Note 03 — 第だい6話ろくわ

『チ。』第だい6話ろくわの研究けんきゅうノート [ 一人称いちにんしょうから、二人称ににんしょうへ ]

第だい6話ろくわの到達点とうたつてんは「地球ちきゅうは動うごいている」ではない。天てんと地ちが一ひとつであるという命題めいだいである。そして題名だいめいは、その命題めいだいを一人称いちにんしょうではなく、他人たにんへ手渡てわたす形かたちをとっている。

全ぜん 18 節せつ図版ずはん 21出典しゅってん 0初出しょしゅつ 2026-08-14更新こうしん 2026-08-15
第6話の扉の星 支給の画の上に、星を重ねただけの層である。

上うえ:軽かるく・清きよく・不変ふへん

下した:重おもく・濁にごり・腐敗ふはい

五話ごわかけて、紙束かみたばは運はこばれてきた。

書かいた者ものは死しに、隠かくした者ものは死しに、見みつけた者ものは名なを残のこさず、渡わたした者ものも死しんだ。運はこんだ最後さいごの男おとこは、表紙ひょうしの一文字いちもじしか読よめなかった。

その紙束かみたばが、この回かいで、ついに開ひらかれる。

開ひらくのは、片目かために眼帯がんたいをした男おとこである。三さん校こう以上いじょうの上級じょうきゅう大学だいがくから推薦すいせんされた者ものだけが入いれる修道院しゅうどういんで、一人ひとりで十人じゅうにん分ぶんの問題もんだいを解とき、そのせいで鞭むちを打うたれ、禁書きんしょを開ひらいたせいで目めを焼やかれ、村むらへ捨すてられた男おとこだ。

彼かれが求もとめているのは真理しんりではない。少すくなくとも、彼かれ自身じしんの言いい分ぶんではそうではない。彼かれが待まっていたのは、自分じぶんを特別とくべつにする一瞬いっしゅんである。

そういう男おとこが、そういう動機どうきで、紙束かみたばを読よむ。

そして読よみ終おえて、こう言いう──宇宙うちゅうが変かわるぞ、と。

第だい6話ろくわは、五話ごわぶんの重おもさが一人ひとりの頭あたまのなかで解とける回かいである。だがこの回かいが本当ほんとうに届とどく場所ばしょは、天文学てんもんがくの結論けつろんではない。もっと手前てまえの、もっと素朴そぼくなところだ。

夜空よぞらを見みるのが怖こわかった男おとこが、この回かいで初はじめて空そらを見上みあげる。そして言いう。

「今日きょうの空そら なんかキレイじゃないですか?」

壮大そうだいな理論りろんの隣となりで、ずいぶん頼たよりない一言ひとことである。だが、この一言ひとことのために、これまでの全部ぜんぶがあった。

星図目次 ── 十章 一本の星の連なり。番号の星を選ぶと該当の章へ跳ぶ。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
読まれる ── 五話ぶん運ばれた紙束が、初めて開かれる 開かれた書物と、そこへ至るまでに運ばれた四つの紙束。文字は描かれていない。 開くのは、一瞬 五話ぶん、運ばれてきた 頁には罫だけがある ── 中身は、本文が担う
図ず 01読よまれる。第だい1話いちわから運はこばれてきた紙束かみたばが、この回かいで初はじめて、読よめる者ものの手てで開ひらかれる。
補遺ほい・世よ

世よの章しょう 時代じだいの常識じょうしきと、現代げんだいの非常識ひじょうしき

今回こんかい外はずしてもらうのは、たぶん、いちばん外はずしにくい常識じょうしきである。

「知しりたいと思おもうことは、よいことだ」。

私わたしたちはこれを、疑うたがったことがない。子供こどもに好奇心こうきしんを持もてと教おしえ、好奇心こうきしんの強つよさを才能さいのうの証拠しょうこだと考かんがえる。

十五じゅうご世紀せいきでは、それは罪つみの名前なまえだった。ラテン語ごで curiositas という。アウグスティヌスはこれを「目めの欲よく」と呼よび、傲慢ごうまんや肉欲にくよくと並ならぶ、魂たましいを神かみから引ひき離はなす根本的こんぽんてきな欲望よくぼうの一ひとつに数かぞえた。

ただし、誤解ごかいしないでほしい。彼かれらは知しることを禁きんじたのではない。学まなぶことには、ちゃんと徳とくの名前なまえが用意よういされていた。分わかれ目めは知識ちしきの量りょうではなく、知しりたがる心こころの向むきである。神かみの秩序ちつじょを讃たたえるために星ほしを見みるなら徳とく。自分じぶんが特別とくべつになるために星ほしを見みるなら罪つみ。

同おなじ行為こういが、動機どうきによって、徳とくにも罪つみにもなる。

そう聞きくと、窮屈きゅうくつに思おもえるだろうか。それとも、少すこしだけ、うらやましく思おもえるだろうか。

結論けつろん:第だい6話ろくわを読よみ違ちがえないために外はずしておくべき現代げんだいの常識じょうしきは、「知しりたいと思おもうことは、それ自体じたいよいことだ」という前提ぜんていである。十五じゅうご世紀せいきのキリスト教きょう世界せかいにおいて、好奇心こうきしん(好奇心/curiositas/curiosity)は明確めいかくに悪徳あくとくの名なを持もっていた。修道院しゅうどういん長ちょう(修道院院长/abbot/prior)がバデーニ(Badeni)に投なげつける言葉ことばは、彼かれ個人こじんの偏狭へんきょうさではない。千せん年ねんの神学しんがく(神学/theology)が用意よういした、正式せいしきな罪つみの名称めいしょうである。

導入どうにゅう

私わたしたちは、子供こどもに「もっと知しりたいと思おもいなさい」と教おしえる。好奇心こうきしんは、教育きょういくの目的もくてきであり、才能さいのうの証あかしであり、褒ほめ言葉ことばである。

十五じゅうご世紀せいきでは、その言葉ことばは警告けいこくだった。

ラテン語ごで curiositas という。アウグスティヌス(奥古斯丁/Augustine of Hippo)はこれを「目めの欲よく(眼目的情欲/concupiscence of the eyes)」と呼よび、傲慢ごうまん(傲慢/superbia/pride)・肉欲にくよくと並ならぶ三みっつの根本的こんぽんてきな罪つみの一ひとつに数かぞえたC史実しじつ定説ていせつ。トマス・アクィナス(托马斯·阿奎那/Thomas Aquinas)はさらに整理せいりし、studiositas(学まなびの徳とく〔studiositas/studiousness〕)と curiositas(好奇こうきの悪徳あくとく)を対たいにして論ろんじた。知しること自体じたいが悪わるいのではない。知しりたいという欲望よくぼうが、正ただしい順序じゅんじょと目的もくてきを外はずれて暴走ぼうそうすることが悪徳あくとくとされたのである定説ていせつ。

この区別くべつは、現代人げんだいじんが思おもうより繊細せんさいで、そして厳きびしい。同おなじ「星ほしを見みる」という行為こういが、神かみの秩序ちつじょを讃たたえるためなら徳とくであり、自分じぶんが特別とくべつになるためなら罪つみである。行為こういではなく、動機どうき(动机/motive)の向むきが罪つみを決きめる。

修道院しゅうどういん(修道院/monastery)という場ばは、この区別くべつを制度せいどとして運用うんようする場所ばしょだった。個人こじんの判断はんだんで勉強べんきょうを進すすめることは、単たんなる勤勉きんべんではない。共同体きょうどうたいの規律きりつからの逸脱いつだつであり、しばしば傲慢ごうまん(superbia)の徴候ちょうこうとして扱あつかわれた。「足並あしなみをそろえろ」という命令めいれいは、怠惰たいだの勧すすめではなく、魂たましいの安全あんぜんのための処方箋しょほうせんである。

だから、第だい6話ろくわの修道院しゅうどういん長ちょうを、才能さいのうを潰つぶす愚おろかな管理者かんりしゃとして読よまないでほしい。彼かれは、この世界せかいで最もっとも正統せいとうな立場たちばから、最もっとも正統せいとうな言葉ことばを発はっしている。そして──これが第だい6話ろくわの最もっとも苦にがい一点いってんだが──彼かれ自身じしんも、その罪つみを犯おかしている。

対比たいひ表ひょう

現代げんだいの常識じょうしき 十五じゅうご世紀せいきの常識じょうしき そうなる背景はいけい
好奇心こうきしんは美徳びとくであり、教育きょういくの目標もくひょうである 好奇心こうきしん(curiositas)は悪徳あくとくであり、学まなびの徳とく(studiositas)と区別くべつされる 魂たましいには正ただしい秩序ちつじょがあり、知ちは救済きゅうさいへ向むかう限かぎりで善ぜんとされた。目的もくてきを外はずれた知ちの欲望よくぼうは、魂たましいを神かみから引ひき離はなす運動うんどうとみなされた
才能さいのうは伸のばすべきものである 突出とっしゅつした才能さいのうは、共同体きょうどうたいの均衡きんこうを乱みだすものとして抑制よくせいされる 修道院しゅうどういんは共同きょうどう生活せいかつの場ばであり、個人こじんの卓越たくえつは序列じょれつと一致いっち協力きょうりょくを壊こわす。加くわえて卓越たくえつの自覚じかくは傲慢ごうまん(superbia)という最もっとも重おもい罪つみへ通つうじる
学まなぶ量りょうと速度そくどは個人こじんが決きめる 学まなびの範囲はんいは規律きりつが定さだめ、超過ちょうかは懲罰ちょうばつの対象たいしょうとなる 学問がくもんは個人こじんの資産しさんではなく、共同体きょうどうたいが管理かんりする職務しょくむ。誰だれが何なにをどこまで学まなぶかは配分はいぶんの問題もんだいだった
数学すうがくは基礎きそ教養きょうようであり、あらゆる学問がくもんの土台どだいである 代数だいすうや幾何きかは神学しんがくに必要ひつようのない余技よぎである 学問がくもんの階層かいそうで神学しんがくが最上位さいじょういにあり、下位かいの学がくは上位じょういに奉仕ほうしする限かぎりで価値かちを持もつ。数学すうがくそれ自体じたいを目的もくてきとする姿勢しせいは、順序じゅんじょの転倒てんとうとされた
図書館としょかんの蔵書ぞうしょは原則げんそくすべて閲覧えつらんできる 禁書きんしょ(禁书/prohibited book)は施錠せじょうして保管ほかんされ、閲覧えつらんには資格しかくが要いる 異端いたん(异端/heresy)の思想しそうは伝染でんせんするものと理解りかいされていた。加くわえて写本しゃほんは稀少きしょうで、管理かんりは物理的ぶつりてきにも可能かのうだった
体罰たいばつは虐待ぎゃくたいであり、教育きょういくから排除はいじょすべきである 体罰たいばつは矯正きょうせいと贖罪しょくざいの手段しゅだんであり、自己じこに科かすこともある 肉体にくたいの苦痛くつうが魂たましいを正ただすという身体しんたい観かん。悔悛かいしゅん(悔改/penance)の実践じっせんとして自みずからを罰ばっする伝統でんとうが広ひろく存在そんざいした
説明せつめいできない現象げんしょうは、研究けんきゅうすべき課題かだいである 説明せつめいできない現象げんしょうは、そういう定さだめであり、人間にんげんの管轄外かんかつがいである 天てんと地ちは存在そんざいの階級かいきゅうが異ことなり、下位かいの者ものが上位じょういを完全かんぜんに理解りかいすることはありえないという秩序ちつじょ観かん
好奇心こうきしんは無条件むじょうけんによいものである ── ここが現代げんだい側がわの非合理ひごうり。私わたしたちは curiositas という語ごを捨すてたが、問といを解といたわけではない。知的ちてき好奇心こうきしんが兵器へいきを作つくり、監視かんし技術ぎじゅつを作つくり、他人たにんの私生活しせいかつを暴あばくとき、私わたしたちは「知しりたいから知しった」という説明せつめいを、いまだにうまく裁さばけずにいる。中世ちゅうせいは動機どうきを問とうた。私わたしたちは、問とうことをやめただけである

図ず

図ずE6-世よ「二ふたつの知ちの欲よく」。studiositas と curiositas の分岐図ぶんきず。仕様しようは D3-E6 に記しるす。

二つの知の欲 ── studiositas と curiositas 同じ「知りたい」が、動機の向きによって徳にも罪にも分かれる。 知りたい studiositas ── 学びの徳 正しい順序と目的に沿って知る curiositas ── 好奇の悪徳 自己の栄光のために、 順序を外れて知る 分かれ目は知識の量ではなく、心の向き 同じ行為が、動機によって徳にも罪にもなる
図ず 02二ふたつの知ちの欲よく。中世ちゅうせいの神学しんがくは「知しりたい」を量りょうではなく向むきで裁さばいた。

結むすび

第だい6話ろくわで最もっとも見落みおとされやすいのは、修道院しゅうどういん長ちょうも禁書きんしょを読よんでいたという一点いってんである。

禁きんじる者ものが、最もっとも近ちかくで禁きんじられたものに触ふれている。これは彼かれの偽善ぎぜんというより、禁制きんせいという仕組しくみの構造こうぞうそのものである。誰だれかが管理かんりしなければ禁書きんしょは禁書きんしょたりえず、管理かんりする者ものは必かならず触ふれる。検閲けんえつ(审查制度/censorship)は、少数しょうすうの内部ないぶ者しゃに情報じょうほうを集中しゅうちゅうさせる装置そうちでもある。

そして彼かれは、バデーニに対たいして罪つみの名なを叫さけぶ。その叫さけびが本気ほんきであるほど、この場面ばめんは重おもくなる。彼かれは自分じぶんの中なかの同おなじ欲望よくぼうを知しっている。知しっているからこそ、それを罪つみと呼よぶ。

いつか誰だれかが、この表ひょうの左ひだり列れつを右列うれつへ書かき写うつす。そのとき「好奇心こうきしんは無条件むじょうけんによいものだった」という私わたしたちの常識じょうしきには、どんな背景はいけい欄らんが付つくのだろうか。

表ひょうの右側みぎがわは、抑圧よくあつの記録きろくに見みえる。実際じっさいそうでもある。

だが、最後さいごの行ぎょうを見みてほしい。私わたしたちは curiositas という言葉ことばを捨すてた。捨すてたけれど、その言葉ことばが引ひき受うけていた問といまで解といたわけではない。

知しりたいから知しる。それだけを理由りゆうに、私わたしたちはどこまで行いけるのだろうか。他人たにんの私生活しせいかつを暴あばくとき、危険きけんな技術ぎじゅつを完成かんせいさせるとき、見みなくてよかったものを見みてしまうとき──「知しりたかったから」という説明せつめいを、私わたしたちはまだ、うまく裁さばけずにいる。

中世ちゅうせいは、動機どうきを問とうた。厳きびしすぎるやり方かたで、しばしば間違まちがった相手あいてに対たいして。

私わたしたちは、問とうのをやめた。

どちらが進歩しんぽなのかは、まだ分わからない。

そして第だい6話ろくわでいちばん静しずかに刺ささるのは、罪つみを叫さけんだ当とうの修道院しゅうどういん長ちょうが、自分じぶんの部屋へやに禁書きんしょを置おいていたという一点いってんである。禁きんじる者ものは、必かならず触ふれる。誰だれかが読よまなければ、何なにを禁きんじるかも決きめられない。

彼かれの叫さけびは、本気ほんきだったのだと思おもう。自分じぶんの中なかに同おなじ欲よくがあると知しっている人ひとだけが、あんなふうに叫さけべる。

中世ちゅうせいは動機どうきを問とうた。私わたしたちは、問とうのをやめた。どちらが進歩しんぽなのかは、まだ分わからない。

油彩の口絵。闇の中に、太い鎖で幾重にも縛られた木の書棚が立っている。人は描かれていない。

口絵くちえ ── 鎖くさりのかかった書棚しょだな。読よませないことが、いちばん静しずかな検閲けんえつである

凡例はんれい

読よみ方かた ── 四よん冊さつを貫つらぬく同おなじ作法さほうで

Layer A–D 分析フレーム 四層の帯。各層の色が、本文のバッジの色と対応する。 A 作品世界 C 史実 B 作品が用いる歴史イメージ D 現代からの評価 考察の順番 AB CD 四つの層を混ぜないこと。それがこのノート全体の作法である
図ず 03四よっつの層そうを混まぜないことが、この分析ぶんせき全体ぜんたいの作法さほうである。

本文ほんぶんの主張しゅちょうにはA作品さくひん世界せかい・B歴史れきしイメージ・C史実しじつ・D現代げんだい評価ひょうか の層そうの札ふだと、定説ていせつ有力ゆうりょく説せつ議論ぎろんあり俗説ぞくせつの確度かくどの札ふだが付つく。難度なんどは基礎きそ発展はってん大学院だいがくいんの三さん段だんで、下したの帯おびからいつでも絞しぼれる。

読よみ方かたの例れい ── C史実しじつ「この司祭しさいの説明せつめいは、当時とうじの宇宙論うちゅうろんとして正確せいかくである」定説ていせつ ── 文頭ぶんとうの札ふだがどの層そうの話はなしかを、文末ぶんまつの札ふだが学界がっかいでどれくらい確たしかかを示しめす。

第だい3章さんしょうは八節はっせつ。各節かくせつは第だい6話ろくわの一行いちぎょうから始はじまり、話者わしゃと経過けいか時間じかんを添そえてある。節せつと節せつのあいだの細ほそい一行いちぎょうは、文学ぶんがく層そうの小しょう経過けいか句くである。

この頁ページの図ずには、描えがかないと決きめたものがある。決闘けっとう・斬撃ざんげき・流血りゅうけつ・遺体いたい・武器ぶき、自死じしを示唆しさする図像ずぞう、拷問ごうもんの器具きぐ、そして人ひとのかたち ── シルエットも含ふくめて描えがいていない。この回かいは人ひとの内面ないめんが主題しゅだいであり、姿すがたを与あたえると解釈かいしゃくが固かたまるためである。人ひとが要いる場所ばしょには、標ひょうや結節けっせつ点てんといった抽象ちゅうしょうの記号きごうを置おいた。

このノートは第だい6話ろくわ終了しゅうりょう時点じてんまでしか扱あつかわない。移送いそうされた異端いたん者しゃの氏名しめいも、終幕しゅうまくで何なにが起おきたかも、書かいていない。字幕じまく書かき起おこしから確定かくていできないことは、空欄くうらんのままにしてある。

語学ごがくの手引てびき ── 本文ほんぶんの学術がくじゅつ語ごと固有名こゆうめいには種類しゅるいごとの下線かせんを引ひいた。天文てんもんの語ごは金かね、哲学てつがく・思想しそうの語ごは青あお、宗教しゅうきょう・制度せいどの語ごは緋ひ、人物じんぶつ・地名ちめいは藤ふじ、書物しょもつは青緑あおみどり。頁ページで最初さいしょに現あらわれた場所ばしょには(中文ちゅうぶん/English)を添そえた。学術がくじゅつ語ごの一覧いちらんは付録ふろく1にある。人物じんぶつと書物しょもつの名なは初出しょしゅつの注記ちゅうきにとどめ、一覧いちらんには入いれていない ── 一覧いちらんは原稿げんこうの付録ふろくそのものだからである。中文ちゅうぶんの定訳ていやくを確認かくにんできなかった語ごは、English だけを添そえてある。作品さくひん固有こゆうの語ご(代だい闘士とうし・民間みんかん警備けいび組合くみあい・上級じょうきゅう市民しみん・下級かきゅう市民しみん)に下線かせんは引ひかない。

Ⅰ

第だい1章いっしょう 第だい6話ろくわで何なにが起おきたか

結論けつろん:第だい6話ろくわは、五話ごわかけて運はこばれてきた紙束かみたばが、初はじめて読よまれる回かいである。そして読よんだ男おとこは、その内容ないようを一言ひとことでこう要約ようやくする──地球ちきゅうは動うごいている。だが第だい6話ろくわの到達点とうたつてんはそこではない。読よめたことで、天てんと地ちが切きり離はなされていないと分わかったこと。第だい4話よんわの司祭しさいの言葉ことばが、正確せいかくに反転はんてんする瞬間しゅんかんである。

A作品さくひん世界せかい確定かくてい事項じこう(字幕じまく書かき起おこしにより裏付うらづけ。付録ふろく3に全ぜん引用いんようの経過けいか時間じかん):

  1. 初対面しょたいめんと条件じょうけん。オクジー(Oczy)がバデーニを訪たずねる。バデーニは血ちのにおいから傭兵ようへいかと問とい、聖職者せいしょくしゃとして距離きょりを保たもつよう求もとめる。そして条件じょうけんを出だす──その話はなしは自分じぶんの人生じんせいを大おおきく変かえると断言だんげんできるか。断言だんげんできないものに時間じかんを割さきたくない、と。オクジーは、ある意味いみでは人生じんせいを変かえるかもしれない、教会きょうかい的てきに少すこし問題もんだいかもしれないと答こたえ、バデーニは「少すこしは骨ほねがありそうだ」と応おうじる。
  2. 内容ないようが分わからない。中身なかみは何なにかと問とわれ、オクジーは分わからないと答こたえる。なぜ自分じぶんに見みせようとするのかも分わからない、言いわれて来きただけだ、と。バデーニは呆あきれる。
  3. 観測かんそく記録きろくの評価ひょうかと欠落けつらく。オクジーが示しめした観測かんそく記録きろくを、バデーニは緻密ちみつだと評価ひょうかする。だが逆行ぎゃっこう(逆行/retrograde motion)からの記録きろくがないことに気きづき、二に年ねんに一度いちどの重要じゅうような事象じしょうだと指摘してきする。オクジーは、その逆行ぎゃっこうに心こころを痛いためて観測かんそくをやめてしまったのだと説明せつめいする。バデーニは驚おどろき、惑星わくせい(行星/planet)という名ながプラネーテス(惑まどう人ひと)に由来ゆらいすることを挙あげ、軌道きどうは惑まどうに決きまっていると述のべる。それを知しらずにこれほど緻密ちみつな記録きろくを取とっていたのか、一体いったい何なにのために、と問とい、オクジーは分わからないと答こたえる。バデーニは一度いちど追おい返かえす。
  4. 回想かいそう──修道院しゅうどういん。この修道院しゅうどういんに入はいる条件じょうけんは、三さん校こう以上いじょうの上級じょうきゅう大学だいがく(高等学部/higher faculties)から推薦すいせんされている者もののみだった。修道院しゅうどういん長ちょうはバデーニを「圧倒的あっとうてきだ」と評価ひょうかする。他ほかが十人じゅうにんがかりで協力きょうりょくしている量りょうの問題もんだいを、彼かれは一人ひとりで解といた。だが同時どうじに叱責しっせきが来くる──ここでは想定そうていを超こえた勉強べんきょうは許ゆるされない、規律きりつどおりに行動こうどうしろ、足並あしなみをそろえろ、と。バデーニは、自分じぶんより無知むちな者ものとの協力きょうりょくは不毛ふもうだと答こたえ、勝手かってな発言はつげんも懲罰ちょうばつ対象たいしょうとして鞭打むちうち(鞭笞/flagellation)一回いっかいを自分じぶんで科かすよう命めいじられる。彼かれは複数回ふくすうかい打うち、これで発言はつげんしてもいいかと問とう。院長いんちょうは、懲罰ちょうばつと引ひき換かえに勉強べんきょうの自由じゆうを得とくられる限かぎりは繰くり返かえすのかと呆あきれ、彼かれを博学はくがくだが思慮しりょ深ふかさは皆無かいむだと評ひょうす。
  5. バデーニの動機どうき。思慮しりょ深ふかくては駄目だめだ、そんな姿勢しせいでは時代じだいに埋うずもれて終おわる、利口りこうなだけではいざという時ときにつかみ取とれない、とバデーニは言いう。何なにをつかむのかと問とわれ、彼かれは答こたえる──自分じぶんがずっと待まっている、自分じぶんを特別とくべつにする瞬間しゅんかん、自分じぶんを偉大いだいにする瞬間しゅんかん、自分じぶんが歴史れきしを動うごかす瞬間しゅんかんだ、と。
  6. 神学しんがくと数学すうがく。院長いんちょうはその情熱じょうねつを神学しんがくだけに向むけろと命めいじ、代数だいすうや幾何きかが何なんに必要ひつようなのかと問とう。バデーニは、神かみが人類じんるいに課かした最大さいだいの難問なんもんを解とくのに必要ひつようだと答こたえる。全すべての答こたえは聖書せいしょにあるという院長いんちょうに対たいし、彼かれは問とい返かえす──なぜ惑星わくせいは後うしろへ戻もどったりするのか、と。
  7. 逆行ぎゃっこうという神学しんがく問題もんだい。バデーニは論ろんを展開てんかいする。神かみが創つくった二ふたつの世界せかいのうち、月つきより下したの大地だいちは不完全ふかんぜんで生成せいせい消滅しょうめつ(生成与消灭/generation and corruption)を繰くり返かえし予測よそく不能ふのうに動うごく。しかし月つきより上うえの天界てんかいは永久えいきゅう不滅ふめつで、終おわりも始はじまりもなく、完璧かんぺきな形かたちである円運動えんうんどうを永遠えいえんに行おこなう。それは納得なっとくできる。だが実際じっさいに起おこっていることは違ちがう。完璧かんぺきであるはずの天界てんかいでも円えんは歪ゆがみ、奇妙きみょうな輪わを描えがく逆行ぎゃっこうが生しょうじる。この謎なぞに人類じんるいは立たち向むかわなければならない。そうでなければ、神かみが設計せっけいを間違まちがえたことになる。そんなことはありえない。ならば、ここには人類じんるいが気きづいていない理由りゆうが隠かくれているはずだ、と。
  8. 院長いんちょうの返答へんとう。理由りゆうなどない、そういう定さだめなだけだ、人類じんるいが天界てんかいについて今いま以上いじょうに知しれることはない、と院長いんちょうは答こたえる。天てんと地ちは階級かいきゅうが違ちがう、貧民ひんみんに貴族きぞくの気きが知しれるか、知しれるというならそいつは異常いじょうだ、と。
  9. 禁書きんしょと好奇心こうきしんの罪つみ。バデーニは、図書室としょしつに厳重げんじゅう保管ほかんされている異教いきょう・異端いたん者ものの禁書きんしょに、院長いんちょうなら目めを通とおせるはずだと迫せまる。院長いんちょうはその話はなしをするなと制せいし、バデーニが知しる資格しかくを主張しゅちょうすると叫さけぶ──好奇心こうきしんは罪つみだからだ、聖書せいしょにそう解釈かいしゃくできる記述きじゅつもある、君きみは人ひとより欲よくが強つよい、と。禁書きんしょを読よもうと思おもうな、体罰たいばつでは済すまない、目玉めだまを焼やく、と告つげ、当分とうぶんの理論りろん研究けんきゅう禁止きんしを言いい渡わたす。理由りゆうは、知識ちしきではなく精神せいしんがまだ研究けんきゅうに早はやかったから、と。
  10. 禁書きんしょとの遭遇そうぐう。バデーニは、ここで得とくられるものは全すべて得とくたので還俗げんぞく(还俗/secularization(of a religious))して大学だいがくへ行いくかと考かんがえる。そのとき、院長いんちょうの部屋へやに置おかれた本ほんの表紙ひょうしに気きづく。小口こぐちの刻印こくいんから禁書きんしょと判別はんべつし、しかも宇宙うちゅうに関かんする禁忌きんきだと分わかる。彼かれは察さっする──先日せんじつの話はなしが気きになったのか、自分じぶんだって好奇心こうきしんに弱よわいじゃないか、と。
  11. 一瞬いっしゅんの選択せんたく。修道院しゅうどういん長ちょうらが現あらわれ、まだ読よんでいるところを見みていない、今いまなら間まに合あう、置おいて立たち去されと促うながす。開ひらけば一瞬いっしゅんで取とり押おさえる、読よむ暇ひまなどない、不毛ふもうだろう、と。バデーニは同意どういする──本ほんを開ひらくのは一瞬いっしゅんだろう。でも自分じぶんはずっと待まっていた、そんな特別とくべつな一瞬いっしゅんを、と。彼かれは本ほんを開ひらき、太陽たいよう測距そっきょ法ほう(measurement of solar distance)により太陽たいようは地球ちきゅうの約やく109倍ばいの大おおきさとなる、という一節いっせつを読よみ上あげたところで取とり押おさえられる。
  12. 教会きょうかい批判ひはんとオチ。バデーニは叫さけぶ。こんなことを続つづけたら教会きょうかい正統派せいとうはは終おわる、教皇きょうこう(教皇/the Pope)は世俗化せぞくかし、修道院しゅうどういんは戒律かいりつで思考しこう停止ていしし、教会きょうかいは免罪符めんざいふ(赎罪券/indulgence)で金かねを稼かせいでいる、これで迷まよえる者ものの希望きぼうになれるのか、このままでは近ちかいうちに対抗たいこう勢力せいりょくによって教会きょうかい正統派せいとうはは崩くずれる、と。そして続つづける──そしたら、自分じぶんの格かくも落おちるではないか、と。
  13. 処分しょぶん。左遷させん(贬谪/demotion/transfer as discipline)が言いい渡わたされる。研究けんきゅうなど無縁むえんなのどかなところで一生いっしょうを終おえろ、還俗げんぞくしても無駄むだだ、修道院しゅうどういんの力ちからで大学だいがくは立たち入いり禁止きんしにする、と。その前まえに目めを焼やく、運うんがよければ失明しつめいは免まぬがれる、片目かためだけでも残のこるといいな、と告つげられる。
  14. 現在げんざい──条件じょうけん付つきの承諾しょうだく。バデーニはオクジーを呼よび止とめ、書類しょるいを見みようと言いう。ただし条件じょうけんは、その観測かんそく日誌にっしの続つづきを君きみが記録きろくすること。手始てはじめに今日きょうの火星かせい(火星/Mars)だ、ちょうど自分じぶんの研究けんきゅうに必要ひつようだ、観測かんそく方法ほうほうは日誌にっしの絵えで大体だいたい分わかるだろう、と。オクジーは夜空よぞらが見みられないと訴うったえるが、バデーニは冗談じょうだんに付つき合あっている暇ひまはないと退しりぞける。
  15. オクジーの葛藤かっとう。一人ひとりになったオクジーは、空そらを見みようとして無理むりだと感かんじる。こんなことをしなければならない理由りゆうなどないと考かんがえ、捨すてて街まちへ戻もどり、流ながれ者ものとして別べつの街まちで一いちから始はじめればいいと自分じぶんに言いい聞きかせる。階級かいきゅうは最さい下層かそうに落おちるがもともと似にたようなものだ、この世界せかいで苦くるしいのは当然とうぜん、ここを耐たえれば死後しごに天国てんごくがある、と。
  16. 二人ふたりの顔かお。しかし彼かれは思おもい返かえす。あの人ひとたちは、自分じぶんの人生じんせいでたった二人ふたりだけの、天国てんごくよりこの世よを重視じゅうしした人ひとたちだ。彼かれらの地獄じごく行いきは確実かくじつで、そんな人ひとの言いうことを聞きいてはいけない。だけど──自分じぶんの人生じんせいでたった二人ふたり、彼かれらだけが、死しぬその瞬間しゅんかんに満足まんぞくそうな顔かおをしていた。地獄じごくへ行いくのに、なぜあんな顔かおを、と。
  17. 初はじめての観測かんそく。見みたって何なにも変かわらない、期待きたいなどやめろと自分じぶんを止とめながら、彼かれの中なかで異端いたん者ものの言葉ことば(絶望ぜつぼうは希望きぼうに転化てんかしうる)とグラス(Gras)の言葉ことば(この世界せかいに期待きたいすること)が反復はんぷくする。彼かれは空そらを見上みあげる。翌日よくじつ、バデーニは記録きろくを見みて、初はじめてにしては上出来じょうできだと評価ひょうかし、書類しょるいへ案内あんないするよう促うながす。
  18. 読解どっかい。石箱いしばこの資料しりょうを読よんだバデーニは、人生じんせいが変かわるようなものだったかと問とわれ、違ちがうと答こたえる──これは、宇宙うちゅうが変かわる、と。彼かれは嘔吐おうとし、今いま吐はき出だしたのはくだらない常識じょうしきと積つみ上あげた思おもい込こみだと述のべる。そして言いう。やはり神かみは間違まちがえていなかった。それどころか、人類じんるいに理解りかい可能かのうに宇宙うちゅうを創つくった、と。教会きょうかいでは少すこし問題もんだいがあるが、適切てきせつな解釈かいしゃくを見みつければ公表こうひょうも不可能ふかのうではないかとも考かんがえる。
  19. 内容ないようの要約ようやく。バデーニは資料しりょうの内容ないようを説明せつめいする。アリストテレス(亚里士多德/Aristotle)の同心どうしん球きゅう理論りろん(同心球理论/homocentric spheres)とプトレマイオス(托勒密/Ptolemy)の離心りしん円えん(偏心圆/eccentric)・周転しゅうてん円えん(本轮/epicycle)理論りろんの乖離かいりと、それぞれの欠点けってんの指摘してき。さらに、現在げんざい用もちいられている全すべての理論りろんにおいて、宇宙うちゅう全体ぜんたいとその部分ぶぶんに均衡きんこうがなく、それぞれ独立どくりつした計算けいさんで記述きじゅつされ、体系化たいけいかされていないことへの異議いぎ。そして、これらの問題もんだいの根本こんぽん原因げんいんは天界てんかいにおける相当そうとう数すうの不規則ふきそくな運動うんどうに起因きいんしているが、それを単純たんじゅんに説明せつめいしうるある運動うんどうの提示ていじ──もっと端的たんてきに言いえば、地球ちきゅうは動うごいている。
  20. 実演じつえん。全然ぜんぜん動うごいていないと言いうオクジーに、バデーニは同意どういした上うえで、間違まちがいにしては書かかれていることがあまりにも合理的ごうりてきだと述のべる。彼かれは実験じっけんを提案ていあんし、オクジーに二に年ねん分ぶんの火星かせいの軌道きどうを描えがかせる。これが天界てんかいにおける最大さいだいの謎なぞ、惑星わくせいの逆行ぎゃっこうだ、と。人類じんるいはこの原因げんいんの解明かいめいを諦あきらめ、せめて計算けいさんだけは可能かのうにしようと努つとめ、その結果けっか、理論りろんは複雑化ふくざつかし仮説かせつも増ふえた。全すべては惑星わくせいが前まえにだけ進すすんでくれないからだ。だが実際じっさいは違ちがった──惑星わくせいは前まえにだけ進すすみながら、後戻あともどりしていたのだ、と。不可能ふかのうではないかと言いうオクジーに、バデーニは答こたえる。ああ、不可能ふかのうだ、地球ちきゅうが静止せいししている場合ばあいはな。だが地球ちきゅうが動うごけば、可能かのうだ、と。
  21. 宇宙うちゅうの再現さいげん。バデーニは木きの枝えだを中心ちゅうしんに置おき、自分じぶんを火星かせい、オクジーを地球ちきゅうとして、内側うちがわの円えんを回まわって追おい越こすよう指示しじする。実演じつえんのあと、彼かれは言いう。今いまの一瞬いっしゅんに、プトレマイオスの千せん年ねんを覆くつがえす秘密ひみつが隠かくされていた、と。そして順じゅんを追おって説明せつめいする。最初さいしょは前方ぜんぽうの火星かせいが順行じゅんこう(顺行/prograde motion)して見みえ、速度そくど差さから距離きょりが縮ちぢまり、順行じゅんこう速度そくどが遅おそくなっていく。ついに並ならび、追おい越こす一瞬いっしゅん、地球ちきゅうから見みて火星かせいは後うしろへ逆行ぎゃっこうして見みえる。完全かんぜんに追おい越こせば再ふたたび前進ぜんしんして見みえる。もし逆行ぎゃっこうが実際じっさいには行おこなわれておらず、地球ちきゅうから観測かんそくしているせいでそう見みえているだけだとしたら、本来ほんらいの惑星わくせいの軌道きどうはこうだ──どちらがよりシンプルか分わかるだろう、と。
  22. 反転はんてん。バデーニは意味いみを告つげる。あの石箱いしばこは人類じんるいに説といている。天界てんかいは崇高すうこうで荘厳そうごんで偉大いだいで広大こうだいで、そして地球ちきゅうと調和ちょうわしていると。天界てんかいも地球ちきゅうと同おなじで汚よごれているのかと問とうオクジーに、バデーニは答こたえる。もしくは、我々われわれの住すむ大地だいちは醜みにくい底辺ていへんとして切きり離はなされてなどおらず、とうの昔むかしから、あの美うつくしさの一員いちいんだったのかもしれない。少すくなくとも自分じぶんはそちらを信しんじる、と。
  23. 空そら。天てんと地ちが一ひとつなんて、と呟つぶやきながら、オクジーは空そらを見上みあげる。この空そら、なんか──と言いいかけ、バデーニは慈悲じひ深ふかさを感かんじるか、この空そらが自分じぶんにどでかい利益りえきを与あたえてくださる、と応おうじる。オクジーは、そうなのかもしれないが、もっと単純たんじゅんに、今日きょうの空そらはなんかきれいではないか、と言いう。
  24. 題名だいめい。バデーニは笑わらい、その「なんか」を「絶対ぜったい」にする方法ほうほうが一ひとつだけあると告つげる──世界せかいを動うごかせ。ここで第だい6話ろくわは終おわる。

省略しょうりゃくされた文脈ぶんみゃくの開示かいじ①(D6 §2.7)——なぜ「三さん校こう以上いじょうの上級じょうきゅう大学だいがくから推薦すいせん」という条件じょうけんが、これほどの重おもみを持もつのか。中世ちゅうせいの大学だいがくは学芸学部がくげいがくぶを経へて神学しんがく・法学ほうがく・医学いがくの上級じょうきゅう学部がくぶへ進すすむ構造こうぞうであり(E1 第だい6章ろくしょう)、上級じょうきゅう学部がくぶからの推薦すいせんは、当時とうじの知的ちてき階梯かいていのほぼ頂点ちょうてんに近ちかい認定にんていである。バデーニがいた修道院しゅうどういんは、その認定にんていを三重さんじゅうに要求ようきゅうする場所ばしょだった。つまりあの空間くうかんで「一人ひとりで十人じゅうにん分ぶんを解とく」ことは、村むらの秀才しゅうさいが目立めだつのとは意味いみが違ちがう。選抜せんばつされた者ものたちのなかで、なお突出とっしゅつしている。この一段いちだんを外はずすと、修道院しゅうどういん長ちょうの抑圧よくあつが単たんなる嫉妬しっとに見みえる。実際じっさいには、共同体きょうどうたいの均衡きんこうが現実げんじつに壊こわれる規模きぼの落差らくさが生しょうじていたのである。

五話ごわかけて運はこばれた紙束かみたばが、ついに読よまれる。読よんだのは、真理しんりではなく自分じぶんの偉大いだいさを待まっていた男おとこだった。

起おきたことを並ならべ終おえて気きづくのは、この回かいに二ふたつの山やまがあることだ。一ひとつは修道院しゅうどういんの回想かいそう、もう一ひとつは村むらでの読解どっかい。前者ぜんしゃでは知ちが閉とじられ、後者こうしゃでは開ひらかれる。同おなじ男おとこの人生じんせいで、閉へいと開かいが向むかい合あっている。だから第だい6話ろくわの問といは、知しることの是非ぜひそのものに向むかう。

Ⅱ

第だい2章にしょう この話はなしで提示ていじされた問とい

結論けつろん:第だい5話ごわが「渡わたせるか」を問とうたなら、第だい6話ろくわは「読よめたら何なにが起おきるか」を問とう。少すくなくとも12問じゅうにもん。

  1. 知しりたいという欲望よくぼうは、それ自体じたいで善ぜんなのか、それとも向むきによって善悪ぜんあくが変かわるのか。
  2. 才能さいのうが共同体きょうどうたいの均衡きんこうを壊こわすとき、抑おさえるべきは才能さいのうか、共同体きょうどうたいか。
  3. 「そういう定さだめだ」と答こたえることは、謙虚けんきょさなのか、思考しこうの停止ていしなのか。
  4. 神かみの設計せっけいを信しんじることは、探究たんきゅうの妨さまたげなのか、それとも動機どうきなのか。
  5. 禁きんじる者ものが、最もっとも禁きんじられたものに触ふれる──この構造こうぞうは、避さけられるのか。
  6. 偉大いだいになりたいという野心やしんは、真理しんりの探究たんきゅうを汚けがすのか。
  7. 一瞬いっしゅんの選択せんたくに人生じんせいを賭かけることは、勇気ゆうきなのか、賭博とばくなのか。
  8. より単純たんじゅんであることは、より真実しんじつであることの証拠しょうこになるのか。
  9. 「地球ちきゅうは動うごいている」と「全然ぜんぜん動うごいていない」が同時どうじに真しんでありうるのは、なぜか。
  10. 世界せかいの記述きじゅつを変かえることは、世界せかいを変かえることなのか。
  11. 「なんかきれい」を「絶対ぜったいにきれい」にすることは、得えることなのか、失うしなうことなのか。
  12. 天てんと地ちが一ひとつであるという主張しゅちょうは、天てんを貶おとしめるのか、地ちを持もち上あげるのか。

この回かいに悪人あくにんはいない。いるのは、別々べつべつの徳とくを優先ゆうせんした二人ふたりだけである。

十二じゅうにの問といは、どれも「知しりたい」という一語いちごの周まわりを回まわっている。その一語いちごが徳とくと呼よばれたり罪つみと呼よばれたりする境目さかいめを、八やっつの短みじかい言葉ことばから辿たどる。

Ⅲ

第だい3章さんしょう 名場面めいばめんの解剖かいぼう

結論けつろん:第だい6話ろくわの台詞せりふは、知ちの禁制きんせい・動機どうき・単純たんじゅん性せい(简单性/simplicity)という三みっつの主題しゅだいを通とおって、第だい4話よんわの司祭しさいの言葉ことばの正確せいかくな反転はんてんに到達とうたつする。八やっつの短たん句くを解剖かいぼうする。

3-1

軌道きどうは惑まどうに決きまってるだろ
── 第だい6話ろくわ バデーニ 02:40

A作品さくひん世界せかい逆行ぎゃっこうに心こころを痛いためて観測かんそくをやめたと聞きかされ、バデーニは驚おどろく。惑星わくせいという名ながプラネーテス(惑まどう人ひと)に由来ゆらいすることを挙あげ、この一言ひとことを放はなつ。

C史実しじつ語源ごげんの指摘してきは正確せいかくである。 planetes はギリシア語ごで「さまよう者もの」を意味いみし、恒星こうせい(恒星/fixed star)のパターンから外はずれて動うごく天体てんたいの呼称こしょうだった(E1 第だい3章さんしょう)定説ていせつ。逆行ぎゃっこうが二に年ねんに一度いちど、火星かせいについて起おきるという指摘してきも、会合かいごう周期しゅうき(会合周期/synodic period)約やく780日にちという事実じじつと一致いっちする(E4 3-6節ろくせつ)定説ていせつ。

D現代げんだい評価ひょうかこの場面ばめんが痛いたいのは、知識ちしきの格差かくさが、そのまま生死せいしの格差かくさになっているからである。グラスは二に年ねんを賭かけて円環えんかんに希望きぼうを託たくし、逆行ぎゃっこうに打うちのめされた(E4)。だが専門家せんもんかにとって、逆行ぎゃっこうは驚おどろきですらない。前提ぜんてい知識ちしきである。もしグラスがこの一言ひとことを先さきに聞きいていれば、彼かれの希望きぼうは初はじめから別べつの形かたちをとっていた。

D現代げんだい評価ひょうかそしてこれは第だい5話ごわの主題しゅだい(識字しきじと知ちの分配ぶんぱい)の続つづきでもある。知識ちしきが階層かいそう的てきに分配ぶんぱいされる社会しゃかいでは、同おなじ空そらを見みても、見みえる意味いみが階層かいそうごとに違ちがう。バデーニの何気なにげない一言ひとことは、彼かれが受うけ取とった教育きょういくの総量そうりょうを、そのまま鳴ならしている。

知しっている者ものにとって当あたり前まえのことが、知しらない者ものの人生じんせいを壊こわしていた。では、その知しっている者ものは、何なにのために知しろうとしたのか。

3-2

私わたしが歴史れきしを動うごかす瞬間しゅんかんですよ
── 第だい6話ろくわ バデーニ 07:03

A作品さくひん世界せかい何なにをつかもうとしているのかという問といへの答こたえ。自分じぶんを特別とくべつにする瞬間しゅんかん、偉大いだいにする瞬間しゅんかん、歴史れきしを動うごかす瞬間しゅんかんである、と。

C史実しじつこの動機どうきは、中世ちゅうせいの徳論とくろんから見みれば明確めいかくに問題もんだい含ふくみである。傲慢ごうまん(superbia)は七ななつの罪源ざいげん(七宗罪/the seven deadly sins)の筆頭ひっとうであり、自己じこの卓越たくえつを目的もくてきとする姿勢しせいは、知ちの探究たんきゅうにおいても厳きびしく警戒けいかいされた定説ていせつ。修道院しゅうどういん長ちょうが「そんな傲慢ごうまんな態度たいどのままでは特別とくべつなどにはなれん」と返かえすのは、道徳的どうとくてき説教せっきょうであると同時どうじに、当時とうじの徳とく倫理りんり(德性伦理学/virtue ethics)の正確せいかくな適用てきようである。

D現代げんだい評価ひょうかここに、本作ほんさくが繰くり返かえし置おいてきた動機どうきの多様性たようせいがある。 フベルト(胡贝尔特/Hubert)は美びを語かたり(E1)、ラファウ(拉法乌/Rafal)は感動かんどうを語かたり(E3)、グラスは託たくすことを語かたった(E5)。バデーニは、自分じぶんが偉大いだいになることを語かたる。作品さくひんは彼かれを美化びかしない。第だい6話ろくわ後半こうはんで教会きょうかい批判ひはんの格調かくちょう高たかい演説えんぜつをした直後ちょくご、彼かれは「そしたら私わたしの格かくも落おちるではないか」と落おとす(12:38)。この一行いちぎょうは、彼かれの批判ひはんの正当性せいとうせいを打うち消けさないが、動機どうきの純粋じゅんすいさは打うち消けす。

大学院だいがくいん

D現代げんだい評価ひょうか科学かがく社会学しゃかいがく(科学社会学/sociology of science)の観点かんてんでは、これは異常いじょうではなく標準ひょうじゅんである。ロバート・マートンは、科学者かがくしゃの行動こうどうを規範きはんとして整理せいりする一方いっぽう、優先権ゆうせんけん争あらそい(优先权之争/priority dispute)に見みられる名誉めいよ欲よくが科学かがくの推進力すいしんりょくとして機能きのうしてきたことも指摘してきした。動機どうきの不純ふじゅんさと成果せいかの正ただしさは、独立どくりつしている。 第だい6話ろくわは、その独立どくりつを人物じんぶつ造形ぞうけいとして提示ていじしている。

偉えらくなりたい、という動機どうきから、思おもいがけず正ただしい問といが生うまれる。

3-3

なぜ惑星ほしは 後うしろへ戻もどったりするのですか?
── 第だい6話ろくわ バデーニ 07:33

A作品さくひん世界せかい全すべての答こたえは聖書せいしょにあるという院長いんちょうへの、バデーニの問とい返かえし。彼かれの論証ろんしょうは、天界てんかいの完璧かんぺきさへの信頼しんらいから出発しゅっぱつし、逆行ぎゃっこうという観測かんそく事実じじつとの矛盾むじゅんを突つきつけ、神かみが設計せっけいを誤あやまるはずがない以上いじょう、人類じんるいがまだ気きづいていない理由りゆうがあるはずだ、と結論けつろんする。

C史実しじつこの推論すいろんの型かたは、科学史かがくしにおける中核ちゅうかく的てきな動機どうきの一ひとつである。 神かみが理性的りせいてきに世界せかいを創つくったのなら、世界せかいには理性りせいで見出みいだせる秩序ちつじょがあるはずだ──この前提ぜんていは、自然しぜん哲学てつがくの探究たんきゅうを正当化せいとうかする論拠ろんきょとして繰くり返かえし用もちいられた〔E1 第だい7章ななしょうの自然しぜん神学しんがく(自然神学/natural theology)と接続せつぞく〕定説ていせつ。信仰しんこうが探究たんきゅうを妨さまたげるという単純たんじゅんな図式ずしきでは、この動機どうきの構造こうぞうを捉とらえられない。

D現代げんだい評価ひょうか注意ちゅうい深ふかく見みると、バデーニの論証ろんしょうは神かみの無謬むびゅう性せいを前提ぜんていとして、現行げんこう理論りろんの不備ふびを導みちびいている。神かみが正ただしいのだから、間違まちがっているのは人間にんげんの理解りかいのほうだ、と。これは信仰しんこうの表明ひょうめいであると同時どうじに、極きわめて強力きょうりょくな批判ひはんの道具どうぐである。既存きそんの権威けんいある理論りろん(プトレマイオス体系たいけい)を、より高たかい権威けんい(神かみの設計せっけい)の名なにおいて疑うたがうことができる。

大学院だいがくいん

D現代げんだい評価ひょうか構造こうぞうとしては、後あとのケプラー(开普勒/Kepler)やニュートン(牛顿/Newton)にも見みられる推論すいろん様式ようしきである。ただし本ほんノートは、ここに直線ちょくせん的てきな系譜けいふを引ひかない──同型どうけいの推論すいろんが、異端いたんの動機どうきにも正統せいとうの擁護ようごにも使つかわれた事例じれいは多おおく、この型かたが科学かがくを生うんだという単一たんいつの因果いんがを主張しゅちょうすることは、デュエム(迪昂/Pierre Duhem)的てきテーゼへの過度かどの依拠いきょになる(E1 第だい7章ななしょうの1277年ねん禁令きんれいの評価ひょうかを参照さんしょう)議論ぎろんあり。

神は誤らない、ゆえに ── 信仰が探究の動機になる型 四段の推論。疑われない前提が、逆に探究を要請する。 前提:天界は完璧な円運動をする 観測:しかし逆行がある 前提:神は設計を誤らない 結論:ゆえに、人間がまだ気づいていない理由がある 信仰が、 探究の動機になる ここは 疑わない
図ず 04神かみは誤あやまらない、ゆえに。疑うたがわれない前提ぜんていがあるからこそ、説明せつめいされていない現象げんしょうが宿題しゅくだいになる。

神かみは間違まちがえていないはずだ、という信仰しんこうが問といを生うみ、同おなじ信仰しんこうが、その問といを罪つみと呼よぶ。

3-4

好奇心こうきしんは罪つみだからだ!
── 第だい6話ろくわ 修道院しゅうどういん長ちょう 09:23

A作品さくひん世界せかい知しる資格しかくを主張しゅちょうするバデーニへの、叫さけびとしての返答へんとう。聖書せいしょにそう解釈かいしゃくできる記述きじゅつもある、と続つづく。

C史実しじつこの一行いちぎょうは、神学しんがく的てきに完全かんぜんに正確せいかくである。 アウグスティヌスは curiositas を「目めの欲よく」(concupiscentia oculorum)として、傲慢ごうまん・肉欲にくよくと並ならぶ三みっつの根本的こんぽんてき欲望よくぼうの一ひとつに数かぞえた。トマス・アクィナスは『神学しんがく大全たいぜん』(神学大全/Summa Theologiae)第だい二に部ぶの二に 第だい167問もんで好奇心こうきしんを悪徳あくとくとして論ろんじ、直前ちょくぜんの第だい166問もんで studiositas(学まなびの徳とく)を扱あつかって両者りょうしゃを対たいにした定説ていせつ。修道院しゅうどういん長ちょうが言いう「聖書せいしょにそう解釈かいしゃくできる記述きじゅつ」とは、ヨハネの第一だいいちの手紙てがみ2章にしょう16節じゅうろくせつの「目めの欲よく」を指さす伝統的でんとうてき解釈かいしゃくである定説ていせつ。

D現代げんだい評価ひょうか重要じゅうようなのは、この罪つみ概念がいねんが知ちそのものを否定ひていしていないことである。アクィナス(阿奎那/Aquinas)において、真理しんりの認識にんしきそれ自体じたいは善ぜんである。悪徳あくとくになるのは、傲慢ごうまんから発はっするとき、目的もくてきを誤あやまるとき、順序じゅんじょを外はずすときである。つまり curiositas とは、知ちの内容ないようではなく、知しりたがる心こころの向むきについての罪つみである。

D現代げんだい評価ひょうかこの定義ていぎに照てらすと、バデーニは──彼かれ自身じしんの申告しんこくによれば──罪つみの定義ていぎにきれいに当あてはまる。彼かれは自分じぶんを偉大いだいにするために知しろうとしている(3-2節にせつ)。修道院しゅうどういん長ちょうの判定はんていは、感情的かんじょうてきではあるが、誤診ごしんではない。第だい6話ろくわの困難こんなんさは、抑圧よくあつする側がわが正確せいかくであることにある。

罪つみの名なを叫さけんだ人ひとの机つくえの上うえに、その罪つみの証拠しょうこが置おかれていた。

3-5

自分じぶんだって 好奇心こうきしんに弱よわいじゃないか
── 第だい6話ろくわ バデーニ 10:56

A作品さくひん世界せかい院長いんちょうの部屋へやに置おかれた宇宙うちゅうに関かんする禁書きんしょを見みつけたときの、バデーニの内心ないしん。先日せんじつの話はなしが気きになったのか、と彼かれは察さっする。

D現代げんだい評価ひょうかこの一場面ひとばめんが、第だい6話ろくわの最もっとも鋭するどい批評ひひょうである。 禁書きんしょを管理かんりする者ものは、必然的ひつぜんてきに禁書きんしょに最もっとも近ちかい。誰だれかが読よまなければ、何なにを禁きんじるべきかも決きめられない。検閲けんえつとは情報じょうほうの消去しょうきょではなく、情報じょうほうの再分配さいぶんぱいである──少数しょうすうの管理者かんりしゃに集中しゅうちゅうさせ、多数たすうから遠とおざける仕組しくみである〔E5 3-1節いっせつの識字しきじ論ろんと接続せつぞく〕。

C史実しじつ禁書きんしょ目録もくろくの制度せいど史しを見みても、審査しんさには内容ないようを読よめる者ものが必要ひつようであり、実務じつむは高たかい学識がくしきを持もつ聖職者せいしょくしゃが担になった定説ていせつ。「読よまずに禁きんじる」ことは、原理げんり的てきに不可能ふかのうである。

D現代げんだい評価ひょうかそして重要じゅうようなのは、この発見はっけんがバデーニに免罪符めんざいふを与あたえていないことである。彼かれは院長いんちょうの偽善ぎぜんを暴あばくが、それによって自分じぶんの行為こういが正当化せいとうかされるわけではない。作品さくひんは「相手あいても同おなじだ」という論法ろんぽうの限界げんかいを、そのまま置おいている。彼かれが本ほんを開ひらく決断けつだんの根拠こんきょは、院長いんちょうの偽善ぎぜんではなく、彼かれ自身じしんが「ずっと待まっていた」ことのほうである(11:55)。

禁じる者の机 ── 検閲は、消去ではなく再分配である 禁書を管理する少数と、遠ざけられる多数。禁止は情報を消さず、配り直す。 禁書 管理する少数 遠ざけられる多数 禁じるためには、読める者が要る 検閲は、消去ではなく再分配である
図ず 05禁きんじる者ものの机つくえ。禁書きんしょを管理かんりする側がわは、その書物しょもつを読よめる側がわでもある。

偽善ぎぜんを見みつけても、彼かれは救すくわれない。彼かれが本ほんを開ひらいた理由りゆうは、別べつのところにある。

3-6

人類じんるいに理解りかい可能かのうに宇宙うちゅうを創つくった
── 第だい6話ろくわ バデーニ 17:30

A作品さくひん世界せかい資料しりょうを読よみ終おえたバデーニは、嘔吐おうとしたのちに述のべる。やはり神かみは間違まちがえていなかった、それどころか、人類じんるいに理解りかい可能かのうに宇宙うちゅうを創つくった、と。

C史実しじつこれは自然しぜん神学しんがくの中核ちゅうかく命題めいだいである。 世界せかいが人間にんげんの理性りせいによって理解りかい可能かのうであること自体じたいが、創造者そうぞうしゃの善意ぜんいの証あかしとみなされてきた〔E1 第だい7章ななしょう〕定説ていせつ。同時どうじに、この命題めいだいは経験けいけん的てきに自明じめいではない。宇宙うちゅうが人間にんげんの認知にんち能力のうりょくに噛かみ合あうという事実じじつには、原理げんり的てきな保証ほしょうがない。

D現代げんだい評価ひょうかアインシュタインは、世界せかいについて最もっとも理解りかいしがたいのは、それが理解りかい可能かのうだということだ、という趣旨しゅしを述のべたことで知しられる。ウィグナーは数学すうがくが自然科学しぜんかがくにおいて示しめす有効性ゆうこうせいを「不合理ふごうりなほど」と形容けいようした定説ていせつ(言説げんせつとして広ひろく参照さんしょうされる)。理解りかい可能性かのうせい(可理解性/intelligibility)は、科学かがくの前提ぜんていであって、成果せいかではない。

D現代げんだい評価ひょうかそして構造こうぞうを見みてほしい。院長いんちょうは「人類じんるいが天界てんかいについて今いま以上いじょうに知しれることはない」と述のべた(08:47付近よんじゅうななふきん)。バデーニは「人類じんるいに理解りかい可能かのうに創つくられている」と述のべる。同おなじ神かみを信しんじる二人ふたりが、認識にんしきの限界げんかいについて正反対せいはんたいの結論けつろんを出だしている。 信仰しんこうが探究たんきゅうを止とめるか進すすめるかは、信仰しんこうの有無うむではなく、神かみをどう理解りかいするかで決きまる──第だい6話ろくわは、この分岐ぶんきを二人ふたりの人物じんぶつとして並置へいちしている。

人類じんるいに理解りかいできるように創つくられている──そう信しんじた男おとこが、読よみ終おえて口くちにしたのは、たった六ろく文字もじだった。

3-7

地球ちきゅうは動うごいてる
── 第だい6話ろくわ バデーニ 18:22

A作品さくひん世界せかい資料しりょうの内容ないようを端的たんてきに述のべたバデーニに、オクジーが即座そくざに返かえす。バデーニは同意どういする──だな、と。しかし、間違まちがいにしては書かかれていることがあまりにも合理的ごうりてきだ、と続つづける(18:35)。

D現代げんだい評価ひょうかこの二に行ぎょうは、科学かがく哲学てつがくの最もっとも古ふるい問題もんだいを、二に秒びょうで提示ていじしている。理論りろんは、直接ちょくせつの感覚かんかく経験けいけん(感官经验/sense experience)と衝突しょうとつしうる。 そしてその衝突しょうとつは、理論りろんの敗北はいぼくを意味いみしない。オクジーの証言しょうげんは正ただしい。彼かれは動うごきを感かんじていない。バデーニもそれを認みとめる。それでも理論りろんを捨すてないのは、理論りろんが持もつ別べつの美点びてん──合理性ごうりせい、単純たんじゅん性せい、統一性とういつせい(统一性/unity/systematicity)──が、感覚かんかく証言しょうげんと別べつの秤はかりに載のるからである(E1 第だい11章じゅういっしょう)。

C史実しじつこの衝突しょうとつは史実しじつの論争ろんそうそのものである。地球ちきゅう運動うんどうへの反論はんろんの中核ちゅうかくは、日常にちじょうの身体しんたい経験けいけん(落下らっか、投擲とうてき、風かぜ)だった〔E1 第だい3章さんしょう、E2 第だい1章いっしょう〕定説ていせつ。完全かんぜんな解決かいけつは慣性かんせいの物理学ぶつりがく(ガリレイ〔伽利略/Galilei〕からニュートン)を待まつ定説ていせつ。

D現代げんだい評価ひょうかそして続つづく実演じつえん──木きの枝えだを中心ちゅうしんに、内側うちがわの円えんを回まわって追おい越こす──が、この作品さくひんでおそらく最もっとも美うつくしい教育きょういく場面ばめんである。バデーニは説明せつめいではなく、オクジーの身体しんたいに逆行ぎゃっこうを経験けいけんさせる。第だい2話にわでラファウが坂さかで転ころんで相対そうたい運動うんどう(相对运动/relative motion)を掴つかんだこと(E2 3-2節にせつ)と、正確せいかくに対たいをなす。あちらは偶然ぐうぜんの転倒てんとうによる発見はっけん、こちらは意図的いとてきに設計せっけいされた追体験ついたいけん。発見はっけんの再演さいえんとして、教育きょういくは成立せいりつする。

大学院だいがくいん

D現代げんだい評価ひょうか「どちらがよりシンプルか分わかるだろ?」(21:38付近さんじゅうはちふきん)という問といは、理論りろん選択せんたくの基準きじゅんとして単純たんじゅん性せいを明示めいじ的てきに持もち出だしている。オッカムの剃刀かみそり(奥卡姆剃刀/Occam's razor)の適用てきようであり、コペルニクス(哥白尼/Copernicus)自身じしんの論法ろんぽうでもある。ただし単純たんじゅん性せいは真理しんりの保証ほしょうではない(E1 第だい11章じゅういっしょう、E4 第だい8章はっしょう5)。第だい6話ろくわの説得力せっとくりょくの高たかさそのものが、この危あやうさを覆おおい隠かくす方向ほうこうに働はたらく点てんは、第だい7章ななしょうで自己じこ点検てんけんする。

追い越しの一瞬 ── 逆行は、追い越しの見かけである 地球が内側から追い越す前後で、外の星は見かけ上、後ろへ下がる。 太陽 a b c 見かけの位置 ここで逆戻りして見える 地球が内側から追い越す 今の一瞬に、千年を覆す秘密が隠れていた a・b・c ── 三つの時点の見かけの位置
図ず 06追おい越こしの一瞬いっしゅん。外そとの星ほしが後うしろへ下さがるのは、内側うちがわの速はやい者ものが追おい抜ぬいていくからである。
二つの軌道 ── 同じ観測、二つの記述 見かけの複雑な経路と、太陽の周りのひとつの円。どちらがより単純か。 地球から見た動き 見かけの軌道 同じ観測。二つの記述。 太陽の周りの、ひとつの円 本来の軌道 どちらがより単純か ※真円の前提は、この時点ではまだ疑われていない
図ず 07二ふたつの軌道きどう。同おなじ観測かんそくが、置おき場所ばしょを変かえるだけで、ねじれた経路けいろからひとつの円えんになる。

追おい越こす一瞬いっしゅんに千せん年ねんが畳たたまれていた。そして、その千せん年ねんの向むこう側がわに、もっと古ふるい言葉ことばが待まっていた。

3-8

地球ちきゅうと調和ちょうわしていると
── 第だい6話ろくわ バデーニ 21:57

A作品さくひん世界せかい石箱いしばこが人類じんるいに説といていることとして、バデーニは告つげる。天界てんかいは崇高すうこうで荘厳そうごんで偉大いだいで広大こうだいで、そして地球ちきゅうと調和ちょうわしている、と。天界てんかいも汚よごれているのかと問とうオクジーに、彼かれはもう一ひとつの読よみ方かたを示しめす──我々われわれの住すむ大地だいちは醜みにくい底辺ていへんとして切きり離はなされてなどおらず、とうの昔むかしからあの美うつくしさの一員いちいんだったのかもしれない(22:21)。少すくなくとも自分じぶんはそちらを信しんじる(22:28)。

A作品さくひん世界せかいこれは第だい4話よんわの司祭しさいの言葉ことばの、逐語ちくご的てきな反転はんてんである。 司祭しさいは述のべていた──天てんの世界せかいは崇高すうこうで荘厳そうごんで偉大いだいで広大こうだいで、下等かとうな地球ちきゅうごときとは調和ちょうわしない、と(E4 第だい1章いっしょう1項いちこう、01:37付近さんじゅうななふきん)。第だい6話ろくわは同おなじ修飾語しゅうしょくごを並ならべ、最後さいごの一語いちごだけを裏返うらがえす。調和ちょうわしない、から、調和ちょうわしている、へ。

C史実しじつD現代げんだい評価ひょうかそしてこの反転はんてんこそ、地動説ちどうせつ(日心说/heliocentrism)が価値かちの体系たいけいにもたらす帰結きけつの核心かくしんである。地球ちきゅうが惑星わくせいの一ひとつになるということは、月下界げっかかい(月下世界/sublunary realm)と月上界げつじょうかい(月上世界/superlunary realm)の存在論そんざいろん的てきな区別くべつが消きえるということであり、腐敗ふはいする地上ちじょうと不変ふへんの天てんという道徳どうとくの地図ちずが失効しっこうすることを意味いみする〔E4 世よの章しょう〕定説ていせつ。地動説ちどうせつが危険きけんだったのは、天文学てんもんがくの計算方法けいさんほうほうの問題もんだいではない。宇宙うちゅうの価値かち序列じょれつが崩くずれるからである。

D現代げんだい評価ひょうか第だい4話よんわの異端いたん者ものは「この地球ちきゅうは天国てんごくなんかよりも美うつくしい」と語かたった(E4 3-8節はっせつ)。あれは詩的してきな断言だんげんだった。第だい6話ろくわのバデーニは、同おなじ結論けつろんに幾何学きかがくから到達とうたつしている。感情かんじょうによる主張しゅちょうが、四話よんわを経へて、論証ろんしょうによる主張しゅちょうになった。系譜けいふが運はこんできたものの正体しょうたいが、ここで初はじめて姿すがたを現あらわす。

最後の一語 ── 並びは同じ。裏返るのは、末尾だけ 二年ではなく十年を隔てた二つの台詞が、末尾の一語だけで反転する。
図ず 08最後さいごの一語いちご。同おなじ列挙れっきょのあとで、否定ひていが肯定こうていへ入いれ替かわる。

同おなじ空そらを見みても、階層かいそうが違ちがえば、見みえる意味いみが違ちがう。

八やっつの言葉ことばが示しめしたのは、この回かいが神学しんがく・動機どうき・単純たんじゅん性せいという三みっつの梯子はしごを登のぼって、第だい4話よんわの司祭しさいの言葉ことばの真上まうえに出でるということだった。では、その梯子はしごはどこまで史実しじつに届とどいているのか。今回こんかいの測量そくりょうは、一点いってんを除のぞいて驚おどろくほど高たかい妥当性だとうせいを示しめす。

Ⅳ

第だい4章よんしょう 作中さくちゅう×史実しじつ 照合表しょうごうひょう(第だい6話ろくわ 新規しんき分ぶん)

結論けつろん:第だい6話ろくわは神学しんがく・制度せいど・天文学てんもんがく理論りろんの三さん方向ほうこうで考証こうしょうが精密せいみつである。ただし一点いってん、数値すうちに意図的いとてきな仮構かこうがある。

作中さくちゅう表現ひょうげんA作品さくひん世界せかい 史実しじつC史実しじつ 妥当性だとうせい 補足ほそく
好奇心こうきしんが罪つみとして叫さけばれる curiositas はアウグスティヌス以来いらいの悪徳あくとく概念がいねん。アクィナスが studiositas と対比たいひ 高高こう 本話ほんわの考証こうしょうの白眉はくび定説ていせつ
聖書せいしょにそう解釈かいしゃくできる記述きじゅつがある ヨハネ第一だいいち2章にしょう16節じゅうろくせつの「目めの欲よく」が伝統的でんとうてき典拠てんきょ 高高こう 定説ていせつ
惑星わくせい=プラネーテス(惑まどう人ひと)の語源ごげん ギリシア語ご planetes は「さまよう者もの」 高高こう 定説ていせつ
火星かせいの逆行ぎゃっこうは二に年ねんに一度いちど 会合かいごう周期しゅうきは約やく780日にち(約やく2.14年ねん) 高高こう 定説ていせつ
アリストテレスの同心どうしん球きゅう理論りろんとプトレマイオス理論りろんの乖離かいり 物理的ぶつりてき実在じつざいとしての同心どうしん天球てんきゅうと、計算けいさん装置そうちとしての周転しゅうてん円えんは両立りょうりつしない。中世ちゅうせいを通つうじて認識にんしきされた分裂ぶんれつ 高高こう 天文学てんもんがく史しの中核ちゅうかく的てき論争ろんそう定説ていせつ
宇宙うちゅう全体ぜんたいと部分ぶぶんに均衡きんこうがなく、体系化たいけいかされていないという異議いぎ コペルニクスは『天球てんきゅう回転かいてん論ろん』(天体运行论/On the Revolutions of the Heavenly Spheres)序文じょぶんで、既存きそんの天文学てんもんがくが各部かくぶを寄よせ集あつめた「怪物かいぶつ」のようだと批判ひはんし、symmetria(均衡きんこう・共とも測そく性せい)の欠如けつじょを突ついた 高高こう 作中さくちゅうの要約ようやくはコペルニクスの批判ひはんとほぼ同型どうけい定説ていせつ
単純たんじゅん性せいによる理論りろん選択せんたく コペルニクス自身じしんが体系たいけいの統一性とういつせいと単純たんじゅん性せいを最大さいだいの長所ちょうしょとした 高高こう 定説ていせつ
修道院しゅうどういんでの鞭打むちうち・自己じこ鞭打むちうち 修道院しゅうどういんの懲戒ちょうかい(惩戒/disciplinary punishment)制度せいどとして実在じつざい。悔悛かいしゅんの実践じっせんとしての自己じこ鞭打むちうちも広ひろく存在そんざい 高高こう 定説ていせつ
禁書きんしょの施錠せじょう保管ほかんと閲覧えつらん資格しかく 禁書きんしょの管理かんりと閲覧えつらん制限せいげんは実在じつざい。審査しんさには内容ないようを読よめる聖職者せいしょくしゃが必要ひつようだった 高高こう 定説ていせつ
刑罰けいばつとしての目潰めつぶし 中世ちゅうせいの刑罰けいばつ・懲罰ちょうばつとして盲目もうもく化かは実在じつざい 中中なか〜高こう 修道院しゅうどういん内ないの懲戒ちょうかいとして科かされた事例じれいの一般性いっぱんせいは要確認ようかくにん有力ゆうりょく説せつ
修道院しゅうどういんの力ちからで大学だいがくを立たち入いり禁止きんしにする 修道会しゅうどうかいと大学だいがくの関係かんけいは密接みっせつで、推薦すいせん・排除はいじょの影響力えいきょうりょくは実在じつざい。ただし作中さくちゅうの直接的ちょくせつてきな措置そちは誇張こちょう 中中なか 制度せいどの実在じつざい要素ようその圧縮あっしゅく
三さん校こう以上いじょうの上級じょうきゅう大学だいがくからの推薦すいせんを入院にゅういん条件じょうけんとする 該当がいとうデータなし──この形式けいしきの入会にゅうかい条件じょうけんを確認かくにんできず ── 作品さくひん固有こゆうの設定せっていと考かんがえられる
教皇きょうこうの世俗化せぞくか・免罪符めんざいふ・対抗たいこう勢力せいりょくの予告よこく 十五じゅうご世紀せいき後半こうはん、教皇きょうこう庁ちょうの世俗化せぞくかと贖宥しょくゆう状じょうの濫用らんようは広ひろく批判ひはんされていた。フス派はなど先行せんこうする改革かいかく運動うんどうも存在そんざい 高高こう 宗教しゅうきょう改革かいかく(1517年ねん)の数十すうじゅう年前ねんまえという時期じき設定せっていと整合せいごう定説ていせつ
太陽たいようは地球ちきゅうの約やく109倍ばいという数値すうち 直径ちょっけい比ひ109は現代げんだいの正確せいかくな値あたい。古代こだいの推定すいていは大幅おおはばに過小かしょう(アリスタルコス〔阿里斯塔克斯/Aristarchus of Samos〕で半径はんけい比ひ6.3〜7.2倍ばい程度ていど)。十五じゅうご世紀せいきに到達とうたつ可能かのうな数値すうちではない 意図的虚構低てい(意図的いとてき虚構きょこう) ただし「太陽たいようが地球ちきゅうより大おおきいことが地動説ちどうせつの動機どうきになる」という推論すいろん経路けいろ自体じたいはアリスタルコスに実在じつざいする有力ゆうりょく説せつ
石箱いしばこの資料しりょうが十五じゅうご世紀せいきに存在そんざいする 意図的いとてき仮構かこうの継続けいぞく 意図的虚構低てい(意図的いとてき虚構きょこう) シリーズの中核ちゅうかく設定せってい

禁きんじる者ものは、必かならず触ふれる。誰だれも読よまなければ、何なにを禁きんじるかも決きめられない。

その一点いってん──太陽たいようの大おおきさの数値すうち──は、当時とうじ到達とうたつできない値あたいである。作品さくひんはそこだけ意図いとして未来みらいを借かりた。だが借かりた分ぶんを差さし引ひいても、この回かいの説得せっとくの構造こうぞうは史実しじつそのものである。では、その説得せっとくは何なにを根拠こんきょにしているのか。

Ⅴ

第だい5章ごしょう 科学かがく哲学てつがく —— 単純たんじゅん性せい、統一性とういつせい、そして体系たいけいという価値かち

結論けつろん:第だい6話ろくわが提示ていじする説得せっとくは、新あたらしい観測かんそくではなく古ふるい観測かんそくの並ならべ替かえによる。ここで働はたらいている価値かちは、単純たんじゅん性せいと統一性とういつせいである。それは強力きょうりょくな基準きじゅんだが、真理しんりの保証ほしょうではない。

基礎きそ
  • バデーニは新あたらしいデータを一ひとつも得とくていない。彼かれが受うけ取とったのは、既存きそんの観測かんそくを別べつの配置はいちで説明せつめいする記述きじゅつである。逆行ぎゃっこうという同おなじ現象げんしょうが、装置そうち(周転しゅうてん円えん)による実じつ運動うんどうから、視点してん(地球ちきゅうの運動うんどう)による見みかけへと読よみ替かえられる。
発展はってん
  • 単純たんじゅん性せい:仮説かせつの数かずが減へる。従来じゅうらいは惑星わくせいごとに周転しゅうてん円えんの組くみ合あわせを用意よういする必要ひつようがあったが、地球ちきゅうの運動うんどう一ひとつで逆行ぎゃっこうの全体ぜんたいが説明せつめいされる。
  • 統一性とういつせい(体系たいけい性せい):ここが決定的けっていてきである。バデーニが要約ようやくする「宇宙うちゅう全体ぜんたいとその部分ぶぶんに均衡きんこうがなく、独立どくりつした計算けいさんで記述きじゅつされ、体系化たいけいかされていない」という異議いぎは、コペルニクスが『天球てんきゅう回転かいてん論ろん』序文じょぶんで述のべた批判ひはんとほぼ同型どうけいである。コペルニクスは、当時とうじの天文学てんもんがく者しゃが惑星わくせいごとに別々べつべつの仮説かせつを用もちい、全体ぜんたいとして一ひとつの宇宙うちゅうを構成こうせいできていないことを、別々べつべつの場所ばしょから取とってきた手足てあしを寄よせ集あつめた怪物かいぶつにたとえた定説ていせつ。彼かれが対置たいちしたのが symmetria──部分ぶぶんどうしの均衡きんこう、全体ぜんたいとの共とも測そく性せいである定説ていせつ。
  • したがって作中さくちゅうの「宇宙うちゅうが変かわるぞ」という反応はんのうは、計算けいさん精度せいどの話はなしではない。バラバラだった部分ぶぶんが一ひとつの体系たいけいになるという質的しつてき転換てんかんへの反応はんのうである〔E2 3-3節さんせつと接続せつぞく〕。
  • 大学院だいがくいん 危あやうさの明記めいき:単純たんじゅん性せいも統一性とういつせいも、認識にんしき的てき価値かち(认知价值/epistemic value)であって真理しんりの保証ほしょうではない。歴史上れきしじょう、より単純たんじゅんで統一とういつ的てきだが誤あやまっていた理論りろんは複数ふくすう存在そんざいする(E1 第だい11章じゅういっしょう、E4 第だい8章はっしょう5)。加くわえて、この時点じてんのコペルニクス的てき体系たいけいは予測よそく精度せいどでプトレマイオスを明確めいかくには上回うわまわらず、真円しんえんの前提ぜんていのために新あらたな困難こんなんを抱かかえていた(E3 3-1節いっせつ)定説ていせつ。第だい6話ろくわの説得せっとく場面ばめんの鮮あざやかさは、この留保りゅうほを読者どくしゃから見みえにくくする。説得力せっとくりょくの高たかさそのものが、批判的ひはんてき読解どっかいの障害しょうがいになりうる──これは第だい7章ななしょうで自己じこ点検てんけんの対象たいしょうとする。
  • 理解りかい可能性かのうせいの前提ぜんてい:3-6節ろくせつで扱あつかったとおり、宇宙うちゅうが人間にんげんに理解りかい可能かのうであるという前提ぜんていは、探究たんきゅうの出発点しゅっぱつてんであって結論けつろんではない。院長いんちょうとバデーニの対立たいりつは、認識論にんしきろん的てき楽観らっかんと悲観ひかんの対立たいりつであり、どちらも信仰しんこうの内部ないぶから出でている。
寄せ集めと、ひとつの体系 ── symmetria 部分ごとに最適化された仮説の集まりと、部分どうしが釣り合う体系。 部分ごとに別々の仮説 寄せ集めた四肢は、人ではなく怪物になる ── コペルニクスの批判 同じ観測から、二つの姿 ひとつの体系 symmetria ── 部分どうしの均衡
図ず 09寄よせ集あつめと、ひとつの体系たいけい。単純たんじゅんさは、部分ぶぶんを減へらすことではなく、部分ぶぶんが互たがいを支ささえることである。

新あたらしい観測かんそくは一ひとつもなかった。革命かくめいは、並ならべ替かえによって起おきた。

単純たんじゅんであること。統一とういつされていること。それが決きめ手てだった。新あたらしい観測かんそくは一ひとつもない。だがこの基準きじゅんは、真理しんりを保証ほしょうしない。保証ほしょうしないものに人生じんせいを賭かけた男おとこが、どんな動機どうきで、どんな一瞬いっしゅんに賭かけたのかを、次つぎに見みる。

Ⅵ

第だい6章ろくしょう 倫理学りんりがく・心理学しんりがく —— 規律きりつ、動機どうき、そして一瞬いっしゅん

結論けつろん:第だい6話ろくわの倫理的りんりてき中心ちゅうしんは、才能さいのうと共同体きょうどうたいの衝突しょうとつである。そしてこの衝突しょうとつには、正解せいかいがない。

発展はってん
  • 共同体きょうどうたいの均衡きんこう:修道院しゅうどういんは共同きょうどう生活せいかつの場ばであり、規律きりつは生活せいかつの技術ぎじゅつである。一人ひとりが十人じゅうにん分ぶんを解とく事態じたいは、序列じょれつ・分業ぶんぎょう・相互扶助そうごふじょという共同体きょうどうたいの設計せっけいを実際じっさいに壊こわす。院長いんちょうの「足並あしなみをそろえろ」は、才能さいのうへの嫉妬しっとではなく、組織そしきの維持いじ機能きのうとして理解りかいできる。
  • 傲慢ごうまんという診断しんだん:バデーニの動機どうき(自分じぶんを偉大いだいにする瞬間しゅんかん)は、当時とうじの徳論とくろんでは傲慢ごうまんに分類ぶんるいされる(3-2節にせつ)。彼かれは自みずからそれを認みとめており、隠かくしていない。だからこの対立たいりつは、善人ぜんにんと悪人あくにんの対立たいりつではなく、別々べつべつの徳とくを優先ゆうせんする二人ふたりの対立たいりつである。
  • 懲罰ちょうばつと自由じゆうの交換こうかん:バデーニは鞭打むちうちを引ひき受うけることで発言権はつげんけんを買かう(06:25)。これは服従ふくじゅうではなく、価格かかくの支払しはらいである。彼かれは規律きりつの内部ないぶにとどまりながら、規律きりつを通貨つうかとして使つかっている。第だい3話さんわでラファウが偽誓ぎせいを費用ひようゼロの道具どうぐとして扱あつかったこと(E3 3-2節にせつ)の変奏へんそうであり、こちらは費用ひようを払はらう側がわの適応てきおうである。
  • 一瞬いっしゅんという時間じかん観かん:本ほんを開ひらくのは一瞬いっしゅんであり、取とり押おさえられるまでに読よめる量りょうはわずかである。それでもバデーニは開ひらく。彼かれが待まっていたのは知識ちしきの総量そうりょうではなく、特別とくべつな一瞬いっしゅんそのものだった(11:55、12:00)。行為こういの合理性ごうりせいとしては割わりに合あわない。だが彼かれの価値かち体系たいけいでは、瞬間しゅんかんの質しつが生涯しょうがいの意味いみを決きめる。第だい3話さんわの「感動かんどうは寿命じゅみょうの長ながさより大切たいせつ」(E3 3-8節はっせつ)と同型どうけいの会計かいけい方式ほうしきである。
  • オクジーの一歩いっぽ:彼かれが空そらを見上みあげる決断けつだんは、説得せっとくによるものではない。彼かれが思おもい出だしたのは論証ろんしょうではなく、二人ふたりの死しに顔がおだった(15:40)。地獄じごくへ行いくはずの人間にんげんが、満足まんぞくそうに死しんだ。この観察かんさつは、彼かれの信仰しんこう体系たいけいの内部ないぶでは説明せつめいできない変則へんそく事例じれい(反常/anomaly)である〔E4 第だい5章ごしょうの変則へんそく事例じれい論ろんと接続せつぞく〕。教義きょうぎが予測よそくしない事実じじつに出会であったとき、人ひとは理論りろんの側がわを疑うたがい始はじめる──第だい6話ろくわは、その最初さいしょの一歩いっぽを、天文学てんもんがくではなく他人たにんの表情ひょうじょうから始はじめさせている。

省略しょうりゃくされた文脈ぶんみゃくの開示かいじ②——なぜオクジーは「階級かいきゅうは最さい下層かそうに落おちるけど、もともと似にたようなもんだ」と言いえるのか。都市としの市民権しみんけんやギルド成員せいいん資格しかくを失うしなうことは、庇護ひご・仕事しごと・居住きょじゅうの権利けんりを同時どうじに失うしなうことを意味いみする(E5 世よの章しょう)。流ながれ者ものとして別べつの街まちで始はじめることは、現代げんだいの転居てんきょとは重おもみが違ちがい、身分証明みぶんしょうめいも保証人ほしょうにんもない状態じょうたいでの生存せいぞんを意味いみする。この一段いちだんを外はずすと、彼かれの計算けいさんが投なげやりに見みえる。実際じっさいには、失うしなうものが最初さいしょからほとんどない者ものの、正確せいかくな損得そんとく計算けいさんである。

本ほんを開ひらくのは一瞬いっしゅんである。その一瞬いっしゅんのために、人ひとは一生いっしょうを待まつことがある。

才能さいのうと共同体きょうどうたい、動機どうきと成果せいか、一瞬いっしゅんと生涯しょうがい。どれも正解せいかいのない衝突しょうとつである。加くわえてこの回かいは、あまりにも気持きもちよく進すすむ。気持きもちよさは、読よむ目めを曇くもらせる。曇くもりやすい場所ばしょに、今回こんかいも印しるしをつけておく。

Ⅶ

第だい7章ななしょう 私わたしが見落みおとしやすい視点してん(第だい6話ろくわ 新規しんき12項目じゅうにこうもく)

結論けつろん:以下いかを第だい1話いちわ16項目じゅうろくこうもく・第だい2話にわ12項目じゅうにこうもく・第だい3話さんわ12項目じゅうにこうもく・第だい4話よんわ12項目じゅうにこうもく・第だい5話ごわ12項目じゅうにこうもくに追加ついかする。

  1. 好奇心こうきしんを無条件むじょうけんの美徳びとくとして読よまない。当時とうじそれは罪つみの名なを持もっており、その罪つみ概念がいねんは動機どうきの向むきを問とうものだった。
  2. 修道院しゅうどういん長ちょうを愚おろかな抑圧よくあつ者しゃとして読よまない。彼かれは当時とうじの正統せいとうな徳論とくろんを、正確せいかくに適用てきようしている。
  3. バデーニの動機どうきを美化びかしない。彼かれは自分じぶんを偉大いだいにするために知しろうとしている。作品さくひんもそれを隠かくしていない。
  4. 教会きょうかい批判ひはんの直後ちょくごの落おとし所どころを見落みおとさない。彼かれの批判ひはんは正当せいとうだが、動機どうきは自分じぶんの格かくの維持いじである。
  5. 禁きんじる者ものが禁書きんしょに最もっとも近ちかいという構造こうぞう。検閲けんえつは情報じょうほうの消去しょうきょではなく再分配さいぶんぱいである。
  6. 「相手あいても同おなじだ」が免罪めんざいにならないこと。院長いんちょうの偽善ぎぜんは、バデーニの行為こういを正当化せいとうかしない。
  7. 新あたらしい観測かんそくが一ひとつもないこと。革命かくめいは並ならべ替かえによって起おきている。
  8. 単純たんじゅん性せいは真理しんりの保証ほしょうではない。説得せっとく場面ばめんの鮮あざやかさが、この留保りゅうほを隠かくす方向ほうこうに働はたらく。
  9. この時点じてんの体系たいけいは予測よそく精度せいどで優越ゆうえつしていない。真円しんえんの前提ぜんていによる困難こんなんは未解決みかいけつである。
  10. オクジーを動うごかしたのは論証ろんしょうではない。二人ふたりの死しに顔がおという、教義きょうぎが説明せつめいできない事実じじつである。
  11. 実演じつえんという教育きょういく形式けいしき。バデーニは説明せつめいせず、身体しんたいで経験けいけんさせた。第だい2話にわの偶然ぐうぜんの転倒てんとうと対たいをなす。
  12. 第だい4話よんわの司祭しさいの言葉ことばとの逐語ちくご的てき対応たいおう。修飾語しゅうしょくごを保存ほぞんして最後さいごの一語いちごだけを反転はんてんさせる構造こうぞうを見落みおとさない。

この回かいは、あまりにも気持きもちよく進すすむ。気持きもちよさは、読よむ目めを曇くもらせる。

十二じゅうにの死角しかくのうち、八はち番目ばんめがいちばん厄介やっかいだろう──説得力せっとくりょくの高たかさそのものが、留保りゅうほを見みえなくするという指摘してきである。見みえなくなったものを引ひき戻もどすために、反論はんろんを五いつつ育そだてておく。

Ⅷ

第だい8章はっしょう 反対はんたい解釈かいしゃく(第だい6話ろくわ 新規しんき5つ)

結論けつろん:「知性ちせいが禁制きんせいを突破とっぱする痛快つうかいな回かい」という標準的ひょうじゅんてき読解どっかいに対たいし、以下いかが成立せいりつする。

  1. バデーニ=搾取さくしゅ者しゃ論ろん。彼かれはオクジーに観測かんそくを条件じょうけんとして課かす。オクジーは夜空よぞらを見みられないと訴うったえたが、冗談じょうだんとして退しりぞけられた。第だい2話にわでフベルトがラファウに観測かんそくを強要きょうようした構図こうず(E2 第だい1章いっしょう)の反復はんぷくであり、知ちの継承けいしょうは毎回まいかい、弱よわい立場たちばの者ものへの労働ろうどうの転嫁てんかを伴ともなっている。
  2. 修道院しゅうどういん長ちょう=現実主義者げんじつしゅぎしゃ論ろん。彼かれの予測よそくはすべて当あたっている。バデーニは規律きりつを守まもれず、禁書きんしょに手てを出だし、目めを焼やかれ、左遷させんされた。彼かれが「思慮しりょ深ふかさは皆無かいむだ」と言いったことは、記述きじゅつとして正確せいかくだった。
  3. 好奇心こうきしん批判ひはんの再評価さいひょうか。第だい6話ろくわは curiositas を抑圧よくあつの口実こうじつとして描えがくが、その罪つみ概念がいねんには内容ないようがある──知ちを自己じこの栄光えいこうの手段しゅだんとすることへの警戒けいかいである。バデーニはその定義ていぎに当あてはまる。罪つみの名なを使つかった側がわが、必かならずしも誤診ごしんしていない。
  4. オクジーの転回てんかいの脆もろさ。彼かれが空そらを見みたのは、論証ろんしょうにも、この世よへの信頼しんらいにも基もとづいていない。二人ふたりの死しに顔がおという感情的かんじょうてきな記憶きおくに基もとづいている。第だい4話よんわで異端いたん者ものが指摘してきした「信仰しんこうの揺ゆらぎ」(E4 3-8節はっせつ付近ふきん)が、別べつの信仰しんこうへの揺ゆらぎに置おき換かわっただけだという読よみが成立せいりつする。
  5. 「調和ちょうわしている」への懐疑かいぎ。バデーニは二ふたつの読よみ方かたを提示ていじし、地上ちじょうが美うつくしさの一員いちいんである方ほうを選えらぶと述のべた。だがこれは論証ろんしょうの帰結きけつではなく、選択せんたくである。彼かれ自身じしんが「少すくなくとも私わたしは」と限定げんていしている。同おなじ幾何学きかがくから、天界てんかいも汚よごれているという結論けつろんを引ひくこともできる。 第だい6話ろくわの高揚こうようは、選えらばれなかった方ほうの読よみを見みえにくくする。

罪つみの名なを使つかった側がわが、必かならずしも誤診ごしんしていたわけではない。

五いつつの反対はんたい解釈かいしゃく、とりわけ三さん番目ばんめの重おもい読よみ──罪つみの名なを使つかった側がわが、必かならずしも誤診ごしんしていないという指摘してき──を携たずさえたまま、六ろく冊さつのノートを重かさねる。

Ⅸ

第だい9章きゅうしょう 第だい1〜5話ごわノートとの接続せつぞく(差分さぶんマップ)

結論けつろん:第だい6話ろくわは、シリーズが五話ごわかけて分散ぶんさんさせてきた要素ようそを、一ひとつの場所ばしょで交差こうささせる。

前話ぜんわノートの箇所かしょ 第だい6話ろくわでの交差こうさ
E1 第だい5章ごしょう:プトレマイオス体系たいけいとエカント(偏心匀速点/equant) バデーニの要約ようやくで、同心どうしん球きゅう理論りろんとの乖離かいりとして提示ていじ
E1 第だい7章ななしょう:自然しぜん神学しんがくと理性りせい 「人類じんるいに理解りかい可能かのうに宇宙うちゅうを創つくった」として台詞せりふ化か
E1 第だい11章じゅういっしょう:単純たんじゅん性せい・統一性とういつせいという美び 「どちらがよりシンプルか」として理論りろん選択せんたくの基準きじゅんに
E2 3-2節にせつ:坂さかでの相対そうたい運動うんどうの発見はっけん 木きの枝えだを中心ちゅうしんにした実演じつえん=設計せっけいされた追体験ついたいけんとして反復はんぷく
E2 3-3節さんせつ:幾何学きかがく的てき変換へんかんと体系たいけいの統一とういつ バデーニの「宇宙うちゅうが変かわるぞ」として反応はんのうが可視化かしか
E3 3-1節いっせつ:真円しんえんの壁かべ 第だい6話ろくわでは未み到達とうたつ。バデーニの高揚こうように留保りゅうほが必要ひつような理由りゆう
E4 第だい1章いっしょう1項いちこう:天てんは地球ちきゅうと調和ちょうわしない(司祭しさい) 「地球ちきゅうと調和ちょうわしている」として逐語ちくご的てきに反転はんてん
E4 3-6節ろくせつ:グラスを打うちのめした逆行ぎゃっこう バデーニには前提ぜんてい知識ちしきであり、驚おどろきですらない
E4 第だい5章ごしょう:孤独こどくな観測かんそく者しゃは変則へんそく事例じれいを発見はっけんに変換へんかんできない 共同体きょうどうたい(読よめる者もの)に接続せつぞくされた瞬間しゅんかん、同おなじデータが発見はっけんになる
E5 3-1節いっせつ:識字しきじという第一だいいちの関門かんもん 関門かんもんの内側うちがわにいる者ものが、初はじめて登場とうじょうする
E5 3-4節よんせつ:オクジーが読よめた一文字いちもじ その紙束かみたばが、ついに読よまれる
知の系譜(第6話版)── 読む者と観る者が、初めて揃う 線の種類は史料の確度。最下部は作品世界で、色で峻別される。新しいノードは、いずれも匿名。 ギリシア ローマ イスラーム圏 ラテン西方 伝達経路は未確定 (数学的同一性は確立) ピタゴラス派・フィロラオス 「地球は中心でなくてよい」という発想 ヘラクレイデス 自転による日周運動の説明可能性 アリスタルコス 太陽中心・地球公転の明示的仮説 プトレマイオス 高精度予測装置と、内部のエカント問題 イブン・アル=ハイサム 『プトレマイオス疑義』── 批判の口火 マラーガ学派(トゥースィー、ウルディー) エカントなしで同精度を出す数学装置 イブン・アル=シャーティル 月・水星の高精度モデル ビュリダン 運動の相対性(船の例)、インペトゥス理論 オレーム 自転反対論の論駁 ── しかし結論は地球静止 レギオモンタヌス 『アルマゲスト梗概』── 理論天文学の刷新 コペルニクス 部品の統合と、太陽中心への配置転換 作品世界 フベルト 地動説の命名/観測記録 ラファウ 火中からの継承 ラファウ 宣言と封印 石箱の在りかを知る者 ── 岩の一文字を見つけた二人 発見者・計算修正 ── 名を残さず 代闘士A 空を見るのが苦手 代闘士B 火星を二年 初めて、読む者と観る者が揃う 読解に到達した者 観測を再開した者 ── どちらの名も、この巻では入らない 史実の列とは結線しない 凡例 ── 実線=定説 破線=有力説 点線=議論あり 銀=作品世界
図ず 10点線てんせんだった「ラテン語ごを読よめる者もの」が実線じっせんになり、その隣となりに観みる者ものが並ならぶ。系譜けいふが、初はじめて二人ふたり一組ひとくみになった。
大タイムライン(第6話版)── 好奇心が罪になり、体系が生まれるまで 知識の年表は、無知の年表と対である。知の欲を裁く語彙も、年表の上にある。 前399 ソクラテスの死(アテナイ) 知 ── 独房と哲学の系譜の起点 未 ── 死の先 前4世紀 アリストテレスの宇宙論 知 ── 球体地球、月食の影 未 ── 惑星距離、慣性 前3世紀 アリスタルコスの太陽中心説 知 ── 天体距離推定の方法 未 ── 視差検出の手段 2世紀 『アルマゲスト』 知 ── 惑星位置の高精度計算 未 ── 実在性の検証法 4–5世紀 curiositas が悪徳として定式化 知 ── 知の秩序と目的 未 ── その線引きの根拠 8–13世紀 イスラーム圏の翻訳・批判 知 ── エカントの理論的欠陥 未 ── 配置転換の動機 13世紀 studiositas と curiositas の対比 知 ── 徳としての学び 未 ── 境界の可動性 14世紀 ビュリダン・オレーム 知 ── 運動の相対性 未 ── 主張し切る理由 15世紀 作品の想定世界 知 ── 部品はほぼ全部 未 ── 組み立てる者 1440頃 印刷術 知 ── 同一の版を大量に作る技術 未 ── その社会的帰結 1473 コペルニクス誕生 知 ── ─ 未 ── ─ 1543 『天球回転論』 知 ── 太陽中心の体系 未 ── 楕円軌道、観測的証拠 1609 ケプラー『新天文学』── 楕円の解答 知 ── 楕円と面積速度 未 ── その力学的理由 1610– ガリレオの望遠鏡観測 知 ── 金星の満ち欠け 未 ── 恒星視差 1633 ガリレオ裁判 知 ── ─ 未 ── ─ 1687 『プリンキピア』 知 ── 天地を貫く力学 未 ── 光速の意味 1729 光行差(ブラッドリー) 知 ── 地球公転の最初の直接的観測証拠 未 ── 公転速度の意味 1838 ベッセル、恒星視差を検出 知 ── 公転の直接証拠 未 ── 銀河の外の宇宙 1851 フーコーの振り子 知 ── 自転の直接実証 未 ── 慣性系の起源 20世紀 相対論・膨張宇宙 知 ── 中心なき宇宙 未 ── 暗黒物質・暗黒エネルギー 現在 現代宇宙論 知 ── 組成の約95%が未同定と知る 未 ── その95% 破れた円環の、答えの在りか 好奇心を裁く語彙が、八百年かけて整えられる 寄せ集めから、ひとつの体系へ ラファウの見積もり:30〜40年 史実:約300年 知 ── そのとき知っていたこと  未 ── まだ知らなかったこと
図ず 11好奇心こうきしんを悪徳あくとくと定さだめた語彙ごいと、寄よせ集あつめを体系たいけいへ変かえる道みちが、同おなじ一本いっぽんの軸じくの上うえに並ならぶ。

第だい1話いちわで説明せつめいされ、第だい2話にわで変換へんかんされ、第だい4話よんわで予告よこくされたものが、ここで合流ごうりゅうする。

対応表たいおうひょうを見みると、この回かいが交差点こうさてんであることが分わかる。第だい1話いちわで説明せつめいされ、第だい2話にわで変換へんかんされ、第だい4話よんわで反転はんてんを予告よこくされ、第だい5話ごわで運はこばれてきたものが、ここで一度いちどに合流ごうりゅうする。その合流ごうりゅう点てんで、結論けつろんを書かく。

Ⅹ

第だい10章じっしょう 結論けつろん —— 一人称いちにんしょうから、二人称ににんしょうへ

結論けつろん:第だい6話ろくわの到達点とうたつてんは「地球ちきゅうは動うごいている」ではない。天てんと地ちが一ひとつであるという命題めいだいである。そして題名だいめいは、その命題めいだいを他人たにんに手渡てわたす形かたちをとっている。

第だい2話にわの題名だいめいは「今いまから 地球ちきゅうを動うごかす」だった。一人称いちにんしょうの宣言せんげんである。少年しょうねんが、自分じぶんの生せいを賭かける対象たいしょうを自分じぶんで選えらび、自分じぶんに向むかって宣言せんげんした。

第だい6話ろくわの題名だいめいは「世界せかいを、動うごかせ」である。二人称ににんしょうの、命令形めいれいけいである。

この文法ぶんぽうの変化へんかに、五話ごわ分ぶんの時間じかんが畳たたみ込こまれている。ラファウは自分じぶんで決きめ、自分じぶんで死しんだ。フベルトも、異端いたん者ものも、グラスも、自分じぶんで決きめて自分じぶんで死しんだ。だが第だい6話ろくわで初はじめて、誰だれかが、誰だれかに向むかって言いう。動うごかせ、と。

そして受うけ取とったのは、夜空よぞらを見みるのが怖こわかった男おとこである。彼かれはこの回かいで初はじめて空そらを見上みあげ、そして口くちにした言葉ことばは、壮大そうだいな宇宙論うちゅうろんではなかった。今日きょうの空そらは、なんかきれいではないか、と。

バデーニの返答へんとうが、この作品さくひんの五話ごわ分ぶんの主題しゅだいを一行いちぎょうに束たばねる。その「なんか」を「絶対ぜったい」にする方法ほうほうが一ひとつだけある、と。

証明しょうめいとは、そういうものである。 誰だれかが感かんじた「なんか」を、誰だれが確たしかめても揺ゆるがない「絶対ぜったい」に変かえる作業さぎょう。フベルトが美うつくしいと感かんじたもの、ラファウが感動かんどうと呼よんだもの、グラスが円環えんかんに見みたもの、異端いたん者ものが地球ちきゅうに見みた美うつくしさ──それらはすべて「なんか」だった。証明しょうめいされていない直観ちょっかんだった。

そのすべてを「絶対ぜったい」にするために、彼かれらは死しんできた。

第だい6話ろくわで初はじめて、その作業さぎょうに名前なまえが付つく。世界せかいを動うごかせ。動うごかすのは地球ちきゅうではない。地球ちきゅうはもう動うごいている。動うごかすべきは、地球ちきゅうが動うごいていないと信しんじている世界せかいのほうである。

そして最後さいごに、この回かいが静しずかに置おいた反転はんてんを確認かくにんしておく。司祭しさいは、天てんは下等かとうな地球ちきゅうとは調和ちょうわしないと言いった(第だい4話よんわ)。バデーニは、天てんは地球ちきゅうと調和ちょうわしていると言いう。同おなじ修飾語しゅうしょくごを並ならべ、最後さいごの一語いちごだけを裏返うらがえして。

天てんが地上ちじょうへ降おりたのではない。地上ちじょうが、最初さいしょから天てんの一員いちいんだった。

もしそうなら、あの空そらを見上みあげていた人間にんげんたちは、ずっと蔑さげすまれてなどいなかったことになる。第だい4話よんわでオクジーが星ほしに見みた「蔑さげすむ目め」は、彼かれの目めのほうにあった錯覚さっかくだったことになる。

彼かれが今夜こんや、空そらをきれいだと言いえたのは、たぶん、そういうことである。

最後の一語(再掲) 結びで、もう一度おなじ二行に戻る。
図ず 12宇宙うちゅうの記述きじゅつが変かわるとき、変かわるのは語彙ごいではなく、末尾まつびの一語いちごである。
油彩の口絵。赤く沈んだ闇の中で、修道服の若者が開いた書物を両手で支え、声を上げている。

口絵くちえ ── 読よまれる。五話ごわぶんの紙束かみたばが、初はじめて一人ひとりの頭あたまのなかで解とける

動うごかすべきは地球ちきゅうではない。地球ちきゅうが動うごいていないと信しんじている、世界せかいのほうである。

最後さいごに、題名だいめいの文法ぶんぽうの話はなしをしたい。

第だい2話にわの題名だいめいは、一人称いちにんしょうの宣言せんげんだった。今いまから地球ちきゅうを動うごかす、と。十二歳じゅうにさいの少年しょうねんが、自分じぶんに向むかって、自分じぶんの生せいの使つかい道みちを言いい切きった。

第だい6話ろくわの題名だいめいは、二人称ににんしょうの命令形めいれいけいである。世界せかいを、動うごかせ。

この違ちがいに、四話よんわ分ぶんの死しが挟はさまっている。

ラファウは自分じぶんで決きめて、自分じぶんで死しんだ。フベルトもそうだった。名前なまえも明あかされなかった異端いたん者しゃも、そうだった。グラスは橋はしの上うえで、自分じぶんの運命うんめいを自分じぶんで言いい切きって落おちた。誰だれも、他人たにんに命令めいれいなどしなかった。ただ、託たくしただけだった。

第だい6話ろくわで初はじめて、命令形めいれいけいが出でてくる。誰だれかが、誰だれかに向むかって、動うごかせと言いう。

そして命令めいれいされた側がわは、その直前ちょくぜんに、こんなことを言いっていた。

今日きょうの空そらは、なんかきれいではないか、と。

これはひどく頼たよりない言葉ことばである。「なんか」しかない。理由りゆうもない。証拠しょうこもない。ただ、そう見みえた、というだけである。

しかし考かんがえてみれば、この物語ものがたりに出でてきた全員ぜんいんが、最初さいしょは「なんか」から始はじまっていた。フベルトはなんとなく美うつくしいと感かんじ、ラファウはなんとなく感動かんどうし、グラスはなんとなく完璧かんぺきを見みて、異端いたん者しゃはなんとなくこの地球ちきゅうのほうが美うつくしいと言いった。

彼かれらのうち誰だれ一人ひとり、それを証明しょうめいできないまま死しんだ。

だから、その「なんか」を「絶対ぜったい」に変かえる方法ほうほうが一ひとつだけある、というバデーニの返答へんとうは、この物語ものがたりの五話ごわ分ぶんに対たいする回答かいとうになっている。証明しょうめいとは、誰だれかの「なんか」を、誰だれが確たしかめても揺ゆるがないものに変かえる作業さぎょうである。 そのために人ひとは、生涯しょうがいを使つかい、ときに命いのちを使つかう。

そして忘わすれてはいけない。この回かいで、天てんと地ちの関係かんけいが裏返うらがえっている。

第だい4話よんわで、司祭しさいは言いった。天てんは崇高すうこうで荘厳そうごんで偉大いだいで広大こうだいで、下等かとうな地球ちきゅうごときとは調和ちょうわしない、と。第だい6話ろくわで、バデーニは同おなじ言葉ことばを並ならべ、最後さいごの一語いちごだけを変かえる。調和ちょうわしている、と。

もしそうなら──地上ちじょうは、宇宙うちゅうの底そこの沈殿物ちんでんぶつなどではなかったことになる。

もしそうなら──オクジーが少年しょうねんの頃ころから星ほしに見みていた「自分じぶんを蔑さげすむ目め」は、初はじめから存在そんざいしなかったことになる。

彼かれが今夜こんや、空そらをきれいだと言いえたのは、たぶん、そういうことである。星ほしが変かわったのではない。星ほしは昨日きのうと同おなじ場所ばしょで光ひかっている。

第だい1話いちわの序詩じょしに、そう書かいた。変かわるのは、見上みあげる者ものの目めのほうだ、と。

六話ろくわかけて、その目めが、一人ひとりぶん変かわった。

補遺ほい・問とい

問といの章しょう 答こたえのない問とい

ここから先さきは、答こたえの出でない六むっつの問といである。

第だい6話ろくわを見み終おえたあとに残のこるのは、たぶん爽快感そうかいかんだろう。閉とじられていたものが開ひらき、抑おさえられていた男おとこが勝かち、怖こわがっていた男おとこが空そらを見上みあげた。よくできた回かいである。

だからこそ、少すこし立たち止どまりたい。

抑おさえた側がわにも理屈りくつがあった。開ひらいた側がわの動機どうきは、あまり綺麗きれいではなかった。そして開ひらかれた結論けつろんは、まだ証明しょうめいされていない。

六むっつの問といには、十五じゅうご世紀せいきからの声こえと、現代げんだいからの声こえを置おいた。どちらも本気ほんきで答こたえている。そして、どちらも答こたえきれない。

六むっつ。答こたえは出でない。出でないことを確認かくにんするために置おく。

問とい一いち 規律きりつのために才能さいのうを抑おさえることは、誰だれのためか

中世ちゅうせいからの声こえ共同体きょうどうたいのためである。修道院しゅうどういんは共ともに祈いのり共ともに働はたらく場ばであり、一人ひとりの突出とっしゅつは分業ぶんぎょうと序列じょれつを壊こわす。そして本人ほんにんのためでもある。卓越たくえつの自覚じかくは傲慢ごうまんへ通つうじ、傲慢ごうまんは魂たましいを滅ほろぼす。抑おさえることは、罰ばつではなく保護ほごである。

現代げんだいからの声こえ才能さいのうの抑制よくせいは個人こじんの権利けんりの侵害しんがいであり、社会しゃかい全体ぜんたいの損失そんしつでもある。ただし現代げんだいの組織そしきも、突出とっしゅつした個人こじんが協働きょうどうを壊こわす事態じたいを扱あつかいかねている。均衡きんこうと卓越たくえつの両立りょうりつは、いまだ未解決みかいけつの設計せっけい問題もんだいである。

開ひらかれた問といでは、抑おさえられる側がわが「私わたしは保護ほごなど求もとめていない」と言いうとき──その拒否きょひを、共同体きょうどうたいはどこまで尊重そんちょうすべきなのか。

問とい二に 説明せつめいできないことを「そういう定さだめだ」と呼よぶのは、謙虚けんきょか、思考しこう停止ていしか

中世ちゅうせいからの声こえ謙虚けんきょである。人間にんげんの理性りせいには管轄かんかつがある。天てんと地ちは存在そんざいの階級かいきゅうが異ことなり、下位かいが上位じょういを完全かんぜんに知しることはありえない。分ぶんを超こえて知しろうとすることこそ、傲慢ごうまんの別名べつめいである。

現代げんだいからの声こえ説明せつめいの断念だんねんは、しばしば探究たんきゅうの停止ていしとして働はたらいてきた。ただし現代げんだい科学かがくにも、原理げんり的てきに問とえない領域りょういきと、まだ問とえない領域りょういきの区別くべつは存在そんざいする。両者りょうしゃを混同こんどうすることは、逆ぎゃくに楽観らっかんの側がわの誤あやまりである。

開ひらかれた問といでは、目めの前まえの謎なぞが「まだ解とけない」のか「原理げんり的てきに解とけない」のかを、その時点じてんで見分みわける方法ほうほうはあるのか。ないとすれば、どちらに賭かけるべきなのか。

問とい三さん 好奇心こうきしんは美徳びとくか、悪徳あくとくか

中世ちゅうせいからの声こえ悪徳あくとくである。知ちそのものは善ぜんだが、知しりたいという欲望よくぼうが目的もくてきと順序じゅんじょを外はずれるとき、それは魂たましいを神かみから引ひき離はなす。学まなびの徳とく(studiositas)と好奇こうきの悪徳あくとく(curiositas)を分わけるのは、知ちの量りょうではなく、心こころの向むきである。

現代げんだいからの声こえ美徳びとくである。好奇心こうきしんは科学かがくと文化ぶんかの駆動力くどうりょくであり、抑圧よくあつはしばしば権力けんりょくの道具どうぐとして使つかわれてきた。ただし、知しる行為こういが他者たしゃを害がいする場面ばめん──監視かんし、暴露ばくろ、危険きけんな技術ぎじゅつ──について、現代げんだいは一貫いっかんした基準きじゅんを持もっていない。

開ひらかれた問といでは、動機どうきを問とう中世ちゅうせいの枠組わくぐみを捨すてたまま、私わたしたちは何なにを基準きじゅんに「知しってはいけないこと」を決きめているのか。

問とい四よん より単純たんじゅんであることは、より真実しんじつであることの証拠しょうこになるか

中世ちゅうせいからの声こえ神かみは無駄むだをなさらない。世界せかいの秩序ちつじょは簡潔かんけつであり、簡潔かんけつさは神かみの技わざの徴しるしである。ただし、人間にんげんにとって簡潔かんけつに見みえることと、神かみにとって簡潔かんけつであることは、同おなじではないかもしれない。

現代げんだいからの声こえ単純たんじゅん性せいは理論りろん選択せんたくの実働じつどう基準きじゅんであり、科学史かがくし上じょうしばしば有効ゆうこうに働はたらいてきた。だが論理的ろんりてきな保証ほしょうはない。単純たんじゅんで誤あやまった理論りろんも、複雑ふくざつで正ただしい理論りろんも存在そんざいする。単純たんじゅん性せいは真理しんりの指標しひょうではなく、暫定的ざんていてきな選好せんこうである。

開ひらかれた問といでは、単純たんじゅんさに惹ひかれる私わたしたちの感覚かんかくは、世界せかいの性質せいしつを映うつしているのか、それとも私わたしたちの脳のうの性質せいしつを映うつしているだけなのか。

問とい五ご 「なんか」を「絶対ぜったい」にすることは、得えるのか、失うしなうのか

中世ちゅうせいからの声こえ確実性かくじつせいは救すくいである。揺ゆらぐ心こころは不安ふあんに苛さいなまれ、確たしかな真理しんりだけが魂たましいに平安へいあんを与あたえる。曖昧あいまいなまま留とまることは、信仰しんこうの弱よわさである。

現代げんだいからの声こえ証明しょうめいは知識ちしきを共有きょうゆう可能かのうにし、個人こじんの感覚かんかくを人類じんるいの財産ざいさんに変かえる。だが同時どうじに、証明しょうめいされた美びは「なぜ美うつくしいか」を説明せつめいし尽つくしてしまい、驚おどろきを目減めべりさせることもある。

開ひらかれた問といでは、証明しょうめいされたあとの空そらを見上みあげる人ひとは、証明しょうめいされる前まえの人ひとより、豊ゆたかなのか、貧まずしいのか。

問とい六ろく 偉大いだいになりたいという欲望よくぼうは、真理しんりの探究たんきゅうを汚けがすのか

中世ちゅうせいからの声こえ汚けがす。真理しんりは神かみに属ぞくし、探究たんきゅうは神かみを讃たたえるためにある。自己じこの栄光えいこうを目的もくてきとする探究たんきゅうは、たとえ正ただしい結論けつろんに至いたっても、その魂たましいにおいては誤あやまっている。動機どうきの不純ふじゅんは、成果せいかの正ただしさでは贖あがなえない。

現代げんだいからの声こえ動機どうきと成果せいかは独立どくりつしている。名誉めいよ欲よくは科学かがくの推進力すいしんりょくとして実際じっさいに機能きのうしてきた。重要じゅうようなのは動機どうきの純粋じゅんすいさではなく、結果けっかが検証けんしょう可能かのうであり、共同体きょうどうたいの吟味ぎんみに開ひらかれていることである。

開ひらかれた問といでは、動機どうきを問とわない世界せかいで、私わたしたちは何なにをもって、ある探究たんきゅうが「行いき過すぎている」と判断はんだんするのか。

六むっつとも、答こたえは出でなかった。

とくに三みっつ目め──好奇心こうきしんは美徳びとくか、悪徳あくとくか──について、私わたしたちは中世ちゅうせいより進すすんでいるとは言いいにくい。彼かれらは危険きけんを知しっていて、抑おさえる言葉ことばを持もっていた。使つかい方かたはひどかったが、問とい自体じたいは正ただしかった。

私わたしたちは危険きけんを知しっていて、抑おさえる言葉ことばを持もっていない。

好奇心こうきしんを美徳びとくと呼よぶことに、私わたしたちは慣なれすぎた。慣なれたぶんだけ、「知しりたかったから」という説明せつめいが、どこまで通用つうようするのかを考かんがえなくなった。

第だい6話ろくわの修道院しゅうどういん長ちょうは、間違まちがった相手あいてに、正ただしい問といを投なげたのだと思おもう。

人物じんぶつ帖ちょう

付録ふろく2 人物じんぶつカード(第だい6話ろくわゲート)

バデーニの立ち姿のペン画

バデーニ

日本語にほんご表記ひょうきバデーニ

中文ちゅうぶん表記ひょうき訳語やくご未確定みかくてい

EnglishBadeni(出典しゅってん:https://www.behindthevoiceactors.com/tv-shows/Orb-On-the-Movements-of-the-Earth/ )

声優せいゆう中村なかむら悠一ゆういち(出典しゅってん:同上どうじょう/ https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1728966634 )

立場たちば修道士しゅうどうし。村むらへ左遷させんされている。片目かために眼帯がんたいを着つけている

性格せいかく傲慢ごうまんを自認じにんする。時間じかんの使途しとに厳格げんかくで、条件じょうけんを先さきに提示ていじする。挑発的ちょうはつてきだが、価値かちを認みとめた相手あいてには対等たいとうに接せっする

背景はいけい三さん校こう以上いじょうの上級じょうきゅう大学だいがくから推薦すいせんされた者もののみが入いれる修道院しゅうどういんに在籍ざいせきしていた。一人ひとりで十人じゅうにん分ぶんの問題もんだいを解とく学力がくりょくを持もつ。規律きりつ違反いはんを繰くり返かえし、鞭打むちうちを自みずから引ひき受うけて発言権はつげんけんを得とくていた。禁書きんしょを開ひらいたため目めを焼やかれ、左遷させんされた。修道院しゅうどういんの力ちからで大学だいがくへの立たち入いりも禁きんじられた

思想しそう自分じぶんを特別とくべつにし、偉大いだいにし、歴史れきしを動うごかす瞬間しゅんかんを待まっている。神かみが人類じんるいに課かした最大さいだいの難問なんもんを解とくために数学すうがくが必要ひつようである。神かみは間違まちがえておらず、人類じんるいに理解りかい可能かのうに宇宙うちゅうを創つくった

この話はなしまでに明あかされた事実じじつ・オクジーの持参じさんした資料しりょうを読よみ、「宇宙うちゅうが変かわる」と述のべた
・資料しりょうの内容ないようを要約ようやくし、地球ちきゅうは動うごいていると結論けつろんした
・木きの枝えだを中心ちゅうしんにした実演じつえんで、逆行ぎゃっこうを相対そうたい運動うんどうとして示しめした
・天界てんかいは地球ちきゅうと調和ちょうわしていると述のべ、地上ちじょうが美うつくしさの一員いちいんである方ほうを信しんじると表明ひょうめいした
・オクジーに観測かんそくの継続けいぞくを条件じょうけんとして課かした
・教皇きょうこうの世俗化せぞくか・免罪符めんざいふ・対抗たいこう勢力せいりょくの台頭たいとうを予測よそくして批判ひはんした

オクジーの立ち姿のペン画

オクジー

日本語にほんご表記ひょうきオクジー

中文ちゅうぶん表記ひょうき訳語やくご未確定みかくてい

EnglishOczy(出典しゅってん:https://sevenseasentertainment.com/series/orb-on-the-movements-of-the-earth-omnibus/ )

声優せいゆう小西こにし克幸かつゆき(出典しゅってん:https://www.oricon.co.jp/special/69228/ )

立場たちば元もと・代だい闘士とうし。街まちにも組合くみあいにも戻もどれない。バデーニのもとに資料しりょうを持もち込こんだ

性格せいかく悲観的ひかんてきだが、指示しじには従したがう。自分じぶんの判断はんだんを保留ほりゅうする傾向けいこうが続つづいている

背景はいけい文字もじを十分じゅうぶんに習ならっていない。少年期しょうねんきの司祭しさいの教おしえにより、空そらを見みることができなかった

思想しそう第だい6話ろくわの時点じてんでも、希望きぼうは天国てんごくにあるという枠組わくぐみを保持ほじしている。しかしそれで説明せつめいできない事実じじつ(二人ふたりの死しに顔がお)に直面ちょくめんしている

この話はなしまでに明あかされた事実じじつ・バデーニに資料しりょうを見みせることに成功せいこうした
・観測かんそくの継続けいぞくを条件じょうけんとして受うけ入いれた
・葛藤かっとうの末すえ、初はじめて自みずから夜空よぞらを見上みあげ、観測かんそくを記録きろくした
・バデーニに「初はじめてにしては上出来じょうできだ」と評価ひょうかされた
・実演じつえんで「地球ちきゅう」の役やくを務つとめ、逆行ぎゃっこうを体感たいかんした
・空そらを見みて「今日きょうの空そら、なんかキレイじゃないですか」と述のべた

修道院しゅうどういん長ちょう

日本語にほんご表記ひょうき修道院しゅうどういん長ちょう(第だい6話ろくわで固有名こゆうめいは明あかされない)

中文ちゅうぶん表記ひょうき──

English──

声優せいゆう未確認みかくにん(出典しゅってんを確認かくにんできず。組くみ手ては頁ページに載のせないこと)

立場たちばバデーニが在籍ざいせきしていた修道院しゅうどういんの長ちょう

性格せいかくバデーニの能力のうりょくを率直そっちょくに認みとめる一方いっぽう、規律きりつ違反いはんには厳格げんかく。感情かんじょうを露あらわにする場面ばめんがある

背景はいけい第だい6話ろくわでは明あかされない。自室じしつに宇宙うちゅうに関かんする禁書きんしょを置おいていた

思想しそう想定そうていを超こえた勉強べんきょうは許ゆるされない。足並あしなみをそろえよ。好奇心こうきしんは罪つみである。理由りゆうなどなく、そういう定さだめである。天てんと地ちは階級かいきゅうが違ちがい、人類じんるいが天界てんかいについて今いま以上いじょうに知しることはない

この話はなしまでに明あかされた事実じじつ・バデーニの学力がくりょくを「圧倒的あっとうてき」と評価ひょうかした
・鞭打むちうちの自己じこ執行しっこうを命めいじた
・好奇心こうきしんは罪つみであり、聖書せいしょにそう解釈かいしゃくできる記述きじゅつがあると述のべた
・禁書きんしょを読よめば目玉めだまを焼やくと警告けいこくした
・自室じしつに宇宙うちゅうに関かんする禁書きんしょを置おいていた
・バデーニに理論りろん研究けんきゅう禁止きんし、のちに左遷させんと目めを焼やく処分しょぶんを科かした

異端いたん者しゃ・グラス(回想かいそうでの言及げんきゅうのみ)

扱あつかい第だい6話ろくわではオクジーの記憶きおくの中なかで言葉ことばが反復はんぷくされるのみ。新規しんきの事実じじつは明あかされない

肖像しょうぞうは提供ていきょう素材そざいのペン画が(背景はいけいは透過とうか処理しょり)。姿すがたが示しめされるのは第だい6話ろくわに現あらわれた三人さんにんまでで、氏名しめいの明あかされない人物じんぶつには肖像しょうぞうを置おいていない。記載きさいは第だい6話ろくわ終了しゅうりょう時点じてんの情報じょうほうに限かぎる。

付録ふろく1

学術がくじゅつ語彙ごい表ひょう ── 中文ちゅうぶん・English 対照たいしょう

日本語にほんご 中文ちゅうぶん English 分類ぶんるい
天動説てんどうせつ 地心说 geocentrism 天文てんもん
地動説ちどうせつ 日心说 heliocentrism 天文てんもん
惑星わくせい 行星 planet 天文てんもん
火星かせい 火星かせい Mars 天文てんもん
恒星こうせい 恒星こうせい fixed star 天文てんもん
逆行ぎゃっこう 逆行ぎゃっこう retrograde motion 天文てんもん
順行じゅんこう 顺行 prograde motion 天文てんもん
会合かいごう周期しゅうき 会合かいごう周期しゅうき synodic period 天文てんもん
同心どうしん球きゅう理論りろん 同心球理论 homocentric spheres 天文てんもん
離心りしん円えん 偏心圆 eccentric 天文てんもん
周転しゅうてん円えん 本轮 epicycle 天文てんもん
従円じゅうえん 均轮 deferent 天文てんもん
エカント 偏心匀速点 equant 天文てんもん
一様いちよう円運動えんうんどう 匀速圆周运动 uniform circular motion 天文てんもん
月上界げつじょうかい 月つき上じょう世界せかい superlunary realm 天文てんもん
月下界げっかかい 月下げっか世界せかい sublunary realm 天文てんもん
第だい五ご元素げんそ 第だい五ご元素げんそ quintessence/aether 天文てんもん
生成せいせい消滅しょうめつ 生成与消灭 generation and corruption 天文てんもん
太陽たいよう測距そっきょ法ほう 訳語やくご未確定みかくてい measurement of solar distance 天文てんもん
共とも測そく性せい・均衡きんこう 訳語やくご未確定みかくてい symmetria 天文てんもん
相対そうたい運動うんどう 相对运动 relative motion 天文てんもん
単純たんじゅん性せい 简单性 simplicity 哲学てつがく・思想しそう
オッカムの剃刀かみそり 奥卡姆剃刀 Occam's razor 哲学てつがく・思想しそう
統一性とういつせい 统一性 unity/systematicity 哲学てつがく・思想しそう
理解りかい可能性かのうせい 可か理解りかい性せい intelligibility 哲学てつがく・思想しそう
変則へんそく事例じれい 反はん常つね anomaly 哲学てつがく・思想しそう
パラダイム 范はん式しき paradigm 哲学てつがく・思想しそう
認識にんしき的てき価値かち 认知价值 epistemic value 哲学てつがく・思想しそう
感覚かんかく経験けいけん 感官经验 sense experience 哲学てつがく・思想しそう
徳とく倫理りんり 德性伦理学 virtue ethics 哲学てつがく・思想しそう
動機どうき 动机 motive 哲学てつがく・思想しそう
科学かがく社会学しゃかいがく 科学かがく社会学しゃかいがく sociology of science 哲学てつがく・思想しそう
優先権ゆうせんけん争あらそい 优先权之争 priority dispute 哲学てつがく・思想しそう
好奇心こうきしん 好奇心こうきしん curiositas/curiosity 宗教しゅうきょう・制度せいど
学まなびの徳とく 訳語やくご未確定みかくてい studiositas/studiousness 宗教しゅうきょう・制度せいど
目めの欲よく 眼目がんもく的てき情欲じょうよく concupiscence of the eyes 宗教しゅうきょう・制度せいど
傲慢ごうまん 傲慢ごうまん superbia/pride 宗教しゅうきょう・制度せいど
七ななつの罪源ざいげん 七宗罪しちしゅうざい the seven deadly sins 宗教しゅうきょう・制度せいど
自然しぜん神学しんがく 自然しぜん神学しんがく natural theology 宗教しゅうきょう・制度せいど
神学しんがく 神学しんがく theology 宗教しゅうきょう・制度せいど
修道院しゅうどういん 修道院しゅうどういん monastery 宗教しゅうきょう・制度せいど
修道院しゅうどういん長ちょう 修道院院长 abbot/prior 宗教しゅうきょう・制度せいど
修道士しゅうどうし 修道士しゅうどうし monk/friar 宗教しゅうきょう・制度せいど
還俗げんぞく 还俗 secularization(of a religious) 宗教しゅうきょう・制度せいど
戒律かいりつ・規律きりつ 戒律かいりつ monastic rule 宗教しゅうきょう・制度せいど
懲戒ちょうかい 惩戒 disciplinary punishment 宗教しゅうきょう・制度せいど
鞭打むちうち 鞭むち笞しもと flagellation 宗教しゅうきょう・制度せいど
悔悛かいしゅん 悔改かいかい penance 宗教しゅうきょう・制度せいど
禁書きんしょ 禁书 prohibited book 宗教しゅうきょう・制度せいど
検閲けんえつ 审查制度 censorship 宗教しゅうきょう・制度せいど
異端いたん 异端 heresy 宗教しゅうきょう・制度せいど
左遷させん 贬谪 demotion/transfer as discipline 宗教しゅうきょう・制度せいど
贖宥しょくゆう状じょう(免罪符めんざいふ) 赎罪券 indulgence 宗教しゅうきょう・制度せいど
教皇きょうこう 教皇きょうこう the Pope 宗教しゅうきょう・制度せいど
宗教しゅうきょう改革かいかく 宗教しゅうきょう改革かいかく the Reformation 宗教しゅうきょう・制度せいど
上級じょうきゅう大学だいがく 高等こうとう学部がくぶ higher faculties 宗教しゅうきょう・制度せいど

※訳語やくご未確定みかくてい:「太陽たいよう測距そっきょ法ほう」「共とも測そく性せい・均衡きんこう(symmetria)」「学まなびの徳とく(studiositas)」の中文ちゅうぶん訳やくは学術がくじゅつ上じょうの定訳ていやくを確認かくにんできなかった。組くみ手ては訳やくさないこと。頁ページ上じょうでは日本語にほんごと English のみを表示ひょうじする。

※「贖宥しょくゆう状じょう(免罪符めんざいふ)」は作中さくちゅうで「免罪符めんざいふ」と発話はつわされている。本文ほんぶんの表記ひょうきは改変かいへんせず、語彙ごい表ひょうでのみ学術がくじゅつ用語ようご(贖宥しょくゆう状じょう)を併記へいきする。

付録ふろく3

引用いんよう行ぎょうと経過けいか時間じかんの対応表たいおうひょう

照合しょうごう方法ほうほう:字幕じまく書かき起おこし(SRT、全ぜん1650行ぎょう)と全ぜん行ぎょうを突つき合あわせ、語尾ごびまで一致いっちを確認かくにん済ずみ。

節せつ 引用いんよう行ぎょう 経過けいか時間じかん 話者わしゃ
1章いっしょう 君きみの話はなしは 私わたしの人生じんせいを大おおきく変かえると言いえるか? 00:39 バデーニ
1章いっしょう なぜ逆行ぎゃっこうからの記録きろくがない 02:11 バデーニ
1章いっしょう 2年にねんに一度いちど ここからが重要じゅうような事象じしょうだぞ 02:14 バデーニ
3-1 “惑まどう人ひと” プラネーテスから来きてるんだぞ 02:35 バデーニ
3-1 軌道きどうは惑まどうに決きまってるだろ 02:40 バデーニ
世よ・1章いっしょう ここでは 想定そうていを超こえた勉強べんきょうは許ゆるされない 05:36 修道院しゅうどういん長ちょう
1章いっしょう 私わたしより無知むちな者ものとの協力きょうりょくは 不毛ふもうです 05:45 バデーニ
6章ろくしょう 懲罰ちょうばつと引ひき換かえに 勉強べんきょうの自由じゆうを得とくられるかぎりは 06:25 バデーニ
3-2 私わたしが歴史れきしを動うごかす瞬間しゅんかんですよ 07:03 バデーニ
1章いっしょう その情熱じょうねつは 神学しんがくにだけ向むけろ 07:13 修道院しゅうどういん長ちょう
1章いっしょう 神かみが人類じんるいに課かした 最大さいだいの難問なんもんを解とくのにですよ 07:22 バデーニ
3-3 なぜ惑星ほしは 後うしろへ戻もどったりするのですか? 07:33 バデーニ
3-3 神かみが設計せっけいを間違まちがえたことになる 08:22 バデーニ
1章いっしょう 理由りゆうなどない 08:36 修道院しゅうどういん長ちょう
1章いっしょう 天てんと地ちは階級かいきゅうが違ちがうんだ 08:47 修道院しゅうどういん長ちょう
3-4 好奇心こうきしんは罪つみだからだ! 09:23 修道院しゅうどういん長ちょう
1章いっしょう 目玉めだまを焼やく 09:42 修道院しゅうどういん長ちょう
3-5 自分じぶんだって 好奇心こうきしんに弱よわいじゃないか 10:56 バデーニ
6章ろくしょう でも 私わたしはずっと待まってた 11:55 バデーニ
6章ろくしょう そんな特別とくべつな一瞬いっしゅんを! 12:00 バデーニ
4章よんしょう 太陽たいようは地球ちきゅうの 約やく109倍ばいの大おおきさとなる 12:07 バデーニ
3-2 教会きょうかいは免罪符めんざいふで カネを稼かせいでる 12:24 バデーニ
3-2 私わたしの格かくも落おちるではないか! 12:38 バデーニ
1章いっしょう その観測かんそく日誌にっしの続つづきを 君きみが記録きろくするのが条件じょうけんだ 13:24 バデーニ
1章いっしょう 俺おれ 夜空よぞらが見みられないんですけど 13:53 オクジー
6章ろくしょう 満足まんぞくそうな顔かおをしてた 15:40 オクジー
1章いっしょう 初はじめてにしては上出来じょうできだ 16:27 バデーニ
1章いっしょう 宇宙うちゅうが変かわるぞ 16:53 バデーニ
1章いっしょう くだらん常識じょうしきと 積つみ上あげた思おもい込こみだ 17:20 バデーニ
3-6 やはり 神かみは間違まちがえてなかったんだ 17:27 バデーニ
3-6 人類じんるいに理解りかい可能かのうに宇宙うちゅうを創つくった 17:30 バデーニ
5章ごしょう 体系化たいけいかされていないことに対たいする異議いぎ 18:05 バデーニ
3-7 地球ちきゅうは動うごいてる 18:22 バデーニ
3-7 全然ぜんぜん動うごいてないですが 18:29 オクジー
3-7 あまりにも合理的ごうりてきだ 18:35 バデーニ
3-7 後戻あともどりしてたんだ 19:33 バデーニ
3-7 地球ちきゅうが静止せいししてる場合ばあいはな 19:44 バデーニ
1章いっしょう 宇宙うちゅうを再現さいげんしてる 20:05 バデーニ
1章いっしょう プトレマイオスの千せん年ねんを覆くつがえす秘密ひみつが 隠かくされていたぞ 20:39 バデーニ
3-7 どちらが よりシンプルか 分わかるだろ? 21:38 バデーニ
3-8 そして 地球ちきゅうと調和ちょうわしていると 21:57 バデーニ
3-8 とうの昔むかしから あの美うつくしさの一員いちいんだったのかもしれない 22:21 バデーニ
3-8 少すくなくとも私わたしは そっちを信しんじる 22:28 バデーニ
10章じっしょう 今日きょうの空そら なんかキレイじゃないですか? 23:07 オクジー
10章じっしょう その“なんか”を “絶対ぜったい”にする方法ほうほうが1つだけあるぞ 23:18 バデーニ
10章じっしょう 世界せかいを動うごかせ 23:24 バデーニ

※ルビ表記ひょうき:「傭兵ようへい」「鞭むち」「還俗げんぞく」「乖離かいり」「惑星ほし」は字幕じまく上じょうのルビ。頁ページではルビとして組くむこと。とくに「惑星ほし」は本作ほんさく特有とくゆうの読よみであり、括弧かっこのまま表示ひょうじしないこと。

※第だい4話よんわとの対比たいひ:司祭しさいの「下等かとうな地球ちきゅうごときとは調和ちょうわしない」(第だい4話よんわ 01:39付近さんじゅうきゅうふきん)と、バデーニの「そして 地球ちきゅうと調和ちょうわしていると」(第だい6話ろくわ 21:57)は対たいをなす。SVG-E6-08 および第だい3-8節はっせつで対比たいひする際さい、両者りょうしゃの話者わしゃと話はなし数すうを取とり違ちがえないこと。

※題名だいめいの表記ひょうきは「世界せかいを、動うごかせ」(読点とうてんあり)。作中さくちゅうの台詞せりふは「世界せかいを動うごかせ」(読点とうてんなし、23:24)。両者りょうしゃを混同こんどうしないこと。

附ふ

付録ふろく4 出典しゅってん

このノートが立たっている土台どだいを、種類しゅるいごとに開ひらいておく。どの文献ぶんけんがどの章しょうを支ささえているかまで記しるすのは、読者どくしゃが検算けんざんできるようにするためである。

作品さくひん資料しりょう

資料しりょう 版はん・話はなし数すう・確認日かくにんび
アニメ『チ。―地球ちきゅうの運動うんどうについて―』第だい6話ろくわ「世界せかいを、動うごかせ」 NHK総合そうごう、2024年ねん11月じゅういちがつ放送ほうそう/字幕じまく書かき起おこし(SRT、全ぜん1650行ぎょう)を一次いちじ資料しりょうとして使用しよう。確認日かくにんび:2026年ねん8月はちがつ15日じゅうごにち
Seven Seas Entertainment(英語えいご版はん)シリーズ頁ページ https://sevenseasentertainment.com/series/orb-on-the-movements-of-the-earth-omnibus/ /確認日かくにんび:2026年ねん8月はちがつ15日じゅうごにち
Behind The Voice Actors(英語えいご版はん役名やくめい・声優せいゆう) https://www.behindthevoiceactors.com/tv-shows/Orb-On-the-Movements-of-the-Earth/ /確認日かくにんび:2026年ねん8月はちがつ15日じゅうごにち
アニメイトタイムズ(キャスト) https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1728966634 /確認日かくにんび:2026年ねん8月はちがつ15日じゅうごにち

一次いちじ文献ぶんけん

文献ぶんけん どの章しょうのどの主張しゅちょうを支ささえるか
アウグスティヌス『告白こくはく』第だい10巻じっかん/『真しんの宗教しゅうきょう』 「世よ」の章しょうおよび第だい3-4節よんせつ。curiositas を「目めの欲よく」として三みっつの根本的こんぽんてき欲望よくぼうの一ひとつに数かぞえる定式ていしき(確度かくど:定説ていせつ)
トマス・アクィナス『神学しんがく大全たいぜん』第だい二に部ぶの二に 第だい166問もん・第だい167問もん 「世よ」の章しょうおよび第だい3-4節よんせつ。studiositas(学まなびの徳とく)と curiositas(好奇こうきの悪徳あくとく)の対比たいひ(確度かくど:定説ていせつ)
ヨハネの第一だいいちの手紙てがみ 2章にしょう16節じゅうろくせつ 第だい3-4節よんせつ。「目めの欲よく」の聖書せいしょ的てき典拠てんきょ。修道院しゅうどういん長ちょうの言いう「聖書せいしょにそう解釈かいしゃくできる記述きじゅつ」に対応たいおう(確度かくど:定説ていせつ)
コペルニクス『天球てんきゅう回転かいてん論ろん』序文じょぶん(パウルス3世さんせい宛あて献辞けんじ)および第だい1巻いっかん第だい10章じっしょう 第だい3-7節ななせつ・第だい5章ごしょう・第だい4章よんしょうの照合表しょうごうひょう。既存きそん天文学てんもんがくを各部かくぶの寄よせ集あつめた「怪物かいぶつ」にたとえる批判ひはんと、symmetria の概念がいねん(確度かくど:定説ていせつ)
アリストテレス『天体てんたい論ろん』 第だい3-3節さんせつ。月上界げつじょうかい・月下界げっかかいの区別くべつと天体てんたいの円運動えんうんどう(確度かくど:定説ていせつ)
プトレマイオス『アルマゲスト』 第だい3-3節さんせつ・第だい5章ごしょう。周転しゅうてん円えん・離心りしん円えんによる逆行ぎゃっこうの説明せつめい装置そうち(確度かくど:定説ていせつ)
アリスタルコス『太陽たいようと月つきの大おおきさと距離きょりについて』 第だい4章よんしょうの照合表しょうごうひょう。太陽たいようの大おおきさの推定すいてい(半径はんけい比ひ6.3〜7.2倍ばい程度ていど)と、その幾何学きかがく的てき手法しゅほう(確度かくど:定説ていせつ)

研究けんきゅう文献ぶんけん

文献ぶんけん どの章しょうのどの主張しゅちょうを支ささえるか/学界がっかいでの位置いち
Aquinas, Summa Theologiae II-II q.167 の現代げんだい注釈ちゅうしゃく(例れい:https://www.newadvent.org/summa/3167.htm の英訳えいやくと注ちゅう) 第だい3-4節よんせつ。curiositas が「感覚かんかく的てき事物じぶつの認識にんしき」に関かかわる悪徳あくとくとして扱あつかわれること(確度かくど:定説ていせつ)
curiositas 概念がいねん史しの研究けんきゅう(Plutarch から Augustine までの系譜けいふを扱あつかう研究けんきゅう、Greece & Rome 掲載けいさい論文ろんぶんほか) https://www.cambridge.org/core/journals/greece-and-rome/article/abs/rights-and-wrongs-of-curiosity-plutarch-to-augustine1/028A8D58A42762983C3F278A2C3AA540 「世よ」の章しょう。好奇心こうきしんをめぐる評価ひょうかが古代こだいから中世ちゅうせいにかけて悪徳あくとくへ収斂しゅうれんした過程かてい(確度かくど:定説ていせつ)
N. M. Swerdlow & O. Neugebauer, Mathematical Astronomy in Copernicus's De Revolutionibus 第だい5章ごしょう・第だい4章よんしょう。コペルニクスの体系たいけい性せい批判ひはんと、同心どうしん球きゅう理論りろん・周転しゅうてん円えん理論りろんの乖離かいり(確度かくど:定説ていせつ)
Hon & Goldstein, "Symmetry in Copernicus and Galileo", Journal for the History of Astronomy 35 (2004) 第だい5章ごしょう。コペルニクスが序文じょぶんと第だい1巻いっかん第だい10章じっしょうで symmetria を用もちいて太陽たいよう中心ちゅうしんの秩序ちつじょを特徴とくちょうづけたこと(確度かくど:有力ゆうりょく説せつ)
太陽たいようの直径ちょっけい比ひに関かんする天文てんもんデータ(現代値げんだいち:地球ちきゅうの約やく109倍ばい) https://www.thecollector.com/aristarchus-samos-heliocentric-model/ 第だい4章よんしょうの照合表しょうごうひょう。作中さくちゅうの109倍ばいが現代値げんだいちであり、古代こだいの推定すいていと大おおきく異ことなること(確度かくど:定説ていせつ)
R. K. Merton による科学かがく社会学しゃかいがく(優先権ゆうせんけん争あらそいと科学かがくの規範きはんに関かんする研究けんきゅう) 第だい3-2節にせつ。名誉めいよ欲よくが科学かがくの推進力すいしんりょくとして機能きのうしてきたこと(確度かくど:定説ていせつ──概念がいねんとして広ひろく受容じゅよう)
中世ちゅうせい修道院しゅうどういんの懲戒ちょうかい制度せいどと自己じこ鞭打むちうちの実践じっせんに関かんする研究けんきゅう 「世よ」の章しょう・第だい4章よんしょう。体罰たいばつと悔悛かいしゅんの身体しんたい観かん(確度かくど:定説ていせつ)
十五じゅうご世紀せいきの教皇きょうこう庁ちょう批判ひはん・贖宥しょくゆう状じょう濫用らんように関かんする宗教しゅうきょう改革かいかく前史ぜんしの研究けんきゅう 第だい4章よんしょうの照合表しょうごうひょう。バデーニの教会きょうかい批判ひはんが時代じだい設定せっていと整合せいごうすること(確度かくど:定説ていせつ)
Layer A–D 凡例(縮小再掲) 本文のバッジの色と、この四帯の色が対応する。 A 作品世界 C 史実 B 歴史イメージ D 現代の評価 四つの層を混ぜないこと ── 四冊のノートを貫く、この分析全体の作法 確度の札は 定説・有力説・議論あり・俗説 の四段
図ず 13Layer 凡例はんれいの再掲さいけい。読よみ終おえたあとで、もう一度いちどここに戻もどれるように。
難度なんど