ言いい換かえの語ご「気きのない」はやわらかい言いい換かえ。生返事なまへんじが一語いちごの名詞めいしとして断定だんてい的てきであるのに対たいし、「気きのない返事へんじ」は修飾しゅうしょくで済すませるぶん当あたりが弱よわい。一語いちごにまとめるか句くで言いうかという選択せんたくが、非難ひなんの強つよさを調節ちょうせつしている。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 空そら返事へんじうわの空そらの返事へんじほぼ同義どうぎ。「そらへんじ」と読よむ。
  • 上うえの空そら心こころがここにない状態じょうたい。生返事なまへんじはその表あらわれとしての返事へんじ。
  • おざなりその場ばかぎりの間まに合あわせ☑196 の対たい語ご。生返事なまへんじはその一いち例れい。
  • 無視むし応答おうとうしない返事へんじがない。生返事なまへんじは一応いちおう返かえしている。

ENhalf-hearted reply
ZH敷衍的回答(生返事, fūyǎn de huídá)

206★★

横柄おうへい

おうへい[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい
横よこよこ・道理どうりにそむく+柄がらがら・ふるまい
定義ていぎ

人ひとを見み下くだしたり偉えらそうにしたりする態度たいど。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑206
原げん書しょの解説かいせつ

「押柄おうへい」や「大柄おおがら」と漢字かんじ表記ひょうきをする場合ばあいもある。

使用しようの境界きょうかい

人ひとを見み下くだし、いばって無礼ぶれいであること。態度たいどに現あらわれた無礼ぶれいさを指さす。

用法ようほう

「横よこ」は道理どうりにそむくという意味いみを持もつ字じで、「横暴おうぼう」「横領おうりょう」「横死おうし」と同おなじ用法ようほうである。だから横柄おうへいは〈道理どうりに外はずれたふるまい〉が原げん義ぎになる。要点ようてんは、これが外そとに現あらわれた態度たいどを指さす点てんにあり、内心ないしんの傲慢ごうまんとは区別くべつされる。☑200 鷹揚おうようと対たいで押おさえるとよい。どちらも悠然ゆうぜんと構かまえる様子ようすだが、鷹揚おうようは寛大かんだいさとして肯定こうていされ、横柄おうへいは無礼ぶれいとして否定ひていされる。読よみが問とわれる。

用例ようれい
  • 誇ほこり高こうき人ひと(メガロプシュコス)とは、自分じぶんが大おおきなことに値あたいすると考かんがえ、実際じっさいにそれに値あたいする人ひとのことである。……値あたいしないのに値あたいすると考かんがえる者ものは虚栄きょえいの人ひとであり、値あたいするのに値あたいしないと考かんがえる者ものは卑屈ひくつの人ひとである。アリストテレス『ニコマコス倫理学りんりがく』第だい四よん巻かん(前四世紀ぜんよんせいき/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    横柄おうへいと威厳いげんを分わける線せんがここに引ひかれている。アリストテレスの基準きじゅんは「自己評価じこひょうかが実際じっさいに見み合あっているか」という一点いってんだ。大おおきく構かまえること自体じたいは悪あくではない。値あたいしないのに構かまえるのが悪あくである。「横よこ」という字じが〈道理どうりにそむく〉を意味いみするのはまさにこれで、横柄おうへいとは「そのふるまいに見み合あう根拠こんきょがない」という判定はんていである。200 鷹揚おうようが褒ほめ言葉ことばになるのも同おなじ理由りゆうで、そこには見み合あう度ど量りょうがあると認みとめられている。ふるまいは同おなじでも、根拠こんきょの有無うむが語ごを分わける。
  • 礼れいはその最上さいじょうの形かたちにおいて、ほとんど愛あいに近ちかづく。われわれは敬虔けいけんな思おもいをもってこう言いうことができよう — 礼れいは寛容かんようにして慈悲じひ深ふかく、妬ねたまず、誇ほこらず、驕おごらず、自みずからの利りを求もとめず、容易よういに怒おこらず、人ひとの悪あくを思おもわない、と。新渡戸にとべ稲造いなぞう『武士道ぶしどう』第だい六章ろくしょう「礼れい」(1900/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    横柄おうへいの反対はんたい側がわからこの語ごを照てらす。新渡戸にとべは礼れいとは形式けいしきではなく他人たにんの感情かんじょうへの思おもいやりの表現ひょうげんだと説とく。ここから見みると横柄おうへいが「外そとに現あらわれた態度たいど」を指さすことの意味いみがはっきりする — 内心ないしんでどう思おもっていても、表ひょうに出でたふるまいが相手あいてを傷きずつければ横柄おうへいである。逆ぎゃくに内心ないしんで軽蔑けいべつしていても態度たいどが整ととのっていれば横柄おうへいとは呼よばれない。この語ごが裁さばくのは心こころではなく表面ひょうめんだ。表面ひょうめんを裁さばく語ごがあることは不当ふとうではない — 他人たにんに届とどくのは表面ひょうめんだけだからである。
  • 注文ちゅうもんを取とりに来きた店員てんいんの横柄おうへいな口調くちょうに、連つれは黙だまって席せきを立たった。 典型的てんけいてきな使つかい方かた。「口調くちょう」「態度たいど」「物腰ものごし」と結むすぶのが基本きほんで、外そとに現あらわれたものだけを指さす。立場たちばの上下じょうげは問とわない — 店員てんいんでも客きゃくでも横柄おうへいにはなれるのが200 鷹揚おうようとの大おおきな違ちがいである。
  • ×心こころの中なかで横柄おうへいに見み下くだしていた。 内心ないしんには使つかえない。横柄おうへいは外そとに現あらわれた態度たいどを指さす語ごなので、「心こころの中なかで」と両立りょうりつしない。「傲慢ごうまんに」「尊大そんだいに」なら内心ないしんにも使つかえる。可視かし性せいという軸じくで類るい語ごを分わけると、この種しゅの取とり違ちがえは起おきない。
作品さくひんでの用例ようれい

「私わたし」は小樽おたるの高等こうとう商業しょうぎょう学校がっこうに入はいり、小林こばやし多喜二たきじという上級じょうきゅう生せいと出会であう。

向むこうから、髪かみを伸のばして七なな三さんに分わけた小柄こがらな生せい徒とが、青白あおじろい細面ほそおもての顔かおに、落おちついた、少すこし横柄おうへいな表情ひょうじょうを浮うきべ、廊下ろうかの真中まんなかを、心こころ持もち爪先つまさきを開ひらいて、自分じぶんを押おし出だすように歩あるいて来きた。

出典しゅってん 伊藤いとう整せい『若わかい詩人しじんの肖像しょうぞう』

派生はせい形けい
  • 横よこ[0]〈道理どうりにそむく〉という用法ようほう。「縦たて(たて)」が正ただしい筋すじ、「横よこ」がそれを断たち切きる方向ほうこうという空間くうかんの比喩ひゆに立たつ。「横よこやりを入いれる」は戦たたかっている二者にしゃの横よこから槍やりを出だすことで、正面しょうめんから来こない=筋すじを通とおさないという同おなじ論理ろんりである。
  • 押柄おうへい異い表記ひょうき。「押おしかかる」という含ふくみを当あてたもので、「大柄おおへい(おおへい)」と書かくこともある。三みっつの表記ひょうきが併存へいそんするのは語源ごげんが確定かくていしていないためで、188 居丈高いたけだか/威丈いたけ高こうと同おなじ現象げんしょうがここでも起おきている。
  • 柄がら[0]ふるまい・身みの程ほどを表あらわす。「柄がらでもない」「人ひと柄がら」「家いえ柄がら」の「柄がら」で、その人ひとに備そなえわった格かくを言いう。「横柄おうへい」は「柄がらが横よこに外はずれている」 — 身みの程ほどを外はずれたふるまいという語ご構成こうせいになる。アリストテレスの定義ていぎと正確せいかくに一致いっちするのは偶然ぐうぜんだが、人ひとが同おなじことを見みていた証しょうでもあろう。
コロケーション
  • 横柄おうへいな態度たいど外形がいけいの名詞めいし「態度たいど」「口調くちょう」「物もの言いい」「振ふる舞まい」と結むすぶ。すべて見みえ聞きこえするものである。188 居丈高いたけだかとほぼ同おなじ共起きょうきを持もつが、居丈高いたけだかが姿勢しせいの語ごであるのに対たいし、横柄おうへいは道理どうりの語ごだ。居丈高いたけだかは身みを大おおきく見みせ、横柄おうへいは筋すじを踏ふみ外はずす。
  • 横柄おうへいに構かまえる姿勢しせいの動詞どうし「構かまえる」「言いい放はなつ」「ふんぞり返かえる」と結むすぶ。「ふんぞり返かえる」は身体しんたいの語彙ごいで、横柄おうへいが結局けっきょくは身体しんたいに現あらわれることを示しめす。日本語にほんごは無礼ぶれいを「身体しんたいの向むき」で表あらわす(そっぽを向むく・あごで使つかう・足あしを組くむ)。
  • 横暴おうぼう・横領おうりょう・横死おうし「横よこ」の一族いちぞく「横よこ」は〈道理どうりにそむく〉を担になう。横暴おうぼう(乱らん暴ぼうに押おし通とおす)、横領おうりょう(不当ふとうに取とる)、横死おうし(まっとうでない死しに方ほう)、横よこ槍やり。「縦たて」は正ただしい筋道すじみちと対たいになる — 方向ほうこうの語ごが倫理りんりの語ごになっている。
  • 横柄おうへい/鷹揚おうよう対たいで押おさえる200 と対たいになる。どちらも「細こまかいことを言いわない大おおきな構かまえ」だが、鷹揚おうようは相手あいてを許ゆるし、横柄おうへいは相手あいてを押おさえる。アリストテレスの基準きじゅんで言いえば、見み合あう度ど量りょうがあれば鷹揚おうよう、なければ横柄おうへい。二に語ごを並ならべると、評価ひょうか語ごが対象たいしょうではなく関係かんけいを測はかっていることが見みえる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 居丈高いたけだか頭あたまごなしに威い圧あつする☑188。押おさえつける力ちからの強つよさ。横柄おうへいは無礼ぶれいさ。
  • 尊大そんだい自分じぶんを高たかく見みせる自己じこ認識にんしき。横柄おうへいは相手あいてへの扱あつかい方ほう。
  • 鷹揚おうようゆったりして寛大かんだいだ☑200。同おなじ悠然ゆうぜんさでも肯定的こうていてき。対たいで押おさえる。
  • 傲慢ごうまんおごり高こうぶる心こころの状態じょうたい。横柄おうへいは外そとに現あらわれた態度たいど。

ENarrogant / insolent
ZH傲慢(横柄だ, àomàn)

コラム ── 内ない向こうの世代せだい

「第だい三さんの新人しんじん」の活躍かつやく後ご、昭和しょうわ四十よんじゅう年代ねんだいに入はいると「第だい三さんの新人しんじん」以上いじょうに自己じこの内部ないぶや日常にちじょうの不安ふあんを深ふかく描えがく作家さっかが出でてくる。阿部昭あべあきらや古井ふるい由吉よしきち、小川おがわ国夫くにおなどで、彼かれらは「内ない向こうの世代せだい」とよばれる。「内ない向こうの世代せだい」とは、ある評ひょう論ろん家かが〈一いち九きゅう六ろく〇年代ねんだいにおける学生がくせい運動うんどうの退潮たいちょうや倦けん怠たい、嫌悪感けんおかんのため政治的せいじてきイデオロギーから距離きょりを置おき始はじめた作家さっかや評ひょう論ろん家か〉と批判的ひはんてきな意味いみで使つかい始はじめた言葉ことばだ。だが、現実げんじつ社会しゃかいから逃避とうひしたというよりは、人間にんげん内部ないぶに対たいする実存じつぞん的てき関心かんしんが強つよかったという方ほうが適切てきせつだろう。

もちろん、彼かれらの作品さくひんに戦争せんそうの影響えいきょうがないわけではない。たとえば、阿部昭あべあきらの父ちち親おやは軍人ぐんじんで、戦後せんごは生活せいかつの術じゅつを失うしなって失しつ業者ぎょうしゃに転落てんらくする。その姿すがたを描えがいたのが『司令しれいの休暇きゅうか』である。ちなみに「司令しれい」とは部ぶ隊たいの指揮官しきかんのことである。また、小川おがわ国夫くにおには学徒がくと動員どういんの経験けいけんを描えがいた『動員どういん時代じだい』という作品さくひんがあり、古井ふるい由吉よしきちの最近さいきんの小説しょうせつでも戦争せんそう体験たいけんが描えがかれている。

コラム ── 新世代しんせだい〜現在げんざいの作家さっかたち

昭和しょうわ五十年ごじゅうねん代だいには、宮本みやもと輝あきら・中上なかがみ健次けんじ・村上むらかみ龍りゅう・村上むらかみ春はる樹き・立松たてまつ和平わへいなど、いわゆる「戦争せんそうを知しらない団塊だんかい世代せだい」が作家さっかとして登場とうじょうし始はじめる。彼かれらは青春期せいしゅんきに安保あんぽ闘争とうそうや大学だいがく闘争とうそうを体験たいけんした全ぜん共闘きょうとう世代せだいでもある。伝統的でんとうてきな作家さっかの影響えいきょうを感かんじさせることなく、新鮮しんせんな言語げんご感覚かんかくや文体ぶんたいで独自どくじの表現ひょうげんの可能性かのうせいを追求ついきゅうしている。

たとえば、〈川かわの作家さっか〉と言いわれる宮本みやもと輝あきらの川かわ三さん部ぶ作さく(『螢ほたる川かわ』『泥どろの河かわ』『道頓堀どうとんぼり川かわ』)は、川かわに執着しゅうちゃくし、幸福こうふくを求もとめて生いきる人々ひとびとの物語ものがたりである。村上むらかみ春はる樹きの作品さくひんは、英米えいべい現代げんだい文学ぶんがくの影響えいきょうを強つよく受うけた思索しさくに富とみんだ小説しょうせつであり、村上むらかみ龍りゅうは経済けいざい小説しょうせつと言いえる分野ぶんやを開拓かいたくしている。

その他ほか、田中たなか康夫やすおの『なんとなく、クリスタル』は消費しょうひ社会しゃかいの到来とうらいを、島田しまだ雅彦まさひこの『優やさしいサヨクのための嬉遊きゆう曲きょく』はイデオロギー的てき対立たいりつの終焉しゅうえんを告つげる画期的かっきてきな作品さくひんであり、重松しげまつ清しんの作品さくひん群ぐんは大衆たいしゅう向むけのエンターテインメントの要素ようそを多おおく含ふくんだものである。

207★

怯懦きょうだ

きょうだ[1]頭高あたまだか型がた

語ご構成こうせい
怯きょうおびえる+懦だよわい・いくじがない
定義ていぎ

気きが弱よわく、臆病おくびょうなこと。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑207
原げん書しょの解説かいせつ

「怯きょう」は〈おびえる〉、「懦だ」は〈気きが弱よわい〉の意味いみ。「怯懦きょうだを恥はじじる」などと用もちいる。

使用しようの境界きょうかい

臆病おくびょうで意気地いくじがないこと。単たんに怖こわがるのではなく、それを恥はじずべきものとして責せめる含ふくみを持もつ。

用法ようほう

二字にじがともに〈おびえる・弱よわい〉を表あらわす。日常にちじょう語ごではまったく使つかわれない硬かたい文章ぶんしょう語ごで、小説しょうせつと評ひょう論ろんに残のこる。要点ようてんは道徳的どうとくてきな非難ひなんを含ふくむことにあり、単たんなる性格せいかくの記述きじゅつではない。だから「自みずからの怯懦きょうだを恥はじじる」のように、自分じぶんを責せめる文脈ぶんみゃくで用もちいられることが多おおい。太宰治だざいおさむをはじめとする近代きんだい文学ぶんがくの主人公しゅじんこうが、自分じぶんの弱よわさを語かたるときに使つかう語彙ごいでもある。読よみが問とわれる。

用例ようれい
  • ここにため息いきと嘆なげきと高たかい叫さけびが……この惨みじめなありさまを保たもつのは、恥はじもなく誉ほまれれもなく生いきた者ものどもの悲かなしい魂たましいである。……天てんは美うつくしさを損そこなわぬために彼かれらを追おい出だし、深ふかい地獄じごくも彼かれらを受うけ入いれない。……彼かれらを見みて、そして通とおり過すぎよ。ダンテ『神曲しんきょく』地獄じごく篇へん 第だい三さん歌うた(1320/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    怯懦きょうだがなぜ道徳的どうとくてきな非難ひなんを含ふくむかを示しめす。ダンテが地獄じごくの入口いりぐちに置おいたのは大罪たいざい人ひとではない。何なにもしなかった者ものたちである。天国てんごくにも地獄じごくにも入いれてもらえない — 選えらばなかったことは罪つみより軽かるいのではなく、罪つみの外そとにある。そして案内あんない役やくのウェルギリウスは「見みて、通とおり過すぎよ」と言いう。論ろんじる価値かちさえないというこの扱あつかいが、怯懦きょうだという語ごの冷つめたさと重かさなる。単たんに「臆病おくびょうだ」と記述きじゅつしているのではない — 恥はじずべきものとして名指なざしている。
  • かくすればかくなるものと知しりながら已や(や)むに已まれぬ大和魂やまとだましい吉田松陰よしだしょういん(1859没ぼつ)
    怯懦きょうだの正反対せいはんたいを一いち首くびで示しめす。松陰しょういんはこうすればこうなると分わかっていた。計算けいさんができなかったのではない。それでも已むに已まれず動うごいた。ここで見みえるのは勇気ゆうきとは恐おそれがないことではないということだ。結果けっかを知しりながら動うごくことである。とすれば怯懦きょうだとは恐おそれること自体じたいではなく、恐おそれを理由りゆうにして動うごかないことになる。「自みずからの怯懦きょうだを恥はじじる」という言いい方かたが成なり立たつのもここで、恥はじじられるのは感情かんじょうではなく選択せんたくだからである。
  • 声こえを上あげなかった自みずからの怯懦きょうだを、彼かれは生涯しょうがい恥はじじ続つづけた。 この語ごの最もっとも典型的てんけいてきな使つかい方かた。「自みずからの怯懦きょうだを恥はじじる」という形かたちで現あらわれる。他人たにんには使つかいにくいのが要点ようてんで、非難ひなんが強きょうすぎるため、自分じぶんに向むけたとき最もっとも自然しぜんに働はたらく。
  • ×高たかいところが苦手にがてな彼かれの怯懦きょうだ。 性格せいかくの記述きじゅつには使つかえない。高こう所しょ恐怖きょうふは恥はじずべきことではないので、道徳的どうとくてきな非難ひなんを含ふくむこの語ごは置おけない。怯懦きょうだが成なり立たつのは、「そこで動うごくべきだった」という規範きはんがある場面ばめんだけである。
作品さくひんでの用例ようれい

「私わたし」は、親孝行おやこうこうのために教科書きょうかしょを古本屋ふるほんやで買かい、喜よろこびを得とくたが、新品しんぴんではないことに屈辱くつじょく感かんを覚おぼえ始はじめる。

何故なぜその勇気ゆうきと喜よろこびとを貫つらぬき通つうそうとしなかったのか。貫つらぬき通とおすことができなかったのか。――この弱よわさ、この種しゅの怯懦きょうだは、思おもえば、私わたしのいままでの生涯しょうがいに常つねに色々いろいろな場合ばあいと色々いろいろな現げんわれに於おて、つきまとっていた。

出典しゅってん 高見たかみ順じゅん『わが胸むねの底そこのここには』

派生はせい形けい
  • 怯おびえる「忄」+「劫こう」。「劫こう」はおびやかすで、心こころがおびやかされる形かたちである。「怯きょうむ(ひるむ)」と訓読くんどくみすると和わ語ごになり、こちらには非難ひなんがない(「一瞬いっしゅんひるんだ」)。音読おんよみにすると道徳どうとくの語ごになるという現象げんしょうはこの章しょうでくり返かえし見みてきた。
  • 懦よわい常用じょうよう漢字かんじ外がい。「懦弱だじゃく(だじゃく)」ぐらいでしか見みない。「需じゅ」は雨あめに濡ぬれて進すすめない形かたちともいい、ぐずぐずして動うごかないことを表あらわす。「怯きょう」が恐おそれ、「懦だ」が不動ふどう — 二字にじで「恐おそれて動うごかない」という語ご義ぎが完成かんせいする。
  • 卑怯ひきょう[2]同おなじ「怯きょう」を持もつが意味いみが違ちがう。卑怯ひきょうは「卑いやしく怯きょうむ」で、手段しゅだんの不正ふせいへ重心じゅうしんが移うつっている。怯懦きょうだは動うごかないこと、卑怯ひきょうは不正ふせいに動うごくこと — 正反対せいはんたいの行動こうどうを同おなじ字じが支ささえているのは、どちらも正面しょうめんから向むき合あわないという一点いってんで通つうじるからである。
コロケーション
  • 怯懦きょうだを恥はじじるほぼ唯一ゆいいつの形かたち「恥はじじる」と結むすぶ形かたちで用例ようれいの大半たいはんを占しめる。恥はじは自分じぶんに向むかう感情かんじょうだから、この語ごも自分じぶんに向むく。「彼かれの怯懦きょうだを責せめた」とも書かけるが、書かき手ての立場たちばが高たかくなりすぎる — 語ごの重おもさが書かき手てをも拘束こうそくする。
  • 怯懦きょうだな心こころ内面ないめんの名詞めいし「心こころ」「精神せいしん」と結むすぶ。206 横柄おうへいが外形がいけいを指さすのと正反対せいはんたいで、怯懦きょうだは内面ないめんの語ごである。「怯懦きょうだな態度たいど」とはあまり言いわない — 逃にげるという行為こういが外そとに見みえたとしても、責せめられているのはその奥おくの弱よわさだからだ。
  • 怯懦きょうだに流ながれる移動いどうの動詞どうし「流ながれる」「陥おちいる」と結むすぶ。どちらも低ひくいほうへ落おちる動詞どうしである。174 才さい走はしるの「走はしる」が前まえへ行いきすぎるのと対たいをなし、怯懦きょうだは下したへ落おちる。日本語にほんごは徳とくを高こう低ていで、過剰かじょうを前後ぜんごで測はかる — 比喩ひゆの座標ざひょうが一貫いっかんしている。
  • 怯懦きょうだ/臆病おくびょう/卑怯ひきょう三さん語ごの差さ臆病おくびょうは性格せいかくの記述きじゅつで非難ひなんを含ふくまない。卑怯ひきょうは手段しゅだんの不正ふせいを責せめる。怯懦きょうだは弱よわさそのものを恥はじとして責せめる。臆病おくびょうは直なおせなくても許ゆるされ、怯懦きょうだは許ゆるされない — 同おなじ「怖こわがり」を記述きじゅつするか断罪だんざいするかで語ごが分わかれる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 臆病おくびょうこわがりである中立ちゅうりつに近ちかい。怯懦きょうだは道徳的どうとくてきな非難ひなんを含ふくむ。
  • 卑怯ひきょうずるく正々せいせい堂々どうどうとしないずるさ。怯懦きょうだは弱よわさそのもの。
  • 弱腰よわごし強つよく出でられない態度たいど。怯懦きょうだは性根しょうこんの弱よわさ。
  • 勇気ゆうき恐おそれずに立たち向むかう力ちから対たい語ご。怯懦きょうだはその欠如けつじょを責せめる語ご。

ENcowardice
ZH怯懦(怯懦, qiènuò)

208★★★

果たしてはたして

はたして[2]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい
果かはてる・とげる
定義ていぎ

① 思おもっていた通とおり。ついに。

② (仮定かてい・疑問ぎもん表現ひょうげんを伴ともない)本当ほんとうに。いったい。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑208
原げん書しょの解説かいせつ

左ひだりの文章ぶんしょうでは、〈思おもった通とおり気きが引ひきしまった〉という描写びょうしゃで、①の意味いみで使つかわれている。

使用しようの境界きょうかい

①思おもったとおりに。②本当ほんとうに〜だろうか。二ふたつの用法ようほうがあり、文末ぶんまつで見分みわける。

用法ようほう

二ふたつの用法ようほうの見分みわけが要点ようてんになる。①「果はたして〜た」は〈予想よそうどおり〉で、肯定文こうていぶんで結むすぶ。②「果はたして〜だろうか」は〈本当ほんとうにそうか〉で、疑問ぎもん文ぶんで結むすび、しばしば反はん語ごとして働はたらく。評ひょう論文ろんぶんで圧倒的あっとうてきに多おおいのは②で、「果はたしてそう言いえるだろうか」は〈そうは言いえない〉という否定ひていの主張しゅちょうになる。この反はん語ごを見落みおとすと主旨しゅしを取とり違ちがえる。副詞ふくしなので、文末ぶんまつまで読よんでから判断はんだんする。

用例ようれい
  • 楚そ人ひとに盾たてと矛ほことを鬻ひさ(ひさ)ぐ者ものあり。之これを誉ほまれめて曰いわくく、「吾われが盾たての堅けんきこと、能のうく陥とほ(とほ)す莫な(な)きなり」と。又また其その矛ほこを誉ほまれめて曰いわくく、「吾われが矛ほこの利りなること、物ものに於おいて陥とほさざる無むきなり」と。或あるひと曰いわくく、「子この矛ほこを以もって子この盾たてを陥とほさば何如いかん」と。其その人ひと応おうふること能のうはざるなり。『韓非かんぴ子こ』難なん一いち(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    ②「果はたして〜だろうか」という問といの威力いりょくを示しめす。或ある人ひとは相手あいての主張しゅちょうを否定ひていしていない。ただ問とうただけである。それで商人しょうにんは答こたえられなくなる。反はん語ごとはこの型かたの問といだ — 答こたえが一ひとつしかないと分わかっている問といを立たてることで、相手あいてに自分じぶんで結論けつろんを出ださせる。「果はたして〜だろうか」が評ひょう論文ろんぶんの要所ようしょに置おかれるのも同おなじ理由りゆうで、読者どくしゃに答こたえを言いわせる。疑問ぎもんの形かたちを取とりながら主張しゅちょうである — この形かたちと機能きのうのずれを見抜みぬけるかどうかが読解どっかいの分わかれ目めになる。
  • 項こう王おうの軍ぐん、垓下がいか(がいか)に壁かべす。兵へい少すくなく食しょく尽じんく。漢かん軍ぐん及および諸侯しょこうの兵へい、之これを囲かこむこと数かず重じゅう。夜よる、漢かん軍ぐんの四よん面めん皆みな楚歌そかするを聞きく。項こう王おう乃すなわち大だいいに驚おどろきて曰いわくく、「漢かん皆みな已に楚そを得とくたるか。是ぜれ何なにぞ楚そ人ひとの多たきや」と。『史記しき』項羽こうう本紀ほんぎ「四面楚歌しめんそか」(書かき下くだしは本ほん教材きょうざい)
    ①「果はたして〜た」の構図こうずを見みせる。項羽こううは敗北はいぼくをすでに予感よかんしていた。その予感よかんが楚その歌うたという形かたちで確たしかめられる。注目ちゅうもくしたいのは項羽こううが問といの形かたちで言いうことだ — 「漢かんはすでに楚そを得とくたのか」。答こたえを求もとめているのではない。知しってしまったことを口くちに出だしているだけである。ここに①と②が一語いちごでつながる理由りゆうが見みえる — 予想よそうが当あたる瞬間しゅんかんと、本当ほんとうにそうかと問とう瞬間しゅんかんは、同おなじ心こころの働はたらきの表ひょうと裏うらだ。「果はたして」はその両方りょうほうを担になっている。
  • 空模様そらもようが怪あやしいと思おもっていたら、果はたして大雨おおあめになった。 ①の用法ようほう。肯定文こうていぶん・過去形かこけいで結むすぶのが見分みわけの目印めじるしである。「〜と思おもっていたら」という予想よそうの提示ていじが前まえに来くるのも要点ようてんで、予想よそうがなければ「果はたして」は働はたらかない。
  • ×果はたして彼かれは来きなかった。 ①と②が混線こんせんしている。①なら「果はたして彼かれは来きた」と肯定こうていで結むすぶ。②なら「果はたして彼かれは来くるだろうか」と疑問ぎもんで結むすぶ。否定ひていの断定だんていで結むすぶとどちらにも着地ちゃくちしない。呼応こおうの副詞ふくしは文末ぶんまつを拘束こうそくする。
作品さくひんでの用例ようれい

明世あきよは、画塾がじゅくに通とおっていた昔むかしを回想かいそうしながら、実家じっか近ちかくの「思おもひ川かわ」の堤つつみを歩あるく。

思おもひ川かわの堤つつみに立たつと、果はたして気きの引ひきしまる気きがした。ゆったりとした川かわの流ながれも、そこから土手どてを這はい上あがる風かぜも、遠とおい記憶きおくの淵ふちから現げんわれるから、気持きもちの若返わかがえる気きがする。

出典しゅってん 乙川優三郎おとかわゆうざぶろう『冬ふゆの標ひょう』

派生はせい形けい
  • 果たせるかな①の文語ぶんご形けい。「はたしてそのとおりであったよ」という詠嘆えいたんを含ふくむ。「かな」は詠嘆えいたんの終助詞しゅうじょしで、予想よそうが当あたったことへの感慨かんがいが加くわわる。史し書しょや評ひょう論ろんの文語ぶんご調ちょうに残のこり、現代げんだいでも文章ぶんしょう語ごとして使つかわれる。
  • 案の定あんのじょう[3]①の口語こうご版はん。「案あん」は考かんがえ・予想よそうで、「予想よそうのとおり」という語ご構成こうせい。「果はたして」よりくだけているぶん、やや否定的ひていてきな結果けっかに偏かたよる(「案あんの定てい失敗しっぱいした」)。同おなじ①でも文体ぶんたいと価値かちの傾かたむきが違ちがう。
  • いったい一体[0]②の口語こうご版はん。「いったいどうなるのか」は「果はたしてどうなるのか」とほぼ同おなじ働はたらきをする。ただし「いったい」には苛立いらだちが混まじり、「果はたして」は冷静れいせいである。評ひょう論文ろんぶんが「果はたして」を選えらぶのは感情かんじょうを排はいした検証けんしょうの構かまえを示しめすためだ。
コロケーション
  • 果はたして〜た①予想よそうの的中てきちゅう肯定文こうていぶん・完了かんりょうで結むすぶ。「案あんの定てい」「思おもったとおり」と交換こうかんできる。重要じゅうようなのは前まえに予想よそうが書かかれていなければならないことで、この副詞ふくしは文脈ぶんみゃくを要求ようきゅうする。単独たんどくの文ぶんでは意味いみが立たたない — 副詞ふくしは文ぶんを越こえて働はたらくことがある。
  • 果はたして〜だろうか②反はん語ご疑問ぎもん・推すい量りょうで結むすぶ。「本当ほんとうに」「いったい」と交換こうかんできる。評ひょう論文ろんぶんではほぼ反はん語ごで、「そうではない」という主張しゅちょうを疑問ぎもんの形かたちで述のべている。設問せつもんで「筆者ひっしゃの主張しゅちょうを答こたえよ」と問とわれたら、この形かたちの直後ちょくごを探さがすのが定石じょうせきになる。
  • 果はたしてどうかぼかしの型かた結論けつろんを示しめさずに疑うたがいだけを置おく形かたち。「その主張しゅちょうが正ただしいかは果はたしてどうか」のように使つかう。②の弱よわい版はんで、反はん語ごほど断定だんてい的てきではない。書かき手てが疑うたがいを表明ひょうめいしつつ論証ろんしょうの責任せきにんを負おわないというややずるい形かたちでもある。
  • 果はたす/果はてる動詞どうしとの縁えん「果はたす」は成なし遂とげる、「果はてる」は終おわる。どちらも「最後さいごまで行いき着つく」という芯しんを共有きょうゆうする。副詞ふくしの「果はたして」も同おなじで、「行いき着ついた先さきを見みれば」という意味いみから①が出でた。②の「本当ほんとうに」はそこからさらに転てんじたと見みられる。
格かく中なか

書かき言葉ことば・会話かいわの両方りょうほうで使つかえる。

類るい語ごと差さ
  • 案あんの定てい予想よそうしたとおり①と同義どうぎ。より口語こうご的てき。
  • 本当ほんとうに真実しんじつとして②の言いい換かえ。果はたしては疑問ぎもんを強つよめる。
  • いったいそもそも②に近ちかい。疑問ぎもん詞しと呼応こおうする。
  • 果はたせるかな案あんの定てい①の古風こふうな形かたち。文語ぶんご的てき。

ENindeed / really
ZH果然/究竟(果たして, guǒrán / jiūjìng)

コラム ── 女流じょりゅう文学ぶんがく1 岡本おかもとかの子こ

明治めいじ期きの樋口ひぐち一葉いちよう以来いらい、女流じょりゅう文学ぶんがくは長ながく低迷ていめいしていたが、昭和しょうわ十じゅう年代ねんだいには岡本おかもとかの子こや林はやし芙美子ふみこの活躍かつやくが見みられる。岡本おかもとかの子こは、与謝野晶子よさのあきこに師事しじした歌人かじんとして、また仏教ぶっきょう学者がくしゃとしての一いち面めんもあったが、一方いっぽうでは、夫婦関係ふうふかんけいで多おおくの苦労くろうを経験けいけんしたことでも知しられる。小説しょうせつに専心せんしんしたのは晩年ばんねんの数かず年間ねんかんだけだが、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけをモデルにした小説しょうせつを発表はっぴょうして作家さっか的てき出発しゅっぱつを果はたしたあとは、多数たすうの作品さくひんを残のこした。食しょくと生命せいめいに関せきしたテーマの作品さくひんが目立めだち、その中なかでも『家いえ霊れい』は入試にゅうしによく出題しゅつだいされている。

多おおくの人間にんげんを巻かんき込こみ波乱はらんに富とみんだかの子この人生じんせいは、瀬戸内せとうち晴美はるみ(寂聴じゃくちょう)の『かの子こ撩乱りょうらん』にくわしい。なお、かの子この息子むすこは画家がかの岡本おかもと太郎たろうである。

コラム ── 女流じょりゅう文学ぶんがく2 幸田こうだ文ぶん

昭和しょうわ三十さんじゅう年代ねんだいになると、女流じょりゅう作家さっかの活躍かつやくが目立めだつようになる。幸田こうだ文ぶんの他ほか、有吉ありよし佐和子さわこ・円えん地ち文子ふみこ・倉橋くらはし由美子ゆみこなどである。幸田こうだ文ぶんと言いえば、戦後せんごの混乱こんらん期きを歯切はぎれのよい江戸えどっ子こ言葉ことばで気丈きじょうに乗のり越こえていくイメージが浮うかんでくる。

幸田こうだ文ぶんは父ちちの露伴ろはんを看み取とった様子ようすを文章ぶんしょうにまとめたのがきっかけで文壇ぶんだんにデビューした。露伴ろはんと育そだての母ははとの不仲ふなかによる苦労くろうや最さい愛あいの弟おとうとを亡なくした悲かなしみにもめげず、彼女かのじょは文学的ぶんがくてき才能さいのうを伸のばしていった。また、露伴ろはんに鍛きたえられた美び意識いしきと鋭するどい感かん受じゅ性せいが彼女かのじょの文章ぶんしょうには息いきづいている。「檜ひのきは清楚せいそなどいう、じゃらついたものをもたない。逞たくましい、という騒々そうぞうしさももたぬ。尊厳そんげんとしている、というのともちがう、構かまえた固かたさなどないからだ。かたくなでもない、のびのびとしている」(『樹容じゅよう』)と檜ひのきの魅力みりょくを語かたる時とき、それは自身じしんの姿勢しせいとも重かさなっているように思おもえる。

209★★★

あながち

あながち[0]平板へいばん型がた

語ご構成こうせい

下したに打うち消けしを伴ともなう呼応こおうの副詞ふくし。二に重じゅう否定ひていで部分的ぶぶんてきな肯定こうていを表あらわす。

定義ていぎ

(下したに打うち消けしの語ごを伴ともない)一いち概がいに、必かならずしも。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑209
原げん書しょの解説かいせつ

「強きょうち」と書かく。語源ごげんは「あな(=己おのれ)」+「勝かち」とも言いわれ、〈自分じぶんの意志いしを強つよく通とおすさま〉を表あらわす。

使用しようの境界きょうかい

必かならずしも。下したに打うち消けしを伴ともない、一いち概がいには言いえないことを表あらわす。

用法ようほう

必かならず下したに打うち消けしを伴ともなう呼応こおうの副詞ふくしである。「あながち〜ない」で〈一いち概がいに〜とは言いえない〉となり、部分的ぶぶんてきな肯定こうていを表あらわす。つまり「あながち間違まちがいではない」は〈ある程度ていどは正ただしい〉という意味いみになる。この二に重じゅう否定ひていの構造こうぞうを読よみ違ちがえると、主張しゅちょうの向むきを取とり違ちがえる。漢字かんじでは「強きょうち」と書かくが、ひらがな書かきが標準ひょうじゅん。硬かたい文章ぶんしょう語ごで、会話かいわではあまり使つかわない。

用例ようれい
  • いづれの御時おおんときにか、女御にょうご・更衣こういあまたさぶらひたまひける中なかに、いとやむごとなき際さいにはあらぬが、すぐれて時ときめきたまふありけり。……朝あさ夕ゆうの宮ぐう仕つかへにつけても、人ひとの心こころをのみ動うごかし、恨うらみを負ふふ積つもりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、……いよいよあかずあはれなるものに思おもほして、人ひとのそしりをもえはばからせたまはず、世よのためしにもなりぬべき御おんもてなしなり。紫式部むらさきしきぶ『源氏げんじ物語ものがたり』桐壺きりつぼ(1008頃ころ)
    「あながち」の語源ごげんを思おもい出ださせる一段いちだんである。この語ごの古ふるい意味いみは〈自分じぶんの意志いしを強つよく通とおすさま〉で、『源氏げんじ物語ものがたり』では「あながちに」の形かたちで強引ごういんに・むやみにの意味いみに使つかわれる。桐壺きりつぼ帝ていが人ひとのそしりも憚はばからず更衣こういを寵愛ちょうあいする姿すがたは、まさにあながちなふるまいだ。ここから現代語げんだいごへの道筋みちすじが見みえる — 「強引ごういんに押おし通とおす」→「一方的いっぽうてきに決きめつける」→(打うち消けしを伴ともなって)「一いち概がいには言いえない」。否定ひていと結むすんではじめて意味いみが反転はんてんするというこの語ごの仕組しくみは、語源ごげんを知しると一本いっぽんの線せんになる。
  • 私わたしは何なにを知しるか。……この考かんがえを私わたしは天秤てんびんの図ずとともに掲かかげている。……断定だんていを避さけ、判断はんだんを宙ちゅうに吊つるしておくこと。それが私わたしのなしうるすべてである。モンテーニュ『エセー』第だい二に巻かん「レーモン・スボンの弁護べんご」(1580/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    「あながち〜ない」が果はたす仕事しごとを説明せつめいしてくれる。モンテーニュの「私わたしは何なにを知しるか(ク・セ・ジュ)」は不可ふか知ち論ろんではない。断定だんていを一ひとつ保留ほりゅうするという技術ぎじゅつである。「あながち間違まちがいではない」も同おなじ働はたらきをする — 正ただしいとも言いわず、間違まちがいとも言いわず、「一いち概がいには否定ひていできない」という位置いちに立たつ。二に重じゅう否定ひていが部分的ぶぶんてきな肯定こうていになるのはこのためだ。否定ひていを否定ひていしても肯定こうていには戻もどらない — 戻もどらずに中間ちゅうかんで止とまるところに、この語ご法ほうの価値かちがある。
  • 運うんがよかっただけだと本人ほんにんは言いうが、あながちそうとも言いえまい。 典型的てんけいてきな使つかい方かた。「あながち〜ない」で部分的ぶぶんてきな肯定こうていを作つくる。「そうではない」と断定だんていしてはいないところが要点ようてんで、相手あいての謙遜けんそんを全ぜん否定ひていせずに評価ひょうかを滑すべり込こませるという社しゃ交こう的てきな働はたらきも持もつ。
  • ×その説せつはあながち正ただしい。 打うち消けしがない。「あながち」は必かならず下したに打うち消けしを伴ともなう呼応こおうの副詞ふくしである。肯定こうていで結むすぶと文ぶんが成立せいりつしない。「あながち間違まちがいではない」と書かけば結果けっかとして「ある程度ていど正ただしい」を意味いみできる — 遠回とおまわりがこの語ごの本体ほんたいだ。
作品さくひんでの用例ようれい

「かれ」は東京とうきょうに出でて事業じぎょうを起おこすが、失敗しっぱいして、再ふたたび故郷こきょうに帰かえってくる。

他郷たきょうに出でて失敗しっぱいしたのは強きょうちかれの罪つみばかりでない、実じつに又またた他郷たきょうの人ひとの薄情はくじょうさにも由よるのである、されば若わかし斯様かような親切しんせつな故郷こきょうの人々ひとびとの間あいだに居いて、事ことを企くわだてなば、必かならず多少たしょうの成功せいこうはあるべく、以前いぜんのような形かたちなしの失敗しっぱいは有あるまいと。

出典しゅってん 国木田くにきだ独歩どっぽ『河かわ霧きり』

派生はせい形けい
  • 強ちあながち[0]漢字かんじ表記ひょうき。「強きょう」を当あてるのは古こ義ぎの「強引ごういんに」に基もとづく。現代語げんだいごの意味いみとは正反対せいはんたいに見みえるため、漢字かんじで書かくとかえって誤解ごかいを招まねく — だからかな書かきが標準ひょうじゅんである。語ご義ぎが転てんじた語ごは古ふるい表記ひょうきを捨すてる。
  • あながちに古こ語ごの形かたち。〈強引ごういんに・むやみに・ひたすら〉を意味いみし、打うち消けしを伴ともなわない。『源氏げんじ物語ものがたり』『枕草子まくらのそうし』に頻出ひんしゅつする。古文こぶんでは肯定こうてい、現代げんだい文ぶんでは否定ひていと呼応こおう — 同おなじ語ごが時代じだいで構文こうぶんを変かえることを知しっておくと、古文こぶんの読解どっかいでも躓つまずかない。
  • あな己・自分語源ごげん説せつの一ひとつ。「あな(=己おのれ)」+「勝かち」で「自分じぶんの意志いしを押おし通とおす」と解かいする。諸説しょせつあり確定かくていしていないが、この説せつを取とると「あながち」が否定ひていと結むすんで「一方的いっぽうてきに決きめつけない」になる筋道すじみちが通とおる — 語源ごげんは記憶きおくの足場あしばとして役やくに立たつ。
コロケーション
  • あながち〜ではない基本きほんの呼応こおう「〜ではない」「〜とは言いえない」「〜ばかりでもない」と結むすぶ。すべて否定ひていである。呼応こおうの副詞ふくしは文末ぶんまつを拘束こうそくする — けっして・かならずしも・まさか・たとえと同おなじ一族いちぞくだ。文頭ぶんとうの一語いちごで文末ぶんまつが決きまるというこの仕組しくみは、読解どっかいでは文ぶんの先さきが予測よそくできることを意味いみする。
  • あながち間違まちがいではない最もっとも多おおい形かたち「間違まちがい」「嘘うそ」「否定ひていできない」と結むすぶ。否定的ひていてきな語ごをさらに否定ひていするという二に重じゅう構造こうぞうで、結果けっかとして弱よわい肯定こうていになる。「正ただしい」と言いい切きることを避さけたいときに選えらばれる語ごで、日本語にほんごの議論ぎろんが好このむ「留保りゅうほつきの同意どうい」を担になっている。
  • あながち〜とも言いえない慎重しんちょうな形かたち「とも」が入はいるとさらに慎重しんちょうになる。「〜とは言いえない」より「〜とも言いえない」のほうが他ほかの可能性かのうせいを開ひらいたままにする。助詞じょし一ひとつで断定だんていの度合どあいが刻きざまれる — 169 の「ようですが」、173 の「ようで」と同おなじ、日本語にほんごの目盛めもりの細こまかさである。
  • 必かならずしも同型どうけいの副詞ふくし「必かならずしも〜ない」とほぼ同おなじ働はたらきをする。違ちがいは語源ごげんの重おもさで、「必かならずしも」は「必かならず」の否定ひていという透明とうめいな構成こうせいだが、「あながち」は語源ごげんが見みえない。見みえないぶん文語ぶんご的てきな響ひびきを持もち、書かき言葉ことばに偏かたよる。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • 必かならずしも例外れいがいなくとは限かぎらないほぼ同義どうぎ。あながちのほうが文章ぶんしょう語ご的てき。
  • 一いち概がいにひとくくりに同おなじ構造こうぞうで打うち消けしを伴ともなう。
  • まんざらまったく〜でもない口語こうご的てき。「まんざらでもない」の形かたちで使つかう。
  • 強きょうち─漢字かんじ表記ひょうき。ひらがな書かきが一般的いっぱんてき。

ENnot necessarily
ZH未必(必ずしも〜ない, wèibì)

210★

からくも

からくも[2]中高なかだか型がた

語ご構成こうせい
辛しんからい・つらい

「辛から(から)い」の〈厳きびしい・あやうい〉の意いから生うまれた副詞ふくし。

定義ていぎ

かろうじて。やっとのことで。

『現代げんだい文ぶんキーワード読解どっかい』第だい3部ぶ ☑210
原げん書しょの解説かいせつ

「からい(=辛つらい)」には、〈厳きびしい・あやうい〉の意いもあり、その意いとつながりのある語ごである。

使用しようの境界きょうかい

かろうじて。ぎりぎりのところで、やっとのことで達成たっせいすることを表あらわす。

用法ようほう

「辛から(から)い」には〈厳きびしい・あやうい〉の意いもあり、そこから生うまれた副詞ふくしである。「辛つらくも」と書かき、同どう語源ごげんの「辛かろうじて(かろうじて)」とほぼ同義どうぎだが、こちらのほうが文章ぶんしょう語ご的てきで古風こふうな響ひびきを持もつ。実際じっさいの用法ようほうは「からくも〜する」で、勝利しょうり・脱出だっしゅつ・完成かんせいなど、ぎりぎりで達成たっせいされた結果けっかに結むすびつく。失敗しっぱいには使つかえない。報道ほうどう文ぶんでも「からくも逃にげ切きった」のように用もちいられる。

用例ようれい
  • ここに伊邪那岐命いざなぎのみこと、見畏みかしこ(みかしこ)みて逃にげ還かえります時ときに、……最後いやはて(いやはて)にその妹伊邪那美命いもいざなみのみこと、身自みづか(みづか)ら追ついひ来きつ。ここに千引ちびき(ちびき)の石いしをその黄泉比良坂よもつひらさか(よもつひらさか)に引ひき塞さ(さ)へて、その石いしを中なかに置おきて、各おのおの(おのおの)対む(む)き立たちて、事戸ことど(ことど)を度わた(わた)す時ときに……『古事記こじき』上巻じょうかん 黄泉比良坂よもつひらさか(712)
    「からくも」が呼よび出だす場面ばめんの原型げんけいである。伊邪那岐いざなぎは追おわれ、逃にげ、境さかいの坂さかで巨石きょせきを引ひいて塞ふさぐ。間あいだに合あった。間まに合あわなければ終おわっていた。この語ごが要求ようきゅうするのはまさにこの「一歩いっぽ違ちがえば」という構造こうぞうだ。「辛から(から)い」の〈厳きびしい・あやうい〉という意味いみから生うまれた副詞ふくしで、結果けっかは成功せいこうである。しかしその成功せいこうは余裕よゆうを持もたない。この語ごを使つかった文ぶんは、成功せいこうを報告ほうこくしながら同時どうじに失敗しっぱいの影かげを見みせている — 一語いちごで二ふたつの未来みらいを同時どうじに書かけるのである。
  • 大波おおなみが彼かれを岩いわへ打うちつけようとしたそのとき、女神めがみが心こころに知恵ちえを授さずけた。彼かれは身みを躍おどらせ両手りょうてで岩いわにすがりつき、うめきながらしがみついた。……波なみが引ひくとき、その手てから皮かわが剥はがれ岩いわに残のこった。ホメロス『オデュッセイア』第だい五ご歌うた(前まえ八はち世紀せいき頃ころ/訳やくは本ほん教材きょうざい)
    「からくも」の代償だいしょうを書かいている。オデュッセウスは助すけかった。しかし手ての皮かわは岩いわに残のこった。この細部さいぶが効きいている — からくも助たすかるとは、無傷むきずではないということだ。「かろうじて」とほぼ同義どうぎだが、「からくも」のほうが文章ぶんしょう語ごで重おもいのは、「辛つらい」という語幹ごかんが苦痛くつうを運はこんでいるからである。成功せいこうの報告ほうこくでありながら苦くるしさを手放てばなさない — だからこの語ごは勝利しょうりの記事きじにではなく、辛勝しんしょうの記事きじに使つかわれる。
  • 終電しゅうでんにからくも間まに合あい、扉とびらが閉しまる音おとを背中せなかで聞きいた。 典型的てんけいてきな使つかい方かた。成功せいこうを述のべるのに余裕よゆうのなさを同時どうじに伝つたえる。「扉とびらが閉しまる音おと」という細部さいぶが効きくのはこの語ごがすでに「ぎりぎり」を宣言せんげんしているからで、副詞ふくしが描写びょうしゃを準備じゅんびしている。
  • ×十じゅう点てん差さでからくも勝利しょうりした。 余裕よゆうがあってはならない。この語ごは「もう少すこしで失敗しっぱいするところだった」ことが条件じょうけんで、差さが開ひらいていれば成なり立たたない。「危きなげなく」「危きなげのない勝利しょうり」が反対語はんたいごにあたる。副詞ふくしは事実じじつと矛盾むじゅんしてはならない。
作品さくひんでの用例ようれい

筆者ひっしゃは、和わ室しつがもつ独特どくとくの採光さいこうの仕方しかたに魅力みりょくを見み出だす。

われ等とうは何処どこまでも、見みるからにおぼつかなげな外光がいこうが、黄昏たそがれ色いろの壁かべの面めんに取とり着ついて辛つらくも余命よめいを保たもっている、あの繊細せんさいな明あかるさを楽らくしむ。

出典しゅってん 谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう『陰翳いんえい礼讃らいさん』

派生はせい形けい
  • 辛いからい[2]味覚みかくだけの語ごではない。〈厳きびしい・あやうい〉という意味いみが古ふるくからあり、「辛口からくちの批評ひひょう」「点てんが辛つらい」に残のこる。「つらい」と訓くんじれば苦痛くつうになる。一ひとつの字じが味覚みかく・厳きびしさ・苦痛くつうの三さん領域りょういきを結むすんでいる。
  • 辛うじてかろうじて[0]「からくして」の音おと変化へんかとされる。意味いみはほぼ同おなじだが、音おとが崩くずれたぶん日常にちじょう語ごに定着ていちゃくした。音おとの崩くずれと日常にちじょう化かは並行へいこうする — 177 の「のっぴき」も同おなじ道みちを通とおった。言いいやすさが語ごを生いき延のびさせる。
  • 辛勝しんしょう[0]同おなじ内容ないようの漢語かんご。「からくも勝かつ」を二字にじに圧縮あっしゅくしたもので、見出みだし語ごとして生うまれたと見みてよい。対義語たいぎごは「快勝かいしょう」「圧勝あっしょう」「完勝かんしょう」。和わ語ごの副詞ふくしが担になっていた含ふくみを漢語かんごが一語いちごで引ひき受うける — 近代きんだい日本語にほんごがくり返かえし行おこなってきた圧縮あっしゅくである。
コロケーション
  • からくも逃のがれる危機ききからの脱出だっしゅつ「逃のがれる」「免まぬがれる」「間まに合あう」「生いき延のびる」と結むすぶ。すべて「失敗しっぱいが目前もくぜんに迫せまっていた」ことを含ふくむ動詞どうしである。「からくも完成かんせいした」も言いえるが、期限きげんが迫せまっていた文脈ぶんみゃくが要いる。この副詞ふくしは動詞どうしを選えらぶのではなく、状況じょうきょうを選えらぶ。
  • からくも勝利しょうりする辛勝しんしょうの型かたスポーツ記事きじの定型ていけい。勝かったことを報ほうじながら内容ないようの悪わるさも伝つたえるという二に重じゅうの仕事しごとを一語いちごでこなす。見出みだしに向むくのはこのためで、限かぎられた字数じすうで事実じじつと評価ひょうかを同時どうじに出だせる。副詞ふくしは報道ほうどうの経済けいざいに寄与きよする。
  • 辛つらくも漢字かんじ表記ひょうき「辛つらくも」と書かく。「辛つらい」の連れん用よう形けい+係かかり助詞じょし「も」という構成こうせいで、「も」は詠嘆えいたんを添そえる。「早はやくも」「遅おそくも」「よくも」と同おなじ型かたで、形容詞けいようしから副詞ふくしを作つくる日本語にほんごの基本的きほんてきな手続てつづきである。
  • かろうじてほぼ同義どうぎの口語こうご「辛かろ(かろ)うじて」も同どう語源ごげん。「からくも」よりくだけている。会話かいわではほぼ「かろうじて」、文章ぶんしょうでは「からくも」という住すみ分わけができている。同どう語源ごげんの二に語ごが文体ぶんたいで分業ぶんぎょうするのは日本語にほんごによくある形かたちで(185 の刹せつ那な/一瞬いっしゅんと同おなじ現象げんしょう)。
格かく硬かた

書かき言葉ことば。会話かいわでは不自然ふしぜん。

類るい語ごと差さ
  • かろうじてやっとのことでほぼ同義どうぎ。同おなじ「辛しん」の字じを用もちいる。
  • ようやく時間じかんをかけてやっと時間じかんの経過けいか。からくもは余裕よゆうのなさ。
  • すんでのところでもう少すこしで危きなかった危機ききの切迫せっぱく。からくもは達成たっせいの側がわ。
  • 辛勝しんしょうやっと勝かつ名詞めいし。同おなじ「辛しん」を使つかう。

ENbarely / narrowly
ZH勉强(かろうじて, miǎnqiǎng)

確認かくにんテスト27
問とい 1

次つぎの空欄くうらんに当あてはまる語ごを、あとの①〜⑦からそれぞれ一ひとつずつ選えらべ(同おなじものは二に度ど使つかってはならない)。

  • ア 高価こうかな品物しなものを売うりつけられそうになったが、[ ]して偽物にせものだとわかった。
  • イ 人気店にんきてんには時々ときどき[ ]な店員てんいんがいるが、あまりよい印象いんしょうは受うけないものだ。
  • ウ 「めでたさも中なかくらいなりおらが春はる」という小林こばやし一茶いっさの句くに[ ]を感かんじる。
  • エ 一時いちじしのぎの対応たいおうの仕方しかたは、[ ]に思おもえてならない。
  • オ 物質的ぶっしつてきな豊ゆたかさだけではなく、精神せいしん的てきな豊ゆたかさが満みたされた時ときこそ、本当ほんとうに人ひとを[ ]にさせる。
  • カ 明治めいじ初期しょきに出版しゅっぱんされた西洋せいよう文明ぶんめいを紹介しょうかいする書物しょもつには、文明ぶんめい開かい化かの[ ]がまざまざと感かんじられる。
  • キ 「若わかい時ときの苦労くろうは買かってでもせよ」と似にた意味いみの、[ ]汝なんじを玉たまにす、という慣用かんよう句くがある。
  • ①艱難かんなん
  • ②一いち瞥べつ
  • ③諧かい謔ぎゃく
  • ④鷹揚おうよう
  • ⑤姑息こそく
  • ⑥息吹いぶき
  • ⑦横柄おうへい
正解せいかいと解説かいせつ

ア=② / イ=⑦ / ウ=③ / エ=⑤ / オ=④ / カ=⑥ / キ=①

ア〜キ:いずれも、読よみ方かたを問とわれやすい語ごなので、意味いみだけでなく読よみ方かたもしっかりと覚おぼえておくこと。

キ:「艱難かんなんを玉たまにす」とは〈多おおくの苦労くろうを乗のり越こえることで、立派りっぱな人物じんぶつになる〉という意味いみ。

問とい 2

次つぎの空欄くうらんに当あてはまる語ごを、あとの①〜⑦からそれぞれ一ひとつずつ選えらべ(同おなじものは二に度ど使つかってはならない)。

  • ア 知識ちしきを問とう問題もんだいでは、選択肢せんたくしが示しめされた形式けいしきであれば[ ]でも対応たいおうできる場合ばあいがあるが、記述きじゅつ式しきだとそれでは手ても足あしも出でない。
  • イ サッカーの準決勝じゅんけっしょうの試合しあい、後半こうはん終盤しゅうばんで2対たい1の場面ばめん。応援おうえんしているチームが[ ]逃にげ切きり、決勝けっしょうに進出しんしゅつした。
  • ウ 入試にゅうし問題もんだいの選択肢せんたくしには、正解せいかい以外いがいに、これも[ ]間違まちがいではないのではないか、というものが含ふくまれることがある。
  • エ 真剣しんけんに相談そうだん事ことをもちかけたのに、[ ]をされたのでつい怒おこってしまった。
  • オ さまざまな目撃もくげき情報じょうほう・証拠しょうこを地道じみちに集あつめたおかげで、事件じけんの真しん相そうがようやく[ ]になった。
  • カ 彼かれは、自分自身じぶんじしんのことを「自分じぶんは[ ]な性格せいかくだ」と自嘲じちょう気味きみに言いっている。
  • キ 試験しけんはよくできたので、合格ごうかくしたと確信かくしんしていた。結果けっか発表はっぴょうを見みに行いくと、[ ]合格ごうかくであった。
  • ①つまびらか
  • ②うろ覚おぼえ
  • ③生返事なまへんじ
  • ④怯懦きょうだ
  • ⑤果はたして
  • ⑥からくも
  • ⑦あながち
正解せいかいと解説かいせつ

ア=② / イ=⑥ / ウ=⑦ / エ=③ / オ=① / カ=④ / キ=⑤

キ:ここは〈思おもった通とおり〉という意味いみ。

副詞が文末の形をあらかじめ決めていることを、四つの副詞と結びの対応で示した図果たしては二つに分かれ、〜たで結べば予想の的中、〜だろうかで結べば反語になる。あながちは〜ないでしか結べず、部分的な肯定を作る。つまびらかは〜でないの形が主で、分からないことを正確に述べる。からくもは〜たで結び、ぎりぎりの成功を言う。下段には、副詞を見たら文末を先に探すと記した。 副詞は文末をあらかじめ決めているTHE ADVERB BINDS THE ENDING果たして〜た  予想の的中〜だろうか  反語あながち〜ない  部分的な肯定つまびらか〜でない  不明の明示からくも〜た  ぎりぎりの成功副詞を見たら、文末を先に探す呼応が読めれば、文の着地が読める
文頭ぶんとうの一語いちごが、文ぶんの終おわり方ほうを約束やくそくしている
Columns

作家さっかと文体ぶんたい

原げん書しょのコラムを、語ごカードのあいだに配置はいちした。作品さくひんの一節いっせつに現あらわれる語彙ごいは、その作家さっかの文体ぶんたいと切きり離はなせない。上うえの節せつを読よみ進すすめると、該当がいとうする作家さっかのコラムが語ごの直後ちょくごに現あらわれる。

  • 夏目なつめ漱石そうせき
  • 森鴎外もりおうがい
  • 島崎しまざき藤村とうそん
  • 谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう
  • 志賀しが直哉なおや
  • 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ
  • 横光よこみつ利り一いち
  • 高見たかみ順じゅん
  • 堀辰雄ほりたつお
  • 立原たちはら道造みちぞう
  • 伊藤いとう整せい
  • 梶井かじい基次郎もとじろう
  • 坂口さかぐち安吾あんご
  • 太宰治だざいおさむ
  • 野間のま宏ひろし
  • 吉行よしゆき淳之介じゅんのすけ
  • 内ない向こうの世代せだい
  • 新世代しんせだい〜現在げんざいの作家さっかたち
  • 女流じょりゅう文学ぶんがく1 岡本おかもとかの子こ
  • 女流じょりゅう文学ぶんがく2 幸田こうだ文ぶん
Meta

五十ごじゅう語ごを上うえから見みる

小説しょうせつ語ごも、意味いみだけでなく格かくで選えらばれる。硬かたい語ごを会話かいわに持もち込こめば芝しば居いがかり、やわらかい語ごを評ひょう論ろんに持もち込こめば軽かるくなる。

格による五十語の分布硬・学術、硬、中の三段階に第3部の五十語を振り分けた図。 硬・学術 1 諧謔 硬 21 しかつめらしい 片腹痛い 才走る はばかる 棹さす 聞こえよがし 刹那 怪訝 居丈高 屈託 得心 髣髴 なおざり 艱難 一瞥 鷹揚 つまびらか 姑息 怯懦 あながち からくも 中 28 しおらしい いぶかしい 懐かしい あさましい うさんくさい うとましい さしでがましい やるせない おぼつかない 間が悪い 水を差す 腑に落ちない 身も蓋もない のっぴきならない 気が置けない 高が知れる 眉をひそめる 健気 裏腹 理不尽 閉口 物心 無造作 息吹 うろ覚え 生返事 横柄 果たして 小説語も、格で選ぶ
格かくによる五十ごじゅう語ごの分布ぶんぷ
Output

産出さんしゅつ

やるなら ── 次つぎのいずれかを一段落いちだんらくで書かく。

  • 最近さいきんの自分じぶんの心こころの動うごきを一ひとつ選えらび、この五十ごじゅう語ごのうち最もっとも近ちかい一語いちごで名なづける
  • 「気きの置おけない」「棹さおさす」「姑息こそく」のうち一語いちごを選えらび、本来ほんらいの意味いみで使つかった文ぶんを書かく
Blank

名なづけられて初はじめて意識いしきされる心こころの動うごきがあるのだとすれば、まだ名なを持もたない感情かんじょうは、感かんじられていないことになるのか。